「思い入れ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 思い入れとは

2020-06-22

フェチ」を個人的に、名詞派、動詞派、形容詞派と分けている。

フェチ名詞派は靴そのものが好きだ。美人ダサい靴とブスのそそる靴なら迷わずブスの靴を欲しがる。

汚物フェチ動詞派は排泄行為にそそられるが、汚物のことは汚いと思っている。

形容詞派は邪道だ。「美人の」靴が好きなだけで靴に思い入れがない。結局ただの面食いだ。

2020-06-21

アイドルマスターミリオンライブ!について

ミリシタ3周年企画としてライブ一挙放送して今月はとんでもないミリオンライブ月間になっていますが、

ライブ映像を見すぎて逆に精神が辛くなってきた限界オタクは居ますでしょうか?

ここに一人居ます。なのでとりあえず一度全部ここに吐き出しておきますね。

とにかく、楽しみだった7thが無くなったことがこんなにも辛いなんてという感じですね。

まぁこの辛さは実際に企画していた側はこんなもんじゃないんだろうなと

準備をして動いていた側の…JUNGOの気持ちを察しても、筆舌に尽くしがたいものがあるだろうと…。

で、なんというか、まぁ自分が目にしてる範囲レベルなんですが、

1st~3rdの方がセトリは良かったなぁという感じの感想が多いというか、どうなんだよお前ら本当にっていう感じなのです。

ついでにグリマス時代の人たちのぼやきも出てくる始末で、本当にもうどうなんだよっていう感じなのです。

他人の考えなんてどうでもいいはずが、お前ら今更何を言い出してるんだよという感じなのです。

私は6thSSAセトリで怒りのお便りを送ったけど、お前らはどうだったんだよという感じなのです。

この気持ちをすべて吹き飛ばせる可能性のあった7thは本当にどこいっちゃったんだよという感じなのです。

しまいにはGoogleからミリシタについてクソみたいな記事オススメされる始末で、同意してる奴もいるしどうなんだよという感じなのです。

内輪向けとか本当にどの口から出ているんだよという話なのです。

シャニマスがやりたければシャニマスをやって居てくれという感じなのです。

ユニット追加されてVも手を出し始めたシャニマス、今が一番面白いんだからシャニマスを遊んでくれればいいと思うのです。

本当お前ら全員張った押すぞ!という感じなのです。

単純にお前が飽きたならそれでいいだろという感じなのです。

まぁでもミリシタで3年、グリーからで7年もやってれば飽きるのは当然で、仕方ないかなと思うので何かテコ入れは欲しいけど。

とにかくもう7thで最高のミリオンライブ!を見て、今のミリオンライブ!が最高なんだよ!って殴り倒したいのです。

でも、それができないのが、SSAで終わっちまってるのが、本当に辛いし悲しいし悔しいしこんなんで全く終われないし未来を見せてくれっていう感じなのです。

っていうか私みたいな人居ないんですかね?居ないみたいですね。異常ですね。みんなもっと気が狂っていてほしいです。

私は正気だ!

グリマス時代ミリシタ時代という時代の分かれ目があるミリオンライブ

グリマス時代は明確に目標としてあった武道館

では、ミリシタでは?

39プロジェクトは一体どこへ行くのか?

そもそもそういった目的があること自体が珍しい気がしますが、やっぱり無いのは辛い。

つの間にやら3年目。

インコミュはセンター公演の話が延々と続くのみ。

かに少しずつ劇場関係が変わっていっているのは読み取れるが、目指している位置がわからない。

イベントで毎月曲が増えるのは嬉しいし、コミュ表現がどんどん良くなってきてるが、

目的が無いのは辛い。

あと曲も最近微妙に刺さらない。えいちP帰ってきてくれ。

でもチュパカブラはかなり良かった。glow mapは周年で聴きこみたいのでまだ全然聴いてない。超楽しみ。

まぁ別にミリシタで見たいものが見れてないわけではなく、

少なくとも自分担当については見たいものは見れている。

セトリはクソ!と言いたいところだった6thだがそれはそれとして見たいものは完全に見れた。

自分グリマス時代3rd終わった後ぐらいから入ってるので、

まり今ほどの思い入れを入れていなかったというのもあって、

正直グリマス時代のほうがよかったとは口が裂けても言えないんですが。

人もミリシタになって下手すると10倍ぐらいにはアクティブ増えているわけですし。

ミリオンライブ!は一度明確に終わっており、

1st~4thの流れをもう一度改めて見てる中でグリマス時代にとらわれている人も多く、

いっそ全員成仏してくれという感じなのですが、

ここら辺の線引きがもはや曖昧でよくわからないという感じなのです。

それにしてもミリシタが来てから毎年本当に楽しみだった3周年の秋葉コラボもなくなってしまい、残念…。

ただ、手作りの39配信はやってくれて本当に本当に嬉しかった。よくわからんぐらい泣いた。

3周年、どうなるのかな。何かあると嬉しいな。

この気持ちを吹っ飛ばせる日は来るのかな。ライブはいつできるようになるのかな…。

ここまで書いてもうなんもかんもコロナが悪い。

本当に許せねぇよ。

といっても一人ぐらい演者亡くなってしまうんじゃないかぐらいの

危機感あったので今のところ全員生きているのでとりあえずは本当に良かったなと思います

まだ全然過ぎ去ってないけど。

この世はクソ!

2020-06-20

「悲しい」を私はどこで手に入れたのか

少し前に祖父が亡くなった。

身近な人が亡くなるのはそれが初めてだった。

知らせを聞いたとき葬儀の場などでは悲しさを感じて涙を流した。

そしてニュースなどで著名人訃報を聞くたびにその時のことを思い出してまた泣いていた。

あれから少し気持ちも落ち着いた今、あの時の自分を思い返して疑問に思ったことがある。

私はなぜ泣いていたのか。

祖父の棺にすがりつきながら泣く祖母の姿を見て泣いていた。

遺品を整理し、やり残したことがあるまま逝った祖父に思いを馳せながら泣いていた。

これらは私が「悲しい」と感じたというより、祖母祖父の「悲しい」という感情共感していたのではないか。そう思った。

私と祖父だけの二人だけの関係を考えたとき、楽しかった思い出や怒られた思い出や嫌だなと思った思い出などなどすぐに思い返せる。

会いに行けばいつもいたその姿にもう二度と会えないのだという喪失感はある。

ただ、悲しいと思ったかと言われるとよくわからない。

著名人ニュースの件を考えたとき、私はその著名人に対して特に思い入れは無い。中には訃報で初めて名前を聞いた人もいる。

からきっと私は彼らの死自体には悲しみを感じていなかった、と思う。

それなのに泣いていたのは、彼らの死に寄せられるコメント共感をしていたからなのではないか

まり私は「悲しい」を共感しか感じていないのではないか

例え共感であっても私は「悲しい」をもう得ているのか。これから手に入れるのか。

私が共感を覚えた彼らは一体どこで「悲しい」を得たのか。

2020-06-19

75年生まれの俺を作ったゲーム10本を全力で紹介する

そういうわけで、1975年まれの俺を「構成した」ゲーム10本を時代順に紹介していく。

それはとりもなおさず、俺自身を紹介することとほぼ同義になるはずだから、長たらしい自己紹介とか前口上はなしで……では、参る。

パックランド1984/AC/ナムコ

俺にとっては、ヴィデオゲーム魔法は全て本作に詰まっていると言っても過言ではない。

結局のところ、俺の人生におけるヴィデオゲームは『パックランド』に始まり、『パックランド』に終わるだろう。

今作に出会ったのは俺が8歳の時、駅前にできた『カニヤ』というゲーセンだった。

カニヤ』は薄暗く、当世風に言うところの「ツッパリ」と「オタク」(という言葉が生まれる前のオタク大学生たち)でひしめきあい

当時の彼奴らは『忍者くん』や『ソンソン』や脱衣マージャンに興じていた。

忍び込むようにして入ったこゲーセンで、俺はこのゲームにひと目で惚れた。

パックランド』には俺がそれまで見てきたゲームとは全く違った吸引力があった。

キャラクターBGM、色彩……全てにおいて、ゲームにこれほど「魅せられた」ゲームは生まれて初めてだった。

消火栓を押した時の、水しぶきに押された時の、モンスターの頭上に乗っかた時の、妖精にもらったブーツで空を飛べた時の感動。

それは俺がヴィデオゲームと「契りを交した」瞬間だった。その契約は今なお解消されていない。

ポートピア連続殺人事件(1985/FC/エニックス

もし本作をプレイしてなかったら、初代ドラクエを発売日に購入することもなかっただろうし、

ADV」というジャンルに注意を払うこともなかっただろうし、

中学生になってから推理小説にどっぷり浸かることもたぶんなかった。つまり、俺は俺でなかった。

犯人はヤ●」は、個人的にはたいした問題じゃない。

推理小説よりもゲームブックよりも面白い推理もの」をゲームで作り上げてみせたことに大きな意味と意義があった。

シナリオ堀井雄二/制作チュンソフトゲーム史的に考えても偉大すぎるだろ。

本作がなければドラクエも(おそらく)存在しなかったってことだ。

けどまあ、そんなこともどうでもいい。これまでもこれからも、ポートピアは俺の血であり肉である

ドラゴンクエスト(1986/FC/エニックス

ポートピアと初代ドラクエ記憶が地続きになっている。

子供ながらに、「堀井雄二で、チュンソフトで、エニックスなら絶対面白いに決まってるや!」みたいなノリで近所のおもちゃ屋に予約した。

プレイ時は……のっけから震えた。こんなに面白いゲームがあって良いのかと。ゲームにはこんなことができるのか、と。

作者と開発元が同じだけあって、テキスト文体UIポートピアと一緒だな……などと子供らしくないことも思ったっけ。

そしてエンディングスタッフロールでは母親の前で号泣した。

そういえば、ここに挙げたゲーム殆ど全て泣いたな。今となってはゲームで感動して泣くことなんてそうはないけど。

それが年齢によるものだったのか、ここに挙げたゲーム凄さによるものだったのかは知らん。

ウィザードリィ(1987/FC/アスキー

通称ウィズ」。

ある種のゲームが「想像力」を膨らませる最良の媒介であるっていうことはウィズが教えてくれた。

RPG」というジャンル/概念意識したことも、ドラクエよりウィズの影響が大きい(というか、ウィズがなければドラクエもおそらくないのだが)。

種族職業キャラメイク、鑑定しなければ不明アイテム

「?ぶき」を鑑定して、「むらまさ」だった時を上回る驚きと喜びって、もう体験できないんじゃないか

もろ鳥山明ドラクエとは違って、おどろおどろしくリアルな姿/形状のモンスター末弥純デザイン)たちに慄いた。

寺院に駆け込んでも、死者が蘇生するとは限らない——人も物も永久に失われてしまうというリアリティに泣いた。

ウィズは俺に「隣り合わせの灰と青春」を理屈ではなく、ゲーム体験として叩きこんでくれた。

おおっと、故羽田健太郎氏の作ったBGMの素晴らしさについても触れないわけにはいかない。

あらゆるクラシック音楽から「いいとこどり」の手法で極上の音楽を作り上げるすぎやまこういち氏に対して、

バッハ以前のバロック音楽へのストイックな愛がびしびし伝わってくる荘厳な旋律羽田氏ならでは。

タイトル画面、カント寺院キャンプBGM永遠ものだろう。もし未聴ならyoutubeで聴いてほしい。

MYST(1994/SS/サンソフト

当時、プレステ派とサターン派でゲーオタ勢は真っぷたつに割れたが、俺は迷わずサターンを選んだ。本作をプレイするためだ。

当時は震えるほど高価だった(44800円)不格好きわまりない鼠色のハードファミマバイトして購入した。

膨らみ過ぎて破裂しそうになっていた、こちらの勝手な期待ははたして外れなかった。ポートピア以降のADV観はこの1本で刷新された。

トラベルの中でトリップし続けているような、唯一無二のゲーム。それが『MYST』。

インターネットなき時代に本作を自力クリアできた時の感動は筆舌に尽くしがたい(泣いた)。

ゲーム史的に言っても、その後の国内外RPGウォーキングシミュレーターというジャンルへの如実な影響が……や、ゲーム史云々の話はよそう。

ここに挙げたどのゲームも、俺にとっては「自分を作ったゲーム」であり、それ以上でもそれ以下でもないからな。

風来のシレン(1995/SFC/チュンソフト

つい最近まで「自分ローグライクゲームが好きなのだ」と思いこみ、それっぽいゲームには積極的に手を出し続けてきた。

が、結局、初代シレンが好きだったのだという結論に落ち着く。

当時、俺は浪人生だったが、心は勉強にも恋愛にも向かわず文字通り、寝ても覚めても今作とともに過ごした。

タクティクスオウガドラクエⅥもテイルズオブファンタジアも素晴らしいゲームだったけど、

朝晩取り憑かれたようにプレイしていた今作のせいで、この時期に出たゲーム自分の中で必要以上に印象が薄くなってしまっている。

後期SFCらしい完璧ドット絵も、和風すぎやまこういち傑作BGMも、チュンらしい快適操作UIも、寡黙なシレンも小生意気なコッパも、

ガイバラもペケジも※アスカも、どのモンスターより恐ろしい店主も、全てが愛おしかった。

手持ちのROMカセットは内部電池が切れてしまってたから、数年前、Amazonで新品を再購入。

フェイの最終問題」をどうにかこうにかクリアし、地球の裏側に再び出でた。

中年になった今でも、俺の腕と勘は(少なくとも初代シレンにおいては)まだ衰えていないようだな……。※訂正 アスカ→お竜

moon(1997/PS/アスキー

思うところありすぎて、何を書けば良いのか困ってしまう。

「昨年ついにSwitch配信されたし、もうすぐパッケ版も出るから絶対やっとけ!!!

