はてなキーワード: 単純化とは
東京在住の30代男だがアルコール依存の治療開始から六ヶ月が経過し、一定の回復をしたのでその過程を記録してみたい。
γ-GTP 589→69 AST 84→31 ALT 106→68 TG 1015→178
まで回復した。
数字で言われても大多数の人はさっぱりわからないだろうから単純化すると入院レベルの人間がとりあえず正常な体になったと思ってもらえればいい。
さて多くの文章がそうであるように、大抵の人は最後まで読まないだろうから最初に自分なりのこの文章の結論を書いておくと
「アルコール依存から抜け出したいのなら自分の抱えた問題(アルコールに限らない)を率直に話す事ができる相性が良く優秀な精神科医を見つけ、よく話し合いながら治療を進めるといい。ただそれがあなたの人生を良くするかはわからない」という身も蓋もないものになる。できることなら「まだアルコールで消耗してるの?」「アル中は精神で克服できる」とか頭の沸いた自己啓発本でも出して一儲けしたい所ではあるが、残念ながら現実というやつは概ね散文的で面白みがない。
確かに肉体の調子は非常にいい。自分という存在からここまで充実感を感じ取れる日が来るとは思わなかった。
アルコール依存を抜けだした僕自身が未だに「抜けだしたのは良かった事だろうか?」と自問自答を続けている。だから他者に断酒を勧めたりはしない。この文はあくまでひとりのとあるアル中の回復記録として、参考程度に読んで頂ければ幸いです。
まずこの文章を書くにあたって自分がかかっていたアル中の定義をしておきたい。アル中は貧乏旅行なんかと一緒でγ-GTPの高さでマウンティングする人もいるし、wikiなんかでも色々と書かれているが、自分の場合は「アルコールによってQOLが下がっている」というシンプルなものにする。世間のアル中のイメージは吾妻ひでおのマンガのように連続飲酒をし、手が震え、幻覚をみたり暴れたりしている人のイメージが強い。
しかし自分はそれとは全く異なるタイプだったので自身がアル中であるという自覚すらなかった。仕事に普通に行き、帰宅するとビールの500ml缶を一日6~8缶淡々と飲み、翌日二日酔いで仕事へ行く、という事を繰り返していて入院レベルまでいった(似たような壊れ方をする小説の人物からとってユージーン型と呼んでいる)。世の中には様々な不幸な家庭があるようにアル中にも様々なタイプがある。
20代の半ばから不眠に伴う飲酒量の増加により、何件か精神科に通っていたが、自身の抱えた問題を率直に打ち明けられる医師に中々巡りあうことは出来なかった。
マッチョイストだのミソジニストだの差別主義者の豚野郎と言われればそのとおりなのだが、性格的にどうしても同年代の医師や、女性の医師に悩みを打ち明けられなかった。基本的に精神科医は患者の情報を当人の発言から得る部分が多いので、深刻な問題を抱えていても話せないとどんな名医でも対処が難しいのではないだろうか。
今回僕は精神科に通い始めてから八人目の精神科医の先生であたりを引いたわけだが、もし相性が悪いと思ったら拘泥せず別の医師を頼った方がいいのではないかと思う。
この先生は四十代半ばの男性で学校教師を経て精神科医になった異色の経歴の持ち主で、僕よりも遥かに精神的な地獄を抱えているが、持ち前の頭の良さでそんな自分にすら醒めているような超然とした空気をもった人で非常に問題を話しやすくてありがたかった。
■基本戦略
とりあえず入院は拒否し、通院で治療を選択。基本戦略は抗酒剤シアナミドの服用により飲酒の可能性自体を排除、アルコールに対する身体的な欲求は断酒補助剤レグテクトで抑える、いままでアルコールに頼って来た睡眠は睡眠導入剤で、アルコールでごまかして来た精神面の色々は精神科でぶちまけつつストレスを減らし、抗不安薬で抑えるというスタンスを取った。そしてこれらでどうしようもなくなった時は先生から勧められたレボトミンを飲んで長時間寝倒す「寝逃げ」を行っていた。これも自分の置かれた状況から選択したものなので、人によってはちゃっちゃと入院して治した方がいい場合もあると思う。
■登場薬品について
これも精神科医同様相性によって全く評価が変わるので自分に合っていたものを挙げるが、これらの評価は全て自分の体感だし、当然の事ながらそれが他の人の適解であるとは言えない。シアナミドにしてもアレルギーによって服用できない人はいるらしいし。とりあえず相性が悪いと思ったら我慢せず、状況を報告できるような関係を築けるような人を担当医として選ぶといいと思う。
本編の主役にして宿敵
一応は由緒正しい歴史を持つ薬でもある。精神、肉体両面に凶悪な依存症を持ちながらもコンビニ行けば変えてしまう恐ろしいドラッグ。歴史上の薬物による死の統計をとれたらヘロインコカインなんぞ足元にも及ばないぶっちぎりのトップになるだろうが、同時に文化的な面やコントロールできる人にとっては素晴らしく、評価が難しい方。政治家でいうならロバート・ムガベとかだろうか。自分は後述のゆれ戻しの時にアルコールが自分の肉体と精神を徐々に蝕む代償としてどれだけ精神深くの暗黒から目をそらさせてくれたかに気づかされたので愛憎半ばしている。
抗酒剤
簡単に言ってしまえば人を強制的に超下戸にする無味無臭の液体の薬。持続時間は人によって異なるが朝夕食時の一日二回の服用が基本。アルコールを飲むという選択肢自体をなくしてしまうので自分のような意思の弱い人間には非常にありがたい薬だった。僕の場合、仕事の後の飲酒欲求が強いので二度目の服用はまだ気力のある15時にしていた。懲罰効果によって飲酒を止める薬である以上、罰がどの程度の効果かわかりたかったので一度7時に服用した後、15時にビール1Lを入れてみた。効果は覿面で、悪寒、動悸が早くなる、湿疹、なにより全身の細胞が一斉に反逆を起こしたような気持ちの悪さで立ち上がる事すらできなくなり嘔吐をぶちまけた。寄生獣の後藤の最期の気分や喧嘩稼業で梶原さんに屍を入れられた工藤の気分を味わいたい人はやってみるといいかも。死んでも知らないけど。
脳に作用し、アルコール依存で高まっている神経活動を抑制することで「飲みたい」という飲酒欲求をおさえるお薬との事。初期は有り難みを感じなかったが、二ヶ月目くらいから地味に効果を自覚。なんだかんだで大変役に立ってくれていた。地味だけど。
影の主役。元々不眠からアルコール依存になった人間なので飲めば確実に眠れる安心感は何にも変え難かった。先述したように薬は人それぞれ相性があるが、以前の別の精神科で処方されていたマイスリーよりもこちらの方が朝、遥かに快適に目覚められた。
本来は向精神薬だが、睡眠導入剤の効き目を強くする効能もある。自分は、先述した「寝逃げ」用にサイレースと一緒に服用していた。その効果は絶大で昼に飲んでも落ちるように眠り、翌朝まで目を覚まさなかった。ただし朝のダルさと眠気が非常につらく、飲酒欲求が高まりすぎた時や、ネガティブな精神状態に呑まれそうなとき、そして翌日が休日である時意外はなるべく服用しないようにした。
・ホリゾン
一番軽度の抗不安薬。事務作業などに与える影響はほぼなし。自分はボクシングのジャブのように「とりあえずホリゾン」な感じの基本として使っていた。メタルギアソリットで狙撃時の手の震えを抑える為に出てきたアイテムのジアザパムでもある。
やや強めのお薬。事務作業においては能率が約20%低下する印象。
かなり強めのお薬。事務作業の能率に関しては50%以上低下する印象なので特に精神的につらい時、仕事終了後に服用していた。
■治療記録
最初に断酒補助剤のレグテクトによる治療を試みるも、精神依存が酷かった為にあまり効果が感じられず失敗。一週間目でシアナミドを処方してもらう。使用開始から三日間は常に頭の中身を酒が占めているような状態だったが、「飲む」という選択肢自体がなくなっている為に飲まずにいられた。ちなみに肉体的なアルコールへの依存は断酒から三日目で、精神的な依存は約三週間である程度消えた。この時期は全ての気力を「酒を飲まない」につぎ込んでいたので基本食事は外食、もし家で食事する時は洗う手間を省く為に使い捨ての紙皿を使うなどして乗り切った。バランスのとれた食生活なんてする気力も残っていなかったがとりあえず楽に摂取できるリンゴやキウイなんかは食べるようにしていた、
