はてなキーワード: 日雇い派遣とは
中心的存在や人気者になれない人の折り合いの付け方を知りたい。
学校、会社、趣味で、何をやっても隅の方で地味にすごすことになる。
「とりあえずいる」位の存在で、嫌がらせをされたりする事はないが、例えばイベント等で意見を出しても「まあ、君のはとりあえずいいや」という感じであしらわれます。
何かを創るにしても、例えば誰かが「○○が欲しい」と言っていて自分が「それ、創らせてください!」と言っても、「まあまあ、大丈夫大丈夫」と返され、その直後に別の人に「創ろうか?」と言われれば「ああ!是非お願いします!」と言っているのを目にした。
何というか、どこで何をしても「自分だから評価をくれる人」がいない。
言い方は悪いが、例え学校でいじめられててもほかの所で評価されれば「自分にはこれで認められてるから」と、自信を持って人生を歩んでいける。
よくある精神病闘病記みたいなのには、必ず手放しで助けたり暴言はいてもそばにいてくれるパートナーがいる(こういう闘病記を見ると「辛かったんだね」という感動よりも、「死にたい死にたいって、死んでも悲しんでくれる奴いるんじゃん。うだうだ言わずに死ねるじゃんか、鬱陶しい」としか思えない)
ジョジョの吉良吉影の理想の人生みたいと思うかもしれないが、あれは何もしなくても最低限「普通」の認知はされるからいえることであって、吉良吉影の理想の生活を「正社員」じゃなく「日雇い派遣」がするとイメージしたら、一気にダサくなったろ?
もうこんな人生を長年生きてきたので、折りいればいいのに、未だに熱狂的なファンが生まれることに期待する自分がいて嫌だ。
幼い頃から学校が嫌いで運動音痴な上に頭の回転も遅かったんだけど歳を重ねていく事に学校嫌いが悪化してから学校に付随するものが全て嫌いになってきて中学上がったあたりから人付き合いとか勉強に酷い拒絶反応起こして1日12時間とか寝たり仮病使ってたら親に家から叩き出されて家の近くのお墓で座り込んで蹲って1人で泣いてたりしてたら中学生ながら親よりも白髪が増えてしまってそんなこんなで高校受験迎えて偏差値40の高校に合格見込み無しとか言われてさっさと落ちて通信制の高校行きたかったから家から1番近い偏差値48の高校受けたら受かってしまって行きたくない行きたくないと駄々こねながら入学する羽目になって相変わらずサボり癖が抜けなかったり人付き合い悪いまま卒業を迎えて成績も悪いし家貧乏だし学校嫌いだから進学しないし働くのも嫌だから楽な仕事で検索したら「市役所は楽」って聞いて親に公務員になる旨伝えて公務員浪人させてもらって2年間のモラトリアム獲得して公務員試験の勉強して今まで勉強してこなかったから教養問題(いわゆる国数理社英のことで主に自然科学と社会科学が得点源とされている)とかちっともわかんないし馬鹿だから頭に入らなかったんだけど知能問題(パズルみたいなやつで二次方程式出来るなら解ける問題が多い)が何故か得意だったのとコミュ障だけど愛想だけは良かったのが功を奏して地元の市役所合格したけど社会不適合者なのは全く変わってない俺が仕事続くはずもなく人付き合い苦手で頭悪すぎて仕事も理解できないし周りが何言ってるのか理解できないしで皆は普通に仕事できてるのに自分だけ1人常時パニック状態精神が壊れてしまって周りも家族も困惑させて5年ニートした後今は地元で流れてくるダンボールにガムテープをはる日雇い派遣をずっとやって実家暮らししてる今年35の男だけど俺見たいなやつの話ききたい。
