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はてなキーワード: 放言とは

2020-06-02

anond:20200601222620

めっちゃわかるわ。しかもこういう意見はひたすら茶化して流す。

元々そうだからとか、急につまらねえ駄洒落を言い出したりとか、完全に面白くないやつが面白くないことを放言する場に成り下がったわ。

2020-05-18

はてなゴミ溜めというブクマカ開き直り

それをするのは別にいいんだけどさ。コミュニティ内でやんやしてる人が自虐を楽しみにするのはよくあることですよね。

でもよくないと思うのは、そのネタみたいなノリの開き直りを繰り返すと、それを間に受けた狂人が流れてきて安易放言で場が荒んでくんだよね。

実際いまもフェミ関連のエントリとかみるとツイフェミみたいな放言マウントとるデフォルトアイコンブックマーカーコメントトップエントリ汚染されてるような状況だし。

そういうのをノイズとして処理したり、あるいは延々とハエ叩きで迎え撃っていけるような強靭メンタル古参ユーザーけが残るようになるとさ

あんまりどっぷりでない人間には、そのコミュニティってあんまり楽しくなくなっちゃうんだよね。

ゴミめにも面白いというか居心地のいいゴミ溜めと、エンガチョしたいゴミ溜めってのがあるわけで。

そこんとこちょっとだけよろしくお願い。

2020-05-15

anond:20200515110150

いやマツコは「気持ち悪いイロモノ」だと思うけどなあ

あと弱者属性のおかげで多少の放言が許容されてるってだけで、ストレートデブあいつと同じ言動してたら炎上は免れんだろうよ

2020-05-14

東京法律事務所検察庁法改正反対の記事への反応を見て

 実名で書くと多方面への配慮が面倒なので…

 http://blog.livedoor.jp/tokyolaw/archives/1077404701.html

 ネットにおける検察庁法改正反対運動の動きは目覚ましいものがあり、どうでもいい問題と思っていた私としても意見を変えつつある。世間状態政権不信があると、こういう技術的なものに近い話が、特に興味を持たない、何となく怖いと思っているだけの人々をここまで大きく動かせるのだと、率直に恐怖に近い感情を覚えた。専門家からの指摘についても、良いものもあるが、上記東京法律事務所記事法案反対・現政権批判という色が強く、ややバランスを欠いているように見える。

 この件については、既にバズっているとんふぃ氏のまとめが比較中立でわかりやすいが、少し専門性が強く読みづらいかもしれない。ちなみに、別にとんふぃ氏は改正賛成はではなく、どちらかというと反対に近いように見えるが、本当の問題がどこにあるのか、という点から網羅的・中立的にまとめておられる。

 https://note.com/tonfi/n/n95a2265c6273

 また、慶應義塾大学大屋雄裕教授Twitterも参考になる。

 https://twitter.com/takehiroohya?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

 こういった良情報があり、注目を集めてもいる状況がありながら、東京法律事務所記事が分かりやすいと賛同を得る状況を見るに、内容面への理解というよりは、現政権おかしい!何か危ういことをしようとしている!というスタンス危機感に合っているかどうかが重要視されるようになっているのではないかと感じている。

 こういうときに、上のお二人には到底及ばないが、少しでも落ち着いて考えるように促す投稿が別途あっても良いかもしれない、というのがこの投稿を書いている動機である

1.私の改正についての賛否

 まず、私自身だが、どちらかというと改正案には反対である

 本改正案は、細かいところを捨象すると、①検察官全体の定年を63歳から65歳に引き上げる、②一定役職については役職としての定年を63歳(現行法の通常の検察官の定年と同じ)にする(=その後は平の検察官に戻る)、③一定事由がある場合内閣によって②の役職の定年や①の検察官としての定年を延長することができる、という3段階の制度を設けていることは広く知られていると思う(ただ、ここは、役職等により色々な条項が入り乱れており、ざっくりまとめれていることがほとんどであるため、理解をしにくくしている点かもしれない。)。

