はてなキーワード: 再現とは
著者についてあまり知らなかったから調べてみたら(頻繁にエゴサしてるらしいから名前は書かないけど)
まぁ右から左まで全方位に叩かれてて草だったわ。これとか
https://togetter.com/li/1187992
もう何年も前から、データのチェリーピッキング、データの意図的な読み替えの常習犯らしいな。
今回の記事と同じ手口だ。
自分も数字を再現できなかったが、ほかにも再現できなかったケースが多々あるようだ。
もう真面に議論・分析できる人はほとんど相手にしておらず、「死んだほうがいい」とまで言われるレベル。
真に受けてるのは「日本は強姦がひどい、女性差別的」って内容を拡散するフェミニストだけ。
社会学者を名乗ってはいるが教職にはもう何年もありつけてなくて(そりゃそうだ)、より先鋭化して煽り記事を書くことに専念してる、ってとこか。
常識だと思ってたけど知らない人いるのか。
自分に都合のいい結論を見たときは、一回冷静になって、ちゃんと論理展開がなされているかチェックするべき。
ってよくわかんだね。
完全な嘘。捏造に近い。
女性は一般的に男性より寿命が長いから、女性が平均年齢に達するころには「配偶者有」じゃなくて「死別」になっている。
つまり不幸にして平均寿命よりも早く死んでしまった既婚者を多く集めたデータが「配偶者有」、平均程度以上に生きた既婚者を多く集めたデータが「死別」
まっとうな人間なら、既婚と未婚について語りたいなら、既婚は配偶者有と死別を平均して計算するが、この記事ではやってない。
これを「未婚は配偶者有より平均寿命が長い」ならまだ統計のトリックを使ったチェリーピッキングといったところだろうが、これを意図的に死別を無視しながら「既婚」と言い換えるのはただの嘘。
現代フェミニズムってこんな低レベルな議論で動いてるんだな・・・
しかも出典に書いてある人口動態調査をみても数字が再現できんな。
45歳多重派遣と言っても、噂のGitHubの人ではない。すまんな。。
皆さんはプロジェクトの共有ディレクトリの最下層に”女子大生”という何もないファイルを作ってアクセスログをとっていたのがバレて怒られた事はあるか?私はある。2回。
仕事でとうとうGitHubすら使わずにプログラマ人生を終えてしまった。
レガシーな技術を使いがちな金融プログラマではそこそこ居るのでは無いだろうか。
年収は20代後半からは550万~700万位だった。残業代・退職金は無く交通費は出ない。
所属会社は営業も事務も居ない小さな所帯のフリーの集まりのような所で、会社の運営に必要な金額をある程度毎月納めれば良い会社だった。
仕事がなくなれば自分、もしくは他社員の人脈で仕事をとってくる方式。
フリーで居るよりは仕事を取りやすく、単価も上げやすいので一応会社の所属にしているだけの所だった。
それでもすごく世話になった。
私はやる気が無いプログラマだった。オフの時間にプログラムの勉強をしたことなんて殆どないが30歳、35歳の限界説を越え、45歳まで働けた。
これはそんな元ニートの高卒45歳、多重派遣の底辺プログラマの退職エントリ。
はてなのIT技術者諸氏はオフの日にも日々勉強をしているようで。
◯◯出来る人が居ないか?と聞き回る営業を見ていると多重派遣のSESとはいえ業務時間内に勉強させろと私は思う。
技術の勉強の話になると途端に何プペる?のような、仕事の為の無給勉強時間当たり前のように語られる事がやる気の無い私にはついぞ理解することが出来なかった。
足に鎖でもついてるのかね。私と一緒だね。
45歳で年収300万円多重派遣の彼は問題児なのかもしれないが、私よりはやる気があるプログラマなのではないかと思う。
退職までずっとプログラムを書き、テストをしていた。たまに客に直接要望を聞いて仕様書に落とすこともした。
C/C++・Java・各種Shell・VB/VBA・SQL、UNIX/Linux・Windowsサーバーでなんとなーく仕事をしていた。
プログラムは他の人が書いたプログラムを流用しまくって書いた。
ざっくりな話になるが、私より出来る人はわんさか居て、私より出来ない人・問題児が2割は居た。後者の彼らのおかげで私は仕事があったのだ。あと、東京だからあったのだ。
人並以上の理解をしていたのはLinuxの構造くらい。仕事でカーネル層に潜り込み、デバイスドライバの改造をしなくてはならず、月350時間くらい働いているうちに身についたものだ。
当時居た会社は年俸制という糞システムだったので1円も残業代は出なかったが。
全く知らない技術が使われている新しい現場に上位プロパー会社の営業に売りに出されることはままあった。
現場の人にさも「解ってます!」みたいな面で面接をし、何とか切り抜けることは出来た。このときばかりはいやいやながら上辺だけを勉強した。無給でな。
解っている事でも残業が沢山降ってきそうな場合は「ちょっと私には難しいですね・・・」「「いやー、解らないですね。。」と出来ない振りをする度量もついていた。
仕事は”出来る(都合の良い)いい人”に回ってくるし、仕事をしてもめったに単価を上げてくれないし、切られる時は切られる。
30歳を越えたあたりから必要な時は定時丁度に上がる精神的な技術も身についた。
それと同時にここ10~15年はブラックなIT業界でもようやく過残業を減らそうという機運が増えてきたように思う。
ライブやイベントにも足を運べるようになり、推しに投資が出来るようになった。
おそらくまだ10年はプログラマとしてなんとなく生活出来たのだろうと思う。
「あいつ、そこまで出来はしないけれど居ないと困ることもあるんだよなぁ」位のポジションで。
あるいはもう少しやる気を出し、転職をし、上位層で働くことも出来たのかもしれない。
・そしてその日、”1人日”以上の仕事が割り振られる。残業しても終わらない
・翌朝で何故おわっていないのか?を問い詰められる
・仕事のタスク割り振りが多すぎて終える事は出来ないとお伝えしましたが?と反論
・その状況で、空いている時間にやっておいてくれと新たなタスクが振られる
・空いている時間とは?と聴いてみるが、コンパイルしている1分の時間に少しづつといわれ、そんなの出来るわけ無いですよね?。どこに空いている時間があるか教えて下さい。
と、毎朝そんな問答を繰り返していた。
改善をする気もおきなかった。早く次の現場に行きたいなという事ばかり考えていた。
そして気づいた。この仕事にようやく私は飽きたのだと。
子供も数年前に生まれ、子供が成人するまでこの仕事をするのも耐えられないと。
そんな時に副業のほうを本業にする決意をした。会社を辞め、起業をした。
今は全く別業種の業界で働いている。この先うまくいくかは良くわからない。
3次請け、4次請けの会社に居たので理不尽やパワハラには事欠かなかった。
まだ若手の時、鉄砲玉として使われた事があった。
フロッピーを本番端末のあるセンターに密かに持ち込み、定例メンテナンスの振りをしてシステムを黙って更新するという密命が若手の私と、他社の派遣PGで新人のK君に与えられた。何度も。
かばんの奥にフロッピーを隠し、かばん持ち込み検査で検査員にばれないようにし、潜り込む。メンテナンス用の作業IDを使用して黙ってシステムを更新するというのを繰り返し行った。
今考えると下手すると裁判沙汰なんじゃないだろうか。しかも見つかったら責任を取らされるという。
テンパった彼は入館証ではなく、隠していたフロッピーを検査員に見せつけたのだ。
だが、早朝ということもあり、検査員がほぼ寝ていたので問題なく通れてしまった。
今思うとあの時は首の皮一枚で大丈夫だったんだなと。
大手家電メーカーの工場で仕事をした時、プログラムの仕事なのに作業服をまず”自費”で買わされた。作業服いらねえだろう。
工場内にある窓の無いプレハブ小屋が開発現場だった。人権が無ぇ。ファーウェイの工場にはヨーロッパの街並みが再現されているらしいが。
この現場は電機メーカーのIT子会社D社からE社に投げられ、部屋に私以外だと窓際管理職のD社社員1人とE社の人間しか居なかった。
何故、E社の人間の中に私1人だけ他社の開発要員が入るのか?
