はてなキーワード: 凄さとは
いや、俺が中学生の時なんか、デジモンペンデュラムXっていう薄型のデジモンがあって、それを授業中に筆箱に中にいれて触ったり、
教科書を立てて漫画を仕込んで読んだり、ノートに絵を書いたり、机に穴を開けたり、修正液を詰めたり…そういう暇つぶししかしてなかった。
いや、高校で、ついに「ケータイ」を手に入れたけど、授業中にメール送るなんてしたことない。やることと言えば、マナーモードでニコニコ動画のコメント含めてキャプチャーした動画をケータイで見れるようにして何個にも分割して見たり、mixiの友達の日記を読むぐらいだ。
月がきれいはLINEが物語の核になっているといっても過言ではないんだけど、スマホの凄さ、LINEの凄さっていうのを再認識した。
ケータイで授業中にメールが不可能な理由の一つにタイプスピードがどう考えても遅いのがある。しかも機種によっては普通にポチポチ音がする。大学で塾講師のアルバイトしてわかったことだけど、「なにかしてるな」ってやつはある程度わかるから、バレてることは前提なんだけど、自分から「俺はサボってます」と告白するようなもんだ。正直、短時間というか、20秒程度だと普通にスルーするというか、「まぁいろんなことに多感な時期だからな」と見逃すわけ。
スマホのすごいところは、まず、音がでない。タイプスピードが速い。そしてLINE。LINEがすげーのは途中で送信してもなーんにもおかしくないし、スタンプ機能がある。
例えば、友人から「今日これおわったらゲーセンいくべ?」と来たとする。「いくぞ。ほか誰か誘う?」というのは、ケータイだと、そのまま「いくぞ。ほか誰か誘う?」とうつ必要がある。大体、文面読んで返信終わるまでに15秒ぐらいか。
でも、LINEだと、まず、メッセージきたら、ロック画面をチラっと見るだけで内容が把握できる。そして「いくぞ」で一旦、行くことの表明ができる。そのあと、「ほか誰か誘う?」という。これはすごい。下手したらスタンプがあるので、「行くぞ」はワンタップだ。むしろ、グループ機能があるから、グループに投稿すれば「ほか誰か誘う?」なんて言う必要がない。合計は60秒ぐらいかかるもの1動作はいくらトロいやつでも5秒もかからない。
こんなの授業中に触るなというほうが無理だ。無敵すぎる。
もちろん俺は男であり男のちんぽをフェラしたことはないのだが、俺は俺のフェラテクが最高クラスであると確信している。
そこらの風俗嬢など太刀打ちできないレベルのフェラができることは間違いない。
しかし、俺は男が感じてる姿など見たくもないし、むさい男から生えているちんぽを口に含みたくない。
ふたなりの女の子がいれば一生フェラしてあげたいのだけど、3次元にそんな子はいない。
ニューハーフという選択肢はあるかもしれないが俺は田舎に住んでいるのでそんなところはない。
壁からちんぽが生えていたらきっとあっという間に射精させられるだろうし、射精させずに狂うほど攻めることもできる。
ちんぽ生えた壁ないかなー。
今年から研修医になって実際の医療現場の渦の中にいると不思議に思うことがいくつもある
自分が経験した科が内科だからかもしれないが毎日パソコンを弄っているだけで患者が治っていくのである
外来で経過を見ていた患者が肺炎を起こし呼吸困難になったので入院した
私は取り敢えず点滴のための静脈路確保のため患者さんに針を刺した
針を刺したら逆血が来たので静脈と針先が繋がったことが確認できたら否や、ナースさんは「あとはやっておきます」
といって交代してくれた
その間に私は電子カルテで「オーダー」を出す
呼吸困難なので酸素マスクの指示を入れる。 発熱があるので一応血にばい菌がないか「血液培養」を取る。培養を取れたことを確認しだい「抗生剤を食塩水に混ぜて点滴に入れて下さい」と指示を入れる。
その後、他の患者さんの作業があって入院患者さんの元を離れたのだが、その数十分後に入院患者さんの病室へ戻ると
もう綺麗に点滴装置が設置されてバッチリ抗生剤が入っていて、バッチリ酸素マスクを吸った患者さんがいる。ナースステーションには培養ボトルにバッチリ血液が取れている。
私がやったことは最初に針を刺したのとパソコンで指示しただけである。それなのに患者さんのもとには様々な器具が装着され次の日にはすっかり患者さんは元気になっていた。
