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はてなキーワード: 社会政策とは

2022-03-07

ドライオーガズム、メスイキができることを男性社会参加の条件にしよう

男性アナル開発をすれば分かるのだが、アナル快感を得るためには女性的な受け身感性を身につける(受け入れる)必要がある。

これができないとイけないのである。何年もドライに挑戦してイけないひとは男性的な考え方に凝り固まっている可能性がある。

イけない人は表面上では女性感覚をわかってると思っていても、無意識下では理解できてないのだろう。

そういった人間男女平等社会を作っていけるとは思えない。なので、分かる人間社会政策の策定などに参加すべきだろう。

女性場合中イキ必須にしよう。

2022-01-27

anond:20220127130326

前の価値観に戻るってことはあり得ると思う。

少し思い出した例がある。

日本人愛国戦後低下したらしいけど、2000年初期の日韓ワールドカップあたりで愛国者化する若者話題になった。

関連した話題として外山恒一という人の分析にこんなのがある。

http://www.huffingtonpost.jp/2013/12/26/toyama-koichi-interview_n_4504650.html

日本国では左翼体制側となったため若者反体制として右傾化したというものだった。

あくまでもこの人の分析に過ぎないようだけど興味深い分析だと思う。

また和食ユネスコ登録食育教育、畳の輸出など文化的文化的に見直されているものはあると感じる。

日本の肉食も、肉食禁止仏教の影響で、明治文明開化で肉を食べるようになったということは価値観が戻ったということなのかな。

ただ、人権抵触するようなものは戻る可能性はかなり低いと思う。

記事家事育児の件だけど、例え女性たちがそのような人生を望んだとしても、

子どもはお父さんに育児してもらう権利がないの?!とか、

男性家事育児から追い出すのは男性に対して酷いんじゃないか?とか、

それは問題として起きるだろうから戻らないと思う。

女性主婦希望したところで、男性主夫も増やさないとおかしくなるわけでそう考えると戻る可能性は低いかな。

私はこの辺り戻すのは反対。

労働者権利などもそうだと思う。

もっと社会政策的な規制とか規制緩和とかだとやっぱり戻すこともあるのかな。

SDGSとかで物の生産グローバル化は出来るだけ止めていこうとか?

2022-01-26

anond:20220125193305

遺伝について素人増田です。

自分記事を正しく読めていない、一部飛ばし読みしているところもありますが、些末な点で言いたいことがあります

大谷翔平長嶋茂雄野村克也が周りより一歩も二歩も抜きんでてたのは遺伝形質(身体特性)に加えて本人が努力たからに決まってんだろ。努力の結果が遺伝するわけがない。遺伝疾患や体格と一緒にするな。わざとか。どっかの詭弁テンプレートにこういう例があるのか。

努力に関する遺伝子があるかもしれませんよ。

https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/24957535/

そして、努力したことがのちの世代に影響する(これを「遺伝」、と言っていいか素人のため不明ですが)かもしれません。エピジェネティクスって言うんですけどね。

ゴルトンの観察が平均に回帰した(ように見えた)のは実験の条件が一定じゃなくて子供サイズが親のサイズよりも環境から受ける影響の方が大きかった(つまり親のサイズという変数に対して無作為抽出になっていた)からだろ。

結局これがすべてで、逆に考えると、集団ではなくひとりひとりを取り出してみてみると「遺伝子だけではその人の性質や将来はわからない」というのが素人感想です。遺伝子で説明できる行動や性質表現型、というのが正しいんでしょうかね)は、集団で見れば有意差ありかもしれないけれど、特定の1人を取り出した時はよくわからない差だったり、他の(社会的)要因に埋もれてしまう程度なのかなと思っています。何より、遺伝子だけでは分からない病気障害は多いなと思っています

ちなみに元元増田

親の身長とその子身長比較すると、極端に身長の高い親の子は、どちらかというと平均側、普通っぽい身長の方にシフトする、と言う現象です。

は、「極端に身長の高い親の子は、極端に身長が高くなる確率と平均的な身長になる確率比較すると、平均的な身長になる確率の方が高い」としておけば、平均への回帰についての正しい説明になります

元増田

遺伝子型の遺伝構造はまだわかっていないことも多く、「優生学操作」をしてどうなるかすらわかっていないんですよ。形質に遺伝的因子があるなら、優生学操作をすれば人類は必ず優秀になる・・・というのが元増田議論の開始点だと思いますが、そこ、すでに間違ってるんです。

というのは、一般の人が想像するデザイナーベビーは今の技術では難しい(成功保証されない)、という意味では、人々が持つであろう感想と一致するかもなと思います。「優生学やら遺伝操作でも、案外思い通りにならないじゃん」ということ。

(この部分は優生学善悪の話をしているのか、可能不可能の話をしているのか、元増田と元元増田でずれはありそうですけど)

