はてなキーワード: スタメンとは
不採用だった。全力は尽くしたが、致し方ないと思った。約一週間後、mixi日記でキャプテン君が住友商事の内定を取ったことがわかった。第一志望だったので、そこに行くらしい。その日記には、いろいろと別世界のことが書いてあった。
・去年の秋、大学に五大商社の人が来て、体育会の部活に挨拶に来た。その時に一緒に食事をして、「ぜひ弊社に!!」とスカウトを受けた(五社中の三社)。
・ほかに受けた化学メーカー(東レ)の最終面接では、「御社は第二志望です。住友商事が第一志望です。そこに落ちたら弊社にお世話になります」とはっきり宣言したうえで内定を獲得。
・三菱商事も、三井物産も、伊藤忠商事も、選考を途中で辞退。自分とは合っていないと感じたため。
この時ほど、人間力というものの差を実感したことはない。アイツはすごかった。俺とはレベルが違う。俺はサッカーしか頑張ってこなかったけど、あいつはサッカーだけじゃなくって、受験勉強だって、人間関係の構築だって頑張れる人だった。
いやアイツは、どんなことにも本気で取り組むことができる。それでいて人間が好きだ。そういうエリートなのだ。当時も今も、俺はキャプテン君が羨ましい。俺もそんな人間になりたかった。なれなかった。
もし、今どこかでキャプテン君が俺の増田日記を観ていたとしたら、匿名でいいからコメントがほしい。誰だとわからないように隠してくれて構わない。
今では俺は、こんなに落ちぶれてしまった。正社員じゃないし、年間収入だって今のキャプテン君の五分の一に満たないだろう。クビになる可能性だってある。毎年、戦々恐々だ。
今でもサッカーが好きだ。自室の中にはサッカーゴールが置いてあるし、今でも試しにそれを蹴ってみることがある。部屋の壁にぶつけないよう、慎重に、慎重に蹴っている。たまに飛び出してしまうこともあるけど。
キャプテン君はどうだろうか。今でもサッカーをやっているのだろうか。とにかく今は、二十年前の思い出が懐かしくて、愛おしい。涙が止まらない。
第一志望の企業を不採用になった後は、坂道を転がるみたいだった。入りたい会社を受けども受けども、内定は得られない。二次面接までは行くのだが、そこではなんというか、明らかにやる気みたいなのが足りてなかった。
春を過ぎた頃だったか。同じ京都にあるITベンチャーを受けに行った。詳しい時期はもう覚えてない。はっきり言ってしまうが、㈱はてなだった。実は大学生の頃からはてなユーザーだったりする。
俺と同じ大学出身の人が面接をしてくれて、縁を感じた。エントリーシートも筆記試験も一次面接も、特に問題なく進んだけど、二次面接で一気に苦しくなった。
志望動機とか、会社を将来どうしたいとか、自分が将来どうなりたいとか、そういうことを喋れなかった。しどろもどろだった。どう考えてもこれは落ちた――そう思った。
相手の面接官は、「自分が入りたい会社というのはね、自分が将来どんなキャリアを描きたいのか、どんな人間になりたいのか、そういうところから逆算して決めていくんですよ」「今のままだと、増田くん、僕らの仲間になれないよ。ほかの会社だって難しいんじゃないかな」「もっと、ゆっくり立ち止まって考え直そう。増田君がどの会社に行くとか関係ない。真剣に考えて」と、人生のアドバイスまでしてくれた。
後日、大学のパソコンにログインすると、二次面接の結果通知がきていた。『合格』だった。次の選考に進めるらしい。これが最後通牒だと思った。「次でなんとかしろ」。そういうメッセージだった。
結局、俺はダメだった。はてなは辞退したし、ほかの選考が続いていた会社も悉く落ちて、ようやく内定を得られたのは夏の終わりだった。烏丸御池の辺りにある小さい広告会社だった。※今は別の場所に引っ越している。
この頃には、千亜子ともあまり会わなくなっていた。就活期間中は、お互いに忙しいから会えなくて当然なんだけど、まさか俺のせいでここまで会えなくなるとは。
千亜子は、その年の初めから一気呵成に就活に励んでいた。それで、俺より四か月も早く内定を決めていた。千亜子がスチュワーデス(CAのこと。当時は呼び方の過渡期だった)に内定したと聞いて、やはり只者じゃないなと感じた。劣等感だった。
この頃の自分というのは、なんかもう、劣等感がすごかった。就職活動でサッカーはできないわ、千亜子には会えないわ、勉強だって最後の単位を取り終えるあたりで躓いていた。
フツーの人生だったけど、それなりに成果を得てきたつもりだった。持ってる側のつもりだった。でも、俺はダメだった。今でいう抑うつみたいな状態になっていた。
秋になると千亜子と会うようになっていたのだが、よそよそしくなっていた。俺が内定した会社を告げると、「あー、よかったね。一緒に東京行けないのは残念」と言っていた。
もうすぐ最後のインカレという時期だった。ある日のアルバイト帰り、千亜子とキャプテン君が働いている河原町通りの飲食店の近くを通ると、千亜子がいた。ほかの大学生数人と一緒だった。私服だったし、おそらく飲み会帰りだろう。
店の近くまで行ったところで、自動ドアが開いた。すると千亜子が中に入って行って、上の階へと小階段を昇ろうとする男子学生(※キャプテン君ではない)の背中を掴んで、ぐいっと引きずり降ろしていた。
ちょっと驚いたけど、別に険悪な雰囲気でもなかった。それで、何やら彼と顔を近づけて話を始めた。この後の段取りとかを話してたんだろうか。俺のすぐ傍にいたほかのアルバイト友達と思しき学生が、こんなやり取りをしていた。
「そういえばキャプテンさん、最近千亜子さんにアタックしてる」
「二人とも一流企業だし。似合ってると思う」
こんな話をしていた。※当時の日記に書いてあった。
惨めな気分だった。俺が千亜子と釣り合ってないのは確かだ。内定した会社のランクが違うから。俺は就職活動に失敗した。インカレだってスタメンに選ばれなかったし、アルバイト先でも俺よりすごいやつは何人もいる。
人生で、ここまで負けまくるのは初めてだった。「畜生」と思ったけど、当時の俺にはどうにもできない。
千亜子にフラれたのは、新年が明けてすぐだった。大学のカフェテリアで、夕方に一緒にコーヒー飲んでる時に、「卒業するし、そろそろ終わりにしない? いい人、いるんでしょ。知ってる」と言われた。
今日、そんな予感はしていた。サッカーの試合勘みたいなもので、雰囲気でなんとなくわかる。今年の初詣は千亜子の予定が合わずにダメだった。おそらくキャプテン君と一緒に行っていたのだろう。
当時、『いい人』はいなかったけど、「そうしよう。お幸せに」って言ったら、「お互い、これからの人生でいい思い出にしていこうね」と千亜子が言った。
当時の日記には、そんなことが書いてあった。記憶や言葉をごまかしてはいないはずだ。当時の俺は、そこまで弱い人間ではない。40を過ぎて今それを読んでいる。やはり涙が止まらない。
これで結びになる。