実はこの時、私は点滴装置のつなげ方も、抗生剤を食塩水に溶かす方法も、食塩水の点滴バッグを点滴装置に繋げる方法も、酸素マスクの付け方も、血液培養の方法も知らなかったのである。
ここまで酷い研修医は私くらいかもしれないが、実際ナースさんが優秀で救急医療の経験がないと、医者のほうが実際の器具扱いを知らないというのはままある現象ではないかと思う。
勿論指示を出したのは自分であるが、自分はパソコンの前でカチカチしているだけで患者さんがみるみる治療され元気になっていくのだからなんとも不思議で新鮮な経験だった。
よく「医療ミス」や「患者取り違え」が話題になるが、本当にそういうリスクの高いことをやっているなあと実感する
一度ナースさんがやってくれている朝の採血を代わりにやらせてもらったことがあるが
ナースさんたちは一人で5~10人の患者さんの採血を担当するのだ
「その程度でミスするなよ」と思うかもしれないが、現場はそう簡単ではない
血液検査はその項目ごとに採血管の種類があるため、患者さんの病気によっては一人につき7本も8本も採血管に血をいれなければならない状況もままある
効率よく採血しようものなら自分の手元には30~50本もの採血管があり、それらに一本も患者の取り違えミスも無く入れなければならない
私も気づけたから良かったもの、別の患者さんの採血管に別の人の患者さんの血を入れてしまったことがある(幸い外のラベルを張り変えるだけで解決できたが)
採血程度なら良いがこれが抗がん剤なら大変な問題だ。 患者や量を間違えたら命を奪う可能性だって十分にある
勿論、医者側も毎日この抗癌剤をこの患者さんに入れます というのをナースと一緒に確認する。するはするが
実際に抗がん剤を点滴バッグにいれ、それを患者さんに入れる部分を目で見て確認しているわけではない(それを患者全員分しているほど暇でもないし)
そう考えるとナースさんの責任というか、日々やってくれていることの難易度と凄さを改めて実感する
大変失礼かもしれないがナースさんは治療に関してはそこまで大学で勉強していないはずで、抗がん剤の種類や内容(ある意味、危険さやおっかなさ)も完全には把握していないだろう
にも関わらず、そんな危険なものの「投与」という超重要で取り違えたら大変なことになる高リスクな部分を確実に遂行してくれていあるのだ。
勿論投与の相手や内容を間違えれば、患者さんの命があぶないし、そんなミスをしでかしたナースもドクターも「医療者人生が終わる」自体だ。
そんなヤバイことをやってのけてくれている。 それも一人で何人分も。 なんと恐ろしい作業なことか
こんなヤバイことを分担しているのだからさぞかし信頼関係があるのか と言われるとそうでもない
ナースさんたちは医者の名前や性格を把握して毎日こちらのオーダーもチェックしてくれているように思う
しかし、大変申し訳無いが多分、多くの医者はナースさんの名前を全員分把握してはいない
リーダー格は覚えているが、ナースさんは医者の三倍近く居ることもあり(医者は1日じゅう患者の担当をするが、ナースは日中、夕、夜間の3交代制のため)中々覚えきれない
そして自分の患者がどのナースさんが担当してくれているかも余り把握していない どんな人材が薬の投与などのおっかない作業をやっているか把握しようとすらしない
そんな信頼関係で「患者と医療者両者の命がけ」の治療は分担され、成立しているのである
医者は一般的なサラリーマンとは異なり、働く場所が固定せず転々とする例が多い
(それは、病院毎に入院患者さんの病気の内容が違ったり、所属医局の病院ごとの人員運営だったりといろいろな理由があるのだが)
その為、日々の診療も実は知り合って数日の医者同士で行われたりする
性格やプライベートや経歴もお互いよくわからない状態のままでも、分担作業を平然とこなすのである
勿論、誰かが失態を犯せばチーム全員で責任を負わねばならない。にも関わらず 案外ケロッと任せてしまうのだ
そうしないと時間内に治療が回らないとは言え凄い信頼関係(?)だなと思う
病院経営として仕方ないとは言えこれだけ危険な作業を希薄な信頼関係で成立させている現状は私にとって非常に奇異に感じるものであった
普通、サラリーマンならずっとその会社で生きるため、そして年を取り昇進をすれば多少は楽になるから
