はてなキーワード: 国鉄とは
親として嗜めるが
「粗にして野だが卑ではない」
この「卑」がいわゆる下品であろう
名家、世襲だらけの国会議員の前で彼は「粗」で「野」であろうからこのようなセリフになったのだろうと想像している
彼は明治19年に静岡の漁師の家に生まれ、一橋大学から三井物産、海外勤務
開戦に反対し引責辞職、いくつかの公職を経て戦後公職追放を受けながらも国鉄総裁となり現在のJRまでの発展の礎を築いた人物、天才。
「卑ではない」これ重要
宮中晩餐会に呼ばれプロトコールに従い所作つつがなく飯を食って帰れる人間は表面的には上品の極みであろう。まぁそれが出来る人間しか呼ばれないわけだが
対してヒール役プロレスラーからこぼれ出る「でも彼、裏では気さくで礼儀正しい常識人なんすよね」話。
そんな事はどうでもいい
人は品良く生きるべきか、下品に生きたほうが得か
「自分さえ良ければいい」
彼はこの行動指針を徹底している、
社会正義や品性など一円の得にもならないという合理的判断だろう。
多少の批判には最終兵器「自分金持ってるっス」を隠し持ってる安心感
正直羨ましい
「足るを知る」は負け犬の遠吠えであろうか
悩みながらも俺は品良く生きるコースを維持している
礼儀礼節常識を守り、努力を怠らず、他者を思いやり、自分と関わりを持つ人間の幸福を願う
でもさ、怪物下品男の水島廣雄は個人債務200億円踏み倒しても100歳の誕生日会は政財界からお祝い殺到、聖路加タワーで天寿を全うだからなぁ
これが単なる成功者バイアス、一般論から外れた統計ノイズであると信じたい
↓1968年生れの56歳だけど、たしかに子どものころはこうだったわ。
雨に濡れると頭が禿げるって姉に教えられた記憶がかすかにあったけど、あれは核実験があったからだったのか。今知った。
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/6094985.html
【悲報】昭和(高度成長期1954~1973) の日本、ヤバ過ぎるwww
・川は公害で真緑色、海は赤潮で赤色。背骨がグネグネの魚が取れる
・発がん物質DDTを頭からぶっかけ。今は使えない危険な農薬も使いまくり
・中共の気違いがぼかすか原爆の空間実験をしていたから雨に濡れると頭が禿ると親に叱られた
・人さらいが横行してたから5時過ぎまで外で遊んでると「サーカスに売られてしまうから」という理由で親に殴られた
・どぶ川はメッキ工場の青酸廃液できれいなエメラルド色がデフォ
・高校進学者はほぼ夜間の定時制で昼間の重労働でばたばた過労で倒れた
・東京との賃金格差が広がり地方の過疎化と高齢化が始まり三ちゃん問題が発生
・ソーセージ工場からは肉の生残滓がものすごい蒸気とともに排出されて即腐敗
・ジュースの素はなぜか陽の光に当てると色が消えた
・川崎球場はガラスでできた1合瓶が後ろから飛んできて普通のサラリーマンが殺し合いのけんかをしていた
・おとなは戦争で人を殺した経験があるやつがうようよいたからけんかはいつも殺し合いのようだった
・下水がないので、バキュームカーという糞尿収集車が定期的に来る
・空き地が多く、危険な薬品や資材などが雨ざらしなってて子供がそこで面白がって遊んでた
・野犬がうろうろしていて襲い掛かってくる
どうしてこうなった!思ってたのと違う!こんな感想を得た人も多いのではないか。かく言うところの筆者もそう思いました。新潟駅の不思議ポイントを確認していってみましょう。
新潟駅に関する違和感というか、歩いていて苦痛に感じるポイントはまずここです。階段の段数が約50段と多いです。通常の建物の3階相当の高さを2階としています。これは上越新幹線開業から新幹線コンコースの高さです。在来線の跨線橋はこの高さよりも低く、跨線橋から新幹線コンコースまではスロープで接続されていました。通常の駅の階段は30段くらいです。
4階建ての新潟駅の旧駅舎ビルの高さと上越新幹線ホームの高さが同じくらいなので、上越新幹線ホームの高さは5階相当の高さになります。新幹線は毎日乗るものではないので、苦ではなかったのですが、新幹線に乗るときはエスカレーターや階段が長いと感じていました。