 このうち、問題視されている③について、私は、特段必要性がないと思っていることが反対の理由である三権分立というような大上段の話ではない。

 ①については、公務員全体の定年引上げという中で、そこと揃えるのであるから特に反対する理由は思いつかない。ここについては、東京法律事務所問題ないとしているので、特に取り上げない。

 ②についてであるが、高齢化社会において定年の延長という社会全体の趨勢があるとしても、トップやそれに近い要職高齢者が就いているという事はあまり好ましいものではないと考えており、私としては問題がないものと考えている。ここも、東京法律事務所記事特に反論されていないのでこれ以上は触れない。

 ③については、例えば民間企業等において、優秀なトップに引き続き職責を務めてもらいたい、というような理由高齢の方が一般の定年年齢を過ぎた後も働くということは往々にしてあると思われ、規定趣旨としては理解できるものである。ただ、そのような能力があると言えるかどうかの検証は困難であると思われ、実際には、政治力等々、様々な事情の絡んでくる話になるだろう。とすれば、②の趣旨を貫徹し、一律新しい風を吹き込むべきであるというのが私の見解である。この辺りは、各人に考えの違いがあるのではないか。ただ、それは、定年という制度への考え方についての話であり、三権分立がどうとか、現政権陰謀というような話にはならないだろうし、これほど世間が大きく盛り上がるような話でもないと考える。

2.三権分立について

 何故、私が、今回の件について三権分立関係しないと考えているかという点だが、これも散々に指摘されているところではあるが、そもそも、現行検察庁法上、「検事総長次長検事及び各検事長は一級とし、その任免は、内閣が行」うものとされていることから明らかなとおり、内閣一定役職の任免権があるからである

 最も恣意的な関与を及ぼしやすい場面の一つである任命について内閣にその権限があるのに、定年を伸ばすという「出口」だけを殊更問題視することで、いったいどれほど政権恣意排除ができるのだろうか。

 この点について、東京法律事務所記事は「歴代自民党政権は、検察庁とりわけ前任の検事総長意見尊重し、これに介入しないという慣例がありました」として、任命権があるからと言って時の政権自由にできたわけではないことを挙げているが、まさか、この慣例に反することが違法だという趣旨ではないだろう。そうだとすると、検察庁法の立て付けとして、任命については、精々政権が慣例に配慮することを望むことはあるかもしれないが、内閣に任せても三権分立は維持できるということになっている。ならば、定年延長についても個別事例においてきちんと国民監視を行い、問題があれば、当該政権への非難を行えば十分であるだろう。余談だが、先述の慣例を無条件に守るべきであると考えているのであれば、昨今(というほど最近でもないが)の司法制度改革を通じ、一種象牙の塔」と化していた法曹界国民との間での双方向性を入れてきた流れとは、ずいぶん異なるようにも思う。

 結局、この法改正があろうがなかろうが、適正な三権分立の維持のためには国民不断監視こそが重要であることは、若干文脈が異なるがとんふぃ氏の指摘するとおりである三権分立の点から批判するのであれば、せめて、任命についても含めて、より大きな視点から制度設計を描かない限り、説得的ではないのではないか

(ここからは全くの邪推だが、定年を伸ばせる程度では大したことはできないだろうという見解に対し、任命の問題と別の大問題だという見方をする方の背後には、桜を見る会モリカケ、あるいは、それこそ黒川氏の定年延長問題など、様々な問題についての現政権批判が結局は世論に届いてこなかったという無力感や怒りがあるように感じることがある。結局、国民監視し、意見するということの力は、大したことがないのだと。ただ、本当にそれは大したことがない力しかないのだろうか。)

