はてなキーワード: 教育問題とは
前提として、以下を読みました。
1. 元記事 https://nuc.hatenadiary.org/entry/2021/03/31
2. chokudaiさんの返信 https://chokudai.hatenablog.com/entry/2021/04/01/115755
3. nucさんの謝罪(?) https://nuc.hatenadiary.org/entry/2021/04/02
ふだんはインターネットのあれこれについてROM専ですが教育と教育倫理に携わる者の端くれとして3の記事に対し、このような方が教育を大声でかたることの危険を感じたため筆をとった次第です。
私は教員→ソフトウェアエンジニアとして数社→公教育ではないとある教育機関で勤務、といった経歴にあり、大学で学ぶ程度の教育学と小中高領域の教育に関しては多少通じています。ちなみに務めた会社にGoogleは含まれず、競技プログラミングについてはソフトウェアエンジニア時代にちょっとかじった程度で歴史やコミュニティに詳しいわけではありません。
1の記事についても賛同・異論含めていろいろあるのですが、そちらは各個論点についての意見が異なる程度の話ですので割愛します。なお、両者の知り合いでもないので通りすがりによるネットの怪文書程度の位置づけで結構です。
いきなり教育の話から逸れて恐縮ですが、謝罪慣れしていない方がやりがちな失敗がいくつもあり、謝罪文として看過できない点をいくつか指摘します。
教育哲学・児童心理などを学んだり活用する立場にある私にとって、トラブル対応や謝罪について考え実践する機会は山程あるのでその経験から思ったことでもあります。
他人のためを思ってやったことが相手に対して失礼だったとき、傷つけたとわかったとき、「そんなつもりはなかった」と言い放つことがどれほどひどいことか、私は見てきました。
ハラスメントやそれらにまつわる謝罪で最も悪手の1つです。間違えた側にできるのは一切の言い訳なく謝ることです。
https://note.com/tm88817/n/ne5025239f31a から私が肝要と思っている節を引用しました。
この文章がタイトルに示されるような謝罪文であるならば、この一点においてすでに重大な間違いを犯しています。
余談ながら、謝罪の本質を中学生ぐらいの子どもにそのように教える機会があります。経験上、成績がよく普段は問題を起こさないが内実プライドが高く誤り慣れていない子どもは「そんなつもりはなかった」「相手が勘違いした」といった言い訳をする傾向にあります。私の個人的な体感ですので一般化はできませんが。
これについては、意図せず失礼なことを書いたとお詫びしたいと思うと同時に少し背景の説明と本来の意図をご説明させてください。
先述と同様です。失礼なことを書いたと自覚しているなら本来の意図の説明は不要です。
背景と意図を説明するのは「自分に過失がないと確信しており、誤解を解くために誠意を尽くす」場合です。過失が誰にもなくても誤解やすれ違いというのは生まれるものですから、そのときは真摯に伝え直すのみです。
私は、このけんちょんさんのために仕方ないと思って記事を書いたのですよ。本当に面倒で書きたくなくて、他に書くものもあり、ツイッターで書こうかなと宣言して自分を鼓舞までしたのに、2ヶ月以上かかりました。
nucさんがchokudaiさんを不快にさせる文章を書いたことについて謝るために、矛先を向けさせるような形で第三者を巻き込む必要もなければ、あなたの事情を説明する必要もありません。
また、自分を鼓舞までして2ヶ月以上かけて書いた事実があったとして、謝罪を受けた側に何の意味があるでしょうか。過失を避けるように努力したのであれば法的にも情状酌量の余地はありますが、「努力をしてやったことだから引き起こしたことの罪が軽くなる」、なんてことはないのではないでしょうか。
