はてなキーワード: 単純化とは
いや、こちらは元増田が「配慮のできないクズ」だなんて一言も書いてないが。
他人の不快感に配慮するっていうのは、自分が予想できない価値観が返ってくることもあるから面倒だし理不尽に感じるかもしれないけど、その面倒くさいことを放棄しないのが大人の理性だ。
「女性が嫌がれば何でも男性が悪いという風潮にはいい加減立ち上がらないといけない」とか「女性の感情中心に考える」単純化しておいて「基本的に女性の味方」とか名乗ってるのがガキ臭くておかしいんだよ。
「そのうち髪を切ったことに気づかなかったことやその話題を避けたこともセクハラになる」なんてブコメを真に受けること自体アホくさい。
なんで話題を避けたらセクハラになるんだよ。ならねーよ。そんな訴えが女性から出てきたことなんて見たことも聞いたこともねーよ。
パクリだの何だのと言われてるけど、パクリではないと個人的には思う。
デザイナーがロゴを作る考え方のプロセス上で、必ず一度は考えうる形なので。
(それは独創性無くてダメじゃね?という話は一旦脇に置いておく)
案外気づいてる人少ない気がするけど、あの形にはTとLの形が共存してる。
2文字以上の要素をロゴマークに共存させる考え方はデザインにおける常套手段で、
2人のプログラマーが似たような動作を要求されるソフトウェアを開発するときに
プログラムのプロセスが似ていたとしてもパクリとは言われないだろう。
所謂ゴシック的(※1)なサンセリフ体を元にしてあの形を組むとただの罫線だ。
色分けするのもアリだが、白黒で使われるシチュエーションを考えるともっと
パっと見て判る物がいい。
そうなると、もっと書体として判り易いセリフ体を元にしたツメ方になっていく。
形を組み合わせ、出来る限り余計な線を排除し、シンプルに、シルエットでも判るように。
どこかに日の丸を組み込むと64年の亀倉先生へのリスペクト(※2)にもなる…。
と考えて行くとあの形にたどり着くのは容易に想定される。
このプロセスと似たような形をベルギーのデザイナーも踏んだはずだ。
中村勇吾が言う「すごく基本的な形態の組み合わせのシステム」というのはこういう事だと思う。
言わないよね。デザインを説明するなんて、芸人がボケを説明するくらい恥ずかしいもの。
だから精神論に走ったり、凄い人だからパクらない!みたいな言い方になる。
それでは少しも擁護になっていないのだが、どうしても一言言いたかったのだろう。
こういう時は黙っておくべきだ。本人のように。
まあ、本人自身は「パクリではありません」の一言くらいはあるべきだけど。
そんな訳で「ありがちなアウトプットなのでパクリではない」が答えだと思う。
(この"ありがち"っていうのも同業者が変な擁護論に走ってる一つかな)
同じ答えを誰かが言ってた気もするけど、自分も書き出してみたくなった。
以上。
これって、ナンパ師達がやってきたことをまた同じように繰り返しているんだけど。
確かに面白いと思った。
工学って名乗るくらいだから、専門用語を作ってみたりして概念を数理モデルに落とし込んでいる。
これは非常に俺は納得できた。
言ってることは、
「ナンパでの声かけは、定型文作って、それで話かける、これを『オープナー』と言う。『写真撮りましょうかオープナー』『こんばんはオープナー』などいくつか定型作れ」
こういう感じで、定義つけられた行動をひたすら繰り返せば、ヒット確率が5%なら20人話しかけられればいけますね。これはナンパ業界では常識だけど、これを『メソッドだ』と割り切ったのがよかった。
俺は、どーも話しかけることに感情の機微的なものを感じすぎていたが、メソッドだから心を無にしてやってしまえるんだ!と解く。
それとか他には、「セックスすれば女はその男を好きになる、セックスする前は女が主導権あるが、セックスした後の主導権は男。だから、セックスする前にセックスできるように女をいかにだますかが大事」というのは常識だけど、それまでの過程をいくつかに分割して、それぞれ無感情でできるメソッドでくくっている(まったく同じデートコースを繰り返すことで流れになれるとか)
もちろん、これまでもナンパ技術で、さんざん言われてたことだが。どーもナンパ技術は、「メンタル」「度胸」となっていた。俺はどーしても感情で話してしまうから難しいんだけど、それをできるようになる。
会話についても、どーも俺は感情を読み取って話ししていたが、「ラポールを作るんだ、これらの技術を繰り返すんだ」と単純化されてしまうと、なるほどできそうだと思えた。俺は、機微にこだわりすぎて、大筋を忘れていたみたいだ。
あと、恋愛工学は、それぞれの過程で専門用語を作って、ある程度体系化しているからこそ、研究しやすいと思う。
オープナーのメソッド、連絡先聞き出しのメソッド、クロージングのメソッド、デートに誘うメソッド、デートからセックスに持ち出すメソッド、セックスを断られそうなときのメソッド。
もちろん、これまでもナンパ師はこういう分割で研究してきたんだけど。どーも彼らナンパ師の言葉はふんわりしていて。理系には分かりにくかった。オラオラだぜ~とか、ノーグダとか、体験してない側には意味不明だった。
あと、「普通の漫画とか映画とかドラマとかの手順を踏んだ恋愛は無理」ってのをはっきりと書いてくれたこと。イケメン美女なら、できるんだけど。それを普通の男がやってもまず無理。ってのを教えてくれた。
まあ正確には無理じゃないが、ヤリチンと女が遊んで、その間のキープってのを普通の男は付き合ってると言ってるんだよ。ってことをはっきりと言ってること。その、ヤリチン側に回る手順は、一般の、仲良くなって、尽くして好きになって~ではないと。
女達が偉そうに教えてくる優しくしろだの、マメがすきだのは嘘だ、女はヤリチンに相手してもらえなくて、だから押し付けがましくそういう理想像があったらいいなってだけだ、本当は冷たくされて喜んでるんだ。と。
これは本当に目をさまされた。なんで、ナンパ師達が、あんだけオラオラやってるのか俺は理解できていなかったが、なるほど、そういうフレンドシップ戦略、とか一人の女だけを好きだぜ、みたいなのはキモいと女は感じるようにプログラムされてるらしい。
なるほどと思った。女向け恋愛映画は、ヤリチンくさい男が、一途に君だけ見てるぜ的なのが多い。ヤリチンはそれを読んで、やりまくってる、やりまくってるそぶりも見せる、しかし、君が好きだ、君の話を聞いてタイアピール。をする。
これはその通りだなと。ヤリチンが好きなんだから、一途に思うこと自体無意味。余裕を持たせるために、たくさんの女と同時平衡にアプローチしろ。それ、ナンパ師が毎回言ってたが、意味が分からなかったが、なるほどと分かった。
俺は、どーもそのあたりの機微を詠みすぎていた。
