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はてなキーワード: 封建制度とは

2021-10-08

共産主義が嫌いなんじゃなくて、共産主義レッテルを盾にして民主主義が嫌で仕方ない本音を隠した封建主義者じゃん

https://anond.hatelabo.jp/20211006211009

共産主義がなんだって???

何が普通の日本人だ?保守だ?

本当は近代民主主義理念をどうしても受け入れるのが嫌で仕方なくて江戸時代みたいな固定的な身分制度封建制度を維持したくて仕方ないから、

たか近代民主主義概念唾棄すべき共産主義であるかのごとくフェイかまして、自分らの利益横取りされてたまるかとせせこましく屁理屈並べてるだけじゃねえか!

お前らの忌み嫌う共産主義そもそも姿形すらなんなのかも誰もわかってねえっての。

単にお前らにとって都合の悪いもの共産主義ってレッテル貼ってるだけじゃねえか!

いい加減にしろや!

2021-06-19

anond:20210618191625

共産党支持者が共産党を望む理由なんて、労働者保護とか、そんな程度のもの

絶対王政封建制度、行き過ぎた世襲否定

近代民主主義国家としての権力の当然の振る舞い

日本国憲法の順守

戦後から二十世紀末までの政権与党なら曲がりなりにも当たり前だったことすらできてないからそろそろお前らいい加減にしろって言ってるだけなんだよ!

いつまでもお前らのやりたい放題でいい気になっていられると思うな!

2021-02-08

政策より当選を優先してきた自民党がここまで腐敗した現実直視しろ

anond:20210207220914

からなきゃ意味が無いってのはその通りだが、掲げた公約反故にするヤツが支持されるわけないだろ、と思ったがそういう政治家は既に腐るほど居るし、支持されてないわけでもないな

公約意味ないんならもう選挙する意味がない。

日本の政治制度はもうとっくの昔に封建制度に近くなってた。

有権者にふさわしい政治家ちゃんと選ばれてるんだな

2021-01-23

anond:20210123150007

右左以前に、

封建制度絶対王政には反対

近代民主主義精神尊重すべき

国民基本的人権尊重すべき

それだけです。

今の基準で言うとこれが極左ということになるが、時代国家を超越して俯瞰すればこんなものが右でも左でもないことは明らかです。

2020-12-10

やっぱりサザエ存在が納得行かない

一体いつまで放置しつづけるつもりだ?

男尊女卑封建制度的行動規範従順国民性啓蒙するやり方、昭和でとっくに役目を終えているのに、一体あと何十年したら我々はあんなのから解放されるのだろうか?

おかしいと思う奴はいないのか?

後進や新しい世代に道を譲る気はないのか?

この国がどんどん落ちぶれて行くのはそういう古臭い価値観固執し、あろうことか回帰すらしようとすることにあるのは、もう十分わかっているはずじゃないか

いい加減にやめたらどうなんだ?

2020-09-13

anond:20200913013351

民主主義否定するために巧妙な詭弁を使おうとしているようだがそうはいかない。

この国が滅びそうなのは民主主義否定され愚弄され、踏みにじられ続けているからだ。

民主主義があるからこの国は滅ぶので専制君主制や封建制度の方が相応しいというように議論を持っていこうと思ったって、そうはい神崎

2020-07-23

anond:20200723130122

基本的民主主義が嫌い

まれつきの要素で全てが決まる、身分固定化された江戸時代のような封建制度的な社会志向している人がとても多いと感じる。

何百年間もそういう国民性なのに変えようとしないどころか、こういう国民性であることを自覚すらできていない。

から投票率なんか上がらないし、政治のことを話題にすると眉をひそめられる。

2020-07-04

anond:20200704192037

ネトウヨじゃない

人治国家ではなく法治国家の方がいい

封建制度よりも民主主義

絶対王政反対

ただそれだけの話だろ?

自称リベラル」の自称基準に照らせば

30年前なら国民の9割以上は「リベラル」だ

じゃあ、リベラルというワード本来意味に照らして考えてみたら実際そうか?

30年前なら国民の9割以上はリベラルか?

んなわけねえだろ。

奴らは使ってるワードが間違ってるんだよ。

人前で「私はリベラルです」なんてわざわざ言うのって「私は裸ではありません!ちゃんと服着てます!」って言ってるのと何もかわんねえよ。

そんなの偉くもなんともないし当たり前なんだよ!

