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はてなキーワード: 昭和歌謡とは

2017-05-29

ヤマハ音楽教室に親子でハマる

息子が3歳になった時、勢いとノリだけで通いだしたヤマハ音楽教室

「おんがくなかよしコース」を経て、今年度「幼児科」へと進級

幼児科だけは何がなんでも卒業(その先はその時考えればいいや)を目標

息子は先生ピアノに憧れて(多分)

にんたまらんたろうのオープニング曲

ミッキーマウスマーチを弾けることを夢見て(多分)

私は楽しく全力でお歌を歌うストレス発散と

子育て力向上を目指して通ってる。

元々斜に構えて世の中をみる、捻くれ者の性格なので

ヤマハはやたらに入会金・教材費・授業料やら高い。お教室ママカーストありそう。

無駄に教材買わせて最終的に高価な楽器までセールスしてくる怖い場所。位な考え。

しかし、いまでは全力でヤマハ信者。小さな子を持つお母さんに「ぜったい入ったほうがいいっ!」と

ごり押しするくらいの信者になった。まさかここまで自分がどっぷりはまってしまうとは想像していなかった。

なにが良いかって、親子同伴教室であること。

子供に任せきりにしない。親も責任を持ってとりくむ教室である所。

そこで親が切磋琢磨しないと子供の成長は望めない。と学んだ。

例えば、教室でのお歌。親が全力で楽しんで歌わないと子供も楽しんでくれない。

親の熱量がそのまま子供に伝わる。今日は疲れてしんどいから適当に手を抜いて

レッスン行こう。なんて思うとそれがそのまま子供に伝わる。そして

集中力が切れて勝手な事を仕出す時、失敗して落ち込んだ時。

どうやって声をかければ子供のやる気を失わさせず

楽しいレッスンにしていくか。瞬時に判断しなければいけない対応力。

仕事と同じ様な感じ。クライアントプレゼンや打ち合わせをする時も

普段より多めの熱量をもっていかないと相手に伝わらない。

プロジェクト仕事をする時、後輩に仕事を教える時、

全体のエネルギーを+の方向へ持っていき楽しい!と

思ってもらう様努力する。ような。

そして、宿題があるところも良い。

家庭内での反復練習自然に(そして強制的に)習慣づけてくれる。

ヤマハ側はクソ丁寧に練習方法家庭内の子供への対応方法

教えてくれるのでヤマハメソッドに素直に従えばあとは本当に親次第。

親が今までのぐうたらな生活習慣を見直して血がにじむ様な努力をする。

子供は親の態度を素直に吸収する。

あたり前な事を当たり前に地道にこなしていくことがいちばん大切。

でもそれすごく難しくて努力精神力がいることなんだ。

それをヤマハに通って改めて学んだ事だった。

あとは無料で、コンサートや親向けの家庭学習セミナー

果てはエレクトーンの使い方講習会まで開いてくれるヤマハ音楽教室

もう素晴らしすぎて感動。

子供の成長=親の成長

子供がどう成長していくのか。はもちろん大切だけれどそれだけではなく

自分自身が親としてどう成長していくか。

それを全力で応援してくれるすてきな音楽教室だとおもう。

(窓口の対応はもう少しどうにかならないのか…と思う事は多々ありますが)

しかし、宗教みたいだけど宗教にハマる感覚ってこういうのかな。。。

追記

ヤマハ音楽教室庶民が通う音楽教室です。

がっつり音楽エリート思考の人は確かに見向きもしないかと。

なぜなら『音楽教室からです。

音楽の楽しさを親子さんに感じてもらうのが第一使命

極論、楽譜読めなくてピアノエレクトーンも弾けなくても

音楽って楽しい!と思ってくれればいいのかと…

あとは達成感の喜び。スランプに陥ってもへこたれない粘り強さ。

から集団クラスで親同伴で反復練習なんだと

個人理解しています。何とも日本人的…。

ママカースト庶民にも存在します 笑 多分。

子供に着させてくるお洋服ママの鞄と靴…お迎えパパの車種

子供のレッスン態度、仕上げてくる宿題クオリティ

あぁ、これは はてな読み過ぎの私の偏った妄想かもしれません。

レッスン代は施設費という謎の項目があり

教室場所により上下します。

私が行ってるお教室でおんがくなかよしコース時代

月3回/50分で6500円

教材費含めると年間投資ざっくり10万…

プライスレス習い事ってそんなもんなんですね(´・_・`)