3.黒川氏の問題について

 正直に言えば、黒川氏の定年延長については私の興味の外に近い。既に内閣見解として、検察庁法に関わらず定年延長可能という解釈が示されている以上、今回の改正と絡めて邪推をするよりも、個別に法解釈上の問題を争うとともに、個別妥当性についても問題にすべきだろう。事後的に定年延長を正当化するものであり、政権の不当な解釈変更を事後的に承認しかねないものだという見解も多く見られるが、国会において適法に成立した法に則り、適切なプロセスを経て定年延長をすることが仮に可能なのであれば、それはそれで問題が無いのではないか。こういうのもなんだが、そもそもわいろというのは見える場所でやり取りする物だろうか。丸見えのわいろに従って忖度した判断をする検事総長等々の判断に反抗しないほど個々の検察官は軟弱で、国民は見抜けない程阿呆なのだろうか。

 ただ、結局、この問題と絡めたおかし邪推がしやすいような状況で、改正推し進めた結果が国民からの不信を高める結果を助長したのは間違いがなく、改正法は成立になっても不成立になっても禍根を残すだろう。非常に悲しく、恐ろしい状態になってしまったなと感じる。

4.今回の反対運動について

 まとめであるここの項が、一番言いたいことであり、また、一番の放言であるのだが、Twitterハッシュタグでの拡散による反対運動一定成功を収めたように見えることは、非常に怖いことであると感じた。今回の件について、きゃりーぱみゅぱみゅ氏が炎上してしまたことは大変悲しいことであると思うし、個々人が、自身理解の中である政治的問題への意見を表明すること自体は悪いことであろうはずもない。ただ、Twitterという短文投稿の場で、ハッシュタグ拡散を行うという安易さは、民主主義の基礎たる議論となじむものなのだろうか。そこにあるのは、何となく不安や恐怖に対する共感が主であり、相互理解のための議論があるとはどうしても思えないというのが私の意見である。そういった共感による多数を作ることが民主主義なのだとしたら、全体主義はそのすぐ隣にいるのではないだろうか。

2020-05-13

anond:20200513070538

おそらくスーパードライの親父は子どもがそんな食い方しないようにしつけたんだろうし

そもそもおれは落合陽一の放言に関心したりするタイプじゃない

2020-05-12

anond:20200512223004

脊椎反射

みんなそんな大してモノ考えて喋ってないって!おーごしょ、とかゆわれてた知的演劇関係者だってあの程度だし?

そもそもツイート、って衝動的に感情感想を即時的に放言する性質のモンだろ?

理性的であるけがない。気にし過ぎやでー

セクハラしてても仕事デキルから職場存在していいのかどうかは知らん)

