はてなキーワード: かもしかとは
「おでんが嫌いです」
レストラン街の案内パネルの前で、嫌いなものを尋ねたら君はそう言った。
「あ、でも材料の1つ1つは大丈夫で、合わさって"おでん"という料理になるとダメなだけです。だからよっぽど専門店とかじゃない限りどこでも大丈夫です」
そんな人もいるんだなと思いながら「そうですか」と僕は答えた。
食べ物の好き嫌いなんて些細なことだし敢えて「おでん美味しいですよ」なんてわかりきったことを言うほど僕は無粋な人間じゃない。僕だって「なんで焼き魚嫌いなんですか」とか言われたら困る。嫌いなものは嫌い、好きなものは好きなのだ。そして目の前にいる人間の考えを変えようと思うほどそれらの感情に対して強いこだわりはない。
ただ、これまで一貫して「好きな人が聞いてたら申し訳ないけど」「苦手な人もいると思うけど」と言いながら自分の嗜好を語っていた君が、おでんにだけは配慮を怠ったのが印象的だった。
君が配慮をする必要が無いと判断したそれは、食に興味の無い僕にとって唯一と言っていいほどの好物だった。
コンテンツが溢れすぎているこの世の中では"嫌いじゃない"と思えるものすら貴重で、明確に"好き"だと言えるものはわりと得難いものだ。
顔も知らない同士だった僕らは、昨今流行りのマッチングアプリで知り合った。きっかけはありきたりな、好きな映画が同じという共通点だった。
会話を重ねていくうちにそれ以外にも共通点が見つかり、これほどまでに同じ場所を通ってきている人に出会ったことが無い僕は、非常に単純ながら「この人が良い」と思い始めていた。ちょうど婚活というものに疲れていたというのもあるかもしれない。初対面の人間同士が今後長い時間を歩んでいくことを考えたとき、どう考えたってそれまでの道のりが似ている人の方が馴染みやすいのだ。好きと明言できるほどではないが、嫌いじゃないと感じる相手にやっと出会えた思いだった。
テニスのラリーのように、と表現するにはややゆったりした間隔でだったが僕らは途切れずボールを打ち合っていた。たまにラインぎりぎりに打たれたり打ったりもしたけれど、君は難易度の高いショットの方が好きなように思えたので何でもないような顔をして難しい言葉を使ってみた。本当は必死に調べて返事をしていたんですよ。
たぶん遠距離でもないのに1ヶ月も合わずにメッセージを重ねているのは長い方なんだと思うけど(実際、この1ヶ月の間に他に知り合った3人の人と会っていたし中には3回くらい会った人もいた)一度僕から誘ったときに断られていたのでもう一度誘う勇気は無かった。だからこそ会わないかと言われたときは嬉しかった。そういえばいいねをしてきたのは君からだったし、通話を提案したのも君だった。思えば最初からいつだってイニシアチブは君にあった。
「増田さん、ですよね?」
事前に顔写真と服装を送られていたにも関わらず見つけることができていなかった僕に、君から声をかけてくれた。
テキストメッセージから得られる聡明な印象で勝手に脳内で身長を伸ばしていたけれど、思えばプロフィールに書かれていた身長は低くはないが高くもなかった。
無意識に、いや、嘘だ。意識的に自分の背を低くしようとさりげなく膝を曲げたら、君が着けているマスクがSHARP製であることに気づいた。
ああ、僕もSHARP製のマスクをつけてきたら面白かったかもしれない。
君なのか君の家族なのかもしかしたら当時の恋人とかなのか、とにかく話題になったあのマスクを僕と同じように買った人が君にとっては当たり前なのだということがそこでわかって、それだけのことなのに自分が受け入れられたような気がして安心した。これ、そのとき伝えておいた方がよかったですか?
家庭的かどうかを見られているのかな、なんて思いつつ少し緊張した状態にアイスブレイク的な会話を提供してもらってほっとする。
「偉いですね。しなきゃなあとは思うんですけど、けっこう惣菜買ってきて終わりみたいな感じでやってるんですよね」
「ですよね」
わあ、生温い会話。なんて思いながら、初対面の男女の会話なんてこんなものかとも思う。凍った水道管に急に熱湯をかけたら破裂するしね。
生温かろうがなんだろうが、こちらはわりと楽しんでいた。自分ではない存在から返ってくる想定外の答え。人と人との出会いはエンターテイメントだ。ただ生憎僕自身はエンターテイナーでも何でもないので君を楽しませることができていたかはわからない。最近人気の漫画みたいに長い人生のうちの100分の1の出会いで自分が変わることもあるわけだけど、君が積み重ねてきた1576万8000分と何分かのうちのこの1分は、君を変えることができるだろうか。そんなことを考えていた。
「惣菜を食べてるとき、これでいいのかなあって考えちゃうんです。いつ死ぬかわからないけど死ぬまでに食事する回数は限られているわけで、そのうちの1回がこの適当な食事でいいのかなって」
そんな考え方したことなかったなあと思いながら、頭に浮かんだ台詞があったので考えをまとめる前に勢いで口から言葉が飛び出した。
「『明日死ぬとしたら生き方が変わるんですか?あなたの生き方は何歳まで生きるつもりの生き方なんですか?』って言葉が好きで自分はいつだって明日死ぬつもりで生きてるんですけど、明日死ぬって思ってると大体のこと受け入れられますよ」
言ってから、あ、間違えたなと思った。これが恋愛シミュレーションゲームだったら好感度ゲージがぐんと下がるBAD選択肢だっただろう。
いつ死ぬかわからないんだから毎日が最後の晩餐だし最後の晩餐だからと言って豪華である必要は無いし、日々食べたいものや食べられるものを食べていればいいじゃないか。そんなケセラセラな生き方をしている僕の主張は几帳面な君には響かなかったみたいだ。
「いやあ、どうですかね」と曖昧な返答でこの会話は閉じられた。
お茶をしている間、このまま解散も名残惜しいし店を回るのが好きだと書いていたから誘ってみようかなあ。なんて、逡巡していたら君の口から同じ提案が出てきたので嬉しかった。
入った本屋で、世間話を続けながら君は平積みになっている本を何気なくぱらぱらと捲る。
「この前、高校時代の日記帳が出てきたんですけど恥ずかしくてそのまま読まずに捨てました」
小学生時代の手紙すら捨てずに持っている僕には信じられなくて強めに聞き返した。
「いやもう恥ずかしすぎて……」
「まだそこまで大人になれなかったですねえ」
これまでの会話の中で歴史が好きなのだろうと推測される君は、15年前かそこらに自分の周りで起きた物事やその時の感情は気にならないのか。
僕はこうやって実体験に基づいたフィクションをつらつら書くくらいには自己を振り返るのが大好きな人間だ。
今日のこの時間だって、この後どんな結末を迎えようとも"この時楽しかった"という事実は変わらないし、僕が選んできたBAD選択肢も変わらないし、この増田をいつか消すことがあってもそれらは僕の人生のうちの1分として残り続ける。
「あ、この本面白いですよ」
近くにあった本を何気なく勧めてみたら君も好きなタイプの本だったようで、やっぱり好みは似ているんだなあと再実感した。
スマホにタイトルをメモする君を見ながら、君が次にその本を読むとき違う人と一緒にいたとしたら、果たして僕のことを思い出すんだろうかとふと思った。
少なくとも僕は思い出しますよ。何回か同じ話をしてしまう君と違って僕はけっこう君に関心を寄せていたので。大好きだったおでんを見ると、これを嫌いだと言った君を思い出すくらいには。
思えば、共通点の多い同士であると思って出会ってみたが差異を確認し合うことの方が多かったかもしれない。それでも僕にとっては些細な差異で、"嫌いじゃない"という思いに変わりはなかった。
ところがどうやらこの認識でも僕らは差異があったようで、君ともう一度会うことはなかった。
僕の記憶域も有限だし、できれば幸せな思い出を取り出しやすいところに置いておきたいので思い出をアウトプットすることもある。どうせ人の目に触れるのなら面白く脚色したくもなる。それがまさにこの増田なんだけど。
Ctrl+XとCtrl+Vの繰り返しで思い出や感情や付随する諸々を外部媒体に書き出すまでが一連の儀式なので気にしないでほしい。執着してこんな長文を書いてるわけじゃなくて、執着しないために書いているのだ。アウトプットして領域が空いて初めて僕は次に進める。
今朝は旗振り当番だった。七時五分に家を出た。たぶん、その五分後には旗振りポイントに着いていたと思う。
本来は七時二十分から四十分までが当番の時間なのだが、以前は七時に到着しても最初に通過する子供たちは既に通過した後というのが常だったので、決まりよりも早くから立つのが習慣になってしまった。ここ二年ばかりは、年度初めの保護者会で、役員の人たちが「子供たちを旗振り当番の時間よりも早くに登校させる事がないように」と強い口調で保護者たちに言い聞かせている。その甲斐あってか、子供たちが先を争うようにして七時頃に旗振りポイントを駆け抜けて行くという姿は、あまり見られなくなった。
子供たちが来るまで十分くらい、押しボタン式信号の下で立って待つ。その間、鳥を見て過ごすのが好きだ。今日はほんの数羽しか見かけなかった。電線に留まったキジバトとスズメ。カラスは声は聞けども姿は見えず。そして、あまり羽を広げて羽ばたかず、水面すれすれを跳ねるトビウオの様な動きで飛んでいった鳥。