言いたいことはたくさんあるのですが、「教育者として避けてもらいたいこと」に焦点を絞ります。
結論だけ言うと、これだけの悪手を悪意なく行う人に、教育者として後進の育成に関わってほしくないと感じました。成功者だけでなく被害者が生み出されることを危惧しています。直接指導でなくとも、技術力を活かして別の形で関わって頂くこともできるのではないでしょうか。
そりゃそうじゃないですか、「競技プログラミングをする」という表現は当時はなくて、「プログラミングコンテストに出る」と言っていたわけです。だから、競技プログラミングといえば、自分たちが大学生の頃の集まりを指すわけです。
発端となった1の記事では田舎初段といった言葉を用い、まさにそのことをご自身で説いておられたかと思うのです。
特に後者の「競技プログラミングといえば、自分たちが大学生の頃の集まりを指す」は少なくとも私にはまったく自明ではありません。ある程度客観性を持った事実なのかどうかを確認するためGoogleで「競技プログラミング」について検索をかけてもnucさんと同じ解釈を見つけることはできませんでした。
5歳くらい歳が離れると一部の言葉が通じなくなることがあるのは、少し前に「アンチ」という言葉で強く実感したことがあります。これもそうなのでしょう。
唐突に、。穿った見方をすれば、今回のコミュニケーションの失敗の原因を年齢差に帰しており、自身には過失がないといった主張に読み取れます。
歳が離れると一部の言葉が通じなくなることは、年の離れた相手の教育に携わっていればどうやってもわかることです。
ですがこれを理由にしてこちらから対話を閉じたり、「言ってもわからないだろう」といった態度をとるような方に教育を声高に語っていただきなくないです。
私がかつてドラゴン桜に対して抱いた印象を思い起こさせます。東大に入るのは「かんたん」、かんたんには但し書きのカッコが付きます。
ただし適切な素地があり適切な対策を十分かつ継続的に行えた場合、です。場合によっては家庭からの適切なサポート、障害やハンディキャップを持っていないこと、も条件に含まれます。
1の記事で以下のように述べられており、大学院に行くことが人生の選択肢にない人の存在にショックを受けたとありますが、そのときに培われた想像力を今一度働かせて頂ければと思うのです。
まさか戦後生まれで大学院に行くことが人生の選択肢にないことがあるとは思わなかったので、私は本当にショックでした。30を過ぎるまでこれにまったく気が付かなかった自分自身への怒りで、視界がおかしくなっていました。
とある医学部教授から「読んだよー。文章はいいけど、お前が卒業生をひょいひょい適当にエンジニアにすると教授会で問題になることがあるから、するんだったら出来の悪いのにしてよね。いいね。ほんと頼むよ。特にそこにいる生徒会長みたいなのはだめだから。」ということなので、今後は、あらかじめ「出来が悪いかを問い合わせる」約束をしてきました。
ちょっとした怒りが湧きました。
今後nucさんに面接対策を依頼し、OKをもらえた学生は医学部教授が出来が悪いと認定した医学部生になる、ということとなります。
このような文書を公開し、残し続ける限り、nucさんの生徒・元生徒が目にする可能性があります。
教え始める前にせよ後にせよ、もし私がnucさんの生徒としてこの一文を見たらと思うと激しい動悸がします。
この一文をどんな思惑があって追加したのかわかりませんが「諸事情により今後は医学部生の生徒を取ることを控える可能性がある」程度で良かったのでは。
「かわいそうなことに、りりあんさんは、いかれた3人の模擬面接官が今まで何をやっていたんだと慌てふためいたことにより、2週間のリアルタイムアタックを宣告され、無理やりクリヤーさせられました。コスパがよかったですね。でも、こっちの胃までおかしくなるから真似しないでね。」で終わるのですが、これだけ書いてもぜんぜん広まらなさそうですよね。そこに、フィロソフィーと教育関係の問題意識の話を突っ込むとこうなります。
