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はてなキーワード: 粒度とは

2024-08-30

マメリュウエラーエラーメッセージは正しく出して

デロンギの全自動エスプレッソマシンで「マメリュウエラー」というのが出る用になってしまった。

説明書には「コーヒー豆ミルの細かさを粗くする」と書いてあるんだが、最も粗くしても駄目。さらに内部洗浄でもエラーがでる。コーヒー豆が入ってないのに粒度ってどうしろと?

調べると、これは、お湯を供給する部分のお湯の流量センサーがあり、それがお湯の流れを検知しない場合に出る物らしい。

エラーメッセージは正しく出してほしいわ。


と言う事で真の対処はこう

・Oリング膨潤などしてギスい場合、お湯漏れがあるような場合には、Oリングの交換

  • それでも駄目ならパネルを外して分解清掃がいるらしい

幸いにして俺はOリング交換まででなんとか住んだ。

ここまでやると、抽出ユニットの滑りがかなり軽くなってる。

ただデロンギはすごいな。もう10年以上使ってるエスプレッソマシンだけどまだパーツ買えるんだもの。ありがたい。

anond:20240830153700

お前はしてないだろうが、俺はそういう話をしてるんだよ

数学やら科学客観性を追い求める分野であり、「単語粒度」なんてのは研究範疇にはねぇから

俺の話をちゃんと聞こうね👍

anond:20240830153353

粒度を揃えなければならないという話に客観性存在しない

anond:20240830153143

並べた単語粒度は揃えなければならないなんて決まりがあるのか...知らなかった

まりはないけど揃ってないと素人臭く見えるっつう話をしてるんだが

anond:20240830151223

並べた単語粒度は揃えなければならないなんて決まりがあるのか...知らなかった

anond:20240830151223

粒度?なんでいきなり粒度の話になるの?

分野の話だよね?

anond:20240830150611

素人臭いでしょ。

特に超弦理論」と並べてるあたりとか。

粒度バラバラすぎるんだよね。

2024-08-29

こどもが一歳になった。もとい妻に恨まれない産後の過ごし方について

産後の恨みは一生とかなんとかというポストが荒れているので、ここぞとばかりに自分体験を投下する。何かの参考になれば(特に妻の出産を控える夫よ)と思いつつ、実際は自己顕示欲を満たしたいだけなので好き放題書く。

さて、自分は約1年ほど前に妻が初産した夫の立場だ。

妊娠発覚

フリーター自分正社員計画妊娠ではない。とりあえず安定期に入るまでは静観。心拍確認できた(妊娠2ヶ月くらい?)段階で両両親に報告。

妊娠期間

互いに仕事に余裕があり融通が効いたので、1,2ヶ月ごとの検診に必ず2人で通っていた。この時期のデートは専ら病院から始まる。医療の民に色々聞きながらぼちぼち出産準備を進めることに。

互いに実家から遠く離れたエリア暮らしていたので、ゼロから2人で情報を調べ始めた。身内の経験者にソースをあたれないデメリットはありつつ、変にバイアスからずよかったとも思う。実際自分の両親世代情報は古いものだったりギャップのあるケースも少なく無いので、情報ソースはまず医療関係者、そして身近で出産経験のある友人を頼ろう。親は目の色変えて口出そうとしてくるに違いないが、心を鬼にして病院自治体に頼るんだ。

しかしまあ、人によって出産体験十人十色で、時に癖の強い看護師なんかは平気でやばいこと言ってくるケースもある。調べすぎは禁物。ちなみにその時妻はインスタで妊婦が絶叫する動画を漁り、こえーとかいって鬱になっていた。誇張抜きに、100人居たら100通りの出産体験がある。肝に銘じよう。

妊娠中は母体メンタル不安定になるケースも多いらしいので、とりあえず全力フォローだ。妻を救えるのはお前しか居ない。

自分はというと、特段変わらず普段どおり過ごしていたように思う。今となっては記憶は朧げだけど。妻は一時つわりがしんどそうだったものの、その期間を除けば概ね普段どおり。予定日の3ヶ月前くらいまでは働いていたような気がするし、もともとお互い飲み歩いたりする性分でも無い。

