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はてなキーワード: ウーマンとは

2020-05-20

ウーマン村本はとろサーモン久保田の台頭で政治の方向へ転向したとは言い難いと思う。

虚言癖がある人のようだ。

https://togetter.com/li/1427847

このツイートも非常に疑わしい。

これは村本が政治ネタをやり始めたのは久保田の台頭のせいだってわけだが、別にそんなことはないだろう。

「現れた」で思いつくのが2017年12月3日とろサーモンM-1優勝。そこで、村本は政治ネタ転向したってわけだ。

しかし、2017年5月のENGEIグランドスラムウーマンラッシュアワーは、時事・政治ネタ披露している。

また、2017年12月15日THMANZAIウーマンラッシュアワーは大々的に政治ネタ披露したが、これは収録なのでM-1とろサーモンが優勝する前だろう。

仮にとろサーモンM-1に優勝してからTHMANZAIの収録をしたのだとしても間隔が短すぎて政治ネタを用意できるはずもない。

2016年からabemaで村本は番組をもっていたが

これは社会派的なニュアンスが強い番組

この頃あたりから時事・政治に興味を持ったのだと思う。

2020-05-19

ホリエモンウーマン村本の発言記事クリックしたら負け

誰もがクリックしなければ「こいつらの発言記事にしても誰も読まないな」とマスコミが気付いて

まったく取り上げられなくなるはずなんで、みんなこれから絶対クリックするなよ約束だぞ

2020-05-13

anond:20200513221055

ウーマンラッシュアワーは超かっこ悪いし

え?

爆笑問題は知らんけどウーマン村本のコントは称賛の声も沢山あったが

anond:20200513215110

ウーマンラッシュアワーは超かっこ悪いし、爆笑問題政治ネタで全く面白くない漫才やってる。

そしてウーマンが与えた影響なんてせいぜい田原総一朗に噛み付くくらい。

何になるかといえば何にもならない。

2020-05-12

マンスプレイニング」がどうも腑に落ちない

マン+エクスプレイニングで「男が女を不当にバカ扱いして偉そうに説教を垂れること」ってのはいかに差別っぽくてイヤな感じがする

まあ全男性がそうだなんて言ってる単語じゃないし、そういうやつが多数いることは確かだしただ名付けて呼びやすくしただけと言えばそうなんだけどな

でも「ウーマンクライング(女が男との会話中に泣き出して話の流れを操作すること)」みたいな用語を作って嬉々として広めようとしてる有名人がいたら絶対バチクソに叩かれると思うんだよな

やるやつがいくら多いからって侮辱語を生み出していい理由にはならないんじゃねえかと俺は思う

2020-04-28

anond:20200426163346

教養とは違う話だけどブラッドボーン

日本語→鐘を鳴らす女

英語ベルリンリンウーマン

みたいな教養もクソもないとんでもない英語になってて面白い

2020-04-27

anond:20200427124147

第一志望はサラリーウーマンだの専業主婦だったのに

子持ちとかなんだかんだ理由つけて受け入れてもらえないからだろ

2020-04-26

anond:20200426113255

そこはマンじゃなくてウーマンじゃないと

薄い本展開にならないじゃないか

2020-04-25

anond:20200425014400

よくいる少子化推進マンウーマン

理由;アテクシの不幸はだれにも理解されないか

したくもねーな

2020-04-23

なんにでも噛みつく人ってなんなん?

ほりえもん とか 蓮舫 とか ウーマン村本 とか

何が目的なん?

2020-04-11

anond:20200411170909

じゃぁ国は国民税金で・・って人の命がかかってる短期からしょうがない。国民全員で協力してコロナ死ぬ人を減らす

コロナ絶滅させると勘違いしているやつも多いがそうじゃない

コロナ被害で死んじゃう 本来死ななくていい病人を救う それがミッションだ まちがえるな。死ななくて良い命を救うためにサラリーマンウーマンががんばってるんだ

 

たとえ、コロナがまんえんしたとしても(過程コロナ死ぬ命が減ればいい(本来目的)がんばろう

2020-04-01

コロナでワクワクしてる

 もうすぐ世界日本が大きく衰退していくのかもとか思うとなんかワクワクする

 今はまだ大きく変化出てないけど、この前の百合ちゃんの会見で専門家連れてなんやかんや言ってるあれとか、ちょっとずつやばい感じが出てる。もちろん、2月中旬とかから感染拡大してたのはわかっていたけれど、東京が騒ぎ始めてようやく日本一般市民も怖さが見えたのかもしれない。

 私はいまだに電車通勤だし買い物行ってもマスクは買えないか感染撒き散らすウーマンになっている。

 会社休みにしない経営陣とか日本が悪いから知らない。休みになったら感染して死にかけるか死ぬまでは部屋の片隅ではてブ見ながら酒飲んでいたい。

2020-03-26

ウーマンバカ

村本のせいで、そういうことになるよな。

2020-03-06

男性を表す英単語を創出すべき

マン」は人類にして(今もその意味もあるし)、女性は「ウーマン」、その男性版。

2020-02-13

ウーマン村本の生き方なんて俺とても素敵で真似したいと思う時あるんだけど

でもあいつどうやって日々の生活費作ってんの

バイトとかしてるんかな

ネットでチラ見するようなだけだとたまにライブやってるくらいでは

アメリカ活動して英会話に通ってコーディネイターがいるお金ってちょっと無理だよね?

