海外と言っても日本との仕事も多いし、文書作っていて思うんだけどアレはアレで、日本の文書事情に即したアプリケーションを誰も提供してないっていう話なんじゃないかなと思っている。
最近も明らかにWORDだろうと思われるような書類がExcelで日本から送られてきて中々微笑ましかった。
・PCスキル(というかWORDかな)が無い人も文書の最終形の形が視覚的に見えやすいので作業しやすいんだと思う
かな。多分、皆さんも私より詳しいと思うので色々意見あると思うけど。
キャラクター図鑑なんかがあるゲームで、新しく追加された情報にNewアイコンがつくのが一般的だと思うんだけれど、
この"New"をなんとか維持したままプレイしたくなってしまう。
昔から文章書くのがとにかく苦手なんだ。学校の作文で読書感想文とかいろいろあったけど原稿用紙半分埋めるのすら難しくってしょうがなかったし、課題作文以外でも学級日誌の一日の所感? みたいな欄とか、あるいは授業で見たビデオや理科の実験の感想を書く百字程度のちっちゃいメモみたいなのとかでも、とにかく全然書けない。国語のテストとかも、マーク式なら八割九割余裕なのに筆記だと途端に壊滅的になる。頭に浮かんだことを文字にして外部に出力しようとすると、なんだかよくわからないけど急に苦しくなる。脳みそからエラー音と警告が出てくる感じ。それでも頑張って書こうとすると自分がなに書いてるんだかよくわからなくなる。文章の前後を見失って自分がどこにいるのかよく分からなくなる。これ書くのにも二時間かかった。
停滞は文化の死を招く、新しい風を吹き込んでいかなければ文化は死に絶えてしまう
と言っていた人がいたけれど。
人はいつか死ぬ。作品や文化もその寿命を超えて無理に延命させるのが
必ずしも良い事だとは思わない。
最近は、1クール前のアニメの事後評判を調べて良さそうなやつを幾つかピックアップして一気に見る視聴スタイルがマイブームだ。
僕だけがいない街は、前期のアニメの中では一番評判が良さそうで纏まった時間がやっととれたので見れた。
久しぶりにいいモノ見せてもらいました。物語を一言で言えば「時間ループの過去改変で、殺人鬼からクラスメイトを救え、そして真犯人を暴きだせ」というストーリー。最終的には、ややハッピーエンドだったのだが視聴後の爽快感とか清涼感というものはなくどことなく哀しい気分になった。このアニメを見た感想は大きく分けて2つ。「サスペンス」と「ノスタルジー」だ。
サスペンスの部分はいろいろな人の感想で書かれていので、割愛。加代が救われるかどうかは割と終盤前半でわかってしまうので、その後の展開をどう見るべきなのかが若干分からなかった。。時間ループからの過去改変モノというとシュタゲを思い出すよね。シュタゲも手に汗握りながら見ていたけど、あっちは「みんなHAPPYになるように過去を変えろ」という明確なゴールが設定されていて物語のピークもわかりやすかった。ぼく街の場合は真犯人を追い詰めることを主眼としているのか、その真犯人の心理にせまることを前に出したいのか、後半はどう楽しんでよいのか分からなかった。詳しい人、教えてください。
ノスタルジーについては、あまり他の感想に言及が内容な気がするけど意外と小学生時代の体験を懐かしがったりしないのだろうか。学校、学級という限られた人間関係、子どもという親に依存した弱い立場でありながらそれを乗り越えて願いを成就させたいと奔走する様はとてもノスタルジックな気分になった。不全感をかかえつつも、日々を全力で駆け抜けた子供時代の雰囲気が細部から伝わってくるという気がする。この物語は、タイムリープする先が小学生であっても、中学生でも高校生でも成立する話だと思う。だから作者はタイムリープ先を小学生としたことに、なんらかの意味をもたせているんじゃないかと思うんだけどこれもしっくり来ないなあ。
その他に気づいたこととしては、作中では主人公を含めて片親の家庭が多いのは作者の育った環境によるのだろうか。
物語の最後で主人公と加代がくっつかないのは主人公が加代近づいたのは「加代を救うため」だったわけで、加代が子供を連れてきたときの主人公の涙を「救済が成就された嬉し泣き」と見るのか、「言葉の上では喜んでいるが心は悲しんでいる」と見るのか視聴者が試されていると思った。自分は前者なのだと思いたい。ヒーローとは自分のためではなく、代償も求めず、困った人を救う者なのだから。
新着が画像なしになったので、クソブログの著作物パクリ貼り付けの記事が目に入らなくなって快適です。
あれ、ユーチューバー馬鹿の一つ覚えのテロップ並みにスパムだったのでせいせいした。
日本国憲法は、身分制度を否定しているし、政教分離を明記しているし、差別も禁止している
明治天皇の玄孫を自称する竹田謀タレントは、明文化された国のルールすら守れない、愛国心の欠片もない反日勢力としか認定できない。
丸和油脂株式会社が製造する大豆粉をベースとしたチョコレート風味のペースト。
「マーシャルビーンズ」は誤り。
フランス車じゃないのかよ。
Sクラスより格は落ちるがシトロエンとかプジョーとかルノーが有るだろうに。
と思ってたら、伊のレンツィ首相も英のキャメロン首相も同じくベンツのSクラスで到着。
何故ベンツを選ぶのか?
民間はこの機会に日本の技術や特産品を世界に知ってもらおうと張り切ってるのに。
何故レクサスじゃ駄目なの?