子供たちはまだかと、視線を住宅街の中に向けたところ、どこからかキジバトの特徴的な鳴き声が聴こえた。どこからか、というか、顔を上げればすぐそこの電線にキジバトがまだ居るのだが、それと鳴き声とがすぐに結びつかなかった。鳴き声が家々の壁に反響しているのか、どの方向から聴こえて来るのか判らなかったのだ。電線のキジバトを目を凝らして見れば、その胸の辺りが鳴き声に合わせて膨らんだり縮んだりを繰り返しているのだが、鳴き声がそこから聴こえて来るようにはどうしても感じられない。ほんの数年前までは、鳥のさえずりを聴けばどこで鳴いているのか大体見当をつける事が出来たのだが、今はそれが出来ないのだ。これも老いの兆候なのだろうか。声は聴けども姿は見えずのカラスも、意外と見える所にいたのかもしれない。
子供たちは予定通りに七時二十分頃に現れた。いつもどおり、四人ほどのグループを作って、こちらが挨拶をすればちゃんと応え、悪ふざけもせずに横断歩道を渡っていった。最近、この地区に転入してきたばかりの家の子と思われる、中学年の女子が混ざっていた。どうやら親のどちらかが白人であるらしく、日本人離れした顔立ちをしている。この子には背の高くて顔立ちのよく似た兄がいるのだが、兄の方は姿が見えなかった。前回の当番の時は、その男の子だけが早くに旗振りポイントを通過していったので、今日も私が旗振りに来る前に通過したのかもしれない。
三十分になる前に、地区の子供たちは皆通過していったので、十分早いが帰る事にした。私の家は地区の外れにあり、地区の外側を取り囲む大通りを通って帰る方が早いのだが、旗を次の家に回さなければならないので、地区の内側の道を歩いて帰る事にした。実は今日は本来はうちが旗振りの当番なのではなくて、うちの次の家と日を交換したのだ。本来はうちの次に当番の回る家はうちの斜向いの家なのだが、今日は次の次の家に回さなければならないということ。その家は地区の内側のちょっと入り組んだ場所にある。
自分の住んでいる地区なのに、地区内を散歩でもするように歩くのは、かなり久しぶりだ。下の子供が小学校に上がったために、頻繁に散歩に連れ出す事がなくなった。一人でぶらぶらと歩いていると不審者かと思われて警戒されてしまう。ここは田舎だが、都会と同じかもしかするとそれ以上に近所の人達との交流が希薄だ。昔、東京の新宿の外れに住んでいた事があるが、その時の方が同じマンションに住む人達と顔を合わせれば挨拶ぐらいはしていた。今は、すぐ隣に住んでいる人達ともあまり挨拶を交わす機会がない。道やゴミ集積所で行き会ったとして、こちらから挨拶をしない限りはお互いに無視して通り過ぎる事が多い。
朝八時前だが、既に住宅街はひとけが乏しくしんと静まり返っている。人の気配がないとスズメも寄り付かなくなるので、たまにカラスや季節の鳥が鳴く以外は、本当に静かなのだ。歩きながら家々の外観や植えられた草花を見て歩くのが好きなのだが、この地方出身であるうちの配偶者は、そうやって人の家をジロジロ見るのは恥ずかしいし喧嘩売ってると思われるからやめてくれと言う。
今はパンジーかビオラしか見られる花がない。山茶花や椿も季節の様な気がするが、さっぱり見かけない。かつては美容院だったらしい民家の軒先には、以前はよく何かしらの花の植わったプランターが置かれていたが、今はなかった。その先の家はここ数年に建てられた新しい家で、郵便ポストの下にレトロな薬缶が置いてあり、その口からパンジーの花が今にも溢れ落ちそうな格好で顔を出していた。そのまた先の家も比較的新しい家なのだが、敷地が道路よりも高く、玄関口が階段数段分のところにある。そして最近の家だったら駐車場に使いそうな空間に木造の屋根を建ててある。屋根のてっぺんが家の一階の天井の高さくらいのところにある。そして屋根の下には盆栽がいくつも並んでいた。盆栽棚だけの為に建てられた四阿だったのだ。見上げないと盆栽棚があると分からないので、ずっと気づかなかった。盆栽は、よく手入れのされた松や真柏のようだった。
この辺は、まだ昔ながらに大谷石のブロックで出来た高い塀をめぐらした家が多い。そういう家にはいわゆるシンボルツリーではなく、豪農の家の庭のように見栄えのいい庭木が植えてあるのが見える。本職の植木屋によって剪定が施されたものだ。最近まで、本職の植木屋の仕事というものに興味がなかったのだが、気をつけて見てみるとプロの技は本当に凄いんだなと思い知らされる。太さのある枝毎に丸い形に剪定されている木があるが、それらの丸の内側には葉があまりない。何故かというと、木の葉というのは日に当たる所しか機能しないからだ。それでも、夏場の木は内側だろうが外側だろうが所構わずに枝葉を生やす。そのまま手入れをしなかった場合は枝がごちゃごちゃに混み合ってしまう。植木屋は、内側を向いていてどうせ育たない運命の枝を優先的に切り落とす。だから手入れの行き届いた木の場合、樹形の外側にだけ枝葉があって、内側は綺麗に空いているのだ。そしてどの葉にも適度に日が当たるようになっている。
ブロック塀だけでなく、生け垣で敷地を囲う家も結構ある。生け垣もプロが剪定したものと、家の主が自前で剪定したものは違う。プロが剪定した生け垣は、横から見ると緩やかな形のAの字になるよう剪定されているのだ。それは、頂部を強く剪定すると樹高が高くなりにくいという樹木の性質を利用した、樹形管理の方法だ。また、下の方の枝につく葉にも日が当たるようにするためという理由もある。一本の樹木は、葉で合成された養分によって主幹を養っている。ところが、その枝はといえば、他の枝で作られた養分を回してもらって生きるということが出来ない。枝は自らが生やした葉で作った養分で食べて行かなければならないのだ。という事は、日の当たらない場所に生えた枝は、樹全体がどんなに繁茂していても生きられない運命なのだ。自らの葉から養分を得られないためである。つまり、生け垣のように上から下まで葉を繁茂させないと格好のつかない樹は、下の方の枝を長く、上部の枝を短く剪定して全ての葉に日光を当てるよう剪定すべきなのだ。それで、緩やかなAの字の様な形にするという訳だ。
旗を次の当番の家のポストの下に置き、家に帰った。
洗濯物を干す前に、昨日買ってきたばかりの紅目木のミニ盆栽を剪定し、育苗ポットから駄温鉢に植え替えた。まだ植え替えの時期ではないが、週末には寒波が来るというので、水はけの良い土に替えて、厚みがあって保温性のある鉢に入れたかったのだ。
道具を片付けて水をやり、しばらく紅目木を眺めてボーッとしていた。ぼんやりしているのは、何かに夢中になっているときよりも案外脳みそがせわしなく働いていて良くないらしいのだが、スマホを見て過ごすよりはまだマシな様な気がする。
1人のカメラ好きとしてスマホの利便性は物凄く良い。
何なら総合力としてはデジイチ(レンズ交換式ミラーレスデジタル一眼カメラ)や360°カメラは著しく劣ると個人的には評価している。
最近のスマホカメラの画質は非常に良くなったと痛感するし、カメラ好きだからと言って常にデジイチを構えているわけではなく、何なら日常的な利用頻度はスマホカメラが最も高い。
ただやはり、カメラ専用機にはカメラ専用機の強みがあるのもまた事実で、この強みを知ってしまうとスマホカメラで日常的な撮影から入学式などの式典、アミューズメント施設での思い出記録までカバーできるなどとは口が裂けても言えない。
スマホはやはり総合力が高いだけであって、カメラ専用機のシチュエーションに合わせ特化できる仕様はカメラ専用機の強みであると言える。
従来方式のレンズ交換式デジタル一眼レフカメラ(一眼レフ)の規模縮小がカメラ業界でも決定的となったことはカメラファン界隈では「ついにこの時が来てしまったか・・・」と様々な想いが巡っている。
後継となるデジイチやミラーレスと呼ばれるレンズ交換式ミラーレスデジタル一眼カメラは今後プロシーンであってもどんどん普及していくことだろう。
いわゆる標準画角と呼ばれるフルサイズ換算35mm前後〜50mm前後(APS-C換算23mm前後〜33mm前後)をカバーできるレンズを常にデジイチへ装着しておいてシチュエーションに合わせズームを活用して撮っていくのが良い。
可能ならばレンズ内蔵の光学式手ブレ補正機能が付いているものが望ましい。
子供が生まれてからカメラに目覚める親は少なくないが、これからカメラを購入しようと考えているならば自分の子供が保育園幼稚園の年中(4歳前後)へ至っているかどうかで実は変わる。
これ何故かと言うと行動の活発さ、というかワンパクに遊ぶようになると移動距離と速度が変わるからなのだ。
イメージしやすいところで言うと、生まれたばかりの新生児やハイハイ程度しかできない乳幼児、フラフラと歩くことしかできない離乳食前後の幼児はカメラで捉えるのは簡単、当たり前ながら物理的にそう動かないので撮りやすい。
しかし年中くらいに達すると知能と同時に運動能力もそこそこ向上しはじめてカメラで追うのがちょっとずつ大変になってくるのだ。
駆け回るし、ジャングルジムみたいなのに登ったりするし、キックバイクや自転車へ乗れるようになったりする。
つまり、自分の子供があまり動かない年齢ならばじっくり撮影できることが多いため、レンズにズーム機能は必要がなく、それならばお昼寝などの暗いシチュエーションでも明るく撮影できたり、背景が美しくボケるズーム機能の無い単焦点レンズを選択したほうが安上がりなのだ。親が近寄るのでズーム機能使わないからね!
