はてなキーワード: 吉本新喜劇とは
こうやってテレビで維新ばっかりという人は具体的な番組名や内容を挙げないしぶっちゃけエアプなんだよなぁ。
地方が地方政治を語るのは当たり前でそりゃ維新の報道はあるけど本当に毎日見てたらこういった感想にはならん。
政治も万博も普通に叩くし、芸人タレントと同様の扱いではないよ。本当にタレント化するならたとえばよ~いドン!にレギュラー獲得してから言って欲しい。ズブズブならできるだろ?人間国宝を維新議員が褒めちぎったら人気爆上がりでしょ。
あと非関西人ほどよく吉本新喜劇を持ち上げるけどぶっちゃけ影響力は高くないし若い人はなおさら。イマジナリー関西観で語りすぎ。日常で新喜劇見たね~面白かったね~とかいっさいないから。マンネリでつまんねならあるあるネタでたまにあるけど。
維新が支持されている「おかしい」理由を考える非関西人はテレビ露出と吉本だけを語るけど、滑稽すぎて逆に見てないのが分かりやすいんだよね。
実家で親のすねをかじりながらTV番組ばかり見て暮らしているひきこもりとしては、なぜ維新の会が強いのか、その理由についてネット民の見解がイマイチまとまらないことを不思議に思う。
「東京に対する大阪府民のコンプレックスだ」とか的外れな書き込みを見るたび、ま、まさかネットの人たちは本当にそう思っているの?って言いたくなる。
大阪維新の会、日本維新の会が関西圏で圧倒的に強いのは、テレビ(主にお昼のワイドショー)での露出度(出演時間)が圧倒的に多いからだよ。
あまりに維新の会ばかりを取り上げるので、橋下市長の時代に、野党(共産党だった気がする)が苦情を入れた、と記憶している。
政治的な話題を取り上げるときは、必ず維新の会の議員(最近は吉村大阪府知事)の映像、または写真が挟まれる。
ディスプレイに表示された今日の話題を司会進行役のアナウンサーが指さしてるときも、漫画のフキダシ形式で誰かの発言を取り上げるときもそうだ。
おまけに関西圏で人気の吉本新喜劇(劇だがTVでの放送もある)に吉本大阪府知事が出演することも。
維新の会の議員の扱いって、国会議員のようなお硬い感じというよりは、どちらかというとワイドショーに出演するコメンテーターに近い。
それも〇〇大学の教授、みたいなお硬い感じではなく、吉本興業所属の芸人のコメンテーターみたいな感じ。
こういう解説をすると、他党の議員も同じなんじゃないの?関西人はお笑い好きだから、関西ローカルのワイドショーは政治をお笑い番組のネタみたいに扱ってるんでしょ?と思う人もいるかもしれない。
……違うんだ。
元大阪市市長の橋下徹、松井一郎、日本維新の会の共同代表で大阪府知事の吉村洋文、最近は馬場伸幸も。
こうなる兆候は橋下徹が市長をやってた頃に遡る。維新ばかり取り上げてるとテレビ局に苦情が入ったのもこの頃だったと記憶している。
それが悪化し、決定的になったのがコロナの流行だったというのが僕の認識。
もうみんな覚えていないだろうけど、医療用のガウンや防護服が不足して、なにをどう思ったのか雨合羽の寄付を募ったことがあったじゃん?普通はあれを批判的に報道するべきだとおもうんだけど、しなかったんだよね。
吉本新喜劇に吉村知事がゲスト出演したり、開催を目指す大阪万博の苦境が週刊誌を通じて報じられるなか開催へ邁進する模様を肯定的に報じはじめたのもこの頃。
なんだか北朝鮮のTVや、ウクライナへ侵攻したロシアのプーチンのことを報じる現地のメディアみたいだよね。
みんな必死に維新の政策の人気について分析したり、関西人のメンタリティについて考察したりしてるけど、たぶんそれ、意味ないよ。
そんなことをするよりも、関西圏に、例えば大阪に引っ越して朝から晩までテレビ番組を見ていたほうが、維新の会が支持される理由についてなんとなく察することができるはずだよ。
突然だが、山上たつひこについて書く。
山上たつひことは誰だ。ギャグ漫画家だ。代表作は「がきデカ」。
なぜ急に山上たつひこについて書くのだ。
その直接のきっかけは
「週刊少年チャンピオン、マンガ10選(試案)」https://anond.hatelabo.jp/20241022172620
個人的には「がきデカ」はチャンピオンの歴代漫画の中で「ドカベン」の次に重要なマンガではないかと思う。
売上貢献的にも社会に与えたインパクト的にも、後進漫画家への影響でも、ブラックジャックより上じゃなかろうか。
