はてなキーワード: 凄さとは
歌い方がキャラじゃなくなってる人も多いが元曲もなのかどうかは分からない。
個人的に日高愛が好きだから戸松遥の登場は嬉しかったが、戸松の歌やセリフも愛ちゃん感が弱まっていた。忘れてても仕方ないか。
ミリオンライブの楽曲は作曲陣がラブ×イブと被っているせいか、メロディアスな楽曲が多い印象を受けたし、良いかもしれないと思った。
(ラブ×イブ、初期の楽曲の質は高かった。アニメ化でキャラも曲も多様性も卓越性も消えて段々と死んでいった。)
対して765やシンデレラガールズの楽曲は楽曲として軽さがあって、音楽としての個人的な評価は低くなってしまう。
M@STER PIECEあたりはその典型で、劇場版の主題歌で必殺の楽曲のつもりなのだろうということは分かるし多くのPも絶賛しているようだが、
その点ラ初期の楽曲は好みだったのだが主にアニメ2期以降楽曲の方向性がアイマスに近付いていって唯一の長所も死んでしまった。
2期や劇場版の劇中歌は総じてなんとなく良い曲っぽいだけで刺さるものがない。こちらもライバーの多くが絶賛していたが以下略。
アイマスもラも途中まで好きだったのに失望させられる出来事があって距離を置くことになってしまったのだが、(アイマスは今も嫌いではないがラはほぼ嫌い)
アイマスは好きだった頃も特に楽曲の質については評価してなかった。
恐らく作品性の問題もあるのだが、アイ×ツ、プリ×ラ、ラブ×イブ(アニメ)、W×Gはアイドルが主人公ということもあってファンもアイドル目線。
あとアイドルが作詞作曲や自己プロデュースを自ら行ったり、楽曲の内容と作中ストーリーの間の関連性が強かったりする。
そのために、キャラクターソングとしてもアイドルソングとしてもただの挿入歌ではない味が出ている。
アイマスは原作であり核となる作品であるゲームで基本的にプロデューサーがプレイヤーで主人公という目線だったり、最初から用意されている楽曲を選んで歌わせる形式なため楽曲とアイドルとのマッチングの意味合いは捏造的な想像しかしにくい。
アイドル自身が主人公でそれぞれが主体的に動かざるを得ない状態の4作品と比べると、アイマスはアイドルがP含む大人の操り人形のように与えられた機会で与えられた楽曲を歌うという感が強いので楽曲やライブシーンが作品やキャラから乖離した挿入歌っぽくなる。
一方、アイドルマスターDSはアイマス作品の中では異例のアイドル達が主人公の作品で、オリジナル楽曲とアイドル自身のストーリーとの関連性も強いのだが、楽曲自体は軽さがある。
しかし、ゲームをプレイすると作品のストーリーと相乗効果で心に染み入るものがあった。
その他、アイマスライブはどうも作品ライブというより声優ライブとしての色が濃いしファンもキャストを声優として見ている点も大きい。
声優に興味や愛着がないとライブへの感動が半減どころではない。
その点でいえばラやWなどはキャラクターと同様にフォーメーションを用いたダンスパフォーマンスを行うためによく分からない人が見ても凄さや良さを察するものがあるが、ラはその影響で故障者が出たりしているのでダンスを専門としない人がやるにはハードすぎる部分もあるのかもしれない。
声優の身の丈に合った範囲で理想のイベントを行うとしたらアイドル作品ではないがサクラ大戦の歌謡ショウが究極的な理想だ。
映像でしか見たことがないが何故ほかの作品はあれをやれない、もといやろうともしないんだろうか。
豪華声優陣が声優としてではなく最初から最後までキャラクターとして演じ通し、観客もキャストをキャラとしてのみ扱い持て囃す。キャラクター作品イベントとして完全に完成されたイベントだと思う。
昨今はアイドル作品が増えているが、どちらかといえばアイドル声優がアイドルを演じるアニメ作品が増えている。
ライブイベントもキャラクターを片手間として演じつつ主にはアイドル声優としての私(たち)をチヤホヤしてほしいというスタイルで、売り方もそうなっている。
そんな状態だから、一度声優ライブの人気がついてくると作品の出来が悪くてもバレないし影響もあまり出ない。声優ライブやっとけば売れるから…。
友達が「ブレイキング・バッドがクソ面白いから絶対見ろ」とうるさいので、どんなもんなんかなーと思ってさ。
