はてなキーワード: 怨念とは
酒のツマミになる話で「河童に一つだけ質問出来るとしたら何を訊く」という大悟の問いかけがあった
なんだろうな…
「人類の敵ですか?」
かな
でも、牛とかも襲うから人類だけの敵ってことは無いだろうな(生物全体の敵?)
「尻子玉抜く理由はなんですか?」
の方が良いかな?動物や人を襲うのは遊びの一貫の様に感じる。「食べる為」とかではなさげ(つーか肉食なのか?胡瓜好きとか言ってるからベジタリアンな可能性もあるよな。藻とか喰ってそうだし)
あ、
「なんで亀の甲羅を背負ってるんですか?(防御するなら頭部にすべきなのに何故背中?ファッション?)」
の方が良いかな?
水死した人の怨念とかだっけ。中華系由来とかもあるかな(そもそも日本オリジナルの妖怪ってなんだろうな?)
まあ、色々な由来があった気がする。自分は折口信夫の本なんか読まないから、たぶん京極夏彦かなんかで読んでるんだろうけど
いま、wiki見てきたけど「土木に従事した(合羽橋の由来になった)」ってのもあった。そうだそうだ。そんな話も読んだことある!
妖怪ってそういった「何かしらの存在意義・理由」を持ってるよなあ
人間からするとわけわからん悪戯したり人命を脅かしたりする存在だけど、なんか意味あるんだよな
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hokusai_kappa.jpg?uselang=ja
攻撃性やテストステロン高そうなマッチョ的な男からのセクハラパワハラモラハラにはピぃとも文句言えずに
そういうことをしない大人しそうでキレ返したりしてこなさそうな男を狙って
自分がなんか生まれ育ちで辛い目に遭ったとかセクハラや痴漢に遭ったとか
それはそれやった奴に対してきっちりやり返せばいいし、筋の通った復讐なら野次馬だって拍手ぐらいすらあ。
でもな・ぜ・か
この主人公も親や妹に啖呵切るようなことは妄想の上でも出来ない。
空想の中で親父や母親や妹は殴らないのに、優しそうな彼氏は殴るわけ。
いっちばん関係ないのに。主人公の家族の話なんか知りもしないのに。
要するに怖くなさそうな男を狙って当たり散らすんだよ。
フェミ系のやってることって全部これ。
攻撃性やテストステロン高そうなマッチョ的な男からのセクハラパワハラモラハラにはピぃとも文句言えずに
そういうことをしない大人しそうでキレ返したりしてこなさそうな男を狙って
こういう感じの内容がマジで多い。フェミ漫画も。ネットフェミの言動も。
そういうのって女と見て態度変えて横柄な対応してくるクソおっさんとどう違うのよ。
だからまとめると
東京最低最悪最高の主人公がカスなのはとにかく彼氏への態度が悪すぎ
ってことなのよ。
仮にそれを許されて(理解のある彼くん!)思う存分やるようになっても
そんなことしてたって益々心が腐ってイライラした精神病の女になるだけだから当人の為にならない。
(いっそ「舐めた真似したら許さんぞ」っていう威厳のあるタイプの男の方がああいう女の精神を安定させる気がする。)
この主人公の腐った了見を大きな度量で受け止めてくれる彼くん(パパやんけ)という
あんまりよくないロマンでオチを付けてるところに甘えがあるなあって感じがするわけ。
フィクションなんだからロマンはいいんだけどこのロマンはあんま予後が良くない感じ。
なんか自分を因習から抜け出した強い女変な女自由な女と思ってそうだけど
彼氏に甘えまくってるこの精神性はすげー「オンナ」なんだよな。
その自覚があるならまだいいんだけどないのがきついわ。
男も八つ当たりするじゃん。つまり、性差ではなくて弱い人間がやることなのよ。
2023/09/14
その「弱い人間」が「強い女」として扱われてることがすげー多いんだフェミ界隈
家を出て自分で選んだ男とも対等に付き合えなくて
(突然天の父みたいなパパが現れてその矛盾を解決してくれるのが作品のオチ。)
確かにパパが必要だし本音では支配や管理されてた方が嬉しいんだと思う。
弱さというか能力の低さでしかない症状をそう認めて対処するのでなく
女の強さとか女の自由とか言って転倒してるから苦しんでるように見える。
