はてなキーワード: 珍妙とは
とはいえ、それは非常に重くて全容を把握するのは困難で無意味なのよ。ジャンルが全く違うので始祖という理由で混同するのは相当危ない。
遊戯王とMtGを比較できるのは、それらの誕生時期が似通っているのとルールに類似性が見られて同じジャンルに属しているからだ。
ボードゲームとカードゲームは似ているけど系統は違う。わざわざジャンルで分けているのはそういう始祖や系譜で揉めるからでもあるんだよ。
例えば、ヴァンガードはカルタの坊主めくりに着想を受けているとされるけど、ではヴァンガードの始祖をカルタとはいえないでしょ?
この手のジャンルにおける始祖の問題っていろんな方面で議論になるけど、ぶっちゃけどこも「どうでもいい」って思ってるよ。過激派はいっぱいいるし、おれも素人の珍妙な考察には苦言を呈したいけどさ。そんなのキリがない。もしやりたいならその方面の研究者として名をはせてからにしようと思ってる。
まぁ普通にちゃんと市長続けてたら「この人は…やるんだ!」ってちゃんと思えてもらったんだよなぁっていう
モリエホンとかきろゆひが「いやw頭悪い人にはわかんないでしょうけどw彼、頭良いですw」って言われても「そんなこと言われてもワシらはあの泥舟をちゃんと港まで着けてくれって言っただけじゃけどなぁ」ってなるだけなんだよね
そう、普通の賢い人が狂気そのものがやらなきゃいけないものに触れて賢い判断取ったから価値が下がって人気が無くなっただけなんだよね。
賢いから政治屋やらせてんじゃないの、狂気そのものだからその地域の看板やらせてんのよ。
そこがわからんからその歳になっていつまで経っても“ぼくのさいきょうのせいさく”を妄言し続けてる。『コイツ毎年ヨーロッパから面白政策の話引っこ抜いてくるなぁ、まぁコイツが評価してるヨーロッパ移民で大変なことになってるけどな』って受け止められちゃう。もう、そういうふうに受け止められちゃってる。
んでアホだとかクビにしろだとか酒飲みながら言われてた狂気そのものは今でもちゃんと地元の人間と地に足付けて酒を飲み交わして握手して時代にそぐわない地域の因習と時代の古臭い歯車とその地域に吹く風を受けながらその地域でも独特の山車を引きながら国会に向かってる。
その珍妙さを笑ってるクレバーな人は何もしてない、詐欺人生の清算を誰にもバレないようにゆーっくりやってる。
今日もその精算がバレないように誰か賢い風の人を生贄に捧げて「彼、賢いですw」を続ける。
だから、石⚪︎の価値は下がる。本当に賢かろうが政治をちゃんとしていようがどうでも良い。今やってるのは東京観光だもんな。
賢い奴は生きる為ならどんなものでも切り捨てる。
賢かったから。
逮捕されずに書類送検されたがまだ起訴されていない状態は法令用語で被疑者、被疑者と被害者を間違えないように報道機関の考慮で被疑者を容疑者と呼んでるだけ。
だから宙ぶらりんでも何でもないんだよな。決してジャニーズ事務所への忖度ではありませんよみたいな言い訳じみた記事を見た気がするが、書類送検の段階で容疑者呼ばわりしてるニュース探せばあると思う。
容疑者呼ばわりだとイメージ悪くなるから容疑者を使うなって圧かけられて、容疑者って言葉自体は厳密な定義があるわけじゃないから使わなかったんだろうけど、報道機関の矜持としてさん付けは避けたんだろうな。
その結果生まれたメンバーというあの珍妙な敬称は苦肉の策なのかささやかな抵抗なのかはよく分からん。でも芸能事務所とメディアの悪辣な絆のシンボルみたいになって結果オーライだよね。
報道では基本的に呼び捨てはせずに「さん」「氏」などの敬称や、「首相」「弁護士」などの肩書をつける
犯罪がらみになると逮捕・指名手配された場合は「容疑者」、起訴された場合は「被告」が名前の後ろに付く
しかし「逮捕されずに書類送検されたがまだ起訴されていない」場合、このルールに当てはまらず中ぶらりんになる
「社長」とかの価値中立的な肩書があればいいのだが、芸能人の場合はそういうものが無い場合が多く、「さん」づけするわけにもいかないため「メンバー」という珍妙な肩書がひねり出されることになる
なぜ呼び捨てにしないかというと、敬称・肩書をつける必要が無いやつなんだという印象を読者に与える「犯人視報道」を避けるためだ
「容疑者」は法律用語ではなくマスコミ用語であり、逮捕もしくは指名手配された場合にしか使われない