・第二期(一ヶ月目~二ヶ月目)
断酒の継続により心身ともに調子が良くなり、ハイになる。この時期は今思い返すと穴に入りたい気持ちになるが、友人に酒のない生活の素晴らしさをドヤ顔で語りウザがられていた。定期的な飲酒欲求はあったもののレグテクトと気力で無事やり過ごすことができた。代わりといってはなんだが、甘いものに対する渇望が極めて強くなり、体重はそれなりに増加した。
・第三期(二ヶ月目~三ヶ月目)
NHKの集金のように頼まれもしないのにある日唐突に今までとは比較にならない負の感情が襲ってきた。ハイになっていた揺れ戻しと精神にかかっていた霧のようなものが晴れた事で自分のアル中になった根本の原因である「家族への憎悪」がどれだけ強烈だったを自覚する。全て投げ出してアル中に戻ってしまいたい誘惑に何度も飲み込まれかけた。もし家族ブチ殺しても罪にならない世界だったら本当に殺しかねなかったと思う。この時期はいままで週1ペースだった通院が最大で週3になり、薬の量も増え、診療時間中ずっと先生に対して家族への憎しみをぶちまけ続けていた。王様の耳はロバの耳ではないが、この時期の先生のサポートがなければアル中に戻るか、ムショ行きにでもなっていたかもしれない。アル中からの回復は三ヶ月がひとつの山らしいが、とにかくこの時期は本当につらかった。
・第四期(三ヶ月目~四ヶ月目)
揺れ戻しが終わったのか精神面の憎悪は小康状態に落ち着きある程度楽になるが今度は代わりに虚無感が強くなり、「なんで自分はさっさと対策をとらずこんなに人生を無駄使いをしていたのか」といった大量の「たられば」 に捕らわれることが多くなり、第三期ほどではないが飲酒欲求が高まるときは多かった。通院はほぼ週一に戻ったが、今度は先生に対して「たられば」の話ばかりしていた記憶がある。ただ小旅行をする気力くらいは戻ったので休日は鎌倉に行って観光するでもなくひたすら海を眺めていたりした。
・第五期(四ヶ月目~六ヶ月目)
「たられば」状態が少し落ち着いてきて気力もある程度戻った事もあり、これまでは考えもしなかったペットを飼うという選択肢を思いつく。僕個人に関してはこの選択はとても正解で、無聊が大分慰められ、大いに助けてもらった。自分のような一人で夜を過ごす時間をもてあますタイプには犬や猫、小動物でも爬虫類でもなんでもいいが、余計な事を考える時間を減らせる存在は大事なのかも知れない。そして大分生活も落ち着くようになった。家族への憎悪も「できるなら殺してやりたい」から夜寝る前に朝起きたら携帯に警察から「あなたのご家族がみんな死にました」という連絡が入ってくれますようにと願う程度には整理された。体調に関しては非常に良く、生活も充実している。時折強烈な負の感情が出てきているがなんとかやり過ごしつつ今にいたる。
■まとめ
アル中を回復して以来、めんどうくせえ事に友人知人に「アル中の事ならあいつに聞くといいよ」な感じで広められ、たいした面識もない人から相談を受けるようになったが、正直言ってこちらに言える事なんぞ冒頭に書いた「アルコール依存から抜け出したいのなら自分の抱えた問題(アルコールに限らない)を率直に話す事ができる相性が良く優秀な精神科医を見つけ、よく話し合いながら治療を進めるといい。ただそれがあなたの人生を良くするかはわからない」 という結論くらいしかない。世の中には「アルコールに逃げるのなんで心が弱い証拠、他人のせいにせず自分の人生を見つめなおし、責任は自分自身で追うべき」なこの糞馬鹿はよほどおめでたい人生を生きてきたんだろうなと思わせてくれる発言をかましてくれる人もいるが、もし自分の人生に率直に向き合ったら他殺や自殺に行く人間なんざざらにいると思し、その人の人生に責任を負うことも自分にはできないので積極的にお勧めはしない。自分に関しても肉体は問題なく健康になったが、精神面に関しては断酒前には起きることがなかった唐突に強烈な憎悪がとまらなくなるという事態が未だにある。ただ、自分が家族に全く愛情を感じた事がなく、憎悪しか持っていなかったという事に気づけたのは自尊感情の回復に非常に役にたってくれたし、これからの自分の人生にとって何よりの収穫であったとは思う。とりあえず、アル中から回復したいと考える人々がいい医師に出会え、回復して楽しく人生を送れるようになってくれるよう元アル中の一人として願っています。長文にお付き合いありがとうございました。
■おまけ
読んだ本
「禁煙メソッド」でも有名なアレン・カーによる著作。もの凄く端折ると「酒は凶悪なドラッグなのだから自己管理するなんて無理。味が美味しいと思うのも広告会社の宣伝やら依存症状によりそう思っているだけ。断酒の禁断症状なんて少し耐えれば治ります。さっさとやめましょう」というある種の極論。周りにもこれを読んですっぱり酒を断ち切った人がいたが、その人は肉体的な依存はあっても精神面には深刻なトラブルを抱えていない、というかむしろ鋼鉄のメンタルを持った人だったので、そういう人には役に立つ本かもしれない。ただ精神面に問題がある自分のような人間にとって、医師に頼らずこれ読んで一人の力でで禁酒しようとすると、第三期の時のような強烈な揺れ戻しの時にいささかならずやばいことになるのではないかと思う。
俺が少数派なのかもしれないけど、
「なんでそっちに行くかな」という傾向が散見されるので吐き出しとく。
2作や3作なら別にいんだけど、
やたら出るんだわこれ。
そして、これを出されるのって、俺的には全然嬉しくない。
何が問題か、もう少し詳しく述べる。
「アイテムボックス」については、どれだけ便利かは誰にでも判るだろう。
・金華銀貨入れ放題。
・モンスターの「素材」入れ放題。
・戦利品入れ放題。
ご丁寧にも、「中に入っている物は腐らない」とかいうオプション付きの作品もある。
物凄くファイナルファンタジー的だが、おそらく発想がゲーム的だからこういうアイテムを出すのに抵抗がないのだろう。
作者的にも色々な事を考えなくて良いのが凄く楽なのだろう。
なにしろ、野外でもダンジョン内でも新鮮な食材と調味料と鍋とフライパン使って調理した温かい食事が食べ放題。
華奢な女の子達連れて、ほぼ手ぶらで数週間旅することもできる。
そんなもんがあったら、異世界サバイバルの醍醐味もクソもないだろ。
冒険って、人類の生存圏を離れて、未踏の危険地帯に踏み込んでくもんじゃないのかよ。
経験者に話を聞きに行ったり、書物をあさったりして事前に目的地や経路の情報集めてさ、
地図をにらみつつ、連れてくメンバーから危険度やキャンプ地を考え併せつつルート設計して、踏破にかかる時間、予算を算出してさ、
必要な装備の中から、更に人数とサイズ・重量を考慮して限られた荷物に含められる絶対必要なものや代替手段を厳選してさ、
旅のついでに更に収益を増やすために受注可能なクエストを考えてさ、
旅の途中も、定期的に小休止と大休止とってさ、
食料の残量チェックしてさ、
天気を予想して雨に備えてさ、
雨が降ったら荷物濡らさないように注意したり雨宿りしたりしてさ、
怪我人病人が出たら、パーティ分割や撤退も視野に入れて難しい判断してさ。
お祭りの準備や裏方作業って、お祭りを見物するより楽しかったりしない?
そりゃゲームだったらね?
そういう面倒くさいことすっとばして、ポーションとエーテルとテント99個持って、開始10分でフィールドに飛び出したいだろうよ。
「重さが増えすぎると移動速度が落ちて、体力と気力もどんどん落ちて」とか説明書にかかれてたら、
そりゃ、うわぁ面倒くせぇって気にもなるだろうよ。
ゲームなら。
そこで手抜きしてどーすんだよ。
インディ・ジョーンズに無限容量のアイテムボックス持たせたいと思うか?