逆に子供が活発に動くようになった年齢ならば様々なシチュエーションへ対応できるようにズーム機能があったほうが都合良く、ズーム機能が無い単焦点レンズだと困ることが増えてくる。
例えばサードパーティレンズとして定番のSIGMAで単焦点レンズとズームレンズの双方の販売価格を確認すると、その両方とも約5万円からライナップしているがF値と称されるどれだけ明るく写せ、そしてボケるか?という数値を見ると同価格帯では単焦点レンズの方が有利だ。
暗いことの多いお昼寝シーンやお誕生日会でケーキに灯るロウソクを吹き消すシーンなどでは明るく写せる単焦点レンズを使いたいだろう。暗かったらそもそも写らななかったりノイズが物凄く乗るわけだし。
カメラのボディ本体が約10万円からライナップされている現状を考慮すると、レンズ1本を追加で約15万円、子供の成長に合わせて利用シーンを考慮しレンズを選択することで安上がりにカメラを始められるというのはカメラ購入で失敗したくない入門者として知っておきたい情報だ。
スマホでも同様のことが出来るものの多くの人が経験しているだろうが暗い場所でスマホ動画を撮るとノイズが物凄く乗る。
それは最新のiPhoneだろうがPixelだろうがXperia、Galaxyとか関係がなく、ナイトショット機能が搭載され始めたとは言え今度は物凄くブレるのだ。
この原因はスマホカメラへ搭載されるレンズの明るさとイメージセンサーの面積にあり、最近のスマホカメラのイメージセンサーは1インチ面積を持つこともあるがレンズ交換式カメラの入門機へ採用されやすいAPS-Cサイズのイメージセンサーは1インチセンサーと比較して約1.7倍もの物理的な面積の差がある。
イメージセンサーの面積が大きいということはそれだけ受光できる面積を稼げるということであり、単位時間あたりの受光量も増やせるということだ。
それはどういうことか?と言えば、ソフトウェアや近年流行のAIが撮影データを補完する部分を少なく出来るという意味であり、ノイズというのは撮影データの補完へ失敗した粗が出た結果なので、APS-Cサイズセンサーなどを持つレンズ交換式カメラは暗い場所でも明るく綺麗に撮りやすいことへ繋がる。
ただ撮れていれば良いのであればスマホカメラでも良い。しかし子供の表情をハッキリと残し綺麗に撮りたいのであればデジイチの強みが発揮できるのだ。
綺麗に撮りたいという需要は子供の節目節目に起こるものだし、レジャーなど特別な日でも望まれることだろう。
デジイチは明るく撮れるし背景もボケてエモい動画が作れる。
何ならカメラ向けの外付けマイクとかも販売されているので発表会での合唱とかも高音質で撮れたりもする。
こういうの考えると沼になる。
カメラに目覚めた親ならば必死になるイベントの代表格である運動会や発表会。
筆者の経験から結論を示そう。
フルサイズ換算100mm前後〜450mm前後(APS-C換算70mm前後〜300mm前後)のズームレンズが最低限必要。
気をつけて欲しいのは"最低限"という部分だ。
このズームレンズの選択というのはかなり環境に依存するもので、子供が通っている保育園幼稚園学校の施設の広さによって変わってくる。
しかしながら経験則上、フルサイズ換算で100mm前後〜450mm前後未満のズームレンズじゃ絶対に倍率が足りないというのは断言できる。
スマホなんてもっての外だ。倍率足りないしブレるしデジタルズームで画質が粗くなる。
理想を言うならフルサイズ換算50mm前後〜300mm前後、フルサイズ換算150mm前後〜600mm前後をカバーできるズームレンズが2本あると幸せになれるだろう。
ただし予算がそこそこ必要なので多くの人はフルサイズ換算100mm前後〜450mm前後のズームレンズを選んでおけば何とかなる可能性が高い。
スマホやフルサイズ換算35mm前後〜50mm前後のズームレンズで何とかしようとすると間違いなく米粒のようにしか子供が写せないのでこういう機材での撮影は絶対に避けるべきだ。誰も幸せにならない。
これはカメラを始めた親ならば誰しもがぶつかる難問である。
しかしこれも筆者はある程度解決している。
伸縮が容易に行えるカメラショルダーストラップとキャプチャースタイルクイックリリースだ。
伸縮が容易に行えるカメラショルダーストラップとして代表格は「DIAGNL Ninja Camera Strap」、キャプチャースタイルクイックリリースの代表格として「PeakDesign Capture」が存在する。
ただしこれらは代表格なだけあって比較的高価な部類のカメラアクセサリーであり互換品やインスパイアされた製品が多数存在するので予算に不安があるならば互換品やインスパイア製品で良いだろう。
筆者のオススメは「HAKUBA スピードストラップ」と「FALCAM F38 Quick Release system for shoulder strap」だ。
伸縮が容易に行えるカメラショルダーストラップは移動するときはストラップを縮めてカメラがブラブラと振れないようにするもので、子供が急に駆け出しても対応しやしやすくなる。撮影するときはサッとストラップを伸ばして撮影へ移行できる。
キャプチャースタイルクイックリリースはカメラ本体を直ぐに三脚へ取り付けられるクイックリリースプレートを活用して身体へ身に着けられるようにしたもの。FALCAM F38 Quick Release system for shoulder strapはカメラショルダーストラップへ取り付けられるキャプチャースタイルクイックリリースで瞬時にカメラを取り出したり仕舞い込んだり出来て子供への対応が迅速に出来る。
今まで手持ちで移動したり、いちいちカメラをカバンから取り出していた親御さんが居るなら劇的に子供の対応が楽になるカメラアクセサリーなので導入を強くオススメするぞ。
カメラアクセサリーにはトップハンドルというものが存在する。形状の詳細はググってくれ。
ググった人はわかるだろうが、つまりはカメラを運び構えやすくするハンドルなのだがコレがまた子供の撮影、特に動画撮影で非常に役立つ。
スマホであっても既に子供を動画撮影した経験のある者ならばわかるだろうが、親よりも身長の低い子供を撮影する場合は中腰とならなければいけないシーンが多発する。
しかしカメラトップハンドルがあるとカメラの上部から握る形となるので腰への負担が物凄く軽減されるのだ。
たいていの人は素直に両手を下へ降ろすと手のひらは自分の膝の高さになるけれどカメラトップハンドルは手を降ろすだけで自然に膝の高さで撮影が可能となる。
いや本当にカメラトップハンドルを使ってみないと理解してもらえないのだろうけれど仰々しい見た目となる代わりに圧倒的な撮影のし易さが手に入る。
シャッターや動画撮影開始はスマホのリモートコントロールアプリかBluetoothリモコンを使うと容易に切れる。
ちなみにカメラアクセサリーとしてケージリグを導入するとカメラトップハンドルの選択肢が広がる。
まだまだ平均一般人へは普及していないと言って良い360°カメラ、事実として360°カメラの情報記録量はヤバい。
データバイト量が多いという意味ではなく、360°全周を撮影してしまうために撮影者の表情から周囲の環境まですべて画像・動画として収めるので、その場の空気感と言うか何と言うかあらゆるものが記録されるのだ。
これまでのカメラは前面の風景を撮影すると撮影者の表情なんてわからなかった。
別に360°すべてを残さなくとも良い。例えば巨大なモニュメントがあるとするだろう、巨大なモニュメントの全体像を写真として収めるにはある程度は巨大なモニュメントから離れて撮影する必要があるけれど360°カメラは全周を撮影するため通常のカメラよりも接近して撮影できてしまう。それを後からトリミングする。
例えば巨大なクリスマスツリーとか大鳥居とかシンデレラ城とか、通常のカメラを使っている他の観光客よりも近くで撮影できるのだ。近いので他の観光客が写したい風景を身体で隠してしまう可能性も低くなる。当然ながら子供と一緒に巨大なモニュメントを収められる。
動画撮影でも強い。近年の360°カメラはアクションカムとしての機能も有するため手ブレにも強く。アミューズメント施設で子供が四方へ駆け回るようなアトラクションとかでも子供を見失わず記録できてしまう。
迷路とか、四方にあるボタンを素早く押せとか、ボールがいっぱい入ってるトランポリンとか、そういうアトラクションで360°カメラによる動画撮影は本当に強い。
しかも後から欲しい範囲だけ切り出して360°じゃない動画にも出来る。子供だけを収め続けている動画とか作れるわけだ。
防水ケースへ360°カメラを納めればプールでも海でもスキー場でも活用可能で、今まで通常のカメラでは撮影しにくかった環境や固定された画角では収めにくかった環境でも思い出の記録が可能なので360°カメラの登場は本当にカメラに於いてのテクノロジカル・シンギュラリティと言って差し支えないと思われる。
それが学校の発表会なのか、友人との遊びなのか、結婚式なのかわからないが、いつかそんなことを言い始める日が来るのかもなと考えて日々撮りためている。
生後1日目から出せる、笑った顔も泣いた顔も、成功したときも失敗したときも出せる。
99.999%が親のエゴでやってることだけれど、それでもいつかもしかしたらと子供が言い出す日を今か今かと思って待っている。
デートした子に「車と時計にお金を使う人は…」とストレートにお断りされてしまった話→「なんて正しい教育を受けた子なんだろう...」「俺はセーフだな!」
https://togetter.com/li/1906953
いや車と時計に金を使う男なんか結婚相手としては警戒されて当たり前だろとしか思わん
俺だってバッグに金をかける女は避けるねなんて言ってミラーリングでした気になってるのもバカみたいだ
派手好きの独身女は同性にマウント取りたいだけで結婚したり子持ちのおばさんになればマウント取る必要がなくなって競争から降りてそういう趣味からは足を洗って子育てに専念するもんだけど
家族でのお出かけや子どもの送り迎えに向かないような趣味全開の一千万くらいの車を嫁に相談もなく買ったりする
結婚してもマウントや見栄の世界から降りず上司や部下へ見せびらかすために数百万の時計をやっぱり勝手に買う
自分だけ遊び回して妻子がボロボロの格好でもやし食ってても知らん顔
あなたの車は子育てに向かないと抗議されたらじゃあお前は自分で好きな車買えばいいだろと酒の入ったグラスを投げつけ
でも家に金がないから妻子の方はろくにスピードも出ないし煽られて事故ったら一瞬でぺしゃんこになるような中古の軽しか選べない
嫁や子どもに楽をさせてあげよう、楽しい生活を送らせてあげようなんて考えもしない
嫁が一生懸命家計をやりくりして子どものために口座を分けて将来の学費のために貯金をしていてもこっそり通帳やカードを盗んでそこからまた新しい時計を買う
結婚したら趣味を控えますとか妻子のために金を残しますとかそんなことするわけがないだろう
避けられるのが当たり前
もし結婚してトラブルがあったら「独身のうちに分かるはず、事前に予想できたこと」って女が叩かれるような地雷物件だろ
父親なんて家に金入れなくて嫁にパートやらせてた上で家事なんて一切しないしタバコはリビングで吸うし夜は酒飲んで暴れる尊敬に値しない生き物だろうがよ
あれかもしかしてお前らのパパって家事とか積極的にやるタイプ?ママに叱られたら素直にしょんぼりしてごめんねなんて言うタイプのやつ?
