はてなキーワード: Modとは
渡辺製作所がTHE QUEEN OF HEART作ってた時にイベント会場に「こうした方がもっと面白くなりますよ」って改造版を持ち込まれて迷惑だった事を当時の日記で語られている。製作者に見せるなよw
各々勝手にやってりゃいいのにわざわざ、へー未だにそんなんやってるの?
Modだとすぐ手に入るのに!みたいに、いちいち畑違いの人にまで言いに行く馬鹿のせいやで。
AIなら一瞬なのにとか言いに来るやつと一緒
ゲームで感動したっていう感想をよく聞くけど、ゲームの感動部分て、映画や小説的部分であって、ゲームでないとありえない感動って無くない?
また、ゲームという仕様上、感動の物語はゲームとしての仕掛けや手間をクリアしないといけないわけで、無駄なストレスや作業を乗り越えないといけない
これが本であれば本をめくって読むだけでいいし、映像であれば再生してれば感動の場面にたどり着く
ただゲームだけは製作者が作った仕掛けを乗り越える必要が出てきて、そのストレスに耐え切れずに途中でゲームを辞めるという選択肢が出てくる
本のように自分のペースで読めるわけでもないし、前に戻って読み直すことも出来ない
重要な場面だけ抜き出して他人と共有することも難しいので感動を伝えるのも難しい
もう1度感動の場面を見ようと思えば、本ならばそのページまで読み飛ばせばいいし映像ならそこまでスキップすればいいけどゲームではそう簡単にはいかない
ソシャゲがストレスフリーな方向に進化していくように、ゲームもストレスフリーな方向に進化していくなら、デバッグモードのようないつでもどのデータにでもアクセスし
フラグを自由に変えられるモードの実装が主流になるべきじゃない?
去年くらいからエロ同人ゲーム(「ジーコ」という業界用語がある)の世界にハマって、DLサイトでバンバン買っては遊んできた結果、これは!と思ったものをリストアップする
なお、俺はショボいMacBookに仮想マシンを入れて無理矢理Windows向けのゲームを遊んでおり、プレイ環境は信じられないほど悪いため、まっとうなスペックが必要なゲームについてはそもそもプレイできていないという点には注意が必要だ
それが俺の目下の目標かもしれない
高校生の魔法少女であるアマネちゃんとなって、怪人と戦っていく その過程で色々とエロい目にあう
個人的には、全体的なバランスを見たときにもっとも出来がいいと思うのがこのゲームだ
ボリュームが高くて、自由度があって(やりたいことがやれて)、エロのクオリティとゲームのクオリティが両立されている
エロ同人ゲームなのに、クリア後にしばらく時間をおいてまた始めたりすることがある
なんなら俺はDLサイト版に加えてSteam版も買って、中国人有志が作った大型modを怪しい海外コミュニティに上げられていた怪しいクラウドから落として、英語翻訳パッチをあてて英語で3週目をやっている そのくらいの熱を注げる作品だ
現代モノ、魔法少女モノとして欲しい要素をほとんど取り揃えている感じで、シチュの網羅性が高く、またエロシーンそのものの質も高くて、端的にいってシコれる
個人的にポイントが高いのが、戦闘に組み込まれたエロや、雑魚的に負けてしまうと見られる、されたことのログがランダムに流れていく形での"敗北者の末路"エロ、自分で匙加減を選べる公園露出イベントや、電車でのミニゲーム的な痴漢エロなど、インタラクティブだったりゲーム要素を取り入れたりしているシーンが多いところ
シーンに入ったら決まったテキスト・CGの紙芝居が再生されて終わり、というだけではないシーンの数がそれなりにあるのが、セレスフォニアの世界に生き生きとした風を吹き込んでいるように思う
舞台となる街のエチノミヤ市とかいうクソみたいな名前もかなり好きです
竿役としてはなにせ種蒔先生がよかった
種蒔先生との一連のシーンはもう、僕の心のど真ん中という感じで、時折思い出してはシーンを見にいくことがある
普通にRPGとしても面白くて、敵を倒して得た、金とも経験値とも違うリソースを使ってスキルや武器を強化していく要素が楽しい
じっくりやれば主人公がクソ強くなり、高難易度でも戦闘で負けようがないくらいになってくるのも愛嬌のひとつですね
そんで、導入のハードルは結構高いんだけど、通称CN modと呼ばれる上述のModもかなり良い