それだけのためにリベラルなんて自称するのはやめろ!

っていいたい。

2020-05-25

anond:20200524223945

現在でもその傾向があるがフィクショントンチンカンな巨悪(封建制度男尊女卑のはきちがえ)がはびこることは確実だろうな

現実なみのシミュレーションで遊びたいのなら現実のものグーグルマップIngressポケモンGOだけでも弄り倒してるやついるぞ

https://dailyportalz.jp/kiji/youll_start_looking_for_glove

2020-05-20

翻訳サービス比較

原文

The Tokugawa Shogunate was established by Tokugawa Ieyasu after victory at the Battle of Sekigahara, ending the civil wars of the Sengoku period following the collapse of the Ashikaga Shogunate. Ieyasu became the Shōgun and the Tokugawa clan governed Japan from Edo Castle in the eastern city of Edo (Tokyo) along with the daimyō lords of the samurai class. The Tokugawa Shogunate organized Japanese society under the strict Tokugawa class system and banned most foreigners under the isolationist policies of Sakoku to promote political stability. The Tokugawa and daimyō de facto administered Japan through their system of han (feudal domains) alongside the de jure Imperial provinces. The Tokugawa Shogunate saw rapid economic growth and urbanization in Japan which led to the rise of the merchant class and Ukiyo culture. The Tokugawa Shogunate declined during the Bakumatsu ("Opening of Japan") period from 1853 and was overthrown by supporters of the Imperial Court in the Meiji Restoration in 1868. The Empire of Japan was established under the Meiji government and Tokugawa loyalists continued to fight in the Boshin War until the defeat of the Republic of Ezo at the Battle of Hakodate in June 1869.

Google翻訳

徳川幕府は、関ヶ原の戦いでの勝利後に徳川家康によって設立され、足利幕府崩壊に続く戦国時代内戦を終わらせました。家康将軍になり、徳川藩は江戸の東の都市東京)にある江戸から武士大名領主とともに日本統治しました。徳川幕府は厳格な徳川階級制度の下で日本社会組織し、政治的安定を促進するために、サコクの孤立主義政策の下でほとんどの外国人禁止しました。徳川と大明の事実上日本は、ジュール帝国領土とともに、藩(藩)のシステムを通じて管理されました。徳川幕府は、日本の急速な経済成長都市化を見て、商人階級と浮世文化の台頭をもたらしました。幕末には幕末に幕を下ろし、明治維新により皇室の支持者たちにより打倒されました。明治政府のもと日本帝国樹立され、徳川忠誠は1869年6月函館の戦いでのエゾ共和国の敗北までのぼしん戦争

Excite翻訳

徳川幕府関ヶ原の戦い勝利の後に徳川家康により設立されて、足利幕府崩壊に続いている戦国時代内戦を終えた。家康は、サムライクラスのdaimyō君主とともに江戸東京)の東の都市江戸からShōgun徳川一族管理日本になった。徳川幕府は、厳密な徳川クラスシステムの下の日本社会組織し、政治的な安定性を促進するために、Sakokuの孤立主義方針の下のほとんどの外国人禁止した。徳川とdaimyō事実上は、正当な帝国地方そばのhan(封建制度ドメイン)のそれらのシステムを通して日本管理した。徳川幕府は、マーチャントのクラスとUkiyo文化の上昇に通じていた日本の急速な経済成長都市化を見た。徳川幕府は、Bakumatsu(「日本の冒頭」)期間の間に1853から傾き、1868年明治維新宮中サポーターにより倒された。大日本帝国は、1869年6月に忠臣が函館戦争でエゾウの共和国の失敗までボシン戦争において戦い続けた明治政府徳川の下で設立された。

DeepL翻訳

徳川幕府は、足利幕府崩壊に伴う戦国時代内乱終結させ、関ヶ原の戦い勝利した徳川家康によって成立しました。家康将軍となり、徳川家は江戸城を拠点武家大名とともに日本統治しました。徳川幕府は、厳格な徳川階級制度の下で日本社会組織し、佐国の鎖国政策の下で外国人入国禁止して政治の安定を図りました。徳川大名は、事実上日本行政を、事実上皇国と並んで藩制度で行っていた。徳川幕府は急速な経済成長都市化を遂げ、商人階級や浮世文化の台頭をもたらしました。徳川幕府1853年から幕末開国時代に衰退し、1868年明治維新朝廷の支持者によって倒されました。明治政府の下で大日本帝国樹立され、戊辰戦争では、1869年6月函館の戦いで蝦夷共和国が敗北するまで徳川家臣たちが戦い続けました。

