容姿コンプを拗らせるのをいい加減にやめたいが目の前の現実が辛すぎるので半分愚痴のような投稿
皆口を揃えて言う。容姿だけが全てじゃない。性格だって大事だ。もちろん家事をやる能力や部屋を綺麗に保つ掃除技術…etaなどの人間としての生活を営むちからも大切だ。興味があるならスポーツや芸術、仕事に関する才能を伸ばせば良い。
でも所詮、伸ばしたとしても容姿が良くて他の才能もある人には人生に勝てっこないんじゃないかと思ってしまう。
自分と他人の人生を比べるなと言われてしまえばそれでお終いだが、優れた容姿を持った人生を歩んでいる人が羨ましくて仕方がない。
優れた容姿というのは生まれつき備わっていて大変な苦労やトレーニングが必要のなしに容姿が最も重視されるといっても過言ではない若齢期を歩むことができる。人によっては歳を召しても美しい容姿を保っている人もいるだろう。
容姿が優れているだけで人から優しくしてもらい、目をかけてもらい、困った素振りを見せればすぐに助けてもらえる容姿の優れた人が私は本当に羨ましい。ブスはいるだけで存在を迷惑がられることだって多数だ。
仮にブスが容姿以外の才能を伸ばしたとしても、人は容姿以外の才能に必ず目を向けるわけではない。興味がない人にとっては「ふーん。」と思う程度で終わってしまうことなんてざらにある。それに比べて優れた容姿はどうだ?いついかなる時も人の目にとまる。名前を知らない向かいの座席に座っている電車の乗客の素性はわからなくても容姿だけは目に入れた途端にわかる。 そう、誰にでもわかるのだ。美しいか美しくないか。赤ちゃんですらもわかってしまうという話を聞いて悲しくなった。 少し本題とずれたが、要するに優れた容姿というのは誰にでもはっきりとわかる才能であるということだ。逆に言えばそれ以外のことは実際にその人と関わってみないとわからない。電車の左隣に座っている人が演奏技術が優れてるかなんて実際に聞いてみなければわからないでしょ?
ブスが別の才能を伸ばして、容姿の優れた人が何もしなかったら顔だけが取り柄のつまらい人間じゃないか!と思う人もいるだろう。
確かに、何もせずにいたら確かに顔だけが取り柄の人間だ。それはブスから見た視点である。現実には何もしていなくても容姿が優れてるという才能があるのだ。 この差をわかってほしい。 ブスは才能を伸ばすのに努力がいるのに対し優れた容姿の持ち主は何もせずとも持っているのだ。
そしてブスが才能を伸ばし、容姿の優れた人も別の才能を伸ばしたとしよう。するとどうか? 秀才美女、イケメンスポーツ選手!などと世間はもてはやす。本当にバカバカしく思えるが美女、美男が別の才能を持ったら世間の注目の的である。容姿も良いのに別の才能もあるなんて…!すごい!とテレビを見ながら何回も思った。
そう別の才能に容姿という誰にでもはっきりとわかる才能がプラスされることで絶大な力を発揮するのだ。ただでさえ目に止まる容姿の優れた人間に別の才能があると知れたらたちまちその話は口伝いに広がる。あのかっこいい人って楽器も弾けるんだって!すごいよね!あのかわいい子は料理も上手らしいよ!ブスがいくつ才能を掛け持とうが興味がない人にはこのブスの凄さがわからない。わかったとても「ふーん。」だけで終わってしまうかもしれない。
このようなブスの扱いの酷さは日本の文化に起因しているかもしれないが詳しくはわからないので触れないでおく。