はてなキーワード: 凄さとは
「カメラのアングルに対してリアルタイムで背景CG側のカメラを同期させる」って最新技術推しだったわけだけど
「凄い技術なのに、なんでカメラ切り替えるの?正面固定カメラの方が凄さ伝わるのに。」
「Perfumeは正面固定引きじゃないと意味がない。馬鹿じゃないの!」
もちろん正面固定カメラ派の言いたいことは分かるし今回のカメラワークが良質だったとは思わないけど
あのステージパフォーマンスに「カメラ動くな」は流石に全否定過ぎるんじゃないかなぁ。それだとただの光る壁と床だろそれ……
先日ニコ動で某MMD動画投稿者が「完成度の高いダンスモーションを借りてカメラを暴れさせるのはモーションへの冒涜」とコメントされまくって新規投稿をやめると言い出した時も思ったけど
正面固定カメラダンスMV派は他のMVを全て駆逐しないと気が済まないんだろうか?
【追記】
そもそも技術自体がカメラを動かすのを強いる今回の企画自体が嫌いと言うなら分かるけど
カメラの動き自体は企画に沿ったものだから直接そこを否定されるのは可哀想だと思った。
自分の感覚では「このダンスは正面固定カメラ」って決めるのも映像を撮る人間だ。
さらに数ある披露の中で変化球だと前置きしても冒涜認定されるなら、俺の感覚より世間はずっと振付のアイデンティティが尊重される世界でそれはそれで素晴らしいと思うよ。
容姿コンプを拗らせるのをいい加減にやめたいが目の前の現実が辛すぎるので半分愚痴のような投稿
皆口を揃えて言う。容姿だけが全てじゃない。性格だって大事だ。もちろん家事をやる能力や部屋を綺麗に保つ掃除技術…etaなどの人間としての生活を営むちからも大切だ。興味があるならスポーツや芸術、仕事に関する才能を伸ばせば良い。
でも所詮、伸ばしたとしても容姿が良くて他の才能もある人には人生に勝てっこないんじゃないかと思ってしまう。
自分と他人の人生を比べるなと言われてしまえばそれでお終いだが、優れた容姿を持った人生を歩んでいる人が羨ましくて仕方がない。
優れた容姿というのは生まれつき備わっていて大変な苦労やトレーニングが必要のなしに容姿が最も重視されるといっても過言ではない若齢期を歩むことができる。人によっては歳を召しても美しい容姿を保っている人もいるだろう。
容姿が優れているだけで人から優しくしてもらい、目をかけてもらい、困った素振りを見せればすぐに助けてもらえる容姿の優れた人が私は本当に羨ましい。ブスはいるだけで存在を迷惑がられることだって多数だ。
仮にブスが容姿以外の才能を伸ばしたとしても、人は容姿以外の才能に必ず目を向けるわけではない。興味がない人にとっては「ふーん。」と思う程度で終わってしまうことなんてざらにある。それに比べて優れた容姿はどうだ?いついかなる時も人の目にとまる。名前を知らない向かいの座席に座っている電車の乗客の素性はわからなくても容姿だけは目に入れた途端にわかる。 そう、誰にでもわかるのだ。美しいか美しくないか。赤ちゃんですらもわかってしまうという話を聞いて悲しくなった。 少し本題とずれたが、要するに優れた容姿というのは誰にでもはっきりとわかる才能であるということだ。逆に言えばそれ以外のことは実際にその人と関わってみないとわからない。電車の左隣に座っている人が演奏技術が優れてるかなんて実際に聞いてみなければわからないでしょ?
ブスが別の才能を伸ばして、容姿の優れた人が何もしなかったら顔だけが取り柄のつまらい人間じゃないか!と思う人もいるだろう。
確かに、何もせずにいたら確かに顔だけが取り柄の人間だ。それはブスから見た視点である。現実には何もしていなくても容姿が優れてるという才能があるのだ。 この差をわかってほしい。 ブスは才能を伸ばすのに努力がいるのに対し優れた容姿の持ち主は何もせずとも持っているのだ。
そしてブスが才能を伸ばし、容姿の優れた人も別の才能を伸ばしたとしよう。するとどうか? 秀才美女、イケメンスポーツ選手!などと世間はもてはやす。本当にバカバカしく思えるが美女、美男が別の才能を持ったら世間の注目の的である。容姿も良いのに別の才能もあるなんて…!すごい!とテレビを見ながら何回も思った。
そう別の才能に容姿という誰にでもはっきりとわかる才能がプラスされることで絶大な力を発揮するのだ。ただでさえ目に止まる容姿の優れた人間に別の才能があると知れたらたちまちその話は口伝いに広がる。あのかっこいい人って楽器も弾けるんだって!すごいよね!あのかわいい子は料理も上手らしいよ!ブスがいくつ才能を掛け持とうが興味がない人にはこのブスの凄さがわからない。わかったとても「ふーん。」だけで終わってしまうかもしれない。
このようなブスの扱いの酷さは日本の文化に起因しているかもしれないが詳しくはわからないので触れないでおく。
テンポはとてもいいんだけど、細かいところが気になっちゃって、今一つ嵌れなかった。
まあそうはいっても、正直なところ「原子力(微)生物」ってどんな描写にしたらいいのか想像つかない…。
自分で考えようとすると、「原子力」抜きでエメリッヒ版みたいな「ありそう路線」になってしまう。
↓こんな感じ
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グリーンランドのバイキング居住地の遺跡。逆叉の骨が大量に散らばる中に、奇妙な足跡が発見される。
氷河期の巨獣たちが生き残っていたのか? バイキングは何のために逆叉を、危険を冒してまで捕っていたのか?
…訝る学者達。
(生き物としての逆叉の凄さが語られる)
そのころのカナダ。
逆叉の「聖地」で、鯨類の研究……特に、逆叉の「会話」を傍受・研究してきた海洋学者が、パニックを起こしていた。
「とにかく、様子が尋常じゃないんだ!」
…と、報道記者やDFO、さらにNOAAへ必死にアピールするが、禄にとりあってもらえない。
「減ってるって言うけど、ここから移動したのかもしれないでしょ」
「オルカに迫る危機…って線なら良いと思いますが、”人類への脅威”みたいな言い方は疑問ですね。恐れながら、入れ込みすぎでは?」
しかし、すぐに。「北大西洋では、逆叉の個体数は急速に減少している」との見解を、別の科学者も示す。
明らかに何らかの異変が起きている。学会やNGOなどに緊張が走るなか、さらに身近なところで事件が起きる。海洋娯楽施設「マリナーワールド」のスターである逆叉達が。一匹、また一匹と、痕跡も残さずに飼育プールから「消えて」いってるというではないか。
通報を受け、マリナーワールドに張り込むTV局や警察の目前で。10m以上に及ぶ“何か“が「突入」してきて、最後の逆叉が瞬時に両断される。その様子や、警察のライトに驚いて?凄まじいスピードで逃げる「何か」の不明瞭な映像が放映された。
こいつは一体何だ? いったいどうやって海水導入溝の多段鉄柵を越えているのか? 全世界の注目を集め、前後まっぷたつにされた逆叉や現場の遺留物から、様々な「正体予想」が氾濫する状況に。
そして、報道・学者・環境保護団体「シー・リカオン」などが州軍とともに詰めかけるのをあざ笑うかのように、100km以上南にある別のマリナーワールドが襲撃される。今度は一夜にして12尾の逆叉を全滅させ…たのみならず、施設の大規模な損壊・火災に行方不明者を出す事態。
「KWK、ヒトの味を覚えたか?」
騒動が大きくなって、最初の海洋学者に再びスポットがあたるが…。
「頭おかしくなっていたんだ、きっとそうだ…だって、ありえないんだ!」
「どういうことです、あなたは何を見たんです?」
「うぁあっ…勘弁してくれ!」
今度は、西南アフリカ…。とあるマグロ密漁船が、環境保護団体シー・リカオンのIUU監視阻止船「MYキャニー・ロデル」からの逃走中に突然、沈み始めたのである。余りに速く沈んでいき、誰も浮かび上がってこない。
マリナーワールドからは余りに遠く、KWKと結びつける材料もなかったので、現地国家「G国」海軍に対鑑武装を疑われるMYキャニー・ロデルの乗組員たち。調査で乗り込んできた軍人たちの目前で、軍艦のほうが襲われる。船尾の舵が壊されたのち、水中から飛び出して甲板に跳び乗ってきた”それ”は、あの特徴的な背鰭と禍々しい皮膚を備えていた。
「あれは?…あの、KWKじゃないのか?……しかも、脚があるぞ!」
軍人達は銃撃を浴びせるが殆ど利いてない。シー・リカオン側の船長は、とっさにMYキャニー・ロデルの封印装備…「爆発電気銛」を使い、KWKを追い払う。そうこの船は、嘗てノルウェーの捕鯨船だったのだ。シー・リカオンとして決して使ってはならない装備を……苦悩する船長。
そのころ、マリナーワールドの遺留品を調査していた学者達は驚くべき事実を突き止めていた。DNA解析によれば、KWKに最も近縁な生き物は、鯨類だというのである!
(昔は鯨にも脚や頸があった、現世の鯨類からン万年前に分岐した…などの蘊蓄が語られる)
「KWKの正体は鯨類と判明。即ち、キラー・ホエール・キラー・ホエール!」
「ゴンドウ・クジラ類にもっとも近いとされたことから、米NOAAは”ゴジラ”と命名。」
「遺留物の分析から、ゴジラの表皮や背鰭には鯨類が放つ声…音波を吸収ないし散乱させる性質があると判明した。つまり、逆叉はゴジラの待ち伏せを探知することができない。おそらくはソナーも…」
「ゴジラは待ち伏せ型の捕食者であり、ゼロダッシュの加速は凄まじいものがある。」
「頭部の唾液腺のような器官からは、着火性のある炭化水素類を噴出できると思われる…!」
「あのとき私が見たのは、陸へ打ち上げられるオルカ…を追って、このゴジラも上がってきて。オルカをあの後脚で押さえつけて、前足から飛び出したナイフで……おおぉお!」
さて当のG国では、EEZ内でも出没するゴジラに正規の漁船が入漁を見合わせるなど損失が拡大、洒落にならなくなってきた。他国の組織からの介入を強く牽制するが、ゴジラに対応できる改装を行うこともままならない。
一方、シー・リカオンに対しては、G海軍と密漁対策で連携していた経緯から、またKWKが野生動物と判明したことから、G国政府はさらなる協力を求めてくる。
しかし、結果的にせよ”鯨類”に銛を向けてしまったMYキャニー・ロデルは、船長も乗組員も動揺が激しく、身動きがとれない状態であった。
一方。
極東の「鯨類研究所」は、ゴジラを”害鯨”と認定、「調査捕鯨に乗り出す」と公表。インド洋上の目視採集船「シンユウマル」が、喜望峰を回って大西洋に入る。衛星の合成開口レーダーで同船の動きを追うシー・リカオン。シンユウマルは、かつて南氷洋で調査母船シンニチマルとともに、MYキャニー・ロデルを挟み撃ちにして、癒えない傷を追わせた仇敵である。
しかし。G国が箝口令を強いているため、シンユウマルは、ゴジラがどうやって軍艦を航行不能に陥れているか知らない。
そんな中でG国は、シー・リカオンの新造IUU阻止高速船「オーシャン・ハチェット」の派遣を正式に要請した。
「ゴジラはヒトを”密漁”しているのです。それで十分ではないでしょうか? それに、貴団体の新造鑑には色々”特殊な装備”があると伺います。殺処分なら時間をかければ私達でも、あるいはシンユウマルでもできるかもしれませんが…」
実は、G国は。ゴジラを公海などへ追い出してシンユウマルにしとめられるよりも、EEZ内で”確保”するのが望ましいと考えていた。
CBD名古屋議定書に基づき、ゴジラを”遺伝資源”として研究・収益化をもくろむであろうグローバル企業達を呼び寄せ「公正かつ衡平な利益配分」を受けられる、「ゴジラ遺伝資源ライセンサー」としての地位を確固たるものにするのだ。米国などで確保した断片程度の”遺伝資源”よりも、生きているほうが価値が高い。そのためにもシー・リカオンは利用できる、と。
そんなG国の本音を知らないまま。G国沖EEZへと急ぐオーシャン・ハチェットは、ゴジラ「捕獲」の任務を果たせるのか?