2020-05-10

https://nyakapoko.github.io/post/10_engeki/

この記事、読み飛ばししまっているひとも多いと思うので、私の解釈で完結にまとめると、


1 コロナによって演劇のコアの部分がダメになってしまった。

2 演劇は他業種よりもクリティカルダメージを負っている。他よりも援助が必要である

3 専門分野ではないことについての言及を正確にするのはコストがかかる。

4 そのコストケチって発言してもいいよね。だって困ってるんだし。


ということです。

だったら専門分野外のことについてワザワザ語らなければよいのではないか

専門分野外の比較自体コストを生み出すことであり、

4を是とすれば、そのコスト聞き手、もしくは放言された当事者が負わなければいけないことがわからないのか。

そして、まさに現状がそれである、ということがわからないのか。

と思うところはたくさんですが、それより書きたいことがあります

ただ酔っぱらっているのでしっかり書ききることができるのか少し不安です。

また、わたし自身演劇についてたいして詳しくありません。なにぶん映像畑の分野なのでご了承ください。

まあ、そのコストケチって発言してもいいよね。だってもやもやしてるんだし。


まず上のブログにある、演劇のコアの部分とは何かというと、観客との共犯関係なのですが、

これがライブで、そして観客の息遣いを感じられる距離でないと不可能であるという意見です。

これには一理あります。が、これが実際に“演劇”のコアなのか。


私は映像人間なので、例えば映画お話しましょうか。

映画というのは、映像をつかってナラティブ(わかりやすく「物語る」と言い換えましょう)をすることと定義できます映画から見れば、そうではありません。

(「いや映画光と影構成される芸術だ」という方もいらっしゃるしょうが、今回はその定義映像に渡してやって、映画定義は狭くとらえます

映画を観るというのは映画館で観る、もしくは”複数の観客がいる映像主体とする場”で映画を観ることを、『映画を観る』と言います

なぜなら、映画というのは観客と製作者との共犯関係にある芸術からです。

例えば時代劇で、主人公と敵が刀に手を伸ばします。この画を1分間続けるとどうでしょうか、

映画館であれば観客は緊迫します。きっと固唾をのむことでしょう。

そこで居合、切り合い、観客はわっと盛り上がります

しかし、これスマートフォンストリームだったらどうでしょうか。ダブルタップの15秒スキップかもしれません。

一緒に固唾をのむ観客がいない分、気持ち半分かもしれません。


映画演劇は記録されたもの記憶されるものの違いがありますが、

観客との共犯関係表現を強固にするのは、映画演劇も変わりありません。

ブログではとても卑怯にも演劇ビデオという比較で書いていますが、

映画だってかわりないんです。

また映像芸術の中には特殊な上映形態をもって作品とするものもあります

これは、劇場美術館でなければ全く成り立ちません。

劇場でないと成り立たないのが演劇特殊性とか馬鹿みたいなこと言っていますが。

実際には映像芸術の方がヤバいですよ。


しろライブ修正の効かない分、映画はどのように共犯関係を生み出すか、研究研究を重ねております

高級な映画(半分皮肉ですが)においては、視線誘導のため、まばたき一つ計算して撮影編集しているわけです。

私は普段、何かの映画について話すとき、『映画のもの』と、観客と生み出す共犯関係=『映画体験』をそれぞれ分けて話します。

演劇についても同じことが言えるのではないでしょうか。

上のブログの筆者が語るのは演劇体験についてです、これは確かに演劇構成する一要素ですが、演劇のものを単体としてみた場合に、

まり戯曲演者がその身体性をもって物語るという行為についてですが、これはいったいそんなにも弱いものなのでしょうか?

身体というものには限界がありますが、その身体によって生み出される力強さというのは確かにあります

現代舞踏なんてものはその身体という籠を生かした表現なわけでしょう。これは弱いものですか?

それを使って物語る。素晴らしいことじゃないですか。

演劇ライブ配信する。そこにはカメラがありスイッチャーがある。

ということは、それでもって映画体験の応用で演劇体験を、十分でなくても再現することはできませんか?

例えばブロードウェイ映像化なんてのは、セットを映像用に用意しカメラをかなり寄せて撮っているわけですが、

それでもあれを映画という人はいないでしょう、演劇であるという認識はしっかり与えることはできるわけです。

また演劇体験的なるもの本質になっているというので言えば、お笑いどうでしょうか?

テレビというメディアで昔から戦ってきた存在なわけです。

逆にスポーツ体験なくして成立するものでしょうか?

スポーツ選手のインタビューではよく魅せる試合なんてことが言われます

徹底防戦の試合で興ざめ、なんてこともよく聞きますね?

スポーツも実は共犯関係であるわけです。

それでも彼らは中継を行います過去試合映像販売します。

そういったことがもう何十年も前から行われている現代で、演劇演劇体験なくして存在しないなんて本気でいってますか?