医学なんかでも、確かに患者の話を聞くのだけれど。じゃあ薬はどうやって選ぶのか、手技はどうするのか、ってなるとそれは冷徹に論文に根拠を求めるんだよね。
この部分、昔の医療は医者の経験とかで判断してたんだけど、それよりは論文に寄ったほうがいいよね(EBMっていう)ってなった。
そうすると、すんげー専門用語が多くなった。それもそのはずで、専門用語ってのを理解できるってのは原理を理解できるってことに近い。専門用語を知ってる知らないってのがダイレクトに理解してるしてないにつながっていくから、専門用語を作ることが合理的になる。
そういう意味で。確かに恋愛工学はいままでの焼き直しだけど、そこに名前をつけたのがいいなと思った。
俺は、ナンパ師たちのテクニックを学んでも一向に実行できない。
正確には、10回くらいはナンパして、5回は話かけられず、5回は2,3人にこんにちはーとか、道を聞いたりしたが、韓国人の女と1回おちゃした程度で、連絡先交換もなかった。
でも、工学といわれて、メソッドだといわれるとできそうな気が少しした。
医学でも、自分の経験だと微妙に挑戦しにくいが、「この論文でこっちの薬がいいと結論でている」といわれると、「証拠があるし、悪いことしてない気になるしいっかー」とやれる。逆に、勉強してるからできるんだぜーくらいに誇らしい気持ちすらあるw
女性は恋愛したいのに、恋愛工学だと女性はセックスするためのもので。しかも工学にあてはまる女ってのは一部のそういう工学にはまりやすい女だけだ。という主張。
これもその通りだと思うが。
論文で薬を与えられる患者というのは、完全にモデル化されてるし、それぞれの患者に効く効かないは個人差あるけど、それでも薬を投与する。統計的には効くから。
そして、経験的な医療では、患者の話を十分に聞いて機微を察して薬を投与するが、それでは学問として成立しない意味合いもあるから、論文重視になって、だれでも同じ医療が受けられるようにしている。
確かに、女性の言うように、恋愛の機微で感情を持ってやるべきだってのも分かるんだけど、それでは男は女と付き合えないというわけだ。女なら股をひらけば男をゲットできるが、男は50人に声をかけて1人と付き合えるかどうかなわけだ。
まったくのゼロの女しか捕まえられない男に、次のステップである恋愛の機微とか説いても無意味じゃないかと思った。
ってか、そういう恋愛の機微を捕まえる、一途な男にたいして、女はどういう態度を取ってきた?クリスマスプレゼントだけもらって、デートがあっても浮気相手のヤリチンに走って。そういうのが多すぎる。だったら、女がそういうの言う資格ないと思うんだよね。
また、一部の女にしか効かないというが、それでいいと思う。効かない女もいる、それは当たり前。効く女だけに薬を売ってるんだろみたいな話だが、それでいい。まったくのゼロで女に相手されないより、そういう女でもやれるほうが絶対いい。
まあここまで散々持ち上げたけど。俺はそれでも、風俗に行く。
金もあるし、楽だから。セックスもクッソ自分の好き勝手にできるから。
だって、恋愛工学での女って、確かにゲットできるんだろうけど、面倒くさいよ。
そりゃ、自分の奴隷みたいな女を見つけられればそれで風俗行かなくてすむだろうけど、それまでにどんだけの労力かけるんだよ。
俺は、医者で、一回の当直で10万とか給料もらうから、ナンパにかけてる時間分働けば、風俗で美女とやれる。
風俗ってのも、よーするにナンパ師に似た、スカウトマンがいい女をナンパして、風俗に横流ししてるわけだから、ナンパしてるより効率がいい。
でないが、趣味の一つとしてコツコツ続けるのはいいことだと思う。
アメリカで、貧乏人ほど一見効率の悪い金の使い方をするのはなぜかって研究があった。
うろ覚えだけどこんな感じ。かつかつの生活だと長期的な計画をたてにくい。単純化すれば、明日まで待てば安く買えるとわかっていても、待つ余裕がなくて、割高な買い物をせざるを得ない。食材をある程度まとめ買いして自炊すれば安いとわかってても、まとめ買いする資金がない、保存しておける機器がない、自炊に割く時間がない、とかね。
娯楽についてもそうで、ストレスのはけ口や気晴らしとか、余裕があれば安く楽しむ方法はたくさんあるんだけど、心理的時間的余裕がなくて、さっと手を出せるもの、酒や煙草に頼ってしまう。
愚かだから無駄遣いをして貧困からはい上がれないのではなく、無駄遣いをしない生活を送るにはある程度の余裕が必要で、その余裕を失うのが貧困なのだ、とかそんな話だったと思う。
ただ、どうにも文章としてまとまらないので、以下、箇条書きで書き進めていく。
元増田です。反応うれしいです。
ちょっと調子が悪くて、レスポンスがいい加減な点お許しください。
これが難しいんではないでしょうか。
ご自身でも
と書かれていますが、
提案の時点で半数が読めなくてもいい。
投票後に過半数はどっちだったか、それが国民の判断として採られればいいと思うのです。
「なんでもいいからとにかく一度変えようぜ」
ではなく、
ほらほら、ちゃんと議論しないと変わっちゃうぜ、という感じです。
今回の話は、改憲という手続きそのものについて語りたかったので、
(そうはいってもこれは左派のことだろう、というのはそうなんですが)
安保法案についての分類だけでも、挙げていただいた通りに広がります。
ただ、意思決定の順番として、
話が逸れました。
現実性のある改憲の提案と議論はもっとあるべきだと考えていて、
そういうわけで、
「憲法を変える手続きに反対をしている=護憲派」とざっくり定義した上で、
・「特定の条文を護りたい」人
「整理してほしい」の意図は、
この文章の中ではその単純化に乗ってほしい、というところにあり、
つまり「単純化の上で、どっちですか」という問いかけのつもりでした。
が、書き方がまずかったです。
「護憲派の整理が足りないのが悪い」と読まれたのだと思います。
と言われても仕方がないです。ごめんなさい。
例えば、自分でも書いている通り、
改憲に対する自分の考え方も「憲法の機能を維持するという点で護憲」だと思います。
けれども、そんなのを細かく分類していたら切りがないと思いました。
以上をふまえると、
を、
に改めるべきだと思いました。
これだから左翼はとか、ネトウヨはとか、もうたくさんなのです。
やりたい人同士で勝手にやりあっててください。
そんな話より、
合理的に突き詰めればこうなるよ、というのが見てみたかったのです。
それを好きに改変してほしいという出し方にしました。
思い通りに受け取ってもらうのはなかなか難しいですね。
文才のなさを痛感するし、レス打つだけで胃が縮む思いです。
(追記)
なんでわざわざこんな手の込んだ自演をしなきゃいけないんだw
書き始める前もずーーっと考えてたんだぞ!
