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はてなキーワード: 書類選考とは

2024-09-24

【追加】39歳無職転職活動が詰んでる。これが「人手不足」の現実なの?

2024/9/24 20:55 追記

ちょこちょことコメント頂いて感謝です

ハロワよりも障害者専用エージェントに見てもらった方がいい

障害者手帳はまだ未取得なんだが、やはり3級目指してそっち目指した方が良いのかな。ただ地方なんで数える程度しか枠ないんだよね

ハロワ経由だからでは

ハロワ応募と他の応募でフィルターかけられる事あるの?

求人数上げる為にどんな会社でも載せるから質悪すぎ

それなりの規模の工場で応募してるから変な事はしてないと思ったんだが空募集なんかな

資格あんなら引くて数多じゃないんか?

電気工事士2種と無線関係をいくつか。

電工の募集はかなりあるけど、100日あったらマシな方で休日数少ないのばっかりなんよな

独立しちゃったら?

コネしか独立するって、理想的ではあるけどそんなに甘くないのでは?

せめて零細入って下積からかな

設備メンテナンス個人に頼む奴なんているわけねえだろ

それはそう

>40間近の転職は絶賛人手不足ITですらみんな慎重やのに?

結局(有能な)人手不足ってことなんやな

(以上追記)

39歳男、無職

電子回路設計電気工事士設備メンテ(各4年程度)と、まるでサバイバルゲームのように仕事渡り歩いてきた。前職も、また新しいメンテナンス業に入ったが、そこでパワハラに遭い、ついにはうつ病発症入社8ヶ月で退職した。

今は病院に通いながら、障害者リワーク支援にも通い、少しでも社会復帰を目指してハロワ経由で10社応募したけど、すべて書類選考で落ちている。動き出して2ヶ月が経つけど、手応えはゼロ

工場関係人手不足」と耳にしていたから期待していたんだけど、現実はまったくダメ書類選考すら通らない。ハロワ相談員にも履歴書を何度も見てもらってるけど、「しっかり書けてるから大丈夫」と言われるばかり。

大丈夫って何?書類すら通らないのに?

やっぱり、最終的には年休100日以下のブラック下請けに行くしかないんだろうか…。自分キャリアって、一体何だったんだろう。もうどうすればいいのかわからない。

良くなってきたうつがまたぶり返しそう。

2024-09-22

anond:20240922195511

履歴書pdfで送って下さい。

この1文を応募者に送って、帰ってきたのが、「手書き履歴書スマホ撮影した写真」と、「ドアップの自撮り

書類選考落ち、ですかね...

2024-09-20

あーーーーーーーーーーーーーーーーー

面接嫌本当に嫌い

面接なしの求人ないですかねーーーーーーーーーーー

いやそうしたら書類選考で落とされるわけですけどね!

この対人能力の欠如ってなんなんでしょうね

この自信のなさ他人に対する不信ってなんなんでしょう

労働が嫌いで社会が嫌いで人間が嫌いで

そんなことってあります

あるんですねありふれた人格ですね

全然オリジナリティのない不幸だよ

でも嫌いってだけではどうにもならないよ

やっぱ手首の一つでも切って社会不適合の烙印自分で押してみたら

多少自分から他人から社会からも諦めがつけられるのかなぁ?

本当に自分に務まる仕事というのがわからない

全然イメージができない

仕事でも人間関係でも全然最低限でもこなせる想像ができない

やり始めたら続けられると思う

というか続けられたけど

でも結局耐えられなかったじゃん

そうですね

でも働かなくちゃいけない

生活を続けないといけない

死にたいわけではないか

でも思い詰めたらやっぱり死んで終わらせたくなるんだと思う

いつまでしがみついてなきゃいけないんだ

どうして思いきれない?

ディストピアAI管理されたい

適当仕事を割り当ててほしい

ディストピアAIちゃんと適正を見て仕事割りあててくれる保証あるの?

ないよ

年間休日87日はやっぱナシじゃないですか?

anond:20240920140812

38で今年転職したけど

書類選考ほとんど全部通ったな

エージェントが通過率10%だからいっぱい出せっていうからだしたのに

ほぼ通って面接多すぎになったわ

2024-09-15

採用視点から考える金銭解雇雇用の流動化

[B! 労働] 小泉進次郎氏の「解雇規制の見直し」という自民党総裁選公約について(佐々木亮) - エキスパート - Yahoo!ニュース

どうにも、はてなでは金銭解雇は不人気だけど、どうしても金銭解雇および日本雇用については言いたいおじさんが主張を書いてみることにしたよ。雇用は難しい問題でいろいろな議論必要だけど、ちょっと長いけど一つの視点として読んでもらえるとうれしいよ。

おじさんの自己紹介

おじさんは現在IT系スタートアップに務めていて、エンジニア採用活動に関わっているよ。金銭解雇というとクビを切る側の話ばかりになりがちだけど、おじさんはスタートアップ採用サイドから視点で書くよ。

おじさんはいわゆる氷河期世代だけど、色々な運の良さもあって氷河期世代境遇とは無縁だったよ。だからといって自分達の世代の受けた仕打ちを忘れないよ。

おじさんは単なる一サリーマンだよ。「経営者視点」と言われかねないから、なぜこの記事を書く気になったかの背景としてのおじさんの思いを最後に書いておくよ。

雇用流動性と金解雇

いきなり結論をいうと、おじさんの経験と推論からは、雇用の流動化と金解雇は密接に結びついていると思っているよ。端的に言うと人のクビを切るのが難しい状況では、人を簡単には採用できないし、高待遇求人を用意できないよ。企業が良い待遇で雇わないので、良い待遇を求めての転職しづらいという状況が日本雇用が流動化しない原因だと思っているよ。