中心的存在や人気者になれない人の折り合いの付け方を知りたい。
学校、会社、趣味で、何をやっても隅の方で地味にすごすことになる。
「とりあえずいる」位の存在で、嫌がらせをされたりする事はないが、例えばイベント等で意見を出しても「まあ、君のはとりあえずいいや」という感じであしらわれます。
何かを創るにしても、例えば誰かが「○○が欲しい」と言っていて自分が「それ、創らせてください!」と言っても、「まあまあ、大丈夫大丈夫」と返され、その直後に別の人に「創ろうか?」と言われれば「ああ!是非お願いします!」と言っているのを目にした。
何というか、どこで何をしても「自分だから評価をくれる人」がいない。
言い方は悪いが、例え学校でいじめられててもほかの所で評価されれば「自分にはこれで認められてるから」と、自信を持って人生を歩んでいける。
よくある精神病闘病記みたいなのには、必ず手放しで助けたり暴言はいてもそばにいてくれるパートナーがいる(こういう闘病記を見ると「辛かったんだね」という感動よりも、「死にたい死にたいって、死んでも悲しんでくれる奴いるんじゃん。うだうだ言わずに死ねるじゃんか、鬱陶しい」としか思えない)
ジョジョの吉良吉影の理想の人生みたいと思うかもしれないが、あれは何もしなくても最低限「普通」の認知はされるからいえることであって、吉良吉影の理想の生活を「正社員」じゃなく「日雇い派遣」がするとイメージしたら、一気にダサくなったろ?
もうこんな人生を長年生きてきたので、折りいればいいのに、未だに熱狂的なファンが生まれることに期待する自分がいて嫌だ。
中心的存在や人気者になれない人の折り合いの付け方を知りたい。
学校、会社、趣味で、何をやっても隅の方で地味にすごすことになる。
「とりあえずいる」位の存在で、嫌がらせをされたりする事はないが、例えばイベント等で意見を出しても「まあ、君のはとりあえずいいや」という感じであしらわれます。
何かを創るにしても、例えば誰かが「○○が欲しい」と言っていて自分が「それ、創らせてください!」と言っても、「まあまあ、大丈夫大丈夫」と返され、その直後に別の人に「創ろうか?」と言われれば「ああ!是非お願いします!」と言っているのを目にした。
何というか、どこで何をしても「自分だから評価をくれる人」がいない。
言い方は悪いが、例え学校でいじめられててもほかの所で評価されれば「自分にはこれで認められてるから」と、自信を持って人生を歩んでいける。
よくある精神病闘病記みたいなのには、必ず手放しで助けたり暴言はいてもそばにいてくれるパートナーがいる(こういう闘病記を見ると「辛かったんだね」という感動よりも、「死にたい死にたいって、死んでも悲しんでくれる奴いるんじゃん。うだうだ言わずに死ねるじゃんか、鬱陶しい」としか思えない)
ジョジョの吉良吉影の理想の人生みたいと思うかもしれないが、あれは何もしなくても最低限「普通」の認知はされるからいえることであって、吉良吉影の理想の生活を「正社員」じゃなく「日雇い派遣」がするとイメージしたら、一気にダサくなったろ?
