はてなキーワード: スッカリとは
言っておくが、俺が言ってるのは「アンナチュラルに匹敵する面白さのドラマ」や「オッドタクシーぐらい評価が跳ね上がったアニメ」であって、「今季一番おもしろかったのはどれ?」ってことじゃないからな。
つまり、場合によってはそれは1作もないかも知れないし、何作もあるかも知れないってわけだ。
まっ、俺の耳には「マケインの作画がカワイイ~~~」がたまに入ってくる程度だから、不作だったのかなって感じが凄いけどね。
虎に翼も皆スッカリ「持ち上げていたことが恥ずかしくなる日が来るのも遠くなさそうだしこのドラマの名前を出すのはやめよう」みたいになってきてるしね。
FIREに失敗した。
金が全くないわけじゃないが、年金を貰うまで持ちそうにはない。
ケチケチ生きるにしてもあと5年、まともに暮らしたいならもう10年働く必要がある。
10年ぶりの労働だ。
古巣に戻ればいいって話に聞こえるかも知れないな。
でも俺の古巣はもうない。
潰れている。
というか、俺はもうあそこには戻りたくないし、戻れないと思う。
体力、根性、気力、人脈、執念、情報、そういったものは10年の間に全て失った。
体重もスッカリ増えたし、仕事のやり方も覚えてないし、今業界がどうなってるのかも知らん。
下積みから再スタートするにしても10年後には確実に居なくなってる下積みってのもどうなんかと思うよ。
つーかそんな窓口が50歳の人間にあるとは思えない。
しゃーないからもう異業種で探したいんだが、俺には他業種の知識がない。
普通に就職して普通に正社員してたまにちょっと同業に転職する生き方しか知らないんだよな。
近所の公的な職業訓練パンフレットには「パソコン教室・介護教室・溶接教室・ビルメンテナンス教室」の4つが並んでいる。
50歳のオッサンが今更オフィスの基礎を勉強し直しても行く先はないだろう。
老老介護の予習をするってのは面白そうだけど、面白いとか言ってたら怒られそうだし、なにより俺に体重80kgのジジイに関節技を仕掛けるような体力はないよ。
物理的にアツいのは間違いなく溶接だろうが、転職市場の熱量はビルメンの方が遥かに高いイメージだ。
さて、どうしたものか。
いっそ加齢臭プンプンの身体でウーバーイーツをして、「なんか変なニオイがします」ってレビューを街中の飲食店に振りまいていくか?
脳に悪いからね。
はてなは勿論のこと、漫画アプリやゲームの攻略WIKI、果てはヤフコメ、Xでのクソリプ、様々な100文字コメントによって承認欲求を荒稼ぎしていたよ。
だが虚しくなった。
荒稼ぎしたはずの承認欲求が数時間後にはスッカリ消えているんだ。
それはまるでヘロインやニコチンのように霧のようにいなくなり、ただ乾きだけを残すんだよね。どっちもやったことないけど。
そう考えて俺はそれらを全部卒業することにした。
つうかさ、短い言葉で表現しようとするとどうしても表現の幅が狭まるからさ、結果としてどんどん頭が悪くなる気がするんだよな。
もう駄目だ。
本当ならとっくの昔に自衛隊から「いい加減イメージが悪くなりすぎるから勘弁してくれ」と三行半を突きつけられてもおかしくないような状態だ。
だが知っての通り自衛隊という組織もまた極限まで終わっているせいで「俺達はどうせ左翼に批判されるから、もう好き放題やるんだ。税金を川重に渡して宴会場でコッソリPS5を貰うんだ」と好き放題だ。
そんな両者は同じ方面に斜陽を転がり落ちているものとしてスッカリ意気投合。
お互いが腐れば腐る程に「この苦しみを分かってくれるのはキミだけだよ」と更に繋がりを濃くしていく。
そうして海上自衛隊お墨付きという旗印を手に艦これ民はいよいよ調子に乗り、そして繰り返す迷惑行為により社会からはいよいよ離れていく。
奴らはもはや誰も止めることの出来ない怪物になった。
もしも、もしもの話だが、もっと早くお前らが艦これ民に「駄目な所だけちゃんと直せば、皆君たちのことを嫌ってるわけじゃないからね」と優しい言葉をかけてやれば・・・。
目先の投石の気持ちよさばかり優先して奴らを全世界の敵として扱ったりしなければ。
本当にもう駄目だ。
というか、俺達が知らないだけでとっくにエミュ鯖プレイが当たり前になっているんだと思う。
そうでなかったら「こんなことしたら公式もいよいよビビってゲームを閉じちゃうかも」と踏みとどまらなきゃいけないラインを何度も超えられるはずがない。
止められないんだ。
今からでもまだ海上自衛隊が「コイツらはヤバすぎるので、流石に消えてもらうべきだと思いますね」と声明を出せば、ワンチャンはあったかもな。
だがもう無理だ。
少し前までクッソド田舎だった関東平野の江戸成金共が、さも当然のように「皆これからは関東と同じ言葉を使おうね!だっぺとかだっちゃとか伝わらないやんけでごわすよろしいか~?」みたいな態度で無理やり押し付けてきてるだけじゃん。
こんなの日本人という大きな括りの中で行われたから分かりにくいだけの文化侵略の一種でしょ。
たとえば今度大統領になった人がネイティブ・アメリカンに「インディアン語は通じないから使わないでね♡」と押し付けるような法律を作ったら、それは全世界からフルボッコにされて色んな陣営からやってきたスナイパーに蜂の巣にされるだろ?