入ってすぐに理解した。担当するシステムが1人だけで長く開発していたシステムで、スパゲティすぎて破綻しかけているのだ。
これを開発し続けられればヨシ、破綻したら私の(会社の)せいということにしたいのだ。
入って1週間で営業にコレはダメだと、早く抜けさせてくれと直訴した。
結局抜けるのに4ヶ月かかったが、その間、本当に酷い日々だった。
小さな改修が多く、納期は1週間か2週間毎にやってくる。だが仕様を投げるD社の人が鬱で会社にあまり来ない。他のD社の人に聴いても何も解らないという。
1週間の仕事で金曜日納品なのに、木曜日の夕方に2日酔でやってきた担当者に仕様を聞き出し、金曜日に意地で納品するも、気に入らないところがあったらしく「前担当者よりスキルが低いですね~」と言い放たれた。精神の苦行だろうか。
私の抜けた後、E社の別な人間が担当するも無事破綻しかけているという話は後ほど聞いた。自分のスキルでは本当にギリギリだった。危なかった。
高校卒業後はニートだった。猫と母としか会話をしない2年を過ごした。
その後、大手新聞社とオペレーター派遣会社が共同で作っていた文科省認定ではなく定期の学割も効かない街のパソコンスクールに通った。
教師は二種(基本情報)も持っておらず、業界歴は1年だけで環境変数も理解していなかった。
その学校で多重派遣という底辺で生きる技術者の卵に他の20名と一緒になった。
文科省認定の専門学校の情報処理科では少しマトモに勉強すれば大手SIerや商社の子会社の「何ちゃらソリューション」に入れる事も多い。
アホの一つ覚えのように大手の子会社は「何ちゃらソリューション」なので、「何ちゃらソリューション」というIT会社を見たらセンスの良い経営者が名付けた何処か大手の子会社だと思って差し支えない。あとイノベーションとかな。イノベータとかな。
就職氷河期の真っ最中に地方中核都市で就職をしたのだが、入社直前に東京勤務になった。
会社からは15万円の引っ越し資金だけが支給された。氷河期の3月に転職は出来なかった。
親に敷金礼金4ヶ月分を負担してもらい、親父に秋葉原の石丸電気で家財一式を買って貰った。
SES企業はまず新人教育の当たりハズレががある。ハズレのほうが多い。
派遣法の隙間をついて、たった1人で新人が派遣されてくる事も多い。彼らの大体は苦労を強いられている。
私は運良く同じ会社の人が沢山居る現場に入ったのだが、教育担当が想像を絶するパワハラマンだった。とにかくどんなことにもキレる。
ある日個室に呼び出され「お前は田舎に帰って缶詰工場で働け。なるべく頭の働かなくて良い仕事を選んでくれ。業界にいると迷惑だ」と言われてしまった。
親に学校に通わせて貰い、引っ越し代も払ってもらったのに使い物にならないと言われたときの絶望感は大きかった。
地下鉄の電車がホームに入ってきた時、ホーム下にふと吸い込まれて行きそうになり、寸前でハッとなり鼻先を電車がかすめていった。
知らないおばちゃんに「しっかりして!」と怒られた。都会の人も優しい。
それ以降、他社でも同じチームの新人には丁寧に接していた。私はまだ恵まれていた方なのかもしれないと思うこともままあった。
その家電はTronからLinuxにOSが切り替わり、開発・コンパイル用のソフトウェアのシミュレーターが新規開発となった。
Linuxのカーネルプログラミングが必要となり、日本語の文献もインターネット上の文献も少なく、オライリーの洋書(現在は日本語版もある)を取り寄せて読まざるを得ない状況だった。
英語は全く出来ない&私が作るとなると当然開発は遅れた。
私はカーネルプログラミングなんて当時はしたことが無かったし、集められた人員もLinux上でC言語の仕事をしたことがある。くらいの人員が集められたのだ。
単価が安い人しか使ってはいけないというルールで運用されていたらしい。
苛立った家電メーカーの”部長”が私を広いフロアの大人数の前でこう叱った。
「こいつ全然解ってないじゃないか!!なんでこんなのにやらせているんだ!!」
中国出張で散々おねーちゃんを買った自慢をしていた糞みたいな人間に罵られるのである。
月単価55万で350時間働かされ、残業代は1円も出ずである。誰もフォローをしてくれなかった。
徹夜が3日目に突入した午前3時、役職付きが私のPCの後ろで「まだ出来ないのか?」と15分おきにやってくる。
何とか完成はさせた。恐ろしいことに若かった当時は満足感をそれなりに得ていた。
精神的に色々と凹んでいた時に励ましてくれたのは中国人の同じ派遣の人だった。
大卒の育ちの良い中国人派遣技術者が沢山居たが、彼らは本当に性格がまっすぐだ。彼らが私の中国感を大分良くしてくれた。
(ずっとメッセンジャーばかりやっている連中もいたが)
彼らのような有益な人材が来てくれる時代があと何年あるのだろうか。
私は所属未定のまま倒産した次の日も、土日も何故か働いていた。
自分が働かないと他の人が倒れてしまうと当時は考えていたし、ようやく仕事が出来るようになって謎のやりがいを感じていた。
そして、翌週、中間の会社から流石に所属未定はマズイのでフリーとして契約しましょうと言われたのだが、単価の話なんて当時若造だった私には解らないのである。
結局、300時間以上働く中、残業代無しの45万円固定と言われるまま契約をしたのだが、
当時の私には多い金額に思えていたものの、都内のフリーの技術者としては当然低すぎる金額であった。
忙しい中、アドバイスを貰う余裕もなく、無知のために中間会社の狸親父に低い金額で契約させられたのだった。
みなさんは自分の単価くらいは知っておいたほうが良い。
賢い同じ会社の同僚は失業手当で半年間遊んだか、会社契約と同じ単価でフリーとして契約していた。
余談その2、当時なんとなく興味を惹かれて当時流行っていた日本礼賛本を読んでみた。
国産OSのtronは携帯電話で世界を席巻!!みたいな事が書いてあったが、その本が出ていた頃、携帯電話のOSはLinuxとSymbianで締められていたのを知っていたので興味深く読んだのを覚えている。
他にも
「1次請けが私の単価を上げてくれても中間会社が搾取し、私には全く反映されない話」
「野田がドモホルンリンクルのバイトのように円高を注視し続けた時、円高&オフショアブームで単価が2年で2回減った話」
「中間会社にオフショア開発の失敗の後始末を手伝って欲しいと言われ、現場をインフルで倒れた振りをして休んだ話」
「5000円の著作権フリー音源をシステムに使用するのに数百万かかった話」
「メモリ枯渇エラーが頻発したのに数百万以上のコストをかけて打ち合わせをする虚無の話」
「メモリ初期化エラーが頻発した時に、解決方法としてとんでもない方法を提示され、阻止した話」
「15万円のPCが60万円で導入される仕組み」
「入社初年度の忘年会の一次会が新宿の有名なゲイのショーパブで、他の社員と会話も無く終わった話」
「無呼吸症候群で猛烈な睡魔との戦い、現場で怒られるようになり、睡眠薬で生活リズムを取り返した話」
「大手会社のコンプライアンス啓蒙画像に著作権違反を発見した話」
「キレる、人前でイライラする人とは働きたくない話」
「某銀行の開発子会社の美人率が高い・銀行員の婚姻率の格差社会の話」
などなど考えていたが長くなったので終わり。
多重派遣先は色々なキャリアの人が多い。元ホスト、元キャバ嬢もいれば元医師の中国人、元アニメ会社勤務、元美容師、元寿司職人等の転職組も多い。
以前いたプロジェクトの有名SI企業のPMもSES上がりの元寿司職人だった。
SESは就職の壁が低い。そこを足掛けとして転職し、さらなる転職で大手や大手子会社に転職するのは悪くないキャリアプランの一つなのかもしれない。
SESの会社も玉石混交なのでまずは良いSES会社に入るのは大事だし、多重派遣は改善されてほしいが。
何が書きたかったのか忘れたし飽きた。
業界からやる気の無い45歳が1人減り、業界は少し平和になった。
追記:続編を書きました。
週に何度かの出勤日を終え帰宅する途中、ふと駅前のとんかつ屋の張り紙が目についた
夜限定?このご時世で8時までしか営業できないことと関係あるのだろうか?でもとんかつ屋がカツカレーにしたって客の滞在時間は変わらないよな。等と思いながらも限定の二文字ととんかつ屋のカレーがどんなものか気になり来店
過去に一度来た事があるが相変わらず古く、ボロくもあるが老舗の空気も漂わせるいい雰囲気、カウンターキッチンとテーブル席が3つほどの小さな店だ。
こんな時期だからか一人客なのに四人掛けのテーブル席に通される。他の客は二名。一人は奥のテーブルで二本目のビールをあけている。たった一人で瓶ビール二本。そこらの飲み会で騒ぐためにビールを飲み、ビールしかアルコールを知らないオッサンどもとは違う、正真正銘にビールが好きなオッサンなんだろう。もう一人はちょうどカツカレーを頼んで待っているところだった。安心しろ。俺もすぐ行く。
慣れた雰囲気でカツカレーを注文し茶飲みながら待つ。こういう時にちゃんと湯呑で茶が出てくるのがいいよな。あとおしぼりに紙で包装された割り箸。経費削減と効率化が進んだチェーン店では出てこないサービス。
カツを揚げる音を聞きながら前座の豚汁とキャベツ、おしんこが運ばれてくる。カツカレーでも千切りキャベツを別で出してくるのはとんかつ屋の矜持か。
そしていよいよカツカレーと対面だがなんと深みのある給食っぽいカレー皿で出てきた。なんか店で喰うカレーって平たい皿のイメージだったから驚いたな。まあ食えば一緒か。
カツは前と変わらず標準的な品質。特段旨いわけじゃないが文句もない。揚げ立ての衣は文句なし。カレーの方は…意外と個性がある。既製品ではないのか?デミグラスソースっぽい香りでもあり、カツのせいか金沢カレーの親戚のようでもある…こんなところでこんな洋食っぽいカレーが出てくるとは!好奇心で頼んでみたが正解だったな。
カツを一枚、カレーを食い、千切りキャベツでリセットしてお茶を一口。そしてまたカツを食い…たまに豚汁。とんかつ定食のサイクルをカツカレーで再現…だがここで一つ問題が浮上する。おしんこだ。本来なら白米-豚汁-おしんこラインが完成したところがカツカレーではカレー自体が白米を自己完結させるので出番がない。カツに対応するサッパリ枠もキャベツが占有している。だいたいカツカレーにも福神漬けが乗ってるのにこのおしんこはどうすればいいんだ……とりあえず適当なところで全部食っちゃうか…
などととんかつ定食の作法で出されたカツカレーを楽しんでいる自分の背後でガラガラと戸を開く音が鳴る。新しい客だ。
「いらっしゃい、ご注文どうぞ」「うーんちょっと迷ってて…」気弱そうな男性の声。お前もカツカレーか?成人男性が夜にカツカレーを食うことにためらいがあるのか?
一人客なのにこんなところで外面を気にしやがって、そんなだからとんかつ屋にも堂々と入れないんだ。
なんだと!?
「できますよ!200円増しですけど」
即答!?