若いときに苦労をする。上司も若い人材がその先会社を支えてくれるように一生懸命に指導をする。
有名な病院に居る若手医師は「ずっとここで最前線で働きたい」という人はそこまで多くなく
「ここは勉強になるけどキツいから若い内だけでいい、修行だけ積めたら他に居場所を探す」という考えの人も多い
(それは有名病院ほど帝大出身の医者じゃないと昇進できなかったりと幾つか理由はあるにはあるのだが)
ずっとそこに居たいわけでもないに彼らは本当に一生懸命に働いている
そして指導者もある程度彼らが一生自分の手足として働いてくれはしないことを知りつつも、一生懸命指導する
小生は二十代後半の高齢童貞であった。今は童貞であるのか、ないのか定かではない。
小生は童貞であったばかりか、女性経験は全くなかった。女性との会話時間は母親を除き、人生の累計で100時間もないだろう。それほど、女性とは縁がなかったし、いわゆる女性との交際に興味は無い。ただし、性欲は有った。通勤途中にはタイトスカートに欲情し、「触ったら犯罪だ」と思いぐっとこらえる程には性欲がある。そして、AV鑑賞と自慰が好きだ。
そんな小生が風俗にて女性と接点を持とうと決意したのは、内発的なものと外発的なものがあった。内発的なものは、AV・エロアニメ・エロ漫画、あらゆるエロメディアに現れる「セックス」(とそれに付随する前戯)が、それほど素晴らしいものであろうか直接経験してみたいと思ったからだ(結果的にはこれは裏切られることになる)。外発的理由は「童貞」というスティグマに小生が耐えられなくなったからだ。友人との会話で、風俗の話を振られて答えられないのが苦痛だったし、会社で女性体験の話題になったときに童貞であると告白すこともできず辛かったからだ。加えて、女性と接することが苦手であったから、性体験が一つの苦手克服のキッカケになると思ったからである。
丁度休暇の得られたタイミングで、意を決して風俗店へ行くことにした。小生が風俗へ行こうと思った理由を考えれば、挿入を経験しておく必要がある。ならばソープ一択と決断した。しかしながら、どの娘が良いだろうかと悩むうちに時間だけが過ぎていった。フォトショ職人の仕事が見事すぎて、どの顔も同じに見えた。しかたが無いので、高級店で髪と身長だけみて小生の好みに合いそうな娘(仮にXさんとする)を選んだ。電話で予約しようとするとお休みと言われた。事前の検討に要した時間が全て無駄になり、自暴自棄になった。もう、3日ほど自慰を我慢していたこともあり、女性であれば誰でも良いという気分に小生はなっていた。そこで、近所の大衆店の中から髪と身長だけを頼りにY嬢を選んで予約した。肩まで掛かるセミロングくらいの黒髪が綺麗だろうと期待した。
お店へ行き、ひとしきりの対応があった。この辺りは、一般的な風俗体験に丁寧な解説があると思われるので割愛する。
実際にY嬢と対面すると、フォトショ職人の凄さが分かる。外見の年齢は30代中盤か後半といったところだろうか。目の前にいる女性が美人であるか、そうでないのか判断がおぼつかない程に緊張していた。とても美人だと感じなかったということは、それほどではなかったのだろう。芸能人で言えば×××に似てると言う感想も持たなかったので、特筆すべき顔つきでもなかったのだろう。髪は綺麗な黒髪のセミロングだった、顔は厚化粧だった。これから一体どうなるのかと不安だったが、何とかなるだろうと楽観的だった。小部屋に入って、小生が童貞であることを告げると、それほど珍しくもない様子だったので安心した。
人生で初めてのキスをした。AVで何百回も見ているキスであったが、実際に体験してみると気持ちが良いという感じはしなかった。感想としては生暖かいコンニャクを口の中に含んでいるというものだった。服を脱がしてもらい、Y嬢も全裸になった。ああ、これからセックスするんだと思ったが全く感情が湧いてこない。ところで、小生はクリスマスに街を歩きながら「今日、街を歩いているカップルはみんなこれからセックスするんだ」という妄想をして、帰宅後に自慰に耽るという大変想像力豊かな童貞だったはずなのだが、全裸の女性を前にして興奮は無かった。