1の記事における教育関係の問題意識の話については首肯できる箇所もあり、志の高い方という印象を受け共感もありました。しかしながら1の記事で持ち込まれた教育関連の話が、自身の記事を広めるための方便・道具であったことをここで暴露しておられます。
自身の教育論を手段として使われることは主張自体の価値や正当性を毀損するものではないですが、3の謝罪文の端々にあらわれる不味さから、教育を声高に語らせてはいけない方だという印象に修正されました。
特に教育と一言に言っても指す領域は広いことを認識されておられない点。アカデミックな領域についてはnucさんは私などより遥かに広く深い見識をお持ちなのだと思いますが、それが全てであるかのようには誤解されたまま教育問題をバズるための方便として喧伝することは事実認識を歪めることにつながります。
以上が教育関連で私が主張したいことです。
古い企業云々というより、ぶっちゃけその増田が下層なだけじゃないかと…
下の方だとろくな仕事に就けてないしそもそも仕事する能力もないから仕事辞めたい女性が多いし
(が、夫も同類なので収入が低くて仕事辞めたくてもやめられない、だから嫌々働き続けたり子供産んだら生活出来ないから産めない、となる)
上の方だと良い仕事に就いているし能力もあるので仕事辞めたくない女性が多いし
職場も大企業でコンプラ完備で女性が結婚・妊娠したからクビだなんてやってたらヤバいのもあって普通に仕事続けられる環境もある
(が、夫も同類なので収入が高くて仕事辞めても生活出来るため、夫の転勤や子供の教育問題等で仕事を諦める女性も多い)
前者と後者だと話がかみ合わないんだよな
https://note.com/horishinb/n/n99e0a9e9d7a3
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/horishinb/n/n99e0a9e9d7a3
やたら褒め称えられてるが、何がいいのかさっぱりわからない。
「多様性の尊重」を使うのが駄目な例として学校の制服問題が取り上げられているが、そもそも制服問題は「制服を強要し自由を奪うこと」が問題視されてるのであって、多様性の問題ではない。
同様に取り上げている外国人の教育問題も、外国人だからといって教育を受ける権利がないがしろにされてはいけないという人権問題であって、多様性の問題ではない。本人もそう書いている通りだ。
これらは「多様性」という言葉を不適切な使い方をしたのが悪いのであって、「多様性」という言葉が悪いのではない。不適切な使い方をした例をいくつ挙げたところで、その言葉が悪いことにはならない。
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次に「犯罪や貧困もあるのが社会の多様性ではないか」という屁理屈が出てくるのが問題だとしている。
これは「多様性」を「個人」に置き換えても「犯罪や貧困もあるのが個人の尊重ではないか」と言えてしまうから同じじゃないか、とブコメでも指摘されている。まったくその通りだと思います。
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「多様性の尊重」と言うと、何もない状態から無理に多様性を作らねばならないとなる。それは逆立ちした発想だとこの人は言っているが、そんなおかしなことを言う人ってそんなにいるか? せいぜいネット上の変な人くらいでしょ。
「多様性の尊重」と言うのは、すでに世の中に存在する多様性を尊重しようという意味だというのは、当たり前で常識レベルの大前提だと思いますが?