原作では結構、本気で魔法少女としてのロールプレイをやってれば引っかかりようのない罠とか、かけられようのない呪いみたいなのがあるんだけど、そのあたりに手を加えてくれて、クソ強くなってもう負けねえわと慢心してるところでガチの敗北を味わされたりするので、チンチンに良い
余裕で勝つつもりでボスに挑んだらいきなり弱体化の首輪をつけられて追い込まれ、負けたとき、俺の心は完全にセレスフォニアになっていた
今の俺のメインの性癖(誤用)はNTRで、なかでもこう、「男主人公目線で寝取られていることを匂わせるものだけを見せられる」的なのがすげえ好きなんだけど、じつはそれに本格的に目覚めたのはこの作品がきっかけだと思う
素晴らしい作品です
ほぼNTRシーンのみのNTRゲーで、現代の田舎町を舞台に幼馴染と過ごすひと夏の青春、そこに忍び寄る間男達の影……という感じだ
なんせ男主人公で、直接的なエロシーンは回想部屋的なところでしか見られない(寝取られルートに入っていても、ラストを除けば直接のエロシーンを見ずにクリア可能)というところが素晴らしい
没入感が違うんだ
幼馴染をほっぽって村をブラついてたら、幼馴染がきったねえ浮浪者みてえなエロオヤジの住んでる小屋に入っていくのを目撃してしまい、近くに寄ってみると衣擦れの音とか微かな嬌声が聞こえるんだけど、実際に何が起こっているのかは分からない そういうのを重ねていける
チンチンが…爆発する!!
RPGの形をとってはいるものの、実態としてはアドベンチャーに近いため、難易度とかそういう概念はないんだけど、その中でちゃんと「これは俺の選択だ」と思えるようなつくりになっていて、この形式の作品としてはちょっとこれ以上の正解は出せないんじゃないかと思う
しかし名作とされていて、なにせ内容がいい
内容がいいっつうか、まあ、エロいですよね
毎朝電車で乗り合わせる美少女をマークして、ひたすら痴漢する それだけだ
ストーリー的にはちょっとしたツイストがあって、シンプルな現実の性犯罪としての痴漢を描いているわけではない
俺は現実にはぜってえ痴漢とかやりたくない(相手の気持ちを思うと申し訳なさすぎてチンチンが勃つどころではない)んだけど、今作では序盤から「これはただ性犯罪者がなんの縁もない被害者を無差別に襲っているわけではなさそうだぞ」というのを感じさせてくれるので、ノりやすかった
実際のところこのゲームですら最初のほうはやや躊躇があったというか、「何もしない」を何回か選択したりもしてたんだけど、そういうこともできる作りになってるのもイイ要素ですよね
通学電車という限られた時間の中で、また衆人環視という制限された条件の中で、こっちを敵視している相手を少しずつ懐柔していく まあファンタジーなんだけども、ファンタジーとして乗っかれるだけの強度があるんですよ
チンチンが勃つんですよ……
選択肢(どこをどう触る、あるいは何もしないなど)を選んで痴漢をしていく、ひとつ行動するたびに時間が経ち、また周囲からの注目度も変動する
周りにバレないように、限られた時間のなかで何を成せるか そういうゲームだ
ループものでもあるので、一回あたりの時間は限られているとはいえ日数は無限で、ゲームオーバーにもなり放題 かなりforgivingな作風だ
難易度設定は「じっくり」がおすすめで、それはエロには「溜め」が大切だという俺の信念に基づくものだ
同棲モノの雄だ
同棲モノのジーコには四天王的な存在があり、その一角なんだが、俺にはこれが一番刺さった
同棲モノにして妹モノだ
昼のパートで妹との心理的な距離を縮める一方、寝ている間に身体を触ったりもする(睡眠薬を飲ませて無理やり襲うみたいなこともできるらしいが、俺はやってみたことがない)
ファンタジー世界に生きるカスの兄となって、冒険者をやりつつ妹を手籠めにする そういうゲームだ
全然手籠めにしないこともできる それもいいところだ
わかりますかね 妹に手を出してるのは不可抗力でもなんでもなく、俺がクズだからなんですよ そこが徹底されてるのが嬉しいですよね
ときメモとかパワプロ的な感じなんだと思う(どっちもやったことない)
日数経過式で、選択肢を選んで能力を高めたりしつつ、要所要所のイベント(バトル)をこなす
それもやりつつ妹にも手を出さなきゃいけないってのがツライところだな
実際バトルのバランスは結構シビアなので、妹に手を出してたら強くなりきれずに詰む、みたいなことは全然ありうる感じがする
性欲に負けず、鍛錬に励め!