「じゃあそれで」
なんて奴だ…あいつはカツカレーを頼むことに躊躇していたんじゃない、メニューのどこにも存在しない上ロースカツカレーを狙っていたんだ…
気弱そうな声のくせになんて豪胆にして創造的なやつ…俺の負けだ…
しかし差分を払えば別のカツカレーができるなら、同じくメニューにあるミックスフライでもいけるのか?ミックスフライカレー…いやなんかダメそうだ、字響きからして通らなさそうな気がする。第一別に食いたくねえし。
等と思いながらカツカレーをキレイに完食して退店。外では相変わらず居酒屋が断末魔のような値段の飲み放題を宣伝している。
結局コロナウイルスが蔓延して緊急事態宣言が発令された時でも、たった一人でとんかつ屋に来てメニューに無いけどギリギリ常識的な上ロースカツカレーを頼めるような男が時代を作っていくんだろうな。
「理想の美少女がなぜかいきなりボクを好きになってくれて…!」←なってくれるわけがない。オタクはキモいし、人格も人並みかそれ以下なんだから惚れる理由がない。リアリティがなさ過ぎて、虚しい。
「死んだら異世界に転生したボク。そこで能力と容姿を手にしたボクは、モテモテになって…!」←まったくありえない、という根拠はないが(死後のことだし)、まあナイだろう。たぶん死後は虚無だ。あとやっぱり虚しい。今生を捨て切ってるのがどうしようもなく虚しい。
「ボクの好きな娘が、いけすかないアイツと付き合っている!興奮する!」←全然ありうる。というか、事実に即していると言っても良い。自分に都合のいいことが起きるのを妄想するんじゃなくて、現実に起きることに良さを見出す、そういうスピリットがある。
NTR趣味、強いんだよな。これまで、恋やぶれて落ち込むみたいな常人しぐさをやっていたオタクが、恋破れたときにも「脳が破壊される(ニチャア)」つって受け流す能力を手に入れることになる。
同人サイトの売れ行きでもNTRは勢力伸ばしてる感じあるが、メインストリームになったら結構影響デカいんじゃないかと思う。
ツンデレ美少女好きが母性ある「ママ」好きに変わる、っていう次元の変化じゃないからな。もっとメタ的な、根幹部分の変化だ。自分と相手の恋愛を夢想するんじゃなくて、相手と他者の恋愛を目撃することを夢想するわけだ。それだとリアルにある程度再現できてしまうんだよな。オタクの妄想が現実になる世界がやってくることになる。
俺は全オタクの趣味がNTR方向に行って欲しいと思っている。なろう小説のトレンドが、「キモくてナヨナヨした主人公が、カッコいい男がモテモテなのをただ眺める」話になったらめちゃくちゃおもしろいと思う。
キショいオタクが女性にいきなり告白して、女性はキショいアンド怖い思いをし、オタクは逆恨みでミソジニストになる…そういう哀しい出来事も減るんじゃなかろうか。
オタクはかわいい子が恋愛しているのを見て、勝手に「僕が先に好きだったのに!」とかいって興奮して射精し、誰にも迷惑をかけない。最高やんけ!
社会人になればわかることなのかもしれないけど、挑戦も信用も社会とか企業がいってるそれとは全然ちがうよ
まず第一に「なにかを企画し成し遂げよ」なんてことは予算や試算表を作れて初めて任されることでド素人に給料払って自己啓発してあげるところはない
それができる第一線の人間に人足として付かせて使って様式を覚えて再現できるようになってその時々で必要な企画を提案できるようになって仕事がまかされてはじめて挑戦ができる
もちろん、挑戦しないとボーナス査定の基準がないから部署内では努力目標をつくって成果を上司が評価する 素人なりに社内で直接的に売り上げには関わってなくても評価としてボーナスが出るようにね
文中でよく言われている「可能性と期待」の意味での信用なんてない人間に自由にチャレンジしろって学生じゃないんだから給料もらってそんな世界ないよ
信用だけどそういう人間だって評価がなされているから使用者側がその情報をまるのみするかって、情報の出どころや保証機関がいいかげんだったらその情報も信じられないでしょ
信用を得た人、という人となりが崇高なのとかそんな独立して価値が存在するわけないの 自動車免許だってアメリカでとってきたなら日本でのれないでしょ
パトカーの隣に小一時間すわって基本的な動作だけ覚えたらもらえる免許だったら、日本で通じるかい
わー免許だーすごいアメリカ産だからさらにすごいよねだから日本でのってもいいよ、とはならんだろ
若者から言葉巧みにやる気で目を輝かせて財布から金を出させて領収書も切らず商品も「価値ある時間」とかで済ませたものを会社は何の名目で計上すんのその売り上げ
価値ある時間クリエイターとか主な事業内容として定款にあるんかね
脱法してるやつはそれなりに理由があるし法人なりしてないやつもそれなりに理由がある 圧倒的に社会的責任が足りてない
そんな泥沼で積んだキャリアが何の役に立つのかって そう聞かれると期待は増してしまうよな ライバル企業つぶすために非合法な集客するとか噂ながすとか 相手の企業に入り込むとか
たしかにそういう需要はでてきそうだ なんか君がいってた事が説得力でてきたな
俺も実際そういうアクションものは好きなので期待できると思えてきたわ
接続するね するわたぶん
supercellがヒットした以降にボカロで楽曲を発表した世代は、DTMを始めたばかりで音源を買いそろえる余裕がなかった。
クオリティの高い音源を使用するよりもまず楽曲を作ってリリースしたい世代は、DAWの付属音源で妥協して楽曲を作っていたわけである。
彼らの多くはエレキギターとバンドサウンドから音楽制作を始めており、ベロシティやタイミングの変化で生の楽器を再現するスキルがなかったと思われる。
だから、彼ら自身は根底に生楽器へのコンプレックスがあった。多くのボカロPは音楽制作の経験を重ねる過程で、楽曲に演奏家を巻き込んでいったり、
IvoryやTrillian、addictive drumsのような、より”生っぽい”音源を買って、音質をアップグレードしていったわけである。
(メジャー音源をリリースするに際して、有名なプロを読んで再収録をするケースもあった)
とはいえショボい音源を使った楽曲の中でも、今もカラオケランキングで上位に入るような定番のボカロ曲が生まれて、一般的に認知されている「ボカロっぽさ」が生まれてきた。
YOASOBIのサウンドは、そういった当時の「ボカロっぽさ」をジャンルとして再現したものである気がしている。
彼らのチープさは、「ワンルームにこもってノートパソコンに向かい合って作った楽曲が、世間に認められて有名になっていく」ストーリーを連想させる。
そして、そのストーリーを駆けあがってメジャーになったのが、ハチやwowakaなどの世代。今の10代からすれば、米津玄師は「自分たちの世代のアーティスト」ではなく、「少し上の世代で、すでにヒットしたアーティスト」である。
たしかにすごい音楽家であるが、ティーンエージャーからしたらもっと気軽に”推せる”アーティストに出会いたい。そんな気持ちにぴったりと当てはまったのが、YOASOBIである。
学生時代にボカロを聞いていたアラサーとしては、インターネット発のミュージシャンは、メジャー化に際して音質が良くなる印象を持っていた。
だから、デビューしたてのボカロPのようなチープな音源(でも、当時のボカロPよりはミックスの質は断然に良い)が、そのまま街頭のスピーカーからドバドバと流れている状況には少々面食らってしまう。
学校の放送室から、そのまま家で焼いてきたボカロを流している中高生を連想する。
たぶん、そうやって世間に対するカウンター的にショボい音源がヒットしていくのが、今の若い世代にはウケているんじゃないだろうか
(YOASOBIの作曲家自体がその再現を自覚的にやってるかは知らんが、ある程度の音楽知識はあるものの、制作環境的になんらかの縛りがあるような気がする。
で、その縛りから生じた個性が、結果的に彼らの売りになっているんじゃないだろうか)
それにしても、80年代のレトロさをリバイバルするかのように、2010年前後の音質がリバイバルの元ネタとして消費されるとは思わなかった。
悪い意味で話題になっているえんとつ町のプペルの記事を見ていて、気になることがあったのでまとめました
正式名称は「PoupeIIe Of ChimneyTown VR ~into the world~」。「えんとつ町のプペル」のストーリーをVRで再現したという作品。
2019年6月21日にリリース。クラウドファンディングをもとに開発された作品で絵本の作者いわく「サロンメンバーの作品」とのこと。
store.steampowered.com/app/1079520/
twitter.com/nishinoakihiro/status/1080226066575159296
13個のSteamアカウントがレビュー。そのうち2019年6月23日に投稿された3件のレビューにおいて
いずれもSteamプロフィールページが未作成で、アカウントに記録されている製品がプペルVRだけ(または記録なし)。
いずれも投稿日時が同じ日で投稿間隔も40~50分になっている。
以下魚拓
2019年6月26日にある海外ユーザーはSteamスレッドで「明らかにフェイクレビューが投稿されてるので買うの辞めました」と指摘。開発・パブリッシャーのvLabは無反応。
2020年5月には5chの掲示板で怪しいレビューを投稿しているアカウントIDと開発者の名前の類似性を指摘するIDがいた。
2020年11月に商業サイトにレビュー寄稿するユーザーが「本作をオススメしない」というレビューを投稿しつつ、レビューの中でこの件に触れる。
ところで、Steamレベル0か1、アカウント内の製品数1、レビュー件数1、プレイ時間0.3時間みたいな感じの人達がいっぱいオススメレビュー書いてるんだけど、なんでだろうね?
彼らはこれを買うためだけにSteamにアカウントを作って、20分遊んだあとに急にSteamに関する興味の一切を失ったのかな? ご存命ですか?