最低な人間として描かれたものを最低だ!って指摘して批評した気になってるような。まぁ漫画って別に道徳の教科書じゃないし
2023/09/13
最低の人間としては描かれてないと思うなあ。
何より読者側で「怖くない男を狙って見下して八つ当たりする弱い女の七転八倒だね」という見方をしてる意見はほぼない。元作品のブコメ欄ご参照のこと。
また、作者はこの女のよくないところも意図して描いてるふしはあるけど
最後にこのどこまでも都合いい男が全部わかってて認めてくれることで閉じる世界
あれを意図的に皮肉で描いてるならフェミ界隈への悪意がすごいことになる。どうかなあそれは。
少なくとも99%の読者はそうは受け取ってなくね。
八つ当たり欲のマンガが立派な社会派フェミ作品みたいに扱われてた過去の別例
https://anond.hatelabo.jp/20211111201548
あの漫画には俺も同じような感想を持ったけど、「フェミ系」って発想は出てこなかったな。増田の言う通り"女の子"的なので、フェミニストの人が読んだらむしろイラッとくるんじゃないだろうか
2023/09/13
でも現在そういうイメージはフェミ界隈に見る影もないしそんな女像を標榜するフェミニストいない。
女の子性に居直ってて男への期待と依存が強くて自分の被害者性を言い立てながら男から搾取してしかしその貢献を認めないことで心地よい「男女平等」を達成しようとするのが令和最新版の王道フェミニズム。どこまでも幼稚な女の子になってギャンギャン泣くのが勝ちってゲーム。(そういう人の生活は常にイライラしていて完全に負けてるんだけど)
具体的に言うと専業主婦なのに家事分担を「公平」にすべきで夫の仕事は息抜きで遊び、家事労働やってる自分が圧倒的に偉くて被害者、みたいなことをギャンギャントーンで言い立てる頭おかしい専業主婦がいまのフェミニズムのメインプレイヤー。見てないと信じられないだろうけどこれはマジ。
はっきり言うといまのフェミニストって発達障害者が多いと思う。
自分の能力の低さで追い詰められる日常のしよなしごとをフェミニズムで包装したせいで解決しなくなってイライラしてる感じ。
ネット活動時間と熱量で発達障害フェミニストが最も強くなってしまった。それをわざわざ取り上げて論じるアンフェもいるから表示数で圧倒的。
現在のフェミの代表は攻撃的な発達障害の女の子っす。これはマジっす。
「発達障碍者はみんな悲惨なイライラ生活してネットで攻撃的な思想もどき吐き散らすモンスターだ」とは思ってないし書いてもいない。
ここで言ってるのは「令和のネットで存在感見せてるフェミニストの多くが発達障碍者だと思う」ということ。
・目の前での貢献以外全く理解出来ないので本当の本当に「夫の仕事や稼ぎ」での貢献を認められていない
・目の前で相手に苦労(嫌な思い)をさせることでしか癒されない被害者感剥奪感を持っている
・そういう認識と心性の元に「平等な家事育児」を主張する(なお専業)
・そもそも家事育児のタスク処理能力が異常に低いために日常から苦労している(「自分の日々の苦労」をよく語るが内容が誰の目にも異様)
これだけ見たらなんか主婦叩きの偏見に見えるかもしれないけど、暴れてる実物の言ってること見たら理解できると思うよ。単に生活に疲れた主婦の愚痴とかそんなんとは全く違う。具体的なXIDとか書くわけにはいかんけど。
こういうの、診察した医者じゃないのに発達障害を示唆すること自体が不正確だし差別だろうと言われればそれはそうだけど
ここで発達障害と書いたのは「問題の根幹に努力や性格の領域を越えた何らかの能力の低さを感じる」という話。
特定の診断出てる人に配慮するならここでは「グズ」とか「ノロマ」とか曖昧に言った方がいいのかもしれないけどそれはそれで侮辱的で差別的なのだろうしなんて言えばいいんだろうか。
とにかく発達障害者自体が悪だとか将来必ず不幸になるとか言ってるんではないからそれは理解してほしい。
障害や能力の低さを雑な社会思想マターにすると解決不能のイライラ人間になって最悪だという話。
一部のコメントで「主人公が彼氏を殴ったのは空想なのにこの増田はそれがわかってない!」という指摘があるんだけど
この文が「主人公は彼氏をリアルで殴った」と主張してることになる?その文章読解の方がおかしくない?