なまいってんじゃねえって思ってしまます


また演劇映像にすると映画に食われてしまうなんて言ってますが、馬鹿じゃないのとしか思えません。

演劇映画物語る点は同じですがその根っこは全く違います

演劇はその身体物語を預けていますが、映画光と影に預けています

映画根本は影絵芝居といってもいいでしょう、影絵芝居は演劇に似ていますが、

影絵は物理的なものでなく、その像をうまく使えば、表現限界はありません。

演劇とは全く性質が違うものです。

映画はその売れ筋として、マーケティング的に役者に頼ってることはあっても、大本表現ベースとして役者や演技があるわけではありません。

勘違いしないでください。役者あくまで影と光をフィルムに焼き付けるための遮蔽物にしかすぎません。

例えば先ほどのブロードウェイ演劇しましたが、ドッグヴィルどうでしょうか?やはりドッグヴィル映画でしょう。

先祖万々歳は演劇でしょうか?いやこれもアニメでしょう。

それはそれぞれ、映画として作られ、アニメとして作られたからに違いありません。

演劇として作られた映像が、映画に負けるだとか、勝つだとか、そういうことは絶対にありません。

そもそも同じ土俵にいないからです。

演劇というのは、映画というより、むしろスポーツ音楽ライブの側なんですよ。

マシューボーンのなんちゃらと、タイガース試合をまとめた奴と、ラッドピローズライブ映像一般の人からみたら同じ枠なんです。

で、それが映画と競り合ってるなんて印象はないです。初めから勝負なんて存在しないんです。


はっきりいってしまえばスポーツが無観客配信でなりたつというなら、演劇だって成り立ちます

それが成り立たないというのは、おそらく上の文書にもある、演劇体験こそ演劇本質であるという転換が原因じゃないでしょうか?


演劇はなんら特殊でないです。ただのライブです。

もともと自転車操業だったライブが成り立たないという話でしょ。

だったらそういえばいいんです。演劇ライブメインであることなんてみんな知ってますから

なぜ岡村はいつまでも「女性差別アングルで叩かれてるのか

世間に広く受け入れられている矢部説教証言採用するならば

お茶を入れてくれたスタッフありがとうもいわず

矢部のような親しい同業者にもぞんざいな態度でうんざりされてて

全方位的サイコパスみたいな生活態度だという。

 

じゃああの発言女性に対して偏見差別があったというより

他者に対する思いやりが絶無の怪物の1放言であって

岡村に対する非難を長く続けるとすればその全人格サイコパス性が焦点になるべきはず。 

 

なのに矢部のその様な証言は受け入れながら

岡村女性に関して差別意識を持っている」というアングルでのみ非難が続く。

 

みんな「女性差別だー」とやり玉に挙げる脳の回路は出来てるけど

その範囲内でない問題を処理する脳の回路が未発達なんだよね。

なんとかの一つ覚えとも言う。

認知と処理の回路がそれしかないので問題のほうをそれに合わせるという感じ。

 

メディアで扱える性スキャンダル痴漢レイプ不倫ぐらいまでで

もう少しだけ入り組んだ性欲だともう全然扱えなくなるので大して炎上しないということがある。

デリヘル一等海佐なんかも怪事件だし機密漏洩しまくってたから大問題なんだけどぶっ飛びすぎててすぐ消えた。

もっと常識的」な、たとえば部下にパワハラセクハラしてたという話だったら機密漏洩なしでも連日ワイドショーだったろう。

 

頭の悪い人は処理回路が非常に少なく柔軟性もないために

自分の乏しい処理回路に現実の形を合わせてしまう。

からすべてが同じような議題になって同じような言葉を繰り返していて世界が狭いパターナリズムに見えてる。

 

その様な指摘をしたところで何も解決しないのがこの問題の恐ろしいところだ。

たぶんソフトではなくCPUスペック問題から

2020-05-08

ブクマカの経歴が透けて見えるコメントが好き

ブクマカに限らずツイッターアカもだけど、普段脊髄反射放言だけ書いているアカウントが、ある分野だけかなりの学識・経験を匂わせるコメント付けてると、この人その分野で働いているか勉強している学生さんかな? と思う。

デフォアイコン幾何学模様アイコン罵詈雑言Botみたいな挙動してるこのアカウントにも中に人がいるんだなあと人間味を感じて楽しい

2020-05-04

江崎玲於奈優生学は「間抜け」でしょ? 芸術家政治語るのも同じ

”ある種の能力の備わっていない者が、いくらやってもねえ。いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をしていく形になっていきますよ”斎藤貴男『機会不平等

ノーベル物理学賞生理学医学賞ではない)を受賞した江崎玲於奈先生遺伝教育に関する見解がこれ。「間抜け」に聞こえない?