このご時世転職なんて簡単だと反論は出るだろうけど、実際まだまだ日本人は転職していないと思っているよ。実際にOECDの報告で日本人の労働市場における転職率は低いよ。

転職をするって人生かかっているのですごく慎重になるんだけど、その後押しをできるほどの良い求人が世にまだ少ないと思っているよ。

人のクビを切るのが難しい→人を簡単に雇えない→雇用が流動化しない

この因果を考えずに雇用の流動化だけを目指してもなかなかうまくいかないと思っているよ。

理由を以下に書いていくよ。

人材採用ハードルは高いよ

おじさんは日々多くの応募者たちの書類選考面接をしているけど、正直なところ書類選考と合計たかだか数時間面接で応募者を適切に選べるとは思っていないよ。実際働いて1年くらいでようやくその人が期待値以上、以下かなんていうのがわかってくることも少なくはないよ。採用活動したことない人でも、同僚が仕事できるかできないかってわかるのには意外に時間がかかったことはあると思う。

それに会社っていうのは状況が変わっていくものだよ。数年後には採用時に重視していたスキルセットの重要度が下がることがあるよ。採用時点ですごく機能していた人材が、業務内容や組織が変わっていくことで機能しなくなるなんてこともよくあるよ。

スタートアップ創業期ではコミュニケーションよりもとにかく手を動かして独断専行でも成果を出せるエンジニアが重視されていたのに、創業期が終わる頃にはコミュニケーションを適切にとれて調整も苦でないエンジニアが重宝されるなんて光景はよく見るね。生きるか死ぬかの創業期と人も増えてスタートアップから大企業に移り変わる時期だと求められる要素が変わるのは当然だよね。

おじさんは日々採用活動をしているのだけど、日本労働法と雇用慣習はいかんともしがたいので、採用したらよほどのことがないとクビは切れない。つまり採用の失敗は許されないので、慎重に慎重に人選びをしているよ。経歴に空白があったり、短期離職を繰り返している人は個々の事情があるとしてもどうしてもリスクが高いと考えてしまいお見送りしてしまうよ。ある程度年齢が高い人は一般論として若い人より適応性が低い可能性があるので、どうしても慎重になるよ。本当はその中に優秀な人間いるかもとは思っているけど、採用の失敗は許されないのでリスクがある人は見送ってしまうよ。

それに、前述したように会社の状況が変わっていくことを考えると採用時点でジャストでほしい要件に加えて、ある程度ユーティリティプレイヤーとして柔軟に動ける人材であってほしいよ。入ってから別の部署に異動になっても機能しそうな人間じゃないと数年後に不要人材になってしま可能性があるからね。なので、スキルセットとして特定分野にものすごい専門性があって尖っていても採用にためらってしまい、結果として丸い安牌な採用になりがちだよ。

一方で、業務委託(フリーランス)だったりすると、少々単価が高くても最短1ヶ月だけ実力に見合っているかお試しできるから、とりあえずで契約できるよね。

おじさんは派遣社員を直接利用していないけど派遣社員も期間が決まっている分、派遣会社に支払っている総額は高めでも利用する価値があるよ。直接雇用でも同じような解雇の仕方があるなら本人取り分は高くなるはずなのにと思ってしまうよね。

待遇について

スタートアップなのだから、新しい事業システムを作るために優秀な人材に来てもらいたいよ。そのためには良い待遇を用意してあげたい。でも、良い待遇オファーしてもその人材機能しなかったら悲劇しかないよ。

本当は会社全体の給与体系が高いのが理想だけど、まだまだ成長途中の会社ではそれは難しいよ。それでも勝負をしたい領域で良い人材を高待遇を用意したいんだけど、解雇ハードルが高いとそれを用意するのも難しいよ。金銭解雇という選択肢が用意されたら高待遇求人も増えると思うよ。会社にとって高待遇というのはそれなりにリスクでだけど、現状では会社一方的に大きいリスクを抱えている。会社社員がある程度リスクを分担するのが望ましいと思っているよ。それに一社で失敗してもその次の会社でそれなりの待遇で雇ってくれるなら転職はしやすくなると思うよ。

転職しない人の待遇改善

はてなでは、企業は人にはカネを使わないって不満ばかりだけど、やめていく人がいないなら会社がどんなに儲かっても社員給料を上げるなんて義理はどこにもないよ。一方で、必要社員がいなくなっていくなら給料は上げざるを得ないよ。だから金銭解雇の導入で転職やすい世の中が来ると普通社員給与も上がると思っているよ。

社員がただ給料を上げろといっても会社にとっては上げるインセンティブはないか無視されてしまうけど、他の会社内定を持ってきて嫌なら辞めるから給料上げてという交渉なら会社は考えざるを得ないよ。選択肢がない人間には交渉力が弱いというのは世の決まりだよ。

簡単にクビを切れる社会になるか?

会社の規模にもよるけど、現状ではおじさんのいるスタートアップだってそれなりに法令遵守をするし揉めたくはないので雇用に関してはそれなりに現行法雇用慣習にも従っていて、そうそう人のクビは切れないよ。それに予測可能性というのは大きくて、裁判を起こされた場合判決まで結果が確定しないというのはかなりしんどいよ。金銭解雇制度が導入された場合には、金銭無しでの解雇に対しては労働者側が労働基準監督署などの機関を通しての迅速に仲裁してもらうなどの仕組みの整備は必須だと思うよ。

法令金銭解雇基準を明確に示すことで最悪クビにできる額の基準が明確になるというのは大きいと思うよ。それでも、金銭解雇お金もかかるし、それ以外の社員へのダメージにもなるから最後手段になると思うよ。そもそも昨今は人手不足で今どきのまともな会社はいかに社員にやめてもらわないかにすごく気を使っているよ。おじさんだって部下が辞めたいと言い出したときは全力で話を聞いて環境改善したりして引き止めているよ。