もう二度とやんない。しんどすぎる。
やあみんな、ウップンをインクにのせて塗りまくっているんじゃなイカ?
次のフェスが待ち遠しいところだが、ココで、第一回のフェスを大解説だ!
(なお自分は土曜夜から開始&日曜昼から再開したご飯派で、かなり待たされた方です)
まず簡単な振り返り。
イカ同士がペンキを塗りあって自軍面積を競うナワバリバトルを楽しめるのがスプラトゥーンだ。
これに、イカの前提がある。
これが、フェス期間中は
ボウシ、クツ、ブキセットは自由に選べるけど、他はかなり制限されてる状況
普段のハイカラシティ(オフラインのロビーのような場所)が少しづつ変わってきた。
フェスの投票とTシャツ配布が始まり、トラックが乗り付け、フェス準備が広場に見える。
みんな、フェスTシャツを着てみたり、広間に集まるイカ達もソワソワした感じが見えていた。
シオカラーズは広場で踊り、花火は打ち上がり、電飾看板がこれでもかと並ぶ。
普段は寝ている猫のジャッジくんもノリノリで踊り、全員フクはフェスTシャツに限定。
ご飯派と、パン派は分かれて広場で踊っているが、すごいお祭り感。
そして、皆が何かを期待していた2015/06/14の18:00。
あまりの落差に呆然となったヒトが多いということは、フェスがイカに特別だったかを自覚させる。
(フェス前準備はフェスへの気分を盛り上げるが、フェス後の祭りの後感をフェスに参加できなかったヒトが感じてしまうと残念に思うだろうから、この非対称性はさっぱりしていて良いことだと思う)
お題設定は適切だったか?が話題になったが、実は問題はソコには無い。
ご飯チームは57.3%、パンチーム42.7%と、投票自体は拮抗している。+7.3%は、偏りというほどでも無い。
むしろ、かなり具合良く半々に分かれている。
また実は「偏っても勝敗はどうにかなる」ようになってる。ココ先に解説する。
つまり、ご飯派とパン派とで、「総ナワバリバトル数」は当然同じになるのだ。
これ、もしも勝率が逆だったら、ご飯148(58+45x2) vs パン152(42+55x2)となり「パン派が勝利していた」のだ!
ちょっと計算するとわかるが、勝率に倍数を掛けると、偏りを調整できる。
偏りが10%以内なら2倍、20%以内なら4倍、とか増やしていくと
例えば、ご飯派89% vs パン派11%という凄まじい偏り(40%ズレ)でも、
ご飯449(89+45x8) vs パン451(11+55x8)となり、パン派は勝利できる事になる。
この倍率方式は、事前の投票をバトルで取り返せるよう、なかなか良く出来ている。
あんなにクソミソ言われてるフェスをココマデ擁護ヨリに書いてきたのだが、問題点はコッカラだ。
単純化するために、今回は、ご飯派60% vs パン派40%だったとする。
雑に10万人が遊んだと仮定すると、ご飯派6万人 vs パン派4万人だ。
最大限スムーズにマッチが進んだとして、ご飯派2万人は、常に対戦待ちになる。
(パン派4万人(4人x1万チーム) vs ご飯派4万人(4人x1万チーム)で、2万人(4人x5000チーム)余る)
母数が10万人なので、2万人という20%(全体の5人に1人/ご飯派3人に1人)も待ちイカが生まれることになる。
だいたい3分死闘+結果発表諸々合わせて、およそ1試合5分といったところ。1時間12試合。
これが、パンチームフル回転でも、ご飯チームの3人に1人は、待っていることになる。
つまり、完全に均一に割り振ってもらえて15分に1試合。1時間4試合だ。
対戦待ちは300秒(5分)くらいなので、3回に2回はパンチームが揃わず流れることになる。
5分ボーっと待って、バトルに入れないっていうのは、結構キツイ。これが3回に2回は入れない。
これはネット上にクソミソ書かれてしまうのは気持ちとしては判らんでも無い。
今回、自分はご飯派でソコまでガチでは無いので、全部で12時間ぐらいしか遊んでいないが、
おおよそ、1時間4試合という試算は(12時間で48マッチ)、平均すると感覚的にもあっている思う。
それでも、2回ほどご飯4人vsパン1人の対戦が発生した。(塗りが反映されないラグが4回程度発生、うち2回はエラーで落ちた)
数が少ないので試算としては弱いが、4%程度、孤高のパン派マッチが組まれていたとすると、これは当然勝率に影響する。
どんなに待ち時間が発生しても、マッチ出来ずにロビーに戻されても、4vs4だけは死守すべきだったと思う。
勝率の「ご飯55% vs パン45%」が、本来は51%vs49%だったのがミスで拡大したのだとしたら、残念だ。
報酬の落差(勝利したご飯派は、パン派の倍の報酬(スーパーサザエ)がもらえた)は、ソコまで本質的じゃない。
元々お祭りイベントであるフェスなので、イベントが終わった後の報酬は、まあ余録みたいなモンだ。
(発売前の体験イベントである「体験試射会」でも問題になったが)サーバー側の問題を、ゲーム内で知る方法が無い。
かろうじて、ミーバース(WiiU内SNS)に投稿された絵がフェス会場に反映されることで、「あー、サバ落ちしてんのかな」と判るくらいだ。
開始早々1~2時間程度は、TwitterやSNSで情報を拾ってこれない人たち、かなりツライ状態にあったと思う。
情報の少なさは、ソコココに現れる。
例えば、自分は朝食にパンもご飯も食べるので迷うが、まあご飯かな、程度だった。
事前に、パン派の投票が少ないとか、ご飯派が圧倒的、みたいなのがアレば、陣営変更していたかも知れない。
フェス期間中は、ポイントが貰え、ふつう→まこと(10)→スーパー(25)→カリスマ(50)→えいえん(99)と称号が変わっていくのだが、
ポイントMAXまで行くとカンストしてしまって、モチベーションが下がる。(他の遊べてない参加者にも遠慮するし)
これが、臨時ニュースという形で、途中経過の勝率を教えてくれるだけでも、パン派ガチ勢は気合が違ったと思う。
勝ってるか負けてるか判らないというのは、お祭り的なフェスとは言え、ちょっとキビシイ気がする。
また同じく「現在の平均待ち時間」を教えてくれるだけでも、結構違ったと思う。
「ただいまご飯派10分待ち」とか「ただいまご飯派かなり待ちます(15分以上)」とか。
フェス期間中はレギュラー&ガチ凍結は仕方ないとしても、情報無しで1時間に4マッチだけってのはキツイ。
待ち時間切れになった場合は、それ同士の「ご飯派練習マッチ」みたいなのを組んでくれないかなーとは思う。