その少し後。
G国沖、公海上に停泊するシンユウマルを後目に、海軍のヘリに先導され、EEZへ入ることを許されたオーシャン・ハチェットであったが……そのあとを巨大な影が追ってきた。シー・リカオン側がそれに気づいたのは、G国の港湾に入った後であった。
もう、ゴジラに追われていた?…身構える乗組員。既に接岸していた同船が、回頭できなくなるほど近くまで、巨体が寄ってきている。
しかし、「ピヨオウアッ!」…という鳴き声で甲板の緊張が解け、興奮へと変わった。
「オルカだよ!本当に大きい…すごい…」
それは20mにもなるかという巨大な逆叉。シー・リカオン等では、通常の逆叉が子供サイズに見える望遠写真で有名な個体だ。頭頂部にも、目の後ろのアイパッチと似た白い紋様があるため、「三ツ目」というコードが与えられている。
「三ツ目が、一頭だけ?」
「南から、シンユウマルを追ってか?あいつら、オルカの群に何かしたのか?」
北から来たオーシャン・ハチェットについてきた筈はないから、ある意味当然の発想であったが。レーダーの履歴は、シンユウマルが脇目もふらずにやって来たことを示していた。
「やたらとアピールするな…」
「野生のオルカが一頭で港へ来て、こういうのって…とっても珍しいですよね」
「やっぱり、ゴジラのことじゃないですか?」
最後の質問をしたのは、同船に同乗していた記者である。既にG国のモバイル通信網を経由して、映像の送信を開始していた。
そのわずか5分後。記者のスマホに着信があった。例の海洋学者からである。
『三ツ目が来てますよね?』
『これ、見せられますか?』
海洋学者は、G国検閲済みゴジラ画像のプリントを抱えている。甲板に大型ディスプレイが引き出され、大写しにして、色を少しずつ調整していくと…
「パアアアアアアア!!!」と、すごい大声。
「ほんとかよ。」
「ほら、そうでしょう?」
『発音や解析の環境も一式用意していますので、画像を併用すればある程度通じるかと』
「え、ここでやるの?」
港へ出てきたG国政府の面々も、この状況に驚いたものの。三ツ目がゴジラと接触したがっていることを、すぐ納得した。
『”わたしが囮をやる”と言ってますね…戦闘態勢に入ったオルカには手出ししてこないから、と。』
「何だ、古馴染みなのか?」
『大昔からのつきあいで、協定のようなものがあるそうです。それを破ったのだと。』
「あれだけ狼藉働けば、そうだろう…というか異種間のコミュニケーション、初めてじゃないんだ?」
『北のオルカはエコロケーションに頼りすぎ、だそうです。』
こんな感じで。ディスプレイの中から、図版を沢山抱えた海洋学者が色々言うのに、誰もが半信半疑になりつつ。ともかく大逆叉の意向にそって「作戦」を組み立てることになった。
翌日。MYキャニー・ロデルが舷側に大布を吊し、そこに仮病の三ツ目を「収納」して、囮の役割を担う。かなり距離をとって、「ゴジラ対策」を施したオーシャン・ハチェットと海軍の巡視艇2隻が追っていく。誘いを掛けるために、三ツ目は自らの血液までも提供した。
ゴジラは巡視艇の後方から現れた。急拵えの「枠」に阻まれて舵を壊せなかったものの、舷側に前脚を掛けて甲板に飛び乗ってきて、自重でロールを抑える。もう一隻のほうの甲板に軍人達が現れ、速度を落として併走しながら銃撃を加え始める。ゴジラは音もなく跳躍するが、足場になった側の船は強烈にロールしてひっくり返った。
ゴジラは、もう一隻の舳先に「着地」したかと思うと、そのまま海へ走り抜ける。その反動で急激な回頭が生じ、底を見せた一隻目に激突。軍人達も海に落ち、海軍は脱落を余儀なくされた。
「あれ、助けなくていいのですか?」と記者。
「ある意味、予想通りだろう。後方から救助が来るので、こちらは海岸に沿って遠ざかった方がいい。」
『もう外してくれ、だそうです。』
三ツ目の鼻先、海上すれすれにあるディスプレイの中で海洋学者が「通訳」した。一旦リリースすれば、意志疎通は難しくなるだろう。
「き、来たぞ…?…来たぞォオ!!」
三ツ目の巨体が音もなく沈み、MYキャニー・ロデルの起こした波だけが広がっていく。
「どうなりましたか?」
「あれ…?」
三ツ目の役割は疲れさせるだけ、の筈だが。水中で決着がついてしまったのか?…と全員が思い始めたとき、もつれあった巨大な塊が海面から飛び出したのは…
「あんな後ろで!」
「というか、さっきの軍のほうに向かってる?」
オーシャン・ハチェットは、搭載の無人デバイス類を離鑑させていたが、標的に「無視」されてしまったので回頭を始めていた。
「三ツ目に戻ってくるよう伝えられないか?」
「もう無理だろう」
「こっちに誘導してくれないと、まずいぞ?」
実際、流され続ける巡視艇は公海に近づいていた。ゴジラはその「障害物」を巧みに利用して、三ツ目と渡り合っている様子である。巡視艇の乗員は救命具でひとかたまりになって、二体の闘争から距離をとっていた。
そして、それを観測しているのはシー・リカオンだけではない。「調査」と書かれたブルーグレーの船体に白いブリッヂ……軍艦じみた奇妙な船の操舵室でも、どよめきが広がっていた。
「わざわざ足場を作ってあげてるとは…」
「何とやりあってるんだ、ゴジラさんは?」
「あれ、鯱じゃないか?」
「上を飛んでいるのは何だ?どうぶつ団の連中のか?」
既に公海上であり、シンユウマルが接近していた。乗員達があわただしく動き、捕鯨砲の準備を行っている。
その鑑影を見て、シー・リカオン側に殺気が走った。
「キャッチャーボート接近。シン……ユウ……マル……あれは"シンユウマル"だ!」
「こっちくんな、ポーチャー。」
「雷落としてやれ!」
オーシャン・ハチェットから操られる飛行ドローン「フリゲートバード」は上空で落雷装置を吊り下げたまま、ゴジラの疲れを待っている。同じく潜水ドローン「バスケットスター」も特殊装備「ハイドロメデューサ」を解放するチャンスを伺っていたが、目まぐるしく移り変わる二体の戦いに手を出す隙がない。
そこへ、速度を上げたシンユウマルが突進してきた。
「ああ、下がってくれ!」
「無理だ!手を出すなぁ!」
…と、若干芝居がかった嘆き声が響きわたるMYキャニー・ロデル船内。公海に出たので、例の記者がTV中継を開始したためだ。シンユウマルへの罵声は(なるべく)控えている。
「いやぁ、下がりませんとも。」
「情報戦だなあ。うちも南アに寄って記者でも乗せればよかったかな?」
「よしましょうよ。」
…と、余裕を見せるシンユウマル側では、少し前に”クーデター”が起きていた。
共倒れを狙い待機する方針を打ち出した砲手長が、大逆叉に畏敬の念を抱いていることを、若手の乗員達に見抜かれたのだ。
鯨研の「情報戦」に晒されて育った世代にとって、鯨類へ「食品」や「天然資源」以上の評価を与えようとするのは許し難い裏切りであった。
そして「鯱」はある意味、シー・リカオンの象徴であった。この状況は、シー・リカオンが逆叉を操っているようにも、逆叉がシー・リカオンを操っているようにも見える。
ゴジラと大逆叉。どちらに銛が刺さっても別に問題はなかろう?…この方針に反対する「年寄り」達は、船底の一室に軟禁されることとなった。
迷いの無くなったシンユウマルが急速に二体へ接近する。三ツ目は深度をとっているのか、ゴジラはひっくり返った巡視艇の側で小休止している。
絶好のチャンスに食らいつこうとするシンユウマルは、ゴジラを挑発しようと高度を下げていたフリゲートバードの直下に入ってしまい、軽く「落雷」を食らってしまう。落ちた先がライトニング・ロッドではなかったため、諸々のシステムが停止し行動不能になったところをゴジラに襲われ、舵を破壊されてしまうシンユウマル。
「いや、チャンスだ……シンユウマルの向こう側へ”手”を掛けようとする筈。急げ!」
これまでのゴジラの船舶襲撃パターンから、先を読んだ指示が乱れ飛ぶ。水中ドローンから無数の「浮き袋」が密集状態で放たれた。膨らみながら急速に浮上していく。ゴジラ側の選択肢を制限し、空中ドローンの「雷」を当てやすくするのだ。しかし…この状況では、またシンユウマルの側へ落ちるかもしれない。
しかも、ゴジラは先程の「落雷」をちゃんと見ていた。舷側から上がろうとせず、上方を警戒して、すぐ潜行しようとする。そこにハイドロメデューサが、相互に繋がった無数の「浮き袋」が浮き上がってきた。このまま押し上げられるとまずい…そう判断したのか、ゴジラはシンユウマルを蹴って距離をとろうとした。
「今だ。」「落雷機、投下ァ!!」
フリゲートバードは、ゴジラの進行方向をふさぐように落雷機を落下させる。着水間際に相当なショックが走る筈…しかしその所要時間を見切り、逆に加速するゴジラ。
「全速かけろ!ハチェット!」
「嗚呼これは…間に合わない…」
「光った!落ちたのか?」
「ゴジラ、頭を出したぞ!」
「畜生…」
MYキャニー・ロデルに広がる落胆の呻き声は、途中から歓喜の驚きに変わる。
「あそこ、三ツ目が!」
「痺れてるな…うまく泳げてない」
「ぶちあてろ…ハチェット!!」
三ツ目が発射した「超クリック音」を
シン・ゴジラのカタルシスは散々言われ尽くされてる事だが、ゴジラのブレス攻撃第一波に尽きる。
主人公側(政府側)のステートマシン図を書きたくなるような目まぐるしい報告と対応も凄かったが、
その凄さは恐らく「敵が無能だと強さ引き立たない」という理由で演出されたものであり、
観終わった後も「あの攻撃だけでももう一回見たい」という気持ちが強く、
で、あの攻撃の何が凄かったのか数時間考え続けて、一応の結論が自分の中で出たので、書き留めておく。
まずあのブレスが設定上どういう位置づけかという点だが、あの攻撃は、波動砲(ガミラス視点)だったのだ。
発射に至るまでの溜めの長さといい、ゴジラ自身が制御しきれない巨大なリスクを伴った手のつけられない破壊力といい、
庵野つながりで巨神兵ブレスと見ても良いのだが、巨神兵との違いは、巨神兵が最終的に大海嘯に押し切られて自滅するのに対し、
とにかく撃ったら終わる無敵兵器の位置づけなので、巨神兵よりは波動砲に近い。
(とはいえ、後述するように最後は「ガス欠」が敗因なので、そこは巨神兵と同じと言える)
見てる人は皆同じことを思っただろうが、今回のゴジラはブレスを吐くまで攻撃らしい攻撃を全くしないのである。
町の中をのたくってあっちこっちを押しつぶしたのと、煙の中から橋をちゃぶ台返しした事以外は、実に忍耐強いというか、攻撃をしない。
神心会のデンジャラスライオン加藤清澄にパンチされまくっても欠伸してる夜叉猿Jrのように、まるで何もしない。
ゴジラが攻撃するのは「有効な攻撃」をされた時だけなのである。
これは別にゴジラが「攻撃しなければ無害であり、本当は戦いたくないのだ」などという甘っちょろい事を意味してるわけではない。
ゴジラは移動するだけでも甚大な被害を発生させる存在であり、「放置しておくと増大するリスク」そのものなのだ。
いるだけでも迷惑だが、取り除くために行動するなら痛みとリスクを伴う癌細胞。それが今回のゴジラだ。
だから、有効な攻撃を食らうまではゴジラも攻撃しなかったのだ。
今回の映画で政府側は何度となく「民間人に被害が出るけど攻撃するか」を問われるが、
ゴジラが最初からブレス撃ちまくりながら侵攻してきていたら、その葛藤は描けなかっただろう。
で、テーマ上の都合は上記のとおりとして、
ゴジラの都合に立ってなぜ攻撃しなかったのかを考えると、ブレスの「奥の手」としての悲哀が見えてくる。