定年まで雇い続けるか、最終手段としての金銭解雇があると思うかは採用サイドの心理負担としてもかなり違うよ。

もし会社の業績が悪くなったら、給料が高い人からクビを切られるというのは理にかなっていると思うよ。部門がなくなるなんてこのご時世よくあることだけど、現行法では給与が高い人材素人同然で別分野に配置転換するしかないよ。

それでも解雇されたら

会社にとって自分がいらない人材になったら仕方ないよね。すごくストレスフルな状況であると思うけど、次の仕事があるならどうにかなると思うよ。でも原則として会社にとって給与に見合う価値提供できないのに雇われ続けるというのもおかしいとは思っているよ。

それに日々自分の経歴・スキル棚卸しをして、キャリア転職市場価値確認するのは働く人間としては日々行っておくべきだと思うよ。とはいえ、そろそろおじさんもけっこうな歳なので、雇用もっと流動化してミドル求人が増えてほしいと思っているよ。

本来セーフティーネットは国が保証すべきで、企業押し付けている状況はおかしいと思っているよ。雇用調整助成金を出すくらいなら、失業者生活費とかリスキリングに予算をかけてほしいよね。おじさんもいい歳なので、もし仕事をクビになったら再度大学行くとか学び直して別の分野に挑戦してみたいよ。

日本雇用システムに対するおじさんの思い

正直日本の現行の雇用システムだと大学卒業して待遇の良い大企業で一生過ごすのが低リスクで最適解な気がするよ。

日本では多くの優秀な人間既得権として大企業で一生過ごしてしまっている。そしてこれが新しい価値を生み出せずに衰退している日本の最大の原因だと思っているよ。優秀な人材大企業若いうちは活躍していても、クビにならないことに気づいてしがみつくようになってしまう人もいるよ。

もちろん大企業で立派に頑張っているおじさんも多いけど、高待遇で働かないおじさんなんてのがそこらで観測される程度にはありふれているよね。これって社会全体としてはものすごく無駄じゃないかな?会社を通して社会価値を出す人材でいつづけないと、仕事がなくなるかもという緊張感は少しは必要だよ。

おじさんが若い頃にリーマンショックという大不況があっておじさんが昔いた会社では派遣切り新卒内定者切りという事態になったよ。後で聞いた話では、正社員をクビにするためには解雇妥当性が必要で「派遣社員内定者を切ってからじゃないと正社員はクビにできない」ということらしいよ。こんなの絶対に間違っていると若いときのおじさんは思ったよ。判例による整理解雇4条件に従えば派遣をクビにしてから正社員という順番で、正社員はやっぱり守られている。

金銭解雇本質は、低リスク大企業正社員高リスク派遣という経済リスク分担の問題なんだよね。雇用についてはリスクをもう少しみんなで分担する社会のほうが健全だと思うよ。今のように大企業正社員が手厚く守られている社会だと、新卒時の結果を定年まで引きずり続けていて、非正規若い年代に回り道した人はその中に入れてもらいにくいよね。金銭解雇を認めることで、一時的社会不安定化は起きると思うけど、切り捨てられたままの氷河期世代のような悲劇はもう起こしてほしくないと思うよ。本当は90年代にやるべきだったんだけど、正社員雇用を守るために金銭解雇を認めないで派遣社員の拡充のみ行ったのが間違っていたと思うよ。

おじさんは日本という国を考えたときには新しい企業が新しい価値を作り出していかないと先がないという考えを持っていたので、スタートアップで日々戦っているよ。金銭解雇可能になってもっと一緒に戦ってくる仲間を増やしたいよ。

この文章は主にスタートアップ採用視点で書いたけど、大企業でも本当は新しい事業を作っていくためには外から人材必要だと思っている。雇用の流動化こそ日本には必要でそのためにも金銭解雇必要だと考えているよ。

社会組織って人でできているのだからある程度そこが循環しないと、なかなか新しい事業も起きないし経済的な成長もしていかないよね。現状の低成長のゼロサムゲーム雇用椅子の奪い合いをしている状況が、最終的にはプラスサムゲームになってほしいと切に願うよ。

はてぶを見ているとこの30年間のゼロサムゲーム(もはやマイナスサムゲーム)で企業に対して疑心暗鬼になっているのがよく分かるよね。

というわけで、セーフティーネットや具体的な金額基準はしっかり議論したうえで金銭解雇は導入してほしいと思うよ。

事務職ですが書類選考が通りません

全然通りません。30社出して2社くらい…?

年齢もアラフォーなので仕方ないかなと思いますが、会社でそれなりに仕事をしてきていたので全く鳴かず飛ばずでどうしたらいいのかなと思います

そもそも学歴が大したことないのでそこで弾かれてるかもしれません。

職務経歴書見直しておりますが、なんだか大したことがかけなくて気が滅入ります

向き合うしかないですよね、自分と。

2024-09-08

anond:20240907100034

CM打ちまくっているエージェントはやめておけ。IT専門を謳っているところは特に

現場エージェントKPIが「書類選考何件出した」とかになっているっぽく、自分意思関係なくあらゆる会社選考に送られる羽目になる。

有象無象なんでもいいから引っ掛けたい、というなら話は別だけど。

2024-09-07

anond:20240907081155

書類選考希望される方は、添付の専用履歴書エントリーシートをご確認いただき

3月15日(火)消印有効でその2枚をセットにし、下記までご郵送ください。

直前に説明会へ予約が出来た場合は、ひとまず書類持参でお越しください。

会場で通り一遍等の説明・指示はします。

その指示が難しい場合・・・その先は言う必要ないですよね。

自分で考えてみてください。

2024-07-18

転職活動する度に一次面接数回落ちてガッカリして変にヘラった結果、派遣適当就職決めるから面接が苦手なまんまだしキャリアアップもできない

書類作成はやる気満々のときセミナー対策するから書類選考はある程度通るけど面接カスの出来上がり

2024-07-11

中途採用面接初心者ぼやき

今年から中途採用面接官を担うようになった。1次面接担当

まだそこまで人数こなしてないけど、自分が通した人がその後の面接も通って採用に至った人が初めて出てきた時は嬉しかったし、次の面接で落ちた人が出てきた時は申し訳なく思った。

