はてなキーワード: 仇敵とは
知ってる範囲
『ノーゲーム・ノーライフ』作者
暇空が「ノゲノラの主人公は俺がモデル」と言った際に「いやマジで知らん……」と答えて暇空を裏切る
暇空はネトゲ時代「空白」を名乗っており、ノゲノラ主人公兄妹は「 」で「空白」と読ませている
ノゲノラ発表年のほうが暇空のネトゲ時代より後なので明らかにモデルにしているのに知らない振りしてパクっている悪質なアンチ
『SAO』作者
暇空が「SAOの主人公が俺がモデル」と発言した後で、インタビューで主人公にモデルはいないと答えて暇空を裏切る
暇空がネトゲ時代生み出した「スイッチ戦法」を作中で出しているのに知らない振りしてパクっている悪質なアンチ
『輪るピングドラム』、『ダイヤモンドは砕けない』、『るろうに剣心(2023)』のキャラデザ
暇空支持者について「狂ってる。本当にどうかしてる」
https://x.com/NishiiTerumi/status/1805069063850435011
『シンシア・ザ・ミッション』や『はぐれアイドル地獄変』などの作者
「暇ナンチャラ、長年のインターネットライフで刷り込まれた反フェミ&反サヨクで脳が壊れちゃっている感じがすげえな 全ての主張があまりにもティピカルというか原液まんまというか」
と発言して暇空に開示されており、示談金要求を受け付けなかったため訴えられこれから裁判が始まる
エログロ要素の強い作風だが、世間からけしからんもの扱いされるぐらいでちょうどいいという思想のため表現の自由界隈とよく揉めている
「今現在暇空茜をフォローしている、という事が、世間的にどう見られるのか、真剣に考えた方がいい。自分がフォローしている人にも、それなりの数いるのが残念」
相互フォローの石黒正数は暇空称賛ツイートをよくRTしていたが、この発言以降止まる
漫画に『ペン太のこと』、エロゲキャラデザに『グリーングリーン』
元々は暇空支持者で、「公金チューチュー」というワードの発案者
公金不正追求に関係のない大学生批判が主流になったあたりで反転してアンチに
https://togetter.com/li/2326101
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2326101
kohakuirono 暇空支持者もColaboの事でカンパしてたのに堀口氏やこれとかの訴訟で自分らが出した金を使われてなんかおかしいと思わないのかな。
暇の大目標は「女性支援事業全般への行政へのメス入れ(金の使い途ガラス張り)」だからそれに同意するからこそColaboでのカンパが膨らんだんでしょ。
そもそも本業である「女性への実体支援」で大戦果大成果上げて政治的にも満足してるんだったら『温泉むすめ』攻撃やチー牛オヤジ揶揄はせんだろ。
共産党・矯風会(並列にしておく)周辺から「女性表現規制への攻撃を、実体支援活動してるオマエ(夢)からやると政治的には高い価値がある」(そこを梃子に議員が議会で発言しやすくなるから)って動いたように見えるわけで。
金がカツカツ(会計でそう言っているのはColaboなんだから)なのに、啓蒙活動と称したネット上での攻撃行動は「隊伍を整える」以上の効果はねぇだろ。
「実体活動が厳しい」とカンパや兵隊を募集したり、女性支援事業への勉強会(からのカンパ&兵隊確保)を開いたりする方が遥かに意味があるんだぞ?
わざと放火して「ネットのチー牛・オッタウヨク(笑)キモオタは男根主義の差別主義者共!」って方はすげー低い価値で、無意味(敵を作るだけ。満足するのは隊伍=仲間だけ)。
広報へのアプローチなら製作委員会や企業に言うべきだし、説明を行うからそっち行くぜ!って成果を示すことが「活動」だぜ?