「準備? 俺にはチート能力がある」って感じで何も考えずにアイテムボックス持ってダンジョンに突撃した挙句、経済破壊しかねないほどの財産を一回の冒険で手に入れちゃってさあ。
そんでどーすんだよ。
「次の冒険」もクソもねえだろ。そりゃエタるよ。
そんなだから、戦闘と料理とデートシーンくらいしか描写するもんがなくなるんだろうが。
「ステータスウィンドウ」と「明かりの灯った階段付きダンジョン」と「回復魔法」についても同じように言いたいことは溜まり溜まってるけど、
もう長くなったからいいや。
どにかく。
ゲーム作る時に、そうした方が楽だから存在してるだけのものだ。
クソみたいに安易な設定に頼ってないで、作者はもっと苦労しろ。
調べろ。想像力働かせろ。頭使って考えろ。
長い長い、永遠とも感じる不況により、日本は超少子化・超高齢化からさらなる東京一極集中が進みそうだ。
このままの状況だと、日本は緩やかにアフリカ化していくかもしれないと思っている。
まぁ、多分そうはならないとも思うが。
アフリカ、と一緒くたに語ることはもちろんできないが、大雑把にアフリカ諸国の問題を見てみよう。問題は複雑極まるが。なるべく単純化して。
1.アフリカは近代以前にまともな国家がなかった。あるいは植民地化によって政治がリセットされた。これにより、国家の基本である、「国民の大多数を占める農民から税を取り、それを基本収入とする」という段階が存在しなかった。大雑把に言えば、「行政が全く行き届いていない状態」だった。
2.独立国家となった後の収入は、地下資源と他国からの援助である。これが、「行政を国民に行き届ける」必要性を失わせた。つまり、国に遍在する農業を生業とする国民たちを無視しても何ら問題ない状態のまま、「国家」が成立してしまった。
3.国民の大部分は、生きようが死のうがどうでもいい存在である。税が取れないから。取ろうとしなかったから。取らなくても別にいいから。取る苦労なんてゴメンだ。援助が降ってくるし、黙ってても地下資源が金を稼ぐ。
4.政府が国民(農業民)を守る意味が完全になくなった。むしろ、邪魔な存在となった。農業民から上がってくる税金や作物は極小。むしろ税や作物を取り立てるコストのほうが馬鹿でかい。
5.こうして、行政の行き届かない地域に軍閥が跋扈する。応仁の乱以降の戦国時代と同じ状態。地方の顔役、豪族、長老が行政の代わりに台頭してくる。そして、彼らはもちろん、鉱山などを制圧する。農業民は金を持ってないから。支配する意味がないから。
6.そして、虐殺が始まる。鉱山などを維持できるだけの人数がいれば、あとの人間は無駄に飯を食うだけの邪魔者となる。「儲けるために人手が必要」なのでなく、「儲けるためには人間を削減しなければならない」から。
7.こうして地方軍閥は肥大化し、政府にそれを止めるインセンティブはなく(軍閥から上がりを受け取ればいいだけ)、国民は死に続ける。
改善されてきている国や、最初からうまく行った国ももちろんある。しかし、多くのアフリカの国は、まさに今が戦国時代のどまんなかである。刀や弓でなく、AK47でやる戦国時代だ。
秀吉の刀狩りは、軍閥を解体しつつ農民の必要性を大幅に上げ、「農民が国家財政の柱である」と明確に打ち出したものすごく重要な政策なのだが、あんまりこういう評価はされてないな。
ホットエントリなんかのブコメを見ていると、地方と東京の対立をよく目にする。まぁ以前からあったんだろうが。
お馴染みの野菜瞑想運動バカなんかは愚かにも「地方は切り捨てないとダメだ」なんて言ってるが、上記のアフリカの状況を見りゃ「地方を無意味にすることの恐ろしさ」はわかるよな?こないだの新潟知事選、自民党の広告がひどい、と話題になったが(政府とのパイプを維持します、みたいな)、あれは一定の真理はあるんだぞ。まぁ俺は自民をことさら支持するわけじゃないし、あの文言はダメだろと思うが。
日本の場合、地方に行政が行き届かなくなると、そこの領主が軍閥となる。昔で言えば国司や守護だな。現代はもちろん知事だ。まぁ現代日本では私兵は持てんから軍閥とは言わんだろうが。
「地方政治の腐り具合」というのはすなわち、「地方の軍閥度」だ。
行政が地方を切り捨てたら、軍閥は必ずできる。そしてそこにいる人々は軍閥に期待する。せざるを得ない。生きるために。
だから何としても政府は、地方へ行政を行き渡らせなければならない。これは国家の義務であり、存在意義であり、生き残るために必要なことだ。
まぁ結論としては、地方を切り捨てると内乱が起き、一度起きたらそうそう止まらないぞということだよ。
当たり障りのない結論になったが。
ペルソナ5のストーリーの違和感の話。軽く重めのネタバレが入ります。
ペルソナ5、終わった後「うーん」な感じが拭えなくてツイッターやらamazonレビューやらで感想探ってたら、なんとなく自分と近い世代のオッサンは割と同じような違和感を感じており、その一方で、ツイートの様子からたぶん学生くらい?と思われるユーザーに向かって徐々に絶賛度が高まっている傾向があるように感じた。
そこで何の感じ方が変わるかっていったら、やっぱり「社会悪と正義の捉え方」が一つ鍵なのかなーと。
学校を含めた大人社会への適合度が低く、何らかの形で暴力、差別、迫害を受けている。登場人物全員がそういうバックボーンを持ってるって時点で、3や4とは一線を画してるなーと思う。そういう設定事態はすごく好みだった。
そして、最も身近な学校の不当(と当人たちは感じている)支配構造に反発し、ゲリラ的な手段でそれをはねのける手段を得る。それが怪盗団。
怪盗団は、抑圧に対抗する手段であると同時に、彼等の居場所にもなった。彼等は、自分たちが手にした力の使い道を探す過程で、また別の被害者を探し、弾圧側を排除して仲間を増やしてゆく。
ここまではいいなって思うんです。
特に祐介のエピソードとコミュが好きで、彼はゲーム終盤まで割り切れない思いと向き合わされる事になり、結果、そういう人間の複雑さを受け入れる。立派な奴だなあーって素直に感心した。
「私たち、これでいいのかな。正しい事をしているのかな」
「悪いヤツを改心させる事が間違ってるわけがない」
的な会話が言葉を変えて何度も繰り返される。
つまり、彼等はまだまだ精神的に未成熟さが残る学生なので、自分たちの行為が「原則として誰にも咎めようがないもの」である事に、自分で耐えきれてない。
そこにどう落とし前をつけるのかなーってずっと思ってたんですが、つかなかったんですよ。
途中からターゲットは自分たちと直接関わりのない著名な組織及び個人に変わり、そこから物語の掛け違いが発生してるように感じる。
そもそも、P5の主人公たちが持っている力って
「個人の精神世界に入り込んで人格を直接攻撃し、歪んだ欲望を消滅させ、改心させる」って、率直に言って「社会的リスクを伴わない洗脳」ですよ。
自分たちが被害者である間は正当防衛になるけど、直接関係のない相手だと話が違ってくるように思うんだよね。
P5は、人の良き悪しきをテーマの中心に添えながら、その結論を完全に持て余してると思う。
最初は「自分たちの被害を覆すために」やっていた行為が、最後の方では「悪人だと思うからこらしめてやりたい。」が先に来てて、そのためにパレスを探す…みたいに、完全に手段と目的が逆転してる。
『怪盗をしたいから悪人を探す』って、ノルマ目的で犯人でっち上げる警察みたいなもんじゃないか。見ようによっては、劇中の誰よりも怪盗団が一番の『悪意なき悪人』ですよ。
そしてp5の主人公たちには、その客観性に耐えうる精神的強度がない。
それを物語的にうまく隠そうとした結果、終盤に行くにしたがって、ターゲットたちをどんどん単純なテンプレ悪人化させるしかなかったんじゃないかって思う。
鴨志田とか斑目って大人としてのずるさ、邪悪さの深みみたいなのがあった悪役だと思うんだけど、なんかシドウってそのへん随分単純だったよね。演説直後のシーンで、衆人の前で普通に「クソガキ」とか言い放っちゃうし。
「シドウをカモシダやマダラメと同じくらい人間味があるキャラにしちゃうと、主人公たちの正当性を立てるのが難しくなるから」っていう逃げにも見えちゃう。
「正義」「世直し」ってワードが後半に行くに従って増えてるように感じるのも、シナリオの都合で主人公たちを正当化するために無理やり連呼してるのかな、とか勘ぐったりして。
主人公たちが迷わなかったとは思わないけど、終盤やっぱり、どこか「悪いやつは倒していいんだ」っていう単純化にぐっと話が移動してた感は拭えない。
「善悪はあくまで相対的なもの」という、女神転生シリーズが元々持っていたセオリーを真っ向から否定してないかなと。
シドウが真なる悪人であったのか、彼を改心させる事が本当に正しい事だったのか。
それを判断するのは「主人公たち以外のみんな」であるべきなんだけど、p5はそれすら放棄したんですね。
聖杯という「集合的無意識」に人格を持たせ、それを全ての元凶とした。
これ、逃げだと思いますよ…
なぜならそれは『事なかれ主義が具現化した悪神のたくらみだから』」
って…
そんなん「衆愚は正しい判断を下せない」っていうのを、遠回しにdisってるだけやん!
怪盗団支持率100%とかも、まあコミュレベルの高いゲストキャラが心から怪盗団支持を主張するのは分かるんだけど、それ以外の大多数からしたら「噂程度に存在していた怪盗団がなんかこのピンチを解決させてくれるらしい」ってだけだし、勝ち馬に乗る勢いだけの演出で、あれを「怪盗団が支持されている」ことの演出としてはとても受け取れない。
いや~ちゃんとシドウを改心させた事実としっかり向き合うべきでしょ?
悪人の内面がどうあれ、結果として行われているのが「強い国を作るための改革」なんだったら、その手立てを失った事のフォローをちゃんとシナリオでして欲しいわけよ。
それとも「心が汚い人間がする事は絶対に間違ってる」みたいな話なの?
(一応、主人公とシドウは因縁があるんだけど、でも物語的には明らかにまず『シドウ倒す』が先にあって、『ついでに主人公の仇だった』って流れになってると感じる。完全に主人公の私怨として戦って、結果それが世直しになる、って方がまだ納得できたかな…)
自分はp3やp4やったときもそこそこオッサンだったのが、3と4は5に感じた違和感がほとんどなかった。3と4の主人公たちははっきりと自分または親しい仲間のために戦ってたから。
それが「社会」「正義」が絡んできた時、そこまでの強度をペルソナの世界観は持ってなかったんじゃないのかなと、そういう事を思ったわけです。
とかなんとか書いたんだけど
ゲームとしてはしっかり面白くて、最後まで楽しんだし、80時間かけてゲーム部分は楽しませてもらったなーって思ってる。
ペルソナって開発者側も「ジュブナイル」って言ってるように、10代または20代に響けばそれで成功してる世界観なんだと思うし、ターゲット層がなんかしら考えさせられたり、勇気をもらったりしたらそれで充分成功なんだと思うし。
おっさんなりに、3と4やって感動した感じを5にもうっすら求めてたら、5はそういう作品ではなかった、自分が筋近いの期待してた、と、そういう話です。
何か意見することを「人を裁いている」と表現することに違和感がある。
は?脳ミソにウジでも湧いてるの?