ゴジラの負けが決まったのがいつかという点を考えると、それはあのブレス攻撃が終わってゴジラが活動停止した時だろう。
あの攻撃で「ガス欠」という決定的な弱点を晒してしまった事で、
主人公側はゴジラに血液凝固剤を投与するための道筋が見えてしまった。
確かに「止め」を刺したのは血液凝固剤を飲ませた事で、その点はショボく見えるのだが、
重要なのはそれより前に無人機による波状攻撃によって放射能を撃たされて、意図的に再度ガス欠にさせられてしまった事で、
あの状態になったらもう血液凝固剤でも口の中に爆弾でもバンカーバスター釣瓶撃ちでもなんでもできるわけで、
ガス欠がバレた時点でゴジラの勝ち目はなくなっていたのだ。
その意味で、勝負が決したのはゴジラが奥の手であるブレスを使わせれた第一波が全てだった。
総理はゴジラのブレスで死んだが、ブレスを撃たせたことでゴジラの死も決まった。
神羅カンパニーのミッドガルキャノンvsダイヤウェポン戦と同じで、あのブレスシーンは、総理以下内閣首脳とゴジラが刺し違えたシーンだったと考える。
あの総理大臣は2つ印象的なシーンがあり、一つはゴジラ第3形態の時に巻き添えになる民間人を見過ごせず、攻撃中止を決断したシーン。
もう一つは米軍によるゴジラへの攻撃で東京の空が赤く染まっているのを見ていたシーン。
特に前者の方は、直後のゴジラのしばしの停止とも相まって、日本政府の弱みを敵の眼前に晒したシーンであり、総理のその後の敗北を強く暗示する物だった。
ゴジラが鎌倉に再上陸した後東京に向かい、登場人物が「なんでこっちに来るんだよ」と嘆くシーンがあるが、
要は、民間人を救おうとしたことで勝機を逸したと同時に「人がいる場所なら攻撃されない」と舐められたわけである。
その事が、熱核攻撃というリスクの拡大再生産と、最終決戦での主人公が民間人に巻き添えが出ようが何だろうが攻撃する決断につながったのであり、
またゴジラが東京駅で活動停止した理由も、人の多そうなビルの近くが一番攻撃されにくいという判断によるものかもしれない。
攻撃するべき時に攻撃できなかったことで、リスクを東京消滅の寸前まで大きくしてしまった総理。
決断力あり過ぎに描かれていると非難も多い日本政府だが、それは彼らが死んだ時に「その後」の日本政府の人材欠乏ぶりを際だたせるためのものだろう。
熊本の災害も、去年の広島も自衛隊の方々は実力をいかんなく発揮され、献身的に活動されていたと思う。
彼らの実力をもってすれば、極東の安定も厳しくないと思う。
それなのに彼らの実力をバカにしている連中がいる。
彼らは自衛隊をバカにして、憲法を変えないと日本は危ないとか根拠レス煽り、コレ自虐ナントカっていうんですかね?
憲法を弄らなくても極東に安定をもたらしてきた実績、これからも護ってくれる安心をもたらしてくれる自衛隊を馬鹿にするのは、日本国民として恥ずかしくないのかな?
まあ改憲論者のみなさんは神道カルトに日本を売り渡しつづけるだろうし、本当の日本人は2016年、2017年〜の日本を護るべきだよね。
一般に会話における人間の口語というのは文章に起こすには堪えない程ひどい。
だが、応募してくる新卒たちの面接での発言はそれに輪をかけて酷い
俺「学生時代に取り組んだ事を教えてください」
学生「私は大学時代は演劇部に所属していて、それで友達と一緒に頑張って部のみんなをまとめようといっぱい頑張ってえっと大学の学祭イベントがあったのでそれに合わせて部で目標を作って力を合わせて頑張っていこうってみんなの前で立って話した時に私はこうやってみんなと力を合わせるのが好きだなと思ってそれでいつも思っているんですがこの業界で私が頑張れると思うのが…(後略)」
この文章、文字に起こされるとあまりにバカっぽく見えるがほとんどの学生がこれぐらいのレベルの受け答えをしてくる。長い。長すぎる。
返答が長いというだけならまだしも、頭の出来の悪い学生かつ喋れる学生というのは大体例外なく文章に稀にしか「。」が入らない。
そして最終的に主語動詞目的語が何だったのか聞いている側の頭からこぼれ落ちるような文章が生成される。
1. 発言を止めるとそこでアピールタイムが終わってしまうと思い込んでいる。
頼むから黙って欲しい。
人間同士で話しているのだから間をもたせるぐらいの会話はこちらだってするし、間が持たないぐらいで学生を落とすなんてもったいない事はしない。
面接の時間はずっとその学生のアピールタイムなのだから一文を長くすることに大した意味はない。むしろ長文過ぎると耳からこぼれ落ちて思い出せない。
2. 発言している間にもっと良いアピールが頭に浮かんでしまってそちらに話を持って行こうとする
学生の顔を見ているとこのパターンが一番多い気がしている。確かに、口を動かしている間により良い主張を閃く事は俺にもある。
だがそうやって自分が普段できるアピールの120%の素晴らしいアピールをすれば受かる、と思い込んでいるのなら甘いと言わざるを得ない。
面接官は学生の人となりを見ているのであって、剣道部の主将だろうが下っ端だろうが帰宅部だろうが大した違いはない。
聞いている側が疲れるような長文をマシンガンのように吐き出しきれば好感触だと思っているのであれば、そんなのは「女なんてデカチンで高速ピストンすればみんなメロメロさ」等と思い込んでる童貞と同レベルである。
こういう挙動は端的に言うと、頭の悪さが前面に露呈してしまう。事実頭が悪いというパターンもあるだろう。
一緒に働く事を考えた場合、例えば会議や打ち合わせでそういう頭の悪い長文を垂れ流されるとそれは周りの人間全員の損失になる。
確実に周りの足を引っ張る存在となるので最優先で落としている。
余談だが面接でこの学生はダメだなと思って書類を確認するとやはり所謂無名私立大だという割合が高い。
高学歴な学生は、やはり地頭が良いためか受け答えもしっかりしている事が多い。もちろんどちらにもいくらでも例外は居るのだが。
△対策
上に書いたダメな学生の姿勢は癖として染み付いているところもあるので一朝一夕では治らないと思う。
ダメな自覚のある学生は次から面接では以下の事に気をつけて欲しい。
1. 口を開く前にこれから話す内容の「。」の位置をどこに付けるか頭に描く。
下手な長文を口語で流し込まれるよりは、口を開く前に3秒待たされる方がマシだし知性を感じる。
ついでに言うと考えている間に「あー…」とか「えーっと」とか言わない方が良い。
2. 面接官との会話の往復数を増やすにはどうすべきか、を評価軸として自分の受け答えを見直す。
温泉卓球では隙を見つけて最強のスマッシュを打ち込む事よりも、ワイワイとラリーを続ける事の方が優先される。
【MLB】盟友グリフィーJr.氏 イチロー日米通算記録に「“世界記録”は名案」(Full-Count)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160617-00010007-fullcount-base
多くが忘れてるが張本も日米通算で記録を抜かれた際、NPB記録はあくまで私ですからとイチローを認めていない。
あとご存じの通り彼はMLBをNPBよりクソだと思ってるから来年にはMLB単独でもイチローに安打数抜かれそうだけど、それも認めなそう。
実際問題それぞれリーグが違うのだからNPB記録は張本、MLB記録はピートローズというしかないというのが正しいかもしれない。
それにMLBはシーズン中に違うリーグ移籍すると年間成績が別々に取り扱われるくらいに記録の集計にデリケートだから、
国もリーグも違うものは尚更同じ記録扱いにされることを簡単に納得しにくいだろう。
賛否両論あれどイチローが日米両リーグに跨がって活躍したことはどちらか単独で記録を作ったのは良かったことだと思う。
イチローのようにそれぞれの国で5年から10年以上にかけて長年プレーしながら通算で記録を達成することはNPBだけもしくはMLBだけで記録を達成するより難しいことだと思われる。
日米のリーグ差の問題はあるが率や安打数においてはリーグとの相性も加味されるし、試合数の差も考えると同等程度か、レギュラーをとれる一流選手であればMLBの方が安打数は多く積み重ねやすいのではないかと思う。
イチローも言っていたがNPBだけで4256安打打つことが一番難しいかもしれない。
NPB記録保持者の張本勲が唯一の3000本以上で通算3085安打。王貞治は世界記録の868本塁打を打ったが2786安打。
755本塁打のハンク・アーロンは通算3771安打。714本塁打のベーブ・ルースは2873安打。
そのデータを見るとNPBの方が当時はより球場も狭く投手のレベルも低いのでMLbより本塁打数を重ねやすいというのは分かるものの、その点からいうと安打数においてアーロンやルースより王の方が少ないというのは少し違和感があるし、20世紀前半以前のMLB記録を抜いて考えるにしてもMLBでは3000安打達成者は最近でもジーターらを始め何人か生まれている。
MLBでは4~6番が主で、イチローのように打席が多く回りやすい1~3番の打順で試合に出ることが少なかった松井秀喜でもMLBで打率.305を記録した2005年には200本に迫る192安打を記録している。
松井は日本ではシーズン167安打が最高だったが、MLBで怪我するまでの1~3年目は全試合出場していることもあり、安打数は日本時代のキャリアハイより多い170本以上を毎年記録している。
したがって、それなりに打率を残して試合に出続けられる選手ならばMLBの方が安打数は積み重ねやすいのではないかという可能性が考えられる。
日米の単純な野球のレベル差というのも議論の余地が多少残る。本塁打は明らかに日本の方が打ちやすいことが通算上位の安打数における本塁打率の差からも分かる。
ただそれもトップ中のトップになると四球責めになりやすいNPBよりは同じ四球責めを喰らうにしてもやはり試合数が多いMLBの方が有利となるが。ソーサマグワイアやボンズが日本でやったら毎年のように60本打てたかというと四球責めで減っていただろう。
実際ボンズは476打数で73本塁打の翌年から勝負を避けられて400前後の打数で40本台に減っている。
日本だと試合数が少ないしさらに勝負を避けられて250打数で40本とかになっていたかもしれない。
また、MLBのトップなら誰でも日本でMLB時代と同等以上に成功するかというとそれも難しい所がある。
オールラウンドに打てる巧打力があればどのリーグでもそれなりの率を残せるが、得意なコースや球種に偏りがあると日本ではあまり打てないということがありうる。
現役メジャーリーガーでもパワーヒッター系よりミート力の高い中距離打者の方が日本では成功率が高い印象がある。
彼らは信じられないほどの成績を残したりもしないが失敗例は少ない。フリオ・フランコ、シェーン・マック、元西武のフェルナンデスなど。
1980~90年代は日米の年俸が近かったせいもあって意外と今よりもMLBの本当のレギュラークラスが多数来日している。
彼らは十分に日本でもレギュラーとして通用した選手が多いものの、センセーショナルな活躍をしたかというと、そういう例は少ない。
特にフランコはMLBで首位打者獲得を経験しており、全盛時に来日したMLBでもトップクラスの選手だが日本での2シーズンは.305 10本、.290 18本とさほど目立つ成績ではなかった。
