はてなキーワード: バンカーバスターとは
おもしろかった。
いつも通りの展開で「これこれ!トム・クルーズにはこれを求めてんのよ!」ってなりつつも、終盤ちょいと一捻りあって、それもまた良かった!
ありえねぇ展開だ!って怒るのは野暮ってものでしょう。
ーーー以下、時系列で良い点、気になった点を書いていくーーー
【良かった点】
・ハンドサインってカッコいいよな。(ここが終盤につながるのかっこよすぎるよなぁ)
・自信満々なハングマン最高。こういう奴がいるからアメリカって強んだよなぁって思った。NBA選手のトラッシュトークとかと通じる所ある。自分が一番強いって思ってるところ最高。
・トム・クルーズの無双状態観れるの最高!やっぱトムはこうでなくちゃ!いやしかし、あのアクロバット飛行を観れるのいいよなぁ。あれCGなんかな?それとも実写なんかな?まぁCGやろなぁ。凄いなぁCG。技術の進歩やばい。違和感まったくない。
・ヨットのカッコよさね。ヨットってなんであんなカッコいいんだろうか。湘南に住むようになって、ヨットとかああいうののカッコよさが少しわかったかもしれない。
・女性の美しさ凄い。あれ50オーバーの設定だよね?トム・クルーズは裸だけど、女性は服着てるの配慮が素晴らしい。体は流石に魅せられるレベルでは無いんだろうな。逆に言うとトム・クルーズ凄すぎなんだけどね。
・作戦実行中にあんな波乱があるとは!!あれにより、ドッグファイトも生まれたし、最高の展開。あそこでもう一捻り入れられるのは、脚本家の素晴らしさ。僕だったら作戦成功で完!ですわ。というかスターウォーズのジョージ・ルーカスでさえ、作戦成功で完!だったのに、流石だわー!
【気になった点】
・前作のトップガンは観てた方が良い。というか観てないと作品に入り込めないかも。アマプラ・ネトフリ、だいたいトップガン入ってるからいるのがおすすめ。
・マッハ10超えて、更に無茶するとか…。いや、そもそも上官の司令を無視て…。トム・クルーズ無茶しすぎ。軍法会議かけられるレベル。あ、でもこれの映画トム・クルーズだったわ。こんなツッコミ野暮だね。
・マッハ10超えた機体がぶっ壊れてんのに、なんで生きてんの?意味わかんなさすぎやろ。あ、でもこれの映画トム・クルーズだったわ。こんなツッコミ野暮だわ。
・なんでトム・クルーズが教官なんだよ!お前が乗ればええやんけ!!ってなったけど、結局トム・クルーズが乗ったから最高!
・女性の軍服がちょっとピッチリ過ぎやしないか?と思った。けど普通がわからんから、判断はできないけど…。
・あんな軍事作戦ありえんやろ。あんなもん高高度からバンカーバスター撃って終了やろ。あんな生命の危険晒すような作戦は今の時代はありえん!!!って危ない危ない、これトム・クルーズの映画だったわ。こんなツッコミ野暮野暮。命を掛けるからドキドキが生まれるんだからさ。
・アイスマンとの友情とかは、前作観てないと分かりづらいだろうな。
・ルースターのトム・クルーズへの恨みは少し分かりづらいかも。父親との関係や願書を抜いた件は、ここまで関係こじれるまでのことか?とはなった。母親からの頼みなのに、母親はなにしてたんや?真相話してないんか?ってなった。母親お前が一番悪いやんけ!
・飛行機を奪い去って逃げるやつ、ウケるなwww有り得んやろ!!スターウォーズやんけ!!!wwwあんなもん許してたまるか!!敵なにやってんだよ!!ありえん!!え?というかスターウォーズへのオマージュっぷりが凄いな。
キャラ魅力度【4】/4
テンポの良さ【4】/4
魅力的、独創的な演出【4】/4
映像美【4】/4
音楽の良さ【4】/4
合計【38】/50
ITエンジニアは集中力を要求される職業だ。プログラマであれ、インフラエンジニアであれ、常に集中していることを要求される。
だがエンジニアという人種は多かれ少なかれ、集中できない人種でもある。多くのエンジニアが集中した時には信じられないほど最高のパフォーマンスを発揮するのに、その「集中」できる状態になるまでにおよそ数年から1世紀はかかることは周知の事実である。あなたが集中できていない間に、自分なりの方法で集中して成果を挙げたエンジニアは、もっとクールなテクノロジー、よりよい環境、よりよい給料を手に入れるだろう。
あなたは「こんなはずじゃない。ボクは集中さえすれば最強の天才エンジニアなんだ!」と嘆くのだ。
なぜ集中できないのか。その答えは簡単だ。「あなたが集中できるような環境にいないから」である。
あなたの意志の強さは関係ない。集中できないのは、環境があなたを集中させないようにしているからだ。もし自ら望んで集中しない環境に身を置いている稀有な人間なのだとしたら、この記事はなんの意味も持たない。さぁブラウザバックだ。読んだときは習慣化しようと思うのにどうせやらないLifehackerの記事でも読み漁ってればいい。そもそもライフハックする前にお前が改善しなきゃならないことは山ほどある。まぁいい、忘れてくれ。ほら、行った行った!