弱者っていう固定の役割を据えて物事を判断しようとしてるけど、切り口によって弱者か強者かは変わるもんだし弱者だからといっても議論する上では議論のプロトコルを守る必要がある。それだけ。
切り口によって~とか言ってるけど眼鏡をかける近眼も障害とかいう訳の分からない言葉遊びしてるゴミクズはつごうよく言語化して自分も弱者だという可能性を示すことで被差別者を沈黙させたくて仕方ないんだろうなぁ
そしてまたしてもプロトコルとやらを都合よく決定してるのはおまえ
弱者のみに許される会話の仕方(例:まず足をどけろ)があってはいけない。
差別しても黙って死んどけというのがおまえの結論だとわかりましたOKOK
前から見て思ったが、コロコロ話を変えるのもむしろお前の特徴のように思える。
意味不明。差別の話題としてキャッチーなものをたとえとして挙げるのが話を変えることになるのか笑
じゃあ例え話しかできないわかりやすさだけを求めて物事を単純化して自分に都合よく意見を刷り込ませるゴミ虫君はコロコロ話を変えまくっている自殺した方がいいクズだということだな。
おれはこの1イシューしか話していないはずだ
うんだからそれに対して黙らそうとしてるだけのモンスターがおまえ、という指摘をし続けてるのが俺だね。
被差別者の立場として「何が」絶対に駄目って言おうとしてるんだ?喋るときは要点をきちんと抑えて
えっ?おれの主張をまったく理解してないのに今まで適当なことしゃべってたってこと?笑
話をコロコロ変えるな。トラバツリーの最初から議論停止語をやめようという話をしている
被差別者として開陳するなと言い続けてたゴミ虫くんを否定し続けたわけだが不利になったから顔真っ赤にしてなかったことにしだしたぞ笑
「私は弱者だ」って言ったらそこで話が止まるんだよ
そんな話をする前に、何か意見することを「人を裁いている」と表現することに違和感がある。
お前も俺に意見してるけど、俺を裁いているのか?ここをはっきりさせてからそういう質問に移ってくれ。
俺は逆にお前が複雑さに耐えかねて単純化しているように見える。
弱者っていう固定の役割を据えて物事を判断しようとしてるけど、切り口によって弱者か強者かは変わるもんだし
弱者だからといっても議論する上では議論のプロトコルを守る必要がある。それだけ。
更に俺の意見として付け加えると、弱者のみに許される会話の仕方(例:まず足をどけろ)があってはいけない。
前から見て思ったが、コロコロ話を変えるのもむしろお前の特徴のように思える。
「議論停止語をつかって安易に話を止めるな」は、このトラバツリーの先頭で言い始めたことだよな
被差別者の立場として「何が」絶対に駄目って言おうとしてるんだ?喋るときは要点をきちんと抑えて
興行収入は遂に風立ちぬを越え、もう上にはジブリ映画しかいないという状況だそうだ。
それ故に、作品の情報はネットをやっていると否応なしに目につく。
ツイッターでは「もしかして」「入れ替わってる!?」のコピペが大量に作られ、
pixivやニコニコ静画など画像投稿サービスではイラストがひっきりなしに投稿されている。
演出に注目したものから制作体制、スタッフ登用など組織論なような話まで、数数多の記事が出ている。
事前に情報を触れてしまうことに抵抗がある人はなかなか大変だろうなぁ、と思う。
記事の名は、こちら
無邪気にこの作品を楽しむことへの疑問
「興味深い見方だった」という肯定的なコメントがつけられていたことと、
サイト内ランキング1位(10月1日当時)に釣られて読んでみたものの、
いざ読んでみると、
「ふむふむ。」
「……ん?」
「はぁ!?何言ってるの?」
となってしまう、久々に猛烈に反論したい記事内容だった。自分「君の名は。」未視聴なのに!
そして、この気持ちをぶつけるところがなかなか見つからないため、
ここでひっそりと所感を書き連ねることにする。
この記事の主点はあくまで地方論であり、作者の主張はこうである。
特に後半。地方を暗く扱った作品は確かに探せば存在するだろうが、
戦後サブ・カルチャーの潮流として、地方への鬱屈や屈折の描写が常に存在していたかというと、そうは思えない。
片方で「地方賛美系のご当地アニメ」を取り上げ、批判しておきながら、
というか、自らが「地方の賛美・消費と並行して」と言っているのに、
戦後のアニメ・マンガの主流であるかのように扱うのかいかがなものだろうか。
アニメと地方を考えた論評は、この記事に限らず最近は非常に多い。
それに伴い、聖地巡礼やアニメによる町興しが注目されていること、
経済停滞や少子高齢化により地方のあり方の議論が盛んであること、
などが理由として考えられるだろう。
しかし、それらの論評で見過ごされていると見過ごされていることがある、と私は思っている。
それは「地方であれ、都会であれ、あくまで舞台は舞台」ということである。
細やかな小道具があり、大きな絡繰りがあり、巧みな照明効果や音響がある、
それらが充実しているか、特色だっているかは、作品の評価を左右する一要素かもしれない。
しかし、それはあくまで一要素であり、舞台の上で演者が動かない限り作品とはならないのが通常である。
地方である、都会である、ということは物語の展開に大きく絡む。
しかし、作品のメインテーマになるまで比重が高くなることはそこまで多くない。
ペルソナ4という作品を例に挙げよう。原作はゲームで、アニメ化されている作品である。
そこは大型総合スーパーが進出し、地元の商店街がその影響で衰退している。
主要人物の中には、周囲との軋轢が生じている総合スーパー店長の息子や
こう見ると、まさにこの作品は地方の屈折した部分を描いた作品である。
では、これは記事作者が主張する「地方の軽薄な理想化に一定の留保を付け加える」作品だろうか。
自分はそうは思わない。
ゲームプレー済・アニメ視聴済を知ってる人なら分かると思うが、
この作品、リア充ゲームと揶揄されることがあるくらい、終盤になると仲間の結束が固くなる。
主人公が転校してきてから去るまでの1年間で、彼らは忘れられない思い出を作り、心を強くする。
ならば、この作品は「地方暮らしもすばらしい」的な地方賛美の作品だろうか。
それも違うだろう。
つまり、地方都市の性質・描写は極めて重要な位置にあるのは確かだが、
舞台の基本設定であるが故に、物語の主題にまではなかなか上り詰めないことが多い。
その舞台で登場人物がどう動くか、どんな出来事に遭遇し、乗り越えるか、
そのような舞台設定以外の重要事項が大抵の作品には存在しているのである
(もちろん、舞台設定全押しのご当地振興系作品もないわけではないけども)。
また、舞台装置であるが故に、物語の展開に応じて描かれ方が変わる、ということも起きる。
良い出来事が起きればその背を押すように明るく描かれ、
良くない出来事が起きればその気持ちを代弁するかのように暗さが出るが舞台装置である。
そのため、後味が良いラストとなる作品ならば、当然その舞台の地域は後味よく描かれることになる。
そして、娯楽作品である以上、漫画・アニメで後味が良いラストと後味が悪いラスト、
これに加え、
「人間、そう簡単に地元から移動しない。両親に頼るところが大きい高校生以下ならばなおさら」
ということも多くの場合、見過ごされていると感じる。
高校生以下の場合、特段な理由がなければ通学範囲+αが彼らの行動範囲となる。
背景が実在の場所に忠実で、聖地巡礼が盛んに行われる作品の中で、
一番舞台が全国に分散している作品として、私は咲が思いつくが、
それは、「全国大会に各地から集まってきた女子高生」を描いているからであり、
・身内の都合です(転校など)
・突然ワープしてました