本拠地が千葉マリンのロッテに所属したせいで本塁打が少なくなった影響はあるかもしれないが、ほぼMLB時代と同じくらいの成績になっている。
シェーン・マックは来日前までのMLB通算打率が.2994というバリバリの一流レギュラー選手だったが、日本では2年間で通算.284と打率を落としている。本塁打数と長打率は増やしており安定して活躍したが、NPBとMLBそれぞれの通算長打率やOPSを見てもあまり差がない。
それらの成績を見るとNPBがMLBよりレベルが遥かに劣るとは考えにくい。
また、マックは彼以外の日本で成功する外国人選手の共通点でもあるが、野球に取り組む姿勢に非常に優れていたらしい。
野球に取り組む姿勢の良さは、日本からMLBに行く日本人選手の成功と失敗を分ける要因にもなっていることがいえるように思う。
その姿勢の問題でよくネタにされるグリーンウェルもバランスのいいタイプの中距離打者だったはずだから、真面目に取り組めばNPBでも通用したと思う。
日米でも、それぞれ何故か片方で通用しながら片方では通用した選手というのがいる。
日本から帰国後にMLBで最多勝を獲ったガリクソンや帰国後にMLBで本塁打王を獲ったフィルダーなど日本で何かを掴んで覚醒して両国で活躍した選手もいたが、その逆は比較的少ない。
井口や城島、福留、西岡などは故障や衰え、メンタルの問題などでMLBを去った後も日本で活躍したといえるのだが、しかし日本での全盛時に比べると物足りない。
岡島や五十嵐などはMLBで一皮剥けて何かを掴んで帰ってきて日本でも活躍したが、大家やマック鈴木などは結局日本では殆ど活躍できなかった。
日本に出戻りではないが韓国のパク・チャンホも衰えていたとはいえ日本では通用しなかった。その後韓国でも通用しなかったようである。
あとは中島や松坂などを見ても、今はもはやアメリカ帰りが日本で簡単に活躍できる時代でもないし、MLBで1.5流程度にやれたら日本や韓国では1流以上というわけでもないようである。
今までで最も日本に衝撃を与えた外国人選手は多分ホーナーなのだろう。
マイナー経験なしでメジャーデビューしたエリートで、そのまま主軸で活躍していたメジャーリーガーが来日し、その肩書き通りに凄まじい成績を残した。
恐らく最もNPBのレベルが相対的に高かった1990~2000年前後よりさらに日米のレベル差が激しかったと目される当時(1987年)で.327 31本。
故障離脱があり93試合での成績だからかなり凄いのだが、当初は4割60本くらい打たれてしまうのではというほどの期待と恐怖があっただろうに結局はその程度の人間らしい成績に収まったともいえる。
バース、マートン、ペタジーニ、カブレラ、ラミレス、ロバート&タフィ・ローズなどMLBでは大した成績を残していないながら日本でレジェンド級の成績を残した選手が多いので日米のレベル差は激しいと考える人も多いが、
逆にMLBで彼らを遥かに上回る成績を残して日本にやってきながら日本では彼らに全く及ばない成績に終わっているメジャーリーガーも上述の打者達のように多く存在するため、レベル差というより相性の問題もかなり大きい気がする。
日本でいえばMLBでも通用した田口壮や新庄は、アメリカでさっぱりだった中村紀洋や中島裕之以上の打者といえるのか…など。
歴代最強助っ人のバースは速球が苦手で変化球が得意だったらしく、そのおかげでMLBより速球投手の少ない日本で適応して史上最高の助っ人と呼ばれるような成績を残すことになった。
一方、当時そんなバースに速球で真っ向勝負を挑んだ津田や江川の勇気と度胸が賞賛されていたみたいだが、そういう事情を考えるとむしろ速球が持ち味の投手が速球が苦手な打者に速球で挑んだのだからただのセオリー通りなのでは…という気もする。
強打者に速球は怖いという先入観から変化球勝負で逃げたつもりが逆にバースにとっては都合が良かったというのが活躍の要因かもしれない。
もっとも、日本ではバースが苦にするほどの速球を投げる投手も限られているので速球勝負でも打たれていたのだろうが。
落合はその当時ですらMLBで4番を打っていたホーナーよりMLBで実績のないバースの方がNPBにおいては成績を残せる打者だと評していたらしいが、そのあたりの本質を突ける度胸と観察眼は凄いものがある。
MLB移籍前に日本で圧倒的な成績を残していたイチローだったが、当時は日本の専門家の話でもMLBでは打率3割を打つことすら難しいとの声が多かった。
そのMLB移籍前のイチローとの対談において、落合はメジャーに行ったらどの打順を打ちたいかという話題を振ったことがあった。
その際、イチローが「メジャーに自分より凄い奴がいたら7~9番を打つ」と謙遜することを言ったのに対して、
落合は「(イチローより凄い奴はメジャーにも)いない」と突っ込んでいたのだった。
日本人や韓国人選手も今よりももっと多くの選手を輸出すれば、日本や韓国では大したことなくてもMLB で成功する打者が現れるのではないか。
既に投手はそういう例が多数あるし、打者においても韓国のチェ・ヒソプはMLBでレギュラー半でいながら2年連続15本塁打と健闘する成績を残した上でKBO(韓国)のチームに入団したが、韓国では期待に近い成績を残したのは1~2年だけで他はパッとしない成績しか残せないまま引退してしまった。MLBと比べたNPBよりもさらにレベルが低いと目されるKBOですらMLBの実績の割にKBOでパッとしない例が散見することからも、少なくとも日米韓の数字の見かけ上のレベル差はここ数十年でかなり縮まっていると思われる。
もちろん、主に内野守備や球場など、総合的なプレーのスケールや文化のレベルにおいては向こう三十年以上埋まることがないと思えるほどの差があるが。
韓国人選手はNPBで通用しなくてもMLBで通用しそうなタイプの打者が多いように感じる。
イ・スンヨプやキム・テギュンはNPBよりMLBでの方が安定して成績を残せそうなタイプに感じていた。起用してもらえたらというのと、テギュンの場合は環境への適応も課題だが。
実際に今年は韓国人野手が何人もMLBに移籍して打率の面で物足りなさはあるが長打の面では驚くくらいのレベルで健闘している。パク・ビョンホは打率は2割前後ながら既に11本塁打、イ・デホは起用が少ないながら10本塁打で打率も3割近い。怪我から復帰したカン・ジョンホも打率2割後半で9本塁打。
あとはNPBでも活躍したとはいえ、信頼感抜群のクローザーだったとまでは言い難かったオ・スンファンがMLBで奪三振率が12以上で防御率も1点台で十分通用しているのを見ても、もはや日米のレベルの差は相性と調子が一番大きな要素になる程度なのではとすら感じる。
日本でも落合や清原など外角を得意にして速球を得意にしていた打者はMLBでやっても面白かったのではないかと思う。両者の日米野球での成績は散々だが、実は松井秀喜も日米野球ではあまり打っていないながら通用したので、さほど直接的には関係しないように思う。
また、両者は飛び抜けた才能と技術の塊だから対応力があったのではないかとも思われる。特に体格的にもMLBの強打者に引けを取らない清原は何かの拍子によっては、むしろNPBで才能だけで適当に続けてしまった後の現状より成績的にも素行的にも好転していた可能性すら考えられる。実際清原が若かった頃はMLBからも注目されていたらしい。
しかし関西出身野手のアメリカ挑戦惨敗率の高さを考えると、清原もメンタル的に微妙だったかもしれない。
つまるところ、全てのリーグで活躍した選手こそ最も優れている選手といえるのであって、MLBでナンバーワンになった選手がNPBでも必ずナンバーワンかというと怪しいのである。
もしかしたらマグワイアやソーサ、ボンズらはNPBでは松井や中村紀、カブレラやローズらより打てなかったかもしれないし、松井や中村、小笠原、松中らはKBOではイ・スンヨプやイ・デホよりも打てなかったかもしれない。
最近キューバのトップクラスの打者が何人かNPBに来たがさほど凄まじい活躍をしたといえるほどでもない。
グリエルは62試合で.305 11本、デスパイネも1年目は45試合で.311 12本だから凄さを見せたといえるが、2年目は103試合で.258 18本。十分通用はしているものの目を見張るような成績ではなく、単純にこのレベルの成績の選手がMLBに行くと簡単に主軸を打てそうという想像はつかない。セペダに関しては逆に何故あそこまで打てなかったのか意味が分からないが…。
じゃあキューバの打者が大したことないのかというと、彼らとキューバ時代は同等程度の成績だったセスペデスやアブレイユらが亡命して、MLBの主軸として活躍できている。
グリエルやデスパイネの成績から考えるとキューバと日本の投手の相性があまり良くないのではないかと考えられる。つまり、MLBで3割30本近い成績を残しているセスペデスやアブレイユでも、NPBではより成績を落とす可能性が低くないと思われるし、したがって、MLBの超一流なら高確率で、NPBで同程度から同等以上の活躍ができるとは決めつけられないのではないかと考えられる。
ピート・ローズだって試合数が少ないNPBで仮にやっていたらその期間はMLBと同等以上の安打数を稼げなかったことは間違いないし、それどころか、仮に1~2年間NPBにいたとして、通用しなかったりレギュラー争いで他の選手に敗れたりして100本も打てないまま日本を去っていたかもしれない。
推測や期待はロマンがあって面白いが、実際にやって証明した例に比べてしまうと、やってない以上はやってみなければ分からない要素がかなり大きい。
だからこそ、NPBとMLB両方のリーグで実際に何年もプレーした上で、両方で歴代最高峰の実績と印象的なプレーの記憶を残したイチローは現代野球では歴史上唯一といっていいくらいケチの付け所のない世界歴代最高の選手だといえる。
また、それこそがNPB単独通算でもMLB単独通算でもない日米通算最多安打というイチローが残した実績の唯一無二の偉大さを表しているのである。
九州だと福岡以外で積極的に外車を選ぶ人ってのはほっといても選ぶ人だ。それは無視していい。
なので今回の元増田の提示している問題は「外車に興味が無い地方人にどうやって外車の魅力を伝えるか」だろ?少なくとも自動車雑誌の書いてあるようなことではダメってことだ。新車はディーラーもサービスも貧弱だからまず無理だ。
あと、外車ならではの魅力といえば中古車の下落の凄さ一択。1万キロ未満で半値スタートさえありうる外車の程度良中古車の探り方を教えるべきだ。若干維持の面倒はあるが、それを補って余りあるコストパフォーマンスがあればひっくり返る可能性がある。3年2万キロのBMWディーゼルダーボで150万円とかあるし、そうなるとアテンザのディーゼルに350万円出そうとは思わんだろう。
都市部の外車ディーラーってのは、お得意様には車検ごとに乗り換えさせる。そのかわり凄い下取りを付ける。車検通すぐらいなら買い換えようかと思わせるぐらいのな(金持ち限定だけど)だから金持ちは安く外車に乗れるんだ。(相対的金額の話ね、絶体的金額は高いけどな、3年に一度国産コンパクトカーぐらいの値段で新型車になるなら買い換える金持ちはいるんだよ主にBMW)その下取り車は当然金持ちが乗っているからだいたいは程度がいいし、外車の中古車なんて物好き以外には売れないから、値段も安くなる。そうすると新車のバカバカしいプレミアムが禿げた素の値段になるので同等程度クラスの国産車より安くなる。安さはあらゆるポエムな価値観を凌駕する。そういうのを狙うんだ。