卑怯なる関東人共は戦後のドサクサとかを利用してこのレベルの民族浄化をGHQと結託しながら平然とやってのけたわけだよ。
今や地元の商店がレジで方言を使うだけで「突然強い言葉で怒鳴られた!なんて失礼な店だ!」とグーグルマップで☆1をつけられるわけですよ。
「日本語の喋れない奴は日本に来るな」を、本州の一部でずっと昔から使われているような言葉、祖父や祖母から教わった昔の人が普通に使っていたその地域の「標準語」を口にしただけでぶつけられるわけですね。
まるで日本全土が「関東人」の植民地であるかのような状態じゃないですか?
その地域の言葉も知らない連中がドカドカとやってきては、関東弁をまくしたて、それに関東弁で返してこなかったら「やーやーやーこの田舎者は標準語も喋れないとは不躾な。標準語を喋ることを気取っているとでも勘違いした意識の高い田舎っぺ大将じゃけえばいっちゃ」とコケにする、いやむしろ「コケにされたと勘違いして、勘違いしたままに無作法をただ返したただけと言い張るような態度で不機嫌になる」わけですよ。
関東弁による浸食はスッカリ広がって、いまや本当に関東弁が「標準語」になってしまっている。
海外にも「クイーンズイングリッシュを喋らぬものは英国人にあらぬ」といった文化があるのかまでは知らぬが、少なくとも日本においては「見ず知らずの人に関東弁以外の言葉をぶつけるのは失礼である」という価値観がスッカリ定着している。
我々はこれに恐ろしさを感じることが出来る最後の世代やも知れぬ。
身近にZ世代もおらぬ田舎者ゆえ若人のことはよく分からんが、今時の若者はYoutubeでまず言葉を学ぶというし、関東弁を関東弁として認識する間もなく標準語だと刷り込まれているのだろう。
ゾっとしないかね?
まるでジョージ・オーウェルの書く厭世小説のような現実が広がっていないか?
お前ぜってープレイしてないだろ。
今回優勝したSEKIROもどきからして単なるアイディア勝負で「あれ?これ結局は譜面の見にくいリズムゲームじゃね?SEKIROってこんなだっけ?」とSEKIRO試しにやったら全然面白さが違って逆に本家の凄さにビビるような代物だったじゃねーか。
前々回のDAY0はタワーディフェンスの面白さを完全にスポイルした「こんなの作れるんだ凄いね」の何か。
脳筋魔法使いは面白かったけど、マジであれはここ10年ぐらいの中で奇跡の一作。
ぶっちゃけ面白かったのは悠遠物語や帝国魔導院決闘科の頃だけどこの辺りはもう10年ぐらい前なんだよね。
今のウディコンはスッカリ「有料で販売するほどじゃないようなゲームの実験場」で終わってるよ。
むしろウディコンの中で歴代でどの時期が面白かったのかを考えていくほどにフリゲの時代は終わりつつあるなと感じる。
ぶっちゃけお前も「脳筋魔法使いさいきょー!」だけでどうにかするつもりだっただろ?
