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はてなキーワード: 大通りとは

2023-04-22

anond:20230421135741

思い出そうとしてるんだけど

♪これは恋人たちのためのシンフォニー〜 は恋人たちのためのシンフォニーで、

♪とても悲しい歌ができた〜 は悲しい歌で、

死ぬ前にたった一度だけでいい思いっきり笑ってみたい陽の当たる大通りを〜 は陽の当たる大通りだよね

 

メッセージソングどんなんだっけ

2023-04-11

By The Way』 Red Hot Chili Peppers 和訳

https://www.youtube.com/watch?v=JnfyjwChuNU


列に並んでる、今夜のショーを見るため

照明がついて 眩しすぎてくらくらする

そういえば

言ってなかったかも そこで

待ってるって

ダニーっていう娘が 俺に歌ってくれるのを

ひさしの下、人が溢れ出す


肉切りナイフ

カード賭博 八百長

ブーツカット

裸にされたら 彼女は小さなDJ

すぐ行くよ

高速じゃなくて大通りから

ニックに尻だって貸す 金のためなら

ビートニクは好きじゃないんだけど

犬の町 、

血の海 肋骨の檻

柔らかい

列に並んでるんだ、今夜のショーを見るために

照明がついて 眩しすぎてくらくらする

そういえば、俺が言いたかったのは

そこで待ってるよって


ブラックジャック

薬中の不能

質屋宝くじ

キスしなよレズ女に 離したくないんだろ

ストライクじゃなくても ボールは転がす

マイクに叫んで 君は盗んでないんだろ

お話好きな女の子物語ひとつ教えよう

歌手女の子

静脈注射

払い戻し

改造車

列に並んでる

今夜のショーを見るため

照明がついて

眩しくてくらくらして

そういえば 俺が言いたかったのはそこで

待ってるよって

ダニーって娘が 俺に歌ってくれるのを

ひさしの下、売れ過ぎて人が溢れて

そういえば

言ってなかったかも そこで

待ってるって


君は本気にしないだろうけど

本気にしないんだろうけど

本気にしないんだろうけど


列に並んでるんだ、今夜のショーを見るために

照明がついて 眩しくてくらくらして

そういえば 俺が言いたかったのはそこで

待ってるよって

ダニーが 俺に歌ってくれるのを

ひさしの下、チケットは売れ過ぎで人が溢れ出して

そういえば言ってなかったか

君のことを知ってたんだ

ずっと前から

列に並んでる

今夜のショーを見るため

照明がついて 眩しすぎてくらくらする

そういえば 俺が言いたかったのは

そこで

待ってるよって


***

最初歌詞全然よくわからん歌だと思ったのですが、和訳するうち、

薬中のしょーもない間抜けな男(高速から行くつもりが混雑した大通りを選んでしまう)が主人公で、

好きな女(ダニー、歌手)がトラブルに巻き込まれたため(ギャンブルイカサマ?裸?血の海?君は盗んでない?)、

男はあちこち奔走して、自分の体を売ってでも身代金をかき集めて(質屋宝くじ?)助けようとするが、彼女は男など眼中になくて(レズキス、薬漬けの不能ストライクじゃないけどボールは転がす)、

それでも男は、混雑する会場で静かに彼女を見守っている、(男は死んでる?「そういえば、俺が言いたかったのは、そこで待ってるって事」)

という、映画みたいなストーリー解釈できました。

英語圏の人も歌詞意味がよくわからない、と言ってるそうなので、合ってるのか全然からないけど。


彼女別にトラブルには巻き込まれておらず、ただ単に、ライブに行きたい男の酷い日常の断片を並べているのかも。

MVストーカー男が有名な曲だけど、「そういえば言ってなかったかな?会場で待ってる、って」と歌詞を訳すと、途端にストーカーっぽくなる。



anond:20230410202136

2023-04-10

お前らの深夜コンビニで買える歩き飲みに最適なツマミ推しを書いて

から少し離れ街灯も疎らになった大通りの先に、一際明るく佇むコンビニエンスストアが見える。

灯りに吸い寄せられる羽虫の如く、私はフラフラとその明るさに導かれてゆく。

ほんの10分ほど前に別のチェーンのコンビニで買ったストロングゼロの缶を一息に飲み干し、ぐしゃりと潰して入り口横のゴミ箱に放り込む。

冷たい夜風に曝された身体に冷たい液体が満たされる、全てが冷えきった肉体の中で胃の腑だけが少しの熱を感じていた。

軽快な入店音と共にガラスの扉が開いて、より一層の明るさが飛び込んできて私の目を眩ませる。

同時に熱気とも形容できそうな空気が私の身を包む、この居心地の良さに慣れてしまうと再度外に出るのが嫌になりそうで、私は早々に買い物を終えることを決意した。

先程と同じストロングゼロ、今度はレモンではなくグレープフルーツの500ml缶を手にしつつ、レジの前のガラスケースを遠目で見る。

何か暖かいものが食べたいという私の思惑を打ち砕くように、普段オレンジスポットライトで揚げ物たちを輝かせるホットケースも、水滴に満たされて白くキラキラ光る蒸し器も役目を終え、電気が消されたがらんどうの中身が寂しそうで、明るい店内で一番暗い場所のように感じた。

空っぽで寂しげな真っ暗い部屋、私がこれから帰る部屋みたいだと自嘲する、まだ酔うには早いはずなのだけれど。

売れ残ったお弁当おにぎりブリトーを眺めて、あれも違う、これも違うと迷っていると、目の前に大きなソーセージが飛び込んできた。

シャウエッセン史上最大!」そんな呼び文句の横に「レンジOK!」の文字を見つけ、思わず手に取った。

ストロングゼロの缶と同じぐらいの長さのソーセージレジに並べる、私の「あたためお願いします」の言葉レジ留学生とおぼしき若い外国人男性は少し戸惑っていたようだったが、「開けて温めるみたい」と私が言うと恐る恐る封を開け、レンジに掛ける。

「オマタセシマシタ」

はいらないといった私に一つずつ商品が手渡され、左手ストロングゼロ右手に巨大ソーセージという珍妙な格好で、ダンジョンに潜り込む勇者が如く、再度暗く寒い夜道へと切り進んでいく。

ソーセージを一齧り、追い掛けるようにストロングゼロをごくりごくりと飲み込む。

あぁ、思っていたよりもずっと美味しいじゃないか、吐いた息が白くなって夜空へと昇ってゆく。

生きてて良いことなんて無いけど、死ぬほど悪いことも無いな、そう思いながら私は家までの残り15分ほどの帰り道、恐らく途中にある最後コンビニでもう1本お酒を買うだろう、などと考えつつソーセージをもう一齧り、またストロングゼロを飲み、また歩き出すのだった。

2023-03-31

大通りが途切れた先にある建物ってなんか怖くない?

大通りの車がハンドルを切らなかったら確実にぶつかる位置建物

これが直線の道沿いの建物だったらハンドル操作をあえて切らないとぶつからないけど

大通りの途切れた先の建物ってドライバー意識を失ったりしてそのまま直進したらぶつかる位置からなんとなく怖くない?

交通事故が発生する要因っていろいろありすぎてまあいままで大丈夫だったし大丈夫でしょみたいなバイアスが働きやすそうだけど

こういった建物場合交通量×ドライバー意識を失う確率」みたいな感じである意味事故が起こるのが確定するような印象がある。

実際統計的にどうなのかはわからんけど。

2023-03-27

夕方入り口に人が立ってる建物がある

結構大通りに面してて近くに住宅街もあるし、看板普通に出してるから何の建物かは見ればわかる

もちろん、とあるカルト宗教団体なんだけど

あれは中に偉い人がいて、会議か説法かなんかやってる間のボディーガードなんだろうか?

「なんでいつも立ってるんすか?」はちょっと怖くて聞けない

2023-03-02

anond:20230302135241

詰まったあとはそれを避けようとするのが普通

詰まる前は早く逃げようとするのが普通

そういうシーンはだいたい大通りでのことだと思うが

大通りは当然ながらいちばん太い道路なのでいちばんまりにくい。

横道に抜けようとするとそっちから先に詰まっていく。

あと人がギュウギュウ詰めだろうから真ん中付近にいる人は

流れのまま逃げるしかないというのもあるな。

2023-02-26

anond:20230226103618

品位としては便所の落書きだとしても

アカウントによる閲覧制御もされておらず手繰れるもの大通り掲示板に等しいってのは

まさに便所の落書きとされてきた5chの住人ですら気をつけてる部分なんだよな

石投げブクマカが一番意識文化が遅れてる蛮族である傍証とも言える

この視点面白いなと思った。便所の落書きじゃなくて大通り掲示板みたいな感覚なんかな

その非対称性についてはどう考えてんの?

