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はてなキーワード: 元旦とは

2017-05-18

一年に一回私人が晒される日

めでたい元旦の日、というのは昔の認識

エンターテイメントに飢えた一般人達のせいで、

政府元旦の日にランダムで選んだ私人人生すべてを掘り起こし、

それを全メディア配信提供している。

あけましておめでとう

その挨拶を口にするものはいない。

新年早々殺伐とした空気がそこら中に漂っていた。

「まっ、俺ではないな」

そんな中増田はたいした緊張感も無く、一人酒を飲んでいた。

気が付くと日は暮れていた。

「やべっ。寝てたわ……うん?」

やけに外が騒がしい。

「なんだ?」

扉を開けて外を見てみるとそこには……

2017-04-05

流行りで消費された深夜アニメ

ハルヒ

ハルヒダンス流行るも原作が出なくなり消沈

らきすた

オタが元旦神社行くようになったけどアニメの続編が出ず消沈

けいおん

騒ぎたいやつが騒ぎ終えて消沈

大学生編も不評であった

まどかマギカ

映画をやるもその後に来たラブライブガルパンソードアートオンライン興行収入が抜かれブランドとしての価値が落ちる

今度のソシャゲで巻き返しを図る

ラブライブ

μ's解散AV騒動で消沈

後続のラブライブサンシャインアニメ微妙なせいで全盛期ほどの勢いを取り戻せずスクフェス死に体

ガルパン

続編が来るのが遅くて消沈

2017-04-01

一年の計は元旦にありと云うけど

今朝も子供が出来ない問題ケンカ

いつも貴男が早く結婚してくれなかったからとか

こんな年齢まで、妊活してこなかったからとか

まぁ一方的に責められるわけだけど

でも自分人生、みんな誰もが自分で決めてきたわけで

時間だけは誰にも平等にあるのだから自分人生自己責任だと思うんです。

自分と別れるチャンスは沢山あったし、何度も別れようと持ちかけているのに、別れず一緒にいたのは貴女判断なわけで。

一年の計は元旦にあり、というが、今年は元旦から喧嘩

今まで10年以上一緒にいて

喧嘩という喧嘩をしてこなかったか

今年はハイペースで喧嘩連続

それもこれも妊活のせいなんだけど…

自分は、子育て経験があるから、知っているけど

子供なんて金ばかりかかって、ふたり時間は無くなるし

一生懸命育てたって、将来面倒みてくれる保証だってないし

正直なんだかなぁと思うわけで。

それでも黙って妊活に協力しているけど、ちょっと限界だなぁと思っています

ちなみに今まで付き合った子たちとの別れのきっかけは、子供のことばかり。

2017-01-06

喪中なのに年賀メールが来る。

昨年祖母が亡くなり喪中なので年賀状には喪中のお知らせを送ったのだが、EメールLINEFacebook年賀メールがどしどし来て正直ウザい。

facebookなんか元旦早々に喪中のお知らせを投稿したのに関わらずメッセンジャーで寄越してくる。

喪中の時はアカウント名に(喪中)とかやっておかなければならんのかなあ。

あるいは年賀状の様に先んじてある程度喪中メールを出さなければならんのかなあ。

2017-01-05

病院に行かなかった人にはお金を渡すのがいい

子持ちの人の話によると、子供医者にかかるのがタダだという。

本当かウソか、虫に刺されたり少し咳が出たぐらいですぐに医者に掛かっては薬をもらいに行くのだといっていた。

もちろん歯医者もタダ。だからの子の歯がグラグラしたときには勝手に抜けるまで待たずに歯医者で抜いてもらったと言っていた。


俺は今、奥歯が痛いのだが金がないので歯医者に行くのを我慢している。

年末に痛くなり初めてちょうど元旦が痛みのピークで今はだいぶ落ち着いてきているが、相変わらず痛い方の歯で噛むのは無理だ。


もし、この歯を治療すれば自己負担は3割だから5千円ぐらいで治療できるだろう。しかし、その時、国保医者に残りの7割の約1万5千を払うだろう。

俺は「本来使われるべき保険料1万5千を使わなかった」=「国保に1万5千の儲けを与えた」ということになるがそんなのは無視される。


俺は次のシステム提案をする。


まず毎月始めに1人につき1万医療ポイントをもらう。そして病気になった時は医療ポイント治療費を払う。そして月明けに余った医療ポイント現金化できる。治療費が1万ポイントを超えれば現金で払う。

もちろん、月1万ポイント妥当なのか、所持ポイントを超えた場合個人負担率をどのぐらいにするかなどの細かい調整は必要だ。ただ、基本的には、37度台の熱とか膝擦りむいたぐらいの無駄診療はなくなる。


そもそも、最初の数千円が高すぎて医者にかかれない可哀想人間は俺を含めて俺の周りにもゴロゴロいる。

このシステムなら、37度の熱で医者に払われる無駄な金で、俺は完全に歯を治療できるし、ぜひそうなって欲しい。

2017-01-03

http://anond.hatelabo.jp/20170102225225

元旦早々対して知りもしない男から通知来たら怯えて外出すら出来ないと思う。

2017-01-02

元旦が嫌い

まず、長ったらしい挨拶が鬱陶しい。

人に会う度に、「新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」ってなげぇよ。

1回で済むなら甘んじて受け入れてやってもいいけど、何回も何回も何回もなんなん?

更にそれに対しての返答挨拶もあるから往復で2倍ですよ。

近くで挨拶していたら、(あ、次の次の次位が俺の番だな…)って長ったらしい挨拶終わるの待機していないといけないし、そわそわするし!

