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はてなキーワード: 現役引退とは

2023-11-11

やっと金融資産2000万貯まった

アラフォー独身おっさんなんだが、なけなしの給料貯金資産運用に充ててきてやっとこさ2000万貯まった。これまでの人生にこれといった趣味や楽しみはない。

この程度の額だと現役引退なんざもってのほかだし、気を緩めて生活レベルを上げると持ち崩すのは目に見えてる。これから生活を華やかにする余裕はない。

ただ、老後に怯えてこのまま地味に金だけ貯めて生きても、体が動かなくなる老年期にほんの少しばかり余裕があるってだけなんだよな。

2023-10-17

ゴルフって恐ろしい世界だな

イ・ボミ選手35歳なのにシニア扱い、現役引退

おそろしい若年齢の世界だな。

2023-06-03

語り継ぎ難い芸人 上岡龍太郎 【追記有り

口惜しいです。 ありがとうございました。 上岡龍太郎師匠

 

面白くて、賢くて、粋で、格好良くて、危険おっちゃんが おったんや。

 

 上岡師匠を語る事が難しい理由は、いくつもある。

そもそも現役引退23年も前である事。

引退ネット普及の直前で、その足跡ネット上に殆ど無い事。

増田自身アラフィフで、 実際には上岡師匠活躍引退前の5~6年しか知らない事。

 (追記修正:ごめんなさい。増田アラフォーでしたわ。「アラフィフの人の意見が聞きたい!」  という気持ちが空回りしてしまいました。)

上岡師匠の芸は司会とトークが強く、

  その実力と活躍に比して〈作品〉や〈芸〉と言えるものが少ない事。

 

考えが まとまらない。  思いつくままに書く。

 

大昔に引退された故人を語り継ごうと思う事自体が、増田老害になった証拠なのだろう。

 しかし、

若い人に語り継ぐという方針でないと

上岡師匠に関しては、増田と同世代以上との 思い出話も紡げないと感じる。

 

訃報や、Wikipediaなどで上岡師匠の概略は説明されているだろう。

 一方で、

ネット上に膨大に残された動画や音声はどうか?

 恐らく、

23年以上前動画や音声だけでは 前提情報文脈が違い過ぎ、あの時代の空気感は おろか 意味意図も正確に伝わり難いだろう。

 無謀にも増田はそこを少し補いたい。

 

上岡師匠は、そもそも危険芸人

 訃報に際し、

上岡師匠が時にトラブルを巻き起こした事は書かれてあると思うが……。

決して、トラブルメーカーなタイプでも、我儘でも、爆発するタイプ芸人でもなかった。

 基本は、

常に機知にとみ、理知的で冷静な姿勢を保ちつつ毒舌を組み込んでいく司会とトークの達人だったのだが。

芸の本質的危険性も十分に理解しておられた方で、

 出演されているだけで

【常に、0.1%程度は放送事故を起こしそうな芸風】だった。

これは、テレビラジオへの誠実さの裏返しで常に少し緊張感のある芸風だった。

それが良かった……。

 そして

社会的正義と、ご自身の信念が重なった領域では決して曲がらない人だった。

 特に自分がメインの番組では。

 

 【時代

上岡師匠引退されたのは2000年

2chの開設が1999年

ブロードバンド(!)の商用提供1999年との事。

 当時は

インターネット携帯電話の普及期で、

インターネットケータイの影響は確実に有ったが、ネットが使えて当たり前という時代では無かった。

動画の送受信なんて一般には不可能で、 画像の表示さえ重かった。

 ただ、

メール等の文字情報の送受信の利便性理解されて始めていた

 IT革命(!)の黎明期

一般人同士の情報発信は まだ困難で

 テレビが、マスメディアとして独占的地位にある最後時代だった……。

増田は、上岡師匠ネットテレビの現状を当時の時点で察しておられたと確信している。

 これは増田記憶ソースなので確証は無いが。

上岡師匠は当時、

「(ネットが普及すると) ウチら(芸人)は いらん様になるな。 だって友達と喋った方が面白いもん。」

と、発言されていたと記憶している。

(追記修正:肝心、要のポイントなのだけど。『松紳』での紳助さんの発言混同しているかも……。申し訳ない。)

 

実力的にも、年齢的にも、まだまだ余裕だった筈。

 ただ、

から見れば炎上必至の芸風だった。

ネット前夜にネット特性を見切った確かな見識。

引退という決断

2000年というタイミング

引き際も含めて上岡龍太郎という【芸】の完成形だった……。

 

上岡龍太郎を知っている。あるいは影響を受けた

少なくない人間上岡龍太郎を真似したがる。

 しかし、そこに

上岡龍太郎の知性、センスバランス感覚人間性、 思いやり、そして環境が揃わなければ。

 それは単に、つまらない悪口に過ぎない。

 

20世紀良心重石が去った様だ……。

 

 いや……、増田は……、

〈 表舞台から去った真の実力者を知っている。〉

そのストーリー固執しているだけだ……。

かにそれは増田の心の拠り所であった。

 しかし同時に、下の世代に対する

暗い優越感でもあった事を認めねばなるまい……。

20世紀の終わり。

上岡龍太郎引退という空白を埋める度量を

23年も経つの増田は持てていないのだ……。

 

師匠

 本当に綺麗に引退されましたね。

増田も当時、幼いなりに その価値、その意味を分かっていたつもりでした。

師匠が本気で二度と表舞台に立たない事も。

 でも 正直、寂しいですわ。

この23年間の何処かで 、また見たかった。また聞きたかったです。

 甘いですわね。

人生は、全ては、一期一会なんですから……。

 

P.S.