(やっぱ、イカ登りゲー(待ち時間中のミニゲーム)は飽きる。自分は漫画を読みながらノンビリ待ち&リトライしてた)
夜空に花火として浮かび上がる「UDON派」とか「ゴパン一択」みたいなのには笑ったし、
シオカラーズにだけズームが効くとか、普段バラバラなイカ達がそろってフェスTシャツ着てるとか、
ブレード・ランナーもかくやという夜景は、終わった後のハイカラシティが色褪せて見えるほど、凄かった。
10分に1回とか15分に1回しか遊べない(しかもリトライは人力)ネット対戦とか、ゲームとして成立してない。
それでも、12時間も熱中して遊べてしまったというのは、スプラトゥーンのフェスがやっぱり特別だったということだと思う。
スプラトゥーンは、「カモン」と「ナイス」しか仲間内に連絡する手段がない。
これは、罵倒を防ぐとても良い仕様だと思う。ワリとナイスって言われると嬉しいし。
たぶん色んな声がスプラトゥーン運営には届くと思うんだけど、是非初心者に優しい間口の広い状態のママ、次のフェスも開催して貰えたらなと思う。
>> ただそれで利益を得るのが問題。<<
そこに関して意見が違うようですね。
まず第一に、
これはあまりにも話を単純化し過ぎているとは思う。これは飛躍があり、また成りたつためには前提が必要だ。まず知名度が上がらなければ意味が無いし、また、知名度が上がったって、ビジネスが成功するわけじゃない。なので、そのような見方は安易じゃないかと思う。
そして、第2に「元犯罪者が知名度を利用した商売をする」ということ自体は悪でもなんでもないと考えている。元犯罪者は、刑務所や少年院で社会的制裁を受けているので、これ以上ない不利益を受けている。なので、ちょっと、商売したってどうってことないと思う。執筆や出版はリスクやコストがかかる。なので、それで利益を得ようが、その利益は正当なものだと考えている。
もちろんフェミニズムと新自由主義という思想は非常に親和性が高く、互いが互いの考えに片足ずつ突っ込んでるという感じで切っても切り離せないのは周知の事実ではある。
しかし、決定的に相容れない部分があるのもまた事実。新自由主義というのを単純化して少々乱暴にいえば弱肉強食の理論なわけで、性差別の撤廃や男女同権をかかげるフェミニズムとは目指すべき世界観が理想郷が根本で違っている。
新自由主義者たちが推し進めた既得権益の打破、抜本的改革、岩盤規制の破壊、構造改革、民営化、規制緩和、国家戦略特区、道州制、小泉フィーバー、自民党をぶっ壊す、これらの政策にフェミニズムは利用された。女性の社会進出、男性社会の破壊。確かにフェミニストの掲げる目標の一部分は達成したのかもしれない。
みんなで貧乏になれば平等という話だ。世の中のイケメンを全員抹殺すれば相対的に顔面偏差値が上がってハーレムなのにと、妄言を吐くもてない男の与太話と大差ないが、それがまかり通るのが平成である。
あの竹中先生もおっしゃっていた。日本の最大の既得権益は正規労働者だと。彼ら正社員は非正規から搾取している悪人だと、だから全員非正規にすればみんなハッピーで世の中うまくいくとかなんとか。
真の狙いは不明だが、もしかしたら1%の金持ちに批判がいかないように正社員と非正規の対立を煽っているのかもしれない? もしそうだとしたらとんでもない策士であり。陰謀である。パソナの陰謀でしかない。
そんな巨悪があるかないか知ったことではないが、俺としては日本中の俺より幸せな人間が不幸になることを止める理由がないので、構造改革も規制緩和もどんどんすすめてくれてかまわない。みんなで不幸になろう。この日本という泥舟にのって、夜の国道を無灯火で爆走し、赤信号をわたりまくるのだ。
しかし、弱者男性とか言うゾンビよりも厄介で醜い死んでるのか生きてるのかわからない、燃えるゴミと燃えないゴミの間に生まれたような人間たちがフェミニスト連中を攻撃しているのは喜劇としかいえない。
たしかにフェミニストと聞くと三角めがねをかけて語尾がざますで田島なんたらみたいなのを想像しまいがちではあり、あのような人間なら傷口に塩を練りこんで、永眠する呪いのをかけたくなる気持ちが理解できなくもない。
が、それは罠だ。だれが仕掛けたかはしらん。しかし間違いなく弱者男性とフェミニストが対立しているのを見て爆笑しているやつがいる。弱者を生み出した黒幕が囁いているのだ。女を叩けと公務員を叩けと正社員を叩けと若者を年寄りを、地方を叩けと。
そんな黒幕が本当にいるのかは知らん。しかし弱者を生み出したのはフェミニズムなんていう軟弱で被害者面した奴らの思想ではない。弱者を追い詰めるのはいつだって強者の理論に決まっている。
そもそもこの新自由主義的政策を行ってきた政党が保守政党を名乗る自民党だということを考えてくれ。
ネオリベは保守と手を組みフェミニズムとも手を組み、巧みに姿かたちを変え、鵺のような立ち振る舞いであらゆる人間あらゆるす思想を取り込み吸収していく、よく乾いたスポンジのように。どんな考えを取り入れても新自由主義は歪まない、曲がらない、へこまない。矛盾を起こさない。きっちり辻褄を合わせてみせる、合わせたように振舞える。どんな角度から批判されても、するりとかわしてみせる、それはしなやかな柳をを連想させる。柔軟である。どんな相容れない存在も許容し、あるいはこちら側の色に染めるのだ。
そんな詐欺師のような理論は世界中であらゆる政治的な場面で大活躍だ。八面六臂とはこのことか。
まさに最強の理論。弱肉強食の理論こそが、この複雑な世界をもっともシンプルで、なんの矛盾も間違いもなく見渡せるのだ。誰だって弱肉強食を否定できない。
多面的なあらゆる関係性のなかに生きている俺らが一番最初に気づく真理がこれだ。
これに一枚かまない理由はない。俺もこの理不尽なゼロサムゲームに勝ちのころるために、弱者どもを言葉巧みに操り、被害者のふりをしながら一人ひとり地獄へ突き落としてやろう、そうしよう。
強者に媚びへつらい寄生し弱者からは搾取する。現実をとことんネガティブに捉えれば所詮こんなもんなのだ。開き直って詐欺師にでもなったほうが美味しい飯を食いながら人の不幸でおかわり三杯はいけるだろう。
右翼も左翼も利用して、男と女を対立させ、若者と年寄りを対立させ、日本人と外国人を対立させ、不毛な殴り合いを遥か高みから見下ろすのだ。膝に猫を抱えながら。
そしてどの勢力にも関わり、裏から扇動し、洗脳する。しかしどいつも俺らを批判できない。なぜならどいつもこいつも新自由主義に片足、いや両足つっこんでいるのだから。