世間知らずですみません

ヤマハ音楽教室

JASRACへの提訴 署名活動シニア向けの

大人音楽教室に俄然燃えている様なので

興味がある方は署名昭和歌謡歌いに

最寄りのヤマハ音楽教室へ来てくださいね

(何度もチクチク言うけど)受付窓口の対応

イマイチだけど\(^o^)/

2016-04-12

http://anond.hatelabo.jp/20160412114210

昭和歌謡でもダサっと思うのと結構イケるじゃんって思うのあるけど

それも刷り込みなのかな

でも神田川とかなごり雪とか一周まわってやっぱりダサいなあと感じるわ

2015-08-20

テレビ音楽背中

テレビからよく「懐メロ」なるもの特集が流れたりする。

見たことある人は知っての通り大半は1960~70年代の、下手をすればそれ以前の昭和歌謡大全集みたいなものだったりする。

本音を言えば、当時の流行を知って、世代である職場上司や父と話を合わせるのにはいい。

いいが、それ以上に価値を見いだせない番組だとしか思っていない。正直当時のセンス自分の好みではない。

ハッキリ言えばダサい。うすら寒い。カッコよくない。←ここ重要

世代間での感性格差あくまで一個人の感想なので目くじら立てないで欲しい。


父は御多分にもれず昭和歌謡の全盛期を経験した世代で、当時の特集が組まれると録画をするくらい好きだ。

録画された番組を見ては家族に当時の思い出話や歌手の素晴らしさを説いている。

その姿は実に楽しそうだが、時折無言になっては番組をジッと見ている時間が必ずある。

その背中を眺めると、懐かしさにとらわれているのかもしれない背中だと思う。下手をすれば哀愁すら漂ってくる背中だと思う。


その背中を見て、ふと気付いた。

あぁ、これは未来自分の姿なんだと。

新しい時代だと、素晴らしい音楽だと信じた過去に寄り添うばかりの、懐かしさに依存するだけの残骸なのだと。

面白いもの面白いと言いつつも、結局自分経験した青春を引きずるだけの残滓なんだと。

探究心と好奇心が抜け落ちた末の、自分の姿そのものなんだと。

そう思うと背筋が寒くなってきた。

未来の誰かが自分背中を見つめている気がした。

2013-05-21

Windows xpの古いノートパソコンが流石にもう厳しい。

マシンパワーが非力、メモリ不足、原因はいろいろあるけど、本当に起動が遅い、動作がモッサリ。xp全盛の頃とはウェブサイト一つ一つの重さが段違いなこともあるし、iPadiPhoneなどがスタンダードになっている昨今、どうしても起動すらする機会が無くなっている。スリープからの復帰でさえiPadと比べるのは酷すぎて不憫なくらいだ。これにサポート終了が迫っているとなると、もう使えないと考えざるを得ない。

動きが遅すぎるならクリーンインストールしてみてはどうかとリカバリCDを探すと間違って捨ててしまったようだ。しょうがないのでUSBメモリからの起動でUbuntuインストール。この時点で勢い余ってWindows xpを削除。もう後戻りはできない。Ubuntuは何もしなくてもトラックパッドや内蔵の無線LANをあっさり認識するが、劇的に遅いのと、音が出ないことが致命的だった。Google検索に出てくる手はほとんど試したがぷすんとすら言わせるのも無理だった。

Chrome OSUbuntuよりかなり高速。これは十分使用に耐えうるレベルかもと思ったら、内蔵無線LAN認識しない。いやまだまだ有線があるさと粘れば、トラックパッドも認識しない。無言でマウスを繋いで作業を進めると、当たり前のように音が出ない。相手も無言なわけである。あまり強くない心がこの時点で折れた。

