はてなキーワード: 不毛な議論とは
http://b.hatena.ne.jp/entry/352274389/comment/Domino-R
これはスゴイな
まず「オマエラ」って誰だよという話。
はてなではこういうのは「一体誰と戦ってるんだ」と言われるパターンで、
かつ、
「オマエラという主語」の大きさも問題とされるパターンでもある。
たとえこのid氏が想定する人間(BBAだのの悪口を言う人間)がいたとして、
それをオマエラという不特定多数に拡大するのは大変乱暴な議論だし、
誰か問題発言をして「これだからはてサは」などと一括りにする乱暴な人がいるが、
その問題発言を全くしていない人らを指して「いかにも問題発言しそうな人間たち」と勝手な予断と偏見で見当違いな批判をするのはまったくもってフェアではない。
対称ではないのだから、片方は批判されて片方は批判されないことを正当化することになる。
また、酷いことをされたのだから酷いことをされ返されても仕方がないという負の連鎖も助長しかねない。
こういうやり方ではまともな議論は望むべくもない。
昔、同棲してる相手が無職になって、自分が主夫をやるというので任せてたけど、だいたい一日2chに張り付いて論争してて、
家に帰ると「こんな議論になって、こんな感じで論破してやった」とか喜々として語るのが嫌になって最終的に別れてしまった。
相手は家事はほとんどしなかったけど、自分も家事にマメなほうではないからそれは問題なかった。
でも、とにかく、不毛な議論を1日してる人間が家にいるのが嫌だった。
男女問わず、多くの人間は、なんか勝ちたいし、なんか褒められたいし、俺スゲーって思える成功体験がないと腐るんだろうなって思う。
主婦はまだ主婦間のマウンティング合戦とかできるし真面目に家事やってるだけでなんのかの褒められる仕組みになってて
プチ稼ぎで月に何万か収入あるだけで「スゲー」て感じで大威張りできるし、ある程度欲求解消されてると思う。
でも、主夫はまだ世間に数が少ないし嫁の稼ぎでマウンティングするような相手もいないし、月何万かじゃ偉そうにできないし、つらそう。
例のトランペッターの話。
http://www.news24.jp/articles/2017/08/31/08371283.html
僕ははてブでこの騒動を知ったけど、正直どうでもよかった。どうでもよかった、というよりは、「なんか不毛な議論が延々と続いて結論が出なさそうでめんどくさそう」という感想だった。
実際ブコメを見ると、「当事者同士で解決してんだから外野は黙ってろ」派とか「どういう理由があれ体罰は絶対ダメだ」派とかがいろいろ揉めてて、結局結論が出ない感じの議論が続いてた。
あーやっぱり。って感じ。多分僕はこの話、来週になったら忘れてる。仕事は忙しいし、実際に自分にできることは何もないから。
今この文章を書いてて、ちょっと前に真木よう子のコミケのやつでなんか揉めてたのを思い出したけど、結局あれって今も関心を持って具体的に何かアクションしている人がどのくらいいるんだろう。たぶん指で数えるくらいしかいないんじゃないだろうか。他にもいろいろ、みんな好き勝手あれこれ文句言ってるけど、自分の生活には全然関わりがないし、結局来週には、もしかすると明日には自分が言ったことも忘れてそうで、自分に全然関係ないことにイライラしたりあれこれ考えたりするの、結構時間の無駄って結構前から思ってる。
それでもはてブやTwitter見たり新聞を読んだりニュースを見たりするのは、世相を把握しておきたいっていう気持ちからなんだけど、こういう事件というか出来事にたいして、自分の生活に直接かかわりがないのなら、やっぱりあれこれ考えないでふーんで終わらす心構えが必要なんじゃないかなってふと思ったのだった。自分の防衛のために。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
つまり、そういうことだ。
コミケとかでも金が取引されたとしても、モノは「頒布」と表現するだろ?
……この例えはちょっと違うか。
私のエントリに来て、それっぽい回答を思いついたときは返すこともある。
もちろん、「それっぽい回答」とは私のやってるFAQの枠組みでという意味だ。
月並みな返ししか思いつかなったり、不毛なレスバトルにしかならないと感じたら自重する。
そんな調子で他人の話にわざわざ首を突っ込んで、くどくどと持論を展開させていたら面倒くさい人になっちゃうだろ?
