はてなキーワード: ぐぬぬとは
エロゲ作家やエロ漫画家が、「表現の自由を規制すべき」という規制論に組するのは、珍しくない。
なぜなら、「オタク向け作品を作っているから」と言って、オタクを好きなわけではないからだ。むしろ自分も含めて嫌悪しているケースも有る。
もうちょっと話を広くすると、「オタクのオタク嫌い」っていうケースはたくさんある。
オタクだけれど、自分以外のオタクを(場合によっちゃ自分も含めて)否定することでアイデンティティを確立した人間って、実はたくさんいる。
まあ、いわゆるオタク差別という時代があったわけでそこはもう語らない。ただまあ、色々鬱屈してる人がいるわけで。
彼らの鬱屈した感情は、まさに卑屈な変態というべきものであると同時に、一時代、確かに創作の大きな原動力だったことは認めざるをえない。
ただもう、その鬱屈した感情が伝わる世代じゃなくなってきたんだよなあ。
「オタクが社会に受け入れられない。オタク作品は欲望のままに生きているゴミの山だからだ。しかし俺は違うぞ。本物を作り出してやる、と、オタクと社会の鬱屈を悩み抜いて結局ぐるぐるまわって自分も含めて同胞をdis否定しつつそれでも創作せずにはいられない感情の爆発」
あの時代は大変だった。それはわかる。
赤松健のように「自分はパンチラ漫画家と言われても仕方ない」と笑い飛ばせる強さは誰もが持ち合わせていなかった。
杉田智和のように他人を否定することなく、おたくの情念を込めて好きなものを語るという強靭さは誰もが持ち合わせていなかった。
「俺の作品は、他のエロ漫画やエロ同人やエロアニメやエロゲとは違う。俺の好きな芸術なんだ。エロの他に高尚さを持ち合わせている。わからないやつはキモオタだ。しかし、しかし、ぐぬぬぬぬぬぬ」
みたいな謎の鬱屈した芸術家感情は、確かに過去においては創作の原動力だったのだと思うが、今はもう「馬鹿なの?」で終わってしまう。
しかし、残念ながらそういう「自己否定と自己肯定を繰り返した自意識の化物」みたいな存在は、たくさんいる。
嫌いな言葉だが、「オタクは価値観をアップデートできない」という現象だ。
いつまで経っても「社会でオタクは最下層の中、なんとか社会と折り合いをつけたいと自己否定を繰り返して悩み続ける」という精神構造から抜け出せない。
それはかつては得難い才能であったと同時に、現代においてはしち面倒臭いと嫌われもするのだ。
今の時代、「オタクを否定して悩みながらオタクをやる創作」なんて変態の所業がウケるわけがない。
そんなことやってる暇があるならSNSにFGOやアズールレーンのイラストを一枚でも上げたほうがよっぽど建設的って状況だ。
自己否定して悩み続けるならともかく、こういうタイプは周囲の人間に喧嘩を売りまくるから始末に負えない。
こういう態度は耳目を引くが結局嫌われる。「愛されキャラが最強」のSNSでは、珍獣として消費され尽くしてしまう。
いまさら「オタク作品はダメなんだ。堕落している。こんなものばかりでは業界が腐る。オタクは腐っている」なんてアジったところで、「老害オタクがまた発狂してる。でもお前の作品は、まさにそういうダメオタクなんですがw」と鼻で笑われているだけだ。
そんなことは描いている本人がよくわかって悩んでいて、それでも言わずにはいられない宿痾の業なのだが。
そして、それらの悩み続ける時代がデフォルトオタクが唯一存在証明をできる場所が、SNS政治だった。
「ぎゃーぎゃーぎゃー」と騒いで与党やら野党やらをバッシングし続ける珍獣としてならば、「オタクをバッシングしながら自意識をこじらせオタクでも迎え入れてくれる」という需要があった。
なんかもう、色々痛すぎる。
見ていて痛々しいわけだが、本当に、どうしてこうなった感がある。
そういう時代は気がついたら終わっていた。
今はそういう時代ではない。
SNSでどんな悩みもオタク生体の鬱屈した感情も共有できたのは救いだった。しかし、「それは珍しくないただの鬱屈した感情」で「別にあなた特有の特別な悩みではない」ことがバレてしまって急速に求心力を失ってしまった。
