はてなキーワード: 不干渉とは
なんで服装について言われただけでキレるのかって、自分で分かってるんじゃん。
『「他人のことには口出ししない」という不干渉が良しとされる世の中だから、服に関してもそう』だからだ。
服装に関しては無理だというのはお前の身勝手でしかない。身勝手なことをしているから他人から苦言を呈されるんだよ。ダサい服を着る人が「周囲からの無言の圧力は感じているんだろう」とか妄想を言ってるけど、お前がやっているのは迷惑なんだと周囲から明確に言われているということだ。
ここはなぜか服装・ファッションについて何か苦言をいうとどえらいキレちらかす層がいる。
例えば聞いてる音楽だとか、それを批判されたり馬鹿にされても「ほっとけ」と思うだろう。好きなものは好きなんだから。他人には関係ない。
そのひとの好きな音楽や好きなプログラミング言語は歩いてるだけでは他人にはわからない。
しかし服は他人から見られてしまう。そして必ず批判されるというものなのだ。
いまは「他人のことには口出ししない」という不干渉が良しとされる世の中だから、服に関してもそうあろうとするのだけど、それは無理だ。
ダサい服を着る人に その服をなんとかしろ という人間は身内以外では現れないだろうけど、周囲からの無言の圧力は感じているんだろう。
だからここで明確に指摘されると怒髪天を衝くような反応になる。
しかし、今は男性にも美しさ・清潔さが当たり前のように求められていると思う。
テレビを見れば20代の男性タレントはだいたいい髭脱毛して顔はツルツルだ。
自分の立場としては、奢られるのを要求したりそれが当たり前だったりするようなハイスペックな女性はこちらから願い下げだ。願い下げするまでもなく相手にされないだろうが、それでもいい。お互いに不干渉でいましょう。
…本来ならばこれでハイ終わりでいいのだが、お節介かもしれないが、俺にはどうしても「男は奢るべきだ!」と声高に主張する人々(男女問わず)の幸福度が高いとは思えない。
確かに美しさや経済力などの外的価値で相手を選別するのは、恋愛において避けられないプロセスである。
しかし、個人的にはそれを超えた先にあるその人だけの内的価値、すなわち「かけがえなさ」の発見こそが恋愛のゴールではないかと思う。
そして、そこに至れた人々の間ではは奢り奢られ論争など発生し得ない。二者間で納得のいく形が取れていればいいのであり、「論争」をする必要自体がないからだ。男が奢ってようが女が奢ってようが割り勘だろうが、そのカップルの勝手である。
つまり、身も蓋もない話、「かけがえなさ=愛」を獲得し現状に満足している人間は、奢り奢られ論争に参加するインセンティブに乏しいのだ。
では一体誰がこの論争に参加し、炎上して(いるように見せかけて)いるのか。個人的には2種類の人間がいると思う。
一つ目はよく言われる通り、「奢れない男」と「奢られない女」、つまり恋愛市場における価値に乏しくその現状に不満を持つ人々だ。
この人たちはまだいい。現在下のポジションにいる以上、努力して市場価値を上げれば価値観の合うパートナーを見つけられるかもしれないという希望があるからだ。結局自分のことは自分で救うしかないので、ぜひその怒りのエネルギーを有効活用して、自分なりの幸せを掴んでほしい。
真に俺が救われないと思ってしまうのは、一般的には「強者側」と認識されており、奢ることができる・奢られることができるのに何故か論争に参加している人々である。
具体的な属性を挙げると、AV女優、キャバ嬢、港区女子、ホスト、ナンパ師、YouTuber、アイドル、インフルエンサー等の、インターネットではよく目につくのに現実ではあまり見かけないタイプの方たちだ。一言で言うと、フォロワーが多い人々である(フェミニストやアンチフェミニストもこれに該当するだろう)。
彼らが論争に参加するインセンティブは一体何なのか。それはこの奢り奢られ論争という話題が、前者の「弱者側」の人々のコンプレックスを刺激し分断を煽りやすいために、強い拡散力を持っているからである。
彼らはこの話題に乗っかることで、より拡散され、より有名になり、より自分のビジネスを拡大することができる。そういうインセンティブがあるからこそ、奢り奢られ論争は永遠に繰り返されているのだ。インターネットの炎上というのは得てしてそうした性質を持っており、極めて不毛なものである。
にもかかわらずインターネットの人々はそれに気づかない。いや、気付いた人々から一抜けしているのかもしれないが、そのことをインターネットに残留している人に警告してあげる心優しい人は少なく、またそうした声はそれを上回る怨嗟の声にかき消されてしまうので、彼らはまんまと強者のバズの養分にされてしまう。
しかし、実は搾取されているのは「強者側」の人々も同じである。
