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はてなキーワード: 単純化とは

2016-06-21

追記: 高校生の時、俺はとんでもないDV野郎だった

http://anond.hatelabo.jp/20160621003527 の追記

 あの記事趣旨は、まだ気づいていない同じような加害者たちに伝えるためで、懺悔のためではなかった。だからブコメで真っ当な人たちにボコボコにされているこの反応は当然だと受け取っている。犯罪者だな、と言い捨てられるような、真っ当な人たちには理解できなくて当たり前だよ。真っ当な素養を持って生まれた人には、崖の端っこを歩いている、若しくは踏み外してしまった人間思考回路はわからないんだと思う。でも、そんな真っ当な人間ばかりじゃないんだよ。犯罪者素養という爆弾を持っていても、それを外から見つめてうまく自分コントロールして、何とか普通に社会で、胸を張って生きれるようになりたいんだよ。俺は、ボコボコにされるとわかっていながらも、こういう文章を書く。同じような過ちを犯しそうな奴らには早く気づいてもらいたい。それが俺が社会に対してできることだと思っている。じゃないと叩かれると分かってて書かない。俺の文章は、まともな人たちに向けて書いたんじゃない。俺の文章は、俺のキモい思考回路がそのまま入ってくるような、同じようなやつのために書いたものだ。なぜ俺が「皆」と、呼びかけたのか。それは、ただ「DV加害者の皆」と呼びかけても、当人たちは気付いていなわけで、一般化することで、自分のこととして考えて欲しかたからだ。それが、誰かの気を逆撫たかもしれない。

 その後、被害者側に立った話もあるけど、ずっと後の話で、俺はその人を変えられなくて、そもそも人を変えることなんて無理で、そこからは離れた。だから被害者側の気持ちも多少なりと分かるけれど、それとこれとは別の話だし、「本当の意味でお前は分かってない」と結局罵られる。だからその話はしない。一人っ子だったことだけが原因ではないことは理解してるけと、半生を語るわけにもいかいから、その話もしない。人は逸脱行為理由を、単純化抽象化して理解したがるものから、そういうものだと思っている。

 例えば「恋人貴方のやりとりは、友達にそのまま見せられるか?」と問われて気付いて、行動を変えて、それから「成長した俺、かっこいい」と思っていたとして、それはキモいことだけど、それでDVが止まれば、結果的社会にとってはいいことじゃないかなと思う。


 あの記事謝罪したところで、彼女には届かないし、あの記事で謝っても話の焦点がブレてしまうし、俺のための懺悔しかならないから、あそこでは特別に謝っていないけど、俺はあの後数年かけて彼女に謝り続けたんだよ。書かれていない背景を想像して徹底的にコメントで叩かれているけど、それは書いていなかったことだから仕方ない。もう別れていてたけど、学校という同じ空間にい続けた。言葉だけの謝罪なんて意味がなくて、自分が変わりつつあること、変わったことを示し続けることでしか、信頼を回復できないと思った。最初は口も聞いてくれなかったし、怯えた目で俺のことを見ていた。けど、数年経って、態度が柔らかくなってきて、それからはお互い恋人がいる状況でも困ったことがあれば相談してくれてそれを本気でお互い解決したりもして、お互い結婚した今は向こうから声をかけてくれるくらいのお茶友達だよ。実際心の底で許してくれてるかなんてわからないし、許して欲しいと思っていないし、許されないことをしたことは変わらないけど、それ以上どうしたらよかったんだろうか。


 「またきっかけがあればきっとやるよ」「殴る相手がいなかったから殴らなかっただけ」「サイコパス野郎」と言われても、その後同じようなタイプ大人しい子とも付き合ったけど殴らなかったし、暴言も吐かなくなったし、今は本当に大人しい奥さんだけど、同じような状況になっても殴る気持ちなんて起きない。そういう人は俺が刑務所に入れば満足するんだろうか。その人は、俺が刑務所に入っても、当人たちがもういいと言っても、俺がどんなに変わっても、きっと満足しないで、犯罪者レッテルを張り続けて、俺を社会に参加させないようにするのかもしれない。10年そういった行為をしないでいるけど、それでもお前の本質は変わらないよと言われる。俺は、どんなに更生しても一生犯罪者と呼ばれて、やり直せないのかもしれない。

 犯罪心理学ラベリング理論というものがある。非行に走る者に非行者というレッテルが貼られて、社会からつまはじきにされるせいで、非行者たちが自暴自棄になって非行を繰り返したり、非行者たちが集まって更なる非行行為に走るというものだ。おそらく貴方たちの中で俺のレッテルは、一生剥がれないのだと思う。もうそれでいい。周りが何と言おうとどう見られようと、俺は俺の意思で、もう二度と人を傷つけない道を選び続けるから、それでいい。素質や頭の中がどうであろうと、俺はもうやらないし、今目の前にいる人たちや、当時被害者だった彼女をかけがえのない友人として大事にするから、それでいい。


 何度も言うけどDV加害者加害者であると気づかないこと、密室内で行為が行われて第三者が介入できないことが深刻な社会問題だ。そして、被害者からはそこから逃れられない。手が出なくても、機嫌が悪くなったり、舌打ちや態度で威圧して、相手コントロールするだけでもそれは精神的なDVモラハラ)なんだよ。一度もそんなことをしたことがない人間っているのかな。いるのかもしれない。多分そういう人は聖人なのだと思う。そういう人が社会の大部分なんだと思う。手は出ないけど、そういう理不尽な親父とかたまにいるじゃん?それで、家族が顔色を伺って、気を使うというやつ。あれもDVで、その家族DV被害者なんだよ。そしてその家族たちも、それがDVであることに気付いていなかったりする。それ、DVから気付いてくれよ。加害者が変わんないとダメなんだよ。

 ガキのころと違って、社会に出たら自分の思い通りにいくことなんて少ないし、人の心なんてコントロールできるものではない。世界自分の思い通りになんかいかない。自分を守るために、人を傷つけるようなことはしてはいけない。15のガキだった俺に説教しても分からいかもしれない。俺はただ、とにかくこういった行為が無くなることを望む。

2016-06-10

日記

最近ツイッターばかりやっていて、どうも140文字言葉をまとめる…というより無理矢理詰め込むような表現に疑問を感じていた。

文章には情報を搭載する能力だけでなく、それ自身流れを作る力がある。

文章はただ情報を集めてまとめるだけでなく、文章の作る流れの力でそれを自然読み手脳内に流し込む機能が求められている。

140文字にまとめられた言葉にはそれがない。代わりにタイムラインという一種強制力が、ただ時間の流れとしてツイート五月雨式に送り込み、ユーザー意識を同期的に支配することになる。

問題は2つある。

一つは、ただ時間軸に乗せられて流れる言葉にはロジックが内在しないということ。

文脈、前提条件などと言っても良い。

140文字で切り取られ、一秒単位更新時間機械的に並べられるライムラインだとか、RTによる拡散だとかでポップアップしていく情報には、大抵文脈が欠けている。どんなに短い言葉にも、本来書き手がそれを発するに至った個人的社会的意義、文脈というもの存在するはずなのに、切り貼りされたタイムラインの中で、140文字でそれを表現するのは事実上不可能だ。

この弱点を克服し、140文字でなにがしかの「感銘」を与えたように感じさせる、注目されるために、ある種の野心を持ったツイートには、つねに何か擬似的な文脈のようなものが付加される。

具体的に言えば、一種の「ベタ」でコーティングする。みんなが叩いているものを叩く。誰かへの批判。「俺たち」の賞賛。「敵」を認定し、「俺たち」の立場からそれをやっつけてやる。大抵はおおむねそんなものだ。しょせん擬似的な文脈なのだから

タイムラインはより大きな文脈を忘れさせ、たかだか140文字でっち上げられる程度の擬似的な文脈を、その陳腐さを省みさせることな肥大させ続ける。タイムラインは流れるだけで永遠に蓄積しない。言葉を重ねれば重ねるほど、そこで人は深い認識を失い、空虚な幻惑のなかをさまよいつづけることになる。

二つ目は、一つ目の現象の裏返しとして、本来あったロジックも見えなくなりがちなところだ。

またある種の、野心より挟持を優先したツイートには、このようなでっち上げ文脈よりは多少複雑な、固有の文脈で送り出されるものがある。

ツイートパラグラフ段落のように見立て、またそこまでではなくとも、マッシュアップされる前の自分自身タイムラインだけで醸し出される文脈大事にする。更新時間並べ替えられたタイムラインで目立つことよりも、自分自身文脈のなかでメリハリの利いた言葉遣いであることを意識する。

このようなツイートは、その真意を読み解くために、投稿者の背景や前後ツイートRTさらにはここ最近ちょくちょく取り上げている問題が何かを把握しないと、場合によってはほぼ反対の意味にすら解されてしまうことがある。そういうことを、恐れずに(もしくはあまり注意せずに)発信されている。

…とこれは少し主体的に書き過ぎたが、そこまで覚悟を決めてなくとも、あえて「ベタ」な文脈に固執しているタイプの並々ならぬ野心に燃えている場合を除けば普通はいくらかはこのような、個人の文脈にとらわれた「誤解の恐れのある」ツイートをしているものである人間自然生理として。

タイムラインはこれら全てを切断し、タイムスタンプだけに依拠したツイートリストへと単純化する。読む人はこの流れに支配され、ただタイムラインのなかの異物として特異な文脈を持ったツイート認識する。

ある人は身勝手単純化して「俺たち」の賞賛として受容し、ある人は身勝手単純化して「俺たちの敵」の悪あがきとして攻撃する。個人的にはあるツイートがどのような文脈で生み出されたものであるのかを常に気にしているし、そうやって探るうちに見えてくるものを楽しみとも感じているのだが、そういう人はすくない。

そういう人のことを、わからないわけでもない。

結局のところ、繰り返すがこの問題ものごとの裏表であり、前者が後者を生み出しているところがある。

タイムラインで目立つということが一種生存競争として成立してしまった状況下で、文脈を捨て去った(あるいは、単純な疑似文脈に頼り切った)ツイートが力を増すなかで、より普通文脈を持った言葉が埋もれていく。同じ分別ラインで処理されていく。

紋切り型ツイートにならされた脳は、運動をしなくなった身体のように、柔軟性を失い、運動性能を落としていく。認識単純化とともに、目に見える世界もまた色を失い、記号化されたデジタル情報としてしか理解できなくなっていく。

事態改善には、これを考慮して考えると、まず自らのなかにある文脈意識的になることだ。

大きな文脈とは何かを忘れた状態で、大きな文脈を読み取ろうと努力だけしてもなかなかうまくはいかないものだ。

タイムライン支配から抜け出す。画一的に切り取られた140文字の枠を忘れる。

140文字で書かれた言葉の軽さに気づく。140文字で書かれた言葉の、裏にあるものの重さに目を向ける。

簡単方法は、やはり日記でも書くことだろう。

140文字という制限を忘れて、書けるだけ書く。

からといって長文を気負う必要もない。枠を気にせず書いた結果なら141文字でも良い。なんなら140文字以下でも良い。

字数調整から意識解放し書きたいことを書きたいように書き、書き散らかった内容を字数言い訳せずにうまく落とす。

そうして大きな文脈を見捨てず、見失わずまとめあげる。

多少無駄があっても良い。しょせんこれは日記である自分が思っていることを、どれだけ複雑な文脈ものを考えているのかを、考えるべきなのかを、あらためて認識する。

そのきっかけになれば良い。

自分自身の複雑さに気づくことが出来れば、他者の複雑さを慮る準備もできるだろう。

今日暑い

部屋のなかは蒸す。

コンビニにでも行こう。

2016-05-26

炎上ブロガーというより、記事をバズらせたいあまり物事単純化して語る人があまり好きになれない

むりやり自分がわかろうとしたりとか、面白ければそれでいいとかいって問題自分理解できる単純なかたちに切りとろうとしたり、逆に自分感覚にあわせていろんな味付けをしたがるクソブロガーはどの口で「テレビは信用できない」とか言ってるのかと思う。

ネットって個々人による拡散連鎖に頼ってるから、そういう「シャアやすい」「間違ってても面白い」みたいなやつのほうがバズりやすいらしいけど、そういう意味では一番バズってるゾーンはほんとにバカ暇人のものなんだろうなと思いますまがりなりにも規制があるテレビのほうがまし。 炎上ブロガーとかバイラル系の記事書いてるブロガーのほうがくず。

ブログは「他人迷惑をかけない限り」何を書いてもいいというのが建前ではあるけれど、こういう人には健康問題教育問題など、明らかに難しい上に迷惑をかける話については語ってほしくないなとついつい思ってしまう。お前らはおとなしく身の丈に合ったはてな村話題とかグルメマンガフリーゲームの話だけやってろみたいな乱暴な気持ちになってしまときすらある。(何様だよ自分

2016-05-05

日本はたしかに死んでる

若いころから介護士してた叔母も、月収20万を越えでボーナスもあったのにどんどん給料下がっていって最期にはバイトと変わらない給料になって、しまいには、定年前に更年期調子崩したのもあって退職し今では、飲食店の皿洗いのバイト年金で細々と暮らしている。

http://anond.hatelabo.jp/20160505085036

オマエんとこだけじゃない。

どこもかしこも下流中高年。

 

最近、これ読んで愕然とした。

こういう状況って一部だけじゃなかったんだな。

  

中沢彰吾 著

中高年ブラック派遣 人材派遣業界の闇 (講談社現代新書)

 

人材派遣が生んだ奴隷労働実態を伝える衝撃ルポ

年収3000万円を豪語する人材派遣会社20代社員が、

自分の親世代の中高年を時給数百円の日雇い派遣酷使

「ほんとにおまえは馬鹿だな」

「中高年は汚いからダメ

「てめえみてえなじじい、いらねえから

塩素ガスがたちこめる密室で6時間にわたってイチゴのへた取り」

倉庫内で1日中カッターナイフをふるうダンボール箱の解体……。

いったい、これのどこが労働者にとって有益な雇用形態」特別スキルを活かした熟練労働なのか?