休日はパパが張り切ってキャンプに連れていってくれたりするの?そして喧嘩もなく楽しんで帰っちゃうの?家族の団らんとかあるの?
ママって専業主婦なの?友達の母親も近所のご婦人も親戚のおばちゃんも専業主婦なのが当たり前なの?母親が働かなくていいくらい裕福で心にもゆとりのある家庭なわけ?そういう地域で育ったの?
だから「パパの悪口を言うな!」「ママは働かない怠惰な生き物!」って思ってるの?
フェミニズムは強者女性のためのものなんて言われてるけどアンチフェミニズムもまともなパパに育てられた上級国民のための思想なんだろうな
夏も近づく八十八夜!
ヘイヘイヘイ!
と言うわけで、
だいぶ暑くなってきてない?
暑さに慣れていない今日この頃、
日陰を求めて歩いてしまうわ。
まったくもって、
今日はしっかり寝たわよ。
って言いたくはないわよね。
街を探索してみたいと思うわ。
聞いてよ!
本屋さんにありつけていないのよね。
何か世間は不安を煽るタイトルばかりの煽りタイトルの本しかないけど、
ホイル焼きを極めるべく、
浸水していたわ。
フライパンで湯を張って茹でて茹でや気にする方式のホイル焼きは
意外とホイルの包み方をよっぽど上手にしないと、
オーブントースターの類いのアイテム調理機器があればまた話しは変わってくるんだろうけど、
そうは行かないので、
2回目にして2回とも失敗の打率0割!
これじゃ登録抹消じゃない。
次こそは美味しいホイル焼きを完成させたく、
今度は私考えたの!
食材を乗せるホイルを最初からお皿型にしていたのがもしかしたら間違いだったのかしら?ってことで
そこはまだ真っ直ぐなままよアルミホイルは、
そんで、覆い被せるように蓋をして、
ここで初めて端を巻き込んでお皿型にしたら
なんだかもしかしたら上手くホイル包みが出来るんじゃないかしら?って工夫と汗と涙と塩とコショウの私の涙ぐましい
ホイルの包み方で決まるようなモノなのかも知れないわ。
今度はその方式で
いったん折りたたんでアルミホイルを重ねたあとで縁を成形折りたたんでいくって方式にしてみるわ。
これも工夫よね。
というか、
思っているでしょ?
でも案外あのホイルの包み方がいかに難しいか職人がホイル包み上手い達人で
きっとアルミホイル包むホイル焼きの名人ガイルはずだと思うわ。
そんなわけで、
時が流れるのは早いわ。
良い休日を!
アミーガ!
お寝坊したので生きたかったカフェーの朝モーニングはお預けだったわ。
今日は遅く起きた朝なのでまだ食べてないけど、
気が向いたら何か食べようかしらね。
ごくごく決まるのよね。
気温高くなりそうなので、
水分はしっかりと摂っておきたいところよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
パワハラで追い詰められて…という痛ましいニュースを見るたびに、
気の毒に思う一方で、なぜそうなるまで辞めなかったのだろう、と疑問に思ったことは誰しもあると思う。
自分もその一人だ。
10人以下の小規模な会社で上司=社長という環境だから逃れようもない。
会うたびに自分の愚痴に付き合わされる友人たちは、そんなに嫌ならなんで辞めないのかと呆れ顔だった。
補充要員で採用された新人は入社時は陽気な人だったのに見違えるように陰気になって
新人の愚痴を聞き、自分と同じような道筋をたどっているのをみていると
やはり、なぜこの人は辞めないんだろうと考えてしまう。
パワハラにあっている人は良かったら読んで欲しい。
メンタルを病んでしまう前に、逃げる決心をする後押しになったらと思う。
パワハラの内容や具体的な理由については本題ではないので触れないけれど
【辞めなかった理由1】自分が仕事ができないせいだと思っていた
正直これはあると思う。
仕事ができないからパワハラを受けている、仕事が出来るようになればパワハラにあわずに済む、と考えて必死に努力してきた。
10年いる間に実力もつき、それは社長も認めていたが、だからといって自分が怒られ役ポジションであることには変わりがなかった。
自分の職務は専門職になるのだが、社長から「仕事(専門職)ができるから我慢してつきあってやっているんだ」と言われて「は?」となった。
10年働いている間には、仕事ができなくて自分以上にいじめられている社員もいたが(1ヶ月で退職)、
非常に優秀な社員もいた。
ところが優秀なら優秀でまた気に入らないらしく、社長は陰で他の社員にその社員の悪口を言っていた。
優秀で付け入る隙がないし、自分に自信があって叱責を受けても動じないのが気に入らないようだった。
その様子をみて、なーんだ、優秀だからといって認められる訳じゃないんだ、とバカバカしくなった。
その優秀な社員も3年位在籍して辞めた。
ぶっちゃけそれだけ優秀だったらこの社長の下で我慢して働く理由はないしね。
【辞めなかった理由2】良い時もあった
それほどでもない期間もあって、そんな時は「あれ、いけるかも?」という気持ちになってしまう。
例えば自分の関わっている仕事がメインストリームから外れて社長の意識が他の仕事に向く時、
パワハラの対象はそっちのチームになって自分は怒られなくなる。
あと新人が入ってくると、だいたいそっちが怒られ役になるのでその間は自分は怒られない。
怒られ役は常に一人で、社長の気分や仕事の状況によって常に変わっていった。
自分が怒られ役から外れると、それが自分の努力や工夫によるもので
でもそれは幻想で、時間がたてば怒られ役のポジションは必ずまた戻ってきた。
【辞めなかった理由3】社内に味方がいなかった
間違っていることは間違っていると社長にはっきりと意見を言う社員は壮絶パワハラに合うか、
残っているのは何を言われても「はい、わかりました」と答える選り抜きで従順な社員ばかり。
みんな一様に無言で無表情だった。
相談に乗ってくれる相手も「あなたは悪くない、おかしいのは社長だと」言ってくれる人もいない。
黙って見ているお前らも同罪だよと今は思っている。
自分がいなくなったらこの中の誰かが怒られ役ポジションになるんだろうな。
【辞めなかった理由4】誰もが怒られているわけではなかった
えこひいきがすごかった。
誰もに対しても理不尽に怒りまくっているならそういう人間なのだと諦めがつくのだが
自分や他の怒られ役に対しては怒っても、お気に入りの社員には怒らずにチヤホヤしている。
お気に入りと笑顔で冗談を言い合って、クルッと振り返って自分には叱責。
それを延々とやられると、社長とうまくやっていけない自分がどこかおかしいのだろうかと考えてしまう。
お気に入りの社員がミスをした時は、ミスをしないように気をつけてあげなかった自分のせい、
お気に入りがタバコの不始末でボヤを出したときでさえ、笑ってお咎めなしだった。
お気に入りはお気に入りで、ずっと社長からえこひいきされているうちに
確かに自分は正しい、自分がミスしたのはアイツのせいだと思うようになっていったように思う。
最初は普通に仲良くしていたのだが、最後の方は必要事項のみチャットでやりとりするだけの関係になった。
実際に仲良くしているのを見ると何故か気に入らないようだ。
大体片方にランチなどをおごって、仲良くしている相手の悪口を吹き込んだりしていた。
【辞めなかった理由5】持病があった
身バレするので詳しくは言えないが、入社後すぐに持病が発覚し、
闘病しながらの勤務が続いた。
社長も「こいつなら何をしても辞めない」と思っていた節もある。
病気から回復し、健康状態が良くなるにつれて精神状態も健全になった。
辞めると伝えた時に、社長からは「病気の時あんなに良くしてやったのに」と言われた。
もちろん感謝はしている。
でもそれを言われた時、映画の寅さんの「それを言っちゃあおしめえよ」というセリフが頭の中を流れた。
病気のことで恩を売るやつはプライベートでも仕事でもいらない。
【辞めなかった理由6】他では雇ってくれないと思っていた
思っていたというか思わされていた。
社長からはことあるたびに「(今回の仕事はうまくいったけど)それは俺のサポートがあったからだからね」
と言われ続け、繰り返し言われるうちに自分でもそうだと思いこんでいた。
年齢的にもかなり高いので、ここを辞めたら再就職は出来ないと思っていた。
仕事の特殊性や業界の人手不足もあって、一ヶ月ほどで採用が決まった。
多くはないがスカウトもいくつかあった。
10年近く続けて、正直このままずっと定年まで頑張るつもりだったのだが
思ったよりも精神的なダメージが大きいことに気づいて辞める決心をした。
辞めると伝えた時、社長が「君は役にたたないけど辞められたら困る」と慌てふためいているのを見て
なんかダッセーと思ったら洗脳が解けた。
逆に「なんかもしかしていじめられていたとか勘違いしてない?そういうの困るんだよねー」と言われた。
面白くなるかと思って「オープンレター 女性差別的な文化を脱するために」の変な肩書のやつ抜粋してみた。アーカイブから。個々の人の実際は知りません。
澁谷知美 | 社会学 | 社会学者でも社会学徒でもなく俺が社会学だ!ってこと? |
鈴木彩佳 | 東京都民 | 会社の名前とか大学の名前とかどういう職業とかじゃなくて、都民なんだ。 |
高橋千賀 | パート。大卒。 | 急に読点使い始めたぞ。口語体か。 |
千田由紀江 | 国際信州学院大学 社会学部 学部生 | 話題の架空大学架空学部生 |
山田雅信 | フリー | いや他の人はフリーのライターだのフリーのジャーナリストだの書いてますけどフリーの何 |
安田真由子 | 無回答 | 空白にするんじゃなくて無回答って表にしちゃうのか…頭ちゃんと使ってる? |
関田恵 | なし | おい上と違うじゃん。表の体裁が整ってなくて自分で書いたのがそのまま出てんのかもしかしてコレ |