就職してからの俺は、うまくいかなかった。仕事の才能は平凡のようだった。しかし、大学時代の失敗を引きずっていたせいで使えない人間だった。「あんた、サッカーすごかったんやないん?」みたいなことは何度も言われた。また、同じ会社で「学生サッカー選手権で活躍するところを観た」という同年代の社員もいた。
確かにそうだったかもしれないが、最後に出たインカレだって、負けかけの試合で後半でお情けで出してもらったくらいで、別に凄いわけでもない。アルバイトだって、ずっと居酒屋で頑張っていて、そこで最後に新しい彼女作れるかなって頑張ったけど、五人以上にアタックして全く相手にされなかった。素の自分というのは、モテる方ではなかった。ちょっとサッカーができるくらいで女にモテようなんて傲慢だった。
そんなこんなで、気持ちが沈んだまま新年度の四月を迎えたのだ。でもって、実社会で通用するはずもなく、新卒で入った広告会社は二年で辞めて、後はずっと契約社員とか派遣社員だ。
キャプテン君と千亜子は、俺が広告会社を辞める頃に結婚した。mixiの日記を読んだけど、それはもう凄い結婚式だったらしい。総合商社勤めだけあって、マイミクだったら無条件に結婚式招待OK!! という宣伝をしていた。会場までは知らないが、きっと東京都内のオシャレな会場だったに違いない。
俺は行かなかった。お金がないのもあるが、なんかもう、人生が面倒くさかった。
不惑になった今でも、当時の俺の何が悪かったんだろうと振り返ってる。昨年末も、実家にあった段ボール箱を引っ張り出して、当時の日記を読んだ。大学二回生から付けている日記を、半日かけて読んでいったのだ。この増田日記のベースになってる。
俺の何が悪かったのか? 三点にまとめると、次のようなところか。よくない行動のハットトリックみたいだ。
・就活で失敗した程度で凹んだのはおかしい。どんな会社に入ろうと未来はあった。
・どんな自分でも自分自身なんだって気が付いてなかった。失敗したって、自分という人間の価値が下がるわけじゃない。むしろ、失敗前の自分<失敗後の自分だ。それがわかっていれば卑屈になることもなかった。俺は挑戦したのだ!! そんなメンタルだから、就活もサッカーも恋愛もうまくいかなかった。
・サッカーができるくらいで調子に乗っていたこと。どれだけサッカーができようが、それは実社会で必要とされる力の一部分にすぎない。大事なことはもっとある。
・もっと自分を認めること。生きているだけでもすごいんだと、自分を褒めてやりたかった。人間にはみんな価値があるのだ。
いや、四つあるんかーーーーい!! と、大学時代の俺だったら、陣内智則みたいにツッコミを入れていただろう。今はそんな気力もない。
あの頃に戻れたら、とは思わない。いや、本当は戻ってみたいけど、それは間違いだ。これまで負け犬なりに努力してきた自分を否定したことになる。過去の自分を裏切ってる。だからダメだ。
今の俺は、あの時よりも成長してる。だったら、もっと成長できる!! もっと頑張ったら、幸せになる未来があるのかもしれない。結婚はできそうにないけどな。
ここまで読んでくれた人、ありがとう。何人読んでるかはわかんないけど。
気持ちの整理をつけることができた。また来週からは、しみじみと社会人生活をやっていきたい。
どうすれば幸せになれるんだろうかと考えて、ひとまず、今年の春から地元の草サッカークラブに入ってみた。自分自身が練習してるのもあるけど、子ども達に教えることもある。
ひとまずは、こんなところでいいのだろうか。まあ、ゆっくりやってみよう。幸せでありたい。増田やブックマーカーのみんなも幸せにな。
大学四年になる頃、就職活動が本格化した。当時は就職氷河期で厳しい状況だった。講義もレポートもあるし、当然サッカーだってやらないといけない。居酒屋(どんがま、というお店一本になっていた。今はもうない)でのアルバイトは週二に減らした。
当時は、三年の秋から企業説明会が始まって、四年の春以降に面接スタートというのが一般的だった。俺が行きたいと思っていたのは総合商社だった。説明会に行ってみて、とある商社に惹かれたのだ。ほかの総合商社に比べて「オレがやってやるぞ!!」みたいな社員の人が多かった。
三菱商事は、政府の高官みたいなキャラの人が多くて、三井物産はスマートなイケメンキャラが多かった。伊藤忠商事は、頭を鈍器で殴られても生きていそうな人が多かった(生命力があるという意味)。そんな記憶がある。
その春までには、俺とキャプテン君はmixi上でマイミクになっていた。お互いの日記にコメントをした繋がりがあって、サッカー友達ということで俺から申請をしたっけ。いや、もう正直覚えてないけど。とにかく、俺とキャプテン君はmixiで友達になった。
キャプテン君のmixi日記はすごかった。俺も、彼もサッカーのことを綴った日記が多かったが、彼の場合はなんというか、思考のレベルが違った。普通に大学サッカーをやってるヤツが、一生懸命サッカーのことを考えているのだとしたら、彼の場合はもっとずっと、『上の視点』からサッカーそのものを見詰めていた。
例えば、同志社大学のサッカー部は、今でも大学単位のブログを更新し続けている。各選手が自分の生活やサッカーに関する考えを書き綴っていく。
ここにある後輩達の日記は、読む価値がある。若いながらも自分なりに考えて学生生活を過ごしている。
当時のキャプテン君のmixi日記は、この内容をはるかに上回っていた。日記そのものは、すでにこの世にデータはないが、当時の俺個人の日記に断片的なメモがある。
当時、キャプテン君はこんなことを日記に書いていた。ほぼサッカーのことだ。本当は繋がりのある文章なのだが、断片化しているので意図がわかりにくいかもしれない。
・集団というものは常に問題に直面してる。人が寄っている以上は必ず争いが生まれる。価値観の違いとか、追求する目標の度合いとか、相手への要求の基準とか、争いの種は無数にある。それでも同じ集団として、組織として「仲間」を自称して日々共に暮らしている。
・自分らは、全員で一丸となって目標に邁進するために集まったはず。でも、いつからか、別の方向を向いている人たちをひとつの目標に進ませることに奔走してる。組織とは難しい。
・組織には、絶対に衝突や背信が生まれる。リーダーには、それをまとめる人間としての自覚がいる。自分がやらなければならないという責任感が。自分には実力が足りないといって何もしないのは卑怯だ。逃げだ。後輩には、早くこのことに気付いてほしい。
・理想を語って、現実に不平不満をこぼし続けるのは簡単。問題を黙って見過ごすのも楽だけど、人間が腐っていく。
・オレは現状を変えたいと思った。現状を変えるにはかなりの労力がいる。俺はあの時、みんなに不快なことを言ったけど、妥協してほしくないからあえて言った。
・言いたいことを言い合えない集団に未来はないんやで。お互いに機嫌を伺って本音を出せないとしたら、自分らの関係は友人ですらない。本当の仲間って、暑苦しくて、うっとうしくて、そして清々しい。
・ぶつかっても、嫌われてもかまわない。まだ間にあう。オレ達はここからが勝負だ。残された時間を考えると、今は悩みながらでも正しいと信じることを貫くしかないよな!