そら、あけおめことよろって略したくなるわな。

で、ソシャゲとかで略した挨拶するとNGワードにひっかかってまた鬱陶しい。

次にテレビがつまらなさすぎる。

特番かいらんから通常放送してくれ。

なんか正月から張り切ってます、めでたいです感が疲れる。

生放送ともなると忙しなくて見てるこっちの心がザワザワするわ!

あと、ジジババの張り切り具合がハンパない

都会は知らんが、地方の俺の周辺じゃ年末年始はジジババの出現率アップ。

道端やスーパーはもちろんコンビニでも遭遇する。それはまぁいいんだけど。

食わせようとしすぎ。食いもんの量が半端ないお腹いっぱいだからもういいって言っても聞かない。

全く手をつけなくなったら、しょんぼりしだす。なんか罪悪感抱くわ。

どこ行っても混んでるし、なんか浮かれた空気あるし、ろくなことがない。

お年玉貰えた少年時代は、あんなに楽しみだったお正月。いまや億劫しかない。

元旦から祖父母とインスタントラーメンをすする悲しさ

あんたは、なにちゃんだったっけか?」

である僕の顔を覗き込む祖母

まさか自分がこんな、ドラマのワンシーンのような状況に遭遇することになろうとは…

驚愕、混乱、不安、そして、悲しみ。

本当に色々な感情を抱いた時、人はどんな表情も作れないのだと、23にして初めて知った。

年末年始、母方の実家に帰ったときのことである

「けんちゃんだったかしら」

・・・そうだよ」

引きつりながら笑って頷く。

なんだ、びっくりした。自分の年齢に乗っかった新手のネタか。

これは一本食わされた。はっはっは。

最初のやり取りはそんな感じだった。

これが本当にネタだったなら、どんなに心穏やかに新年を迎えられたことだろう。

 

おばあちゃんがボケた。

これまでとは違い、決定的に。

名前を聞いてきたことが、冗談ではなく本気の確認作業だったのだと気付くのに時間はかからなかった。

本当にボケていたのだと最初確信した時、今まで感じたどれとも違う絶望感が、舌の奥の方から全身に広がった気がした。

今までと同じ人が目の前にいるのに、自分の知っているその人は目の前にいないような違和感

体裁はそのままに、じわじわ形骸化していく未来が見えてしまった残酷さ。

一気に失う絶望感と、どちらがより深いのだろうか。

 

祖母は今年84歳だ。

ボケたっておかしくない。

ダイアモンド婚。むしろ夫婦共々、ここまでよく元気でいてくれたと思う。

だが一般論とか数字で考えるのは他人なら簡単だが、当事者は辛い。

別におばあちゃん子だったわけじゃない。

初孫という点でも、従兄弟の方が可愛がられていたような気がする。

それでもそれなりの思い出も思い入れもあるんだ。家族なんだから

 

そんな大切な家族から、忘れられる。覚えてもらえない。

「みんな見上げるくらい大きくなっちゃったから、わからなくなっちゃって」

まるでおばあちゃんは僕らが十年ぶりに来たかのようなことをいう。

僕らがおばあちゃんの身長を超えたのは、ここ2、3年の話じゃない。去年だって来てる。

どうやらボケると、新しい記憶から順に消えていっているようだった。

その上、更に新しい記憶は書き加えられない。メモリショートした回路。

おじいちゃんの会社皇太子が来たのだと話していた。

お話出来て、これ以上のことはない、本望だと思ったと。

まりにも鮮明に話すものから先週の出来事かと思った。20年も前の話だった。

その一方で、みんなが今朝起きて、そして挨拶をして帰っていったことを全く覚えていなかった。

「まだ上に誰かいるのかしら」

そう聞かれる度に、他の孫達がきちんと挨拶をして帰っていったことを何度も説明した。

ひどい時には、その孫達が来たことすら忘れてしまっているようだった。

 

しかしたら、と思う。

僕が今日ここに来て、戸惑いながらも家事を手伝って、他愛のない話をして、

いつもと少し違う正月を、いつもと同じように楽しもうとしたこの一日も、

明日になったら忘れてしまっているんじゃないだろうか。

だとしたら、この人にとって僕らは今日ちゃんと一緒にいれているんだろうか。

ちゃんと一緒に、新年を迎えられたんだろうか。

 

「ごめんね、もてなすことも出来なくて…」

買い物を忘れたからと、夕食にインスタント麺とおせちの残りを用意していたおばあちゃんが言う。

「ほんとはもっともてなしたかったんだけどね」

家事を手伝う度、ボケでささいな迷惑かかる度に、何度も聞いた謝罪言葉

ほんとうに悲しそうな顔をするおばあちゃん。

丸まった小さな背中

きっとおせっかいなおばあちゃんは、自分が孫すらもてなすことの出来ない正月がみじめだったのだと思う。

 