菊池柚衣 | 高校生 | 未成年がこういう記名の場に出てきたらそっと隠してあげるのが大人じゃないの?せめて大学生ならまあいいけども |
昔好きだった人が忘れられなくて辛い。
今から10年くらい前に片思いしていた人が未だに忘れられなくて新しい恋を始められない。最後に話したのは6年前。最後に会ったのは4年前、たまたますれ違っただけだしお互い認識してないけど。しかも今の相手のLINEすら知らない。
もうどうにかして忘れようと思ってマッチングアプリを始めたけど、忘れられないしこんな気持ちで相手に会うの失礼すぎると思ってしまいやっぱり恋愛できない。拗らせすぎてどうしようもない。
長年会ってない相手を未だに好きでいるっていうのが何だか気持ち悪いし、相手にもこんな気持ち悪い感情抱えてるのが申し訳なくなってくる。
気持ち悪いのはたまに夢に出てくることといつかもしかしたらどこかでワンチャンとか思ってること。本当に申し訳ない……ごめん……。
拗らせすぎて悩みすぎて今日も寝れない。
中小企業、中間決算月、金関係いつもより早く締めると全社員に伝えてる
支払請求書の処理は原本が届かなくても先に金額など確定させて処理は済ませてしまう
締切から5日後
現場A部長「9月分の支払請求書、色々変更になったからメールで送ったわ」
発行元a社/金額55,000(税込) → 発行元個人事業主b/金額50,000(税込)
増田「これは…金額も変わってますね…(まじか)中間決算でもう締めてしまってるので金額変更できないんですが…」
目の前にいる課長に相談、翌月で処理するけどきちんと「今後気を付けてください」と伝えなさいと言われる
(「今後気を付けてください」なんて言おうものなら気を付けたところで俺じゃねーしとか逆切れされかねないなー)
増田「とりあえず翌月分で色々調整するとのことですー…ちなみにこの変更の詳細なんですが、
これってうちとかクライアント側の都合ですか?それともa社側?」
現場A部長「a社が請求書発行してないままその月の分締めてしまったからもうa社で出せないってことで、従事してたbさん個人として請求書発行するって」
増田「つまりa社さんの都合ってことですね…じゃあA部長に気を付けてーとか言っても意味ないですよね~(上司の手前言っとかんと)」
現場A部長「a社の都合っていうか…まぁでもa社からの他の案件分の請求書は届いてるわけでしょ?だったら「この分だけ来てませんよ」って伝えてあげなかったのも原因っちゃ原因だよね」
(またか)
増田「?伝えてあげるって…誰がですか?」
現場A部長「たまに増田が「この支払請求書まだ来てないって言ってくるでしょ、あれ今回言ってきてないでしょ」
増田「あれ、あくまで厚意でやってるだけで本来やらなくていい事なんですよ…」
現場A部長「えでもあれが無いとわからないでしょ俺現場出っぱなしなんだから届いてないって教えてもらわなきゃ」
(そういうのも本来なら部長から「あとどこから来てない?」と聞いてくるのが普通なんだよ自分の案件なんだから一度もそれ聞いてこない方がおかしいんだよ)
増田「A部長、週一くらいは事務所来てくれて良いんですよ?(つか部長なんだから来るべき)そこで毎回どこから来てどこから来てないかの確認してくれて良いんですよ~」
現場A部長「は?俺は現場常駐なんだから行かないよ事務所なんか」(常駐ではない)
(じゃあ支払請求書すべて現場の自分宛に送ってもらって一度確認してからこっち持って来いよ)
(とか言ったらどうせ永遠に原本手に入らないんだろうなぁ…処理が面倒になるなぁ…)
増田「いやいや部長じゃないですか事務所定期的に来ましょうよ~」
現場A部長「だって俺の居場所なんてないじゃん、そんなとこ行かないよ
つか、あのどこから届いてないとかの連絡が厚意ってことはやらなくても良いってこと?
届いてないところはずっと放置の場合もあるってこと?おかしくない?」
増田「いやだから届いてないのあったらいつも連絡してるじゃないですか」
現場A部長「いやでも今言ってたじゃん「厚意」なんでしょ、だったら連絡するしないは気分次第なんでしょ、今回だって届いてないのに連絡来てないし」
増田「厚意ですよ。やらなくてもいい事だけど自分が心配だからやってます。
今回の件についてはまだ支払手続きより全然前なので送ってないだけですよ。
支払手続きのタイミングでまだだったら「まだ来てませんよー」と連絡いれてますけど」
(人の話を聞け)
現場A部長「だいたい確認ちゃんとしてないの?別の案件の分はa社から来てるのにこっちの案件の分は来てないなってなるじゃん俺予算書先に送ってんだから見たらわかるでしょ」
増田「イラッ)申し訳ないですが、そこまで一々把握はしてられないんですよA部長の案件につきっきりなわけではないので…」
(だから確認のタイミングが違うんだつってんだろ…最終的には支払日前には「まだ来てませんよー」てやってんだからそれでいいだろそれよりも前のはお前が確認しろよお前の案件なんだからこっちは月40件の案件に150件の請求書受け取ってんだよしかも年末の大きな案件のせいで受取請求書倍処理してんだからさぁ。つか予算書もお前んとこの案件がさっさと受取請求書揃えてくれりゃそんなに重要じゃねーんだわいつまでたっても受取請求書が揃わないから先に予算書にまとめてもらって処理してんだわつか予算書先に送ってるつってるけどほぼ毎回こうやって終わったころに変更出てんじゃんちゃんと確認して欲しいのはこっちだわ)
現場A部長「えなんで?把握しないとでしょ普通。予算書だのなんだのかんだの送らせておいて把握できないはないでしょ」
(予算書作成は責任者としての仕事だし「なんだのかんだの」は多分見積とかの事なんだろうけどそれ以外にわからんけどそれ送らないとうちからクライアントに請求書出せないからな)
(ちょっとこれ喧嘩になりそうだな…とりあえず酷い感じにはならないようにだけどここらで言う事は言っておいた方がよさそう…)
増田「そんなに細かく把握するのは無理ですよ、申し訳ないですが。それでも支払手続き前には把握してますよね。だからそのタイミングでいつも連絡いれてますし。
ていうか今回のってこっちから「まだ来てない」と連絡入れなかったから起きた話じゃないですよね、あくまでa社さんが請求書出し忘れてたからですよね。
それにわざわざこちらが「出てませんけど大丈夫ですかー」なんて連絡入れてあげる必要はないと私は思っています。
毎回A部長からもa社さんに「今回この案件でいくらいくらです」て連絡入れてくれてますよね、それで忘れてたのはa社ですよね、
それをわざわざa社のタイミングに合わせて教えてあげる義務はないですし、支払前にはいつも「まだ届いてないですよー」て連絡いれてますよね、
目の前で上司が頷きながら「そうそう、必要ない」「それはこっちの仕事じゃないでしょー」と小さく言ってるのが聞こえた
(だいたい支払請求書も手元に来たタイミングで一つ一つ毎回確認してるわけじゃないしそんなことしてたら支払請求書の処理だけで1日終わるわ
締切迫ってたら毎日は確認するけどそれもできるだけ1回にまとめてだし)
(つか、同じ請求元からいくつかの案件の請求書が届くのも、バラバラに届いたりまとめて届いたり色々だしたまたま今回は先方の都合で別々に送ってくるとかなのかなー
まぁ金額も決まってるしこっちの支払手続きまでに間に合えばいいしなーという感覚だし)
現場A部長「いや教えてあげる必要あるでしょ。来るはずのものが来てないんだから」
増田「私はそこまでしてあげる必要はないと思ってます」(つか必要あると思ってんなら自分で毎日全部の取引先に連絡して自分で確認しろ責任者なんだから)
(頭に血がのぼって小学生みたいなこと言い出したよ…つかせめて「俺がやるから!」とか代替案出してからやらなくて良いと言え…)
増田「何でそんな投げやりな言い方になるんですか?」
現場A部長「いい!いい!もういいから!なんにもやらなくていい!」
(なんにもとはどこまでを指してるんだろう…)
(だがしかし決して「俺がやる」とは言わない)
増田「まぁやらなくていいというならやりませんね今後」(お前の為にやってんじゃないから今後もいつも通りやるけど)
現場A部長「だいたいさぁ!請求書発行もあれなんなの俺がいつもチェックしてんじゃん、意味あんの?」
増田「?請求書?というと…?(支払請求書のことだと勘違いして、それならお前チェックしてねーじゃん何言ってんの?て思ってる)」
現場A部長「請求書だよ!請求書!いつも俺がこの金額でお願いしますってメール送ってんじゃん、で作って「確認してください」って送り返してくるじゃん!
増田「あー請求書ですね!いや、案件責任者に確認してもらうのは普通では…?メール受け取って私が作成してそのまま発行するのは会社として怖くないですか?
今までは案件責任者がメールなどで金額を伝えてくる、増田が作成、管理部のおじさんが内容確認、発行という形だったがおじさんが定年退職したので本来の形になった
現場A部長「いやだから俺がこの金額でって言ってんだからそれでいいじゃん!何でわざわざ折り返すのって聞いてんの」
(答えたはず…?)
増田「A部長がこの金額でって送ってくれてるのに私が私だけで完結させてもし万が一間違った金額で送ってしまったらヤバくないですか…?
自分の案件の請求書なのに間違えて送られたら嫌じゃないですか?」
現場A部長「増田が間違えたらそれは増田の責任じゃん。俺の責任にすんなつってんの」
増田「いや、A部長はその案件の責任者ですよね?だから請求書にも責任持ってもらわないと困りますよね?」
現場A部長「だから!何でもかんでも現場に押し付けんなっつってんの!確認なんてそっちの部長にでもやってもらえよ!むしろそっちの仕事だろ!俺に責任を押し付けんな!」
(なるほどーーーーーーーーー!)