悩めば偉いオタクなわけでも、苦悩したから上等な人間なわけでもない。
結局の所、そんなものより愛されることが重要なのがSNSだった。
オタクが悩んだ長文を上げるよりも、コスプレイヤーの自撮り写真やお絵描き実況のほうがよっぽど需要がある。
そんで、そういった中年のどろどろしたオタクの情念をぶつける場所はSNSでは限られていた。単純にSNS社会では政治しかなかった。
「オタクはネトウヨ。でもおれはネトウヨにならないオタク」という謎の偏見構図に乗っかって、twitter政治でオタク批判を繰り返すのみである。
で、それだけならまだ救いはあるが、彼がが一番憎んでいるのは、開放されたオタクだ。
悩みから開放され、もう自己否定を繰り返さずに社会と折り合いをつけている、普通の若い世代のオタク、自分たちと同年代なのに、悩むことをやめてしまったオタクたち。
許すことができない。
もう、社会においてオタクは最下層民ではないと自認したオタクたちは悩むことをやめる。当然だ。しかしその状況を許せない。
もし、「もう悩む必要がない」と悟ってしまったら、「彼らが存在する」というだけで自分を卑屈な変態だと認めざるをえないからだ。
だから、自民党が表現規制を捨てつつある今、自分たちが規制論を叫ぶという本末転倒が起きている。
「最下層民のままで悩み続ける生き方」
漫画まで含めて話してる人と絵だけで話してる人がいるから謎論が目立つのだ
https://twitter.com/moorioka/status/1483725648908541955
https://twitter.com/KU_RE_HA/status/1490990637659090944
っぽい
っぽい
婚活コンサル始めた頃に女性との初ランチデートは気軽なイタリアンが良いですよってアドバイスしたらサイゼリヤデート男子が大量発生したので、ファミレスはダメですよって言ったらカプリチョーザを判を押したように選び初めてぐぬぬ…ってなったのは苦い思い出。
っぽい
少数の意見を取り上げて「こう言ってるやついるじゃないか」ってのは無しで
クレハさんの「サイゼで喜ぶ彼女」というイラストの引用まとめ - Togetter
が1000ブクマを記録しているが
それ以前の1月19日(漫画ツイート)から2月8日(絵のツイート)までの炎上記事は見つからなかった
逆に2月8日以降は増田でもサイゼ記事がブクマされまくりである
ましてや5年前のコンサルの話なんて絡めて話してる人がメインストリームなわけないだろう
sumomo-kun 「もともと」とかいって、数年前の話を頭に想起して、その話とは関係ない人を燃やそうとするの、おかしい人にしか見えないよ。例の婚活コンサルタントはいくらでも燃やしていいけど、今回の人は関係ないでしょ。
peta0227 もともとも何も今回被害に遭った漫画と絵は試しデートの文脈じゃない。絵のほうは解釈が分かれるが漫画は明確に違う。この手の人らが度々揉め事を起こす理由の一つがこの勝手に自分の文脈を当てはめてキレること。
augsUK 5年前の自称婚活コンサルに対する憎悪を、全く別のマンガ書いた方にぶつけまくるのは当然という告白なの?ツイフェミ・はてフェミ界隈は、自他の境界・相手の個人と集団の区別を保てない人が多すぎるよ。
fishma 「もともと」は「女性漫画家がサイゼで喜ぶ女性を漫画に描いたらフェミが大挙して女性漫画家を殴りつけてきた」だろ。やっぱりフェミってオツムに大きな問題があるんだなってのがよく分かるツイート
はてな民的にも婚活コンサルがもともと派と漫画がもともと派で別れているが
hdwdgfva うーん、なんていうか、前提条件を変えるのは結論を変えるのと同じなんで、その時点で自分の主張を取り下げるのと同じですよ。自分で前提条件を変えていいのは明らかに自分に不利で相手に有利な場合だけね。