書類送検の場合一般の人ではそもそも実名報道されることはまずない、「40代会社員」「〇〇社取締役」「〇〇に住む主婦」とか肩書だけ
実名報道されるのは政治家、芸能人、スポーツ選手くらいでその時点で厳しい扱いを受けてるのである
政治家であれば「〇〇市議」とかでいいし、スポーツ選手なら「〇〇選手」が使えるけど芸能人の場合肩書がない
「〇〇氏」「〇〇さん」だと犯罪者に敬称を付けるなとイチャモン付ける奴がいるし、呼び捨てだとまた別方面からイチャモンが付く
「書類送検された人は肩書で呼ぶ」という共通ルールを無理やり適用した結果が「〇〇メンバー」「〇〇司会者」とかいう珍妙な呼び方なんである
基礎教養だと思うけどね
1984は有名ですが基礎教養ではないですね。一応私も名前やキーワードは一部知っていましたが通して読んだことは無いですし?
あなたが特殊な界隈にいるオタクなだけです。自分の知識は相手の知識ではないのです。自他境界を適切に引いてもろて。
自他境界 - https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%8B%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%A2%83%E7%95%8C%E7%B7%9A
喩えと置き換えってあなたの頭ン中(だけ)では明瞭にわかれているのかもしれませんが、
独自ルールで評価されて「まあそこまでの頭ってことよ。」とか言われても・・・
私も世間の人間もあなたではないので、まず自他境界を引いていただいて・・・
自他境界 - https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%8B%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%A2%83%E7%95%8C%E7%B7%9A
あなたの独自ルールで「そこまでの」がどこまでなのか全くわからないし尺度も指標も無いので、そんな評価を押し付けられても困るだけですね・・・
しかも、おそらくあなたの準拠してそうな「定量評価可能な値に落とし込めるか」という考え方を採用したとしても
「正の性的選好性」と「負の性的選好性」みたいな(脳内物質の分泌量や、属性と婚姻率などで定量比較可能な)学術用語とは別に
それらは"俗に" 「(正の)性欲」と「負の性欲」と呼ばれる、あるいは「俗に性欲と呼ばれるものに近い」とか、そういう考え方って理解できませんかね?
「俗にいう」っていう捉え方がどうもできてなさそうですね
・・・で、話戻すと、
ニュースピークじゃんw
どうやったらこの書き込みが出力されるんですかね?唐突な「喩えと置き換え」という切り口から思考の一端は開陳していただいたものの、ニュースピークとの類似性については語られていないようなのですが・・・
なんか2年前くらいからやけに夜中うるさく走るバイク集団がいるなと思ってたら最近は毎晩どころか昼間も走ってるし人数も増えているみたい
ここは北関東か?と思うが、そうではない人口ほぼ200万政令指定都市の平和な住宅街なんだよな
もちろん我が自治体は実質都会などではない田舎であるが、しかしこんなことでそれを証明しなくてもいいだろ
警察署の前も昭和ポップスで回る盆踊りみたいなリズムつけて何回も通り過ぎてるんだけど、おさまるどころかエスカレートしてる
くそうるせー、今も走ってる
昨日の昼間初めてその人らとおぼしき姿を見たが、シートの後ろ側をシャチホコみたいに伸ばした改造しててびっくりした
令和にもいるんやな
北関東か?いうか北関東でももうこんな人らいないんじゃないの?
爆音で集団でタンデムしてエンジンを鳴らしながら走り去って行ったのでまああの人らやろな…とわかった
そのうちの一人はめちゃくちゃ近所に住んでるのが最近わかって、休日どころか平日も1時間半に一回アパートのガレージに休憩?に戻ってくるんだけど、どうやら街中の周回コースを決めて何回も何回もぐるぐる回ってるみたい
ガレージにとめてる間もエンジンをリズムつけて吹かしてるんだよ、やめてほしい
あれは音を聞くのが楽しいわけ?それとも暴走行為に伴う爆音を他人に聞かせて威圧や威嚇が成立してると思い込むことによる愉悦を味わってるわけ?両方か?