フェミニストと新自由主義者が目指す理想郷はまったくの別世界であるが、これからもフェミニズムは利用され。新自由主義のピエロ、もしくはパンダとして消費されるだろう。
安部首相のいう女性の活用とかいう政策はまさにフェミニストと新自由主義者のねじれが引き起こした暗黒面だ。女も男も幸せにならないのだろう。いい気味である。
普段増田のトラックバックには反応しないことにしてるんだけど、
勘違いされているままだと残念なんで、はてブ稼ぎをやめて真面目に書いとくよ。
まず、「アニメ業界の場合を妄想してみる」を書いたのは、cider_kondo さんで、
http://anond.hatelabo.jp/20150429120948
こっちの「残念妄想(というか衒学的自己満足文章)に目が点である。」を書いたのもcider_kondo さんで良いのかな。
http://anond.hatelabo.jp/20150430030805
もし違っていたら、大変申し訳無い。
以下の文章は誤認した文章となり恐らくcider_kondoさんにとって不愉快な文章になると思うので、謝罪しておきます。
id:cider_kondoと明示的に記載するので、大変お手数をおかけいたしますが、不愉快に思われた場合は運営に削除申請をお願いします。
で、
cider_kondo 駄目だこりゃ。「育成コストを負担したのに移籍されたら丸損」(これ業界の人も普通に指摘してる問題点なんだけど)に「金額関係ない」とか意味不明な返しでただの煽りと解釈するほかないな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20150430094552
と、書かれているので、http://anond.hatelabo.jp/20150430094552を、http://anond.hatelabo.jp/20150430000956と、同一増田が書いたと思われていると判断して、以下の文章を書いています。
違います。
cider_kondo 何回でも書くが、現在の動画職は事実上のインターンで1年2年あれば普通は原画職に上がり、収入は倍以上増える。110万というのは訓練中の新人を集中的に集計したようなもの。搾取云々でなく新人育成の不備が課題。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.itmedia.co.jp/news/articles/1504/30/news078.html
凄いタイムリーにコメントされてたのを発見して、ほぼこれに対する反論と同じ内容が、下記延々と細かく続くだけです。
その1年か2年の訓練中の新人に、年間110万円しか払わないのが反社会的です。(倍でも220万円ですが)
そのたった1〜2年を、企業側が年収300万円程度渡せず、なぜ雇用者側が耐えなければならないのか、事実上の労働者と判断された瞬間に崩壊するよ、という話です。
(実例もある。ほぼ全く同じ構造でその名も「インターン」と呼ばれていた日本の研修医は、新しい臨床研修制度で平均給与が250万程度から350万程度へとアップした。なお、この背後も関西医大の研修医過労死訴訟が絡んでる)
(なお、個人的には「倍でも220万円ですが」の背景にある部分がこの問題の本質で、アニメーターは末端だから顕著に出ているだけだと思っています)
「国内アニメーターを活用している」の日本語の不自由さが謎なのだが、「国内に動画工程を残している」という意味か?
『「原画マンになれそうな見込みのある人間を雇って、相場よりも高い給料を払って動画の勉強をさせる」という選択肢はほぼありえない。零細企業の多い制作会社でそれだけの余裕があるところは少数だし、原画を描けるようになったところで独立・移籍されたら単なる丸損である。』
とあるのだが。
前者がYESです。
後者が「その選択肢はありえない」というのが企業目線であって、労働者目線ではないという指摘です。
「原画マンになれそうな見込みのある人間を雇って、相場よりも高い給料を払って動画の勉強をさせる」という選択肢はほぼありえない。零細企業の多い制作会社でそれだけの余裕があるところは少数だし、原画を描けるようになったところで独立・移籍されたら単なる丸損である。また、「生活できない収入しかもらえないからこそ、死にものぐるいで練習して少しでも早く原画に上がれるように努力する」というのがなくなると、「いつまで経っても上達せずにだらだら過ごしてしまう人間」も出る(実話)。
念の為、言葉を置き換えて整理しますが、以下で間違いないでしょうか。
(以降も同じですが、違う場合は、たぶん誤読しているので、その点を指摘頂ければ、その部分は修正します)
ここでは、「相場よりも高い給料を払って」を、元々の増田やcider_kondoさんの単純化に倣って、年収300万円相当としています。
そういう零細企業は、企業としての体をなしていない、つまり、雇用を生み出すという社会的責任を果たしておらず潰れるべきだ、というのが元々の増田の論旨で、私も原則的には賛成です。
現状そうである、と、そういう企業は適切に給与を払うべきである、は別だと考えます。
この記載から、現状の低賃金労働環境でなければ(つまり、年収150万円以下のアニメーターを前提としなければ)国内動画は不可能だと判断されているかと思います。
そして、以後、国内アニメーターは、「原画マン育成のためだけに雇うor雇わない」という話を展開されていると考えました。
私は、それは認識が違うのではないか、既に海外への動画発注の依存度合いはかなり高いのではないかと反論しました。
その上で、「国内動画は海外動画とは簡単に置き換えられないのに、『海外動画と張り合うにはダンピングしか無い』と騙して働かせていないか」と露悪的に表現しました。
現状のアニメーターと、年収300万円相当のアニメーターとで、独立・移籍に対する、ハードルは同じだと考えます。(むしろ上がる)
「企業側から見て」損である、というお話をされているかと思います。
それは、「損」ではなく「違法労働で得をしている」状態の是正ではないか、という点を話そうとしています。
上記引用部からは直接読み取れませんがたぶん「教育コスト分の損をする」というお話ではないでしょうか。
これは、かなり広範囲に適用できる話かと思いますが「企業が教育コストを負担するべきではない」というお話をされていますでしょうか?