みらい翻訳

関ヶ原の戦い勝利した徳川家康によって徳川幕府が成立し、足利幕府崩壊に伴う戦国時代内乱終結した。家康将軍となり、徳川氏は武家大名とともに江戸 (東京) 東部江戸から日本を治めた。徳川幕府は、政治の安定を図るため、厳格な徳川階級の下で日本社会組織し、鎖国政策の下ではほとんどの外国人禁止しました。徳川事実上大名は、日本を藩制(藩)で実質的支配した。日本徳川幕府による高度経済成長都市化が進み、町人階級や浮世文化が興った。1853年から幕末(「日本開国」)の間に徳川幕府は衰退し、1868年明治維新で勤皇志士たちによって倒され、明治政府のもとに大日本帝国が成立し、1869年6月箱館戦争蝦夷共和国が敗れるまで戊辰戦争を戦った。

2019-11-28

anond:20191128010412

もはや左右の問題ではなくなってる。

封建制度か反封建制度か?

民主主義か反民主主義か?

どっちを選ぶんだって問題

2019-10-20

anond:20191020103651

マジで意味不

お前の所だけだろ

今時そんなクソみたいなしきたり守ってるやつの方が奇跡だし、「ウチは今でもこれが当たり前」的な批判をする奴が出来そうだが、そんな封建制度の話をスタンダードにするなって

2019-08-04

anond:20190804005727

民主主義よりも封建制度のほうがいいと思ってる人が多すぎる

2018-11-23

日本人って本当は江戸時代に戻りたいんだよね

村社会息苦しい

全体主義キチガイじみてる

民主主義国民基本的人権を堂々と否定する連中が一番大きな顔をしている。

機会の平等結果の平等にすりかえて弱者たたきが横行。

日本人ほとんどは民主主義なんかいらないんだよ。

江戸時代のような封建制度を復活させたいんだよ。

まれた家で職業も住む場所結婚できるか出来ないかその相手金持ち貧乏も全部決まり東南アジアから奴隷を輸入して日本人より安い賃金で働かせ続け、お上が右だと言えば全員右を向き、違うというやつがいれば村八分にされ、お上が殺せと言えば殺し、死ねと言えば死ぬ。成り上がったものは成り上がったからと言う理由で叩かれるし、本質的に称賛されるのは家柄や才能とかもって生まれものばっかり。

から、偉い連中は、建前としてだけ残っている日本国憲法やそれにのっとった各種法律存在が忌々しくてたまらないんだよ。

こんな国滅びろよ

anond:20181123115016

彼らに民主主義概念なんてありませんよ。

北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国っていう国名なのと

全く同じことです。

彼らが信奉しているのは絶対王政封建制度です。

2018-10-31

なんで日本ってそんなに封建制度が好きなの?

今朝病院テレビを見てたら

皇族の方の結婚披露宴

オリンピック若い飛び込み選手

話題を扱ってた。

皇族の方の結婚披露宴って、別に報道する意味なんてなくね?

一般人と何が違うの?

彼らは国民に向けて何か特別に偉いことでもしたの?

別に関係なくね?

てゆうかそもそも皇族離れて一般人になったんだろ?

なんで報道すんの?

理由があるとすれば、生まれついた血筋とか家柄がすげえからなんだろ?

(ご本人たちには何の落ち度もないし、むしろクソなマスコミのせいで迷惑被って同情するわ)

そして若い飛び込み選手。ご両親もご祖父母飛び込み選手だったというのがすごい。

しかもご祖父母飛び込み映像と本人の飛び込み映像を比べると本人の方が洗練されているのが飛び込み競技なんか全然知らない俺でもわかった。さすが三代に渡って技を磨いただけのことはある。本当にすばらしいと思った。久々に感動した。こんな素晴らしい飛び込みが見れるならメダルなんかどうでもいいと思った。

だけどだよ? レポータースタジオが殊更に強調したのはやっぱり血筋だ。

血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統血筋家柄血統。。。

血筋とか家柄なんてクソ喰らえなんだよ!

日本ってなんでそんなに家柄とか血筋とか生まれついたものばっかりヨイショして枠にはめ込もうとするわけ?

未だに江戸時代かよ?