 もう、ムツゴロウさんも逝っちゃう

イヤになっちまうわ……。

 

探偵!ナイトスクープDVDとかは有るし。

上岡龍太郎師匠比較最近の話は

ここで買えるみたい。増田も後で買う。

https://ebookjapan.yahoo.co.jp/books/430131/A001805387/

 

何か、お別れ会も無いみたいだし。

師匠の思い出話も出来ないわ。

このままだとエピソード散逸していくだろうし。

アラフィフ以上の人も集まって 師匠の思い出話が集まる様な場所を知っている人がいたら教えて欲しい。

このまま散逸するのは悔しいわ。

追記とかもするし。

[追記しました。]

https://anond.hatelabo.jp/20230605195217

2023-06-01

anond:20230601111034

もともと「品行方正」「清廉潔白」「安全安心」「健全」「知的」「元気」「笑顔」理想のパパ・ママ」みたいな陽のイメージ商売してた人は悪さすると許されない。

一方で、アホとかやんちゃとか胡散臭いとか変態とかキチガイとかそういうイメージの人が多少悪さしても、まあそうだよなって感じになる。

から健全で良い子路線で売ってたベッキーは叩かれて、いかにもゲスそうなマッシュ普通に不倫ネタにしてすぐ復活できた。

現役スポーツマン子供の憧れという前提があるから悪さをすると叱られるけど、現役引退して黒光りした清原クスリで捕まっても「まあそうやろな」って感じ。

ピエール瀧とかまさにそんな感じで、昔から知ってるファンは捕まるのもネタしかないけど、ドラマに出たりCMでお父さん役やってる瀧しかしらない人はガチで怒ってて面白い

前者のほうはピエールがお父さん役って時点で大笑いなんだけど。

から、今後、音楽活動は復帰できて、Vシネとか映画には出れるとは思うけど、ゴールデンタイムドラマとかCMには起用されなくなると思う。

2023-01-25

半導体設計ソフトGoogle Colabみたく誰でもトライアルできるような状況になってりゃ変わってただろうにな

ニュース半導体話題になるけど、何してるかやっぱりイメージ共有出来てないよね。

解説で詳しい人も現役引退してから何年も経ってる。

2023-01-19

[]横浜FCという創価学会フロント団体について記しておく

今年J1に復帰した横浜FCというチーム。カズこと三浦知良本籍を置いているチームとして知られているが、これ、実は創価学会との繋がりが強いのである。以下、具体的な内容を記しておく。

もともとは横浜フリューゲルスの後を継いだ市民クラブであった。

詳しくは割愛するが、横浜FC1998年度いっぱいで消滅した「横浜フリューゲルス」の後を継いで立ち上げられたクラブである。当時は特定親会社を持たず、ソシオという制度を使ってサポーターお金を出して支えると言う仕組みの先駆者でもあった。

2007年に一度J1昇格を果たすが、圧倒的最下位であえなく降格。話題になったのは当時在籍していた久保竜彦の超ロングシュートと、最終節で途中までJ1首位を独走していた浦和レッズの優勝を打ち砕いたことくらいであった。

創価学会信者社長を務める企業親会社

2009年にLEOCという給食事業会社横浜FC親会社になる。

この企業グループ(当時はレオックグループ、現「小野寺グループ」)の会長社長は熱心な創価学会信者であるのだ。https://i-incz.com/blog/2485.html

その後、横浜FC創価学会との結びつきを強めていく。

横浜FCコーチスタッフ創価学会に入信しないとチーム内で虐められるようになる

週刊新潮2013年6月20日号においてこのような話が告発された。内容まとめているブログがあるので詳細はこちらを見て欲しい。http://yajyukouhai.blog.fc2.com/blog-entry-405.html

奥大介氏が現役引退後壊れてしまい最終的に交通事故で絶命した遠因は創価学会への入信をしつこく求められたことによるストレスであり、他にも入信強要を嫌がってチームを去ったコーチスタッフが何人も出ていたとのこと。

1-2年で辞めた人ならともかく、何年も在籍している監督コーチスタッフがいたら、その人は入信したか元々信者であると思ってよいだろう。

創価学会聖地三ツ沢公園」の再開発にも絡むように

昨年、小野寺グループ三ツ沢球技場の改築提案を突然発表した。昨年になって横浜市が手狭になった三ッ沢公園再開発構想を掲げたことを受けて、小野寺グループが具体的な内容提案を行ったものであるhttps://www.onodera-group.jp/news/?p=3335