Sクラスなら防弾車両が入手しやすいてのが理由の1つなんだろうけど。
何も昨日今日サミットの日本開催が決まったわけじゃないんだから、レクサスのLSをベースに防弾車両を5~6台くらいハンドメイドで仕立てる時間的余裕は有ったろ。
「日本政府も日本人もVIPが集まるフォーマルな場にはレクサスよりベンツが相応しいと考えてる」と海外にアピールする形になっちゃってるじゃん。
お店のサイトで人気ランキング2位かつわりと歳いってるらしき人を氏名予約して入ったんですよ。
増田はアラサーなんですけど明らかに歳上のお姉さんが出てきました。
崩れてはいないけど美人でもなく妖艶な感じでもない、むしろ歳の割にはこどもっぽいような印象。
なんでこの人がそんな人気あって予約取りにくかったのかなーと思う感じでした。
なんか話をしているうちに気付きました。
こちらを子ども扱いするような話し方がちょこちょこあるんですよね。
まあこちらが年下なんですけど。
ベッドに行く段になると多少ねっとりした雰囲気は出してくるんですが
それでも言うことは「元気なおちんちんだねー」とか「じゃあいっぱい出そうねー^^」とか、なんか子供に語りかけてくる感じ。
そしてセックスになっても
なんかあまり感じてる風の演技はしてこなくて、
抱きしめてくれながら「きもちいーい?」とか「うまいよ」とか、
どことなく監督者風の語り掛けをしてくる。体の下から。
クライマックスで
「うんいいよ、びゅーっていっぱい出して」という承認&指示と
「いっぱい出せたねー」という褒め言葉。
これは何か気付きました。
遠い昔の幼稚園の年少時代に女の先生が面倒見てくれたあれのまんまだと。
おしっこうまくできないグズな子を優しく見守って導いてくれてるあれみたいな感じ。
事後のピロートークで聞くと、彼女は普段は繁華街にある保育園?保育所?で働いているということでした。
そのときのノリのまま男の相手をしてる模様。
それでこの、
自分のセックスを子ども扱いで見守られて励まされて
承認と指示を受けて射精させてもらう一連のサービス、
何回か通っているうちにすごい快感と安らぎを得てる自分に気がつきました。
これは確かにプロの女性相手にしか出来ない、プロを買う価値のあるサービスなんだな、と。
幼稚園時代に返って先生とするセックスほど自分が解放されるセックスってないです。
客観的なキモさなんかどうでもよくなる快感と癒され感。
彼女とか嫁とか相手では絶対持てない世界がお店にはありました。
最近ってか前からだけど、アニメキャラのイメージをそのまま声優に重ねるってμ's的な手法が当たり前になってからファンの質が落ちた気がする。
昔は小原乃梨子や中尾隆聖をバーバパパやバーバママと同一化なんてしなかったろうが。
役者の側も30過ぎてアニメキャラが着ているストリッパーみたいな高校の制服なんて着て舞台に上がらないで、きちんと表現者の一人として作品語ってほしいわ
一度でいいから見てみたい オバカとアホの主悩怪談 ウママロです
パチンコを仕事にしていたことがある。本来負けるものであるはずのパチンコを仕事にしているなど知らない人が聞けば信じられないだろうがわりといる。そのうちの一人だった。
パチンコでは釘を見たりスロットでは店の癖を探したりまぁ方法はこんなとこに書いてもしょうがないので省くが月に100万近く勝っていた。日当で一日2万~10万で平均すると4万を月に25日稼動して20日は11時間打ち切る。
そして得た答えは一般人が持つ印象と何一つ変わらない。パチンコ屋は地獄である。ただの印象論ではなく数多の実例を見てきたすえの答えである。
まずテレビCMやメディアで放映されるようなパチンコで大当たりして笑っている人間などほとんど皆無だ。大当たりするとだいたいエンドルフィンがでまくっている状態になるので喜ぶ、というよりも落ち着く人間が多い。助かったと安堵するのだろう。目を血走らせて台を殴って興奮する人間がいるのがギャンブル場であり、パチンコ屋だと認識している人もいるだろうが実際はそんな人間はもうほとんど見ない。みな黙々と打つ、当たってもあたらなくてもただただ打つ。虚無というか無機的というかともかくパチンコ屋がうるさいというのは台の音だけだ。
だからこそやばいのだ。みな置物みたいになって液晶画面を見つめているかスマホをいじっているかいずれにせよそこに人間が介入しているような積極的なものはなくただ大当たりという偶然が降ってくるのを待つ。実際は真面目に打てばパチンコはやることが多いのだが、ただギャンブルしてきている人間はただただ大当たりを祈っている。
そして自分はそんな環境で働いていた。働いていたというのはおかしな表現ではあるがとにかくそんな場所に棲んでいたことがある。
ブラック企業が問題になっているのだがパチプロという仕事に比べればいくばくかましに見える。仕事をするうえで何が一番やばいかっていうと社会性を失うことが最もやばいんですよ。ブラック企業の問題は過剰な労働で疲れきって自律できなくなることだったりしますがパチプロは関係性すらない。ただ孤独で台の前では時間を薄めてうるさい環境に順応するために神経を殺し自分を殺していく。
そうした時にふと気づいたんですよ。これはやばいと。
けっきょくどんなひどい暴言をはくような上司でもリアルな人間関係の中ではそれがどんなものであれ物語が存在します。人に話す時にそれが喜劇であれば笑ってくれるだろうし悲劇であれば同情してないてくれるかもしれない。パチプロはなぜ地獄なのか、いやパチンコがなぜ地獄なのか。それは人に話す物語がないのです。今日こんな演出で大当たりしたよなんて糞みたいな話しか存在しない。
爆音とタバコの煙に貧乏ゆすりの隣人、そんな世界でも最悪の環境にいるにもかかわらず誰も同情しないのがおそらくパチンコ屋が地獄たるゆえんなのだ