でも何故だかブレイキングバッドは一話だけ見てそれ以降は見ずに、ほんとにたまたまなのだけど「あしたのジョー」ってのがメニューにあって、昔そんな国民的アニメがあったってのをどっかで聞いてたから気になって。
で、最初は気付かなかったけどそれは元のあしたのジョーじゃなくて、2だったんだ。
つかさ、いくらなんでもその出来栄えからしてこれが1970年のアニメである筈はないと思ったんだよね。他にも色々見たことあるからさ、同時代の。
ふーん、1990年代くらいでもなかなかクオリティ高いんだなぁ・・・と思ってたら、それが勘違いで1980年に始まったテレビアニメと知り、びっくりした。
そりゃ今に比べれば全然だけど、1980年とはなかなか信じ難い。
監督が出崎統とある。アニメの事なんか全然知らない門外漢なので名前も全く知らんけどWikipediaとかみると凄い人だってことを知った。
とにかく凄いクオリティの高さ。
止め絵とかが多いけど、その止め絵の動かし方とか表現方法が素晴らしく効いていて、安っぽさが微塵もない。
(いやマジで例えばドラゴン○ールなんで止め絵だらけでクソだし)
つーか、これほどのクオリティなら今でも十分通用する。
逆にこれが今から約35年前のアニメというのが信じ難いとすら思えてくる。
そう言えば、確か宮崎駿の初期作品だったカリオストロの城も同時期だったよね。
あれは超有名だし、宮崎駿というクレジットもあって特に驚かなかったけど、もちろん素晴らしい出来なわけだ。
ていうか、そういう凄い土台があるから現在の日本のアニメ文化が成り立っているのかもしれない。
オレはアイドルのライブで歌唱力やパフォーマンスの凄さを楽しむよ。
圧倒され息を呑むのを忘れ、時が止まったような感覚を味わうね。
まあオレは他の観客の凄さを体で感じるんじゃなくて、
周り見渡してキョロキョロするのが嫌なら、メタルを聴けばいい。
モッシュピットで殴り合いをするのも、後ろで腕を組んで泣くのも自由だ。
もちろん歌唱力だかパフォーマンスとかいう技術もメタルの醍醐味だ。
もっとも、その手の小手先の技術は、楽曲とアーティストの魅力を伝える手段にすぎないけどな。
先日ファンの友達に誘われて某声優アイドルのライブに行ってみた。
案の定男性が多くいわゆるオタクの身なりで年齢層も偏っている。
オレはあまりライブ経験はないが、Superfly、B'z、MISIA、久保田利伸、ゆず、ポルノグラフィティは何度か行ったことがある。
オレがライブに熱狂するタイプじゃなく、生歌の凄さを身体で感じたい人間であることを前提に読んでくれると嬉しい。
で気になった点は
アップテンポな曲が多かったが、たまにバラードになってもペンライトを必死に振り回す。
他の一般的なライブでも歌手の煽りで掛け声をしたり決まったリアクションを取ったりはするので、全ておとなしく聞けってワケじゃない。
だが静かな曲でリアクション取ることも忘れて聞き入る曲もあってよくないか?
・生の音楽を聞きたくて参加していない
周りの観客はどんな曲でもハイテンションな芸に夢中。ライブ終了後の友達は「楽しかった!どの曲も盛り上がれた」という感想。
歌唱力のあるアイドルというと、松浦亜弥を思い出したので、ライブ映像を見てみたら観客はアイドルファンらしい掛け声をしている。
多分オレが当時松浦亜弥のライブに行ってもパフォーマンスの高さをしみじみと眺めていたと思う。
最後まで安定して歌えてて声量には驚いたが、歌声に感動した場面は皆無だった。
サビ前でアカペラになった時は一瞬期待したものだが、声が大きいだけでてんでダメだった。
周りの観客は終始うるさかった。とにかくみんな身体全身を使って曲のリズムに反応する。
オレが今まで行ったライブは歌唱力やパフォーマンスの凄さに圧倒された。
息を呑むのを忘れ、時が止まったような感覚を味わった。曲が終ると我に返り思わず拍手してしまう劇場空間。
それに比べると、アイドルのライブは演奏や歌は普通に聞ければそれで良い。観客はオタ芸?の揃った掛け声で曲の間奏を盛り上げる。
観客の発狂ぶりは曲と一体となりライブ空間を作り上げていて、歌手がパフォーマンスを見せつける場ではないのかもしれない。
歌を聞かせる部分でもなぜかお決まりのコールがあり、全く集中できなかった。観客もアイドルともに細かいことはええから騒げ!と言っているようだった。
リズムゲーみたいに思えるし、アップテンポな曲にオタ芸で参加出来ればもっと楽しめるのかなぁ...