漫画とか小説主人公が優良な血統、裕福な家柄、みたいの多くてマジむかつくわ。

俺は底辺からのし上がりたいんだよ!!!

なんで本人の努力よりも家柄とか血筋ばっかり強調されるわけ?

もしかしてテレビ関係がそういう血筋とか家柄で社員採用してるのが普通からなの?

なんなの一体?

そうやって、生まれつきの要素でばっかり人の生き方規定して、いい家のやつは子孫もずっといい家でクソみたいな家は子孫もずっとクソみたいな家でってそんな国がいいわけ

なんで日本人ってそんな封建制度みたいのが好きな奴ばっかなの?

冗談じゃねえよ!!!!!!

ふざけんな!!!!!!!!

あと、俺は二世議員とそれに投票するやつがどうしても許せねえんだよ!!!!!!!!!

畜生!!!!!!!!!

底辺なめんな!!!!!!!!!!!

2018-06-27

anond:20180627114229

無敵の人たちが増えた結果が封建制度崩壊だとか、そういう歴史的過程を分かってない人多いよな

2018-03-22

なんかこう

最近ネット香ばしい発言をして炎上している人たちって、大した業績もないのに社会メインストリームにいつのまにか居座っていて、なんでかと思ったら親が政治家だったとか官僚だったとか、そんなのばかりじゃない


パワーエリートは周囲の忖度によって、本人の実力に関係なく作られるというか



この、どんなに頑張っても結局はそうなのね、こういうしょうもないのだけが表に出てきて、社会劣化していくのね、というこの途上国的な感じ、これが結局多くの人のモチベーションをくじいていると思うんだけど、ほんとにどうしようもないのだろうか



福沢諭吉が「門閥制度は親の敵でござる」と言っていた頃からほんとに何一つ変わっていないような気がするんだが、どうしてこの国はどこまで行っても封建制度なんだろう

2017-06-05

続・山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

これの続き。(文字数制限にひっかかったので分割します)

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

1183(寿永2)年、義仲軍は京都に入り、食糧不足もあって狼藉を続けた。京都にとどまった後白河法皇後鳥羽天皇即位させ、寿永二年の宣旨頼朝東国での支配権を認めるとともに、義仲軍の乱暴ぶりを口実にして頼朝上京要請するなど、政治力の強化につとめた。しかし、頼朝東国支配を固めるために鎌倉を動かず、かわりに弟の範頼・義経上京し、1184(元暦元)年、二人は義仲を打ち破った。

義仲が京都乱暴狼藉を働いたという記述があるのは、意外にもこの教科書だけでした。

兵糧不足のまま進撃して首都占領しても、どうせ軍規が乱れて略奪しまくるぞというのは、日中戦争における南京事件南京大虐殺)のことを言いたいのかなと思いましたが、それは深読みのしすぎかもしれませんね。どうなんでしょう?

  

また、これは下記の引用部分になりますが、頼朝が初めて上京したタイミングがいつだったかを明記しているのは、この教科書だけだと思います

(この点はとりわけ山川の『詳説日本史』が最悪です。頼朝西国での平家追討の仕事をすべて弟の範頼・義経らにやらせ自分はその間ずっと鎌倉にひきこもって地盤を固めていたという基本的事項すらも把握できない書き方がされているんです。)

頼朝挙兵以来、北条氏三浦氏などの東国武士たちと主従関係を結んで、彼らを御家人として組織した。そして1180(治承4)年、御家人の統率と軍事警察担当する侍所を設けて、有力御家人和田義盛別当長官)に据えた。さらに1184(元暦元)年、一般政務をつかさどる公文所(のち政所)と問注所を開設し、実務に優れた下級官人らを側近にして職務を分担させるなど、支配機構の整備を進めた。

頼朝後白河法皇要請を受け、範頼と義経平家追討を命じ、1185(文治元)年、長門壇ノ浦平氏を滅亡させた。後白河法皇頼朝権力拡大を恐れて義経を重用し、頼朝の追討を命じたが失敗した。逆に頼朝は、親鎌倉派の公卿九条兼実藤原兼実)らを朝廷重要政務担当する議奏につかせ、反鎌倉派の貴族追放し、義経の捜索を名目に国ごとに地頭を置くことを認めさせた。さらに1189(文治5)年、頼朝義経をかくまったことを口実に藤原秀衡の子の泰衡を攻め、奥州藤原氏を滅ぼした。こうして頼朝東国西国の多数の武士御家人として組織しながら、主に東国支配確立していった。