アニメ業界だけ、教育コストを負担しないとする理由はなにかありますでしょうか?
(競業避止義務は、通常「事実上、転職元の企業の資産を使って、転職先の企業を有利にする」と判断される場合のみで、肉体労働者やIT技術者等が前職で一般的な技術を得てから転職しても、制約を受けません)
これに対して「奴隷を扱う人間の物言いであり、日本企業として許されるべきではない考え方だ」とは述べました。
特に反論はないので、この点に関しては、余談だったのであろうと思います。
(社会道徳を無視して、アニメ業界のためにシゴキが許容されるとは、cider_kondoさんも考えておられないと思います)
そして、現状の動画の大半が海外発注&動画職の平均年齢&原画な人たちが動画として働いてた期間を見たら、育成・選別過程と解釈する以外あり得ぬ。
「アニメ業界の場合を妄想してみる」の記載とは若干矛盾があるようにも思いますが、現状の「動画の大半が海外発注」という点は、共通認識があると思います。
また、「育成・選別過程と解釈する以外あり得ぬ」という記載から、「国内発注の動画は、原画マンの育成・選別過程である」と考えておられると思いますが、間違いないでしょうか?
(「現状既に少ない原画マンを増やすべく、国内アニメーターを活用している」は、上記の意味で用いています)
この現状であれば、既に採算を度外視して、「教育課程として」国内動画を発注しているという意味になると思いますが、この点に齟齬が有りますか?
これに関しては、2点、違うのではないかと指摘したいです。
20年前ならいざしらず、今でも国内の方がトータルでコントロールしやすいという根拠は何かあるのか? あるなら具体的に教えて欲しい。
具体例は出せません。例えば、海外の方がトータルでコントロールしやすいとする根拠は明示頂けますか?
公開されたインタビューや、公開情報以外では、こういった情報は各方面に迷惑がかかる為、お互いになにか手持ちの情報があってもココには書けないということにはご同意頂けると思いますが。
(9年前でよければ「MUSASHI GUN道」の木下ゆうき監督が韓国のアニメーターとのコミュニケーションに苦労されたとするインタビューが公表されていたかと思います)
動画枚数ではなく、例えば「明確な指示が無くても作業をしてもらえる」等を指して、無茶と言いました。
この点に、おそらくcider_kondoさんと認識に相違があります。
cider_kondoさんは、上記3点を前提とされていると思いますが、違いますか?
私は、1番には同意します。2番と3番には同意できない、という話をしています。
2番に関して、動画は海外発注できるできる部分と、できない部分があると考えています。
つまり、原画と原画を繋ぐだけではなく「本来は原画にすべきもの」をアニメーターが補っている部分がまだあると考えるからです。
こちらは、例示できます。
日本アニメ(ーター)見本市の第6話「西荻窪駅徒歩20分2LDK敷礼2ヶ月ペット不可」の動きは、原画によるものではなく、アニメーターの力量が出ていると考えています。
恐らく韓国発注でも、原画の枚数を増やし密なコミュニケーションを取れば、同じクオリティーのものは出来ると思います。
ただ、上記でまさにcider_kondoさんが書かれている通り、スケジュール管理しきれない現状で、遠隔地と密なコミュニケーションを取るのは難しいのではないか、との指摘でした。
3番に関して、1番との整合を指摘される前に詳細に書きますが、「教育のため」である点は否定しません。
アニメは「原画マン」が命であり、「原画マンになるにはアニメーターは良い勉強になる」点は、その通りだと思います。
そこで、(あまり品はよくありませんでしたが)スタジオジブリが国内生産に拘っていた、業界内では有名な理由を挙げました。
ただし、「教育の為だけに、採算度外視して国内発注しているのではないか」というのは、同意できません。
それは、2番や「無茶」の理由が大きい為、海外に出せない工程として国内が残されている(良いように使われている)と考えるからです。
と書かれていることから、「教育コストを払い、アニメーターとして年収300万円で雇い、原画マンに育てた後、移籍・独立されれば損をする」と考えておられるのではないかと思います。
もしも「国内動画は、採算度外視して、教育のためだけに発注している」としても、それは甘いのではないか、アニメ業界だけ特別にルール整備をする理由は無いと考えます。
なぜなら、独立や移籍をされて困るのであれば、相応の給与を払いメリットを明示し、社に残ってもらうのが一般企業だからです。
例えば、IKEAやUNIQLOが、アルバイトを限定正社員として雇用形態を変えたのは、囲い込みの為だと考えています。
(余談にはなりますが、狭い業界ですので、露骨なヘッドハンティングはあまり横行しないのではないかとも考えていますが、こちらは単なる想像です)
また、独立されるから給与を払いたくない(実質的に雇っているが、最低賃金以下でしか雇わない)のは、法令違反だと考えます。
ただし、「現状誰も何も言わないのに、自ら率先して始めるインセンティブが低い」というのは同意します。
そして、それ(ある日突然、アニメーターを正規雇用しなければならなくなった時)に備えない企業は、その時に潰れるのではないかと述べました。
「アニメーターは原画マンへの教育課程でしか無いので、教育コストを払えないor払っても損する現状では払えない」は、2つの理由から違うのではないかと反論します。
1番を無視して「国内アニメーターが海外動画勢と戦うには、ダンピングしか無い」とするのは、不誠実であると思います。
また、2番に関しては、(私は同意しませんが)cider_kondoさんの言われる「国内動画は教育課程でしか無い」という前提をおいたとしても、給与を払わない理由にはならないと考えています。
cider_kondoさん自身が述べておられますが、20年前ならいざしらず、現状で海外動画発注に完全置き換えできないのは、理由があると言うのはご同意いただけると思います。