「それでもよかったんだよ」 僕はそう伝えたかった。

でも何度言葉にしても、おばあちゃんは忘れてしまって、届かない。

自分の中で祖母謝罪言葉けが、淋しげに今もこだましている。

しかったことがある

幼稚園に通っていた頃

駄々をこねた僕を自転車の後ろに乗せて、何件もはしごして、おまけ付きのお菓子を探してくれたこと。

もう一回お礼を言いたかったのだけれど、おばあちゃんは忘れてしまっていた。

しかったことがある

僕が受験勉強を頑張って、志望大学合格したこと。

そのことをおばあちゃんは、ちゃんと覚えてくれていた。

何度も何度も褒めてくれた。誇りだと言ってくれた。

なんでそんなこと覚えてくれてるんだよ…

久しぶりに、泣いた。

きっとどんな人だって晩年は多くのモノは持っていないのだ。それは、思い出も含めて。

その時どんな物に、人に、思い出に、囲まれていたいだろうか。

僕はおばあちゃんのように、家族に囲まれていたいなと思った。

そして何度話しても色あせることのない思い出話を、これからもっと作って生きたい。

折を見てまた祖父母に会いに来ようと思う。

その結果多少悲しい気持ちになることがあったとしても、今の自分しか出来ない恩返しもあるはずだと、そう信じて。

2日になってた

元旦になんか書こうと思ってたのに

http://anond.hatelabo.jp/20170101235144

今の日本ならサービス業こそ元旦やめちまったほうが経営合理性は高いと思うよ

ちげーよ。

店の運営には必ず固定費がかかるんだから、24時間365日営業のほうが儲けは上なの。

2017-01-01

http://anond.hatelabo.jp/20170101233931

せーの、で休ませないと大事ときに休めなくなる民族性なんだよ

どうしても働かせたいなら「元旦特別ではない」という意識をみんなが持たないといけない

休日からと手当を出すのも変

ま、年明けは世界的なイベントから、「休むのがおかしい」なんて意見自体世界的にはプークスクスなんだけどね

俺はサービス業だけど元旦からって手当出る会社じゃないから(サービス業は365日休まず働いて当たり前という企業から

今日も働いてたけどね

ただね

元旦って客の入りスゲー悪いし、最近福袋ゴミ処分セールもできないから店としては大して旨味ないし、

今の日本ならサービス業こそ元旦やめちまったほうが経営合理性は高いと思うよ

どーせ三が日休みとなれば大晦日需要高まるぐらいのもんだし

元旦は店を営業するなって意見が本気で怖い

誤解しないように言っておくけど、「休まず働け」とは言っていない。

元旦に働いたのなら、休日出勤手当と代わりの休暇をしっかり取るべき。

それを踏まえた上で、「元旦は休むべき」という意見ものすごく怖い。

なんで、全員に一斉で同じことをさせたがるのか?

地方出身の身としては、全員が一斉に休暇に入って一斉に移動を開始するあの時期が本当に嫌で嫌で仕方ない。

今はサービス業ではないから仕方なく元旦休みだけど、飛行機チケットも取れないし高いし、どこに行くにも時間がかかる。

昔、元旦に勤務していた時は元旦じゃない日に休みを取って、のんびり帰省できていた。

正月くらいゆっくりしたい」

どうぞどうぞ。それを邪魔するつもりはありません。

でも他人強要しないでください。

なんで日本中同じ日に休んで、同じ日に会社行かないといけないんだよ。

横並びの精神、本当に怖い。

そのうち元旦休みに賛成しないやつは非国民呼ばわりされそう。

元旦営業日かで妄想する、ブラック

去年の電通過労自殺問題から労働環境改善が各方面話題になっているが、

その取り組みに積極的かどうかを、元日営業状況を見る事で、

自転車で街中をサイクリングしながら妄想してみた。

スーパーマーケット

バローの様な中規模系や地元チェーン店は、ほぼcloseだった。

openザ・ビッグトライアルなどの安売り店、

やはり安売り店は休めないのかと妄想。只し,業務スーパーはcloseだった。

イオンイトーヨーカドーの大型ショッピングセンターopen

大型店はもはや、インフラとなりつつあるのかもと妄想

家電量販店

ノジマコジマ open

ヤマダ、K's電気 close

と、会社によってまちまちだが、ヤマダは混乱期から脱却しつつあるのと、

顧客満足度が高いと言われているK's電気は、余裕があるのかもと妄想する。

・外食チェーン

地元だけのチェーン店個人店はほぼclose。

全国規模のファミレスや回転ずし、牛丼店やファストフード店はほぼopen

飲食業界は相変わらずの厳しさなのかと妄想

そんな中、closeだった道とん堀やよい軒は、飲食界の新しい労働環境

構築しつつあるのかもと妄想

ホームセンター

カインズホームケイヨーD2コメリ等はclose

元旦需要は高そうだが、昔から元旦営業しているイメージはないので、

その文化根付いているだけなのかもと妄想

アパレル

ユニクロライドオン、西松屋シマムラなど、すべてopen

アパレル系は、ファッション好きな従業員労働力搾取の場なのかもと妄想

アミューズメント

ゲームセンターボーリング場、ネットカフェパチンコ等はすべてopen

これ系は昔から正月は稼ぎ時なのは変わらない印象。

自動車関係

ディーラー中古車販売店、買取店はclose。やはり正月から大きな買い物はしないのだろう。

自動車用品店は中古部品店はclose 全国チェーンのイエローハットもclose。

ただスーパーオートバックスopen。車好きの従業員労働力搾取の場になっていなければいいが…と妄想

・その他

ブックオフヤハードオフなどのブックオフ系列はどこもopenだった。

暇な正月に行く定番場所として昔から

大型本屋ツタヤのどのレンタルDVDショップ需要があるので、

その括りで古本屋open理解できるが、

パソコン部品家具洋服中古品店もオープンさせてしまうのは、

グループ店ならではの文化が、優先されてしまっているのではないか妄想

驚いたのは紳士服店とメガネ店、見た限りでは

全ての元旦からopen店ばかりだった。

紳士服はやはりアパレル関係に部類されるのだろうか。

メガネ店では朝礼で、通りに向かて全員で大声で挨拶していたり、

駆け足で通りを掃除していた風景を思い出すと、

元旦営業は当たり前という文化根付いているのかもと妄想

ただ両カテゴリ共に元旦需要があるのかな…?