(いやでも私も現場責任者に一々確認とるのレスポンス遅いしクソ面倒だからこっちでちゃちゃっと完了させてしまいたいと思って確認作業を上司にお願いしたら
上司には「その確認は経理の仕事じゃない」って言われてしまったしなーでもどっちにしろ現場責任者が俺の仕事じゃねーとかいうのは違うなー)
増田「いや責任は現場責任者にありますよね!?その案件の請求書なんですから!本社でも必ず現場責任者が確認してから発行してますし!」
現場A部長「そりゃ自分で確認したい責任者もいるだろうしそんなの個々の問題でしょ、そうじゃなくてそもそも総務の仕事だろって言ってんの!ちゃんと総務の中で完結させろよ、現場に何でも押し付けるなよ!そっちでやれよ!」
(個々の話してない)
増田「いや正直もう私に言われてもですね…ここまできたらもう直接上に言ってもらっていいですか?私じゃなくて」
現場A部長「いいよ言うよ!でもこれマジでそっちの仕事だからな、これくらいの事まで現場に投げるっていうなら、だったら総務部って何?なんのためにいるの?って話だからな」
増田「…お金関係は総務じゃなくて経理ですね…」(何度も総務って言われるから…流石に自分で気付いて欲しかった…)
(経理何のためにいるのって漠然としてて答えるの難しいな…普通に「金勘定の為にいます」とか言ったって無意味だよなぁ…
確認しないだけで全否定とかまじウケんな…まじで小学生の喧嘩みたいな切れ方してんな…)
現場A部長「総務だろうと経理だろうとどっちだっていいよ!じゃあ俺からそっちの部長に言うから!だったら何のためにいるのかって!
あれ、っていうかもしかして増田って経理じゃないの?なんなの?」
(突然何の確認なの…もしかしてって何を思いついたの…なんなのってなんなの…まじ何でそんな確認されるのか意味不…)
(ていうかでも私も別に所属は経理部だけど実際経理業務はしてないからな…まだ事務業だけだしな…)
増田「いや、なんなんすかねぇ…?なんでもいいですけど…」
現場A部長「だからか~!じゃあ仕方ないな!経理じゃないなら!」
(あ、煽ってんだこの人…)
増田「はぁ…」
現場A部長「んじゃいいや!増田に言っても仕方ないね、そりゃそうだわ!」
増田「はぁ…」
(そろそろ終わりかな…?)
現場A部長「いやでもさ~、だったら増田って支払請求書の確認もしない、請求書の確認も現場に投げるって
増田他に何するの?何もやる事なくない?」
現場A部長「本気で言ってんだよ!増田他にやる事あんの!?増田いる意味ある!?」
現場A部長「わかってるよ!当たり前だろ~!あれもこれもやりませーんってそんな総務経理いる意味ないじゃん!」
(そっくりそのまま同じことお前に対して思ったりもするけど流石に本人には言わないわなぁ…
現場とデスクワークとでお互いそう思いあうのはあるあるだけどそれ言ったら終わりって思ってるしなぁ
ていうか自分が見えてないだけで相手にどんな苦労があるかなんてわからないのになぁ
だからみんな思ってたとしても口に出さないものなのになぁこの人は言ってしまうんだなぁ)
増田「…流石に失礼ですよ」
現場A部長「ま!いいや!じゃあもういいから何もやらなくて!じゃ!」
増田「ん?いや、ちょっと待ってください、この場合の「何も」って何を指してます?」
(支払請求書の確認の話は終わってるし、そっちはやらなくていいって言われたからとりあえず置いといて、
このタイミングで「何も」はどういう意味?請求書の確認はこちらからお前にやれと言ってるわけで
こちらが「やらなくていい」と言われるのは意味が分からんし、ただの捨て台詞として流すには会社の仕事の話だし無理があるよな…)
現場A部長「いや!いいよもう!何にもやってもらわなくていいから!」
増田「いやだから何についての「何にも」ですか?どういう意味ですか?」
増田「…あ、はーいじゃお疲れ様でーすよろしくお願いしまーす失礼しまーす」
なんかもう一つ屈辱的なこと言われた気がするんだけど…頭に血がのぼって声が震えてしまうのを抑えるのに必死で忘れた…
自分がやりたくない、やる必要がないと思ってる事だったらまずは上に相談するのって当たり前の事じゃないのか
何で文句言わず受け入れておいて後からこんな格下のヒラに長々とぶちまけるのか(まぁこっちが言い返したので火がついたのだとは思うが)
というかA部長は、『先方から請求書が届いたタイミングでこちらがこの案件のは来ているけどあの案件の分は来てないなと気付いてA部長に伝えていればそれを先方に伝えて
先方の締切に間に合ってたのに、そしたら金額も請求元も変更せず済んだのに、それを伝えない増田が悪い!』となるのまじで意味わからんな…
普通に先方が見落として(忘れて)送って来ないのが悪いでしょ…
そしてそれをこのタイミングで(A部長が気付くわけもなく)こういう手法で送ってくるa社さんもわからんしそれをそのまま受け入れるA部長もわからんし…
このタイミングでa社がこの手法とってくるということはa社も決算とかだったのかもしれないけど、うちも中間決算だと伝えてるんじゃないのか?A部長から取引先へは…
先方が社内的に翌月分として処理して翌月の日付とかで請求書発行してもらってもこちらは構わなかったのだが、そういうのを先にこっちに相談してこないA部長も悪くね…
そして電話切ってから早速A部長はこっちの部長へ連絡入れたらしく長々と。
その後こっちの部長から上司へ連絡があり、上司は予定があったらしく「次の出社で話そう!」と言って帰ってった。
その後こっちの部長から支社へ連絡があり、「まぁ俺から増田に話したところで何か良くなるわけでもないから」と言ってたので
それと「まぁ、言う事があるとすれば、二人とももういい大人なんだからね、子供の喧嘩じゃないんだから、それなりに大人な対応をしないとって事だけはね」と言われたので
「私は言わないといけない事は言いましたけど、結構大人な対応したつもりですよ。煽られても「それは失礼ですよ」と返しただけで終わらせましたし。
延々と子供な態度取ってきたのはA部長ですけどね小学生みたいでしたよ」って返したけど…
まぁこっちの部長も基本的には相手の言い分だけ聞いてこっちの言い分は全く聞かずに最初からこっちが悪いと決めつけて話し始めるんだったなと。
でも今回「お互い様」みたいな言い方をしてきたのは多分以前A部長と同じような発端(その時は私の立場が定年したおじさんだった)から言い合ったことがあって、
今回も同じように言い合ったからなんだと思う。多分。知らんけど。
中小企業、中間決算月、金関係いつもより早く締めると全社員に伝えてる
支払請求書の処理は原本が届かなくても先に金額など確定させて処理は済ませてしまう
締切から5日後
現場A部長「9月分の支払請求書、色々変更になったからメールで送ったわ」
発行元a社/金額55,000(税込) → 発行元個人事業主b/金額50,000(税込)
増田「これは…金額も変わってますね…(まじか)中間決算でもう締めてしまってるので金額変更できないんですが…」
目の前にいる課長に相談、翌月で処理するけどきちんと「今後気を付けてください」と伝えなさいと言われる
(「今後気を付けてください」なんて言おうものなら気を付けたところで俺じゃねーしとか逆切れされかねないなー)
増田「とりあえず翌月分で色々調整するとのことですー…ちなみにこの変更の詳細なんですが、
これってうちとかクライアント側の都合ですか?それともa社側?」
現場A部長「a社が請求書発行してないままその月の分締めてしまったからもうa社で出せないってことで、従事してたbさん個人として請求書発行するって」
増田「つまりa社さんの都合ってことですね…じゃあA部長に気を付けてーとか言っても意味ないですよね~(上司の手前言っとかんと)」
現場A部長「a社の都合っていうか…まぁでもa社からの他の案件分の請求書は届いてるわけでしょ?だったら「この分だけ来てませんよ」って伝えてあげなかったのも原因っちゃ原因だよね」
(またか)
増田「?伝えてあげるって…誰がですか?」
現場A部長「たまに増田が「この支払請求書まだ来てないって言ってくるでしょ、あれ今回言ってきてないでしょ」
増田「あれ、あくまで厚意でやってるだけで本来やらなくていい事なんですよ…」
現場A部長「えでもあれが無いとわからないでしょ俺現場出っぱなしなんだから届いてないって教えてもらわなきゃ」
(そういうのも本来なら部長から「あとどこから来てない?」と聞いてくるのが普通なんだよ自分の案件なんだから一度もそれ聞いてこない方がおかしいんだよ)
増田「A部長、週一くらいは事務所来てくれて良いんですよ?(つか部長なんだから来るべき)そこで毎回どこから来てどこから来てないかの確認してくれて良いんですよ~」
現場A部長「は?俺は現場常駐なんだから行かないよ事務所なんか」(常駐ではない)
(じゃあ支払請求書すべて現場の自分宛に送ってもらって一度確認してからこっち持って来いよ)
(とか言ったらどうせ永遠に原本手に入らないんだろうなぁ…処理が面倒になるなぁ…)
増田「いやいや部長じゃないですか事務所定期的に来ましょうよ~」
現場A部長「だって俺の居場所なんてないじゃん、そんなとこ行かないよ
つか、あのどこから届いてないとかの連絡が厚意ってことはやらなくても良いってこと?