ここ最近5年ぐらいはアレ以外全部ハズレだよマジ
上澄みの上澄みで言えば「◯◯(成金のオッサンの名前)コレクション」みたいな感じで自分の家の一つ美術館にしてドヤァみたいなの。
いまはそういうのスッカリ下火になって、消費活動をどんだけ頑張っても「でもお前ただ消費してるだけじゃん?」みたいに言われてしまう。
カメ子文化なんかはそういうの顕著で旅行先にかならずいる他の観光客蹴散らしながら写真取ってる連中の”傑作”も全然バズらない時代。
豊かになって消費するだけなら誰でも出来るってことがいよいよ確定事項になったからなんだろうな。
昔は一部のグルメマニアが金を出してるから発展した調理技術とか地元自慢の高級食品とかもあったけど、今はもう庶民がたまーに奮発して買い支えればいいからその邪魔になるドヤ顔マニアはむしろ煙たがられる。
昔は映画のレビューなんかも一部の批評家が持て囃されてたのが「ゆーて君は何も偉くないからね?」みたいな扱いをされることが増えて「単なるお前の価値観による評価だろ。俺はAが好きでBはクソだと感じたぜ?」で袋叩きにあってるのをよく見る。
消費活動なんて結局は消費活動以上のものではなく、本当に凄いのは作ってる側なんだって認識が広がっていくのを感じる。
それが正しいのか俺はまだ分からない。
客が買い支えてるから成立してる界隈は間違いなくあって、極端な例だとホストなんて客がアホみたいに貢ぐのやめたらあんな運営の仕方が続けられるはずがない。
金出してるやつは金出してるだけだから何も偉くないよねとなったらこの世界から消えてしまう文化って結構あると思うんだよな。
どうなるのかなこの先
厳密に言うなら、日本人がようやくパクチーの魅力に気づいて広まってくれて良かった。
一時期はタイ料理やメキシコ料理の店に行ってもパクチーが抜かれていることがあって本当にショックだったな。
カレーライスみたいな日本人向け加工の過程なんだろうけど、そこまでやったらもう別物過ぎないって疑問が凄かったよ。
今は色んな店が気軽にパクチー入れるようになってくれて助かってる。
スーパーの生春巻きやサラダなんかにも入ってきてくれるし、料理が苦手な自分でも日常的にパクチーが食べれて幸せだ。
美味しいのに食わず嫌いする人が多いんだよね。
自分も最初に食べたときはちょっとだけ違和感あったけど、二度目にはスッカリはまったよ。
」
こうするとどうなるか?
「パクチーが広まるとか辞めてくれよ……」
「好きだったタイ料理の店がパクチーバカバカ入れるようになって食えなくなったわ。お前らのせいで好きな店が潰れたようなもの」
「パクチーはアレルギー物質みたいなもんなんだから商品の警告欄に入れろ」
これを見て「やっぱ皆嫌いだよね😀」と人知れずほくそ笑むわけですよ。
わざと半分だけ間違っていることを言って完璧な正解を探すテクニックの応用ですかね。
これ特に相手が人格や法人格を持っていて誹謗中傷から起訴に発展しかねないときに有用なんすわ。
だって傍目には自分は単にチョット過剰なファンに過ぎないわけで、通報すべきアンチはそれに載っかってアンチコメ書き込んだ人でしょ?
扇動するだけしておいて無関係を装える無敵パターンの完成ってこと。
漁夫の利猟法みたいな感じですかね。
コロッセオの観客みたいな気分ですよ。
見た途端に悪いイメージがでてくるでしょ?
「醜悪」という使われ方が多くなりすぎて、「肝要」というイメージをするのがスッカリ難しくなりましたよね?
元々持っていた意味や音で使うのが難しくなっていくのが普通なんです。
ネアンデルタール人や恐竜が滅んだのと同じように、「環境に適応した」という言葉で表現される偶発的な変化の結果ですよ。
古文の授業で習った言葉なんて今はもうすっかり使われてないものばかりでしょう?