在来線ホームの高さを新幹線ホームに合わせてしまったため、5階相当高さにホームが上がってしましました。富山駅、金沢駅、福井駅の新幹線の高架はもっと低く、アンダーパスする道路ギリギリの高さの設計になっていると思います。2階がそれほど高くないのです。オープン当初の新幹線高架下の新潟駅の2階に出店していたヨドバシカメラは、店内に階段があり、上の階がありました。やはり新潟駅の新幹線ホームは4階建ての建物の屋上相当の高さにあるのです。この高さが高い高架橋は総工費が大幅に高くなることを意味します。
横断禁止の個所を渡る人が絶えないとニュースになる新バス乗り場。駅ビルのCoCoLoの1階部分が高架下を貫くバス乗り場によって分断されています。50段の階段で2階へまわれとか、150m先のなかなか青にならない信号渡れとロックな設計になっています。設計コンペの勝者のイラストと比較すると大幅に規模が小さくなっています。コンペのイラストのバス乗り場は、高架下の道路の両側ではなく、道路の車線の間に島式ホームのようにバス乗り場が集約されています。電車と違ってバスは、両側に扉がないので、バスは島式ホームのローターリーに侵入するときに右側通行に入れ替わって侵入することが想定されます。島式ロータリーから道路の両側にバス乗り場に変更することで、高架下のバスが占有する面積を大幅に縮小しています。この変更によって、バス乗り場が行き先によって分断されたため、とりあえずバス乗り場に行ってから、目的のバスを探すことができる構造から、バスの行き先を判断してから、道路のどちら側に行くかをあらかじめきめなくてはならないスタイルに改悪されてしまいました。
古町・市役所方面からきたバスは、高架下に入る前の降車場で乗客を降し、高架下をくぐって、南口側に出てUターンして、高架下バス停に出発を待ちます。南口方面から到着したバスは南口側の降車場で乗客を降し、高架下をくぐって、万代口側に出て、Uターンして、高架下のバス停で出発を待ちます。高架下を直通するバス路線はわずかです。
※イメージイラストは、「設計コンペのプランからなくなったもの?!」の項を参照してください。
多くの市民が感じた違和感は市街地の南北が分断された状態を解決するというお題目がほとんど解消されていないことです。この目的を解決するには、万代口の東大通と南口の弁天線がつながらなければなりません。駅の高架下はバス専用となったため、南北をつなぐ道路で増えたところは、八千代橋から続く道路が線路の反対側につながったところくらいです。以前の踏切個所の米山踏切と天神尾踏切は、高架をくぐる道路として残っています。一部の市民は、市長の家の近所のガードだけが開通したので、このルートを篠田さんの功績を称えて篠田ガードと呼んでいます。
https://www.zaikainiigata.com/?p=8248
計画では駅西線と駅東線という2本の道路が開通する予定でしたが完成に至らず、大幅に計画が縮小されています。駅東線は歩行者と自転車用道路に格下げされて計画されています。駅西線は、代ゼミのところから南下し、高架下をくぐりLEXNビルに至る道路です。
駅西線の予定地では、新幹線利用者向けのパークアンドライドサービスの新潟駅西駐車場(215台)を貫いています。このパークアンドライド用の駐車場は、高速バスターミナルとタワーマンションでなくなる予定です。もうひとつのパークアンドライド用駐車場のCoCoLo駐車場(826台)は、この春のCoCoLoリニューアルオープンに伴って、3000円のお買い物で1時間無料、新幹線割引き廃止、24時まで3000円というレートになりました。梅田駅や秋葉原駅のほうが安いです。セレブな駅駐車場になりました。この変更で新幹線出張族が大打撃。電車やバスで駅に行けない利用者が多いのが新潟の現実です。新潟駅西駐車場(215台)は、朝8時前に満車です。ちなみに上越新幹線で使われているE7系の定員は924人です。