届いてないところはずっと放置の場合もあるってこと?おかしくない?」
増田「いやだから届いてないのあったらいつも連絡してるじゃないですか」
現場A部長「いやでも今言ってたじゃん「厚意」なんでしょ、だったら連絡するしないは気分次第なんでしょ、今回だって届いてないのに連絡来てないし」
増田「厚意ですよ。やらなくてもいい事だけど自分が心配だからやってます。
今回の件についてはまだ支払手続きより全然前なので送ってないだけですよ。
支払手続きのタイミングでまだだったら「まだ来てませんよー」と連絡いれてますけど」
(人の話を聞け)
現場A部長「だいたい確認ちゃんとしてないの?別の案件の分はa社から来てるのにこっちの案件の分は来てないなってなるじゃん俺予算書先に送ってんだから見たらわかるでしょ」
増田「イラッ)申し訳ないですが、そこまで一々把握はしてられないんですよA部長の案件につきっきりなわけではないので…」
(だから確認のタイミングが違うんだつってんだろ…最終的には支払日前には「まだ来てませんよー」てやってんだからそれでいいだろそれよりも前のはお前が確認しろよお前の案件なんだからこっちは月40件の案件に150件の請求書受け取ってんだよしかも年末の大きな案件のせいで受取請求書倍処理してんだからさぁ。つか予算書もお前んとこの案件がさっさと受取請求書揃えてくれりゃそんなに重要じゃねーんだわいつまでたっても受取請求書が揃わないから先に予算書にまとめてもらって処理してんだわつか予算書先に送ってるつってるけどほぼ毎回こうやって終わったころに変更出てんじゃんちゃんと確認して欲しいのはこっちだわ)
現場A部長「えなんで?把握しないとでしょ普通。予算書だのなんだのかんだの送らせておいて把握できないはないでしょ」
(予算書作成は責任者としての仕事だし「なんだのかんだの」は多分見積とかの事なんだろうけどそれ以外にわからんけどそれ送らないとうちからクライアントに請求書出せないからな)
(ちょっとこれ喧嘩になりそうだな…とりあえず酷い感じにはならないようにだけどここらで言う事は言っておいた方がよさそう…)
増田「そんなに細かく把握するのは無理ですよ、申し訳ないですが。それでも支払手続き前には把握してますよね。だからそのタイミングでいつも連絡いれてますし。
ていうか今回のってこっちから「まだ来てない」と連絡入れなかったから起きた話じゃないですよね、あくまでa社さんが請求書出し忘れてたからですよね。
それにわざわざこちらが「出てませんけど大丈夫ですかー」なんて連絡入れてあげる必要はないと私は思っています。
毎回A部長からもa社さんに「今回この案件でいくらいくらです」て連絡入れてくれてますよね、それで忘れてたのはa社ですよね、
それをわざわざa社のタイミングに合わせて教えてあげる義務はないですし、支払前にはいつも「まだ届いてないですよー」て連絡いれてますよね、
目の前で上司が頷きながら「そうそう、必要ない」「それはこっちの仕事じゃないでしょー」と小さく言ってるのが聞こえた
(だいたい支払請求書も手元に来たタイミングで一つ一つ毎回確認してるわけじゃないしそんなことしてたら支払請求書の処理だけで1日終わるわ
締切迫ってたら毎日は確認するけどそれもできるだけ1回にまとめてだし)
(つか、同じ請求元からいくつかの案件の請求書が届くのも、バラバラに届いたりまとめて届いたり色々だしたまたま今回は先方の都合で別々に送ってくるとかなのかなー
まぁ金額も決まってるしこっちの支払手続きまでに間に合えばいいしなーという感覚だし)
現場A部長「いや教えてあげる必要あるでしょ。来るはずのものが来てないんだから」
増田「私はそこまでしてあげる必要はないと思ってます」(つか必要あると思ってんなら自分で毎日全部の取引先に連絡して自分で確認しろ責任者なんだから)
(頭に血がのぼって小学生みたいなこと言い出したよ…つかせめて「俺がやるから!」とか代替案出してからやらなくて良いと言え…)
増田「何でそんな投げやりな言い方になるんですか?」
現場A部長「いい!いい!もういいから!なんにもやらなくていい!」
(なんにもとはどこまでを指してるんだろう…)
(だがしかし決して「俺がやる」とは言わない)
増田「まぁやらなくていいというならやりませんね今後」(お前の為にやってんじゃないから今後もいつも通りやるけど)
現場A部長「だいたいさぁ!請求書発行もあれなんなの俺がいつもチェックしてんじゃん、意味あんの?」
増田「?請求書?というと…?(支払請求書のことだと勘違いして、それならお前チェックしてねーじゃん何言ってんの?て思ってる)」
現場A部長「請求書だよ!請求書!いつも俺がこの金額でお願いしますってメール送ってんじゃん、で作って「確認してください」って送り返してくるじゃん!
増田「あー請求書ですね!いや、案件責任者に確認してもらうのは普通では…?メール受け取って私が作成してそのまま発行するのは会社として怖くないですか?
今までは案件責任者がメールなどで金額を伝えてくる、増田が作成、管理部のおじさんが内容確認、発行という形だったがおじさんが定年退職したので本来の形になった
現場A部長「いやだから俺がこの金額でって言ってんだからそれでいいじゃん!何でわざわざ折り返すのって聞いてんの」
(答えたはず…?)
増田「A部長がこの金額でって送ってくれてるのに私が私だけで完結させてもし万が一間違った金額で送ってしまったらヤバくないですか…?
自分の案件の請求書なのに間違えて送られたら嫌じゃないですか?」
現場A部長「増田が間違えたらそれは増田の責任じゃん。俺の責任にすんなつってんの」
増田「いや、A部長はその案件の責任者ですよね?だから請求書にも責任持ってもらわないと困りますよね?」
現場A部長「だから!何でもかんでも現場に押し付けんなっつってんの!確認なんてそっちの部長にでもやってもらえよ!むしろそっちの仕事だろ!俺に責任を押し付けんな!」
(なるほどーーーーーーーーー!)
(いやでも私も現場責任者に一々確認とるのレスポンス遅いしクソ面倒だからこっちでちゃちゃっと完了させてしまいたいと思って確認作業を上司にお願いしたら
上司には「その確認は経理の仕事じゃない」って言われてしまったしなーでもどっちにしろ現場責任者が俺の仕事じゃねーとかいうのは違うなー)
増田「いや責任は現場責任者にありますよね!?その案件の請求書なんですから!本社でも必ず現場責任者が確認してから発行してますし!」
現場A部長「そりゃ自分で確認したい責任者もいるだろうしそんなの個々の問題でしょ、そうじゃなくてそもそも総務の仕事だろって言ってんの!ちゃんと総務の中で完結させろよ、現場に何でも押し付けるなよ!そっちでやれよ!」
(個々の話してない)
増田「いや正直もう私に言われてもですね…ここまできたらもう直接上に言ってもらっていいですか?私じゃなくて」
現場A部長「いいよ言うよ!でもこれマジでそっちの仕事だからな、これくらいの事まで現場に投げるっていうなら、だったら総務部って何?なんのためにいるの?って話だからな」
増田「…お金関係は総務じゃなくて経理ですね…」(何度も総務って言われるから…流石に自分で気付いて欲しかった…)
(経理何のためにいるのって漠然としてて答えるの難しいな…普通に「金勘定の為にいます」とか言ったって無意味だよなぁ…
確認しないだけで全否定とかまじウケんな…まじで小学生の喧嘩みたいな切れ方してんな…)
現場A部長「総務だろうと経理だろうとどっちだっていいよ!じゃあ俺からそっちの部長に言うから!だったら何のためにいるのかって!
あれ、っていうかもしかして増田って経理じゃないの?なんなの?」
(突然何の確認なの…もしかしてって何を思いついたの…なんなのってなんなの…まじ何でそんな確認されるのか意味不…)
(ていうかでも私も別に所属は経理部だけど実際経理業務はしてないからな…まだ事務業だけだしな…)
増田「いや、なんなんすかねぇ…?なんでもいいですけど…」
現場A部長「だからか~!じゃあ仕方ないな!経理じゃないなら!」
(あ、煽ってんだこの人…)
増田「はぁ…」
現場A部長「んじゃいいや!増田に言っても仕方ないね、そりゃそうだわ!」
増田「はぁ…」
(そろそろ終わりかな…?)