俺はColabo筆頭に、全ての女性支援事業つーか、共産党スメルのするものは基本洗った方がいいと思ってるよ。
反米・反自民党のために、仇敵たる中国共産党に阿る、支持者も含めて阿ってるのは、マジクソだからな。
※どうでもいい追記
こういう事を言う時、自分がやられた側だったという設定を持ち出すと有利なことを俺は知っている。
だが俺は今回その裏技を使わない。
それをやってしまうと「本当にコイツが被害者だったのか確かめようぜ!」という方向に躍起になる奴らで溢れてしまうのも知っているから。
最初に言っておくが、俺が語れるのは俺のうろ覚えの光景だけだ。
当時のことなんて俺はもう正確に覚えてないし、グーグルもまともに引っかからない。
ジオシティーズやニフティのブログは消えていき、2chの過去ログも闇の彼方だ。
俺が物心つく頃には粗悪な中国製品を笑う文化が日本には根付いていた。
中国製=安物というイメージがあり、その一種として偽ブランド商品(SONY→SOMYとか)から発展した中国パクリ文化というイメージがあった。
日本と中韓の関係がどこらへんから悪化したのかはよく覚えてないが慰安婦問題とかでいよいよヒートアップしたように思う。
嫌韓流というどストレートな名前の漫画が発売された時期が2005年だったので、この少し前が嫌韓の加速下敷きであり、ここから5年ぐらいして下火になったはずだ。
当時の嫌韓がどんなものかといえば、主に「日本経済の深部に潜んだ日系韓国人が特権階級として利権を享受しているので倒そう」「韓国人は生活保護を不正受給している寄生虫だ」「韓国が日本のパクリで金儲けしていてズルい」「韓国人はキムチ臭い。あとウンコを食う」「韓国国内では日本を叩くのがブームだ」辺りが盛んに言われていたと思う。
2ch発祥のニダー<ヽ`∀´>というモナーのエラを張らせて目を尖らせたキャラクターが韓国人ステレオタイプの擬人化として作られ、このキャラクターに韓国にとって不名誉な発言をさせることがネットで大ブームとなっていたことを記憶している。
最初のうち嫌韓ブームは単なる外国人いじりだったが、それが段々と日本の国益を脅かす隣国との聖戦へと変化していった。
氷河期の影響で日本中が冷え込んでいたこともあり、不安に駆られたネット住民の何割かは「真実の悪」を求めて聖戦士としてネトウヨへ傾いていくのだった。
その当時のネットにおける韓国人へのヘイト行為は尋常ではなく、とにかく韓国人が日本人を嫌っているという扱いをされていて、そしてそのブームはテレビへも波及していった。
普通のおっさんがテレビで日本VS韓国のサッカーや野球の試合を見て、韓国人選手が卑怯な反則をしてくるんじゃないかと目を光らせ、怪しい動きがある度に韓国人の卑劣さを悪し様にあげつらうのだ。
そして韓国が負けた瞬間に、強豪国に勝ったかのような歓声がスポーツバーを包むのだ。
宿命のライバルではなく、倒すべき仇敵として韓国を扱う動きは日本中に広がり、政治家の中にも韓国へのヘイト感情を利用するものが出てきていた。
広がりまくった嫌韓のブームだったが、段々とその活性度は落ちていく。
韓国と日本の国交が正常化されたとか、日本人がまともになったとかではなく、他の興味対象が出てきただけだ。
2chで種火が産まれニコニコ動画で爆発した淫夢ブームと、なんJにおける超巨大ネットリンチ派閥 恒心教が、嫌韓ブームの中で暴れ回っていた暴徒たちを分散させた。
アメリカ発祥のポリコレブームにより人種を批判することは難しくなったことで嫌韓の勢いは衰えていったが、同性愛者を笑っているのではなく演技の下手さを楽しんでいるだけだという理論で淫夢は伸びていった。
同性愛者のアナルセックスをクソまみれと指さして笑うだけでは我慢できなかった者達は、より激しいリンチを求めて恒心教に入り、特定個人に脅迫状を送り付けたり、大声でウンチを漏らしているというキャラクターをつけて動画を作成したりしていた。
より安全で、よりホットで、より刺激的なコンテンツを求めているだけだ。
登場人物が小中学生なら「イジメよりも普通にサッカーしたりゲームするほうが楽しいぜ!」はハッピーエンドなんだろう。
でもいい年こいた大人なら「自分が楽しいかどうかばかりを軸にして考えるのは社会の構成員としての態度として正しくない」に辿り着けなきゃバッドエンドだ。
元嫌韓の者達の多くは、単にもっと楽しいものが見つかったから嫌韓を下りただけだ。
今でも反ワクで暴れている人、パルワールドを楽しく遊んでいる人、誰かのトレパクを見つけて笑っている人、AI絵師と崇められるのに夢中の人、色んな道に進んだが、多くの元嫌韓が「今自分が楽しめるか」ばかり考えて「その結果として他人が迷惑を被るか」なんて全然頭にないままだよ。
せめて「まだ時効と決めつけるには早いし、変なこと口走らないで黙っておこうかな」ぐらいの頭は働かせられるならいいけど、それさえ出来ないなら、もうネットに書き込むべきじゃないと思う。
過去の罪が突然飛んできて「貴方はこのときこんなことをしてましたよね?じゃあ弁護士に相談します」って言われないとも限らないんだぞ?