cider_kondoさんは、完全置き換えしないのは教育のためだけだと言われますが、その為だとしても、年収300万円を払わない理由にはならないと思います。企業側がアニメーターを育成して原画マンにした後、移籍・独立されてしまえば教育コスト分損をする為、なにか方策を考える必要があるというのはその通りだと思いますが、「だから、アニメーターは教育コストなので、最低賃金も払わない」という、無給の丁稚奉公を肯定する立場は、現在の日本社会では、許されていないと考えます(単に司法が見逃しているだけ)。
「適正な賃金を払うと、零細企業が潰れてしまう」と言うのは、ブラック企業擁護でよく見る意見ですが、それは間違っていると考えます。
そして、私は教育のためだけではないと思いますし、そうであるならば尚更、適切な賃金が払われるべきだと思います。
その後も酷い。補助金(普通は農業関係より伝統芸能を引き合いに出す文脈の方が多いのだが、それらが国防に関係あるとでも?)とか
「伝統芸能を引き合いに出す文脈の方が多い」根拠を出せますか。
酪農や畜産を参考にしたらいい。本来なら潰れてる業界を関税や補助金で守ってる例なんていくらでもある。補助金漬けになったら駄作しか生まれなくなる気もするけど。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20150429120948
私は、上記のコメントやTwitterのコメントを幾つも貼れますが。
ソフトパワーって知らんのかとか
ジョセフ・ナイが提示した「ハード・パワー」の対義的な概念としての「ソフト・パワー」であれば、簡単には知っています。
そもそも元記事が女性に対する偏見と「女性に相手にされない自分」という被害妄想に彩られていて、
受け身で居ることが許されず、口説いた相手に拒否されるリスクを男性だけが一方的に負わされているのが、「男性性役割」であり、「男性差別」の一つなのだと思う。
という「差別」という言葉の拡大解釈から始まっているのでどうしようもないんだけど、この記事に対して自分が
id:Red-Cometとid:fuyu77は普通に差別主義なんですが。選択的"差別主義者の詭弁"に優しいはてなーの知的レベル
というidコールを受けた。
ところが自分には、自分が差別主義者呼ばわりされる理由が全く分からなかった。
例えば一人の女性が居る。そしてAとBという二人の男がいる。問題を単純化するために、男たちはどちらも顔は並レベル、収入も同年代の平均的なランクであるとしよう。そして二人とも、彼女に対して恋心を抱いている。ひとつ違うのは、Aは彼女を口説くのだけど、Bは遠くから見つめているだけで何もしない、ということだ。
この場合に彼女がAを選ばずにBを選ぶということがありうるだろうか。
物理的にありえない。言われなければ好意を持たれているかどうかすら分からない。そんな男をエスパーのように感じ取って愛せというのだろうか。
それを「差別」だと彼は言う。
だけどよく考えてみると、Bに近い男性はそう思うのだろうと分かった。
振られるリスクを背負うことができるAと、リスクを背負うことが出来ないB。言ってみればBは社会的な不具であって、障害者手当的なものを受給すべき存在である、という主張なのだとわたしは理解した。
車いすの方が入りやすいように出入口にスロープを設けるように、非モテに対しても恋愛のバリアフリー化しなければならない、そういうことを言いたいんじゃないだろうかと想像した。
ぼくたちは好きな女性ができたならば、彼女のために何ができるかを考え、喜んでもらうことを行い、そうして彼女からの承認を受けるわけだけど、それは例えばある種の鳥がダンスを踊ってメスを誘うような本能的な行動であって、特に何の特殊技能も必要なく行えることだと思い込んでいる(そうでなければこれほど多くの人が恋愛を成就させているだろうか)。
だから、生まれつきそのような能力が欠如している人が存在することなど思いもよらず、「本人の努力不足だ」とか「勇気がない」などと切り捨ててきたわけだ。確かにこれは「差別」である。体の不具ならば目で見えるけれど、心の不具は目に見えないばかりにさらに根が深い問題なのだと気付かされた。
というブコメに対する、id:nt46からの回答がよく分からなかった。
id:Red-Comet それを選択しなければならないことが、それが差別かどうかだということが、おかしいとわかりませんか?
「それ」を「選択しなければならない」とはどういうことだろうか。誰に選択を強制されているのだろう。社会に?
そもそも女性には選ぶ権利があって、より好ましいと思う男性に惹かれるべきであろう。それが自由意志というものであって、女性に対する差別主義者ではないわたしはそれを尊重したいと思う。
だけどその自由意志を「それは社会に強制されて、そのような判断を行うようになったものだ。本来なら非コミュを愛さなければならない」と主張するのは過激すぎてゾッとしてしまう。「ここにイケメンとブサメンがいる、イケメンを選ぶのはブサメン差別だ!」というわけだ。ちょっとそれは、非モテをこじらせすぎているんじゃないだろうか。女性というものを、奴隷のように好まぬ主人に仕える存在だと思っているのだろうか。
ちなみに『異性をモノのように捉える理由について』と『優劣談義と集団への屈従を好む男性の性質について』については論ずる価値がないので触れないつもりでいたのだが、もしかしたら「恋愛不具の男性だから」女性をモノとして見てしまうのかなあとは思った。
ただこれはこちらの誤解かもしれない。ブコメでは短文過ぎて、わたしの読解力では真意を読み取ることができなかったので、id:nt46は増田で補足して欲しい。
あと、id:inukororiのブコメにはちょっと笑った。
合理的な選択が差別でないかのような主張はいただけないなあ。//たとえば、ろくでもない奴が混じってる可能性が高い部落出身者を排除するのは企業の採用担当にとって合理的だよね。
人を差別主義者だと断じる奴が一番の差別主義者であるという好例。いまのところid:nt46もその仲間のように思えているけど、本当のところはどうなのかな?