ぶつかっても、嫌われてもかまわない。何年か経った時に俺の伝えたかった真意を理解してくれれば、それはそれで素晴らしい。
・愚直にやることは本当に重要やで。ひたむきにやらない人間に付いていく気にはなれん。
・結果を出すことは、集団をまとめるための必要条件であっても、十分条件にはならん。サッカーの試合に出れない人の方が多いんやし、俺達のチーム!!って愛情をみんなが持てるチーム作りをしないと。勝って喜んでいるのはレギュラーだけってことにもなりかねない。今の俺には難しい。
・好む好まざるに関わらず、人には立場が与えられ、それに見合った働きが要求される。自分には難しい、できないかもしれないと言ってるヒマがあるなら必死に勉強しなきゃいけないし、責任を負える人間にならんとな。
・今のチームには、勝ちたいという執念を見せるヤツや、自分を演じてでもチームのために尽くそうとする人間が少なすぎる。たしかに個人個人は頑張ってるけど、みんなそこ止まりなんよな。他人に対して意見を言おうとせん。勝ちたいなら叫ばなきゃいけない場面もあるのに。だから俺は三年に怒ったんや。なに自分のことだけ頑張ってんねんと。自分らの代やったらそれ相応に振る舞えと。
・他人に言及することは、自分へのハードルも上げることにもなる。言ったからには自分もやらなきゃいけない。そんな風に、自分を追い込んで成長していかんと。
・時には集団のために自分を演じる必要がある。嫌われ役でも買ってでよう。自分を大事にしすぎるあまり、みんな守りに入ってもうてる気がする。
・自分のことだけに集中して動くのは本当に楽。でも、それなら今の場所にいる意味はないからね。引退までに、俺らの4年間を後輩に叩き込もうと思う。そうやってチームの魂は引き継がれていくものなんやで。
上の日記は、なんJ民が書いたものではない。日記を書いたのは、当時21歳の大学生だ。一般的な学生とはレベルが違う。社会人の域に達している。キャプテン君が反則で退場処分になったサッカーの試合を見た時は只者じゃないと思ったが、ここまでとは思わなかった。
実際、彼はいい奴だった。対面で話したことは数回しかないけど、でも確実にいい奴だった。熱い闘志が漲っていて、爽やかな笑顔が眩しい。それでいて面白いことも言える。ずるい。
就職活動に話を戻す。必死でエントリーシートを磨いて、SPIの勉強をして、面接対策をして、総合商社の一次試験を突破した。二次試験のグループ面接も通って、いよいよ三次になった。
会場は、晴海トリトンスクエアという海が綺麗な高層ビルだった。会場には、当たり前のようにキャプテン君がいた。緊張している様子だったから、声はかけなかった。かと思えば、ほかの志望者と一緒に雑談をしていて、さすがだなと感じた。
面接試験の部屋の前で待っていると、自分の前に終わった人が出てきて、「頑張ってください」って言われた。「ありがとうございます」と返して部屋の前に立った。
肝心の面接試験は、一応やりきることができた。子どもの頃からやっていたサッカーのアピールもできたし、面接官二名もサッカーをしていたことがあったらしい。「インカレにスタメンで出ました」と言ったら、「おー、うまいんだね!!」と言われた。
面接全体だと、簡単な質問もあったし難しい質問もあった。覚えてる限りだと、
□卒業までをどう過ごしたい
□総合商社で叶えたいことは何か
□弊社の弱点を教えて
こんなところか。ゆっくり落ち着いて答えていった。こういう時、サッカーをやっていてよかった。緊張はするけど、それが心地いい。失敗してもいい、飛び込んでもいいやって思えた。よい意味で、周りが見えなくなる。
時間というものの退屈さを感じない。これは採用試験なのだという不安も忘れて、不採用がありうるという事実すら忘れてしまって、どんな恐れすらも感じなくなる。面接、という世界に全身全霊で移り棲んでしまったからだ。
面接が終わった後は、さっきの自分と同じく、面接試験の部屋の前で待っている人がいた。俺は、ちょっと迷ったけど、「頑張ってください」って言った。その人は、「ありがとう。行ってきます」と返して面接室の前に移動した。
それから、普通に社屋を出て、ちょっとその辺でご飯を食べて、夜行バスが来るまで街を歩き回って、バスが来る頃にはすっかり疲れ果てていた。
続き
先日、不惑(forty years old)を迎えた。今では草臥れたおじさんだけれども、昔はサッカーが大好きで、自他ともに認めるサッカー馬鹿だった。
小学校から始めた。当時は、とにかくドリブルが大好きで、どんな形でもゴールを決めたら嬉しくて、勝っても負けても楽しかった。何も考えずにサッカーやってた。そんないい思い出もあるが、人生トータルでは辛い思い出の方が多い。
この日記は当時の個人情報でいっぱいだけど、俺はもういいよ。十分に生きたと思ってる。どうなってもいい。特定されても大したキズじゃない。クビになるのを恐れるような会社勤めでもない。
小学校も中学も高校も、部活一筋だった。中学時代にユースに誘われたことが一度だけあるが、自分は超一流にはなれないと何となくわかっていた。本当に才能がある奴は輝きが違う。自分はサッカーを楽しめればそれでよかった。全国優勝とかには興味なかった。
高校は、京都府内にある名門校だった。懐かしい。思い出すにつれ、いい思い出と悪い思い出とが交錯するみたいになって、感傷的な気分になってくる。今はトニックウォーターを飲みながら書いてるけど、気分がいい。
それでさ、高校で補欠or正レギュラーに選ばれるようになったのは高二の秋以降だったんだが、最後の年になると1回戦から最後の試合までフルで出場できた。国立競技場で戦えなかったのは残念だが、あの時の自分は輝いていたと思う。輝いていたのだ……。
大学は、とその前に、当日記は、いわゆる人生の落後者の振り返り日記になる。たまに、増田とかはてなブログでもそういうの投稿してる人いるだろ。自分もやってみようと思ったのだ。
俺という人間が落っこちたきっかけは、大学だった。これから書く文章を要約すると、高校卒業後はスポーツ推薦(セレクション)で同志社大学に入った。そこでも、運や努力の甲斐があって人並以上に活躍ができて、チアリーダーの彼女ができて、学業も順調で、アルバイトも楽しくて、四回生になって、さあ就職活動だ、、、というところで人生の敗北を味わった。そこから転落していった。
俺より凄い奴なんて、世の中にはいくらでもいた。その一人が、当時の大阪大学のサッカー部でキャプテンをやってる奴だった。以下アイツとしよう。
これがまた凄かった。価値観が大人びていて、熱血漢で、スポーツは当然できて、面白い小話ができて、総合商社に内定して、それで最後に、俺の彼女はそいつに取られてしまった。あの時は、そりゃあキツかったよ。
俺がいい会社に内定できていればもしや、という思いは当時あったがその線は薄いだろう。俺がアイツより優れていたのはサッカーだけだった。俺とアイツは、サッカーで対戦したことが一度だけある。高校時代に府大会でやり合った時、圧倒的な差で点をもぎ取って勝利を収めた。
ピッチ上で1on1にもなったが、俺の勝利は歴然だった。見え見えの目線トラップに引っかかって、アイツは筋違いの方向に足を蹴り出した。それで、スルッと抜いてやった。高二の春季大会だったと思う。
大学以降は、リーグが違ったので対戦することはなかった(うちは一部で、阪大は二部)。しかし会場で見ることは稀にあった。
まあ、これから昔の日記を読みながら、ちょっとずつ書いていく。辛い思い出にはなるけど、他者から見たら参考になることがあるかもしれない。そう願っている。