想像力を働かせてくれ。
他人の痛みを理解するだけの想像力をいきなり働かせるが難しいなら、せめて自分が訴えられないで暮らし続けるにはどうすればいいのかぐらいは考えて動いてくれ。
少しずつ頭使っていけば段々マシになるはずだから。
ハマースは選挙によって信を得ていたという。ならばその政策の帰結として侵攻を許すことは甘受せざるを得ないだろう。一時の夢に浮かれて原理主義者共を政権に擬したその責任を己で負わずして何の民主主義か。
ガザの外に出る自由もなかったと、青天井の刑務所であったという。日々報復攻撃に苦しんでいたという。失業率が50%で働き口すらなかったという。無為の日々が苦痛であったという。
なぜそのような抑圧を受けるに至ったか。すべては統治を握っていた、あの日熱狂の末に選んだハマースの政策の当然の帰結である。
抑圧されているのならば革命を起こすことこそ、不正を見たのならば加担しないことこそ、正しき人民の義務だったはずだ。
翻って、リベラル人士はこぞって一発の銃弾も打たず、一人の敵国人すら殺さなかったのになお、人民の敵であるという理由だけでアベを殺せ撃てと命じてきたのである。
ならば、リベラル人士はロケット弾を発射し、隣人の老若男女を虐殺した、真に人民の敵であるハマースの首魁共をこそ殺せ撃てとというべきだろう。そしてガザ住民は現にそれを昨日まで怠ってきた。その帰結がこのテロルである。年端もいかぬ赤子の首を鍬で押し切り、住民であるというだけで射殺し、身も知らぬ異国人をそうであるというだけで辱めて殺し、遺体にまで侮りを加える虐殺劇である。
外に出る自由がなかったのではない、出る蛮勇を持たなかったのだ。地中海を見よ、蛮勇によって千万の難民が溺死している。それでも彼らは自由を明日を求めて絶望的な船出に己の身を賭けている。
日々報復を受けていたことは痛ましかろう。ならばなぜその原因となる攻撃を止めなかったか。
働き口すらないのは難儀だろう。しかし逆説的に言えばそれで生活が成り立っているということは、テロ組織のおこぼれにあずかって今日まで来たということだ。テロ組織に対する資金は即ち無為に殺害された他人によって稼がれたものだ。それを承知で、湯気の立った生き血をもせせって浅ましくも生き永らえてきたのだ。
何もできなかった日々ではない、それら正しき行いをせずに空費してきた日々なのだ。
ましてガザの地は全くの徒手空拳であった訳ではない。そこには突撃銃が、爆薬が、ロケット弾が、容易に入手できること日本の、世界に遍在する本物の刑務所の比ではない。なぜ原理主義者共を打倒しなかったのか。自由と職と正義と平和を求めて蜂起しなかったのか。それをガザの住人は大なり小なり怠ってきた。それをしない、即ち肉屋を支持する豚であったからだ。不正を、流血を、戦争を傍観し消極的にせよ支持してきたからこその今日がある。
その前に酒を差し出して、戦車の前で歌を歌って、武器を差し出して和を乞うことこそ、危機に際して人民の正しいふるまいだろう。リベラル人士は常にそう説いてきた。しかしそれを彼らがしないならば、その結果はやはり全くの自己責任であったというべきだ。
選択の時は十分にあった。正しさを選べなかったツケを払う時が目前に迫っている。残念ながらそれは彼らの選択の末だったということだ。
全幅20m全高60mの壮麗たるキャンプファイヤーを円形に囲んだ中高一貫私立セルフクンニ軟体開発女学院の生徒1919人はこの日修学旅行最後の夜を迎え全員が現代の戦化粧とも言われる病み系地雷メイクを自らに施し全校一斉セルフクンニの儀に勤しんでおり初日に奈良での鹿クンニ体験を修了し体内の水分を最大で10%圧縮し一気に射出することで鹿の頭蓋骨をも貫く殺人潮吹きを体得した全生徒が一斉にキャンプファイヤー目がけ潮吹きを行うことでその豪炎を見事鎮火させるという非常に困難な課題を与えられていて何としてでも成功に導こうと緊迫した空気が場を支配していたが突如虚空から現れた超大型ウーマナイザー型飛行物体によって儀式は中止に追い込まれキャンプファイヤーの神聖な炎は飛行物体にみるみるうちに吸い込まれていき辺り一面が暗闇に包まれると現場は一気に騒然となって混乱の最中円列最外周の生徒が絹を裂くような悲鳴を上げ引率の教員がすぐさま駆けつけるも既に彼女たちの陰核は付け根から切断されており如何にトー横界隈ホス狂糞メンヘラと揶揄される存在であろうと将来はこの地球の未来を背負う立派な防人に育ったであろうことは疑う余地もなく再起不能になったその哀れな姿に教員たちは涙するが今度は最前列から怒声が響き渡り首席卒業候補と目される彼女らは既に襲撃者の正体を突き止めており