それで終わらせてしまいたいところだが、どうも気が済まない。

数多の熱狂ファン批評家たちによってすっかり語り尽くされている感のある今作。

俺にとっては、世界の見え方をがらりと変えてしまった哲学書のような作品である

あるいはクラブカルチャーサブカル世紀末感……90年代後半、自分にとって全てだった世界をそのまま封じ込めたCD-ROM

本作はゲームでありながら、「ゲームを超えた何か」という感じがしてならない。

人生をすっかり変えてしまうかもしれない、それまで夢中になってきた「ゲーム」をやめさせてしまいかねない、超危険物

でも、だからこそ『moon』はゲーム以外の何ものでもない。

もはやゲームから素直に感動を得られなくなっていた、すれっからしの俺をもう一度「ゲーム」に住まわせてくれた、まったき「ゲーム自体」。

すまん、自分でも何言ってるかわからんくなってきた。

CONTINUEYES.

ゼルダの伝説 時のオカリナ(1998/N64/任天堂

世代的にゼルダディスクシステム時代からやってるが、正直、ドラクエと比べるとゼルダにそこまでの思い入れはない。

神々のトライフォース』も『風のタクト』も確かにめっちゃ良くできてると思ったが、「自分を作った」とは言い難い。

正直、世界中で大絶賛されたBotWもそこまでとは思えなかった。

あれがオープンワールドの傑作なら、俺はこれからクローズドワールド結構

時オカだけが俺にとってとくべつなゼルダである

なぜか? 「広がる世界」を生まれて初めて感じたゲームから

BotWと比べれば全くオープンワールドではないのだろうが、俺にとっては本作のハイラルこそ、生まれて初めて感じたゲーム内に広がる「世界」だった。

エポナを手に入れ、高原を走り回っている時以上に「世界」を感じたことは、今のところ、まだない。

夕暮れ時、ロンロン牧場マロンちゃんオカリナ演奏しながら過ごした時間よりも麗しい青春を感じたことは、今のところ、まだない。

L.O.L(Lack of love)(2000/DC/アスキー

moonディレクターである西健一氏が数少ないスタッフと生み出した傑作。

moon』が作り出したうずたか第四の壁をよじ登り、ついに超えてみせた作品は今なお本作のみと感じる。

エンディングはいい歳して号泣した(物心ついてから号泣した最後ゲーム)。

坂本教授BGMを作ったにもかかわらず、本作はろくすっぽ売れてない。

内容も恐ろしいほど過小評価されているように思う。

ドリキャスという幸薄いハードで発売したことと、高めの難易度設定に拠るところが大きいだろう)

おまけにリメイクアーカイブもないから、『moon』と違って「やってくれ」と気軽に言うこともできない。

だけどもし、ここまで読んでくれて、「こいつとはゲーム趣味近そうだな」と感じてくれたなら、どうか本作をプレイしてみてほしい。

とくに『moon』に強く打たれたゲーマー諸氏! 本作は『moon』の唯一の精神的続編と思ってほしい。やれば、わかる。

しつこく。再発売(配信)をせつに、せつに、せつに、望む。

スプラトゥーン(2015/WiiU/任天堂

本作発売時、75年生まれの俺はとっくに「中年」と呼ばれる年齢にたっしていた。

本作はそんな「まさか」という頃にやってきた、俺のラスト・オブ・アオハルだった。

そしてそのアオハルは俺を(おそらく)最後に「再構成」した。

それまでスタンドアローンしかゲームしなかった俺に、本作はオンライン/共闘しか味わえないゲームの楽しさと厳しさを骨の髄まで叩き込んだ。

その体験は視界を塗り替え、時間感覚刷新し、現実異化した。

これほど夢中になってプレイしたオンラインゲームは本作と『ARMSしか思い当たらない(やっぱ俺は任天堂シンパなのだな……)。

『PUBG』も『Overwatch』も『Fortnite』も面白かったけど、初代スプラから受け取ったJOYには届かない。

あの頃、夢中になって1日中プレイしてたイカ中毒者なら、

汗を流しながらでかいゲームパッドを握りしめていたあの2年間を死ぬまで忘れることはできないはずだ。

※※※※※※※※※※

俺を作ったゲーム10本は以上です。暑苦しい長文を最後まで(途中まででも)読んでくれて心から感謝

何年生まれか知らんが、そちらの「俺を作ったゲーム」もぜひ教えてほしい。何本でもいい。マジ知りたいから頼む。

※※※※※※※※※※

追記

まさかホッテントリ入りしてたので追記

ブコメ全部読みました。

こういう「○本」みたいな括りって、そこからこぼれ落ちた大事ゲームの思い出とか括りでは語れない気持ち排除するみたいで、

あんま良くなかったか……って書いた後はちょっと落ちこんだけど、

ブコメで多くの世代の皆さんを作ったゲームを知れて(知らなかったゲーム、やりたかったゲームがたくさんあった。やる)、

思いきって書いて良かったと思えた。心から感謝

剣呑な現世界だけど、みなさんと俺がこれから面白いゲーム出会える世界でありますように。

anond:20200618235346

増田気持ちはこの際どうでもいい。

増田が書いた記事きっかけにしてその人が有名になればそれでOKだと思う。

どんな風に有名になってほしいかを望むほどには世の中は甘くない。

しろ少しでも思い入れのこもった記事によって有名になるのなら、それはかなり理想的な展開といえる。

2020-06-15

声優作品に対する思い入れインタビューって虚しくない?

年間何本も受ける中で一つの作品に対する思い入れなんてそんなないだろ

好きなキャラとかシーンとか聞かれても困惑するやん

本人からしたら次々来る仕事の一つにすぎないでしょ

って思うんですけど

anond:20200614161629

増田アイマス勢とか男性向けでも面倒くさい界隈は色々あるが

女性向けでもマイナーになると「そもそもまりにも人が少なすぎるから多少の趣味の相違は気にせず皆仲良くしよう」という意識が芽生えるのか

みんな同じじゃなきゃやだ!という幼稚な人が少ない(そういう人は「みんなと同じ」メジャーに行くんだろう)から

割と平和な事が多いと思う

そういうジャンル男性向けと女性けが仲良くしてる事もある

なので増田ジャンル女性向けとしてはメジャーだけど男性向けとしてはマイナーなだけなんじゃ

男性向けはエロ絵でさえあれば知らないジャンルでもフォローする人多いし、そういう人は原作思い入れなんかないのでどうでもいいわけだし

2020-06-14

デモンズリメイクについて

6月12日の「PS5 THE FUTURE OF GAMING SHOW」でデモンズソウルリメイクが発表された。

デモンズソウル2009年発売のソニー販売元、フロム・ソフトウェア開発のゲームで、「ソウルライク」と呼ばれるジャンルを築いた作品

しかし公開されたトレーラーにはフロム・ソフトウェアロゴは無く、リメイク定評のあるアメリカの開発会社Bluepoint Gamesによる開発となっていた。

まだ情報が不十分なので確証は無いがデモンズの権利を持ってるソニーは別会社リメイク委託し、フロム・ソフトウェアはこのリメイクに関わっていないのだろう。

フロム会社方針からか一度もリメイクを作ったことが無く社長宮崎氏は「リメイクはやらない、常に新しいものを作りたい」と発言しているので当然の采配ではある。

しかし、フロムが関わらないフルリメイクと聞いて多くのユーザー不安に思うだろう。

デモンズソウルをやり込んだプレイヤーであれば1分46秒のトレーラーを見ただけでも原作雰囲気が損なわれてしまっている事は容易に見て取れよう。

原作にあった荒涼感や滅びのニュアンスは失われれ、安易洋ゲービジュアルになっているように思う。

それについて日本だけでなく海外でも賛否両論がある(フロム・ソフトウェアゲーム売上は9割以上海外なのでマーケティング的には海外意見重要)。

私の意見は以下だ。

1.原作を改変しても構わない。

 既に出ているスクリーンショットにあるようにローマっぽい砦だったものを装飾華美のゴシック建築にしたり尖兵たんをDOOMデーモンにしてもいい。

 アクションがダクソ3のようになっても、マップや敵・アイテム配置が変わっても構わない(回復システムなど今遊ぶと古いものもあるのでソウルシリーズ進化を踏まえるほうが良い)。

 このリメイクターゲット層ははっきりしないがPS5のロンチソウルライクの入門としてマスに売り出すのであれば遊び易くすべきだろう。

 (個人的には原作準拠では既プレイには簡単過ぎるし原作をやればいいとなってしまうので、ガラッと変わってるほうが嬉しい)

 しかしそれには次の条件がある。

2.PS5のデモンズソウルリメイク原作PS3デモンズは別個の作品として認識させるべきであるタイトルを変えて周知すべき)。

 これは同社の前作ワンダと巨像リメイクとは比べ物にならない原作改変を含むリメイクである

 したがってソニーにお願いしたいのはワンダでやったように原題そのままで発売しないことだ。

 消費者に単なるグラフィック向上版として認識させたままでは原作ファンから批判の的になるだろう。

 (私が大きく改変しても良いと思っているのはフロムが作らないデモンズは原作とは全くの別物だと認識しているからだ)

3.原作ファン意見を押しつぶす盲目的な反論違和感を覚える。

 よくある反論にBluepoint Gamesはワンダ完璧リメイクたから今回も大丈夫だろうと言うものがあるが、原作に忠実にグラフィックのみを向上したワンダのケースと今回は趣が異なるのはトレーラーから明らかだろう。

 あとバズってた塔の騎士の背景の壁から射撃用の穴が無くなって宗教施設みたいになってるとの意見は真っ当だし反論余地は無い。

 まぁぶっちゃけデモンズファンフロムファンの中でも古参の濃い層だし思い入れの深さも加味してほしい。なんだかんだ言って皆買うだろうし。

2020-06-12

anond:20200416174956

この件は私の中で2つ仮説がある。

その1(隠れた「条件付き確率」)が説明やすいけど、個人的にはその2(隠れた「発言者バイアス」)の方だと思っている。

∈仮説その1∋

普通、雨が降ってる日には洗車しない。

そして、晴れた次の日に雨が降る確率は、雨が降った次の日に雨が降る確率より大きいと思われる。

そうすると、洗車した日(=晴れた日)の次の日に雨が降る確率は、通常の雨が降る確率より大きいことになる。

これが『洗車したときに限って雨が降る』印象を与えているのだと思われる。

∈仮説その2∋

『洗車したときに限って雨が降る』の『洗車したとき』は定義が決まっていない。

人によっては、洗車した1週間後に雨が降った場合でも『洗車したときに限って雨が降る』と感じてしまうだろう。

そして、『洗車したときに限って雨が降る』なんて言葉を言う人は、洗車する行為にある程度思い入れがあるはずである(無ければ、そんな一般化したようなことは言わないだろう)。

思い入れがあるのならば、洗車したことに対する記憶も長く保たれるはずである

まり、『洗車したときに限って雨が降る』での『洗車したとき』も長めに感じるはずである

このように、『洗車したときに限って雨が降る』と発言する人は、『洗車したとき』で想定する期間を無意識のうちに広めにとってしまうことが、『洗車したときに限って雨が降る』印象を与えているのだと思われる。

ツイステッドワンダーランドの爆発的人気が笑っちゃうくらい分からない

みんなやってる?ツイステッドワンダーランド

オタクでやっていないともはやすでに人権剥奪されかねない、今最も勢いのある、飛ぶ鳥も落とす、泣く子も黙る、超覇権ジャンル、それがツイステッドワンダーランド

ディズニーにもヴィランズにも枢やなにも興味がなくても、ツイッターのTLに流しそうめんみたいに流れてくるからちょっと興味を持って始めたという人も多いはず。かく言う自分もその口である

当方ディズニーは何度かディズニーランドに行ったらくらい。小さな頃は家にディズニー映画ビデオテープがあった。まあ、話題の新作映画面白そうなら観る。

先日、ディズニーに大変思い入れのある増田ツイステッドワンダーランドアンチ記事が一部で話題になったが、これはディズニーに大して思い入れのない人間ツイステッドワンダーランドアンチ記事であるツイステッドワンダーランドファンには再び「お気持ち」「お気持ち」とぶっ叩かれガソリンを撒かれ火を放たれるかもしれないが、正直なところ「お気持ち」と腐される程の気持ちもない。

