はてなキーワード: 昔の男とは
暇空茜氏のツイートがホッテントリになってたけど、これって男女差別が一周回った発言だよな。
https://twitter.com/himasoraakane/status/1611617859628830720?s=46&t=RALaUBnpzDgSJ9fAo6F6Cw
昔の男性も暇空のように思ってた。でも強者男性は女性に子供は産んでもらわないといけないので、人権を保持したまま国を回すなら、弱肉強食の世界で野垂れ死なせるわけにはいかない。
それならと、決定権と所有権を奪われた女性に対し、「女性は弱いので男性が守るべき」「レディーファースト」と慮るふりをした。
しかしバブルがはじけて底辺男性の不満がたまると、今度は上部の女性だけ見て「女性の方が厚遇されてる」みたいな勘違いをし、「能力が低い」と女性を叩く。
ずっとループしてるな
昔の男は、女性憎しからそういう行動に出てたんじゃあなくて、単にそれが男の権利だと思ってたわけでしょう。
まぁその権利意識が良くねぇよ、ってのが女性解放運動とかに繋がってくんだと思うけど、それが現代のフェミニズムまで続いてきた結果、
昔の男は、女性をプラマイゼロの位置に置いて自分をプラスの位置に置いてたけど、
今のミソジニーは自分をプラマイゼロの位置に置いて女性をマイナスの位置に置いてる。
そういう違いだと思う。逆にそうでなければミソジニーという呼称には当たらないんじゃないかな。
ミソジニー男性が増えているって、昔の男性をなめすぎなのでは?
昔の男性は女性の参政権に反対していた(「普通選挙」は「すべての男性」が参政権を得られることを想定されていて、女には投票も出馬も禁止されていた)し、
昔の男性は女性が結婚しないことを断固として許さず、現在だと「多産DV」認定される水準である6人や7人、当たり前みたいに子供を産まされていた。
大半の「最近の男性」は暇空茜もColabo仁藤さんも知らないのに、会計の不明瞭な点に突っ込んだインターネットオタクが数人から十数人いるくらいで「ミソジニー男性が増えている」って…笑
増えてはないし、男性の性犯罪に対する認識はあきらかに昔の男性よりまともになっているけど。
「痴漢をするのは男性の権利だ」みたいな主張する人、ほぼ消滅したに近いよね。昔の男性…バブル期くらいだと普通にいたけど。
昔の男性、表現規制反対どころか、職場に実写女性のヌードポスター貼ってたレベルだよ。大丈夫?昔の男性の認識。
今は「すべての男性が持つ当然の権利」みたいにして多産DVする男性は減ったし、休日に子供をワンオペで公園に連れていくなど育児する男性はとても増えた。
「ミソジニー男性が増えている」って、どこを見てそういう感想を持っているんだろうね。昔の男性のことも、現在の多数派の一般男性のことも、ろくに見ていないのでは。
まず20代~30代の若い男性を中心に、「社会的強者」の役割から積極的に降りることが始まる。
昔の男尊女卑社会では、男性は徹底的に優遇されていたので、男性側は社会的強者の役割を担うことに抵抗は無かった。
男が甲斐性を持つべきとか、デートでは男がリードするとか、女子供を守るとかね。
しかしフェミニズム思想が社会に広まれば、むしろ強者の役割を押しつけられることに抵抗を感じるのだ。
若い男性は、女性にも自分並みの学歴と経済力を求めるし、そのような女性でなければ恋愛も結婚も拒否する。
今の日本の少子化の要因の一つとして、男性側の結婚拒否も大きいのではないか。
何度かツイートで似たような言葉を使っているみたいなので、間違って使っているわけではないとは思うのだけど。
だからこそ「行き過ぎたジェンダー論」と言わず、「不当な圧力、クレームやバッシング」といった呼び方をしてほしいなあと思う。
俺が解決してほしいと思っていることと、赤松先生のいう「行き過ぎたジェンダー論」が同じものを指してるとは思っているので。
何が「行き過ぎ」かって話をするとどうしてもその人の主観的な判断になるため、そこで議論が別れてしまうから良くないと思ってる。
これまで萌え絵につけられてる難癖を見るとこう言いたくなる気持ちはわかるけど、つけてる側はアレが「行き過ぎてない」って思ってるんだよなあ。
「不当」でも同じことが言えるけど、正当か不当かはまだ客観的に議論できる言い方かなと思うし、
何より「その意見は不当であるから賛同できない」って表明できたほうが意図が伝わりやすくて良いと思うんだよね。
たわわを例にすると、キモいだのなんだのいうのは自由。ただ新聞社の広告に対して国連機関が出張ってきたら政治家の出番かなと。
戸定梨香も、彼女が支持される/されないはファンと市場の結果でしかないが、議連がお気持ちクレームをつけて取り下げになるのはおかしな動きだと思う。
こういうのは「不当な圧力」だと思うんだよな。
何が「行き過ぎ」かの話をすると、それこそ昔の男尊女卑の価値観からすると今の世の中は「行き過ぎた配慮」なんだろうっていうように。
主観的な話だから余計なところまで混ざってこないかとちょっと心配しているんだよな。
もしかしたら幅広い支持が取れそうなワードを選んだつもりなのかもしれないけど、俺個人としてはそういうのと一緒にされるのはちょっと…みたいには思う。
個人的には「行き過ぎたジェンダー論」と聞いても具体例はあまり思い浮かばないんだよなあ。
自称フェミニストがつけてくる難癖は、ジェンダー論というよりミソジニスト/ミサンドリスト/萌え絵ヘイターのヘイトからくるものだと認識してるからかもしれない。
俺個人としては、現実のジェンダー平等は否定してないつもりなんだよ。作品に対して好き嫌いを述べることも自由。ただそれを盾に難癖つけてくるのからコンテンツ、表現の自由を守ってほしい。それは政治的な話になるから、赤松先生のようなコンテンツ制作者の方が政治家を志すことは応援したい。
しかし難しいのはそのラインを引くのがそれぞれの常識、主観的な話になってしまう点で。
既存価値観に対する補正的な面もあるから、相対的には「行き過ぎ」に感じてしまうところもあるし、難しいと思うんだよ。
難癖つけてくる厄介をまとめて「ジェンダークレーマー」って呼称する向きもあるので、「行き過ぎたジェンダー論」って表現でも間違いではないのかもだけど、範囲が広くなるような気がして賛同しづらいなあとは思うんだ。
昔の男と今の男は別人やけどな