早めに仕事の終わった妻は、歩いて近所のスーパーへ買い物へ行き、カフェで甘いものを食べるのをささやかな楽しみにしていた覚えがある。帰って一緒に料理を使って、一緒に食べて、ベッドで寝ながら映画を見て眠る日々がとても幸福だったことを覚えている。

自治体サービス

すごい手厚い。母子手帳妊婦検査健診補助券、出産一時金、小児医療助成児童手当、その他報奨金・補助金。色々あるぞ。すごいぞ。絶対活用するんだ。申請は全部お前がやれよな。妊婦の手を煩わせるな。

出産

妻は無痛分娩を望んだが、近所に対応している病院が少なくやむを得ず普通分娩に。ちなみにいわゆる無痛(麻酔)が良いなら、妊娠発覚時点で即座に実施しているすべての病院ローラーして予約すべし。首都圏競争激しいし、地方地方そもそも対応している病院が少ない(産婦人科医だけでなく麻酔医が必要らしい)ので結局激戦だ。その際夫が電話しても妊婦から直接電話くださいとかクソみたいな仕様があったりもするが、めげずに電話をかけまくるんだ。無痛分娩にも、自然陣痛を待ってから麻酔をする場合と、あらかじめ出産日を決めて強制的に産ませる計画分娩がある。詳しくは調べてくれ。ちなみに自然陣痛を待つ場合陣痛の進捗が遅れると余計に課金されるクソみたいなシステムもあったりするので把握しておこう。妻じゃなくてお前がだ。

余談が過ぎた。で、結局普通分娩を渋々選択した妻は予定日を2週間過ぎたあたりで強制的入院となった。陣痛が来なくて予定日を超過すると、胎盤のパワーが劣化して胎児危険が及ぶらしい。なので薬剤を投与して強制的陣痛を促す。ただ、陣痛が起こるだけでは赤子は生まれない。なぜなら陣痛の進捗と並行して子宮口を開く必要があるからだ。子宮口が開いていないと陣痛を起こしたところで赤子は出ずにケツが裂ける。妻の場合子宮を柔らかくする錠剤を飲んで経過観察、効果が思わしくないのでバルーンという風船的なもの子宮口に挿入して強制的に拡げること一晩(ちなみにこれが痛みを伴うという人も居る)。ようやく子宮口が開き始めたので翌朝に漸く陣痛促進剤の点滴を開始。このタイミングで自宅に待機して無限ゼルダをやっていた自分召喚。立ち合いのもと出産に臨むことに。

で、結論から言うと、立ち会いの経験については特に書けることはない。というのも促進剤を打ってから3時間というスピード出産であっという間に超絶安産に終わってしまたからだ。勇んでテニスボールを持参し全力サポートする構えでいたが、ぶっちゃけ出産立ち会い時に夫にできることは無い。自分のやったことと言えば、陣痛の波に合わせてテニスボールを全力で妻のケツに押し当てて効果がないと文句を言われる。痛みで妻が暴れるのでベッドの手すりにクッションを置く。分娩室に移動する際に使い捨て割烹着みたいなエプロンを逆に着て看護師失笑さらう。妻の口元に水分補給用のペットボトルを持っていくがストローが無いので役に立たない。そうだ、ストローは持っていけ。

なので、ただただ自分の無力を悟る一瞬の3時間だったが、人によっては24時間以上かかることもザラなので、とにかくそばにいること、無力感に苛まれながらも全力で妻を支える気持ち、あと絶対に寝ないことが大切なのだと思う。知らんけど。