今回初めてアイドルのライブに行っただけで、ダメだと決め付けずもっと経験を積んでみたら面白さも分かるかもしれない。でもこんなにつまらないと希望が持てない。
いや、覚えてる人はいるだろうけど、俺は言えない。これでもそこそこ長く、常にではないけどそれなりの頻度で氏のブログを読んでいる。zaikabouという名前はあの白黒のアイコンと共に覚えているし、なんだったら漢字弱いから書けないけど、zaikabouっていう、はてなのIDも覚えている。にも関わらず、ブログタイトルを空で言えない。これは同じく漢字が弱いからかもしれないけど、敵となんとかの部分しか覚えてない。読者登録しているし、頻繁に購読中のブログに流れてくるにも関わらず、ブログタイトルを覚えてない。なにこれ。こわくない?
どうなの、みんなちゃんと覚えてるの? 正直、覚えてないと思うんだよね。zaikabouのブログで認識している気がする。はっきり言って、キャッチーじゃないんだよあのタイトル。妙に覚えやすいハンドルネームと、インパクトあるアイコン。そこに目を持ってかれて、誰もブログタイトル覚えてない。
はてなブログでトップクラスの読者登録数持ちながら、誰もあのブログのタイトル覚えてないんだよきっと。美術館巡りや出張のこと、食べ歩きやミッフィーを覚えているのに、ブログタイトル覚えてない。それは内容で覚えられてるってことで、まあなんか上手く着地できないけど、それがあのブログの本当の凄さかなとは思った。ブログタイトル覚えてないけど。
新宿G前。
つけ麺、あつもり、スープ割りがあるチェーン店風のラーメン屋。
で、主人公は、
こいつがとんでもないやつだった!
すげー汚いのよ、食べ方が!
おっちゃん、びっくらこいた。(古)
ともかく凄まじい勢いで麺を吸うわけ。その音の凄さ!
周囲にスープを飛び散らせるような勢いで吸うこと吸うこと!
こんな勢いで乳首吸われたら、痛いって!
隣りに座ってたからじゃないな。遠方のお席にも届くような爆音。
顔を丼にかなり近づけているから、飛び散ることはなかったが、
その音を聞いているうちに、食欲がなくなってきた。。
そんな勢いで吸ってるから、あっという間になくなるのよ、麺が。
どうも同僚と一緒に来たようで、
同僚が食べ終わるのを、ジーっと待ってる。
まあ、汚く吸う音がなくなり、気を取り直して食べることができからいいけど。。
しかし、あんなに汚い音出してラーメン食べる人間を初めて見たわ。
あのリーマンに遭遇して、なんか納得した。
あれはダメだわ。周囲が食欲なくす。
あのリーマンを思い出した。
この日記、見てくれるといいな。見て、反省してくれるといいな。
新宿G前でランチをする、日本一汚いラーメンの食べ方をするリーマンよ! 君よ!