整備のパーツは主にネット、取り付けだけでもやってくれるような良い整備工場との付き合い(取り寄せ面倒だ、工賃だけくれたほうがありがたい、ぐらいのWIN-WIN関係)こうなると見つけるところから宝探し感覚になって楽しい。貧乏人の楽しみ方だけどな。
http://anond.hatelabo.jp/20160512181640
ずいぶん色々なMMOを試したようだね。とりあえず乙です(`・ω・´)
今のところ、このゲーム続けるか!っていうのにまだ出会っていない感じ。まず探してみてびっくりしたのが、今のMMOが大体どれも3Dになってること。すげーな。すげーんだけど俺にはちょっとしんどい。三人称視点のWASD移動なり仮想パッド移動なりがこんなにかったるいとは思わなかった。
自分と他人が1画面でテーンって並んでる感じのカメラ位置が落ち着くなーって思った時点で、思いのほか自分がクォータービュー向きの人間だったことに気付いたけど、そんなこといっても世の中の流れはそうじゃないみたいだからしょうがない。
色々触ってみて、自分がMMOに求めるのは適度なガヤガヤ感(あんまり過疎ってない)と、着せ替えたり装備を変えたりしたのが見た目に反映されて、ひとりで眺めて満足したり、入手した達成感を得られる程度のアバターの量。
できれば3Dでもめっちゃリアルなやつよりはちょっと等身が低めの方がいいのかもしれない。でも多分2Dの方が好きそうだ。後は本格MMOみたいなやつがどれも難しく感じたので、あんまり戦闘重視じゃない方がいいかなー?とか、ダンジョン生成して数人で潜るのがメインループになるゲームは、狩りを楽しめなくてあんまり向いてないっぽいなーといったところか。
クォータービューで2Dキャラを見下ろして、まったり出来て、それでて過疎っていないゲームは、ブコメでも指摘されている通りやはりRO(ラグナロクオンライン)だね。それにしてもROは古い。というか、あのROの世界が未だに続いている事は、凄い、を通り越して狂気すら感じるよ。サービス開始は2002年。もう誕生して15年に近い。
君のように色々やった人なら、ROは10年前にプレイ済みだろうね。実はラグナロクオンラインやメイプルストーリーなどの古参ゲームは未だにアップデートを続けている。世界は未だ拡張され、変わっていってる。3年離れたら別ゲームだと思って良い。カムバックキャンペーンもよくやっているし、昔作ったアカウントがあるなら、ログインしてみるといいよ。刑務所から出所した感覚になる。すげー世界、こんなに変わってたんだ!って感動するよ。いや、おれ、お勤めしたことないけど。想像ね、想像。
さて、上記条件とはちょっとズレるが、あなたには黒い砂漠がオススメだ。
すまん嘘ついた。
最近おれは誰にでも勧めてるんだ、黒い砂漠。要するに信者である!
あ、ちょ、ちょっと待って、すいません、ブラウザバックしないで、おねーさん。
黒い砂漠とは、2015年にはじまったMMO RPGだ。アクション性が高い戦闘や、マネーゲームを楽しめる。そして見える所はすべて探索できるオープンワールドである。
グラフィックが綺麗。なんてレベルじゃない。開発チームには天才がいるとしか思えないレベルの凄さで、一線を画している。インタビューで「MMOに最適な描画エンジンがないから、自作した」とか語ってる。実際、ギルド戦なんかで100人くらいグリグリ操作しても、ちゃんと表示されてる。すげーよ!こえーよ!作ったやつナニモンだよ!!最新グラボであるnVidia GTX 980を使って、ようやく最高グラフィックが見えるが、動きの速いキャラを使うと、それでもFPS30を切る。最近nVidia GTX 1080が発表されたが、ゲーム内ではいつ乗り換えようって話が毎日飛び交ってる。ゲームグラフィックの最先端がここにあり、それを体験したいユーザが集まっている。いちおう描画設定をLOWにすれば、2010年製PCでもギリギリ動くかな。とはいえ、一度プレイしたら、新しいPCが欲しくなる禁断症状が現れるだろう。
なんだこれは格ゲーか!? って次元でアクション性が高い。対人戦になるとコマンド入力の巧さで勝負が決まる。当たり判定もシビアで、コンボの奥も深い。アクションゲーム好きならば、文句なしにオススメできる。スキルの組み合わせだけで多彩な戦術がある。ギルド戦やPvPも定石パターンが存在せず、頭も指先も駆使して挑むバトルは能汁あふれまくりんぐ。
反面、初心者はポチポチとスキルぶっぱなして楽しむ事も出来る。Lv50まではシンプルなキー入力で楽しめるので、アクションが苦手なオジイチャンでもついていけるゲームデザインになっている。よくできているよ、ホント。
実は一切戦闘しなくても、どっぷり楽しめる。農場経営とか、釣りとか、探索とか、料理に一生を費やしても、ホイホイとレベルが上がっていくんだ。実際に非戦闘ギルドも存在し、彼らは毎日釣りやら捕鯨をしてる。漁船も捕鯨もあまりにリアルなので、グリーンピースに絡まれないか心配だよ。
ところで「黒い砂漠は経済ゲームの一面がある」と評されるくらい、札束で殴り合う世界も存在していて、これがまた魅力的なんだな。まずプレイヤーはモンスターを狩って、ドロップしたアイテムを街中で売るわけだが、じつは街ごとに25%くらいの税金が定められている。アイテムの売買に消費税が課せられるわけだね。で、その税金は、街を支配するギルドに渡る。ギルドは攻城戦を通して街を奪い合い、より多くの税収を稼ぐことを目論む。ギルド戦に必要な攻城兵器は高額で、その素材として初心者が採取するアイテムが含まれる。初心者が販売したアイテムを上級者が買い占めるので、お金が循環する。経済の輪廻を延々と繰り返し、多くの富を支配した者が真の強者となる。あまりに複雑でリアルな生態系なんだけど、RMT業者がいない(もしくは、目に付かない程度に少ない)のが素晴らしい。運営の監視が行き届いているのだろうね。
そんなこんなで、戦闘苦手でも交易や釣りを駆使して、マネーゲームに参加する楽しさがある。
いろいろな事ができる黒い砂漠だが、序盤はチュートリアルクエストをこなして、ゲームの全貌をつかんでいく事になる。膨大なシステムのせいもあって、正直とっつきにくさは否めない。しかし、最初の学習曲線を超えたら、あとは自由の時間といえるね。事実、Lv20あたりでクエストがパタリと止まるタイミングが発生する。そこでプレイヤーは「はてさて、なんかやる事なくなったけど、なにしようか」と考え、海を見るとたくさんの釣り人が、砂漠を見るとたくさんの狩人が、平野を見ると「ブフォォ、馬速スギィイイ、チビルゥウウウ」とか駆け抜ける、たくさんの変態がいる。
そんなこんなを目の当たりにして、プレイヤーは考える。「ぼくは、なにをやろう、この世界で。」
この感覚は多くのMMO RPGで共通のものだろうけれど、黒い砂漠では職業システム的な思想がゆるい。ほかのMMOでは明確な攻略法が存在し、実質的に一本道のゲームだった。って事があるのだけれど、この世界にそれはない。経済ゲームに参加しようが、戦闘に興じようが、どういう選択をしても後戻り可能で、正攻法というものが存在しない。これで成り立つゲームバランスは凄すぎる。
要するにプレイヤーは自分のやりたい事をやってれば、勝手にレベルは上がるし、そこそこ楽しめるという訳なんだ。
アップデート速度がすごい。私もいままで両手両足では収まらないくらいゲームをしてきたけれど、黒い砂漠のアップデート頻度は尋常ではない。どんだけ広がるの、この世界。Wikiの情報は光の速さで古くなり、いつのまにか間違いデータになってたりする。ユーザ数の問題かもしれないが、検証班の速度がおいついていない。広大な砂漠はどんどん広がっていくし、その情報は公式に流れないので、開拓するモチベーションに繋がる。いつのまにかNPCに会話が追加されてたり、新しいアイテムが追加されてて、それが恐ろしい量となっていて、ワクワクが持続する。
アイテム課金とは、光と闇の表裏一体。ゲームバランスを傾けたり、ユーザ同士のいざこざの要因になりうる最大要素だね。しかし、黒い砂漠では、最強の課金アイテムってのはないんだ。確かにアイテムボックス増加やアバター追加など、ゲームを有利で楽しく進める課金アイテム要素はあるが、バランスブレイカーとは程遠い。ゲームバランスに影響を与えるようなガチャシステムは一切存在せず、ゲーマーにとって嬉しい秩序が保たれているね。
とはいえ課金とは開発チームや運営会社の胸先三寸なので、いつ変化するか分からない。でも、私には黒の砂漠運営チームは、課金とゲームバランスについて、独特のスタンスを保っているように感じられるよ。
まるでSAOのような小世界がここにある。いや、それは誤りだった。小世界ではなく、黒い砂漠は、世界そのものとすら錯覚するよ。
……なんて超説絶賛しちゃった信者な私だけど、やっぱり長年ゲーマーやってるので、自分の飽きる感覚も想像がつく。でも、そこそこシビアに考えて、あと1年くらいはやってると思う。それくらいの魅力があるゲームが、黒い砂漠だ。
池上氏関連のホッテントリがここ数日あがってたので、自分の思うところを書いてみる。
自分は一応、新卒で池上氏と同じ業界に就職(といっても、自分は紙媒体)し、記者という肩書をもらっていた経験がある。
7年ほど現場にいて、体壊して、ちょっと内勤の管理部門にいさせてもらったのだが、なんか、内側から会社を見ているうちに
もともと、あんまり向いていなかったかな?と思っていた業界がさらに嫌になって転職して
10年ちょっとになる。
普通、あの業界では、最初の何年か地方で修行して、いずれ東京や大阪に戻ってくるパターンが多いが、
自分の就職先は、いわゆる経済紙で(ってもう社名明かしたようなもんだが)地方支局が貧弱な会社だった故、
新卒が地方支局に行くという制度がなく、入社から退社まで東京で過ごした。
池上氏の凄さは、なんといっても、情報を取捨選択してわかりやすく伝えるプレゼン能力と、守備範囲の広さだと思う。
で、あれだけのことを伝えられるには、背後に相当の知識があるのであろうと思われている。
その「相当」がどの程度なのか、というと、たぶん、世間一般の人が想像するよりは、かなり浅くて、
けっこうぎりぎりのラインでしゃべっているのではないか、という気がする。それでももちろん、かなりのレベルではあるだろうが。
いわゆる大手のメディア企業の記者にまず最初に求められるのは、
「昨日聞きかじったばかりのことを、あたかも以前から詳しく知っているかのようにしゃべったり書いたりする能力」である。
なにしろ、日々、いろんなことが起こるのだ。
なかなか深堀している暇などない。
そうこうして、キャリアを積んでいくうちに、それぞれの専門分野ができていくわけだが、
大半の人は、きちっと専門分野を確立する前に、デスクや管理職になったりして、だんだんと現場から離れていく。
記者職としてキャリアを全うする人(編集委員とか論説委員とか解説委員とか)は少数派だ。
池上氏の経歴を見ると、NHKで地方局や通信部を回った後、東京の社会部で気象庁や文部省、宮内庁などを担当した、とある。
東京では、悪名高き日本の「記者クラブ」に所属し、最優遇される立場で、役人から懇切丁寧なレクを受けて、