「ウチは1次面接で7割落とす」と言われていて、意外と落ちるんだなあと思って臨み始めたが、いざやってみたら本当にそうだった。驚くほどNGポイントを志望者が丁寧に突いてくる。

というわけで、増田が見てきた「落とした例」を列挙するよ

0.面接の重視ポイント

列挙の前に書いておく。会社から「人柄重視で、スキル足切りするか否かを見る程度で」と言われているのでそれに従っている。スキルは次の面接で深く見ることになっている。

例1.強すぎる他責志向

今の会社を辞めようとしてる(もしくはもう辞めた)のだから転職動機とかである程度他責の話が出てくるのはあまり問題なかったりする。

ただ、その他責に対して自身がどう立ち向かったか自身改善余地はなかったのか、会社を辞める以外の選択肢は無かったのか、という前向きな話が全く出てこず、会社や人の悪口に終始してしまう人がたまにいる。

一番酷いケースでは、経歴質疑応答で出てきた人物全員をdisってた輩もいた。こんな人を採用したら現場が壊されてメンヘラ社員大量生産されるのがオチ

もちろん面接終了後は秒でNG連絡。この傾向は書類選考では見抜けないので、来てしまうのは仕方ないんだけどな…

2.ジョブホッパー

基本的には書類選考で落ちるはずなのだが、たまに通ってしまうことがある。求人サイトスカウトメールを起点とするケースで起きやすい。スカウトメールは経歴がキーワードでヒットしたらbotが送るというものしかないのだが、体面上書類をある程度通さないといけないため、ジョブホッパー型の人が書類選考を通過してしまうことがある

この手の人は退職理由複数社聞いてみると理由一貫性がないのが常なので、「単に嫌なことが我慢できないだけなんだな」と判断し、落としている。なお上記1番に当てはまる人は高確率でここも当てはまる。

3.経歴書と経歴に関する質疑応答ミスマッチ

サブリーダーやってました!」「何々管理経験があります!」と経歴書、自己紹介とかで高らかに言ってくるも、具体的な局面でどう動いたかを聞くとしどろもどろになったり、リーダの指導の下、単なるメンバーとしての活動を答えてしまうケース。

スキル確認足切り程度で良いとは言え、さすがに経歴書とミスマッチな人を「スキルを深く見る次の面接」に渡すわけには行かないので、落とす。

なお、エージェント経由の応募でこの傾向が目立つ。エージェントから経歴水増し指導されてるんだろな…。

4.結論から話せず、背景、理由を長々と話してから結論を言ってくる

面接タブーとして最も知られているはず…なんだが、以外とやらかす人は居る。増田も昔はそうだったし、そうなりがちなのは話を誤解されないように配慮した結果だったりするので分からなくはないんだけど、初対面の人に仕事の背景を長々と話されても何も入ってこないんだよ…こちらには透視能力ないんだし…。

5.志望動機会社ビジネスドメインから少しずれている

スポーツに例えたら、さすがに野球サッカーくらいのミスマッチ例は見ないが、サッカーフットサルくらいのずれがある志望動機を平気で言ってくる人がたまにいる。もちろん志望動機の時点でも足切りなのだが、面接内の質疑応答で応募者もミスマッチに気づくのかだんだん表情が曇りがちになってくるのがデフォ。話してて申し訳なく思ってくる。

こういう人を面接するのは互いに時間無駄から書類選考で落とせよ…

6.会社HP見ればすぐ分かることを質問してくる

HP会社概要求人ページを見ればすぐ分かるようなレベル質問をしてくる人がたまにいる。休暇制度とか主要取引先とか。この時点で「この人弊社に興味ないんだな」とみなして落としている。それまでの質疑応答及第点であっても。

HPの奥地にあって増田でも把握しきれてない記事に関する質問だったらプラス評価にするけどな。そこまで見てくれるのは有り難いし。

おわりに

他にも足切り要件はあるが、増田会社独自要件になるので割愛する。ここで挙げた例は、増田が他の会社面接官やったとしても落とす事例だ。

増田の考えが正しいとは限らないが、1つの考え方として記しておく。いま転職活動してる各位の健闘を祈る。

2024-07-07

anond:20240707110430

Fラン(に限らずD~ Eレベルでも)の教授陣にたまに出身者紛れてるけど、こういうのあるんだよな

高齢ポスドクはもう東大だろうがFランだろうが構わずプライしてんのに、こういうくだらない人事されるとマジ困るんだよ

(俺もFランはなぜか門前払いが続いて、むしろ中堅クラスから面接採用いただいた。)

最近は実務家教員とか言って社会人経験優遇するからなおさら

誰もポスドクしなくなるぞ??