ただ、ファンダムがここまでの規模になると自由に好きなことを呟けるはずのTLでちらりとでもツイステッドワンダーランド好意的でないことを呟こうものなら火を放たれるので匿名ダイアリーを書き殴る次第である

理由はただ一つ、自分と同じように「え?これ面白いの?流行ってるけど全くわからん自分オタクとしての感性は死んだのか?」と慌てふためきながらトートイトートイ顔がいい〜と周囲に合わせて囀る悲しきオタク達に「君は一人じゃないよ」と手を差し伸べるためである。あと自分が書きたいからかな。書くとスッキリするからね。

以上より、ツイステッドワンダーランドファンの閲覧は推奨しない。と、記していても読む人は読むのだろう。

そもそも自分ソーシャルゲームノベルゲームほとんどしないので、毎日ログインしないとならないのが面倒くさいとか露骨ガチャ誘導が鼻につくとか文字送りがダルいとか細々としたソシャゲノベルゲー文化への違和感があるのだが、そんなところをあげつらうとキリがないので(1)ゲーム性(2)世界観(3)ストーリーの3つに絞って扱き下ろしていく。

(1)ゲーム

擁護する隙もなくクソである。これはファンでさえ異論がないと思う。

このゲームゲーム性を発揮する点は、バトル、リズミック、ノベル内の選択肢であるがどれも「ゲーム」と呼ぶにはお粗末な出来である

バトルはガチャで集めたキャラクターレベル上げして数字をぶつけ合うだけで、ほぼじゃんけんである。金と時間のある人間が圧倒的に有利なじゃんけんである。これ以上言及することは特にない。そもそもこのバトルはオートでとばすことが出来るのでゲーム的に重視されていないのだろう。

リズミックは、いわゆる音ゲー要素だが、まず音楽ノーツタイミングがあっていない。この音ゲーを作った人間には致命的にリズム感が欠けている。ノーツが増えると動作が重くなって画面の動きがガタガタになるのでタイミングも合わない。

耳で聞いてリズムを合わせることも、目で見てノーツタップすることも出来ない。

先日、リズミックでアイテムを集めるイベントが開催されたらしいが、一回もタップせずに画面を眺めているだけでクリアできるらしい。これは不確かな情報なので「こういう噂がある」と記すに留める。

最後ノベル内の選択肢であるが、これが一向にストーリーに影響している気がしない。しっかりと検証したわけではないが、どの選択肢を選んでも話相手キャラクターの反応は変わらない。

なぜ選択肢が設定されているかからない。ストーリーをオートで流していると選択肢のたびに止まるからやめてくれ、とさえ自分は思った。

(2)世界観

ゲーム性がクソであることはファンアンチ異論はないと思われるが、このあたりから意見は分かれるかもしれない。

このゲーム世界観は、基本的ハリーポッターである。これはファンも「ツイステッドワンダーランド治安の悪いホグワーツ」「ハリーポッター好きな人ツイステッドワンダーランドをやって!」と放言しているので共通認識としていいだろう。

パクリだ、とは言わない。全寮制の名門校特殊入学許可、特色ある複数の寮、マジックアイテムによる組分け、動く肖像画、住み着くゴースト魔法史、魔法薬学錬金術――ハリーポッターが後世の魔法学園モノに与えた影響が絶大だというだけの話であるトールキン指輪物語以降世界中洋風ファンタジーが様変わりし、十二国記以降国内中華風ファンタジーへの敷居は低くなった。我々は確実にアフターハリーポッター世界を生きている。

だが、それを架空世界架空学校の設定にそのまま持ってくるのは浅はかであるとは思う。ナイトレイブンカレッジイギリスにあるのか?

そもそも生徒は多くの国から集められているようだが、その場合ナイトレイブンカレッジ立ち位置が分からない。公立ならば他国からの生徒は留学生なのか?私立ならばスラム出身などの裕福でなさそうな生徒は学費をどのように工面しているのだろう。奨学金のある世界なのか?あったとしてそれまでろくに教育を受けていなそうなスラム出身の生徒を迎える体制は整っているのか?

世界中から優秀な魔法使いの卵を集めているなら、ナイトレイブンカレッジ政治的立場はかなり微妙になる。ナイトレイブンカレッジはどの国に所属しているのか。卒業生の進路はどうなるのか。他国の、王族でも金持ちでも何でもない生徒は国に帰ることができるのだろうか。

というか、生徒の出身地一覧も○○の国があったかと思えば✕✕の村との表記があったりして一貫していない。国と村を併記するのはどうなんだ、という疑問もあるがこの際置いておく。便宜上、国と称しているだけで連合体なのだろうか。それこそイギリスみたいに。

登場キャラクターが「そんな奴ツイステッドワンダーランド中どこを探してもいないよ」というセリフを口にするシーンがあるので、ツイステッドワンダーランド国名大陸であるらしい。

この国の人間のネーミングセンスはどうなっているんだ。

気になるところは多々あるのでこのへんにしておくが、世界観については今の所ガバガバだなぁという印象しかない。

みんなハリーポッターの前知識があるからうっすらとこんな感じかなーと隙間を埋めているにすぎない。

せっかくディズニー世界観を借りているのに、登場人物が全員白人イケメンなのも個人的にはがっかりポイントである。そのへんは好みなので追及しないが。

日本国内から好みの話で終わっているが、海外展開は難しいかもしれない。

(3)ストーリー

ここが一番ファンアンチ意見割れるだろう。アプリレビューには「ゲーム性はイマイチだけどストーリーキャラクターは最高です!」という意見散見される。

個人的には「嘘だろ」と思っている。というか世界観ガバガバなのだからそれに付随するストーリーガバガバになるのは致し方あるまい。

1章は毒親に抑圧されていた少年寮長が周囲を同じように抑圧していたが、反旗を翻され逆ギレ大暴れというストーリーである個人的特筆すべき点はない。

他の生徒の命を危険晒したのに特に咎め無しなことにはずっこけた。退学とまでは行かずとも、寮長は辞めたほうがいい。失敗は誰にでもあるが、それを指摘され顔を真っ赤にして奇声をあげキレ散らかし周囲の人間を殺そうとする者に責任ある立場を任せてはいけない。危険すぎる。

ストーリーとしては可もなく不可もなく、個人的には退屈だが、まあ凡といったところではないかと思う。好きな人は好きだろう。

2章は王家不貞腐れた次男坊がスポーツ大会不正をしようとするが露見し、逆ギレ大暴れというストーリーである1話と変わらない?そのとおりである

この次男坊はライオンキングスカーモデルと思われる。今もはや懐かしさすら感じる二言目にはメンドクセーダリーを口にする典型的な「本気出せばやれるんだぜ?」キャラである。その時点で薄ら寒いがそのへんは個人の好みだ。

スカー同様王弟の地位に満足しておらず虎視眈々と王の地位を狙っている……かと思えばそうでもない。どうせ俺は王になれないんだと腐り、憎い親の金学校を二留している。やることと言ったら温室でのサボりか校内スポーツ大会ライバル選手を襲うこと。ショボすぎて泣けてくる。それも露見したら「あーだりーこんなの本気じゃねーしおまえら勝手にやったんだろ」と不貞腐れるダサさ。おまけに憎いはずの兄の息子には懐かれていてタジタジである意味わからん

スカーモデルにしているならば、兄も甥も手にかける覚悟のある男であってほしかった。

と、ここまでやって自分はこれ以上進めることを諦めた。ストーリー、うっすーーーー。ふつーにつまらん。

どこが駄目とか、ここが駄目とかじゃなくてシンプルに退屈。なんかどっかで見たことあるストーリー(有名なディズニー映画を下敷きにしているから当たり前か?)に00年代オタク向けの謎の風味付けがされている。10の子には新鮮かもしれないが、古のオタクは己の痛々しい過去を思い出して体中の穴から血が流れる

トイレの鏡で前髪をM字にかため、上目遣い(本人は睨んでいるつもり)で「咬み殺すよ……?」「俺を怒らせたら怖いよ?」とドスをきかせる女オタク跋扈した時代があったのである歴史は繰り返すのだろうか。

これから髪にメッシュを入れ「締め殺すよ……?」とピチピチするいきのいい女オタクが現れるだろうか。すでに現れているかもしれない。自分はそれを優しく見守ることができるであろうか。

最後

タイトルは「人気が分からない」としたが、まあなんとなく人気の理由は分かる。はからずもタイトル釣りになってしまった。

二次創作の場が大きくSNSに移行している昨今「バズる作品」に求められるのは綿密な世界観でも繊細なストーリーテリングでもない。「みんなが知っていること」「みんなで盛り上がれること」だ。

そういう意味ディズニーという大看板枢やなという大先生のチョイスは大成功をおさめている。

あとは妄想力たくましいオタクガバガバ世界観ガバガバストーリーも好きなように埋めてくれる。

我々のようなまず原作ありき、原作を骨の髄までしゃぶるオタクはすでにオールドタイプなのである。老兵は何も言わずにただ消えゆくしかない。

2020-06-11

FF7リメイクAmazonレビュー観たらボッコボコに叩かれててワロタ

普通に面白かったけどな

でも酷評レビューの内容については同意できる点もかなり多かった

それを差し引いても面白かったと感じるのは、自分で1万円近いお金を出してゲームを買ってない(実況動画を観ただけ)からかもしれない

原作FF7はまあ普通ゲームだよねって感じで特に強い思い入れはないから、改変されたっていう怒りもないし

おまけムービーや隠しボス目当てにFF7インターナショナル版を中古で5000円だか6000円で買ってプレイした時は、おまけ要素のあまりのショボさに金を無駄にしたと思って後悔したもんな〜〜〜

まりFFみたいな一本道のムービーゲーってもう自力で購入してプレイする時代じゃないのかもしれないね

2020-06-10

ツイステが好きでも嫌いでもない私の所感

前置き

 初めまして。

 先日ふとした出来心ツイステッドワンダーランドに関するお気持ちブログを読んでしまい、それ以来色々と考えてしまっている別ジャンル腐女子(いい歳)です。

 

 まずはじめに、私のスタンスとこの文章で何が言いたいかという結論だけ先に書いておきます

 

 私はツイステのことを特別好きでも嫌いでもないし、作品自体になんらかの罪があるとは思っていません。(そのうち気が向いたらやってみたいなと思っています

 その上で、

 

 「この作品コンテンツとして公式供給されているものだし、それを楽しむことは何も悪くない。しか作品性質上、苦手な人にとっては極めて苦手なものになると思うので、楽しんでいる人もちょっとだけ、苦手な人に配慮してあげたらいいんじゃないか」

 

 と思っています

 ツイステファンの皆様がこれからも楽しく遊べたら、そしてツイステが苦手だと言う方の毎日が少しでも楽なものになればと願っています

 

 私が言いたいことは以上なので、ここで引き返していただいて全く構わないのですが、色々と考えたので以下に雑考も置いておきます

 どうしてそういう思いに至ったか、が気になる人はどうぞ。長いです。

 

ツイステについて思ったこ

 私自身は特別ディズニー作品思い入れの深い人間ではないのですが、ツイステが発表された時は、それでもかなり驚きました。

 理由は大きく分けて二つあります

(1)従来のディズニーアニメ作品とのギャップに対する驚き

 ディズニーアニメといえば、「おとぎばなし」、「メインキャラクター可愛い動物プリンセス」、「海外アニメ特有の絵柄」といったイメージが強く、実際にこれまで公式に配給されるコンテンツはその大枠を出ないものであったと思います

 これに対し、ツイステはそうした従来のディズニーアニメ作品イメージをよくも悪くも覆すものでした。

 (※ディズニー作品でも実写映画はもうちょっとダーク&アダルティ雰囲気のものも多いと思うので、ここではツイステと、ツイステの中でモチーフとして使用されているディズニーアニメ作品のみに絞って考えています。)

 ディズニーアニメとは、「大人子どもも楽しめて、教養ユーモアに富み、映像は美しいか、または可愛らしい。血が出ない。グロくない。一般的感覚ではエロくもない。子供をメインターゲットとしつつ大人の鑑賞にも堪える全年齢作品」だと思っていましたので、「そうした作品群を原作モチーフ)とした、サブカル的な作品が、公式コンテンツとして配信された」というのは素直に驚きです。

 

(2)ディズニーって二次創作に厳しいんじゃなかったっけ?という驚き

 ひと昔前、ディズニーには「著作権にめちゃくちゃ厳しい」というイメージがありました。

 近年はディズニーに限らず、版権元がファンアートに寛容な雰囲気が広がっており、ここ数年の間にはディズニー関係ファンアートを目にする機会が大幅に増えた(体感)と感じています