いい質問だ。
昔話をしよう。
とある人物A、B、C、Dが、とあることで熱心に議論していたときのことだ。
Cの意見は前向きではあるのだが、観念的なことを語っているばかりで中身がない。
Dはというとアニメを観ていた。
……察しの良い人間なら、すでに私の投げかけたこの疑問自体がミスリードであると気づいただろう。
つまり、そういうことだ。
あ、ちなみに私は上の話だとF的存在だ。
http://anond.hatelabo.jp/20170204225930
この手の議論は「勉強はしなければならないものである」という結論ありきのものになりがちで、それが原因で不毛な議論に陥りやすい。
けれど、この結論は絶対のものではない。聖書の教えによれば、勉強は必ずしもすべきものではないし、その内容によってはかえって有害としているようにも読める。
その理由はいくつか考えられる(聖書には明示されていない)が、①勉強した人はしていない人をどうしても見下してしまうことが多く、これは愛の理念に反するからとか、②社会的成功のためには勉強が必要である(学歴・スキル)が、キリスト教では社会的成功や高収入であることが必ずしも正義ではないからとか、説明される。
これらの理由からすると、人生の慰めとなったり、信仰に資するような勉強以外は大して意味がないということになるだろう。
ちなみに数学者のパスカルはこれを分かっていながら確率論に惹きつけられてしまう自分を自嘲する文章を著書に書いている。
上記のキリスト教の考え方を踏まえた上で、改めて「なんで勉強するのか」という問いを立ててみると、勉強をするかどうかというのはそこから生じる利益・不利益を考慮した上での一種の決断に過ぎないことが分かる。
つまり、上述したような不利益と、得られる利益(いい大学に行ける、知的好奇心を満足させられる、自分のやりたい仕事につける等々)を天秤にかけた上での決断なのだ。
「勉強をしなければならない」が一つの決断に過ぎないとすれば、それを押し付けられれば当然娘さんのような反応になるだろう。
元増田はせっかくいい経験をしているのだから、自分が勉強をしてきて良かったこと、悪かったことを直截に伝えてやれば良かったのではないか。
定期的にツイッターにて『円盤や雑誌を垂れ流してるアカウントは悪!!!』という議論を見る。でもマーケティング対象であるオタクがちゃんと買っていれば、そのアカウントがどれだけ写真や映像を上げていても問題ないのでは?むしろ、マーケティング非対象である非オタが偶然TLに流れた動画を見て、一目惚れをし、転げ落ちるみたいに加速してファンになる可能性だって充分に秘めている。
この件でわりかし悪なのは著作物を垂れ流してるアカウントではなく、思いっきりマーケティング対象なのに購入してないオタクだ。でもオタクにも様々な事情があるだろう。例えば、金銭面で余裕が無くて購入できてない場合。予約しなくても大丈夫だろ★って余裕ぶっこいてたら初回盤が売り切れてた場合。雑誌だったら気付いたら発売日から1ヶ月経ってて次号が出てしまっていた場合。いくら怒ったってしょうがなさすぎるし私には何も出来ない。それでも上記のような事情もないのに買わない人はファン失格だろって思う。というかその時点でマーケティング対象外になってる。そういう人はどの界隈に行っても出来るだけタダで済ませようとするし、まあ矛盾するけど初めからマーケティング対象外だし発売元は最初からそういう層が居ることを前提にして商品を売ってるんだろうきっと。
この議論とセットで述べられてるのは『垂れ流してるアカウントがフラゲ日にアップするから売上が増えない』という議論だけど、まず売上に囚われてる時点でオタクやってて楽しくなくない!?それに変にオリコンランキング1位に執着して仮に内容が最悪だったとしても何枚も買ってたら発売元が勘違いして以後ずっと同じような商品が売り出されたらオタクだって辛いでしょ!?同じ1位でもちゃんと1位の冠に恥じないような商品なら問題ないけど、本来1位を取るべきではないのにオタクが無駄に頑張ったせいで1位を取ってしまったら、結果的に苦しみ続けなければならないのはオタクじゃん。最初に言っとくけど無理して無駄に買ってるんなら即刻やめような。それにCDならオタクはアカウントが垂れ流す前から予約してるはずなのでいくらアップされようと売上に言うほど関係はないでしょうし、雑誌でも「早売りをアップしたことによって売上部数が減ることが何故分からない?」って一方的にブチ切れてる人をたまに見かけますけどツイッターで中身を見たのがキッカケで買う人だって普通にいるでしょうよ。
というか発売元も発売元で、たまたまツイッターでフラゲや早売りを見てしまったマーケティング対象/非対象に“あっこれ買わなきゃ…”って潜在的に思わせる商品のみを世に出してよ。そうすればクソみたいに不毛な議論も金輪際見なくて済むし、誰が読むか分からない増田も書かなくて済むのに。
ここまで書いてふと思ったけど、もしかして現物保存主義じゃないオタクの方が多いの…?持ってたい!!って思わないの…?だとしたら正気の沙汰じゃないと思うしお前らの代わりにちゃんと買うので現金ください。