これらのような特段の理由がなければ、登場人物はなかなか生活圏から離れて動かない。
だからそこ余計に、舞台の明るさ・暗さは展開の明るさ・暗さに密接にかかわる。
描かれる街が単一の都市圏に絞られるのだから、バッドエンドを目指してない限り、
舞台となる地方は物語の展開に連動して明るくに描かれるのである。
そこに舞台となる町が素晴らしい、というメッセージが入るかどうかは作品それぞれだが、
舞台である=描かれた地方は作品の重大なテーマである、という構図は
必ずしも成り立たないと思うのである。
この記事に対して気になるところがもう一つある。
というよりも、先述した結論としての主張や「君の名は。」の分析よりも
東京が揺らがなかったことへの不満、
そういう東京が良く描かれていることへの不満が文章の端々から漏れている。
「東京に隕石が落ちて壊滅することを期待してしまった」までくるともはや怨恨の類すら感じる。
この観点において、もっとも瑕疵があると思えるのは3ページ目のこの部分である。
物語をあくまで散文的に見直せば、『君の名は。』は、故郷のない男と、故郷を失った女が、東京で故郷の幻想と特別な異性を妄想する話といえるのかもしれない。
これはもう、誤読していると扱ってしまっていいのではないだろうか。
それに付随した人間関係や馴染みの店もある。
高度経済成長期に断絶しているという最も日の浅い解釈をしても40年の歴史がある。
当然、そこで生まれ、育ち、その場所に愛着を持っている人が存在する訳であり、
というよりも、この作品は地方と東京の対比が大きな要素でもあるのだから、
人間関係や行動範囲があるからこそ成立している作品だと思うのだけれども……。
もしテロや地震があり、瀧自身や近い関係の人物に危害があったら、
きっと、瀧も三葉もお互い逆の立場で必死に動くと思うのだが、いかがだろうか。
規模が小さい、独自性があるなどの性質から、創作の世界において、
物語を進めるための非現実的な設定を地方が押し付けられる傾向が強いということは事実である。
パロディに満ちた謎の施設や人物がやりたい放題するTRICKのような作品は極端だとしても、
地方賛美という面ではこれ以上に多くの意見が出たサマー・ウォーズなど、
悪い言い方をすると、ご都合的に地方が歪められて描かれることは多々ある。
地方を味方する立場で活動を行っている人からすれば、良い思いはしないだろうし、
作品に反映するかどうかは別にして、そのような不満があることは受け止めるべきである。
しかし、それを受け止めるのは制作サイドであり、東京ではない。
そのような設定を組んだのは新海氏、堤氏、細田氏であり、東京が作ったわけではない。
批判の向きは新海氏、堤氏、細田氏、もしくは各委員会、はたまたワーナー、テレビ朝日、東宝に対して
向かうべきであり、東京に矛先を向けるのは間違っているだろう。
地方を「消費」可能な商品に仕立てているのは、(所在は大都市かもしれないが)
作者および制作組織であり、大都市そのものでは決してないのである。
地方と大都市という二項対立は、研究においても創作においても非常に分かりやすいしよく使われる。
しかし、本記事のように地方の不満は全て大都市が起こしているものだ、
という構図にまで落としてしまうのは、単純化が過剰であるだろう。
不満の捌け口をほぼ全で大都市東京に向けている所が、非常に鼻につく記事であった。
Aくん なんかイケメン
Bさん Aくんにずっと片思い A君振り向かせるために頑張ってきた
Cさんが全てを持っていくのね
これは単純化した基本形だけど、これに肉付けすればかなりの少女漫画の恋愛に当てはまるの
とにかくBさん絶対負けるの
なんで?Bさんの方が努力も執念も強かったならBさんに勝って欲しいじゃん
少女漫画の作者や読者はそういう人間を罰したい気持ちがなんかあるの?
逆に特定の誰かを求めず
「脱地味してきれいになろう」程度のボンヤリした努力には良い結果が待ってる描写多い
つまり少女漫画の作者や読者はそういうのは応援したい気持ちがあるらしい
結局あれか
みたいな感覚が未だに少女漫画ワールドでは強い規範なのだろうか?
識者の見解を待ちたい
wdnsdy でもさ、少女漫画のBさんキャラの「A君振り向かせるために頑張ってきた」ってのは「A君に言えないような汚いこと(嫌がらせ、人を陥れる、騙す等)もたくさんやった」って後ろにつく感じじゃん?負けるよそりゃ
最近の少女漫画のBさんはダーティーではない場合も多い。でも負ける。
それにそもそも
かつてBさんが結構な割合でダーティーキャラにされていたこと自体に
「恋愛のために主体的に動く女は嫌らしい」「腹黒い」としたがる
恋愛はそれこそライバルをいじめるだとかの人の道に外れたこと以外は何をしてもいい筈なのに
Aくんと居る機会を増やそうとかAくんにアピールしようとか
そういうちょっと頑張った行動すら悪いことをしたみたいなペナルティ(不自然なほど好意に気付かれなかったり、全然好感もたれなかったり)
になってBさんに返って行く。
その言い回しおかしくね?お前は俺を裁く権利があるの?
おっと話をそらし始めたか他者のしゃべりを止めるかどうかおまえが裁いているという事実に関しては認めてくれないのかな
ずっと言ってるけど、必要のないところで意見を開陳して話題を止めるなって言ってる。「弱者はいない」って話題が出てるところで「私は弱者だ」というのは問題ない
ほらおまえ基準で裁いてるじゃん
弱者の側としての意見発露は絶対に絶対に認めない!というのは複雑さに耐えかねて物事を単純化したいだけだよね
ここでは意見があってるのに、なんで途中で話が食い違うんだ。
長谷川某の話について、議論停止語を使って安易に止めようとしたの?違うよね
全部中身のある具体的な反論になってるじゃん
被差別者の立場としてだろうが絶対に駄目!という裁きですね、具体的な反論ができない人工透析患者は沈黙を守っていますぐ樹海に行って死ね、ということですね、わかります。
「ああ、ここまで書いてなんとなくわかった。お前は俺のことを被差別者の意見を聞きたくない反PC活動の連中かなんかだと思ってるんだな。違うよ。決まりきったコピペ(例 : そうなんだろ、お前の中ではな)のような議論停止語を使う安易な論者を止めたいんだ。
思考停止語だからという理由はさておき貴様は被差別者だと開陳するなとまで述べているクソバカゴキブリクソムシ君だからな、都合よく思考停止語というワードで逃げに走ってるが被差別者は開陳をせず沈黙を守れと何度も繰り返している事実を都合よくすっとばせる脳ミソをお持ちとか相変わらずすばらしいですね~
課金は金を課す側の行動なので課される側が「課金した」はおかしいだとか、わかっちゃいるが通りがいいので使ってるだけだとか、いや子どもが誤って覚えて受験や就活で失敗したら大変だとか、そんなこと考えたこともない普通に使ってるよとか、この言葉へのスタンスは人それぞれだろう。
そこでちょっと唐突なんだけど、別件のついでで「課金」で占う性格診断ってのを考案してしかし使う当てがなくなっちゃったからお前らもしよければやってみてくれ。
俺は大学でこういう専門、まあ社会人間工学っていうんだけどそういうのの研究職やってて、あと今は社会になじめない人の自立を支援し社会復帰させるようなNPOのサイエンスアドバイザーみたいなのを複数掛け持ちしてる。
言語学は専門外だが、まあ個人と社会、社会と社会の関わり様についてはいっぱしの知見は持ってるつもり(この診断にはそれほど関係ないけどな)。
本当はもうちょっとお堅い感じなんだけど、増田向けに柔らかくしたり単純化したり等アレンジしてある。
下記Aからはじめて指示にしたがって選択肢をたどっていくだけだよ!