まあそれはおいといて、悲しいのは「がきデカ」も山上たつひこも、若い人たちには知られていないことである。
山上はギャグマンガ史の超重要人物である。「日本漫画史上重要なギャグマンガ家10選」みたいな記事を作るなら、絶対入ってくる漫画家である。しかし、令和の今においては、その功績に比べて、過小評価されているというか、全然知られていない気がして、この文章を書き残しておこうと思った。
なお、最初は本当に「日本漫画史上重要なギャグマンガ家10選」を書こうと思ったけど、そんなに漫画のこと詳しくないんでやめた。詳しい人が書いてくれると嬉しい。とても読みたい。
さて、さっそく本題に入る。
山上たつひこは何をやった人なのか、なぜギャグマンガ史で重要なのか。
今の若い人は漫画でボケ・ツッコミがあっても、なんも思わないでしょう。物心ついたときから、漫画にはボケ・ツッコミがあるから。漫画ってそういうもんだと思っているから。でも、これって元をたどれば山上から始まっていることなのだ。
「バカボン」とか読むとわかるんだけど、山上以前のギャグ漫画ってボケ・ツッコミなんてないのよ。変な人が出てきて変なことをやるとか、なんかすごくシュールな世界が繰り広げられてたりするのがギャグ漫画だった。
1972年に山上が「喜劇新思想大系」で初めて、ボケとツッコミっていうシステムを漫画に持ち込んだ。(ちなみに「喜劇新思想大系」は山上のギャグ漫画デビュー作。それまではシリアスな漫画を描いてた)
例えば、銀さんがぼけて、新八が「おいいっーーー!」て言ったり、ボーボボにビュティが突っ込んだり、ターちゃんにヂェーンが突っ込んだり……まあ、なんでもいいけど、こういうの基本的になかったのよ。こういうのの元が山上たつひこなんすよ。これ、すごくないすか。
山上がボケ・ツッコミをどこから持ってきたかっていうと、これはもう明らかに吉本新喜劇をはじめとする、関西のお笑いからだ。山上は大阪育ちで関西の笑いに馴染みが深かったのである。
それはともかく、山上が漫画界にボケ・ツッコミを持ち込んだら、すごい影響力があって、みんな真似した。というより、山上の真似であることも意識されないぐらい「ボケ・ツッコミ」は浸透した。
山上の影響は非常に広範囲に及んでいる。例えば高橋留美子も山上たつひこの影響を受けている漫画家の一人だ。がきデカを読んでから、高橋作品のギャグシーンを読むと山上の影響がわかる。
一方で、「がきデカ」以降も、赤塚不二夫系統のボケ・ツッコミ区分の薄い関東型のギャグ漫画もそれはそれで生き残っていた。「マカロニほうれん荘」なんかは関東よりのイメージだ。
(追記:読み返してみたらマカロニほうれん荘は結構、律儀につっこみ入れてた。だからこの記述は無視してもらったほうがいいかも)
ギャグ漫画史を関東型と関西型のせめぎあいの歴史として見るのも面白いと思っている。誰か詳しい人がいたら描いてほしい。
上記のとおり、山上が出てきてすぐに「ボケ・ツッコミ」の天下になったわけではなくて、しばらくは南北朝時代みたいな感じだったんだけど、今ではギャグ漫画は圧倒的に「ボケ・ツッコミ型」が多い。特に少年誌では。
これはうすた京介の存在が大きいのかもしれないが、そのうすたも元をたどれば山上の系譜である。
(もっともうすた京介が直接影響を受けたのは山上ではなく、ダウンタウンをはじめとするお笑い芸人なんだろうが)
今のギャグ漫画家は大体、山上の創始したボケ・ツッコミ漫画をやっていて、山上チルドレンと言っても過言ではない。
もちろん、当の漫画家は山上なんて意識していないかもしれない。「がきデカ」なんて読んだことないという漫画家も多数いると思う。それでも、それらの漫画家が山上が作ったものの延長線上にいるということには変わりがない。
山上の作ったものがフォロワーのもとで再生産され、世の中のスタンダードになる。そうすると、新しかった山上の表現はありきたりなものになり、山上は忘れられていく。しかし、山上を知らない漫画家が作る漫画も、山上が切り開いた世界で作られた漫画だ。バッハを聞いたことがない作曲家もバッハの影響を受けているのと同じことである。
話が長くなったが、何が言いたいかというと、山上という漫画家がいたんだよということだ。別に山上を尊敬しろとかはいわない(そもそも自分も別に山上のこと尊敬してるとかではないし)。ただ、そういう漫画家がいたということを、なんとなく書き残しておきたくなっただけである。