そもそもなにしてる人らなんだろう
音には慣れてしまったものの他の街でやるか捕まるか自損事故に遭っていずれ解散してくれと思って家で仕事している
近くにもう一人70年代スタイルが好きなのかな?という感じのバイクもライダースーツもすごくクラシックなレーサースタイルのバイカーがいるんだけど、その人のバイクはでかくてもすごく静かだ
終われば街中には静かに戻ってくるだけ
こういう人とか、安藤なつさんのハーレーみたいなのには嫌悪感ないしむしろかっこいいなと思うのにね
あの人もきっと夜中の暴走行為に気づいてると思うけど、どう思ってるんだろうな
マナーのいい喫煙者が歩きタバコポイ捨て者を憎むみたいな同族嫌悪的事象ってあるのかな
暴走してる人らもぱっと見は普通で、どう見ても25才は超えてそうなんだけどしかしあんな珍妙な暴走行為をしていて、それが令和のいま初めて現れるなんてなんだかもう不思議すぎる
本当にこの辺も治安悪くなったよな
古くはMMPRPG、昨今だとソシャゲの匿名コミュニティなどにいる、なんとも珍妙な嗜好をしている人たちの話だ。
ゲームの開発や運営を「無能」「馬鹿」「エアプ」と口汚く罵るし、自分で書かなくてもそういう文言であふれた環境に平気でい続けられるが、その無能ども馬鹿どもエアプどもの作るゲームをやり続ける現象、あれなんなのだろうか。
そういうと彼らは『文句さえ言われなくなったら終わり』というような言い訳をするが、それといまのあなたの精神状態が不思議なのとは別問題である。
なぜそんなに罵倒し、嘲笑し、悪しざまに言う相手の作った最低の製品に貴重な人生と金を捧げ続けるのか、ほんとうに不思議でならない。
もちろん「そういうのも客だし、いなくなったらメーカーが困る」というのはまあそうなんだろうけど、自分は別にメーカー側の肩を持つとか利益を考えるとかじゃなく、当人たちの話をしているので。
150ml増量みたいな謳い文句がずっと書いてあったやつ。いつまで言ってんだよと思っていたけど、最近デザイン変更とともにとうとうその文言は消え失せた。
最初にペプシ飲みながら映画でも観て夜更かした時は特別な時間だったけれど、それもすっかりただの不健康な日常になってしまった。
静かな夜道に自分一人の足音を響かせながらコンビニへお菓子買いに行って、帰りに自販機でしか売ってないペプシを買う時間は嫌いじゃない。
それも深い夜にやれたら良いんだけど。ジョギングのジジイや早朝出勤の会社員が現れ始める頃合いだと漠然とした焦りがある。こんな事してて良いんだろうかって気持ちの方がデカい。
空き缶は占領面積に我慢ならなくなるまで増え続ける。限度を迎えると、近くに転がってるレジ袋に詰め込んで足元に置いておく。
こんな光景も酒の空き缶だったりすれば、退廃的な悲哀の雰囲気も少しは出たかな。
おれは人生を常にシラフで生きているけれど、酒に逃げられたら多少は楽だったんだろうか。人並みに他人との交流を持って、一杯目の生をそれとなく強要されたりして、付き合い程度にでも飲めるようになってたらどうだろう。まあいいや。
ペプシの缶が増え続け、二週に一度の回収日にはなくなる。おれの生活ってこの繰り返し。
ある朝目覚めたらタイムリープしていたとしても、おれは時間が巻き戻った事にすら気が付かないかもしれない。
昨日と同じように過ごす中で、しかしたった一つ僅かな違和感を覚える。
机に並んでいたはずの缶が無い。
冷静に事態を分析する中で、妥当に思える可能性がどんどん潰れていく。最後に残された、最も信じがたい状況を認めざるを得ない。
自分の意識だけを除いて、世界の時間が一週間ほど巻き戻されている。
金だ。
BTTF2よろしく、この珍妙な状況の利用法が真っ先に思い浮かぶ。
金さえあればこの浮かばれない気鬱な日々も少しはマシになるだろう。
株価にどんな動向があった?
どの馬が勝った?
必死に頭を捻る。何も思い浮かばない。この一週間自分は何をしていた?