二階建てにしたところで、最初あなたコメントを読んだ人たちの目に入らないじゃん。

そしたらなるべく広く読んでもらって、貴方のせいで生まれた僕に対する誤解を解いてもらう必要が出てきますよね?

俺は古参はてなーから「え?どっちにしろ伸びたらホッテントリにどっちも来るんだから一緒じゃん」と思ってしまうわけ。

でも違うっぽいね

そもそもはてなの中でやってるレスバならはてなーしか興味ないんだし」とも思ってしまうわけ。

でも違うっぽいね

なんというか、「はてなから発展したレスバが他所での評判にも波及する」という考え方が必要っぽい。

なるほどね。

そういう発想がなかった。

だってここは便所の落書きにすぎなくて他所とは隔絶されていると思っていたから。

言ってしまえば一方通行空間というか、テレビに対して親父が「バカだな~~」とケチつけたら次の日どっかの芸能事務所から「うちのタレントをお宅のリビンングでバカしましたよね?もしそれがお子さんから伝搬して学校でウチのタレントバカだって評判が立ったらどうするんですか?それが更に世界中に広がったらうちのイメージがガタ落ちですよ?昨日の一家団欒中の発言を取り消してください」って電話きたらヤバすぎてビビるじゃん?

でもそうじゃないらしいね

なんかもうそういうのじゃないっぽいの。

まあツイッターなら分かるよ。

世界への発信だもの

でもここはてなだぜ?

なんJふたばと同じレベル日本の最下層だぜ?

まさかこんな所まで来て「おい。俺の悪口言ってんじゃねえよね。誰か本気にしたらどうすんだよ」って言われるとか思ってないよ。

でも違うんだろうね。

そういう発言をする人からしたらココはもう既に渋谷交差点ど真ん中の街頭テレビで実況中継中の空間で、そこで何かを言うってことは日本中に向かって何かを宣言するような行為なんだね。

からその発言に対しては徹底的に抗議すると。

んでソレに対してのレスを小さな近所の集会所でやるのは許さないから今度は池袋交差点テレビの中ぐらいでやりなさいよって話なのね。

俺たちそんな感覚無かったな。

隣町Aの便所に書かれた落書きへの反撃を、隣町Bでやっても、そんなのどっちにしろ便所落書きネットワークっていう地下世界通信の一部なんだからそれでいいじゃんぐらいに思ってた。

でも違うんだね。

うーん感覚がズレてきてるな。

チューニング必要らしい。

まり、ここはもうツイッターと大差ないってことかい

まあ前々からちょっとした発言ブクマで袋叩きにされるのはツイッターブコメも一緒だったから、はてなだけで考える分には何も変わらねえじゃんと思ってしまうが、それが世間に与える影響が変わったのか。

アイドルになった友達と遊びに行こうとしたら「世間の目があるから」って言われる感じで、俺たちの関係って何も変わらないはずじゃんじゃすまんくなった的な?

マジで

はてブ出世したね?

はてブにずっといると漫画ビューワが好調なだけではてブの方はスッカリ落ちぶれたイメージなのにね。

そっかー。

便所の落書きについて別の便所反論するようなことをしちゃいけない時代なのか。

便所の落書き写メって「これこれに対して異論申し上げる」ともっとよく目に見える場所ちゃん反論しないと、最初に目にしたときの印象を覆せないかアンフェア的な。

でもそれって無限ヒートアップしていくじゃん?

怖くない?

俺は怖いよ。

うまい具合に終着点を見つけた方がいいと思う。

それがないならヒートアップ合戦最初から始めないほうがいいかなと。

やるにしても、「はてなの中で」というルールは作った方がいいような気がする。

でも一部の人には違うんだよね。

はてなで産まれた悪評がもうインターネット全土に広まった後なんだからインターネット全土を戦場にしてどっちが正しいかの決着を着けないと汚名返上が出来ないじゃないかなんだよね。

うーん過酷だね。

そもそも喧嘩になるような事をお互い口にしないのが正解だったのかな。

少なくとも、名前を出してやってなければ負けたらそっ閉じで終わりに出来るし、その後も「どこだー!俺にレスバ負けた奴どこだー!ごめんなさいがないぞー!」で勝った側があーだこーだ言い出してもそれはそれで勝った側も痛々しいか普通はしないし安心だよね。

やっぱインターネット匿名でやるものだね。

少なくとも半匿名

運営以外の人間に連絡先を握られた状態インターネットなんてやったら、絶対に負けられないレスバが発生して大変なことになるだけだよ。

気をつけなきゃね。

2023-02-23

知り合いの就職が決まった

彼女と知り合ったのは近所の定食屋だった。

僕は一人暮らしで、平日はあまり自炊をしないので、週に2,3回はその定食屋で夕飯をとっており、週に1回程度そこで彼女の姿を見かけていた。

初めは今日も来ているな、くらいにしか気にしていなかったが、だんだん彼女も僕のことを覚えたようで、数ヵ月が経つ頃には目があえば会釈をする程度の関係になった。

 

それから少ししてある日、お会計タイミングが重なったことがあり、その時初めて彼女に声を掛けられた。

よくここに来てますよね?なんて他愛もない会話を少しした後、近くによく行くバーがあるので一緒にどうかと誘われた。翌日は仕事休みだったので誘いを受け、一緒にお酒を飲んだ。

彼女お酒は好きだがあまり強くないらしく、1時間もするとすっかり酔ってしまい、色々な話を聞かせてくれた。

両親が離婚しておりそれきり父親とは連絡をとっていないこと、母親ともあまり仲が良くなく上京してから一度も実家に帰っていないこと、鬱病になり会社を辞めてしまたこと、しばらくは失業保険受給しながら次の仕事を探していたが何もかも面倒になり今は風俗で働いていること、今の仕事を辞めたいとは思っているが辞め方もわからないこと、自分が何をしたいのかがわからなくなってしまたこと。

あらかた話し終えると彼女は眠たくなってきたようで、僕はお会計を申し出て一緒に店を出た。

 

彼女は一人で帰れると言ったが、時刻は既に0時を回っており、店から彼女の家までは少し遠いと思ったので大通りに出てタクシーを呼んだ。

タクシーが来るまでの間に連絡先を交換し、ほどなくして到着したタクシー彼女を乗せ、5千円札を一枚握らせて、気を付けて、と声を掛け別れた。

 

翌日の昼過ぎ彼女から、酔っぱらってしまって申し訳ない、よければまた食事がしたいといった旨の連絡が来た。僕もこちらに来たばかりで、友達があまりいなかったため、ぜひまた行きましょうと返事をした。

それから週に1回、彼女と一緒に夕飯を食べるようになった。仕事愚痴最近見て面白かった映画など、なんでもない話を話せる友達が出来て、僕も楽しかった。

 

ある日彼女から、週末喫茶店で会えないかと連絡が来た。彼女と会うのは決まって平日の夜だったので、休日の昼に誘われたことに少し驚いたが、特に予定もなかったので、いいよ、とだけ返事をした。

当日喫茶店に向かうと彼女は真面目な顔つきで書類と向き合っていた。僕が向かいの席に座ると彼女は少し照れたように、履歴書を見てほしい、と告げた。

どうやら就職活動を始めるようで、履歴書を準備したは良いが、何から書き始めたら良いのかもよくわからないので、普通社会人である僕に教えてほしいとのことだった。

だって履歴書なんて学生の時以来書いていなかったので大したことは言えなかったが、日本語言い回しが少し変な箇所や、単純な誤字脱字などを指摘してあげると、彼女は嬉しそうに、なるほど!ほんとだ!と言い、履歴書に手を加えていった。