労働者をモノ扱いする政府厚労省欺瞞を暴く!

 

第1章 人材派遣という名の「人間キャッチボール

――「いい年して、どうして人並みのことができないんだ!?」

迷走する労働行政元祖ドヤ街手配師政府財界による労働者の流動化政策派遣エレベータ使用禁止監禁労働のタコ部屋/悪意の果ての無駄人材派遣会社システム派遣労働者保護されているか派遣労働者使い捨ての「待機」/人材派遣会社社員の異常な高収入求人サイト矜持責任/近年稀に見る悪法/中高年が職に就けない現実/「年齢制限なし」の「裏メッセージ」/「三種の辛技」/労働基準法に刃向う労働者派遣法 ほか

第2章 人材派遣が生んだ奴隷労働職場

――ノロウイルス感染者に「大丈夫ですから勤務に行って」

極限まで単純化された派遣労働/巨大ダンボール箱と格闘した中高年の「善意」/人材派遣定番ピッキング」で実はトラブル続出/カゴテナーと接触して負傷/出勤確認連絡/マニュアルによる効率化は本当か/未登録でも派遣する人材派遣会社がある/現代派遣切り「お父さん、酒臭いよ」/中高年は美術品が似合わない?/二重帳簿ならぬ二重マニュアル人材派遣会社女性社員必死なワケ ほか

第3章 人材派遣危険落とし穴

――「もう来るなよ。てめえみてえなじじい、いらねえから

人材派遣が急拡大した本当のワケ/官公庁自治体外郭団体でも非正規労働が拡大/時給2000円が900円に/研修日当なし、交通費なし、最低賃金以下/人材派遣安値受注が生んだトラブル人材を集められない人材派遣会社/恐怖をふりまく正規社員たち/事件現場は巨大モール奴隷派遣は本当にお得なのか?/無責任体質カタカナ肩書き乱発のハレーション除夜の鐘が鳴る頃、てんやわんやの大騒ぎ/企業の稼ぐ力を削ぐ無責任人事 ほか

第4章 悪質な人材派遣会社を一掃せよ

――「二度と仕事紹介してもらえないよ。かわいそう」

拡大する一方の非正規労働者/週5日終夜勤務/従順派遣労働者人材派遣を推進する識者たち/重要情報ネグレクト/欠けている労働者保護視点人材派遣と景気浮揚/欧米先進国比較 ほか

 

http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062883146

http://www.amazon.co.jp/dp/B00XMCH1KK/

いま、真剣

39歳になったら

自殺方法を考えるつもりでいる

40過ぎて下流だったら

この国じゃ

もう絶対はいあがれない

 

え、もう40 過ぎたって?

じゃあ地獄で生き続けるしかいね

   

 

2016-04-30

いろんなブログ論読むのもいいけどその前に「Chikirinの日記の育て方」を読んだほうがええよ

自己啓発本を100冊読んでも「人を動かす」と「7つの習慣」「アドラー心理学」をちゃんと理解してないと意味が無いって話がある。

これ、いろんな人が書いてる「ブログの伸ばし方」みたいな話にも言えると思ってて。

いろいろ読んだけど、だいたいショボい。

全部ちきりんさんが言ってることを断片的に切り取って単純化して言ってるだけ。

別に読んでも無駄だとまでは言わないけれど、先に「Chikirinの日記の育て方」は読んで置いたほうがいいんじゃないかな。

もちろん、アフィリエイトとかやりたい人は検索流入とかSEOとかそっち方向に詳しくならないとダメだと思うけれど、そういうんじゃなくて、自分ブログを人が読んでもらえるブログにしたいというなら、

みんなさ、ちきりん批判してる割にお前らが書いてるブログ論って、ちきりんの本の劣化版でしかないよ。

ちきりんアンチって、ちきりん批判してるくせに、ちきりんの本に書いてることそのまんまなぞってるのに待ったくそ自覚がないというね。

釈迦の手のひらの上で踊るサルと言うか。

結局書いてる内容見たら、いくら部分的ちきりん批判ができたところで、レベルの差が違うってはっきりわかんだよね。

そういう凡百のザコのブログ戦略を読むくらいだったらちきりんブログの育て方を読んだほうがええでまじで。

どのようにちきりんは200万PVのブロガーになったか! 「Chikirinの日記」の育て方 | 新卒フリーランサーのブログ!

【読書感想】「Chikirinの日記」の育て方

ブコメでは偉そうなんだけど全然魅力的な文章書けないキツネ野郎とかはそんだけ偉そうに書くなら自分ブログ書いて伸ばしてみたら?

2016-04-23

モダンな開発がしたい学生大手IT企業に行く際に知っておくべきこと

http://anond.hatelabo.jp/20160413023627 を見て触発されたので書く。

タイトルのようなことについて、実態というか現実というか、そういうのを当たり障りない範囲で書こうと思う。全ての企業学生に当てはまるはずはない(むしろかなり偏見単純化を混ぜてる)けど、参考になれば幸い。

ちなみにトラバ先は研究を志望したという話だけど、本エントリ研究志望というよりは一エンジニア志望向けかも。

前提1: モダンな開発とは?

あえて定義はしないけど、Github で公開されてるような OSS を使ってます/いじってますとか、LL 使って Web アプリ作ってますとか、アジャイルやらテストコードやら最近主流の手法使ってますとか、そんな感じで捉えていただければ幸い。あるいはメインフレームCOBOL とか周辺機能を全部車輪の再発明してるC言語アプリとかそういう古い仕事ではない仕事、と捉えてもいいかも。

前提2: 大手IT企業(SIer)とは?

トラバ先のトラバ言葉を借りると「日本的な旧来型のIT大企業」という感じ。

大手IT企業にとっての「IT」とは「モダンな開発」ではない

ITという言葉には色々な意味がある。大手IT企業だとこれが特に広い。もちろん「モダンな開発」も含まれているけれど、そんなの全体のごく一部でしかない。(主観だけど数 % とかじゃないだろうか)

話は少しそれるが、大手IT企業は元々メインフレームなど「化石」で発展してきた経緯がある。何十年以上も昔、コンピュータといえば化石しかなくて(それでも当時は最先端)、それを個人やそこいらの企業では相手にできないような大組織に対して導入してきた。プログラミング手法ノウハウが十分存在しない時代だったけど、それでもやるしかなくて、幸いにも昔は今ほど不景気ではなかったし人材豊富だったか人海戦術で何とかなった。

そうやってつくられた化石コード化石システムは今なお動いているし、時代に合わせてそれなりに機能追加もある。大手IT企業化石から離れることができない。現代化石で食べていけるほど甘くない時代だとしても。

そもそも化石に詳しい化石人が現役引退や昇進などによりいなくなったということもあって、実は現状維持ですら大変である。たとえばレガシーで汚い膨大なソースコードを知る者は誰もいない。もちろんネットで調べても答えなど出ないし、IT界隈のコミュニティに頼ったところで知る者はやはりいない。どんなに時間がかかっても読んで、理解するしかない。どんなに時間がかかっても。

以上のような現実があるので、化石お仕事新人を割り当てることも普通にあるし、むしろそうなる確率が圧倒的に高い。

大手IT企業にとっての新人とは?

大手IT企業にとって新人とは「専門的な技能経験は無いが、地力(頭の良さ、伸びしろ、根気など)はあるため近い将来使える戦力になる卵」である

対人コミュニケーションには自信ありますという遊んでばっかのリア充も、OSSContribute してました大学ほとんどパソコンと向き合ってましたという趣味グラマも、同じ「新人」でしかない。

新人」は技能経験もないので、いきなり一人前の仕事を任されることはない。電話応対、飲み会企画運営など雑用全般を任されつつ、簡単な仕事アサインされる。

この簡単な仕事というのが曲者で、手順書にしたがって環境を整えるとかテストをするとか、そういう仕事だ。手順書を読める程度のIT知識があれば誰でもできる。でもボリュームは多いし、手順書は不完全で不正確だからからないところが多々あって、忙しい先輩や上司に何度も相談しにいくことになる。言うなれば属人性の高い単調な手作業仕事」とでも言えようか。

ITを知らない素人新人ならこれが仕事だと抵抗なく受け入れられるが、ITを知る新人だったら、これはとてつもない苦痛だろう。配属先が「モダンな開発」を行う部署であれば苦痛具合も軽減されるし、なんなら「君結構詳しいんだね。じゃあ早速本格的な仕事任せてみようかな」なんてこともありえる。化石部署だとそんなことはない。だって仕事で扱ってるシステム化石からモダンIT知識なんて役に立たないもの

新人」を脱した次にあるもの

この「新人」に、早くて数ヶ月、遅くて数年耐えると、次第に仕事を任せてもらえるようになる。設計コーディングといった、エンジニアらしい仕事だ。といっても、配属先が化石部署であれば、当然扱うのも化石なわけで、いつまでたっても化石で苦しみ続けることになる。

一方で化石部署から異動し、「モダンな開発」を行う部署で働く者も存在する。これには色んなパターンがあるが、おおよそ以下のような状況が重なって異動するパターンが多い気がする。

さらに次にあるもの

ここから大手IT企業キャリアパスの話になる。

大手IT企業では エンジニア中間管理職(部長以下)→偉い人(部長より上) というキャリアパスがつくられている。特徴は

こんな感じ。

いつまでもエンジニアとして働いて、でも給料はそれなりにもらって、ということはありえない。成果を出せば昇進するし、昇進すればエンジニアから離れていく。成果を出さなければエンジニアとしていれるけど、いつまでたっても給料は増えない。大手だけあって新人時点での給料はそこそこ良いけれど、30代以上になってくるとそれでも苦しい(物欲無き健康一人暮らしなら問題無いが、家族を養うつもりなら相当苦しい)し、そもそも無能管理職に振り回されることに対して苛立つだろう。つまりエンジニアとして何十年も働き続けにくい。

「昇進するつもりだから問題無し」と考えている人も要注意である。というのも、大手IT企業管理職で溢れかえっているからだ。新人が昇進するのは非常に難しい。昔は割と誰でもなれていたし、実際「こんな奴がなんで管理職になれてんだ?」っておっさんもたくさんいるけれど、今は違う。一握りの社畜必死仕事に食らいついてきた&先輩や上司からのウケも良い)だけが昇進できる。たとえエンジニアとして優秀な仕事をし、正当な意見を主張してきたとしても、空気を読んでウケの良い社畜にならなければ昇進はできないのである