デートのイニシアティブを早くとらない男性を「情けない男」と呼び、デートのイニシアティブがあまりにも早く行われれば「レイプ犯」とその男性を呼び、彼がうまく引っ張ってくれない場合「最低な男」と呼ぶ。
この文章が、恋愛について受け身な人の嫌な点を非常に的確に表現していると思った。
鶉まどかさんのブログに出てくる「クラッシャられ男子」は、男子だから情けなくて最低と評されるのであって、女子だったら許されているのが現状だ。そこそこ可愛い女子に生まれて愛想も良ければ、クラッシャられ男子レベルの受け身ぶりでも、口説かれて結婚して子供を産んで…と、ドロップアウトせずに人生の王道を歩み続けることが出来る。
受け身で居ることが許されず、口説いた相手に拒否されるリスクを男性だけが一方的に負わされているのが、「男性性役割」であり、「男性差別」の一つなのだと思う。一方的にリスクを負わされていることに気づき、不平等な関係から降りたのが「草食男子」なのかもしれない。既得権は、得ている側は気づかないものなので、「草食男子」という降りた存在が現れたことで、女性が既得権を失う可能性が初めて可視化されたのではないだろうか。
しかしこれからも、「待ちの姿勢で居る高嶺の花的な美貌の女性と、その女性を捨て身の献身でもって落とした男性」のストーリーは男女の恋愛における憧れの対象として語られ続けはすると思う。フィクションだけではなく、芸能人の結婚話などで定期的に実話が投下されるとも思う。男性が「美貌の女性」に憧れる限り、女性が「捨て身の献身」に憧れる限り、そうしたストーリーの人気は続くだろう。しかし「美」も「献身」も希少であり、非常に高い価値を持ち、凡人には手が届かないものだ。簡単に手が届くという勘違いは、その人にとっての「世界」を「敵」に変える。凡庸な多くの人々にとっては、メジャーリーグやセリエA、オリンピックを観るような気持ちで、遠巻きに憧れの視線を送る程度がちょうど良いのだと思う。
個人的な拒絶を引き受けるよりもむしろ、若い男性は女性をセックスのための物として見るように変えることを学ぶ───物に拒絶された方が彼はあまり傷つけられずにすむ。物として扱われることは彼女に疎外感を与え、拒絶されることは彼に痛みと怒りと弱さを感じさせる。
「男性は女性を物のように扱う加害者で悪人で絶対的強者」という一方的な認識に一石を投じる解釈だと思う。
女性を物のように捉えることは、拒否されるリスクを男性だけが一方的に負わされ、そうした社会は変えられないという現状に対する、個人的な適応なのだ。夫に傷つけられ失望しきった妻の心が麻痺し、夫がATMにしか見えなくなるのも、一種の精神的な適応であると思う。非人間的な考え方の根源には、これ以上傷つくことを恐れるという人間的な理由がある。「だから女は肉便器、男はATMという考え方は正しい」と言いたいのではない。人間関係の問題を解決に向かわせるためには、加害者批判に終始するのではなく、加害者理解が必要なのだと言いたい。
男性は女性を性的に拒否すべきではないという強い規範も存在する。女性が幼い男性を強姦するケースもあるが、笑い話やポルノ的消費で片付けられてしまいがちだ。女性ストーカーに怯える男性も「男らしくない」と罵倒される始末で、男性被害者こそセカンドレイプに晒され続けている。男性がセカンドレイプに晒されることを当たり前と考えていると、女性をセカンドレイプに晒すことも当たり前になる。セカンドレイプの悪質さに、被害者が女性か男性かということは、一切関係が無い。
第二次世界大戦における日本人男性は、「武士道」の訓練をまだ受けていた。「武士道」は、屈従の方法であったので日本の軍人は、進んで天皇および祖先のために死んだ。死以外に勝利への代替方法は許されないと考えるように彼は訓練を受けた。神風特攻隊は、「武士道」、すなわち「他者」への総合的な奴隷になる道の結果である。
『男性権力の神話』には、これまで男性がいかに危険な仕事に従事し、いかに使い捨てにされ、いかに国家に殺されてきたかという話が繰り返し出てくる。若い男性の労働力や命を、「名誉」を餌にして権力者が根こそぎ収奪して富を得ている構造がある。現在も「生活保護という不名誉」から逃れるために過酷な労働をしている男性が数多く居る。「他者」への総合的な奴隷、というのは上手い表現であると思う。
歴史を振り返るに、女性よりも男性の方が、よほど従属的だ。発言や態度が挑発的であったとしても、実際の行動が集団に従属的なのである。最近、男性が従属的で自尊心が低そうに「見える」女性を好むのは、支配欲というよりも共感なのではないだろうかと思う。男性向けの創作で、巨乳の存在に萎縮する貧乳が描かれたりするが、「優れた同性」の存在にやたらと萎縮する傾向は、女性より男性の方が、実際には強いと思われる。身体的な特徴を優劣・上下の関係に単純化したがる傾向は男性によくみられる。強さ議論が好きであり、劣ったものを侮蔑することを好む。男性の自殺が多い原因もここなのではないかと思っている。これが男女の器質的な違いによるものなのか、社会的な扱いの違いによるものなのか、あるいはその両方なのかは、専門家ではないのでわからない。しかし男性は「男は強くあらねばならない」と考えているため、自分が弱者・被害者の立場だったとしてもその事実を受け入れられず、強者・収奪者の価値観を内面化し、「収奪の社会構造を肯定する弱者」となってしまいやすいのではないかと個人的に思う。その結果が「喜んで徴兵される」「経済的に失敗したので自殺する」などの、集団に屈従した行動ではないか。
性的少数派である「ゲイ」と「ロリコン・ショタコン」の違い http://anond.hatelabo.jp/20150128232843
ジェンダー論者による「モテるヒント」 http://anond.hatelabo.jp/20150129001630
男女の人権と欲求と差別と、遠い未来についての思考メモ http://anond.hatelabo.jp/20150125162654
車を持っている「だけ」で便利になるってことはあり得ない。
車を持って便利になるってのはその社会や設備が車を持ってると便利になるように設計されてるからなんだよ。郊外型のショッピングモールとかがその最たるものだね。
全く同じように、車をもたないでも便利に暮らせるってのはその社会や設備がそのように設計されてるからだ。緻密な地下鉄ネットワークとかスモールシティとかがそうだ。
車型のライフスタイルは、車型の社会や施設や地域を必要とするし、非車型のライフスタイルはそういう社会や施設や地域を必要とする。
ある地域(例えば田舎)は前者だから、全員から一定の金額を吸い上げて、そういう社会づくりを目指す。この金額っていうのは税金に限らず、例えばモノの価格なんかにも転嫁される。大型ショッピングモールの価格には広大な駐車場管理費などが反映されてる(駅前に店舗を立てるよりも街道沿いの大きな土地のほうが安いため、転嫁後も安くなるということはあり得るけど、反映されているというのがここでの論旨)。んで、この郊外型社会において、車を持たずに生活する人(たとえばショッピングモールの隣に住んでるとか)は、価格面では不必要な負担をしていることになる。彼にとっては駐車場は不必要だけど価格は考慮してくれない。
単純化すればそれだけなんだ。
「自分の住んでいる地域や社会において、自分が多数派か少数派か?」 これは地域と車属性によって反転する。
「自分の住んでる地域や社会において多数派は益を受け、少数派は負担をうける」 ってだけ。
いま、日本は少子化、人口減、人口の都市部集中などの「以前とは違うさまざまな波」がきて状況が変わってきている。かつて多数派だったものでも、今後多数派であるとは限らない(移り変わるとしてすでに予告されている)。
「車を持つほうが有利か」「車を持たないほうが有利か」そんな問いの答えも、地域ごとにも違うし、あるひとつの地域にしたって今後10年でガラッと変わる可能性が高い。
車の有無っていうのは皮相でミクロな問いであって、地域デザインが今どうであるのか? 今後どうすべきなのか? ってのが問うべきものだと思う。
「例を出したら負け」といっても本当にそこで敗北するわけではないので、これは「なるべく例を使わない方がいいよ」という主張をより単純化・誇張した例で表したものですね
よって『きちんと綺麗に説明』せず、『楽をして』例を出した君の負け!