長い年月の間ずっと使われている言葉なんてのは生きた化石、シーラカンスみたいなものだと思った方がいい。
そっちの方が異常なんです。
滅びを受け入れましょう。
もうとっくにアンインストールしてるんだけど、TLから他人のポケモンスリープ情報が流れてくるの見ると「カビゴンの餌やりに1日30分も無駄にしてる馬鹿より俺のほうが正しいって証明してえ」って気持ちが湧いてきて早く寝られる。
あんなレスポンスゴミみてーなゲームぽちぽちしてるような阿呆の方が健康になってるとか人生の敗北者に敗北してる状態じゃん。
アホどもが1日5時間ぐらいしか寝てないのを尻目に「じゃあ俺は6時間寝てやるよ」って対抗心がメラメラしてる。
8時間半MAX寝る奴らには流石に勝てないって思うけど、正直この年になって8時間寝るとかえって不健康だからそれはもう諦めて「いやいや凄いね。7時間と8時間半の差なんてたった10スコア程度なのに頑張るねえ……」と褒め称えることにしてる。
ポケスリ連中は1時間半未満の睡眠はゲーム中のコスパが悪いからしてないっぽいけど、俺は毎日20分だけ昼寝してる。
知ってるかい?昼寝って30分以上するとかえって脳に悪影響があるらしいんぜ?
でもポケスリ盆栽奴はカビゴンからスコア貰うために昼寝で1時間半寝てしまう。
そして夜になってから寝付けないのにポケスリの計測は始めちゃったから必死にベッドに居座って最後には不眠症になるのさ。
俺のような6時間(+寝付くまでの30分)+昼寝20分のカンペキな睡眠バランスをセルフコントロールすることも出来ないで暮らしてるんだね。
つうかゲーミフィケーション取り込んでも睡眠時間が5時間ってお前マジで体と頭壊れちゃってるじゃんプゲラってね。
本当嬉しいよ。
今まで俺が睡眠において競争すべき相手は「毎日カンペキな時間に就寝し、寝付くまでの時間もいつも時間丁度のカンペキな自分」だったから勝てなすぎて泣きそうだった。
でも有り難いことに簡単に勝てる勝負に乗ってくれる連中が次々現れたわけだよ。
こういう睡眠計測データ送信ってのは多くの場合は得意なやつしかやらないからネットで下手に勝負しても更にボコられるだけだったのよ。
でも今は違う。
たまに負けるけど概ね勝ってる。
俺って本当に自己コントロールが出来てんだなって再確認できているよ。
楽しいなあ……雑魚をボコって自分の能力を実感するのは最高だぜ。
やっぱネトゲは勝てる側に回れないとだね。
おかげでいい気分で眠れるぜ。
寝る時にあった「やっぱ7時間半寝なきゃいけないのかなーでも床ずれするよなー」というあの無駄すぎる劣等感がスッカリ消えて健康すぎて最高なんだなあこの半月はよ。
もうアンインストールしてXでたまに検索かけて自分より寝てないやつ探すだけになったけど、マジで神ゲーだと思うぜ。
皆は頑張ってカビゴン育ててくれよな。
その時間で寝りゃいいのにな。
自分の子供は心も体も醜いなって、それはきっと親の自分からしてそうだからなんだと感じるだろうから。
河原乞食のど底辺だなんて嫉妬深い連中は口にするけど、そもそも遺伝子レベルで顔が優れている時点で、もう人間の上澄みなんじゃないだろうか。
悲しいけれど、顔の良し悪しっていうのは人間の基本性能を端的に表しているよ。
遺伝子が健康的で、身体が生まれつき左右にバランスが良く、全身の発育が健全でなければ美人にはならない。
化粧によってある肌艶なんかならある程度は誤魔化すことが出来るけど、顔の部品がキレイに配置された状態にするのは誤魔化しが効かない所がある。
人間ってのは生まれつきある程度顔が良いと自然に人格が健全になる。
生まれつきの美人だと性格が滅茶苦茶に歪むって語る人もいるけど、それは飛び抜けた美人が倫理観のない田舎に生まれた場合ぐらいだ。
顔がいい人間ほど承認がきちんと満たされた状態で人生を歩んできているから、人間として健康になりがちだ。
更にそれがアニメやゲームのキャラクターになると本当に極めて正しくて理想的でそれでいて年相応の愛らしさもある完璧な存在が出てくる。
アイマスU149の主人公たちは多様だが、それぞれが多様にある種の理想形のレールの上にいて、かといって押し固めたテンプレートではなく独立した個性を持っている。