敵はかつてセルフクンニ軟体開発女学院に在籍していたが成績が振るわず落第し同学院を除籍後裏社会に潜伏し熊田曜子泥沼離婚裁判の裏で違法な改造ウーマナイザーの製造販売を行い公安監視対象になっていた勢力がセルフクンニ軟体開発女学院への復讐のために作り上げた陰核切除特化型ウーマナイザー型ドローンであることが判明しすぐさま上空を高速で旋回飛行するドローンを警戒するがこの闇夜の中目視で捉えるのは極めて難しく次の攻撃の瞬間を狙って仕留める他無く生徒達はすぐさま地対空フォーメーションを組み敵を迎え打つがその攻撃手段は誰も予想出来なかったもので親機となる大型ドローンが吸引したキャンプファイヤーの炎を収束して逆噴射し辺り一面を薙ぎ払うという悪魔のような所業であり迫りくる業火に向けて一斉に放たれた生徒たちの殺人潮吹きも虚しく蒸発し異臭を放つばかりで次々とかけがえのない若い命が真っ赤に燃えて灰燼に帰していくが獄炎に照らされた仇敵の姿がこの惨劇の夜空にようやく浮かび上がり伏兵として潜伏していたセルフクンニ軟体開発女学院首席卒業者のOBが自らの命と引き換えに体水分の全てを収束して噴射する最大出力の殺人潮吹きで正確に親機ドローンを貫き制御を失った陰核切除専用子ドローンも次々と墜落していき流石は手首太腿に余白が無いくらいの自傷跡を持ち多重整形で顔面も崩壊し過食嘔吐と喫煙酒焼けで20代でババアみたいなガラガラ声になってるトー横の伝説と言われたOBであるが既にその身は完全に水分を失いミイラ化しており何とか生き残った1492人の生徒たちも引率の教員たちもこの夜の惨事に三日三晩咽び泣き癒えぬ心の傷を負って暗澹たる思いの中その手首に無数の刃傷を復讐の誓いと共に刻み付け新たに427人の新入生を迎えたセルフクンニ軟体開発女学院は今日もセルフクンニを極めるべく過酷なセルフクンニ訓練に臨むのであった
十年の時が経った。
満を持したペルシア軍の大遠征が始まる。十年前のマラトンの戦いの規模を遥かに上回る戦力(十五万人程度と言われている)を前に、ギリシア世界は当然のごとくパニックに陥った。
しかし、ギリシア軍は自国の陸軍の主体を成す重装歩兵に絶大な信頼を置いており、特に、ギリシア連合軍の雄たる都市国家スパルタは、強大な軍事力を背景にペルシア軍に対する陸上決戦を提案し、その決戦をスパルタ自身に主導させようと画策する。しかし、テミストクレスがそこで動いた。
テミストクレスは海上決戦以外に活路が無いことを、十年前から看破し、その準備を着々と進めていた。そのため、軍事力を背景に陸上決戦を主張するスパルタ陣営を確実に抑え込む必要があった。また、スパルタの主張する決戦案は、バルカン半島南方のコリントス地峡において、複数の都市国家を犠牲にすることによって最終的な決戦に持ち込む、一種の焦土作戦の体を成しており、当然ながらテミストクレスはそのようなスパルタの立案を容れることができなかった。そのため彼は当時ギリシア市民に信頼されていたデルフォイの神託を利用することに決める。
ギリシア諸侯の要請に対してデルフォイから下った神託は以下のようなものであった。『陸上決戦を避け、木の砦を頼れ』。
テミストクレスは、この『木の砦』こそが、アテナイが着々と準備を進めていた軍艦なのだと主張し、海軍によってペルシア軍を打倒する海上決戦案にギリシア諸侯の意識を誘導することに成功する。また、自軍の立案を妨害され立腹するスパルタに対しては、海上決戦の際の軍事的イニシアチブを譲ると確約することによって、何とか説き伏せることにも成功した。
(なお、艦船の保有数の関係上アテナイは海上決戦においてスパルタに対して大きな影響力を持っていたため、スパルタはあくまで形式的な海上決戦の総司令官に任命されたに過ぎなかった)
また、このデルフォイの神託は、恐らく事前にテミストクレスが賄賂を贈ることによって歪曲された結果であると、後世の歴史家たちによって推測されている。
以下は歴史の辿った事実の列挙である。ギリシア連合軍は、陸路においてスパルタ陸軍、また海路においてアテナイ海軍が主力をなす軍隊を、それぞれ沿岸の主要な陸路と海路に布陣させ、海峡と山際の隘路という大軍の利を発揮させにくい地形を戦場に選ぶことで、ペルシアの侵攻を食い止める作戦に出た。
しかし、要衝であるテルモピュレーにてスパルタ軍は味方の裏切りに遭い、精強を誇ったスパルタ陸軍は時のスパルタ王であるレオニダス一世の指揮の下で壮絶に奮戦したものの、全滅を遂げる。その情報を聞きつけたギリシア海軍は、実質的な指揮官であるテミストクレスの指示の元、南下、後退し、最終的にはアテナイに程近いサラミス海峡へと撤退することによって、当初の予定通り最終的な海上決戦にてペルシア海軍を撃滅することを画策していた。