なお、これまで述べてきた通り、山上はすごい漫画家なのだが、知名度がさほどでもないのは、山上自身が漫画界と距離を取っていたことによるものだろう(長らく小説家に転身していた。最近たまに漫画も描く)。
こんなこと言っても詮無いことであるが、もし山上がずっと漫画を描き続けていたら、いまごろは永井豪みたいなレジェンド扱いだったんではないだろうか。
【追記】
この疑問に答えるのは難しい。当たり前だが、この世の中の全部の漫画読んでいるわけじゃないし、特に昔の漫画については知らないことのほうが多い。
何をもってツッコミとみなすかについても、定義がないから主観的に判断するしかないし。
細かく探せば、山上以前のギャグ漫画にも、ツッコミに見えるコマもあるんだろうとは思う。
ただ、それらは作品中に出てくる頻度がすごく少ないし、作者としては狙ってツッコミを描いたわけではないんじゃないかと思う。後世の我々から見たら、これはツッコミになっていると判断できるというだけなんではないだろうか。
意図的に「ボケ・ツッコミ」をやり始めたのは山上で間違いないと思われる。
もっとも、今では名前の残っていないマイナーな漫画家がやり始めて、それを山上が真似した可能性はある。
しかし、その場合でも世間への影響度からみて、「ボケ・ツッコミ漫画」の創始者は山上と言ってよいのではないか。
・この文章を読んで「ボケ・ツッコミ型」のギャグ漫画のほうが面白い、とか新しいとか、私が主張しているのだと思われた方がいるなら、それは否定しておく。そんな意図はない。
ツッコミのあるなしに関係なく、面白いギャグ漫画はいっぱいある。「伝染るんです。」や「稲中卓球部」をはじめツッコミがほとんどないギャグ漫画にも面白いものはたくさんある。
・今ではギャグ漫画は圧倒的に「ボケ・ツッコミ型」が多い。特に少年誌では。
この書き方はおかしかったかもしれない。「ボケ・ツッコミ型」が多いのはあくまで少年誌であって、青年誌や少女漫画を見れば、昔から今までずっと「ボケ・ツッコミ型」じゃない漫画のほうが多い気がする。
特撮に関しては100点満点です。こんなにナチュラルな、そらぞらしさ・嘘っぽさのない映像効果はハリウッド映画でもなかなかない。そらオスカーも獲るわと思った。
特に、海、波、しぶきの演出が素晴らしい。海上シーンは最高です。
稚拙もいいとこ……。
致命的なネタバレを含むので、これから見ようって人は以後は読まぬがよろしい。
プロット以前に全体として語彙が貧弱で、「あたまわるいひとががんばって書いたセリフ」という印象ばかりが目立った。素人ラノベみたいな感じ。
言葉遣いもそう。当時の言葉遣いそのままである必要はもちろんないけど、終戦直後の昭和20年代という舞台にふさわしい言い回しが多少は使われていないと奇妙な感じになる。テレビ時代劇だってマイルドにアレンジはされてるけど一応「ござる」とか「そのほう」とか言うでしょ。そういう、時代を映すムード作りがセリフにない。
そして「さすがにその時代、そんな言い回しする? その単語あった?」みたいな現代的な表現が出てきては興を削ぐ。
こんなの、専門家にちょっとリファインさせるだけでぐんと真実味が増すと思うんだけどなあ。
あと秋津(佐々木蔵之介)が野田(吉岡秀隆)に対してガクシャと渾名をつけて呼び捨てにしたりタメ口なのも違和感がある。学者は技官とは言え元将校という設定で、元下士官の秋津が気安く茶化したりイジッたりできる階級ではなかったんじゃないだろうか。ガチガチのタテ社会での上下関係は、組織を離れてもずっと続くものだ。渾名で呼び捨てなんてちょっと信じられない。関係ないけどガクシャが船に乗ってると「ガンバの冒険」を思い出す。
そしてプロット。
物語の背骨になっている「大戸島玉砕は主人公のせい」という前提がまず苦しい。実際にあのとき零戦の機関砲でゴジラが撃退できたかどうかは不確実で、少なくとも「敷島が撃てば確実に撃退できた」と言えるバランスのゴジラではなかった(どっちみち敷島が特攻から逃げなければあの島にはいなかったのだし)。敷島(神木隆之介)が気に病むのも橘(青木崇高)が敷島を恨むのも当人たちの思い込み以上の根拠が薄く、物語を駆動するトルクがまったく足りない。
まして「大戸島玉砕は橘の責任というデマを流したら腹を立てた橘が現れる」という敷島の幼稚な策略。なにこれ。子供? 子供なの? もうちょっとマシな作戦なかった?