(アンナ・カレーニナの法則が適用されるのは現実ばかりで、創作物においては醜い悪役ほどに凝り固まったテンプレの中に閉じ込められたそれぞれの工場で作られた金太郎飴になっていく。)
もしも、その姿を見ている時に、自分の子供とくらべてしまったらどんなに絶望するだろうか。
自分が育て導いた存在が醜いというのは相当なショックがあるだろう。
人間は共に高めあった相手が偉大であることをどこかで願ってしまう。
学生時代の知り合いが軒並み可能性の芽を育てきれずに冴えない大人になっていたとき、自分のことを棚に上げて失望するものだ。
伸びしろを感じた同僚や後輩がいつまでもつまらない失敗をしたり、今度は失敗に怯えていつまでも殻を破れずにいると期待した自分が馬鹿馬鹿しくなる。
自分の育てた子供、遺伝子を分け合った相手にそんな気持ちは感じたくない。
ゲームに出てくるキャラクター、カードやコマのような物と同じように、その性能(ステータス)を比べてより優れているものを好ましいだと感じるだろうし、むしろ劣ったものを誤った存在だと断ずるだろう。
人間市場の中でお互いに値踏みし合う価値観がスッカリ染み付いてしまっている。
私生活においてさえ気晴らしにプレイしていたゲームの中で、何万回と「性能が低いから」とキャラクターを切り捨て続けてきたことが遅効性の毒として自分を蝕んでいたのかも知れない。
人間はその機能を比較されるものだと完全に刷り込まれてしまっている。
たとえそれがモニターの向こうの偶像と、現実にいる我が子だろうと、関係なしにどちらに価値があり、どちらがどれほど不出来かを比べてしまうだろう。
そんなことはしたくないが、きっとしてしまう。
だから本当に思う。
子供が居なくて本当に良かったと。
その非対称性についてはどう考えてんの?
俺は古参はてなーだから「え?どっちにしろ伸びたらホッテントリにどっちも来るんだから一緒じゃん」と思ってしまうわけ。
でも違うっぽいね。
「そもそもはてなの中でやってるレスバならはてなーしか興味ないんだし」とも思ってしまうわけ。
でも違うっぽいね。
なんというか、「はてなから発展したレスバが他所での評判にも波及する」という考え方が必要っぽい。
なるほどね。
そういう発想がなかった。
だってここは便所の落書きにすぎなくて他所とは隔絶されていると思っていたから。
言ってしまえば一方通行の空間というか、テレビに対して親父が「バカだな~~」とケチつけたら次の日どっかの芸能事務所から「うちのタレントをお宅のリビンングでバカにしましたよね?もしそれがお子さんから伝搬して学校でウチのタレントはバカだって評判が立ったらどうするんですか?それが更に世界中に広がったらうちのイメージがガタ落ちですよ?昨日の一家団欒中の発言を取り消してください」って電話きたらヤバすぎてビビるじゃん?
でもそうじゃないらしいね。
なんかもうそういうのじゃないっぽいの。
まあツイッターなら分かるよ。
でもここはてなだぜ?
まさかこんな所まで来て「おい。俺の悪口言ってんじゃねえよね。誰か本気にしたらどうすんだよ」って言われるとか思ってないよ。
でも違うんだろうね。
そういう発言をする人からしたらココはもう既に渋谷交差点ど真ん中の街頭テレビで実況中継中の空間で、そこで何かを言うってことは日本中に向かって何かを宣言するような行為なんだね。
んでソレに対してのレスを小さな近所の集会所でやるのは許さないから今度は池袋交差点のテレビの中ぐらいでやりなさいよって話なのね。
俺たちそんな感覚無かったな。
隣町Aの便所に書かれた落書きへの反撃を、隣町Bでやっても、そんなのどっちにしろ便所落書きネットワークっていう地下世界通信の一部なんだからそれでいいじゃんぐらいに思ってた。
でも違うんだね。
うーん感覚がズレてきてるな。
まあ前々からちょっとした発言をブクマで袋叩きにされるのはツイッターもブコメも一緒だったから、はてなだけで考える分には何も変わらねえじゃんと思ってしまうが、それが世間に与える影響が変わったのか。
アイドルになった友達と遊びに行こうとしたら「世間の目があるから」って言われる感じで、俺たちの関係って何も変わらないはずじゃんじゃすまんくなった的な?
