「あらゆる物事は単純化できる」という考えの人は驚くほど多い.各種コメント等を眺めるとそう思う.
宗教や人種等に全てを帰着させる陰謀論はその最たるものだが,「一言で説明して」といった要求等の根底にはおそらくこのような考えが存在する.
もちろん,単純化できる事象は数多く存在する.そして,短くて済むのであれば短い方が良いのは道理だ.
で,このことを学問的に理解するのに,計算量の概念を持ち出すといいのではと思いついた.
クラスP≠NPの場合,NP困難に属する問題であることを証明すれば,その問題は最悪の場合効率的には解けないことが保障される.
http://www.asahi.com/articles/ASHD15H4PHD1UTIL03D.html
文部科学省は1日、年間約54万円の国立大学授業料について、2031年度には93万円程度に上がるという試算を示した。大学の収入の核となる国の運営費交付金が大幅に減らされる可能性があり、大学が減らなければ、授業料で減収分を賄う必要性があるという。
これは財務省が運営費交付金を減らすというという方針を打ち出し,文科省がその際の対応として提示した試算だ.言い換えると,運営交付金というパイの大きさは決まっていて,大学が増えたからパイの割り当てが無くなった.だから授業料で補填するという理論だ.この論が妥当であるのかを検証してみたい.
なお,大学は国立,公立,私立に三分されるが,文科省の「公立大学の財政」
http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/kouritsu/detail/1284531.htm
によれば公立大学への国からの支援は廃止され,今は競争的資金によって支援をしており,その額は2013年時点で30億円であり交付金の額に対しては無視できるほど小さいため,ここでは国立大学と私立大学のみを分析の対象とする.
経常経費は2004年時点で23,622億円,2008年時点で26,171億円と増えているが,交付金は2004年時点で11,655億円,2008年時点で11,318億円と減っている.
なお,交付金の経常経費に対する割合は2008年時点で43.2%.
私立大学の主たる財源は「学生生徒等納付金」,つまり学費であり
2008年時点では全体の76.5%,総額にして24,791億円.
このスライドのグラフからは経常経費と補助金額値が読めないので
http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shinkou/07021403/002/001/002.htm
を参照すると,2004年時点の経費総額は2004年時点で27,439億円,2007年時点で29,426億円と増えているが,2004年時点の国からの補助費用は2004年時点で3,262億円,2007年時点で3,280億円と微増している.
国からの補助金額の経常経費に対する割合は2007年時点で11.1%.
次に「学校基本調査 年次統計 9 大学の学校数、在籍者数、教職員数(昭和23年~)」
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001015843
1999年には99校だったのが,2015年には86校にまで減っている.
比較のため,前述の期間に絞ると2004年時点で87校,2008年時点で86校とほぼ変わっていない.
1999年には457校だったのが,2015年には604校にまで増えている.
比較のため,前述の期間に絞っても2004年時点で542校,2007年時点で580校と大幅に増えている.
運営交付金が減額されるのであれば学費値上げで補填するということだが,経常経費に占める補助額の割合は国立大学では4割強,私立大は約1割なので,当然国立大の方がダメージが大きい.負担を考えると私立大への補助額を減らし,そこから補填するのがまず先ではないだろうか.
もちろん,運営交付金の額を減額する代わりに他分野から補填できる方が望ましい.
そもそも少子化と言われている時代に私立大学数が1.3倍にもなっていることも気になった.
「国公私立大学の財政の状況」を見ればわかるが,交付金の配分は旧帝大などの大学に重点的に行われている.
詳しくは学生数を見る必要があるが,「トップ大学を優遇してさらに伸ばし,牽引させる」ということなのだろう.
この傾向は「スーパーグローバル大学」に象徴されるように益々強くなっているため,
トップ大学以外への風当たり,及び在籍する学生の負担はどんどん高まるだろう.
正常な民主主義は,代表者を選出する投票者がまともな判断が出来てこそ成り立つ.
L型大学とG型大学のような優秀な人のみを伸ばし,後は就職しろという論理は大多数の投票者の教育をないがしろにすることであり,反対である.