(他は家族への恨みの思い出の「回想」。)
もっとわかりやすい書き方はあるかもしれないけどそもそもそこで意見がわかれたり争点になったりするとか思いもしなかった。
実話怪談とは、四谷怪談のような古典怪談ではなく現代の怪談だ。というとトイレの花子さんのような都市伝説を思い浮かべる人もいるだろう。しかし、そのような出所不明の噂話とも違う。
まず大前提として「実際に不可解な体験をした人というのは、この世の中にいるんだ」というところから始まる。そして、それら体験者から聞き取ったものを語ったり、あるいは執筆という形で記録されたものが実話怪談である。
と、基本的な説明としてはこれで十分ではあるのだが、多くの人が疑問に思うことだろう「それが実際にあった話だとする根拠は?」と。
ここははっきりと申し上げておくが「そんなものはない!」である。
ないんスよ。というのも怪談は超自然的なもの、未知のものを扱う分野だからだ。最新の科学技術や物理知識を以てして証明できてしまったなら、その時点で、もはやそれは「怪談だったもの」となってしまうからだ。
うん、わかった。
もう少し突っ込んで説明しようか。
つまり、実話怪談とは「実際にあった話だとする根拠はないが、とにかく、本当に不可解な体験をしたと主張する人がいて、その人の実在を根拠とした話」のことだ。
そんな根拠の拠り所となる体験者は、実際に語られるさいには、諸般の事情により匿名として扱われることが多い。
…はい、お察しのとおりだ。実のところ、受け手側に実話であると判断する材料はほぼない。
ここまで読まれた皆様におかれましては「せめて、なにか実話を担保するものはないのか?」とお思いかと存じます。
まあ、その、あるにはあるんですよ。お気に召すかはわかりませんが。
というわけで、以下が令和最新版だ。
実話怪談とは「実際にあった話だとする根拠はないが、とにかく、本当に不可解な体験をしたと主張する人がいて、その人の実在を根拠とした話…としたいけど、事情により身元は明かせない以上、聞き取ってきた私という実在を仮の根拠とした話」のことである。
あきれちゃった人には申し訳ないが、こういった回りくどい手順を踏むことで、かろうじて実話と呼べるものになっているのが実情だ。ゆえに実話怪談はその性質上、二重の信用が必要となる。
つまり、怪談話者(著者)は、取材において体験者が事実を話していると信用し、受け手は話者(著者)が嘘を言っていないと信用したときに、初めて実話怪談を楽しむことができるのだ。
もはや新手のカルトのように聞こえるかもしれないが、事実そうなのだ。とはいえ実話怪談愛好家がなんでもかんでも受け入れているかというと、そんなわけではない。聞いていて、あるいは読んでいて「なんかこの話うさん臭いなぁ」と思うことは多々ある。
なぜなら、それぞれが自分なりの実話怪談観を持っており、常にそれをもとにこの話者(著者)を信用するかどうかを推し測っているからだ。また、これは怪談の取材時でも吟味される事柄である。(興味があるなら『忌み地 怪談社奇聞録』あたりを読もう)
こういった部分も含めてこのジャンルの楽しみ方となっている。
個人的に言えば、実話怪談とは少額の霊感商法だと思っている。騙されたとしても、実害は、文庫本なら数百円ていど、新書なら千円か二千円ていど、映像ならタダから数千円ていど。イベントもそれくらいのものだろう。
これは受け手側としての心持ちについて論じているが、同時に話者(著者)側にある程度の倫理観を求めるということでもある。
実在する人物を扱うこともそうだし、死を扱うという点においてもそうだ。タブーをかき分けた先に真の恐怖はある。根本的に不謹慎なジャンルなのだ。