それをニュース原稿に仕上げるのが、まず最初の基本的な仕事だったと推測する。
NHKの記者は特に、「特ダネ」を取ってくることよりも、「報道されるべき情報を落とさない」ことをなにより求められるらしいので、
多分、想像以上に、定例記者会見に出席したり、資料をチェックしたり、他社の報道を確認したり、
思いのほかルーティーンワークが多いのではないかと推測される。
(なお、NHKスペシャルなどのドキュメンタリー番組は、主にディレクター職の人が担当しているので、
一つのテーマを深くじっくり追いかけるのは、あまり記者の仕事ではないらしい。
実は自分もNスぺ作りたくてディレクターを第一志望にしてNHK受けたのだが、見事に落ちた)
で、そんなに知識が深くなくても記者が務まるのかといえば、そこそこ務まる。
自分は、そのさして長くない記者のキャリアの大半を、メーカーを中心とした企業の取材で過ごしたのだが、
正直、最初は、「貸方」「借方」もよくわかってなかった。(大学は政治学選考だったし)
それでも、入門書片手に勉強しながら記事書いて何とかなっていたし、
そもそも「大手メディアの記者」が企業の広報部を訪ねると、結構いろいろ懇切丁寧に教えてくれるのである。
多分、NHKの記者というのも、それなりの対応を受けるはずである。
もちろん、伝えてほしいことは積極的かつ懇切丁寧に伝え、触れられたくないことは隠しながら、だが。
中には、「たいてい経験の浅い若手が担当する企業」というのがあって、そういう会社の古参の広報さんの中には
「今、編集委員の何々さんねえ、あの人が新人のころ、私がいろいろ教えてあげたものだよ、わっはっは」なんて言ってたりした。
もし、あなたの会社の広報部に、なんだか大学出たての記者ばっかりくるようだったら、
もちろん、教わってばっかりでは舐められるので、こっちも勉強していくわけだが、
相手はその会社一筋なわけで、知識の深さでは、敵わないのが通常だ。
知識を深めるのは、そこそこにしておいて、知らなくてもはったりかませる胆力をつけたほうが役に立つ。
そうこうしているうちに、正面から取材を申し込んだり、正規の記者会見に出席したり、
ニュースリリースを原稿に仕立て上げているばっかりでは通り一遍の記事しか書けず、
社内的にもマイナス点はつかないものの、プラス点がつけられることもないので、
独自に夜討ち朝駆け(アポなしで取材対象のところに押しかける)したり、独自ルート作ったりし始めるのである。
そんなことをしているうちに、自分のような、結局途中で業界を去ってしまうような木っ端記者でも、
ごくごくたまには、取材担当企業の株価をストップ安にしちゃうような記事を書くチャンスが巡ってくることもある。
まあでも、ぶっちゃけいえば、そこそこキャリアを積んでいる先輩の中でも
減価償却費が資金繰りにどういう影響を与えるのかよくわかっていないまま、
それでも企業の経営危機について記事を書いているような人はざらにいた。
(まあ、自分も経験積みながらようやくわかるようになったクチで、
当初はなんのことやらわからなかったのだから、偉そうなことは言えないが)
それでも、首にはなりはしない。
そういえば、思い出したことがある。
今の若い人にほ想像もつかないだろうが、その昔、世界のエレクトロニクス業界をリードし、
今でいえばappleと同じくらいのブランド力で各種製品を生み出していたSONYという会社があった(今もある)。
当時はまだまだ、かつての威光が残っていた。
自分は、そこのメイン担当になるほどの能力もキャリアもなかったが、
たまたま、SONYの会社が取り組んでいる内容が、自分の取材テーマに関わっていたことがあって
取材を申し込んだことがある。
いわゆるストレートニュースではなくて、連載コラムのような記事を書くためである。
で、SONYに行ってみて驚いた。
膨大でかつ、非常にわかりやすくまとまった資料をお持ち帰り用に用意していたのである。
なんかもう、取材しなくても、この資料テキトーにまとめたら記事書けちゃいそうな。
もちろん、そんな手抜き仕事をして相手の思うツボにはまってはいかんので、
きちんと担当者さんに話を聞いて、自分なりの記事を書いてみたのだが、
やっぱり資料に引きずられなかったかといえば、影響はあったわけで、
まあ、恐ろしい会社であった。
かつて「メイド・イン・ジャパン」の強さの象徴として流布されたSONY伝説は、
もちろん実力の部分もあったけれど、伝説を伝説たらしめようという広報戦略によって
かさを増されていた側面も多かったというのは、そこそこ業界で有名な話である。
なんだか、大分、話がそれた。
多分、池上氏は、NHKでそこそこの社会部記者だったのだろうと思われる。
そんな彼の経歴の中で異彩を放っているのは、そろそろ管理職か専門記者か、という分岐点にさしかかったあたりで
キャスターに転身し、その後10年以上にわたって「週刊こどもニュース」を担当していたことだろう。
(すごい優秀な記者と認められていたら、ここいらで、海外支局あたりで経験つんでいるはずである)
「衆議院と参議院って、どう違うのですか?」とか「比例代表制ってなんですか?」とか、
「どうして輸出が中心の企業は、円高ドル安になると困るんですか?」とか
あらためて、そういうレベルからニュースを解説する仕事を10年以上も続けたジャーナリストは、
少なくとも今の日本では皆無に等しいんではなかろうか?
普通、そこそこキャリアを積んだ記者は、あらためてそんな仕事をしたがらないし、
そもそも、そんなレベルことは、真っ当な社会人ならば学校で習っているはず、というのが日本社会の建前で、
読者や視聴者を、そんなこともわからないヤツらと想定して記事や番組を作っていたら、
ある意味、「お客様をバカにしている」ことにもなりかねない(と、みんな考えていたのだろうと思う)。
まあ実際、そのレベルで作ってみたら、予想以上に受けたわけだが。
「こども向け」の番組というフォーマットを得ることで、池上氏はそういう稀有な仕事を追及していった。
その結果、得たのが、あのたぐいまれなるプレゼン能力だと思うのだ。
多分、池上氏程度の知識や取材能力をもった記者は、NHKや全国紙にはゴロゴロしていると思う。
(自分のかつての勤め先でも、そこそこキャリアがあって、東京でそれなりに仕事している先輩は、皆さんそれなりに凄かった)
でも、その知識や取材結果を子供にわかるレベルでよどみなくしゃべれる人は、そうはいない。
池上氏のニュース解説番組をたまに拝見すると、自然災害のメカニズムから、最新の科学上の発見、日本の選挙から世界経済まで
だが、自分が見る限り、その解説は一般紙や新書本で得られる知見を超えるものはほとんど見ない。
「いや、それは、視聴者に分かりやすいレベルにしているからで、その背後には物凄い知識が・・・」という見方もあるが、
果たしてどうだろうか?
多分、毎日6紙読むという新聞をベースに、ひたすら横に広くいろいろな情報を取り入れておられるように見える。
海外取材などの映像を見ることもあるが、どうも、テレビ局とコーディネータによるセッティングが透けて見えてしょうがない。
多分、その経歴からいっても、海外取材に独自のルートなどはそんなにお持ちではなさそうだ。
やはり、「あまり深くないレベルで次々とあらゆる分野に取り組んでいく」ことがこの人の真骨頂だと思う。
それが悪い、ということではなくて、それがこなせる凄さがある、ということである。
著書を読んでも(といっても、ほんの数冊目を通しただけだが)、たとえば同じNHK出身の元ワシントン支局長の手島龍一氏とか、
あるいは日経の元スター記者で週刊ニュース新書の田勢康弘氏の著書のような、深い取材と鋭い洞察に支えられた
凄みのようなものは感じられない。
やはり、この人の存在価値は「広く入門レベルの知識を提供する」以上でも以下でもないのだろうと思う。
(なお、今、軽く検索してみたらどうやらニュース英語の本まで出されているようだが、
膨大な著書のどこまでご自分で書かれているのだろうか?という疑問は置いておく。
出版業界では、驚くほど「著者が適当にしゃべったことを編集者やライターがまとめた本」というのが、世間で思われている以上に多い。
あと、池上氏が英語を話しているところって、あんまり見たことないような。
NHKの採用試験を突破するくらいだから、読むことに関しては、そこそこのレベルと推察できるが)
さらに、分かりやすさの理由の一つとして、「子供のような素朴な疑問にも正面から取り組む」というのがあるように思う。
巷間よくいわれる、選挙特番の「池上無双」の象徴ともいわれる「創価学会の話題」についても、
タブーへの果敢な挑戦というより、素朴な疑問を追求していった結果なのかもしれない。
「どうして自民党は公明党と組んでいるんですか?」という質問は、大人はあんまりしない。
それは何となくタブーであると感じているせいでもあるが、一方で「そりゃ、理由はみんな知っている」からである。
ましてや、「政治記者歴何十年」を売りにするような政治ジャーナリスト諸氏は、
そんなことよりも、自分の掴んできた独自情報を話したくて仕方なかろう。
「それは、公明党には創価学会という支持母体があって、固定票が見込めるからですよ」と優しく語りかけるのだ。
で、「では、公明党と創価学会の本部がある信濃町に行ってみましょう!」と、女子アナを連れてツアーを組んだりする。
実際、やってみれば、放送しちゃいけないタブーというほどのこともない。
そりゃそうだ。
ある程度、日本の政治に関心を持っている人ならば、普通に知っていることなのだから。
公明党の側だって、連立与党として大臣まで出す立場になった以上、その程度の取材を拒否するはずもなく、
「創価学会の人たちが、選挙は功徳だなんていう仏教用語を使っていたりしますが、政教分離の観点からみて
「創価学会は、大切な支持団体ではありますが、創価学会と公明党は全く別個の組織です。
政教分離というのは、政府が宗教活動を行ったり、宗教活動に介入したり、宗教団体が政治に介入することを禁じておりますが
宗教団体が政党を支持することを禁じるものではなく、現在の公明党と創価学会の関係は問題と思っておりませんが云々」
「そうはおっしゃいますけれども、ここに創価学会の名誉会長が、公明党に指示した文書がありましてね・・・」
などと、爆弾情報でもぶっこんで来たら、それは多少「タブーに斬り込んだ」ことになるだろうが、
そこまでのことはしない。
多分、そこまでの取材もしていないと思う。そもそもが、そういう役割の人ではなくて、そこは、
「はい、そうですか、よくわかりました」と視線を投げかけるという、
「子供にも分かるように語ること」「子供の持つような素朴な疑問をゆるがせにしないこと」
を常に追求し実践してきた所にあるように思われる。
これは、なかなかに難しい。
多分、そこには、「相手(子供)が、何がわかって何がわからないのか」を推察する想像力や共感力と
「限られた言葉で複雑なことを説明する」ことを可能にする、優れた言語能力が必要なのではないかと思っている。
ただし、限られた言葉で語りえることは、やはり、ある程度、限られているわけで、
http://anond.hatelabo.jp/20160413013038
言及いただいたkato19です。大変遅くなりましたが地震の影響はありませんでしたでしょうか?