何も変わらない。缶の数が減っただけ。
不意に訪れた絶好の機会を失い、先週の過ごし方への後悔は人生そのものへの後悔へと変わる。
心の奥底から湧き出る欲望を叶えるための努力を嫌い、恐れた。手軽に買える欲望で気を紛らわす。
逃げん込んだ先の非日常すらもことごとく日常になってしまう。そうして怠惰にかまける生き方にどこか酔う事でやり過ごしていたんだろ。そう自分を責め立てる。
この奇妙な出来事が過ぎ去って、しばらくは新聞に目を光らせるかもしれない。ニュースに真剣に耳を傾けるかもしれない。
でも時間が巻き戻る事は二度と無かった。
タイムリープがもたらした生活習慣は次第にフェードアウトしていく。
続けていれば超自然的な奇跡を待たずとも、大逆転ではなくとも、少しは人生が変わっていたかもしれない。
何も変えられなかったけれど、それでも得られた唯一の気付きは泥のような怠惰の中で崩れ去る。
それは結局生き方への真摯な反省ではなく、奇跡の再来への浅はかな期待でしかなかったんだろう。
多分そういう奴だねおれは。
ペプシ買いに行くか。
とある声優ラジオで韓国語を連呼していたので、Wikipediaで調べてみたら驚きの記述が。
「日本外務省および中華人民共和国外交部の公式ウェブサイトにおいては国に応じて別の呼称を使用している(韓国の公用語は韓国語、北朝鮮の公用語は朝鮮語とされる)。」
つまり、韓国と北朝鮮は国家レベルで全く別の言語を使用していると、日本と中国の政府は述べている訳なんだが、これって本当なのか?
そもそも朝鮮語のWikipediaの冒頭にこう記述されている。
「朝鮮語(ちょうせんご、(朝: 조선어, 조선말、英: Korean)または韓国語(かんこくご、(朝: 한국어)は、主に朝鮮半島で使用されている言語で、大韓民国(韓国)と
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の国語である。」
やっぱり同じじゃん。朝鮮半島で使われている言語だから朝鮮語。そこに何の疑問も挟む余地はない。厳密な韓国語に相当する英語も無いようだ(あったらSouth Korean・南朝鮮語と呼ばれる筈)。
その昔、ドイツが東西に分かたれていた頃でも「西ドイツ語・東ドイツ語」などという珍妙な言語区分は存在しなかった。ドイツ国家で使われている言葉だからドイツ語。当たり前だ。
https://www.tufs.ac.jp/ts/personal/choes/bibimbab/siru/siru01.html
↑こちらでも「朝鮮半島で使用されている言語は実は1種類であり,その言語を日本語では「朝鮮語」とも「韓国語」とも呼ぶのである。」との記述がある。
ギャグというのは珍妙さの表現だからだ。 様々な価値観がある中で誰にとっても珍妙であることは難しい。
ストーリーを組み立てて「その世界における」スタンダードを確立した上で「その世界における」珍妙なものを出して笑うという形式をとるということになる。
ギャグを成立させる効果的な方法としてツッコミを配置するということが知られている。
ボボボーボ・ボーボボが意味不明すぎる作品として取り上げられることがあるが構造的には全く伝統的なギャグマンガだ。
ツッコミを配置することによって意味不明すぎる部分もボケとしての意味が与えられる。
ツッコミは「どこが珍妙なのか」を教える役割を持っていて、世界観を伝える語り部でもある。
ストーリーがないように見えてもツッコミが語り部として世界を作ってるんだ。
もうすぐ誕生日を迎えて33歳が終わるので、いい機会だと思って平成初期生まれである自分のロマンス観の奥底に眠る作品について、水面まで引っ張り上げて雑語りしてみた。なお性別は男。
BL:これ
男なのだが、BLについては、実はかなり小さい頃から存在・概念自体には触れていた。
ひとつ前で話題に出した図書館には、ティーンガール向けの(おそらく少女漫画を卒業した近所のお姉さんたちからの)寄付所蔵があり、その中には白泉社系の漫画が数多く存在していた。当時の自分は、文字と絵があるなら何でも噛まずに飲み込む悪食だったので、男が少女漫画を読むとか特に何も考えずに頭を空っぽにしていろんな作品を乱読していた。そのお姉様方が残した漫画では……まあ割と頻繁に男と男がベッド・インする描写がございまして。たぶん清水玲子さんの作品だと思うのだけど、フツーに女が男と、男が男となんやかんやベッドで一緒に寝ていた。