駅に中に城下町のような見通しの悪い丁字路が多い印象がです。電車で新潟駅の高架在来線ホームに到着すると電車は、ホームの中ほどに停車します。階段やエスカレーターは、ホームの両端にあるため、階段やエスカレーターと電車の間のホームの狭いところを歩くことになります。降りた乗客は進路を絞られて譲り合いながら進みます。階段やエスカレーターは隙間と通った後にUターンする導線になります。先が見えません。約50段の階段を降りると反対側のエスカレーターが正面にあり、方向を変えて、出口もしくは、乗り換え先のホームを探すことになります。この高架橋の柱は5階の高さを支え、耐震を考慮していてとても柱が太いです。見通しがよくないのです。乗り換えのときは、新潟駅の発着ホームはランダム設定のため、何番線からどこ行きが発車するのか確認が必要です。ホームから改札口へ向かう人、改札口からホームへ向かう人、乗り換えの人が改札内の一か所に集められて混沌となります。その人波をかき分けて階段の上に表示されている行き先を確認する必要があります。新幹線と特急いなほの対面乗り換えの5番線が後付けの設計のため、階段の位置に違和感があります。これも改札内コンコースを複雑にしている理由の一つです。改札を出る場合は、東、西、新幹線の3つの出口を判断して、東か西から出ます。階段を降りて進むと正面が新幹線乗り換え改札で出口どこってなります。太い柱が邪魔で先が見えないです。改札を出ると共有の通路ではなく、エキナカの店舗が両脇にある通路を進みますが、外へは店舗を抜けないと駅を出られません。この店舗との駅外への導線の区別ないところがよりわかりにくくしています。グレーと黒を基調とした色調なので、黒い服を着るといい感じで風景に溶け込みます。
敵襲があったときには、敵の判断を鈍らせることできる設計になっています。なかなかの軍司がかかわっていたものと思います。
土地が誰の持ち物なのかを調べてみるとこの駅のちぐはぐな点が浮き彫りになってきます。
高架下は東日本旅客鉄道さんの土地なのです。駅前の広場は新潟市。新たに広場になる部分は、東日本旅客鉄道さんから新潟市が買ったのではないかと思います。市の玄関口なので、きれいな広場を整備しましょうということなんでしょう。南口の広場も国鉄清算事業団から買いました。旧国鉄側は上手に土地を売り抜けているように見えます。大幅に規模が縮小されたなんちゃってペデストリアンデッキは、新潟市の土地に建設されます。高架下の建物は東日本旅客鉄道さんのものなので、そこにお願いして接続させてもらっている体になります。バス乗り場部分が東日本旅客鉄道さんの所有地だとすると駅下の一等地を提供したくなかったのかと妄想が捗ります。バス乗り場で分断されても店舗面積を稼ぎたいその気持ちもエキナカ運営者の立場としては当然かもしれません。高架下の駅舎の中は持ち主の東日本旅客鉄道さんの気持ちがあふれた設計になっています。
2002年の設計コンペは、堀越英嗣氏のグループが選ばれました。次のxに上げられた画像を見ると堀越氏の想いはいずこへ。
新潟都市再生 @ryuto_niigata 10:50 PM · Mar 11, 2020
https://x.com/ryuto_niigata/status/1237737592889544704
万代口のマルタケビル、ブラザービル前まで横断歩道を渡らずに行ける予定でした。メンテナンスが難しそうな雲形のデザインの歩道の屋根に置き換わっています。このペデストリアンデッキは、斜めに走っている補助路があり、人間の近道をしたい心理をうまくついていました。
先ほどふれましたが、バス乗り場の面積が縮小されています。バスを一覧しやすい乗り場という設計者の配慮は無になりました。
木造風でした。
高架下の道路として予定されていた駅西線や駅東線に車寄せやバスのりばの入り口を設けたものがアイデアとしてよかったです。このアイデアを実現しようとすると東日本旅客鉄道さんのエキナカの店舗面積が減ってしまいます。
駅前広場が丘になっていて、丘の上も丘の中も歩けるというのもよかったです。雨風に強いプランは天候がよくない新潟向きです。
新潟都市再生 @ryuto_niigata 2:35 PM · Mar 12, 2020
https://x.com/ryuto_niigata/status/1237975437415874560
https://www.kochi-tech.ac.jp/library/ron/2002/g5/M/1035010.pdf
この高知工大の澤田さんが作った資料は今となっては当時のコンペの条件を伝える貴重な資料です。
新潟駅から西に1.4㎞に西跨線橋、東に0.4㎞に東跨線橋があります。この2つの跨線橋は高架化後も残存しています。西跨線橋付近はそもそも90年代の計画時点で高架化の範囲から外れており、駅から西跨線橋に向けて下り坂になっています。越後線が西跨線橋をくぐると白山駅手前の信濃川を渡河する橋梁があるため、登り坂になっています。???