 ですが「ディズニー作品は手を出してはいけない聖域あるいはハザードゾーン」というのが暗黙の了解、もとい暗黙の常識だった時代は確かにありました。なので、いかにも女性オタクに受けそうな(というと語弊がありそうですが、私自身女オタク別にオタク蔑視はしておりません)、二次創作が盛り上がりそうな毛色の作品を、あのディズニーが、公式コンテンツとして出してきたのは驚きを通り越して衝撃です。

 

 

 こうした驚きを経て、私が次に思ったのは「この作品面白そうだけどヤバそう」でした。

 なぜそう思ったのか、というと、居並ぶ美麗なイケメンたちを見て「これエロ同人とか描く人が出てくるよね?」と咄嗟に思ったからです。

 エロ同人が悪いとは言っていません。好きです。

 ただ、「ディズニーエロ同人がまかりとおる時代になる」なんて一昔前なら考えられないことでしたから、エロ同人もたしなむ年代物の腐女子として、素直に「ヤバくね!?」と思ったのです。

 

 そして、ディズニーはそういう日本オタク文化をも許容するのだろうかと驚き、首を傾げ、同時に「この作品蛇蝎の如く嫌う人も出てくるだろうな」と感じました。

 

なぜ、嫌だと感じる人が発生するのか

 以前拝読した「お気持ちブログで、「ツイステはキャラクター性的搾取」という文言を目にしました。

 その意見の正誤、公式コンテンツ性的かどうかはさておき、あたりを見回してみると現に「ツイステキャラに性的な目を向けている人」が少なからずいるということは間違いではありません。

 

 もちろん、すべてのツイステファンの方がそうではないと思いますが、事実としてツイッターのTLには「●●くん、えっち」「R18同人誌買いたい」という声が、ごく普通に流れてくるようになりました。

 

 元々そういうTLですので、それ自体に驚きはありません。

 公式はそれすら意識して売り出していると思いますし、「そりゃそうなるよね」という感想です。

 あんな美麗なキャラ達を並べ立てられて、ストーリーもよいという評判。

 それを受けて、このサブカル大国で世のオタク達が何をし始めるのか、天下のディズニーが想定していないわけがない。

 個人的には、ツイステを発表したことで、ディズニーはツイステに関して「多少のことは許容する」という方針なのだ解釈しています

 ですから二次創作してる人を白い目で見ることもないですし、楽しみたいように楽しめばいいと思う。

 

 でも一方で、「従来のディズニー作品が好きだった、ツイステは受け入れられない」人の気持ちを考えると、辛い気持ちになります

 (※従来のディズニー作品が好きで、ツイステも好きになれる人は今一点の曇りもなくハッピーだと思いますので、ここでは考慮していません。)

 

 

辛い気持ちもわかる。でも、楽しんでる人が悪いわけじゃない。

 子供の頃から慣れ親しんだ大好きなキャラクター、をモチーフとしているキャラクターがいる。

 そこまでは多分許容範囲でしょう。でも、それを「えっちだ」と言ってはばからない人がいる。

 中には「原作は知らないけど」と言っている人もいるかもしれません。

 

 「原作もツイステも好きで楽しんでる人」にとっては問題いかもしれませんが、「原作は好きだがツイステは苦手な人」にとっては、その状況は辛いだろうなと思います

 「AはBをモチーフとしたキャラ」と、「BはAのモチーフになったキャラ」では主体が違いますよね。

 元々Bが好きな人からしたら、なんでこんなことに、となるのは、自然感情かなと思います

 さらにAが有名になって一人歩きし始めて、AもBも知らない人にAの情報けが残る、ということにもなり得る。それは悲しいし、悔しいですよね。

 

 でも、公式という一次ソース提供しているもの消費者が消費して楽しむことは何も悪くないのです。

 では怒っている人は何に怒っているのだろうと考えると、私は、「ツイステを公式のものとして送り出した公式」に腹を立ててる人が多いんじゃないかなあと予想しています

 

 拝読したブログ文章からは、激しい怒りと辛さを感じました。

 与えられたコンテンツを楽しんでる人たちが悪いわけでないとしても、作った公式が、それに乗っかる世の中が、悲しくてしんどくて、結果的に多少的外れ言論になったとしても、吐き出したくてしょうがなかったんだろうなと思います

 

思い入れが深すぎて、傷ついてしまうのはもう仕方ない。

 私は、とある作品子どものころから大好きです。

 ディズニーアニメ同様、「子供をメインターゲットとしつつ大人の鑑賞にも堪える全年齢作品」にカテゴライズされるだろう作品です。

 オタクになっても、腐女子になっても、その作品は私にとって特別存在であり続けました。

 キャラクター擬人化(美形化)した二次創作を読んでみたこともあるし、それはそれで楽しんでいました。

 

 でもそれには「二次創作だったから」楽しめていたという側面があります

 なぜなら、「原作者は絶対にそんなことをしないはず」と(勝手に)信じているからで、私も私の好きなジャンル公式がツイステのようなコンテンツを出してきたら恐らく発狂します。

 (ネタギャグの一環で片付けられるジャンルであれば別かもしれません。)

 

 言葉が悪くなってしまますが、「ツイステでディズニー作品が汚されてしまった」と感じる人は、「ディズニー公式コンテンツとしてこういうものはありえない」と(勝手に)信じていたのだと思います

 今まで「ありえない」と思っていたものが、公式的には「(実は)アリだった」というのがここへ来て明らかになった。「勝手に信じて勝手に裏切られただけ」という人もいるとは思いますが、私個人的には、ディズニーはそう信じさせるムーブをしてきたと思っています。ですから裏切られたと感じる人がいても無理はないと思うし、そういう人達にはお気の毒と言うより他にありません。

 

 公式が敵に回ると本当にひたすら辛いんですよね……だって、どんなに嫌でも公式なんだもの

 二次創作だったら「二次創作から」で目を瞑れることも、公式にされたらしんどい。逃げ場がない。

 そういう気持ちは分かります

 

じゃあ、どうしたらいいんだろう。

 そういうモヤモヤを抱えて、でもどうすることもできない人達がいるということを頭の片隅に置いてみませんか。

 「みんな住み分けるべきだ!」とは言いません。ただ、「住み分けたい人が自主的住み分けられるように、手伝ってあげられませんか」と申し上げたい。

 

 フォロワーさんたちがどんどんハマっていった結果、TLがツイステ関連ワードで溢れ、本来探したい情報が埋もれるという現象は私のTLでも既に起こっております

 今はワードミュートしていますが、他の方が指摘されていたとおり、タグ作品名の表記なしで回ってくるファンアートは防ぎようがないのです。

 

 私はツイステが特別好きでも嫌いでもないので、周ってきたら「最近本当多いな…(アカウントごとミュート)」で済みますが、ツイステが苦手な人にとっては、それらを一瞬目にすることさえ苦しいと思うのです。

 「勝手に苦しんでいるだけ」「嫌なら見るな」と思う人もいると思います。その言い分も、分かります

 でも、楽しんでいる側は特に困っていないのですから、「嫌な人には届かないようにしてあげる」くらいの配慮はしてあげてもいいと思うのです。大した手間ではないし、タグをつけておけば探す側にとっても容易で一挙両得ですよね。

 

 ちなみに外野的には、ファンアートの投稿時にはキャラ名だけでなく作品名も一緒に入れてほしいなと思います

 (キャラが多いうえ、あだ名で呼んでいる人もいたりすると、ワードミュートでは拾い切れないのです。)

 

 最後にもう一度、ツイステファンの皆様がこれからも楽しく遊べたら、そしてツイステが苦手だと言う方の毎日が少しでも楽なものになればと願っています

 








ぼやき

 なんでこんな自分にとって毒にも薬にもならないことをとくとくと考えてしまたかというと、昨年、大好きだったとある作品のとんでもない続編が発売され、「公式がこれを公式コンテンツとして出してくるのか」と憤怒と憎悪を滾らせてしまった自分気持ちを思い出して、「ツイステが苦手な人」に共感しすぎてしまったのです。

 辛いうえに、気持ちを吐き出したら反対意見がどっと押し寄せて、なおさら辛くなったよね。そう思ったらますますしんどくて、その気持ちもわかるよ、そう思っちゃっても仕方ないよって、聞こえなくても言いたかった。

 そのブログによって傷ついたツイステファンの人もいるでしょうから、どっちが悪いとかいうことではないんですが、吐き出さずにはおれなかった人の気持ちもわかるんです。

 ミュート徹底してもトレンドに上がってたら防げないし。でもツイッターやめられるわけでもないし。自分問題しかないけど、辛いもの辛いですよね。

 ツイッターさんトレンドまで含めてミュートできるようにするか、トレンド非表示機能ください。

2020-06-09

十二国記の謎と次回の短編集について、勝手に予想し、語る。

初めに

私は一介の十二国記ファンである中高生の頃にはまり、「白銀の墟 玄の月」で再燃した。

記事では、十二国記世界の疑問点について語り、次回の短編集の内容について、時には私の好みで脇にそれつつも、予測したい。その途中で、私自身のこの作品に対する解釈思い入れにも立ち入るかもしれない。

記事のおおよその内容

十二国記の今までの流れ。

十二国記シリーズ外伝を含め、次の順に出版された。

物語のあらすじについては、熱心な読者が多いと思われるので、略す。さて、この順で読み返すと、次のような傾向がみられる。すなわち、王と麒麟視点から見た世界よりも、庶民から見た世界比重が大きくなっているのだ。確かに、「月の影 影の海」では陽子は大変な苦労をして玉座上り詰めるし、「風の万里 黎明の空」「黄昏の岸 暁の天」では、いかに王としての責務を果たすかが語られる。一方で、同じ「風の万里 黎明の空」は民衆レジスタンス物語であり、それがさら大輪の花を咲かせるのが「白銀の墟 玄の月」だ。これは都市の規模ではなく、国家規模にわたる抵抗だ。

もう一つの傾向とは、読者層の拡大である。もともと少女向けレーベル出版されたからだろうか、十代の少年少女にとって教訓となるような個所は少なくない。「風の万里 黎明の空」における鈴、祥瓊の扱いを見れば顕著だ。一見同情すべき境遇にいるようでいて、それに甘んじている彼女らを待ち構えているのは叱責であり、罰である。この年齢になって読み返すと、幾分説教臭く感じなくもない。

しかし、「丕緒の鳥からシリーズ全体の印象ががらりと変わった。組織の中で働く官吏や、避けられない災害を前にして自分のできることに必死になる民衆の姿は。年齢を重ねた読者の心も打つ。少女向けとされる小説から最も縁遠いように思える、中高年の男性もうならせるだろう。この作品は、あまりにも不条理世界で生きる人々へのエールとなっている。

まり、これから尚隆や陽子視点から物語が描かれることは少なくなるのではないか。きめ細やかな民の物語を描くとき、王の存在は強すぎる。「東の海神 西の滄海」も、一歩間違えれば「俺TUEEE」っぽくなってしまう(そうならならずに尚隆が有能かつ魅力的に描ける腕前がすごい)。そう考えると「白銀の墟 玄の月」で出てきた尚隆は作者なりの大サービスだったのかもしれない。それに、神隠しにあった泰麒で始まった物語は、一応は解決しているのだ。王や麒麟のこの先に物語は、長編としては出てこないかもしれない。

十二国記で一貫してきたテーマは何か

前項でも述べてきたが、次に尽きるだろう。

十二国とはどういう世界

十二国では天帝が定めた天綱が憲法としてあり、王が定める国法、地綱はそれに反することはできない。また、州の法律も王が定めた法に反することはできない。

天帝は民に土地を与え、それを耕すことで生計を立てるように命じた。逆に言うと、天の設計した社会では、民衆は生まれた里で農業だけをして過ごすことしか想定されていない。

しかし、現実はそうではない。「図南の翼」に出てきた珠晶の家族のような大商人もいるし、「白銀の墟 玄の月」に出てきた宗教関係者もいる。冬器を作る工房もある。私塾もあれば宿もあり、雁のように豊かな国では副業で馬車を出す者もいるし、事実上奴隷だっている。

そして、最大のイレギュラーが定住民でさえない黄朱の民だ。彼らが歴史に関わってくるあたり、実際の中国の歴史にもよく似ている。

言い換えると、天は王と官吏農民だけの世界を想定していたが、天の条理の隙間を縫う形で民は複雑な社会形成してきた。そして、この世界民衆ルールの穴をつき豊かに暮らしているし、謀反を起こす力もある。これは、専制君主世界ではあるけれども、ランダムで選ばれた大統領支配される民主国家の姿に、少し似ているのだ。私たち世界大統領首相も間接的に選ばれるため、民意がどこまで反映しているか、はっきりしていないところがある。十二国世界は、実は私たち世界鏡像なのだ

今後の作品の傾向としては、黄朱の民のように条理からはみ出てしまった人々にもスポットライトがあることと思う。と同時に、黄朱の民はこの世界の条理に生じた大きなほころびでもある。現に、彼らの里木はよそ者が触れれば枯れる、大きなペナルティを負っている。