マジで?
はてブにずっといると漫画ビューワが好調なだけではてブの方はスッカリ落ちぶれたイメージなのにね。
そっかー。
便所の落書きについて別の便所で反論するようなことをしちゃいけない時代なのか。
便所の落書きを写メって「これこれに対して異論申し上げる」ともっとよく目に見える場所でちゃんと反論しないと、最初に目にしたときの印象を覆せないからアンフェア的な。
怖くない?
俺は怖いよ。
うまい具合に終着点を見つけた方がいいと思う。
それがないならヒートアップ合戦を最初から始めないほうがいいかなと。
やるにしても、「はてなの中で」というルールは作った方がいいような気がする。
でも一部の人には違うんだよね。
はてなで産まれた悪評がもうインターネット全土に広まった後なんだから、インターネット全土を戦場にしてどっちが正しいかの決着を着けないと汚名返上が出来ないじゃないかなんだよね。
うーん過酷だね。
そもそも喧嘩になるような事をお互い口にしないのが正解だったのかな。
少なくとも、名前を出してやってなければ負けたらそっ閉じで終わりに出来るし、その後も「どこだー!俺にレスバ負けた奴どこだー!ごめんなさいがないぞー!」で勝った側があーだこーだ言い出してもそれはそれで勝った側も痛々しいから普通はしないし安心だよね。
少なくとも半匿名。
運営以外の人間に連絡先を握られた状態でインターネットなんてやったら、絶対に負けられないレスバが発生して大変なことになるだけだよ。
気をつけなきゃね。
インターネット・テレビ・雑誌、それらの運営費用の大部分が広告費だ。
実際、あんなにも華々しいテレビ業界の業界規模(売上高)は広告業界の1/3ほどであり、スッポリと飲み込まれてしまっている事がわかる。
テレビ局にお金を払ってダイレクトにマーケティングなんてことは滅多に無く、大抵は広告業界が噛んでいる。
同じことを出版業界、インターネットの各種サイトがやっている。
とんでもない額だ。
インターネットは広告ビジネスによって成り立っているということを、Adblockを使いまくってきた自分たちはスッカリ忘れそうになる。
動画配信サイトは楽天カードマンから貰ったお小遣いで運営されているし、個人のブログはアフィリエイトを出す代わりにサイトの使用料を免除されている。
そうして生み出された巨大な広告ネットワークが相互にリンクし、広告に従ってクリックした先のサービスで今度は元々使っていたサービスの広告を見るのだ。
たとえば漫画アプリなんてこれが顕著で、まるで三角貿易のように競合相手のサービスを紹介しあっている。
顧客の奪い合いを促し、そこから利益をむしり取っていく広告業界、それに渡すための金を捻出するために自分たちも広告を掲載するという武器商人お得意の無限ループが繰り返さる。
しかし不思議なのは、よくここまでの規模になるものだという謎だ。
そもそもの話、既に大手テレビ局をいくつも維持できるほどの広告が日本中で垂れ流され、それでも足りずに更に広告が量産されている。
広告を出すことをやめれば他社の広告に埋まってしまうので広告を出し合うという広告レッドオーシャンの中に多くの企業が飲まれているのだろうか。
まさに砂漠で海水を売り続けるが如きあくどい商売の形が組み上がっているのか。
それを批判するためには自分たちはもう広告から利益を得すぎている。
全てのテレビ局にNHKと同じだけの額を払えるかと言われれば不可能だし、各サービスのサーバー維持費を折半しろと言われたらSNSなんてあっという間に人がいなくなるだろう。
ポイ活なんてことをしなくても、とっくの昔にこの世界の人間は広告が生み出す利益によって回る社会の中にいるのだ。
広告という専用の潤滑油を使い続けなければ止まってしまう歯車が各地に組み込まれてしまった。
不思議だ。
モーレツにお勉強ができちゃった李徴クン。えらーいお受験に通って、江南慰のお役人になれたのね。
ザンネンな事にカレは生来キョーレツな気ムズカシ屋の自信家だったのダ。
そーゆう性分なもンで、お仕事ついて5秒でプッツン。
よーするに「オレサマよりトンマなヤロー共にペコペコバッタしてられっかッ!」てな具合。
そいでお役所おん出て、お里トに帰り詩人になるぞとエイエイオー。
しかしマ、ゲンジツ問題、文筆業ッてそう甘かないのよね(記者のおぢさんも日夜ピイピイしてンのヨ……トホッ)。
登校拒否児もかくやのヒキコウモリで、がぜんシコシコやってみたンだけども、ぜーんぜんダメなんだなコレが。ハシにもボーにもかかンない。
ペチャンコになった李徴クン、去る日のビボーはどこへやら、スッカリげっそりフーテンルック。
一家の大黒柱たる男児がこれだもの。嫁さん、チビちゃん、困っちゃうよネ。
「いよいよマズイぞッ」てんでお役所仕事に戻った李徴クン。だけども、待っていたのはヒジョーにキビシーイ向かい風だった!