テルモピュレーを突破したペルシア陸軍が急速に南下を続け、アテナイへと到達し、故郷が陥落したというニュースであった。
ギリシア諸侯において絶大な信頼を誇っていたアテナイの陥落に、周囲からテミストクレスに対して注がれる視線は冷ややかであった。しかし、テミストクレスは冷静であった。事前に彼はアテナイ市民をサラミス島やその他の土地に疎開させていたため、人的な被害が殆ど出なかったことが幸いした。テミストクレスは諸侯に対して、アテナイの保有するギリシア海軍の半数以上に及ぶ軍船の存在を主張し、未だアテナイはその国土を失っていないと説得すると、依然軍議における主導権を確保したままに、海軍を南下させ続けた。やがて、テミストクレス率いるギリシア海軍は、サラミス海峡の隘路に布陣し、静かにペルシア海軍の来襲を待った。
この際、テミストクレスはペルシャの首脳陣と使者を交わすことで内通していた。ギリシャ陣営の内部情報をペルシャへと流し続けていたのである。
テミストクレスは誰も信用していなかった。敵に対しても、味方に対しても、一切の信用を持たなかった。この内通が、ペルシア侵攻の初期の段階から行われていたという説さえ存在している。
テミストクレスは膠着状態が続く中で、ギリシャ陣営内において撤退論、転進論が巻き起こっていることをペルシャ王であるクセルクセスへと伝えると、さらにサラミス海峡の出口を塞ぐことができれば、艦隊は撤退も不可能となり、必ずやギリシア海軍は撃滅され、ペルシア軍は勝利の栄光に浴することができるだろう、とクセルクセスを焚き付けていた。また、テミストクレスはクセルクセスに対して、海上決戦の際にはアテナイはギリシア陣営を裏切り、ペルシアの勝利に手を貸すことを約束していた。テミストクレスの思惑通り、クセルクセスはサラミス海峡へと向かわせていた七百隻の主力艦隊を二つに分けると、二百隻に海峡の出口を包囲させ、また残りの五百隻を以てサラミス海峡に立て籠るギリシア海軍を撃滅しようとした。テミストクレスは謀略によって、まんまと敵艦隊を二つに分断したのである。
敵艦隊が二手に別れたことを知ったテミストクレスは、ギリシア諸将に対して海峡が包囲されていると伝えると、撤退や転進は不可能であり決戦のみが活路であると諸将を誘導した。そのようにして諸将の士気を奮起させたテミストクレスは、海峡へと侵入してくる五百のペルシア艦船を静かに待ち受けた。
当初、ペルシア海軍は海峡の奥深くで待ち受けるギリシア海軍を発見した際に、攻撃を急がず機を見計らっていた。内通者であるテミストクレスの情報通り、アテナイが離反しギリシア海軍が劣勢に立たされるのを待ったのである。
しかし、ペルシア軍の目に映ったのは異様な光景であった。ギリシア陣営の旗の上に、戦意を鼓舞するための戦場ラッパの音色が鳴り響き、そしてギリシア艦船が淀みなく戦陣を整え始めたのである。
それでもペルシア軍は攻撃を保留し続けた。ペルシア軍は最後までテミストクレスの情報に踊らされ続けた。
◇
テミストクレスの号令一下、突撃を開始したギリシア艦隊の前に、ペルシア軍には動揺が走った。テミストクレスが離反するという事前の情報との乖離も影響した。密集体形で海峡の奥深くへと侵入していたペルシア艦隊は、有効な機動を取ることができず見る見る間に壊走を始める。更には、後方から押し寄せたペルシア艦隊の援軍までもが、ペルシア前衛艦隊の撤退を妨げることとなった。
ペルシア海軍は大混乱へと陥り、急速に戦闘能力を喪っていった。ギリシア海軍の勝利が決定づけられたのである。
◇
主力艦隊の大部分を喪失したペルシア軍は、このサラミス海峡の戦いの敗戦を重く受け止め、海上部隊の撤退を決断する。テミストクレスが当初画策していた、海上兵站を寸断する計略は成功し、ペロポネソス半島への侵略を行っていたペルシア陸軍も急速にその影響力を喪っていった。最終的に、ギリシア連合軍の反撃によってペルシア陸軍もギリシア世界から追い出され、十年を費やしたペルシア帝国の大遠征は失敗に終わり、ギリシア世界の完全勝利となったのである。
当然、この勝利の立役者となったのは英雄テミストクレスであった。テミストクレスはまさしく英雄であり、一度は終わってしまった世界、喪われた故郷を彼は取り戻した。ペルシア戦争の勝利はひとえに彼の超人的な洞察力、長期的な戦略立案能力、謀略や陰謀を駆使し敵と味方をコントロールする政治力、それらの能力によって成し遂げられた勝利であった。
とは言え、テミストクレスはあまりにも優秀すぎ、また、あまりにも自分の能力を過信し過ぎていた。