しかし、UbuntuChrome OSは音は出なかったが、YouTubeを見ることはできたのだ。パソコンによっては音源認識して現役マシンとして使えるものもあるかもしれない。自分マシンが古すぎたんだろう。

機械に疎い両親のiPod自分ノートパソコンと同じような状況に陥りつつあった。所有していた昭和歌謡CDデータを大量に入れ込んで一時はよく働いていたiPod最近では実家に帰っても部屋の隅っこで寂しそうに転がっていることが多かった。一つは実家田舎すぎてインターネット手段がないことも活用されない原因だったとも思う。曲の追加もウェブの閲覧など何もできない。両親がそれをできるわけではないが。

だが、ある日モバイル端末のサービス提供エリアを見てたら実家エリア内に入っていることに気づいた。早速入会して実家に持って行ってみるとアンテナ1本程度でギリギリでつながっている。

インターネットを試してみると、iPodYahooなどのサイトアクセスできるが、字が小さすぎて両親には厳しすぎる。ピンチインの操作はできそうにない。ネットの閲覧は無理そうだ。それから、少し映像がカクカクするものの何とかFaceTimeが繋がることが判明。実に面白い。その勢いのままAppleTVを買ってきてみたら、読み込む時間は若干かかるものの、テレビの大画面でYouTubeが見れた。AppleTVのリモコンはこちらが驚いてしまうほどシンプルだ。昭和歌手iPodアプリのRemoteで検索して履歴に残すと(AppleTVのリモコンではアルファベットしか使えない)、両親は履歴を再検索するという手順で、リモコンを駆使してYouTubeをつかうことができるようになった。

作業が一段落して「これってラジオ深夜便は聴けないの?」と両親に聞かれた。ラジオ深夜便ホームページを確認すると、ストリーミング過去の放送が聴けるようだ。ホームページへのリンクスタートページにおいて、ストリーミングにたどり着くまでに押す最低限のボタンスクリーンショットマーキングしてプリント。機会音痴の両親がiPodストリーミングが聴けるようになった。耳が遠くなっている両親は、ラジオでもiPodでも音がイマイチ聞き取りづらい。そこでAppleTVが役立った。AirPlayを使ってテレビの大音量でラジオ深夜便ストリーミングが聴けるようになった。はじめてのお使いが上手く行ったような気分である。残念ながらiPod touch第4世代であったため、ミラーリングには対応していなかったものの、できていても高機能すぎてかえって混乱するかもとも思った。

ここに来て、自然と次は何を買おうかと考えている自分に気づいた。はっきり言えばお金さえ出せばもっとスマート方法もっと大画面で簡単にインターネットをしたり、出来るのだ。だけど、使えるお金って限界がある。さらに新たなデバイスを買ったら、今までのデバイスはどうなる?あっさり使われなくなるだけなのだ。今回、両親がいろいろとインターネットを楽しんでくれるようになったのもうれしかったが、iPod touchがまた使われだしたのもうれしかった。何かのデバイスを買う際に本当にそれが必要なのか考えて買いたいものだ。なかなか出来ないことではあるけど。

デバイス効率よく使われているかデバイス効率、GDE(Gross Device Efficiency)を考えて、次にどんなデバイス必要か、不要なのかを検討したい。必要デバイスを買わずに、時間無駄にするのはそれはそれで問題だ。必要ものは買うべきだ。でも、新しいデバイスを買うことで見向きもされなくなるデバイスは少なから存在する。寂しそうに転がっているデバイスを生み出さないように、買う際にはデバイス幸せデバイス幸福量、GDH(Gross Device Happiness)をあわせて考えて買うようにしたい。GDHは「もったいない」の概念を持つ日本文化が生んだ新しい定義である