当時は臥所をともにする意味を知らなかったので、ふーんで流していたけど、たぶんこれが原因でボーイ同士のラブにはじめから拒否感が無かったような気がする。長じて、そこそこの男オタクがBLを〇〇という蔑称で呼んで弄ぶおもちゃにしたり嫌ったりしている(た)のを見て、そんなに嫌う?と思ったこともあった。
あと、漫画の中にラッキーなことに「ぼくの地球を守って」もあって、それを血とし肉とし、年の差カップルやらTSやらやおいやらを学習していった。当時は倫くんに精神年齢が近かったから、亜梨子のことをすっげー年上のお姉さんとしか思ってなかったけど、今思えば……いや、今思っても流石に年の差はあるわ。(ぼくたまは面白かったなあ……【懐古】。好きなキャラはキャーおよびJrです)。
しかしながら、BLにハマる、つまり男と男のカップリングに熱を上げることはなかった。あくまでも、そういう価値観もあるという認識を持った程度。そんな自分のカチコチに固まった頭をぶっとばしたのが、数年前の自分の誕生日近くに発売された某ゲームに出てくるLくんというキャラクターだった。ここまでが前置き。
タイトル | ? |
ジャンル | SRPG |
(とくにBのLを主題にした作品ではないし、勝手に自分が思っているだけなので作品名はぼかす)
このゲームは、とある学校の先生となって選んだクラスの生徒たちを戦乱の時代に生き残れるように育て導いてゆくというもので、作り込まれた世界観に加えて、複数ある学級にそれぞれ個性豊かなキャラクターが何人もいる(しかも完全フルボイス!?)ことで、いろんな育成を試したり、生徒との恋愛シムを楽しんだり、生徒間でカップリングを作ったりと、様々に遊べて大きくヒットしたのだ。例に漏れず自分のオキニのキャラがおり、それがLくんだった。
いや、はじめはまっとうに可愛い女子陣(LとかMとか)にエへエヘしていたんだけど、なんか気が付いたらLくんのことがすげー気になる存在になっていたのよ。そのゲームにはいわゆるコミュ的な、キャラ同士が交流するイベントがあるんだけど、Lくんは初っ端からエンジン全開で仲間に対して自分のことを「容姿端麗にして才気煥発」とナルシ発言カマして、空気の読めない高慢ちきナルシスト変な髪型貴族として高笑いしながら自分のフルネーム(しかもミドルネームあるから長い)を連呼していたんだ。それでおもしれーやつ〈ルビ:コメディリリーフ〉的にLくんが気に入っていたんだけど、ゲームが終盤に近づくにつれて、なんかLくんが覚醒して、おかっぱナルシストからアシメ耽美長髪美人ノブレスオブリージュグレート薔薇大貴族に大変身したのね。おもしれーやつだと思っていた可愛い生徒が、ウルトラスーパーデラックス紳士になってしまって困惑3割感動7割で、まあ端的に言うと「り゛っば゛に゛な゛っ゛た゛ね゛ぇ(泣)」だった。
それで一周目をクリアする頃にはLくんを含めた学級の全員を超大好きになっていたのだが……話はここから。そう「一周目をクリア」が意味するのは二周目があるということ。実はこのゲームは学級の数だけ、正確にはさらに隠し的なルート一つがあり、何周もしないとストーリーの全容が分からないという恐ろしい作品だったのだ。
そこで、ゲームをクリアして二周目を違う学級ではじめたのだけど……完全に元の学級ロスになっていた。新しいルートを進める傍ら、最初のルート(ファンの通称は「実家」)の思い出を反芻する日々。新ルートで元の学級の子達と交流すると、現学級のライバルなのにいい働きをしたら「うちの子立派!」と思わず叫んで親バカの如く他学級を褒めるというしまつ。ついには、日々彼らのファンアートやらキャラ語りを探し回るゾンビになっていた。