また会う日まで。
いやー、やっと録り貯めてたアニメ『すべてがFになる』を視聴した。
元々、原作の小説を数年前に読んでいたので、気になって居たんだけれども、キャラデザを見て絶望してたが、やっぱり気になるので見たわけ。
これは、コーヒーとタバコが格好良く表現された稀有なアニメだと言っていいと思う。最近は、タバコ描写は自粛があるのかアニメではあまり見ない。絶対に海外じゃ放送できない、そもそも海外にこのアニメを有り難がって見るファンは少なそうだけれど。タバコがこれでもかというほどに全面に出ているのに、コーヒーは原作よりプッシュ控えめという印象も受けた。
そもそも原作からしてアニメ向きの、画が動くタイプの物語ではなく、ひたすらある種の衒学的な、ある種哲学的な、冗長で、だが分かる人には堪らない会話がひたすら続くわけだから、画が止まっている時間が多い。紙芝居じゃないんだが、画面にダイナミックさが無い。初めからそんな物語だと知っているし、原作を読んだ時点で大分バイアスが掛かっているから最後まで視聴できたが、初見だったら見れなかったと思う。
総評として、「これは見る人を選ぶアニメだ」と言うのが第一印象。物語全体を通してアカデミックな雰囲気がプンプン漂ってくるところが、この作品の最大の魅力であり、見る人を選ぶ理由なのかと思う。全体的な雰囲気としては、どこか陰鬱で、大学の教官室なんかも良い雰囲気出してると思う。犀川センセの部屋は比較的荒れていて、研究所の所員の部屋はキッチリ整理されているというのは、研究者の2タイプを知っていて表現したのか、とても好感が持てた。アニメスタッフがロケハン(?)というか、モデルとなる研究室や研究所を取材したんだろうか。
最初、キャラデザが発表されたときに「これは終わった」と思ったんだが、動いている画を見ると以外に平気という印象。特に、助教は「こういう研究者居るよなあ~」っていうハマったキャラだと思う。出番が少ないけど。西の園君は、やっぱダメでしょ、ハデっていうか奇怪すぎ。主人公がカワイくないと、物語を見る楽しみは3割減だと教えてくれた稀有な存在になった。もうさ、こんなんだったら全編紫色のワンピースでいいよ。
対照的に真賀田博士は想像していたよりずっと良かったじゃん。cv木戸もハマっていたと感じた。でも、時々、毛量多いなあと思ったよ。
研究所の研究員とか、その他もろもろ、ちょっとキャラデザ的にブスすぎだろ。アニメ見ていて、「コノ世界は、真賀田博士以外、学位を取るとブスになるシステムが実装されている」と思ったよ。うーん、もしかして、製作者は「すべてがブスになる」と言いたかったんじゃないだろうか。
これは、原作を読んだ時点で思っていたことだけど、事件のネタばらし(0xFFFFになる)をしてさらに、解説(16進数で15はF)なんてやっても興ざめじゃないかと。そもそもOSというもの、UNIXの位置づけ、トロイ木馬プログラムやファイルのタイムスタンプ上書きだって、ピンとこない人は置いてきぼりだろうな。でも初めからそんな人は相手をしていないのか。まあ、逆にこんなマニアックなネタを使うなんて、なかなかヤルなあとニヤニヤしたいんだけど、真面目に解説されるとちょっとしらけるよね。
それにしても、犀川先生の思考が発火する瞬間の演出はナゾすぎ、なぜダチョウなのか良く分からん。
好きだったシーン:
そのシーンだけ異質なギャグっぽい感じが良かった
廊下を駆け抜けた先は教授会をやっている部屋じゃないのかと...
ライトノベルとかライト文芸とか広く大衆小説の凄さっていうのは、個人で作れて制作予算が低いことに集約されるんだよ。
作るのにあたって初期投資が非常に少なくて済む。商業印刷するにしたって数百万程度で済むし、なろうに連載するなら(作者の人件費以外)ほぼノーコストだ。
商業出版にしたってその作者の人件費は印税という形で出版後の割合報酬ということになってる。
なんだそんなの常識だろ? という人がいるかもしれないけれど、アニメだってゲームだって映画だってそんなことはないわけだよね。「放映中止になったんでギャラ払いません」なんてないわけだ。
この初期コストの低さというのが、メディアミックスの原作生成にむいているんだよ。
テンプレという言葉は今現在否定的な意味で用いられることが多いけれど、それって「創作者たるものは独自性を追求すべきだ」であるとか「読者である我々により大きなメリット(新鮮な読書体験)を与えるべきだ」みたいな、突き詰めると根拠があいまいで言いがかりに近い否定要素なんだよね。
でもそれじゃなんでテンプレがこんなにあるかっていうと、創作者レベルでいえばある程度創作の指針を借用できるからってのももちろんあるんだけど、業界レベルでいうと「初期条件をわずかに変えた実験を大量並列でやることに価値があるから」なんだよ。この実験可能ていう価値観ってのは研究者になら判りやすいと思う。
その実験が商業的に、つまり、メディアミックス原作を探査するうえで有用があるからこの状況があるんだ。
もし小説を作るのにかかるお金が現在の十倍もあれば、こんな実験は原価割れするので絶対に行われなかった。
実験コストが高いのならば、実験の施行回数を絞らざるを得ない。そこでは「作品Aと0.1%違う作品Bを作って反応差異を計測する」なんてのよりも、もっと距離のあるBの実験の方が優先される。マンガは、この状況にある。
つまり、なろうという環境でなんであんなにテンプレが謳歌されているかといえば、もちろんそれが作者に負担を書けないっていうのもあるんだけど、なろう連載はラノベ出版よりもさらにお金がかからないので、実験環境として優秀だっていうのがあるんだよ。実験コストが(それこそ素人の思い付き労力以外消費しないほど)低いから、ほとんど差異がないような作品が並行して連載される。
なにをもってメディアが豊饒なのか否かというかにはいろんな見地があるとおもうけれど、個人がわずかなコストで実験可能だ、という意味で、小説ジャンルは「豊穣」なんだよ。
イケダハヤトさんっているじゃん。
最初はさ、一応オピニオンリーダーとして新しい生き方を提唱するみたいなキャラだったはずなんだよね。
でもいつからそうなったかはしらんけど今ってただのアフィリエイターがなんか偉そうなこと言ってるブログだよね。
もはや文筆家でもなんでもないしアフィリエイターとしてはトップでもなんでもないよね。
そういう人が最近有料メルマガとサロンをはじめて急に年収が上がったんだけどあれアフィリで年2000万と勘違いしてる人ってもしかしている?