それと、この世界では思いのほか宗教がしっかり根付いていた。我々が最初にこの世界宗教を教えてくれるのが合理主義者の楽俊だったため、この世界の人々はあまり天に頼らない印象を受けたが、子供を授かるには祈るほかはないわけで、むしろ熱心な信仰がないと不自然であった。

十二国記女性

十二国記が元々は少女向けに書かれたことをうかがわせる設定はいくつかある。例えば、王と麒麟運命的な出会いだ。女性向けフィクションにはオメガバースをはじめとして、そうしたパターンが多い印象がある。もう一つはときとして未婚の女性をひどく不安にする妊娠出産からの「解放」だ。女性苦痛が大幅に減らされており、またこちらの世界とは異なるいくつかの価値観女性に優しい。王も麒麟官吏も(軍人を除けば)男女同数だし、子供のいる女性再婚相手としてむしろ歓迎される。ジェンダーSFフェミニズムSFとして十二国記を読み解くことも可能だろう。血縁意識が薄いのもその傾向を示している。とくに、楽俊はこちらの遺伝について、似たような顔をしたやつが同じ家にいるのが薄気味悪いのでは、と漏らしている。

しかし、この期待は裏切られる。ここはけっして楽園ではなかった。「白銀の墟 玄の月」のなかで李斎は、男社会軍隊で生きる女性の苦しさを吐露する。また、明らかに暴力を受けた女性も登場する。それに、序盤からすでに妓楼も登場している。この世界セックスワーカーがどれほど過酷生活を送っているか不明だが、妓楼に行くことはあまり道徳的に褒められたものではないようである(余談だが、楼閣が緑色に塗られているのは現実中国にもあった習慣であり、「青楼」と呼ぶそうだ)。

考えてみれば、官吏女性も多いとされながらも、登場する官吏の多くが男性である育児負担こちらよりもはるかに少ないので、昇進や待遇に差があるとも思えないのだが、これも隠されたテーマかもしれない。

それと、生理問題がどうなっているかもはっきりしない。初期作品の傾向からすると生理から解放」されている可能性が高かったが、女性の苦しみをテーマとするならば、生理のしんどさやそれにまつわる迷信タブーが出てくると考えるほうが、筋が通っている。

天帝女性

天帝女性、または西王母兼任している可能性が、ふと浮かんだ。別に女性が王になれるのだから天帝西王母より偉い理由別にない。

十二国記って男性しかいない場所がないこともなんだか怪しい。軍隊も三割は女性だ。逆に、女性ばっかりの場所が蓬山である麒麟を育てるのは女仙たちだからだ。これも天帝女性説を補強しないだろうか? また、妖魔が雄だけというのも、なんだかそれに関係しそうだ。単純に作者が女性だというだけのことかもしれないが。そもそも「いない」可能性もあるが、根拠は全くない純粋空想だ。

天帝ラスボス

考察サイトが華やかなりしころ、いくつかのサイトでは天帝ラスボスなのではないか、という説がまことしやかにささやかれていた。確かに黄昏の岸 暁の天」での天の対応はあまりにもお役所的ではある。ルールに従わなければ何もできないところが、法律に定められていなことは原則としてできない公務員によく似ている。

だが、もともと中国道教死生観がそういう面がある。「救急律令」も、法令を守るように促す言葉であり、古代中国役人賄賂に弱かったように、今でも神々に心づけを渡す習慣がある。

そして、自分天帝ラスボスになりえないと考えている最大の理由が、十二国記不条理にあらがう人々の物語であるからだ。天帝を倒した後どんな世界を作るにせよ、人間が作り上げた世界である以上はやっぱり不完全なものになるだろうし、仮に完璧世界を作ってしまったら、それは理想郷を描いた現実逃避のための小説になってしまう。「黄昏の岸 暁の天」のなかでも陽子はつぶやいている。天が実在するのならそれは無謬ではありえないのだ、と。

結論

私が次回の短編集に出てくると予想する要素としては、今までの物語を受けて次の通りだ。

また、

そして、長編がありうるとしたら

と考えている。

おまけ1 奏が滅びるとしたらどのような形か

しろくでもない空想をしてみる。六百年の大王朝が滅びるとしたら、それはどうやってか。

王朝最後はいくつかの傾向がある。一つは陽子暗殺しようとした巧の錯王や、慶の予王のように、王個人劣等感に押しつぶされるパターン。もう一つは芳の王(祥瓊の父)や一つ前の才の王(黄姑の甥)のように、長所裏目に出るパターンだ。祥瓊の父は清廉な人柄であったが、完璧主義者で罰が苛烈に過ぎた。黄姑の甥も正義感にあふれていたが、現実検討する能力に乏しかった。

で、奏の特徴としてはのんびりとした気風がある。これが欠点となるのは、のんびりした気風で対応できないほどの速さで十二国世界に変化が起きる場合だ。つまり、利広の情報収集を絶てばいい。彼が旅先で死亡するか、家族が業を煮やして彼を王宮に拘束するかだ。ところが、「帰山」では、しばらく王宮暮らししろ、という趣旨台詞がある。

これが奏の滅亡フラグかといえば穿ち過ぎな気もするが、宗王一家は全員同じ筆跡で公文書が書けて、しか御璽を押した白紙が大量にあるので、一度分裂したら矛盾した命令が出されまくって国家の体をなさなくなり、あっと言う間に沈む危険がある。白紙委任状ほど危険ものはない。ああいう仲のいい家族崩壊する様子を書くのって、日本人作家は上手だというイメージがあるが、数ページで滅んだ、と示されるのもまた冷たくていい。

おまけ2 「王気」という言葉について

「王気」という言葉一見すると単純な造語であるしかし、景麒は、自分は半ば獣なのだ、と述べている。さて、「王気」にけものへん「犭」がつくとどうなるか。「狂気」になってしまうのである。失道は避けられないのかもしれない。

おまけ3 四令門の名前

黄海を取り巻く四令門のある街で、雁では未門と申門の代わりに人門、恭では辰門と巳門の代わりに地門がある。では、言及されない才と巧ではどうなるか。陰陽道を考えると、才では丑門と寅門の代わりに鬼門、巧では戌門と亥門の代わりに天門、と思われる。

おまけ4 「戴史乍書」の記述はなんであんなにそっけないのか

十二国記を初めて読んだときには、本編と「戴史乍書」の関係って、講談や旅芸人お話と、正史みたいなものだと空想していた。三国演義歴史書の三国志やその注釈から成立した、みたいな話だ。つまり、本文も旅芸人の語りであり、実際に起こった歴史とずれている可能性がある。

また、中国の歴史を知るにつれて、歴史書の記述はわざとそっけなくしていると考えるようになった。春秋の筆法というか、どのような事件が起こったかをどのくらいの濃度で書くかによって、歴史的な出来事に対する価値判断が含めているわけである。細かい経緯を書いた記録はたぶん別にある。

最近は、国家機密をぼかす目的もあると踏んでいる。阿選の幻術なんかの記述があっさりしているのも、たとえば妖魔が符で使役可能だとか、王と黄朱とのつながりとか、暴力行使可能麒麟がいるとか、かなり危険情報だ。事情を知っている人が読むと「ああ」ってなるが、それ以外の人は読み飛ばすようにできている。

おまけ5 登場人物名前元ネタ

楽俊の姓名である張清は水滸伝に出てくる。しかし、水滸伝盗賊活躍するピカレスクロマンである文人肌の楽俊とはだいぶ違う。

桓魋は少し近い。孔子を襲った荒くれ者と同じ名前だ。そして、面白いことに「魋」だけで「クマ」意味がある。「熊どん」というほどの意味を持つ字なのだおるか。

祥瓊の父の字は仲達で、三国志諸葛亮ライバル司馬懿と同じだ。雁の白沢瑞獣名前。「白銀の墟 玄の月」の多くの官吏たちも、実在する中国官僚文人たちから名前が取られている。とはいえ名前が同じだからと言って同じような人物像とは限らないので面白い

おまけ6 遵帝はなぜ「帝」なのか

「帝」という称号始皇帝の考えだしたものだ。諸侯が王を名乗ったため、王のタイトルに重みがなくなってしまった。そこで、王の中の王を意味する称号が生まれたのである

しかし、それを考えると十二国記世界では帝の称号が生まれないはずだ。なにせ、侵略戦争がありえないのだから、王よりも上が出てくるはずがない。そのため、王より上の称号は、山客か海客由来の語彙ということになる。

語彙だけではない。現実中国文化には、周辺の異民族との交流からまれてきた要素が結構あるので、十二国世界でそれらが取り入れられたいきさつも妄想するのは楽しい。例えば、スカートキルトではない、ズボンパンツ状の服は騎馬民族に由来することが多い。そこまで考えるのは野暮かもしれないが、十二国世界匈奴西域の影響の薄い中国文化を持っていると空想するのは、歴史ヲタにとってはきっと楽しい時間だ。

おまけ7 景麒の角の文字

十二国記アニメで、景麒が塙麟に角を封じられるとき、「生心気鎮風」と読める金文が刻まれるのだけれど、あれって根拠があるのか。私にはわからなかった。

終わりに

つらつらと書いてしまった。

残念ながら、小野不由美の他の作品との比較検討はしてこなかった。未読のものが多いためだ。また、作者の細かいインタビューも入手できていないので、見落としているものがあるかもしれない。

積んである本を片付けたら、ホラーは苦手だがぜひぜひ読んでみたい。

そして、次回の新刊のんびりと待っている。小野不由美先生、本当に泰麒の物語物語を完結させてくださり、ありがとうございました。

2020-06-08

設定改変が分かってるメディアミックスを観るための準備運動



 観たら絶対自分は怒るだろうなと分かっている映画がある。原作小説がとても好きで、映画化の際に「そこは変えちゃ駄目だろ」と思うような根底の部分にドひどい改変をされた映画だ。予告CM開始3秒でそれが分かったので公開当時は絶対観ないと決めていたし、観るような気分になる日が来るとは思ってもみなかった。

 しか最近、「公式との解釈違い」のような文言を用いて苦しむ人々をよくSNS上で目にするようになってその映画存在を思い出し、いい機会だから観てみようかなと思った。何かコンテンツとの付き合い方における知見を得られるかもしれないし。原作版を大事に思いつつも、派生版も楽しんで愛せるような人間になれるならなりたいし……。

 観た後では感情が大きく動いて今の気持ち100%は思い出せないだろうから、観る前に今抱いている改変ポイントについての思いを書きとめておく。

 (ひとつその映画について鑑賞前から確実に言える腹立たしい点は、原作者が亡くなった途端にその映画が作られ、「映像化は不可能と言われていた名作が遂に!」みたいな売り文句付きで世に出された事だ。映像化を何度も断ってきていた作者だから余計に……今までは作者が止めていた設定企画を、もう止める者がいない+追悼とか言える勢いから好き勝手にやっただけではないのかと思う。せめて存命中の公開なら「作者はこの映画化を了承したんだな」と思えたし、そうしたらきっと作者は何かしらのコメント映画へ寄せるだろうから、それを見られればもうそれで良かった。原作レイプ(こんな言葉があったのを久々に思い出した)を通り越して屍姦みたいだ。大切な人の墓に立小便をされた気分だ。)

 映画タイトルは『悪童日記』と言う。原作小説も同題だ(海外文学の中では普通によく知られてる方だと思うので、勿体ぶった言い方をしてしまって少し恥ずかしい)。

 十年以上前、私は好きな作家たまたま雑誌でこの本に言及するのを読んで、高校夏休み中に手にとったそれに首ったけになり、ひと夏の間何度も何度も繰り返し読んで過ごした。だからこんな、映画を観るのに支障をきたすほどに思い入れが強くなってしまったんだと思う。

 しかそもそも映画化されたものをこき下ろしたい訳ではなく、映画映画として楽しめる作品にするためには原作からの多少の改変もやむを得ないというのは充分承知の上だ。だからこの作品についての改変もなんとか納得したいという思いから、今自分は何に納得いっていないかを整理して考えたく、文章に起こしている。

 (このカッコ内は余談なのでとばしてくれて構わないが個人的に、映画化された作品映画原作の順でふれた方が大抵の場合はどちらも楽しめるように感じる。原作映画の順だとカットされた箇所や改変部分が気になってしまって映画100%楽しめない事もままある。例えば私は『ジュラシック・パーク』に映画から先に入ったおかげでスピルバーグのあの映画メチャクチャ最高不朽の名作だと思っているが、もしも原作小説を先に読んでいてファンだったら、そこまで手放しで褒められたかは分からない。映画原作では構成人物もかなり別物だからだ。原作ではティムレックスティムの方がしっかり者の兄でレックスは足ばかり引っ張る幼い妹だし、Tレックスは二頭いて小さい方がかなりチャーミングだし、グラン博士最初から子供に優しいし、ハモンドさんはかなり嫌な感じの爺さんでコンピーに集られて無残に死ぬのだ。)