普通キャリアパスはクソだね、じゃあ研究所を志望しようっと

大手IT企業研究所は非常に狭き門であるトラバ先でも言及されているが、博士課程を終えたようなガチさに加え、当然のことながら学歴必要になってくる。実際、研究所人間英語を当たり前に読み書きできたり、分厚い技術書を躊躇なく読み込んだりするような変態であり、裏を返せばそれほどの実力と熱意がなければやっていけない世界というわけで。とにかく多少ITに覚えのある凡人が入れる場所ではない。

また、入社後に研究所に異動するケースもほとんど無い。一般部署の凡人をわざわざ引き入れる理由が無いからだ。

それでも大手IT企業を目指すワケ

ここまで色々書いたが、そもそもなぜ大手IT企業を目指すのか。それは以下のような理由や期待があるからではないか。

確かに上記のメリットはある。あるけれど、ここまで書いたように

といったこともあるわけで。

モダン仕事バリバリしたいならベンチャー行け」という話もあるけれど、ベンチャーで通用するほどの人材ならそもそも大企業を選ぶことに悩みなどしないだろう。大企業を選ぶということは、実力なり待遇なり何かを求めているわけで、そうなってくると大企業以上に適切な選択肢は無い。でも、その大企業にも上記のデメリットがあるわけで。

結論

世の中は甘くないですね。

2016-04-13

絶賛派の負のエネルギーを和らげたい②

http://anond.hatelabo.jp/20160413011057

正負のエネルギー

負のエネルギー対義語は正のエネルギーなのでしょうか。

正のエネルギーとは必ず正しいエネルギーたりえるでしょうか。仮にそうだとしても絶賛派の持つエネルギーはそれにふさわしいものでしょうか。

恐らくそ根拠としては何事も賛美することや推進することこそが正のエネルギーだという思想なのでしょうけれど、悪事や間違いを推進することは正のエネルギーと呼べるのでしょうか。悪事や間違いを批判することも負のエネルギーなのでしょうか。

そしていきなりそのような立場に立ってしまうと、議論する物事善悪や正誤の考察をする前提をすっ飛ばししまっているように思われてしまます。そしてそのような所に絶賛派ラブライバー宗教的だとか、盲目的で妄信的だと呼ばれる所以があります


また、そもそも私的体験の話をすれば、アニメ1期の時点では自分アニメの内容の嫌な部分に目をつぶりながら作品全体の動向をポジティブ応援しようとしていたのです。しかし2期以降、先述のように作品展開の裏切り汚染が加速拡大していくのを目の当たりにし、目を覚まして絶望するしか無かったのです。


絶賛派の大多数は初期作品群を否定していません

とありますが、肯定をしている様子も殆ど見受けられません。ただ踏み台として蹴落とされるべき歴史としての存在を認めているだけに過ぎないでしょう。先述のメディアミックス理論の持ち出し方にもそれが現れているように思います

アニメ版を叩くだけの負のエネルギーを注ぐのでなく、自分の好きな初期作品の素晴らしさをポジティブに語るべきでしょう。


自分の好きな作品を褒めるために他の作品を叩く行為は忌み嫌われることを増田もご存知のはず。増田が良いと思うものポジティブに語る事で初期作品への注目も上がるのではないですか?


アニメ版を叩き貶める事で初期作品が注目されるのでしょうか?むしろその行為ラブライブ!作品群の全体を貶める行為となっている事実に気づいてほしいのです。

と、絶賛派ラブライバーは最終的にとりあえず批判する奴が悪なんだという方向に持っていきたがります。そこがアイドルヲタクというよりジャニーズヲタク的で、女々しく感じます

また、批判への批判ですら批判であることや、何かを肯定する時には別の何かの否定を孕んでいることが多いことも留意しなければならないように思います

恐らく全てを好みの問題で済ませられると考えているか脳天気に、表立って批判する奴が悪いと言えるのでしょうが盗作問題などをはじめとした不可解な部分、問題があると指摘した部分を深く検討していただけないと原案派への本当の理解や同情は難しいと思います

悪い所があったり、悪いことをしていたりしてもそれを批判することは悪いことだという考え方にはぞっとするものがあります。まるで盲目的な自分達を認めてほしいから目を覚ますようなことを言わないでくれと言っているかのようです。

ただ単につまらない、嫌いというだけで批判しないで済む状態であれば態々大きく批判しなくていいかもしれませんが、そのような甘く生温い状況ではないことを2期以降に強く痛感したのです。その内容の説明は既に先の記事でも今回の記事でもしていますが…。

それと、乱雑な感情論理から導かれる暴力的な賛美や批判と、真摯感情論理から導かれる賛美&批判を一まとめにして考えることはナンセンスだと思います

そのような指摘をみても、やはりアニメ劇場版ラブライブ2013年以降の作品プロジェクト全体は、積み重ねや面倒臭い決め事を破棄して、表面的で浅いつながりで結ばれた妥協馴れ合いの間に合わせで叶えた物語好きな人に支持された作品だったんだなと思えてきます

好きだからこそより高みを目指したい、好きだからこそ勿体ない部分を指摘する、批判するという発想がないのでしょうか。ラブライブはもはや好きとはいいがたい作品に成り果てましたが、自分は好きな作品でも問題のある部分については批判します。好きだからこそ正直で誠実に向き合いたいからです。その点の行動をするかしないかについては好みで問題ないとは思いますが。


 あえて単純化して例えれば、ピカソキュビズム絵画に対して『もう少し現実に合わせてもいいんじゃないか』と主張するくらいナンセンス議論なのです。

この点は先述のレストランの例えで説明しましたが前提のズレがありますラブライブ場合、写実画というには写実的から程遠く、キュビズムの方向に傾かせたというには写実的すぎるという半端な状態です。それがいいといえばそれまでですが、それが悪いといえばそれもそれまでです。

そしてそれらが地味で不規則な所を見ると、ただのミスなのではないかという気がしてなりません。また、ラブライブ芸術作品という意味ではキュビズム絵画と同じでも一枚の絵でも一つの彫刻でもありません。ストーリー作品キャラクター作品物語なのです。さらにあのアニメ内でも『みんなで叶える「物語」』などと言ってしまっています

まりラブライブという作品キャラクター性や物語性の描写の在り方について審議されるのは当然ですし、ましてやそれを無視してしまうだけでなく、無視して見る方が正しいかのように主張する態度は、作品評価をする上で致命的な怠りがあるように思います


 増田の観たかったものは、キャラクター内面リアルに掘り下げたドラマ。誤解を恐れずに言えば、スクールアイドル版のアイマスじゃないのでしょうか?

アイマスといっても色々ありますが、本家アイマスシンデレラガールズ(一応双方アニメのとしておきます)などはアニメラブライブよりはともかく、物語性などについても、キャラクターが多すぎることや、原作主人公であるプロデューサー存在が軸となりすぎていることもあって内面の掘り下げについて理想には少し遠い面があります。またアイマス原作ギャルゲー風の育成ゲーム芸能界作品ですし、そのような物語性やキャラクター性などの部分への描写を前提する要素がラブライブより少ないことがその部分において許されやすい部分はあるかもしれません。

ただ、アイマス声優などの外部のネタキャラ作品に持ち込む二次創作的な風潮がラブライブより強く、そこが支持されてもいますがそこは自分にあまり馴染まない部分ですし、そこはラブライブには真似してほしくなかったのですが結果的追従するように似たような道を歩んでいってしまった印象があります

それでも、アイマス原作ゲームであるという絶対的な軸があり、キャラクター的にもその区分け比較大事にしているので、ラブライブよりはファン棲み分けがしやすくなっているように思います

自分ラブライブ応援する以前にアイマスが好きだったのですが、アイマス2騒動距離をとるようになりました。あれも作品公式運営への不信感を感じる騒動でしたけれど、その後アイマスは先述の区分けのおかげでなんとか致命的に沈み込むことはなく持ち直していったように感じています。また、当時のファンの多くが大きく問題視して糾弾したのも現状に対して盲目的で内容に興味があるのか疑問を抱いてしまラブライバーの多くとは違う点でしたね。あまり高く評価するつもりはないのですが、結果的にはアイマス場合ファン意思がある程度「プロデューサー」として作用し反映されたおかげかもしれません。

対して、ラブライブに期待していた広い意味でのコンテンツの在り方は前回の記事http://anond.hatelabo.jp/20160330020728言及した通りですが、そこでも述べた通り、ラブライブというプロジェクトファン意思存在を「みんな」の中から排除したものだったという気がしてなりません。


京極監督花田さんは物語性の軛からラブライブ!を解き放った。漫画小説では表現できないアニメならではの特徴を最大限利用してアイドル表現したのです。

アニメならではの特徴を利用したとしても、アニメでも表現できることを怠りすぎていたので批判されていることも考えていただきたいように思います

物語性を「軛」と表現していますが、それは致命的な配慮の怠りで思い上がりですね。絶賛派は似たようなことを言うのである意味信頼できますが苦笑します。

別のとある絶賛派の人はキャラクター描写について批判する人をキャラクター至上主義ダメ批判したりしていますが、裏を返すと絶賛派は表現至上主義なわけです。

また、キャラクター性や物語性の描写の拙さを批判する人達別にアニメ表現演出のあり方を否定していません。

対して絶賛派はあの表現演出さえあれば物語性やキャラクター性の描写不要だ、ない方がいいくら否定的に捉えているわけです。表現演出をそれらの免罪符のように扱っているのですから

しかし、先述の例えのようにシリーズアニメにおいて表現演出というのはキャラクター物語性の拙さを打ち消す免罪符に足るものではありません。

まあメタ的に、「アイドルアイドルファンというのは実はこんなに狂気的で下らないものだ」というのを、アニメ全体を使って表現したというのであれば、それはある種のテロリズム芸術として評価できるかもしれません。

そういうものオリジナル作品勝手にやったのであればそういう作品性面白い有意義だと手放しでいえた可能性があったと思いますしかし、元々の作品の指針としてコンセプトが違う原案存在する作品を預かりながらそれを行い、それらを生かしたとは到底言い難い状態にある作品となったので好き嫌いを超えた善悪問題批判しているのです。

現実的であったり表現主義的であったりする要素を作品にあってはならない要素だとは思っていませんし、何度もいうようにそこを特別批判しているわけではありません。

せっかくのシリーズアニメ作品で、物語形式だったのですからそのような最重要の部分を十分生かして欲しかったのです。

そして批判派の多くは勝手ミュージカルをするなとか急に踊り出すなとかいうのを言っているのではなく、そのような表現主義的な意図があるとは思えない単純な所でもただのミスではないかというような違和感を抱く描写があり、その点への指摘や批判すら絶賛派が、全ては芸術的表現からそれでいいんだというように無理矢理擁護してしまうためにうんざりしているのです。

仰っているような表現方法などに特化しただけのものでいいのならオリジナル作品や、またはそれこそ、PVだけ作っていてくれればよかったと思います

それに対して「いやあの形のアニメからいいんだ」と主張する場合理由は、おそらく知名度が上がりやすく人気が出やすからでしょう。

確かにラブライブというコンテンツは人気が出て欲しかったですし、知名度さえ上がれば元のままで高く評価されることが可能なポテンシャルは十二分にあったと感じていましたが、絶賛派が表現主義的に評価するアニメを、あの形でアニメ化しなければならなかったとする根拠を考えると、人気が出た作品ファンを名乗りたいという表面的な所に帰結していくように思います

今となってはアニメ化せずに人気が出なくてもアニメPV付きシングルがもう何曲も出ていた方がただのファンとしてなら幸せだったなと感じます

表現方法などが優れているとしても、前の記事でも言ったようにかつての作品の在り方とそれらの表現手法などは両立できたでしょうに、最初からしない道を選んだことを批判しているのです。

また、それがオリジナリティに溢れていたならまだしも、元々の原案に沿うことを拒絶しながら他の無関係作品は平気で参考にして適当になぞらせるようにストーリーキャラクター設定を(前回の記事説明したような)稚拙配慮の下に歪ませてしまったことが甚だしく受け入れがたい問題点なのです。

2016-04-12

保育園幼稚園の隣に住んでみろよ

保育園の開園を断念して「これはひどい」とかブコメ付けてるやつがいるけど、例外批判(実際には批判にもなってないただの批難ばかり)も甚だしい。

次に出てくる言葉が何かと思ったら「子どもを大切にしない」だとか言うけどさ、実際に保育園幼稚園の隣に住んでみろっつーの。

例えば航空自衛隊のある町の近くに住むと二重ガラスにする補助がもらえたりするけど、保育園にはそういう近隣住民に対しての何か配慮ってあるの?