ここから先は元増田・元元増田とは関係ない話です。元元元増田の話に関連した話です。

個人的には優生学に賛成か反対か?でいえば、

1 ある程度の遺伝多様性があるほうが種の保存には望ましい

2 どの遺伝子が生存に有利になるかは環境による可能性がある

ので、社会政策的に(ナチスドイツのように)優生学を進めていくというのはおかしなことになるのではないか危惧します。が、実際は子供が生まれる前に出生前診断に加えて着床前診断(これは流産防止の措置ですが)をしているので、優生学の支持者どころか実行者(いわゆる「リベラル優生学」かもしれません)です。

今の日本もっと極端な例は中国都市部)って、それなりにお金がある人しか子供が持てないので、ある意味「金がある、優れた人だけ子供を持てる」消極的優生学というべき状況が進行しているように感じます遺伝操作が~優生学が~というのは確かに倫理的重要問題ではありますが、こういう優生学問題になるならば、今現在進行中の、より大きな、かつ社会的解決策がありそうな問題無視できないですよね。

2021-11-03

anond:20211102140551

ワトソン「おっぱ... X線写真だよ 早く!!」

フランクリン「は はい...(スッ)」

クリック「ロ... ロザリンド姉さん」

  

(パサッ)

  

フランクリンジェームズ君... やっぱりやめましょう」

フランクリン「こんなこと... ね」

  

ワトソンダメだ!!」

ワトソン科学の分野における男女の比率について真剣に考えるならそこに遺伝的な理由があることを認めないわけにはいかない性行

    動を決定する遺伝子が見つかり女性同性愛の子供は欲しくないというのならば女性の思いどおりにさせたらいい黒人人種

    的・遺伝的に劣等であるアフリカの将来については全く悲観的だ我々白人が行っているアフリカに対する社会政策はすべてア

    フリカ人の知性は我々と同等であるという前提で行われているがあらゆるテストがそうではないことを示している黒人従業員

    を相手にしなければならない雇用者であれば容易に納得できるであろう肌の色の濃い人種は性欲が強く黒人の皮膚から採取

    たメラニン摂取するとリビドーが増加するラテン系愛人向きだがイングリッシュラバーなど聞いたことがないだろうユ

    ダヤ人中国人服従するように淘汰したから知能は高いが独創性がない.........」

  

クリック「(........!!)」

クリック「......D・N・A!! D・N・A!!」

  

フランクリン「(それが言いたかっただけかよ……!)」

2021-10-07

anond:20211007035645

つーか正しい政治と間違った政治があるわけではなくて集団意思決定からな。

若者と老人どちらかを優遇しますとなった時に両者の間に共通の正解はないんだよ。

どちらも自分たち優遇して欲しいだけだ。

利害関係対立している問題では属している集団によって評価が完全に二分され、理解し合うことは出来ない。

歩み寄ることが可能だとすればそれは利害関係自体が共有された時だ。

たとえばイギリスのように生前贈与贈与税免除されるようになったら、老人が富を築くことはそのまま子や孫が富を築くことに繋がる。

しかし実際は先進国として比較的高い税があり、核家族化も進み、そうした繋がりを阻害するような形で社会政策が行われているので分断は深まる。

どんな政治もそれで利益を得ている層にとっては良い政治なのだ

同時にごく一部が優遇されて自分たちは疎外されていると感じる人々は政治に不満を持つ。

普遍的に正しく賢い政治などどこにもない。

まずは人々の紐帯を作り上げ、誰かの利益が他の人の利益でもあるような社会を作ることが肝要だろう。

2021-09-29

anond:20210929160020

国民」に訴える上では経済を良くするという希望こそが第一だ。所得税減税はどうかと思うが、消費税減税は掲げるべきだ。

前回の民主党政権新自由主義政策で失敗しているが、その後、社会政策政治哲学とやらの妥協でくだらない論点第一にしているからこその退潮でもある。

事実、今回の河野の敗退についても、経済を失墜させるという思惑が故に破れた。

anond:20210929143421

経済学的な正論」が好きな人共通しているけど、政治的な考え方があまりナイーブだと思う。もう少し政治的駆け引き交渉妥協プロセスというものに関心を持ったほうがいい。

総裁選を見ても確かに政治家の間で財政緊縮論は退潮しているけど、それは大震災安倍政権誕生海外の反緊縮ポピュリズムの動向、そしてコロナ禍という様々な事件政治的偶然が重なった結果であって、経済学正論を愚直に訴え続けた結果ではない。

世間一般の人はもちろん、国会議員経済学者ですら同じ「経済学的な正論」を共有しているわけではないので、そうした政治社会学的な事実を踏まえて、政策論というのは構築されなければならない。とくに「減税」を旗印する場合社会政策政治哲学では対極的な勢力とも組む必要考慮する必要があるが、減税派の人は果たしてそこまで考えているようには見えない。

2021-09-20

anond:20210920113945

そう言うからには、三浦まり先生とか下夷美幸先生とか神原文子先生とか、最近社会政策系のフェミニスト研究者の本や論文を読んだことあるの?こういう研究にはTPOをぶっ飛ばせ的な内容はこれっぽちもないし、昔も目立ってはいたけど多数派ではなかったんじゃないかな。