さて、残ったあなた。集中できないことが不本意であるなら、この記事が解決の一助になれば幸いだ。よければ読み進んでほしい。
まずあなたが作業する環境――オフィスか自宅か、それともスターバックスでMacbookを拡げてるクソノマドワーカーかは知らないが――を見渡してほしい。
下記のようなものが机の上や身の回りにあるなら、間違いなくあなたは集中できていないか、よほど意志力と忍耐力の強い鋼の超人か、仏僧か、自分は集中できていると思いこんでいる哀れなおサルである。
あなたが1日何ふぁぼ稼ぐのか知らないが、1億ふぁぼ稼ごうがあなたの人生にとって1ミリもプラスにならない。ある日突然ジョージ・クルーニーになったり、アラブの石油王から口座に6億米ドル振り込まれたり、スーパーエキゾチック美女が「なんて素敵なpostなの! 抱いて!」とはならない。ちっぽけな自己顕示欲をちょっとだけ満たして、それで終わりだ。
飛んでくるリプライは大抵クソみたいな内容で、それを見たあなたも同様にクソッタレな気分にさせるだけだ。リアルタイムで「インスタントクソ気分」になりたいなら止めないが、Twitterの通知をオフにしても、あなたの人生には信じられないほど微塵も影響ないだろう。クソリプや自己顕示欲を満たすためのふぁぼ数確認は、寝る前にでもまとめてすればいい。
メールも同様だ、あなたがアメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプ本人で、北朝鮮からテポドンが発射されたことがメールで通知されたり、最新のテロリストの犯行声明が流れてくるなら、メール通知はプッシュにしておく必要がある。バンカーバスターを的確に某カリアゲ頭の彼の別荘に撃ち込むためには、可能な限り迅速に情報を得る必要がある。
だがあなたは? 本当にあなたはそのメールに5分以内に返信する必要があるのか? そもそもあなたに届くメールは、スパムと、楽天やAmazonからのセールのお知らせ ――つまりスパム―― と、同僚からの割とどうでもいいメール ――つまりスパム―― だ。
たまには顧客からの重要なメールも届くことがあるかもしれないが、その日のうちに返信するだけなら、別にプッシュ通知にしておく必要はなく、単にメールチェックの時間を毎日5分取ればいいだけだ。そうすれば、メールチェックの時間は5分に抑えられる。1日3回見たとしても15分だ。
プッシュ通知にするということは、24時間メールチェックしているということであり、集中を阻害するためだけに存在しているといっても過言ではない。
プッシュ通知は本物の合衆国大統領とか『24』のジャック・バウワーのための仕組みだ。本当にあなたがドナルド・トランプ本人や対テロ組織で働くエージェントだとしたら……こんな極東のゴミ溜めみたいなブログの記事を読み漁るのは、考えうる限りで最悪の時間の使い方だ。今すぐ仕事に戻れ!
お笑い芸人や、CMや、野次が飛び交う幼稚園みたいな国会中継、くだらないゴシップで興奮する特殊な性癖でもないなら、テレビをつけていて得られるものはなにもない。
起動や何かをするたびにイラッとする待ち時間があるなら、今すぐPCを買い換えるべきだ。そう、今すぐだ。時間は有限だ。あなたの貴重な時間をそのオツムの足りないPCのために割いてやる義理がどこにある?
そのちょっとしたフラストレーションは、少しづつだが確実に集中力を蝕む、悪性の腫瘍みたいなものだ。こいつを治療するには、他に転移する前に根本から切除するしかない。
これらは無駄な投資ではない。最低でもSSDに換装するべきだ。起動にバカみたいに時間がかからなくなるし、何をするにもHDDとは比べ物にならないくらいレスポンスがよくなる。
ディスプレイは、高解像度のもの(できればWQHD以上)があればよい。それが無理なら1920x1080は欲しいところだ。1366x768とかいうクソみたいなディスプレイを搭載しているモバイルノートを使っているなら、今すぐそいつを窓から投げ捨てて、ヨドバシカメラに行ってこい。
そいつはコストダウンという資本主義経済の化物がひり出したクソの塊だ。何をするにも解像度が足りないし、おまけに信じられないくらい解像度が足りない。この解像度のディスプレイを思いついた奴はきっと脳みその解像度も足りなかったのだろう。
モバイル端末であったとしても、フルHD以上のディスプレイを搭載した製品はいくらでもある。数万円の追加投資でそれらを得られるなら、出し惜しみするべきではない。
マルチディスプレイは効果的な解決策にはならない。必要なのは「24インチ以上で、高解像度かつ見やすいモニター1枚」だ。
人間の脳は、2枚のディスプレイを行き来するように設計されていない。マルチタスクをすれば効率がよくなると思い込むのは、人間が思いつく馬鹿げた考えの中でも最悪な部類だ。2枚以上のディスプレイを設置していたとしても、それはエンジニアにとってナードさをアピールするインテリア以上の価値はない。
さらには、Twitterのタイムラインを常時開いたり、メールクライアントを常時開いたり、集中力に対してマイナスの影響しかない。電気と金の無駄だ。
ウィンドウを閉じたり開いたりするのが嫌なら、仮想デスクトップを使おう。こちらのソリューションの方が有用でお金もかからず、集中力も阻害されない。
本は本棚にしまうこと。机の上に置かない。お片付けは大事ってママに教わらなかったのか?
こういった割り込みに対処することはひどく困難だ。仕事ができない人間に限って、雑談することで時間を潰し、自分が建設的な議論が出来ていると信じて疑わない。
とにかく可能な限り彼らのような無能な人間と関わらないことだ。話し相手になったら最後、あなたも無能の仲間入りだ。ようこそ、自堕落な無能生活へ!
隣の席からジョブズがいかに素晴らしいか熱弁する声が聞こえてきて作業に集中できない? お前はバカか? 今すぐその薄汚いMacbookを仕舞ってスターバックスから出ろクソッタレが! 今すぐだ! そもそもスターバックスで仕事をするなクソノマドワーカーめ! 以上だ!