2,3時間程度、履歴書作成に加え、どういう仕事がしたいのか、給料はどれくらいが理想か、休みはどれくらい欲しいか等々、就職相談の真似事みたいなことをした。無論僕の社会人経験だって大したものではないので、あまり偏ったことは言わないように気をつけながら、彼女の話を聞いた。

帰り際彼女が、なんかやる気出たわ、と呟いていたのが印象的だった。それから何度か休日の昼にも彼女に会うようになった。ある日はスーツで現れ、面接練習なんかをやったこともあった。

 

相変わらず週1回の夕飯は続いていたが、話題彼女就職活動についてが多くなった。最初自己紹介で緊張してしまった、前職を辞めた理由を聞かれ上手く返答が出来なかった、空白期間に何をしていたか説明できなかった、片親のことを伝えるとなんか気まずくなったなど、正直明るい話題は多くなかったが、むしろやる気は増しているようで、彼女は辛そうな素振りは見せず、何故か楽しそうに喋っていた。

 

そして先週、定食屋に現れた彼女は一目で分かるくらい上機嫌だった。テーブルにつき注文を済ませ料理が来るのも待たず、決まった!と彼女は嬉しそうに話し始めた。どんな仕事をするかということ、こんな名前部署に配属されるらしいということ、給料いくらであること、少し家から遠いが交通費が出ること、数年勤めると退職金が出るようになること、色々なことを嬉しそうに教えてくれた。料理が来てからも話の速度は変わらず、僕はずっと相槌を打ちながら彼女の話を聞いた。

 

料理を食べ終え、久しぶりにお酒を飲みに行った。お酒が入ると彼女の話はさらに速度を増した。僕はなんだかそれがとても心地よくて、途中泣きそうになった。彼女は泣いていた。話が一段落つくたび、彼女は僕に、ありがとう、と何度も言った。

 

就職してすぐは色々忙しいだろうから、しばらくは一緒に夕飯を食べることもなくなるだろうけど、それもまた嬉しいことだと思う。

真面目に頑張る彼女を見て、僕も元気を貰っていたし、次定食屋で会う時には僕から感謝を伝えたい。

2023-02-12

anond:20230212213318

大阪もそうやで、インバウンド?たらゆうんか、また戻って来よったで(顕著なんはサッパリ流行ってなかった大通り角地のボッタクリ飲食店跡地の居抜きにオール中国語意匠居酒屋?が入ったことや、見てたら工事スタッフオール中国人でやっとったようやね)

2023-02-10

なんで大通り道路って都合よく4車線とか6車線とかの幅があるの?

日本に車が普及して150年も経ってないのに、

なんで大通り国道とかは6車線+歩道とかの広い幅が都合よくあるの?

江戸時代もこんな広い幅の道路だったの?

2023-02-08

就職してから現在までのダイジェストあくまで例え話)

最初部署

足を引っかけられ転んでしまい、足に擦り傷ができた。

2番目の部署

なんとか立ち上がったものの、起きるのに夢中で背後に気づかず、背中ナイフで刺されてしまう。

そこで前のめりに倒れ掛かったところ、別人にハンマーで頭を殴られて顔から地面にダイブ

3番目の部署

なんとかつかまって立とうとしたが、引き倒されて背中の傷口にウジ虫ねじまれ、顔を足で踏まれて立てなかった。

4番目の部署

もう最初から立てなかった。寝そべったまま転がりながらでも前へ進もうとしたが、背中にウジがわいて化膿している。頭の血も止まらない。エビのように丸まってやり過ごすことしかできなくなった。

5番目の部署

大通りから外れた路地裏、ひっそりと薄暗い。そこで背中と頭の傷口を水で洗ってもらった。

ただ、ここは床が軋んで今にも崩れ落ちそうだ…

また行かなきゃ…

でも、行くって、どこへ…?

2023-01-26

anond:20230126212744

(o´・ω・`o)「そんなことないで、やっぱり人口の違いは歴然としとるやで?」

(o´・ω・`o)「…でも秋葉原の駅おりて大通りに出たら、ケモミコスプレ女の子歩道にズラリと立ち並んで呼び込みやっとって、なんかゆーとるおもって近寄ったら全部が婚活ので『それ電気街カンケーないやんか!🤮』ビックリした、御堂筋くらいの立派な通りの歩道にずっと居るんやで?!そんなん大阪やったら裏通りっぽいオタロードいうとこでしかやってへん風習やがな」

2023-01-24

ネタツイート供養

駄洒落

ボクサーを撲殺したのは僕さ

これから満で数つけるわ

ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ

nonsense駄洒落を送ってしまった。

防寒着を着た暴漢傍観する

新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼信管作動する。

文脈おかし

カフカには寡婦は過負荷

夭逝する妖精養成要請

ケニアに行ったら生贄や

コメントには心をコメントなあ

柑橘類香り歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。

補償するための保証書をもらう権利保障する。

信心深い新人神事心中する。

唐突すぎる心中

宍道湖神事を行う碇シンジを信じ込ませる。

いっきに広まった一向一揆は一向に収束を見せない

虫の居所が悪いのか無視されてしまった。

塗装を落とそうか。

授業中に弁当を食べて、食材贖罪を果たす。

加計孝太郎

加計孝太郎近畿財務局に賭け乞うたろw」

扇状地戦場で洗浄中の兵士扇情的な船上の軍歌を聞かせる。

観光客フイルムに感光させた写真刊行することが慣行になった。

サボってサボタージュ

カタルシスを語るシスター

八芳園発泡酒を飲んだ八方美人が発砲

公館の高官が交歓されつつ硬貨を交換し好感度あげる。

トロールトロを獲ろうとして徒労に終わった。

最恵国待遇の条件を再掲する。

アシカが好きな足利尊氏

景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)

アジアアジの味

夫を成敗するオットセイ

まらない妻の話

気の時計ホットケーキからほっとけー

ヒモになってしまったひもうせん

竹の丈は高ぇなー

伊豆椅子に居座るイラエル人

餅を用いて持ち上げる

ロストしたローストビーフ

サボテンの植え替えサボってんな

過度な稼働は可動範囲を狭める

お前がバテレンだってことはばれてんだよ。

ごめんなサインシータ

伯爵博士拍手拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人白紙にもどす。

クラーク博士と苦楽を共にする

エアポートエアコンエアガンエアロビ体操

わし座の絵が書いてあるタイルアルタイル

バチカンババア痴漢

聖光卒のSEIKO社員精巧時計製造成功する。

紅葉を見て高揚する

台東区帯刀し台頭する

執刀医の技術嫉妬

甲子園講師をする公私混同した孔子実力行使には格子窓も耐えられない。

キッコーマンの亀甲船が拮抗戦を繰り広げる。

死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」

神殿内部の新田心電図を取る武田信玄は死んでんのか?

夜祭で野菜を食べる。

信玄餅を食べながら震源特定するように進言する新元素発見した人。

蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ

五反田で地団駄を踏む

平気で兵役をし兵器を作らせる平家辟易してしまった

蝋梅の香り狼狽する

いびつ揖斐川の流れ

ようやく要約が終わった

海溝で邂逅

豪華な業

非公式に飛行甲板で非行を行う非行少年

甲板で甲板をかじる

甲板で乾パンをかじる

店頭で転倒

四季の変わり目には士気が上がるので指揮が必要

財産ぜんざいを買う

大枚をはたいてタイ米を買う

醤油をかけている人に話しかける人「それソースだよ」

醤油をかける人「えっっ?」

しかけた人「ソイソースw」

神田でした噛んだ

ハイソサエティ人間に敗訴した

品川千葉から見て中国シナ)側だ。

経験を積んだ者への敬虔眼差し

ダサい獺祭パッケージ

ゲットー写真をゲット

少食な小職

安価アンカー

さっそく拙速節足動物模型が仕上がってきた。

牛の胆嚢の味を堪能する

僥倖をあてにする強硬教皇のせいで恐慌が起きた。

あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。

キーンという高音の起因が掴めない。

構成の後の校正は公正に行わなければならない。

こんな誤謬は秒でわかるだろ

皇帝肯定する

壊疽した箇所が治るというのは絵空事

経口補酔液

痴的好奇心

Novemberノーメンバー)には部員がいなくなった。

セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ

軽微な警備

公爵講釈を垂れる

冬眠する島民

ベットは別途用意してください

大会に負けて倦怠期が訪れる

The deserted desert in desert desert.