 改変箇所について書いていきたい。

 映画の予告から分かる改変箇所は主に「父親存在」「日記帳というアイテム出自」だ。私はこれがこの物語においてかなり重要パーツだと思っているので、予告CM開始3秒で見られる改変にガタガタ白目をむき憤死する羽目になった。

 原作小説主人公双子少年)の一人称「ぼくら」で書かれた日記形式をとっている。彼らが母親に連れられて小さい町の祖母の家に疎開してくる所から話は始まる。詳しいあらすじが知りたい人は原作wikihttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E7%AB%A5%E6%97%A5%E8%A8%98)でも見てくれ。ラストまでネタバレされてるから気をつけて。別にあらすじを知らなくてもこの文章を読むのに支障はないと思う。そういうふうに書けていることを願う。

 父親云々の話に戻ろう。

 主人公家族について、母親は冒頭から登場するし、すぐに主人公たちを置いて行ってしまうがその後、他の男の赤ん坊を連れて二人の前に現れ、どうこうなるくだりがある。二人が母親に対して色々思いを抱いていることが分かるような描写もある。

 描写があるという事は、書き手である主人公双子がそれを必要だと判断したという事だ。詳しくは後述するがこの日記はそういうルールの元で書かれている。主人公が無関心もしくは不必要だと判じたものは書かれず、必要ものけが書かれる。例えば作中の時代設定は戦争なのだがそれが一体いつの戦争なのか、年号国名地名人名などの固有名詞ほとんど出てこない。<大きな町><さな><解放者たち>などの言葉しかからない。関わる人々も名前はなく、ほとんど代名詞役職あだ名などでしか呼ばれない。双子自身名前も出てこない。彼らは大抵はあんた達、時に祖母からは雌犬の子などと呼ばれる。

 父親は出てこない。ラスト数頁まではほとんど。

 「父親の不在・不干渉」が、この小説(というか作者であるアゴタ・クリストフ作品はわりとどれも)に通底するテーマひとつだと私は思っている。そして出てこないということはそれは「書かない」という姿勢主人公たちの無関心を示しているのだから映画にも変にひっぱり出してほしくなかったのだ私は。しか作品の根幹である日記に関する部分で。一原作ファン気持ちを言わせてもらうならば。

 以下は物語終盤のネタバレとなるので、知りたくない人は読まない方がいい。

 原作の終盤、国境付近にある双子(主人公)の家に、国境を越え亡命したいという一人の男が訪れる。双子その男自分たちの父親だと気がつくが、父親は二人が自分の息子だとは気付かないまま、亡命の協力を頼みこむ。双子はそれを承諾する。国境までの間には地雷があちこちに埋まっているし、軍の見張りもある。双子は彼に地雷が埋まっていない道筋や、見張りの目の外れる時間帯などを教える。

 亡命決行の日、父親国境へたどり着く前に見事地雷を踏み抜いて死ぬ。すぐにその足跡の上を双子の片割れが辿り、その死骸も踏みつけて国境を越え、亡命を果たす。地雷国境と平行して並べられている。一度爆発した地雷国境を結ぶ線上にはもう地雷は無いので、先に一人立てるのが最も安全亡命のやり方だ。

 原作小説ではこの場面がラストだ。一人は父親の死骸を踏み越え国境の向こう側へ渡り、一人は残ってそれを日記に記録する。父親殺しと、それまで一心同体のようだった双子別離が同時に強く印象づけられて終わる。

 それなのに映画ではどうして、別れる息子達に日記帳を与えるような父親像に変え、それを受けて日記を書く子供たちに設定したんだ? 原作では双子自分たちの稼いだ金と自分たちの意志で紙と鉛筆を買い、自分たちの定めたルールの元で事実だけを、ただ必要と思われた事だけを淡々と記録し続ける。彼らは感傷感情は不必要とし、そういったウェットなものが取り払われ切り詰められた文体はこの作品の特長の一つだ。彼らの考えのもと自発的に書かれていくそ日記こそが『悪童日記』という作品となっているのだから日記帳というアイテムとその経緯は何というかかなり……成り立ちの部分ではないのか? この作品の根幹において、重要位置を占めるはずだ。

 それが映画はいきなり、別れる父親から最後プレゼントという陳腐でウェットなしろものとなる。双子は父の言いつけを守り日記を書き出す。制作側はそこに何の違いもないだろうと思ったのかもしれないが、違うのだ! と言わせてもらいたい。強く。

 日記帳は、それにものを書き続けるということは、戦時下に父とも母とも別離し粗暴で抑圧的な祖母宅に身を寄せねばならなくなった主人公双子が、初めて自分たちで選び獲得した、何かそれこそ父親教師代わり(彼らは学校にも行かない)のような、「この世界で生き抜く上で己の力になり、時に導いてくれる(と彼らが信じ掴んだ)モノ」だ。繰り返しになるがそれを「彼ら自身が」、彼らの面している世界であるところの小さな町で、そこの文具店で「身銭を切って」獲得した点が肝心なのだ。この話は平たく言えば庇護されない子供たちが、彼らの対峙する厳しい世界の中で、自身の力で何とかやっていこうとする物語からだ。

 「父親から与えられた道具」では過ぎ去りし想い出のよすがであるばかりか(感傷双子がつとめて日記から排除してきたものの一つだ)、それが上の者から与えられたという性質上、彼らにとってただの環境の一つに過ぎない。それでは全く意味が違ってしまう。そうでは無いのだ。彼らは道具がたまたま得られたから書くのでは無く、もちろん父親に言われたから書くのでも無い。書くことは彼らが生きるために必要で、だから彼らは道具を求め、書いた。「書くこと」自体彼らの周りには教えてくれる者がおらず、二人は一冊の聖書を使って独学で読み書きを学んでいった。

 「彼らが巻き込まれしかなかった環境に逆らって、初めて自分で望み獲得したモノ」であったはずなのだ、この日記帳は。「書く」という行為は。そういう意味合いがあったのだ、原作の中では……。

 そしてこれは作者の生い立ちや創作の源泉とも重なることが多いので(この作品を含めた彼女作品群は半ば私小説と呼べるものが多い)、私は映画でこんな改変をされた事について作者の気持ちを思うと、勝手にやり切れないものを感じてしまう。作者はもう亡くなっており、死者が尊重されないのは彼女作風からするとむしろ合っている事なのかもしれないが……。

 とりまとめて言えばまだ子供な上にただでさえ不自由が多い戦火の中、それが主人公たちにとっての武器であり糧であり強く生き抜くためのモノだった日記帳が、映画ではまるで父親から受け取った愛みたいなものに、ともすれば別れた父親を想って書かれているようにも受け取られるものすり替えられてしまった。かなりアイデンティティぶっ潰れではないか? どうしてそんなことをしたんだ? この日記は彼らの「書く」という意志のもとの話でしかないのにその根本を摘み取り別な物に置き換えたのは何故? 映画を観れば何か納得できる答えは得られるだろうか。頼む、納得させてくれ! 煽りではなく心からそう思っている。

 観たら本当にメチャクチャ怒り狂ってしまうかもしれないので心の準備をするためにいくつか映画レビューを読んだのだが、映画では日記帳パラパラ漫画が描き込まれている描写があるという。パ……パラパラ漫画!? と二度目の憤死をした。あの全ての無駄を省き贅肉を削ぎ落としたような原作文体淡々事実の記録しかしない所に物語的にも大きな意味が込められている事を知っているはずの制作側はどうしてそんな付け足しを? 主人公(ひいては作者)が定め、遵守してきたルールを踏みにじるような真似を……どうして……。

 

 もちろん、映画化された事によって現代日本の読者から想像もつかないような、主人公たちが生きた当時の暮らし風土感覚などを凄いリアリティで感じられる事などについては大変嬉しく思う。そういった映像表現についてはきっと素晴らしい映画であるだろうと感じられるのだ、予告からだけでも。

 主人公双子を演じる少年たちのビジュアルも、原作から受ける印象そのままと言っていい。もうそれだけでも十分以上のものだし、納得出来ない点があっても他に目を向けて感謝して観れば良いのだ……と思えるようになるまでに何年もかかってしまった。映画が公開されたのは2013年のことだ。

 私は本当にこの映画を観て納得したいし、納得出来なくてもそれはそれで良かったと思えるようになりたいと本気で願っているが、どこまでまっさら気持ちでこの映画を受け止められるかが分からない。願わくばこの物語に関する記憶を消して映画を観られたら、その後で初めて原作を読めるのなら、とても幸せなことだと思う……。でも、それは無理な話だ。

 だから私はこれから記憶思い入れも抱えたまま歯を食いしばってでも全部観て、自力で噛み砕いて納得するしかない。きっとそれはこの先の自分にとって有意義ことなんだろうが、こんな文章をジタバタ書いて整理しないと腹がキマらない位には苦しいものがあった。長くなってしまったが、読んでくれた方は本当にありがとう

 せめて映画ではラスト父親ちゃん地雷で惨たらしく死んで、主人公はその死骸を踏んづけてくれるんだろうなあ!? などとうるさく言いながら観ることにする。そういう観方でもしなかったら多分無理だ。その後言える感想があったら追記する。怒り狂っていたらすまない。

☆いきなり管を巻きまくってしまったが、小説悪童日記』はマジの名作の上にアッと言う間に読めるので、気が向いたら是非読んでみてほしい。もし面白かったなら続き(『ふたり証拠』、『第三の嘘』)もある。全三部作で、全て読むと分かる構成が本当に、本当に素晴らしいんだ。

anond:20200608092052

気に食わないものを腐す時にああやってクソフェミみたいなムーブに走るのは毎度おなじみの手段なっちゃってるし、おっしゃる通りクソだと自分も思う

が、それだけにこの際もう二度と棍棒として使おうと思わなくなるまで燃えてほしいと考えてしまってもいる

ぶっちゃけいつもの学級会のノリで、もっとぶつかり合ってボコボコにしてやりゃいいじゃん

申し訳ないけどディズニーにもツイステにも特に思い入れはないんで、そのまま対岸で燃え尽きてくれ

2020-06-07

お気持ちを読んだお気持ち表明

話題のツイステに関する話。割と暴論な自覚はありますごめんね。

.

私の立場としてDは金ロでやってる〜って見る程度、ツイステはちょっとお布施する程度にははまっています

.

まずお気持ち表明として愚痴を吐くことはいいことだと思う。自分思い入れあるジャンルだもんな、嫌なこともあるだろう。

ただそれって現段階でそんなへこむ話なのかなと思ったのね。

なんでかというと、まずランドなりシーなり現実(?)への影響は今のところない。ゲーム内に出てくるキャラモチーフはいてもそのものではない。(プライヤーキャラの夢って形でモチーフは出てくるけどその程度)

ヴィランズが好き、手下組が好きって方からすれば物足りないだろう、乙女ゲーにした意味ある?ディズニーから出す意味ある?って意見もよくわかる。

ただ公式が雑食ジャンルからきた民としてはいや、それだけで汚された〜って泣くのは早いぜ…と思ってしまうのね。

.

とんちんかんな例えで申し訳ないんだけど、お寿司屋さんで苦手なネタがあるとしてお寿司のものは好きだったら行くでしょ?でも苦手なネタは食べない。はい終わりって話に何でできないんだろうか。

私は軽い甲殻類アレルギーなんだけど、蟹フェアしてたら行かないかフェア以外の物を食べるようにする。

地雷だ!って言う前に自衛努力はしてね、苦手な物を呟く人は自分のためにどうかお別れしてねと思ってしまう。

ここまではDオタへの気持ち

.

ここからはツイステオタへの気持ちなんだけど、さっきの例えでいうなら今は蟹フェアの告知がないまま通りすがりの人の口にまで蟹を突っ込んでるようなもんだと思う。

創作してくれる神たちとっっってもありがたい、考察班もゲーム小ネタを呟いてくれる人も本当に心からありがたい。でもアレルギー人間にはテロみたいになることだってあるのね。

そこのところの棲み分けができずにDだって童話をめちゃくちゃに云々文句を言うのはよくない。まず目に入らないよう自衛させてあげれば文句言う人、内心悪く思う人も格段に減ると思うんだけど、そこんとこどう?

自衛するにもタグがあまりにも多すぎるから避けようがないと思うんだ。最低限何を呟くにも統一で#twstって語尾につけるだけでも全然避けようがあると思うんだけどそれは難しいことだろうか?

.

頭ん中ハッピーセット野郎意見申し訳ないんだけど、Dオタもツイステオタもどっちも好きなオタも皆平和推しと戯れられたらいいな。

そのためにはDオタは自衛、ツイステオタは自衛できるように配慮する、それで解決ではダメなんだろうか。

原著があってのディズニーディズニーがあってのツイステであって、好きなジャンルの元ジャンルくらいには敬意を払うべきだし、元ジャンルの民にちょっと気を使うくらいでバチは当たらないと思う。

.