実は創価学会三ツ沢聖地の1つとして位置付けている。1957年創価学会の2代目会長が「原水爆禁止宣言」を行った場所がここなのだhttps://www.sokagakkai.jp/in-society/nuclear-abolition-declaration.html

から、他の非創価学会企業に取られないよう、小野寺グループは先んじて手を打ってきたと考えられる。

学会企業による提案からか、いつもなら真っ先に反対の声を上げる共産党大人しい。学会企業が絡んでいない広島京都鈴鹿とかでは人間の鎖とか環境保全ガーって言ってきたが、横浜三ツ沢のこの件ではあまり大きな反対の声を上げていない。学会企業提案不用意に噛みつくと痛いカウンターを食らうことを恐れているのだろう。

カズ信者かどうかはわからない

最後に。カズ学会信者かどうかは、決定的な証拠が出てきていないので何とも言えない。ただ学会フロント団体である横浜FC広告塔としてこき使われていることは確かである。今年はポルトガルレンタル移籍が決まっているが、移籍先のチームもこの小野寺グループ関連だったりするのだ。

2022-11-06

[]大分戦初勝利でJ1残留確定。吉田ハットトリッククラブ初の個人タイトル得点王獲得。山本10ゴール10アシスト達成、現役引退加藤PK弾で有終の美

 J1は5日、最終節が行われ、オレオレFCホーム大分トリニータに5ー0で圧勝勝ち点45に伸ばし、来季のJ1残留が確定した。一方、18位京都サンガFCアウェイジュビロ磐田スコアレスドローで18位が確定し、13日の熊本VS山形の勝者との参入プレーオフに回る事が決まった。19位清水エスパルスアウェイ北海道コンサドーレ札幌に3ー4で敗れ、最下位が確定。これにより、ジュビロ磐田の19位、清水エスパルス最下位が決まり、2チームは来季J2降格2023年静岡県から初めてJ1から陥落する。

 勝てば無条件、引き分けでも残留が有力なオレオレFCは前半から攻勢を仕掛け、同27分に山本パスから吉田が抜け出して先制。前半終了間際にはPKを獲得し、相手DFが退場。これを山本が決めて折り返した。数的優位に立った後半も攻撃の手を緩めず、7分、18分と吉田が決め、ハットトリックを達成した。今季限りで現役を引退する加藤は後半25分から出場。同44分にはPKを再び獲得すると、加藤が決め、有終の美を飾った。

 オレオレFC今季、開幕6試合勝利を喫したが、4月6日横浜Fマリノス戦に勝利すると、5月29日川崎フロンターレ戦までクラブ記録を更新する10試合負けなしを記録した。しか6月18日清水エスパルス戦に敗れると、そこから極度の不振に陥り、クラブワースト更新2003年ベガルタ仙台に並ぶ19試合勝利を喫し、10月1日の京都戦後に、相田満博前監督を解任。阿野燿大氏が監督として残り4試合を戦った。8日の翌節・鹿島アントラーズ戦に引き分けJ2降格圏の19位に転落したが、12日の柏レイソル戦で勝利し、20試合ぶりの白星を挙げてからは3連勝、4試合負けなしで今季を終えた。

 今季通算成績は10勝15分13敗。勝ち点45で、55得点、57失点。昨年と同じ17位でシーズンを終えた。なお、山本今季10ゴール10アシストを達成。吉田は14得点清水FWチアゴサンタナに並び、クラブ初の個人タイトルとなる得点王に輝いた。

2022-10-31

[]今季限り現役引退加藤が最終戦ベンチ入りへ。「出てラストプレーで決勝ゴール奪って、残留出来たら最高」

 今季限りで現役を引退するオレオレFCMF加藤今季終戦となる5日のホーム大分トリニータ戦でベンチ入りする。31日はオレフィールドで調整した。

 練習後、取材に応じたベテランは「あと1週間で現役引退と思うと寂しい思いはある。ここ(オレフィールド)は昔は芝じゃなく、学校グラウンドみたいで、生えている草を先輩達と一緒にむしって、それから練習だった。今じゃ考えられないけどね。それでも下手だった自分を成長してくれた場所なんで。感謝しかないですね」としみじみと話した。

 チームは前節・広島戦に勝利し、J1残留王手をかけた。現地で観戦した加藤は「鈴木のゴールだったり、他の選手が躍動してね。相馬山本怪我でいない中で勝てたのは自信になる」としながらも「まだ何も決まってないし、海外とかでも大どんでん返し残留、降格があるわけだから。でも今の選手達なら、絶対大丈夫ですよ。俺は邪魔しないようにするだけ」と期待した。

 最終戦は敗れても18位京都が勝たない限り残留が決まる優位な状況。それでも「やっぱり勝ちたいよね。大分に一回も勝ってないし、ホーム終戦なんで、負けてセレモニーは嫌だから(笑)。出来れば、僕が出て、ラストプレーでゴールを決めて残留する。そしたら最高だと思うんで。出たら狙いますよ」とJ2時代から6分5敗の鬼門相手からラストゴールと白星締めを誓った。