東跨線橋の下は在来線が通り、この跨線橋の上を新幹線の高架が通っていました。在来線の高架化で在来線は新幹線と同じ高さまで高度をかせぐようになりました。この東跨線橋は、予算不足のため跨線橋が残ったままです。数年後壊すことになっています。
実際のところ、街のお年寄りは新潟は踏切がない街だからといっていました。ここで指す新潟は新潟島+アルファの狭義の新潟です。狭義の新潟には、米山踏切と天神尾踏切くらいしか踏切がなかったと思います。現新潟駅が街はずれの田んぼの中に作られたこと、現新潟駅への移転に合わせて白山までが作られたためかと考えられます。
結局のところ、取り除かれた踏切は米山踏切と天神尾踏切で、それ以外の個所は線路が道路をオーバーパスしていたところが多かった状態でした。降雪時に凍結しやすい跨線橋が残ってしまったのはとても残念です。
新幹線は、在来線と道路の上下が入れ替わる状態を無視して、それらの上を行く高架で郊外の田園地帯まで抜けています。
せっかくなので、線路は高架、道路は平面というポリシーで街づくりをしていただきたかった。まことに残念です。いっそのこと新潟駅の上を高架道路で結んだほうがよかったかもしれないです。
昭和57年の上越新幹線開業時、新潟駅には、駅構内のステーションデパートのセゾン・ド・ニイガタと駅裏にあった気動車の車両基地の向こう側に長大な連絡通路を挟んだ再開発ビルのプラーカが3棟建てられました。セゾン・ド・ニイガタは、その後、CoCoLoと名前を変え、新潟駅リニューアルの核店舗となった。開業当時は西堀ローサとならんで、おしゃれスポットでした。プラーカは、プラーカ1、プラーカ2,プラーカ3と地下から地上5階までのショッピングモールが出現。セゾンよりも大規模で店舗数も多いスポットでした。東急ハンズを山下の家具がフランチャイジーとして運営したハンソン、アニメイト、ゲームセンター、多数の衣料品店などでにぎわっていました。プラーカ4?として西友の進出計画までありました。しかし、バブル崩壊後の景気低迷でセゾンはせんべいとか鮭の瓶詰を買う新潟土産屋になり、郊外の大規模モールの台頭でプラーカは集客力が落ち、テナントが歯抜けとなって破綻したのでした。無印もFrancfrancもいなくなり、今は中央に吹き抜けがあるオフィスビルになっています。このビルは第三セクターだったため、新潟市は大きな打撃を受けることになりました。
気動車の車両基地は、数年後に新津駅へ移転し、国鉄清算事業団所有の空き地が残りました。この空き地は新潟市が買い取ることになり、新潟市のひとり負けです。
2000年ごろから市民参加のまちづくりという錦の御旗の下、駅の設計に市民が参加するムーブメントを当時の市長が始めた。この動きが2003年の新潟駅の設計コンペに影響があり、プランが大胆に変更されるのかと思いきや、新潟駅の設計コンペは、新潟駅周辺整備基本構想にしたがって、設計コンペが実施されたのでした。
https://www.toshimirai.jp/ifudletterpdf/200111.pdf
新潟駅周辺整備基本構想では、駅を貫く道路はバス専用で、道路交通は駅西線と駅東線が担うことが決められていました。プランの肝心なところは、市民が参加しても変えることはできず、まだ詳細設計がされていなかった広場で、機能に関係がない見た目のデザインがとかバリアフリーがとか枝葉の部分の議論に終始したのでした。車いす駐車場から広場への歩道の導線がよくないと直したら、車寄せと駐車場の面積が半減してしまいました。完成後の混雑が必死なのか閑古鳥がなくのか興味深いポイントです。そんなことよりも在来線ホームが5階の高さの時点でめっちゃバリアです。