おわり
聖地巡礼とは中世ヨーロッパの封建社会においてキリスト教徒のあいだで流行した、キリスト教の聖地であるエルサレムを訪れる宗教的行動である。
転じて、現代においてはアニメや映画などの熱心なファンが、創作物やキャラクター縁の地を訪ね歩く行為を指す言葉として使用されるに至った。
私も昨年度から今をときめくアイドルグループ乃木坂46好きが高じて、(暇を持て余していたことも手伝い)彼女たちが番組のロケで訪れたり雑誌等メディアで紹介したりしていた場所を巡ることが退屈な日常を彩る楽しみの一つとなっている。
大塚の天祖神社やバッティングセンター、千歳船橋の喫茶店ぱおーん、五反田のデニーズ……
思い起こしてみたがそれほど多くはなかった。
それはさておき、この日記(?)で私が考えたいのは「人はなぜ聖地巡礼をするのか」その理由だ。
聖地巡礼には楽しさがある。
思えば私は日本史と世界史も好きなので、歴史上の史跡を巡ることが旅行に行く際の主目的の一つだったりする。映画のロケ地を訪れることもある。
(前提として書き加えておくが、行ったことがない土地を訪れるのが好きな方であると思う。「まだこのへん歩いたことがないから」という理由で6時間ぐらい散歩することがざらにある)
今も『世界史をつくった海賊』(竹田いさみ著)なる本を読んでいて、大航海時代にマゼランに続いて史上二度目の世界一周航海を達成した海賊、フランシス・ドレーク(ワンピースのドレークのモデル)に関する記述を読んで、「彼の航路を船で辿ってみたいなあ」などと空想に耽っていた。
そう、私はフランシス・ドレークの足跡を辿りたいのである。
乃木坂のメンバーが参詣した神社に自分も赴きたいし、バットを振るったバッティングセンターで、彼女らがそうしたように、自分もバットを振るいたいのだ。
そして、「ここに彼らも、自分と同じように立っていたんだ」などと感じたいのである。
この衝動はなんなのだろう。何故、こんなことをしたいと思うのか。
バッティングセンターで行ったバッティングは、それ自体として面白かった。乃木坂のことがなければ、私はバッティングセンターに行きはしなかっただろうが、バッティングの最中は乃木坂のことは忘れて純粋にボールをバットで的確に打ち返すことに集中していたし、それが成功することに喜びを覚えていた。
しかし、やはりその一連の行為には、「メンバーも同じ場所で同じことをした」という事実認識によって特別な意味を付加され、それが私の心に満足感をもたらしている。
私の記憶には、明らかに「ただのバッティング」以上の色が付いて、この思い出が保存されているのだ。
この違いは何に由来するのか。
まず一つ、見逃せない重要な点は「私は乃木坂が好きである」という事実だろう。これは明らかに聖地巡礼の動機に深く関わっている。
私は何も藤田ニコルや西野亮廣の訪れた場所に行きたいとは微塵も思わない。ニコるんはどちらかと言えば好きだが、出演番組をチェックするほどではない。西野に至ってはどちらかと言えば好きではないし、好きではない人間の縁の地を訪ねたい、その足跡に自分の足跡を重ねたいとは思わない。
フランシス・ドレークのことも、まあ好きになりつつある。(暇があれば伝記を読んでもいいかなと思うぐらいには)
では、好きな人なら誰でも聖地巡礼したくなるのかと言えばそんなことはない。身近な友人のことは好きだが、彼らの足跡を辿りたいとは思わない。
恐らくは、その人物との関係性および距離感が聖地巡礼に向かわせしめる大きな引鉄の一つなのだ。
想像するに乃木坂のメンバーでさえ、もし私が直接的に関係性を構築してしまえば、聖地を巡礼したいという衝動はなくなるだろう。
同じ場所を訪れて、同じことをしたいという気持ちの裏にあるのは、「近付きたいが手の届かない者の存在」を少しでも身近に感じたいという欲求なのだ。
友人という生々しい関係は、最早相手をそういう「聖なる存在」にしておかない。
ただし、友人との関係が何らかの理由で解消され、手の届かない存在になった場合はその限りではない。その最も単純な例は「死別」である。死が二人を分かてば、当たり前な存在は当たり前でなくなり、会いたいのに会えない、焦がれ求める対象になる。
そしてその感慨は、対象と同じ空間的座標に立つこと、そこで同じ行為を追体験することで増幅される。ただ、家でスマホをいじりながらその人のことを考えているだけの時間よりも、その人に少し近付けたような気になる。
その対象は人に限らない、作品、ひいてはその世界観全体も対象になりうる。
私は宮崎駿監督の映画が大好きで、監督がハウルを撮り終えた後に数ヶ月間療養し、次回作の『崖の上のポニョ』の構想に繋がった広島県の鞆の浦や、『耳をすませば』の舞台となった聖蹟桜ヶ丘も訪ねているが、ポニョや雫個人をそこまで好きかといえばそんなことはない。
フランシス・ドレークのことは好きになりつつあると言ったが、やはり人物に対しての好意それだけというよりは、世界史的な偉業であるという点の魅力が大きいように思う。俗な言い方をすれば世界一周にロマンを感じるし、楽しそうである(実際は辛いことの連続だろうが)。
しかし、ドレークな先立って世界一周航海を達成したマゼランの足跡を辿りたいと考えたことはないことを踏まえれば、やはりドレークには読書を通して僅かながら彼の功績やエピソードに触れたことにより、マゼランに感じる以上の魅力を感じていること、それが巡礼への衝動を後押ししていることは間違いない。マゼランのことは何も知らない。何も知らないので魅力も感じなければ、より深く知りたいという動機も起こらない。
(どうやら相手のことを「知りたい」と思うには、まず相手のことを知ることが必要らしい。少なくとも私にとっては。難儀なことだ。)
「手の届かない「聖なる存在」である対象をその足跡を辿り行為をお手軽に追体験することで、少しでも身近に感じること」が聖地巡礼の意義であると一旦結論付けてみる。
ここで唐突に「お手軽に」という制限を付け加えたのは、私はバッティングセンターでバッティングをする程度の追体験はしたいが、乃木坂のメンバーが日々の研鑽を重ねたダンスレッスン場で一年間同じレッスンを受けたいかといえば真っ平御免だなということに思い至った。
一年間彼女たちが受けたレッスンと同様のレッスンを受けることは、彼女たちの辛さや頑張りをよりリアルに追体験することになる。追体験としての質は高い。だが時間がかかりすぎる。ダンスよりもやりたいことがあるし、辛そうなので、暇潰しに週二程度通うならチャンスがあればやらなくもないが、それはもう追体験としての価値は薄れて、一年間におよぶダンスレッスンそのものが持つ価値が問われている。(追記:そもそもこれ、巡礼ではなくダンスでは?)そういう意味で1000円分のバッティングには十分その価値があったし、世界一周航海も同様である。(追記:これも巡礼と言えるのか?場所を訪ねる行為に限定するべきだったかもしれない)
聖地巡礼はお手軽でなければならない。言い換えるなら、その行為自体を楽しめないのならやりたくはない。滝行は楽しそうなのでやりたいが、例えば彼女らが受けていた辛い仕打ちを自分も受けたいかというと難しい。
例えばメンバーの誰かが過去にイジメを受けていたとして、それと同様のイジメを受けたいか。これに関しては少し受けたい。マゾヒスティックな願望ではなく、多少なりとも彼女らの苦労を追体験することは彼女らを理解することにつながるからだ。
しかし、紛い物のそれはやはり本当のイジメ体験とは辛さの質が大きく異なるし、よりリアルに状況を再現するために半年間継続してイジメを受けてくださいと言われればお断りする。あくまでもその一部を、私が本当には辛くならない程度に体験することで、辛さに思いを馳せたい、という程度に存在への接近願望は留まる。
キリスト教徒だってエルサレムには行きたくても、ゴルゴダの丘の上で十字架に磔にされたいかと言えばそんなことはないだろう。ごっこ程度にはやってみたいが、それはごっこ遊び自体が楽しさを持つからである。高所に磔にされて「こえ~」などと言ってるのは楽しいが、手足を本当に釘で打ち付けられるのはたまったものではない。(追記:これも巡礼の話ではなくなっている気がするが、でも巡礼先で対象が何かしてたら同じことやりたいよなあ。(追追記:でもやらなくても巡礼は成立するからやっぱりおかしいね。はい。))
体験の総体として楽しくないならやりたくない。少なくとも私は。この「楽しく」は何も笑顔になったり、興奮したりするといった類の楽しさである必要はない。
心地よい感情が動きがあればよい。
郷愁に浸るとか、感慨に耽けるとか、今風に言えばエモさがあってもよい。「泣く」ことによる感情の発露も、人間にとっては快感であるので、ここで述べる「楽しさ」に含まれる。
いや、違うな。
上に述べたエモさは体験そのものに由来する(既出の例をとればバッティング行為によって引き起こされた)感情ではなく、「行為を追体験している」という事実に付随する感情の動きだ。そこは切り分けるべきだろう。
例えば「同じ場所に立つ」ことも、聖地巡礼に伴う追体験行為の一形態だが「立つ行為そのもの」には特に何の楽しみもない。(立っているだけで楽しい場所もあるが、必ずしもその必要はない)(追記:この例の方が純粋な巡礼っぽい)
先例のイジメのように行為自体は許容範囲であれば不快であっても構わない。これは個人差があるし、対象に対する思い入れの深さによっても許容範囲が変わってきそうだが。
「追体験行為を包含する巡礼行為」が総体として満足感をもたらす体験であればよい。(追記:「巡礼が追体験を包含する」よりも「巡礼に追体験が付随する(ことがある)」が正しい)
距離も重要な要素だ。ここで言及する距離とは、対象との関係性としての距離ではなく、その聖地との物理的距離感である。
遠ければ遠いほど、巡礼を達成した際の体験価値は高い。エルサレムが近所の公園にあったら巡礼の有難みも霞むだろう。
私は電車移動含めて一時間もあれば十分である。しかし、ここまで書いて想像してみたが、家の隣にあった昔馴染みのなんでもない祠が実は家康が足繁く通った祠であったと発覚すれば、そこにはそれなりの感慨が生まれるように思える。巡礼と呼ぶにはあまりにも短距離だし、巡礼としての価値は希薄化するものの、完全に失われることはない。いや、とはいえやはり価値の減少は免れないな。
遠ければ遠いほどいい、というものでもない気がするが。例えば、乃木坂のメンバーが訪れた場所の比較として、私の現在地から大塚のバッティングセンターとパリの街角にあるカフェとの物理的距離には圧倒的な差があるが(もちろんパリの方が遠い)、パリのカフェを訪れた際の感慨がバッティングセンターに比べてそれほど深いかといえば、あまり変わらないような気がする。
これは、「パリ旅行のついで」にカフェを訪れるのか、「乃木坂のメンバーが訪れたカフェを主目的に」パリを訪れるのか、物理的距離を越えんとする直接的な動機がどちらにあるのかによっても異なりそうだが、メンバーが通った小学校とか、生まれ育った地域ぐらいの重要地ならともかく、たかだかロケで立ち寄っただけのカフェを目的に渡仏する気にはならない。
いや前者でも渡仏する気にはならないが、(追記:というかメンバーの母校って言うほど感慨深いか?その頃のメンバーが好きな訳ではないし……)するにしてもそれはやはりそもそもパリ自体が好きで巡礼を抜きにしてもパリに行きたいからであって、パリの一地域を訪ね歩く行為そのものに乃木坂とは無関係に楽しみを見出している。その意味で巡礼行為は「ついで感」が否めない。(追記:「むしろ行きたくない場所への巡礼」を考えてみようと思ったが、思いつかなかった。(追追記:日焼けと車酔いに弱いのでそれらが伴う場所には積極的に行きたくない。苦労した分、到達時の達成感はありそうだが、それは聖地が持つ意味とはやはり無関係。目的地に至る行程に由来する価値を抜きにした純粋な巡礼価値は何によって決まるのか。))
これはもしかしたら聖地巡礼も、エルサレム旅行そのものに少なからず体験としての楽しみが含まれていた可能性もあるが、中世を生きる農民の長旅の過酷さや宗教に対する敬虔さはとても無知蒙昧な私の想像のおよぶところではないので、お叱りを受ける前にこの説は引っ込めておく。
でも伊勢参りとかは楽しそうだよね。明日(もはや夜が明けたので今日なんだが)近所のブックオフで聖地巡礼事情に関する本でも漁ってみよう。
眠いし目も疲れたので「過去の自分への巡礼」とかまだ考えたいことはあったが、このへんにしておく。
おやすみなさい。
(投稿しようとしたら全然できなくて泣いた、リンク数でスパムフィルターって単純すぎるルールベースすぎませんか!)