A 言葉は時代とともに変わるものだと思う Yes→Bへ / No→Cへ / わからない→Fへ
B 「課金する」の意味も変わっていいと思う Yes→Dへ / No→Eへ / わからない→Gへ
C 「課金する」という言葉を使う Yes→【保守・ハト派】 / No→【保守・タカ派】
D 「課金する」という言葉を使う Yes→【革新・タカ派】 / No→【革新・ハト派】
E 「課金する」という言葉を使う Yes→【中道・ハト派】 / No→【中道・タカ派】
F 「課金する」という言葉を使う Yes→【なんとなく流されちゃう系】 / No→【なんとなく反抗しちゃう系】
G 「課金する」という言葉を使う Yes→【考えるの面倒くさい系】 / No→【日常で使う場面がない系】
はてなブックマーク - 「それなりの年齢になっても子どもがいないときの気持ち」にガッテンした話
ブコメを読むと「これのどこがマウンティングかわからない」という人が結構いるようだ。
繊細チンピラと言われるのは覚悟で、自分が元増田を一読して気になった点を以下に挙げる。
(略)A子は未婚で子どもがいる。(略)
A子・B子がいわゆる(この増田の主題でもある)「レールに乗った人生」を歩んでいない説明を詳細にしてからの、自分は違いますけどね発言。
そのA子がB子に
みなさんは失礼だとお思いでしょうが(私もちょっとそう思いましたが)、と予防線を張っている。
この増田A子のこと嫌ってんじゃないのかと感じたし、それなら「私もこの質問にはドン引きした」ぐらい書けばよかったのに。
A子は悪意なく本当に素朴な疑問として投げかけていた。
B子は素直に答えていたと思う。
A子には悪気ないんですよ、B子も気にしてなかったみたいですし、というフォローが却ってA子の無神経さを際立たせるナイスプレー。
とってつけたような結論。
まぁこの話題は「レールに上手く乗れた」増田が何を言っても、A子・B子にマウント取る形になってしまうだろう。
ただ登場人物の属性を「アラフォー+子持ちor子なし」と単純化しても十分通じる話だったはずで、A子・B子の背景をそこそこ具体的に書いているあたり、いい性格してんなとは思った。
わかってないのはお前。
俺はそんなレベルの話はしてない。
マジで「デッサンをやれ」と言われたら、毎日まったく向上心なくただ作業として黙々とデッサン「のようなもの」を描き、昨日より今日うまくなったろうかとか一瞬たりとも思わずに続けるカスがいるんだよ。
2chで「絵がうまくならない」とか言ってる奴のスレでも適当に見てみろよ知らねーんなら。
てかこれこそ「相手の言ってる事を勝手に単純化して切り捨てたつもり」なコメントのの最たる例だよなあ。
キモチヨク言い逃げしたいだけの確信犯カスと呼ばれるのがいやなら正々堂々トラバつけろ。
誤読を訂正する機会すら与えないのって最悪の逃げじゃん。卑劣下劣醜悪。
なんで、「単純化して切って捨てたつもりの短文コメントクソ」って記事に単純化して切って捨てたつもりのクソ短文コメントつけちゃうんだろ。
世の中には、気持ちよく反論をする、あるいはよどみなく自説を述べることで自分をより論理的(な風)に見せるという目的のために、批判対象の議論を勝手に矮小化し単純化する輩がいる。
「冷房はつけっぱが良い」という話は、ただ「つけっぱの方が電気代が安くなった」という話だけでなく(諸条件によってはこれもありうるが)、「変に我慢して暑さが頂点に達するまで待っても、暑くなったところから一気に冷やすためには涼しい時間帯からゆるゆるとつけとくのと『同じくらい』電気を使う」(我慢するだけ損/不健康)とか「さらにその場合最高出力を全世帯で同時刻にかけることになり『ピーク電力』が上がる」とかのデメリットも勘案しての話であり、詳細は自分の状況に応じて考えようという程度の「提案」である。
しかるにこれら議論を全て捨象して単純に「エアコンつけっぱで電気代が安くなるわけないだろ」などと言い捨てて得意げな奴らが大量に発生した。
似たような事象は数年前「朝バナナダイエット」に注目が集まった時にも見られた。
これは本来「カロリーコントロールをすべきだ/したい」という目的意識と意欲があるものの、「では具体的にどこから手を付けよう」というところがわからない、もしくはそこを研究している時間がないという「意識は高いが忙しい層」に向けて、朝食をバナナに置き換えると「総カロリーの抑制」「朝食は抜かず、一日の活動に支障がない」さらに「食物繊維も取れてなお良し」ですよという考え方のヒントを与えたものに過ぎない。
「バナナを食べれば食べるだけ痩せる」なんて話はどこの誰もしていないのに、勝手にそのようなものの様に決めつけて「反論」し、気持ちよくなっている猿が雨後の筍のように現れたものである。
節電やカロリーコントロールといった生活の知恵に限らず、大抵の知識やテクニックとはこういうものである。
絵描きに「どうすれば絵がうまくなりますか」と質問すると、「デッサンをすると良い」とか「模写をする方が早い」とかいろんな答が返って来る。
結局は人の数だけやり方はあるという事だが、一点だけ誰が何を挙げている場合にも共通する前提がある。「それら練習を通して、自分の絵を客観的に反省し、描きたいもののイメージを鮮明に思い浮かべられるようにしろ」ということである。それをいちいち言葉にしないのは、それこそが「絵を描く」ということに他ならないからである。「絵を描く」ことをしたいと望む人間が、その時点での自分の技術的問題点を認識し「こういうところをもっとうまく描きたい」という問題意識を持って『いない』とか、「構想段階でもっと良いアイデアがポンポン出て来ると良いのに」という野心を持って『いない』とかいう事は、そもそも想定する必要すら意識に上らないからである。
にも拘らずこの場合もまた、現れるのである。その程度の常識的な問題意識も持たず、「デッサンをやってもうまくなんてならないぞ!詐欺だ!」なんてことを言い出す連中が…
おおよそ全てのアドバイスやティップスと呼ばれるものは、「問題意識」が相手にある事を前提に、その「問題意識」に取り組むとっかかりのヒントを与えるだけのものであって、問題意識の有無に係らず万人に適用可能な、ただああしろこうしろという指示のままにエスカレーターに乗っていれば勝手に問題が解決されていてくれるような、甘ったれにありがたい『完全な答』を教えてくれるような神様仏様はこの世に存在しないのである。
しかるにその程度のことも、人生十数年か何十年か生きてるのか知らないが、理解できないくそったれの甘ったれが世には溢れている。
あまつさえ、そうやって自分に問題意識がないだけのことを逆に笠に着て、問題意識のない自分にもすぐにご利益を与えてくれるドラえもんとはなれないアドバイザーをかように「論破」してみせたり無能呼ばわりしたりする。
自分では「頭の良い俺が不完全な証明を喝破してやった」なんて悦に入っているが、何の事はないただ自分の中に問題意識が足りなかったために相手が役に立つ話をしているのが何も理解できなかっただけである。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、 ほめてやらねば、人は動かじ」とはよく言ったものだ。
実際は、動かないどころか、そんな自分を正当化し、あまつさえ相手より有能な人間かなにかの様に錯覚し出す。そうして誰にも「論破」されない全能感を、何も『しない』ことで肥大化させ続けるというアクロバティックを通り越してもはや永久機関的ですらある自己完結に至るのが真に無能な輩の生態なのである。
考える脳味噌のない連中ほど、自分の頭が良いものか何かのように思い込み、考える脳味噌がないゆえにその状態の矛盾にも気づかずますます確信を深めていく。
自分から動き、問題意識を蓄え、種々の知識がその問題意識を解決しうるものかという観点のみをもって議論し評価する、ということが出来ないのはただの前提条件に達してすらいない無能中の無能なのである、ということを、この永久機関の中に引きこもった連中が理解する日は来るのだろうか。
http://fuufu2.hatenablog.com/entry/2016/08/22/070726
上の記事の人は良い人なんだろうけどいきなりこんな話を聞かされるとぶしつけだとか無神経だと受け取る人は多いだろう。((良かれと思って己の幸せをばらまきたがるのは、はてな賢人のorangestarさんですら一度その罠にはまったくらいであるから、「自分の幸せの普遍性を確認したいだとか己の幸せを世界に祝福してほしい」という感情は理性をはるかに超越したものであると思うので仕方ないけどね))
いわゆる「己の達成や幸福を単純化して人に押し付けて回る」やつね。まぁ私はこの人の意見は無視するしほかの人もそうするだろうから、あとは「私にできたんだから貴方にもできるはず」を子供に押し付けて不幸にしないようにだけお願いしたいです。
とりあえずちょっとだけイラッとしたので、ちょっとだけ意地悪をしよう。
上の記事を書いた人は、こういうことにならないように気を付けてね(ニッコリ
親が「手の掛からない子」を子供に押し付けたせいで、豊かな人生経験を得るチャンスを奪われた長男・長女の事例です。親は無責任なもので、絶対に味方してくれない。 pic.twitter.com/l2RaFQLBDX— ヘルスの高木 (@goldkintama) 2014年8月9日
<script async src="//platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script>
>http://transpersonal.jp/1494/>
親も、周囲の人たちも、そして、子供も、その実態がつかめないというのが、「見えない虐待」のこわさです。わかりにくいために、被害者には、だれも気づかないうちに大きな傷がついてしまいます。
その代表例が、「ダブルバインド」と「ミスティフィケーション」と呼ばれる、主に親から子になされる介入です。
「ダブルバインド」は、ほぼ同時に矛盾するメッセージを伝えるということです。「なんでも好きなことを言いなさい」と言われて、自分の意見を述べたら、「そういうことは、おとなになってから言いなさい」と言われてしまうような介入を指します。「ダブルバインド」を受けた子供が戸惑ってしまうのは、当然のことです。なにしろ親の言うとおりにしたら、逆に怒られてしまったのですから。「ダブルバインド」を受け続けると、自分が何を感じ何を考えているのかがわからなくなってしまいます。
「ミスティフィケーション」は、イギリスの精神科医R.D.レインが提唱していた概念で、子供の感情を搾取してしまう巧妙な介入です。例えば、子供の希望が明らかではないうちに、あるいは、子供の希望をまったく無視して、「○△クンは、女の子なんかには、興味ないんだよねー」なんて言ってしまうやり方です。こんなことを言われ続けたら、女の子にワクワクする気持ちは、罪悪として認識されるようになってしまいかねません。それって、とても不健康な状況ですね。
ダブルバインドやミスティフィケーションは、どこの家庭でも時には、行われると言ってよいでしょう。たまに行われるのなら、問題はほとんどないのですが、それがひっきりなしに行われてしまうと、深刻な心の傷を子供に与えます。
オリンピックでラグビーが活躍して、また話題になってラグビー好きとしては嬉しいのだけど、「ラグビーが好きでして」と言うと必ず返ってくるのが「ルールが分かんないです」
これがサッカーなら「手を使わずにボールを相手ゴールに叩き込むスポーツです」位で大枠の説明は出来るんが、ラグビーもそれくらい簡単な説明を出来ないだろうか。
・ラグビーはボールを相手ゴールラインより後ろの地面に押し付けるか、相手ゴールバーの上にボールを蹴り込むスポーツである。
・ゲームでは大きく分けて「追っかけっこ」と「押し合い」が起きる
・「追っかけっこ」では、ボールは手に持って走ってオッケー
・ボールを前に蹴るのはOK
・ボールを持ってない選手に行ったらダメ。でも「あー、直前でパスされちゃった」みたいな時はOK
・抱きつかれた側は力の限り前進してもOK。ただし倒れちゃったらボール離さなきゃダメ
・止まったボールに敵味方合わせて3人殺到して組み合ったら「押し合い」
・「押し合い」が始まったら、味方の後ろから真っ直ぐ押さないとダメ
・「押し合い」ではおしくらまんじゅう状態からボールが出るまでは、手をつかったらダメ
やっぱ簡単に行かないな。
追記:
おいおい、みんな結構答えてくれるな。
ありがとうだぜ!