人のいない砂漠で見捨てられたデザート

倒錯したので盗作してしまった

九尾のキュービズム

罹災者へのリサイタル

秋分のくらい醜聞を聞かせないでほしいな

カニカニバリズムは如何に

画家の画架

不納が富農になるのは不能

理工がRICOHに利口な履行

マネタリズムを真似たリズム

吐露するトロを獲るトロールトートロジー

I sensed tha it is in a sense sense.

私はそれをある面では扇子だと感じた。

鯖を食べている人と、それを見ている人の会話

鯖 ça va?

ça va 鯖

ça va

ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない

早漏で候

形状記憶合の価格を計上する

凪に難儀

名言を明言出来ず迷言になる

リネン理念

ロードライブ朗読ライブ

昔本に渡ってきた人「渡来は入海が無料!」

上流で上流階級蒸留

東上線に搭乗した東條が登場

刺客視覚死角に四角い資格自覚

高校を後攻で煌々と口腔で孝行

芳香へ咆哮し奉公の方向へ彷徨する。

蝉が転んでセミコロン

彰晃が商工の昇降機将校を焼香し小康状態

おさる情事

盛夏のせいか青果が採れない。

ケーキを食べるなんて景気がいいね

道徳をどう説く

司祭が仔細に県道検討

写真はフォトんど撮りません

ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」

華美な花瓶のカビに過敏に反応

老いるのを防ぐオイル

檻に入っておりいった話をする

夏のおサマー

夜は寝ナイト

渦中のカチューム

渦中のカチューシャ

リスボンでリスがborn

市長市庁舎から視聴

どうないはどないなってんねん

堂々とした道道北海道の道)

苫小牧でてんてこ舞い

市内を復旧しないと

新道神童振動

石狩の石を借りる

おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」

砂がどしゃーw

東上線に登場した東條が登場

コケットリーのあるコケ取り

飽きない商い

おなか吹田市

ヘルシンキで減る新規雇用

沖田総司が起きたら掃除

観劇で感激する

側転に挑戦し即、転倒

あたりめが美味いのはあたりめぇーだ

カルロスgone

別件を瞥見

凹地のお家

魚を初めてみた人「うぉー」

懊悩を抱えた人「Oh no..」

魚影を確認した船長「ぎょえ〜」

マイケルを蹴って注意されるマイケルケン

カラヤンの頭の空やーんw

ライカをやたら勧めてくるおじさん「ライカはきらいか?」

洒落臭い謝楽祭

公費コーヒー支出

豚をぶった仏陀

只見線をタダ見w

菊名でそんなこと聞くなよ

馬間田でママを見つけた子供ママだ!」

冬至湯治に行った当時を思い出す

五秒で死んで御廟に埋葬

がらんとした伽藍

有給を使いすぎて悠久の時が流れた

一年を逐一アピールする

長谷に想いを馳せる

Thinkerの真価

東海林の不祥事

the mine is mine

不具の河豚

プロ棋士プロキシ

キリングフィールドのきりん

異臭issue

暗記のanxious

半世紀にわたる半生での藩政を反省

つくえのなかのつくねつくね

清朝と慎重に貿易

タンチョウが単調増加

I screamed Ice cream

ショック死内親王w

カルカッタの石軽かった

陽気な楊貴妃妖気

彼は羊飼い執事かいw

天皇のこと知ってんのー

蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する

其方のソナタ

先王に洗脳される

永劫回帰英語回避

李鴻章交渉

粗大ゴミ醍醐味

防潮堤で膨張した傍聴人

砂漠で鯖食う鯖を裁く

あんな彼には、アンナカレーニナでも読ましとけ

筒に入った膵島

サイコロを使った心理テスト(psychological test)

ブルジョアが振るジョア

嚥下中の演歌歌手にエンカしてええんか?

カラシニコフが辛子個踏んだ

継嗣の形式を軽視する警視

皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂

にようかで酔うか?

うるさい人が売るサイ

無印商品の店を見つけた人「この店舗ノーマークだった..」

乳母が食べるUber eats

どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人

透徹した饕餮の眼球

どこから見ても百貫デブの人「客観デブ

石鹸世間を席巻

チャカで茶菓を破壊

多分風光明媚maybe)

slimyなすり身

ゆうほど広くない遊歩道

いにしえのイニシエーション

コーランをご高覧ください

ゲーム最下位から再開

UNIXが使える宦官(eunuchs)

盆に得るボンボニエール

K殻の傾角を測定する計画

協賛した共産党員に強酸をかける

負けたのは聖者の静寂のせいじゃ

裏地見るウラジミール

カミオカンデの上に紙置かんでw

大会がおわり倦怠感を感じる

椅子噛んでる人にイスカデル命中

クレパスクレパス落とす

夕暮れのユーグレナ

heおじいちゃんsheおばあちゃん

さくらんと聞いて錯乱

後宮の佳麗な高級カレー

臭いサイと腸臭い人が直裁的に話す

会社膾炙する

歯科医師会の歯科医師か司会か分からない鹿

ストライキをする公務員に呼びかける人「 Stay calm公務)」

ベビーシッター叱咤

エド・はるみの穢

祭壇を裁断

怪獣に懐柔策を提示

腐卵ダースの犬

独島独特のドクトリン

テスラは手すら認識できない

小作コサックダンス

刑事デカダンスな踊り

全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」

族→希ガス電子配置→酸化

四苦fuck

都バスが人を跳ね飛ばす

経帷子を着て強化扉に突撃

怒るカロテン「なにカロテンねん」

内地ナイチンゲール

嫌がる慰安婦「いやんっ」

かえるがえる帰る蛙

什器重機破壊

沈厳な青梗菜

トリコロールの虜

布陣を組む夫人

栗けっとばすクリケット🦗

婉容と遠洋漁業

アタナシウスキルヒャーとあたなう

アマルガムで余るガム

ハラスメントの疑いを晴らす

滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない

他意はないタイ人の鯛の態度

鯛が蛇足

有象無象意味を、象がいるかいないかだと思ってた人

ダジャレではない↑

割と面白い

ハラッパーの原っぱ

ハラッパーのラッパー

ウランを売らんウランバートルとバトル

紫に関して思案を巡らす

遺影イエーガーマイスター

市井の人意見を聞く姿勢

NATOの人に納豆食わせる

いすみ鉄道椅子見る

Hulu夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流

板橋で板バシバシ叩く

敬語が使えない東野圭吾

秘書の卑小な飛翔体

小動物衝動で焦と化した小豆島照度

姥捨山Uber eats

下調べのムニエル

からないので

淫乱大王、ハメハメハ大王

Evian海老が混入しているのを見つけた人「エビやん」

意味ない諱

よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」

どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」

タピオカが好きなジャン・コクトー黒糖ぢゃん」

計算ができない人

佐渡サドサド

着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」

駅にいる料理人調理するエキノコックス

初めてSMプレイを見た人「縄文式器みたいですね」

enough、enoughは工夫がenough

なんでもパアになるホテル「パアホテル

負け負け山(カチカチ山)

薬師丸せま子

エイリアンスペル間違えるとかありえんわ

細野奥道という名前なのに、俳句を全く詠めない人

ぶん、ぶん、ぶん、ムンジェイン (はちがとぶのリズムで)

トーマス・マンの書いたふるさとうさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」

モーラ網羅

イスラエルキブツ 損壊

その心は

イスラエル集落キブツというので、器物損壊とかけた

ビンテージの瓶提示

帽子御法度

双生児の豚のソーセージ

敬虔ネモ船長「海底万参る」

回折格子解説講師

妊婦ニンフ

焼結が猖獗を極める

これはstaleだから捨てるか

十階で十戒を十回、述懐

モンチッチ門地

衒学的な弦楽を減額

ウラジオストクで裏地をストック

完全な勧善懲悪

カッパドキア河童「ドキァ」

ホーキングの超法規的なホウキ放棄を蜂起

イボ人の疣痔

イブに慰撫

江戸知らんエドシーラ

べたべたなベタベタ

(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)

ダマスカスで騙すカス

盲いるのに飯いるの?