http://srad.jp/~sadaken/journal/605596/
評判良かったからまあまあ期待してたんだけどな、まさかあそこまで酷いとは。
所詮ネットの批評なんざ声の大きなオタに媚びればどうとでもなるということかもね。
踊る大捜査線の台詞のオマージュかなってくらい延々と会議だけやってるわ
ようやく出てきたゴジラは中華街に飾ってありそうな出来損ないの張りぼてみたいで
戦うのかと思ったらまた待ったで海に帰っていきましたで半分は終わってしまうんだからすごいわ。
ようやく戦い始めたと思ったら最後はバンカーバスター程度で穴空いて、いかにも燃費悪そうなアニメ的謎の全方位光線反撃した後 予想通りエネルギー切れで寝転んでるひ弱なゴジラ相手に、核使わないといけないとか言い出したかと思えば
政府高官までそれが唯一正しいみたいに言い出して、そんな中主人公が「この国を見捨てず最後までやろう」って厨二全回な展開で
わざわざエネルギーが再度たまるまで待ってヤシマ作戦(違 でゴジラにドリンクをゴクゴク飲ませて凍結させて終了という。
あ、放射能はめっちゃ半減期短いから東京の復興はO.Kらいよw めでたしめでたし、え、ご都合主義、何それおいしいの。
シナリオも設定も穴だらけだわ、かわりに怪獣物として単純に楽しめるかというとアクションシーンは延々と始まらないわ、ようやく始まってもハリウッドより全然ショボいわ
コメディとしても半分を占めるだろう会議の部分は三谷幸喜のギャグも真っ青な寒さだし、いったいこの映画は何を見せたかったんだろうね。
全体的に被害妄想の強さ、特にアメリカに対する劣等感、ボク達が本気出すとスゴいんだぞーってホルホルしたいんだろうなって事くらいかわからん映画だった。
悪辣な中ロや高圧的なアメリカ様をフランス様の助けを借りて凌いで「ニッポンにこんなしたたかな外交ができるのか」 「危機という物はこの国さえ成長させるものなのだな」とかアメリカ人に褒められてるシーンとか本気で蕁麻疹がでそうになったわ。
これアメリカに出すのだけはやめようぜ、マジ恥ずかしいからさ。
いかにも続きありそうに終わったけど、もうゴジラはハリウッドだけでいいと思うわ、今の日本で作るとこれじゃね。
でも考えてみると魅せたいビジュアルシーンだけつないでストーリーも設定もボロボロ、被害妄想の強さとボクチャン強いんだぞのペラペラな物語を専門用語で小難しく装飾する手法ってまんまエヴァなんだよな。
深夜アニメ的手法って実写でやると酷く痛々しくなるんだな、それがわかっただけが収穫だったな。
本当の所は、好評レビューが全てサクラとも思えないし、映画が駄作というのではなく
娯楽作品ってのは基本的に狙いの顧客層以外には酷くばからしい物だから
今回のシン・ゴジラの対象が深夜アニメ、特に劣等生()とかが好きな方々向けであって
俺にその素地がなかったというだけ話なんだろうが。
にしても、本当に金と時間を無駄にしたわ、徒労感がハンパない。
早い内に口直しにゴーストバスターズでも見に行くかね、あれなら馬鹿らしいけど少なくとも濃厚なオナニーに反吐が出るって事だけはなさそうだしね。
…いいこと言ってるじゃんw
それで、なぜ
「ゴッジーラは…化け物か…いや…神…か…」
「頼む!!」
「サムラァイ!」
って流れにできなかったというと
今の日本が世界危機を救えるだけのイメージがあまりにも現実とかけ離れすぎてたから。
もうこの一点に尽きる。
昔のロボコップ3の敵役が日本産の忍者ロボットな時代ならまだしも
国債は膨らみ年金問題も山積み雇用は増えず非正規の救済もなく移民を取らない代わりに国民全員が奴隷化していく斜陽の国。
日本もまだまだしてたもんじゃないなと傷の舐め合いでシックスセンスし合うような国力だと客観的に判断してるから。
なので今の日本人に日本人が世界を救ったなんてストーリーは到底受け入れられないし納得されない。
せいぜい板挟みされてこき使われて泥被らされてる中でストロー使って新鮮な空気を吸えましたくらいの落としどころじゃないと共感してもらえなかったってこと。
それが核使えば終わるだろうな=バンカーバスターでのダメージ有効描写、との東京なくなっちゃうらめえええ電車アタック!ストロー注入!ってオチ。
世界はちゃんと救う方法はあるけど自分たちが被る泥を減らすための努力しました、というだけの話。
電車アタックなんてこれがインドネシアや中東に出てきて応用できるわけないじゃん。
だから電車の無い田舎は感情移入できないって日記があったんだよ。
冷却液なんてデータもらった国はどこでも思いつくわけだし。
日本が世界を救った!って話を見せられると恥ずかしくと顔赤くなる国。まだまだ恥は捨てたもんじゃないな。
そんな国の状況と国民性によって不幸にも最後で捻じ曲げられた脚本。
どこまでも自虐体質。
そのくせ変にプライドが高い。
まさにシン・ゴジラを持ち上げてる層の性格をターゲットにしてる。
庵野の得意分野だな。
なので冷えた目でしか見れない人はとことん違和感しか目に写らない。
最後の人間が出てきそうなのも本当にこの後無事ゴジラを解体できるのか?という日本人の詰めの甘さを臭わせるエンドにしか見えない。
何度もいうけど冷却後の対応について何も話されてないのがもうね。
考えるのがめんどくさくなった感がパない。
興奮しすぎだろ
つーか後から判明したことじゃなくて休眠入った直前と直後からも冷却のためだけじゃない進化段階に入ろうとしてるって疑うのは自然なことだから。
だいたい冷却のためだけならまた海に戻ればいいだけで地上で棒立ちする必要なかっただろ。
背びれレーザーでの迎撃を絵として見せなかったのも視聴者にクエスチョンを抱かせる恐れがあるから見せなかった。
ステルス爆撃機のバンカーバスターでの爆撃が与えるダメージとして最大火力なのはそうだが
核以外の大陸間弾道ミサイルを使った飽和攻撃作戦は全く行ってなかっただろ?
日本を配慮しての攻撃で最大攻撃を発揮できたのがあの手段なだけであってあれが米軍が取れる最大の攻撃手段というのはただの思い込みですね。
空母の1つも持ってこないで通常兵器はあれだけでおしまいってんなわけないでしょ。
損害による金銭的損害についても核攻撃後の日本への支援金と東京消失による世界経済に与える損失考慮したら
米軍の作戦資金を国連に申請した方がはるかに安上がりなんだが?