もう一つ意外だったのはセリアやダイソーなどの100円ショップがclose

安売り店は営業していそうだが、当てはまらなかった。

労働環境はいいのかもな~と妄想

最後に感じたのは、日本人なら基本、正月は休もう、という事。

それでもサービス提供しなければならないなら、その日は特別賞与従業員に大いに振る舞おうよ。

そしてお客も割り増し料金を払おうよ。

正月くらい、客がそのサービスへの感謝を形にしてもいいんでないの?

元旦からクロネコ宅急便が届いて、驚いちまったのと同時になんだか申し訳なくて

わず「すいませんでした」って謝っちまったよ…。

大晦日仕事納め元旦が初仕事の人

私のことだ。

何の仕事か当てたらお年玉は無理だが星くらいくれてやってもいいぞ。

鉄道関係の人、タクシーバス運転手、年中無休のスタバコンビニマクド店員さん、警察の人やその他諸々年末年始なんか関係ないお仕事はたくさんありますが、ご同様に年中無休ですけど、年末年始にクソ忙しくなるってなんなんだよ?とか思ったり。

勢いのある年の始まり

朝、トイレに入ったら、いきなり下痢ですよ。

勢い良くピューと出ました。

こいつぁ、元旦から縁起いいね

2016-12-31

それでも年は明ける

我が家のお正月が縮小している。

実家で作られるおせち料理は、年々少なくなっている。少なくなるのが分かるたびに、この家で成長してきた年月と、経過した時間の長きこと、そしてそれらに反比例するかのように、この家族構成でいられる残り時間の少ないことを思い知ることとなり、いささか悲しいのも事実ではある。やんぬる哉。

もう戻らない時間記憶に思いを馳せるよりも、これからやってくる時間に対して思案を巡らせばいい、という人もいるにはいるが…僕にとってこれは、簡単なことではない。なぜなら、私は、確実に、未来永劫これだけは信じることが出来るという存在を持っていないからだ。こんな人は、多くはないけども、少なくもないと思う。

3.11以降、僕は、直感以外の信仰を失った。人様は皆僕に良くしてくれるという、他人に対する信仰。これからやってくる明るい未来に対する信仰原子力発電所安全安価エネルギーだという信仰日本は発展していくという信仰、そして、自分自身可能性への信仰

世間知らずの高校生が、勉強もせずに怠けているばかりで生きていけるほど、進学校は甘くはない。それまで抱いていた自分に対する多能感は完膚なきまでに打ち砕かれ、悩み苦しむそのさなかに、かの巨大地震が起こった。

日本テレビの中継で、水素爆発を起こしたフクイチの建屋が映る。親父は呟く。「これは、やべえな」と。日本はここで一度、死ぬのかもしれない。ただし当時のトレンドは、「日本死ね」ではなく「枝野寝ろ」だったり、「ポポポポーン」だったりした。

室町時代僧侶一休宗純は、元旦にはドクロを先端に付けた錫杖を手に、「御用心、御用心」と言いながら京の町を歩いたという。祝賀ムードに水を差すような行いではあるが、生と死、破壊再生は表裏一体と考えると、わずかに彼の行いの意味理解できるレベルに落ちて来よう(枝野のくだりなどはこれの逆バージョンだったのだろうか)。

大学へ進学しても無気力は変わらなかった。テストレポートを何とか切り抜け、仕送りのみで生きる生活。友人は少ない。

ひとつだけ、かねてからの夢があった。それはとにかく、海外へ行くこと。最終学年のこの年、一念発起して英語圏英語留学へ赴いた。今思い出せば、見るものすべてが面白かった。

留学へ行ったものの、日本人とも多く話していた。しかしながら、現地の日本人で、「日本は今後も変わらず発展していく」といった楽観的意見を表明した者は、誰一人としていなかった。来たるべく破壊念頭に置いて、生存もしくは自己表現の為に英語を学ぶ者も少なくなかった。友人の何人かは現地のグローバル企業インターンに参加していた。

不確実な今の世の中で信じられることは、「生き物は、いずれ死ぬ」といったことだ。このことでさえ、神隠しや行方不明、あるいは死後神になるといった思想や、高尚で極めて分かりにくい哲学的議論により、疑問符が付きうるのだ。世間がどれほど不確実なものか。

冒頭で、「これだけは確実だと信じられるものが何もない」と書いたが、「生きているうちに日本死ぬ」ということは、怪しいがあながち信じられないものでもないと思う。3.11のような巨大災害などを契機とした日本社会全体の急速な崩壊が起こる確率は、社会階層が流動せず格差けが拡大し、労働時間の増加が止まらず、社会保障費の増大によって巨大な負債が残ることで静かに日本社会が死んでいく確率よりも低いとは思うのだが、いずれにせよ、「これは、やべえな」という不安を感じざるを得ないような、今年はそんな一年だった。もちろん、フクイチのように顕在した不安を感じる現象はなく、漠然とはしているのだが。

おせち料理だって、今後もっと少なくなり、絶えてしまうか、別の料理に変わってしまうかもしれない。変わらないことは、最も安全だが、生きても死んでもいないともいえる。絶望的なまでに怠け者の自己に対して変化を望んでいる。いわんや、世の中の変化をや。