1190(建久元)年、頼朝挙兵後はじめて京都に入り、右近大将に任命され、後白河法皇没後の1192(建久3)年には、法皇の反対で就任できなかった征夷大将軍に任命され、名実ともに鎌倉幕府が成立した。」

当然ながら『詳説日本史』にも、侍所政所問注所地頭というキーワードは出てきますしかし、治承・寿永の乱とは別項に記述されているため、時系列が分かりづらくなっています

それに比べて、この教科書歴史の流れの中にキーワードを配置しています。だから時系列に即してこれらの言葉意味理解することができるはずです。

  

結びが「名実ともに鎌倉幕府が成立した」という記述になっているのも、味わい深いです。

鎌倉幕府の成立が何年かという論争を垣間見ることができます名目的には1192年に幕府が成立したと言えるが、実質的にはそれ以前から幕府政治機構ができあがっていたというニュアンスを含ませているのでしょう。

  

  

  

あとは、上記引用中の「義経の捜索を名目に国ごとに地頭を置くことを認めさせた」という記述が最高にクールです。

一般には1185年、義経の捜索を名目にして守護地頭が設置されたとされていますし、国ごとに置かれた役職地頭ではなく守護だと暗記している人が多いんじゃないでしょうか?

例えば山川の『詳説日本史』はそうなっています。それによると、頼朝は1185年に「諸国には守護を、荘園公領には地頭を任命する権利」を獲得したとされています守護は「おもに東国出身の有力御家人から選ばれて「原則として各国に一人ずつ」任命され、「大犯三箇条などの職務を任とし」て国内御家人を指揮統率し、とくに東国では在庁官人支配することで「地方行政官としての役割も果たし」ました。いっぽう、地頭は「御家人のなかから任命され、任務年貢徴収・納入と土地官吏および治安維持」です。「頼朝は主人として御家人に対し、おもに地頭に任命することによって先祖伝来の所領の支配保障したり(本領安堵)、新たな領地を与えたりした(新恩給与)」わけですが、このことが御恩と奉公関係となって封建制度の基礎となりました。

  

ところが、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)によると、ここの説明がこれとまったく異なります。私が先に引用した項では、1185年の出来事として守護の設置には言及せず、地頭の設置だけが記述されていますしかもその"地頭"は国ごとに置かれたものだとされているのです。

私は最初にこれを読んだとき、わけがからなくて混乱しました。それでがんばって自力で調べてみて(独学なので苦労したナァ)ようやく理解できたのですが、1185年の文治の勅許守護地頭が置かれたとする『吾妻鏡』の記述には疑いがあり、実はこれがかつて学者の間でも論争になったテーマだったらしいのです。

1960年石母田正が新説を発表したのですが、おおざっぱに言うと、新説では、この時点で置かれたもの守護地頭ではなく、地頭(国地頭)だったとしています。それはわれわれが普通一般に知っている地頭(荘郷地頭)とは異なり、一国を統括する強大な権限を持つ存在です。この国地頭はすぐに廃止され消滅しましたが、守護前身となりました。

三省堂教科書は、次項でそのことが説明されています頼朝がはじめは国ごとに"地頭"を派遣して荘園国衙領のいずれからも兵糧米を徴収させていたこと、そのやり方がひどすぎたから反発を招いて、以後は"地頭"に代わるものとして守護を置いた、という記述になっています。またこれに続いて、頼朝は「荘郷地頭と呼ばれる地頭を任命し」、平氏没官領や謀反人の所領跡で「年貢公事徴収治安維持に当たらせた」としています

このように、三省堂教科書では、「国地頭」と「荘郷地頭」をはっきりと区別しているのです。

  

実教出版もこの新説を採用していますこちらも合わせて読んでおくと、国地頭のことが大変よく分かります東京出版は本文の記述が旧説に拠っていますけど、欄外では国地頭が惣追捕使とならび、守護前身として存在していた話をちょこっと説明しています。これらの教科書は「国地頭」論争の成果を取り入れており、学問的に誠実だと思います

それに対して山川の『詳説日本史』は旧説を採用し、1185年に守護地頭の設置が認められたとする断定的な記述になっています。これが他の教科書とのあいだに無用矛盾を生じさせているのです。私と同じようにこの点につまづいて、困惑してしまった高校生が少なからずいるんじゃないでしょうか。

  