小生はビジホのような風呂に入った。そして、小生が湯船から上がるとY嬢は小生の身体を洗った。Y嬢の胸が小生の腕や背中に当たったが、なんの感慨もなかった。小生が中学生のとき、下着のカタログに載っている些細な胸の谷間にさえ大興奮していたことを思い出したが、いま何も隠すもののない胸を見ても無反応だった。むしろ、他人に身体を洗ってもらうという行為そのものに新鮮さを覚えた。
続いて小生とY嬢は同じ湯船に入った。全裸の女性が目の前に居るのにも関わらず、そこになんの感動も無かった。風呂に浸かりながら、小さくなった股間をペロペロと舐めてくれて、生まれて初めて口内の感覚を知った。強弱を着けて吸ったりしてくれたが、それほど違いが分からなかった。もはや小生はどうやって性的に興奮して良いのか分からなくなった。
マットプレイをしてもらった。まず、うつ伏せでマットの上に寝転がり、Y嬢が上に乗っていた。なるほど、コレは気持ちよかった。その気持ちよさは性的な快感ではなく、全身をぬるぬるした温かい何かで覆われるという肌触りの快感だった。コレだけで値段分の価値は有ったと思った。その間にもゴソゴソと股間をいじってもらったが、一向に興奮しなかった。Y嬢は私の背後に居たので、小生は壁の一点を見つめていた。小生は仰向けになって、Y嬢は上に乗った。これまた、気持ちが良かった。ときどき、股間のイチモツを口に含んでくれたのだが、ここでは少し大きくなったがすぐに萎んでしまった。このとき、初めて女性の胸を触った。柔らかく張りが有った、しかし特に感動しなかった。それから、小生は乳首を含みながら股間のイチモツをシゴカれた。この授乳手コキが、その日一番精神的に高揚したプレイであった。そして、Y嬢はときどき耳に息を吹きかけてくた。これは息の熱さを感じとても気持ちよかった。
マットプレイを終えるとベッドでのプレイとなった。部屋を薄暗くすることになった。この時点で小生の股間は全く機能を果たしておらず、小さくなっていた。ここで、初めて女性の膣に指を入れた。膣の内側は温かく、ヌルヌルとしていた。ふと、中学生のとき好奇心で自身のアナルに指を入れてみたことを思い出し(今はぢが怖いのでやっていない)、人間の温かさとはこのことかと理解した。クリにも触れてみて、なるほどこのような構造をしているのかと感心した。ベッドでは、Y嬢が股間を舐め、膣に挿入してくれた。しかし、行為を行っていくうちに小生のイチモツは小さくなってしまった。なるほど、「セックスとはオナニーほど気持よくない」という友人の名言を思いだし、その意味を知った。口に含んでは萎えるというルーチンを2回ほど繰り返してしまったので、小生は手で射精するということを提案した。
結局、Y嬢は激しく手で小生の股間を刺激してくれて射精となった。射精の後、身体を洗い、拭いてもらい、服を着て退店した。
Y嬢は、作業の途中で色々と小生に世間話を振ってくれた。うまく返せず、申し訳ない気持ちが高まった。小生は、結局プレイの終始を情けない形で過ごしてしまったのだが、Y嬢の対応には何の落ち度も無く問題はすべて小生にあるということを付け加えておく。
結論から言うとセックスはオナニーとは全く別次元の行為であるということである。
AVは基本的に3人称視点で見るものなので、ソープで「自分の視界にY嬢が入っていないが、触覚で性的快感を感じるとき」という場面が多く困惑した。特に、キスやセックスは1人称視点では見えるものが少なすぎて困った。特に、セックスは3人称視点で俯瞰的に見て興奮していたので、1人称視点で見ると情報不足だった。
小生は日頃からコスプレモノあったり、ハイヒールやパンストを履いた女性の動画でオナニーしたり、制服レズキス動画や着衣パンチラ動画で性的欲求を満たして来ていた。しかしながら、ソープで提供されているのはそのような倒錯した性欲とは正反対の、全裸でプレーンな女性だった。したがって、小生が興奮することが出来なかったのは、性欲のフックとなる記号を見つけられなかったからと考えられる。正直に告白すると、小生が大学生くらいまでは全裸で興奮できたのだが、それ以後は全裸では中々興奮できぬ。今回は3日ほど、オナニーを我慢していたので小生の性欲が高まっていると判断したが、緊張には勝てなかった。ちなみに、好きなAVのシリーズは「制服美少女と性交」だ。
この点は、ネット上に散々言われているので繰り返えさない。膣の構造を考えれば刺激が単純であることは容易に想像できる。