御用心、御用心。

高校教師31歳。教科は化学生物博士持ち。

2016/12/30に高校同級生3人と飲んできた。

前日の飲み会に比べて疲れたな。って感じたのは自宅で大学同級生と飲んだのと違って,

名古屋までJR使って足を延ばしたからかな。なんて考えながら帰ってきて,

夜中に酒による吐き気で起きた時に,気づいてしまたから書き残しておく。

高校同級生と合うのはたぶん5年ぶり。31歳。結構あっていなかった。

高校時代,とても仲が良かったし,5年前までは毎年のようにあっていたので自分でも今年誘われたとき

なんで5年も空いたのだろうか。と不思議だった。

メンバー医師,某ビール会社の開発(肩書き付),トヨタ完全子会社のなんか出世約束されたとこ。

世間的にみたらいわゆる受験戦争勝ち組医者以外は国立大(院)卒。

給料手取りで1千万とか,ちょっと足りないぐらいだとか言ってた。

今年は4,5回海外旅行いって,元旦からカンボジア旅行に行ってくる。とか,

結婚するから名古屋の高級住宅地に新しく家を借りた。とか,

新しい車を2回ほど買い換えた。とか,今の日本の景気状況と比べたら別世界のような話をしていた。

別にそれはいい。友達成功話,とても良い事。

でもなんか違和感があった。

アンコールワットには7年前に自分もいった。

石に刻まれ絵画歴史モチーフ。その壮大さに腰が抜けるかと思った。

シャムリアップの人々の生活は豊かではなかったが,良く笑っていた。

市場の人たちは観光地にも関わらず,

だまして売りつけるという空気感は無く,ラオスに通じるおおらかさを見た。

ベトナムホーチミン戦争博物館。すさまじい印象だった。

展示物を見た後に飯がのどを通らず,

うざい声かけしてくるおっさんタクシードライバーも,この戦争を乗り越えたんだと思ったら,

涙がでるかと思うぐらい,愛おしかった。

でも,そんな話は昨日の飲み会では通じなかった。

教科書に載ってた場所には一回行っておきたい。と彼は言った。

自分が行った時の話をさえぎり,俺もその場所旅行したことある。で,どこのホテルに泊まったの。と別の彼は言った。

でも,家のマットレスを40万の良いものに変えたらどこの高級ホテルでも寝られない。といって話は違うところへいった。

どこに行ったのか。何を食べたのか。どこに泊まったのか。そのホテルの格は何か。どんな女を買ったのか。

いくらつかったのか。

どんな贅沢をしたのか。

すべての話は結局そこに落ち着いた。

結婚式を挙げるホテルマリオット,ヒルトンウェスティン。どこが良いかな。

共働き夫婦から夕飯にいつも困って,こんな高いものを食べたよ。

かい4Kテレビを買って,見るものいかyoutubeスロット解説動画をみてるよ。

どうでも良いことで悩んでいるんだな。と思って聞いていた。

でも,さっき気づいた。この話はすべて品評会だったんだと。

俺は他の男と違ってこんな金のかけかたができる。

こんなにも裕福になった。贅沢ができる。で,お前はどうなの?そう聞かれていた。

できない嫉妬なのだろうか。いや,絶対に違う。それぞれはしたければできない贅沢ではない。全部は無理だけど。

彼らは自慢による他人比べでしか自分場所を測れないんだ。

自分を羨ましがってもらって,自分のしてきたことは正しいことなんだ。

自分経験値は間違っていないんだと正当化して欲しいだけなんだ。

そこに気づいたとき違和感があった。

東大で過ごした博士課程の3年間。とうぜん周りの人間東大生ばかり。

受験戦争結果論でいえば,昨日の同級生よりも勝ち組

でも博士課程に進学するだけあって,あまり,分かり易い欲が見えなかった。

でも,こんな経験がしたい。これが見たい。これが食べたい。これが知りたい。

そんな純粋自分欲求をみたすために,全員のベクトルは異なっていたが,貪欲だった。全力だった。

いわゆるマッドサイエンティスト的な雰囲気がそこにはあった。最高だった。

ベクトル自分と違うから見えにくいだけで,そこには確実に,なるべき自分をそれぞれに持っていた。

高校大学時代勉強しておいてよかった。と昨日の彼らは言っていた。

いや違う。君らは何も先人たちの英知を学べてはいない。

ただ,学歴を勝ち取って,そこを卒業し,資格を取り,お金という対価を比較的短い時間と交換できるようになっただけだ。

今,自分が何をしたくて,どう行動して,世界にとって必要ものは何か。何も考えていない。

君たちの言う学問とは何か。世間でいう勝ち組世間でいう高学歴とは,この人たちなのだろうか。

神を畏れることは知恵のはじめ。無知ものは知恵をも諭しをも侮る。

現勤務校にも,卒業高校にも,たまたまキリスト教高校なので,この一句が飾ってある。

勤務校ははっきり言えば底辺校教育困難校卒業高校はまぁまぁの進学校

勤務校における,卒業高校の評判は良くない。

それは進学に力をいれるばかりに,キリスト教教育を怠っているからだと宗教主任は語っていた。

それを聞いたとき,あぁ,そうですか。でもそれは勤務校の生徒がアホだからでしょ。って思ってた。

でもこの評判は,正しいのではないだろうか。

自分キリスト教徒でもない。若い時には宗教アレルギーも強かった。

はいえ,聖書に書いてある諭しや教えの多くも,学問を通じて,経験を通じて,失敗を通じて気づけていた。

から受験で使わない聖書の授業は,宗教の授業は,勤務校の生徒がアホだから「教えてあげなければならず」,

アホじゃなければ「自分で身に着けられる」と勝手に信じていた。自分で作った宗教にはまっていた。

でも恐らく違うんだと気づかされた。

昨日の3人はおそらく,知恵をも諭しをも侮る,無知もの。だと思う。勉強仕事もできるはずなのに。