医師意思で石で縊死

アーヘンで阿片を吸った人「あー変」

毒吐く独白

明借りるアスカリ(車)

深見東州の深み踏襲

丁寧な砂浜「Could you九里浜」

ゴーンと奉公

その心は

ゴーンの出国の手助けをしたこと奉公とかけただけ。

サンクチュアリに山窟あり

熟れたウレタンは売れたんか?

清澄な声調を静聴し成長

プエルトリコで増える虜

仏典で人をぶってんのか

象さんを増産

ケイト・モス毛糸燃す

兄弟が今die

乱暴ランボー

卑劣漢がヒレつかんだ

カレー(Fr)の彼のカレイカレーは辛え

弘法と公房が工房で攻防し興亡

Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす

レイブンクローの例文苦労

galleristのギャラリスト給与リスト

ソフィカルのソロカル

麻雀をやり過ぎた人「リーチ飜で理一E判」

美人局に筒持たせる

十把一絡あげ

monotonousな物と成す

京都弁を話すビルゲイツ MSどす

篤信な特進が涜神を得心

これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。

クートゥを食うとぅいいよ

楊貴妃渓谷で警告

マイソールで昧爽に埋葬

ドクサは毒さ

暗殺で朝死んだ

クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」

凛々しいリリシズム

衛生的な俳人

東州が東周踏襲

シンシナティ真摯紅茶

御髪も亂とはオクシモロンだ

コロナ後の世界分析する学問→postcoronialism

和尚王将に鞅掌し往生

影響が色濃いイロコイ諸族

あてのあてないアテナイ

ウイグル人野原しんのすけクレヨン Permalink | 記事への反応(0) | 22:23

2023-01-22

友達ミソジニーになったので逆張りしたら幸せ生活を手に入れた

幼少期から転勤を繰り返し、コミュニケーション能力が周りよりも著しく低い(例えば突拍子もないようなことを喚く、声が大きすぎるなど)のでいじめに遭い不登校になった。

体型は太く、モテるなどとは無縁の生活のまま中学に入り、軽い気持ちで(当時ミスフルが好きだったので)中途半端気持ち野球部に入ったら運動神経ゴミカス自分は誰よりもトロく鈍臭く、馬鹿にされ続けた。もちろん学校カーストなど推して知るべしといったところ。

高校に入って卓球部心機一転と思ったが三年生最後大会同級生の中で自分けがスタメン落ちするというカスっぷり(しか同級生のうちの一人は自分よりも練習に来てなくて態度も悪かったのに、自分は選ばれなかった)。中学の頃好きだった身長が小さくてか弱そうな子に告白したら想像したこともないような声で否定されて次の日から学校で噂されたりなどもした。

勉強は親のスパルタ教育でアホちゃん自分の頭でもなんとかそれなりの大学には入れ、しかしその大学でハメを外しすぎたか所属した部活動でも問題児扱いされ、同級生からガチめに説教されるなどのことをされ、もちろん彼女など出来ず夜な夜な画像サイトでシコり倒すと言う毎日であった。

そんな増田にも理解のある同性の友達がいた。彼は自分よりも異性の交際に長けており、彼女もいた。その彼女とのアレコレ(彼女大型犬用の檻に入れて一日監禁プレイした、ノーパン大通りを歩かせたなど)を聞かされたりなどし、妬ましいという気持ちもあったがアニメオタクであり、当時のアニメの話を語り合うことができる本当に唯一と言ってもいいほどの大切な友達だった。

あの声優いいよね……とかそういう会話を何気なくできる存在は彼だけだった。彼には自分童貞部活では置いてけぼりにされているという情けない話も言えた。大抵彼は「よっ、アスペルガー」と茶化していたが、その茶化しが本当にありがたくて涙が出てくるほどに嬉しかった。彼も性病を患っており、二人で「アスペ性病コンビじゃ」とかなんとか言って笑い合ってた。

そんな彼が、ミソジニーになった。

きっかけは彼の就職だった。自分理系大で院に入ることが決まっている頃で、彼は大卒就職活動中だった。彼は活動がうまくいかず、イライラが目に見えてわかるほどであった。彼女エロい話を露骨にしなくなったので、多分その頃には別れていたのだろうと思う。

そんな彼が、会うたびに女がいかに恵まれいるかという話をするようになった。会話の中身はテンプレみたいな話なので割愛するが、ともかくそんな話が会話の大半を占めた。

アニメの話はピタッとしなくなってしまった。

あんなに彼が愛していたはずの女性声優ですら貶すようになっていき、流石にうんざりするようになった。自分はただ好きなコトを話して盛り上がりたいのに、投げかけれる話題は常に怒りで満たされていた。

彼との付き合いは自然と少なくなってしまった。会っていてもストレスが溜まるだけだから。一緒にミソジニーになりかけた時期もあったが、彼からは「童貞が女の何を知ってんだ」と言われ、一緒の道に進むことすら拒まれた。

そしてなんとは無しに、ミソジニーの反対のことをするように心がけるようになった。ミソジニーの結果の彼の姿を見たからと言うのもあるが、ややヒステリー気味でもあったと思う。とにかくああなりたくない、という強迫観念のようなものに取り憑かれた。唯一の友達を失ってしまったというショックもあったと思う。好きなオタクの話で盛り上がって楽しかった思い出が、ミソジニーというものに全部奪われたという被害者意識があったのだろうと思う。

その頃から女性がかかえる問題をやんわりと「そうなんだ」という感じの気持ちで捉えるようになった。女性専用車両など、まあ必要なんだろうなという受け取め方をするように心がけた。特に夫のちんぽが入りませんという本を読んだ時はかなり心にキた。親に支配されて苦しんでいるというのは女性にも同じなのだというのを知ってそれがすごい嬉しかった(当時は親が本当に憎かったので、同族がいたという嬉しさもあったと思う あんまり友達とか男性同士で親が憎いとかそんな話はしないので まあそりゃそうだという話だが)。

とは言いつつも結局就職まで彼女なぞ出来ず、女性の苦しみに共感する童貞という訳の分からない存在のまま何年かが経った。

これまでの振る舞い方を大きく見直して社交的な態度を取るようになり、今は会社の同僚と旅行したりするほどのコミュニティ形成力を築けるようになった。

そして数年前に結婚相談所女性交際し、結婚した。交際から結婚生活まで、あの時の唯一の友達ミソジニー全開で喋っていたことの全てを逆張りした結果、存外なほどに良好な関係を維持している。元々アホアホな性格だったので、自立しているしゃんとした人と結婚したいと思っていたので、その通りの人のおかげでもあるが、家事や体調のケアなどをするとありがとうと言ってくれたりして、互いに支え合うということができている。

こんな未来はきっと、ミソジニーの彼は思い描けなかっただろう。元々女性軽蔑しているのだから、何か女性側に不備が一つでもあると憤りを隠さずに喚く。どんなに優れた女性が目の前に現れても、優しくて愛嬌のある人でも、彼の目には全ての女性が劣って見えるのだろう。

そんな色眼鏡を持たないでいられたおかげで、自分は今の嫁の個性を、性格を、人格を、心から受け入れられる。

ミソジニーになった彼へ。

ありがとう

俺は幸せになる。

2023-01-19

旗振り当番。

 今朝は旗振り当番だった。七時五分に家を出た。たぶん、その五分後には旗振りポイントに着いていたと思う。

 本来は七時二十分から四十分までが当番の時間なのだが、以前は七時に到着しても最初に通過する子供たちは既に通過した後というのが常だったので、決まりよりも早くからつのが習慣になってしまった。ここ二年ばかりは、年度初めの保護者会で、役員の人たちが「子供たちを旗振り当番の時間よりも早くに登校させる事がないように」と強い口調で保護者たちに言い聞かせている。その甲斐あってか、子供たちが先を争うようにして七時頃に旗振りポイントを駆け抜けて行くという姿は、あまり見られなくなった。

 子供たちが来るまで十分くらい、押しボタン信号の下で立って待つ。その間、鳥を見て過ごすのが好きだ。今日はほんの数羽しか見かけなかった。電線に留まったキジバトスズメカラスは声は聞けども姿は見えず。そして、あまり羽を広げて羽ばたかず、水面すれすれを跳ねるトビウオの様な動きで飛んでいった鳥。