だからこそ信用される優れた話者(著者)となるためには、細心の注意を払いつつもギリギリを攻めるという綱渡りを行わなければならない。
ともかく、信用を重視する点からわかる通り、実話怪談というジャンルは意外なほど属人的な性質を孕んでいる。そしてこの属人性こそが、昨今の実話怪談ブームの一因であるように思う。
分かりやすく言うと、怪談師と呼ばれる人々が出てきたことによって盛り上がったのだ。
実話怪談の始祖を『新耳袋』とするなら、最初の媒体は書籍であり文字媒体だった。(ちなみに稲川淳二御大の語る怪談を、実話怪談の枠に当てはめるのは無理があるので割愛)
まだ怪談師という言葉はなかったが、初期のころから属人的な気質は垣間見れた。とはいえ、この時代の実話怪談はエピソード至上主義であった。
私は00年代の初期からの愛好者だが、この時代は怪談にとって冬の時代だった。それでも『新耳袋』や『「超」怖い話』がシリーズとして刊行を続けてきたことが、今日の盛り上がりの土壌となっている。
「怪談師」という言葉が出だしたのは10年代の中頃だろうか。怪談師とは怪談話者のことだ。彼らの活動範囲は音声のみならず、映像やイベントなど大きく広がっていった。
そのため必然的に話者の存在が前に出ることとなったが、属人性の強い実話怪談と非常に相性がよかった。
昨今の怪談人気は、すなわち怪談師の人気と言って差し支えない。
さて、それに加えて、去年あたりから呪物が盛り上がりを見せている。
いわゆる呪物ブームだ。
事情を知らない人からするとマンガ『呪術廻戦』人気に乗っかったものだと思われるかもしれないが、それは半分くらいは正しい。マンガの影響はでかい。
とはいえ呪物コレクターと呼ばれる存在が昨日今日で誕生したわけではない。もっと言えば、呪物と呼ばれるものは大昔からあり、怪談好きに限らず、多くの人から認知されていたはずだ。
そもそも実話怪談においては、エピソードが重要視された。実話の「話」とはお話(エピソード)のことだから当然と言える。ゆえにエピソードの乏しいものは主流から外れていく。
怪談ジャンキーには「ここの木陰に恨めしそうな女の顔があります」だけではお話として弱く感じるのだ。
「出ると有名な廃墟を探索しました。すごく雰囲気があって怖かった」だけでは怪談欲は満たされないのだ。
呪物もその性質上エピソードに乏しい。「これが丑の刻参りで有名なご神木に刺さっていた藁人形です」だけでは情報不足も甚だしく、消化不良を起こしてしまう。
とはいえ、これらは実話怪談という評価基準において物足りないというだけで、それぞれに違った魅力があり、愛好する者が一定数いる。
また、怪談師という存在が実話怪談を発表するメディアを広げたことにより、別媒体として点在していたそれらが、集約されつつある。その中でもビジュアルに優れた呪物は、具体的なイメージに乏しい実話怪談を補佐する存在とも言える。
だが、それは本質ではない。
呪物ブームの最大の理由は、呪物コレクターの所有する呪物のエピソード性の高さだ。いつの間にか呪物はお話を手にいれ、怪談そのものとなっていたのである。
むろんこれにはカラクリがある。そして、それこそが先般の木札に関連した炎上事件の原因ともなっていると考えられる。
具体的な手口は単純で大したことではない。呪物の定義を限りなく押し広げた、それだけ。
一般的な「呪い」や「呪物」といったもののイメージは「恨みを持った人間が、儀式などの間接的な方法で怨念を晴らそうとする行為=呪い」であり「その儀式で使用される道具=呪物」ではなかろうか。すなわち丑の刻参りを行うことが「呪い」であり、そこで使用された藁人形が「呪物」であると。
・呪われるわけではないが曰くのあるもの
・心霊現象に関わる物品
・念のこもったもの