デレマスの日野茜ちゃんを使ったアイマス教養講座を作ればわかってもらえる
アイマスわわかんないんですぅ、気の利いた返しが出来なくてごめんなさいプロデューサー(>Д<)ゝ
増田は云うことが細かすぎる 「手は使っていいけど前に投げちゃいけないサッカー」でだいたいOK
あ、これは結構説明できてる気がする、アメフトとの違いを野球とサッカーで例える事も多いし
ラ(ガーを)グビー
「相手陣地の奥に、ボールを持って運ぶと得点。相手は抱きついて邪魔しようとする。それを避けたり押しのけたりしながら進む。パワーとスピードのぶつかり合いが燃える」
楽しみはそこなんだよね。でもブレイクダウンまわりの反則で混乱する人が多いんだよなー。後回しか。
先行する先人の意志を受け継ぎ、志半ば倒れる瞬間に次代へと託して前にすすむスポーツ
one for all , all for one
抱きついていいスポーツ。これで、ある一定層に興味を持ってもらえるな。
好きなスポーツを話し始めると、俺もまたカープオジさん化してしまうという事か
あ、おいて蹴るところか。どこピックアップしてんだ。
ずざー
⊂^⌒⊃_д_)⊃<グハッ!!! ε≡≡≡c⌒っ゚∀゚)っO
もう一声
タックルをかわすか後ろ向きのパスするかキックするかで逃れながら相手の陣地の端っこに自分でボールを置くスポーツ、なおタックルで倒されたらボールを手放す
「かわす」「逃れながら」前進する、ってのはこのスポーツの核かもね
ボールを前に投げたらだめ、基本的にそれだけ、後はなんでもあり。嫁はこれで納得して楽しんでたよ。
まあ究極に単純化すればそうなんだが、切りすぎな気がする
生で一緒に見てプレーのたびに教えてあげるのが一番良い
ちゃんと見た人は、面白いって言ってくれるんだよね。
手のつけられない札付きの不良が、なんだかんだで教師になる。
誰か、野球も挑戦してほしい。
あれこそ一言で言うの無理だよな。
スクラム組んでる局面はサッカーからの類推は不可能で解説がないとまったく意味不明
スクラムはあれだけで蘊蓄ひとひねり出来る位、奥が深いからなー
このくらい細かくは教えてもらわないとテレビで見ても具体的に何やってるか分からないので、本当にありがとうございます。
TVで試合見るのが一番なんじゃないかな。データ放送の解説ONで。
ひとまずこれくらい分かってれば十分なんじゃないのか。
追記2:
まあ確かに。だいたい接点でボールを保持してる側の先頭の真下にあって、そこから後ろに出るんだが、そこは細かいんじゃないかと。
押し合いの意義については「そういうゲームだ」としか。7人制は押し合いがあんまり起こんなくて、物足りないんだよね。
手を使わずにボールを相手ゴールに叩き込むのがサッカー。ボールを持った己の肉体を相手ゴールに叩き込むのがラグビー。
ところが「虚をついてゴールにボールを蹴り込む」プレーもあるんだよなー。あれ、盛り上がるんだよ。
昔のジャパンがすぐノッコンしてた。最近は前にポロリしなくなったよ、本当ウマくて強くなった。
「ボールを力づくで前に持っていくゲーム、但し前にボールを投げたらいけない」
これも「力づく」に押し合いとタックルの要素が含まれてるから、結構説明できてるかも。
アーモンドの形のボールあるやん、どう転がるかわからんやつ。アレ持って相手の陣地の一番端っこまでダーッと走ってタッチダウンするねん。ごっついヘルメットはかぶらへん。あ、知ってる?そうそう五郎丸五郎丸。
あとリーチ・マイケルってヒゲがごっついのおんねん、あれ札幌出身やねん。
「スラムダンク」「アイシールド21」クラスのラグビー漫画がジャンプで成功すれば
今秋から始まる「ALL OUT」に期待したいけど、TOKYO MXとBSなんだよなー。
結局簡単に言うとボール使って集団で相撲してるようなもんだろ?
以下、ネタバレ感想。未見の人はまず映画館へ。かなりよくできていて、金の無駄だと発狂するレベルではありません。少なくとも「エヴァンゲリオンQ」よりは面白いよ!!!平成ゴジラではナンバーワンだね!(白目)
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【ストーリー】
2004年以来、12年ぶりの国産ゴジラ。いわゆるリブートってやつで、今までのゴジラシリーズをちゃらにしてゴジラ初登場という映画になります。エヴァンゲリオンの庵野秀明が脚本、総監督。
で、ストーリーはだいたい以下のとおり。
自衛隊出すの?鳥獣駆除?防衛出動?関係省庁の意見のすりあわせ大変や~とかステレオタイプの官僚主義会議が続く
まあ自衛隊だしたらワンパンチやろ!と思ったらめっちゃ強いじゃん
当初は「ゴジラで得られる科学的知見はうちがごっそりいただいていくで~」と陰謀たくましくしていたアメリカ、ゴジラが子どもを産んで世界滅亡の危機ありと知るや核ミサイルを東京にぶっこむ宣言
東京を救うべくぎりぎりのところで粘る日本の政治家&官僚、研究者
最後は高層生コン・ポンプ車でゴジラの口にお薬を注入して封印に成功”
映画の枠組みを一言で言ってしまうと、「福島原発事故がこんな感じで解決されていたら良かったね☆」というもの。ポンプ車での冷却とか、米軍の無人機出動とか、放射線気にしながらの作業とかわかりやすすぎ。官僚主義とか御神輿首相とかダメダメ日本だったわけですが、危機に際して覚醒。「この国にはまだ希望がある」(わかりやすく劇中で出てくる台詞)ですよ。棚ぼたの奇跡じゃなくて、人々(といっても政治家、官僚、科学者、自衛隊、土建企業の皆さん、あとトモダチ作戦の米軍有志)の努力で日本は救われる。
映画見ていてちょっと泣いた。あー、こんな風に福島原発事故が解決していたら良かったのに、と。
「日本人にはまだ力がある。このダメダメな現状を変えられるッ!」というエールととらえればすばらしいんじゃないでしょうか。
でもね、もう福島原発事故から5年が立っちゃったんですよ。震災で民草がうちひしがれている時、2012年ぐらいまでにこの映画があったら手放しで喜べたと思うんですよ。私も2011年当時、「この大震災から日本は立ち直るのだ、復興するのだ」とがらにもなく魂をふるわしましたよ。でも結局、日本人は覚醒しなかったし、ダメダメな構造は今も続いている。その状況で「福島原発事故がこんな感じで解決されていたら良かったね☆」っつーのはたんなる自慰行為ではないでしょうか。
日本のなにがダメダメかっていちいちあげませんが、少なくとも映画内でもそのがっかり感はたっぷりとにじみでています。米国が主導する多国籍軍の核攻撃を遅らせる官僚のがんばりが「知り合いのフランス政府関係者に連絡」「首相代理が駐日フランス大使に頭を下げる」だったのにはあんぐり。あと「日本政府は米国の犬なので、米国大統領「東京に攻撃するよ♪」日本首相「I Understand」と速攻受け入れ」とかの単純化を見ていると、問題の本質に向き合おうとしない日本のダメさかげんが反映されているとしか。
首相代理にひたすらお願いされるフランス、ゴジラの解析にスパコンを貸してくれるドイツの研究所の偉い人。そして「安保理は東京への核攻撃に賛成。特に中国とロシアが」「東京に核ぶっこんだら、おわびに各国が復興資金出してくれるんやって」という台詞ベースの説明ぐらい。
でもさ、ゴジラの口にお薬をぶっこむポンプ車ですが、あれって福島原発事故の時に中国の三一重工が供与してくれたエピソードから採用しているわけですよね?なんで中国が出てこないの?台湾もぼくらの馬英九総統(当時)が特番で煽りまくって募金を集めまくってくれたわけですが、そのエピソードも無視。
いや、福島原発事故のエピソードを全部ぶっ込めというつもりはないっすよ。でも日本にとっての国際関係は米国しかないのかい?!とか言いたくなってしまうわけで。この薄っぺらい国際感覚で日本は覚醒できるのでしょうか?復興できるのでしょうか?