レジェンドってことはまあ、古いってことでもあるんだが、いまでも全然現役でいけると思う
女騎士ルナとなって(なお、エル・ブランカという家名には個人的に思うところがないでもない…)、攫われた主君兼親友である王女を救う、という王道ファンタジーだ
全体としてTRPGとかDRPGとか、そういう昔の(古き良き)ゲームの影響を感じるのが特徴だ
これがいいですね
シチュの数とかはそんなに多くないんだけど、なんというか精選という感じがする
心に響くシーンがあるだろうと思う
ジーコとしては歯応えがあるほうだと思う
しかし、やっぱ、普通に真面目に戦ってギリギリ負けてエロシーン、というのがいちばんチンチンにくるから、ホントいいバランスだと思う
自分は普通に戦ったらまず負けないクソ強魔法少女なのに、卑劣なエロ攻撃で少しずつ戦力を削られて、気がついたら手も足も出なくなってしまっている
戦闘エロ(戦闘中に敵からエッチな攻撃をされる要素) これにつきる
コンシューマーゲーでもあまり見ないような、コマンドバトルとテキストのシームレスな融合がポイントだ
長いダンジョンに、敵の仕掛けた罠を解除するための仕掛けが散財している
解除して回るのは正直めんどくさい(多分意図的にめんどくさくなるように作ってある)
めんどくさいから横着する 俺はクソ強いんだから、多少の罠くらいなんとかなるという慢心が裏にある
はたして罠を使われて、少しずつ追い込まれる
アレ…これやばくね?となる
そのとき、チンチンが勃っているのだ
純粋なRPGとして見るとめんどくさい部分もあるが、そのめんどくささにも意味がある
これはかなり最近出た作品で、広く知られた名作ジーコというほどの知名度はないが、俺には刺さった
NTRゲーだ
その一方で、俺はあきらかに怪しいサキュバスっぽい女の子に誘惑されて、愚かにも籠絡されてしまう
エロ要素も大きいが、その裏でけっこう骨太なファンタジー戦争を描いているのもイイ
①ふたりとも心を乱されない正規ルート ②ヒロインだけ寝取られるルート ③主人公もヒロインも寝取られるルート の大きく分けて3つがある
主人公を操作するパートとヒロインを操作するパートがあって、それぞれの選択によって話が進んでいくんだけど、あまり厳しいフラグ管理なんかはなくて、ルート選択は俺の胸先三寸だ
ヒロインがバンバン汚されていくのを楽しむこともできるし、逆にヒロインは意思を強く持ってるのに俺だけ敵にアッサリ籠絡されて、それでヒロインの方も結局堕ちてしまう…みたいなシチュエーションをやることもできるため、一粒で2度美味しい
エロステータス的なものも完備しており、男主人公もののNTRのよさ(夜寝たら、翌朝ヒロインの性経験が増えてる…!)も味わえる
ファンタジー世界で、俺のことを好きなヒロインが、俺の見ていないところでチャラいクズにヤられてしまう…という感じだ
NTR展開は不可避で、そんなにボリュームがあるわけでもないが、俺には刺さりました…
部屋にいるはずのヒロインが見当たらないな
しゃーないから寝るか…
その美しい流れをこれでもかというほど味わえる
このゲームもまた、回想部屋でしかエロシーンを直視できないタイプだ
ヒロインの性経験回数という、プレイヤーだけがメタ的に見られる数値で興奮する その素養が求められる
俺にはその素養があった
君はどうかな?