「前提条件を変えるのは結論を変えるのと同じ」にスターが集まっているのに
「何度も発生するデート」という全く出現していない前提条件ブコメにもスターが集まっている
どっちやねん
そして
frothmouth あの絵のどこに「婚活の初デート」って設定があったのか分からない/そうか「元々の話」が5年前のサイゼ炎上の認識の人がいるから話が通じないのか/古いネットミームに汚染されている人ばかりではないんですよ。
覚えてない人やっぱり多いんじゃんっていうね
増田に至っては
なのでまあ正直メインストリームは謎だけど
「絵だけ」がメインストリームじゃないのは確かだろう
服も違えば食べてるものも違うのに
以前からデートで美味しいイタリアンに連れて行くよと電車乗り継いでサイゼに連れて行かれたとか、サイゼで喜ぶ女か試すとか、サイゼデートは何度かネットで見かけた話ではあったんだけど、Twitterに持ち込んでオタクとフェミを煽って燃やしたTwitterサイゼ炎上の火種の婚活コンサルが、今回の炎上に便乗してまたサイゼの話ししてて、サイゼリヤを骨の髄までバズに利用してやんぜって心意気を感じて怖かった。
ついでにこの婚活コンサルの客のサイゼ観も日本が不景気になっていってるのも感じてすげぇ怖い。
下のツイート全部同じ人なんだよ…。
↓
婚活コンサル始めた頃に女性との初ランチデートは気軽なイタリアンが良いですよってアドバイスしたらサイゼリヤデート男子が大量発生したので、ファミレスはダメですよって言ったらカプリチョーザを判を押したように選び初めてぐぬぬ…ってなったのは苦い思い出。
— ひかりん@婚活阿修羅 (@hikarin22) July 22, 2017
婚活初回デートでサイゼ押し独身男性が跋扈するTwitterはさしずめ婚活界の西成って感じですね…。自分たちの感性が一般から外れてしまっている事に全く気づいていないのがすごい。
— ひかりん@婚活阿修羅 (@hikarin22) July 23, 2017
初回デートでサイゼリヤはダメですが、付き合ったら一度はサイゼに必ず連れていきましょう。そこで微妙な反応をする女性は「おしゃれな私」が好きなお金のかかる子です。サイゼリヤもいいよね!って言ってくれる子を探したほうが良いです。この一見矛盾した真理をサイゼのパラドックスと呼びます。
— ひかりん@婚活阿修羅 (@hikarin22) July 23, 2017
https://twitter.com/hikarin22/status/1491987631466369025?t=BuIAEGYJlSd0-40RiS7iDg&s=19
婚活サイゼ関連で一番驚愕だったのはサイゼは駄目ですよ婚活男子にアドバイスしたときに「大丈夫、サイゼなんていきませんよ。高すぎますから」と言われたことでした。今のアラサー男性にとってはサイゼですら高級店と感じるくらい日本が貧乏になってきていることを知り動揺を隠せませんでした。
感情論で発狂するフェミやパヨクに冷静にデータを突き付けて正論でぐぬぬ…とさせてやりたくてポスト青識亜論さんを目指した
こっちは基本的に防戦一方なのでフェミを退けても疲れるだけであんまり達成感がない
表現の自由、保守サイドの人間が逮捕されたり炎上したりやらかしたりしてフェミに燃料を与える無能な味方ムーブしているのをフォロー&切断処理するのもいちいち疲れる
「表現の自由戦士はこれも守らないとダブスタ」「表現の自由戦士なんだからこの表現にも文句を言うな」そうフェミやパヨクからバッシングされることが増え、メンタルが限界に
なんでこんなものも建前上とはいえ守らなくていけないんだろう…と思うと馬鹿らしくなってくることも
自分の本心を押し殺してまで、こんな不愉快な表現を守らなくちゃいけないのかな…という考えが頭をよぎると心が折れそうになる
自分に嘘をついてまで興味もない不快な表現を守る度量が自分にはなかった
【結論】
青識亜論さんは凄い。