どうやったらあんなふうに自由に挑戦できるだけの豊かな生活基盤が作れるの

2020-02-06

anond:20200206223503

ウーマンプレイニング体質な女性もいるよな。偉い立場の人には特に

まだマイナーな動きだからいいけど、こんなのが広まり出したら、女性には怖くて何かを教えるとか無理って事になりそう。

2020-01-24

ぺこぱ面白いと思うと同時に、これはお笑いの末期だなとも思った

ぺこぱという、相方ボケ突っ込みそうで、それをポジティブ肯定する二段ボケで笑いを取る芸人が居る

所謂何でもポジティブにとる笑いで、それのバランスを、突っ込み役が無駄個性的な事で中和するなど、かなり技巧派なギャグになっている。

単純に笑いとしても面白いし、お笑いに厳しい人も技巧派として楽しめるし、鬼滅の刃兎に角「売れ線」の嵐で、経済学者に喜ばれるように、

社会を反映し、またそれ自体構造的なテキストである」という構造主義大好きマン文系学者に好まれるような形になっている。

若林は「最近多様性が重視されて、ツッコミが出来ない社会なので、ぺこぱを見て泣いた」と言っていた。

ジョーカー監督も「コメディ映画を作っていたが、今の時代コメディーを作ると世間から批判されるので、作らない。だからジョーカーを作った。」と言っていた。

お笑いとは、「既存常識レールからズレたモノを、常識レールに当てはまることで『非常識』を際立たせ、そのギャップを笑って受け入れる」という性質を持っている。

例えば若林春日だと「兎に角マイペースで堂々と突っ走る春日」というズレた存在を「常識人で普通若林」が春日の変な部分を指摘するというように。

しか現代は「ズレている」という事を認めなければならない。若林春日の芸も、人によっては「発達障碍者馬鹿にしてる」だとか言われるかもしれない。

そこで「尖った笑い」を目指して渡米したウーマン村本は、「多様性最高の左派西欧ブルジョワ価値観」を常識に設定し「日本の奴ら」を非常識に設定することでそれを達成しようとした。

しかし「多様性欧米左派は最高」という矛盾はらんだは構造に気付く事が出来ず、日本に来ると結局「出羽守というボケ」のピン芸人になり自滅した。ぺこぱを見て彼は悔しがってるのではないだろうか。

そんな現代に向けて、ジョーカー監督

「女で精神的に健やかで健全黒人」という常識レールに「男で精神障碍者白人」という笑えない非常識を置いて、コメディではなくサスペンスを作った。構造的にはコメディーで、笑わせない事で

逆に常識レールというものの不自然さと都合のよさ、不満を描いて、観客はウケた。

若林

とにかく常識レールを学び、価値観スレスレを行くことで対処した。

ぺこぱはどうだろうか。正直これを「多様性尊重」と称賛する人は多いが、皆はこれを見て何を笑ってるのだろうか。

「変な事をしている人間(多様性)」という常識レールに、「多様性を受け入れる変な人間」という非常識を置いて、それを笑っている。

皆受け入れてはいるが、尊重はしてないのだ。多様性を受け入れる社会、つまりポリコレを笑ってるのだ。ギャップ顕在化させてる突っ込み役は観客である。突っ込む責任は観客も分担する。

ただ「笑い」と「納得」の境界曖昧にしてるので、受け入れられない部分は笑って、受け入れる部分は頷く。

そこにあるのは左派でも右派でもなく、全てである。全てであるが故に、今度は「ぺこぱ笑う人間」を叩く未来が確実に来るだろう。そして「そういう意図コメディにした」ぺこぱも叩かれる。

ぺこぱ自体ジョーカー役割を担っている。

去年流行った天気の子も、実際はコメディーの構造だ。

「晴れたほうがいい、一人が犠牲になっても、みんなが笑顔でいればそれでいい」という常識レールに対して「天気なんて晴れなくてもいい、女の子一人救えればそれでいい」という非常識を置いた。

結局ジョーカーも天気の子も、結論は同じだった。「何が正しいか、何を選ぶかは全て自分自身にかかっている」これが近年のテーマである気がしてならない。

ぺこぱの芸にも同じことがいえる。結局、「何が面白いと思うかは、自分で選べばいい」というアイディアが元だ。しかし選んだ責任を背負えるだけの力が僕たちにあるのだろうか。

大丈夫」と言ってくれる人は居るのか。

ぺこぱは「いじめにならない」という人は多いが、違う。ツッコミ役は割と理不尽な目に会う。

首に雑巾巻かたり、叩かれたり。「雑巾が綺麗なのは部屋がきれいにしてるって事」「痛いというのは生きている事」みたいな事を「言わされる」いじめは容易に想像できる。

「何が正しいか、何を選ぶかは全て自分自身」の価値観も、結局「選ばさせられる」という事は容易に想像できる。暴力もまた多様性の一つだ。

僕たちはそれを見て笑うのだ。そしていつか「多様性を強いられてる人」が常識レールになり「常識を語る人」がボケになる。いつか「人はいつか死ぬ」だとかで笑う世界が来る。

そして統一された「笑い」という概念は無くなってしまうかもしれない。

目の前の選択が、本当に正しいのか、それは自分自身選択、レールなのか。これはこれからテーマだろう。

常識レールが無くなり、異常者が居なくなり、何にも笑えなくなる世界がすぐそこまで来ていることを感じる。

レールが無い世界に、自由存在しない。

「全ての存在は滅びるようにデザインされている」とはニーアオートマタ言葉だ。それが滅びというか、完成というかはわからないが

そこへの道を一歩一歩進んでいるような、世界の終末に向けて歩いているようなそんな気がする。ひょっとすると素晴らしい世界かもしれない。

そこに行ってしまう前に、人々は笑いのあった時代まで「時を戻そう」と言えるのだろうか。

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