最終的に、テミストクレスはギリシア世界にとっての危険人物であると判断され、政治的指導者の地位から失脚させられ、かつての仇敵であるペルシアへと亡命している(相変わらずペルシアと内通を行っていた)。その後、ペルシア軍によってギリシア再攻撃の責任者へと任命されるのだが、母国に弓引くことをよしとせず、毒を呷って自決したと言われている。
テミストクレスは間違いなく英雄であり、凡庸な人間とは違う視野を持って生きた人物であった。とは言え、狡兎死して走狗烹らるという言葉の例に漏れず、自国民から危険視された英雄の最期は、あまりにも物悲しい。
アフガニスタン | 幕末・明治維新 |
---|---|
タリバン | 長州 |
イスラム原理主義 | 尊王原理主義 |
外国人排斥 | 攘夷思想 |
オマル師が作ったイスラム神学校に集った学生らが中心メンバー | 吉田松陰が作った松下村塾に集った若者らが中心メンバー |
欧米に支援された政府が敵 | 外国と条約結んだ幕府が敵 |
一度は実権握るも米国にイキった結果コテンパンにやられ逃亡しテロリストとしてお尋ね者に | 一度は倒幕派が藩の実権握るもイキった結果禁門の変でコテンパンにやられ朝敵としてお尋ね者に |
かつて戦争したアメリカと交渉し対政府戦を優位に進めたタリバン | かつて戦争したイギリスと交渉し対幕府戦を優位に進めた薩長軍 |
各地の軍閥と戦ったり味方に入れたりしながら進軍 | 各藩と戦ったり味方に引き入れながら進軍 |
戦わず逃げ出したガニ大統領 | 戦わず逃げ出した徳川慶喜 |
タリバンの仇敵、北部同盟のドスタム将軍も降伏して逃走 | 長州の仇敵、会津の松平容保も降伏 |
首都カブールの無血崩落 | 江戸城の無血開城 |
反タリバン勢力がパンジシール州に結集して抵抗 | 反新政府勢力が北海道の五稜郭に結集して抵抗 |
大河ドラマにならんかなぁ
ネットフリックスにドラゴンクエストユアストーリーがあったから「サウスパークの代償」「怖いもの観たさ」で観てみたら、あんなコテコテのオタクイジメ以外は本当に名作だった。「よくまとめられたな」と感心したくなる出来。
冷静になって「いやいや、ネットフリックス以外も配信している。むしろAmazonプライムビデオで大人気」と勘ぐりながら調べてみたら、マジでネットフリックス独占配信。これはあれですわ。
山田孝之は勇者ヨシヒコだけではなく、電車男 闇金ウシジマくん 全裸監督 と数々の異様な作品で主演をやってきました。とくに全裸監督はネットフリックスで初めての日本実写 フェミニストを激怒させまくっていると悪名高い。
もはや彼がサウスパークの会社でしか配信出来ない作品に追い込む気で作らせた令和の奇アニメと勘ぐってもばちが当たらない。
ネットフリックスがゲームをモチーフにしつつゲーマーを侮辱しながらカルロスゴーンを賛美する作品を山田孝之も何らかの濃い役で参加させるのなら……俺が許す。
だって、狭量左翼の仇敵サウスパークの会社だもん。現実世界でオタクフォビアとキモオタが激しい嫌がらせをするというドラゴンクエストユアストーリーの続編が作られてもおかしくない(悲しい事に山田孝之の力をもってしてもネットフリックスに頼らないといけない)
増田神社(ますだじんじゃ)は、佐賀県唐津市肥前町にある神社。
1869年(明治2年)8月10日、熊本県合志郡泗水村(現・菊池市泗水町)生まれ。
幼少の頃より体格は立派であり、性格温厚と誰からも好かれる人物であった。
永島塾では漢学を、後藤塾では数学や測量学を学んでおり特に数学に秀でていた。
その後、 阿蘇郡馬見原(現・山都町)の用水路整備や北海道開拓事業、地元泗水村での養蚕業などを経て佐賀県の巡査教習所(現在の警察学校)へ入所する。
増田は上記の私塾では学業を修めていたことから一般教養に秀でており、本来3か月かかる巡査教習所の教習課程をわずか10日で習得し卒業する。
1895年(明治28年)7月17日に佐賀県巡査を拝命し、19日には唐津警察署へ配属されることになった。
1895年(明治28年)、日清戦争終結に伴い外地から兵士が帰還すると全国的にコレラが流行する。
この年の患者数は全国で55,144名、死者は40,154名になっていた。7月には佐賀県東松浦郡入野村高串(現・佐賀県唐津市肥前町高串)でもコレラが発生し、真性40人、疑似34人、死者9人と猛威を奮った。
〜中略〜
増田は交通手段のない山道を超えて巡査を拝命して4日後には高串へ到着する。
増田は区長と相談の上で「コレラ感染を防ぐには、一刻も早く患者と健康な人との接触を断たなければならない」と対策を講じ、発症者の家には縄を張り巡らせて消毒の上で人の往来を禁じた。