 子供たちはまだかと、視線住宅街の中に向けたところ、どこからキジバトの特徴的な鳴き声が聴こえた。どこからか、というか、顔を上げればすぐそこの電線キジバトがまだ居るのだが、それと鳴き声とがすぐに結びつかなかった。鳴き声が家々の壁に反響しているのか、どの方向から聴こえて来るのか判らなかったのだ。電線キジバトを目を凝らして見れば、その胸の辺りが鳴き声に合わせて膨らんだり縮んだりを繰り返しているのだが、鳴き声がそこから聴こえて来るようにはどうしても感じられない。ほんの数年前までは、鳥のさえずりを聴けばどこで鳴いているのか大体見当をつける事が出来たのだが、今はそれが出来ないのだ。これも老い兆候なのだろうか。声は聴けども姿は見えずのカラスも、意外と見える所にいたのかもしれない。

 子供たちは予定通りに七時二十分頃に現れた。いつもどおり、四人ほどのグループを作って、こちらが挨拶をすればちゃんと応え、悪ふざけもせずに横断歩道を渡っていった。最近、この地区転入してきたばかりの家の子と思われる、中学年の女子が混ざっていた。どうやら親のどちらかが白人であるらしく、日本人離れした顔立ちをしている。この子には背の高くて顔立ちのよく似た兄がいるのだが、兄の方は姿が見えなかった。前回の当番の時は、その男の子けが早くに旗振りポイントを通過していったので、今日も私が旗振りに来る前に通過したのかもしれない。

 三十分になる前に、地区の子供たちは皆通過していったので、十分早いが帰る事にした。私の家は地区の外れにあり、地区の外側を取り囲む大通りを通って帰る方が早いのだが、旗を次の家に回さなければならないので、地区の内側の道を歩いて帰る事にした。実は今日本来はうちが旗振りの当番なのではなくて、うちの次の家と日を交換したのだ。本来はうちの次に当番の回る家はうちの斜向いの家なのだが、今日は次の次の家に回さなければならないということ。その家は地区の内側のちょっと入り組んだ場所にある。

 自分の住んでいる地区なのに、地区内を散歩でもするように歩くのは、かなり久しぶりだ。下の子供が小学校に上がったために、頻繁に散歩に連れ出す事がなくなった。一人でぶらぶらと歩いていると不審者かと思われて警戒されてしまう。ここは田舎だが、都会と同じかもしかするとそれ以上に近所の人達との交流希薄だ。昔、東京新宿の外れに住んでいた事があるが、その時の方が同じマンションに住む人達と顔を合わせれば挨拶ぐらいはしていた。今は、すぐ隣に住んでいる人達ともあまり挨拶を交わす機会がない。道やゴミ集積所で行き会ったとして、こちから挨拶をしない限りはお互いに無視して通り過ぎる事が多い。

 朝八時前だが、既に住宅街はひとけが乏しくしんと静まり返っている。人の気配がないとスズメも寄り付かなくなるので、たまにカラスや季節の鳥が鳴く以外は、本当に静かなのだ。歩きながら家々の外観や植えられた草花を見て歩くのが好きなのだが、この地方出身であるうちの配偶者は、そうやって人の家をジロジロ見るのは恥ずかしいし喧嘩売ってると思われるからやめてくれと言う。

 今はパンジービオラしか見られる花がない。山茶花や椿も季節の様な気がするが、さっぱり見かけない。かつては美容院だったらしい民家の軒先には、以前はよく何かしらの花の植わったプランターが置かれていたが、今はなかった。その先の家はここ数年に建てられた新しい家で、郵便ポストの下にレトロな薬缶が置いてあり、その口からパンジーの花が今にも溢れ落ちそうな格好で顔を出していた。そのまた先の家も比較的新しい家なのだが、敷地道路よりも高く、玄関口が階段数段分のところにある。そして最近の家だったら駐車場に使いそうな空間木造屋根を建ててある。屋根てっぺんが家の一階の天井の高さくらいのところにある。そして屋根の下には盆栽がいくつも並んでいた。盆栽棚だけの為に建てられた四阿だったのだ。見上げないと盆栽棚があると分からないので、ずっと気づかなかった。盆栽は、よく手入れのされた松や真柏のようだった。

 この辺は、まだ昔ながらに大谷石ブロックで出来た高い塀をめぐらした家が多い。そういう家にはいわゆるシンボルツリーではなく、豪農の家の庭のように見栄えのいい庭木が植えてあるのが見える。本職の植木屋によって剪定が施されたものだ。最近まで、本職の植木屋仕事というものに興味がなかったのだが、気をつけて見てみるとプロの技は本当に凄いんだなと思い知らされる。太さのある枝毎に丸い形に剪定されている木があるが、それらの丸の内側には葉があまりない。何故かというと、木の葉というのは日に当たる所しか機能しないからだ。それでも、夏場の木は内側だろうが外側だろうが所構わずに枝葉を生やす。そのまま手入れをしなかった場合は枝がごちゃごちゃに混み合ってしまう。植木屋は、内側を向いていてどうせ育たない運命の枝を優先的に切り落とす。だから手入れの行き届いた木の場合、樹形の外側にだけ枝葉があって、内側は綺麗に空いているのだ。そしてどの葉にも適度に日が当たるようになっている。

 ブロック塀だけでなく、生け垣敷地を囲う家も結構ある。生け垣プロ剪定したものと、家の主が自前で剪定したものは違う。プロ剪定した生け垣は、横から見ると緩やかな形のAの字になるよう剪定されているのだ。それは、頂部を強く剪定すると樹高が高くなりにくいという樹木性質を利用した、樹形管理方法だ。また、下の方の枝につく葉にも日が当たるようにするためという理由もある。一本の樹木は、葉で合成された養分によって主幹を養っている。ところが、その枝はといえば、他の枝で作られた養分を回してもらって生きるということが出来ない。枝は自らが生やした葉で作った養分で食べて行かなければならないのだ。という事は、日の当たらない場所に生えた枝は、樹全体がどんなに繁茂していても生きられない運命なのだ。自らの葉から養分を得られないためである。つまり生け垣のように上から下まで葉を繁茂させないと格好のつかない樹は、下の方の枝を長く、上部の枝を短く剪定して全ての葉に日光を当てるよう剪定すべきなのだ。それで、緩やかなAの字の様な形にするという訳だ。

 旗を次の当番の家のポストの下に置き、家に帰った。

 洗濯物を干す前に、昨日買ってきたばかりの紅目木のミニ盆栽剪定し、育苗ポットから駄温鉢に植え替えた。まだ植え替えの時期ではないが、週末には寒波が来るというので、水はけの良い土に替えて、厚みがあって保温性のある鉢に入れたかったのだ。

 道具を片付けて水をやり、しばらく紅目木を眺めてボーッとしていた。ぼんやりしているのは、何かに夢中になっているときよりも案外脳みそがせわしなく働いていて良くないらしいのだが、スマホを見て過ごすよりはまだマシな様な気がする。

2023-01-06

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

anond:20230105210423

俺は酒も飲まないし、飲み屋ごと規制すればいいんじゃないかな。俺は別に困らないからさ。

酒もタバコ禁止しちゃえよ。悪影響しかないと科学的にも証明されてるんだからさ。

新宿とかあの辺ってさ、普通に子供が塾や通学ですぐ側を通るんだよね。この季節だと既に薄暗い夕方に、カバン背負った子供があの辺をひとりで歩いてるの見ると本当に心配になるよ。