これらをまとめて呪物として扱ったのだ。
呪物という語にそれらを無理やりに詰め込んだ結果、呪物のミーム化といった現象がこの界隈で起こった。これによりエピソード性は強いが呪物と呼びがたい物すらもその範疇に納めることに成功する。
どこまで意図的に行われていたかは分からないが、そういった呪物コレクターの戦略が奏功し、折よくマンガの人気と合わさったことで、呪物ブームが巻き起こったのではなかろうか。
あくまで個人的な考察ではあるが、あながち的外れでもないかと思う。
というのも、今回の炎上には特徴的な温度差が見てとれる点からも、それらを裏付けているように感じたからだ。
今回の件はジャニーズ性加害問題と似ている。すなわち、内部においては問題意識がほとんどなく、外部の人間が指摘することで初めて問題化したという点だ。
そもそも木札のエピソードは2022年の時点ですでに紹介されており、それこそ祝祭の呪物展というイベントでは2年連続で展示されていた。しかし木札について問題視する声は(自分の観測範囲内では)なかった。
私自身はイベントに足を運んではいないが、動画にてその存在を知った一人である。だが、やはりその時はまったく問題意識はなかった。
事が明るみになったさいも、初めは事情の分かっていない人が騒いでいるだけだろうくらいに思っていた。しかし実際に内容を確認するにつれ、そういった次元の出来事でないことに気付き、心地よい夢から叩き起こされたような気分となった。
この件に関しては、はやせ氏に非があることは間違いない。
問題は複数あるが、やはり東日本大震災の被災者と関連のある物品を「呪物」というくくりに入れてしまったことに尽きる。呪物コレクターとしての戦略が裏目に出た形だ。
だが、本当に非があるのははやせ氏だけだろうか。
これは出自不明と説明された木札の出所が判明し、そのエピソード自体に疑問が持たれた今だからこそ言える話などではなく、最初の発表時からあった問題だ。
しかし自分も含め誰も指摘できなかった。受け手側も麻痺していた部分があったのだ。間違っても「はやせさんがあんなに謝ってるんだから、許してあげてください」なんて言える立場にない、どころか一緒にごめんなさいしなくてはいけない立場にあると言える。
…とはいえ、頭では理解できるものの、心の奥底では引っ掛かりを感じている。
それは結局のところ、不謹慎さも含めて楽しむというスタイルが染みついているせいだろう。
自分は高潔な人間などではない。心の奥底にドロドロとした薄汚いものを秘めた、しょうもない人間でしかない。
冒頭に戻るが、今、実話怪談が盛り上がってきている。
文字媒体くらいしか発表の場がなかった時代は終わり、怪談師の活躍により発表の場は増えていった。賞レースも盛んとなり、多くの怪談師と無数のファンを生み出した。
まあ終戦後のうちの祖母は、専業主婦で、夫の勇吉が段々給料がよくなって、旭化成の、第2係長になったんだけど、全然よくならんで、昭和30年代とか40年代だと、東京都の
東京大学がものすげ結果を出して、平均寿命が80歳を突破したので、北団地とかはですね、どえれーもんじゃと思っていたのですが、東京の人は、60年前は、そういうふうに、東京や大阪で
盛り上がっている勢力に任せておけばいいという考えがあって延岡んもんがでちいってもなんもならんじゃろという風潮で特に、60年前は、延岡市には東京の方から色々流れ込んできたと
思いますが、昭和53年以降も変わっていない。ただし、もう戦後の男がだめだから、レストランに任せようというのが圧倒的支配的になってきて、グルッペとか色々あったのですが、世間全体が