更なる衝動買いを抑えるために、GDE、GDH、二つの造語を作って自分を留める理由を考えてみた。

2010-02-22

音楽何が好き?」←絶対盛り上がらない話題

音楽におけるセンス競争について

http://anond.hatelabo.jp/20100222024116

けっこう話題になったサブカルブログ音楽何が好き?と聞かれたら

くるりと答えておけば安牌みたいな話があって、あるあるネタとして受け取ったんだけど

自分なりにそのあるある感の仕組みを考えてみてちょっとこれはいかんなと思った

いやいやいや、その前にさ「音楽何が好き?」って聞いてくる人ってバカなの。

相手にしたくないの。ほんとに。センス競争とかそういうのの前にさ。

前から疑問に思ってたんだけどさ「音楽何が好き?」って話題でどう盛り上がりようがあるわけ?

みんな同じ音楽を聞いてた昭和歌謡な時代だったらまだしも、

今じゃメジャーインディーズネットでしか発表してない人とかいろいろ入り交じって

本当に好きなアーティストを言ったってぜ~ったいに趣味が合ったりとかしないわけ。

「え、なにそれ、知らない」

「あ、そうなんだ……」

終了、みたいな。この質問は絶対に話題が盛り下がるNGワードなわけよ。

ホント不思議なんだけどこの質問する人ってこの質問で盛り上がったことあるの?

だってさー、万が一にも趣味が一緒だとしても「あの曲いいよね~」くらいしか広げようがないじゃん。

どうせこういうこと聞く人って楽器もやってないからその辺の話題だってできないし。

だからさ、わたしが言いたいのは別にくるりを出すのはセンス競争がどうだとかどうでもよくて、

「そんなの知らない」って言われないように、せめてそこまで場が盛り下がらないようにするための苦肉の策なわけ。

ほんとこういうこと聞く人ってバカなんだろうね。何の疑いもなく専門学校に入っちゃうんだろうな。

以上、四月から早稲田に通うことになったサブカル女子の意見でした。

2007-09-10

彼女にふられた話

先日、彼女にふられた。

ぼくの短い人生の中で、ものすごく愛した彼女だった。

高校を出てからそういう話がとんとなかったなか、ようやくできた彼女で、

そういった思い入れもあったんだと思うけど。

向こうも、昔にあったさまざまな出来事のせいで男性不信なとこがあって、

ぼくの恋愛面での無知さが純粋に思えたのだろうか、何故かお互いに好きになった。

なんで付き合うことになったかはいまでもよくわからない。

とりあえず気づいたころには、関係が始まっていた。

はじめは何で会ったんだろう。

ぼくがやってたライブ彼女が来たのがはじまりか。

ぼくは正直演奏するのはうまくないし、キレも悪いけど、必死さがなんかむこうの心んなかに残ったみたいで、

二週間ぐらい断続的にぼくが夢にでてきたらしく、mixiで連絡をくれるようになった。

とてもとても頻繁なメールの後、馬鹿みたいに電話をして、急激に会いたくなって、

会いたい!とか言ってほぼ車を運転したことのないぼくがレンタカー借りて40kmぐらい離れた彼女地元まで行って飲んで次の日まで一緒にいたりとか

向こうが地理的に全然はなれたところに用事でいってるのに「会いたくなった」とか言って会いにきたりとか、

わけのわからないぐらいガソリン情熱を消費した。

そこから、付き合いだすのまでは早かった。

一年半ぐらい、そういう時期が続いた。

とりあえず地理的な隔絶をものともせず、会いまくって話をしまくって愛し合いまくった。

いま考えれば、ぼくと彼女は一体なにを話していたのだろうと思う。

ぼくらふたりは、バックグラウンドや、趣味も、全然違っていた;