今回、この日記を書こうと思った最初の切欠は、先日まで放送されていたアニメ『ブルーロック』の影響だったりする。あれだけ見事なサッカーアニメを見せられて、つい昔を思い出してしまった。
今の自分は、アニメの後半で出てきた、サッカーを諦めた馬狼照英が自宅テレビでサッカーの試合を見ながら発泡酒を開けるシーンがあっただろ。まさに、あれだ。あれが今の自分なのだ。契約社員で、ワンルームマンション暮らしで、あんまりお金がなくて、実家も太くないから帰るわけにもいかない。
それでも、人生一度くらいは筆を取ってみたい。思い立ったが吉日ということで、ちょっと書かせてもらう(4/27時点)。どれくらいかかるかな。三週間くらいか。みんな五千字は書いてるイメージがあるから、それ以上の文量でいくことにする。ほとんど大学生になってからの体験記になる。
運のいい人間だった。サッカーというのは、誰でも想像はつくだろうが足を酷使する。高校時代は全国大会で活躍するような選手でも、ある時から怪我に悩まされてしまい、まともに練習ができなくなり、実力が落ちて試合に出してもらえなくなり、ハードな練習をしてまた怪我を……といった悪循環に陥る選手が少なからずいる。実際、俺の同期の一人はそれでサッカーを辞めた。
高校と違って、大学の場合はセレクションで入って部活を辞めても大学生をしていいのだが、律儀だったそいつは、出身高校に詫びを入れたうえで潔く退学していった。
幸いにも、そういう怪我とは無縁だった。かといって、そこまで実力があるわけでもない。府のトレセンに選ばれた経験もない。選ばれかけたことは何度もあるらしいのだが。ポジションは……すまないが内緒でお願いしたい。フォワードみたいに目立つポジションじゃない。
大学二回生までは順調だったかな。部活は毎日キツイけど成長している感覚があったし、トレーニングメニューとか選びやすかったし、アルバイトも始めた(木屋町の居酒屋だった。どんがまと、さざんか亭と、あとはジャンカラでも働いたっけ)。
本当に順調だった。学生生活は楽しかった。サッカーの腕前も上がって、二回生の秋季にはベンチ入りして、三回生になる頃にはスタメンが基本だった。関西サッカーの一部リーグで活躍してる大学生、といえば聞こえはいいけど、実際、精神的にはそんじょそこらの学生と一緒のレベルだった。
練習中に調子に乗ることはあったし、アルバイト先で後輩にマウント取ることもあったし、体育会の悪い連中に至っては、女遊びに夢中になって、今だと警察沙汰で逮捕されてニュースになるようなこともやっていた(俺は無縁とは言わないが、断じて犯罪は冒していない。むしろ、やりかけた先輩も後輩も止めていた)。
勉強も部活もマジメにやったつもりだ。普通の大学生だった。でも、三回生の夏前だったかな、幸せな大学生になったのだ。
関西地区での試合だと、応援団のチアリーダー部がやって来ることが稀にあった。本当に稀だったけど。それで、ある交流試合だったんだが、その日は調子がよくて活躍できた。敵味方の動きを読んだポジショニングは完璧だったし、要所要所で相手のドリブルをカットして、俺が蹴り上げたボールはセンターラインを飛び越えて味方のところにドンピシャで飛んで行った。ただ、ゴールを決めることは叶わなかった。ゴールを決めるポジションじゃないので、どうしようもないのだが。
試合が終わった後で、帰りのバスを待つ最中にチアの子達とちょっとした話になったんだが、その時にメアド(※TwitterやLINEは当時ない。GREEやmixiの黎明期だった)を交換した女の子がいた。
その子(千亜子とする)の見た目は、そりゃあ可愛かったけど、英語が話せるところとか、知的なところとか、お酒に酔ったら暴れがちなところとか、某飲食チェーン店で花形店員だったのとか、品のあるところがよかった。性格は明るかったりドライだったり、区別が難しかったな。演技するタイプだった。
体型は普通だった。ふくよかとか、細いとかは何ともいえない。胸はそれなり。好みのタイプではあった。オムライスとか作るのうまいし、たまに唐突に泣き出したりする。
千亜子は、恋愛に積極的な方だった。デートではよく手を繋いだ。セックスの相性はよかったと思う。最中はよく緊張してたけど、段々と気分が乗ってきて、いろんなことを言ったり、やったりしてくれた。
交際期間は、三回生の秋から一年と少しだった。まあ、平凡なカップルだったと思う。喧嘩とかもなくて。終わりはあっけなかった(最後のあたりに後述)。単位をほぼ取り終えて、学生生活の最後を満喫してる一月頃に遠回しな言葉でフラれてしまった。
三回生の秋頃だった。ある男子学生と知り合った。阪大のサッカー部でキャプテンをしていた。上で説明した『アイツ』のことだが、さすがに失礼なので以後はキャプテン君とする。彼とはリーグこそ違えど、顔を合わせる機会はたまにあった。といっても、こちらから話しかけることはなく、せいぜいすれ違ったり、試合を遠目で見たりする程度だった。
それで、ある時に知ったのだが、そのキャプテン君は、千亜子と同じアルバイト先だった。二回生の時に同時にその飲食店に入って、それから一緒に働いていたらしい。
俺がそのキャプテン君と千亜子が一緒にしゃべっているのを見たのは、ある試合場での一度きりだった。まあ、普通のアルバイト友達みたいな感じだったな。千亜子のマイミク繋がりで、俺のアカウントにもキャプテン君の情報が表示されていた。
ところで、キャプテン君の試合風景だが、圧倒的闘志でもってプレーするスタイルだった。反則スレスレのチャージは当たり前であり、プッシング(相手を押す)やトリッピング(相手を蹴る)も恐れなかった。本人がどんなつもりなのかはわからないが、とにかく闘志が凄かった。
ただ、残念ながら……実力が足りなかった。キャプテン君は反則っぽいプレーをするにしても、審判からするとモロバレの位置取りで、かつ見えるようにやっていた。相手の身体に触れることで反則を取られていた。あれではダメだ。
(注)
サッカーでどこまで相手と接触してよいかだが、概ね次の三点に要約できる。サッカーの試合を見ることがあれば意識するのも面白い。
・自分から接触するのは、肩だけで押す行為に限って可。腕や手や足はダメ。
・自分から触れない不可抗力とみなされた場合は、相手と接触しても反則にならない。。
・ボールを狙った行為でも、真後ろからのスライディングなどは危険行為とされる。
そのうえキャプテン君は、まともなプレーについても大学レベルに達してなかった。いや、そこらの高校生に比べると遥かにうまいが、大学サッカーで活躍できるレベルにはないという意味だ。
当時の阪大は、関西二部リーグと三部リーグを行ったりきたりだったと思う。大学の練習設備もおそらく不十分であり、練習時間だって他の部活と融通を効かせてやっているようだった。そんな環境だし、受験勉強もサッカーも一流の選手なんて、そうそういるはずもない。
キャプテン君の試合を最後に見たのは大学四年の時だった(リーグが違うと試合を観る機会がほぼない)。相手選手と1対1になってる時に、ボールを取るために肩をぶつけに行っていた。右足でボールを手繰り寄せようとしたらしいが、相手のふくらはぎを蹴ったうえ、身体をぶつけて吹き飛ばしていた。わざとか……? と思ったが、それにしては迷いがなかった。
レッドカードと思いきや、イエローで済んでいた。が、その十分後にはまた相手の足を狙ったスライディングをかましてしまい、さらにイエローを食らって……しょっぱい試合になった。
当時、俺はある意味でキャプテン君を尊敬していた。これまで俺がいたサッカー部で、あそこまで勝利にこだわる人間を見たことがないからだ。下手ではあったが、精一杯にボールを取りに行って、仲間に檄を飛ばして、試合を終始いいムードにしようとする。