水素水とかクレベリンとかNMRパイプテクターとか、いかにもエセ科学っぽいやつら、なんとなくエセ科学って判断してm9(^Д^)してる人が自分含めほとんどだと思うんだよ。結局「twitterで皆が言ってたから」レベルで、エセ科学/陰謀論信じる人と大差ないんじゃないかと思って、まずはクレベリンについて調べてみた。
調べたと言っても日本語の論文やらWebサイトを探しただけ、個人で実験するとか無理だし、僕は化学専攻だったわけじゃないし、英語苦手だし。
「こんな論文or調査があるよ」とか「いや、それはお前が完全に読み間違えてる」とかあれば指摘してくれると嬉しい。
公式サイト ttps://www.seirogan.co.jp/cleverin/
初っ端からtwitter引っ張ってきてたり、他のニュースへのリンク貼ってあったりして、既に怪しいキュレーションサイト感が漂っていて期待できる。
よく見る「空間除菌」をする「クレベリン」と、液体でアルコールや次亜塩素酸水のように使う「クレベ&アンド」ってやつがあるらしい。アンド被ってんじゃん、クレベアンドアンドじゃん。
今回は「クレベリン」のほうだけ。
クレベリンのページ ttps://www.seirogan.co.jp/cleverin/cleverin/
特許取っているらしい。
特許は効果を保証するものじゃないってどっかで読んだな、特許の方の深堀りはしない。
「ウイルス除去・除菌の仕組み」のページ ttps://www.seirogan.co.jp/cleverin/cleverin/mechanism.html
深堀りしようかと思ったけど化学よくわからん。高校の時化学取ってないんだよね、ウソ取ってたかも、授業中モンハンしてたわごめん。
googleで検索かけた感じTOP5にwikipediaとか大幸薬品のサイトとか社団法人日本二酸化塩素工業会のサイトが出てくる。「社団法人日本二酸化塩素工業会」って大幸役品も正会員じゃん。てか大幸薬品の社長がこの会の会長じゃん。
「よくわかる二酸化塩素のはなし」のページ ttps://www.seirogan.co.jp/clo2/index.html
ウイルス除去
二酸化塩素ガス(室内濃度0.01ppm)を放出させた25m3(6畳相当)試験チャンバーに、ウイルスの一種を浮遊させた後攪拌し、180分後に空気中の浮遊ウイルスを捕集し、生存ウイルス数を測定しました。二酸化塩素ガスを放出しない条件(自然減衰、攪拌ファンのみ)で同様に測定した生存ウイルス数を100%とした時のウイルス生存率を求めました。
二酸化塩素ガス(室内濃度0.01ppm)を放出させた25m3(6畳相当)試験チャンバーに、細菌の一種を浮遊させた後攪拌し、120分後に空気中の浮遊菌を捕集し、生存菌数を測定しました。二酸化塩素ガスを放出しない条件(自然減衰、攪拌ファンのみ)で同様に測定した生存菌数を100%とした時の細菌生存率を求めました。
日本防菌防黴学会 第41回年次大会発表 研究発表プログラム ttps://www.saaaj.jp/conference/41th_pdf/conference_41th_14.pdf
低濃度二酸化塩素ガスの25 m3閉鎖空間における浮遊細菌と浮遊ウイルスに対する低減効果
(大幸薬品(株))
論文て末尾の人が一番えらいんだよ、知ってた?
学生のころ「自分」「教授」「助教」って順番で書いちゃって怒られたの思い出したよ。
ググって発見 ttps://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=201502212674917241
JDreamⅢとかアクセスできないし、169Pも読んでらんないしどうしよ・・・
と思ったらなんか要約っぽいページ発見。
「二酸化塩素ガス室内濃度指針値(0.01ppm)での菌・ウイルスの低減を確認。大幸薬品、第41回 日本防菌防黴学会年次大会にて発表」 ttps://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000029.000004917.html
[方法] 試験チャンバー25立方メートルを閉鎖空間とし、外部から二酸化塩素ガス発生装置を用いて発生させた二酸化塩素ガスを放出させ、撹拌ファンにて室内空気を循環させたところに、黄色ブドウ球菌懸濁液または大腸菌ファージφX174懸濁液を噴霧し浮遊させ、所定の時間後に浮遊細菌または浮遊ウイルスを捕集した。対照実験として二酸化塩素ガス発生装置を作動しない状態で同様の操作を行い、浮遊細菌と浮遊ウイルス数の自然減衰を測定した。
[結果] 0.01ppmの二酸化塩素ガスが室内空気中にある場合、浮遊黄色ブドウ球菌は120分後に99.8%、180分後に99.95%低減することが分かった。また、浮遊大腸菌ファージφX174は、180分後に99.2%低減することが分かった。
黄色ブドウ球菌ははたらく細胞で見たな、大腸菌ファージなんとかは初耳。
というか正直どっちもわからんわ。とりあえず「この2つで試験したこと」「25m3で試験したこと」「0.01ppmの濃度だったこと」「(この要約からだと)換気状況不明」「(この要約からだと)室温湿度不明」ということだけ覚えとく。
ppmって何?
二酸化塩素による除菌をうたった商品-部屋等で使う据置タイプについて- ttp://www.kokusen.go.jp/news/data/n-20101111_1.html
詳細pdf ttp://www.kokusen.go.jp/pdf/n-20101111_1.pdf
あくまで「二酸化塩素が出てるか」という調査で、「二酸化塩素に空間中のウィルス・最近を除菌する効果があるか」という点には触れていない。
とてもちゃんと書いてある。
ちゃんと一部引用するのも大変だったので僕の主観で要約しちゃう。
気になる人はPDF参照。
ACGIH(アメリカ合衆国産業衛生専門官会議)の基準を引っ張り出している。日本に基準ないのかな?
TWA 0.1ppm (Time Weighted Average:毎日浴びてもほとんどの労働者に悪影響が見られないような~~~時間加重平均値)
STEL 0.3ppm (Short Term Exposure Limit: この値を超えて浴びてはならない15分間の時間加重平均値)
No.7がクレベリン、6畳でも1日後0.07ppm、5日後0.04ppmなので出てることは出てる。
この図に限らず、他の製品がヤバすぎてクレベリンがまともに見える。
見つからんかった。
厚生労働省とかコロナへの対応とかWebページ出してるけど二酸化塩素については全く触れてないのな。
あんま見つからんかった。というかググっても怪しいサイトが引っかかりすぎて悲しい。
ttps://ci.nii.ac.jp/search?q=%E4%BA%8C%E9%85%B8%E5%8C%96%E5%A1%A9%E7%B4%A0%E3%80%80%28%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9+OR+%E7%B4%B0%E8%8F%8C+OR+%E9%99%A4%E8%8F%8C+OR+%E6%AE%BA%E8%8F%8C%29&range=0&nrid=&count=20&sortorder=1&type=1
CiNiiシャットダウンするみたいな話何年か前あったけどどうなったんだアレ。
いかにも空間除菌っぽいやつを探す。有料っぽいの多くて残念だけどいくつかは読めた。ありがとうJ-STAGE。
大幸薬品が出しているやつと西村秀一 氏(国立病院機構仙台医療センター臨床研究部ウイルスセンター)が出している論文が目を引く。
ウイルス不活化効果を標榜する二酸化塩素ガス放散製剤の実用性の有無の検証―冬季室内相当の温湿度での空中浮遊インフルエンザウイルスの不活化について―
ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/jsei/31/5/31_16-020/_pdf/-char/ja
二酸化塩素ガス放散製剤のインフルエンザウイルス不活化および黄色ブドウ球菌殺菌能の検証―低湿度環境表面での検討―
ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/jsei/32/3/32_131/_pdf/-char/ja
低濃度二酸化塩素による空中浮遊インフルエンザウイルスの制御―ウイルス失活効果の湿度依存性―
ttp://www.kankyokansen.org/journal/full/03205/032050243.pdf
ここまでで気が付かなかったけど大幸薬品は結構英語論文もだしてるっぽい、疲れたし英語苦手だから今回はそこまで追わない。ゆるして。
(西村氏には申し訳ないが)疲れてきたので僕の独断で主張をピックアップして要約。引用ですらない。気になる人はpdf
この要約だけだとわかんないけど、pdf中で西村氏クソ煽ってて笑った。
大幸薬品と西村氏の実験でそれぞれ違う結果がでてるっぽくて、どっちを信じるとかはよくわからんけど、再現状況不明 + 違う結果が出る時点で積極的にクレベリンを採用する理由はないよなぁと思ったり。僕はバイアスかかりまくりなので西村氏pushだけど。
というか論文少なくね?僕の探し方が悪いだけ?