子どもを大切にする精神」だけを求められるのであれば、是非とも保育園の近隣に率先して住んでくれ。

とか言ったら「会社がー」「通勤がー」とか言いやがるだろ?その程度の関心しかないんだわ、そういう人たちって。

リアル子どもが嫌いになるレベルに達するほど騒がしいぞ。

なんのためのフレックスタイム出勤だよ、と思わざるを得ないくらい朝はゆっくり寝られない。

だって迷惑をかけるんだったら、しかもそれが子どもであるのならば、迷惑をかけないように如何に配慮するのかってのが大人役割なんじゃねーの?

「防音対策をしっかりする→建設費用がー」という問題が出て来て始めて国政に声を挙げられるんじゃねーの?

それ以前の批難しかできない人たちが選挙権を持っていることの方が日本未来の暗さな気がするわ。

そういう大人ができること、配慮することを無視して「日本ノミライガー」とか、驚くほど知性を感じさせない大人という念しか懐かない。

マジで飛行場の方が静かなレベルからね、保育園の隣に住むというのは。

夜勤明けなんて発狂寸前のレベル

そもそも子どもは騒がしい生き物なんじゃない、大人が騒がせている=元気溌剌だと勘違いしているだけなんじゃないのか。

子どもを黙らせるんじゃなくて、静かにならないのならば配慮できる理性を備えた大人対処するものなんじゃないのか。

そういう大人からできるもの、むしろ大人からすべきものを全く無視して「若者ガー」とか何言ってんだ?

その頭の中に詰まってるのは脳みそじゃなくてバラストか?

それとも頭の中まで筋肉痛なっちゃタイプ

保育園問題は確かに重要だ。

重要からこそ、しっかりと環境や実状を踏まえてどうすべきかを考える。

そういう人たちが増えることを願ってやまない。

追記::

「実際に隣に住んでみろ」っていうと「極論ダ―」が現れそうだから、一応付けたしておくよ。

先にも述べたけど「実際に住め」と言われて「通勤通学ガー」と言い訳する奴らなんて、本当は「保育園」に興味なんて1マイクロもないんだ。

ただただ世間話題になったことがらに、インテレサントなものにだけ興味を引かれて、脊髄反射的に批難する言葉が出てきているだけで頭なんて使っちゃいない。

自らの経験や周辺住民の声を聞いて、それらを踏まえてどういうことをしていくか、あるいは為していくか、それが科学的な思考であって、義務教育を終えた人が為し得る考え方なんじゃないのか?

それは面倒だし簡単にできることじゃない。

そういう面倒なことをやってまできちんと「これからどうすべきか」を考える人たちが必要なんだけど、そういうところにお金は廻らない。

このような状況を全く踏まえないですぐに「コドモガー」というのは、そういう短絡的な大人教育されている子どもが最も不憫でならない。

追記その2::(4月12日12時ごろ)

なんか知らんけど沢山ブクマ付いてて個人的には興味深くて考えさせられるものも沢山あった。

批判真摯に受け止めたいし、どんなコメントをくれた人でも全ての人へありがとさん!とは言っておきた。

私は口も悪けりゃ頭も悪い。挙句に文才なんて胎内に忘れてきたようなタイプなので支離滅裂な文はご寛恕いただきたい。

想定していた「私は気にならなかった」系のブコメはやっぱりあった。

もちろん他意はなくて自らの意見を述べているんだろうけど、そこで留まっていれば声としてとても重要ものだと思う。

だけど、そこから一歩進んでしまって、住宅施設や立地などの諸条件を捨象して、結果を「神経質」というような単純化していく論の持って行き方は賢くない。

賢くないと言っているだけで、嫌いだとかダメだとか言っているわけじゃないことだけは理解して欲しい。

もはや忘却の彼方にある「民主主義ってなんだ!?」「これだ!」なんて語られてたけど、あんなのは民主主義とは言わないんじゃないかと思う。

既存イデオロギーがあってそこに邁進していくんでもなくて多数決をするんでもない。

多種多様生き方をしている人たちの声を聞いて、さまざまな問題を語り合って共に解決していくものなんじゃないのかな。

もちろん複雑化していくのは火を見るよりも明らかだけど、日本死ね!って感じて諦めたくねーんだわ、私はね。

そもそも何かに対して「死ね」だなんて良くも簡単に言えたもんだなとは思うけどね、私は口は悪いとは思っているけど「死ね」みたいな言葉は使わないように心がけている。

チラシの裏書きみたいなものから、本当に散文的なものになってるんだけど、常々思うことを書いて筆を降ろしたいと思う。

日本が悪い、社会が悪いみたいなこというけどさ、そういう人たちは何と戦ってんだろね。

追記その3::(4月12日18時くらい)

チラシの裏2枚目。

色々な声が聞けるインターネッツってやっぱり素晴らしいな、と思ってる。

ブコメを読むと「すっごい頭がキレッキレ(いい意味で)な人で弟子入りしたい!」と思うものもあれば「何ちょっとこの人文盲?」って思うものもある。

そして何より感動しているのは「共存」かそういう類のキーワードを挙げている人がいること。そうなんだよ、それなんだよ、これから時代って、と個人的に思ってる。

いずれにしても、どのブコメを読んでも個人の素晴らしい意見で、何かこう勝手カタルシスのようなものを感じちゃってる。

ちなみに増田個人の見解として「こうしたらいいんじゃね?」みたいのは、少しだけ提示したつもり。

もちろん個人の見解(防音対策)はかなりの片手落ち、どころか飛車角を落とした感じ、あるいはキングのいないチェスみたいな(適当

から頭をこねくり回して考えてみたけど、これから述べるところの要約を先に言えば「私個人としての結論はない」これが答えだ。

「は?」かもしれないけれど、ソリューションへの道は集積が第一であって一人の意見に可否を付けることじゃないと思うし(震え声

まず、引っ越した先に保育園があるのと、住んでいたところに保育園ができるのとでは意味が異なる。

極端な例を出せば、基地の隣に引っ越したのか、それとも住んでいたところに基地ができるのかでは意味が異なる。

間違いなく別の観点から斬りかかってくる(例えば命の危機だとか何とかね)人がいるけれど、こういう極端な例を出さなきゃ分からない人がいるからこそ、あえて極端な例をあげてみた。

さて、既存保育園の近隣に引っ越すということは、そういう騒音リスク承知でなければならない。

決して安い金で引っ越すわけじゃないんだから、徹底的にリサーチ必要だ。

個人的経験で言えば、奈良県のS市でその失敗をやらかした。

「やっぱり土いじりしたいっすw」ということで一階の部屋を選択し、気晴らし程度の目隠しと1mくらいの道路フェンス一枚を隔てた向こう側が保育園だった。

演奏会の練習を夏に窓を開け放してやってくれるもんだから夜勤明けなんて寝てらんない。

ちなみに飛行場関係では、勤務地から歩いていける方がいいじゃん!ってことで岐阜県のK市に航空自衛隊の側に部屋を借りて失敗した。

この失敗は、その町にある既存施設がどのようなメリットデメリットがあるのかを考えなかった、単なるリサーチ不足だ。

これに関しては、移住者である私が悪い。そこを選択したのは私だ。保育園迷惑なんじゃない、基地迷惑なんじゃない、自分から迷惑に飛び込んで自分から苦しむ一番ダメパターン

既存保育園が足りないというのであれば新設するか、あるいは増床するかという選択になると思う。

今回の開園中止なんてのは新設するパターンだったわけで、上述した既存保育園とは問題の質が異なる。

新設の場合は、そういうリスクを避けていた人たちに影響が及ぶ。

から新設するのであれば説明しなくてはならないと思う(問題賃貸に住む住民にそういう説明があるのか否かというところだけど、個人的経験がないからどうなの?聞かせて!)

防音設備をしっかりするだとか、お迎えようの駐車場をしっかり設けるだとか、リスクを避けていた人たちがそのリスクを許容できる話をしなきゃいけないと思う。

どうでもいいよって人もいれば、敢えて保育園のない場所を選んだ人もいる可能性はなくはないからね。

こういう話をすると、いろんな考えの人が居て収拾のつかないような議論が続くっていう人もいる。

だけど、それが不毛なやりとりだなんて思わない。

自分の主張をせずに黙り込んで、いかなる困難にも耐え忍んでいくのが美徳なんだろうか。

不毛なやりとりに見えても、実はそこに斬新なアイデアがでるかもしれない。

脱線しちゃったけど、保育園を新たに開園するのであれば、その立地を選んだ条件、なぜそこでなければならなかったのか、という説明はしかるべき事だと思う。

例えば、山の中に大きな保育園を作ってバスで送迎なんて手段もできないことはないだろう。可能性という意味ではね。

経営主体が「私」、つまり利益を出さなくちゃいけない、しか公益に供するわけだから半端な経営計画が起因して倒産して公益に損害を与えてはいけない。

そういう諸条件を吟味して「ここ!」という選択が行われるとは思うわけだけど、公共の福祉のために個人の幸福犠牲になるってのは、いささか頂けない。

もちろんこれが国であれば、そりゃもう判例だとか出ちゃってるからぐぬぬ」と飲まざるを得ないこともある。

法律を作ってるのは国会だけど、その構成員日本国民代表であるから日本人意思として決めた法律だ。

それに反するというのは、自分約束したことを自分で「そんなこと言ってねーし」と言うような、無責任な人だと思う。

だけど、保育園経営主体が「私」となれば、私人私人幸福追求を阻害していいのかって話にもならざるを得ないだろう。

「じゃあどうすんの?」って声が上がるのは当然で、一人で考えるよりも三人で文殊の知恵、十人なら聖徳太子やぞ!ということで、いろいろな声を発するのが大切だと思う。

それらを拾って吟味するのが、我らが国民代表たる政治家!!だと思うんですけどねー。

裏を返せば国民意識政治家として表れてるだけでしょうから政治家う○こなら、国民う○こなんです。

はい、私もう○こです。生きて腸に届きすぎた感じの時のう○こです。

う○こ臭い」と当然のことを指摘して、何かを言ったつもりになったっていいじゃない。何も言わないよりはね。

当然なことかもしれないけれど、その当然なことすら声として発しないと耳を傾けて聞けない人がたくさんいるんだ。

わけ分かんなくなったかもしれないけど、既に述べたように「私の結論はない」からご寛恕ください。

海外の状況ってどうなの?っていうのは、個人的にはブラジルでの経験しかないから海外」とひとくくりにはできないけど、すくなくとも甲高い「奇声」をあげることはなかったように記憶している。

ただそれは、たまーに迎えにいった時の状況であって、常にそうなのかは知らない。

海外での経験がなくったて、Youtubeでnursery schoolとか何とか、そういう言葉検索してみると海外保育園の姿が少しは分かるんじゃないかと思う。

そういうところからも学ぶところはたくさんあると思う。

ところで、どっかの昔の首相ベンサムの最大多数の最大幸福なんて言ってたけど、こんなの私はクソだと思う。

問題をすごく簡素にしてしまうから誤解の嫌いは免れないだろうけど、1億人のうち5001万人が幸せな道であれば4999万人は不幸でもいいのかな?

もちろん1か0かの二項対立で考えるべき言葉じゃないのは分かってんだけど、こうやって簡素化しないと考えられない人っているじゃない?

それでもいいって主張する多くの人は、自分がその最大多数に入れると思ってて、案外4999万人の1人になっちゃタイプ

今の格差社会って最大多数の最大幸福で例を挙げた5001万人と4999万人って感じになっちゃってると思わない?

最大多数の幸福のためならば少数派の幸福侵害してもしかたないんだからね。

倫理学とか専攻した人から怒られそうだけど。

おわり。

2016-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20160315173152

http://anond.hatelabo.jp/20160316231324

女性男性労働結婚出産などの、ここ100年くらいの状況って総括するとどうなるんだろ?