この体験を総括してソープは楽しかったかと問われれば、あまり楽しくなかったというのが本音である。セックスは完全な形で出来なかったので、小生は童貞であるのか、無いのか定かでない半人前の童貞である。射精の瞬間以外にはほとんど興奮しなかった。店に足を踏み入れてからは、どうやって性的興奮するのか忘れてしまったようだったのがショックであったが新しい発見でもあった。これまで小生が感じてきた「女性に対する性欲」という幻想を木っ端微塵に破壊されたので、小生の性欲は果たして性欲と呼べるのかということに自信が持てなくなった。はたして、小生が街を往く女性を見て、あるいはAVを見て抱いていた欲望とは性欲と呼べるのだろうか? 女性との肉体的接触で満足が得られないとわかった今では、問に対する答えは謎のままである。
もっと綺麗で可愛い風俗嬢であれば、満足するセックスを行うことができたのだろうか? 多分、そのような問題ではないだろう。小生は有村千佳のようなAV女優が好きである。また、内田真礼のような黒髪ロング(いまは切ってしまったが)で短足の女性も大好きである。これからは内田真礼の水着を見て凄く性的に興奮していたという事実をどうやって受け入れればよいのか、小生には分からない。
昼寝もした、性交した、帰り道に腹一杯の食事をした。小生は人間の3大欲求のすべてを満たし、ソクラテスが言うところの「満足した豚」であった。これからは、この経験を活かして満足した「人間」として適度に性欲につきあいながら生活を送って行きたい。ただ、もう二度と女性とセックスすることは無いだろうと思う。
小学生の頃から他人に気を使いすぎるタイプで人に意見を言うのが酷く苦手なタイプだった。扁桃体がビクンビクンしてしまうのだ。
中学生になると容姿の事で他人から馬鹿にされる事が多くなり、意見を言えない私の精神は内へ内へと籠りはじめ、次第に人と一緒にいるだけで酷く疲れるようになってしまった。
地頭もよろしくない私は勉強ができず、成績も下から数えた方が早かった。中学卒業後は、徒歩圏内の馬鹿高校へなんとか入学できた。幸いDQN等はおらずいじめもなかったが、人と会話をしているとき人の会話が全く頭に入らなくなっていることに気が付いた。喋っていて相手の言っていることが稀に理解できることがあったが、何を返していいのかわからず、相槌を打つのが関の山だった。
卒業後、やりたいこともなかった私は予備校に二年間通い公務員を目指した。高卒区分で地元の市役所に無事入庁できたものの、仕事の説明どころか市長の挨拶すら頭に全く入らない私は焦燥感や恐怖心だけが募り、自己紹介をするだけでもパニックを抑えるでいっぱいいっぱいだった。そんな調子の私は職場で雑談すら碌にできず、一言喋るだけでも酷く緊張するようになってきた。
研修を受けるだけでも精神的にボロボロになる私が実務を通して経験値を積み業務を遂行していけるようになるはずもなく、経験を積むどころかストレスと恐怖だけが詰みあがっていった。
休みの日にせめて家で勉強をしなければと思ったが、仕事に関しての勉強をしようとすると酷い恐怖と眠気に襲われるようになり、土曜日は食事が喉に通らず寝た切りで、日曜日の昼間だけ食事をとってずっと寝ていた。
通勤中に仕事への恐怖を打ち消すために車の中で発狂の様な大声をあげている事への異常さを客観視した時にもう限界だと思い精神科にいった。
社交不安障害だといわれ、ワイパックスをラムネの様に摂取する日々が続いたが、自分の能力の低さが起因する恐怖が解消されるわけでもなく、1年足らずで仕事を辞めた。
休職を選ばなかったことは正解だったと思う。退職後は家に引きこもっていたが心が少しずつ安定していき、半年ぐらい経った頃、食事が美味しいと感じるようになるまでに回復した。というのが今までの経緯でここからが本題。
今は非正規だが一応働いている。幸い人とほとんど喋らない業務なのでどうにか仕事にはかじりついているが、やはり口語能力の低さが課題となっている。
仕事を探してお金を稼ぎたい意志は強いのだが、口語能力の低さがネックになりどうしても一歩踏み出せないのだ。
自分は人よりワーキングメモリが小さいのだと考えている。相手の言ったことが頭に残らなかったり情報として処理できなかったりする。自分で説明をする時にも、何を言いたかったか、何を言っていたのか、がすぐに頭から消えてしまう。質問をされるとその質問の意味が処理できず、そしてパニックになる。