https://niigata-u.repo.nii.ac.jp/record/31114/files/ZH_2005_963-964.pdf
http://opac.niigatacitylib.jp/shisei/koho/shiho/2005/050710/pdf/2002_08.pdf
はてなーって労働組合が不甲斐ない!みたいに言うくせに、労働組合に対する解像度が低すぎるでしょ
解像度が低い理由は労働組合の活動を知らない、労働組合の仕事をしていないからだよね
小さい方の会社だけど中卒からドクターまでいる変な会社で、高学歴のやつは2年目か3年目に労組の仕事をほぼ強制的にやらされて、さらに2年後に労組役員をやるって感じだった
小さめの会社だから労組は1つしかなくて、上部組織は全労連系だけど、政治的なことはなんにもしなかった
上部組織の専従の人がたまに来ると相談乗ってくれるくらいで、(全労連系の)専従の人も別に政治的なこと話さないし
賃上げ交渉のアドバイスとか、労基法に抵触する可能性があるとか、それくらい
労組で政治的な活動やってるところは、でかい会社か、共産党や社民党と関係が強い(そこの社長とか社長の親戚が市議とか県議とか)みたいなとこばっかりだと思う
全労連だろうがユニオンだろうが、組合役員だからメーデーのデモに強制参加させられたなんてこともないと思うんだけど、他の小さい会社の労組はどうなんでしょう
ただ、活動家みたいな人が労組にいるケースはあるんだろうなとは思う
労働組合の活動費って何に使ってるんだ、みたいなブコメあったけど年に一度の総会で会計報告してるし、会計監査もあると思うんだけど総会参加したことないのって思っちゃうよね
総会にも参加せずに文句言うこと恥じないのが、労組凋落の原因じゃないのかなって思うよ
あと、ストしろ!とか威勢のいいことブコメに書く人が結構いるけど、ストの費用知らないでしょ
ストに金がかかることも知らない労働者多いと思うので、所属する労組に聞いてみたらいいと思う
だらだらと書いて、何がいいたいのか自分でもわからないけど、それでも言いたいことは一つあって、労組の仕事したらいいんじゃないかと思うってこと
労働組合って労働者だけがやれることで、他の誰かがやってくれることじゃないからね
労働組合が弱体化する原因は色々あるけど、大きな要因の一つは労働者の当事者意識の欠如にあるよね
労組の仕事やった人なら実感としてそれは嫌になるほど感じていると思うし、労組の仕事したことない人は当事者意識皆無だから無視しるし
かろうじて、当事者じゃない他の誰かが関われるとすれば、上部組織の専従の人だけ
お勤め先の労組が気に食わないなら、新しく労組を立ち上げたっていいわけだし
それをやらないってのは、労働組合なんてどうでもいいか、当事者意識が皆無だからから、って思うよ
ご自身が所属する労組に文句があるなら、ご自身でどうにかするしかないんです
このニュースに関して
『京急運転士、保安装置に細工 「非常ブレーキかからないように」』
https://digital.asahi.com/articles/ASS4N4H4NS4NULOB00KM.html
『地元民だが、京急のブレーキ細工のニュースなんかおかしくない? 』
https://anond.hatelabo.jp/20240421174815
この細工をしたという保安装置はデッドマンと呼ばれる装置で、普段乗車中の急ブレーキとはちょっと違う。
デッドマンというのは、鉄道みたいに操作をしなくても勝手に進んでしまうような機械、特に無操作時間が長い機械に付ける装置で、その名の通り、操作者が死んだ場合に止める為のものだ。
んで、このデッドマン装置、運転者が死んだり居眠りしてない事を検出するための仕組みに二通りがある。