よくまとまってる記事とかブログとか本ってない? なるべく私怨が少ないやつで。

この辺の問題を論じるとき参加者は背景の共有ができているのだろうか。できてないと話ズレるとおもう。

自分の頭の中の認識だとこんな感じなんだけど:

修正・加筆・全部書き直しとか誰かキボンヌ

要点キーワード列挙するとこんな感じ

男女、歴史的経緯政治の無策、教育自分で考える能力のなさ(政治の無関心)、権力構造時代適応して価値観を変えたり次世代に引き継ぐことができない権力

■昔

選択の自由がない単純化されたシステムだった。キツいが、役割を果たせば成立しているシステムであった。でも役割がキツすぎたのか反発が起きていく。

男性労働して家族を養っていた。つまりそれだけの給料をもらえていた。ただ、家庭と職場の両面で社会的重責が課せられた。その反動家庭内では暴力的だった。

女性労働しづらかった。だから一人で生活不可能なので、旦那を見つけて専業主婦するしか選択肢がなかった。たとえ暴力旦那でも。

男女がお見合いで利害の一致によってくっついて家庭になるので必然的子供もできた。

このとき男性側のメリットって何なのだろうか?メリットというよりは社会的圧力だろうか。

まり能力がなくても就職できさえすれば年功序列によって救われた。

女性は生きていけないので、旦那イケメンかどうかとか言ってられない、なりふり構ってられない状況であった。だからブサメン男性も救われていた。

また明治初期は、女性労働どころか選挙権すらなかった。

寿命現代ほどは長くなく、高齢者現代よりも少なかった。

現代

男性給料が減り、家族を養うどころか自分一人を生かすのも危うくなった。男性一人の収入家族を養えるのはごく限られた一部になった。

女性能力意志さえあれば働けるようになり、一人で生活が可能になった。とはい給料男性と同じかそれ未満。給料的に置かれてる状況は同じ。金が無い。

このことから子供を作る場合共働きでないと収入面で辛くなった。それでも働いているので時間がなかったりしてかなり厳しい状況なので子供を作れなくなった。DINKSという。

仕事育児もなんでもこなスーパーウーマンなんかはごく一部である共働きはいベビーシッターを雇えるような状況でもない。

親子間での殺人事件ネグレクト子供騒音問題ベビーカー問題子供への犯罪養育費の高騰、核家族化による育児サポートのなさ、大学まで行かせても低い就職率、ブラック企業日本の将来性など、子供未来にも暗い影があることも出産抑制している。

それに子供以前に、結婚をしなく・できなくなった。女性は自活できるので、結婚への圧力は減り、恋愛自由競争化しお見合いが減った。なので市場価値の高いもの志向するようになった。昔の男性のような家族を養える高収入アイドルブーム二次元の発達による美形、などを志向する風潮。

また、労働能力意思がない女性は、昔の時代女性が受けた暴力反動根拠とするアジテートからか、都合の良いATM旦那家事育児旦那を求めたり、痴漢冤罪恋愛弱者男性迫害といった、婚前・婚後を問わない男性への社会的暴力を開始した。昔の男性の罪など知らない現代男性にとってはこれを不服とし、「イケメン無罪」「※ただしイケメンに限る」「メンヘラ」「(イケメンには良い顔をする)クソビッチ」などの揶揄批判用語を作り出して応戦した。泥沼化している。

昔の男性の罪は、現代男性が負うべきなのだろうか。罪というかみんな別々の辛さだったんだけど。その批判なら男性でなく明治政府に対してすべきでは?

男性に対する結婚への社会的圧力も減ったので、男性側も結婚を選択しないで済むようにはなった。というか市場価値不足によってしたくてもできないのも大きい。女性社会的暴力辟易してしまう成分もあるし、二次元の発達、性風俗従事する女性の美形レベルの向上もある。旦那がガンになったら捨てられたりする。熟年離婚セーフティネット互助機能家族から失われている。「病める時も健やかなる時も〜」という宣誓は何だったのか。昔のところに書いたように、イヤイヤでも仕方なく結婚したケースも多いから仕方ないのか。

労働意思能力があり、自活できる女性DVから救われ自由を手に入れた」わけだが、「労働意思または能力がないので高収入旦那ATM必要とする女性」はあまり救われてない感じであるATM旦那を見つけたとしても、そんな妻をもった旦那のほうはイヤイヤ結婚生活であり苦痛である鉄道模型を捨てられたりするし。

恋愛市場価値の高い男性引く手数多であり、未婚率が男性が高く女性が低いのは、そういった男性再婚をするからである

恋愛市場価値の高い男性と、低い男性との間でも溝ができた。「恋愛アドバイスだって?じゃあさ、まず女の子食事いくとするじゃん?」といった、前提レベルが違いすぎる分かり合えない溝を産んだ。

告白したらフラれたリア充しね。

労働能力意思の無い(低い)男性は、強い社会的圧力さらされている。

昔は年功序列によって無能も救済された。だが、徐々に能力主義になっていくにつれ無能は淘汰され、そもそも入社できなくなっていく。しかし昔の無能年功序列によって上層部になっていくので、能力主義による淘汰を免れた。いまでは上層部の中・高齢者無能と有能が混在し、中堅以下の中年や若年には無能存在できなくなった。そういう組織構成になった。医療進歩寿命が延び、高齢化社会になったのもある。

女性ならまだしも、男性が働かないとはなにごとだ」

それでもニートは200万人くらいいるらしい。「働いたら負け」の名言も産んだ。デイトレード新小岩も産んだ。

ニートはなぜか上限が35歳までで、そこまでしか統計を取っていないようだが、あまり年齢上限の意味はないと思う。

から現代を通じて「男性への労働圧力」はなんら改善されていないし、反発もされていないのだが、ニート200万人が無言の反発ともいえる。

女性労働機会改善」「DV改善」などはなされているのに。

昔の男女の役割固定の価値観は、現代役割生き方自由化しようとしていることと相性が悪い。男だって働きたくない、男だって家事育児したい、女だって働きたい、女だって産みたくない。昔の価値観どおりにいくのはごく限られた一部であり、多くの現代人の足かせになり、もはや適さない。誰も得せず不幸にするだけ。

現代人は昔の人に教育をされたわけなので、昔の価値観教育されている。それがもはや現代人を幸せにしない価値観なのにも関わらず。だから価値観再構成する必要がある。そこに気づくことのできない、"優等生"現代人が、その意味理解しないまま社会的圧力次世代担い手となり、自分自身をも苦しめている。昔の人の誰得価値観を守るために。20代-30代の労働における自己肯定感の低さと自殺率の高さたるや。棄民された氷河期世代も含まれる。

結婚出産への社会的圧力は減ってはいるが、無くなったわけではなく、むしろ昨今の年金問題少子化問題が深刻化するにつれて圧力が復活しているようにも見える。政治的失策国民責任転嫁する形で。

先述の「昔側の男性」に属する為政者による発言にもそういった圧力が増えた。産む機械発言とか。それが、男性へは収入(労働)への圧力女性へは収入(労働)と出産への圧力となっていて、男女間でのさらなる火種となっている。というかすでに炎上しているところに油を注いでいる。

2016-03-03

http://anond.hatelabo.jp/20160303124229

2×3が何を意味してるのかちゃんと理解できてないな。

数字っていうのは言葉に置き換えられる。

2+2+2=っていうのは「2と2と2を足したらいくつになる?」という言葉

2×3=も「2が3つあったとき全て足したらいくつになる?」という言葉

2+3=は「2と3を足したらいくつになる?」という言葉

2△2△2=をどんな言葉にしたら「2と3を足したらいくつになる」という言葉と同じになるのか?

 

2△2△2=2+3

これだと2△2△2が導き出さないといけない答え、説明しないといけない答えが「2」と「3」で別個になってる

2+2+2で使っている最小単位が2なのにその前段階でなんで「2」と「3」を同時に扱うのか?

たぶん増田が言いたいことはこうだろう

1+1+1=3

3+3+3=3*3

3*3*3=3^3

計算単純化目的

同人声優」の話

同人音声の闇的な話 http://togetter.com/li/944737

↑のブクマコメントを見ると誤解している人もいるようなので、プロでも発注側でも業界ゴロでもないが一応の事情を書いてみる。


声優」とは

大前提として、「声優」と「同人声優」では身分に大きな違いがある。

しばしば「声優には資格も何もない」と言われるが、実際には

声優事務所通称される、声の仕事に特化した芸能事務所マネジメント契約を結んだ人》

が「声優である例外的なケースを除き、アニメ吹き替え仕事声優事務所無関係人間が受けることはできない。

逆に、事務所契約した経験を持たない人とか、事務所と名乗っているが実際には声の仕事マネジメントする能力を持たない所に籍だけ置いている人は「ネット声優」「同人声優」と呼ばれたりするが、要するに「自称声優」であって、普通の人が「声優」と聞いて連想する、アニメ吹き替え仕事にありつける可能性はほとんど存在しない。

同人ゲームでも音声が付いている率が上がり、また、アプリも音声付きの物が飛躍的に増えたことで、声の仕事への需要は増え、声優ビジネス自体の変化などもあり、「同人声優から普通の「声優」への進路が多少は開けたように見える、かもしれない。その辺は長くなるので省く。


自称声優」はなぜ存在するか

これは簡単。「声優になれなかったから」である

現在日本一般人声優になる方法事実上一種類だけであり、専門学校養成所と呼ばれる専門の養成機関勉強して、卒業時に行われる「所属オーディション」に合格するしかない。

※一応、たまに行われている一般人対象にした大規模公募オーディション実質的にはアイドルオーディション)に合格するという道筋もあるけれども、これも合格後は結局はどこかの養成機関勉強することになる。

さて、養成機関勉強しても、声優になれるのはほんの一握りである

以下の数字モデル化して丸めものなので実数とは何割かの誤差はあるが、まあ、そういうフローがあると思って読んで欲しい。


このうちの「卒業しても声優になれない者:年間3800人」が本題である

簡単に言えばこの人達演技力か才能か外見上の魅力か才能かコミュ力か、とにかく何らかの不足があって、契約を勝ち取れなかった人たちである

その後の進路を更に書くと(再度断っておくが、モデル化した数字であって実数とは小さくない誤差がある)以下のようになる。


最後のものが「同人声優」「ネット声優である

全部足すと年間3800人より多いがこれは


などを含めたら、この位になる、という形である。前者は文字通りだが、後者については補足しておく。

先述のように声優志望者は極端に多く、声優仕事は有限であり、事務所としても芽の出ない人間いつまでも抱えておくわけにはいかない。

本人の人生のためもあり、見込みがない、と判断された人間は、一度契約しても1年とか2年で契約を切られることがよく行われている。業界としての正確な統計はないが、新人声優の半分ぐらいはここで契約を切られる。

最初契約した事務所に切られても、まれには他の声優事務所に拾われてそこで芽が出る人間もいる。が、9割以上の人間にそんなことは起きず、大人しく声優業を諦めるか、諦めずに「自称声優」になるしかない。


同人声優境遇

先に書いたとおり、この人たちは何らかの不足があって「声優」になれず、やむなく同人声優ネット声優になった。

ネットがなかった時代ならば問答無用引退するか、アマチュア演劇ぐらいしか身の置き場がなかったはずである

それが、音声付きの同人ゲームアプリが増えたことで、なんとか声の仕事が回ってきている、というのが実状である

当然、依頼する側にすれば「安く上げる」「無茶が通せる」以外で使う理由はほぼない。

予算があり、真っ当な仕事内容であれば、普通声優事務所に依頼して、知名度や実績のある普通声優を使えばいい話である

さらに言うと、声優事務所は自社や関連会社音響スタジオを持っていることが多く、そういう所に頼めば、多少の追加費用だけで、プロ編集して扱いやすく加工された音声データの形で納品してもらえる。

まとめにあるように『編集とかについてもやってあたりまえでしょ?が浸透しすぎてい』るのは当然だと言える。

「知名度も演技力もないのに使ってやっているんだ。編集ぐらいそっちでやってこっちに手間をかけるな」と言われても仕方ないぐらい立場が弱いということである

以上の内容はかなり単純化しており、実際にはそれなりにまともな事務所所属している人(がそちらでは鳴かず飛ばずに近いので、やむなく同人向け・成人向けの別名義で事務所を通さず活動している)や、それなりの数の作品に出て知名度やファンや定評をある程度掴んでいる人もいる。