ある時などは、試合が終わった直後の屋外ミーティングだったと思うのだが、別の選手を試合場の壁に押し付けて怒号を発していた。「俺らは本気になる力が足りとらん。もっと自分を主張せんと!!」みたいな要旨だった。
人に対して、ここまで熱くなれるヤツを見たことがなかった。中学でも高校でも大学でも、ここまで自分の言葉で自己主張できるヤツはいなかった。キャプテン君は、俺の心に爪痕を残していた。
続き
オレオレFCが、首位ヴィッセル神戸と引き分けた。前半26分に警戒していたFW大迫勇也に先制点を献上したが、後半22分、相手のパスをMF奈良田がカットして、FW森永にパス。森永は相手GKをかわし、落ち着いてゴールネットを揺らし、同点に追いついた。来季加入が内定しているMF宮崎はリーグ戦デビューで安定したプレーを披露。チームは10試合負けなしとなった。アウェイ3連戦の最後となる次節は27日、名古屋グランパスと対戦する。
同点に追いつき、森永はサポーターの元へ向かって吠えた。後半22分、相手DFのパスをMF奈良田がカットすると、すぐさま森永にパス。相手GKとの1対1を冷静にかわし、そのままゴールネットを揺らした。「負ける雰囲気は全くなかった。冷静に決められて良かったです」と森永は試合後、今季9点目を振り返った。
野河田彰信監督は前日「秘策を投入するよ」と話していた。その言葉通り、この日は来季加入内定のMF宮崎をボランチで起用。DF一条、MF村松と3ボランチを形成した。野河田監督は試合後「守備的?ちゃうよ。3人でプレスかけて、カバーしながら、神戸の中盤3人を機能不全にしたかったんや」と意図を説明した。
大迫に決められた前半26分の失点は相手の早いクロスに対応出来なかったが、それ以外はハイプレスで神戸の中盤に仕事をさせず。大迫も前半に得点した以外は孤立し、下がって受けるシーンもあった。吉田孝行監督も「相手の術中にハマり、自分達らしさを出せなかった」と悔やんだ。
DF岩田とMFジュシエが負傷、GK松尾、MF前田が代表遠征中という中で宮崎がデビュー戦で好プレーを披露した。野河田監督は「やっぱり争わせるっていう意味でな。入ってくる隙間がないくらいのチーム状況にもならんと強くはなれへんから。また争いが激しくなっていくと信じてるよ」と競争激化に目を細める。
戦術がハマり、チーム全体が良い立ち位置でパスをつなぎゴールに迫った。しかし勝ち越し点は奪えず、首位からの金星は逃した。指揮官は「勝てんかったのは残念。まだまだ甘さもある」と指摘。森永も「チームの流れは良かったので、僕も含めて、勝ち切るプレーに繋げないと」と課題を口にした。
ルヴァン清水戦を挟み、アウェイ3連戦最後となる次節は3位の名古屋と対戦。「ずっと負けている相手なので、次は勝利につながるゴールを決めたい」と森永は20年以来、白星のない相手からのゴールと勝利を誓った。
○MF宮崎(リーグ戦初出場に)「(スタメンは)水曜日の試合後に言われた。緊張はなかったです。自分らしさを出せた時とそうじゃない時が激しかったので、(今後は)その波をなくしていけるように練習から意識していきたいです」
オレオレFCはルヴァン1次リーグで川崎フロンターレに0―1で惜敗し、初黒星を喫した。ユース所属のDF田曽野、MF後藤がスタメン、特別指定選手のナゴ大DF赤堀、ヤマ大MF宮崎が公式戦デビューを飾ったが、0ー0で迎えた後半41分にCKから痛恨の失点を喫した。
【写真】後半41分に失点し、ガックリ肩を落とすオレオレFCイレブン
今後を見据え、メンバー全員を入れ替えた試合。ユース所属のDF田曽野、MF後藤がスタメン、特別指定選手のナゴ大DF赤堀、ヤマ大MF宮崎がベンチ入りした。試合開始から川崎に主導権を握られたが、GK中原、14日福岡戦で一発退場したDF伊藤を中心に決定機を作らせない。前半を折り返すと、後半は10分にユース所属のMF星野、DF金沢、25分には赤堀、宮崎を投入。星野、金沢は積極的なドリブル、宮崎は球際の強さ、赤堀は長身を生かしたプレーで決定機も作ったが、決めきれない。
このまま引き分け濃厚かと思われた後半41分。左CKからのこぼれ球を押し込まれ、痛恨の失点。今大会初黒星を喫した。順位はB組3位。24日はアウェイで清水エスパルスと対戦する。
■野河田彰信監督(ルヴァン初黒星に)「あそこまでは粘れたけどな。今日のメンバーはこれからやらなアカンわけやから、何かを掴んで、将来に生かしてくれればエエ」
■ユースMF後藤(スタメン出場)「緊張はなかったが、自分の思い通りのプレーが出来ず悔しい。ただ刺激になるところもあった。もっと練習から成長していきたいです」
オレオレFCは2試合連続スコアレスドローで、湘南ベルマーレと引き分けた。2月24日のリーグ戦は2ー2の引き分け。リベンジを誓った一戦だったが、19日のリーグ広島戦に続く無得点でカップ戦も2試合連続スコアレスドロー。野河田彰信監督は試合後「点が取れんと勝てへんわな」とボヤいた。
【写真】スコアレスドローに終わり、整列するオレオレFCイレブン
試合はアタッキングサードでの流れるようなワンタッチパスでのつなぎから、フィニッシュに持ち込む場面もあったが、相手GKの好セーブに阻まれるなど、チャンスを決め切れず。指揮官は「得点を目指してるんやけど、取れへん。点が取れんと勝てへんわな」と苦笑い。主将のMF鈴木潤も試合後「決めきれないと勝てない」と、監督と同じ言葉を言った。
アクシデントもあった。スタメン入りしたGK野村がウォーミングアップ中に腰を痛め、ベンチ入りしていたGK望月が体調不良で欠場。急遽、松尾が守護神を努めた。2月24日の同戦でミスを犯し、前半で途中交代する屈辱を味わった場所で、無失点に抑えた。「(アクシデントに)急遽でしたが、あの悔しさは忘れていなかったので、自分の力は出せた」としつつ「勝てればもっと良かった」と満足はなかった。
29日からリーグ戦が再開し、ホームで大分トリニータと戦う。守護神2人は欠場が濃厚。主力のDF村山、MF森下、鈴木亮が代表合宿中で、MF田中が右足首靭帯損傷で離脱するなど、チームの台所事情は厳しいが、野河田監督は「このメンバーで何とかせえへんといけないからな。チーム全体で戦わんと。総力戦で頑張ります」と顔を上げた。
オレオレFCはアウェーでサンフレッチェ広島に0-1で完封負けし、連勝を逃した。MF前田らが代表合宿による疲労を考慮されて欠場した今節は、FWトーマス・ノレジーを先発。200センチの高さを生かそうとしたロングボールは広島DFに跳ね返され、チャンスにはつながらず。それでも粘り強い守備で0ー0のまま試合を運んだが、後半37分にミスから痛恨の決勝点。野河田彰信監督は試合後、緊急ミーティングを行い、イレブンに厳しい言葉でハッパをかけた。
◇ ◇ ◇
【写真】広島に敗れ、悔しそうにサポーターにあいさつするオレオレFCイレブン
一発に沈んだ。後半37分、それまで耐えていたが、一瞬の隙を突かれ失点。試合のほとんどを守勢に回され、疲弊したイレブンに最早、反撃する力は残されていなかった。野河田監督は試合後、緊急ミーティングを開き、厳しい口調で言った。「何が怖いんや?見せる試合ちゃうで。こんな試合ばっかやったら、何時でも落ちるで」。
GK松尾、MF前田、DF伊藤が代表合宿による疲労を考慮され、今節はベンチから外れた。代わってFWトーマス・ノレジーが来日初先発。起用の意図は敵陣でのハイプレスで相手を押し込みながら、ノレジーの高さを利用して裏に攻め込むことだった。前節、初勝利と結果を出したメンバーを含め、レギュラーナンバーが揃うスタメンで連勝を目指した。