2021-09-13

anond:20210913184417

違いはあるが、別に許容の範囲なんだよ。ニュース見りゃ分かると思うが。許容出来ない共産党との過度な接近とは異なる。

別に自公維新支持層が煽るのは全く問題ないが、立民にとって数少ない組織化された立民支持層なんだけどね連合社会政策ばかりではなく重視する経済政策労働政策もっと出してほしいな、とは思う。立民・国民支持母体関係者から見た思いとして書いてる。

そりゃ全トヨタ労連も自民に接近するわ、という思い。

2021-07-01

anond:20210701072220

ガチで頭悪いなお前

悪の目的のための善は結局悪だという話をしてるんでしょ

ユダヤ人ポーランドフランスから収奪した富がアーリア人への社会政策として分配されたとしてもその社会政策肯定されるわけじゃないし

あるいはユダヤ人弾圧等の政策を通すための人気取りでも同じこと

社会学ガーとか言ってるけど政治学でも史学でもそれは同じ話だと思うけど?

2021-04-09

「あてがえ論ではない」って論調でないと弱者男性論が語れないのはまずいよ

弱者男性論が多少は盛り上がってきたけど、「これは女をくれという意味ではなくて」というのを何重にも重ねないといけなくなってんの、ダメでしょ。

弱者男性側に肩入れするブクマカも、HN出してコメントする奴は大体「女をあてがえなんて思ってるやつはほとんどいないだろ、だから弱者男性論はあてがえ論だと黙らせるのは不当」みたいな言い方ばかりになってるの、ちょっと待てい、って感じよ。

何がダメかわかる?

女と愛し合いたい、イチャつきたい、生活を共にしたい、そうじゃないと辛くて仕方ないという飢えを抱え、それが満たされないことで病んでいく男が存在しないことにされるからだよ。

そりゃあ、そういうやつらはいない事にした方が多少は意見の見栄えがよくなって議論で有利になるだろうけど、長期的にやばいっすよ。

フェミニスト議論に勝つために「立派なフェミニストとしての生き方考え方」ばかりを強調してきたら、実際の女たちの多くがついていけなくなって、しゃーないからバッドフェミニストでもアリと言い出したけど効果微妙という、あれの二の舞になるのが目に見えてる。

恋愛性愛生活パートナーぶっちゃけ精神の安定に不可欠だというのが本音の、立派でない弱者男性存在をないことにするな! 叩いて黙らせるな! それは弱者言論上でも抹殺することだ。




このような話をすると、そもそも男は女がいないと幸福感を得られないと言うのが思い込みで、社会的恋愛至上主義の刷り込みしかない、なんて言いたくなる人間は多いだろう。

そして、ロマンチックラブイデオロギーという近代になって成立したにすぎない感覚から脱出すれば楽になるのだ、と。

でも、それってホントなのかな。

現代基準で、恋愛結婚なしの人が多くて、健康幸福で持続可能人生が実現できてる社会って、すくなくない?

昔は簡単に人が死んでたから、ロマンチック不足による孤独な死が沢山あっててもあんまり目立たなかっただけだったりしないか

「昔の人は粗食で普通だった」とか言うけど実際は平均寿命クソ短くて、現代基準の「健康で文化的な最低限度の生活」のためには粗食じゃなく十分な食事じゃなきゃダメでした、みたいなのと近かったりとかさ。

まあ、これはただの思いつき。

恋愛性愛パートナー抜きでは、現代社会で男は心が満たされないのだ!」と主張する科学的根拠は、俺にはない。

だが「パートナー抜きでも幸福!」と主張する科学的根拠もない。個別でそういう人間の例はあるが、大多数の男に当てはまるかは別の話だ。

からとりあえず、「女と仲良くしたい!苦しい!」という感覚を、女の人権侵害するからと言って即黙らせるようなことはせず、堂々と表現させて、それを専門家なり学者なりが丁寧に聞き取り分析議論をして、その感覚理由と、飢えの満たし方を開発すべきだろ、ってこと。



現時点では、「お前らの飢えと不幸は、女でなくても満たされます」と言い放たれる意見は、俺の知る限り、現代社会人間心理分析が不十分で、自己啓発精神論みたいなものしかなってない。