コールセンターで働いて場数を踏もうかとも考えたが、またキャパオーバーをして振り出しに戻る気がしてできない。
某機関へとある手続き申請のために電話をしたのだが、言葉だけで情報を伝達し使いこなす職員の凄さ(できる人の方が多いのだが)に圧倒されてしまった。
トップレベルの口語能力が欲しいとも言わない。仕事で必要な口語能力が欲しいのだ。
山本一郎(切り込み隊長)や宇野常寛(善良な市民)がいつの間にやら平然と「知識人」として昼日中のお茶の間に顔を出せるようになってるのって本当に日本的な現象だなと思う
2ちゃんねらーを煽動してネットゴロとして有名になっただけですよと言われたら顔をしかめるだろう
しかし実際それしか功績がない連中がテレビに出る、有識者面をする
隠してもいない、隠せようもない、知ってる人は誰でも知ってる経歴は何故かなかったことにされる
有名になった経歴が曖昧にされたまま、とりあえずテレビに出てるから「有名で偉い人」ということで落ち着く
あまつさえネットゴロですよとこのように教えてすら、テレビに出てるんだからそれだけじゃないでしょうとか何とか言って多くの日本人は事実より印象を固持し続ける
プロのラジオDJとして長い経歴を持ちながら、いつの間にか整形してミドルネームがついて経営コンサルタントとして有名になっていたショーン川上を見ていた、事情をよく知るラジオ業界人の気分はどんなものだったであろう
ショーンKは最終的に化けの皮をはがされた
ショーンKは化けの皮がはがれた
「外人さま」を僭称した罪では裁かれたものの、「いやいやそれでも良いことを言っていた」などと言う馬鹿信者は未だに途絶えない
ただただどっち付かずで100%無難なことを言い続けた「ザ・日本のコメンテーター」にすぎなかったのに、あの声と格好で印象づけられた「この人は凄い人」という思い込みは、経歴詐称でもその「凄さ」の根拠が灰燼に帰してももう永遠に変わることはないのだ
愚かなりしやわが同胞
すでにある一万個の機能について、うまく共通点を抽出できたとしても
今後拡張する三万個の機能についても同じことが言えるのだろうか?
エンジニアとしては普遍的なテーマだけど、職場帰りに素面でするような話でもなくて。
元東証一部企業の取締役社長より一時間近く時間をお借りしてしまったからこそできた話は、とても面白かった。
経歴がやばい社長がラリー・ウォールlikeな超々やばい人たちに囲まれて、選択した生存戦略。
top1%ではなく10%の山を複数個持つことで、1%のスペシャリストになれなくても凄さをわかるところまで追いつけるからと。
正しい方向で正しい努力をすることで、誰でも10%にはなれるけど、正しさの担保は物事の本質を理解しないと得られない。
じゃなその本質とはどのようなことか?抽象化といった、プログラミング言語の特性に寄らない普遍的な設計思想だと。
程度は違えど、中高と進学校に進んで周りの理三行くような優秀なやつには一生勝てないなという挫折感と劣等感が漫然とあったから、
生煮えのエンジニアから脱却する気づきを得られたことに感謝があった。
この歳になって、また頑張りたいと思えた。
分からない用語とかいっぱい出てくるので調べて少し驚いたのが、リーマン・ショックってほぼ日本だけの用語らしいってこと。
リーマンブラザースが破綻して消えてしまったからだろうけど、そっちはどちらかといえば些細な事で、巨大保険会社AIGの巨額債務問題の影響の方がはるかに馬鹿でかいものでもっぱら問題はこっちの方だったってこと。
マネー・ショートはなかなか面白かった。話が割とてきぱき進むので、2時間くらいだけどそんなに長いとも思わなかった。
難しい金融用語をコミカルに説明してくれるというのもあり、ある程度の前提知識は要るものの大雑把に話を掴むにはそれで十分という感じだった。
驚いたのは俳優のクリスチャン・ベール。バットマンのダークナイトシリーズで見せた演技とは全く異なるあんな演技も出来るんだと、アメリカ俳優の凄さってものを改めて感じさせた。最初あのクリスチャン・ベールとすら気付かなかったくらいだ。
ブラピはブスっとしてただけなので大したことはなかったが。