.

ところで全然関係ないジャンルの話なんだけど最近腐女子公式ちゃんツイートに腐発言リプしてて古の腐女子は悲しいです。もっと潜もうぜ、その世界はわかるモンだけで楽しむディープ世界であって周知していいものじゃないんだぞ。LGBTがどうたらとBLは全く別問題からね。

ツイステくんそのあたりちょっと今後大丈夫かなって不安もある。

新興ジャンルめちゃくちゃ楽しいけど声が大きくなりすぎると嫌な人もいるから気をつけようね。

.

.

周りへの配慮しっかりやった上で文句言われたら?

それは文句言う側が悪いんで喧嘩でもなんでもすればいいと思う。沼仲間のためにもぜひ勝ってくれよな!

.

.

感情のままに書いたからよくわからん文になってしまって申し訳ないです。男女関係なく皆が今日明日推しと健やかに過ごせると嬉しいよ。最後まで読んでくれてありがとう

Dオタじゃない私がツイステのオタクについて思うこと。

ツイステ、はやってますよね。私もやってます

でも最近、ツイステに嫌気がさしてきたんです。

ツイステに、っていうか、ツイステ好きな人に、っていうか。

私は元々、手下の頃にディズニーヴィランズが気になっていました。

でも、あれも炎上しましたよね。一部の人民度が悪いだけっぽいけど、仲のいいDオタさんみんな結構怒ってて、だから手下が気になるなんて言い出せなかったんですよ。

ツイステももしかしたら仲のいいDオタさんが嫌かもしれないと思ってた。

でも、ツイステがリリースされてからしばらくして、仲のいいDオタさんでもやってる人結構いて、じゃあちょっとやってみようかな…ってやり始めました。

最初はすごく楽しかったです。

元ネタ知ってる作品、知らない作品ありますが、元ネタ知ってるとより楽しめるなって感じました。

Dオタの友達元ネタのこんなセリフ引用するんだ!とか、この演出!とか、元ネタかるとより楽しいよって言ってました。

当たり前なんですけど、Dオタさん全員がツイステを嫌ってるわけじゃないんですよね。

でもだんだん、ツイステの夢が地雷になっていったんです。

私は監督生は男だと思ってるんですけど、最初プラスだけ無理だったのが、最近プラスBまで無理になってきて。

もちろん夢を否定する気は少しもありません。ミューワード駆使して自衛してるし、好きな人にやめろなんていう気は毛頭ありません。

そのうちに腐も苦手になっていきました。

理由は大体夢と同じです。

理由好きな人もいると思うので詳しくは書きません。

ただ、ディズニー知識も浅く、ヴィランズについても詳しくない私ですが、元々好きだったキャラクターもいるぶん、「ディズニーヴィランズ」に対する思い入れが強く、夢や腐として見られないんだと思います

私は、女性向けゲームの全てが、乙女ゲームではないと思ってるんです。同じだったらすみません

登場人物はみんな顔のいい男だから一応女性向けだけど、ディズニーヴィランズが好きなら男性でも楽しめるようなコンテンツであるのをちょっと期待していました。ロイヤルソードアカデミー側でもいいので、女の子キャラクターが出てくる可能性とかないのかなぁって今でもちょっと思ってます

なにより、ツイステが女性向けでリリースされたとき、私が一番に思ったのは、「天下のディズニー様も目をつける日本女性向けゲーム市場ヤバイな」です。

まぁ二次創作が盛んなジャンルは栄えるイメージがあるので仕方ないのかなとも思いますが、この盛り上がりは異常な気がします。

最近あったことでは、知人がウエハースコンビニで予約したのですが、それを横取りされるというトラブルがありました。取引垢には注意喚起が回ってくるし、メルカリを開けばバカじゃないの!?と思わず口にしてしまう値段での転売

ツイステ関係ないヴィランズの商品説明欄やハッシュタグに使われる「ツイステ」の文字。そのほうが人の目につき売れるんでしょうかね。

関係ないウツボ動画コメント欄にまで湧いてるって聞いた時は正直引きました。

ちげーよ、それただのウツボだよ。リーチ兄弟ジェットムフロットサムだよ。だからってリアルマーメイド関連の動画コメント欄にツイステからとか書くなよって気待ちなんですけどね。

もう湧いてんのかな。

正直、パーク開いてないしトラブルまだ起きる前から騒ぐDオタさんもどうかなぁとは思いますが、実際元フォロワーさんで「(ツイステキャラ)の痛バ持って(そのキャラ元ネタとなった作品エリア)いきたい!」って言ってる人もいたので、正直誰かはやらかしかねない気がする、って気持ちです。

その方と、その方に「それな」「一緒にいこ!」って言ってる方はそっとブロックしました。注意する勇気はないチキンでごめんなさい。

言い訳するなら、偏見だけどツイステのこういうオタク怖い。

パーク開いたらジェットムフロットサムに向かって指差し写真撮ってピンクの加工する人とか出てくるのかな…。まぁそのくらいはいい気がするんですけどね。

あと何が嫌ってツイステ好きな厄介オタク(言い方)って成人済みの方比較的多くないですか?

未成年中高生ならまだ改心する可能性や希望はありますが、いい歳してこれならもうツイステに対しては変わらないだろうなぁ…って気持ちになる方もいます

鬼○キッズとは別方向でタチが悪い。

話がとっちらかってきた。

まとめると、

・私はそもそも手下の件で派生からディズニー世界に入るのは元から好きな人に嫌な顔されそうで怖い。

元ネタ思い入れありすぎて、夢や腐で盛り上がる界隈についていくのが精神的に大変になってきた(ファンタグで腐とか夢描いてる方は本当にやめてほしいです、棲み分けて)

・ツイステの民度問題(?)は規模がでかい気がする

そんな感じです。

Dオタじゃないし、私もまだ若いので今までの炎上は手下くらいしか知りません。

ただ、はたから見たらツイステとかそれを取り巻く環境の今の感じ、ちょっとやばくないですか?

冷静になってください。

缶バッジは1つ1万円で売るものですか?

ウエハースは人の分横取りしてまでほしいですか

更新直後からネタバレガンガンしますか?

元ネタ知らないけどこれアニプレックス作品から(笑)って言い切って、ディズニー公式さんの規則無視しますか?

まだ何も起きる前から、「これはルール違反だよ!気をつけてね!」じゃなくて、「こうなるだろ!これだからツイステは!」って怒りますか?

一部なのはわかってます。わかってるけど、一部が多すぎる気がする。(Dオタさんでちょっとお前…って人はたしかに一部な気がする)

すごい失礼なこと言いますが、ウエハースにそんなに群がって、人のものまでとって、バカみたいな額の転売でも買って…なんかちょっと浅ましい気がしてしまってます

なんか、この人たちと同じは嫌だなぁ…って思ってしまうことがたまにあるんです。

もちろん、普通にツイステが好きな人がいるのもわかってるし、それにどうこう文句をつける気はありません。

腐や夢にも触れましたが、あれは私のことで、好きなのは全然いいと思います

ただ、今かなり勢いがあるジャンルってこともあり、熱を持ちすぎてるんじゃないかなぁ…とか、基本的棲み分けできてない気がするなぁ…とか、思うことがあるんです。

Dオタさん同士でもツイステは自分は好きじゃないけどいいと思う派、好き派、ありえない派分かれてるみたいですね。

汚い言い方で申し訳ありませんが、ツイステがディズニーを汚した!ツイステ民はパークマナーを守らない!!って怒ってるだけの方は、ちょっと頭冷やしてほしいです。無駄に噛み付くな。

それと同時に、ツイステ民はディズニールールをきちんと守ってほしい。ツイステの大元ディズニーなんだから、それは当然のことだと思います特にパークが開いてから、パーク内でのルールとか。

ディズニーヴィランズも枢やなさんもツイステも好きなので続けますが、もっと全体的に落ち着いてほしい。ただそれだけです。

推敲してないからぐちゃぐちゃだしディズニー詳しくない奴の勝手な言い分なので、不快に思わせたらすみません

誤字は多分アイフォン予測変換のせいです、多分。

2020-06-01

ボーダーブレイク疾風のガンフロントで学ぶ正しいガチャゲー

~~すさまじい流行り具合で各地の中小ゲーセンが息を吹き返した伝説を持つボーダーブレイクが「順調に推移している」レベルなのどう考えても失敗してんじゃねーかバー!!!!!

結論から先に書きましたが、めちゃくちゃ面白いゲームだったんですよボーダーブレイク

知ってますボーダーブレイクセガゲーセンシャイニングフォースシリーズはやらそうとして、その前に同じ筐体シリーズ前例出しとこうと日本全然流行る気配のないTPSゲームを出したら流行りすぎてシャイニングフォースに客が全然つかなかった伝説ゲームです。

全盛期(Ver.1.5稼働初期)はどのゲーセンでも20人待ちとかなんかおかしかったです。20分で500円飛ぶのに。ガンダムの絆といい勝負でしたね。あっちは既存の超強いIPでしたけど。なーんの前身もない新規IPが訳の分かんない利益出したもんだから業界騒然だったみたいです。人によっては月に20万くらいつぎ込んだとかなんとか。

そんなゲームプレイヤー社会人になりゲーセンに運ぶ足は遠のき、筐体そのままで10年もやれば限界って話で2019年9月9日10周年で幕を閉じたわけです。

それが家庭用が出るってもんだからまあお祭りですよ。受注生産の専用コントローラー目標の3000台は一瞬で達成。何万台売れたんでしょうね。オープンベータテスト10VS10と人数が多いにもかかわらず、すごい速さでマッチング。本稼働も一瞬で30万ダウンロード達成し、もはや大勝利は確定してるといっても過言ではなかったんですが、

まだ2年たってない現在アクティブ1万人に届きません。

もう大失敗ですよね。ボダブレプレイヤーゲームに金出すことを惜しまない連中ばっかりだから1万人でも運営維持できてますけど、ゲーセンアクティブ10万人くらいいたんですよ。それ本当か?自信なくなってきた。

ゲーセンにわざわざ足を運んでプレーする人がそんなにいたのに、家に帰ればゲームができる状況でそれって。

原因は対戦しかできないゲームで戦力に直結する部分をガチャしたことです。

もうアホですよね。

アバター課金メインのLOLとかPUBGとかオーバーウォッチとかが空前の売り上げを出してる現在において、戦力部分をガチャて。

対戦メインのゲームで戦力部分をガチャにすると、人口が減って面白くなくなってさらに人が減って負のスパイラルに陥るって前例いくらでもあったのに。

プレイヤーやすために基本無料にしたのに、課金部分で人口減少まっしぐら施策とるって。

まあ最近になってようやくそうなった原因がわかってきましたよ。いや、前から分かってたんだけど確信に近くなってきたって意味で。

そいつが「ボーダーブレイク 疾風のガンフロント」です。

おう、知らんなこっちは。古参しか知らん。

ボーダーブレイクスピンオフとして作られたスマホゲーだ。

完全オリジナルを作ろうとして頓挫したやつを、f4samuraiが既存システムコピーしてガワだけ差し替えたやつだな。今もやってるなf4samraiよ。

こういうやつはたいてい失敗するんだが、なんとこのゲーム5年持ちました。長寿

どうやらセガさん、このゲームのことを「成功モデル」と捉えてるようで、本家にもそれを導入すれば成功するだろうと考えてる節があります

つける薬がない。

スマホゲーは当時でもそこそこレッドオーシャンで金を際限なく使う顧客いかにとらえるかがカギでした。今も同じ。

その点でボーダーボーダーブレイクプレイヤーのこと。めんどくさいので以下全部ボーダー)は1日1万使うのがワンサカいたわけで。そこにスピンオフゲームが来たわけです。

特に特別なことをしなくてもボーダーブレイク金銭感覚おかしくなってるボーダーはどんどん課金してくれます

負けるわけがない。

要は5年持ったのは課金プレイヤーを捕まえただけであって、その課金モデルゲーム性が優れていたわけではないのですサムライ〇ね(合言葉

ほぼf4samraiが運営してセガはあまりかかわっていない雰囲気を出したのも要因かもしれないですね。

ガチャは「信頼をお金に換える」システムなので、その向く先を別会社にして本体無傷。実際はセガコントロールしていたとは思いますが。

このガチャの「信頼をお金に換える」のをよくわかってるのが任天堂ですね。スマホゲーでも任天堂単独のものはほぼ課金ガチャがありません。協力会社があるところはどんどん入れてます。そっちに怒りが向くようにしてるんですな。あくどい!