※意味不明な一般の方へ:一連の流れは下記のブログに記載されています。
じっくり読ませてもらいました。批判文っていうのは読むのにもなかなかエネルギーを消費してしまいますね。増田の文章は論点も多いのでなかなか大変です。自分の知らない分野についても検索しながらできるだけ理解できるように努めました。とはいえアニメ化以前をリアルタイムで追っていない以上は本当の意味での理解は難しいなと思いました。増田が本当に細かい所まで気にしている所に驚かされますが、これがまさに増田の拠り所であるんだなと感じましたね。
今回増田の疑問に逐一回答する事はあまりに労力が大きのでご容赦ください。総論的な内容になります。それに以前も書いたように、そもそも回答した所で増田が納得するとは到底思えないのです。増田も同じような事を書いていますが、結局それぞれが重要だと思う所を重要だと思えないのです。
それを踏まえた上で今回のやり取りの感想を書かせてもらいます。
私が、批判派に対して当初思っていたのは、あの作品を観て面白くなかったんだろうか?それとも面白かったんだけど細かい所が気になってしまってダメだったのか?もう全てがダメで良い所はほとんどないのか?という所でした。
増田の文章を通読してみて感じたのは、やっぱり原作・原案問題がなければこんなにこじれる事はなったんだろうなぁという事。増田ですら『カップヌードル』程度には面白いと思ったわけで。『見たい作品が見られなかった』という点については批判派の方からもツイッタなどで一定の賛意をいただけた所です。
さらについでに言うと、僕はこの映画を観たとき、涙もろいタイプなのもあってちょっと泣いたんだよね。その意味では、その程度には感動した。でも、あの劇場版が駄作だという評価、特に脚本が極めて稚拙だという評価はまったく変わらないし、それは普通に両立することだと思っている。— おりあそ (@oriaso) 2016年4月11日
批判派のおりあそ氏が劇場版で泣いたってのも自分にとっては結構衝撃的な事実で驚いたんだけど『μ'sが解散するんだから涙くらい出るよ』という事なんでしょうね。もちろん自分にも当然そういう所はあるのだけど、今回はそれだけではない感動があったんですよね。
自分は『ガルパン』劇場版でも大変感動して涙が止まらなかったんだけど、あれは決して大洗女子学園が存続してよかった!という事で感動したのではないのです。あの映像と演出自体に感動させられたのです。心底すごいと思いましたしその凄さに当てられて感動しました。話の筋で感動したのではなかったのです。
参考 http://kato19.blogspot.jp/2015/11/girls-and-panzer-movie.html
劇場版ラブライブ!の感動はそれによく似ていると思いました。技術レベルと前衛的な演出、それと当然ストーリー上の感動が合わさって強い感動を得られたんだと思います。自分は少数派になる事が多いので自分の意見が絶賛派の主流ではないでしょうけど。
増田はおそらく劇場版ラブライブ!はガルパンより論理的妥当性がないからダメと言うでしょうが、自分にとっては十分に許容範囲であったという事です。しかしこの点については程度問題としか言いようがありません。
『もっとも、絶賛派の多くは作品において即時的で表面的である所の彼らがいうところのアニメならではの表現内容への思い入れを拠り所にしていて、前後や総合的なつながりや辻褄の考察を要する物語性やキャラクター性については考えたくないようなので難しいかもしれませんが…。』- 絶賛派の負のエネルギーを和らげたい より引用
『考えたくない』のではなく『気にならない』というべきですが、上記のように互いの主張は『糠に釘』状態なわけです。お互いを説得する事は出来ないよね。実際、増田はなぜ絶賛派が絶賛するのか?その理由を理解できていない。その結果『ラブライバーの自己愛』などという荒唐無稽な理由で論じている。自分は前回から増田はもっと前向きな方向にエネルギーを使うべきだと主張してるのだけど、それはこの問題については相手の考えを変える事は無理だからです。もしも増田が絶賛派に対して『本作が駄作だと改心』しなければ納得しない・・・とすれば残念な事です。
増田は初期作品の良さも述べているというが、アニメ版への恨みつらみが主となってしまっているのは間違いないですよね。増田が単に虚空に向かって文句を叫びたいだけなら仕方ないですが、初期作品の良さを知ってほしいのならその方法があるはず。増田で絶賛派を無能呼ばわりしていてもしょうがないわけです。
増田の意見を読んで公野櫻子さん関係を少し勉強しました(増田から見ればまだまだでしょうけど)その中で上記ブログの公野櫻子論で印象的だったのは、公野さんの特徴として読者参加型作品を得意とする事でした。ラブライブ!の初期作品も読者参加型であった事を考えると増田もその影響を強く受けているのかなと。やはり自分達で作り上げた作品という感覚が他の作品よりもずっと強く、それがアニメ版に対する『歪められた』という感覚につながっていると推察しました。そこが単なる原作改変問題とは違う根深さなのかな。
自分は『参加型』とは真逆の鑑賞者。京極・花田氏の作家性が強く出ていても何の問題もありません。ガルパンのように映像作品としての演出・技術に感動し『物語』は当然必要だけれどもそれは作品の一部を構成しているにすぎない。それがつまり『構成・演出・楽曲すべてが一体となって表現』の意味なのです。増田にとっては物語(や、それを含むキャラの設定)が重要なテーマであってそれ以外は物語をよく見せるための添え物であるべきなんだろうと思う。そしてラブライブ!においては公野さん以外の作家性が見える事は不快感につながっているんでしょう。
ちなみに私だって物語重視の作品は大好きですよ。『ここさけ』なんて感動しすぎて3本も感想書きましたし・・・。
参考 http://kato19.blogspot.jp/2015/10/kokosake.html
ラブライブ!については原案の先入観なくアニメに入っているだけの違いです。増田は先入観でまずハードルがあり、さらに細かな物語重視の点でさらにハードルがあった。その二つに加えて大事にしていた公野作品が汚されたという感情的な問題が不快感を増幅させているのだと思います。
本当の数はわかりませんが、初期作品からのファンの全てがアニメ版を否定しているわけではないですよね?おそらく増田が一番怒りを感じているのは、初期作品からのファンのくせにアニメ版・劇場版を礼賛している人間でないでしょうか。アニメ版以降の人間はただの無知蒙昧だから啓蒙する必要があるが、初期作品からの人間はなぜ礼賛するのか理解できない。だからラブライバーとしてのアイデンティティを維持するためだけに礼賛している害悪だ。完膚なきまでに叩く必要がある・・・と。
増田氏は絶賛派を宗教的などと揶揄するけれどそれはお互い様でないですか?というより、この議論そものもが神学論争である事を自覚していないのだろうか。私は自覚しています。この問題は宗教論争やイデオロギー論争と全く同じです。
(初期作品群を)肯定をしている様子も殆ど見受けられません。ただ踏み台として蹴落とされるべき歴史としての存在を認めているだけに過ぎないでしょう。先述のメディアミックス理論の持ち出し方にもそれが現れているように思います。 - 絶賛派の負のエネルギーを和らげたい より引用 カッコ内筆者付加
原案作品群を否定していないだけでは飽き足らず積極的に肯定しなければ満足しない・・・踏み絵でしょうか?折伏でしょうか?『目を覚ま』さねまばらないなど過激な宗教団体と同じではないでしょうか。少なくとも私は初期作品群を『踏み台として蹴落とされるべき歴史』とは思っていません。そもそもよく知らないだけですから。
まあ、そういう人もいるでしょう、誰もが議論に慣れているわけではないでしょうから。もちろん私は『批判する奴が悪』なんて思っていません。しかし好きな作品をけなされる不快感は原案派の人だって同じでしょう。貶して凹ませるのが目的なんでしょうか?そうであるなら品がない行為だなぁと思いますが、実際には増田にとって大切な『初期作品群』を不当に扱われている事を質したいという趣旨ではないですか?
それなら絶賛派に対して『自分の感動はまちがっていました。この作品はご指摘の通り駄作です』と言わせる事で目的は達せれれるのでしょうか?私には単なる当てつけのようにしか感じません。
増田とは確かに感じ方もキャリアも違いますが、同じラブライブ!というコンテンツを楽しんでいた者としては、互いを排除しあうのではなく包摂されるべきだと思う。
増田氏がアニメコンテンツの流れに大変造詣が深いだろう事は一連の文章を読む事で推察されます。であるからこそ、ラブライブ!が『もはや好きとは言い難い作品』などと離れるのではなく、その想い・知識を残すべきだと思うんですよね。
それは、ネガティブな文章を増田で埋もれさせるのではなく体系的に整理された作品案内を提示するべきでなないですか。増田の思う本当のラブライブ!の楽しみ方を、初期作品の良さを記録に残す方がずっと目的にかなうと思います。確かに旬は過ぎてますが、ワンテーマのブログだとしても増田で埋もれるよりはずっと有益だと思う。注目されやすいアニメ版にくらべて原案作品群は実際のところ目立たないし、新たなファンには見る事すら困難になっているわけです。サンシャインが出た今はなおさらμ'sの初期情報は検索しにくい状況です。だから意味はあると思う。
個人的には、この一連の投稿はすごいと思うし、内容についての賛否は別にしても、ただ増田で埋もれるのは残念だと思う。でも別の形で発表するにしても、ぜひ否定だけではない前向きな批判。つまり好きな作品を広めるために使ってほしいと思うんですよね。
増田は原案作品が軽く扱われている事に不満を持っていますが、増田にとっては自明の事でもアニメ以降のファンにとってはその周辺知識は非常にわかりにくいのは事実です。サンシャインが始まるとはいえ、これから再放送や配信でオリジナルを見るファンも多いでしょう。実際私もちょっと調べただけでは意外と整理されていない事に気付きました。作品紹介、見る順番、その魅力など、いまからでも整理して発信する事は無駄ではないはずです。はっきり言って知識の乏しい自分には無理です。
それなら読んでみたいと思うし、こんなマイナスのエネルギーで文才を消耗する事はないと思う。もしそんなページを作ってくれたら是非私のブログにリンクしてお知らせください。こちらからも紹介させてもらいますから。
こんな事書くとまたね『上から目線』みたいな批判がツイッターでされそうですけどね。ツイッターで深い議論のやり取りはむずかしいですが、このように長文を書ける人の意見は真意が分かりやすくエネルギーを使う意味があると思います。自分も今回の事で劇場版の良さを変更する気は全くないのですが、初期作品群の事を詳しく知るきっかけになりましたし、批判派の真意というのも(ある程度ですが)理解できてよかったと思っています。
いいじゃん平和で!と思ったけど、まさに批判派にとっては戦争状態なのだな・・・その心中がわかりますね。平和に絶賛を謳歌している絶賛派への怒りを感じます。
海未はアニメ以降特に不遇だと囁かれるキャラの一人であったため制作陣の悪意や、または慢性的な配慮の怠りの結果だと感じる人も多かったようです。
そうなんだ・・・でも海未ちゃん不遇かなぁ・・・アニメ版でもすごく人気あるじゃないですか、自分もかなり好きですよ。でも一番好きなのは花陽ちゃんですね。批判派の人はアニメ版の花陽ちゃんを『ただの米好き女』に貶められた怒っているみたいですけどね。あのキャラ設定良くないですか?アニメ版の花陽ちゃんすごく良いと思うんだけどなぁ。
※以前指摘されたメディアミックス論の『出自』部分については訂正しました。
『ラブライブ!』は私達に何をもたらしたのか? http://kato19.blogspot.jp/2016/01/lovelive.html
追記:最後になって申し訳ないんですが、『絶賛派の負のエネルギーを和らげたい①』http://anond.hatelabo.jp/20160413011057 を見逃してたみたいです!ごめんなさい。読んで改めて追記で補足しますね。(2016/5/1)
近年、なでしこジャパンや
全世界に多大な感動を与えてきましたが、
名を刻もうとしております。
彼の名は、、、
「岡崎 慎司」
優勝など夢のまた夢と言われた弱小チーム、
「レスター・シティ」
に所属し、並み居る強豪チームを抑え、
とうとう優勝を目の前にしております。
これがどれだけ凄い事かと申しますと、
現地イングランドでは様々な賭け事と比べられ
「エルヴィス・プレスリーが生きていた」
とまぁ冗談はさておきと言いたい所ですが、
それぐらい凄い事が、今や現実になろうと
そんな“ありえない話”が今まさに、
起きようとしているというのに、
来ないのではないのでしょうか。
それもまぁ仕方がない事なのでしょう。
スポーツ・競技を取っても
比べようがないのでございます。
島国にはなかなか伝わりにくいのでしょう。
この話の痛快さは、その感覚を肌で感じて、
その凄さが腑に落ちてくる所にあるわけで、
するのが難しい話でもございます。
しかし、しいて上げるとすれば、
団体競技と個人競技の差はあれど、
大相撲を例に話を聞いて頂くと、
とまぁ、前置きが長くなりましたが、
少々お付き合いを。。。
------------------------------------------
「まったくこの忙しい時にあいつは
なにやってやがんだい。
もう昼にもなろうってのに、あの野郎は。
まったく。。。
やっと来やがった。
何してたんだい!