まぁ健康被害にはならなそうなんで目くじら立てるほどじゃないかな。こういう根拠が怪しいやつが蔓延るのは将来を考えるととても悲しいが。最近陰謀論もよく見るしね。
でもこういうのに身近な人がハマったら悲しいよなぁ。
頭ごなしに証拠突きつけて否定しても駄目なんだってさ、ビハインド・ザ・カーブでみた。オススメだよ。
地球平面説を信じる人は勉強が足りないわけじゃないんだってさ、下手したら僕らより頭いいみたいよ。
ただググって文字起こすだけでも数時間よ数時間、怪しいのに反論するのもタダじゃないね、疲れた。ググって文字起こしただけとはいえ頑張って書いたので色んな人の目に触れると嬉しいな。
なんで?
裏世界ピクニックの原作が小説で、メディアの違いがあるから失敗したってのか?
ああそうだよ。
俺たちみたいな面倒くさいオタクが、いざ改変したら原作レイプだと口にするからメスを入れられないんだろ?
だからなんだよ。
それでも超えてこいよ。
オリジナルアニメは小説原作と違って映像として見せた時の面白さや、実際に発声した際のテンポを最初から考えて作れるから圧倒的に有利だよ。
小説原作はしょせんは小説っていうメディアのために作られた物語をアニメでやるから自然と作品の構成が完璧からは程遠くなる。
地の文と混ざりあった独白と、セリフと混ざりあった独白とでは受け取る側の印象が変わるのは当たり前だし、まして地の文において言葉で価値観や視点移動を説明してしまったものを映像によって再現するのは難しい。
でもやってみせろよ。
アニメ化するってのはオリジナルアニメと戦うってことなんだぞ?
言っちしまえばサッカー部のエースが草野球に助っ人するような状態だけどよ、それだってそこで負けたらサッカー部の負けってことになるんだぜ?
覚悟を決めろ。
作品の看板を背負った以上は、そのクールにおいて同じようなコンセプトのオリジナルアニメには、意地でも勝ってこい。
無理ならアニメ化なんてしてんじゃねえよ。
俺は明日からどうやって裏世界ピクニックの信者をやりゃあいんだ。
人前で口にして「俺アニメしか知らねえけどワンダーエッグプライオリティのほうが面白かったよね」と言われた、俺、キレちまうよ。
許せねえ。
なんで負けてんだよ。
キュレーターとは,現代美術の文脈において展覧会の企画・運営等を総合的に指揮する人のことである。どんな作品を取り扱うのか,どんなタイトルの展覧会にするのか,展示の順はどうするのか,ライティングは?解説は?チラシに掲載するキャッチフレーズは?等々。
今日のクラシックにおける自主企画の演奏会は,多くの場合「プレイヤーがやりたい演目をやる」ということになっている。もちろんそこにコンセプトやテーマがあったりする場合もあるのだが,美術作品とお客さんをキュレーターという専門家が架橋している美術市場と異なり,クラシック市場にはキュレーションを専門に勉強している人がいない。現状コンサートのマネジメントは演奏家がやっているわけだが,あまりに画一化しすぎているのではないか。クラシック音楽にも,お客さんと作品をキュレーションで架橋する発想があってもいいのではないか。そのあたりのことが気になってのツイートだった。
ということで,このnoteではこの件についてもう少しだけ深堀してみようと思う。久々の投稿ですが,お付き合いください。
目次
1.現状は相変わらず「上手い人一強」の世界
5.まとめ
1.現状は相変わらず「上手い人一強」の世界
繰り返しになるが,現状のクラシック系自主企画コンサートは「演奏家がやりたい演目を披露する場」として機能している。これ自体が悪いわけではないし,演奏家の独りよがりだと批判するつもりもない。もちろん演奏家は選曲やプログラムノートに苦心しているし,そこには確かに工夫の痕跡がある。
でもね,正直クラシックのコンサートの演目って似たり寄ったりじゃないですか。
コンサートに「一度も聞いたことのない楽曲」が含まれていることは稀だし,大体定番曲が並んでたまに新曲初演があるくらい。クラシックのサックスなんかはまさにそうだ。クラシック音楽が「過去の音楽を再現する」文化である以上,演目の重複は避けられない。まぁこれは仕方のないことではある。
ただそうすると,当然誰しもが「同じ曲を聴くなら上手い人の演奏聴きたいよね」と思うようになる。つまり,技術で劣る演奏家の演奏会に行く理由がなくなってしまうのである。
このnoteでも何度も言っていることだが,クラシック音楽は特に「文化的に醸成された良さや美しさの基準」が強烈に機能するジャンルで,「この人あんま上手くないけど個性的で好き!」とか「この若手は下手だけどトッププロにはない魅力があるなぁ」みたいな評価が生じにくい。また,特にクラシックサックスのように難しい近現代曲が必須のレパートリーになっているジャンルは,必須とされる技術レベルが結構高い。例えば音色がめちゃくちゃ魅力的だったとしても「指が回らない人は使えない」「スラップタンギングできない人はコンクールの一次予選の課題曲が吹けない」みたいな悲しい評価が下される。
結果的に,クラシック演奏家市場では「楽器の上手さ」が保障されているプレイヤーにしか人が集まらない状況が生まれやすいのである。これは,ブルーハーツと東京事変がどちらもCDになって成功できるポピュラー音楽とは事情が全く違う。ブルーハーツみたいなパンクロックって,演奏したり作曲したりするのに必要な西洋音楽的技術が結構低いんですよ。川谷絵音や東京事変やKing Gnuの曲とは複雑さが全然違うわけです。それでもブルーハーツとかモンゴル800とかが世間に認められてCDを出しているという事実は,「ポップスはクラシックに比べて多角的に評価されている」ということの証左だろう。個人的にはとても健全だと思う。一方のクラシック演奏家市場は,「楽器の上手さ」がほぼ唯一の評価の観点として強烈に幅を利かせているのである。
「プロの世界なんてそんなもんだよ」というかもしれない。でも,僕はこの「楽器の上手さというパラメーターが最強の世界」が気にくわないんですよね。
例えばこれが「クラシック演奏家育成」をテーマとするソーシャルゲームだったら,と思って考えてみてほしい。
このゲームでは,プレイヤーが最初のガチャで引いたキャラを「一流のクラシック演奏家」に育て上げることが目標とされている。当然キャラクターには「楽器の上手さ」というパラメーター以外にも「音楽史についての知識」とか「自身の活動への俯瞰的視座」とか「個性的な音色」とかのパラメータもあるわけで,キャラによっては「音楽史についての知識」が先天的に強い,みたいなやつもいる。当然プレイヤーもその辺をコツコツ育てたりするわけだ。なのに,「音大卒業」というチュートリアルイベント以降,ゲームで勝っているのは「楽器の上手さ」のパラメータに全振りしてキャラ育成をしたプレイヤーのみ。もっといろんな勝ち方があるとおもってたよ…最初のキャラガチャで「音楽史についての知識」が強いキャラを引いた人はどうしたらいいの…運営しっかりしてくれよ…
まともなゲームの運営なら「これだと勝ち筋がひとつしかないゲームになってしまうな。よし,他のパラメータを育成した人が勝てるようなイベントを投下するか!」などといった対応がなされるはずだ。しかし,このゲームにおいて運営がそのような神対応をすることはない。いつになったら修正はいるの?まだなの??もう勝てそうにないし…リセマラするかゲームやめるかどっちかだな…。
…まぁでも現実世界にはゲームの運営はいないし当然リセマラもできない。だれもゲームバランスの調整をしてくれないのだ。結果的に,「楽器の上手さ」が一定値を超えていない人は今後も仕事がないし,今仕事がある人でさえもそれを上回るパラメータをもった若手が現れた瞬間に仕事を取られる世界になっている。多様性とは程遠い市場が出来上がってしまっているのである。
そこで,「せめて僕の周りにいる音楽家には幸せになってほしい(そして一生楽しい飲み会に付き合ってほしい)」と考えている僕は,「演奏会のプログラミングやプログラムノート等に拘りまくってお客さんの聴取経験を素敵なものにデザインできれば,技術でトッププロに勝てない演奏家にもファンがつくのでは?これってつまりキュレーションでは?」と考えた。
「モナリザ」みたいな超有名絵画を目当てに美術館に行く場合を除き,僕たちは「特定の絵」を見にいくというより「その展覧会でデザインされている体験」に価値を感じて美術館に足を運ぶ。例えば僕は以前「ベルギー奇想展」という展覧会にいったのだが,一つ一つの絵のクオリティというよりも,複数の絵の鑑賞を通して得られたその展覧会全体の印象のようなものに興味を覚えた。「作品の価値」ではなく「作品群を総体として経験することの価値」に感動したのである。まさにキュレーションの賜物だったのだろう。
また,「ベルギー奇想展」というタイトルやチラシに載せられていたペストマスクみたいなデザインのキャラクターにも強烈に惹かれた。頻繁に美術館にいくタイプではない僕でさえ,「行ってみたい」と思えたのである。そして,この辺のこと全てを把握し,「美術館での体験」をデザインする人がキュレーターなのである(と僕は思っているんですがあってますかね。もしかしたら広報にはそこまでコミットしないキュレーターもいるのかもしれない)。
一方,クラシック音楽の演奏会はどうだろうか。そこに「体験のデザイン」という発想が見て取れる場合は少ない。もちろん選曲や曲順にこだわりが詰め込まれていることはわかっている。それでも,普段美術館に行かない僕に足を運ばせたような,「作品群を総体として経験することの価値」を際立たせるようなコンサートってなかなかないんじゃないかな。少なくとも,多くのプレイヤーは,「コンテンツは演奏(楽曲)のクオリティ,そのほかはあくまで付属品」だと考えているし,むしろ演奏のクオリティのみでガチンコ勝負することが美徳だとされている感さえある。でも先ほども指摘したように,この土俵で戦って勝てるのは「楽器の上手さ」というパラメータが抜きん出ている人だけだ。
キュレーターは自分で作品を作れない。その代わりに,個別の作品の羅列に「作品群を総体として経験することの価値」を付与する。演奏家も,キュレーターのように体験をデザインすることができれば,お客さんを呼べるのではないか,というのが冒頭で引用したツイートの意図だった。つまり,「楽器の上手さ」以外のパラメータを活かせる場はありますよ,ということだ。
具体的には,音楽史や楽曲分析に関わるパラメータを磨いてきた人は,それを用いてMCや曲目解説,選曲で魅せることができるだろう。その場合,チラシやSNS広報のあり方も抜本的に考え直さなければならない。このへんについては別途記事を書こうかな。とにかく,僕は「楽器の上手さ」のパラメータが高い上位5%の演奏家しか生き残れない現状を打破する手段として,キュレーションの発想を生かさない手はない,と考えている。
とはいっても,「そんなことできねーよ」という声も聞こえてきそうだ。キュレーションそれ自体を仕事にする人がいるんだから,「作品に対する俯瞰的視座をもって聴取体験をデザインする」とかめちゃくちゃ高度じゃん。自分たちは演奏家なんだよ,演奏以外やりたくねぇ!