核攻撃を行った際は米軍の3度目の実戦での核使用という汚点が残るどころか放射能被害に対するケツをこの先ずっと行っていかないといけない。
放射能被害にあった人から国連の意志であったとしても訴訟を起こされる未来しか見えない。
国際社会的にも例えゴジラを排除できても風当り悪くなることは確実、むしろ通常兵器で倒せただろ文句を言われる可能性がある。
その言い訳としてあの規模の損害では釣り合わない、大統領の決断にしても核使用の方がよっぽど重いし普通の神経してたら汚名が残る決断をしたがるわけがない。
同じ補てんを国連に求めるとしたら米軍の軍事費についてがまず先であり道理だろ。
米軍としてもあのまま引き下がって核使いましたなんてことになったら国民の信頼は減り今後の予算削減に繋がる。絶対に避けたいところ。
政治的観点からしても以上のようにあの状況で核使用が支持されるのはおかしい。
もし米軍が核使用を考えるなら米軍が自他共に勝ち目がないと諦めてなおかつ合衆国国民からも支持されるタイミングしか有り得ない。
群体うんぬんの話にしたって確証ない段階で決めつけて核なんてできるわけがない。
そう、この世界は未知の存在や事象に対してもまるで抵抗なくスポンジのように受け入れているのも違和感丸出し。
リアルさの欠片も無い、ゴジラみたいなのが現実に現れて、そこにいたとしても存在を容認できずにパニックになる人間が出てこない。
みんな何故かゴジラを素直に受け入れてるのがナチョラルに狂ってる。
パニックを描写すると尺がなくなるから。ここでも脚本都合、だからフィクションで子供だまし。
攻撃する事自体が進化のトリガーになってると解釈されるのが理解できない。
というかゴジラが攻撃を受けたから進化したという描写は作中一度しかない。
それがバンカーバスターを受けて致命傷になるかもしれないとゴジラ自身が危機を感じて休眠に入ったタイミングだって言ってる。
第一形態から第二形態への進化もゴジラは何も攻撃を受けていないし、
海から戻ってきて進化していたときも別にゴジラは攻撃を受けたわけじゃない。
放射能を吐いて爆撃機を迎撃したのはあのタイミングで進化したのではなくてあの時点でそういうことができる状態だったと考えるのが自然。
ヘリの攻撃を受けていたときも攻撃のために進化していた描写は一切なく、
あの場面で攻撃を受けたから進化して突然撃てるようになったというほうが不自然。
米軍や国連、日本がそう判断したのが気持ち悪いほどの違和感だが脚本の都合なので仕方ない。
これを大傑作扱いするのも当然気持ち悪く違和感がすごいが自分たちの評価に酔ってるオタクたちにこの気持ち悪さは感じ取れないんだろうな。
だから「後から判明したこと」から遡って「なぜあのときああしなかったの?」と言うのは無しでいこうよ。小学生じゃないんだからちゃんとストーリーの中での必然性を語ろうよ。
「エネルギー切れるまで打たせろ」→ゴジラが一通り東京を荒らし尽くして制止している状態が「休眠」であると「仮定」できるようになって初めて言えること。それ自体がゴジラ停止から数日後でしょ。
「無人機使ってから誘導兵器云々」→だからそれも後出し。軍隊同士の戦争じゃなく「どんな進化するかわからない不明生物」との戦闘なんだって。相手の出方が全く予想できない状態で「相手停止!一斉攻撃!」なんて指揮したらそれこそ負けフラグそのものでしょ。ましてそこに「群体化・有翼化」なんて可能性が出てきたら、確実に「通常兵器による攻撃は差し控えよう」という判断になるわ。
「休眠してる間に次なる進化の可能性を誰も考慮してないの?」→だから、それがあったからこその国連の「核攻撃やむなし」って判断でしょ。ちゃんと見てた? その考察があったから安田くんも「そりゃ選択肢としてはある」って言ったんだよ。むしろ、群体・有翼化して四方八方に飛び散るかもしれない(そして各地で再び巨大化するかもしれない!)生き物に対して、あなたが「物量作戦で空爆が上策」と思ってるのが不思議で仕方ないよ。
結果論、結果論、そして穴だらけの考察。あなたの書いてることは、普通に全てシナリオの中で解決がついてることばかりだよ。あなたが「おかしい」と感じるのは、端的に言って読解力不足のせいなんだよ。
ハッキリ言うけど、そもそもあなた最初は「群体・有翼化」の話が作中で出ていたことを完全に見落としてたでしょ? そのレベルの記憶で作品の「あれがおかしい、これがおかしい」と言うのはちょっとどうかと思うよ。
それにね。「シン・ゴジラ」のラストは、「みんなでゴジラ倒したったwwwやったぜww」じゃないんだよ。あなたはそれさえ分かってないんじゃないの? ラストシーンの尻尾の大写しは、最後の最後で「ほんとにギリギリの幸運による成功だったに過ぎない」「一歩間違えたら最悪の事態だったかもしれない」「しかもその悪夢はまだ終わってないかもしれない」ってことをあの映像で観ているものに見せつけて、最後にゾッとさせる系のエンディングだったんだよ? 人類はゴジラ禍をまだ全然逃れ得ていないし、だからそもそも「あの攻撃が後から見てもベストでした」なんてこと、映画の中でも誰も言ってないしそういう作りにもなっていない。ただ「その時点その時点で得ていた情報の中で、各自が最適を選びながらがんばった」という話だったんだよ。各自の行動に、ストーリー上ご都合主義的で不自然かつ間抜けな見落としはほとんどない。そういった完成度の高さも、あの映画が評価されてる一因なんだよ。
もちろん、本当のところ映画制作の都合上「そう言いつつも、この絵を見せたいからこうしたんだよねー」という部分は、そりゃある。映画だからね。「リアル」と「リアリティ」は違うからね。ただ、その嘘の見せ方自体もかなりうまかった。納得して許せるなと思えるレベル。その意味で、あの作品の防御力はゴジラ並に堅い。だから、あの映画に切り込みたいならもっと違った角度、切り口、意表をつくアプローチが必要なんだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20160823104151
なお、タイトルの「通常兵器による最大火力」について一言考察。ここからはオマケ。
アメリカには「通常兵器が有効」だというデータはあったのだろうけど、それに加えて、ゴジラがレーダーのような能力を備えることまで予測していたのかもしれないね。でないと『同質量の金と同額』とまで言われる世界一高価な「ステルス」爆撃機B2を(しかも3機も!)投入するのは不自然だから。そして爆撃に使用するのは外しようのない、最大火力の誘導兵器である地中貫通爆弾バンカーバスター。