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「多様性」という言葉を使わずとも「個人」で十分だと言うが、果たしてそうだろうか。
アファーマティブアクション(積極的差別是正措置)は「個人の尊重」という考え方から生まれるだろうか。
男ばかりの組織にいるとき、そこにいる人をいくら尊重しても女の割合は増えない。「女」は個人ではなく属性・層だからだ。
つまり「多様性の尊重」とは、少数の「属性・層」を尊重しようという意味なのだ。
「個人の尊重」が個人レベルの尊重なのに対し、「多様性の尊重」は社会レベルの尊重だ。だから両者はイコールではなく、置き換えはできない。
「個人の尊重」という言葉を使ったときに問題になるのは、問題が個人に還元されてしまうことだ。
例えば職場に常に体をクネクネさせている人がいるとする。それで同僚Aがとてもイライラする。同僚Aに対し「あれがあの人の個性なんだから」と言っても「他人に迷惑をかける個性など許されない。本人が気をつければいいことだ」と返されやすいだろう。
しかしそこで「世の中にはチックという病気があって、たぶんあれもそれに近いクセみたいなものなんだよ。世の中にはそういうクセを持つ人たち(層)がいるんだよ」と言えば、「じゃあ別の場所で同じような人に会うかもしれないし、いちいちイライラしても仕方ないな」と、前者よりは納得しやすいのではなかろうか。
「多様性の尊重」は「個人の尊重」よりも広い視野を持った言葉だ。そうすることで寛容になりやすいと思うのである。
もちろん「個人の尊重」という考え方が不要というわけではない。適切な使いどころが違うのだ。
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【追記】
日本の社会問題のニュースを追っていると、最終的な結論が「解決策はあるが予算がない」にたどり着くムリゲー感がすごくて、最近はそういうニュースを見るのも面倒になった。
一時期は自分が興味のある社会問題の新書(中年ひきこもり、教育問題など)を定期的に買ったり、荻上チキのsession-22をよく聞いてた。(社会問題系では一番信頼できる)
中年ひきこもり、教育格差、教育や医療現場のブラック労働環境、介護士&保育士離職、難病問題、貧困問題、ブラック部活、ブラック労働、介護難民、保育難民、派遣労働問題、外国人研修生などなど。もっとあると思うが、思いつくのはこれくらい。
各問題について現場のスタッフや専門家の意見をよく聞けば、改善のため問題点と解決策が浮き彫りになってくる。ただ大半の結論が「人員と予算が足りない」で終わってしまう。
国や政府からは「そんな金はない」一択なので、結局はさらに少ない予算でどうやって効率的に回すか(これ以上無理です)、現場スタッフにさらに長時間働いてもらう(奴隷)、金のかからないボランティアスタッフを増やすとか(奴隷)、賃金の安い派遣や外国人研修生を増やすとか(奴隷)、ろくでもない回答しか示されない。
そしてその少ない予算の使い道が東京五輪とかアベノマスクになってるから更に絶望感が深いのである。
各分野の専門家の回答はどれも正論なのだが、国全体でみると「どこが一番悲惨で緊急に予算が必要か」アピール合戦になり、限られた予算を少しでも多く奪い取る競争になっている感がある。
お金をかけずに法律を作るだけで解決する問題は、LGBTの権利問題、入国管理局での外国人待遇問題とか、限られた数しかないんじゃないかな?
おそらく日本が抱えている社会問題を現場スタッフや専門家がいう「まともなレベル」に底上げするには、国の予算が全体5割増しくらいにしないと無理なんじゃない?
消費税をこれ以上あげるのは勘弁してほしいので法人税をあげてほしいとは思うが、調べてみると日本の法人税(国税と地方税の合計)は2020年の時点ですでに世界で6番目くらいに高いらしい。
世界の法人税(法定実効税率)ランキング https://ecodb.net/ranking/corporation_tax.html
このデータ通りだと、法人税をあげるにしても数パーセントが限界だろう。1%あげただけでも世界第3位の法人税率になってしまう。
社会問題系ニュースを真剣に聞けば聞くほど、最終的な解決策は金がないから無理になってしまうので、もう追いかけるのに疲れちゃったよ。