(追記)

せっかく追記してくれたので反応しておく

紹介きっかけで採用試験を受けることになりましたが大学側は面接書類選考できちんと採用を行っていたと思います

公募した体裁だけ整えるよくあるアリバイ作りですよね

コネで取るなら堂々とコネ採用して、その分私学助成金から手を引けよFラン

Fラン大学を1⚪︎年前に卒業した

追記

こんなに反応があってびっくりしてます

やっぱり自分は今でも人よりだいぶ抜けていたり苦手なことが多いので、しっかり勉強してきた人、きちんと仕事をしている人を本当に尊敬しています文章も下手で恥ずかしい限りです。

大学入学前までは自分とその人たちの違いについて考えると消えたくなり、無気力になっていましたが、大学に入ってやりたいことを見つけて進むことができ、今は自分ができることをやるしかないと思うことができています

ただ実務的な部分を評価され講師にはなったものの、自分のような人間指導者立場としてここにいてよいのか?ということについてはかなり自分でも思っているところで、匿名での授業アンケートを行ったり、他の先生に授業を見てもらう機会があった時には問題がないか伺ったり、かなり気にして見るようにしています。(評価されなければすぐ辞めるつもり)

紹介きっかけで採用試験を受けることになりましたが大学側は面接書類選考できちんと採用を行っていたと思いますのでそこだけ追記させてください。

追記おわり)

在学中にはFラン大学って言葉はあまり意識してなかった気がする。スマホもまだそんなに普及してなかったし。卒業Twitterを見てたらFラン大学一覧みたいな画像には必ず自分出身大学が載っていたので、自分Fラン大学(といわれる学校)の卒業生なんだ!とびっくりした。

以下はFラン大学であったこ

大学どこ?って聞かれて答えても相手はほぼ知らない。毎回気まずい。

入試体験授業みたいなグループワークだった(AO入試

入試ほぼ全員受かった

大学入学を即決すれば学費の割引があった

•1年の最初に「大学のやり方」みたいな授業があり、レポートの書き方や提出期限をすぎるとだめなことなど教えてくれた(この内容で単位もらえる)

外国語の授業をとらなくてもよかった(かわりに国語の授業?があった気がする)

などなど。

自分高校勉強に全くついていけてなかったので、簡単入試や、大学のやり方の授業などめちゃくちゃ親切に感じて、初めて学校っておもろい!と思った。苦手な英語の授業で当てられて恥を書くこともなくて、かなり精神状態がよくなった。

高校在学中の自分はかなり落ちぶれているという認識で、周りからもそう思われてだと思う。赤点だったし成績は最後から数えて20番目とか。不良じゃないのに、学校にも毎日いるのに勉強できなくて鬱っぽくなってた。

でも大学は毎回出席して課題を出せば優等生さら教授コミュニケーションを取ったり積極性があればすぐクラスの上位にいけるので、自己肯定感が育った。課題についてやり方がわからなくても、聞けば教授が親切に教えてくれるのでかなり助かった。(多分慣れっこなんだと思う)

ここで初めて「がんばるのっておもろい!」となった。

インターンも誰もやらないから応募したら希望したところに受かるし、図書館希望図書(欲しい本をリクエストして、通ったら買ってもらえる)もほぼ自分しか出してないようでかなりの冊数買ってもらっていた。

就職活動ではFラン大学ということもありES全然通らないという苦しさを味わうけど長くなるので省略。自己PR大学でのインターンやコンペなどの活動のおかげであんまり苦労しなかった。それでも就活はかなり難航したし、することもわかっていたのでここはかなり早い段階から就活専用の塾にいったり対策していた。それでもだいぶ泣いた。

結局地元中小企業内定をもらって、10ちょっと勤めた。最後年収は600万くらいで、実家にいてお金が貯まりがちだったけど家にいれる以外使い道もそんなにないので投資信託に入れていた。

大学教授がみんないい人で、SNS年賀状のやりとりが今も続いており、会社を辞めた時に声をかけてもらって今は講師として働いている。講師になってわかったけど教授のみなさんめちゃくちゃ高学歴大学教授からそりゃそうか…だから在学中質問してもみんなわかりやすくいろいろ教えてくれたんだな。

今はあまりお金にも困っていないし、ありがたいことに周りの人もすごく優しいし、あの時この大学入学してほんとうに人生変わってよかったなぁと思っている。大学在学中に、やりたいことも好きなことも見つかった。

XでFランは無くすべきという意見を見るたびに、救われた自分のような人もいるんだけどな〜と思うので書いてみました。

個人的には受験というシステム偏差値の高い大学が合う人間ばかりじゃないと思うので、自分にあったとこに行くのが大切かなと思います

Fランの中でもここに決めた理由オープンキャンパス学生たちがたのしそうだった(出し物とかいろいろしてくれた)みんな仲良さそうだった、教授たちが優しく真面目そうだった(not無気力感)などなどでした。