ブザーが鳴って1~2秒以内に確認ボタンを押さないと非常ブレーキがかかる。採用してるのは国鉄、JRなど。
放してしまうと非常ブレーキが掛かる。気絶したり居眠りしても足や指は掛かったままだが、指や足の力が抜ける。その時にはね戻されるくらいの力のバネを仕込んでおく。その為に結構身体的に負担が大きい(デスクワーク中に15kg程の重いペダルをずっと踏んでいないとパソコンがシャットダウンされると考えてみてくれ)。
身体の負担が大きいので細工してズルする者が後を絶たない。海外ではズルした状態で居眠りして大事故に至った例も。
今回の京急の場合は、操作レバーの裏に自転車のブレーキレバーみたいなのがある。これを駅に止まってる時以外ずっと握っていなければならない。
これをヘアゴムで縛って手を楽にしたというのが今回の事例。実際に運転士が気絶や居眠りした時にはブレーキが掛からないので危険というか、事故に至る可能性が高い。
静電容量を計測してブレーキに触っている事を検出する、というのが人には優しい設計だ。だが気絶や居眠りでも手は離れないので事故を防ぐ力が弱い。
身体負荷が高すぎてズルが横行すると意味がないし、そのせいで事故になる事もあり、例えばカナダの事故では重いペダル式を止めて定期的ブザー式にした方が良いとの事故調査結果が出ている(ヒントン列車衝突事故 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E5%88%97%E8%BB%8A%E8%A1%9D%E7%AA%81%E4%BA%8B%E6%95%85)
次に元増田が訴えている京急でガックンブレーキが多い理由だが、2019年の神奈川新町での踏切事故が原因だ。あの脱線して火まで出た大事故だ。
事故の主原因はトラックの立往生だが、業務上責任というのは相手方の責任が大きいから当方の責任が相殺されるってもんじゃない。で、この事故では京急と運転士にも責任があった。
踏切の手前には踏切がちゃんと作動している事を示す信号と、異常があった場合にそれを知らせる信号というのが設置されている。この設置場所は次の通りに決まっている。
路線ごとに最高速というのが決まっていて国交省に届け出されている。また場所ごとに制限速度がある。
この速度で走っていて、異常信号が発光しているのを見てブレーキを掛けたら止まれる距離に信号を付けることとなっている。
つまり、踏切の異常信号を見て非常ブレーキ掛けたら絶対に止まれるワケ。
でもこの異常信号機は歩行者の踏切突破でも作動する。踏切に赤外線のフォトトランジスタ装置があって、踏切作動中に何かが横切ると例の信号が発光するってわけ。
踏切突破する不届き歩行者は結構いるから、発光しても様子見て歩行者がそのまま渡り切ったら警笛だけ鳴らしてそのまま通過というのが常態化していた。
で、あの日も同様に異常信号が発光したのに直ぐに非常ブレーキを掛けなかった。どうやら様子を見たのでは。
でも信号がなかなか消えないので4秒遅れでブレーキを掛けた。現場手前はカーブになっていてカーブを恐らく100km/h近くで通過したら踏切を全部塞ぐトラックが見えた。もうこの時点では衝突は避けられず、まともにぶつかって脱線、電車の下敷きのトラックが炎上する大事故になった。
そこで国交省の手入れが入り、社内規定と慣行を見直して異常信号を確認したら例外なく非常ブレーキを掛けろ、と厳命されたはずだ。
だから急いでいて降りている踏切を突破する不届き物が居た場合、非常ブレーキで停車という過剰にも思える反応になった。
というわけで、デッドマン装置のズルと元増田が毎日食らってる急ブレーキは関係が無いし、あの大事故が引き金で踏切突破などで非常ブレーキが必須となった為なので我慢するしか無いのではないか?