どんどんと、警察やらだめじゃ、あんげなもんなんが使い物になるか死ねという世間的怨念がラーメンとかチキン南蛮とかレストランを生んできたわけですが、勇吉も、グンポウのラーメンは、昭和60年頃は
ランセンターで取っていたと思うが、下坂はそういうことは知らんだろう。なんがというか北団地の30年史というのがあるのですが、平成8年~16年は何も記録してないというか記録がないらしい
のですね、あまりに若者が盛り上がっていたからだと思いますが、まあ、祖母が昭和7年に生まれて、もう91歳になるんですが一般的には地域社会で評価はあまりよくなくて、ずっと主婦だったので
60年前はまあつまらんおなごじゃくらいには富美山北団地でいわれたと思うのですが元気は元気だったというか北団地って多分つまらん人しかいないと思うので
延岡市のジャスコは平成9年に出来たんですが、旭サービスが閉業に伴ったか、そこに前はヨークっていうのがあったらしいのだがそれがなくなってジャスコになったんですが、その時に、つぐまさんが、
つぐま自転車店のつぐまさんが本気を出して、マウンテンバイクとかをどっから大量に持っていて、30,40代にはめっちゃ流行ったんですけど5年前につぐま自転車店ってもう閉業してるんですが
自作自演でいたときがあって要するに枯れているんですがそのつぐまさんは、平成9年に出たので、そのときは、こうすけの友人のひさのりとか、MAXとかSPEEDの時代なので、
まあ出たわけですが、ダイエーも5年くらいは出てきたので最高でしたが誰も覚えていない。
ここは左翼の巣窟だけど、その逆みたいなネットコユニティーはどこだろうな
ウヨが多いとこだとヤフコメがまず思い浮かぶけど、あそこは痛いおじさんというだけで、増田みたいな自分の出自も含めたこの世の全てを呪ってそうな陰湿さや怨念が感じられない
5chやまともサイトのコメント欄も最近左翼が増えてきたので除外
ウヨとサヨは方向性が真逆なだけで同類とは言うが、ウヨはまだ日本あげというポジティブ(?)方面にエネルギー使ってるからまだ紙切れ程度の良心や希望が残ってるんだろうな
サヨは日本叩きという負の方向に力を費やしすぎて最早、この世の全てが憎い、自分以外の全ても地獄に道連れにしてやるみたいな悪霊のようなルサンチマンの匂いがプンプンするんだよな
なんでも今の芸能界やお笑いは松本人志一色で、審査員をやりすぎてるとのことで、「松本人志審査員やりすぎ説」を水曜日のダウンタウンで検証してほしいとのご要望だった。
そんなに検証してほしいならいいでしょう。私がやりましょうと手を挙げることにした。
中田敦彦の話ではこうだ。
「M-1、キングオブコント、THE SECOND、IPPONグランプリ、すべらない話、すべて松本人志だ!!!」
すごい。これが中田敦彦の話術か。
見ている人間に、「例に挙げられた全ての番組がお笑い賞レース」かつ「松本人志が審査員をやっている」と事実誤認をさせている。
Twitterなどでも散々指摘されてるが、そもそもIPPONグランプリやすべらない話は賞レースではないし、THE SECONDは審査員はお客さんで、IPPONグランプリの審査員も出演している松本人志以外の芸人である。
つまり、中田敦彦にあげられた例の5つの番組のうち、2つしか松本人志は審査員をしていない。普段から中田敦彦のチャンネルを見ている人間は手軽に勉強をしている気分になれ、自分で何かを考えた気分になれることが大切なので、中田敦彦が話した内容のソースの確認なんてするわけがないし、よく考えもしない。(大偏見)
「確かにそうだ!」「松本人志は審査員をやりすぎてる!」と同調し、自分で何かを考えた気分になれればそれでいいのである。
さて、ここからが本題だが松本人志は果たして本当に審査員をやりすぎているのだろうか?
