はてなキーワード: 定食屋とは
PA05と注文してカルボナーラが出てくることが、貧しく恐ろしいという話を聞いて思い出したことが有る。
その定食屋は、日替わり定食が、A定食、B定食、C定食と呼ばれていた。
ランチタイムのA定食は、いつも唐揚げ定食だった。B定食やC定食はその時々で違った。
確か、C定食だけ100円か200円高くて、刺し身だの天ぷらだのはC定食だったはずだ。
自分はA定食が好きで通っていた。唐揚げとポテトサラダとご飯と味噌汁と胡麻団子。
A定食と聞いて思い出すのは、四季折々暑すぎたり寒すぎたり砂っぽかったり土砂降りだったり、そんな毎日の昼飯時だ。
治安は今よりも悪く、街並みもきれいとは言いがたかったが、やはり記憶の中の思い出は輝いている。
だからたぶん、あの定食屋が小綺麗な店に変わって、唐揚げ定食と、ハンバーグ定食と、刺身定食に変わったら、きっと悲しい気持ちになるだろう。
理屈じゃないんだ。俺の好きなのはA定食であって、例え同じ内容でも、クーラーの聞いた小洒落た内装の店で食べる唐揚げ定食じゃないんだ。
だから俺は、サイゼリヤがメニュー番号で発注する形式になって悲しくなる気持ちはわかるつもりだ。
ほうれん草のソテーとディアボラ風ハンバーグが食べたいのであって、AA03とMT07が食べたいのではないのだ。
でもだからこそ、DE05とDE07とを目にしたときに、胸に小さな痛みが走る気持ちもわかるのだ。
俺と彼女の目の前にあったのは、イタリアンジェラートとチョコレートケーキと呼ばれていた。でも俺にとっては違う。
ちょっとうるさくて、たまに気取ってワインも飲めて、それでもいつも最後にはDE05とDE07を頼んだ。
それがサイゼリヤの思い出だ。
俺が明日から役所で書類の上に書かれる氏名欄にHA0706と書かれることになったら、人として大切にしてもらっていないと感じるだろうとは思う。そこに理屈はない。
でももし、親からお前の真の名前はHA0706なのだよ、外では増田と名乗っても、本当はHA0706なのだよと愛されて育ったら、俺は増田という名前を借り物だと感じるだろうとも思う。
この世界は、俺の記憶と継続性が重要なのであって、誰からどう呼ばれるかじゃない。俺の思い出から呼び名が変わってしまえば、それは悲しい。
その悲しみが、資本主義の合理性の果てに生み出されたのであれば、俺もたぶん、貧しくなってしまったと嘆くと思う。
その嘆きに共感して欲しいとも思うが、一方でまた、唐揚げ定食からA定食になって悲しみを感じるヤツがいても良いと思っている。
突然だが、増田諸兄は「学生街の定食屋」と聞いてどんな店を思い浮かべるだろうか?
コロナ以前に大学に通っていた者なら、800円程度で腹十二分目まで満たせて、体育会系の学生で賑わう定食屋が思い浮かぶだろう。
しかし、大賑わいだった定食屋はコロナ禍における外出自粛に加え、オンライン授業の普及による登校機会の減少、サークル活動の停止によって客足の多くを失った。
現に潰れてしまったお店も少なくない。
そして私も、学期の授業が全てオンラインで完結したほか一時期休学していたため、事務手続きを除いて大学に登校する機会は2年間皆無だった。
さて、今春になっていよいよ卒業のために単位数を揃えるにあたり、どうしても1コマ登校しないといけないことがわかった。
ならばと思い、その授業の前の昼休みに定食屋を巡ることにした。
変わらず営業しているお店について。どうか末永く学生街に活気を与え続けてほしい。
潰れてしまったお店へ。美味しくて腹一杯になれた定食を、そして思い出をありがとう。店主やご家族の苦悩や無念さは察するに余りあるが、どうか幸せな余生を過ごしてほしい。
潰れてしまったお店は美化されたうえで思い出に永久保存されるのに対し、「変わってしまったお店」は現在進行形でマイナス感情をもたらしてしまっているのである。
久々に訪れた店で再びデカ盛りを見たときは当時のワクワクが蘇ったが、店内を飛び回る体長1cmの虫と常温で長期保存され劣化したソースによりガッカリの感情で上塗りされてしまった。
店主さんが申し訳なさそうに虫を潰している様子には心が痛んだ。こんな形で馴染みの店を捨てたくなかった。