文章書くの下手なので読みづらくてごめんね。

2024-07-04

anond:20240704121435

日頃から弊社へ格別のご理解を賜りまして深く御礼申し上げます

さて、平成23年3月13日付で、弊社人事グループ担当社員より発信しました弊社採用活動に関する文書の中に、

不適切かつ配慮に欠く表現が多々ありましたことを深くお詫び申し上げます

先ず、東日本大震災発生の2日後に、罹災した地域への配慮を欠いたかたちで書類選考用紙等をメールし、

締切を15日消印有効したこと言語道断であります。また、随所に平等を欠く表現もありました。

さらに、弊社担当者の立場上の驕り昂ぶりが現れた言葉遣いが随所にあり、重ね重ねお詫び申し上げます

早速、公に発信する文書の事前社内校閲ルールを設置し、再発を防止してまいりますと同時に、当該担当者を殺○ました。

改めてこの度、不適切かつ配慮に欠く文書を発行しましたことを深くお詫び申し上げます


平成23年3月14日

トンボ鉛筆 総務部ゼネラルマネージャー

長尾弘司

こんにちはトンボ鉛筆佐藤です。改めて地震の方は大丈夫でしたか

このメール配信した中には、被災されている方が多数いると思います

直接的な力にはなれないですが、

私自身、都内から自宅のある埼玉まで徒歩で8時間かけて

帰宅して、実際の東北の方に比べる程のものではないですが被災の怖さを感じました。

さて、先日は咄嗟メールだったので、返信しなくても大丈夫ですからね。

会社大丈夫です。揺れは大きかったですが、今のところ大きな事故怪我の連絡は入っていないです。

本当は週明けに全員に送ろうと思っていたメールです。

こんなことくらいしか出来ませんが、履歴書とESをお送りします。

ただ、非常に厳しい条件をつけさせていただきます

その条件とは1点だけです。

書類選考希望される方は、添付の専用履歴書エントリーシートをご確認いただき

3月15日(火)消印有効でその2枚をセットにし、下記までご郵送ください。

直前に説明会へ予約が出来た場合は、ひとまず書類持参でお越しください。

会場で通り一遍等の説明・指示はします。

その指示が難しい場合・・・その先は言う必要ないですよね。

自分で考えてみてください。

皆様にも言いたいこと、不満があるのは重々承知していました。

全部ではありませんが、私も様々な心の奥にある声を見て・聞いています

2024-06-27

anond:20240625191650

とりあえずこれに対してお前がバカなだけだ無能だ云々とXで罵詈雑言喚いてる連中は問答無用書類選考で落とすのがよさそうだね。

日本社会は「性格にやや難ありだけど技術は確か」みたいなのを職人気質とか言ってもてはやす土壌があるから人格障害チー牛理系がでかい顔してのさばるんだよ。

こういうのは本来は徹底して排除していかないといけない。こういう人種組織に居ても千害あって一利程度だからね。

「世の馬鹿共が付いてこれないくらいに俺様は優秀」だと自負されるのなら会社なんかに入らず仕事取ってくるところからすべて自分一人でやってくださいw

2024-06-18

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

2024-06-16

こんにちはトンボ鉛筆佐藤です。

改めて地震の方は大丈夫でしたか

このメール配信した中には、被災されている方が多数いると思います

直接的な力にはなれないですが、私自身、都内から自宅のある埼玉まで徒歩で8時間かけて帰宅して、実際の東北の方に比べる程のものではないですが被災の怖さを感じました。

さて、先日は咄嗟メールだったので、返信しなくても大丈夫ですからね。

会社大丈夫です。揺れは大きかったですが、今のところ大きな事故怪我の連絡は入っていないです。

本当は週明けに全員に送ろうと思っていたメールです。

こんなことくらいしか出来ませんが、履歴書とESをお送りします。

ただ、非常に厳しい条件をつけさせていただきます

その条件とは1点だけです。

書類選考希望される方は、添付の専用履歴書エントリーシートをご確認いただき3月15日(火)消印有効でその2枚をセットにし、下記までご郵送ください。

直前に説明会へ予約が出来た場合は、ひとまず書類持参でお越しください。

会場で通り一遍等の説明・指示はします。

その指示が難しい場合・・・その先は言う必要ないですよね。

自分で考えてみてください。

皆様にも言いたいこと、不満があるのは重々承知していました。

全部ではありませんが、私も様々な心の奥にある声を見て・聞いています

2024-06-11

体験談圧迫面接は誰にメリットがあるのか?

先日、渋谷にあるとあるベンチャー企業面接を受けてきた。

その時にオンライン実施された一次面接人生初の圧迫面接体験したので、感想圧迫面接に対して考えたことをまとめておくことにする。

高圧的な態度の面接

本題に入る前に今回の話をする背景を簡単説明しておく。

転職活動中にとあるベンチャー企業書類選考が通って一次面接を行うことになった。転職エージェント使用していたので、書類選考や一次面接のやり取りはエージェント経由で連絡を取っており、一次面接で初めて企業人間と対面した。

一次面接Zoomを使ってのオンライン面接だったのだったのだが、ルームに入った瞬間から不機嫌な感じで「それでは面接を始めます」と。担当者20代後半らしき男性

そして、面接スタート

話し終わる度に、強い口調で「それだけですか?」と毎回聞かれる。決して一問一答ではなく聞かれたことに対して的確に回答した。

そして経歴を確認して「あなた年収低いですね」とか、「既存社員よりも努力して這い上がる覚悟がありますか?」などと今まで面接では経験のないような言葉使いと態度が続いた。

そもそも面接前に会社の評判について調べていたら、働き方、社内の雰囲気残業についてネガティブレビューが並んでおり、面接から少し不安ではあったのだが、レビューは辞める時に書く人が多いので何かしらの不満が集まりやすい。そのため、面接に行ってみて自分判断しようと思っていた。

面接の態度からもうこの企業はないかなと思っていたので、逆質問の時に、ネガティブレビューを見かけたがその辺りはどう思いますか?と聞いてみた。

すると「ライフワークバランスとか気にしちゃう感じですか?」「残業したい人は残業するし、定時で帰る人は帰りますよ」と。その後、若干の焦りとともに言い訳のような業務委託が〜、頑張った人が評価される〜と説明が続いた。

かなり失礼な態度だったので、Googleマイビジネス会社の評判に今回のことを書いてやろうかと思った。(やらないけど)

ベンチャー面接が初めてだったのでベンチャー企業ってこんなものなのかと思ったが、今まで複数面接を受けたことがあるが、それに比べてあきらかに高圧的だと感じたので、いわゆる圧迫面接だったのかなと思った。

数十分ではストレス耐性は図れない

よく圧迫面接にはストレス耐性をチェックする目的があると言われる。高圧的な態度や失礼な質問をすることで、求職者緊急時対応を見ていると。

しかし、30分やそこら、長くても1時間程度の面接ではストレス耐性は見極められないと思う。

新卒学生就職活動であれば「これが社会か」と身を引き締めるために多少は意味があるかもしれないが、社会人として社会経験がある転職を考えている人だと、圧迫面接を行ったところで動じないし、気分が悪いだけで何も意味がないのではないかと思う。ただ嫌な気持ちになるだけ。