「要は性欲と会話欲と承認と金だろ」なんてクッソ雑な切り分け方しかしないから、風俗と友人と仕事福祉で満足でしょ、とかの乱暴で役に立たない結論になるんだ。

https://anond.hatelabo.jp/20210407023455

↑の増田みたいにな。

「そんなに異性を必要とするのが理解できない」と思うんだったら、理解できないからこそ丁寧に紐解くべきだ。

何か未知の理由により本当に必要不可欠なのかもしれないし、なんらかの代替物でカバー可能なのかもしれない。

丁寧に研究された上でなら、どっちが判明しても世の中の幸福に繋がるだろう。

だが今みたいに雑に「風俗と友人と仕事と金ハイハイ!」と片づけてるんじゃ、誰も救われない。

現に存在する人間心理を、雑に解釈してズレた解決策を提示するな。社会運動全般に言える事だ。



こんな文章ですら、匿名でなきゃ怖くて書けない程度には、「なんだかんだ言って女と愛し合えなきゃ辛い」という欲望は悪とされて抹殺されかけている。

「俺個人は、女でしか満たされないとは感じないし、女はいらない」って話すならいいけど、「女でしか満たされないと感じる奴はいない、いたとしてもそいつらは自分欲求勘違いしてるに違いない」という話にはするな。

道徳的に揉めそうな欲望からって、抹殺して世の中に存在しないことにはするな。

(悪いとは言わないが)エグい欲望存在を認め、それを告白することもできる世の中でなければ、対処や救済の方法を考えることができない。



実は俺自身も、かつて弱者男性論の記事を書いた時に、「あてがえ論だなどと批判がくるだろうがそれはズレてる」みたいな主張をしたのだが、今では反省している。

その時の記事は確かに、女と恋愛させてくれという主旨でなかったかもしれないが、女とイチャつきたいという欲求は悪であり僕の記事はそういう悪しき欲求と別物だから読む価値ありますよ、みたいな浅ましい意図があったのは事実だ。

社会問題の多くは人権人権の衝突であり、議論によって双方の人権をどの程度侵害しあうかという落としどころを見つけることが必要だ。

大体の社会政策は、広くとらえれば○○の権利を削って××にあてがえって内容だと解釈できるし、それでよいのだ。

から弱者男性だって貧困対策だって介護だって、広義のあてがえ論になることを恐れてはいけないし、聞く側はそれを非難すべきではない。

広義のあてがえ論だからと内容を熟考せず否定するようでは、税金財産権侵害であり、再分配は金をあてがえ論だから廃止しろ、という風になってしまうからな。

2021-04-06

anond:20210405202522

結婚という個人人生における選択でもアファーマティブアクション適用すべきというなら、たとえばあなたヘテロであっても一定確率で同性パートナーもつべき、ということになるわけだが、そういう世界理想?なわけはないので、これが「女をあてがえ」論のおかし

また、逆に「弱者男性はその意識自体を変えるべき」論というのも、上記に対して「そもそもヘテロであることに疑いをもたないのが悪い」と言ってるようなもんなので、これも奇妙な主張

かに企業性別性的志向により不合理な採用選抜を行っているとすれば、それは社会全体を蝕み長い目で見れば結局企業自身にも利益がない。ただそういう社会一角の下からではなかなか全体の意識が変えられず、変革の負担が一部に偏るから社会全体として望ましい方向へと(半強制的に)リードしていこう、というのがアファーマティブアクションの意義である。それ自体有効社会政策なのだが、それはプラクティカルにそうであるというだけで、決して「いついかなるとき、ところ、対象においても絶対正義」みたいなもんではない。だから、こうやって個人の行動にこれを適用しようとしたとたん、上記のような奇妙な誤解を引き起こししまう。

では、正解とは何か? とりあえず弱者男性に限って言えば、話は簡単である。「弱者男性」と言われる人は、自身を「弱者」に追い込んでいる社会構造のものに怒るべきだ。働けど働けど結婚もできない、楽にならない暮らしに怒るべきなのだ。つまり必要なのは労働運動であり賃金闘争であり政治運動である。なのに、「それは個人努力問題から……」などと納得したような顔をしている、そうやって「新自由主義自己責任論」に騙されているから、「弱者」は延々と食い物にされているのだ。

それに気付いて活動し、この社会から弱者」が一人でも減れば、それはすなわち「弱者」が一人救済されたということである。これ以上簡単な話はない。恋愛がどうこうとかいうのは、このことに人を気付かせないようにするためのまやかしにすぎない。「弱者」よ、銃を取り、闘え

2021-02-01

社会学は滅びるべきなのか

 以下の文章は、社会学客観性が無いか学問の体をなしていないか解体すべき、という暴論を見かけて、趣味社会学を学んでいる人間イラッとして書き散らしたものです。専門家によるまともな読み物としては、盛山和夫社会学方法立場: 客観性とはなにか』(2013)、佐藤俊樹社会学方法――その歴史構造』(2011)(たまたまですがどっちも東大系の人ですね)、あるいは以下で紹介する「客観性論文」やそれ関係論文などがあります。ちなみに「岩波科学科学論文」の人に関しては擁護のしようも無いと思います

 たとえば、この宇宙スパゲッティモンスターによって創作されたという誤ったイデオロギーを抱えた科学者がダイナマイト発明したとして、ダイナマイトは誤った発明であるとか、あまつさえ存在しないということにはなりません。それはそれ、これはこれ、という態度が科学的というものでしょう。しかし、誤ったイデオロギー社会学者が抱えることは望ましくないとされます。なぜでしょうか。