せめて金のかからない政策でLGBTやマイノリティの権利充実くらいやって、少しでも生きずらい人が報われる方向でやってほしい。
でもそれだと自民党じゃ駄目なんだよね。
自分はアホ大学に通うアホ学生で、専攻も政治経済には一切関係ないものなので この文章は素人考えの極致みたいなものだと思う。でも、なんとなくずっと考えてきたことなのでなんとか文字に起こしてみたかったんですよ。もしかしたら内容がところどころ間違っていたりするかもしれないので、そのときはごめんなさい。
クッソ長ったらしくなってしまったのでかい摘んで内容をまとめると
・今でも保育士さんのブラック待遇は大問題になってるのに保育園タダにしたらもっと大変になるのでは?それなら 無償化に充てる資金で保育士さんへの支援を行ってはどうか
・幼児教育云々よりも、子供を大学に行かせられるかどうかが子作りするか否かの決め手になっていると思うので、成績はいいのに金がなくて進学できない学生への補助をもっと手厚くするなど 高等教育への補助をいま発表しているものより広範なものにするべきではないか
みたいな感じです。
今年の10月から幼児教育の無償化が始まるらしい。といってもどんな家庭でもいくらでもタダになるわけではなく、もちろん金額も適用条件も限定されている。それでも、要項を読んだかぎり 適用される範囲がだいぶ広い(所得の高い世帯も子供が3〜5歳なら特に制限なく支援を受けられる)ので、この無償化にかなりの税金がつぎ込まれることは間違いないと思う。
他方で保育士さんへのいわゆる やりがい搾取は、ここ最近になって頻繁に取り沙汰されるようになり、特にネット上では重大な問題として扱われている。もちろん 保育園がタダになったからといって保育士さんの給料がゼロになるわけではない。けれど、今以上に新規の園が増えて更に保育士の需要が高まるだろうし、お金を気にして子供を家で育てるつもりだったカップルが、無償化を受けて子を保育園に預けるようになるかもしれないので、現在でも深刻な保育士不足がもっとひどくなって もっともっと保育士さんへの待遇がひどいことになるかもしれない。
かもしれない が2つもあるので、その時になってみなきゃ分からんだろうが という人もいるだろう。でも、今現在だって保育士さんは大変なのに、園の収入が減るようになって楽になるはずがないと自分は思う。
個人的には保育園は無償化せず、保育士さんへの福利厚生にしか使えない制限のついた補助金なんかを与えるようにしたらいいんじゃないかなと考えている。
そもそも幼児教育にいろんな優遇政策をほどこそうと政府が考えた元々の要因は少子化だ。子供を育てるのが楽になるよ!とアピールしてみんなにたくさん子供を産んでもらうのが狙いだろう。
でも、子供が幼稚園保育園へ通っている時間なんて人生のタイムラインで考えれば一瞬で、その子の人生に大きな影響を与えるのは幼児教育が済んだあとの学校教育のほうだ。実際、結婚しているのに子供を作らない予定の夫婦のうち「我々の収入では、もし子供を産んだとしても大学まで通わせてあげることはできないだろう。そうなると我が子はきっと幸せにはなれないから、自分たちは子供を作らないほうがいいだろう」みたいな考えを持っている人はたくさんいると思う。
一応、義務教育は中学校までだが、そんなのはもう形骸化しており 今現在では中卒や高卒は不可触民みたいな扱いを受けている。社会が高度化している以上、子供にそれなりの学歴を与えてやるのは親として当然の義務となっているふしがある。(大学が「就職のための学歴」をエンチャントするための装置と化しているのはよくないとは思う。詳しくはあとで書く)
でも、大学の授業料は高額だ。大学は自ら学ぶ意欲のない人間以外は必要ないところなんだから好成績者以外は利子つき奨学金で苦しんでもしょうがないだろと考える厳しい人もいるだろうが、ここにそもそもの歪みがある。
まず、お金がなければ優秀な成績を得ることはできないのである。『蛍雪の功』はもはや遠く儚きファンタジーであり、学校の放課後に塾に通い、家庭教師を雇い追加で勉強に励むことのできる環境にいる人間にしか“進学”することは許されない。公立学校(特に中学。高校は公立の進学校もあるので一概には言えない)はうんこなので 高名な大学に通いたければ中学から私立に通ったほうがよい。子供に中学受験をさせ、中高一貫に通わせ続けられるような潤沢な資金のある家庭がそう多くないということは、普通の人なら分かるはずだ。“一般家庭”で一生懸命に勉学に励んだとしても 手に入るのは僕の通うようなF欄の新入生挨拶の機会くらいである。いや、それくらいの成績があればF欄なら無償奨学金がもらえるかもしれないので、じゃあそれでいいじゃんと思えるかもしれない。だが、果たしてF欄卒にまともな就職先があるだろうか。企業様が大卒と認めてくださるレベルの学校に入るには親の資金力がどうしても必要なのだ。