2022-10-28

anond:20221028173218

成功者スタイル人生を送ると、18才辺りから成長とともにどんどん大事人生が重く成り続けるんじゃないかな。

そして、現役引退までずーっと大事な時期が続いて、引退と同時に終わるみたいな。

2022-09-29

[]現役引退加藤「やりきった」通算358試合出場はクラブ最多。残り5試合「あとは自信だけ」J1残留を目指す

 今季限りで現役を引退するオレオレFCMF加藤20日、オレノミカ引退会見を行った。2007年から加入し、15年間、チーム一筋でプレーしたベテランは既に昨オフ引退意思クラブに伝えていたことを告白クラブ来季ポストを用意することを明かした。

 会見では加藤らしく、すがすがしく明るい表情だった。「悔いはないですね。15年という長いようであっという間の現役生活だったけど、やり切った思いが強いです」。そして、こう明かした。「正直に言いますと、19年に大島さん(現U-18GKコーチ)、昨年は内藤さん(現U-15監督)が引退して、自分契約していただいた時に、中津真吾社長には『今年ダメなら(引退)』と伝えてはいたんですけどね」。

 2020年に左膝内側側副靭帯を損傷し、全治8ヶ月の重症。その影響で昨年は4試合の出場に終わった。「人生初めての大怪我。あれから感覚も含めて違和感を感じた。かばったプレーというか、自分が思ったようなプレーは出来なくなっていた」。今季7月までカップ戦のみの出場。山本宮城に加え、今シーズン鈴木潤ら若手が台頭し、躍動する姿を見て、その思いは一層強くなった。「自分プレーするよりも、色々な若い選手達を見て、試合の中で成長していく姿がうれしかった。上手い子がいっぱい来たし、“世代交代だな”と割り切れた」と引退の経緯を明かした。

 今月初旬にクラブと話し合いの場を設け、改めて今季限り引退意向を伝えた。先日9日には視察に訪れた元監督多良初徳氏にも伝えたと言う。多良からは「本当に辞めるのか?まだ若いだろう」と問われ、相田満監督中津社長に、大島内藤とかつての仲間からは「まだまだやれるはず」と言葉をかけられた。8月から出場機会が増え、現在3試合に出場。特に8月20日清水エスパルス戦では起死回生の同点ゴールでドローに持ち込むなど、健在をアピールしていた。だが、引退意思は固かった。

 「長友さんや三浦カズさんのように、どんなに批判されても常にチャレンジ、向上する姿勢が一番だと思う。でも自分限界。彼らのようにはなれなかった。左膝の影響もあったけど、やっぱり気力も揃って、プロなので。それを思うとあの二人は凄いなぁ…って思いますね」。15年間在籍し、主力としてけん引。主将を努めた2018年にはJ1昇格に貢献した。通算358試合出場はクラブ最多。「無名だった自分をこのクラブが育ててくれた。感謝しかありません」と笑顔で振り返った。

 印象に残る試合については19年5月松本山雅戦(アルウィン)を挙げた。「前々から松本サポーターの熱気は凄いと聞いていたけど、想像以上の半端なさだったし、鳥肌が立った。その中で、自分のゴールで勝てた試合」と、2―0で勝利した場面を挙げた。

 会見にはMF山本鈴木潤GK村上DF松岡FW吉田に、今季から加藤代名詞だった背番号14を着けるMF相馬花束を持ってサプライズ登場。後輩たちには「苦しい時も必ず出てくるけど、そこでどうするかが各選手一番大事な部分。後悔はしないようにしてほしい」と“金言”を授けた。

 中津真吾社長来季ポスト検討していると明言。加藤は「(今後については)まだこれから。このクラブの力になれれば良いし、新しい自分に今からクワクしている」と話した。本拠地終戦今シーズンリーグ終戦となる11月5日大分トリニータ戦では引退セレモニーが行われる。

 チームは現在17試合勝利。暫定17位でJ1残留へ苦境が続く。それでも加藤は「この前の札幌戦はチャンスも作れていた。あとは自信だけ。今季取った勝ち点は一気に失わない。あと2ヶ月、しっかり頑張ります」と明るい表情で話した。15年間、サポーターや後輩たちから愛された加藤ラストイヤーをJ1残留で送り出す。

2022-09-28

[]MF加藤今季限り現役引退クラブ一筋15年、最多358試合出場 クラブ来季ポスト引退セレモニー用意

 オレオレFCMF加藤今季限りで現役を引退することが分かった。クラブ一筋15年間、J2J1昇格経験し、最多の358試合に出場したレジェンドが15年間の現役生活に終止符を打つ。すでにクラブ側には現役引退意思を伝えており、明日にも会見を開く。また、クラブ側は新たに来季ポストを用意することも判明。引退セレモニーを開催することも決まった。

 加藤愛知県出身33歳。高校を経て2007年に当時、創設初年度のオレオレFCに加入。3年目からレギュラーに定着し、司令塔として数々のチャンスを作り出し、主将経験。チームのJ2J1昇格に主力として貢献した。