しかし、広島の圧力に押されたのか、ロングボールでもノレジーが厳しいマークにあい、パス回しではミスを連発。連動性と積極性を欠いた。それでもGK野村を中心に広島の猛攻を凌いでいたが、引き分けも見えた後半37分、FW森永がボールを奪われ、そのままカウンターを受けると、右サイドを突破したDF塩谷司にかわされ、シュートはDF大村の足に当たり、野村も反応出来ず、そのままゴール右へ吸い込まれた。
決勝点をお膳立てする形になってしまった森永は「パスを出すか、突破するかで迷ってしまった。あってはならないミス」とうつむき、帰陣が遅れ、右サイドを独走されたDF村山も「攻撃の事ばかり考えて、奪われた後の対応を疎かにしてしまった」と反省した。
リーグ戦5試合終えて1勝2分2敗。昨年(3分2敗)より勝ち点は2つ上だが、課題の守備はリーグ戦5試合で8失点。特に3試合連続で後半30分以降に失点するなど、改善には至っていない。奮闘した野村は「時間帯の中で乗り切る体力や試合運びがまだまだ足りない」と唇を噛む。
指揮官は最後に「あの時間帯で守りきれる、ハツラツとしたチームにならんと」と選手達に宿題を与えた。MF鈴木潤も「サポーターに見せる試合じゃなかった。どうやって全体で守備をするのか、どうやって前に運ぶのかというところが課題。そこをはっきりさせないといけない」と課題を口にした。
シーズンは始まったばかり。ルヴァンカップを挟み、次節(29日)はホームで大分トリニータ戦。鈴木潤は「次のルヴァンカップ(26日、ホーム湘南戦)で勝って、リーグ戦につなげたい」。指揮官の「愛のムチ」も糧に、スキの少ないチームへ成長する。
オレオレFCはルヴァン初戦をホームで迎え、浦和レッズと0ー0で引き分け。今季公式戦初勝利はならなかった。
【写真】浦和と引き分け、サポーターに挨拶するオレオレFCイレブン。
4日のリーグ・京都サンガFC戦からメンバーを2人入れ替え、葉志和から4年ぶりに復帰したGK野村が今季初スタメン。新加入のFWトーマス・ノレジーもベンチ入りを果たした。
前半から浦和ペースで進み、なかなかチャンスを作れない。シュート8本を打たれたが、野村が好セーブを連発。後半も攻め込まれる時間帯もあったが、野村やDF大村を中心に体を張って守りきり、リーグ戦3試合連続複数失点と苦しんだ守備陣は今季初の無失点に抑えた。
キャンプ中の怪我で出遅れ、ようやく復帰した野村は試合後「(試合前の練習で)4年ぶりに帰ってきて、サポーターが僕に声援をくれたので、生半可なプレーは出来なかった。リーグ戦で守備が苦しんでいたので、無失点はある程度、自信にはなります」と話した。
一方、攻撃陣は終盤に決定機を作るも、シュート僅か7本に封じられた。後半36分にはノレジーを投入。来日初デビューを飾った豪州出身ストライカーは200cm105kgの体格を生かしたポストプレーでチャンスを演出。終了間際にはヘディングシュートを打つも、枠外に終わった。
野河田彰信監督は守備陣には「野村を中心に守れてたと思います」と評価しつつ「攻める方は簡単にボールを失ったし、ボール保持がなかなかできんかった。(浦和とは)これからも試合やるけど、出来てへん事の方が多かったな。(無失点でも無得点は)チームが噛み合ってへん証拠や。練習はさせてるけど、まだまだ程遠いよな」と渋い表情だった。
それを打ち消すほどの成績を残しているが。あと、併殺打と比べたら三振のほうがマシ。そういうことから三振の多さはあまり問題視されない面もある。
他のプレーヤーを試合によって指名打者にして負担軽減しつつ打線の迫力を維持するということがしづらい。
他のプレーヤーを指名打者にする=大谷がスタメンから外れる→打線の迫力低下
疲労の蓄積はしやすいだろう。仮に大谷が故障したらチームのエースと指名打者が一挙に戦線離脱となる
二刀流の選手なんてベーブ・ルース以来100年ぶり(ルースもヤンキース移籍してからは消化試合くらいしか投手やってないし)でどう評価すべきか難しい。
こんなところ?
オレオレFCはアウェイで湘南ベルマーレと対戦し、2-2で引き分け。アウェイ湘南戦5年連続勝利は逃したが、不敗神話は継続した。試合開始36秒にMF森下のパスに反応したFW森永が先制ゴールを決めた。ただ、前半17分、同23分とGK松尾のミスで逆転されたが、後半39分にMF鈴木潤のCKを森永がヘディングで同点。2試合3得点で得点ランクトップに浮上した背番号9の活躍でドローに持ち込んだ。次節は来月4日、アウェイで京都サンガFCと対戦する。
森永が2得点でチームに勝ち点をもたらした。1点目は開始36秒のスピード弾。右サイドから攻め込んだMF森下からのパスにペナルティーエリア内に走り込んで受け、冷静に左足で決めた。逆転されたあとの後半39分にはMF鈴木潤の左CKに頭で合わせて同点弾。チームに勝ち点1をもたらした。試合後「(2得点とも)練習からやってきた形なので嬉しい。ゴールもそうですが、泥臭さとか、守備や球際とかもっとチームに貢献したいです」とどん欲に話した。
今季からスペイン・マヤSCに移籍したFW吉田の背番号9を背負う森永が今季目標に掲げるのは「25ゴール以上」。昨年は吉田と清水FWチアゴ・サンタナが得点王に輝いたが14ゴール。ある新聞紙からは得点の少なさを指摘され、開幕戦で湘南FW大橋がハットトリックを達成したことに「目立ちやがってと(笑)。燃えるものがありました」と奮起に繋げた。
ただ、満足はなかった。その前後にもチャンスはありながら、無得点に「ハットトリックすれば単独だったし、チームも勝てたので…」と悔しさをにじませた。野河田彰信監督は「そら、もうゴールを挙げてるからな」と評価しながら「勝たせてへんから。勝たせる選手にならなアカン」と注文を着けるあたりに期待の大きさが窺える。
試合後、町野と握手した森永は「(町野選手は)僕とは多少タイプは違いますけど、見習うところはいっぱいある」とカタールW杯日本代表に選ばれたストライカーに刺激を受ける。「次こそは自分のゴールで勝ちたいです」と次節、京都戦で自身のゴールで初勝利を誓った。
前半17分に松尾のパスミスからボールを奪われ、湘南FW町野に同点弾を決められると、同26分には自陣内でプレッシャーを受けながらボールを回していたところ、松尾は右サイドに蹴ろうとしたが、雨でぬかるんだピッチで足元が狂ったキックはふらふらと浮いたボールはバウンドしてそのままゴールへ吸い込まれた。ビルドアップに参加していたDF陣も戻りきれずに失点した。
試合は森永の2ゴールでドローに終わったが、指揮官は「年齢は関係ない。キーパーが、最後尾があれじゃキツイわ。たった1つのポジションで、3人(野村、望月、中原)の思い背負って出とる選手がアレじゃチームの士気に関わるからな」と説明。今季ユースから昇格し、いきなり開幕戦で初先発を果たすなど、期待が大きいだけに口調は厳しくなった。
試合後、松尾は涙を流し、無言で引き上げた。後半から出場した望月は好セーブを連発し、勝ち点1に貢献。「(望月は)あの状況でようやったよ」と高く評価。次節はスタメンが入れ替わる可能性が高くなった。
税金高いし、少子化はずっと止まらないし。給料は安いし、トヨタしかないし。
1993-1994と2009-2012だけ自民党以外の政権が与党だったわけじゃん。
ということは、今の日本経済やら少子化やら高齢化やらなんやらがうんこみたいな状況なのって99%自民党のせいだと思うんだけど、自民党選ぶ人たちはその辺のことどう考えてるの?
例えば部活だと、ずっとスタメン張ってる奴がいて、実力も経験もあるし、そいつより上手くプレーできる奴がいないとしても、ふざけてばっかりで試合も負け続きなら一回ベンチに下げて選手交代して、お灸を据える的な事やらない?