それでも、実態としては、プロとしての自覚が持てず、クライアントの言いなりに使われる以外に選択肢がない人が多いのも確かである

「そんな仕事しか来ないなら辞めちまえよ」と言いたくなるのだが、もともと、

「お前声優にはなれねーよ」と言われてそれでも辞められなかった人が大部分なので、そんなにあっさり諦められたら苦労はない。

悪意あるクライアントからすれば、無茶を言って断られても代わりはいくらでもいるし、仮に酷い扱いで相手の心が折れて引退したり絶交されたとしても、養成所の卒業シーズンになれば、また新人自称声優いくらでも生まれるのが分かっているので気にならないのであろう。


「悪幣盛んに世に行わるれば、精金皆隠る」

本来、依頼主が真っ当な思考の持ち主であれば、ビジネス継続性を考えて、演者とはきちんとした信頼関係を構築しようとするはずである。が、そういうところは当然、一度信頼関係が築けた相手との関係を重視することで、結果的に新しい人に依頼する率は下がる。

一方、悪質な依頼主は、言いなりになるような弱い相手を求めて数打ちゃ当たる戦法で声をかけまくることができる。彼らはジャンル愛着も何も持っておらず、

「こっちの水は甘そうだ」と「超低コストで労力も最小限で作れそう」だから手がけているだけである。こういう手合いにクリエイターとしての自負心や、演者へのリスペクトなどを求めても無駄である。評判が悪くなっても、儲かりそうなうちはサークル名や表向きの代表者を変えて同じ事を繰り返すだけだろう。

まり無茶な依頼には、受ける側が毅然として対応するしかない。

だがしかし、それだけの「余裕」を持っている人はそうそうおらず、強く出られるとつい受け入れてしまいがちである。そういう人に

プロとしての自覚を持って無茶なクライアントは断れ」などと説いてもある意味では無駄であるシャア

「ならば今すぐ自称声優ども全てに仕事を授けてみせろ!!」と言い返されるのが関の山だろう。

繰り返しになるが、プロ、つまり本当の声優になれなかった人が、それでも諦めきれずにしがみついているのが同人声優というポジションである他人から「お前プロにゃなれねーよ」と言われた経験がある以上、自己評価が低いのは仕方ないことである

それに、そのまま何の仕事も受けなければ「自称声優」でしかないのが、どんなデタラメクライアントからでも依頼を受けて仕事をすれば、その間は確かにプロであると感じることができる。うがった言い方をすれば、契約トラブルで揉めるのだってある意味でとても「プロっぽい」イベントである

このような構造では、抜本的な解決策は望めない。ジャンル自体が下火になって、業界ゴロっぽい連中が減れば被害も減るだろう、程度のことしか言えない。闇である

2016-02-21

追記3でこの記事は完全にゴミと化した

頭のおかしい奴が頭のおかしいことを書く→それについて突っ込みが沢山入る(当たり前の反応)→そこまで言ってないと言い訳さらに反応が続く→「この文章痛いとこ突いちゃってる?」

頭悪すぎだろコイツ。無敵論法かよ。追記で色々言い訳する醜態自身のチンケなプライドが傷付かないように自我防衛したくてしょうがない、でも同時に反論する者を攻撃したいという必死さと幼稚さが伝わってくる。

正論で返せないから相手皮肉って自身プライドだけは守りたいんだろうが、はっきり言って稚拙皮肉皮肉になりきれてない。

「この文章痛いとこ突いちゃってる?」←痛いところを突かれて焦ってるのはお前の方だ。不快感情を何とか合理化したくて相手投影しようとしてるんだ。

反論自身の嫌いな属性(おじさん・おばさん)を無意識に結びつけてるのもやはり頭が悪い反論者がおじさん・おばさんだと確信できる理由は?お前の認知の歪みがそうさせてるんだよ。

できれば「表現の自由を守るため、規制について一歩も譲歩しない」派の人のが読みたいな。

ブコメで反応してる人で「規制について一歩も譲歩しない」表現の自由原理主義者なんて殆どいないでしょ。反論者の思考単純化するのは危険兆候ゾーニング脅迫名誉毀損とか表現の自由には制限があることを認めてるし、みんなお前が考えてるよりずっと表現の自由について考えてるよ。

http://anond.hatelabo.jp/20160219013645

2016-02-11

国の借金 一人頭824万円とか言うけどさ

この債権を持ってるのも国民な訳で、「とはいえこれを取り立てる権利を持ってる人も国民の内の誰かです」って言えばいいのにね。

銀行預金して利子もらってる人も、保険とかの金融商品持ってる人も、銀行保険会社運用資金国債が含まれてるので、元をたどれば国債の購入費を金融機関出資してる。

はいえ、買ってる人が100%日本人じゃないからそんな単純化できないけど。


財政債権して、この数字ゼロにしようぜ!

ってのは、インフレによる結果的な目減りじゃなくて、財政引き締めによる償還ってことを目指すなら、国債によって、あるところから金を引っ張って、社会保障とか建設ににカネをばら撒いて平準化しようとしてる流れを止める事なんで、再配分は止めますよって事でしょ。


国債の発行目的が変で、金のあるところにますます流れてますよ的な事は考え直さないといけないけど、考えなしに「国債発行=国の借金が増える=国民借金が増えるだから止めなきゃ」みたいなもの言いは欺瞞だと思う。

2016-01-29

http://anond.hatelabo.jp/20160129222431

単純な話で

有るものを増やすより無いところからつくりだすほうがすごいという感覚じゃない?

実際そんな一筋縄では括れないけど、人って結構物事単純化してしまうから

2016-01-18

コンビニバイトはあまりしょうもない

ファミリーマートコンビニバイトを4ヶ月ぐらいしてたんだけど、ほんとしょうもない業界だなと思った。

そう思った理由はたったひとつで、「バイト待遇が良くなかった」ことです。

これらは違法ではないのかもしれないけど、こういうことがまかり通ってるんだなと社会のしょうもなさを感じた。

タイムカードが15分刻み

コンビニシフトは大体30分刻みで入る。6時IN9時OUTとか、17時IN21時半OUTとか。その際タイムカードで退勤時間管理するのだが、そのタイムカードが15分刻みでしか勤務時間認識しない。つまり

5時55分IN 9時4分OUT だと、勤務時間は300分になる。9分は死ぬ。もし5時46分IN9時14分OUTしても6時0分IN9時OUTしても300分。おかしくない?

税理士作業単純化するために、バイトの実質時給が犠牲になってる。ハッキリ言って一回3時間しか勤務しないのに、10分相当の時給が認識されなかったら、最低時給を割る。だってそもそも最低時給+10円で働いてるんだから

バイトごとに時給が違う

経験に応じて時給が上がっているから、ではない。

バイトの時給は、人手が足りない時期にはやや高めの設定で募集がかかる。その際、その時点で働いているバイトの時給は上げなくても問題ないらしい。この制度、まったく意味不明で、人手が足りない割りを食ってるバイト業務負担が増えてるのに時給は変わらず、その時入ってきた新人はその後ずっと高い時給で働ける。

バイト責任感を求める

最低時給でこき使っといて、連休時や長期休暇中の際には、「あなたが長期の休みを取ると他の人に皺寄せがいくのだということを理解してください」という、バイト同士に責任をなすりつける警告が「連絡帳」に書かれていた。ハッキリ言ってバイトにわざわざ連休時にシフトに入るインセンティブはない。時給も変わらないのに。人手が足りないのは時給が低いからなのに、バイト糾弾する態度は正視に耐えなかった(経営戦略的には正しいのかもしれないが)。

制服クリーニング代が自腹

「『退社の際は制服クリーニングして返す』という約束だったが、クリーニング代を負担するとは言っていない」と反論したら、「常識でしょ」と返された。ちなみに、この文言契約書には含まれていない。口約束である。汚いなぁ。

私は「借りたものは洗って返すのがマナー」という社会的な慣習に反抗しているわけではない。私は、自分意志制服を借りていたわけではない。「押し付けられていた」という方が正しい形容だろう。可能ならば私は私服で勤務してもよかったのに、コンビニ側の都合で制服を着用することを強制させられていたわけで、その回復費用を勤務者が負担する必要があるのか?(法的にどうなのかは確認してないので、僕が間違っていた場合申し訳ないなと思います)

結局自宅で洗濯してそのまま返した。

 結論

客の量にもよるだろうけど、私が働いていた店は、断続的な客レジ対応に加えて、数時間おきに届く商品検品、廃棄商品確認、揚げ物個数の維持、商品棚の補充、コーヒーの補充・掃除など、高度な頭脳労働存在しないが、常に何かしら仕事がある程度の忙しさだった。

でもこの店で働いていても時給は810円で、週5で8時間入って手取り168万円(福利厚生無し)……。食えないことはないが、子育てや不慮の事態に備えられるほどの余裕は出来そうもない。

こういう業務体系のコンビニ日本中にあって、日本サービス業の最底辺規定しているという現実が、ほんまにしょうもないなぁと痛感した。

こうした状況が違法でない以上、経営戦略的には正しいのかもしれないが、バイトが唯々諾々と搾取されている現状がこのままずっと続くのかと思うとやるせない気持ちになった。「社会ってのはそういうもんだよ。学生のくせに甘いこと言うな」と、普通の方は思うのでしょうか。「バイトの時給を上げたら競争に負けてしまう」とオーナーは言っていました。そんな店は淘汰されてしまえと思います。(されないけど)

しょうもないバイト自分人生を費やすのは止めよう。或いは、抗議の声を上げよう。団結して資本家に対抗しよう。(オーナーファミマ本部搾取関係がどのようになってるのか知らないけど。)

次の選挙には行こう。


私が気に入らなかったのは賃金だけで、業務は楽しかったし、人間関係は良かったです。ただ、賃金問題やりがい経験すり替える風潮は馬鹿みたいだなと感じました。

2016-01-06

http://anond.hatelabo.jp/20160105115543

所得税については累進課税から所得の少ない人は税率は低くなる

以下、具体的な話じゃなくて単純化した話だけど

持ち前の才覚で稼いだと思ってる高所得者がそのうちの半分を税金に取られたら

そいつモチベーションは下がる

そうなると、そこまで稼ぐ仕事しないか税率の低い国に脱出するかもしれなくて

そうなるとトータルの税収は減ってしま

金持ってるはずの連中から税金をとれという考えは正しいと思うけど

税収を最大にするという考え方からするとうまくいかない可能性もある

2016-01-04

FF13プレイして衝撃受けた

据え置きゲーの経験は、PS2が出る際に悩んだ挙句に購入せずFF9で止まっていた。 ※ソシャゲ結構プレイしてる

ただ、ずっと新しいゲームは良いなぁー面白そうだなーと思っていて、FFDQなどの昔ながらの大作がリリースされる度に気にはなっていた。

そんな中、年末steamで900円で売っていると耳にし、時間もあるし良い機会なのでFF13コントローラーセットで購入しプレイした。

衝撃的だった。

3Dレンダリングや滑らかさ、戦闘シーンの迫力、音響ムービー等、全てが過去経験したゲームとは次元が違い感動すら覚えた。

やっぱりゲームって凄いなとワクワクしながらプレイを進めていった。

10時間ほどプレイしたが、次に受けた衝撃は、あまりのつまらなさにだった。

いや、これゲームか?月姫Fate等のノベルゲーかと思った。(月姫Fateは好きだよ)

全部お膳立てされて、何だかプレイさせられてるって感じ。

戦闘は迫力は凄いけど、自由度が少なく大まかに指示して勝手に進む。

ダンジョン?も3Dとか本当に凄いんだけど、視覚的に混乱を防ぐためかわからないが、全てが単純化していると感じた。

ゲーム性なんて殆ど無いのでは…

召喚獣を仲間にする時の謎なシステムとか変なところ頑張っている印象だけど、文字通り本当に謎で誰得なのあれ?

これから面白くなるのかなぁ。。

ノベルゲーとしてはそれなりに楽しめているので、一応最後までプレイするつもり。

※あと、ライトニングかっこいいな!性格ちょっとあれだけど。。

FF13も6年前だし、他の最近ゲームに触れていきたい。今のメタルギアとか超面白そう。(PSので止まってる)

でも、それらもつまらなかったら、自分が歳をとって感覚が変化したっていうことなんだろうな。

2015-12-14

[]「物事単純化できる」という神話NP困難

「あらゆる物事単純化できる」という考えの人は驚くほど多い.各種コメント等を眺めるとそう思う.