2. モジュラスの計算: N = p * q
3. オイラーのトーシェント関数: φ(N) = (p-1)(q-1) を計算する。
4. 公開鍵と秘密鍵の生成: 公開鍵は (N, e) であり、e は gcd(e, φ(N)) = 1 を満たす整数である。秘密鍵は d であり、d * e ≡ 1 (mod φ(N)) を満たす。
RSA暗号の安全性は、合成数 N の素因数分解が計算的に困難であることに依存している。具体的には、次の問題が考えられる:
N = p * q
ショアのアルゴリズムは、量子コンピュータ上で動作する効率的な素因数分解アルゴリズムである。以下にその主要なステップを示す。
任意の整数 a を選択し、N に対して次の条件を満たすことを確認する:
整数 a の順序 r を求める。順序とは、次の条件を満たす最小の整数である:
a^r ≡ 1 (mod N)
量子フーリエ変換は、状態ベクトルを重ね合わせて次のように表現される:
|x⟩ = Σ(k=0 to N-1) |k⟩
ここで、量子フーリエ変換を適用することで周期性に関する情報が得られる。具体的には、
QFT |x⟩ = (1/√N) Σ(j=0 to N-1) Σ(k=0 to N-1) e^(2πi jk / N) |j⟩
得られた状態から測定を行うことで周期情報が得られる。この周期情報を用いて次の式を考える:
x = a^(r/2) - 1
y = a^(r/2) + 1
これらが非自明な因子である場合、p と q を次のように計算できる:
p = gcd(x, N)
q = gcd(y, N)
ショアのアルゴリズムは確率的であり、成功率は高いものの100%ではない。そのため、誤り訂正技術や複数回実行することで成功確率を向上させる必要がある。
RSA暗号は、代数的構造、特に合同算術および整数環における準同型写像を用いた公開鍵暗号である。
RSAの安全性は、環の自己同型写像の一方向性と、有限生成群の元の分解が困難であることに基づいている。
この暗号方式は整数環 Z/NZ(N = p・q)上の準同型写像の一方向性を活用する。
まず、RSAにおける鍵生成は、代数的に以下のように構築される:
互いに素な大きな素数 p および q を選び、合成数 N = p・q を作成する。
これにより、商環 Z/NZ が定義される。ここで、N はRSAにおける「モジュラス」として機能する。
この商環は、全体として単位的な環であり、RSA暗号の計算基盤となる。
オイラーのトーシェント関数 φ(N) を次のように計算する:
φ(N) = (p - 1)(q - 1)
これは環 Z/NZ の単数群 (Z/NZ)* の位数を表し、RSAの準同型構造における指数の計算に用いられる。
単数群 (Z/NZ)* は、φ(N) を位数とする巡回群であり、一般に生成元 g ∈ (Z/NZ)* を持つ。
RSAでは、この群の生成元から得られる公開指数 e は、φ(N) と互いに素な整数として選ばれる。公開指数 e はRSAの「公開鍵指数」となる。
e・d ≡ 1 (mod φ(N))
これは、e に対する逆元 d の存在を保証し、秘密指数として機能する。ここで d はユークリッド互除法により効率的に求められる。
以上により、公開鍵 (N, e) と秘密鍵 (N, d) が生成される。これらの鍵は、合同算術と商環上の準同型写像によって定義される。
RSA暗号は、モジュラー演算によるべき乗写像を使用した暗号化および復号過程である。この操作は、(Z/NZ)* 上の自己同型写像に基づいている。
任意のメッセージ M ∈ Z/NZ に対し、公開鍵 (N, e) を用いて次の準同型写像を作用させる:
C = σ(M) = M^e (mod N)
ここで σ: M → M^e は (Z/NZ)* の自己同型写像として作用し、得られた C は暗号文となる。
この写像はモジュラ指数写像として同型写像であるが、一方向的であるため暗号化に適している。
暗号文 C を受け取った受信者は、秘密指数 d を用いて復号を行う。具体的には次のように計算する:
M = C^d (mod N) = (M^e)^d (mod N) = M^(e・d) (mod N)
ここで e・d ≡ 1 (mod φ(N)) であるため、e・d = kφ(N) + 1(整数 k)と表すことができ、したがって
M^(e・d) = M^(kφ(N) + 1) = (M^(φ(N)))^k・M ≡ 1^k・M ≡ M (mod N)
により、元のメッセージ M を復元することができる。ここでオイラーの定理に基づき、(M^(φ(N))) ≡ 1 (mod N) が成り立つため、この復号化が成立する。
RSA暗号は、Z/NZ の構成において N = p・q の因数分解が困難であることを仮定する。
合成数 N の素因数分解問題は、現在の計算アルゴリズムにおいて指数時間に近い計算量が必要であり、代数的には解読が非常に難しい問題であるとされる。
RSA暗号における暗号化は群の自己同型写像によって構成されるが、逆写像を求めることは一般に困難である。
これはRSAの一方向性を保証し、現実的に解読不可能な構造を形成している。
RSA暗号の解読は逆写像としてのべき乗の逆操作を計算することに相当し、これを効率的に解決する手段が存在しないことが安全性の根拠となる。
RSA暗号の構造は合同算術に基づく準同型性を有し、M → M^e (mod N) というモジュラ指数写像によりメッセージ空間上の一対一対応を実現する。
この準同型性により計算効率が保証されつつも一方向性を持ち、安全な暗号化が可能である。
以上より、RSA暗号は合同算術、準同型写像、群の生成元と逆元の難解さに基づく暗号であり計算量理論と抽象代数からその安全性が保証されている。
RSA暗号の解読可能性は準同型写像の逆像を効率的に求める方法が存在しないことに基づいており数学的にはこの逆像問題の困難性がRSA安全性を支えているといえる。
https://anond.hatelabo.jp/20241021004208
典型的な誤解に基づいて書かれた考察があるので叩き台にしてタイトルについて語っていく
その生成AI自体について有用性や仕組みへの誤解についての議論はしない(例えばこの考察は明らかに生成AIの「学習」や「再利用」についても誤解しているがここでは無視する)が、最低限押さえておいて欲しい事を書く
読むのが面倒な人向けに概略を書いておくが勝手に自分の妄想上の西洋とか欧米を使うなよ、という話である
例えばCELSYSのCLIP STUDIO PAINTに生成AIが導入されるという議論の際に強い反発を受けた事を日本の後進性に基づいて言説が展開していたが
しかし、IR情報などを参照すれば解る様にそもそもユーザーの半分以上は海外であり、去年の売上も8割が海外からである
当時のコメントやそれにまつわる言説を読めばグローバルな、特に欧米のユーザーからの反発が最も苛烈であった事が無視されており
最近の例としてProcreateのかなり強硬な反AI声明を見れば明らかな様に現在では海外においては一定の見解として定着している
イラストを扱うコミュニティについて比較すれば国内とアジア圏で筆頭のPixivはタグ付けによる仕分け程度であり、クローズドなSNSの割にかなり寛容な方で
使用者の米国人比率が非常に高いRedditの自作アートの話題を扱うr/Artはかなり初期の時点で生成AIを禁止しているし、DeviantArtでの生成AI周りの導入に纏わる訴訟騒ぎは言うまでもない
そしてその締め付けが進んでいる最も顕著なジャンルであるこの文章を書いたらしい人間が所属している「音楽分野」では演技分野における声の扱いとセットの流れで生成AIは最も警戒されている
これは生成AIがハイプな話題として持ち上がる前史として、2010年代後半から著名な政治家やミュージシャンの声を使ってラップや演説を行ういわば「音楽版のディープフェイク」が流行していた事が要因になっている
例えばオバマ元大統領辺りがかなり厳ついラップをしたりする動画等は簡単に見つかるだろう