さな自分価値観を,他人に羨んでもらうことでしか確認できないようになったのはいなのだろうか。

受験戦争が彼らをそうさせてしまったのだろうか。

卒業後の会社が,社会が,そうさせてしまったのだろうか。

たぶん違う。自分若い時,あっち側に近かった。

学部生の時に友人に「お前は資本主義権化だ」と言われた。その時は全く理解できなかった。

だって何か特別なこともしてないし,ものを買った覚えもなかったから。

仲が良かったということは,すくなくとも高校時代あのころは彼らも同じ価値観だったはずだ。

でも昨日の彼らは,いや,昨日の彼らも,資本主義権化だった。見ていて・聞いていて辛かった。

自分若いうちに言ってくれる友人ができて,師に会えて,幸せだったわけだ。

その後,学問の道にすすみ,お金はなかったし,挫折もしたけれど,

自分のやりたいことだけ,やりたい場所で,時間をつかえて自分を見直せてよかった。

大学で何を学んだのか。の差だと思う。教育はすごいと確信した。

ちゃんと書いておく,自分別にそんなにできた人間ではない。

5年間会っていなかった理由をこの文章を書きながら思い出してきた。

2011年に会ったとき東京計画停電自粛ムードどんよりしていた。

そんな中,居酒屋で彼は,原発は動かすべきだ。と言っていた。

でも原発はもう一度壊れるかもしれない。そこには自然があり,生き物がすんでいる。

自分は,人間だけの都合でその環境再生不可能な形に改変してはいけないと強く言っていた。

彼はそんな理由経済の再構築に劣ると言ったと記憶している。

あの時,少しの呆れと絶望を感じたので,昨日まで会っていなかったのだろう。

昨日の飲み会で生じた感情もおそらく同じだろう。自分にとって残念であった。

学ぶ時間は大切だと痛感した。彼らは良い師に巡り合えなかったのだろう。

良き友人らと朝まで色々な価値観のもと,議論できなかったのだろう。

ただ,もちろん,彼らの価値観が間違っているわけでは無いと思う。自分と相いれないだけ。

でも,仲の良かった友人たちが忌み嫌う価値観のど真ん中にいたことは自分にとって残念でならない。

人間は,もっと自然から歴史から,周りの人間から学んでいくべきであるし,そのために高等教育があるはず。

受験戦争に勝つことも,高いお給料をもらうことも,もちろん大切なことの一つであるが,それだけではない。

学問とは,大学とは,高校とは,教育のすべては本来そうあるはずだし,そうあるべきであろう。

良い就職先を探すため,資格を取るため。では絶対にない。

君らの心は貧しい。と言ってあげるべきだっただろうか。たぶん笑わるし,理解されない。

飲み会の席で今の感情に気づいていれば,あの時の自分は言っていたのだろうか。

30超えたおっさん説教しても変わらないのでしなかったと信じている。

熱く語って恥ずかしくなってもっと早く帰っていたかもしれない。たぶん,そうだっただろう。

なんだか教師としての道が見つかった気がする。

昨日までは教科教育に精一杯だったが,なんだかやりたいことが見つかった。

俺は東大出会った先輩,友人,後輩らを作りたい。

あの空間自分の生徒を送り込んでやりたい。一人でも多くの若者自分価値観の狭さを実感して欲しい。

別に東大じゃなくてもその空間はあるかもしれないが,自分があの空間経験したのが東大から仕方がない。

少なくとも一昨日まではその空間が維持されていると聞いているし。

それは私自身が生きやす世界のために必要手段であるあくまでも自分のため。

もうすぐ息子が起きてくる。

彼はどんな世界大人になるのだろうか。

2016-12-30

さて元旦NHK BS1・・・

00:00~ BS世界ドキュメンタリーダイアナ妃VSエリザベス女王
01:00~ BS世界ドキュメンタリーカストロVSゲバラ
02:00~ BS世界ドキュメンタリープーチンの道~その権力秘密に迫る~」
03:00~ BS世界ドキュメンタリープーチンの野望 新大統領 誕生
04:00~ BS世界ドキュメンタリー歴史と粋の屋根の上 パリ
05:00~ BS世界ドキュメンタリー「空から見るガウディ迷宮 バルセロナ
06:00~ BS世界ドキュメンタリー摩天楼の上に広がる“異空間” ニューヨーク
07:00~ BS世界ドキュメンタリーパフォーマンス楽園 ブエノスアイレス
08:00~ BS世界ドキュメンタリー天空の箱庭 東京
09:00~ BS世界ドキュメンタリーヒトラー“わが闘争”~封印を解かれた禁断の書」
10:00~ BS世界ドキュメンタリーヒトラー 最後の日々」
11:00~ BS世界ドキュメンタリー「暴かれる王国サウジアラビア
12:00~ BS世界ドキュメンタリー希望フィールド ウガンダ少年野球チーム」

寝るか、それとも実家に帰るか・・・

2016-12-29

元旦デート約束取ったんだが、予定考えてない助けて!

東京なんだが人混み大嫌いだが、セックスのしみたい

キスだけでもいい

2016-11-25

追追記:「君の名は。」って英字タイトル【your name】になってるけど

なんでワッチュワネーム?(What your name?)じゃないの?かっこつけてんの?ワッチュワネーム?はダサいの?だったら日本語タイトルも「君の名」でいいだろ「君が代」みたいでウヨクっぽいじゃん「君の名」。「君の名は。」にしたければ英語ワッチュワネーム?(What your name?)にしとけよ!!かっこつけて【your name】とか、それじゃ「君の名」だよ。国歌斉唱!!君の名!!天皇陛下ばんざーい!!「君の名は。」が使いたければ正直に「君の名は?」にしてワッチュワネーム?(What your name?)使っとけばいいじゃねえか!!かっこつけんな!!