この見解ノーベル賞権威で箔付けされて広がらないように、「いやいや江崎先生半導体物理学専門家で、遺伝研究では業績の無い、素人ですよ」とツッコミを入れるべきじゃないかな?

漫画家が「ワクチン政治家製薬会社癒着して金儲けのために売っている有害無益なシロモノ」と政治を語ったり、

歌手が「自分母子家庭育ちの高校中退だが逆境をバネにして成功した。何でも国が援助するのは怠け者を作るだけだ」と政治を語ったりする、

こういう素人放言尊重すべき?

素人が『間抜け』なこと言ってやがる」、と嘲笑して切り捨てていかないと、子供死ぬよ? 殺したいの?

2020-05-02

anond:20200502165302

キモいオッサン差別されるのは当たり前とみんなが思っていても、それを肴に仲間内ゲラゲラ笑っていても何も問題は無いが、それを公の場所放言したら絶対に許されないだろ

2020-04-20

『うんち』は『いいね!』って意味だよ

疑問に思ってる連中が多いようなので、ここらでちゃんと言っとくか。

ずいぶん前から「うんち」を言っているんだが、「うんち」はうんちって意味じゃない。

はてな匿名ダイアリーでは、『うんち』は『いいね!』だ。 

…そう言い切るのは微妙だが、だいたいそんな感じに運用されている。

だったら素直に、『いいね!』って言えばいいじゃないですか。

どうして『いいね!』って言わないんだろう。

そんなふうに思う人もいるかもしれない。

浅はか。

想像してみろ。はてな匿名ダイアリーが『いいね!』が言い合える場所だったとしたら。

長文の日記が並んで「…以上です。いかがでしたでしょうか?」

返信欄は「いいね!」「いいね!」「いいね!

増田がそんな風に利用されていたなら。

とても居心地がいいよな。

褒めたり労ったり、お互いを思いやれる空間は、居心地がいい。

まりに居心地がいいので、次第に利用者は入り浸るようになる。自然に人の繋がりができていく。

ニンジン増田さん、お仕事お忙しそうですね、体調は大丈夫ですか」

ダイコン増田さん、心配してくださってありがとうございます

和気あいあいの居心地の良さの中に、内輪然とした雰囲気形成されていく。

特定の人に話しかけるような、手紙みたいな文章投稿され、たくさんのお礼が連なる。

話しの前提は省略されて、共有された話題には通じていることが要求される。

新参割り込みにくい空気が、出来上がっていく。

居心地の良さに気をつけろ。

ネット古老には、インターネットの多くが匿名だった時代をくぐり抜けてきた老人には、常識的な知見だ。

馴れ合いがやりたいなら Facebook とか twitter とかの ID 付きの場所へ行けばいい。

そういう場所に馴染めない奴らはどこへいく?

承認されることさえストレスになる人間

褒められると、次は褒められないんじゃないかって身構える。

社会のはみ出しものは社交場には行かない。

気が付かないやつはマジで気が付かないんだが、実は、日陰で生きる人間結構、割と、たくさんいる。

あるいはコミュ強やリア充だって、言えないことはある。

いつも一緒にいる仲間には話せないようなこと、不満とか愚痴とかヤッカミとか。あるいは純粋な自慢とか。日向で咲いてる人間だって、表社会で言えないようなことは結構、割と、たくさんある。

それを黙って抱えていたくないときは、どこに吐き出せばいい?