そういった事を踏まえた上でハリウッドでは組合による生成AIの脚本利用や俳優組合によるストライキが起こっているし、今年はテネシー州でELVIS法が制定されている
無論これはテネシーの出世頭エルヴィス・プレスリーの名から取られた法で、俳優やミュージシャンの声を財産として保護し無断使用に対して罰則を与える法律である
おそらく音楽分野では早い段階でiZotopeがやっている様にAIを利用したマスタリングツールが早い段階で誕生しているし、サンプリング文化等の下地もあるので
アメリカの音楽界隈は先進的、寛容というイメージを持っているのかもしれないが、個人の創作性に関する部分ではむしろ日本とは比べ物にならない程生成AIに対して強硬な反発をしており大間違いである
総じて生成AIの創作による利用に関して強い反発を行った事でアンタッチャブルになりつつあるのはアメリカとEU(ここでは多くは語らないがAI規制法が今年発効されており、汎用生成AIシステムでは透明性義務が必須となる)を中心とした欧米圏であり
むしろ日本は最近になって声優業界がかなり折り合いをつけた内容の声明を出した程度で、政治的にもAI戦略会議の内容を見れば国家戦略として5Gの使い道として取り込む目的もありかなり推進側にあるのは明らかである
元の文章では何故かパルワールドについて語っているが、これは欧米圏のゲーム文化における「不寛容」な任天堂の問題による
反発が加味されたものなで生成AIやフェアユースの議論の範疇だけで語る事はできない
特にMOD文化や大会開催等においては海外メーカーでは考えられない締め付けや法的措置を取ってくるのでその側面では任天堂の評判は非常に悪く、常に揶揄の対象になっている
それに対して冷水を浴びせかけたパルワールド、という立ち位置からの支持である事は忘れてはならない
元考察では欧米圏で「寛容」な理由として神から与えられたものとして創作の才能を扱っており、使命故に公益的な要素が大きかったという趣旨が語られているが
その要素はむしろパトロネージュにおける文化的な見解を極端にしたものであり、宗教的な原義からすれば真逆の見解を語る事ができる
例えば、欧米圏で「不寛容」な理由としてそういった神から与えられたものが機械で代替できる事への反発が大きいといった様な語りだ
この程度の見解はアブラハムの宗教における人間中心主義の位置付けを考えれば簡単に想定できるし
そもそも上位存在から与えられたものとして芸術を扱うのは欧米圏だけでなくアジア圏でも一般的な事であって固有のものではない
加えて創作論にはあまり踏み込む気はないが、元記事で無警戒に当てはめられている様な現代人の創作に対しての概念は近代以降のものであり
当時の感覚は全く異なっていて個人というよりも職人的に作られており音楽や絵画は信仰を広げる為のメディアとしての役割が非常に大きく、そのまま現代に結びつけて語る事は非常に危うい
自称ではあるが「クリエイターのレベルが高い」筈の分野に所属している人間ですら何故こういった事実や経緯を知らないのか?
ほとんどの日本人は英語が読めないし読む気がないし経緯や文化を理解する気もないからだ、と言ってしまうと身も蓋もないのだが多分この辺りが原因なのかなと思われる
少なくとも前半部分に関しては多少掘り下げて見てるだけでも幾らでも出てくる話なので、英語読めない以外の理由が思いつかない
それでもこのツッコミどころ満載の言説がなんとなく受け入れられているのは伝統的に欧米から先進的な流れを受容してきた日本、というステレオタイプがあるからなのでは無いだろうか
とりあえず存在しない「西洋の先進性と寛容さ」をでっち上げて議論を行うのは、少なくとも生成AIに関しては大間違いなので今すぐにでも止めるべきである
音楽界隈にいると、少数の作曲家(以下、「クリエイター」という。)、多数の演奏家(以下、「プレイヤー」という。)、無数の聴衆(以下、「リスナー」という。)が互いにインスパイアし合う「創作の循環」、古から続く巨大なうねりを、あらゆる局面で感じる。
ここが問題なんだよ
新しい風潮は誰が作るんだ?