つまり、この時点ですでにアメリカは「普通に適切と考えられる最大の兵力」を投入してるんだよね。しかも当事国の同意を得ないうちに素早く。アメリカがいかに危機感をもち早期収束を焦っていたかが分かるね。しかし、そんなアメリカですら残念ながら予測できていなかったことが二つあった。「ゴジラの攻撃の対空レーザーへの進化」加えて「バンカーバスターで貫くことはできても死なないどころか怒らせただけというゴジラの身体構成(結果、馬鹿みたいに被害(火災とおそらく放射能汚染)が拡大)」という2点。この2点のミスは致命的でかなり痛い。結果、米軍全体でも21機しか保有しないB2のうち3機(しめて約5000億円?)とその搭乗員を失い(エリート爆撃機乗員6名以上…プライスレス)、同盟国である当事国の首脳陣をほぼ全滅させ(プライスレス)、同首都に壊滅的な打撃を与え(東北大震災の約10倍としてざっと数百兆円? 円と株の暴落による世界経済への影響は…少なくとも米国債&ドルの暴落にも歯止めかからないレベルの打撃はまさにプライスレス)…。これ、単なる「攻撃作戦失敗」の域を越えてるよ?! いくら大統領に巨大な権限があるとしても「判断ミス」追及されたら辞任どころか死刑になってもおかしくないくらいの大失態だよ? ゴジラに対処する必要がある超非常事態だからこそギリギリ責任問われずに済んでるけど。結果、アメリカは自分の判断では動けなくなり、国連主導の解決策に移行するしかなくなった。その国連の判断が、中露という地勢的に近隣な国々を中心とした「核攻撃止むなし」という結論であって、「通常兵器でなんとかしようとしてた前半」と「核攻撃止むなしの後半」では主体が変わってることもけっこう重要なポイントですね。
不満点はそれだけか(http://anond.hatelabo.jp/20160822144854)の突っ込みが面白かったので勝手に答えてみる。なお当方は一応2回見た。
さて増田の疑問の半分くらいは「非常時なんだから仕方ねえ、という意味でリアルの範囲内」と感じた。これは個人的な感覚。避難者の行動も、巨災対メンバーの挙動も。私物持ち込みにしたって、そもそも非常時のほぼ非正規組織の中でのことなんだから、セキュリティレベル下げ本人の希望最優先でとなるのも納得できなくはない。ただ、「地震の時のように避難するのはおかしい」というのは、作中描写があったので(都庁本部で「対策マニュアルがない」と問題にしているシーンと、消防隊員か何かが「地震用の避難マニュアルでは役に立ちません!と本部らしきところと通信しているシーンが有ったので、多分そういう点も柔軟に対応できず結局既存の地震マニュアルでしか避難指示が出せていないと見ているものに悟らせ、絶望感が一段と増す描写)この点については、特に不審には思わなかった。地下鉄民はゲロから助かるのか、という点は、まあ東京の地下鉄は防空壕使用になっているという都市伝説でもって勘弁してやってくれ。そこは国家機密なので(笑)。
それよりも、あらためて増田の指摘で気付かされたのは、「振動の少なさ」「逃げ遅れ」「海自の見失い(特にコレは、鑑賞時に自分もやや引っかかっていた点なので、それを思い出させてくれたことを感謝したい)」そして「地面踏み抜かない」といった非常によい指摘から、明確に一つの結論が導かれるということだ。上映中、これらの点について、自分がそれほどの違和感を感じなかったのはなぜか、ということ、それから、今回のゴジラの最大の特徴であるあのゆらゆらと宙に揺れる巨大な尻尾の違和感とを含めて、それにこたえたい。
ここから導かれる結論は、シンプルだが「あのゴジラは実はスカスカなのだ」ということだ。もちろん一定の重量はあるだろうが。一番最初の総理の記者会見は、今から思えば伏線だったのだ。「陸上であの巨体の生物が自重を支えられるとは考えられない、だから上陸はしない」と。だが上陸した。なぜか? 答えは簡単だ。「巨体に見合う重量がないから」だ。ゴジラのもたらす圧倒的な破壊のせいで、劇中の人物も、見ている我々もうっかり忘れそうになるのだが、今振り返ってみればおそらくそうなのだ。見ている人が、どこかで「重量があまりないこと」にも心の底で気付けるようにした様々な仕込み…それが増田の指摘ポイントなのではないだろうか。
海自が見失った原因もおそらくそこにある。まあ、レーダーまで装備する(笑)生き物なのだからソナー打ち消す能力くらいあってもいいのかもしれないが、海中でいったん質量に見合った大きさに戻ったとみる(そして上陸前に海辺まで近づいてから巨大化した)のが妥当ではないか。「折り紙、食べてないんだ」という間准教授の気づきも重要だ。折り紙の鶴のように中身がないのだ、最初から。だから短時間にあれほど爆発的に巨大化できたのだ。外殻こそ固いが内部はスカスカ…というのは、バンカーバスターの命中シーンでも思えば描写されていたようにも思う。本来あれは、外殻を突破して内部を破壊する爆弾だったはずだ。だが、想定外にスカスカな内部のため、ゴジラの体をあっさり「突き抜けてしまった(だから内部にはそれほどダメージを与えることができなかった)」のではないだろうか? また、血液凝固剤があれほど一気に巨体に浸透したのも、東京駅真上にいたのに(地下30mまであるのに)地盤を踏み抜いていないことも。あれほどの銃弾・爆弾を跳ね返す体皮の固さを持ちながら、列車の突撃、ビルの崩壊といった質量攻撃に意外ともろかったことも。こう考えると、劇中の様々な謎が解けそうな気がする。
自分が、増田の指摘した点について、正直鑑賞中に上のようなことを考えて納得していたわけではない。あくまで「不自然に感じなかったのは、うっすらとこういうことを感じていたせいではないか」と、後付けで言語化してみただけだ。異論・反論は認める。できれば二度目の観劇を踏まえて。
http://anond.hatelabo.jp/20160822144854
(追記)
一個忘れてた。「パターソン日本語うますぎ問題」。これは、まあアレだよ。その分英語上手くないところから推察して、つまり忙しい両親でなく被爆一世である日本人の祖母に育てられたんだよ! 日本語上手いのに敬語苦手なのもそれが理由だよ。そのせいで子供のころからいじめられてきて、それが彼女の強烈な上昇志向とアメリカという国へのプライドの原動力になってるんだよ。以上、解決!