産後

妻は4泊くらい入院して母子共に問題がなければ自宅に帰される。その間に妻は体を療養しつつ、満身創痍の体で看護師から母乳とか沐浴など一通りの訓練を受ける。自分場合は運良く個室に空きがあり、夫も泊まって良いとのことだった(無論育児指導も一緒に受けた)ので、妻と同時にスタートをきれた。あと妻はミルク育児(いわゆる完ミ)を希望しており、看護師に渋い顔をされながらも鋼の意志出産したその日のうちに乳を止める薬を飲み、初乳をあげることもしなかった。自分としてはなんだかなあと思いつつ(本音を言えば乳をあげる妻の姿を見たかった)も、即ち育児を全て自分ができることになるので、妻は自分の療養に専念できることを思えば悪くない。実際に退院後は大部分の育児自分が行い、今もそれは変わらない。

育休

自分は超絶ホワイト企業に勤めていたので、妻の出産予定日以降は会社休み、妻の出産後に即1年間の育休を取得した。初産だったこと、会社の融通が効いたこと、両親のサポートが得られない事情から、互いのリソースを全て来たる赤子に全力を注ぐ体制で望み、結果として夫婦不和などもなく、1年をクリアすることができた。他所死ぬほど書かれているかと思うが、とにかく夫は仕事を休め。育休を取得しろ。育休は権利。育休制度もいくつか選択肢があり、ややこしかったりするので(会社の人事も制度を全て把握しているわけではない)事前に調べて取れる選択は全て検討すべし。

新生児

新生児ほとんど寝ている。3時間ごとにミルクを飲んで寝る。泣く。うんこをする。おむつを変える。ミルクを飲む。寝る。泣く。風呂に入れる。ミルクを飲む。寝る。というルーティーン自分場合特に時間の分担は決めていなかった。新生児もそうだが、それ以上に妻の回復が最優先ということで可能な限り自分が行っていた。といっても妻は元気そのもので、退院翌日にケツから血を流しながら自動車運転美容室に髪を切りに行ってた。本当はブリーチたかったけど産後は禿げるから美容師拒否されたらしい。ハゲてもいいのでやってくださいって言ったらしいけど無理だったって。当たり前だろ。

いや、止めたよ。全力で。絶対に行くなって。行ったら死ぬって。安産だったけど無理矢理いきんで出したか出血がひどく股が裂けて何針も縫ったって。けど狂人には何を言っても無駄だった。結局傷が開いて痛えとか言っていたけど。出血産後1ヶ月くらいは続き、妻の産後に最も辛かったことを聞いたら退院後1週間溜めた特大のうんこをひり出したことだってさ。妻が超人でよかった。

通常は母体が元に戻るまで半年とか1年かかる場合もザラにあるらしいのでとにかく母体を気遣えと。産後骨盤がゆるゆるらしいので、歩行もなるべく避けた方が良いのだとか。

完全母乳場合、この時期に病む母は多いと聞く。なにせ満身創痍で初めての3時間おきにミルクをあげるぐにゃぐにゃの今にも死にそうな謎の生命体の世話を強要されるのだから。乳も初めは出ない。乳を出すのにも訓練がいる。いまだに母乳信仰は根強いが、躊躇なくミルクを使え。ミルクなら父でもあげられる。そしてとにかく母体を守れ。子より母だ。頼れるなら両親でも親戚でも友人でもなんでも使え。産後母体負担を減らすことに全力だ。ここさえ乗り切れさえすれば、妻に以後何十年も三行半を突きつけられることは無かろう。え?そんなの無理だって馬鹿野郎。このご時世に1ヶ月すら休めない会社なんて辞めちまえ。

その後

赤子はすくすく成長するが、基本的ルーティーンはさほど変わらない。子育てをする上で気づいたことは、子育ての適性の有無が難易度を大きく左右するということ。例えば子ども泣く→おむつを変える→ダメミルクを飲ませる→ダメ→寝かしてみる→ダメ→あやす→気晴らしに外に連れていく→ダメ→車に乗せる→ダメ風呂に入れてみる→ダメ放置する→以下ループみたいな事態が発生するが、この辺りの試行錯誤を労せず淡々とこなせる人間がいると極端に難易度が下がる。昆虫少年で何かと生き物の世話が得意だった諸君、君たちは有望だ。夫に育児を望む女性は、交際相手に幼少期にペットの世話をしていたかどうか聞いてみるといい。