彼らは一見弱者を誘導し操っているように見えるが、プラットフォームが作り上げたバズの快楽というインターネットの毒に冒され、誰よりも後戻りできない状況に陥っているのは彼らの方に他ならない。何しろそれで生計を立てているのだから、彼らは炎上に言及することをやめられないのだ。
さらに悪いことに、弱者と違いなまじそれでチヤホヤされたり美味しい思いができてしまうので、ビジネスとして発信していたはずの偏った意見を自己正当化も兼ねて内面化し、絶対的に正しいと思い込んでしまう。
そうしてどんどん「かけがえなさ」と乖離していき、恋愛相手をスペックでしか判断できない、資本主義的価値観と一体化した非人間的な存在と成り果ててしまう。
そして一度そうなってしまった人間には、自然と同類ばかりが集まってくる。仮に奢ってくれてかつ優しい男性と出会ったとして、美しさを対価として差し出している以上、その優しさが貴女自身でなく貴女という「商品」に与えられた報酬に過ぎないということを、どうやって否定できようか。
俺には深○えいみが、そのような哀しいモンスターに思えて仕方がない。まさに現実で起こっているInternet Overdoseである。
〈まとめ〉
インターネットは性愛を含めたあらゆる人間的感情を商品化し疎外する。
しかし、奢り奢られ・サイゼ・4℃問題等の無限に繰り返される炎上や、推し活・マッチングアプリの爆発的普及を見るにつけ、人類が積極的にその方向に向かっているように思えてならない。
私は私、あたなはあなた
違う人間でいいところも悪いところもある
うちの両親は極端な不干渉主義で財布も別、部屋も別、時間も別だったけど
その部分だけをめちゃくちゃ大事にしてたな
それ以外の例えば
父はめちゃくちゃ丁寧に服を整理するタイプで母は雑に突っ込むタイプ
と相反する属性があったけど、「自分の領域に踏み込んでこない限りは不問」という立場を崩さなかった
金銭的な自立、人格的な自立ができてないと結婚は難しいと感じる
でも金銭的な自立、人格的な自立ができている人は別に結婚しなくても困らない
つい結婚しちゃうのはどちらかもしくは両方が自立できていなくて「一緒にいないと困る」という人間
そういう人間は相手と自分の境界があやふやになって「私だったらそんなことしないのに」という
はてな内では交流することこそ無いが、お互いブクマカであることは知ってる友人が最近そう漏らしていた。
友人とは趣味の場で知り合ったのだが、家に遊びに来た時ふとした拍子にはてブにログイン済のPC画面が映ってしまい「えっ、はてなやってるの?」と微妙な空気になり、それ以来お互い非表示ユーザーに設定し相互不干渉を誓った仲だ。
うっかりブログをブクマしたりスター投げたりして互助会を疑われるのも癪なので友人関係のURLをはてなフィルタに突っ込み、以後はネットに関する話題の時に他のSNSで時々話題にする程度の温度感である(日本死ねバズってるね~等)。
それがここ最近、増田に関する愚痴を溢すことが多くなり、遂には表題の発言に及んだ。なんでも発信者情報開示請求の簡略化が話題になったのをきっかけにエゴサしてみたところ、ここ1か月の間にとある増田を見つけたとのことだった。
特定されるのを防ぐためにフェイクを織り交ぜるが、詳細は以下の通り
こうしたことが行われていたとのこと。確認の為に実際の増田も見せて貰ったが、言葉で言い表せないくらい酷かった。批判するならせめて内容に絞ればいいのに、書いてるうちに気持ち良くなってタガが外れたのか快刀乱麻を断つが如く切った貼った張った(訂正。わくわくさんは草)している様は傍から見て滑稽でさえあった。
友人のブコメも見たが取り立てて不愉快というわけではなく穏当に自分の意見を表明しているだけの発言にしか思えず、これを客観的に見て喧嘩両成敗とは片付けられないだろうな、とも思った。
かくいう私も前垢で増田に粘着されることがあり(それもあってid変えたくて取得し直した)その経緯から削除容認の立場なので、今のアカウントでも自分が経験した削除申請のハウツーを発信したり友人と情報共有はしていた。
しかし削除を申請したら申請者のidは発信者である相手方に通知される仕組みの為、増田では言及されなくなったとしても削除申請をキッカケに捨て垢など作られて他のはてなサービスで付き纏われるかも知れず躊躇していたらしい。
低能先生の前例もあることだし、発信者である増田がいくら「言論を批判しているだけだ」と弁明して仮にその認識が本人にとって真だとしても、それを文面からはとてもじゃないけど読み取れないし受け取った側からしたら信じられない、小手先で逐次対処していくよりは正々堂々と権利侵害を訴え出て代理人を交え、二度と関わらないことを盛り込んだ誓約をして貰った方がいいんじゃないか、とのことだった。