 それは社会社会問題が、原子DNAが「存在する」のと同じ意味では「存在する」と言えないことに根本的な原因があります。たとえばホームレス現在社会においては色々な意味問題とされていますしかし、ホームレス人類の定住以前においては間違いなく問題概念として存在していませんでしたし、中世近世においても今日と全く同じ問題としては存在しなかったことでしょう。原子がこの宇宙の始まりから今と同じように存在していたのとは対照的です。ホームレスを扱う社会学が、物理学生物学と比べて胡乱なものに見えがちな理由はここにあります。誤ったイデオロギーを抱えた社会学者は誤ったもの存在するとみなしてしまいかねないのですね。

 しかしだからといって、今日ホームレス問題としてまったく「存在しない」と言い切ることはできないのもまた確かな実感でしょう。原子の「存在」とは別の意味とはいえ社会社会問題は確かに存在」する、と言いたくなります。「実在」と「非実在」のあいだの独特な在り方。社会学者はそのことを「社会実在」のような言葉で表してきました。これはいかにも怪しい物に思われますしか今日における我々が「ホームレスになりたくない」、「ホームレスが怖い」、あるいは「そうしたホームレスに対する差別的見方こそが問題なのだ」と思っているのもまた確かなことです。およそ100年前、そのことを単に思うだけでなく、その思い自体を当時隆盛しつつあった科学方法分析しようと考えた人々がいました。

 マックス・ウェーバーの「社会科学社会政策にかかわる認識の『客観性』」(以下、客観性論文)という1904年論文がありますウェーバー社会学におけるビートルズであり、この論文イエスタデイくらいの重要さと著名さを誇ります。要するに、まともに社会学をやっていればなんとなくは知っているべきもの、という位置づけでしょう。(ちなみにLet it beは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。読んでいないのは許されない)

 とか言いながら私は手元にその本が無いので、ネット記述に頼りつつ思い出した記憶で以下のことを書くことをお許しください。

 ウェーバー客観性論文のなかで社会学者がよって立つべき「価値自由」という概念提唱します。この主張はしばしば「価値判断をしてはならない」とか「価値判断に影響されないデータだけを虚心に扱うべきである」といった主張として誤解されていますしかしそうではなくウェーバーはここで「社会学者もまた人間である以上、何かの価値判断を持ってしまうことは避けられない。そして価値判断は時として認識を狂わせる。しかしだからこそ、社会科学的に取り扱う社会学者は価値判断認識区別しなければならない。そのためには自分の持っている価値判断に対して敏感でなければならないのだ」といったことを主張していたはずです、たぶん。客観性論文については多様な読解や批判がなされている(上に私の手元にその論文が無い)ので客観性論文の内容についてはこれ以上立ち入らないことにします。以下ではその代わりに、客観性論文に関する微かな記憶を頼りにしながら、社会学客観性について考えてみたいと思います

 たとえば次のような主張がなされることがあります。「数字は嘘をつかないが、数字を使う人(社会学者!)は嘘をつく」。けだし名言でしょう。しかし、社会学であるならばもっと深く考えなければなりません。ここでは「ホームレスの人数」について考えてみましょう。ここで名言に従って単純に考えるのであれば次のようになるでしょう。ホームレスの人数は、数学物理における定数のように誤ることなく(それを測り間違うことはあるかもしれないが)存在しているが、それを多いとか少ないとか、それを減らすべきだとか主張する人は誤ることがある、と。

 後半は確かにそうでしょう。しかし、前半は間違っています。たとえば、日本政府ホームレスについての統計を発表していますしかし「国民税金を使ってホームレスの人数を数えよう」という時点ですでに何かしらの価値判断が働いています。そのことは政府サイトに「ホームレス実態に関する全国調査」が載っていて、「鼻くそをほじって鼻血を出した人の実態に関する全国調査」が載っていないことを考えてみればわかるでしょう。こうした極論を言うと、「どちらも数字としては存在するが、後者はただ(未発見物理性質のように)見つかっていないだけだ」と言われるかもしれません。しかしたとえば日本政府ホームレスに関する調査は「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法第2条に規定する「都市公園河川道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場所として日常生活を営んでいる者」」を対象にして行われているようですが、ここからはいわゆる「ネットカフェ難民」がその統計から漏れています。これは単なる「測り間違い」なのでしょうか。そうではありません。「ネットカフェ難民」をホームレスに入れるべきか、あるいはそもそもネットカフェ難民」をそもそも問題」とすべきかこそが、ひとつ価値判断であるのです。「ネットカフェ難民」を入れたホームレスの人数と入れないホームレスの人数、どちらが正しいでしょうか?それは重力加速度として2m/s^2と9.8m/s^2のどちらがより正しいか、という問いのようには答えが出そうにありません。

 社会についての数字は、自然科学における定数のようには存在しないのです。つまり社会における事実は、自然科学における事実のようには存在しません。そのような状況で、いかにして社会科学的に扱うことができるでしょうか?