ちなみに参考にはならないが我が子は生後1ヶ月で毎日6〜8時間まとまって夜に寝ていた。妻もエリートなら赤子もエリートだ。新生児期を除けば、産前よりもよっぽど我々は寝ていた。一応、申し訳程度に自然光のサイクルに任せて日没後は間接照明で過ごすとか、ベビーベッドで1人で寝かすなどの試みはしていたが、実際のところこれは赤子そのもの個性に寄るところが大きいと思う。寝ないやつはマジで寝ないらしい。3ヶ月目には暗い部屋でベビーベッドに放置すると1人で寝るようになり、寝かしつけが要らなくなった。6ヶ月目には1人でミルクを飲むようになった。夕方、眠そうなタイミングを見計らって風呂に入れ、服着せたらミルク渡してベビーベッドに転がしとくとほとんど朝まで寝てる。

これまで散々煽っておきながら、自分はいまだに育児に困難を覚えたことが無い。妻はというと、赤子の鳴き声が黒板をキーキーされる程度にイラつくらしいので、赤子が泣き止まない頃はよくキレていた。適性大事。あと赤子の性質。その意味SSR引いた自分に言えることは何も無い。まあ、必要以上に不安を煽る記事も多いので、育児余裕だったという例もあるということで。

離乳食

最初から変に気合い入れて手の込んだ料理を作ろうとするんじゃないぞ。いいか大切なことを言うぞ。

離乳食は「食事」ではなく「食べる練習」だ。肝に銘じろ。6,7ヶ月くらいから始めるのが一般的だと思うが初めはろくに食べられない。食えたところでどのみちろくに消化できない。消化器官や腸内環境だったりが未熟だから大人のように消化吸収できるわけではないんだ。ならばなぜ食べさせるのか。そう、食べる練習だ。大切なのは、柔らかさと粒度、そして粘度だ。それが備わってさえいればゴムでも紙でもなんだっていい。味なんてどうせ初めはわからん

お前が食っている時なんて何も意識していないだろうが、初めての人間にとってはどうやら複雑な作業らしい。まず食材を舌に乗せる、そして舌で喉に送る、そして飲み込む。この三段活用にそれなりに反復作業必要なのが赤子という存在だ。だが安心しろ、誰もが初めからできたわけじゃない。お前だってそうやって練習してきたんだ。いずれできるようになる。まず赤子を観察しろ。どこのプロセスで詰まっているかを想定してトライアンドエラーを繰り返す。もう一度言う。柔らかさ、粒度、そして粘度だ。毎回少しずつ変えて、こどもの様子を観察しろ。それをひたすら続けるんだ。食材や味にこだわるのは、まず赤子が固形物を難なく飲み込めるようになってからで遅くない。

これまでエリート面してきた我が子もそれなりに苦戦したくらいだから離乳食で苦労する親は多いと思う。結局いまひとつうまくいかずに自治体相談したら、やたら癖の強いスパルタなオバはんが出てきて事細かに教えてくれた。困ったとき自治体を頼れ。

保育園

これ、実は妊娠発覚時点から活動(いわゆる保活)を進めるべき案件。マジだよ。保育園は神。えー、3歳まではやっぱり自宅でみたいなあとか悠長なことほざいてるお前。お前だよ。今すぐ自治体webサイトを漁って保育園を探せ。そして見学に行け。産後戦争から余裕のある今のうちにやっとくんだ。絶対だぞ。ちなみによほど田舎でなければ、基本的には共働き+両親が同居ないし近隣に住んでいないことが公立保育園利用の最低条件となる。競争率の高い自治体によってはそれでも収入が高かったりすると平気で落としてくる。出産時期によっては最も入園確率の高い0歳児の4月入園できないケースもある(つまり10月くらいには産まれてないといきなり苦戦を強いられることになる)が、毎月自治体が欠員を公開しているので、めげずにトライだ。もしどちらかが育休中や無職場合ダメ元でも就職活動中として無理矢理にでも入園できる可能性を追うべきだ(その場合入園後3ヶ月以内に就職することが条件)。入園希望は第10希望くらいまで書けるだけとりあえず書け。

