はてなキーワード: 除夜の鐘とは
https://news.yahoo.co.jp/articles/a7e9f40a298676f89eee8ca7beea7965aa4535ca?page=4
「日本はカルトの世界的な吹きだまりになっている。軸となる宗教がなく、信教の自由の幅が大きいために、カルトを規制できず繁栄を許してしまった」という――。
日本では多くの家で、キリスト教徒ではないのに、クリスマスにはツリーを飾ってお祝いをします。神道を信仰しているわけではないのに、正月には神社へ初詣にいき「賽銭」という献金をします。
仏教徒ではないのに、その前日の大晦日にはお寺で除夜の鐘をついたりもします。七五三は神社に行き、結婚式は教会で挙げ、葬式はお寺と、考えてみればムチャクチャです。
日本人は、宗教にはきわめて寛容で、悪くいえばだらしない感じすらします。
もちろんこれは、柔軟で融通がきくとか、新しもの好きで好奇心も旺盛だとか、日本人のよいところの表れですから、一概に否定すべき話ではありませんが、それにしても、という印象を受けます。
私のイメージとは逆だなあ。むしろ多神教である神道の影響かと???思った。
あと井沢元彦だったか、戦後に日本人がキリスト教化しなかったということは無宗教ではない(無宗教だったらキリスト教化していた)みたいな事を言っていた気がする。間違っていたらごめん。
・石山秋月 [いしやま の しゅうげつ] = 石山寺(大津市)
石山寺あたりで見る秋の月
これは「あづき」だな
あづきおねえさん
・勢多(瀬田)夕照 [せた の せきしょう] = 瀬田の唐橋(大津市)
これは照のままだとイメージしにくいし、夕陽として「ゆうひ」でよさそう
晴嵐はセイランのままでも成立してそうだけど、木の揺れる音に風情を感じているっぽいので、
「風音」「松葉」「風枝」?
うーん、ピンとこない
夏の晴れた日に揺れる松林ならもう、「夏葉」でもいいかもしれないね
・矢橋帰帆 [やばせ の きはん] = 矢橋(草津市)
矢橋の港から見る、帰ってくる船の帆が立ち並ぶ様
帰帆は「きほ」と読めるしそれでよさそう
帰が可愛くないかもしれないから、旗とか輝とかに変えてもいいかも
・三井晩鐘 [みい の ばんしょう] = 三井寺(園城寺)(大津市)
え、これ難しくない?
「〇かね」みたいな感じ?
いっそ「みい」なのか?
夜の雨は雨の音
つまり雨音で「あまね」
雁が降りる様は夕方が似合うので、元増田から借りて夕雁で「ゆかり」
比良山系に積もった雪
雪の積もった嶺なので、雪嶺で「ゆきね」
神様がいるかいないかは知らんけど、とりあえず言えるのは神様は現代の人は助けることはない。
神事で賑わうと『うるさい』『騒音だ』『意味あるの?』なんていう考えの奴がいるわけで。
俺は神様がいるかいないか分からないが、神様を信じる人は馬鹿にしない。
信じる人の中にはいるんだしな。そういうもんでしょ。
が、信じない以前に馬鹿にする奴が居るわけで、例え本当にいても絶対こんなのを助けようとはしないだろうなって感じだ。
そもそも冠婚葬祭を馬鹿にし、正月の初詣を馬鹿にし、祭りすら馬鹿にするような奴らに神様が助けるわけがない。
神様から見れば『ろくでなしの獣』が布まとって生きてるようにしか見えてないと思うね。
面白いのは、神様を信じないっていう奴らに限って友人からお参り行こうよって言われると行く所。
もちろんお参りは別にどうでもいいって感じで、単に友人らとワイワイできればいいという罰当たりな考えなだけなんだろうが。
そういう奴らがお参りにいって金を投げている姿は滑稽だ。もちろん神は助けないだろう。純粋に参ってないんだから。
現代は神事に携わる人も減り、祭りは若者が参加しない、大晦日の除夜の鐘すら中止しろという老害も居て
神様なんて居たとしても、この日本を助ける気なんて起きないと思える。
だからといって、過剰な信仰や宗教勧誘しているようなやつも同様に救おうとしないだろう。
・初詣(元旦に好きな神社に行く「初詣」が定着したのは明治中期の鉄道会社のキャンペーンによる。)
・除夜の鐘(1927年にNHK「ゆく年くる年」の前身のラジオ番組が「除夜の鐘」を放送したことがきっかけで日本全国に広まった。)
・おせち(正月料理を重箱に詰めるようになったのは明治以降で、それが全国に広まったのは戦後のデパート業界のキャンペーンによる。)
・二礼二拍手一礼(一般の参拝客が行うべき「正式な作法」とされて広まったのは戦後、あるいは平成以降であるとも言う。)
・いただきます(食前の挨拶としては、軍国主義教育を通して1930年代ごろから普及していったと思われる。)
・正座(明治以前にも存在はしたが一般的でなく、正座=正式な座り方とは見なされていなかった。「正座」として広まったのは明治以降である。)
・六曜(明治以前にも存在はしたが一般的でなく、本格的に普及するのは明治に入って太陰暦から太陽暦に切り替わって以降である。)
・信楽焼の狸(明治期の陶芸家・藤原銕造が製作したもので、全国に広まったのは1951年に昭和天皇が信楽焼の狸の和歌を詠んだことから。)
他にある?