Web上から断片的な記録をかき集めより高次の情報として昇華させるためには,技術と時間が必要だ。
しかし,炎上時にはあっという間に情報が出揃う。なぜこのようなことが可能かというと,群衆が相手になるからだ。
小数では困難でも,多数の人が力を合わせれば可能になる。
例え理路整然と反論しても,納得して戈を収めるのは極一部で,「なんだその態度は」「本当に反省しているのか」という燃料になりかねない。
また,炎上の参加者が全ての情報を把握して参加しているわけでは決してない。
仮に反論が正当だったとしても,全ての人が反論を見てから炎上に参加するわけではない。自己言及的だが,炎上の参加者は叩けるから叩いている。
従って炎上に対する最も基本的な対策は,速やかに謝罪し,一切の反論をしないことである。嵐はいずれ過ぎ去る。
大学に籍を置く者として「大学での学びは社会に出てから役に立たねーよなー!」という論調には納得できるような理由をもって反論したい。
G型L型という話は心底見当違いだと思うが,教育を疎かにするとゆくゆくは国が衰退しますぞー!という反論では耳を傾けて貰えない。
直感的には何を学んだかではなく,学び方を学ぶことが重要なんだろうと漠然と考えていたが,最近の経験から具体的な話を思いついた。
大学での学びにおいて,卒業研究は重要な役割を果たしていると思うが,その中でも先行研究の調査法を学ぶことに着目したい。
研究とは新たな何かを発見することであるのなら,どこまでが既にあるのか,すなわち先行研究を調べることは絶対に必要な技能だ。
社会に出てから真に新しいことをするということは実はかなりのレアケースで,世界規模のマクロな視点で見ると既に似たようなことが行われているということがほとんどだ。
すなわち,それらを探し出し,理解する技術を身に着けることができれば,仕事の効率も非常によくなる。
例を挙げると,「○○のようなシステムを作りたいんです!」という相談を受けることが最近多い。詳細は伏せる。
しかし,「○○のようなシステム」は実は既に存在するということが多く,さらに言えばその分野を専攻する学生であれば1年次にでも教わるようなもの,ということすらある。
おそらく,何も調べてないか,調べ方が変なのだろうと推測している。もう少し踏み込んで言うと,社会に出てから調べ方を学ぶことは難しいのだろう。
しかし,卒業研究に本気で取り組んでいれば,この程度の調査能力は身に付けられると確信している。
車輪の再発明をしないためにも,卒業研究を通じて先行研究の調査法を学ぶことは非常に重要なのだろう。
まあ,学内発表を見ていても新規性・有効性を十分に満たしていると言える卒業研究は少数派に属するというのが現状なのだが。
出来る人は出来るし出来ない人は出来ない論だと話が進まないので,
制度化して,最低限名目上は大学であればどこでも取り組むという提案。
例えば,
を行うといいんじゃないかと思った。後者については大学版学習指導要領的なイメージ。
教員側でトップダウンに通達されて,教員会議でたまーに認識の確認を行うくらいが限界かな。
どうせFDなんか出席率悪いし。
問題視しているのはそもそも真面目に指導されたいと思っていない学生,
しようと思っていない教員が多いのではないかということ。
大学の役割として重要なんですというロジックを組み立てて,さらに制度化した上で
やらない人が出た場合,その人に関してはもう諦めるしかないと思っている。
制度に改善の余地は常に存在するだろうけれど,道端に撒かれた種は芽吹かない。
教員以外からのアプローチであれば,例えば大学図書館における利用者教育,
特にオリエンテーションは有効だと思うのだけれど,学部1年のときは舞い上がっている人が多かったり,
http://gogotsu.com/archives/12395
配信でお互いに煽りあい,最終的には片方がもう片方の家にバールを持って殴り込んだ件。
全てが理解できない。どのような論理でこのような配信をし,そして視聴しているのだろうか。
陳腐な例えだけれどブラックラグーン日本編の殴り殴られるチンピラと,
サイコパス1期の公衆の面前で人を殺し,それを取り巻く様子が思い起こされた。
色々悩んで考えた理由が「承認欲求の際限ない高まり」なのだが,そのような理由でここまで人はアホになれるのだろうか。
幸いにしてそのような文化とはこれまで関わり合いになったことがないのだが,全く理解できないので怖気立つ。
金になるから過激なことをする,という論理は分からなくもない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AB%E3%82%B9
しかし,配信の場合はその数から「嫌なら見るな」という論理が強くあるため,
大炎上した後に精々アカウントが停止されるくらいで基本的にペナルティはない。
従って,見る人がいる限りこのような事例は起き続けるだろう。
高額な本をAmazon等を利用し流通させているようにみせかけた上で
国立図書館に納本し,代償金をせしめているのではないかという問題について。
http://www.ndl.go.jp/jp/aboutus/deposit/preservation.html
納入される資料は「毎週」1万点以上であり,どう考えても精査は不可能です。
また、出版点数が少ない学術書などで定価が万を超えることはザラであり,
http://www.ndl.go.jp/jp/aboutus/deposit/qa05.html
「社史・団体史等の自費出版でも、相当の部数を作成し配布されているものは納本の対象」という規定が既にあります。
具体的な数字を決めてしまうのは柔軟な運用を困難にするため,このような改善は不可能であると考えられます。
http://www.ndl.go.jp/jp/aboutus/deposit/qa05.html
「ホチキス止めなど簡易綴じのもの、広く一般に公開することに支障があるものなどは、納本の対象とはなりません」とあるように,
同人誌であれば,ISBNを全てに振っている暗黒通信団の資料があるということは有名です。
国立国会図書館の使命は,国内外の資料・情報を広く収集することです。
罰則があるにも関わらず,大手出版社であっても納本されていない資料というのは
資料が集まらなくなるようにする方針は前述の使命と反しており,そうできるものでもありません。
そもそも現時点でも納入漏れが多く,督促事務に多くのコストが割かれているのが現状です。
自分が好んで参加するイベントと,国による納本は同じレベルで語れるものではありません。
「国による搾取だ」といった反発が頻発することが容易に推測できます。
当該の出版社に支払った金額の返還を求めるという」という方針はあるそうです。
周りの凸によって当該者が根をあげるかどうかが肝とは考えられます。