敷島家の隣人澄子さん(安藤サクラ)の役柄も最後まで謎だった。復員してきた敷島に繰り返し毒を吐いていた前半のサイコな印象と優しく敷島家をサポートする後半の印象とがまったくチグハグで、ずっと身構えていなければいけなかった。前半のサイコキャラ必要?
あともう典子(浜辺美波)。典子関連はもう完全に意味わからなかったしどうでもよかった。
初対面の敷島の家に転がり込む初手から「は?」っていう感じだった。バックグラウンドもキャラクターもフワフワ、敷島への思慕の念もまともに描かれず、自立したいって働きだしたわりにいつまでも敷島の家に居候してるし、ゴジラが咥え上げた電車から振り落とされても誰もが即死と確信する爆風に巻き込まれてもキレイな顔で生きていた。不死身か。ゴジラ並みの回復力じゃねーか。
キャラクターがフワフワと言えば、ほかならぬ主人公敷島クンのフワフワぶりも目を覆うものだった。薄っぺらくありきたりなメンヘラ演出は神木隆之介クンの演技力とは関係なく説得力ゼロだったし、意志薄弱なのか臆病者なのかただのボーッとしたやつなのか人物造形がまったく不徹底だった。そのせいで「典子の死をきっかけに自分の中の戦争を終わらせる決意を固める」という重要な心境の変化もヌルッとしていたし、当の典子は死んでなかったっていうんだから吉本新喜劇のように全員ズッコケてしまう。敷島の行動原理のコアとなる「敷島の中でまだ終わっていない戦争」というテーマからして扱いがぞんざいで、もっと丁寧に描きこむべきだったんじゃないだろうか。まあ、特攻から逃げたとかはともかく大戸島玉砕に関しては前述の通りなので、いくら描きこんでも説得力は生まれ得なかったのかもしれないが。
それはそれとして、典子との死別は非常に重く重要な節目であり、〈実は生きてましたぁ!よかったよかった!〉と簡単に済ませていいような出来事ではないと思う。だったら話は違ってくるじゃん、となるレベルの卓袱台返しであり、典子は安らかに死なせておくべきだったと思う。
これは、「自分が23の時に12歳上の女の人とできないからなー」という話の流れがあります。
35歳と47歳の話をしているわけではないので…悪しからず…
あれからみなさんの意見をいろいろとみて、一刻でも早く言わないとと思って、食事に行こうと誘いました。
ちなみに今は婚約、結納を済ませて式の日取りとか式場を決めないとねーと言ってる段階です(具体的な日取りや結婚後の住居のことなどは決めていない)。
食事をしながら、
「私は今まで誰ともお付き合いをしたことがない。
あなたと一緒にいて、話をして楽しい。この先も一緒にいたい。けど恋人とするようなことはできないと思う。
あなたのことを親友であり、父と母のような家族としてみているよ」
と伝えました。割と原文そのままです。
相手に「恋人とするようなことって?」と聞かれたので「キスしたり、セックスしたりかな」と言いました。
しばらく沈黙があって
「え?俺は○○とやれないってこと?」と聞かれたので
なんで今それを言うのかと聞かれたので、結婚後に言うのはもっと良くないと思ったと伝えました。
相手が「そーかー、こんなうまい話ないよなーって思ってたよ」と言いました。
そこからいろんな話をしたのですが、彼としては
今まで好きになった人に告白して付き合おうとしても、友達としか見られないと言われ続けてきたこと。
子供はどちらでも良くて、そういう行為に憧れがあったこと。(いらないわけではなく、産みたいなら一人くらいどうぞ、と言われました)
今回見合い話が来て12個年下の子とそういうことができる関係性(夫婦)になれるなら奇跡だと思ったこと
だから、セックスはなし!って私から言われたことで、がっかりしたこと。
これは、例えば自分は医者だから良い生活させれるぜ!と言われて結婚したけどじつは医者じゃなくてド貧乏だった くらいのショックらしい。
締めに、俺らは吉本新喜劇出れるくらいナイスカップルだと思ってるよと言われました。(いつもならM-1も出ようよ!などと冗談言えるなーって思った)
結論としては一旦考えさせてほしいと言われました。
相手に「俺だからできないのか、それとも誰とでもできないのか、顔を隠したらできるか」と聞かれ、「人と付き合ったことないから分からない、でも私の問題です。すみません。」と言いました。