日本は民主国家だが このようにして教育というふるいによって階級の再生産が粛々と行われているのである。その証拠に、いくつかの高校教科書は簡単なものと難しいものの2種類に分けられ、地方のうんこ公立に通う学生には簡単なほうの教科書が与えられる。もちろん入試では難しいほうからの出題が圧倒的に多い。
2020年からは高等教育の無償化も始まるらしいが、そんな限定的なことではなくもっと早い段階、つまり進学の時点からきちんとした援助を行い、家庭の都合で勉学にお金をかけられない子でもしっかりとした受験勉強に励めるような環境を作っていく必要があると思う。本人に意志さえあれば どんな環境からでも上を目指していけるという空気が醸成されるのは、国民にとっても精神的な希望にもつながるのではないだろうか。
というかまず、大学が学歴というステータスを学生に与えるためだけの新卒生産工場と化している現状がおかしい。大学は一応 教育機関でもあるが、それは研究機関として新しい研究者を生産するための機能であって、社会にユウシュウナガクセイを出荷するために教育を施しているわけではなかったはずだ。僕も母校をF欄と侮辱しているが、入試に必要な偏差値が低いからといって大学の価値まで毀損されるのは大学が完全に就職予備校と化してしまっていることの最大の弊害である。僕は真性のクソ学生だし入試で必要な偏差値はだいたい50ちょいだったが、うちの大学の考古学部は京大や東北大に比肩するレベルで優秀なのだ。他の学部は知らん。僕のお世話になった教授は とても優秀な方で、本当なら研究にもっと注力したいだろうに学生の就職について色んな仕事を任されていた。大学がいわゆる就職予備校化している現状はいろんな方面にとって害毒でしかない。政府は早急に国家主導でほんとうの就職予備校を設立すべきだし、企業はそこを出た学生さんを大卒と同じ待遇で雇う義務を負うべきだ。
そうして大学を就活の楔から解放し、補助金をドバドバつき込んでなんでもできる組織へと強化していく必要がある。選択と集中なんてクソ食らえだ。
子供を産んだばかりでてんやわんやのお母さんの目の前にニンジンをぶら下げて票集めに励んでいるひまがあったら、学校教育の正常化をおこなうべきなのだ。今まで埋もれてしまっていた優秀な人材が正当な教育を受けられる機会が増えていけば、子供の数が増大せずとも社会は少しくらいは良くなる……はずである。というか日本がここまでグダグダになったのはたぶん学校教育がうまくいってなかったせいだと思う。今からでは遅いかもしれないが、だからこそ早いうちになんとかすべきではないのか。
あと教育の現場にオウムも真っ青の奇怪なカルト宗教を持ち込もうとしている連中を全員処刑してほしい。ああいう人たちが政治どころか社会そのものの中枢に居座れてしまうという現状が、教育問題だけでなく企業体質など諸々の日本のダメなところの表れなんだよ。親学ってなんだよクソが。
ブラック企業問題ついては、たしかに教育関連よりもずっと少子化に貢献しているまさしくこの国の癌ともいえる存在なのだが、補助金というよりは法整備が必要な方向のものだと思ったので今回は取り上げないことにした。
なんかとりとめもない文章になってしまって自分の頭の悪さが露呈しているみたいなのでとても恥ずかしいのだけれど、とりあえず ここまで読んでくださった根気強い方に感謝を申し上げて 終わりにしたいと思います。
舞田敏彦氏は教育問題や格差問題をよくツイートしてるが、今日のツイートに「住居代を考えたら、(ワープアや非正規雇用な人は)東京じゃなく鹿児島とかに住んだ方がいい。食べ物も美味いよ」とツイートしてた。
百歩譲って「田舎が食べ物美味い」としても、味の差が出るのは自炊する場合じゃないか?
ワープア層、非正規雇用層は「ビンボー暇なし」で、自炊する生活余裕なんか、ない。
となると毎日コンビニ弁当やスーパーの見切り弁当とかになるから、東京も鹿児島も、コンビニ弁当の味の差なんて、ないんじゃないか?