【その他】
・さんざん文句をつけましたが、絵作りとか特撮とか最高。予算15億円と聞きましたが、古い怪獣映画らしい雰囲気を出すことで低予算を苦にしない絵になっていると思いました。特に列車爆弾のシーンはスタンディングオベーションしたいぐらい。最高っす。ハリウッド版ゴジラと比べたら100倍ぐらい面白いよん。
・テンポが邦画とは思えないほどいい。会議シーンが多いのに飽きさせない。
・なぜスカイツリーを壊さないのか?!隅田川にこいよ、ゴジラ!
・石原さとみは大好き。妻が見ていたドラマ(洋菓子屋の若旦那と不倫するやつ、坊さんと恋愛するやつ、IT企業の風雲児と恋愛するやつ)を見ていて思ったんですが、あんなにエロさを出せる女優さんは日本にいないんじゃないでしょうか。でも今作は……。石原さとみの英語を聞くたびに発狂しそうに。
もうこれ以上ないくらい単純化したアドバイス。清潔感を与えて女性からも好感を持たれたい人向け。
服で自己表現とか考える人には向かない。以下に書くことは、あなたが服を選ぶときに脳みその稼働をどこに振り分けるかである。
服は正しいサイズで着た時の形を考慮して作られている。半分の男性はなぜか大きく着てしまう。
「上半身は肩でピッタリなもの、下半身は腰でピッタリなもの」これだけである。
肩・腰で合わせたのにお腹や太ももが合わない?ならば、その服は買わない。必ず合う服(店)があるのでそちらを買うこと。
単品でなくてコーディネート。8割の人が着る服でも、ジャケット・Tシャツ・パンツで組み合わせれば凡庸ではない。
「白・ベージュ・グレー・紺・黒」と「無地かシマシマ」。これ以外のモノを買う必要はない。
どうしても個性を出したければ靴で出すこと。変なマークとか英文ロゴとか、大人には不要。
肩と腰を意識しているのに、ここまで意識できている人は少ない。ほとんどの男性は長く着すぎである。
「手首は汚れない長さ、足首はたるまない長さ」これだけである。
短すぎると感じる人は、まだ背が伸びている小学校時代を引きずっている。女性は先端への意識が強いから、ここで清潔感を判断する。
試着して長過ぎた?ならば切ればいい。基本、長く作ってあるのだ。ここのお金と時間だけはケチってはいけない。絶対に。
「ユナイテッドアローズ グリーンレーベル」「エディフィス」「ジャーナルスタンダード」「スーツカンパニー」を回るだけでいい。
ザラやH&Mは難しい。ユニクロや無印はカタチがジジすぎる。それ以外は高すぎるか偏っている。
サイズの話ばかりじゃないかと思うかもしれない。実際そうなのだ。
パッと見の「いい感じ」はサイズが作っているのだ。色でも柄でもロゴでもない。
ネットで有名な、詭弁の特徴のガイドラインは良い物だと思います。
ただ、少しの欠点と思われるところもあります。あの例は単純化されていて、実態と少し合わない気がします。
確かに言いたいことは分かりやすいのですが、実際の議論ではあそこまで分かりやすい感じであることは多くは無いのではないでしょうか?
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%EB%CC%CA%DB%A4%CE%A5%AC%A5%A4%A5%C9%A5%E9%A5%A4%A5%F3
例えば下記です。
「ところで、カモノハシは卵を産むのを知っているか?」
実際の議論では詭弁のガイドラインの6条だとぱっと見て分かることは多くないでしょう。
相手の論者は、それこそ読者が一見惑わされるほど、書いている本人が「これは話が逸れている」と自覚していないが如く、
前の文章から巧妙に話を逸らし、あたかも関係のある話に見せかけることもあります。
特に、「ところで」などという親切な前置きが付くことは希ではないでしょうか。
下記も同様です。
2.ごくまれな反例をとりあげる
「だが」などという親切な前置きが付くことは希ではないでしょうか。
4.主観で決め付ける
犬自身が哺乳類であることを望むわけがないという言い方は常識的に違和感があります。
それより、学会がその分類を認めるはずが無い、哺乳類であるという分類にすれば他と整合性がとれなくなる・・などという発言が多いのではないでしょうか。
「犬が卵を産めるようになれば良いって事でしょ」
実際にはここまで変な言い方はしないと思います。
犬の例で言えば、あなたがあらゆる本を調査して、犬がどういう分類になっているか確認してはどうですか、学会で発表してはどうですか・・程度では無いでしょうか。
ところで、履歴書は手書きにするべきかどうかの話で、アメリカ型の雇用習慣にするか、日本の慣行で行くかの2択を持ち出した人がいたのですが、これも「ありえない解決策を図る」の一つだったのでしょうか?
「確かに犬は哺乳類と言えるかもしれない、しかしだからといって、哺乳類としての条件を全て持っているというのは早計に過ぎないか。」
「哺乳類としての条件を全て持っているというのは早計に過ぎないか」というのも分かりやすい例ですね。
実際には「哺乳類としての条件を全て持っているわけでは無い」という感じが多いのでしょうか。
SEALDsが馬鹿な理由は、短絡的で頭が悪いことに起因する。
つまり、誘導されやすいのだ。頭が悪い人を誘導するのは簡単だ。
頭の良い一部の層がその全てを考え、馬鹿を誘導してあたかも自分の考えだと思わせて行動させる。
小学4年生になりすまして世論を誘導しようとした慶應義塾大学の青木大和や「保育園落ちた日本死ね」で自演して失敗した山尾志桜里議員等のおかげで色々な誘導が世の中にあることが分かったと思うが、世の中にあるほとんどの誘導は先の例のように失敗せず、我々は気付かない。あの2人は少しおつむが足りないか経験不足だっただけ国民の皆様は誘導されずラッキーだった。
冷静に考えれば分かるだろう。
東大京大一橋大大阪大のような大学の学生はSEALDsにはほとんどいないことからも想像に容易いと思うが、SEALDsメンバーはほぼ全員が低学歴である。俺が通っているケンブリッジ大学にも政治活動をする人はいるが、SEALDsのような短絡的議論をせず、まずは政治を勉強している。
日本のこの状況は異常だ。
低学歴ばかり政治活動。つまり、低学歴の低能を行動させたい人がどこかにいて、彼らがSEALDsを裏で誘導している人がいるということだ。
頭がいい人は矢面に立たない。叩かれることが分かっているから。
頭が良い人程、馬鹿で自己顕示欲や承認欲求が強い人に動いてもらい、何かあったときのリスクを全部馬鹿に負ってもらう。
まあ長くなりそうなので、ここで本旨に戻るぞ。
ここからはいかにSEALDsの議論が短絡的で頭が悪いかを説明しようと思う。
これを読んで、民主党やSEALDsの議論に誘導されていたと気付く人が出ることを祈る。
(もちろん、熟慮した結果民主党やSEALDsの意見に賛成の人がいるのはおかしいことではないと思う)
SEALDsや民主党は、安倍首相を戦争肯定の人間にしたいようだ。
しかしながら、自民党も安倍さんも民主党もSEALDsも皆「戦争反対」ということでは一致している。手段が違うだけ。
実は戦争を起こさないための手段はいくつもあって、AとBとCのどの案がいいですか〜という中で安倍さんはAという手段で戦争を回避しようとし、SEALDsはBという手段で戦争を回避しようとし、共産党はCという手段で戦争を回避しようとしている。
単純化するとこういう構造なのだが、ではなぜ安倍だけが戦争肯定派と言われるのだろう?
ここにSEALDsや民主党の短絡性がある。意図が垣間見えるよね。
SEALDsは安倍や自民党に対して「憲法改正して自衛隊の権力を強めるな!(集団的自衛権を付与するな!)戦争反対!安倍は消えろ!」と叫んでいるわけだ。
集団的自衛権をwikiで見てみれば、それが戦争回避のための一手段だと分かるのだが、なぜかSEALDsの低学歴やその意見を真に受ける人はそれすらしないらしい。
SEALDsの皆さん、じゃあ仮にさ、共産党が意見Cを採用し「憲法を改正して自衛隊を廃止しろ!自衛隊は軍隊も同じだ!
SEALDsは集団的自衛権は反対で個別的自衛権は賛成だが、個別的自衛権もおかしい!
戦争も同じだ!だからSEALDsは戦争に賛成している!戦争反対!」って叫んだらどう思う?
それは違うよね。SEALDsの意見も戦争反対のための一手段だって反論するよね。
②「現在の政権与党を今回勝たせたら、日本が立憲民主主義の国でなくなる、独裁だ」的な議論パターン
自民党が議席の2/3を取ったら、自民党がなんでも決められますよ〜
みんなで話あって決める民主主義が無くなる!おかしい!って騒いでるけど、馬鹿なの?本当に。
どの政治家を勝たせるかを決めるのが選挙。その結果自民党に2/3以上の議席があるなら、それが民主主義の結果なわけです。
2/3以上の国民が自民党の意見に賛成してるから投票してるんです。
なんで「国民はみんな反対してる!」「安倍は裸の王様だ!」って低能過ぎる。
色々な意見があり、それを若い世代が積極的に発信することはいいことだ。
ただ、頭が悪い馬鹿が政治に携わるとろくなことにならないのも事実。
行動する前に、まずは勉強して欲しい。