…まぁもちろん気持ちはわかるんですが,今の僕が「楽器の上手さ」のパラメータで勝てない人にできるアドバイスは,①プレイヤー兼キュレーターになれ,もしくは②プレイヤー兼クリエイターになれ,くらいしか思いつかないのが現状だ。すいません。
クラシックの演奏家って特殊な立場なんですよね。CDやスピーカーがなかった昔のヨーロッパなら,演奏家はまさに一家に一台欲しい人材だったはずだ。演奏家がいないと音楽を聴くことすらできなかったのである。そのような時代背景とパトロンがいてこそ演奏家という仕事は成立していた。でも現代ではbluetoothスピーカーとAppleMusicがあればいくらでも自宅で音楽を聴けてしまう。馬車や人力車が自家用車にとって変わられたように,そして今後タクシー運転手が自動運転にとって変わられるように,中途半端な演奏家はオーディオ機器および音源の中の一流プレイヤーにとって変わられるだろう。個人的には,オーディオ機器や音楽サブスクリプションサービスの発達は,演奏家という職種に対する破壊的イノベーションだと思っている。
だからこそ,演奏家は「他者の作品の再現」以外の価値を作らなければならないのだ。
こういうと,「演奏家だって生演奏という価値を生み出している!!」という反論が聞こえてきそうだ。もちろんわかってます。僕はクラシック音楽愛好家なので,生演奏に魅力を感じています。でも「生演奏は素晴らしいのでサブスクで聴かずに演奏会に来てください!」という売り方をしたとしても,多くの人は,「わざわざホールまでいって中の上くらいの生演奏を聴くより,自宅のスピーカーでトッププロの演奏を聴く方が楽だよな…」と考えるのではないだろうか。コンサートホールまで往復2時間かかるし,演奏会って夜ご飯の時間に丸かぶりだし,拍手するタイミングとかマナーとかよくわからないし…だったら家で聞けばいいや,「楽器の上手さ」ならこのCDの中の人の方が上でしょ?…これが一般人の残酷な本音のような気がする。だからこそ,「作品群の連続体験をデザインする」というキュレーターとしてのスキルを磨いてはどうか,という提案をしているというわけだ。
また,オリジナル作品を作れる演奏家も強いと思う。むしろこっちの方がわかりやすく価値を提示でき,周りと差別化できるような気もする。「他者の作品の再現」や「生演奏」以外の価値を生み出す上で手っ取り早いのは作品を作ってしまうことだ。もちろん,他の作曲専業の人々と張り合うような作品を作るのは難しいしむしろ得策ではないので,毎回演奏するアンコースピースだけ作るとか,曲間に即興演奏を入れるとか,そんなことから始めてもいいかもしれない。
ちなみに,「自分の作品を持った方がいい」と言っているクラシックサックス演奏家出身の僕自身が作品を作っていないのはなんか説得力がないと思ったので,最近気が向いた時に曲を作っています。
世界が今年のベスト(#AOTY2020)を出す中、11月のベストです!今年中に年間ベスト、来年の1月中に2020年12月のベスト書く予定、まだまだ2020年は終わらない終われない!
Sankofa Season / Andrew Ashong & Kaidi Tatham
Kaidi Tathamが大好き人間なので、もちろん最高でした!クラブジャズ〜ブロークンビーツの良さの一つに、打ち込みで肉体的なフレーズを再現しようとした絶妙な違和感があるのですが(あくまで個人的な感覚です)、もれなくその魅力が炸裂する高密度の異形ジャズ空間。即興性があるけれど時間軸は繰り返されていそうな不思議さというか。「そんなフレーズ突如ユニゾンするの?」「このキメで合うの?」みたいな。
Andrew Ashsongのソウルフルな歌声でより肉体性とDAW感が混乱し融解していく感覚がたまらなかったです。
Sin Miedo (del Amor y Otros Demonios) ∞ / Kali Uchis
Kali Uchisの2ndアルバムであり、スペイン語として1stとなるアルバム。レゲトンやラテン・ポップスを取り入れた所が肝なんですが、個人的には上記の曲のような、ローファイでサイケ、ダウナーでドリーミーにチルい音像が素晴らしかったです。一歩間違えれば悪夢的な濃密さが凄い。
Girls FM / Girls of the Internet
今年頭から定期的に出すシングルが毎回良かったGirls of the Internet、その総集編的なアルバム。基本的に歌物ローファイハウスという感じなんですが、音数がしっかり少なく、チャラいけれどストイックである絶妙な塩梅が良かったです。各フレーズをしっかり作っている印象で、丁寧さがクオリティに繋がっていました。
Jordan RakeiのジャズハウスプロジェクトDan Kye。思ったより歌中心で、そういう意味だと割とそのまんまJordan Rakeiなんですが、M1"Mogeri"のダークでミニマルなトラックが素晴らしかったです。ドープな方向に行ってもダンス・ミュージック的な明るさや開放感があることに、勝手にオーストラリア・シーン的な雰囲気を感じました(活動拠点はもうUKですが)。
Muvaland / Cakes Da Killa x Proper Villains
ラッパーCakes Da KillaとプロデューサーProper VillainsとのコラボEP。ハウスにラップを乗っかる「ヒップハウス」が中心。要素としてはディスコラップっぽくなりそうなんですが、両者とも攻め攻めです。快楽的で攻撃的な4つ打ちに狂気を注入するCakes Da Killaのラップが最高でした。
The Angel You Don't Know / Amaarae
ガーナ出身のシンガー/プロデューサーAmaaraeの1stアルバム。Alté(オルテ)シーンの一人ですね。ギターの使い方が上手く、ラグジュアリー&リラクシンな音が良かったです。ウィスパーボイスでフロー感ある歌がトラック含めて聴きたくなるバランスにしていると思います。
Ekundayo / Liam Bailey
El Michels AffairのLeon MichelsのレーベルBig Crown Recordsよりリリースされた、ジャマイカン・ルーツを持つシンガー作。曲としてはオールドスクールなんですが、ヴィンテージ的なざらついた音にすることで、むしろ今っぽい感じに聞こえる面白さです。
January 12th / Matthew Tavares & Leland Whitty
元BBNGのキーボーディストMatthew TavaresとBBNGの管楽器奏者Leland Whittyのコラボのライブ版。今年3月に『VIsions』というアルバムを出していて、それと同様のメンバーです。即興のセッションとのことなんですが息の合い方が素晴らしく、むしろ長尺&壮大&有機的にうねっていくための決め事の少なさなんじゃないかと思ってしまいます。ざっくりとスピリチュアル・ジャズ系ではあるんですが、マスロックみたいな瞬間からアンビエントまで行き来する幅広さも魅力でした。スペーシー。
Speak Low II / Lucia Cadotsch
スイス出身のシンガーLucia Cadotschに、サックス奏者Otis SandsjöとベーシストPetter Eldhが加わったコードレス、ドラムレスのトリオ編成によるアルバム。楽曲によってはチェロとハモンドオルガンが加わりますが、いずれにせよ支えに回る演奏はなく全員自立。緊張感のある隙間多めの演奏がかっこよかったです。この編成で歌い切るLucia Cadotschがひたすら凄いし、時にはリズミカルに時にはオブリとして動くOtis Sandsjö(今年出たアルバムよかったです)が魅力的でした。
Imminent / The Comet Is Coming
爆音爆圧爆裂!笑っちゃうくらいテンション振り切っていて最高でした。この異様な熱量の中で吹き切るShabaka Hutchingsも素晴らしいし、エレクトロ由来のビートを生々しく再解釈して叩くBetamaxもかっこ良い!そしてそれ以外すべてを司っていると思うとDanalogueすごすぎないかと思うトリオですね。爆音といえば→EDM感に行きそうでいかず、徹底的にハードコアであるバランスが見事!