更に言えば、ワープア層は「もともと、小学校中学校時代、実家の食生活も貧しかった」から「味音痴が多い」から、「鹿児島の豊かな食材」と「東京の食材」の味覚差を「そもそも、感知できない」のではないか?
舞田敏彦氏は教育問題や格差問題をよくツイートしてるが、今日のツイートに「住居代を考えたら、(ワープアや非正規雇用な人は)東京じゃなく鹿児島とかに住んだ方がいい。食べ物も美味いよ」とツイートしてた。
百歩譲って「田舎が食べ物美味い」としても、味の差が出るのは自炊する場合じゃないか?
ワープア層、非正規雇用層は「ビンボー暇なし」で、自炊する生活余裕なんか、ない。
となると毎日コンビニ弁当やスーパーの見切り弁当とかになるから、東京も鹿児島も、コンビニ弁当の味の差なんて、ないんじゃないか?
更に言えば、ワープア層は「もともと、小学校中学校時代、実家の食生活も貧しかった」から「味音痴が多い」から、「鹿児島の豊かな食材」と「東京の食材」の味覚差を「そもそも、感知できない」のではないか?
韓国人は必要以上に日本ヘイトを溜める教育を幼い頃から受けている。
例えば時事問題が竹島の時は園児や小学生でも独島は韓国の島と教え込み、日本に攻撃的な絵を描いても賞賛されていた。
歴史は日本に支配されていたと言う近代史が中心で世界史は基本的に学ばない。
だから世界と批准ができず日本が最悪な国で韓国は可哀想な国と非常に狭い世界観で成長する。
いくら歴史認識で日本と衝突しても、日韓友好を掲げても、韓国がこの教育方針を見直したと言うのを聞いたことがない。
そしてよく聞くボヤキは「日本の事を公然と庇うことは難しい空気がある」だ。
韓国政府はこの国民感情を操って支持率回復を狙ったり、コントロール出来ずに飲まれたりする。
慰安婦も、旭日旗も、徴用工もこうした司法などの理屈以上に日本ヘイトの下地があってこそ一度問題となれば爆発的に韓国善日本悪として発生している。
反差別と真の日韓友好を掲げる立場としてこの日本ヘイトを溜めるこの韓国の教育方針にこそ問題があると正しく突きつけたい。
しかしそれは攻撃的な日本ヘイト教育をなくし、韓国・朝鮮の歴史も正しく知ってもらい、普遍的に世界史や司法の在り方について学んで世界を知った上で感情に寄らず日韓で精査すべき話であると思う。
教育問題に手をつけたら、今の送料は倍以上になるかもしれないけど、いいの?
https://anond.hatelabo.jp/20170827105358
これを読んで自分も奨学金の返済をやってる身としてわかる気持ちがある。
ネット上のクソどもは、やれ口では世界に負けるな、だの先進国の地位を守れだの言う癖に、
こういう国力に直結する教育問題になると、自己責任だ、奨学金借りられなきゃ大学いけない貧乏人は大学なんぞいかずに働けだのと掌返ししやがるんだよな
お前ら、自分が言ってることが凄まじい矛盾になってるの気が付いてないのか?と
今の時代大学ですら非正規が5割超えようとしてるし、俺も一応稼げるから時給制にして非正規って立場になったけど、これも奨学金を早く返したいからだぞ?
大体、金を持ってる奴や稼げてる奴が絶対正義で偉いんだから文句言うなとかいってるネット上のそこのお前ら、その理屈で行けば銀行〇盗が一番稼げて偉い職業になるだろと
そういう自分の言ってることに場の空気で矛盾したことを雰囲気で流そうとするのが、一番気にいらねえんだよ
俺は今、上流に取り入ることを画策して行動に移してるが、もし上級国民になった暁には、お前ら糞どもを徹底的にコキ使って搾取して、パワハラでいじめまくっていたぶってやるからな、覚えとけよコラ