ご都合主義を排するというのは確かに名作の条件。だが同時にシン・ゴジラが名作である条件として「行動できちんとキャラが立つ」という点も指摘しておきたい。たとえばゴジラへの攻撃を例にとって言えば、
避難する一般人(ばーちゃんを背負うじーちゃん…)を見て攻撃タイミングを逸する「日本政府」
これはもうやむを得ない。この国は戦後ずっとそういう建前でやってきてその頂点にいる人があそこで人命軽視の判断したらリアリティがない。パシフィックリムの1作目で「怪獣の近くに漁船が…」→「構わん、やれ」みたいなやり取りしてるのを見ると、「ああ、アメリカさんね」と思うあの感じ。ここは"ニッポン"で、prime ministerだからね。仕方ないわね。というカヨコさんの声が聞こえてきそう。
これも、「一発も外さない」という「本質ではない部分の質を高めること」に終始して、「成果をあげる」という本質をついた発想から逸脱している軍隊を戯画的に描いている。ぶっちゃけ、手りゅう弾の外郭に瀬戸焼の上物を使ったり、小銃をピカピカに磨き上げることに必死になってた旧軍と、いまだに大して変わらない日本人の悪癖をよく描いている。そのせいで引き際を見間違えて無駄な犠牲を兵に強いるところまで、旧軍から変わってないなと思わせるシーン。現場の一人一人が少し呑気だとか、「訓練通りにやれば大丈夫だ」とかの無意味な楽観主義とか、でも一人一人は仕事にあたってはホントに真面目だとか(でも報われないとか)、まあいろいろな実態を踏まえて、よくまとめて描かれているなという印象。
それに対してB2(だっけか?)つかってバンカーバスターぶっこむ米軍の「兵の安全優先」「容赦なく物理重視」的攻撃は実に米軍らしい。結果論とはいえその『後始末の悪さ』も含めて、実に米軍らしい。そもそも、バンカーバスター用意している時点で「通常兵器はたぶん効かない」という予測があっただろうに、自衛隊になんのアドバイス・情報提供がなさそうなところといい、自衛隊のことをぶっちゃけ『自分らが使い捨てできるコマ』かおとり部隊だと思ってるよね、みたいな。日米安保下の日米関係に対する皮肉を込めて、リアル?あるいは巧みに戯画的に描いているなという印象。結局「9条砲(=「日本は戦争しません」アピール)」ってほかの何よりもまずアメリカに向かってるんだよねーっと思う。
生物として、ある方向に進むという動機不明な「意図」をもつだけで、積極的な意志をもった攻撃姿勢を見せないゴジラの「生物としての在り様」がまことにゴジラらしい。それが人間の作り上げた都市にとって壊滅的な打撃であることも含めて。「腕をふるってビルを壊す」とかそんなシーンもない(そもそもふるえるほど手が大きくない)。ビルは歩いていてただぶつかるだけのしかかるだけで壊れる。見ようによっては、あまり大きく物をつぶさないように歩いているとさえ見える。巨大なしっぽも、地面を薙ぎ払うでなく、躾の良い健康なワンコのように宙に浮かせてる。中盤の大破壊だって、背中にバンカーバスター撃ち込まれてびっくりしたからだし、ビームだって飛んでるハエを払う程度の反射的行動として描かれている。つまり「生まれたての、ただの無邪気な生き物」としてキャラ立てされつつも、その一方で振る舞い自体はさながら破壊神か悪魔そのものにしか見えない…という高難度な演出をしているところは高く評価したい。『あくまで受身だが、こちらから手を出せば出すほど災厄そのもの』。だからこそ、ゴジラが「世界が手を取り合って解決すべき課題そのもの」として立ち現れてくるという仕組み。すげーな。
…と、たとえばゴジラの攻撃シーンだけをとっても、皆のキャラが立ちまくってる! こういうところも、やはり名作の条件なんだと思った次第。
http://anond.hatelabo.jp/20160813162338
ついでながら、こういう風にあの映画を見た自分から見ると、キープレフトな方々の一部から出ている批判に「ああやっぱり『政治』の世界に『表現』の味方などいないんだよな」という感想を抱いた。結局、作品や作家そのものに寄り添うということが全然できないで、自分らの立てた運動綱領とかが全て。でも、それはもう直しようがないんだろうね。「『人間』を信じましょう」という、あの一言が彼らからは出てこない。それがなければ、たとえば新興宗教と比べて、その主張に何の違いもないというのにさ。ダメだよほんと。
大河内内閣も自衛隊も米軍も、終盤のゴジラも、ミスらしいミスを何もしてないんだよね。
むしろ「あれ以上に最善を尽くすって無理だろ」レベルで良くやっている。
大河内は住民を避難させた上で自衛隊の最大火力を準備万端に整えた上で叩きつける事に成功してるし、
自衛隊も最初に頭部集中、効果がないと見たら火力を上げて脚部にも攻撃、全弾命中と凄い練度で攻撃してるし、
米軍もバンカーバスターを最初の一発から命中させて、一機目が前から撃墜されたら二機目と三機目は同時に後ろから攻撃と、即興でやるのは無理だろってくらい的確な対応をしている。
最後のゴジラも、結果から見るとビルと電車を使える東京駅というロケーションで休眠してしまったのが敗因の一つではあるけど、
それより開けた場所だったらもっとやりたい放題やられた可能性もあるわけで、放射線ぶっ放した後休眠するまでの時間がなかったのなら、