もうこんな人生を長年生きてきたので、折りいればいいのに、未だに熱狂的なファンが生まれることに期待する自分がいて嫌だ。
派遣なんて働き方選ぶな。ものすごく特殊な知識や技術を持っていて、それだけを活かして働きたいなら別。それでもわざわざ派遣なんて選ばずにフリーランスとか企業する道を選んでほしいとは思うけど。
派遣なんて人間として見られてないから。消耗品。雑費。そもそもこんな働き方が蔓延ってるのなんて日本だけだから。おかしいから。
汗水流して稼いだお金の4割が意味不明な仲介会社に取られていくのなんて耐えられるか?4割以上取ってるところもあるだろ。
派遣会社は「社会保険料や人件費を抜いたら我々に利益はほとんど残らない」って言うだろ。そんな訳ないから。
そもそも企業がなぜ正社員ではなくて派遣を選ぶか。そんなもんいつでも切れるからに決まってる。正社員をクビにするのはこのご時世なかなか難しい。よほどの理由がない限り滅多なことではクビにできない。
その点派遣社員は契約更新って形を取るから、もういらねえってなったら更新しなければいいだけの話。しかもこれ、アパートなら二年契約だろうけど、人は大体三ヶ月。酷いところだと31日とか。30日だと日雇い派遣に該当するのでギリギリのライン攻めてくる。
派遣先でだって、結局そこの社員ではないから、肝心なところは見れない。教えてもらえない。残業はあくまで派遣先からの指示があって発生するものだから、指示のない勝手な残業は許されない。意見なんて求められない。
未経験からプログラミング?そんなの安い賃金で文句も言わず黙って手を動かしてくれる人間が欲しいからに決まってる。まともな会社ならちゃんと自社でトレーニングするか、もしくは経験者をそれなりの賃金で請負契約する。
派遣会社がいちばん人として見てねーから。売れる、売れない、売れ残った、廃棄、不良債権。廃棄のお弁当と同じ扱い。派遣会社のご機嫌損ねたら仕事は回ってこない。飼いならしとかそんなんじゃない、本当に仕事を紹介してもらえないから無一文が続くだけ。
派遣を選ぼうとしてる人へ。それ、派遣じゃないと叶えられないか?未経験とか高時給とか正社員採用実績あり!とかに踊らされてないか?働いて得たお金は自分の為だけに支払われるべき。三ヶ月で予算がないからって突然クビにされる覚悟がないなら派遣なんて選ばないでくれ。
今、知り合いのつてでテレビ局の制作下請け業務のADやらないかって話があってそれを引き受けるかどうか迷ってる。
大学在学時に精神病んだり多重債務が膨らんだことで卒業してすぐ実家に戻って2年くらいニートしてた。
ニートって言ってもぼちぼち家業の手伝いして、とりあえず利息をなんとかするために日雇い派遣に行って、
グループセラピーに顔出したり、町おこしやってる地元NPOでボランティアしたりなんやかんやしてたけどどこにも属してなかったからニートはニートだ。
同じ面子と毎日顔を合わせていると不安でたまらなくなるから月に二日が限界だった派遣も、2年経つごろには週4~5で3つぐらいの現場をローテーションできるくらいには回復した。
そのころになってようやくとりあえずどこでもいいから腰を据えようと考えられるようになって週3のコンビニバイトと週2のホテル清掃を掛け持ちを始めた。
1年前にコンビニの時給が上がってからは週4にシフトを増やしてもらってそっち一本に専念して今もやってる。もうかれこれ4年になる。
当時はやっていたテキストサイトなりに影響を受けてhtmlを自分で書いてみたのが最初で、
それからお遊びで自分のサイトをCSSで装飾をしたりCGIプログラムを書いてみたりしてた。それも高校生になるころにはやらなくなったけど。
それでもずっとWeb周りの情報は集めていて、はてなも情報収集のためにブックマークを使い始めたのがきっかけだった。
2年のニート期間中に、ようやく落ち着いて勉強をできるようになったので、
ドットインストールでJavascript、PHP、Python、Rubyの基本的な書き方をさらったのち、ちょくちょく自主制作をやるようになった。
いってもPHPとPythonはWordPressとC4DのXpressoくらいでしか使ってない。Rubyは一回TwitterBOTとミニゲーム作ったあとなんか好きになれなくて弄らなくなった。
でももともとWebに憧れがあったからかサイト制作でJavascriptを使うということは結構長く続けられた。