また、住民には生水を飲まない、生で魚介類を食べないなど厳しく指導して回った。
中には薬を飲んでから亡くなった発症者もいたことから誤解して「毒薬なんか飲まない」と言う発症者もいたが、増田はその患者にも根気よく説得し続けた。
また、感染を恐れて発症者の遺体運搬が拒まれていることを見かねて、増田は自身で遺体を消毒し、むしろに巻いて背負って傾斜が急な坂道を何度も登っては墓地に埋葬していった。
住民は不眠不休で献身的に働く増田に対して次第に胸を打つようになったが、疲労が祟って高串着任の3日後である23日にはついに自身も感染してしまう。
容体は急速に悪化し、「とても回復する見込みのないことは覚悟しています。高串のこれらは私が背負っていきますから御安心下さい。十分お世話せねばならぬ私が大変御厄介になりました。」と言い残して24日午後3時には死去する。その言葉通りに、猛威を振るっていたコレラは終息し、再び発症する村人はいなかった。
増田が死去した2日後、コレラに罹患した2人の子供を看病していた中村幾治の許に増田巡査が夢枕に立ったという。
夢枕の増田巡査は、白シャツ姿に剣を抜いた大男で現れて「余はこの世になき増田敬太郎なるぞ、高串のコレラはわが仇敵にして冥府へ伴い行きれば安んじて子らの回復を待て、ゆめ看護を怠りそ」と厳かに言って消えた。
翌日には増田巡査の死とその最後の言葉を聞いた中村は夢枕の内容との一致に驚き、子供を懸命に看病した結果、子供2人も無事回復した。
中村のほか同様の夢枕を見た住民は他に2件あり、伝え聞いた住民の間では増田巡査は神様として認識されるようになった。
三浦さんのファンだったわけではないけれど、ドラマに出ていればかっこいいなあと素直に思うくらいには好きだった。
訃報を知って泣くくらいには好きだった。
三浦さんではないけれど、自分にも好きな俳優さんはいるので、三浦さんのファンの方の悲しみは計り知れない。
ただただ、三浦さんのご冥福をお祈りします。
本題。
しかし、不意にやってくる、数年前に亡くなった妹関連で未だに怒りが湧いてきて、どうにか発散しようとネットを開いたところに、三浦さんの訃報を目にして心が完全にひしゃげた。
もう今日は使い物にならないだろう。
妹は数年前に自殺した。
なんとなく、確証もなく老後2人で縁側に座って話してるのかと思ってた。けどそんなことなかった。
殺人や事故だったら殺した犯人を憎めたけど、自殺は殺した犯人も被害者も同一人物だから憎しみも悲しみもごちゃ混ぜになる。
今でも妹のことを思って泣くことはあるし、体がだるくて動けなくなる。
その他色々、本当に色々、大袈裟にではなく、自殺の前と後では生活、性格、人生の全てが変わる。
本当に自殺は最悪だ。
序盤に書いたが、妹の自殺について、私にとって悲しみよりもずっと残るのは憎しみだ。
ずっと妹のことを思って泣いていたかった。
けど、醜く心に残ったのは怒りの方が強かった。
そして怒りの感情の方が長く残る。
死んだ妹に対して怒りはない。
自殺なので遺書もまああったが、正直なところどう思ってたのかなんて、誰にも分からない。
何故死んだのか、何故私に言ってくれなかったのか、とかはもういない人間に対して怒るのは疲れた。
私が憎い相手は2人いる。
1人目。妹の友人。
妹は母親が嫌いだった。
私は特に好きでも嫌いでもなかった。
なので妹の意見には同調できなかったが、妹の友人(Aとする)はそんな妹の気持ちをわかってやれたらしい。
それでもこのメールは見せないでくださいとか、私だけが妹のことをわかってる、みたいなそんな内容だった。
葬式にもAは来た。
私は受付をしていて、両親が参列者の相手をしていた。
妹に対しての、学生時代の旧友がくれた手紙などはあったけど、母親に対しての手紙。
嫌な予感がして母親から取り上げると、妹が母親を嫌っていたことがつらつらと書かれていた。
注釈しておくと、妹は母親を嫌っていたが、母親は妹のことを格別嫌っていたわけではなかった。
なので、妹の死に対して本当に母親は悲しんでいた。
私は親元を離れて暮らしていたので話に聞く程度だったが、会えばいつも泣いていたし、葬式でもずっと泣いていた。
そんな母親に対して「あなたの娘さんはあなたのこと嫌ってましたよ」なんて手紙を渡すか?
妹は嫌いだったかもしれないけど、私はそんなに嫌いでもない母親だ。
妹の遺品を整理して、妹の葬式の準備をして、毎日妹の死に触れて、妹が二度と帰ってくることのない実家に暮らしている母親に対して、葬式に来ただけの人間がそんなことするか?