せめてもっと緩いブレーキにしろ、と言いたいかも知れないが、「踏切異常信号視認でも通常ブレーキを使うのが慣例化していた」というのも指摘されてるので無理な話なのだ。
常山勝弘(つねやまかつひろ、Tsuneyama Katsuhiro、1989年8月7日生まれ、血液型はA型。)とは、JRの株主などを務める新潟県出身の華族(從二位)の弟であり、チェス愛好家として、現在日本チェス連盟の会員である。
… 関東軍の孫 …
徳川の時代に、魚沼地方において大庄屋をやっていた士分の門家である両家(苗字を帯刀することが許された格式がある両家。現在の姓は、常山家と南雲家。)の中に生まれ、満州事変(1931年-1934年)において、関東軍(第9師団騎兵9連隊)を務めていた常山新作の孫であり、常山氏(氏族)に属する。幼い頃は新潟県の公立学校で育ち、東京の私立高校(通信制NHK学園高等学校)を中退した後、旧大検を取得し、2024年4月には、伊豆半島にJALcardで、旅行に行っている。本人は国鉄の娘である母親洋子の母南雲タキの家系から続くカトリック信仰であり、日本のキリスト教会のプロテスタント派の神学生を成人の頃に、少しだけ務めたことがあり、誕生日のお祝いに洗礼の宣伝を作らせてもらったことがあると言う。
常山新作は、昭和天皇陛下の直属部隊に属しており、関東軍に務めていたので龍光大綬章を受賞しているが、これは桐花章と同位である。
父親の常山満は、神奈川近代文学館に自著の詩集を所蔵されている。
… 人物 …
幼少期から、かっちゃん(Kattyan)の名前で、親しまれている。
… 脚注 …
… 外部リンク …
https://miitus.jp/t/JCF/login/box/?logout&p=b2tma0NyUStMVjJMTzlwS2crdXNFQk5PYThFcVhqeWNaUVlSZkRDd2xZTm9leEZMOUd6dWdlc0FPczduWFNxTWNOaFVRMzMvK1l3SjRRUFFzU3A0V2c9PQ==| MiiT+/日本チェス連盟
https://mainichi.jp/articles/20240319/k00/00m/040/120000c
https://www.fnn.jp/articles/-/470192
https://www.sankei.com/article/20230323-ZDOYSBZGNBO7RNGJNLTBPMNKRM/
重大犯罪が起きたり
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1249166207
そして、本当に時代に合っていないし、まだそんなことやってんの、清風らしいなと思っていることでしょう。
高校レビューサイトにも現役OB問わずボロクソ言われています。比較的偏差値のレベルに合わせて順位がつくこのサイトで、ある程度の偏差値の進学校で大阪府176位は異常事態です。
https://www.minkou.jp/hischool/school/review/2447/
毎朝全校生徒朝礼(4000人の男が一堂に集う)があり、毎日読経し、毎日教育方針を暗唱します。校長の説法で「借金の保証人になるな」と高頻度で言われます。
https://h-m-d.blog.ss-blog.jp/2008-09-12
勉強に集中するべきであるから生徒会が存在しません。(似たような学校の言いなり組織はある)
勉強できなくてもいい、寺の息子たちとスポーツ推薦のやつだけのクラスがあります。
運動が強いように見えていますがほぼ推薦でクラスも分かれているので、普通のコースで入ると太刀打ちできないことも多いです。(池谷幸雄をはじめとしたオリンピック選手多数)
普通に入ると、完全に受験のみに焦点を当てた教育(+宗教教育)で育っていきます。
親から見れば予備校に行かせなくても阪大や同志社にいっぱい進学してるように見えて魅力的です。
昔であれば「厳しい学校」程度の話で済んだかもしれません。私立校ですから、厳しい校則も別にいいと思います。しかし、この時代においては世の中とのズレが大きくなりすぎたと言わざるを得ません。