一次面接の印象=会社の印象

今回、人生で始めて高圧的な面接を受けたので、その会社担当者のことを鮮明に記憶している。求職者書類選考を通過して会社人間と直接対面するのは一次面接からなので、一次面接の印象が会社の印象となる。もっと言うと一次面接担当した人の印象が会社の印象となる。

ということは、実際には社内の雰囲気と一次面接担当者雰囲気に相違があったとしても、他に判断する材料がないので、一次面接を通過しなかった場合は一次面接担当者の印象=会社の印象となる可能性が高い。

正直、私は今回の面接を通して会社に対して悪い印象を持ったし、今後関わりたくないとも思った。また今後どこかでその会社について話す機会があった場合、必ず今回の圧迫面接について話をすることだろう。

圧迫面接求職者は嫌な思いをするし、会社は悪評価が広まるし、誰も得しない。

求職者会社を選んでいる

あと圧迫面接を行う担当者に言いたいことは、こっちも選んでいるということだ。圧迫面接を行う企業は選ばれているという意識がないのではないかと。

求職者企業が等しく平等立場であるとは思わないが、決して一方的に選ぶ、選ばれるという関係ではない。

圧迫面接では素を引き出せない

私は採用担当経験がないので社内の採用担当者に「圧迫面接を受けたのだが、圧迫面接についてどう思うか?」と聞いてみた。圧迫面接に何か他に明確な目的があって行なっている可能性があるかもしれないと思ったからだ。

すると、「圧迫面接を行なったことはあるが、取り繕った姿しか見れないので入社後に相違が生まれやすい。和やかな雰囲気面接の方が良い意味でも悪い意味でも相手の素が出やすい。

"その隙に見せる素を見逃さないようにしている"」と。

お手本のような面接官としての答えが返ってきた。そして「圧迫面接ちゃう面接官は面接に慣れてないのかもね」と。

それを聞いてあの圧迫面接かましてきた担当者は、余裕がなかったのかなと可愛く見えてきた。

入社前に社風を知れるのはメリット

圧迫面接求職者側の唯一のメリット企業の社風を入社前に見極めれることだと思う。

条件や仕事内容はいいなと思っていたが一次面接で働きづらそうだと印象が変わった。

結果、二次面接に進んだのだが辞退することにした。

これから転職活動は続く。

2024-06-10

anond:20240610171922

でも空白12職歴無し35歳パートタイマーワイが派遣工場に応募したら書類選考で落とされましたよね

2024-06-06

anond:20240606123338

求人票以上の内容で契約結ぶのは問題いから、応募があれば固定残業代ガッツリ付けることは面接で話すつもり 

じゃそれを求人票で明示しろよ、まずは書類選考だっていいだろうよ、良い人材が欲しくないのか?