このゲームは発売当時にそこそこ話題になった作品だったので、ネットを検索すると、それはもうファンアートや感想の海……いや大海原の如く豊穣な熱情(しばしば劣情)にありつけた。そうすると、次は二次創作というグランドラインに正面から向き合うことになるのは必然だった。名支援と呼ばれるLくんとMちゃんを描いた漫画作品、平民と貴族の組み合わせのLくんとLちゃんの小説、声デカ貴族組のLくんとFくんファンアート、そして学級長のCとLくん、LくんとC、またCとLくん、LくんとC……そう、実はLくんは異性とのカップリングよりも、学級長であるC(男)とのカップリングが、多分最も人気があったのだ。
CというキャラはLくんの真逆とも言えるキャラクターであった。級長のくせして腹黒軍師系だし、すぐに策を弄してハメようとするし。だが、内心にとんでもなく大きな野望を抱えているという複雑なキャラクターでもあった。やや高慢だが優等生のLくんと人当たりはいいが腹の底を見せないC。二人はストーリーでもコミュでも犬猿の仲というべきであった。
二次創作という大海原には様々な島が浮かんでいた。デフォルメされた姿でうさ耳が生えて赤面しているLくんがいたと思えば、リアル等身でどシリアスな殺して殺されての戦場で汚泥に塗れている姿があり、Cを言葉攻めしていたり逆にされていたり、現代パロ、学パロ、性転換、敵対シチュ、モブ、死ネタ、etc... ニュービーだった自分には直接的な官能的な絡み合いこそ刺激が強かったが、ネットの海に放流される彼・彼女たちの漫画・イラスト・小説・イメソン・etc……そこには確かにキャラクターへの愛があった。
そんな調子で元の学級への未練(飢え)を同志達の供給で癒やしつつ、数百時間かけて全ルートを回りきり、ついに念願の最初のルートに戻って最高難易度でもう一度やり直すことに。そこにはかつてと変わらぬ愛すべき学級の生徒たちの姿があった。Lくんも相変わらずCに突っかかって、Cはそんな彼のことを面倒臭がって、変わらぬ犬猿の仲……いや、なにかおかしい。
それは衝撃が固体になった瞬間だった。
初見プレイ時にはまだBL筋が十分に発達していたかったため見逃していたのだが、チャクラが開かれた今となって見ると、それはもうコッテリとした男と男のクソデカ感情がこれでもかと描かれていたのだ。
先に少し述べたように、Lくんはナルシストの傾向があれど、基本的には名門貴族の跡取り息子としての教育を受けている礼節を持った男であった。先に紹介した他のキャラとの珍妙なコミュにしても、彼は彼なりに真面目に誠実な態度を取っていた、ただ空回りしていただけで。しかしどうだこれは! Cとのやりとりに彼がこれまで受けてきた教養のある態度は認められない。そう、それは嫉妬。内側に秘めていた激情。むき出しの激重感情がそこにあった。
名門貴族の跡取りとして生まれた彼は、諸侯が己が利益を優先し団結をしようとしないこの諸侯連盟の現状を憂え、この国を正しく導くのは自分の責務であると自負していた。学問を修め、領主としての振る舞いを学び、着々と目標に邁進していた。そんな彼の前に現れたのが出自不明でありながらも突如として諸侯長の跡取りとなったCだった。全く貴族らしさを感じさせず、あまつさえ貴族の位なんて屁とも思っていない異物。それがLくんにとってCだった。
自分が欲しくてたまらなかった立場にありながらも、それを歯牙にもかけず、貴族の責務にも無関心で、それでいて何かを企んでいるのに見せようとしない見通せない。だから「君など現れなければ……」と本心が溢れてしまう。悔しそうな声。それは俺先生や他のクラスメイトには見せない、彼の心からの嫉妬だった。しかし、その心は、先生とCの隣で彼が望む未来の片鱗に触れていくにつれて変わっていった。領内の、国内ことだけしか考えていなかった彼は、この世界の人種差別や身分のことまでも変えていこうとするCの考えに触れ、彼こそが皆を率いていく器だと内心は認めるようになる。そして、二人きりのとき「君のいない世界など味気ない」と告げ、自らにとって彼が大切な存在であると言外と認める。
このやりとりを再見した時、なぜ、自分はこの感情のドッヂボールに気が付けなかったのか、と唖然となった。「お前さえいなければ」からの「お前がいない世界など」という完璧な回収。こ、これがブロマンスなのか……と濡れた泥を投げつけられたような衝撃だった。これで完全にチャクラが開いた感覚があった。