  

追記:「君の名は。」はyour name is だからワッチュワネームじゃない!みたいな意見を多く見かけるが、だったらなんでis取ってんだよって話なんだよ!!【your name IS】にしとけよ初めから!!【your name】だと「君の名」だろうが!!「君の名」だったら「君が代」みたいで天皇大満足みたいだからだってか??だったらワッチュワネームでも「君の名は?」でも【your name IS】にでもしておけばよかったんだよ!!それなのに【your name】それ「君の名」じゃん!!今日からお前はきみのな!!キミノナ!!

追追記:「邦題英語タイトル言葉が違うなんて日常」みたいな意見を見かける。別にそれはかまわんよ、英題が【your name】でも邦題が「君の名は。」でも好きにしてくれたらいい。でも併記してるじゃん!!並べて書いてるじゃん!!【your name】を日本で見せなくて英語圏向けのタイトルとして発表してるなら好きにしてくれたらいいんだけど、明らかに日本人向けに【your name】って謳ってるじゃん!!日本人は「君の名は。」ってタイトル聞いてワッチュワネーム?かと思いきや横に書かれた【your name】ってそれ「君の名」じゃん!!「君の名は。」かと思いきや「君の名」国歌かよ!!国歌斉唱!!!天皇陛下万歳!!元旦靖国神社かよ!!どっちかにしろよ【your name】=「君の名」もしくは【your name IS】=「君の名は。」でもなんでもいいんだけど統一してくれないかなーでも俺んなかで君の名は既に「君の名は。」でなくて「君の名」だからよろしくキミノナ!!

2016-03-14

子供保育園も抱っこ紐も非正規童貞の俺からすれば手の届かない贅沢なんだよ

保育園デモ参加者の抱っこ紐がブランドだって叩いて炎上した奴がいたらしいな

プロ市民とかどうでもいいけど分かるよ。叩きたくなる気持ち

俺はイオンに行くためにバカ丁寧に髪をセットするようなそれなりの田舎で育って、

実家寄生したまま時給3桁の仕事をして暮らしてるクソ野郎

結婚子供も諦めてる

1人っ子だからうちの親はこの先孫を抱くことはないんだろう

元旦になると性懲りもなく昔の友達から家族写真入りの年賀状が届く

さすがにいたたまれない気持ちになる

祝日が呪日になりそうな勢いだ

そんな俺からしたら保育園デモなんて、

豪華客船クルーズの客が船酔いしたってクレームつけてるようなもんだ

国民全員の問題だとかマスコミはいうが、どう共感しろと?

参加者やその一味は年賀状やらフェイスブックやらを利用した、幸せのおすそ分けと言う名の無差別テロ前科持ちだ

確かに将来の税収や人口問題は深刻なんだろうよ

でも響かない

全然響かない

俺はもう今がすでに死んでるようなもんなんだ

こんなことを書くと、家庭を持った奴らは憐れみ侮蔑の目で俺を見るんだろうな

でも最近非婚率と平均年収を調べてみろよ

俺みたいな奴は普段目に入らないかもしれないが

お前らの子供が育ってく社会でかなりのボリュームを占めてるんだ

そんで、お前らの子供のうち何割かは俺みたい大人になるんだ

2016-02-25

初詣明治以降につくられた伝統だという説は怪しい

「看羊録」という書物がある。

豊臣秀吉朝鮮侵略の際に日本拉致されて数年をすごした朝鮮人儒学者日本観察記である

家族までも犠牲となった侵略被害者なので当然ながら日本に対する憎しみは深く、感情的偏見の強い記述も随所に見られるが、一方で科挙に受かったエリートだけはあり、抑留中に見聞きした出来事はもちろん、日本の書物をよく読み、北海道も含む日本列島の詳細や地名や各地の慣習、大名名前性格まで記録しており、著者の姜沆の博覧強記ぶりがうかがわせる。

その中に以下のような記述がみられる

その風俗はひどく鬼神を信じ、神に仕えることは父母に仕えるようであります生前、人の尊信を受けていた者は、死ねば必ず人々に祀られます。父母の命日には、あるいは斎戒・素食しないことがあっても、神人の忌日には一切魚肉を禁じます将倭や将倭の妻妾から庶民の男女に至るまで、祝日や神人の忌〔日〕にあうたびに、おごそかに盛装し、〔寺・社などの〕門前に行って銭を〔賽銭として〕なげる者が街路をうずめつくします。神社は宏〔大、奢〕侈〔をきわめ、〕、金碧に照り輝いています

(〔〕の中は文意を分かりやすくするための訳者の注の模様。なお、翻訳基本的東洋文庫「看羊録」朴 鐘鳴 訳による)


一読して分かる通り、ここに書かれている神社参拝の光景今日における初詣のそれと何も変わらない。ただ一つ違うのは、それが行われるのが広く「祝日や神人の忌避」としており、元旦限定していないことだ。(この「祝日」はもちろん、単なる休日という意味ではないだろう。)

この記述部分は姜沆が抑留されていた京都にて自分で見たものなか、それとも人づてに聞いたものかは判然としない(彼は抑留中は藤原惺窩の世話になっており、慕われて戦国大名の人物評なども聞かされていた模様)。もちろん、当時の日本現代よりはるか地域差も大きかったろう。

だがしかし今日の「初詣」と同じような風習戦国時代日本存在したことは間違いないようだ。「看羊禄」にはほかにも、当時の日本人が大変に信仰深かったことが描かれている。


むろん、元旦に行われないならば初詣とは違うという意見もあるかもしれない。

しかし、こうはいえないだろうか

日本人はもともと信仰深かった。そして祝日があるたびに大勢寺社に参って賽銭を投げ入れるという風習があった。それが明治時代になり、だんだん従来の信仰形骸化し、また近代化によってカレンダーに強く拘束される生活になった結果、最大の祝日である元旦にだけ、従来のお参りの風習が集中する結果となった。」