それで、あっ、真面目にやらなきゃ試合出してもらえないって思わせて真面目にプレーするように矯正すると思うんだけど。
私はそんな感じのことを選挙で実現させるために野党に政権握ってほしいと思う。
だって税金上げまくって好き勝手やっても政権取れちゃったら普通調子乗るよね。
オレオレFCは、主将のMF鈴木潤の後半ロスタイムのPK弾でガンバ大阪に追いつき、勝ち点1を手にした。前半42分に、今季新加入のFW森永のプロ初ゴールで先制。後半4分と同9分に失点したが、最後まで諦めずに戦い抜いた。先月28日にフロントとの確執などで主力の大量放出、多良初徳社長、岡嶋聡監督が独自の謹慎処分など、厳しい逆風の中、5年連続開幕戦ドローに終わったが、新しいロイブル軍団のスタイルを示した。
◇ ◇ ◇
敗色濃厚、1-2で迎えたロスタイム。鈴木潤が途中出場の弟、MF鈴木亮の縦パスに抜け出しペナルティーエリア内へ。G大阪DFに倒されPKを獲得した。鈴木潤はボールをしっかり抱え、自らキッカーを務める決意を行動で示した。ゴール裏ではロイブルサポーターが見守る中、胸を叩いて気合いを入れ、浮き球で日本代表経験のあるGK谷晃生をあざ笑うかのように、ゴールど真ん中のネットを揺らした。
敗戦の危機から救った背番号10は「人生で初めて緊張した。だけど、サポーターの皆さんが僕にパワーをくれたので、その思いを込めて蹴りました。決められて良かったです」と振り返った。
開幕前までチームは苦境だった。先月28日にフロントとの確執などで主力選手20人の退団を一斉に発表。唐突過ぎる行為にSNSやサッカー協会幹部からもクラブへの批判や不満が続出した。多良初徳社長と岡嶋聡監督が責任を取り、減俸及び独自で謹慎処分となり、鹿児島で行ってたキャンプも中止。地元に戻って完全非公開で練習をしていたが、8日、11日に行われた練習試合(全て非公開)では大敗するなど、開幕前にも関わらず不穏な空気が蔓延していた。
それでも選手達は逆境を力に変え勇敢に戦った。前半42分には鈴木潤のクロスをFW森永がヘッドで合わせて先制点。試合前日にスタメンを言い渡された背番号9は「ワクワクしかなかった。谷選手から決めて、勝ってヒーローになる事しか頭になかった」と強心臓を発揮。高校3年生ながらトップ昇格を果たしたMF前田、ユースから昇格したGK松尾も堂々たるプレーを披露。ボール保持率を高めながらもMF森下らを中心にスピードを生かし、隙を突く攻撃的スタイルを堂々と貫いた。
それだけに勝ち点1で満足はしていなかった。開幕戦はこれで5年連続引き分け発進。野河田彰信監督は後半開始早々の2失点に「やっぱり、集中力はまだまだ課題よな」と指摘。鈴木潤も「ホーム開幕戦だったので勝ちたかった。一番気を付けないといけない時間帯で失点してはいけない。まだまだ未熟」と唇を噛んだ。
次節は24日にアウェイで湘南ベルマーレと対戦。野河田監督は「やりたいことを発揮できてる時間もあったからな。あとは勝つために何をせなあかんのかというところだけやな」と選手達に期待。鈴木潤は「負けなかったので。次は勝てるように練習したい」と前を向いた。
先月28日にフロントとの確執などで主力選手20人の退団を一斉に発表。唐突過ぎる行為にサポーターからは「何故、あのような行為に至ったのか」「具体的な説明がない」といった厳しい声が聞かれた。
多良初徳社長の謹慎を受け、3月31日まで社長代理を努める中津GMは「不誠実な対応だった事を申し訳なく思います」と謝罪。その上で「4月に多良社長が話すと明言しているので、それ以上の事は分からない」と具体的な言及は避けた。
ロイスタには約14100人のサポーターが駆けつけた。試合前には「逆風を力に変えろ。更なる高みへ挑め」という横断幕を掲げ、声出し応援が解禁となった開幕戦で選手を勇気づけた。
映画観てきたけどミニバス(小学生のバスケットボールチーム)での描写がリアルすぎて、自分が所属してた時のことを色々思い出してしんどかったので書いてく。
前提としては安易な気持ちで入ってしまったのが悪いこと、ド下手だったこと、チームスポーツが向いていなかったことなど色々あるけれど自分の中で10年ほど誰にも言ってこなかった辛さが渦巻いてしまったので消化させてほしい。
これが嫌だったな、と印象的だったものをまとめてみた。時間が経ってるから改善されてたり自分が所属してたチームだけかもしれないが。
(下手な自分が悪かったことは前提として)思い通りにプレイできなくて悔しい、ミスばかりでチームメイトに申し訳ない、恥ずかしい、といった感情で涙目になっているところに「泣きたいのは〇〇(監督と親交が深い選手)だ!」 こちらも泣きたくて泣いてるわけじゃ…下手だったのが悪いけども…
1人だけベンチの端へ連れていかれ、押され、並べられた椅子に倒れ込んだ。その自分の姿が試合確認用のビデオにも映っていて惨めだったし、誰も気づいてくれず、何も言ってこないのが怖かった。「親に話しても助けてもらえないのでは」という不安で誰にも言えなかった。
・大人の嫌なところをたくさん見る
子供は意外と大人の考えや空気を読めるし、行動もよく見てる。指導者はこの子がお気に入りなんだな、あの子の親は取り入ろうとしてるな、というのも結構気付く。プレイとは関係なかったとしても、自分は指導者への不信感が爆増した。モチベーションも下がった。
低学年にだけ配っていたものを「秘密にしろ」といって高学年のAにだけあげているのを見た
指導者&よく練習に来ていたその親族が「Aは本当に顔が整っている」「アイドルみたいな顔をしてる」「Aは頑張り屋、スタメンではなくてもシックスマンだ!」
今思えばバスケに顔関係なさすぎるので単に好みだったんだろうね
親同士がギスギスしたり揉めたりすると空気でわかるし、他の子供からの情報もすぐに入る。誰の親が監督にキレてるとか、子供がやらかしたこと誤魔化してるとか。
ちなみに1番映画のミニバスの描写でリアルだったのがこれ。デリカシーのない発言を普通にしちゃう大人。
津波やものすごく大きな被害という程ではなかったけれどまだ停電してる中、学校以外での外部練習。借りてた施設のトイレが流れなくて、途中で用を足すために近くの病院まで車で移動。子供ながらに「今バスケしてる場合なのかな」って思ってた。その後、市町村から活動停止の連絡が来てやっとしばらく休み。
授業が終わってから19時〜19時半頃まで練習。長いと20時。学校や地域には16時半終了と提出されているのを知っていたので、「やらされてる感」が強かった。当たり前だけど土日休み全くない。これは本当に好きでやってる子からしたら苦痛じゃなかったとは思う。
単純に自分にバスケットボールが向いてなくて競技が好きになれなかった。やってて楽しくなかったし、親にもすごく負担をかけてしまったし、未だに申し訳なくて後悔してる。作品とかを見るのは大好きなんだけどね。(スラダンの映画はマジでよかったし、黒子のバスケとかあひるの空も好きだし)
指導者の人も仕事しながら来てくれてたから大変だっただろうし。好きじゃなかったけど。
もし自分の子供に何かスポーツやらせたいって考えてる人は、まずプロとかの試合を見せてみて、興味持つかで判断した方がいい。友達がいるから、とかはあんまおすすめしない。体験行くのも悪くは無いけど、断りにくい空気出されたり人手欲しいとほぼ無理矢理入れようとしてくるので慎重に選んだ方がいい。あとシンプルに送迎、会場準備、遠征、試合前後のお世話やメンタルのケア、月謝や用品って親の負担がすごく大きい。