普段の自分自身のスタンスとしては賛成なんだが、いざ事を構えるとなると諸々の手続きに忙殺されて友人が憔悴するのは目に見えているので、無責任に背中を押すべきじゃないよなと悩んでいる。何かアドバイスあれば伺いたい。
匿名のアカウントidに対する非難って誹謗中傷や名誉棄損になるのか?については、友人は他の交流SNSと同じように実名で登録していた。
実名で活動するアカウントであることがプロフィールページやブログを辿れば誰でも容易に知ることが出来るようになっている。しかしYamada_Tarouみたいな分かりやすい表記ではなく、外国にルーツを持っているせいか日本人ぽくない名前なので一見すると只のニックネームに見える。
この内容を増田に投稿して良いか?ということに関しては、むしろやって欲しいと依頼された。なんでも、意見は募りたいがブログ等リアル寄りのコミュニティで話題にするのも憚られるし、かといって自分から増田に乗り込むのも……と躊躇していたので、逆に増田に慣れてる人にお願いしたい、とのことだった(こっちもそんなに慣れてるわけじゃないんだけど)。
まぁ、間に一人噛ませることで直接的な応報にならずに済むって利点はあるのかな。そうなると感情的にヒートアップしそうだしね。ブコメやトラバがついたら、その中から酷いのは除けて友人に渡そうと思う。
3年前だとログ残ってないのでは
3年は特定避けの為に大幅な間隔で書いた。増田の投稿って外部には公開されてないだけでidに紐づいてるので、既にアカウント削除されてるなら仰る通りなんだけど、もし現在も保持したままなら直近のログイン履歴から割り出せないかなー、とは。前は権利侵害の投稿時IPのみ開示対象だったのが、その辺も法改正されたと聞きかじったので。
友人は実名でアカウント登録しちゃうような(ある意味で)普通の人なんだよ。所謂"ブクマカ"としての活動というよりもブックマークとして使っていて、時々コメントするみたいなスタンスだったらしい。だからこそ、今回の件は事故に巻き込まれたように感じてる。
エゴサしなければ知らないままでいたのに……って後悔してるみたい。かく言う私だって入村する前はこんなに手斧が飛び交ってる空間だと思わなかったよ!今は慣れたけどね。
誹謗中傷とは
直近の増田で言うと「社会派ポエマーいい加減にしろ(anond:20220918121812)」「基地反対派のひろゆき対応は0点(anond:20221007104350)」「ワートリ胸カップ増田へのレスポンス(anond:20221010163416)」みたいな構成というか文体?に似てる。これに友人含む特定のidに対する差別発言と人格否定が上乗せされた感じ。
まぁ、同一人物かどうかなんてこっちからは分からないから、ただ雰囲気が似てるってだけどね。むしろ引き合いに出しちゃってスマン
まぁ、でも当時も似たような投稿が結構あったから、その時点で運営が対処していてくれてたらなぁ(こんな無駄骨折らなくて済んだのに)と思わなくもない。
この件に関してのご報告を投稿しました。→https://anond.hatelabo.jp/20221011121447
合衆国南部で州レベルの中絶禁止法廃止案が否決されたり、小さなケーキ屋が同性愛者にウェディングケーキを作るのを拒否すると北部のリベラルは大挙して南部の田舎町に押し寄せて抗議デモと称して大騒ぎするけどその逆は聞かない。南部の人たちはニューヨークやワシントン州、カリフォルニア州でどんな州法が可決されようが廃止されようが北部のことに干渉しようとしない。「北部は北部、南部は南部」って感じで不干渉だしわざわざ都会に押し寄せてデモなんてしようとしない。でも北部リベラルはわざわざ南部の田舎に行って大騒ぎ。
アメリカ縦断旅行をしてた時、北部の自称「多様性を認める」人たちと話すとやけに「should」が多くて嫌になった。「日本はこうすべき」「アジアはこうすべき」「人々はこうあるべき」。でも北部の人間が「差別主義者」って見下すルイジアナとミシシッピのコットン農家とかオレンジ農家の人たちと話したら、住むとなるとわかんないけど旅行するくらいじゃ全く人種差別なんて受けなかった。ミシシッピ州のラファイエットにいた時ダイナーでオックスフォード出身のトラックの運ちゃんに「明日はオックスフォードに行く」と言ったら町の人みんなが「日本から旅行に来た人だね。あいつから聞いてるよ」って言われてびっくりしたくらいには閉鎖的だけど。そんで南部の人たちは「こうあるべき」「こうするべき」「should」じゃなくて「南部じゃこうなんだ」「うちじゃこうなんだよ」が多くて、決して日本や海外やアメリカ北部を否定するような話が出てこなくて居心地が良かった。バーベキューとか招待してくれたし帰る時にはビーフジャーキーいっぱいくれたし(狂牛病の関係で持って帰れなかったけど)。南部の気質の方がよっぽど多様性を尊重してると思う。