 もしかしたらそもそも可能かを問う以前に、そんなことを目指す必要があるのか疑問に思う人がいるかもしれません。あるいはより直裁に「社会科学的に扱う学問社会学って何の役に立つの?」と聞かれることはしばしばあります。それには多様な答えがありうるでしょうが、私は次のように答えることにしています。「何かの役に立つわけでもないのにやらずにはいられないのが科学の出発点なのだ」と。人間が持つ認識能力や、何かを書く/描く、喋るといった能力は、生存する上での必要から発達したはずです。自分の周囲を見渡す能力や、自分が見た物事他者に伝える能力は、それを持っていない種よりも生存上の有利をもたらしたことでしょう。しか人間は、その必要性を越え出たところまでその能力を、あるいはその能力によって生み出すものを発達させました。それは、芸術とか哲学とか、あるいは科学とか呼ばれるものです。存在しない風景を描くことに、どんな必要性があるでしょうか?死後の世界を思い描くことに、どんな必要性があるでしょうか?そして宇宙の星々の表面を調べることに、どんな必要性があるでしょうか?こういうことを言うと、次のように返されるかもしれません。「芸術哲学生存に不必要かもしれないが、いまのわれわれは科学無しには生きられないではないか」と。まあ、確かにそうです。でも、それは科学根本的な不必要性を否定するものではありません。人間ホモサピエンスは、ニュートン万有引力発見する以前からずっと世界覇者であったではないですか?それでもニュートン万有引力発見したのは、「世界のことをもっとよく知りたい」という、ただ生きるためには不必要知的欲求、こういってよければ人間特有本能からであったはずです。「ただ生きる」ことに飽き足りないのが今の人間であり、そうした人間が生み出したのが芸術哲学科学です。そのうちの科学欲求が、これまた不必要に複雑化した社会のありように向かうことも、私は自然なことだと思っています。先のような問いをする人には、正直に言えば「なぜあなた社会について科学的に分析したいと思わないでただ生きていられるのですか?」と私なんかは思うのですが、これはさすがに社会学に頭をやられてしまった奴の意見でしょう。ほかの社会学者はもっとうまく説明することができるはずです。まあ、そんな可哀想な奴もいるんだなと思っておいてください。でも実際、「社会に対する科学認識って必要?」と言われたら、究極のところ「認識したいんだから仕方ないじゃん?」としか私は返せません。なのでこの問題放置して次の段落に向かいます

 さて、いか社会科学的に扱うことができるかという問題でした。その問題は、社会に「存在する」もの数字が、ふつう科学が扱うもの数字と同じようには「存在しない」、というところから発生しているのでした。より明確に言えば、社会実在は、それを観測する人や社会価値判断を抜きにしては存在し得ないという独特の性質を持ちます。たとえば「ネットカフェ難民」は、ここ二十年ほどの日本労働環境ネットカフェの事情抜きには科学的な意味で「存在しませんでしたし、さらに言えば科学的な意味で「存在」していても、支援団体の人々などが発見ニュース等で取り上げられるまでは社会的に「存在」しえませんでしたし、いまだに政府ホームレス統計には「存在」していない、という状況にあります。そのことは万有引力宇宙の始まり以来、ニュートン発見しようとしまいと科学的な意味で「存在」していた、あるいは今現在未知の物理現象生物現象が、まだ発見されていないだけですでに世界のうちに「存在」していることとは対照的です。

 価値判断抜きで存在し得ない対象を、いか科学的に扱うか。それこそがウエーバー客観性論文のなかで考えたことでした。ここでよくある誤解は、そして絶対に避けられるべきなのは、「社会実在は実は価値判断抜きに存在しうる」と考えたり「価値判断抜きで存在するもの社会学は扱うべきだ」と考えたりすることです。前者が存在しないことはすでに説明しました。社会実在は――それが単なる数字統計であっても――価値判断抜きには存在し得ません。であるからして、後者社会学根本的に否定する思想です。そういう価値判断に影響されざるを得ないもの、すなわち社会社会実在をよりよく知りたいと考えるのが社会学なのですから。それを否定する人に対しては何も言えないということはすでに述べました(あくまで私個人からは、の話ですが。ほかの社会学者はもっとうまく説得するかもしれません)。