現場A部長「いやでもさ~、だったら増田って支払請求書の確認もしない、請求書の確認も現場に投げるって
増田他に何するの?何もやる事なくない?」
増田「…流石にそれは失礼ですよ」
現場A部長「いや本気で言ってんだよ!増田他にやる事あんの!?増田いる意味ある!?」
現場A部長「わかってるよ!当たり前だろ~!あれもこれもやりませーんってそんな総務経理いる意味ないじゃん!」
(そっくりそのまま同じことお前に対して思ったりもするけど流石に本人には言わないわなぁ…
現場とデスクワークとでお互いそう思いあうのはあるあるだけどそれ言ったら終わりって思ってるしなぁ
ていうか自分が見えてないだけで相手にどんな苦労があるかなんてわからないのになぁ
だからみんな思ってたとしても口に出さないものなのになぁこの人は言ってしまうんだなぁ)
増田「はぁ…」
現場A部長「ま!いいや!じゃあもういいから何もやらなくて!じゃ!」
増田「?いや、ちょっと待ってください、この場合の「何も」って何を指してます?」
(支払請求書の確認の話は終わってるし、そっちはやらなくていいって言われたからとりあえず置いといて、
このタイミングで「何も」はどういう意味?請求書の確認はこちらからお前にやれと言ってるわけで
こちらが「やらなくていい」と言われるのは意味が分からんし、ただの捨て台詞として流すには会社の仕事の話だし無理があるよな…)
現場A部長「いや!いいよもう!何にもやってもらわなくていいから!」
増田「いやだから何についての「何にも」ですか?どういう意味ですか?」
増田「…はーいじゃお疲れ様でーすよろしくお願いしまーす失礼しまーす」
なんかもう一つ屈辱的なこと言われた気がするんだけど…頭に血がのぼって声が震えてしまうのを抑えるのに必死で忘れた…
自分がやりたくない、やる必要がないと思ってる事だったらまずは上に相談するのって当たり前の事じゃないのか
何で文句言わず受け入れておいて後からこんな格下のヒラに長々とぶちまけるのか(まぁこっちが言い返したので火がついたのだとは思うが)
というかA部長は、『先方から請求書が届いたタイミングでこちらがこの案件のは来ているけどあの案件の分は来てないなと気付いてA部長に伝えていればそれを先方に伝えて
先方の締切に間に合ってたのに、そしたら金額も請求元も変更せず済んだのに、それを伝えない増田が悪い!』となるのまじで意味わからんな…
普通に先方が見落として(忘れて)送って来ないのが悪いでしょ…
そしてそれをこのタイミングで(A部長が気付くわけもなく)こういう手法で送ってくるa社さんもわからんしそれをそのまま受け入れるA部長もわからんし…
このタイミングでa社がこの手法とってくるということはa社も決算とかだったのかもしれないけど、うちも中間決算だと伝えてるんじゃないのか?A部長から取引先へは…
先方が社内的に翌月分として処理して翌月の日付とかで請求書発行してもらってもこちらは構わなかったのだが、そういうのを先にこっちに相談してこないA部長も悪くね…
そして電話切ってから早速A部長はこっちの部長へ連絡入れたらしく長々と。
その後こっちの部長から上司へ連絡があり、上司は予定があったらしく「次の出社で話そう!」と言って帰ってった。
その後こっちの部長から支社へ連絡があり、「まぁ俺から増田に話したところで何か良くなるわけでもないから」と言ってたので
それと「まぁ、言う事があるとすれば、二人とももういい大人なんだからね、子供の喧嘩じゃないんだから、それなりに大人な対応をしないとって事だけはね」と言われたので
「私は言わないといけない事は言いましたけど、結構大人な対応したつもりですよ。煽られても「それは失礼ですよ」と返しただけで終わらせましたし。
延々と子供な態度取ってきたのはA部長ですけどね小学生みたいでしたよ」って返したけど…
まぁこっちの部長も基本的には相手の言い分だけ聞いてこっちの言い分は全く聞かずに最初からこっちが悪いと決めつけて話し始めるんだったなと。
でも今回「お互い様」みたいな言い方をしてきたのは多分以前A部長と同じような発端(その時は私の立場が定年したおじさんだった)から言い合ったことがあって、
今回も同じように言い合ったからなんだと思う。多分。知らんけど。
エルサレムのおとめたちよ
野のかもしか、雌鹿にかけて誓ってください
愛がそれを望むまでは
愛を呼びさまさないと。
大学2年生をしている。
キリスト系の大学に通ってるんだけど、神学的な講義がぜんぜん意味不明だった。
なので、一生に一度と思い、聖書に挑戦してみることにした。
率直に感想を述べる。
長かった……とにかく長かったー! ぜんぶで2000ページ以上もあった。
そのうえわたしは、本を読むのが遅い。なので、1ページに平均3分ちょっとかかった。詩編だと2分くらいかな。
なので、1ページにつき3分とすると、2000ページで6000分=約96時間も読んでいたことになる。こんな読書体験は初めてだ。
得られる物はもちろんあった。半年もかかって読み終えたのだ。成果なしでは悲しすぎる。
全文引用はちょっとどうかなと思うところもあったけど、この聖書の発行元は、250節までは引用OKとしている。
なので、この2編だけグサッとまるまる引用する。ほかにもちょっとだけ引用している。冒頭の詩は、『詩編』(追記:雅歌の間違いでした)という閑話休題的な部分から取らせてもらった。(私が持っている)旧約聖書の1052ページに載っている。
子どもの頃、こんな題名のドラマを観たことがあるかもしれない。
放蕩息子のたとえ
また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどのパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。
ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」
最初は意味不明だった。お前は何を言ってるんだ? そんな気分だった。
さて、解説サイトを巡ったところによると、この掌編というのは――父親を神に、放蕩息子を(いつも罪を犯しがちな)迷える人間に喩えているらしい。
なるほどと思った。イエスの説話にはたとえ話がよく登場するが、たとえ話の中でもたとえを使っているのだ。
神は寛容な存在だ。聖書においても、寛容さが重要な徳であると述べた個所が多くある。
現代社会においてもそうだ。昔に比べると、個人に対する寛容さが求められるようになっている。傍目では愚かに見える行いであっても、当人の意志を尊重する。自己決定権というやつだ(うろおぼえ)。
聖書というのは、なんかもういろいろと今の社会を先取りしているのだ。いや違う、普遍的というやつだ。どんな時代でも共通する大事なことを、ひとつひとつ、じっくりとしっかりと述べている。
イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
――ルカによる福音書 16.1-13(16章の1節~13節) P.140
「それはひょっとしてギャグで言ってるのか!?」という、中学生の時に読んだ漫画の台詞を思い出した。
読み始めは、聖書らしい勧善懲悪を期待していた。読了後は、こいつやりたい放題だな! と感じつつ、この物語は何を意味しているのだろう――今度は自分で考えることにした。
こたつ机の上で、通勤途中の自転車で、トイレの中で、サイゼリヤでの雑談中に、神学のWeb講義中に、何度も考える機会があった。
わからなかった。結局。
それで、解説サイトを巡ってみることにした。どうやら聖書のたとえ話の中でもメジャーな作品らしい。
しかし、わからない。どの解説サイトを読んでもしっくりこないのだ。
どのサイトにおいても、「どんなに苦しい状況の中でも、神の国に行くために最善の行動を取ることが大事」と書いてあった。不正にまみれた富でいいので、いつか最後の審判が訪れて、永遠の国に住む時のための友達を作っておくべき、みたいなことが書いてあった。
例えば、主人が召使い3人に、自分が留守の間お金を預ける話がある。3人の召使いの中で、そのお金を資産運用によって一番増やした人が主人に一番褒められていた。お金を土の中に埋めておいた人は、主人の命でそれを取り上げられ、一番増やした人に渡ったうえ、彼は外の暗闇に追い出されてしまう。
(だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる)
でも、その一方で、「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」みたいなことを述べた箇所が同じ新約聖書に3つ以上はある。
約二千年前に作り始められたわけだから、矛盾する箇所も当然あるだろう。しかし、それにしても不正な管理人の話には納得がいかない。
そうこう考えてググっているうち、こんな本をアマゾンで見つけた。
要約すると、長い年月に渡って聖書が写本され続けた結果、当初は存在しなかった物語や解釈や意図が入り込んでいった、とのことだ。
ならば納得できる。この『不正な管理人のたとえ』の真実は、こうだ。昔、聖書を写本していた権威ある人が、「このネタ入れたら面白いんじゃね?」的なノリで挿入したシュールギャグだったのだ。それが不正な管理人のたとえの正体である――解決。
解説サイトやヤフー知恵袋なんかでこの掌編を肯定している人は、もしかして、あれじゃない? 権威に弱い人なんじゃないか?? おかしいものはおかしいとして、はっきり言わないといけないんじゃない??? と、わたしは思いました。(小学生並みの感想
聖書を読んでよかった。
はっきり言おう(ここイエスを意識している)。わたしにとって収穫だったのは、多くのコンテンツの原典・元ネタであることを確認できたからだ。以下のようなものがある。ネタバレ防止のため、どの作品に派生しているかは原則述べない。
例えば、①エジプトの王宮でのモーセ&アロン VS ファラオの対決時に、お互いの杖を蛇に変えてバトルする場面とか、②サムソンが今わの際に両手で二本の柱を押し倒して数千人を巻き添えにして死ぬところとか、③ペルシャ王クセルクセスが、「王妃エステル、どうしたのか。願いとあれば国の半分なりとも与えよう。」って2回も言うところとか、④大岡裁き(どちらが本当の母親か決めるやつ)の元になった母親2人の諍いの話とか、⑤ダビデの三勇士の一人イシュバアルは、槍のひと突きで800人を殺してしまうとか、サラっと書いてあって思わず吹いた……。
ほかにも、ここには挙げきれないほど多くの漫画や小説やゲームの元ネタに会うことができた。これだけでも読んだ甲斐があるというものだ。
特に、士師記のサムソンには笑わせてもらった。スラップスティック・ギャグコメディの原型が聖書にあったなんて! 高橋留美子も、これを読んで『うる星やつら』の肥やしにしたのかもしれない。
聖書というのは、宗教書というよりは総合文学の書であって、これを基に、その人がどう人生を生きるか考えるきっかけにする、みたいなコンテンツなんだと思う。
聖書は、各編によって色あいが相当違う。格調高く綴られた世界創造の語りだったり、長い旅と王国の繁栄の中で主人公が次々と交代していく群像劇のようにも見えるし、小説上のジャンルはだいたい網羅している(冒頭の詩は兄×妹の恋愛ものだ)し、どんな生き方が正しいのかという論じ合いもあるし、お笑いな感じの喜劇もあるし、いきなり箴言集になったりするし、詩もたくさん出てくる。
ところで、聖書に出てくる神は、その時々によって寛容だったり不寛容だったりする。人によらずとも、矛盾していると感じることがある。
キリスト者を迫害した人や、信心や律法の罪を犯した人を赦す場面もあれば、かの有名なオナンさんはあっさりと殺されるし(彼のしたことは主の意に反することであったので、彼もまた殺された。)、聖者エリシャを「禿げ頭出ていけ」と詰った子ども達42人は、突如現れた熊2匹によって皆殺しに遭っている。
同じ人でもやることなすことに筋が通っていたりいなかったりすることがあるし、理不尽だと感じた運命が後に自らを利するものであることがわかったりするし、法律や常識に反した行動がみんなの共感を得ることだってある。
わたしが若者でいられる時間は少ない。あと10年以内には若者ではなくなってしまう。それまでには、ひとかどの人物になっていたい。今回、半年がかりで聖書に向き合った経験が生きたらいいなと思っている。
最後に、物語の背景を知らなければ厨二な詩としか思えない台詞を書き留めて結びとする。
サタンの弄びにより、死に等しい皮膚病に冒されてしまった義人ヨブの独白の一部だ。