ホストとか以前にさ、「酒という合法ドラッグ摂取する場所」が堂々と大通りにあること自体異常だと思った方がいいと思うよ。

2022-12-14

anond:20221213224233

公園隣接住人の増田の話、n=1だから議論にならない、とか書いてる奴がいるから同じく公園そばに住んでいる私の経験も書いておくわ。

前提

東京23区内の中規模の公園に隣接したマンション居住

・隣のビル保育園あり

どんな音が聞こえるか

子供の声

在宅ワークをしているが、平日は午前中と夕方(15時〜17時)、土日は12時〜17時そこそこ聞こえるが不快ではない程度。

しろ和むまである

泣き叫んでいたり大人子供に怒鳴っていたりする声がほとんどないからかもしれない。

平日は隣の保育園児が遊んでいる声がよく聞こえるが、保育士コントロールしているので全く気にならない。

運動会10月土曜日は近隣の幼稚園保育園が週替わりで使ってるな。23区内の幼稚園保育園はまともな園庭ないくらい狭かったりする。

モールで見かけるようなクソうるさい親子連れみたいなウザさは全くない。

大人草野球練習

これはうるさい。土曜の朝8時頃〜10時まで野太いおっさんの「おー」という声が響き渡る。

まりにもうるさいので当該の野球チームに朝早い時間は声出ししないで練習してくれ、と言いにいったことがあり、その時はすみません、と謝られたが状況は変わらない。

野球って、あんな終始叫びさないと練習できないのか。アホじゃなかろうか。

動物関係

カラス夕方まあまあうるさいが慣れた。

猫→何故か猫がいない公園。犬の散歩が多く、しょっちゅう犬がいるせいかもしれない。

ハト→隙を見てベランダに巣を作ろうとするので春先は水鉄砲でバトルしている。

迷惑な人たち

スケボー→夜中にスケボーの音がうるさい。

オリンピック後は特に酷かった。

何回か警察通報したが効果あるのか知らん。

公園対策としてコーンを置いたり注意書きを書いたりしているが、障害物があったら余計やるんじゃないの、と思ったり。

寒くなってきたらいなくなり、今は静かである

楽器演奏→一時期ヘッタクソなサックス練習する奴がいた。

いつも同じところで間違えるので聞いてて勝手イライラしていた。

辞めたのか誰かに注意されたのか、最近はいなくなった。

酒盛りするパリピコロナ飲み屋が開いていなかったころ、公園で深夜まで酒盛りをする男性グループがいてうるさかった。

ノリからして学生外国人

大家さんと世間話してたらその話になり、シェアハウスが近くにあるのでその住人じゃないの、と大家シェアハウスにカチコミに行ったらピタッとやんだ。

最後

公園の隣に立地しているが大通りにも面しており、夜間の道路工事の方がよっぽどうるさい。

あと子供よりも大人の声がうるさい。特に酔っ払い。桜の時期に花見で飲み食いする大人グループとか勘弁してくれ。

長野の件は子供よりも酒飲んで騒ぐような若い大人がいないか相対的子供が悪目立ちしていると感じる。信州大学教授らしいが本人は信州大のそばに住んでないだろう。

ちなみに一番うるさいのは公園でも工事でもなく、隣のマンションに住んでいる頭のおかしオッサンが一日中1人でキレまくっている怒鳴り声である

〇〇新聞のやつがどうとかこうとか、被害妄想なのだろうか。隣のマンションの住人なのにここまで聞こえてくるのは相当なものだ。

深夜におっさん叫び声を聞く方が子供の声より100倍不快だ。

2022-11-22

[][]最近ランチ

和食

鶏肉居酒屋

親子丼竜田揚げチキンカレーサラダ豆腐みそ汁などがついていて全体的なバランスがいい。また、季節後の限定メニュー豊富で、夏には汁なし担々麺、冬には麻婆豆腐がある。

しかし、近頃の値上げのあおりを受けて告知なく二百円ほど値上げ。店の前のメニュー撤去したうえでの行為だったので、店に入ってから慌てることになった。

かつ丼屋さん

卵はなしでヒレカツエビフライをのっけた丼。オニオンドレッシング付きのサラダみそ汁がついてくる。米がちょっと多いので少なめにして頼むとちょうどいい。最近ちょっとした米の量ですぐに満腹になり、午後が眠くなってしんどい。加齢か?

二階にある海鮮屋さん、その一

一年近く行っていない。刺身もあれば唐揚げもあり、シラス丼もあるが個々も米の量が多い。天ぷら丼もあるがそこまでおいしいわけでもない。

二階の海鮮屋さん、その二

ここも一年近く行っていない。八百円ほどでコロナ禍のときもしっかり営業していたが、なじみのお客さとの会話でこんなことを言っていた。

大将、夜間営業ダメになってどうやって採算取ってるの」

「こっそりやってるんだよ」

コロナ禍でナーバスになっていた自分はそれ以来足を向けていない。もちろん死活問題から責めるつもりはない。

二階の海鮮屋さん、その三

唐揚げとお刺身のお店で、おいしいが量が少しばかり多すぎる。

よほど空腹でなければいかない、というかここ一年近く行っていない。

会社ビルの地下の定食屋さん

割高で落ち着いた雰囲気。高級居酒屋の昼営業

一度高めのうどん寿司てんぷらのセットを食べてみたいと思っていたが、ランチ営業を取りやめてしまったらしい。

マグロ屋さん

前はステーキ屋だった。

質より量といった感じ。同僚と行ったがあまり好きではない。

蕎麦

田舎蕎麦屋さん

太い麵と濃いめんつゆが特徴。ここ最近は千円以内で収まるちくわ蕎麦ばかり頼んでいる。そろそろ飽きてきた気もするが、時折無性に食べたくなる。このあいだは久しぶりにあたたか蕎麦にしたが身体が温まって幸せだった。大盛りが無料なのも嬉しい。そろそろ年齢的に大盛りが厳しくなってきた気もするが、天ぷらがいっぱい載っているのでその分蕎麦が欲しい。

ちょっと遠い蕎麦屋さん

ランチ営業の日程が安定しない。以前は単品で蕎麦を頼めたが、最近は丼と蕎麦のセットだけになってしまった。炭水化物は好きだがこれだけ多いとちょっと辛い。

立ち食い蕎麦屋さん、その一

立ち食いだけれども蕎麦香りがいい。天ぷらは少し硬いがおいしいし安い。

ただ、たくさん天ぷらを乗っけると千円を超えるので、それなら前述の田舎蕎麦屋さんのほうがいい。

立ち食いそば屋さん、その二

チェーン店で味に不満はないがどこか安っぽい。現に安くてそれなりの味だが、麵つゆが濃すぎる。

立ち食いそば屋さん、その三

いつもラーメン屋に行く前に通っていてスルーしている(重言)。春菊天ぷらがおいしそうだから今度行ってみよう。

うどん

讃岐うどん屋さん、その一

全然行ってない。さっきのチェーンの立ち食い蕎麦の店もそうだが、ランチではゆっくりしたい。食べたらさっさと店を出るというのは、気持ちゆとりがない。ランチ先で食事が来るのを待ちながら本を読むのが幸せなのだ

讃岐うどん屋さん、その二

前回言及して以来、二回目は行っていない。

ラーメン

とんこつラーメン屋さん

いつもバリ硬にしていた。半年ぶりに行ったらまたメニューが変わっていた。段々しょっぱくて脂っぽいものが食べられなくなりつつある。店員さんちょっと不愛想だったし。

家系ラーメン屋さん

店が移動した。確か青菜を大盛にできるオプションがなくなっていた。

代わりに野菜多めのセットがあったので頼んだらニンニクたっぷりだったのでブレスケアを買う羽目に。おいしいことはおいしいが、やっぱり濃いものが食べられなくなりつつある。

九州ラーメン屋さん

おいしいが外に席があるのでこれから寒い

エビラーメン屋さん

もうすっかり足が遠のいている。

その他のラーメン屋さん

たくさんあるが最近ランチを軽くしたい気分。

ところで、地下街で高級ラーメン屋さんのイートインがあったので食べてみたらおいしかったけども想定外に高かった。

中華料理

パンダ印の中華屋さん

以前はラーメンを頼むとチャーシューが本格的だと呟いた。それに焼きそば酢豚春巻きなどが楽しめていた。しかし、ここもまた値上げのあおりを受けて百円から三百円(!)の値上げ。店員さんが親切なのに足が遠のくのは残念だがやむを得ない。

春雨麺屋さん

好きな食材を選んで投入し、辛さを選べる。食材を選ぶ楽しみはあるが、そこまで春雨が好きではなく、代替の卵麺もすごくおいしいわけではない。注文してから早く店を出たほうがいい雰囲気なのもリラックスできないし、そのうえ職場から遠い。

歩道橋向こうの中華屋さん

一度しか行ったことがない。パンダ印が高くなったから今度のぞいてみるか。

歩道橋脇の地下の中華屋さん

同僚と行ったが安いがそこまでおいしいわけではない。

エレベーターであがる中華屋さん

ちょっとべちゃっとしているけども春巻きとか餃子が食べられたのは嬉しい。

タイ料理

表通りのタイ料理屋さん

汁なし麺がおいしい。ただし脂っぽい。だから最近は頼んでいない。サラダキクラゲがあまりきじゃないし、デザートに苦手なトウモロコシが入っていることがある。ただし百五十円追加でスープをトムヤムスープアップグレードできる。これがおいしい。