最も敵にとって重要そうな場所に立てこもるのは悪い選択肢じゃない。
八塩折作戦序盤の波状攻撃に対しても、あれ以外対処しようがないし。
ゴジラを褒めるために他の作品を貶すことはしたくないから具体的な作品名は挙げないけど、
「これ相手が間抜けじゃなかったら負けてたよね」って印象があると割と萎える性質なんで、
負ける者が最善の選択をしてそれでも負けるって、名作の条件だなあと思った次第。
シン・ゴジラのカタルシスは散々言われ尽くされてる事だが、ゴジラのブレス攻撃第一波に尽きる。
主人公側(政府側)のステートマシン図を書きたくなるような目まぐるしい報告と対応も凄かったが、
その凄さは恐らく「敵が無能だと強さ引き立たない」という理由で演出されたものであり、
観終わった後も「あの攻撃だけでももう一回見たい」という気持ちが強く、
で、あの攻撃の何が凄かったのか数時間考え続けて、一応の結論が自分の中で出たので、書き留めておく。
まずあのブレスが設定上どういう位置づけかという点だが、あの攻撃は、波動砲(ガミラス視点)だったのだ。
発射に至るまでの溜めの長さといい、ゴジラ自身が制御しきれない巨大なリスクを伴った手のつけられない破壊力といい、
庵野つながりで巨神兵ブレスと見ても良いのだが、巨神兵との違いは、巨神兵が最終的に大海嘯に押し切られて自滅するのに対し、
とにかく撃ったら終わる無敵兵器の位置づけなので、巨神兵よりは波動砲に近い。
(とはいえ、後述するように最後は「ガス欠」が敗因なので、そこは巨神兵と同じと言える)
見てる人は皆同じことを思っただろうが、今回のゴジラはブレスを吐くまで攻撃らしい攻撃を全くしないのである。
町の中をのたくってあっちこっちを押しつぶしたのと、煙の中から橋をちゃぶ台返しした事以外は、実に忍耐強いというか、攻撃をしない。
神心会のデンジャラスライオン加藤清澄にパンチされまくっても欠伸してる夜叉猿Jrのように、まるで何もしない。
ゴジラが攻撃するのは「有効な攻撃」をされた時だけなのである。
これは別にゴジラが「攻撃しなければ無害であり、本当は戦いたくないのだ」などという甘っちょろい事を意味してるわけではない。
ゴジラは移動するだけでも甚大な被害を発生させる存在であり、「放置しておくと増大するリスク」そのものなのだ。
いるだけでも迷惑だが、取り除くために行動するなら痛みとリスクを伴う癌細胞。それが今回のゴジラだ。
だから、有効な攻撃を食らうまではゴジラも攻撃しなかったのだ。
今回の映画で政府側は何度となく「民間人に被害が出るけど攻撃するか」を問われるが、
ゴジラが最初からブレス撃ちまくりながら侵攻してきていたら、その葛藤は描けなかっただろう。
で、テーマ上の都合は上記のとおりとして、
ゴジラの都合に立ってなぜ攻撃しなかったのかを考えると、ブレスの「奥の手」としての悲哀が見えてくる。
ゴジラの負けが決まったのがいつかという点を考えると、それはあのブレス攻撃が終わってゴジラが活動停止した時だろう。
あの攻撃で「ガス欠」という決定的な弱点を晒してしまった事で、
主人公側はゴジラに血液凝固剤を投与するための道筋が見えてしまった。
確かに「止め」を刺したのは血液凝固剤を飲ませた事で、その点はショボく見えるのだが、
重要なのはそれより前に無人機による波状攻撃によって放射能を撃たされて、意図的に再度ガス欠にさせられてしまった事で、
あの状態になったらもう血液凝固剤でも口の中に爆弾でもバンカーバスター釣瓶撃ちでもなんでもできるわけで、
ガス欠がバレた時点でゴジラの勝ち目はなくなっていたのだ。
その意味で、勝負が決したのはゴジラが奥の手であるブレスを使わせれた第一波が全てだった。
総理はゴジラのブレスで死んだが、ブレスを撃たせたことでゴジラの死も決まった。
神羅カンパニーのミッドガルキャノンvsダイヤウェポン戦と同じで、あのブレスシーンは、総理以下内閣首脳とゴジラが刺し違えたシーンだったと考える。
あの総理大臣は2つ印象的なシーンがあり、一つはゴジラ第3形態の時に巻き添えになる民間人を見過ごせず、攻撃中止を決断したシーン。
もう一つは米軍によるゴジラへの攻撃で東京の空が赤く染まっているのを見ていたシーン。
特に前者の方は、直後のゴジラのしばしの停止とも相まって、日本政府の弱みを敵の眼前に晒したシーンであり、総理のその後の敗北を強く暗示する物だった。
ゴジラが鎌倉に再上陸した後東京に向かい、登場人物が「なんでこっちに来るんだよ」と嘆くシーンがあるが、
要は、民間人を救おうとしたことで勝機を逸したと同時に「人がいる場所なら攻撃されない」と舐められたわけである。
その事が、熱核攻撃というリスクの拡大再生産と、最終決戦での主人公が民間人に巻き添えが出ようが何だろうが攻撃する決断につながったのであり、
またゴジラが東京駅で活動停止した理由も、人の多そうなビルの近くが一番攻撃されにくいという判断によるものかもしれない。
攻撃するべき時に攻撃できなかったことで、リスクを東京消滅の寸前まで大きくしてしまった総理。
決断力あり過ぎに描かれていると非難も多い日本政府だが、それは彼らが死んだ時に「その後」の日本政府の人材欠乏ぶりを際だたせるためのものだろう。
ネタバレ含む
庵野秀明総監督として制作されたシン・ゴジラの評判が高く、一部では傑作として騒がれている。