イケダハヤト塾に金払ってる人はそのあたりの認識は大丈夫なん?
ところで有料メルマガにカネを払うって感覚がよく理解できねえ。
俺はWebデザイナーで、月額100万くらい稼いでる人何人か知ってるけどさ。
月5000円ぽっちのメルマガでそんないい情報流さねえし。 つーか何十人もめっちゃ儲かるようなノウハウなんてねえんだよな。
アフィリエイターにとって情報として一番有用なのは「このブログとこのブログが実際に儲けてるブログです。この記事でこんだけ収入得てます」って情報なんだよね。
そういうブログを頭から尻尾まで隅々まで読んで勉強したほうがいいのよ。
唯一の例外がイケダハヤトのブログであって、アフィリエイトのコツを学ぶ際にイケダハヤトって例外みたいなキャラだから一番モデルとして向いてないと思うわけ。
なんでその人に学びに行くのかねって思うんだよ。
お前らがイケダハヤトみたいな例外的な存在になれるわけねえんだから、もっとオーソドックスに成功してる奴に学びに行ったほうが自分にあってるとか考えねえのかね。
イケダハヤト以外にもなんにも月何十万と稼いでるってわかってる人いるだろ。
まずその人達のブログを一生懸命読んで、どういうところがすごいんだろうって仮説くらい立てろよ。
その程度のこともできねえ奴がイケダハヤトから何か教わった程度で成功するとは俺は全く思わねえけどな。
稼いでる人たちみて凄さがわかった。自分に足りないものがわかった。自分のブログをこうしたらもっと伸びるとわかった。
だがその理想のブログのマネができないとかもっと良くしたいけど技術のことわからんってだけなら俺達のところに金払ってくれよ(懇願)
言っちゃ何だが、Webデザイナーって結構ノウハウ持ってるよ?
SEO業者やらアフィリエイターに直接学ぶのもいいけどさ、最低限のことは自分で勉強して、要件はっきりした状態で聞いてくれたら
絶対にアフィリエイター塾に通うより遙かに安い値段でいいものが作れるし、コツとかいろいろサービスで話出来るよ。
しかもさ、そこまでやったところで結局集客には地道な努力がいるのよ。魔法の弾丸とかねーから。
マネしたところで、毎日地道に情報収集して、記事更新して、文章とか気をつけてってあたりはいくら教科書で教えても無駄なんよね。
イケダハヤトのファンなら、彼が一日どれだけブログ更新に時間かけたり、ボコボコに叩かれてるのに耐えてるか知ってるだろ。
結局はあれあんたがやんないといけないわけ。そこんところ本気でわかってる?
俺はね、イケダハヤトのことはその点では本気で尊敬してるし、イケダハヤトに弟子入りしてる奴らとか、バカにされてるけど俺は結構応援してるの。
でもあんたらが100分の1でもイケダハヤトの努力ができるとは思えねえんだよ。
メルマガや情報教材みたいに文章で簡単に教えられるコツみたいなのはさ、市販の本でも教えられるし、良いページ見てたら自分で学べるの。
それ以外でメルマガで提供できるのって精神論的な支えくらいしかないんじゃないかと思うんだよね。
でもさ、イケダハヤトの弟子ってそういうのいらない状態で頑張ってるわけじゃん。
技術も精神も、メルマガで提供できるものすべて持ってる状態でやってる。それで彼らが今いくら儲けてるか知ってる?