 しかし、2020年に左膝を負傷し、手術。全治8ヶ月の重症で、復帰後は本来の力が影を潜めた。その間、中盤はMF山本宮城ら若手の台頭もあり、出場機会が激減。それでも8月20日清水エスパルス戦では敗色濃厚のチームを救う同点ゴールを決め、勝ち点1に貢献。熾烈な残留争いを繰り広げるチームの状況下にあって、持ち前の明るい性格でチームを盛り上げるなど、ムードメーカーとして牽引した。

 プロ15年間で積み重ねてきた出場数は358試合。35得点を挙げ、99アシストクラブ最多の数字クラブ記憶と記録を残した加藤が、現役生活に終止符を打つ。

2022-08-31

anond:20220831100925

ロッテジャイアンツでもうすぐ引退

2018年は全試合に出場した。

2019年不振から立ち直れず、シーズン終盤には全炳佑と入れ替えで16年ぶりとなる二軍降格となった[39]。

2020年は復活し、レギュラーシーズン全144試合に出場した。オフに3度目のFA申請したが、2021年より2年契約ロッテと再契約を結んだ[40]。

2021年5月8日サムスンライオンズ戦では既にロッテ側が捕手を使い果たした状況で、チームが2点ビハインドの9回表に抑えの呉昇桓攻略して3点を挙げ逆転した影響で、初めて捕手守備についた。先頭の呉在一には安打を打たれる(直後に代走の金浩載と交代)が、次打者の朴海旻の打席時に巨体でワンバウンドボールを止めるなどの好守備を見せた(朴海旻の打席結果も安打)。その後は姜韓蔚の犠牲バントで1死2・3塁のピンチを招くが金軒坤をショートファールフライ、姜珉鎬をショートゴロに打ち取り1回を無失点に抑えた[41]。10月1日KTウィズ戦でKBO史上14人目となるKBO通算2000安打を達成した。

2022年に同シーズン限りで現役引退することを発表した。

2022-06-28

世帯年収5000万円のリアル

家庭内格差のある世帯でのリアルな例として雑記的に。

anond:20220625155900増田のいう「悲惨な人たち」に該当する。

開業医

GAFAではない外資系プラットフォーム企業勤務


…ここまで書いてきたところでお気づきかもしれないが、将来の夢があんまり描けていない。今をなんとなく、そこそこよいものに触れ続けて生きていくだけの人生で、ドキドキやハラハラ映画小説で「他人人生を疑似体験」するだけでいいと思っている。

2022-01-26

キャプテン翼を読んでサッカーやり始めた人が現実あんな技ができると思っていて迷惑」って現役引退したサッカー選手が言ったらボコボコにされるだろうな

2022-01-06

半導体を見てると、技術って一度失うと取り戻すのキツイんやなって

損切りしろって短期的には正解だったんだろうけどさ。

人材の育成からってなると数年かかりだし、そもそも教育の内容やら体制やらも準備しないといけない。

ニュースだけは流れているので、公開しても痛くない情報はまだ拾えるけどさ、技術ってそうじゃないじゃん。

実際手を動かすとドキュメントがないことなんてあるしさ。


半導体なんて書籍Web記事書いている人が少ないから、日本市場に適した人材がいるのかすらわからない。

現役引退してジャーナリストになった人はいるけど)

じゃあ海外だっていって、海外以上の年収提示しても優秀な外国人が来るかってまた別だと思うんだよね。

海外に出ていった日本人が戻ってくるってのは、海外と同じ年収ならってことで日本に戻ってくるかもしれんけど、

殆どの人は工程の一部担当してるだけだから、どういう体制必要だとか、どのようなスキルを持った人がどれくらいの規模必要かとか、やらないじゃん。

2021-12-29

野球

 プロアマわず日本野球経験者は現役引退後の生活でも、野球固執する例が多い気がする。固執と言っても全く過言ではない。プロ野球甲子園に注目したり、草野球を続けたり、あるいは部活動少年野球コーチになったりする人らが、野球経験者中で数でも意識の上でも優位に立っているような。現にわたし野球呪縛から逃れられていない。なお、ここでの野球とは日本での野球を指して、アメリカその他の国々における野球ではない。またここで示す見解は、裏取りや検証を全くしていない、一人の想像であり譫言の域を出ない。

 振り返ると、野球競技従事者には「一筋に打ち込む」ことの正義支配的で、プレーヤーには「生活中では野球第一を是とする」思想を植え付ける傾向にあった。それが上達には必須であるからと。

 全体練習中にサボるのは良かったが、部活を休むのは悪だった。授業中に寝るのは良かった(むしろ褒められる視線を受けた)が、移動教室廊下で対面する監督や先輩に立ち止まって挨拶しないのは絶対悪だった。ああこれは全体主義だ……。

 それを自覚しなかったから、引退後もずっと頭が野球から抜け出せない。野球に限らず他のスポーツ、延いては人が従事するあらゆる対象でこの現象はあり得、対象にのめり込む程その色は濃くなりやすいだろう。しか野球特別競技科学分析とは別個に、コミュニティ内の人間関係において、個人的意思(≠個人主義日本にあって、最終的な辞める辞めないの自由はあったので、個人主義を許容していないとは言えなかった。ここではコミュニティ内で意思を表明するフェイズにおいて、個人的意思の芽は摘まれいたことを指摘したかった。)や相対化を拒む文化が根差していて、否定は罪な風土があった。同期は仲間であり、後輩は慕い、先輩と監督コーチは畏敬する人間であるとの認識が正常とされている。