ストーリーは、リーマン・ショックの説明はあんまりなくて、サブプライムを含むモーゲージ債権の暴落を予想出来た極少数の人達が結果的に大儲けをするって話なのだが、大儲けしたにも関わらず別にそんな喜ばしい話でもないって感じにしてあった。映画の中でも触れられてたが、そりゃそうだよね、何百万人もの失業者と破産を生み出したわけだし、今でもその影響を世界経済は引きずってるからね。
格付けとかが実態はかなりいい加減であったりとか、何かすっごい難しいことやってそうなウォール街の連中って意外と適当なんだなぁって思ったり。
本当に本人が書いてたら面白いと思うが、もし本人が書いてたとしたらなんと自己満足的なことしか書いてないんだろう?経営者としても技術者としても非常に劣っているし適性のない人だなと思った。
本人じゃないならこれで沢山釣れて良かったねくらいだ。
俺はあの放送自体は見てない。ネットに落ちてる勝手にキャプられた画像や動画しか見てない。あのプレゼンを宮崎氏に対して行っているなら、宮崎氏はIT技術者ではない芸術家であることを理解して作成しているとはとても思えない。体の不自由な人の様を想像して作っていないとしてもあまりにもセンスがなさ過ぎる。
宮崎氏が求めるものは作品をどう昇華できるかであって、IT技術の凄さはどうでもいい。むしろ手書きでできる動画マンや原画マンがいるならITなど要らないと考えている人だ。人手もない、金もない、製作期間もないとなればITを使わざるを得ないので妥協しているだけ。
彼の考え方を理解せずに、NHKに映るからドワンゴの技術を見せたいと思ってあの画像をだしているのならアホとしか思えない。
何度も言うが宮崎氏は作品として芸術性を上げるためにはどうすればいいのかを考えて60年やり続けている人だということ。スライムみたいにクネクネ動く蝋人形を見せられても俺をバカにしてるのか?と思ってしまわれても仕方ないよね。
カワンゴを擁護したり宮崎氏を批判したりいろんな人がいろんな意見を言うのは勝手だし、勝手だから俺もこうやって意見書き込みしている。だけど宮崎氏を意識してやっているなら彼が受け容れるものはなにか?をまず考えるべきだったよね。ってこと。
巨神兵やでいたらぼっち等を描いてはいるが、だからドロドロした奇妙な生き物を描きたいわけではないんだよ。だったら今最新のCGならでいたらぼっちはこう描ける、巨神兵ならこう描けるというプレゼンの方がまだまだ良かったと思う。
というか、そもそもピクサー以上の技術を見せられるのかな?ピクサーからヘッドハントした人をドワンゴに連れてきたので見て欲しいと自慢したいのかな?
俺ならためらわずこれを書いた奴と指示したやつは本日付けて解雇してくれと言うだろうね。
川上氏は経営者だよ。技術者でも芸術家でもない。それは今回のことでよくわかった。なのでジブリの社長に就任なんて話は笑い話にしかならない。
ようやく見てきたので感想。
ネタバレあるよ。
『君の名は。』は秒速レクイエムと『ほしのこえ』ぐらいから新海を見てきたヤツは言うんじゃないかなと思う。
終盤の展開は、わざとらしいぐらいモロカブリだった。
そーなんす。自分の中からほとんど失われてしまったあの子を、何を探してるかすらも忘れてしまったのにそれでもずっと追い求めてる、ってゆーある意味クッソ気持ち悪いアレをもっかいやるんすよ。
でもって明確にリフレインされてるのが、“すれ違う”と“電車に乗ってるときに見かける”のふたつ。
すれ違いは、『秒速』のラストで印象的に使われていた。線路で“君”とすれ違い、お互い渡りあった後に振り返るけど電車が走ってきて、それも何本も重なって長い時が流れる。遮断器が上がったときには“君”はもういない。
『君の名は。』では今度こそ振り返った時そこに阻むものは何もなく再会できるのかと思わせておいてスカす。心憎い演出だと思う。
『秒速』では電車に乗ってる貴樹は“君”らしきひとを見つけるけど乗ってるのは急行で彼女も気づかず再会できない。
『君の名は。』ではお互いが電車に乗っていて、ドア越しに決定的な再会を果たす。すぐ間に電車が走って分かたれるけど、『秒速』と違ってお互いが求めあってるので“君”がいなくなったりはもうしないのだ。
で、この違いを生んだ最大の理由に奥寺先輩をあげておきたい。瀧のバイトの先輩で、淡い恋心を抱いていた女の人。