仮に新しいものが生まれたとして、その個の認知はAI消費に勝てるのか?
逆に言えば、ごの互換品が本家を食う勢いで認知され、著作権?何それおいしの?とばかりに広まれば、集まって「No more 生成AI」ってやるよ、賭けてもい
音と違って絵は分かり易い
石恵くらいのところならAIで出力して認知度を利用してやれとやれる
「音楽ではそういうのが居ても肯定的に受け入れられている」という実績あるんか?
聞けば〇〇と分かる音楽を、その認知度を利用するためにAIで出力され、著作権関係アリマセーンみたいな奴
JASRACに甘え過ぎなんだよ
今、音楽を本業として、いわゆる音楽でメシをくっているクリエイターは、厳しく長い音楽不況を乗り越えた存在であるので、生成AIごときには脅かされない実力がある。
失笑w
誰もそんなとこは問題にしてねぇんだよ
それを掻っ攫う事への反発だよ
MOD界隈とかのその循環()とやらに関係ない所が蠢動してるが
みんなストーリーを話し始めるんだよね
ABAさんみたいに、こんなルールのゲームがやりたい、とか、~ゲーの常識としてのルールは~だけど、それを逆にしたらどうか、とか、
ルールの話にはならないんだよね
ストーリーを望んでいるんであれば、それはノベルゲーのシナリオだけ変えるとか、FPSのMODとか、そういう文化なわけで、
シナリオが違っても、異なるゲーム体験みたいなものは望んでないんだなぁ、と思うんだよね
例えば、2Dシューティングも格ゲーもFPSも、もう型が決まっていて、その型を崩されるのは操作性も変わってしまうし寧ろ邪魔なだけで、
ユーザー体験は変えないでほしい、絵とかキャラとかストーリーとか、それは結局3Dモデルとかシェーダーとか、技のアルゴリズムは変わるかもしれないけど、当たり判定は変えないでくれ、
という感じなわけで、テトリスで例えるなら、ブロックの絵とか色を変えてくれ、精々ネット対戦にしてくれ、みたいなレベルであって、
新しいユーザー体験を作るなら、ぷよぷよとか、パズドラとか、別にゼロから生み出す必要もなく、ルールを変えると化けると思うんだよね
例えばモンハンワイルズをPS5proかPCのどっちでやるかみたいな話あるじゃん?
まあPS5proのフレームレート次第ではあるけど、仮に40〜60ぐらいとして、最高性能のPCは安定して60出せるとするじゃん?
でもPC版って最適化不足がある可能性が高いわけじゃん?ドグマ2もそうだしウォーロンとかワイハとかエルデンリングとかもそう
たいてい数ヶ月で改善されるみたいだけど、発売日からやろうとするとモロにくらう
フレームレート低下ぐらいならまだしも、スタッタリングとかクラッシュとかはキツイでしょ
PCっていいやつはめっちゃ高いけど、どれだけいいの買っても最適化不足はどうしようもない
この話題になると毎回「金があるならPC一択」みたいになるけど、正直同じ値段でもPS5proのがいいと思うんだよな
もちろん、一番上に書いた理由があるなら別よ?
でもそれ以外の場合で、PCでもPSでもできるゲームをPCでやるのは何のためなのか分からん
PCでゲームやってる人って、新作をすぐに遊んだりはしない派の人なん?それなら分かるんだけど
「大作ゲームのPC最適化不足問題」議論が過熱。一方で、「900通り以上の環境を想定するPC最適化の難しさ」を強調する開発者意見も注目集める
https://automaton-media.com/articles/newsjp/20230503-246230/