・M-1グランプリ
【審査員】
ナイツ塙
中川家・礼二
【審査員】
【審査員】
【審査員】
・R-1
【審査員】
・THE W
【審査員】
【審査員】
【審査員】観覧者
以上が調べた結果だった。
皆まで言わなくていい。これを読んだ方が何を言いたいのか私にはわかる。
まぁ中田敦彦が松本人志の審査員の例で出してきた賞レースが2つしかなかった時点で、あの人は松本人志が審査員をしている賞レースが2つしかないことを知りながら、すべらない話だのなんだのを付け加えてきたんだろうなとは思っていた。まぁそんなもんだろう。
マルチ商法を勧めてきた私の知り合いも、こんな風に論点をずらしながら、必死に私をセミナーへの参加に誘導してきた。そう。そんなもんである。あの動画は恐らくトンデモコンプレックスから生まれた怨念みたいなもんだ。そのへんのホラーよりも怖い。
では一体、誰が一番審査員をしているのだろうか。
上記の中で、審査員をしていることが2回以上ある芸人をさらにまとめてみる。
・松本人志 2
・陣内智則 2
・フットボールアワー岩尾 3
あんなに平等に審査してくれそうなやつが3つの大会に出てんならもういいだろ!!!!!日本のお笑いの未来は明るいよ!!!!!!最高だ!!!!!!!!
粗品はもう何も答えなくていいし、せいやも何も怒らなくていい!!!霜降りのコンビ愛にカンパイ!!!!!!!
でたらめにもほどがある。
創作物である以上、本当に「必要な戦い」は認めるしかない。この点が憲法9条や非武装主義を掲げる日本のリベラルとは相性が悪い
闘争を否定しないとネトウヨならば(ルフィのやってることは戦争ではない)、「三里塚闘争」「辺野古基地闘争」をしている人たちはネトウヨなのだろうか。
それにワンピースもガンダムも「国家」や「権力」を全く信用のできないものとして描いているんだが、なぜそこに触れないのか。
ガンダムのニュータイプ表現なんて当時の欧米のインテリリベラル層に流行したスピリチュアル思想の改変だろ。
あとワンピースは反権力反政府なのに反感を抱く左派がいるが、彼らはインテリの嫌う「任侠的な空気」に反発しているのであって、
「リベラル」がインテリ好みの世界観でない=右翼的と決めつける癖がある(そうして庶民を振り落とす)証拠でしかない。
エヴァが流行った90年代にもオタク層は反権力やリベラルの方にややシンパシーを感じる者が多かった。
宮崎事件でオタク叩きが激しかったから、一般社会に怨念を持つものが多くいた。権力による表現規制も含めて。
このあたりの流れが00年代以降に反政府ではなく反マスコミに回収されたことのほうが反「リベラル」の風潮には直接的に影響しているのでは。
そもそも「ラピュタ」「トトロ」「魔女の宅急便」のどこに日本ホルホルにつながるものがあるのか。
ガチ左翼の網野史学を取り入れ、リベラル読書層が持ち上げた「もののけ姫」以前には日本称揚につながるような話はほぼない。
トトロの農村コミュニティへの懐古(それもインテリが「腰掛ける」対象としての)くらいではないか。
これだって「火垂るの墓」と併映で、セットでのキャッチコピーも「忘れ物を届けに来ました」で現代日本批判だったことを忘れてはいけないし。
加えて、90年代には「日本軍が米軍をかっこよくやっつける」話も流行したが、アニメオタク層とはズレたところでブームになってる。
「沈黙の艦隊」も「紺碧の艦隊」もオタク層の外側での流行。日本ホルホルの流れは宮崎よりは荒巻の方がずっと直接的で影響が強い。
荒巻が受け入れられたのも、今からは考えられないくらい日本が経済的に強くて全能感に社会全体があふれていて
なのに湾岸戦争で1兆ドル分捕られたとかで「反米」感情が高まっていたことが背景。中国も韓国も問題にもならない雑魚だったから。
90年代の世界的な反米ブームが忘れられているんだな。アメリカメディアが自分たちの嫌われっぷりにショックを受けて特集を何度も組むレベルだったのに。
現状の「反中反韓」をベースにした流れは教科書問題と日韓ワールドカップとどちらもアニメと無関係。
そうした流れが一般メディアの黙殺に反発する形でネットコミュニティ、とりわけ2ちゃんねるに流れ込んで、
同じくネットコミュニティを拠点としたアニオタ層と一部クロスオーバーするようになったって流れではないのか。
それがアニメオタクに受け入れられた(とするなら)その理由はまた別に考える必要はあるし。
やり直し。