宗教人種等に全てを帰着させる陰謀論はその最たるものだが,「一言説明して」といった要求等の根底にはおそらくこのような考えが存在する.

もちろん,単純化できる事象は数多く存在する.そして,短くて済むのであれば短い方が良いのは道理だ.

しかし,全ての物事単純化できるわけでは断じてない

で,このことを学問的に理解するのに,計算量の概念を持ち出すといいのではと思いついた.

クラスP≠NP場合NP困難に属する問題であることを証明すれば,その問題は最悪の場合効率的には解けないことが保障される.

この場合アプローチとしては近似解を得るか問題に制約を加えるかの2通りがあるが,

このあたりの手法を学べば銀の弾丸は必ずしも存在しない,ということがわかるのではないだろうか.

2015-11-16

部長説明するナッシュ均衡ワルラス均衡

よう、昼休み仕事してるとハゲるぞ。

さて、ナッシュ均衡ワルラス均衡が話題だ。

戦略決定とか価格決定とか言うと、部課長級に説明を求められたりする。

本来ggrksとか言いたいところだろうが、言えないのが宮仕えの辛いところだ。

理解してこいよとも言えない。理解できない方は大抵立場が上で、説明できない方のボーナスが減らされる。

ナッシュ均衡ワルラス均衡の説明

「均衡」は、基本的には、ガッチリハマっている状態を示している。

ナッシュ均衡(Nash equilibrium)

参加者選択肢を変更すると今より悪くなるので、変更する理由がない状態

参加者全員が自分目線ベストチョイスの状態

パレート効率的(Pareto efficient)

参加者の誰かを犠牲にしないと、誰かが良くならない状態

誰も損せずに誰かを改善できるなら、パレート改善できる状態

最適な資源配分とは違う点に注意。全体100万円を、老人80万円、子供20万円で分けた「後」の状態パレート効率的。

社会資源配分問題でよく使うので「パレート最適」という単語を嫌う人もいる。最適配分を示さなから。これ豆な)

ワルラス均衡

需要供給が大きく動かないでハマっている状態。「需要供給価格が決まる」だな。

ある1つに注目すると、部分均衡。市場全体の全部コミコミだと、一般均衡

フランス人レオンワルラスさんが1874~1877に書いた本に載ってる、一般均衡(general equilibrium)理論のこと。

具体例での説明

いやー、ナッシュ均衡は、戦略的意思決定学問であるゲーム理論(Game theory)の非協力ゲームを解いた時に出てくる「答え(解)」の状態を示す単語ッス。

協力しちゃダメッスよ?んで、他の「選択肢」を取るメリットがなくなった状態を言うッス。

パレート効率的とかも聞くッスけど、誰も損せずにもっと良い改善方法が無い時の事ッス。

ワルラス均衡は、経済学の話ッスね。需要供給価格が決まるって話ッス。

ワルラス均衡は、ナッシュ均衡だと聞いたんだが?」

同じ「均衡」って単語で僕なんかは間違えそうになるッスけど、全然違う話なんで同じ式の中に入れちゃダメッス。

  1. 価格10万円、需要が5千台、供給が1万台とすると、5千台余るッス。
  2. こう言う時、価格は下げるッス。10万が8万に、5万に、と。
  3. どんどん下げていって「5万なら買い!」の需要が、供給釣り合うと、価格が安定するッス。これがワルラス安定ッス。

経済学価格調整モデルの話で、フツーは戦略的意思決定選択肢をどうするみたいな話は出てこないッス。

ヤマダ安ヤマダ高
ビック安ビック売れる,ヤマダ売れるビック売れる,ヤマダ売れない
ビック高ビック売れない,ヤマダ売れるビック売れない,ヤマダ売れない

ヤマダとビックで、売れたほうが儲かる(利得が大きい)時は、当然ヤマダもビックも値下げするッス。

まあ、ナッシュ均衡と言えなくも無いッスけど……あんま言わないッスね。

「じゃあ、目からウロコ!囚人のジレンマって経済にも繋がる話だったのか! - 嗚呼、学習の日々ナッシュ均衡というのは?」

ナッシュ均衡でも、価格の均衡でも、どっちでも無いッス。

  • ある店が10万円のテレビを値下げして5万で売りに出す(前提が無いッス)
  • A:需要が十分に高く、10万で価格形成されてるなら、他の店は値下げしないッス。売れるんで。値下げ店が馬鹿ッス。
  • B:需要が低くて、供給の方が大きい状態だったとすると、他の店は値下げするッス。売れてないんで。ワルラスさんの言う調整過程の話ッス。

ワルラスの均衡は、需要が多くて供給が少ないなら価格は上がる、需要が少なくて供給が多いなら価格が下がる、結果需給が吊り合って価格が安定した状態のことッス。

「店が意味もなく価格を下げたら、他の店も下げざるを得ない」とか無いッス。

先の例だと、TVを普段から100円でヤマダが売り出したら他の店も100円で売るとか無いッス。

ナッシュ均衡は、選択肢がどんづまって他の選択肢を取ると損する状態を言うので、さっきの例とは関係無いッスね。

(ヤマダが100円で利益が出るならヤマダが市場を寡占するというのは、違うモデルの話でワルラス的調整過程の話では無いッスね)

少なくとも、囚人のジレンマから出す話じゃないッス。超時空の飛躍ッスね。リン・ミンメイッス。

良く話に出てくる囚人のジレンマの話

囚人A協調囚人A裏切り
囚人B協調2,20, 10
囚人B裏切り10, 05, 5

数字懲役でA,Bの順番ッス。懲役は少ない方が利得が大きいッスね。

囚人Aは、囚人Bがどちらの選択肢をとっても、常に裏切るのが利得が大きくなるッス。

他の選択肢を取ると損をする、これが全部のプレイヤー囚人A,B)で決定できると、ナッシュ均衡ッス。

囚人Aと囚人Bが、両方とも協調したら2年づつじゃないか」

そこがミソッス。

ご指摘の通り、両方協調なら、両方裏切りより「どちらも損せずに、改善できる」状態ッスね。

まり、両方裏切りナッシュ均衡は、パレート改善できる状態にあるので、パレート効率的ではないッス。

こういう、自分利益だけを考えて最適な選択をする状態(他の選択は損する状態)が、全体としては効率的では無いのが、ジレンマって呼ばれる理由ッス。

それだけの話ッス。

でも、ワリとこういう、利得の表を作ると両方が得する選択肢の組み合わせはあるのに、その選択肢は選べない状態ナッシュ均衡で、パレート効率的では無い)は存在するッスよ。

蛇足的な用語解説

うーん。あんワルラス均衡って言わない気がするんだけども。((※1))

あ、用語定義と、その用語が良く使われる場面と、ある場面を説明するモデルとで、全部違うから混ぜないように注意したい。

  1. ナッシュ均衡」は、誰もが動くと損する「状態」を指す。(それを何に使う・何を分析するとかは別)
  2. 参加者が利得を最大化する場合に、それ以上動かない状態になる経緯・戦略を見つけるために使う。
  3. ナタデココ生産量は、クルーノー競争モデルナッシュ均衡を見つけることで、良く説明できる。

3番のモデル適用は即一般化はできないし、2番のよく使われる場面を定義に入れてはいかん。

勝手に話を補完したり飛躍したりするのもダメなんだけど、まあアレだ。はてなだし。

神の見えざる手

需要供給価格が決まるよね、というアダム・スミスさんの仮説。

個人の利益追求で、市場が適切な状態に落ち着くよね、というわりと哲学的な話。

ワルラス的調整過程

需要供給に合わせて価格が変動して、結果需要供給は落ち着くよね、というヤツ。

(需給が均衡することをワルラス安定、均衡しないことをワルラス不安定と呼ぶぞ)

マーシャル的調整過程

需要(欲しい/欲しくない)は即反応できるけど、供給(作る/作らない)は対応時間かかるじゃん?というヤツ。

なので、需要の変更と価格の変更は即座に動くけど、価格を見て供給が動くのは遅れる。

異なるモデル間の行き来

異なるモデルを、一緒くたに適用することは、フツーは出来ない。もちろんできるものもあるけど。

例えば、Cournot competition(クールノー競争)の均衡点は、「供給を絞れば価格が上がる」→「価格が高いから生産すれば儲かる」→「いっぱい生産たか価格が下る」を延々と繰り返せば「生産量と価格が均衡する」って話で、ワルラス的調整過程の「一部分」の説明であって、違う話。

で、全く同じ生産量と価格との関係モデルで「価格を変える」とBertrand competition(ベルトラン競争)というモデルになって、こっちは「一番低い価格をつけた企業が全ての需要をゲットするので、価格限界費用に一致する(最安値市場を占めるから、一番安くなる)」というモデル

経済学におけるモデルは、現状をどちらが上手く説明できるかのモデルであって、別にどっちが正しいとかそういう話では無い。所詮単純化したモデルだし。

全部違うものっしょ?どれがどれに含まれるとか、ナンセンス

ナタデココ生産量決定におけるベストチョイスは決定できる「だからナタデココ価格市場参加者全員のベストチョイス、とかは言えないかな。(結果的に合っていても、証明過程に飛躍があれば説明したとは言えない)

除草剤耐性穀物種子におけるクルーノー競争ナッシュ均衡との乖離から見る不完全競争推定」とかそういう使い方するかな。

ミクロ経済学オススメ本は……結局思想の話になって荒れるんだよね……ブコメでどうぞ)

http://anond.hatelabo.jp/20151116001112

((※1:この増田では、ワルラス均衡を一つしか財が存在しない仮定で説明している。ミクロ経済学でやる時は、一般均衡になるので、全ての財が均衡するときの話として聞いとかないと単位は貰えない。ワルラス均衡という場合は、全ての市場価格と、全ての需要とペアで示す事が一般的。とは言え、大抵2人と2つの財で説明するんだけどね))

http://anond.hatelabo.jp/20151116001112

>実は、ここでいう2名とは、「自己」と「他者」のことである。「他者」は複数でもいいが、一貫して「1名」と同じふるまいをすることが必要となる。


なんだこの後だしジャンケンは。それはさておき、


>たとえば、カルテルは、「他者」が1名として同じ行動を取ることが要請される。仮に、「他者」が分裂して、複数の行動を取るなら、カルテルは成立しなくなる。「カルテル破り」が出て、カルテル崩壊するからだ。

>この意味で、通常2名という単純化モデル化)が、ゲーム理論では必要となる。一種の前提のようなものだ。


完全に間違っている。いや、間違えるのは勝手だか知ったかぶりをしないでほしい。

まさかカルテル破りがゲーム論で説明できないとでも思っているのだろうか?