三葉と入れ替われなくなった瀧は彼女を求めて飛騨に向かう。なぜか奥寺先輩(と友人A)がついてくる(そう、貴樹と違って瀧くんには友人がいるのだ!)。演出上は探せど探せど手がかりが見つからないシーンのコメディリリーフなんだけど、彼女が「ラーメン食べたい」と言ったお陰で次のシーン、ひいては三葉との再会へとつながる。
構造的に言うと、瀧くんには三葉との間を埋めてくれる第三者がいて、貴樹にはいなかったっつー話になる。
瀧は奥寺先輩に二度振られる(といってもどちらのタイミングもすでに三葉のことが好きになってるので、違うっちゃ違うんだが)。特に二回目は奥寺先輩の薬指に結婚指輪が見える形でそれが露わになる。
これは三葉の指に存在しかねなかった指輪を奥寺先輩が引き受けてくれた――と『秒速』を経た人間としては思った。
音楽。
天門→RADWIMPSだね、と。うん、この映画にはあの前向きなボーカルが必須なので大正解だと思う。川村元気の功績として語られることが多いこのチョイスだけど、ガチならそれだけでプロデューサーの役割は果たしたと言えるぐらいにRADWIMPSだった意味は大きい。
なお歌が流れてるときは映像が後景化しあたかも曲のPVであるかのようにしつつ話を圧縮して転がしていくのは見ていてかなり気持ち良かった。
この辺りはファルコムを出すにしろminoriを出すにしろ、長編映像を作る前に短い映像をたくさん作ってた話を出すにしろ、新海の本領と言える部分なので、さもありなん、といった感じ。
あと映像について。
初めて話を見せるための映像になったなという印象。『秒速』って映像を見せるためにお話がついてくるといった感じがあったでしょう。『秒速』に限らず、『ほしのこえ』も『雲の向こう、約束の場所』に関してもそう。
今回だって「あー、このシーンみせたいんだなー」と感じるところは何個もあって(隕石が落ちてきてそれを眺める最初のシーンとか、太陽を背にふたりが逢魔が時に再会するのとか)、新海の癖だろう映像から話おこしてる感が完全に消えたわけじゃない。
でも、今回は映像を見てるんじゃなくお話を追ってる感が見てるあいだずっとあった。だから映像はキレイだし印象に残ってる画面はあるけどそれじゃなくお話で満足した感がある。
もっと言えば映像の凄さは超展開の強引さを埋めるために機能したというか。
あのかなり無理やりなお話を、映像の凄さで納得させたというか。
新海誠は自分の絵の凄さをようやくフルに使えたんではなかろうか。
ここまで来たらぜんぶ書いちゃうか。
三葉ちゃんめちゃくちゃ可愛かったね。新海のどこがいちばん成長しましたかって聞かれたら女の子がちゃんと可愛かったって答えるわ俺。世界をしょった儚い女の子とか可憐な女の子はこれまで何人も出てきてたけど(『星を追う子ども』と『言の葉の庭』は見てない)、三葉のような見ていて楽しい、素直に可愛いと思える、愛着の湧くヒロインは初めて。このタイプのヒロイン自体が初めてなのに圧倒的に成功してるというのはほんとすごいと思う(単純にキャラデザがいいってのはあるけど。『ほしのこえ』は新海本人、あとはいろんなひとに作監お願いしてきたけど、今回がいちばんウェルメイドだと思いますふつーに)。
おっぱいについて。
瀧くん執拗なほど三葉のおっぱい揉み揉みしますよね。あれもちろん単なるセクハラじゃなくて(セクハラなんだけど)、①サービスシーン、②(妹につっこまれることで)コメディシーン、③(重ねることで微細な差が生まれる)コメディシーン、④キャラの置かれてる状況の違いを強調する小道具エトセトラな効果があります。
おっぱいモミモミにこれだけの多重性を持たせられたってのも新海成長したなあと思いました。というかこれ誰かがそうしろって新海をたぶらかしたんじゃないかと思うんだけどどうだろ。
とりあえず。
映像のためのお話じゃなく、お話を表現するための映像になったのと、三葉がものすごく好感の持てるキャラクタになってたという二点で新海は本当に化けたと思う。見る前はただのフロックじゃねーのと眉唾だったけど、地力ついてきたとふつーに思うので、これまでもがき苦しんできた新海本人はもとより支えてきた周囲の方々にも本当にお疲れ様、次回も楽しみにしてますと言いたい。あと天門はどこかでまたいっしょに仕事してあげてください。minoriとはもうしなくていいです。