なーんと、かつてカレがマヌケだトンマだ見下した同期のサクラは、もうリッパにおエライさんまで滝登りしていたのである!
トーゼン、ヒラのヒラな李徴クンは、カレらの指差し顎差しにハイハイ従わにゃならんワケ。こりゃプライドたまンないよネ。
てな成り行きで、下唇カミカミ、ペコペコやってたカレ、ある日ついにクルクルパーになって蒸発しちゃったの。
《オワビ》
えー、ケンメイな読者の皆々様より「隴西の読みはローサイじゃなくてローセイだッ! このカバッ!」とゆーお叱りを多数頂戴しちゃったのねん。
ドーセイっちゅーねん。
ゴホン。アライザライ白状しますと、恥ずかしくもショーセイ、青空文庫からオハナシを引っ張り出してズルッコをしておりました。
全体どーして、青空クンは隴西に「ろうさい」なんてカバなルビを振っとるンだ。責任者出てこい!
……そーゆーことで、どーかひとつ。
最初に言うけど俺はまだ58なんで半分ぐらいは親父や先輩から聞いた話だ。
新入社員は規則正しい生活を学ぶために最初の5年は寮に住めという規則が合ったぐらいだ。
知り合いの自衛官が言うには今でも自衛隊はそんな感じらしいが全く令和の時代にご苦労なことだ。
社員寮での暮らしは寮監や大家と呼ばれる人によって管理され、消灯時間というものさえ設けられていた。
深夜の外出は許可制だったし、休日は会社の運動会だの職場の草刈り打なのによく連れ出された。
上司は怒鳴る蹴るは当たり前で、怒鳴っても物を投げない人は温厚と言われていたものだ。
私が入社しころ瞬間湯沸かし器のように毎日怒っていた人がいたのだが、今は定年再雇用で資料整理係をしているのだがスッカリ大人しくなって驚いている。
会社から権力を借りてくればそれこそ異性の社員だろうが同性の社員だろうが手を出してもいいぐらいだったが、逆に会社が権力を発揮すればリストラはあっという間に行われた。
サントリーの45歳定年の話なんて、昭和の価値観でいえば何もおかしくなく、当時は労働組合が煩いなんていっても鼻薬の嗅がせ方次第でしかなかった。
宴会芸で裸踊りをさせられたと話すと今の子供は驚くが、そもそもチン毛マン毛を燃やされることを拒否して出世したやつがいるものかとドヤされるのが当たり前だったのだ。
飼われているという意味でも畜生であったし、今の尺度で見れば人間としても畜生だったのだろう。
だが今の社会と比べて、会社に飼われることの安心感は強かった。
なんだかんだ言って今の世の中ではサラリーマンと言っても脆弱だ。
給料も少ないし、転職できるネタがあるんだぞと脅さなければ会社に居場所も作りにくく、そのくせ部下はやれ人権だなんだという態度が露骨にすぎる。
テレビで牧場主が家畜相手の家族ぐるみを自慢気に騙るが昔の会社とサラリーマンの関係はそんなもんだった。
会社はサラリーマンがやる気を出せるようにと気を使ってくれもするが結果を出さなければ鎖で縛ったままで殴りつけてきたし首を切るのにも躊躇なんてなかった。
今の会社はどこか他人行儀で結果を出せと語りはするがどこか放任主義で放し飼いのように感じさせる。
会社の看板を掲げることで仕事をとってきたり仕事をもらったりしてその上前を撥ねられるのは同じだが、昔は鵜飼いの鵜のように餌場まで連れて行ってもらえたのが今は餌場ごと自分で探すような状態だ。