それに狐の紋なんて入れちまって。
それになんだい、月も沈んでるってのに、
目の下にクマなんてつくっちまって、
その眠そうな顔は!」
「いゃいゃ大将、“ツキ”が沈んだどころか、
“ツキ”が回ってきたんですよ!」
「何言ってんだい!
それになんだい、
そのいでたち、そのトゲトゲしい履物は?」
「これはスパイクってもんでして」
「あぁもういい! スパに行こうが、
八百屋に行こうが構いやしねぇ!
えぇ!しかしなんだい、
こんな遅くに来やがって。え?」
凄い事が起きたんですよ!」
「近い近いよ!なんだい!なんなんだい!
そんなに興奮して!え?
狐を馬に乗せたような」
「え?何処ですか?
馬の上に狐が乗ってるなんて
サーカスみたいですね!」
「馬鹿野郎。“狐を馬に乗せたような”
ってことわざがあるんだよ。
ほんとにお前は。。。
で、何があったんだい?」
「そうなんですよ!大将! とうとう
“れすたあ関”が今場所で
優勝しそうなんですよ!
あれよあれよと、
「そりゃあ凄いじゃねえか!
俺も相撲には興味ねえが、
その“れすたあ関”っつう横綱は!」
「大将はわかっちゃいないなぁ〜」
「なんだい、虎の威を借る狐みてえに!
何が違うってんだい!」
「大将!虎の胃を刈るなんておぞましい、、、」
「お前のその、人の話で威張った態度を
表したことわざだよ、、、
で何が違うってんだい?」
「大将この“れすたあ関”ってのが、
実は横綱じゃないんですよ!」
「そしたら、大関か?」
「いゃいゃ」
「それが、前頭!
それも、この“れすたあ関”は、
それはそれは長い下積み時代を
足袋すら履く事を許されない年が何年も続き、
履けるようになり、、、」
「それで、そのトゲトゲしい履物を
履くようになるのか?」
「・・・」
「話の続きなんですが、前頭に上がっても、
なかなか日の目を見ない日々が続いた、
苦労人なんですよ。
それが今場所は違いましたよ!
半分を折り返した時点でも、
なるだろうと、、、
待遇差があった“れすたあ関”が、
幕下になってまだ間もない
“れすたあ関”が!」
「次の大一番で優勝が決まるかも
しれないんですよ!」
「おう!それは目出度い!
それで!それで!、
それで次の相手は誰なんだい!」
「雷電関なんですよ!」
「雷電関って、、、
雷電関、、、」
「大将!やだなぁ、まだまだ早いですよ!
優勝を決めた後にして下さいよ!
そんな“きつねにつままれる”顔するのは。」
-----------------------------------------
いくつかあるそうです。確率で比べると、
がしっくりくるのではないでしょうか。
結果を残してきたと理解していただければと
思います。
この文書が1人でも多くの
サッカーに詳しくない
老若男女の方々の元に届き、
今世紀最大と言っても過言ではない
共有するキッカケになれば幸いと存じます。
せっかくの夢物語。
青い狐軍団に化かされるのも悪くないのでは?
いいのではないでしょうか?
あなただけのウリはと訊かれ)
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1128106.html
199. Posted by あ 2008年05月15日 15:36
普通いじめにあっていじめていたヤツが死んだらざまぁwwwって思うだろ
そうじゃなかったら根性腐ってるわ
394. Posted by とうりすがり 2008年05月15日 16:22
チベットの虐殺された人々の怨念がこの地震となって中国を襲ったに違いない
ざまーみろ
875. Posted by 2008年05月15日 18:00
876. Posted by 2008年05月15日 18:00
1055. Posted by 2008年05月15日 18:45
1405. Posted by 2008年05月15日 20:43
あれだけの大虐殺を犯したんだ、天罰が下るのは仕方なかったのかもしれない。
チベットの民を助けない限り、神は中国へ罰を与え続けるだろう。
このごろ、詐欺まがいの情報商材を売るサイトを見ることが趣味になっている。そのサイトに書かれている言葉の一部をここに書きとめる。なお、一部ぼかしあり。
⚪︎魔法のような
⚪︎たった〇日で
⚪︎ほんの〇日で
⚪︎もしあなたが本当に〇〇したいのであれば、是非〜
⚪︎この商品は、世の中に出回っている一般的なものではありません
⚪︎今までたくさんのお金を無駄にしてきた方、この商品は期待を裏切りません
⚪︎まったく新しい方法なので
⚪︎私は少しでも多くの方を救いたいので
⚪︎私は、この強い思いを止められないので
⚪︎〇〇万円はしそうだと思いませんか?
⚪︎なんと期間限定で80パーセント引きにさせていただきます。
⚪︎今ご購入いただいた方にはスペシャルな特典を!
⚪︎このチャンスをお見逃しなく。
⚪︎詐欺っていうウワサだけど、どうなのかなぁ?
⚪︎なんか良さそうだよね!
⚪︎試してみようかなっ。
以上。
PRサイトは説明するまでもなく怪しい。しかしサクラブログも負けていない。斜め上をいく怪しさ。
>詐欺っていうウワサだけど、どうなのかなぁ?
>怪しいなぁ
と、自首していくスタイルをとっている。これは斬新。商品より斬新。これは、ほとんどの消費者が抱く不安 を代弁することでサクラブログだということを気づかれないようにすることが目的。
そして、
>なんか良さそうだよね!
どこからこの考えに至ったのか謎である。計算問題の途中式を書かず答えだけ書いているかのような、唐突さ。
>試してみようかなっ
楽しげに終わっている。
このサクラブログには「ネットでのクチコミはこちら!」というリンクも貼ってあるが、そのリンクを踏むとPRサイトに飛ばされるだけであった。
なお上記のサクラブログはネット上に何十とある。ほぼ同じ文章だ。これでどうして人を騙せると思うのかよく分からない。私は「いや、ここはこうしたら良いんじゃない?」とアドバイスしたくなるほどだった。
これらは普通に考えれば胡散臭い言葉だ。しかしそれを魅力的に思い、騙されてしまう人もいる。魅力とは何なのか。人の心を掴むとは一体何なのか。いま一度考えたくなる。
俺は医療関係の会社に勤めているが、会社の同期に仕事しながら社会人博士取るために大学行ってる奴がいた。
とても人当たりがいい奴で、頭の回転も速くきっちりこなしてくるタイプで、仕事で一緒になることがあっても頼りになるなと感じていた。
そいつの働いている部署はいつも忙しいところで、8時半始業で早く上がれても19時くらい。22,23時上がりなんてのもザラだった。
その日はたまたま俺が遅くなり、仕事帰りにばったりそいつと会ったので、夕飯を食おうかという話になり駅前の定食屋に入った。注文を済ませ、互いの仕事の状況などを共有しては互いの働きを労っていたときに、なにげなく俺は大学の話を思い出したので、
「平日も遅くまでやって、土日は大学なんて大変だな。」
と労いの言葉をかけた。
すると、奴はなんてこともないかのように言った。
意味がわからず、一瞬冗談かと思ったがそうでもない。詳しく聞くと、なんでも今月中に提出の必要な論文があり、これから大学へ行ってデータ取りやらするらしい。シャワーも仮眠室もあるので、大学で寝泊まりしてそこから出勤するらしい。なんでも、平日はほとんどそんな生活らしく、家に帰るのは週に2,3日なのだそうだ。想像を超えるライフスタイルに衝撃を受けた。そんな生活して疲れないかと聞いたが、慣れてくると大丈夫なのだそうだ。
しかし、ふと疑問がよぎった。
こいつの通っている大学は知っていたが、会社から大学キャンパスまではざっと2時間弱かかりそうなのだ。ということはこれから飯を食って向かうと1時過ぎ。こいつはいつも8時には出勤しているのを考えると、大学を6時頃には出る必要がある。ということは、大学にいられるのは5時間。ほとんど寝るだけじゃないのか?いや5時間でも足りないだろ。
俺は恐る恐る尋ねた。
「今から大学行って、データ取るって・・・全然寝られないじゃないの?」
あー出たよ!
こいつらとの出会いは初めてじゃない、これで3人目だ。
こいつらのチートさ加減には頭が下がる。
俺が7時間寝ても寝足りないのに、こいつらはその半分で事足りる。
その能力があったらどれだけ1日を楽しめることか。
だが、ショートスリーパーの本当の凄さは睡眠時間が短いこと自体じゃない。
どいつもこいつも同時にとてつもないモチベーションモンスターなのだ。。
ショートスリーパーとモチベーションは確実に相関関係があると思う。
普通の人間には困難なことをあいつらはそのモチベーションの継続性で乗り越えてしまう。
ちなみにその後奴は去年社長賞のような賞をとり部署の将来を期待されていたが、
ドクター取得の目処が立つと、
「将来は大学の研究所で働きたいが、その前に医療系のコンサルで経験を積みたい。」
なんなんだあいつら。
同じ土俵じゃ戦えねぇよ。
基本スペック違いすぎんだろ、ふざけんな。