あんたらそれ以前の状態なんだよ?基礎的な技術とか精神論とかすらなくてそれをメルマガで金払って教えてもらわないといかん状態なん。
弟子以上に成長できる自信あるの? あるんだとしたらそれはなんで?俺にはあんたらが成功できるイメージが全然湧かねえんだけど。
ほんとに真剣にアフィリエイトやらWebビジネスで金稼ぐ気あるの?
けいおんのアニメ見てギター買うだけ買って満足するみたいに、本気でそれをやるつもりなんてないってことだろうな。
と、読んでもないのに好き勝手書いてみたけど実際は的はずれなんだろうな。
イケダハヤトさんのことだからきっと素晴らしいメルマガを執筆されてるに違いない。
俺のように狭量な人間の常識では考えられないくらい毎回濃くてためになるすごい内容なんだろう。
読んでる人たちも一を聞いて十を知る人達ばかりで、きっと読者はみんなメルマガ購読してから1ヶ月めから月収30万を達成されてるんだろう。
年収2000万円のうちメルマガとサロンの代金除いたらアフィでの収益はいくらなんだとか考えたらいけない!
ってことにしておこう。
きっとみんなそういう気持ちで読んでるんだろうし、不満があったら解約してるだろうから俺がとやかくいうことじゃなかった。
有料サロンの方は、こっちで勘違いしてる人はいないだろうから好きにしたらいいと思います。
好きな人との交流で3000円ポッチ払うのはたいして苦でもないでしょうし。大学生が月10万円稼いでるだけでも有料サロンができるらしいしそのあたりは好きならどうぞと。
ただねー。
メルマガやサロンで一人ひとりから小金集金するくらいは別にいいんだよ。たとえ儲からなくても笑い話で済む。
大げさな夢吹き込んでサラリーマンやめて高知来た人たちが「なんで!?ぜんぜん違うじゃん!!」みたいなトラブルが起きないようにだけ祈ってるわ。
http://blog.goo.ne.jp/tomokazuman_2007/e/6cb9bc2cc3739b973aa9f445f079f61d?platform=hootsuite
半日ちょっとでAmazonから荷物が届く社会は狂っている - シロクマの屑籠はタイトルで損してると思うんだよな。
シロクマ先生は要約が下手なイメージ。全部読んでくれないと伝わらないからというあえての外し方なのかもしれないけど。
「鮮度関係無いモノまで早い方が良いがプラスポイントになってる→生活のテンポ早すぎだろ」で、シロクマ先生の焦点は「時間意識しすぎた生活はクレイジー」だろ。
まあ、配達が早い方が良い、つまり、生活も早い方が良いと思ってんだろ!というところに飛躍があると思うからみんな反発してると思うが。
俺もまあ、違うと思うんだよね。生活のテンポは変わってないと思うよ。
運送の目線から見ると、もっと早く!もっと速く!じゃないんだよね。
もうここ何十年かずーっと一貫して「もっと便利に!」なのよ。
運送会社って、すんごくたくさんあったけど、中小軒並みヤラれたからね。
飛脚な会社は「手渡しするよ一個口から引き取りに行くよ一個口から」サービスでモリモリ成長した。
大都市圏なら朝一集荷で昼には飛行機、午後には配達できる即日便も整備された。
最近の話じゃないぜ?これ、30年は昔の1980年代の話だぜ?
やっぱ速さじゃないかと思うなかれ、便利さの話なのよ。
「荷物は早い方が良い」ではなくて、「この荷物だけはなんとか届けたい」なのよ。
ピアノ運送屋ぐらいしか精密機器運べなかったが、昨今はパソコン程度なら余裕でいける。
これなんとかならんか!これ届けてもらえないか!
例えば、燃えフィギュアは街のおもちゃ屋には無い。島本和彦とか。
コレは判りやすい。売ってないんだものリアル店舗に。そりゃネットで買うわな。
じゃあ「近所でも小売店にあるもの」で競争するには?買いに行くより便利になれば良い。
生活のテンポが早くなったんじゃなくて、スーパーに買い物に行くのと同じテンポで、ネットで買い物してるだけじゃないかな。
(生活のテンポが早い、なら、コンビニが雨後の筍のごとく出来た時期にすべきじゃないかな)
Amazonがすげー早いって話してるけど、これはまあ、効率化の話なんだよね。
例えば、今東京から大阪に行こうと思って、2万払えば臨時列車を仕立てて載せてくれる、ならビビる。
でも、東京から新大阪に2万かからず新幹線に乗れる、何の事前連絡もなしに。これはビビらんよな?