 そこでウェーバーが述べたのが「価値自由」でした。社会学者は自分価値判断をわかっていなければならない。より分かりにくく論文に忠実な言い方で言えば、「存在する」ことと「存在するべき」ことを区別しなければならず、科学は「存在する」ことしか明らかにできない。このウェーバーの主張に対しては、それもまたひとつ価値判断ではないか、という主張を投げかけることが可能ですし、一見ただのいちゃもんに見えるその問いは、社会学の中で大真面目に議論されてきました。私の見たところ、この問題は答えが出ない種類の問いなので、取り扱わないことにします。いいじゃないですか、どんな学問だってドグマの一つくらいありますよ。それより重要なのは、「自分価値判断をわかる」ことが、本当に社会実在を扱う上での十分条件であるのか、ということです。それが必要条件であるのは確かにそうであると思います。ある社会学者が「ホームレス問題についての社会学分析」という論文を書くとして(テーマが広すぎますがそれは置いておいて)、その人が「自分ホームレスを望ましい人間の在り方ではないと考えている」とか「というかホームレス気持ち悪い」とか「ネットカフェ難民をホームレスに含めていない日本政府問題である」とかい自分価値判断自覚していなければ、それは社会学研究として成り立たないでしょう。しかし、それだけで十分なのか。社会実在というものは、もっと慎重に取り扱わなければならないものではないか。(実際、客観性論文より後の後期ウェーバーも、そう考えて「理解」を社会実在根本に据えたと私は理解しています[詳しくないので間違っているかもしれません])

 と、ここまで書いて疲れたので一旦筆を置きます。続きは最初に挙げた二冊を読んでください。でも、ここまで読んでくださったあなたに問いたいのですが、私の書いたことは多少なりとも興味深くはなかったですか。社会学はこのような根本的な問いを抱えながら成長してきましたし、まだその途中にあるのかもしれません。私の考えるまともな社会学者はこの文章における中心的な問い「社会実在とはどのようなものか?」に対する、この文章以上に説得的な答えをそれぞれ持っています。そこが人によって違っていいのか、と思われるかもしれません。もしかしたらそこが社会学の駄目なところかもしれません。しかし、おおよその社会学者は確かにウェーバーや(この文章では触れませんでしたが)デュルケームなどが作った社会学歴史の上で考えている、という点では一致していると思います。それこそが社会学共通性であり、知的伝統であるとみなしてはもらえないでしょうか。よろしくお願いします。

2021-01-24

anond:20210123162859

ウイルス曝露の危険性だけで言うならば、20分で空気が全て入れ替わる映画館は、飲食されていても、居酒屋飲食店よりは相対的安全だろう。

客の間では。ただ無症状キャリアかもしれない客を相手にするスタッフ危険性は増す。映画館安全だと喧伝され、色々溜め込んでる人々が押し寄せたなら尚更。

そのスタッフお気持ちに寄り添わないといけない。これは科学レイヤー感染症管理レイヤーの話ではなく、社会政策人権政策お気持ち対応の話。

水素同位体を含む水を太平洋放出するのと同じ話。

相対的安全だし、水素同位体生態系で濃縮されないにも関わらず、そういう事をされたら魚を食べたくないという人がいるから、その人のお気持ちに寄り添わないといけない。

そういう人を非科学的だ、迷信だと切って捨てるわけにはいかない。そのレイヤーの話ではないから。「科学的には検討不要レベル安全とわかっているが、気持ち悪い」。

ムスリムが「豚を食べても体を壊さない事は知っているが、生まれながらに『不浄だ、食べるようなものじゃない究極のゲテモノだ』と教わっているから食べる気にはならない」のと一緒。

2021-01-17

anond:20210117202043

際立って無能が多いというなら、なぜ無能が多くなったのかその要因が説明できなければならない

人間能力など世代でそんなに変わるとも思えないので、氷河期世代社会政策上の失敗で人生台無しにされたと考える方が合理的

2020-11-08

バイデンがんばれ

堅実な社会政策を見せて、今バイデン勝利に酔ってヒャッハーして庶民をを見下しているいる選民思想を隠さな意識の高いインテリリベラル絶望する未来を見せてくれ!

2020-10-04

足立区議員LGBT生産性がないって言った議員小子化対策を考えよう→LGBTよりヘテロ夫婦支援をした方がコストに対して回収が容易みたいな感じだと思っているんだけど、別にLGBTや望まない人の権利を削いでじゃなく望む異性愛夫婦プラスする形で政策を考えたいってことな言葉の使い方を慎重にして欲しい。加えて足立区の方の議員LGBT社会政策じゃない子育て家庭の大変さを勉強した方がいい

2020-09-19

欧米の進んだ社会政策の事例として、銃所持を日本でも認める議論は尽くされているのだろうか。

2020-03-31

飲食店ライブハウスの賃料は法律で全額免除

俺はもう飲食店ライブハウスやらの賃料なんて全部法律で当面免除を決めた方がいいと思うぜ。

これは理論的にも実務的にも暴論ではない。根拠がある。

第1に、民民で決めた賃料に公権力は介入できる。借地借家法32条経済変動があった場合当事者に増減額請求が認められ、当事者で話がつかなければ裁判所が増減額を決めると書いてある。売買代金や動産リース料なんかと違って不動産賃貸借契約の賃料に公権力は直接介入できるのだ。これは不動産賃貸借契約生活商売根拠となっており、社会政策的な見地から介入の必要性があるからだ(特に減額の場合)。現行法の下でも、不動産オーナーの賃料請求権は絶対ではない。大不況になれば裁判所オーナー意思に反して減額してよいんだから(減額請求行使場合判決まで原則として現行賃料を払い続ける必要があるので、現状ではほとんどテナントにとって行使は困難だが、今回も事後的にでる判決としては、感染収束までの期間は大幅な減額が認められる可能性が高い)、戦争状態表現するほどの危機、未曾有の景気後退にあって、賃借人保護見地から法律、すなわち国会の決議で賃料の一時的免除を決めても理論上は問題ない。

第2に、賃貸借契約の賃料不払い解除については判例上、信頼関係破壊理論というのが採用されていて、単に賃料を延滞したからといって解除できない。わかりやすくいうと、賃料不払いがあっても同情すべき事情があれば解除できない。現況で、数ヶ月賃料延滞があっても、コロナ感染拡大に伴う減収のせいで払えないのであれば、裁判所は解除を認めない。ちなみに俺はこのみちうん十年、法律特に不動産に関しては地上げや賃料増減額から証券化競売まで法律プロだ。

第3に、今、ほとんどのオーナーは、特にテナント飲食ライブハウスなら賃料不払いであっても直ちに解除とは考えていない。解除をして追い出しても次のテナントが到底決まらいからだ。立ち退かせても次のテナントが決まらなければ収益ゼロだ。法律で制約可能と言っても、当事者を納得させるためのロジックは用意しなければならないが、この件では可能だ。

免除がやり過ぎだと思うなら90%カットでも80%カットでもいいよ。それならつなぎの資金でなんとかできるだろ。何年もなんてことにはならないんだからオーナーの減収は同時にローン免除やその他で対処すればよい。

2019-04-07

anond:20190405151814

韓国、来年から人口減に 2065年に高齢化で日本逆転

ソウル=鈴木太郎韓国統計庁は28日、将来人口推計を発表した。総人口は早ければ2019年の5165万人をピークに減少に転じる。人口に占める65歳以上の高齢者割合も65年に46%に達し、高齢化では日本を抜いて経済協力開発機構OECD)加盟の先進国のなかで首位になる。急速な少子高齢化は韓経済にも影響を与えそうだ。

韓国は5年ごとに人口推計を発表している。前回発表は16年で、次回は21年に予定していた。ただ2月末に発表した18年の合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産む子供の数)が想定以上に低い0.98となり、初めて1を下回って世界で最低水準に落ち込んだことから人口を推計し直して発表を前倒しした。

出生率寿命を低く見積もる「低位シナリオ」の場合、16年の発表では23年が人口ピークで、その後減りはじめると予想していた。今回の発表では人口減が4年早く訪れる。総人口は67年に3365万人まで減り、1972年の水準になる。

高齢化も急速に進む。2017年時点の65歳以上の人口比は14%。国連人口推計(15年)と比べると日本のほぼ半分の水準にとどまる。OECD加盟国の中でも低い方だが、65年にはほぼ2人に1人が65歳以上となる見通しだ。生産年齢人口(15~64歳)も17年は73%と、OECD加盟国のなかで最高だが、少子高齢化によって65年は46%(中位シナリオ)と、日本(51%)を抜いて最低になる。

韓国少子高齢化が急速に進んでいるのは、子どもを産み育てるのが難しい社会になっていることがある。15~29歳の青年失業率は18年に9.5%に達し、若者就職難は社会問題している。経済力の問題から結婚しない人も増え、20~44歳の未婚率は男性が58%、女性は48%(15年)に達した。結婚しても教育負担が重く、出産をためらう夫婦が多い。

急速な少子高齢化経済の活力低下につながる。現在の潜在成長率は2.7~2.8%だが、現代経済研究院の洪俊標(ホン・ジュンピョ)研究委員「30年以降は潜在成長率が1%台まで下がる可能性がある」予測する。国内では「通貨危機以上の危機だ」(韓国大手紙の朝鮮日報)と警戒する声が強まっている。

韓国政府は少子高齢化対策に16~18年の3年間で117兆ウォン(約11兆円)をつぎ込んだが、施策が総花的で即効性がなく、出生率目標の1.5に上向くどころか低下に歯止めがかからなかった

文在寅ムン・ジェイン政権は昨年12月「低出産高齢社会政策ロードマップ」を発表。出産養育費支援の増額や小学校入学までの医療費無料化育児休暇時の給与引き上げなど、ニーズの高い施策に財源を集中配分し、出生率の引き上げに腐心する。

ただ急激な出生率回復は難しいのが現実だ。延世大の成太胤(ソン・テユン教授は「このままでは年金制度の維持も難しい。移民の受け入れなど、既存政策を転換する必要がある」と指摘する。

洪氏も「潜在成長率を高めるには女性が働きやす環境づくりのほか、移民政策の緩和に加え、規制緩和や新産業の創出などで投資をしやす環境づくりをさらに進める必要がある」と、産業政策との連携重要だと強調する。

どこぞの増田によれば韓国一人当たりGDP日本を間もなく追い抜くそうですぜ(苦笑

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