裏通りのタイ料理屋さん

店長らしいおばちゃんが親切でたまに大盛りにしてくれる。タイカレー鶏肉がしっかり入っている。タンパク質が欲しいときカオマンガイガパオライスにする。ただし、米が結構多い。

後、最近デザートが甘すぎると感じることがある。ココナッツミルクタピオカらしきものが入っていておいしいのだが、満腹になりすぎる。仕事が疲れてきた頃に食べられるといいのだけれども。

虎印のタイ料理屋さん

元は雀荘らしい。店内にその名残で雀卓と麻雀牌が置いてある。QRコードで注文する。

ガパオライスの味がより辛いというか、中華の醤を使ったような味でおいしい。鶏だしのスープはお替り自由。意外と女性客が多い。職場人間関係愚痴がたまに聞こえてくる。

ベトナム料理

フォー屋さん、その一

牛肉フォーがおいしいし、生春巻きもおいしい。ただしちょっとしょっぱいかな。

バインミーベトナム風サンドイッチ)が結構おいしい。

フォー屋さん、その二

田舎蕎麦屋さんの側にある。ここもバインミーがおいしかった覚えがある。

カレー

二階のカレー屋さん

おじさんがやや不愛想だが親切。シャイなのかもしれない。

遠いのと別の店を見つけたので最近行っていない。

地下のカレー屋さん

タイ料理も出すが、味はいい加減ではなく、タンドリーチキンビリヤニも出す。ゆっくりできる店。

でも最近ナンですごくお腹いっぱいになる。

ネパール料理屋さん、その一

郷土料理のセット(ダルバート)が食べられるのはポイントが高い。ラムカレーもヤギカレーもおいしい。

セットだと豆のスープお替り自由

ただしここも若干の値上げをした。

ネパール料理屋さん、その二

新しく見つけた店だ。中東風の揚げ餃子シシカバブだけのセットがあってユニーク

嫌なことがあったときにはよくこの店で食べている。

羊肉専門店で夜間には羊の脳の料理を出すという。BSEとかあったので心配になったが、スクレイピーがヒトに感染した事例は知られていないそうだ。

大通りむこうのカレー屋さん

古き良き欧風ビーフカレーが食べられるがいつも混んでいる。

少し脂が多いか

昭和歌謡流れるカレー屋さん

カレーの周囲にいつも南アジア風の漬物がついているので味に変化があって飽きさせない。

日替わりカレーがあるのも嬉しい。

ここもビリヤニがあるが量がランチにしては多すぎる。

歩道橋向こうのエレベーターであがるカレー屋さん

ラムカレーはおいしいが、遠出するほどではない。

韓国料理

二階の韓国料理屋さん

サムゲタンビビンバがおいしいが、いつも混んでいて店に入るのに五分以上待たされるのがつらいので最近は行っていない。

大通りむこうの韓国料理屋さん

おいしいがテーブルの上が脂っぽく、ビビンバはもうちょっと肉が欲しい。

地下の焼肉屋さん、その一

一人焼肉に適しているし、同僚を連れて行ってもよかったのだが、ランチ営業をやめてしまった。

地下の焼肉屋さん、その二

ここも一人焼肉ができるし、焼き肉丼のセットもある。おいしいが焼肉屋さんその一よりは高い。

立ち食い焼肉屋さん

肉が脂っぽいが良質なので胃もたれしない。ただし、立ち食い性質上落ち着かないし、良質の肉でも段々脂がつらくなってきた今日この頃

イタリア料理

シチリア料理屋さん

サラダバー付き千円ランチがなくなって数年、消費税と共に値上げし、さら価格高騰で再値上げ。もう三百円以上値上げしているんじゃなかったか。まったく足を運べていない。

格安パスタ屋さん

いいところのレストランで余った肉の端切れを使ったミートソースが評判だが、昔ほどミートソースが好きではなくなってきている。オニオンスープがおいしい。学生がよくいる。

ちょっと遠いイタリアン

職場飲み会で一度来て以来。最近全然行っていない。一年前の記事で書いて以来そのまま。

二階のパスタ屋さん

ランチパニーニだけになって以来全然行っていない。この前見たらハッピーアワーで酒を出していた。

歩道橋脇のパスタ屋さん

おいしい。サラダドレッシングが好きなのと、食後の紅茶コーヒーがつくのが高評価。同じメニューでも時間差で出してくれるとコース料理を食べている気分になって幸せ。ただし結構混んでいるので入れるかどうかは運しだい。

図書館下のパスタ屋さん

上の店が監修だったか支店だったか。味はやや劣るか。

オイスターバー

パスタも出す。味はどうだったかな。長いこと行っていない。

サンドイッチ

チェーンのサンドイッチ屋さん

チェーンで野菜を食べたいときに重宝している。最近はすぐ満腹になるのでサイドメニューポテトは省くことが多い。とはいえ自炊野菜の量にはかなわないし、タンパク質がやや不足するか。ヨーグルトとか牛乳とかがメニューにあるといいのだが。長居はできる。

さなサンドイッチ屋さん

食パン二切分のサンドイッチを売っている。サンドイッチは安いがコーヒーは高いのでおそらくそっちで稼いでいる。量があまりにも少ないので全然行っていない。

海鮮

立ち食い寿司屋さん

おいしい。特にまかない軍艦巻きが好きだ。

無性に魚が欲しいときはここのお世話になっている。ただし野菜みそ汁の中のワカメショウガだけなのが難点。

刺身屋さん

最近何となく行っていない。立ち食い寿司屋さんの魚のほうが何となく新鮮に感じる。

海鮮定食屋さん

海鮮丼にうどんがついてくる。味はまあまあだが炭水化物かぶる

その他

ハンバーガー屋さん

ファストフードじゃなくてちゃんとしたバーガーを出す店もいくつかあるが、最近は昼間からポテトを食べる元気がない。

牛カツ屋さん

おいしいが大通りを渡らないといけないので若干面倒くさいのと、幾分高い。

薬膳料理屋さん

いくつかあるが、どうしても量が少ないので辛い。タンパク質も足りない。

定食屋

ストリップ小屋の跡地にできている。ここもQRコードで注文する。

すごくおいしいわけではないが値段は安い。ハロウィンに行ったときお菓子をくれた。

カフェのお高いランチ

野菜が猛烈に食べたくなったときによかったのだが、近頃は混雑しているので断念している。

パン屋さん

高級なパンを買い、近くのサラダ屋さんでサラダを追加し、職場で食べる。たまには職場で食べるのもいい。

普段外食しているのは外に出たほうが気分転換になるからだ。弁当に切り替えても外への散歩は続けるかもしれない。歩数が稼げるし。

つぶれた店

麻婆豆腐屋さん

元々居酒屋ランチ営業だったらしいがつぶれた。

野菜カレー屋さん

日本人好みの薬膳カレーで、野菜の溶け込んだカレー唐揚げを添えて食べるのが好きだったが、コロナ禍でつぶれた。

チキンカレー屋さん

バーか何かの昼営業チキンカレー一品のみ。漬物などもおいしかったが、採算が取れなかったためか撤退

ヴィーガンレストラン

実際野菜しか出てこない料理ってどんなものかと思って足を運んだ。味はフムスやファラフェル(つぶした豆、豆のコロッケ)があり、食欲は満たされる。割高だがたまにはいい。

マダムのたまり場だったがつぶれてしまい、スペイン料理屋さんになった。営業は夜だけ。

トルコ料理屋さん

店員さんが親切で、ケバブがおいしかった。残念ながら店が移転、その後にできたのが豚丼屋さんという皮肉。ここもおいしかったがスーツ豚脂のにおいになってしまう。そのせいで敬遠していたのだが、そのせいかここもつぶれた。

これから行くかもしれないところ

筋肉食堂
国道沿いのお寿司屋さん

雑感

テレワークが増えたせいであまり開拓できておらず、同じ店をうろうろしてばかりだ。

値上げばかりでしんどい

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