話がそれましたけど、ようはこのスピンオフ側の要素がどんどん本家侵食してきてるんですよ。やばい

猛毒がある地域活動するため耐性がある人しかなれず、耐性がある人は毒をもっていると思われて著しく差別されている、などすごい重い要素を含んだミリタリー要素がふんだんに含まれ世界観

ゲーム代を稼ぐためにボーダーになった」

とか

ボーダーになるためのアカデミー」(めっちゃ差別される職業に就くための学校ってなんだよ)

だとか、スピンオフ側のすごく緩い世界侵食してきてます。たすけて。

いいんですよ。スピンオフスマホゲーはカジュアル世界でも。ボーダーどもは完全に別ゲーと思ってるんで思い入れはないし、変なキャラいくら出てきても怒りゃしませんサムライは〇ね(ヘイトセガに向かないし)

はいかんでしょ逆は。100歩譲って世界侵食してくるの許しても、課金システムやらゲーム性を輸入してくるな。それらが優秀だったわけじゃねーぞ?

対戦ゲームで戦力の部分をガチャにすると、それを取れなかったやつがやらなくなる原因になりえるんだぞ。わかってんのか!?(ガンフロントコミュゲー)

セガ勘違いしたせいでガチャゲーと化したボーダーブレイクにおいて、罵倒毎日のようにセガに向かって飛んでいます

青木プロデューサーが掲げた「共創」も罵倒扱いです。プレイヤーが創る要素、皆無。

モモタニはもうしゃべらないほうがいいです。

エントリー

・対戦ゲーなら戦力と無縁の部分で課金を煽れ

ガチャをやるなら別会社運営にしてスケープゴート

スピンオフから本家侵食するな

の3本でお送りしました。仏ナルシーとジャダンバをよこせ!!

anond:20200601124254

ざまあああああ

ディズニーにもツイステにも全く思い入れはないけど、隙あらばディズニーダシにしてリベラル仕草おっぱじめるヤカラがいい加減ウザかったからいい気味だわ

いっそポリコレ厨が憤死するぐらいの奴を作ってやれや

2020-05-28

自殺こそ世間を変えられる、という風潮にするのも問題じゃね?

ちゃんのことは不憫だった。

しか・・・こういうこと言いたくはないが、認識の正しさのために指摘すると・・・ちゃんは完全に被害者だったのだろうか。

自殺をしたから完全に被害者である、という観点も違うのではないか

まず、花ちゃんが完全に被害者であるケースを考える。

テラスハウスに出たのも何某かの圧力に依るもので、自分意志の介在はあったとしてもほぼ洗脳状態であった(例えばプロレス団体の維持存続のためとか)。

そのうえで、テラハによるヒールレッテル個人のためでなくそ圧力側への貢献のために受け入れていた場合

これは完全に被害者で、加害者の再精査が必要だ。

では「完全に被害者ではない」とうケースは何か?

テラハに出ることで自分が「利益を得たい」と考えていた場合である

まり構造理解していて、それでもリスクより自分の利潤が大きいと考えた場合。この場合リスク見積もりミスたことになる。

もちろん「完全に悪者」ということは無いだろう。既にある「悪構造」をカウンター的に利用しているのであって、「悪構造」は既にそこにあった。花ちゃんが作り上げたものではない。

しかし、「リスクを軽視したことによる被害」は一般的には見積側にも一定の非が認められる。

結果として自死を選んだことは不憫なことであるが、問題本質を冷静に分析する必要がある場合は、彼女自身を一度横におき、「なにが悪かったのか」というのを切り分けることが必要に思う。これは近しい人間にはできないことであるので、第三者的視点を持つ人間がやるべきである。(他人であっても過度に思い入れたり、攻撃したいもの攻撃する棍棒にしようとする人間には務まらない)

2020-05-27

anond:20200527140008

いや、複数人殺した犯人たって自分と関わりないなら基本どうでもよくない?

お前殺人事件報道見る度にいちいち憤ってんの?

被害者自分関係あるか、何らかの自分との共通点あったりすれば多少は思い入れは出来るかもしれないが

京アニ事件ってあんま遺族が表に出たりしなかったか

殺された人の人となりとかもいちいちスポット当たらなかったし

そういう意味で関心持つ人も少なかったしな

遺族が誰か一人でも連日テレビに出て涙ながらに被害者の思い出話と犯人への憎しみを語りまくる、とかあったらまた違ってただろうけど

殺害動機盗作されたとか意味からなすぎるし

一般人が「自分も同じ理由理不尽に殺されるかも」とか考えるような類でもないし

オタク以外には他人事しかない

2020-05-26

五目並べに狂うほどハマっている

 客観的に見ると、かなり素っ頓狂なタイトルだと思う。けれど私は、今五目並べに狂うほどハマっている。

 ステイホームが続いた連休。極限まで暇を持て余した私は、意味もなくスマホゲームインストールし続けていた。何をやってもつまらない。飽きては消し、飽きては消す。終いには、インストールの途中で飽きて消す。もはや何がしたいのか分からない。間違いなく、世界で一番無駄時間を過ごしていた。

 派手なゲームばかり触っていた反動だろうか。おそらく、「シンプル」を求めてだと思う。よく分からないが、私は「五目並べ」を始めていた。インストールしたのは、「五目クエスト」というアプリ。レート制でオンライン対戦ができるようになっている。しかし、UIはかなりシンプルだ。無味乾燥と言ってもよい。派手なエフェクトキャラの類は一切出てこない。ただ、五目並べをするためだけのアプリだ。

 これまでの人生五目並べに特段の思い入れはなかった。五目並べリバーシ。誰だってルールぐらいは知っているし、やってみればまあそれなりには面白いだろう。だけど、それなりはそれなり。別に、目の色を変えてまでやるものではない。そんな認識だった。

 飽きることにも飽きた。そんな虚無の精神に包まれながらパチパチと石を放つ。ルールぐらいは知っている。それと、初歩的なことぐらいなら分かる。相手の石が3つ並んだら、片方を止めないといけない。4つ並ぶと、もう五目を防げなくなってしまう。その程度のことである。虚無の中、石を放つ。弱いbotも常駐しているから、素人でも勝てる。それに、一戦が短く、テンポもよい。そこまで面白いというわけではないものの、気付けば、虚無のパチパチはだいぶ長く続いていた。しかし、繰り返す中でふとあることに気付く。ある程度レートが高い相手には、ほとんど全く勝てていなかったのである。むろん、偶然そうなっているわけではない。

 幸い、このアプリには対局を振り返ることのできる便利な機能が付いていた。そこで、敗れた対局を振り返ってみた。強い人は何を考えていたのか。振り返ると、ぼんやりとだが見えてくることがあった。なるほど、どうやっても五目が防げないように、強い人はいろいろと考えている。例えるなら、罠や伏線を張るようなイメージか。そして、強い人の手は、攻防によく効いている。私の手は、攻か防、どちらかしか考えていない。なるほど、なるほど。

(これに関しては、いろいろと定石なるものがあるようだ。少しずつ調べ始めたところなので、まだ詳細なことは書けない)

 私は、おもむろに立ち上がり、お湯を沸かしていた。熱いコーヒーをすする。頭が冴えた。よし、もう少し考えてやってみるか。気付けば、虚無の時間は終わっていた。

 試行錯誤悪戦苦闘。苦労はしたが、着実に勝率は上がっていた。強い人の思考イメージする。定石は分からないが、ここではこう指す、そんな感覚ができてくる。相手の考えが、少しずつ読めるようになる。

 もちろん、強い人は簡単には勝たせてくれない。お互いの狙いをひたすら潰し合う。神経が削られていく心理戦。一手一手が重い。ミス即死意味する。手の震えまで出てくる。いやあ、参った。

 しばらく黒星を重ねた後、ついにその時は来たはるか格上相手、長い手数の果てに、ようやく勝ちが見える。相手投了。私は思わず声を出し、拳を作ってしまった。手は汗で滲んでいた。

 何が「別に、目の色を変えてまでやるものではない」だ。気付けば目の色を変えてやっていた。五目並べに夢中になり、勝利に咆哮する男。正直、絵面としてはかなりシュールだと言わざるを得ない。しかし、これは楽しい楽しいのだから、仕方がない。外に目をやると、いつの間にかすっかり日は暮れていた。

 病的な飽きっぽさのある私だが、連休明けも「五目ライフ」は続いてしまっている。小さい頃から、考えることは好きだった。だから、ハマる土壌はあったのかもしれない。そうとはいえ最近歯磨きでもするような感覚で五目が始まっている。自分でもなんだか可笑しくなる。

 無味乾燥だといった「五目クエスト」。このアプリがまたいいのである。派手な要素は一切ない。ただただ、五目。その無骨さが、かえってクセになる。石を打つ時の「カン」という打音がまたよい。愛想も何もない無機質な音。だからこそ、勝負に集中できる。最初こそ物足りないと思ったが、本当によくできている。対戦に関するストレスはほぼ全くない。唯一挙げるとすれば、接続数が少なく、同じ人と頻繁に当たること。ようするに、過疎っているのである。地味なゲームであることは否めないけれど、過疎というのはやはり寂しい。

 突き詰めていくと、五目並べは本当に奥が深い。「棋は対話なり」、これは将棋言葉だけれど、五目並べにおいても本当にそうだと思う。対戦は声のない対話である相手性格のようなものが見えてくる。イケイドンドンな人がいれば、石橋を叩いて渡るような慎重居士もいる。そして、強い人はいつもナイフで後ろから刺してくる。目に見えない相手のことを考え、声のない対話をする。たぶん、この営みにハマっているのではないだろうか。

 長く書いてしまったが、ゲームの過疎っぷりから推察するに、五目並べに狂うほどハマっているというのはかなり希少な人種だと思う。「最近五目並べにハマっててさ」そんな話はまだ他人に言い出せていない。そんなことを言うとポカンとされてしまいそうである。それで、ここに書き連ねることになった。

 虚無の連休中に突然目覚めた私はかなり極端だと思うが、五目並べは本当に面白い。ハマる人はハマると思う。そして、やはり過疎は寂しいので、できればもう少しアプリが賑わってほしい。よかったら、遊びに来てみてください。

2020-05-25

世論調査に対する不毛な議論はもうやめましょうよ

これとかの一部ブコメに対して。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASN5S74LMN5SUZPS001.html

学生とき、「某社」の世論調査として、調査会社派遣バイトをしていたときの思い出話。

守秘義務に反しない範囲で、自分のいたところでは、

ランダムに番号生成して電話をかける。(ヤクザさんのところにかかったり、ご葬儀準備中のところにかかったり)

②「某社」の〇〇です、と名乗る。(派遣会社でも派遣会社でもなく、社員でもなんでもないのに「某社」の〇〇と名乗るの、卑怯ですよね。)

選挙権がある人の人数を聞く。

選挙権者の人数をPC入力すると、年齢順で上から〇番目と乱数回答者を固定。

回答者が固定されたら繋がるまで/回答するまで何度か電話をかける。(※ごくまれに「しつこすぎる!」とブチ切れられ、クレーム発展ありw)

世代性別、回答を確認

クローズ

という流れだった。


仮に自分のとこに電話がかかってきたら自分絶対答えないが、この方法でもかなりの割合支持政党投票先など答えてくれたのが意外だった。

設問内容は、自分担当した限りでは、公平にみて当該「某社」の思想に沿うような誘導はなかった。

我々バイトとしても、「某社」は派遣元でも派遣先でもなく、何も思うところはないので、マニュアルに沿って設問を読み上げるのみ。(マニュアルから外れると怒られる)

調査の細かいルールは「RDD」でググればわかると思うので割愛

結局、バイアスがかかるとしたら、「某社」の名乗りの場面のみと思われる。(なので、調査主体調査方法によって世論の結果に多少のブレがあるかと)

読売でも朝日でも毎日でも産経でも、NHKでも〇〇テレビでも、わざわざ社員記者調査をしてるんじゃなく、調査請負っている調査会社派遣されたバイトたちがマニュアルに沿って実働で動いていて、当該「某社」に何にも思い入れ忖度もなくただ淡々業務をこなしているだけなんだからいくら世論調査の結果が自分自分のTLの意見と違うからといって、「操作されてる」「あてにならない」「誘導が~」みたいな余計な邪推不毛からやめませんか、という話。

2020-05-20

死ぬと本当に全部ゴミになってしまうんやなぁ

実家の夢を見た。両親が病気で亡くなって、今、実家には誰も住んでいない。

 

梅雨時の雨で雨漏りがしはじめて、畳が腐って、どんどんあばら家になっていく嫌な夢だ。

GWには少しだけ実家の片づけをした。捨てられるのは、まだ自分のものだけだった。

両親の服や身のまわりの物を捨てる勇気はまだ無かった。

 

両親がもういないのだから、両親が所有していた大半のものを、最終的には処分しなくてはならない。

 

実家建物自体が、築70年の木造住宅から自分が元気なうちに取り壊して更地にしておくべきなんだろう。

ただ、なかなかその決断は難しい。自分と姉にとってはそれなりの思い出のある場所だ。

 

言い方を変えるなら、自分と姉以外の人にとっては、何の思い入れも無い場所とも言える。

自分と姉が将来死んでしまったら、そこにある物はすべてゴミになるのだ。

 

それとも、何か残せるものがあるだろうか?

 

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん