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2024-06-19

anond:20240619014605

アメリカ先住民立場からみたらやっぱり、という記事を見つけたとしても、そこまで確信をもって解釈できなかったし、寄り添えない」


本文中にある「植民地主義はその民族アイデンティティに組み込まれている」から「寄り添えない」し、(発言してないが)「寄り添うべきではないし、寄り添ってはいけない」ってことだろう。

侵略者であるアイデンティティ」というのを「是」としたいのは承知だが、俺からすると「アイデンティティなんて(笑)バカかと(笑)」としか言えんわ。

逆に言えば「被差別者としてのアイデンティティがオマエラのルーツからオマエラは虐められてることを承認し、その過去に対して責任遡及すんな。そのままなんだよオマエラは」ってことを「是」としてるわけだ。

違うんだったらちゃんと違うように説明してみろよ、民主主義並びに自由主義国家住民よ?


作り物の話だが『ウルトラセブン最終章』を見るがいい。

あの最終回戦犯である私たちジャップランドとしては「正しい謝罪のあり方」だな、と思う。

過去過去なんだから、謝り続けさせる仕組み(この場合ポリコレ)はクソだぞ!」っていう気持ちはわかる。

オマエの本丸がそこ(戦犯であるジャップランドの「永遠謝罪」の拒否であるなら残念だったな。


俺は「お気持ち謝罪や、価値観変遷のための取り組みはOKだが、今すぐ金よこせ!(シナコリアの言い分)っていうのは絶許」っていう立ち位置だ。

過去謝罪には金は不要だよ。金を引き出すなダニ共が。

スターシップ・トゥルーパーズシャワーシーンかよ

秋の日曜の昼下がり。北ケーブルテレビMTVかスペースシャワーでは、夏のFUJI ROCKまとめが流れてた。

外が空気肌寒い直射日光はまだ熱さを残してた。

ベランダの向こうは赤羽駅で、子供やらお母さんやらおばさんやらお兄ちゃんやらおねえちゃんやらおじさんやら、

店員さんやら配達員さんやら駅員さんやら埼京線やらが、それぞれに動いてそれぞれの音を鳴らしている。


「ま、まそこが見たい、です。」「い、い、良いですけど、増田さんも見せてくださいよ」

モチのロンですよ!」。期待通りの返答だった。

ワイは状況が変わらないうちに、立ってジーンズを脱いで、ちょっと恥ずかしく思ってためらったけど、

トランクスを脱いで、しゃがんで、見えないところでちんこの皮を剥いた。ちんこ全然小さかった。


山田さんは座ったまま、ズボンショーツを一緒にゆっくり脱いだ。

毛でもじゃもじゃで、よく見えなかった。



そのオカメインコみたいな中国女の子は、生まれつき脇毛も陰毛も生えないとゆうことだった。

幼女を疑うにはがたいも胸も大きくて、あそこのビラビラしてた。

だけど真っ白な肌にピンク色のビラビラで、見とれて思わず「ぴゃおりゃん」とか言ってしまって笑われる。

秋の夜長に、外人に変な日本語教えて言わせる遊びの、逆をされた。

なんか筆談交えて中国語を言わされて、言うと女の子大人しめな感じなのに大爆笑


目の前にぽわんぽわんのおっぱいがあるのに、エッチな人と思われたくないか自重している自分

でもこっちはお金払ってんだ!と強く自分を説得して、脈絡なく手を伸ばしておっぱいの先の乳首を触る。

視線を僕に向けないまま「もう、ねえ、しょうがないなあ」みたいか、照れて笑うかはにかむオカメインコかわいい。好きになる。

20分んクンニしてイカせた。イったの初めてだったかもしれない。

その頃の中国女はふぇらはしないんだけど、イカせたお礼か、

「ほらほら、私こんなことしちゃうんだぞー。されたことある?」みたいな上から、ふぇらされた。

中国女もちんこを舐めてるとエロくなるようで、僕も垂れ下がったおっぱいを下から持ち上げるようにたぷたぷ触ったり、

自分ちんこ女の子が舐めてるエロさで、ふぇらも頑張ってしてくれてるのに悪いよな、

抜いて胸元に出してもいいじゃないか、あ、う、あうん。女の子の動きが固まる。

日本風俗じゃ、びくんびくんしてるときも刺激は止めないんだけど、

固まってる口の中にびくんびくんびくんって射精した感じで(初めてのエロあるある)、

「ほほほーほほほ(多分中国語で「これどうするの?」「)」「(ごっくんごっくんのジェスチャー)」。

下を向いて顔を上に上げる反動で飲み込んで、初めて精液を飲んだみたいな表情。

普通中国女はキスはしないんだけど、どさくさに紛れてそのまだ少し精液が残る口にキスをして舌を入れて、

同時にお股に指を這わせてぐにぐにぐに、おっぱいも揉んで揉んで、

この頃からなんか中国語で喋ってくるけど、聞き流して返事は全部肯定系で。

「にーあいうぉーま?」「すー、うぉーあいねーへんでぃ」とか言ってたと思う。

コンドームを使わないでせっくすると、赤ちゃんができますね」

赤ちゃん欲しいの?ほしいならまず結婚して夫婦にならないとね」

赤ちゃんができたか結婚は良くないですか?」

「良くはないけど悪くもない。私と結婚したいの?結婚するなら(コンドームをぱちんと取って)、

してもいいわよ(にこり」

二人並んで立ちションをしたり、彼女下宿先に一緒に行って、何人かの半裸の中国女にじろじろにやにや見られたり、

100%若い女の子の汗のすえた匂いだった。

普通少年を捕まえるもんだと思うんだけど、学校帰りの女の子を呼び止めて、

「ねえねえ、エッチなこと知りたい?」話しかけて、誰もいないような一面田んぼの中で、

3人寄り添って談笑する体で、女学生スカートの中のショーツを脱がせて、

中国女がなんかエロ質問してる多分。女学生まんこ見られておっぱい露出させられて、

恥ずかしさかエロかどうしていいのかか、うちらのぎこちない青姦ショーをオナニーながら見せられ、

はい、これが精液。赤ちゃんの素」とか保険体育が始まり、ワイが女学生まんこを見てるのに気づいた中国女は、

「やりたいの?」「やりたくないです」「多分やってもいいよ。ねえねえ、いま做愛したい?したいよね?

ね、ほら」「いや、しなくて問題ないです」「本当に?」「彼女好きな人とやるのが良い」

最初はどんなんでも良いけどね。みんなそうだよ」


このこは後日談hがある。


その夜、酔った中国女にちんこを握られながら「他の女とやる必要ないよね。私がいるから。

あの女の子が可愛かったの?明日男の子を捕まえて、私が味見していいの?」「よくない」「だよね?」

「(だからしなかったじゃん。。)」→とりあえず謝る→やっぱりあなたいちばんかわいい優しい頭いい、

まんこ気持ちいい→コンドームつけなくてもいいのに(病気が怖いの)→せっくすして軽く疲れて、

いちゃいちゃくっついてくる中国女を抱いていつの間にか寝る。


デートの途中で彼女下宿に寄るときも、外で待ってるのに部屋の中まで連れてきて、

この頃には触ってくるのは当たり前でおっぱい見せるとかまんこ見せるとか、

僕の目の前でショーツ降ろして前かがみになってお尻振るとか、見えるナプキンえぐい

友達の中には彼女よりワイの好みの女の子もいて、その子積極的からかって来なくて、

奥にいるその子を見てたら「え、この子がいいの?」って前に持ってきてくれて、

おっぱいはめくって見せてくれた。ワイはおとなしい子が好みなのだ


「私、汗かいたかシャワーしてくね」と一回部屋を出てったけど、また戻ってきて「一緒にシャワーしよう」。

風呂場じゃなくて4人並べるプールシャワー室みたいで、二人で入って裸になったら、

元気な友達3人も「私たちも今からシャワー使うの」とか裸になって、

もー僕はぼっきするちんこだって恥ずかしくない。そのちんこを何故か丁寧にずっと洗う中国女。

AVならこの4人全員とやれるんだけど、多分「うわ、あのちんこぼっきしてる」「ほんとだ。うわー」

「あのちんこ入れて欲しい」「私も」「あなたら、自分ちんこを見つけなさいよ。

そこらへんに何本でもあるじゃん」「もっと大きいほうが良いから。それそんない大きくないよね」

普通だよ!」「そうかなあ」「ほら、こうして見て見て(ちんこ根本を抑えつけてる)」

亀頭は大きいよね」「これが気持ちいいのよねー。ほら、こんなんして舐めちゃうから

「きゃあ、ちんこ舐めてる変態じゃん!」「まんこも舐めてくれるから普通だもん」

ちんこ舐めてまんこ舐めてって、日本人は変態じゃん」


と多分言い合ってるので、来ては見たけどずっと喋らない端の痩せてて胸もぺたんこでもリマンの女の子の無い胸に触って、

10回くらいもみもみした後、お股に手を差し入れたらぬるっとしてて、指でいじるともう目をつむって

「待ってましたよ」みたいな感じ。それで手を抜くと女の子も目を開けて、濡れてるワイの指先で糸を引かせて、

その指をワイは舐めた。女の子は「私処女だけどせっくすしたい!」「そう言いながら外を走れば?」

「誰も相手にしなかったりして」「何十人の男に襲われるわ!それでひどい目にあって、

コンドーム無しでやられて誰の子かわからない赤ちゃんができる!」「でもその赤ちゃんが偶然、

(多分中国アイドルの子供で」「すごい、大当たりじゃん」「そのアイドルの前で裸で走れ」

あなたの裸はきれいエロくて男が好きだから、いいちんこは見るけれる、男は処女も好き」「ほんとに!?

「このこ全然胸なくて、私のは大きいじゃんぼよんぼよん」「多くの男の人は大きなおっぱいが好きですね。

でも僕はこのおっぱいが好き」と彼女の。彼女はB+カップくらい。


ちんこ熱も冷めて、さっきの子うちらお土産で大量に買ってきたアイスクリームを食べてる。

大量に買っても大きなフリーザーはあった。「4Pしたい。4Pしたい」とワイは日本語で繰り返した。

「でも友達の中でもアタナがいちばんスタイルが良かったね」「そう、私背が高いし」。実際そうだった。


これが男女逆でも成り立つか。男の場合は力づくがあるからな。でも力づくしない、

勝手知ったる、大嶋さんとか若林さんとかにだったら、あー成り立つかもなあ。

T-ZONEの歌を歌いながら「御社、弊社のちんぽこなんとかしてくださいよ」「ちょ、西川口行こ」とか言って。



「你射在我里内吗?」

anond:20240616124255

記事で、コロンブス問題サヨクめ!と散々書いて、当事者目線を強調しつつ最後野沢直子の回答で締めくくっていたら、

まさに現地の当事者目線で、ぐうの音も出ない解釈を目にすることになった。

先住民目線で語る、Mrs. Green AppleのMV「コロンブス」問題 | ユロックの母

ほらみろや、と今頃、新たに手にしたポリコレ棒で気持ちよく机をバンバン叩いているに違いないと思うと、うぐぐ、な思いはあるが、この記事はとても説得力があった。

ファクトチェック全部はできないし、3割程度は陰謀論ばりのこじつけかなぁ?という印象ではあるものの、確かにそう見える、というのは、正直、とても説得力がある。

それにしても、この当事者目線というのはとても大切だと思うし、亜希ダウニングさんの他のアメリカ先住民を取り扱った記事も大変興味深いものだった。

特に、おお、と蒙を開かれたのは、感謝祭に関するアメリカ先住民視点

【感謝祭の本当の起源】ネイティブアメリカンの悲しい真実の物語とは | ユロックの母

これは考えるヒントがたくさん詰まっている記事だと思った。

ただ、これもコロンブス記事同様、3割程度はエイヤと断定してしまっている部分が少なからず見受けられ、必ずしもファクト確認できない感じではあった。

(例えば、1637年のピクォート虐殺=John Winthropマサチューセッツ植民地知事による征服祝いが感謝祭起源である、と同氏は断定しているが、アメリカ先住民よりのメディア検索しても「このピクォート族の虐殺土地を奪ったことを讃える1637年の宴が最初感謝祭であると、後に公式に決定」とまで断定しているものは見つけることはできなかった。もっと保守派よりのファクトチェックサイトでは、1637年の征服を祝福、感謝したのが感謝祭の発端とする説に「事実無根だ!」と、それこそむきになって根拠なく反論しているのもみつけたので、右派にとって、痛いところを突かれれているのだろうとは思う)

そういう面はあるものの、テーマ自体が非常に興味深い。

というのは、感謝祭という、入植したアメリカ人の原点ともいえる巡礼始祖の心温まるエピソードで、かつ「アメリカ人」というネイションとしてのアイデンティティ形成にも寄与してきた感謝祭、そして現代では商業的にもブラックフライデーなど非常に重要感謝祭が、実はアメリカ先住民視点からみると、自分たち虐殺されてきた血塗られた歴史の一コマだったというのは、ポリコレ的にどう扱うんだろうと。アメリカ先住民立場としては、感謝祭の日は喪に服す日だとして、負の歴史直視するよう求める主張も行われている、という。

これは、ポッと出てきたアニメMVなどのコンテンツと違って、ポリコレ的にあかんから、といって引っ込めるわけにはいかない。

感謝祭はそれほどまでにアメリカ文化経済社会に深く浸透している。巡礼始祖の思いというのはある意味合衆国憲法起草にも関わってくるものなので、巡礼始祖の神話をその一部であれ、修正する、というのは容易なことではない。いかキャンセルカルチャー全盛の昨今といえども、感謝祭、裏側からみれば虐殺歴史、というところに目をつぶり続ける時代はしばらくは続くだろうと思う。

からアメリカ先住民としては、感謝祭やめろ、とまではいえないが、少なくとも私たちは喪に服すよ、ということをアピールする、というところなのだろう。

問題は、自分たちアイデンティティ形成に欠かせないものキャンセルできるのかというテーマだ。

そもそも植民地主義の反省というのがアメリカのみならず、ヨーロッパ社会でもなかなか直視されないのは、それが自分たちアイデンティティに組み込まれいるからだというのは、例えばフランス植民地主義を振り返るとわかる。

例のコロンブスMVでは、類人猿音楽を教えたり文字を教えたりする場面があるが、ダウニングさん的にはネイティブアメリカン歴史最初に思い浮かぶのだろうけれども、俺はどちらかというと、未開な社会文明化する、というテーマはむしろフランス植民地政策どんぴしゃりなイメージだったりする。前記事でそんなことを書くと、そういうお前も知識ひけらかし野郎だろが、といわれるので書かなかったが。

ひとつ前の記事永井陽右氏の言葉を引いて、「外付けされた人権」という安易さを戒めるようなことを書いたんだが、外付けの元祖は実はフランス革命だ。

人権の出発点のひとつともいえるフランス革命では、当時、海を隔てたイギリスからこの革命の様子をみていたエドモンド・バークは、革命で掲げられたフランス人の新しい概念について、外付けはおろか、「発明されたもの」とまでいっている。褒めているのではない。「発明された概念」のもと、フランス革命では、反革命派が次々と断罪されている様をみたエンモンドバークは、なんでも進歩的ものが素晴らしいわけではないし、なんでも理性的判断できる、偏見を解消できると考えちゃう傾向はヤべえと考えた。

偏見なんてなくならないんだから偏見をなくそうという発想をやめて、伝統文化と結びついた自分たち偏見を生かした社会を目指すべきだ、という考えを進めた。

まり、「伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとがいる」一方で、伝統的な文化価値観自己実現をしたいひとだっているってことだよ。

進歩的価値観に基づいて偏見を解消しようすると、社会のどこかで肩身の狭い思いをする人が出てくる。それをかつて中島みゆきは「世情」という歌のなかで、

学生運動シュプレヒコールの情景をみながら、「世の中はいつも変わっていくから頑固者だけが悲しい思いをする」とうたった(哀しい思いをするのは学生たちに打倒される守旧派側でもあり、衰退する運動にしがみつく左翼くずれの末路でもある。あ、俺の解釈ね)。20代の頃の中島みゆき、すごいぜ。

エドモンド・バークに戻ると、彼はいわゆる、保守主義元祖みたいに言われることが多いが、フランス革命による激しいポリコレビビったというのがそもそもの出発点なのだ

教養なんて外付けだろうってブコメに★がたくさんついているが、エドモンド・バーク見方は、そういうことを少し考えるヒントになったりしないかね。

もうひとつ興味深いのは、フランス人権歴史は、実は植民地主義と深く関わっている、ということだ。

フランス革命後、自ら編み出した自由博愛平等という「人権」という概念をより普遍的価値に高めるために、文明化の推進という旗印のもと、未開社会の啓もうにいそしんだのがフランス植民地主義の大きな側面だからだ。特にフランス語の普及は博愛精神の名のもとに、当時フランス支配下においていたアフリカ地域で推進された。確か、昔読んだ本で手元になく記憶あいまいだが、当時の知識ヴィクトル・ユゴー奴隷制に反対しつつも、フランス語の普及にはむしろ賛同していた、と聞いたことがある。ユゴーではなくジャン・ピエールだったかもしれないが。いずれにしても当時の一級の知識人が植民地におけるフランス語推進の旗手だった。

こうしてユニバーサリズムの名のもとに、フランス人の精神普遍化を推し進めた、というダイナミズムがあったこと、そして、隣国保守知識からフランス革命のその後の経過は「発明された概念」による野蛮なポリコレとして映じていたりしていたことは、「人権普遍的もの」として習ってきた学生が、次のステップとして教養として知っておいてもいいことだと思っている。

人権の普及と植民地支配が地続きであるというのは、フランス社会での植民地支配への反省の足かせになってきただろう。それは博愛友愛ポリコレ的に言い換えても同じことだと思える。

これはある意味で、感謝祭国民意識の醸成に関わってきたことと、その負の側面を直視しにくいアメリカの状況と、状況は異なるが、抱えている課題共通する。

昨今のコロンブスMV叩きについて、得体の知れない違和感を覚えるひとは、俺も含めてなんだが、恐らくどちらかというと、人権普遍化のプロセス進歩主義)と植民地主義が一心同体というところに気持ちの悪い類似性をうすうす見出せるのではないかと思う。エドモンド・バークほどはっきりと「人権よりむしろ偏見のほうが大事!」と180度振り切るまではいかなくとも、正しさのもつ禍々しさを何か表現できないかというモヤモヤがあるはずだ。

自らの存立基盤をポリコレ的に正す究極が革命というものだとすれば、それに対する警戒感というのは埋もれてはならないものだと思う。

そういうモヤモヤは大切にしてほしいし、アメリカ先住民立場からみたらやっぱり、という記事を見つけたとしても、そこまで確信をもって解釈できなかったし、寄り添えない、という部分は残しておきたいと思う。それに対して「貴様アメリカ先住民の心情をないがしろにする気か」という反応は、ある意味表現自由の乏しかった80年前の戦時中に、「兵隊さんご苦労さん」といって国民を一斉に同調させたダイナミズムとよく似てくる。大東亜共栄圏思想は、欧米帝国主義アジア諸国文化経済搾取し、独立を妨げているという考えから出発している。何が正しいかについて翌々考えず、適当ポリコレ棒を拾って叩いていると知らず知らずのうちに、みなが操られた正義に踊らされてしまうというのは危機感としてもっていい。

記事感謝祭トリビアは、そういう意味で、考えるヒントがけっこう詰まっていると思った。

もう5年付き合ってる彼女に「今実家で飼ってる犬が死ぬまで結婚は待って欲しい。私たちには外の世界があるけど、あの子には私たち家族が全てだから」と言われて俺の序列は犬以下かよと思ってたんだけど、この前彼女実家に顔出した時に(結婚挨拶ではない)彼女が老犬に向かって「あんたこの人誰か知らないでしょ?初めて会うもんねえ。私の大事な人だからお顔覚えてね」って言ってて、何故か犬もめちゃくちゃ嬉しそうで、もういくらでも待ちますって気持ちになった

2024-06-18

anond:20240618221543

途中で切れた。長いと切れるんだな。知らなかった。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援必要特性について見過ごされたまま、強いストレスを肉体と精神の両方に受けることになったこと。

また、発達特性が仇となり、ストレスを軽減するための人間関係を作れず孤立したこと

これらの要因により精神的な限界に達した時、受けた負荷が強いパニックの形で噴出してしまい、結局はそれが水泳挫折する原因になったということ。

その後も必要ケアが十分には受けられなかったこと。

また、子ども当人(つまり、私)が、その負荷をむやみに強いられたと感じ、母親への不信を深め、その感情に向き合って修復する機会がないまま、成人後に関係破綻させてしまたこと。

そして、これらの感情的な傷付きに至る経緯とは別に特性について適切なケアトレーニングを受ける機会を得られなかったこと。

これらのことが、社会に出てから仕事への意欲が薄いこと、将来への展望を描けないこと、社交場面における不安などに影響し、また自分特性を扱う上での経験不足がストレスによる不眠、日中の眠気などに繋がり、上記不安拍車をかける結果となった可能性はあるのではないか、と私は思う。

そして、冒頭の「あなた言葉感情説明しない」という指摘もまた、やはり『嫌だ』『つらい』という訴えを繰り返し退けられ練習強要された経験から自分のつらさを他人に訴えてケアしてもらうことを諦めてしまい、直視せずに蓋をすることが常態化している精神状態にある、そのために精神的な問題を抱え込みやすくなっている、と説明できるかもしれない。

また、休職前に孤立無援と感じられる状況にふたたび置かれたことで、水泳パニックを起こしたときのように、強いパニックをおそらくまた起こし(あいまいな書き方なのはあんまり覚えていないので)会社に行くことができなくなっている。

これが当時のトラウマのいわゆる『再演』にあたる可能性はあるかな、と少し思う。

とはいえである

両親は私を愛しすぎるほど愛してくれており(少し連絡が取れないだけで着信を100件超えて入れるのが常態化していた程度には)、特に金銭の面では一般的な親の倍以上に私に支援をしてくれたことは事実である

上記事実をもって、私をまだ幸運なほうと思う人もいるだろうし、就活のくだりなんか、特に甘ったれていると思う人間も多いだろう。

ただ、3歳〜16歳ごろの人格形成期+思春期に、チームメイト精神的にまったく連帯できない状態スパルタ式の暴力的な教練を日がな毎日受けるという負荷は、おそらく定型発達の人間でも耐えられる人は限られるのではないか、という気もする。

そういう負荷に発達特性のある子どもが挑む場合には、おそらく精神的なケア定型発達の子ども以上に必要重要なことだったのだろうと思われる。

私がそういう子どもであったことが親の不運で、特性由来のストレスに対する適切なケア社会トレーニングの機会が得られなかったことが私の不運である

正直なところ。

母は小学校高学年くらいの段階で、私を発達障害者だと疑ってはいた。ネットの普及し始めた当時、私の持つASD的な特性の一部分はアスペルガーと呼ばれていたが、そのことについて母が情報収集していたことを覚えている。

しかしそれは、障害を受容した上で、適切な支援に繋げるという結果にはならなかった。

ちょうどそのくらいの時期に平成不況がやってきたのだ。私の特性を考え、進学先に私立中学を視野に入れていた母の計画は、完全にそれどころではなくなってしまった。父の会社にもリストラの波がやってきたのだ。

タイミングの悪いことに、私が水泳の過度のストレスからチックに陥った時、ちょうど母は不況への恐れからパートを始めたばかりの頃だった。私の『病気』の原因について、母は周囲からの責めを一人で負うしかなかった。父の両親との二世帯同居の家で、専業主婦の母は孤立した養育者だった。

結論から言うと父はリストラを免れ、我が家経済危機回避されたのだが、その頃には私の私立進学計画はとっくに頓挫していた。母が「結果で黙らせなさい」と言うようなことを口にし始めたのも、この頃だったかもしれない。

父親はというと、やはり私の親で発達的な特性が強く、自分の興味のあることしかやりたがらないタイプだった。養育者として、社会的な範を示すとか、発達的な特性とどう付き合っていくかとか、そうした問題についてまったく頼りになる人ではなかった。

悪い人ではない。悪気のある人でもない。一流企業にまじめに勤め、高収入であり、私に関わる多額の費用を全部賄ってくれた人である。そしてそれが、おそらく自身でも困りごとをたくさん抱えていたであろう身で父にできた、私への精一杯の愛情だったろうと思う。

母もまた、母の出来ることを最大限にしてくれた。母は、思春期の私の苛烈で発達のアンバランス性格(受けていたストレスを考えると、おそらくそうなるしかなかった)に何度も振り回されて、傷付き、それでも最大限考慮した上で、「あなたは結果で黙らせなさい」と言うしかなかったのだと思う。

これは私がどう生き、どう傷つき、現在どう困っているかにまつわる記録ではあるが、同時に単に毒親から被虐待についての記録としてはなるべく書きたくはないと思っている。充分悪者に書いただろう、と思えるような筆致だったかもしれないので、ここに補足しておく。私は難しい子供で、両親は常に一方的加害者ではなく、私を支援してくれようとした。私たちはお互い感情的な対立を何度も経験し、お互いに何度も傷付き、それを乗り越えてきた。その過程でいくつか間違いがあり、一度関係破綻してしまったが、それでもまだ、この先に和解可能性がないわけではない。

それぞれの人間がそれぞれに苦しんだ結果、私の今日につながっているのである

・これから

これを書いているいま、これからどうなるのか私にはわからない。これらの生い立ちから私が受けた傷を癒せるかもしれないし、そうではないかもしれない。困りごとを軽減してなんとか社会で上手くやっていけるかもしれないし、どうにもならないかもしれない。

ただ、良くなってほしいという希望を持って先生たちは治療に当たってくれているし、希望は捨てるべきではない。そう思うので自分恥部を曝け出す覚悟でこれを書いた。一種の『底尽き』を気力で前に持ってきた、というやつかもしれない。

ただ、強いトラウマを抱えた発達障害当事者予後は正直あんまり良くなさそうだなぁ、とは、当事者たちの声をインターネットで拾ってみて思わなくもない。

・これからどうしたい?

社会復帰がどうなるにせよ、実家にだけは帰りたくない。

ただ、復帰できないとこれが現実に起こりうることが現状最大の懸念である

プリントアウトして病院池添謙一

当然、持っていく予定である

プラダリアの取捨だれかおせーて。

カウンセリング先生も「感情説明しない」と言っただけで、そこまでドバーッといきなり半生にまつわる自己開示が出てくると思ってないんじゃない?

それはそう。

カウンセリングにはこの記録を持っていこうとは思うが、どの程度まで自己開示すべきなのか、いまが適切なタイミングなのか、そのあたりをきちんと確認しながらやっていこうと思う。

少なくとも、これを書き下せたことで、私の中では問題解決へ向けて、整理と準備がついたと思っている。

・おまえが誰かわかった

べつにわかってもいっかと思って書いている。とくに失うものはない。

何かしらの連絡手段で私とつながっていて、内容でなんとなく察した人は、「もしかしてこれお前?読んだよ」とメッセージくれると嬉しいよ。困窮者だ!金ヅルにしよう!と思って寄ってこられるとちょっと悲しい。というか休職人間に金はない。

やあ。まだ生きていますよ、私。あなたはどう?

・本当のトラウマもっと混沌としたもので、こんなに整然と説明できるものではないのでは。ストーリーをがっつり作りこんで、無意識に本当に触れられたくないことから逃げている可能性はないか

自分言語理解比較的高い特性を持っているので、書くことによって自分をメスで捌くように腑分けして、人前に晒すという自傷行動に割と慣れているし、やはり言葉によって自分説明できるとなんとなく落ち着くタイプである。その助けもあってなんとか書き切れたが、それでも書き切るのにかなり涙を流したので、この記録には多大な精神的労力を必要とした。文字通り血を流しながら書いたと言っていい。

その上で、超フラットに、予断を挟まず言えば、その可能性はないとは言えない。私のような人間レトリックを使うのがうまい。そのレトリックの中にいつでも逃げ場を作り出せてしまうので、「可能性がない」と言い切るのはフェアではない。自分でも気づいていない可能性がある。

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

anond:20240618200626

(というかその夫婦事実婚なのか法律婚なのか、別姓が通称なのか戸籍名も別姓なのかなんて傍から見ても分からなくないか?)

からそこを突き詰めると、なぜわざわざお役所に「私たち結婚します」と届けなんか出さなきゃいけないのか

理由のものを疑うしかなくなる

同性婚にしても同じで、本来権力お墨付きなんか、殊にリベラルさんはおよそ必要としないはずなのに

FXで100万円溶かしちゃった!私たちうなっちゃうの!?

次回、「この前の介入の『ある程度の効果』ってなんのこと?」

お楽しみに!

旦那子どもが欲しいと言われた

私が欲しくないのにね!!!

旦那は元々子どもが欲しくない派だった

結婚して約半年旦那に「子どもが欲しい」と言われた。正確には、私に対して「子どもが欲しい?」という問いかけだったけど。

これを聞かれたときわたしはめちゃくちゃ驚いた。というのも、旦那子どもが欲しくない派だったからだ。

結婚をする前、付き合っていたときにも、「子どもが欲しい?」と聞かれたことがある。私は「相手が欲しいなら欲しいけど、欲しくないなら別にいらないしそこまでではない」と答えた。これは私の本心だった。私の答えに対して、旦那は「自分は欲しくないかな〜」と言った。なので、私たち子どもを作らず、二人で暮らしていくものだと思っていた。

子どもが欲しい旦那に対する私の最悪な答え

旦那に「子どもが欲しい」と聞かれたとき、私はびっくりして「〇〇(旦那)は欲しい?」と聞き返してしまった。質問質問で返すな。

旦那の答えは「いてもいいかな、楽しいと思う」的なものだった。それに対して、私は「〇〇が子育てをできる気がしない」と最悪な返事をしてしまった。でもこれも私の本心だった。

旦那絶対子育てができないと思う。旦那は私からすると良い男だし良い夫だ。でも、良い父親にはなれない。

私の中の親のイメージは、子どもが最優先だ。実際私はそうやって育ってきて、両親は私たち子どものためにあらゆることを犠牲にしてきたと思う。お金時間趣味仕事、そういったものを全て子どもに合わせられるかどうか。旦那がどうかはともかく、私にはその覚悟気概はない。

私に選択肢があると思っていた

旦那子どもが欲しい話をされて一番驚いた理由は、私に選択肢があると思っていたからだ。本当に最悪、最悪な女。

旦那子どもがいらないと思っていたから、ずっと一人で悩んでいた。私が欲しいと思えば産むだろうし、私がいらないと判断したら二人で暮らしていく。勝手にそう思っていたし、結局「いらない」という結論に至って、子どもがいない人生を歩もうとしていた。

当たり前だけど、子どもの有無は一人で決めるものではない。それが分かっていなかった。あまりにも愚か。そして、旦那子どもが欲しいという話をされてから1ヶ月以上経った今も、結論を出せずにいる。

子どもが欲しくない理由

子どもが欲しくない理由は大量にある。一方、欲しい理由は片手で数えられるほどしかない。この時点で、私は子育てができないと思う。

父親存在

私の人生において、父親存在はかなり大きい。父親は、常に私たち家族のために過ごしていた。

から、昔から漠然と、もし私が子どもを産むとしたら子どものために人生を捧げられる人が父親であってほしいと思っていた。時間お金生活趣味の全てを捨ててでも子どもを優先できる人。子どもが大好きで、子どものために生きられる人。

後述するけど、私は子ども自体がそこまで好きではなくて、多分普通母親にはなれるだろうけど、並以上の愛情を注ぐことはできない。せいぜい一人分が限界だ。だから、私以上、せめて私と同じぐらいには愛情と手間を注げる相手でないと子どもは作れない。愛情が足りなくて子どもを不幸にしてしまうという強迫観念を持っている。

障害遺伝

私は発達障害で、家族も同じ障害を持っている。完全に遺伝

それでも、私は幸せに生きてきた。家族から無尽蔵の愛情と、友人に恵まれたのと、勉強が得意だったことが主な理由だ。

子ども遺伝した場合子ども幸せに生きていけるのかという不安がある。家族から愛情私たちで頑張るとしても、友人をはじめとした人間関係学習能力ほとんど運だ。もし子どもが「産まれてこなければよかった」と言ったら、私にはかける言葉がない。私が原因だからだ。

生活不自由

私はとても自己中で、自分がしたいときにしたいことをできない状況が許せない。眠いときに寝たいし、お腹が空いたときに食べたいし、出かけたいときに外出をしたい。仕事は気分が乗ったときに取り組みたいし、お金自分のためだけに使いたい。

幸いなことに、今は上記の願いが全て叶っている。自分努力で望む仕事に就いたのと旦那理解の賜物だ。

子どもができるとこれら全てが失われる、と思っている。子ども中心になって、子どものための生活サイクル、外出、出費。きっと私は耐えられない。私はまだまだ自分人生を楽しみたいと強く思う。子ども人生を優先させる未来想像できない。よく「子育て自分人生追体験」と聞くけど、私は自己中だしまだまだ自分が主役で生きていきたい。この座は譲れない。

子どもへの嫌悪

そもそも子どもが嫌いという大きな理由がある。特に中学生以下が嫌い。

私はかなり器が小さくて、子どもからという理由で許せることが少ない。子どもに手をあげそうな気すらしている。イヤイヤ期や反抗期を耐えられるわけがないと思っている。

子どもが嫌い」というと「自分子どもだった時期があるのに?」と言われることがある。そう言われてもと感じる。おじさんは、自分がおじさんだからという理由でこの世のおじさん全員を好きになれるのか?

あと「自分の子どもは可愛いから大丈夫」とも言われる。そう感じる人もいるだろうけど、じゃあ仮にそう感じなかったときはどうすればいいんだろう。やっぱいらない、ができるわけもないのに。

妊娠出産への恐怖

これが一番大きな理由かもしれない。とにかく産みたくない。自分お腹の中に別の命がいるのが気持ち悪くて本当に無理だ。しかも1−2ヶ月ならまだしも10ヶ月も…? 

私は痛みにかなり弱い。少しでも頭痛がするとすぐに痛み止めを飲むし、病院での治療検査は全て麻酔ありを選択する。でも、出産は痛みありきの行為だ。無痛分娩も痛みはあるし、妊娠中も不調や痛みがつきまとう。

妊娠の何もかもが嫌で、自分子どもを産む可能性を想像すると、まず妊娠への嫌悪感でつまずく。

本当に最悪な話なんだけど、正直自分が男で相手が産んでくれるなら、子どもは欲しい。最低!このわがまま女!

自分精神状況

私は自分精神を安定させたいという気持ち人一倍強い。自分努力と行動の結果、今の生活は最高に幸せ。嫌なことを排除して排除してやっとこの状況に辿り着いたのに、子どもができると全てが崩れ去る。そうなったときに、自分精神が安定しているわけがない。不安定でぐちゃぐちゃで、死にたいと思うだろう。

子どもを産むと、もう後戻りはできない。絶対に今の生活には戻れない。まだまだ今を満喫していたい。

あと、仕事休みたくない。仕事が好きというより稼いでいる自分が好き。私の精神の安定には十分なお金必要で、旦那給料に頼って暮らす生活をするときっと自分を嫌いになる。100歩譲って、産んだあとに相手が育休を取って私が変わらず働くなら、もしかしたら子どもが欲しいと思えるのかもしれない。

子どもが欲しい理由

子どもが欲しい気持ちも少しだけある。理由は、親に孫を見せたいという気持ち楽しいと思える可能性があるという気持ち、これだけだ。

親は、孫を楽しみにしている。私に直接言うことはないけど、薄々伝わってくる。

兄弟結婚して子どもができれば、私が子どもを欲しいと思うことはなくなる気がする。もちろん、兄弟には絶対に言わないけど。結婚するもしないも、子どもを作るも作らないも本人の自由で、周りが触れることではない。

子どもができると、なんやかんや「子どもがいて楽しい」と思うんだろう。

でもそれは、子どもがいる自分を無理やり肯定したいだけではないか。今が不幸1・幸せ10人生とすると、自分子どもができると不幸100・幸せ60になる気がする。幸せも増えるけど、それ以上に不幸が増える。

絶対量ではなく相対量で判断する価値観を持っているから、増えた幸せよりも増えた不幸に執着してしまいそう。

本当は旦那子どもが欲しくないと思う

ただの予想だけど、本当は旦那子どもが欲しくないのではないか、と思う。

旦那からすると、人と暮らすようになり自分人生他人が入ってきた。その結果、年収が増えたり生活が整ったり部屋が綺麗になったり食事が出てきたり風邪を引かなくなったりなどのメリットが手に入った。お互い完全別家計趣味不干渉暮らしいるから、ある程度の自由もある。

子どもができたら、もっと良い生活楽しい生活になる、そう思っている気がする。

でも実際は、お金が減るし部屋は汚くなるし子ども風邪が移るし自由も無くなるし、デメリットがたくさんある。あくまでも私から見てだけど、それを理解していないように感じる。

デメリットちゃんと知ると、結局子どもが欲しくないと思うのではないだろうか、と勝手予測している。本当にどこまでも勝手な女。

子育て山登りのように感じる

私の努力もあり、今の人生には辛いことがない。例えるなら、毎日海を見てのどかに暮らすような生活。定年後のような暮らしをしている。

子どもを持つことは山を登るようなものだと思う。厳しい道でしんどいこともあるけど、時折見える絶景や頂上という目標への道のりに楽しさややりがいを感じるのだろう。大変だけど喜びも多い、そんな日々。

普通の人の生活は、私からするとマラソンのように見える。コツコツと走って、辛いときもあれば楽しい瞬間もある。会社の人に怒られたり失敗したり、目標を達成したり褒められたり。

どうせ走るなら山を登りたい、と山登りに惹かれるのかもしれない。

私は海辺のんびりと歩いているような日常だ。気分でなければ歩く必要もなくて、座って綺麗な景色を見ている。周りには誰もいなくてこの過ごし方に対して嫌なことを言われることもない。

そんな状態で山に登ろうと言われても、なんで?と感じる。もちろん山にもいいところだろうけど、わざわざ登ろうとは思えない。

それに、一度登ると今の生活には戻れない。息を切らして山を登りながら、「海に戻りたい」と二度と戻れない生活に想いを馳せ続ける人生は、私からするととてつもない地獄に思えてしまう。

まとめ

まとめると、私には何も覚悟がないのだと気づいた。これを書きながら子どもが欲しくない理由ばかり思い浮かぶし、頭の中にはマイナスの考えばかり漂っている。

子どもが欲しくない理由も、全てが幼い。自分自身が成熟しきれていなくて、本質的には子どもから大人側になりたくないのだと思う。自分人生子どもに捧げる覚悟がない。子ども幸せにする力も、自分子育て幸せになる未来も見えない。

私は考えがコロコロ変わるから、今はここまで欲しくないと思っても、いつかは欲しいと思うのかもしれない。今の考えを忘れないためにこれを書いたけど、後から見て嫌になってすぐ消す可能性もある。

てか、こんなところで勝手につらつらと書かれている旦那が一番可哀想だよ。ごめんね旦那あなたは何も悪くなくてただただ私の幼稚性が悪い。

恋人と別れたばかりの女友達sexしてしまった

最初はお互い酒も入ってたし、まあ失恋のクッション役一度くらいならと思ってた。

なのにそれから会うたびにsexするようになって・・・これがいわゆるセフレってやつなんだろうけど。

俺もヘタに恋人としてしばられないで都合よくやれるならまあいっかーくらいな考えでいた。

そんなある日、相手から私たち付き合ってみない?」と言われて気付いた。

自分から付き合いたいと今まで思わなかったのは友達だったからではなく、そもそも恋愛対象じゃないか友達になれたんだよね。

はっきりごめん付き合えないと伝えてから連絡取ることもなくなってしまったけど、

私たち付き合ってるよね?」と言われなかったことで自分けが悪者にされなかったことに正直ほっとしてる。

真の男女平等に近づいてきてるんじゃないか

最近弱者女性叫びがかなり悲痛になってきてる気がするんだよな。

その中の多くは「強者女性と我々弱者女性区別しろ」というものなんだが、要は「私たちだけを救え」というもので、

これはいわゆる弱男の「女をあてがえ」「下方婚しろ」論とかなり近いと思っている。

これはなぜかと言うと、一部のアルファ女性のようなもの男性中間層が漁られていて昔よりあぶれる人数が多くなっているからではないか

そして、男性と違い結婚やすい年齢のリミット自体はかなり短いので、

アルファ女性アルファ男性結婚して落ち着くものの、弱男・弱女達はお互いの存在を透明化したまま、憎み合っているのでは?

この数が同数になったとき、それが男女平等なのでは?

[]

エンジニアは「技術職」なのでプライベート時間でも学習をしていくことはキャリアアップをしていく上でも大切になってきます

私たちにはイマイチな本で学習をするような時間はないのです

2024-06-17

結婚も子を作る気も無い連中への少子化対策する合理性は皆無

https://www.nhk.or.jp/minplus/0121/topic101.html

こう言う記事あるけどさ。。最初に「地方女子プロジェクト」なる偏った思想の連中から話を聴いて煽るのやめない?

そんなのより、地元暮らしたいけど就職先がないとか、働く場所が無い人たちに力を入れようよ。

ノイジーマイノリティに踊ったプロパガンダ記事やめろ

取材を受けた人々がノイジーマイノリティであること、これは本人も認めていて、記事にはこうある。(強調は増田による)

地方から女性が出ていってそれが人口減につながっている、みたいな課題を見たときに、投げかけられているのは『地元に戻って子どもを産め』ということなかなみたいな。
そういう圧みたいな、あおりみたいなものに感じ、地方女性にとって生きづらい場所になっているのではないかという疑問があって。

でも報道とかレポートとかを見ていても、そこに当事者である女性の声が全くない。私たちの思いは統計数字になっていない感じがするので、それを示したいです」

正直NHKよくこんなもんで記事にしたなと思う。

個人の感想を言うのはいいよ。そりゃ大事意見だ。だけどそれがまるで主流か何かの様に報道するのって何がしたいわけ?

悪質なプロパガンダじゃん。

私たちの思いが統計数字になってない」のは、あなた方が「当事者である女性」を代表できるような存在ではないからであって、主語を「女性」ではなくて「私」に置いて活動しろと。

典型的ノイジーマイノリティではないか

自分たちが主流だと主張するならちゃん統計とってこい。話はそれからだろ?


彼女らはは田舎を捨てて外にでること、外に出たら結婚もせず子どもも作らないことを決めてるわけだよ。

それは別に悪い事じゃないよ?好きにすりゃいいのよ。好きに生きたらいいのよ。そんな人たちが作ってきた文化世界は間違い無くあるから悪くはない。

繰り返すが好きにしろ。好きにしろ


でも、こいつら主流派じゃないでしょ。典型的ノイジーマイノリティ

たぶん彼女たちに少子化問題予算はもちろん、人口減少対策の金をつぎ込んだって何にも起こりゃしないよ。コスパ悪すぎ。

記事中でこんな意見がある

地元を離れた女性たちからは、国や自治体が行う支援結婚子育てを前提にしたもので、独身女性へのサポートが少ないのではないかという声も

逆に言おう。「独身女性」という属性だけでなぜサポートしろという話になっているのか?

例えば貧困であるとか、病気をしているとか、そういう話があるならがそちらの属性は当然社会的支援がいるだろが、そのような話が一切なく、なぜ突然字独身女性サポートするのが本来であるというような謎の概念が出てくるのか。

男女逆にして「独身男性へのサポートが少ないと言う声」なんぞNHK絶対記事にしないだろ。

取材したやつはこの記事を書いていて何の疑問も感じなかったのか?

地元志向は変わらないかより強まっている

記事への突っ込みはこれぐらいにして、ではどうしたらいいかを考える。

実は、若者地元志向というのは、ほとんど変わらないというか、徐々に増えているという事実がある。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/news_seminar/syukatsu/syukatsu927/

取材の基になった調査の最新版はこれ

https://career-research.mynavi.jp/reserch/20230509_50051/

これを見るとわかるのだが、定量的に見ると、都会に出て就職希望する人は増えている訳ではないのだ。

では何故駄目か

それは一言仕事が無いかである

これは記事中でも一応出てくる。統計では主因なのになぜか扱いが小さいが。

東北から東京圏に移動した理由複数回答で尋ねたうえで、インタビュー調査で最も重要視する項目を順位付けしてもらったところ「やりたい仕事やりがいのある仕事地方では見つからない」ことが地方から転出した主要因だということが分かりました。

そこを改善していくことが第一

実は有効求人倍率地方就職率は緩やかな相関があって、有効求人倍率が上がると地元で暮らす人が増えるという関係にある。事実、数ではなく率という点では地元就職する人は、わずかではあるが増えているのだ。


示されている、本当は地元暮らしたい、地元家族を作っていきたい人を支援することが最優先であって、地元を捨てて出ていったノイジーマイノリティに金を流し込むことではない。どうせ連中はひとり暮らしになる高齢期にじゃぶじゃぶ社会福祉費を使うのだ。今銭を食わせる理由はない。

産む機械扱い? 誰が言ってるのかそれは。妄想じゃないのか。統計に載ってこない声とやらを発するノイジーマイノリティではない。彼女たちが極端に偏ったおかしな話をばらまいて分断を煽る事ではない。好きに生きて好きに死ね。ただ少子化人口減少対策予算はお前らには出ない。それだけ。


NHKよ。なぜこのような記事を作ってしまうのか。

いい加減にしてほしい。

追記

https://anond.hatelabo.jp/20240618093503

anond:20240617192701

広告撤回を求める運動コロンブスMrs. GREEN APPLE不買運動も起こっていないのにキャンセルカルチャーとは?

コロンブスが島を発見して、島の家にいた猿に西洋文明を教え人力車をひかせたりする動画差別的ヤバいって言われただけでキャンセルカルチャーだーって何それ?

日本人が騒ぎさえしなければ海外では差別的だなんて思わなかった筈ってのは無理あるよ…。

悪意がなければ許されるなら、日本人バーベンハイマーやキノコ雲頭に好意的コメントしたバービー公式アカウントをせめる事は出来ない。

日本人私たちを猿として描くのは頭がおかし(笑)。さて、ネイティブバンド長崎広島の余波について話したいとしても...気にしないでください。私の民は決してそこまで落ち込むことはないだろう。 👎🏼

Nihonjin ga watashitachi o saru to shite kaku no wa atamagaokashī (Emi). Sate, neitibu no bando ga Nagasaki to Hiroshima no yoha ni tsuite hanashitai to shite mo... Kinishinaide kudasai. Watashi no min wa kesshite soko made ochikomu koto wanaidarou. 👎🏼

自戒

知識が欲しかったらお金を捨ててでも本を読まなくてはならない

人脈が欲しかったら自分時間犠牲にしなくちゃならない

私たちは常に何かを選び何かを捨てて生きてる

何かを失わなければ何も手に入れることはできない

自分が本当に手に入れたいものがわかってないと何かを捨てる覚悟すら持てない

自分の選ばなかった選択肢を選んだ人間を見て羨ましいと思うのはおかし

自分が望んで選びとった選択肢で手に入れたものを誇れ

選ばなかったものを選んだ人が羨ましいと思ったら自分はこれから手に入れろ

あの頃の自分否定するな

昔の自分が選んだ選択肢のおかげで自分は今ここにいる

anond:20240610032233

お気持ち案件に対して、「わかるわかるよ。繊細な私たちを傷つける人間社会最低。滅びろ」となりがちなブクマと、「クソみてえな感傷なんて生きる上で何の役にも立ちやしねえ。自己憐憫に浸りながら死ね」みたいなことを言いそうな増田とで、好対照な反応を見せる事案

anond:20240617105423

批判の規模の割に、批判先に非がないなんてことがあるかはわからないが、無条件の謝罪がよくないのは、そう。

そうなんだけど、大半の企業謝罪有無をちゃんと考えてると思うよ。ミセスも本人SNSじゃなかったし。

あと日テレなんかは終始一貫してて、私たち原作者タヒなせましたじゃなくて「騒動でご心配おかけしていることをお詫びします」といったこしか言ってないからな。一言も私が悪かったですとは言ってない。規模がでかいのに鉄面皮な例。それがいいかいかは知らん。

https://anond.hatelabo.jp/20240614205200 タグ付けソースつづき

文字数制限かなんかで途中で切れる……

2003年 (第8巻)11月 特集食の安全安心環境
2003年 (第8巻) 4月 特集学術の再点検  ―ジェンダー視点から(2)ジェンダー
2003年 (第8巻) 1月 特集日本計画 Japan Perspective社会
2003年 (第8巻) 5月 特集地域生活安全保障社会
2003年 (第8巻) 6月 特集:ITによる科学能力開発国際会議情報
2004年 (第9巻) 2月 特集こころ科学する医療人間
2004年 (第9巻) 5月 特集:持続可能社会のための科学技術に関する国際会議2003 -エネルギーと持続可能社会のための科学エネルギー
2004年 (第9巻) 1月 ●学術会議は考える学術教育
2004年 (第9巻) 3月 ●「日本学術会議法の一部を改正する法律案」について学術教育
2004年 (第9巻) 6月 ●日本学術会議法の改正によせて学術教育
2004年 (第9巻) 8月 特集科学する心を育てる学術教育
2004年 (第9巻)10月 特集科学ジャーナリズムの進展のために学術教育
2004年 (第9巻)12月 特集日本学術会議第143回総会について学術教育
2004年 (第9巻)特集:第4回アジア学術会議(SCA)学術教育
2004年 (第9巻) 特集日本学術会議主催公開講演会学術教育
2004年 (第9巻) 科学技術への理解共感を醸成するために学術教育
2004年 (第9巻) 特集日本学術会議第142回総会 新生日本学術会議の在り方学術教育
2004年 (第9巻) 特集科学技術政策の在り方学術教育
2004年 (第9巻) 特集:高度専門職教育日本社会学術教育
2004年 (第9巻) 特集科学責任所在学術教育
2004年 (第9巻) 9月 特集日本学術会議から農林水産大臣への答申  地球環境人間生活にかかわる水産業及び漁村多面的機能の内容及び評価について環境
2004年 (第9巻)11月 特集都市生活環境を考える環境
2004年 (第9巻) 4月 特集学術の再点検 -ジェンダー視点から(その3)-ジェンダー
2004年 (第9巻) 7月 特集人口減少社会パースペクティブ社会
2004年 (第9巻) 特集科学国境歴史政治・国際
2005年 (第10巻) 5月 特集国境を越える生殖医療と法医療人間
2005年 (第10巻) 1月 ●学術会議は考える学術教育
2005年 (第10巻) 6月 特集日本学術会議第144回総会について学術教育
2005年 (第10巻) 7月 特集:今、教養教育を考える学術教育
2005年 (第10巻) 8月 特集21世紀学術における横断型基幹科学技術役割学術教育
2005年 (第10巻)10月 特集日本学術会議第145回総会学術教育
2005年 (第10巻)11月 特集日本学術会議20始動学術教育
2005年 (第10巻)12月 特集:第146回日本学術会議総会 日本学術会議新体制スタート学術教育
2005年 (第10巻) 特集:第19期の活動を振り返って学術教育
2005年 (第10巻) 特集新日本学術会議における人文・社会科学系の活動について学術教育
2005年 (第10巻) 2月 特集大陸棚画定を考える環境
2005年 (第10巻) 特集自然災害災害
2005年 (第10巻) 4月 特集:どこまで進んだ男女共同参画ジェンダー
2005年 (第10巻) 特集犯罪科学する社会
2005年 (第10巻) 特集:事例を中心に見る統計科学現代価値情報
2005年 (第10巻) 特集学術研究個人情報情報
2005年 (第10巻) 9月 特集人間宇宙物理
2005年 (第10巻) 3月 特集:持続可能社会のための科学技術に関する国際会議2004 ―アジアの巨大都市地球の持続可能性―歴史政治・国際
2005年 (第10巻) 特集:第5回アジア学術会議(SCA)歴史政治・国際
2006年 (第11巻) 5月 特集ライフスタイル健康医療人間
2006年 (第11巻) 6月 特集:終末期医療 ─医療倫理・法の現段階─医療人間
2006年 (第11巻) 8月 特集臨床医学研究の発展のために医療人間
2006年 (第11巻)10月 特集スポーツ科学医療人間
2006年 (第11巻)12月 特集科学技術イノベーション学術学術教育
2006年 (第11巻) 1月 特別座談会科学コミュニティーとしての新たなミッションを考える学術教育
2006年 (第11巻) 2月 特集新世代が変える日本学術会議学術教育
2006年 (第11巻) 4月 特集日本学術会議第147回臨時総会学術教育
2006年 (第11巻)11月 特集日本学術会議新体制 ─日本学術会議第149回総会─学術教育
2006年 (第11巻) 特集座談会:「科学上のミスコンダクト」学術教育
2006年 (第11巻) 特集 シンポジウム:「技術者の倫理社会システム学術教育
2006年 (第11巻) 特集新世代が変える日本学術会議(続編)学術教育
2006年 (第11巻) 特集日本学術会議改革ヘの軌跡と課題学術教育
2006年 (第11巻) 特集日本学術会議第148回総会学術教育
2006年 (第11巻) 9月 特集海洋生物学の新たな時代環境
2006年 (第11巻) 特集環境教育環境
2006年 (第11巻) 3月 特集男女共同参画の一層の推進に向けてジェンダー
2006年 (第11巻) 特集ジェンダー学と生物学対話ジェンダー
2006年 (第11巻) 7月 特集公共性ルネッサンス ─21世紀市民社会を考える─社会
2006年 (第11巻) 特集統計から見た日本経済格差社会
2007年 (第12巻) 5月 特集医療崩壊させないために医療人間
2007年 (第12巻)12月 特集保健医療と個人情報保護医療人間
2007年 (第12巻) 特集社会福祉教育近未来医療人間
2007年 (第12巻) 特別講演:寄生動物国民及び政策感染症ミレニアム開発目標 / ロバート・メイ卿医療人間
2007年 (第12巻) 特集化学今日から明日へ化学生物
2007年 (第12巻) 1月 特集科学者の行動規範学術教育
2007年 (第12巻) 2月 特集博物館が危ない! 美術館が危ない!学術教育
2007年 (第12巻) 9月 特集:第7回アジア学術会議学術教育
2007年 (第12巻) 特集:学協会機能強化のための調査学術教育
2007年 (第12巻) 特集日本学術会議第150回総会学術教育
2007年 (第12巻) 7月 特集:脱温暖化社会へのチャレンジ環境
2007年 (第12巻) 特集子どもを元気にする環境とは ─政策の現状と評価こども
2007年 (第12巻)11月 特集自然災害軽減に向けてパラダイムの変換を災害
2007年 (第12巻) 6月 特集地域研究最前線 ─知の創成─社会
2007年 (第12巻) 8月 特集:法的制度としての私と公をめぐって社会
2007年 (第12巻) 特集21世紀における生活科学役割社会
2007年 (第12巻) 4月 特集:人文社会科学役割責任人文
2007年 (第12巻) 特集物理学の今日から明日へ物理
2007年 (第12巻) 3月 特集歴史としての戦後思想としての戦後歴史政治・国際
2007年 (第12巻)10月 特集中国東アジア科学技術と持続的社会歴史政治・国際
2007年 (第12巻) 特集政治学の今日から明日へ歴史政治・国際
2008年 (第13巻) 1月 特集シンポジウム 医療システムのゆくえ医療人間
2008年 (第13巻) 8月 特集生殖補助医療のいま ─社会合意を求めて─医療人間
2008年 (第13巻)12月 特集:信頼に支えられた医療の実現 ─医療崩壊させないために─医療人間
2008年 (第13巻) 特集:医工学先端研究と教育創造的結合医療人間
2008年 (第13巻) 特集生物科学今日から明日へ化学生物
2008年 (第13巻) 7月 特集科学コミュニケーションメディア学術教育
2008年 (第13巻) 9月 特集:若手研究者の育成学術教育
2008年 (第13巻)10月 特集高校における地理歴史教育改革学術教育
2008年 (第13巻)11月 日本学術会議第21期スタート -第154回総会開催-学術教育
2008年 (第13巻) 6月 特集瀬戸内海浅海を考える ~浅海その生物生産環境とその保全防災環境
2008年 (第13巻) 特集:脱温暖化森林木材役割環境
2008年 (第13巻) 特集環境学のミッション環境
2008年 (第13巻) 特集総合工学役割展望工学
2008年 (第13巻) 特集明日社会共通資産 ―建設系分野からの重点研究課題提案工学
2008年 (第13巻) 4月 特集人口ジェンダー  ―少子化対策可能か―ジェンダー
2008年 (第13巻) 3月 特集:わが国の自殺の現状と対策社会
2008年 (第13巻) 特集リスク Permalink | 記事への反応(0) | 10:30

学校統合めぐり対立している

誰と誰がかっていうと、私たち現役の保護者地域高齢男性たちだ

地域の子どもはどんどん減って、今年の一年生なんて4人しかいない

登下校が1人になることも珍しくない

とても安心して子どもを通わせられる環境じゃない

できれば市の計画通り早急に統合してスクールバスを走らせてほしい

これが保護者要求

それに反対するのが地域役員を牛耳っている高齢男性たちだ

彼らの理屈シンプル

地域小学校を残したい

それしかない

小学校がなくなると衰退すると彼らは言うが、すでに衰退してるからこんなことになっているのだ

現に学校問題懸念して地域を離れる若い夫婦もいるのだ

明らかに理屈おかし

ただのプライドとか感情問題しかない

から話し合いで解決できる見込みがない

無視して押し切っても構わない程度の無茶苦茶意見

ただ、タチが悪いことに、彼らには数と時間と人脈がある

自治会長や地元市議に圧をかけて、地域全体が反対しているかのように偽装したり、市長のところに乗り込んで行ったり、議論の場でないところでロビー活動を繰り返す

議論の場では若い世代理解を示すようなことを言いながら、次の日には地域の総意として反対意見を表明する

まともな議論物事を決めてきたことがないから、そんな手段しかとれないのだ

こちらはみんな仕事をしているし、とてもじゃないが太刀打ちできない

私たち統合を切望しているのに、その意見は無かったことにされてしま

そうしてズルズルと統合が遅れてきた

10後生きてるかどうかもあやしい人たちが、なぜこれから世代の足を引っ張るのか

本当に迷惑

いったいどうすればあいつらを黙らせて小学校統合させることができるんだろうか

anond:20240616213350

まあ大きな流れを動かしてるのはそういう卑屈な理屈だと思う。

あとまあそれが正しくないとも言えない。ある側面から見れば正しい。けど他の側面から見れば理不尽。なんで日本私たちアメリカ恥部にそんな気を遣わなきゃならんのやとは思う。ブラックフェイスは完全に日本人には関係なかった。日本には黒人奴隷を使った歴史はないんだから

しかしま関係なくても人が嫌がってるのにあえてするならそれは悪意だし正しくない。正しさってそういう割と相対的だったり流動的だったりするものだと思う。人や立場の数だけ正義がある。あと強弱もある。

理不尽だけど間違ってはなくて、あるいはちょっと間違ってるけどなんかその方が役に立つとか、正しいけどそれは巡り巡って実は人命とか人々の生活なんかがかかってることがわかってるから無理だとか、いろんな理由があるけどそうなると最後はその正誤とは別に社会力学でどっちかに従わざるを得ない感じになることは私たち日常生活から世界政治までどこにでもよくあることだと思う。

コカコーラ日本もそこそこあるけど結局アメリカが大きなシェアなのでそういうの捨て置けないのは当然だし、何が正しいか間違ってるかとか表現の自由だとか突っ張るほどの理由もここにはない。そもそもMVは何言いたいのかよくわかんねえし言いたいことなんか多分なかったし。

コカコーラという巨大企業雇用される人たち全員の生活を守ることだと考えれば、契約一個切られたくらいですぐミュージシャン生命を絶たれるわけでもない人たちと天秤にかけても答えは明白だと思う。それもひとつ正義だとも言える。トロッコ問題ともいえるかもしんないけど。(あれにトロッコ脱線させるだとかそういう手段があったか?多分ないよね…)

余談でこれは私の想像だけど、多分担当者ミュージシャンの間で「ごめんねー、そんなに別に問題があるってほどじゃないと思うんだけど今こういうのあっちこっちうるさいからさー」とかそういう感じの会話があったんじゃないかって思ってる。大人って汚い!でもすごい気持ちわかる。私も大人から。しらんけど。

あとはそれ見てそうかあれは悪いことだな!叩いていいやつ!ってなった人が、その理屈までは理解できないので自分なりに解釈してるんだと思う。

かに理不尽なことは理不尽だし、そこに自分なりにも理屈をつけなきゃ叩けないし、まあ正義っていうもの理解したい、あるいは自分はわかってるって信じたいっていう欲求もあるのかもね。わかってないとこの世の中で生きるのは不安だし、だからみんな自分の中に世界のありようを認識しようとするし、わかんないことは想像で埋めたりする。正解かハズレかはさておき。増田のその問いもまさにそういった正義とか正しさとか何が間違ってるのかを理解したいっていう欲求からまれてるのではないだろうか。

でもまあその前に書いたような、大体のことは社会物理法則のようなもの人間を突き動かしてるよねとかそういう理屈がわかんないと、それはつまりなんでコロンブスダメだって言われてるのかの問題提起への理解も足りなくなるので論理強度がいまいち突っ込みどころ満載になっちゃうから、そういう人たちと話しててもわけわかんなくなると思うけど…

アメリカ人がここにきてコロンブス云々言ってるのも、BLMを経てアメリカの分断は国力を落とすってことを肌で感じたから、彼らの気持ちとか考え直さないとやばいってなってるからだと思うし(そして人間は群れることで生き残ってきた生き物なので、他人を思いやると脳汁が出て気持ちよくなるっていう遺伝子を持つ者が比較的多くてその快感友愛博愛、あるいは正義である認識する)、その考えはアメリカ国民を守ることに繋がると考えればそれも彼らにとっての正義のうちのひとつだと思うし、それを咎めるようなことを言う理屈もない。正直そんな大昔にいたおっさんが何やったかなんかみんなどうでもいいんだけど、その扱いに自分たちの生活がかかってくるってなるから必死になるわけで、人が生きたいって思うことを誰が咎めることができようか?っておもー

空が青いのに賛成も反対もないのと同じだよね…今日はいい天気だな。

2024-06-16

anond:20240616111308

はてサって、左翼が誠実に謝ったら自民党に都合が良いと本気で思ってるの?

そういうのがキチガイカルト思想じゃなくてなんだと思うのさ?

麻原が信者ぶって演説と何も変わらないじゃん「私たち権力に負ければ〜」ってw

犬へ





 犬。お前が死んでから、もうすぐ5年が経とうとしています。5年も経つのに、いまだに私はお前を忘れることができず、毎日のようにお前の名を呼んでしまます

 犬。お前が我が家に来た日に割と大きな地震が起こりました。段ボールに入れられたお前ごと家族みんなが外に逃げ出しましたが、お前には何のこっちゃだったと思います。あと、家に来たばかりのお前はまだ両耳が垂れていて、それを抜きにしても可愛すぎて最初は七味と名付けられる予定が満場一致棄却されたことをお前は知らないでしょう。

 犬。お前は人のズボンの裾を噛むのが好きでしたね。そのせいで私のジーンズは裾がズタボロでしたが悪い気はしませんでした。お前がポケモン攻略本を齧り尽くしてしまった時はさすがに泣きました。けど、お前の噛み癖はいつの間にかなくなっていましたね。

 犬。お前の体力が無尽蔵の頃、私を散歩に連れ出して2時間も歩きましたね。互いが互いに譲らず、時には私が折れ、時にはお前が折れてを繰り返しての長時間散歩でした。家族私たち行方不明になったと言って、警察通報する一歩手前だったそうです。

 犬。お前の耳かき係は私でしたね。お前は耳が痒くなると、私の前に来てわざとらしく耳を掻き、「ん"〜〜〜〜っ」と声を上げてアピールをしていましたね。私が耳かき用のウエットティッシュを取った後、待ってましたとばかりにあぐらをかく私の股に顔を突っ込み、耳掃除をさせてくれたこと、信用されているのだと感じてちょっとしかったです。

 犬。お前は撫でられるのが好きな犬でした。新聞を読む人間に撫でてほしくて新聞の上に居座ったこと。人間の小脇に頭を突っ込んで味噌汁をぶちまけさせたこと。撫でてくれないと吠えてアピールしたこと。撫でたら撫でたで「そこは違う」とガウガウしてきた時のこと。犬と一緒に生活をする際の嬉しい出来事ひとつでした。

 犬。お前は人間ご飯も大好きな犬でした。けど、塩分過多になったり与えてはならない食材が使われていたので与えることはできませんでした。しかし、犬よ。お前は背後からひっそりと近づき、隙あらば飛びついて盗み食いを働きましたね。私のトーストを丸ごと一枚食べた際のお前の顔は北大路欣也のようでした。

 犬。お前がMAXデブちゃんになった時、確か18キロの大台を記録しましたね。玄関の昇り降りができず、情けなく人に助けを求める姿は可愛かったですが、さすがに太りすぎました。お前の重さに家族の腰が負け、壊れたことも今では良き思い出です。

 犬。夏になるとお前の息遣いクーラーをつけるか否かを決めてしました。例え人間が快適に過ごしていても、お前が暑そうにしたらクーラーをつける。でも、お前がいなくなった今は30℃を越えない限りはクーラーつけません。今、これを書いている時は34℃ですがクーラーはついていません。

 犬。夏にお前と散歩に行く時、人間は一度裸足になりました。お前と共に外に出る前に素足でアスファルトの熱さを感じ、お前の肉球が火傷してしまわないか確認するためです。だからなのでしょうか。真夏の昼間に犬を散歩させている人間を見ると殺意が芽生えます

 犬。お前は人間サッカー観戦している時、誰から相手にされないと分かると骨っ子をカジカジしたり、ふて寝をしていましたね。そして、ゴールが決まり人間が盛り上がると共に声を上げて暴れ回りました。多分、お前は意味が分かっていなかったと思いますが、お前のその反応は間違っていません。あと、人間はチャンスシーンになるとお前のおててを握ってお祈りをしていました。

 犬。私が就職一人暮らしを始めた頃、毎日のようにお前の写真をせがみました。やっぱり犬のいない生活は寂しいと思ったのです。あと、お前のご飯は私がお金を出していました。でもお前はそのことも知らず、毎日2食のご飯をモリモリと食べていましたね。ちなみに、1ヶ月5000円でした。

 犬。お前はケツのポリープが爆発して手術をしましたね。手術の際にケツ毛を刈られ、結果として毛根も刈られて死ぬまで毛は生えてきませんでしたね。

 犬。お前は私が帰省しても歓迎のひとつしませんでしたね。最初の頃は私を不審者と見做し、吠え散らかしていましたが歳を重ねるごとに吠えることはなくなりました。けど、私を見るたびに「だれ?!」という顔をされたことは未だに納得していません。

 犬。お前が死ぬ1週間ほど前、家族から連絡が来ました。お前がもう余命僅かであると知らされて、車を飛ばして会いにいったことを覚えていますか。半年ぶりに会ったお前の頭が車のシフトレバーほどの小ささになったことに私は驚き、こんなにも年老いたのかと愕然しました。以前のお前の頭は、少なくとも手のひらでは収まりきらないくらい大きかった。それがもうこんなに小さいなんて。

 犬。お前は死ぬ前に何も食べられなくなっていたみたいですね。私がお前に会うために帰った日、千と千尋の神隠しで千が竜の姿になったハクにしたように、人間が口を開け、口の中にご飯を入れることでしかご飯を食べられませんでした。それだけ、お前は弱っていたんですね。

 犬。お前が死んだのは、私がお前に会いに行ってから3日経った日でした。お前が死んだ時、私は仕事をしていました。社用車の中で一人で泣きました。社会人になって初めて泣きました。人生の半分以上を共に過ごした犬でした。語り尽くせないほどの思い出がたくさんあります。今もスマホフォルダにはお前の写真がたくさんあります。なのに、お前の葬式に立ち会えなかったことを今でもすごく後悔しています

 犬。死ぬ前のお前と最後挨拶はしたけれど、死んだ後の最期のお別れを言えずに骨となったお前と対面した私を許してください。

 犬。お前が死んだ後、夢を見ました。死んだはずのお前が、みんなが集まる部屋にやってくる夢です。私が「お前、死んだはずじゃ」と言うと、お前はまるで自分が死んだことに気づいていなかったのか、「そうだったわ。俺、死んでたわ」みたいな顔をして私の前から立ち去る夢です。目が覚めた後、私は悲しくて泣きました。

 犬。お前が死んでから何度も他のコーギーを見てはお前に似ているかどうかの話をしてしまます。新しく迎え入れようかとも思いました。でも、私はお前がいい。新しく迎え入れるとしても、お前がいい。お前でなければ駄目なのです。お前でなければ、迎え入れることなどできません。お前の代わりはいない。だから、お前のケージがあったところには、今もお前の仏壇が置かれています。お前が寂しくないように、誰かが何かしらのお裾分けをしています。お前の大好きなお菓子も、生前は食べられなかったポテチチョコレートケーキも置いています。死んだ後なら、何を食べても問題はないでしょう。

 犬。お前がいなくなって、人間はお出かけしてもすぐに帰って来たり、毎日早起きをしたり、悪天候の日も外に出る必要はなくなりました。お前の抜け毛で服がとんでもなく汚くなることも、お前の襲撃に怯えながらご飯を食べることも、床に雑誌新聞を置いても良くなりました。でも、お前がいないと寂しい。やっぱりお前がいないと寂しいよ。5年が経つ今でも、お前に会いたい。

anond:20240613203515

追記)ユロックの母さんの記事面白かったので続きを書いた。

https://anond.hatelabo.jp/20240619014605

本文)

キャンセルカルチャー問題点は、「悪い・正しくない」と思う倫理が内発的なものではないことなんだろう。

どこかで知った聞きかじりの「教養」に発するものからキャンセルすることでなんとなく自分が「正しい側」にいることに内心満足してしまう。「正しい側」にいるというのは安全地帯なので、いくらでも無知な人を罵倒し、笑い飛ばせる。その教養は実際のところ、★のたくさんついたブコメかもしれない、その程度に知った教養でも安全地帯に入った感覚を得られる。

まり、「いーけないんだいけないんだー、センセにいってやろ」のアレと大差ない。

その程度の教養正義感で、MVを取り下げ、ミュージシャン謝罪に追い込む社会なわけだね。

かつて、なだいなだが、ケシカラニズムといって、理性的正義感情的正義区別し、自分のことでもないくせに感情的共感によって主語がでかくなるのが感情的正義の特徴だとした。そのことで人々がプロパガンダに流されやすくなる、という趣旨のことをどこかで書いていたのを思い出す。

もうひとつ思い出したのは、2年くらい前、

共感にあらがえ - 内田樹の研究室

のなかで、人権とかマルクス主義とか、外付けされた倫理は歯止めが効かず暴発する、ということを内田樹がいっていたこと。

増田へのレスなかに

コロンブスナポレオン他所に乗り込んでそこにいた猿を使役したり自分文化を教え込んだりする描写になんとも思わんのかお前はw

というのがあるね。

正直、なんとも思わないねというのが俺の感想だし、植民地主義への反省なんていっても、外付けの反省まり

俺の中では、このMVはたわいもなくみえている。そんな他愛のないもの批判したくなるほど自分のなかで植民地主義批判内面化されていないわ。

そんなことをいうと、すぐにいろいろな知識開陳して説教したくなるサヨクがぼうふらのようにわいてくるんだが。

しろMVのなかで、不快に思ったのはそこではなくて、ナポレオンなどの人物たちが「Monkey Attack」というビデオを鑑賞するシーン。負傷していまにも死にゆハチマキをした類人猿兵士を抱きかかえる類人猿兵士、その場面にビデオ鑑賞していた皆が涙する、という場面だが、このシーンは、旧日本軍兵士連想させられ、ビデオ鑑賞で感動ポルノを消費するという行動にはイラっとさせられた。

類人猿ベートーヴェン指導したり、人力車にひかせたりというのには何とも思わなかったのに、このシーンだけは嫌な気分にさせられた。

そう、まさに「つまり解釈余地があるんです。」という感じなんだな。モンキーアタックビデオへの不快感はあるものの、袋叩きにしてやり込めるほどのものではない。他愛もないMVだよ。

rna氏は、ネット上では一斉に右向け右で「文明的なコロンブスたちが野蛮な猿人たちに文明を伝え、教化し、啓蒙している」という構図が大勢を占めているようだが、そうは解釈できないと述べている。

Mrs. GREEN APPLE「コロンブス」MV 問題、マジわけわかんねぇ (追記あり) - rna fragments


もっとも俺も若い頃、20年くらい前までは、人権歴史教科書通りに学んで、それを教養として広めていけば、外付けされた倫理共感を呼んで広まっていく、みたいに素朴に思っていた時期があった。

https://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2024/06/16/011301

みたいなことを素で思っていたというか、それこそ20年前のはてな草創期の「何とかidさんの日記」にはそういうのがあふれていた時代、、はてなにははてサと言われる人たちが多かったのだろう、そういう人ともつながった。

しかし、いつしか違和感を覚えるようになった。特に歴史修正主義というドイツで使われた文脈言葉安易日本南京虐殺否定文脈で使うことが一般的になり始めたころ、はてサという存在が疎ましくなっていった。

俺の違和感の正体は、結局のところ、歴史文脈のなかで生まれ言葉には、その歴史に紐づいた反省があり、過去への抗いがあるはずなのに、いつしか教養」として普遍化するなかで、その歴史固有性が失われ、あたかハンディ批判ツールになり下がることだった。

村上春樹2009年、イスラエル文学賞を受賞したときはてサは一斉に授賞式に出席しようとする村上を引き留めようとし、攻撃した。出席することは共犯意味するとまで言った人もいた。そのとき村上氏は自身への批判を受け、それらの情景を正論原理主義といった。パレスチナの人たちとの現実の接点をもたずに、パレスチナだ、ガザだ、人権だと漠然と騒いでいる、ごく普通のひとたち(私たち)の”寄り添い”は本当に軽いものだ。共犯という言葉も軽い。イスラエルに赴いて「高くて頑丈な壁と、それにぶつかって割れる卵の側では、私は常に卵の側に立つ」と現場で話をした村上春樹言葉のほうがよっぽど覚悟必要だ。それでも村上春樹攻撃する様子をみて、俺はだんだん嫌気がさして、ブログからフェイドアウトしていった。

追記2)なお歴史修正主義に関して、以下のブコメが目に留まった。

???/ 外付けの倫理の話なのに2行目で教養の話になってるのはなに。/ (歴史)修正主義という言葉は50年以上前からドイツ関係なく使われてる。 - tick2tack のブックマーク / はてなブックマーク

tick2tack ???/ 外付けの倫理の話なのに2行目で教養の話になってるのはなに。/ (歴史)修正主義という言葉は50年以上前からドイツ関係なく使われてる。

すまんが、ズレてるぞお前さん。こういうのってさ、ちょっとでもファクトチェックしてもらう手間を惜しまなければわかることなんだよ。ドイツで生まれ修正主義はその後、ソ連中国などの共産主義社会で使われていった。イデオロギー的な対立が強い国では、ある視点政策に「修正主義者」というレッテルを貼ることで、それを委縮させることを狙ったわけだ。

まり信奉するイデオロギーから逸脱した奴を侮辱して叩く、こん棒として便利に使われるようになっていった、というのがお前さんのいう「50年以上前からドイツ関係なく使われてる」の実態からな。それが90年代後半、新しい教科書問題以降、日本で使われ始め、00年代半ばには定着した、というのが俺の理解。完全にこん棒化した、っていうのが歴史修正主義の使われ方の変遷だ。「相手に対する敵意と侮蔑」そして「俺たちが正しい」以外なにも読み取れない用語になり果ててるわけ。そりゃwikipedia書き換え合戦になるわな。だから俺はこの用語が嫌いなんだよな。

(/追記2)

お前、そんなこともわからないのか、そんなことも知らないのか、といって得意げに歴史知識開陳する態度。

てめえだって大して現実味のないことに対して義憤を抱いてるにすぎないくせに、この尊大な態度。

サヨクに対する嫌悪感は、ここに尽きる。キャンセルカルチャーは、無力なサヨクが得意げに知識開陳して自己満足する場になってるんだよ。


言葉の軽さはどこからくるのか。ヒントになるのは、前述の内田樹文章

そのなかで対談相手永井陽右氏は次のようにいう。

永井:それで言うと、私は本当に「人権」というものを外付けしたタイプだと思います大学1、2年の頃、大学平和学の授業を取ってたりしたのですが、そのときに、何が幸福なのか、他人が何を考えているのかなんてわからないと思ったんです。そして陳腐ですが、みんな正義も正しさも違うよねともやはり思いました。

じゃあ何を拠り所にしたらいいのだろうと考えた結果、「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。普遍性が高いなら、「人権が著しく侵害されているのであれば、これは問題だ!」と堂々とみんなに言うことができる。そうして私は良くも悪くも人権というか権利しか見ない人になっていったわけですが、それは本当に「外付け」だったと思います

「これは問題だ!」と深く自分のこととして考えもせずに簡単にいえてしまう、ここにこそ問題がある。

そういう義憤の正体って何だろう。

最近朝日新聞人生相談に回答した野沢直子に対して、それを朝日新聞記者コメントともに、冷笑と受け取って批判している記事があった。

[B! 報道] 読者を小馬鹿にする記者の態度にビックリ…野沢直子(61)の「悩み相談」騒動に見る“朝日新聞の冷笑主義” | 文春オンライン

元の人生相談とその回答はこちら。

https://digital.asahi.com/articles/ASS5K30WGS5KUCVL02MM.html?ptoken=01J0FYBDAZQF5YH5MPNMCJH3QA

不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」とかいう50代の男性相談

個人は、野沢直子の回答の感覚に近い(あ、俺はトランプ支持者じゃないけれどね)。現地に行ってみろと。行けば当事者意識を持てるから

これは冷笑でもなんでもない。正直、野沢直子の回答を冷笑と捉える文春の批判のほうが今の時代の病を表現していると思った。

新聞で得た世界出来事いか正義言葉で嘆いても、その切実さは現場の人の感覚とは何も通じ合っていないかもしれない。

現場にくると世界は反対側からみえることもある。

かつて、北アフリカスーダンで、ダルフール紛争と呼ばれる、政府系の集団による虐殺国際問題となったことがある。

日本ブロガーも反応し、かつてFinalvent氏がこの知名度の低いこの問題を何度も取り上げ、意識を高めようとするべく、記事をお書きになられていた。

最初は、自分の啓発もかねて弁当氏の言説に注目していたのだが、しかし、その後、私自身が北アフリカ地域仕事上関与するようになってからスーダン人とも仕事をしたし数多く知り合いになった。自分なりに関心をもって現地で情報を集めてみると、国際的に展開されているセーブダルフールキャンペーンは次第に異なる運動に映じるようになっていった。

それは当時のバシール大統領断罪をはじめ、現地武装組織悪業を過剰に喧伝する国際NGO特にアメリカNGOキャンペーンのやり方に対する違和感だった。紛争実態はもう終わっているにも関わらず紛争継続しているかのような言説が多く、過剰かつ単純な演出によって集められた資金は、NGO広告費に回っているという話まで聞いた。

正しい、とみんなに思い込まされていることでも、プロパガンダが功を奏しているだけかもしれないということだ。

弁当氏がその後、一貫してスーダンに注目していたかどうかは知らないが、やがて同氏の記事の傾向が変わり、国際問題にはほとんど言及されなくなっていった。

今、現在スーダンの置かれている状況はというと、2023年に始まった国軍準軍事組織「迅速支援部隊(RSF)」による内戦により、ダルフール紛争の比ではない、深刻な国内避難民が発生している。2023年末時点で国内避難民が905万2822人。これはスーダン人口の2割に相当。2003年の世界最悪レベルの人道危機と言われたダルフール紛争ときですら国内避難民は100~200万人というオーダーだったので、それをはるかにしのぐ難民が発生している今の状況がいか危機的かがわかる。

しかし、俺は思う。当時、弁当氏のスーダン記事を読み、義憤を抱いた人の何割くらいが、現在進行形の危機を憂いているだろうかと。エジプトトルコスーダン国軍支援アラブ首長国連邦はRSF支援、このように中東の中堅国らは、自分たちに好意的顧客武装させながらも、和平を口にする、いわば代理戦争様相を呈している。





ただ、一方で、外付けの教養には意味がない、とは思わない。しかし、植民地主義歴史を知るとか、外付けの倫理いか理解しているかという意味ではない。

普遍的な価値として、人権を外付け実装してきた日本である自分自身いかに受容してきたのか、それを踏まえて自分の生きる社会をどうしたいのかを知ること。

そのルール規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要があると思っている。

表現の自由ひとつとってもそう。表現の自由って大切じゃないか?と少しでも思ったら、それを所与の普遍価値から、と思考停止しないでよくよく考えてもらいたい。

なぜアメリカ判事歴史的な判決のなかで、空気が濁っているほうが社会健全だといったのか。なぜフランスでは神を冒涜することが権利なのか。

なぜドイツではホロコースト否定表現の自由に当たらないのか。日本公共の福祉解釈としてそれらをどのように受容したのか。表現の自由が失われると何が恐ろしいのか、それはそれぞれの社会文脈がある。少なくとも自分社会ではそれは何なのか、それを知ること、それこそが教養というものだと思っているし、理性的共感というものだと思う。

少なくとも俺が思うに、日本社会においては、冒頭のケシカラニズムが政府にとって都合よく操れる心情だろう。

表現の自由が失われることによって立ち現れる社会では、こういう感情的正義ますます膨れ上がるだろう。

表現の自由が失われることによって立ち現れる社会は、「これが正義だ!」とみせられるとすぐに無教養な人々を煽り立てることでき、簡単プロパガンダ誘導することのできる、政府にとって都合の良い社会ということになろうかね。

MV叩いて知識開陳してマウントとってるサヨクもそれで満足ですかね。まあそういう奴はそういう時代がくれば、アカ狩りで共産党員不倫していたことをネタ糾弾しているかもしれないし、体制寄りになってるかもしれないけどね。本格的な右派政党が台頭したらそいつらを味方につけるだろう。不謹慎厨の本質正義の中身を大して気にしてないことだ。日本中が沖縄を踏みつけにしても気にしないが、よその国の自分とさして関わりのない先住民のことは気に掛けるふりができる。

世界中、世の中でいろいろと深刻で理不尽なことが起きているなか、そういう諸々には無関心で当事者意識もないくせに、「教養ある人」が突然ポリコレし始め、他愛もないMV植民地主義的な傾向にかみついて、そうだそうだとみんなして一斉に同調した結果、MVの発表取り下げに至る、という構図は学級会のつるし上げそのものだ。

サヨク知識マウントできて満足だし、日ごろのストレス発散になったことだろう。

朝日新聞人生相談をした「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」という50代の男性も、MVをぼこぼこに叩いて満足するくちかもしれない。新聞を読んで中途半端ポリコレ意識をもてあましている、という輩に対する処方箋としては、野沢直子の回答はこれ以上ない的を射たものだと思った。

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