相手が「俺も、12歳上の女の人とできないからなー」と言ったときに。
思わず「子供どちらでもいいのに、12個上の女性と自分ができないことを私にはできるか聞くの?自分は顔を隠したらできる?」と聞いてしましました。
長くなってすみません。
私に結婚は早かったのかもしれないですね、相手の半年間を奪って申し訳ないと思います。
お金目当てでもなんでもなかったのですが、最高に面白い友達と縁が切れるのは悲しいなと思います。
以上です。文章下手でごめんなさい!
娘の彼氏が芸人なのは知っていたが、先日とうとう結婚相手として紹介された。きっつい。将来有望な若手とかならともかく、それなりの芸歴で売れていない。
俺と妻はお笑いが共通の趣味で付き合って結婚した。今でも一緒にライブや賞レースの予選を観に行くくらいには夫婦揃ってお笑いが好きだ。だからか娘は「お母さんもお父さんも応援してくれる」と信じてやまない。
錦鯉がM-1優勝なんてするから、フジテレビがTHE SECONDなんて始めるから、才能の片鱗すらない人間たちが努力を先延ばしにして一生夢を追い続けてしまう。
俺は娘の彼氏だと知るよりも前から彼が出演しているライブを何度か観たことがあるが、若手の頃から今まで、変わり映えしないネタをずっとやっている。あれじゃ一生売れない。
「今は賞レースに本気で取り組みたいと思っていて、今はバイトとか減らして、恥ずかしいんですが娘さんのお世話になってます」なんて言っていた。よく娘の親の前でそんなことが言えるな。ネタ合わせもせずパチスロ行ってるの知ってるぞ。お前のTwitter見てるぞ。
娘は彼を本気で養う気もなさそうだ。「いざとなったらお父さんに頼ろう」きっとそう考えている。昔からそういう子だった。
二人で協力して幸せになってほしいと伝えた。同時に、どんなことがあっても一銭の援助もすることはできないとも伝えた。実感なさげに頷く娘の隣で「どうしてもの時はお願いしまっす」と苦笑いする男の姿は頼りないの一言でしか表現できない。
彼の実家が貧乏だということは知っている。万が一にも食いっぱぐれた娘を養うならともかく、娘の夫を養う気はさらさらない。
だが俺に娘の結婚を反対する権利はない。婚姻は、両性の合意のみに基いて成立するからだ。俺がどれだけ「認めない」と言ったとしても、婚姻届さえ出せば二人は夫婦になれる。
そもそも娘がお笑い芸人と付き合ったのは、俺と妻の影響が大きいのだろう。今更考えてももうどうしようもないが、もし過去に戻れるなら、初めて家族三人で吉本新喜劇を観に行ってしまった日を選ぶだろう。
アホの娘がアホの男に引っかかり、アホな考えのまま結婚する。
そしてもちろん、それに苛つきこんなところに吐き出す俺もアホだ。
情けない限り。いい歳して、涙が出る。
「この前吉本新喜劇を見に行ったけど何度も同じことをしていて全く面白さが分からない。なにが面白いのか」という意見をいただいたので、生まれも育ちも大阪の増田から、これに対する回答を書いてみたい。
結論から言うと「吉本新喜劇は面白いか面白くないかを判定しに行く場所ではなく、みんなで同じノリを共有し、楽しむ場所である。吉本新喜劇の価値は、関西圏内に住んでいる人間であれば老若男女誰でもわかるボケとツッコミのセットを発信し続け、それを文化として確立させているところにある。」と増田は考えている。
まず増田は生まれも育ちも大阪であるが、関西の人間が吉本新喜劇を見て笑い転げ、毎週楽しみに見ているかと言えば全くそんなことはない。最後に見たのが何年前か分からないし、なんなら見慣れてオチも全て分かっているのでテレビで一人で見るときなんかは普通に真顔である。
関東の知人が言う「何回も同じことをしていて面白くない」については、たしかに同意できるところはある。
たとえば「邪魔するで〜」「邪魔するなら帰って」「はいよ〜」の流れを知らない関西人はいないのではないだろうか。この流れのセットは増田が物心ついたときから、今現在いい大人になるまで最低でも約20年くらいは吉本新喜劇内で繰り返されている。
この流れを知らない関西人がいないということはつまり、老若男女関西人のほぼ全員が「邪魔するで〜」がボケだとわかり、「邪魔するなら帰って」がそれに対するツッコミ(ボケか?)とわかり、笑いが生まれるということである。
これって結構すごいことではないだろうか?