寺を継ぐ息子たちの学校に割り切るのであればそれもありかもしれませんが、このズレで教育しつづけて、卒業した子たちは社会でやっていけるのでしょうか。
教育方針に掲げた「安心と尊敬と信頼の対象となる」人物になれるのでしょうか。
北陸新幹線が敦賀まで開業したので、西へ行こうと思いえきねっとできっぷを取ってみるの巻。
近所の新幹線駅からもみどりの窓口が消え、えきねっとが頼みの綱。
検索条件に最寄り駅と大阪を入力、さらに経由駅に富山を指定した。
7時台に出る特急しらゆきを皮切りに大阪までのきっぷを所望した。検索すると「ご指定の経路ではお申込みできません(07)」との表示。3/16のダイヤ改正で乗り継ぎ割引もなくなったので、乗車券と特急券を別に買えないかと思い、画面をくまなく探すと90年代の個人サイトのように追加の検索条件ボタンが隠されていたので、「乗車券のみ」にチェックを入れ、検索。結局エラーで買えなかった。ゆるキャラが画面の右下でふわふわしていたので、長めのエラーコードを入れてみたところ、毒にも薬にもならないFAQが表示された。エラーコードもチャットボットは認識するのかと変なところに力が入っているなと関心。AIの代わりに必死にExcelのワークシートに質問集を入力した人がいたんだなと一瞬裏側が見えた気がした。一番近いFAQを選択すると「問題は解決されましたか」と人口無能にも劣るチャットボットがのたまうので、解決されないを選んだところ有人チャットへのご招待ボタンが表示された。勇んでクリックしてみると混んでいてつながらないとか表示された。10回くらいエラーコードを入力してAIチャットボットの学習に貢献したみたが、埒が明かない。チャットボットに「みどりの窓口で国鉄のおじちゃんが手書きで発券できたきっぷをえきねっとは何で発券できないの?」と打ち込んでみたら、「禁止ワード!」とか表示されて、急にチャットが人間に切り替わり、「ご用件を伺います」と表示された。人間に切り替わったことよりもえきねっとのチャットボットの機嫌を損ねた禁止ワードが何なのか気になってしかたない。そのことは水に流して、「在来線特急と北陸新幹線を使った新潟-大阪の富山経由の乗車券が買えないのですが」と質問してみた。「少々お待ちください」と言ったきり5分が経過、「お待たせして申し訳ございません。」と返事があったので、「よろしく頼みます」と書き込んでさらに待ってみた。チャットの入力欄がもぞもぞしているので、回答を考えてくれているのかと思ってさらに10分待ってみた。「乗り換え駅をすべて教えてください」と言われたので、「新潟-上越妙高-富山-敦賀-大阪」と即座に返した。加えて「この時間のはくたかは敦賀までいかないので、富山でつるぎに乗り換えたいです!」と打ち込んだ。上越妙高からの西行きは新幹線の効果を台無しにする30分待ちとか1時間待ちが多発するクソダイヤなので、富山ではますのすしを買って観光を楽しむつもりなのだ。敦賀ではヨーロッパ軒でかつ丼か定食でも食べたいなどと目論んでいる。このような途中下車の旅を目論むと新幹線特急券が分割されてとても高額になってしまう罠が潜んでいる。さらに10分経過したところで、「お客様大変申し訳ございません。乗り換え数が4を越えているのと3セク区間を経由するので、そのきっぷはえきねっとでは発券できません。」とドラマ「ホテル」の赤川一平なみの謝罪を受けた。「最後にほかにお聞きしたいことはありませんか。」とチャット氏は定型の終わりの挨拶をいれてきた。「JRおでかけネットで申し込むと糸魚川駅まで取りに行かないといけないけど、都内のみどりの窓口がない駅のように取りに行くときの運賃のサービスはありませんか」とダメもとでゴネてみた。「おでかけネットは西日本のサービスなのでこちらではご質問いただけません」とやんわりオコトワリされたのだった。最後に「失礼いたしました。JR西日本をJR東日本が買収して、西日本のきっぷも東日本の駅で受け取れる未来を応援しています!」と返してチャット氏との40分にわたる戦いに終止符が打たれた。
ということで、結局のところ成城石井が初上陸して駐車場が激込みになった県都の駅のみどりの窓口を目指さないと大阪行きのきっぷは買えないのであった。