つまり、輸送網が出来てて定時運行できるなら、そこまで大事じゃ無いわけだ。(維持に不断の努力はあるが)
もちろん大変なんだが、ブザー鳴らしたら降りられる手をあげてたら止まってくれる田舎のバスとそう変わらない。
循環路でウロウロしながら集荷して配達してを繰り返すわけだから、新聞配達がスゲーって言われてるのとあんま変わんない。
空港便でもトラック便でも、荷台がカラだと勿体無いよな。手間あんま変わんないし。
じゃあ、「荷物が大量で荷台に載り切らない」とスゲー大変になるのは判るよな。
だから混む時期には送らない方が良いわけだ。送らないでくれ。
でまあAmazonの更に早いサービスはスゲーと思うけど、大手スーパーでもお買い物カゴ1個当日配達とかやってるし。
結構地方のコンビニとかスーパーで、スクーター配達とかあるよね。ピザ配達もそうか。
つまりは、アレの凄さは品揃えのピンポイントさなんだと思うわけさ。
結局のところ、シロクマ先生が受けてる便利さは「おこぼれ」なんだと思うわけさ。
「え?こんなマニアックな本(偏見)が半日で届くの?良いよ一週間後でも」とか思ったと思うんだけど、
貨物輸送的には、ソレ別送するほうが面倒だから。トイレットペーパーだのゲームだのと一緒に運ぶから。
スーパーや家電量販店に行くよりも便利にした結果、余録としてマニアックな本も運べるようになってるだけだから。
荷物がトラックに載れば、そこに至るまで数時間だろうが一週間だろうが同じだよ。
じゃあなんで歪みとかタイトルに入れたかって言うとさ、金、ゼニ、マネーを払う気ゼロだから。
『もうちょっとチンタラ届いたって構わないのに。』とは言うけど、カネプラスしようか?とはならない。
飛脚の会社が大都市圏ロケット便を広げた時は、商業関連でお金はちゃんと取ってた。
だからまだAmazonの一時間以内便は、運送屋としてはスゲーな、で済んでる。
1回2500円以上買え、890円の運送料だ、とカネ取ってるから。
カネを払わないサービスが増えるのが歪みだよ。
載り切らない荷物でも、そりゃ運ぶわけさ。
荷物が少なければ何回運んでも大した手間じゃないよ。
ここまで書けば判るだろうけど、巡回に苦労したり、あっちやこっちに運ぶと、大変だよね。
犯罪だろ、とかあまりにゲスすぎる、とか以前に、話としてちっとも面白くもないし「これが描けるのなんてすげぇ!」とかいう「アニメとしての凄さ」もない(描くの大変な動きばっかりやってる、のは確かにしても)のがあれのダメなとこ。
30前というのは、公私ともに微妙な年頃だ。
私的な面は言うまでもない。子供を持ちたいのであれば、そろそろ結婚前提の彼氏がいても良い時期だ。大学の同級生だった私の彼氏は、時折そんな話をしてくるものの、ちっとも具体性が出てこず、その気があるんだろうかどうかよくわからない。
仕事の面では、私の場合は、そこそこ名の通った大学を卒業して、総合職として入社して7年。そろそろ同期の間で有能な人とそうでない人が見えてきている。会社からの期待度がどれくらいかというのも色々とほのめかされる。留学に行ける人、業界団体に出向する人、後輩の指導役になる人。そしてもうすぐ、次の職位に上がる同期が出てくる時期だ。私はと言えば、2年おきくらいに異動があって、それぞれ前の仕事とはほとんど関係がない仕事ばかりを回される。もちろん、留学みたいな特別のプログラムの声がかかることもなく、要は、ぜんぜん期待されてないってことをひしひしと感じる立場だ。
そんなことを漠然と思っていたこの4月に、私のいる部の部長が交代した。部長どまりの人がいつも来る部なのだが、なぜか今回は、40歳過ぎたばかりのエリートが来た。東大卒で、会社の中枢をずっと歩いてきた人だ。人を人とも思わぬ凄腕という噂ばかりが轟いており、恐れていた我が部の面々は、実際にその人が来てみると、とても人当たりが良く部員一人一人に目をかけて励ます姿になんだか拍子抜けしたくらいだった。けれど、日に日に部長の凄さは明らかだった。どこから出てくるのかよくわからないくらい素晴らしい着想と、少しの無理を強いるスケジュール感と、段取りの良さで、我が部の業績は、目に見えて上がっていった。