2024-05-14

底辺転職活動に終止符を打った:追記あり

このご時世で高卒正社員経験なしの底辺三十代ですが、このままじゃ駄目だろうと転職活動しました。

これまで何をしてたって、馬鹿から大学は入れなくて好きなことをしつつ、

実家お金入れることもせずアルバイト派遣でダラダラしてた。

でもコロナ禍入って仕事なくなって、一年ぐらいニート貯金崩しつつ引きこもり生活を送ってた。

一応その間にお小遣い稼ぎぐらいなのはしてた。それで何とかなってたのは引きこもってたから。

新しく何かを買うなんてことをしなくて良かったから。そういう意味では何とかなったのかもしれない。

元々の引きこもりが幸を期した。

それから一年ぐらい経って恋人ができた。年齢もあって結婚したいなと思った。

からそろそろ働かないとと正社員で探そうとしたのに騙された。馬鹿から

総合職業務委託でしたくない仕事をさせられそうになった。やっぱりやべーよと思って二ヶ月で逃げた。

調べたい人は果物訪問販売とかで調べると出てくるよ。それはやってなかったけど同じ系列

でも代わりに業務委託先で拾ってもらったので、そこで真面目に働いた。

したくない仕事を少し我慢してやったら半年しないで事務に移れた。

でも正社員ではない。派遣でもない。アルバイトだった。代わりに在宅でできたので引きこもり生活再開。

貯金はない。なのに金が出て行く趣味を持っている。

恋人には何も言わず結婚してもらった。これがいけなかった。

お金がないよね、と指摘された時にはもう駄目かもと色々なことが頭をよぎった。

けれど結婚したいと思った相手、とても優しい。全然怒らない。だから言った。

「どうするの?」と。

今の会社正社員にしてもらえるか打診して、駄目なら転職する。

その答えはスルリと口から出た。

ということで転職活動をした。

現職は営業が欲しいけど他はいらないとのことで早々に駄目だった。なので切り替わるのも早かった。

まず一つ適当なのに登録してエージェントに依頼。でもエージェント依頼だと企業も厳しいので全然通らない。

からその後は別の所も登録して自分で探したりした。

でも同じ事務仕事だと希望年収に到達なんて全然しない。底辺にもできる仕事と思われてるんだなと悲しくなった。

代わりに、未経験でもエンジニアとして育ててくれるという企業がいくつもあるとのことで、ITを目指すことにした。

何かやりたいことが明確にある訳ではない。でもやるしかない。後がないのだ。

勿論そんな目論見はすぐにバレる。企業HPを読んでも用意したカンペを暗記してもボロが沢山出る。

代わりにオンライン殆ど済ませたので、そういった意味では助かった。仕事を休む必要がなかったから。

そんなこんなで三ヶ月、何十社も落ちたが何とか内定をもらうことができた。

とは言え底辺なので最初業務委託半年、その後で通常の契約社員正社員という流れになった。

拾ってもらっただけありがたいと思うことにして、後は努力する。

実は早い段階でベンチャー企業からもらったが、エンジニアになるまでは契約社員という、当初の待遇と異なったので逃げた。

逃げるのは得意になっている駄目人間である。でもブラック臭いがしたんだ。その臭いに敏感になってるから許して欲しい。

自分が運の良い方かどうかは分からない。たまにSNS転職活動している人を見かけるがどれぐらいやっているのか分からない。

周囲に転職活動している人もいない。なので何も分からないが、こんな底辺でも何とかなると言いたい。

そんでもってこれは転職活動中にクソだと思ったことをまとめる。

エージェントの当たり外れの見分けが付けられない

エージェントから沢山連絡来るけど全然返信ない所とかある。あっちから声掛けてきたんだろうが!!と思うけど

金にならないと判断したら見切りも早い。希望してない職種求人票を一度送ったきり連絡してこない人もいた。

連絡がLINEなのも嫌だった。パソコンで打たせろ。フリック機能よりずっと早く連絡取れるぞ。

でも履歴書職務経歴書面接練習アドバイスをしてくれる点は良かったので、一人二人ぐらいはエージェントを使うのがありだと思った。

底辺じゃなかったらエージェント紹介の企業も通ると思う。底辺は駄目だ。私が生き証人です。書類選考全然通らない。

・連絡が遅い企業が多い

「○○日までに連絡します」で連絡してこない企業がそこそこある。ほんとある。何で?お前らが言ったんだろうが。

こっちは失礼にならないかなと不安になりつつ連絡しないといけないんだぞ、面倒すぎる。

提示した日までにお祈りでも良いから連絡しろ。そっちの義務だろ。

・お説教面接官もいる

圧迫面接なんて言葉があるが、圧迫ではなかったものの一人だけ、お説教面接官がいた。

「なんだこいつ何も知らないんじゃん。俺が教えてやらなきゃ」

みたいな感じで聞いてないこと語ってくる。え、私が話してることと違うけど大丈夫か?

こちらが女だから女性マウント取ってるみたいでちょっと嫌だった。

コミュニケーションが取れるか面接判断しますとか言われるけど面接官がコミュニケーション取れてないと思うよ。

因みにそこからは合否の連絡が来ていない。別に良いけど。落ちたと思ってるし、受かってても入りたいとは思わなかった。

そこの企業だけは入るの嫌だなと思った。

面接に来ない企業もいる

底辺でも書類選考はそこそこ通った。二桁はやったと思う。

でもその中で唯一、企業側が面接をすっぽかした。

オンラインだったので五分前から待機するも始まらず、開始五分後に連絡を取っても来ず、十五分経って席を外した。

翌日になっても連絡はない。こちから連絡しても無視

腹が立って転職サイトにチクった。こちから連絡をします、と。

でもすぐに連絡は来なくて、結局面接予定日の二日後に日本語の怪しいお祈りメールみたいなのが届いた。

そっちがすっぽかしたのに何でお祈りメールみたいなの送ってくるの?と腹が立った。

滅多にないと思うけど見分けられるようになりたい。本当に。

・化粧が面倒

男は楽で良いと思う。髪を整えて清潔にすれば良いから。苦労している人はいるかもしれないけれど。

女は化粧が必須になるので面倒。私服で良いよな所もあったけど、服云々より化粧が面倒だった。

から面接をお昼休憩と仕事後で詰め込むことが多かった。化粧の回数を減らすためだ。

化粧も30分も掛けなければ良いのに何だかんだで一時間以上掛かってしまう。ここだけはどうしようもなかった。

30分以内で終わらせたとしても面倒なことには変わりない。


私と似たような人へ。

こんな底辺でもどうにかなった。君達もどうにかなる。頑張れ。

馬鹿でも何とかなる。こんな馬鹿でもどうにかなった。

クソ企業も沢山あるから気を付けるんだぞ。

追記

業務委託から始まる予定が、なんかかんやあって普通に正社員スタートになりました。

多分良い感じに恵まれてた。勤勉って大事ちゃんと帰社日の集まりに行って良かった。

ありがとう私の運。こういう時にしっかり発揮してくれるのは嬉しいぞ。

それから文章力あるって褒めてくれた人ありがとう趣味で書いている人間だったので嬉しいです。

2024-05-13

カジュアル面談でマジ面談やる会社おすぎンゴねえ

カジュアル面談自体めんどくせーなと思ってるけど

こっちの職務経歴だとか今後の展望だとかをこの段階で根掘り葉掘り聞いてくる会社おおすんぎ

そのあと書類選考があって、さら面談があって同じことやるの。

さては非効率会社だな?

2024-05-12

空白12年35歳パートタイマーワイ、派遣2件に書類選考でお祈りされて考えを改める

こちらとしては派遣先が決まってからバイトを辞めたいんだが

退職までに間が空く就業中の身だと派遣屋も推しづらいらしい

というわけでWワーク半年やって金ためて退職して万全の体制派遣もしくは期間工に行くことにしたぜ

辞めた後に派遣でお祈りされ続けるようなら泣くけど

とりあえずこどおじパワーで半年で60万貯めるぞォォォォォ!!

はよ猫飼いたいわガチ

2024-05-09

anond:20240509160747

ちなみに今都内正社員求人資格学歴経験不問、場合によっては書類選考ナシで年間休日120日で月収25万円ザラだから

年齢は企業によるが40歳までもあれば60歳や65歳まで(実質不問)も当たり前にある


経験付いてくると最低でも年収ベースで400万円からが多い

スペシャリストだと初任給から月60万円とかもある


年収が少なくて困ってる人はマジで上京視野に入れて求職活動しろ

マジで生死に関わる問題から

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