 その文化洗礼を受けた頭が無意識に後進を指導するので、界隈が全体主義的に規定され、その影響下にわたしもあったのだとすれば、このふとした拘束感に合点がいく。

 この仮説が正しければ、宗教的意識無頓着である点でこの野球教は悪である

 一つ厄介事があるとすれば、それは野球競技的に極めようとすると、この全体主義思想有効である証明されている点である事実日本野球の強さは世界屈指ではあり(競技国や競技人口が少ないので正しさの更新を望めていない問題はあるが)、世界的名選手すら輩出している誇りがある。

 しか国内競技人口は減少し、またSNSの隆興や欧米発の自由主義的な価値観流入などで、指導方法アップデート強要されている今日、これまでの正義が変容の岐路に立たされているのは間違いない。

2021-12-26

江川氏は94年スタート前身番組スポーツうるぐす」で

江川氏は94年スタート前身番組スポーツうるぐす」でメインキスターを務め、2010年から「Going」に11年8カ月出演。この日の放送では「江川卒業SP」と題して、番組での江川氏のMCぶりや、試合解説選手の様子や変化を見極めて結果を当てる「予言解説」を展開してきたことなどが特集された。

巨人原辰徳監督(63)からビデオメッセージが届き、これまでの労をねぎらわれるとともに、「まだまだ江川さんは体も知力もお若いでしょうから、少し時間があるんであれば、実弾飛び交うジャイアンツのところに降りてコーチ、あるいは監督という形でやってもらえる可能性も、ちょっと増えたのではないかと思っています。先輩、ご苦労さまでした」と、今後の監督業も期待された。

MCくりぃむしちゅー上田晋也(51)もこのVTRを受け「我々としても、江川監督って言うのを見てみたいというのは長年思っているんですけど。そういう方向性というのはいかがでしょう」と問いかけると、江川氏は「ほぼないですね」と回答。上田が「え~やりましょうよ」と食い下がると「ないと思いますよ」と淡々と続けた。

上田あきらめず「ひょっとしたら原監督からちょっと江川さん、お願いします』って、臨時コーチとかあるかもしれませんよ」と粘ると、江川氏は「そうですね、臨時であれば、やらないですね」とクールな返答で笑いを誘った。ただ、最後上田が「やってくださいよ、日本中に見たい人がいっぱいいますから。その日を楽しみにしたいと思います」と言うと、江川氏はまとめるように「はい」と回答。今後の監督就任を“完全否定”はしなかった。

終盤には、今年まで巨人の場内アナウンス担当した山中美和子さんの「9番ピッチャー江川背番号30」のアナウンスに送られてあいさつ。江川氏は視聴者スタッフ感謝言葉を述べると、「私はもう少しマウンドに登ってみたいと思っていますありがとうございました」と、意味深コメントで締めた。



選手としての特徴

江川の球速は高校時代に既にピークを迎えていたとも言われ、当時スピードガンはまだ無かったが、150km/hを超えていたのではないか推定されている[49](プロ入り後の最速は154km/h[50])。スピードガンが各球場に導入された頃、江川ストレートの球速が135km/h前後と表示される記録映像が残っている。これについて掛布雅之西本聖槙原寛己など多数の人物異口同音に「江川の球速が140km/hを下回ることはありえない」と証言、当時のスピードガンは精度が低く、数値の正確さには疑問があると指摘している。特に掛布は「最低でも150キロ好調時は155キロ以上出ていただろう」と述べている。2021年12月4日Going!Sports&Newsにおいて、江川自身が最も速かったとする1981年中塚政幸に投じたストレートの球速を分析したところ、158km/hと算出された[51]。

江川が投じる速球の威力の高さは、投手としては指が短めだったこともその理由とされる。指が短めだったことは、スピンをかけるには有利だったが、フォークボールなどの変化球を投げるのには適さなかった。そのため、プロ入りまで変化球カーブしか投げられなかった。掛布高木豊の弁によると江川は手首の関節が非常に柔らかく、打席から見るとリリースの寸前まで手のひらが見えたという。この柔軟かつ強靭な手首によりボールに強烈なバックスピンを与え、江川独特の伸びのあるストレートが生まれたのではないか高木解説している。このことを掛布は「スピンが効いた独特のストレート」と評した[52]。

1980年代では、スピンが効いたストレートは「球質が軽い」「長打を打たれやすい」などと呼ばれ軽視もされていた。 しか2000年代に入り流体力学を使った解析により、バックスピン数が高いストレート普通の直球よりも沈まず、打ちにくい球であることが判明した。 江川の浮き上がるようなストレートはこの効果によるものと考えられている。