近況
3DCGアニメに挑戦している時点で、いわゆるファーストペンギンと言っていい。
そこらの人間は100人中99人が3DCGでは棒人間さえ作れない。
棒人間を作れる側の人間でさえ大多数はバ美肉などと称した泥人形を作って喜ぶのが関の山だ。
3DCGでアニメを作れるという時点で、本来はとても大変なことなんだ。
それなのに、なぜ無産のネットユーザーがウエメセで笑いものにできるのか?
それはきっと日頃から海外産の質の高い3DCGコンテンツを目にしているからなんだろうな。
どうやら日本が「アニメ」という古臭い手法に囚われている間に世界と大分差をつけられてしまったようだ。
日本は3DCGという新しいツールにおいてもアニメを再現することばかりを考えていた。
そのアニメの常識というのは単に慣れ親しんだだけというだけのことでしかない。
だのにアニメしか受け付けない老いた世代が「これはアニメじゃない」と反発する。
新しいことに挑戦しようとする人達の足を引っ張る。
正月になると、私にも必ず一袋くれる。
いつも残ってしまう。
去年の落花生がまだ残っていたので、今年の分と合わせてピーナッツバターを作ってみた。
アメリカに住んだ時、スーパーにはピーナッツバター自販機があり、バーを押しただけ出てきて量り売りをしていた。
その場でブーンと回転音がしていたので、出来上がりのものが入っているわけではなく、その時にコーヒーを挽くように出来立てが出てきている模様。
あれがおいしかった。
日本で食べたことがある瓶詰のものは甘すぎ、硬すぎだったけど、
全然甘くない。ちょっと塩気があってしつこく感じない。あと柔らかい。
アメリカ人の友人が、「日本のピーナッツバターは違う」といってわざわざアメリカから送ってもらっていたけど、食べてみてその気持ちがわかった。
ミキサーがないのでブレンダーでしばらくブンブン回してみると、ねっとりしたピーナッツバターになった。
美味しい。これが食べたかった。
前に作ったときには大量のピーナッツ粉になってしまったのだが、おそらく回転時間が足りなかった模様。
摩擦熱でバター状になるらしい。
マフィンを切らしているので、買ってきたらべったりつけて食べる。
・『星の銀貨』
献身的な少女が乞われるままに持ち物を分け与え、最終的に着ている服まで与えてしまい全裸となってしまう。
なお、『ドラえもん』でもこの童話を再現する演劇を行うエピソードがあり、しずかが全裸となっている。
・『マウス・ハント』
製糸工場で服を機械に巻き込まれた登場人物が全裸となってしまう。
四方八方かの機械から服を引っ張られ、身動きが出来ずになすすべなく絶叫した後、場面転換ののち完成した糸玉で体を隠しながら工場の事務所へ逃げ込む。
・『名探偵コナン』
セーターのほつれがひっかかったまま車が動き出したことにより、トラックの荷台にいた灰原の服がほどけ始める。
・『武装錬金』
漫画。
[B! 宗教] 土偶 on Twitter: "『聖★おにいさん』を現時点で出ている単行本全てを読んでいる。その中で気付いたことが幾つかある。"
こちらに関連しまして。少なくとも私は楽しみましたし馬鹿にされたと思ったことはないですね。
読んだのは相当昔のはなしです。
「この漫画がすごい」で名前をみかけたのが最初の出会いだったと思います。その直後に日曜牧師をやっている友人から押し付けるようにその漫画を渡されました。「面白いのに勧められる人がいないんだよ。クリスチャンじゃないと面白さがわからないからさ」と彼は言います。「そんなことないでしょう。その漫画たぶん有名だよ」と私は言いましたが彼はそんなはずはないと強く否定しました。
家に帰って読んで泣くほど笑いました。でも確かに彼と同じ感想を抱きました。これはクリスチャンと仏教徒向けに書かれた内輪受け漫画です。対象読者は狭いけれど刺さる人にはものすごく刺さるやつ。なぜこの漫画が一般受けしているのだろう・・・? というのが私の正直な感想でした。
キリスト教と仏教に理解のある人が愛情を込めて描いた漫画だと私は思います。
(上記書き換えました: よくない書き方でしたね。すみません)
読んだのが昔すぎて内容を覚えていないけれど、思い出せる部分を少しかいてみようとおもいます
キリスト教には三位一体といって主と御子と精霊を同一視する考え方があります。
グラブルでいえば バハムート と ルシオ と ビィ君 を同一視ですね(伝わるのかこれ?)
ところで聖書の中に「見よ、いま霊がハトのように天から舞い降りて・・・」という記述がよくでてきます。精霊ってハトみたいに降りてくるんですね。みたことないけれど。
それが聖★おにいさんではこうなります。
「息子よ・・・」といいながら天のお父様が舞い降りてくる。
見よ、霊がハトのように・・・ってこれ ハトじゃん?!キジバトじゃん!!
お父様、くるっぽくるっぽ言ってるんですけれどぉぉ???!!!
これ、めちゃくちゃ笑えるシーンなのですが、知らない人が読むと単にハトが舞い降りてきただけに見えるのです。この漫画って解説の類を全くしないんですよ。読者に前提知識を要求するのです。
古代の世界の典型的悪者に「ユダヤの高利貸し」があります。キリスト教はユダヤ教派生なので旧約聖書部分は同じです。そして旧約部分に「利息をつけて金を貸してはならない」みたいな記述があるのですね。ところが歴史的経緯からユダヤ人には金貸業を営むひとが大勢いました。このあたりから「ユダヤの高利貸し」という典型悪が誕生します。日本でいうと山吹色のお菓子を持った越後屋ですね。そちも悪よのぅ。ヴェニスの商人にでてくる「シャーロック」は有名だと思います。
もうひとつユダヤ教における悪者を紹介します。ユダヤの徴税人です。彼らは罪人と同じ扱いをうけ当時の社会で差別されていました。
さて、これを聖★おにいさんの現代日本に移植すると「やくざの闇金と借金取りたて」になるのですね!このセンスすごくないですか。そしてやくざの竜二さん、イエッサに出会い感激してヤクザの足を洗いイエッサに弟子入りを志願するのです。ひゃぁーーー原作通り!原作通りキタコレ!
イエッサは悪人とされている人たちに寄り添いました。「なぜ悪者たちと食卓をともにするのですか?」と問われて答えたのがかの有名な「迷える子羊のたとえ話」です。
ある人が100頭の羊を飼っていてその一匹が迷い出たとする。その人は99頭のをその場に残し1頭を探しに出かけるだろう。そしてもし見つけたならば迷わなかった99頭よりもその1頭を喜ぶであろう
キリスト教は罪人のための宗教。イエッサは迷える者に寄り添うのですーーーー
いやぁ、原作通りですね!なんか竜二さんの家にご招待されていますよ。徴税人ザアカイかな?いや弟子入り志願しているし、ひょっとして聖人コースじゃね?これ。たいへんだ竜二さんが聖人になってしまう!
このエピソード楽しいのは竜二さんもイエッサもお互いの正体に気がついてないところですね。イエッサは極道のボスと勘違いされているしイエッサはヤクザという概念をそもそも知らない。完璧にすれ違っているのに聖書を再現していくのが面白ポイントですかね。ちなみに竜二さんがヤクザであることがばれてもイエッサは気にしないだろうしそれどころか弟子たちも含めてとても優しい目になるんじゃないかな、という安心感があります。ブッタ様御一行とはちがってイエッサ御一行は、あのね、経歴がね、結構アレですからみんな優しいと思いますよ。あと迷える子羊だいすきだからね。
長くなったのでここで一旦止めます
気分を害する人がいることに無頓着でいたいなら自分の気持ちも話さずに消えろって話だ でも私は平気でしたなんてのは傲慢さでしかない
どこかに気分を害した人がいたとしたらそうですね。
先ほどのまとめの発言者は仏教徒の方です。雑にいうと「仏教の内容があまり描いてねぇ。日本にはキリスト教徒が少ないから怒られないだけだぞ」という主張です。
絶望したーー!!生者の声を勝手に代弁するダメイタコに絶望したーー!!
言いたいことがあるなら自分の口で言うんだ。俺は聖★おにいさんが嫌いだというんだ。勝手にクリスチャンのせいにしないでくれ。
どこかに聖おにいさんに気分を害したクリスチャンはいるでしょう。彼らが自分の口で語り、それに耳を傾けるのは意味があると思います。でもダメイタコはやめませんかね?あまりにも不毛ではないですか?
私はこの作品を嫌いだという人を否定しません。作品の感想に正解はありません。あなたはこの作品が嫌い。私はこの作品がすき。これで話はおしまいです。
[追記2]
すみません、返信できなくなってきたので星のついてるコメントだけです。
cinefuk 増田だって「聖★はクリスチャンのママに見せても怒られない」とは思わないだろうし、あえて見せようとはしないだろうね。BL漫画じゃないけど、安彦良和『イエス』は面白かった https://manga.line.me/product/periodic?id=716781
すみません、ちょっとよくわからない・・・ ママに見せると怒られるんです??
漫画紹介ありがとう。これはすごいーー!本格的ですね!今の環境では解像度がおかしくて文字が読めないのであとで落ち着いて読みます。ありがとう。
sawaglico 前提知識あった方が楽しいよね。昔宗教美術を習ってた知識のおかげで面白いと思った。キャラのテンションについていけなくなって脱落したので、最近のネタ切れ感とかはわからないけど。
ひゃーーー すごい人きた!! 美大の方ですか?
minamihiroharu 「絶望したーー!!生者の声を勝手に代弁するダメイタコに絶望したーー!!」 ここでちょっと笑ってしまった。
ごめんなさい、絶望先生ネタです。ダメイタコ©︎久米田康治先生です。よろしくおねがいします。ちなみに「主語の大きい人」も久米田康治先生です。なぜかこっちだけ有名に。
あと私は腐女子ではないです。ごめんなさい。でも友人に腐女子の方はいますし、特に禁じられているという話は聞いたことないですね・・・? うちはプロテスタントなのでゆるゆるかも。牧師さんだって結婚するし酒飲むしタバコ吸います。カトリックだとどうなのでしょうね?