通ってた大学はメディア関係の学部でイラレフォトショもそれなりに使ってたからそんなつまずくこともなく、ちまちまポートフォリオに制作したサイト溜めてた。
あと関係ないけど図書館でJavaの参考書借りてきて写経したり、XCodeでSwiftに挑戦したりしたけどアプリにあんま興味なくていつの間にかやらなくなった。
それもサーバー代が払えなくなったりHDDがおしゃかになって全部なくなったんだけどね。ここ最近はPCも持ってなかったし。
なんとか最近になって惨めな田舎生活から飛び出すだけのお金が貯まって、定職につくことまでようやく考えられるようになって
「ちょっと遅くなったけどだめもとでまた一から頑張ろう、まずはポートフォリオまとめていこう」と思ってた矢先にコロナショックで世の中おかしくなりだした。
自分も不安でたまらなくて、コンビニバイトをしていることから小売業の求人に応募しつつ、Web制作や、大学時代の経験から映像制作の募集に片っ端から応募した。
ADの誘いを受けたのはこの流れで、受けた企業の採用担当でない社員の方から別の企業を紹介されてそういう話になった。
履歴書も見たしもう一度会ったらもう内定を出すと言われている。
あからさまに怪しいと自分も思う。放送業界のハードさは周知の通りである。しかし自分にはトラウマがある。
大学卒業直後に第二新卒での就職を目指して3か月だけ就活をしていた時期がある。
そのときに「テレビの制作やってる部署に中途採用してあげるから一か月後に荷物まとめて東京に出てきて」と言われ結局自分はそれを蹴った。
当時はほぼ無収入なのに借金の返済に月6万かける生活で不安が大きかったのと、
クライアントや代理店から依頼された案件で企画から制作までじっくり取り組んでいきたかったので放送業界はやや不本意だったからである。
でも今になればあのとき飛び込んでいれば違った未来があっただろうと後悔する気持ちがある。
少なくとも今のようにぼんくらとして馬鹿にされ近所から白眼視されながら惨めに孤独に片田舎で生活するようなことはなかったのではないだろうか。
今の自分は映画「悪人」の妻夫木の役どころや「レズ風俗」の永田カビみたいなもんである。
今現在はその企業以外に2社映像制作会社(放送関係ではない)の面接選考が進んでいてそれも自分を迷わせる原因だったりする。
最近のはてブの話題からいろいろ考えてしまうんだけど、現実逃避するように誰に見せるわけでもないポートフォリオサイトを休日に作り続けてる。
https://note.com/mksaryo/n/n69472228f68a
この、「プログラミングスクールを卒業したゴミを面接した結果」という記事がはてブで話題となった。
ブコメでは「ゴミは言い過ぎだ」「筆者の人間性を疑う」のような批判的なものが多かったが、雇う側の立場としては至極まっとうな意見でもあったとも思うよ。
実際にプログラミングスクールを卒業した2008年製のゴミの末路を見て、プログラマ目指すのに、スクールに通うか通わないかの参考にしてみてほしい。
2007年に、初級シスアドとれたのでプログラマなれるんじゃねと勘違い。
当時26歳だった私は、上京し某プログラミングスクールに通い始めた。40万支払ってジャバの動画を見る日々。講師はいたがジャバ知らないので質問もしなかった。
ジャバの動画を見終わって、はれて卒業した私は、エスアイアーやソフトハウスの面接を受けまくった。
しかし、ポートフォリオ(自身のプログラミングスキルを証明できる成果物)など全く作っておらず、実技試験ではフィズバズテストもできない有様。あんなにジャバ動画見てたのにね。もちろん変数と引数の違いも分かってない。誰か雇うかと。
そんな就職活動を半年ほど続け、ようやく正社員で採用してもらえた。
だがそこで待っていたのは、C++の既存コードのメンテ作業だった。この頃にはジャバとかどうでもよくなり、ただプログラマとして潜り込めば良しとした。
ただ案の定何もできず、一日中ググって終わりという日々が続いた。そして一ヶ月半で解雇。
27歳。プログラマになるの夢はすっかり消え去り、ただ東京で食いつなぐだけの生活が始まった。
失業手当が尽きた頃、派遣会社に登録。督促コールセンターにぶちこまれ、3ヶ月で逃げ出した私には、日雇い派遣がちょうど良かった。漬物工場や和菓子工場、物流倉庫で黙々と働くほうが性に合ってたようだ。