《なお、2021年MLBでは、回転数が高いボール効果があり過ぎるため、指に粘着物質を付ける投手が激増したことから、取り締まりに至る事態になっている。》

1985年から投げ始めた「相手の腰を引かせるスライダー系のボール」、コシヒカリ話題になり、本当にコシヒカリが贈られてきたエピソードがある。このことに味をしめた江川は、今度はメロンを貰おうと「相手マスク(顔)をメロメロにしてしまう顔の前を通すボール」、マスクメロンを開発している[19]。現役時代ライバルだった掛布雅之は、「ストレートへの強いこだわりを持ったボールを感じさせてくれる」唯一の投手だったと述べている[53]。

阪神ランディ・バースが55本塁打や7試合連続本塁打などで王貞治の記録に迫ったとき、逃げ腰の巨人投手陣の中にあって勝負を挑んだのは既述の通りだが、バースが2年連続三冠王を獲得した1985年1986年において、1985年は被本塁打0、1986年の被本塁打も7試合連続となった本塁打連続試合打点記録更新中の最後試合(13試合目)で打たれた2本だけであった。江川引退時、バース江川を「日本アメリカを通じて今まで対戦した中で最高の投手」と讃えている[54]。

9回を完投するため、中心打者には「最高出力」まで上げ、下位打線選手にはコントロール重視とするなど、メリハリをつけていた[55]。9回に全力の投球で三者三振を取ることを「やっぱり打てない」という印象を与えるという点で重視し、そのために7回・8回は少し力を落としたと述べている[55]。現役時代チームメイトだった篠塚和典は「江川さんにはギアがある」と表現しており、「試合の中でここぞという時、特に主力打者と対戦する時はトップギアに入れた。あの大きな体が更に一回り大きく見えた」と述懐している。

江川は与死球が極めて少なく、これは高校時代、自らが頭部死球を受けた経験から厳しく内角を攻めることにためらいを見せたためと語っている[56]。江川自身は、捕手が構えたままのギリギリコースに投げることができたため、わざと打者の体の近くには投げることはしなかったとも述べている[57]。また与四球も少ない。江川場合、豪速球で圧倒できた全盛期の与四球が非常に少ないのが目立っている。江川ボール球を投げること自体が嫌いだったと述べており、当時の巨人ではカウント2ストライクノーボールからヒットを打たれると罰金を取られたため、捕手から懇願でその場合は仕方なくボール球を投げていたという[58]。一般的に速球派投手コントロールが悪いことが多いが、江川はそれにあてはまらず、コントロール面も卓越したものであったことが伺える。

本塁打が多く、「一発病」といわれた投手の1人であり、本塁打を打たれた際、マウンド上で両手を腰に当てながら首を捻るシーンがよく見られた。1982年リーグ最多の36本塁打を打たれた。9イニングあたりの被本塁打通算で1.23である[59]。

上記の通り、デビューした対阪神戦では敗戦投手になったが、その後は阪神キラーとなり、対阪神通算36勝(18敗)を挙げた。これは通算135勝の1/4強を占める。逆に小林繁阪神移籍した1979年こそ対巨人戦8勝0敗と意地を見せたが、その後は引退までの4シーズンで対巨人戦5勝15敗と対照的な結果になった。入団2年目の1980年8月16日、対阪神戦(後楽園球場)での小林繁との初対決では、打撃でも小林から決勝適時打を放つ活躍で、3失点完投勝利を収めている[60]。のちに、「プロ野球でやっていく中で絶対に負けられない試合は数試合しかないだろうが、その中の一つがその試合だと思って試合に臨んだ」と懐述している。

打撃の優れた投手としても知られているが、初安打デビューから36打席目だった[† 28]。プロ入り最初打席で、阪神山本和行が初球に投げたストレートがあまり速くなかったため、「プロってこんなレベルか」と思っていたところ、そのあと「打ちごろ」と見て振った球をいずれも空振りして三振を喫した。江川はそれがフォークボールであったと気づき、「これはやばいぞ。プロはこんな高いレベルなのか」と思ったと回想している[61]。

人物

少年時代写真笑顔で写っているものはない。それは父親から写真は真顔でとられろ」と言われたかである[62]。

裕福な少年時代を送っていたわけではないが、父親財産管理が上手かったこから、年2回の旅行を行えたり、電化製品をそろえることができるなど、物資には全く不自由しなかったとのこと[63]。