本当に腹立たしかった。
手紙を渡すだけ渡してAはさっさと式場を出たらしい。
本当に憎らしかった。
妹の葬式に行くこと、母親に手紙を渡そうとしてることなどツイートされていて、憎しみが重なるばかりだった。
憎ければ見なきゃいいといえば本当にその通りだ。
本当に本当に憎い。
Aは愛しき友人のために、憎き母親へ一矢報いていい気分だっただろう。
Aにとって母親は、死んだ妹の仇敵だったけど、母親は私の母親でもある。
恨みつらみの手紙を送られて、精神に異常でも来たして後遺症でも残したらどうするつもりだったのだろう。
フィクションなら友人の復讐を遂げられて良かったかもしれない。
けれどここは現実だ。
Aにとっては自身の物語の重要な登場人物だった妹の仇をとって満足だっただろうが、モブの私や母親にも物語がある。
モブだと見なされた人間もちゃんと生きて家族がいて仕事があって人生がある。
妹が死んだ後のエピローグは最悪だ。
その患者は妹が亡くなったのとほぼ同じ年齢だった。
それだけでうわっと思ってた。嫌だなと思ってた。
カーテンを開けると、その患者はもりもりとご飯を口いっぱいに含ませ食べていた。
はあ?と思った。
けれど、それだけで、ふつふつと怒りが湧いてきた。
指導者が話しているのを横で聞いていただけだったが、ずっと私はその患者が憎くて睨んでいた。
なんで妹は死んだのに、お前は元気に生きて飯食べてるの?
別に妹のことは直接関係はない。本当に理不尽だし、本当は生きてて良かったと思うべきである。
しかし私は今でもあの女がもりもりと飯を食べている姿が脳裏に焼き付いて憎い。
私はそんなに人を憎まない性格だった。と思う。
Aと比べて、私や家族が何かされたわけではない。
けれど妹が死んで、生きている人間が不意に憎たらしく思うことが増えた。
認知の歪みだと思う。
自分でも理不尽だとわかっているけど、感情がそう思ってしまうのだから、どうしようもないのだ。
妹は見つけた時もう死んでいたのに?
妹は初めての自殺行為だったのに?
妹は死にかけた朝にご飯を食べることもなかったのに?
考え出すとぐるぐると、どうしようもない。
認知の歪みがわかっていても矯正することもできず、顔も覚えていない相手に今日まで怒りを抱いてしまう私がいる。
自殺は全てを狂わす。
不幸の行き着いた先の選択だ。
深く関わりがない、知っているだけの人間ももれなく全員不幸へ道連れにする最悪の選択だ。
『「宇崎ちゃんは遊びたい」の献血PRポスターはセクハラ』との批判と、それに関する議論
何時もの事と言えば何時もの事だけども一般人なら兎も角これ仮にも弁護士の発言と言うのが驚きだろう。
以下に日本の法政のレベルが低いかを象徴する出来事とも言えるだろう。
以前も募金の一件でも問題を起こしたみたいだし、一度弁護士資格の制度の見直しもした方が良いのでは?
個人的には昔あった建築士見直しの契機となった姉歯並のインパクトだよ。
これ等から見てもどういう事なのか良く判るね。
彼女等の言うネトウヨだのロリコンだのペドだのセクハラだのは相手を貶める為に発しているレッテル貼りに過ぎないし、青少年に悪影響だの子供の権利や女性の権利や人権だの平等だの言う言葉は単に相手に意見を飲ませる為に主張している口実に過ぎないからな。
これも要は理由なんて何でも良いから言う事聞いて規制しろと主張しているに過ぎない。
こんな事だからポリコレ棒だのまなざし村だの言われたりするんだよ。
そもそも児童ポルノ禁止法の一件にしても規制の強化ばかりで児童保護に関しては指摘されていたにも関わらず、ずっと無視し続けてきた位だしな。
山田太郎議員が子供庁とか言う話をしているのもその辺の事情もあるのよ。
これができる人って結構少ない。
これまで色んな人に出会って話してきたけれど、多分割合にして100人に1人くらいしかそういう思考はできていないんじゃないだろうか。
そして当然のことながら、こういう思考ができない人は、あらゆる種類の議論に参加しては駄目な人である。
議論において優れた人物に共通している性質は、正確な自己反省能力である。自分が何を話そうとしているのか、自分が今どういう立場にいるのか。そういう情報を総合してフラットに把握できている、多くの場合優れている人物はそのような優れた自己反省能力を持っている。
しかし、最近の様々な議論を見る限り、議論の当人達にそのような自己反省能力があるのかどうかは疑問としか言いようがない。
最後に。昔クジラックス先生(フェミニストの人々にとっては仇敵と言ってもいいような人である)が、まだ売れてない時に書いた趣味の漫画にこういうのがあった。
「世の中色々と間違っていることが多いと思う。
僕はしばしば、そういうものに出くわす度に、それらに対して声を大にして言いたくなる。
『そんなの間違っているぞ!』って。
でも、結局僕は何も言わない。