向かないのは感受性が強かったり、気が弱い子。そもそもバスケやるのは気が強い子が多いから子供間も結構揉める。かと言って辞めたいって言うのも実際辞めるのも勇気がいる。当時の保護者や指導者はここに書いたこと覚えてないと思うけど、自分は結構引きずってたんだなって映画見て初めて気付いた。
上記の日記の続きである。ネタバレはできる限り配慮するが多少は出てくる。すまぬ。
4歳児はポケモンを楽しんでいた。
オープンワールドの自由さを存分に享受し、ほのお団を倒す前にナンジャモちゃんを倒していたし、ナッペ山ジムはチャンピオンロードの5番目にクリアした。
ポケモンセンターでお姉さんに話しかけるときはちゃんと正面に回ってコライドンを降りてから話しかけていたし、ゲームをやめるときはコサジタウンの家に戻ってゲームの中の母親に話しかけてからレポートを書いてゲームを閉じていた。
一応各ルートは残すはボスのみとなった。ボスという表現が正しいかはわからないが、具体的にはペパー君や四天王から先、カシオペアのことだ。
今まで倒してきたポケモンやトレーナーには明確に弱点が設定されていたので、攻略本に載っている技の相性表を見ながら有利な属性で固めてなんとかやってきたが、前述のボス格のキャラには明確な弱点がない。
Switchを手に取る回数も減った。
それでもたまにポケモンを遊ぶと、それは楽しそうにポケモンを捕まえたりしているのだけれど、まずスタメンの選抜ができていないし、それが出来ていないからレベルを上げて物理で殴るという手段も取れない。どのポケモンのレベルを上げればいいのか分からないからだ。
今までは私も親として4歳児が助けてと言ってきたら助けてやっていたけれど、正直私が横からちょっと助けるだけでは倒せないくらいにボス格のキャラたちは強い。
かと言って、私がポケモンを選んでレベル上げして、なんてことをするのは本末転倒だろう。
4歳児はポケモンをクリアできないかもしれない。その疑いはかなり濃い。
最初はなんとかクリアまで見守りたいと思っていたが、でも実はその必要はないのかもしれない。
幼少期から転勤を繰り返し、コミュニケーション能力が周りよりも著しく低い(例えば突拍子もないようなことを喚く、声が大きすぎるなど)のでいじめに遭い不登校になった。
体型は太く、モテるなどとは無縁の生活のまま中学に入り、軽い気持ちで(当時ミスフルが好きだったので)中途半端な気持ちで野球部に入ったら運動神経ゴミカスな自分は誰よりもトロく鈍臭く、馬鹿にされ続けた。もちろん学校のカーストなど推して知るべしといったところ。
高校に入って卓球部で心機一転と思ったが三年生最後の大会で同級生の中で自分だけがスタメン落ちするというカスっぷり(しかも同級生のうちの一人は自分よりも練習に来てなくて態度も悪かったのに、自分は選ばれなかった)。中学の頃好きだった身長が小さくてか弱そうな子に告白したら想像したこともないような声で否定されて次の日から学校で噂されたりなどもした。
勉強は親のスパルタ教育でアホちゃんな自分の頭でもなんとかそれなりの大学には入れ、しかしその大学でハメを外しすぎたか所属した部活動でも問題児扱いされ、同級生からガチめに説教されるなどのことをされ、もちろん彼女など出来ず夜な夜な画像サイトでシコり倒すと言う毎日であった。
そんな増田にも理解のある同性の友達がいた。彼は自分よりも異性の交際に長けており、彼女もいた。その彼女とのアレコレ(彼女を大型犬用の檻に入れて一日監禁プレイした、ノーパンで大通りを歩かせたなど)を聞かされたりなどし、妬ましいという気持ちもあったがアニメオタクであり、当時のアニメの話を語り合うことができる本当に唯一と言ってもいいほどの大切な友達だった。
あの声優いいよね……とかそういう会話を何気なくできる存在は彼だけだった。彼には自分が童貞で部活では置いてけぼりにされているという情けない話も言えた。大抵彼は「よっ、アスペルガー」と茶化していたが、その茶化しが本当にありがたくて涙が出てくるほどに嬉しかった。彼も性病を患っており、二人で「アスペと性病のコンビじゃ」とかなんとか言って笑い合ってた。
そんな彼が、ミソジニーになった。
きっかけは彼の就職だった。自分は理系大で院に入ることが決まっている頃で、彼は大卒で就職活動中だった。彼は活動がうまくいかず、イライラが目に見えてわかるほどであった。彼女のエロい話を露骨にしなくなったので、多分その頃には別れていたのだろうと思う。
そんな彼が、会うたびに女がいかに恵まれているかという話をするようになった。会話の中身はテンプレみたいな話なので割愛するが、ともかくそんな話が会話の大半を占めた。
あんなに彼が愛していたはずの女性声優ですら貶すようになっていき、流石にうんざりするようになった。自分はただ好きなコトを話して盛り上がりたいのに、投げかけれる話題は常に怒りで満たされていた。
彼との付き合いは自然と少なくなってしまった。会っていてもストレスが溜まるだけだから。一緒にミソジニーになりかけた時期もあったが、彼からは「童貞が女の何を知ってんだ」と言われ、一緒の道に進むことすら拒まれた。
そしてなんとは無しに、ミソジニーの反対のことをするように心がけるようになった。ミソジニーの結果の彼の姿を見たからと言うのもあるが、ややヒステリー気味でもあったと思う。とにかくああなりたくない、という強迫観念のようなものに取り憑かれた。唯一の友達を失ってしまったというショックもあったと思う。好きなオタクの話で盛り上がって楽しかった思い出が、ミソジニーというものに全部奪われたという被害者意識があったのだろうと思う。
その頃から女性がかかえる問題をやんわりと「そうなんだ」という感じの気持ちで捉えるようになった。女性専用車両など、まあ必要なんだろうなという受け取め方をするように心がけた。特に夫のちんぽが入りませんという本を読んだ時はかなり心にキた。親に支配されて苦しんでいるというのは女性にも同じなのだというのを知ってそれがすごい嬉しかった(当時は親が本当に憎かったので、同族がいたという嬉しさもあったと思う あんまり友達とか男性同士で親が憎いとかそんな話はしないので まあそりゃそうだという話だが)。
とは言いつつも結局就職まで彼女なぞ出来ず、女性の苦しみに共感する童貞という訳の分からない存在のまま何年かが経った。
これまでの振る舞い方を大きく見直して社交的な態度を取るようになり、今は会社の同僚と旅行したりするほどのコミュニティの形成力を築けるようになった。
そして数年前に結婚相談所で女性と交際し、結婚した。交際から結婚生活まで、あの時の唯一の友達がミソジニー全開で喋っていたことの全てを逆張りした結果、存外なほどに良好な関係を維持している。元々アホアホな性格だったので、自立しているしゃんとした人と結婚したいと思っていたので、その通りの人のおかげでもあるが、家事や体調のケアなどをするとありがとうと言ってくれたりして、互いに支え合うということができている。
こんな未来はきっと、ミソジニーの彼は思い描けなかっただろう。元々女性を軽蔑しているのだから、何か女性側に不備が一つでもあると憤りを隠さずに喚く。どんなに優れた女性が目の前に現れても、優しくて愛嬌のある人でも、彼の目には全ての女性が劣って見えるのだろう。
そんな色眼鏡を持たないでいられたおかげで、自分は今の嫁の個性を、性格を、人格を、心から受け入れられる。
ミソジニーになった彼へ。
俺は幸せになる。