カルテル破りこそ囚人のジレンマの典型例じゃないか。

ナッシュ均衡ワルラス的均衡

  ※ 最後に「訂正」あり。

 

この二つが話題になっていた。

 

元ページ

 http://hatena.aaafrog.com/entry/2015/11/14/104818

 http://hatena.aaafrog.com/entry/2015/11/15/142831

 

はてブ

 http://b.hatena.ne.jp/entry/hatena.aaafrog.com/entry/2015/11/14/104818

 http://b.hatena.ne.jp/entry/hatena.aaafrog.com/entry/2015/11/15/142831

 

勘違いしている初心者が多いようなので、解説しておこう。

 


 

ナッシュ均衡は、理系概念なので、理解している人が多いようだ。ここでは特に解説しないが、次の点を理解しよう。

 

  1. これはゲーム理論概念である
  2. 通常、2名のゲームである
  3. 変数は、戦略である。(戦略選択肢となる。)
  4. 均衡点は、特異点である。(連続的にそこへ移行できない。)

 

一方、ワルラス均衡は、文系概念なので、理解してない人が多いようだ。次のページでちゃんと勉強してほしい。(簡単だ。中学で習ったはずだ。)

 http://chu.benesse.co.jp/qat/3519_s.html

 http://homepage1.nifty.com/gujyo-economic-res/micro.files/w-antei.htm

 

ここでは、次の点を理解しよう。

 

  1. これは経済学概念である特に市場原理概念である
  2. 通常、供給者と需要者は多数存在する。(無限と見なしてもよい。)
  3. 変数は、(商品の)価格と数量である
  4. 均衡点は、なだらかに到達できる点である。(特異点ではない。)


 

ここで、元のページに戻ろう。

お互いが自分利益のために値下げして、それ以上下げられないところで止まる

これは、明らかにワルラス均衡だ。どこでも普通に見られる現象である。「それ以上下げられないところ」とは、「それ以上下げられない価格」のことだ。こうして価格一定の水準に安定するのは、前述のワルラス均衡そのものだ。(ワルラス的調整過程という。)

  ※ このことを理解できなければ、上の中学生向けのページを読んでほしい。

    それでもまだわからなければ、近所の中学生に教わるといい。

 

具体的な例で示そう。

たとえば、イオンは徹底的に価格を下げるので、利益率が1%ぐらいになる。これよる高くしてもいいのだが、そうすると、客が逃げるので、価格を下げざるを得ない。「これ以上下げたら利益ゼロ同然になって困るから、これ以上は下げようがない」という水準が「利益率 1%」という水準であるわけだ。

一方、セブンイレブンは、価格をあまり下げなくても、客が来る。利益率が 10%ぐらいになる。「これ以上下げたら儲けが減って悔しいから、下げてたまるか」という水準が「利益10%」という水準であるわけだ。

どっちにしても、ある程度まで、価格が下がる。これはワルラス的調整過程だ。

 

一方、全員でカルテルまたは談合をすれば、大幅に高値に設定することができる。普通市場でのカルテルは困難だが、官庁の入札では、参加者が少数だから談合によって大幅に高値を設定できる。

このような高値設定は、連続的に到達できる点ではなく、懸け離れた特異点である。したがって、談合による価格は、「ナッシュ均衡」と見なせる。ここでは、戦略によって、特異点に移行するわけだ。

 


 

以上によって、説明ができたことになる。

経済学理論と、ゲーム理論とは、まったく別のことなので、きちんと区別しよう。

特に中学で習ったはずの「需給曲線」については、きちんと理解しよう。これは決してナッシュ均衡と対比されるようなものではなく、ナッシュ均衡とは全然無関係で別の話だ。

 

 

 

p.s.

ブコメで、「ゲーム理論経済学区別する必要性は感じない」というのがあったが、それは、「戦略と、価格・数量を区別する必要はない」というのと同じで、狂人の発想だ。

 

例。

社員 「この新製品価格と数量は、どのくらいが見込めますか? 10万円で 1000台ぐらいでしょうか? もっと安くして、数量を多くしましょうか?」

社長 「ナッシュ均衡になるように、カルテルを結ぼう。それが正しい戦略だ」

 

これじゃ、会話にならないし、論理にもならない。気違い錯乱論理だ。

 

 ────────

 根本的に勘違いしている例も見られる。

ワルラス均衡は企業消費者プレイヤー生産計画と消費計画を戦略集合、利潤と効用を利得とするゲームナッシュ均衡に過ぎない

そんな発想では、プレイヤーの数が無限になり、選択肢の数も無限となり、意味不明になる、という矛盾はさておき。

ナッシュ均衡で得られるのは「戦略の均衡」であり、ワルラス均衡で得られるのは「価格と数量の均衡である」という点を理解できてないね中学校教科書を学び直すといい。

なお、「価格と数量は、戦略一種だ」と思う人もいるかもしれないが、違う。戦略は、個々のプレイヤーレベルで決まるのであり、いくらでも個別戦略の変更は可能だ。一方、市場価格と数量は、市場の全体によって決まるのであって、個別プレイヤーレベルでは決定できない。たとえば、どこかの誰かが、特別に高い価格戦略的に決定しても、その価格は、市場価格には影響せず、市場価格となるだけだ。

どうも、上記見解の人は、ゲーム理論ばかりを見て、経済学の知識が中学生ほどもないようだ。まずは、中学校教科書理解するべき。「市場原理とは何か」「需給曲線とは何か」を理解するべき。それがわかっていないから、すべてを個別プレイヤー理論解釈しようとする。

 

トラバにも、同じ誤解が見られる。

市場価格というのは、個別企業問題ではなく、市場全体によって決まる、ということを理解できていない。市場価格というのは、経済学問題であって、ゲーム理論問題ではない、ということを理解できていない。比喩的に言えば、「個人がどうするべきか」ということだけを考えていて、「国レベルでどうなるか」ということを理解できていない。マクロ的な認識ができていない。

  

 ・・・・・・・・・・・

 

しかしまあ、はてなーというのは、ゲーム理論の知識だけたっぷりとあるということは、よくわかったよ。あと、文系の知識は、中学生レベルほどの知識もない、ということも、よくわかったよ。

 

 ────────

 

なお、ゲーム理論理解できていない例も見られる。

通常2名というのはただの思い込み

 

実は、ここでいう2名とは、「自己」と「他者」のことである。「他者」は複数でもいいが、一貫して「1名」と同じふるまいをすることが必要となる。

たとえば、カルテルは、「他者」が1名として同じ行動を取ることが要請される。仮に、「他者」が分裂して、複数の行動を取るなら、カルテルは成立しなくなる。「カルテル破り」が出て、カルテル崩壊するからだ。

この意味で、通常2名という単純化モデル化)が、ゲーム理論では必要となる。一種の前提のようなものだ。

  

 ──────

 

 これだけ説明しても、まだ理解できない人の例も見られる。

選択肢の数が無限であるようなゲームなんかいくらでもあるじゃないか。

 

市場価格決定は、市場によって決まる。個別企業選択肢は、市場価格決定には影響しない。

たとえば、市場価格100円であるときに、120円という価格販売しても、それは、市場には影響しない。その企業がそういう戦略を取ることは可能だが、それは市場価格には影響しない。市場価格は、ワルラス均衡によって決まるのであって、個別企業戦略によっては決まらない。120円という価格で出した企業は、取引が成立しないので、市場外となるだけだ。

ここで論じているのは、市場価格であって、企業戦略ではないのだ。

話題となっているのは、プレイヤー戦略ではなくて、(市場における)価格決定の過程だ、という点を理解するべきだ。(企業における)価格決定の戦略無関係だ。企業価格決定は、決して均衡しない。どのような価格決定もできる。100円でも 120円でも、好き勝手に値付けできる。しかし、市場における価格は、決定される。それが均衡点だ。

価格の均衡点と、戦略の均衡点を、きちんと区別するべきだ。

 

訂正

ごめん。「ナッシュ均衡」という用語意味をよく理解してなかった。

この用語は、私が理解していたよりももっと広くて、一般的な「均衡」のことを意味していた。

私は「パレート最適」でない場合のことだけだと思っていたが、「パレート最適である場合を含んでいた。この点は用語勘違いしていたので、お詫びして訂正します。

 

ただし、「パレート最適である例を「ナッシュ均衡」という用語説明することは、ほとんどない。「パレート最適である均衡は、昔からずっと知られていたし、ナッシュ発見したり解明したりしたわけではない。市場における価格均衡も、ナッシュ以前からずっと知られていたし、ワルラスが解明していた。

したがって、市場における価格均衡を「ナッシュ均衡」と呼ぶことは、間違いではないにせよ、適切ではない。また、ナッシュ均衡の例を示すために、市場における価格均衡を持ち出すことも、適切でない。

市場における価格均衡を説明するには、「ナッシュ均衡」ではなく「ワルラス均衡」または「マーシャル均衡」という概念を出すのが適切だ。

また、ナッシュ均衡の例を示すのならば、市場における価格均衡を持ち出すのは、間違いではなくとも不適切であり、囚人のジレンマのような例を持ち出すのが適切だ。

 

私がこれまで「間違い」と指摘してきたことは、「間違い」と言うより「不適切」と呼ぶべきだった。この点は、お詫びして修正します。

 

参考:

「じゃ、どうすりゃいいのよ」

という質問には、こう答える。

市場における価格均衡を説明するには、中学生教科書のような図で説明するのが最適であり、ナッシュ均衡を持ち出すのは過剰であるナッシュ均衡を持ち出すのはは、紙を切るのに日本刀を持ち出すようなもので、中学生が基本概念理解するには重武装過ぎて、不適切。元の話の例では、ナッシュ均衡という概念は、一切必要ない。(間違いとは言わないが。)」

 

 

 

 

 

2015-10-12

http://anond.hatelabo.jp/20151012002421

艦これは、たまたま 流行ってしまたから、流行ったとしか言いようがないよね。

デイリー任務で朝晩合計2時間プレイさせることでの習慣化。

攻略ノウハウコミュニティに任せるソーシャル要素。

3-2-1海域を約2000回、周回すれば誰でも艦娘結婚(仮)できる単純化

人気声優 東山 奈央の採用


流行きっかけになった要素はいくつか思いつくけれど、あと2年もすれば廃れると思う。

2015-09-24

一度だけ、罰金する会社に入ってしまたから言うけど、あれは本当に酷いから!その警備会社仕事を僕は2回しかやらなかったです。安くて罰金もあってあれだったので

自浄作用一定方向にしか働かないから経営者価値があったり、縁があるとサイコパスでも残るし、逆に良さそうな人でも過酷仕事押し付けられてやつれてダメになったりしちゃうんですよね…。ダメになって働ける人はいいけど、病む人もいるわけで…

心が折れたことのある人はわかるけど、心って折れる時の音が聞こえるんですよ…。本当に疲労困憊してて、周りも見えなくなってる時は静かに折れるというよりも崩れるとか砕けるような感じなんだけど、いきなりどうしようもないできないことに会うと、そういう時はメキッと心が折れる音が聞こえるんです

LOL 2回だけしか働いてない会社会社に入った、とは普通言わない。ブラック野菜売りやめたあと、1年近くただのアルバイトしてるだけのフリーターだったくせに会社員面してたしほんとに自分認識に都合よく言葉不正確に使う生き物だな。

「(社会に)真面目になれない」の次が「(自分に対して)真面目」で、その次が「むしろ、(自分に対しては真面目、社会に不まじめなのが)普通じゃね?」と来るわけ。でも、最後領域まで行くキャラってなかなかいないんだよなぁ…。多くのキャラ自分に真面目なところで止まってる

社会に対して真面目になれない」ぐらいのコンプレックスというか背徳感みたいなものを完全に拭い去ってる格好いいキャラってなかなかいないんだよなぁ…そのへんが僕がコクラせというゲームにすごくハマった理由。あの人達キャラとしてかっちり固まってるけど、それがすごく現実を超えててすごい!

コクラセ以外のゲームの中のキャラって基本はNPC的(幼稚で初歩的で安直な考えの中でまとまってる)か、ゆらぎがある人間キャラという固定に縛られてなくてドンドン成長してく)イメージが強かったし、大体の創作物はこの2種類なんだよ。3種類目はあるけど、アニメゲームでは少ない

その三種類目は「キャラとして単純化されたものは一人の人間分身である」というハガレンで言うホムンクルスとお父様、みたいな感じのキャラ。Reincarnationというゲームはコレを見事にやってるんだけど、この手法アニメゲームでは見かけないけど、文学だともう少しは見かける手法

Reincarnationは「それをゲームにするのか!」という驚きとゲームでやったからこそハマった時の感覚が違って「ムダがない。何もかも完璧計算されたストーリーだ!」と脱帽したけど、コクラセの場合は「ここまでできるのか!」という感じ。NPC的なのに、NPCとして高度過ぎて感動

男はキャラを「らしさ」でつくるけど、女の場合キャラを「モテそうかどうか」で作る。極端な礼を言うと、モテそうなキャラはそれだけで悪い方に回ることはないというか、守ってあげる保護対象になったりすることも…。ちなみに、一番モテそうなキャラはなぜかマスコット系に多く距離が近い。

LOL またよくわからん女語りしてる…… 現実の女と向きあえよ

2015-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20150920155952

洗脳がとけて目が覚めましたって言う人が、

今度は別の洗脳にハマって「真実に目覚めた」パターンね、ハイハイ

シールズが正しければ安倍が間違っていて、安倍が正しければシールズが間違っているとか

そういう単純な現実認識しかできねーからダメなんだよ

シールズは問題単純化しすぎてるし、政治運動するには脇が甘すぎる

与党の主張はご都合主義で短絡的、かつ無責任

釣りだと思うけどなー!

シールズへの反動から叔父の言うこと丸呑みにしましたって流れがバカすぎて超ウソくせーけどなー!

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