なお、山川参考書『詳説日本史研究』にもこの新説の紹介はありません。同社『日本史B用語集』には「国地頭」という用語掲載されていて、そこでは一応説明がされているんですが、あたかも国地頭が荘郷地頭前身だったと思わせるような記述です。

地頭(じとう)⑪:1185年、頼朝要請後白河法皇諸国公領荘園地頭を設置することを認めた。当初は1国単位荘園公領支配する国地頭を設置したが、まもなく平家一族の所領として没収された平家没官領と謀反人跡地に限定した荘郷地頭となった。しかし、公家寺社の強い反対で、一時縮小、承久の乱後に全国化した。任務土地管理年貢・兵糧米の徴収治安維持など。

地頭⑤ 荘郷地頭

  

山川出版日本史B用語集』より

ですが三省堂実教出版東京書籍の教科書によると、国地頭はむしろ守護へと発展的解消を遂げたという記述なんですから、『日本史B用語集』のこの説明とはやはり若干の矛盾が生じています

「国地頭」を教科書に載せている上記の主要3社の文脈に従うなら、この用語独立の項目として取り扱うか、せめて「地頭」の項目じゃなく「守護」の項目にいれて取り扱うべきじゃないでしょうか。

  

(追記 これはインターネット上の情報なので私は未確認ですが、現在は『詳説日本史』にも国地頭掲載されているそうです。近年改訂されたんでしょうか。

予防線を張っておくと、私は高校日本史Bを履修しなかったし、大学理系に進みました。教科書を読んだのは興味本位にすぎません。

はじめに書いたとおり、最新版教科書を持ってません。今回はてブでバズっていてびっくりしましたが、筆者は歴史学の専門家でも何でもないことをお断りしておきます

追記id:HRYKtbykさん、確認をしてくださり感謝です。)

  

  

  

追記

複数教科書を読み比べすることで、『詳説日本史』を読むだけでは見えないポイントが浮かび上がってきます

『詳説日本史』では、前九年合戦後三年合戦のところで、「これらの戦いを通じて源氏東国武士団との主従関係を強め、武家棟梁としての地位を固めていった」とあります。これが後の頼朝挙兵につながるわけですが、それは時代を経てからのことだから教科書のページが離れすぎていて、この関連が把握しづらくなっています

ここで例えば山川出版社『新日本史B 改訂版』(日B 018)のような他の教科書と読み比べてみると、『詳説日本史』がこの簡潔な一文を通して伝えたかたことを理解することができるのです。(上述参照)

  

つぎは例えば、貫高制・石高制を見てみましょう。

『詳説日本史』によると、戦国大名性格は次のように説明されています戦国大名は「新たに征服した土地などで検地をしばしばおこなっ」て、それにより「農民に対する直接支配」を強化しました。そして国人地侍を取り込むため、貫高制を導入しました。これは戦国大名が彼らを「貫高という基準統一的に把握」して軍役を課す制度でした。それでここからすこし時代下り、別のページで豊臣秀吉太閤検地説明しています太閤検地により石高制が確立しました。それは「荘園制のもとで一つの土地に何人もの権利が重なりあっていた状態を整理」し、「一地一作人」を原則とするものです。農民は「自分田畑所有権を法的に認められることになった」わけです。

このような記述だけでも表層的な理解はできると思いますが、実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)は、貫高制について「荘園の複雑な土地制度は貫高に組み込まれ大名統一的な国内政治を推進」するものとしています。『詳説日本史』ではせいぜい石高制と荘園制の関係しかからないでしょうが、本書はこのように貫高制と荘園制の関係を明示しているのです。

この視点を最もわかりやす記述しているのが、三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)です。本書は貫高制、石高制、荘園制の全部を一つの項目に入れて記述しています。それによると、秀吉太閤検地を行い、「戦国大名の貫高制にかわって、それを発展させて全国に広げた石高制」を導入、その結果「荘園制を完全に崩壊させ」ました。このポイントを把握しておけば、中世から近世への社会の変化を、土地一元的支配確立荘園制の衰退・消滅という視点で見ることができます。本書の特徴は、貫高制・石高制をともにこの視点から語っていることと、しかもそれが荘園制を「完全に崩壊させ」たと言い切っていることです。

ちなみに、東京書籍『日本史B』(日B 004)では、石高制を「近世封建制体制原理」と書いています。これがまったく新しい制度であることを強調しつつ、近世という言葉を使ってその射程を江戸時代にまで広げているのです。)

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