ぼくが中学高校のころに、プリンストム・ウェイツを聞きながら数学ばっか勉強してるころに、

彼女タバコをふかしながらケラケラ笑って昭和歌謡クラブ系の音を聞きながら「ポリをまいたり」したりしてた。

ぼくの憧れだったのはヒルベルトで、彼女の憧れだったのは岡田准一と荒くれNIGHTだった。

正直、いまでもよくわからないけど、なぜか共感しあうことが出来た。

彼女の親にも紹介され、こっちの親はちょっとヤンキーっぽいから、と毛嫌いしつつみとめていき、

なんかよくわからんぐらいうまいことすすんだような気がする。

大学卒業して関西の院にいくことになっても遠いけど一緒に行くよって言ってくれた。

ぼくは、そのことばがとてもうれしくて、ながいこと続けていたバンドをやめて、将来のことをしんけんに考えようと思った。

ちょうどそれぐらいからだったような気がする。

彼女の様子がすこしづつ変になった。

毎日50つうちかくきてたメールが、ぱたりとこなくなった。

仕事にいくまえと、帰ってきたあとだけとかになった。

別に浮気しているわけでもないようだし、ぼくが嫌いになったわけでもないようだった。

ただ、自分の部屋から出たくない、とか言って、部屋でとじこもってることが多くなった。

どこにいっても、どこで見ても、仕事場に用事でいったとき偶然すれ違って顔を見たときも、同じ顔をしていて、

とてもとても苦しそうな顔をしていた。

見てるのさえつらかった。

会える日は、当然のように減っていき、連絡もとりにくくなった。

バンドを最終的には喧嘩別れ、みたいな形でやめたのもこのころで、

友人の多くを切ったことになったその夜のことも、彼女に結局その話をすることもなかった。

彼女は付き合いで連日のように深夜まで飲んで帰ってきては、部屋で死んでいる。

もう、よくわからなくなった。

会えなくなって、三ヶ月ぐらいたったあと、ぼくが詰問したのが切欠だった。

 会えないのは、しんどいならそれでしょうがない。

 けど、どうして付き合いでは飲みに行くのに、俺とは会えないのか。別れたくてそんなことしてるのか。

メール送って、二日ぐらい待ったあと、「なぁ、友達にもどろうぜ。オレ、正直しんどいんだ。」彼女はそういって電話をかけてきた。

浮気してるわけでもないし、別れたくてそんなことをしたわけでもない。ただ、しんどかったんだ。」

オマエといっしょにいると、彼女といっしょにいるみたいだ。オレがわからないのなら、それでいい。ひとりにしてくれ

会いに行こうと言い出したが、それもしんどいんだ、ってことで拒絶された。

「どうでもいいひとじゃないから、友達って形ででも一緒にいてほしいんだ」

二日ぐらい悩んで、結局彼女希望を受け入れることにした。

彼女を苦しめたのは或る意味ぼくのかけた重圧だったんじゃないか、とか思った。

真剣に考えることは或る意味で重圧にもなるし、彼女の両親もおいらをすごく認めてくれていたのも彼女の重圧になったんじゃないか、と思った。

俺はなにもできなかったし、間違っていたんだと気づいた。

それから一ヶ月ぐらい、普通の友達っぽいメールをした。

そのあと、ぼくの誕生日がきて、彼女はいまでは遠くなった地元から、二日休みをとってきてくれた。

まだしんどそうな顔をしてたけど、普通に飲んで、あそんで、しゃべって。

でもすごく切なくて、ぼくは結局最後に、もう一度、やりなおさないか、ってことを言った。

無理だよ、って言われた。そのあと、メールがぱたりとこなくなった。

そんな顛末。

或る意味でぼくはとてもとても自分勝手だったってことだろうと思う。

相手のことを考えたような行動ってことが、相手に対して負担なときもあるんだって言い方で表現できるだろうか。

それでもぼくは彼女のしんどさを理解することができなくて、爆発してしまって、ふられた。

ぼくは、とても好きな人のことを、しんどくさせたことを、そのきっかけを今ようやく理解して、このエントリを書いている。

もし、もし、だし、たぶんこんなことはないと思うけど、もう一度やりなおせたら、彼女のことをもっと考えられるようになろうと思う。

でもそんときには彼女のそばにおるのはぼくじゃないのかもしれんし、俺のそばにおるのもあいつじゃないのかもしれん。

それもいいんだろう切ねぇけどちくしょうとか思うことにした。

 
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