私にも、部長はとても目をかけてくれた。仕事が滞ってたら直接私の席に来てトラブっているところを聞いては改善指示を直接くれた。時折みんなで昼食や夜の飲み会に行くときに話す機会があれば、こういう本を読んだらいいとか、こういう心がけで仕事をすればいいとか、親身にアドバイスをもらった。ただ、彼は年上の部下も含め、部員みんなにそういう態度だったので、私が何も特別だったというわけではない。
そうして過ごしていた6月のある日。たまたま客先との飲み会の帰り、部長と一緒の方向に帰る人がおらず、二人で最寄りの駅に向かって歩いていたその時。ふと私の中でわだかまっていたものが何か弾けたのだろうか、部長に「折り入ってご相談があるんですけど、今からお時間をいただいていいですか?」と思わず聞いてしまった。部長は「別にかまわないけど、女性の部下と2人きりって本当は良くないんだよね。ほかの人には聞かせられない話なのかな?」と言ったように記憶している。結局2人で軽く飲みに行った。そこで少し覗き見た、彼の深い仕事に関する知識と、社内の有力者とのつながり。こういう人の仕事の仕方を、こういう人の経験を、そしてこういう人の知識を知ることができれば、私も、仕事ができない三十路間際の総合職という立場から抜けられるかもしれない。言葉を交わすほどに、私は、彼に惹かれていった。もっとこの人の言葉を私が聞く方法はないか。できればこの人しか知らない話を聞く方法は。
めくるめく思考の中で、やはり答えは1つだった。2人きりで飲んだ3回目の夜に私が選んだお店は、私の一人暮らしのマンションから徒歩の距離。夜が更けるともない早い時間に、うちに来ての飲み直しを誘ってみた。
その夜、私は、部長に、抱かれた。
部長の奥さんは美人で、少なくとも私よりは美人で、しかも高給の専門職だ。夫婦して大変な子煩悩であることも知っている。彼が、奥さんと別れることはあり得ない。そして、私にも独身の彼氏がいる。部長と結婚したいとかそういうのじゃない。ひたすらに、微妙な年頃の微妙な立場にいる強い不安だけが、彼に抱かれる動機だ。そんなことは分かっている。
でも、部長と夜を過ごすたびに、問わず語りに語ってくれるその深い経験と知識、そしていろいろな裏話。時折実感する、仕事能力の上達。人事ユニットにも影響力のある彼は、あからさまではないにしても、私についての良い報告を少しずつ入れてくれているようだ。部長と関係を持ってから、私は少しずつ変わっている。仕事面では、間違いなく良い方向に。
部長とはだいたいいつも私のマンションで逢引だ。軽く飲んで、私のマンションに来て、そして私を抱いて帰る。これまで2回くらい、とても良いホテルでご一緒したけれど、記念日に限るって感じ。ゴムが嫌いらしいので、私はピルを飲んでいる。結婚する気もないのに面倒は起こしたくない。40も過ぎているのに、私の彼氏よりも精力がある部長は、いつも2度か3度、私の中で達する。1回目は私が気持ちいいか執拗に確かめるくせに、2回目以降は自分がいくために一生懸命だ。でもそこがとても可愛らしく、愛おしい。私のことを、若くて肌がきれいだとか、胸の形とか乳首の色をいつも褒めてくれる。時々デジカメで変な写真を撮るけどまあご愛嬌だ。
でも、こんな関係、いつまでも続けてていいわけじゃない。私だって、結婚したいし、子供も欲しい。いつまでも部長の部下でいるわけでもない。部長の、まあいわば愛人になって、ちょっとしたシンデレラになることを夢見ている私は、でも、いつ12時の鐘が鳴るのか、いつも心配している。そしてその不安が大きいからこそ、部長との関係がとても甘美なものになる。
私の人生を歪めるパラドックスの中にいるのは十分わかっているのだけど、止められない。本当は、自分で12時の鐘を鳴らさなければいけないのだともわかっているのだけど。