そういう奴らが居るべき場所が、そういうのを言える場所が、どこかしらには必要なんだよ。

コミュニケーション能力が低かったり文章力がないような奴でも、気軽に利用できるプラットフォーム

若い連中は知らんかもしれないが、初期の2ちゃんねる黎明期ニコニコ動画はそうだった。

住人を慮らない。

積極的無視を、やっていく。

ユーザー同士がお互いに距離をとる。必要以上に近づかないことが、心理的安全性を生む。

いっそ”殺伐”っていえるほどに乾いた空気が、逆に言論多様性を育む。

聞いてないやつがいからこそ、話せることがある。

信じられないかもしれないが、そういうのはあるんだ。

居心地は、悪いくらいがちょうどいい。

オレら古株の増田はその辺をわきまえているから、「いいね!」なんて、間違っても口に出したりしない。

だが共通符丁があると便利ではある。「あっそう」「へぇ」「まぁわかる」これら全部の状況を深く考えずにテキトウに放言できるような、短くて覚えやすワードが。

増田にゆかりのあるワードなら、なおいい。

そんなわけで、Let's say ...

「「うんち」」

追記

傾向としてはつまらない上に無駄に長く自分語り多めで

こんなふうに誤解してる増田がいて驚いている。

忘れているかもしれないが、ここは日記サイトだ。日記サイトで自分を語って何が悪い

昨今は増田も賑わってきていて、若い連中も入ってきてる。

ユーザーインターフェースも携帯端末向きになってきた。

お前らが慣れてるネットは記名ネットだろうから、こういうネット古参が好むような暗黙の文化は、むしろ解りにくかったか

2020-04-09

anond:20200409195454

そう最近ネットはつまらんのよ。

企業広告目的サイトばかり目のつくとこにあがってくるし。個人は皆んな自分のための放言ばかりやし。増田なんてメッカよ。

読者や映画にしたほうがええかもね。

運動もし辛いか散歩とかね。

2020-04-04

世界で一番COVID-19封じ込めに失敗してるアメリカに何を言われても失笑しかない。


追記

こういう下らない放言ほどよく伸びる日本の現状の方が失笑モノでしたかね。

別に具体的な事例の一つを想定して揶揄したわけじゃないよ。

アドバイスされれば上から目線に感じるし、褒められれば白々しく感じるし、「中国ガー」「WHOガー」とか言い始めると責任転嫁しか思えない。そういう諸々「全部」の話。

もちろんただの偏見

帰国しろ」って話は初めて聞いたけどそれは普通じゃない

2020-04-02

anond:20200402122003

政治の話するっていっても大半の人間がやってるのは増田レベル放言から別に大して役には立たないぞ

不満があっても黙ってるのが大人っていう文化よりストレスは貯まらないぶんマシかもしれないが

2020-04-01

anond:20200401140552

何が国内国外の差になっているのかWTOをはじめ様々な機関や識者が情報や仮説を示しているので、勝手フェイクの種を放言してないでそれを見てね。

2020-03-28

yahooGMOが速攻でリモートワークした時点で答えが出てるんだよ

事が起きてから町場の医者放言SNSで聞いたってアテになるわけないじゃん

つねづね国民トラフィック監視してる側がいちばん正確な情報にたどりついてたんだよ

2020-03-26

anond:20200326150230

岩田さんは意外と潮目が変わってきたからそろそろ死ぬぞ。

放言しちまったものを回収できなければいずれ死ぬのは誰でも同じさ。

かによくわからん一般人でも炎上したら社会的に殺されることあるのに

学者放言してもいいってのはどういう理屈なのかよくわからん

2020-03-25

著名人の新型コロナに関する放言を「芸能ニュース」として載せるの

かなりよくないと思うけどスポーツ新聞はそれしかできないかバンバンやるしYahooもそれをバンバン載せている

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