幼い頃に父に背負われて散歩に出かけた際、背負われたまま崖の下を覗かされたことが原因で、極度の高所恐怖症となった。そのため妻が元客室乗務員でありながら飛行機いであり、国内の移動はどんなに時間がかかってもいつも鉄道などを用いている(妻との馴れ初めは、江川米国開催の日米大学野球選手大会に出場するため、やむを得ず飛行機に乗っていて青くなっているところを、客室乗務員だった妻が親切にしてくれたこである)。かつて巨人北海道遠征取材東京盛岡青森函館札幌と一日かけて陸路を乗り継ぎながら出かけたほか、宮崎キャンプ取材でも東京博多新八代鹿児島中央と乗り継ぎ、車で宮崎入りするなど、時間がかかっても陸路移動にこだわっている。現役時はまだ青函トンネルが開通しておらず、チームの北海道遠征時は登板がある場合のみ飛行機を利用したが、自らの登板予定がないときはチームに帯同せず東京に残った(江川引退した翌年、1988年青函トンネル開通)。松山でのオールスターゲーム取材したときでも、松山岡山東京と乗り継いで帰京したために、翌朝の『ザ・サンデー』のエンディング江川は既に松山を発ったとのフリップが出ていた(同行した女子アナ松山市内でゆっくり買い物をした後に飛行機で帰京し、江川より先に東京に到着した)。陸路がない沖縄キャンプ取材する際も、時間に余裕があるとき鹿児島から24時間かけてフェリー沖縄に移動するほどである横浜DeNAベイスターズ春季キャンプ取材沖縄に行った際、このときはさすがに飛行機には乗ったが、中畑清監督に「どうやって来たの? 潜水艦でも乗ってきたの?」といわれてしまい、名球会ハワイでの取材時にも長嶋茂雄から江川さん、よく飛行機に乗れましたね」といわれたほどである飛行機嫌いの一因には幼少時代体験だけでなく、現役時代に発生した日本航空123便墜落事故も影響しているといわれている。この事故で同じ球界関係者である阪神タイガース・中埜肇球団社長犠牲になっていたため、球界全体にも大きな衝撃を与えていた。

大学時代、後の夫人となる女性交際していたときデート東京六大学の試合登板予定が重なると、待ち合わせ時間として「試合開始から時間後」というように時間指定していたという。夫人によれば、指定した待ち合わせ時間に遅れることはほとんどなく、逆に試合の進行が早すぎると、わざと遊び球を投げて時間調整をしていたほどであった[64]。

現役時代から財テクに精を出し、不動産投機で大失敗して多額の借金を背負う。「投げる不動産王」とも呼ばれた。プロ入り直後には契約金を使って土地を購入したところ、予定納税のことをすっかり失念していたために資金繰りに窮し、結局土地を手放さざるを得なくなる[65]など、投資に関する失敗談も多い。この他、一時は第一不動産(のちのエフアール・イー、2007年1月破産)や、東京ベイホテル東急の運営会社役員にも名前を連ねていた[66]。なお、同様の呼び名桑田真澄にもあったが、こちらは本人が直接作った借金ではない。

現役引退の年、自宅に近い横浜市緑区霧が丘に喫茶店「きりんこ」を開店した。元々は巨人で打撃投手をしていた同僚が転職を考えているという話を聞き、その支援目的で当時近所に住んでいた黒澤久雄や羽川豊らと共同で出資したのがオープンきっかけだったという[67]。しかし、住宅地で回りにほとんど店が無いこと、すぐ隣に老舗の喫茶店があったことなどから、数年で閉店。その後駐車場となっており、建物の遺構の一部が駐車場の壁として残っている。

本人曰く「成金趣味」に結構金額を費やしている。一時はワインにはまっていたほか、ゴルフ好きが昂じて純銀パターを特注で作らせたこともある[† 29]。それらの贅沢には「ストレス発散」の意味合いもあったという。

テレビでの野球中継において選手呼び捨てにしている解説者が多い中、江川基本的呼び捨てはせず「○○選手」「○○投手」といった呼称を付けている。

2021-11-30

してないのに妊娠するわけない

子供欲しいと思って妊活解禁になってから3ヶ月。

一回もチャンスがない。

夫の方にセックスする気がない。

夫も子供ほしいね!って、してないのにできるわけないだろーがよ。

って指摘したらものすごく落ち込んで傷ついて、レスられてるわたしの傷はなんなんだよ

それなのに友達なんや妊娠して傷ついてる自分

してないのにできるはずもないのに傷つくはずの舞台にもあがってないのに傷つくたびに馬鹿らしい気持ちになる

まだ27だってのに現役引退なん?これからずっとセカンドバージンですか?

っていうなかで義妹が妊娠して、義妹の臨月義母還暦祝いするから行こうってよ

一応言っとくけど義実家の皆さんはみんないい人

優しいし

だけど、わはは、夫の無神経さに笑っちゃう

2021-08-30

不謹慎なことを言う

パラリンピックって、競合する選手が少ないじゃん。だから普通な現役引退の歳でもオリンピック出れるわけで。

 

プロとしてスポンサーがつくならさ、成績が伸び悩んだ健常者が脚を片方骨折したりしたら無双してしまうのでは?

2021-05-15

anond:20210515124838

億万長者の経営者がいつまでたっても現役引退しないのもそういうことだよな。

一定レベルを超えると金問題じゃなくなる。

地位名誉権力を求めるようになる。

2021-05-12

選挙権、年齢の上限は設定されない、だってこうなるだろ

60代「70代以上は現役引退世代である出馬すべきではない」

50代「60代になると急激に年収が下がる、市場価値がないからだ、出馬すべきではない」

40代ロストジェネレーション引き起こした上の世代は信じられない、出馬すべきではない」

30代「氷河期を乗り切った者が立候補するだろうが、生存バイアス心配である出馬すべきではない」

20代「30代以上は体がかつてほど思うように動かないらしい、政治家として不適格なので出馬すべきではない」

10代「酒が飲めるのはこれ以上の脳の成長が見込めないからだ、飲酒可能年齢は出馬すべきではない」

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