しかし、パニック映画としては、途中で被害を受ける一般人の姿が殆どなくなり、怖さの演出がなくなっていき、完全体となったゴジラには恐怖感をあおる演出はなく、強さはあっても怖さはない。
序盤の深海魚的ないびつさも、慣れない人には恐怖かもしれないが、基本的には間抜けな顔をしている。
怪獣映画としても、ゴジラにさほどの強さとしての演出が残念である。硬く大きい、それは原始的で分かりやすい強さではあるが、特別な強さを感じない。
放射火炎は一見強そうだが、よくよく見てるとバーナーであり、色々な建物を破壊するが、あのゴジラならしっぽをぶつけるだけで問題ない。全身からバーナーを出すのも、防御のためで強いというよりは防衛反応の強い生き残ることに特化した存在だ。
それも凍結作戦の推移を見るに、無人機での波状攻撃で防御バーナーを無効化してから、バンカーバスターによる攻撃で破壊できそうに見える。(もちろん細胞の再生機能が強く、解決はしないと劇中で描かれているが、それでも強さを感じない一因となる。)
最終的に転がされて、口から凝固剤流し込まされて活動停止とか見せられては「ああゴジラ強かったな」と言う思いが薄まってしまう。
メインとなっている会議シーンはどうだろうか、今回の会議シーンは日本の行政の手続きこそを大事にすることを皮肉的に描いている。
現場から連絡が数珠つなぎに上がって、総理の命令が数珠つなぎに下されていくなどは、寿限無のような落語的愉快さをもっているとは思う。
しかしながら、会議の展開に緩急がなく急ばかりでメリハリが弱い、最初からクライマックスな展開のためいわばすべて緊急場面の会話で、緊張状況の雰囲気に慣れてラストシーンへの緊迫感ですら冗長になってしまう。
また、終盤の会議で問題発覚→提案→解決の流れが簡単すぎて、その問題を描く必要があったのかと言うシーンが続くのも緊迫感が薄れる原因の一つだ。
解析のためのマシンパワーが足りない!→世界に応援を依頼→日本を信じるわOK!→解決
世界的な協調を演出したいのかもしれないが、無意味だったのではないか。
世界的な展開と言う関連でいえば、今回の映画は日本対ゴジラと銘打たれているが、基本関東vsゴジラであり、もっと言えば霞が関vsゴジラであって、後自衛隊ぐらいでそれ以外は一切戦っていない。(薬剤作成に協力した企業ぐらいか。)
日本の他の地域の描写はないため、東京近県以外にはあまり身につまされない。
今回のゴジラと言うのは、原発事故と津波・地震のメタファーであることが映画からすぐにわかるが、つまるところ東日本大震災なのであり、あの震災を体験した東京の人達には身近な恐怖として心底感じるものがあるかもしれない。
しかし、西の地域からすれば、(それが人間としてどうこうはおいておいて)やはり他人事のように関係のない話にみえてくる。
このように、面白みがない映画ではないが、絶賛するほどに良くできた映画でもない、良作と言う程度と感じられる。
(ここまで飛ばしてOK)
シンゴジラを傑作とすると感想を見ていると、「ようやく邦画として世界と戦える映画ができた」みたいなものが出てくる。
ここらへんの事情は、結構な割合で、「字幕が読めない」「吹き替えが下手でいや」「顔の区別がつかない」などの理由で”邦画以外を見れない層”が結構いて、
この邦画しか見れないような手合いが、今までの、つまらなくつまらなく作られた日本人オンリーのドラマや邦画を、これしか見れないからとずっと我慢して見続けてきた結果、シンゴジラを見て「これは凄い傑作だ」と感じるのだろう。
また、普段映画館に行かず家のテレビで映画を見ていたような層が、庵野秀明+ゴジラと言うことで見に行って、大画面+大音響にいつも以上に心が動かされたのかもしれない。
この辺り、シンゴジラを絶賛している人たちが「つまらないとか○○な証拠ww」とか言って、シンゴジラへ批判する人物の、人間性の否定が始めているところから、
初めてジャンルに触れた時に感動してファンになった人が、普通の批判程度にも噛みついているのと良く似ていることや、特定のジャンルに新規ファンが来た時のアンチとの口喧嘩とよく似ていることから
映画やゴジラでで良いものを見るという経験に乏しい多くの人が見て感動したのではないかと感じられる。
ただ、多くの人を映画館に足を運ばせる誘因力があり、それを、ただ足を運ばせるだけではなく、ちゃんと満足させた。それは重要な出来事だ。
その意味で、シンゴジラは確かに傑作であり、多くの人を映画へと興味を持たせ希望を持たせたという意味で、日本映画界の一つの希望だろう。
http://anond.hatelabo.jp/20160805000418
映画だからご都合主義で成功したけどさ、ヤシオリ作戦ておなじみの官製爆死プロジェクトだろ。
血友病なんかで使う血液凝固因子は口から投与しても効かないし、そもそも熱核反応してるような生物に効くかよ。
しかもバンカーバスターで打ち込むならまだしもホースで口からってアホか。
優秀なはずのメンバーが雁首揃えて誰かツッコミいれなかったのか。
爆破で都合よくゴジラが倒れて都合よくお口を開けて待っていて都合よくゴックンしてくれるって…
で現場の作業員はクソプロジェクトの犠牲になって文字通り爆死するわけだが、そこはさらっと流すだけ。
なんだこれ。