だれしも生きていれば色んなコミュニティに属し、コミュニティ内での定番のノリなどがあると思うが、コミュニティ内の人間にしか通じなく、例えばコミュニティ外の人が同席していた場合、その人間はポカンとなってしまう。
はたまた、お笑い芸人の定番のツッコミなんかが流行ることもあるが(最近だと千鳥の「シンプルに口がくせぇ」とかだろうか。最近ではないね)、ほぼ一年単位で入れ替わり、かつなかなか老若男女全員か知ってるとは言いづらく、若者間で通用しても中年以降は全く知らないといったことも普通にある。
それに対し、吉本新喜劇内で行われているボケ、ツッコミは、老若男女、知人初対面関係なく通用するノリなのだ。
吉本新喜劇は劇を通し、その定番と言われるボケ、ツッコミの流れを数十年にわたり発信し続け、関西圏内に定着させ、それを文化として確立させている。
ちなみに関西人のノリの良さや、あらゆる場でも笑いを作る貪欲さみたいなのも、この誰しもが共有できる笑いがあることが起因しているのではないかと考えている。
吉本新喜劇はいわゆる漫才のように、新しいネタを期待し、面白いか面白くないかの判断をする場ではなく、老若男女関係なくみんなで同じノリを共有する場。それを文化としてきちんと確立させているところに価値がある。
この投稿を読んで、関西に無縁だった方々にも吉本新喜劇を楽しんでもらえると、さらには関西を好きになってもらえると、増田としてはとても嬉しい。
じゃあ大阪文化ってなんだ?って生まれも育ちも今も大阪人の俺が考えてみる。
いまのところ所蔵しているものを展示していく感じで美術館の特色というのはあまりよくわからない。ただ、大阪という街にちなんだ展覧会がちょくちょくあるという印象。
有名どころだとみんな大好きミュシャは大阪の堺市に専門美術館があるくらいなのでその関係で展覧会やってた。
その近所にある国立国際美術館。
こっちの特色は前衛芸術の展覧会が多い。ダンボールが落ちてる と思ったら展示品だったみたいな尖った企画をする。
前衛って意味わからんと思ってたけど生で見ると迫力があって意味わからんけど面白いという感想になると思う。
来年春まで休館中。
名前の通り壺とか皿とかの展示会が多いけどそれ以外にも竹細工とかモノに特化した展覧会が多い。
昔の壺とかシックなものを見せたと思ったらたまに竹細工で2階まで吹き抜けをぶち抜いて覆うような糞でかい展示があったり、前衛的な展覧会をやっていたりするので飽きない。
世界中の民族の日常品や信仰されて得る神様の像とか祭りの道具までいろいろなものを常設してる。これだけでも見る価値あり。
特別展示会も呪いの儀式に使うための道具だけを集めたとか刺激的な催しをやってくれたりする。
ほかにもフェルメール展とかメトロポリタン美術館展とか王道の企画をする大阪市立美術館。
大阪歴史博物館、中之島香雪美術館、あべのハルカス美術館…と色々ある。
大阪の文化 というとパット浮かぶのは大阪城、吉本新喜劇、串カツだったりするけど文化と言うか観光資源なきがする。