こう考えてみると、「初詣明治以降につくられた伝統」だという説はいささか偏った見解だともいえる。むしろ数少ない、近代適応して変化しながらギリギリ残った古来の伝統の一欠片だともいえるのだ。そう考えると、初詣は貴重な伝統文化として大切に保存しなくてはいけない、ともいえるのではないか。



以上です。



もちろん、この資料だけを根拠にあれこれ言うには限界があります。ほかにも関連資料を見つけた際にはまだ別記事にてご紹介したいと思います

「『元旦』にお参りする」という風習については「恵方詣」などを調べていただければと思いますネット上ではこの恵方詣をもって初詣元祖とする見解が多いですが、その前提として「祝日大勢寺社にお参りして賽銭を投げ入れる」という民族的風習があったといえるでしょう。

そのほか、参考サイト

平安時代までは確実に遡る「初詣」の歴史



追記2/29


予想していたよりもはるかに多くのコメントいただき、うれしいと同時に正直戸惑っております(笑)

頂いた反応のうち、特に多くの方から寄せられたものにつき、回答させていただきたいと思います

新たに記事を立てるべきかとも思いましたが、煩雑になる可能性もあるため、追記という形式をとらせていただきます

匿名ダイアリーの慣習などには明るくないため、もしおかし行為でしたら申し訳ございません。



まず第一に、非常に多く寄せられたコメントに「祭りや祝い事が古来からあったなんて当然じゃないか」というものがあります

これは私にとって予想外の誤解だったのですが、私は単に古来から祭りや祝い事があった、と言っているのではありません。

特定の日に、街道を埋め尽くさんばかりの人間が同時に寺社にお参りして賽銭を投げる」という形式の慣習存在していたと主張しているのです。

初詣の原型があった」という主張なのですから、単なる祝い事があったというだけではもちろん、何の根拠にはなりません。

形式において今日初詣と非常に似通ったもの中世の時点ですでに存在したという点が重要なのです。



次に、「初詣明治以降につくられたという説は、鉄道で無縁の大手寺社に参るという点明治以降に生まれものだという説である」として、いったい誰が何もないところからつくられたと主張しているのか、お前は誰と戦っているのか、という指摘がございました。

そして、専門家の詳細な説や意見を紹介してくださった方もいらっしゃいました。

私は、そのように原型のあった部分と変化のあった部分を明確にした上での見解ならば文句はないのです。

(中には、私がそのような専門的な説に対する批判を行っていると勘違いされた方もいらっしゃいましたが、決してそんな不遜な意図があったわけではありません。)


これは私の書き方に問題があり、本文において大上段に振りかぶって文化論をぶつような書き方をしてしまったため、誤解を生んでしまったものだと思います


私が想定しているのは、もっと低いレベルでの話です。

例えばTwitterで「初詣 明治以降」「初詣 捏造」などで検索していただければ、初詣には微塵の原型もなく、明治以降に突然、(ときには陰謀論的に)創設されたものだと思い込んでいる方のツイートがヒットします。

おそらく、どこかで「初詣明治中期につくられた」という話を知り、それを文字通りに受け取って、そのような認識になってしまったものだと思われます

話は変わりますが、私は、「明治以前に神道という『単語』はなかった」というとんでもない主張をする人と出会ってことがあります

おそらくは明治時代国家神道の創設について、中途半端認識が伝わっていくにつれてそのようなことになってしまったものだと思われます

元は専門的に議論され、ちゃんと留保を置いた上で説かれた説が、一般流通していくにつれ、単純化され、しまいにはデマに等しい説にまでなってしまうのです。

「誰と戦っているの?」というコメントを頂きましたが、私はそのような「デマ」が広まることを危惧しています



ここから先は少々、抽象的な問題になります



他に多くの方々の反感を呼んだのが、

「むしろ数少ない、近代適応して変化しながらギリギリ残った古来の伝統の一欠片だともいえるのだ。」との点です。

様々な反応がありましたが、まとめると、上でもふれられた「遠方の寺社にでかけるのは明治以降である」という認識(それはおそらく事実でしょう)に基づき、やはり捏造された伝統であることは否定できない、という主張です。

これについては、最終的には解釈思想問題になりますので、限られた文字数議論できるとは思いませんし、万人の納得のできる結論も出ないでしょう。


ただし私は、どのコメントを読んでも、あるいは紹介していただいたリンクなどを読んでも、いまいち納得できませんでした。(むしろ違和感が増しました)

というのも、近代化工業化が進めば(直接的な要因が自然ものであれ人為的ものであれ)変化があるのは必至だからで、それは当然じゃないのか、と思ってしまうからです。

「変化した」「変貌した」と言っていただければ何の違和感もないのですが、なぜ「近代になってつくられた」とまで言い切ってしまうのか、その理由が分かりません

近代につくられた」というのは所謂カルスタの方々の昔からの決まり文句ですが、(石原千秋氏は「つくられた系」と批判的に呼んでいました)「近代になって変化した」では当たり前すぎてインパクトが薄いのであえて強調しているのではないかと勘ぐってしまます


また、現在でも地方共同体の生きている田舎では、古来とさほど変わらない信仰地域性の元で「初詣」を行っている地方存在すると思いますが、それは捏造ではない、ということでよろしいのでしょうか?そうするとやはりそのような方面無視して「つくられた」と説くことには違和感があります

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