ちなみに公立保育園情報はまともな自治体なら事細かに情報を公開している。23区内なら、例えば片方働いて20点、両方なら40点、その他の加点や減点要素、この保育園に入るなら最低41点は必要ですよ、みたいな情報を親切に公開してくれていたりもする。が、とにかく資料が難解で理解するのには訓練が必要だ。法律の条文や自治体の公開している公募要領だったりを難なく読めるスキルがあればそんなに苦労はしないと思うが、常人には難しい。理解させる気さえないと感じる。逆に、多くの人がろくに読解していないとしたら希望はそこにある。高学歴増田諸君であれば多少の苦行を受け入れさえすれば難なくこなせる範囲だろう。

保育園復職するのにはもちろんのこと、こどもの遊び相手だったり退屈しのぎだったり新しいことを覚えてくることだったり良い点は書ききれないほどあるが、自分が一番助かったと感じるのは食事だ。0歳児入園場合食事も当然こども用に作る必要があるのだけど、これをおやつも含めて1.5食分、しかも豪華で自宅ではとても作れないクオリティで出してくれるのが保育園。これには本当に助かってる。真っ当な大人がこどもの面倒見ながら自分の他にこどもの食事を2食ないし3食作って仕事してとかどう考えても無理だから復職たかったら全力で保育園に入れろ。いやむしろ保育園に入れるために復職ないし就職しろ

我が家は無事10ヶ月で保育園入園をキメ、妻は就職し、超絶ホワイト企業に勤める自分はフルリモートで働き、食事を作り、保育園の送り迎えをする菩薩のような父業をしている。無論、妻の方が圧倒的に収入は高い。

大丈夫保育園に通わせても十分こどもと遊ぶ時間は作れるから。どうせ入園して半年くらいは毎週のように病気もらっていくらでも病院連れてってあげられるし自宅療養できるから安心して保活に全力ベットしてくれたまえ。

1歳

だいぶ人間になってきた。人によっては歩くし、意味のある言葉も発するし、芸もいくつか覚えるし、意思疎通もできたりする。喜怒哀楽がはっきりある毎日楽しそうに暮らしてる。当たり前だけどみんな個性バリバリ。いいぞこどもは。おもろいぞ。

これまでこれといった危機も苦労もなくやってきたけど、この先も色々困難はあるだろう。これからが本当の地獄だ...って多分先輩諸兄は誰もが言うだろう。そしたらその先をぜひ増田に書いてくれよ。みんないろんな体験談を読みたいんだ。

長くなったが以上だ。参考にならないって?冒頭に書いた通りだ。妊娠出産もこどもも妻も夫も十人十色。あー、本当に育児体験てなんてのは全く参考にならないね。みんな頑張れ。そして楽しんで。妻(夫)を大切にな!

2024-08-27

anond:20240827035638

粒度とかね

必要があるから手段表現)が生じるわけで

口真似で乱用してるのがウザいからって表現自体を目の敵にされても

2024-08-08

ソフトウェア開発で誤解されてること

開発期間は見積もりできる

できません

数学証明問題を解いているようなものなので

「この3問を解くのにかかる時間は?」

とか聞かれても

「5分で解けるかもしれないし3時間かかるかもしれないしそもそも解けないかもしれない」

という答えになります

「xに1から順番に100ぐらいまで代入したら証明できるよね?」

みたいなこと言う人いますが、それは証明になっていないので後々困ることになります

とはいえ、なんとなくの経験

「この辺をこうしておいて、この場合だけ別途証明して、ここはこうすればいけるかな?」

という感じでざっくりの見積もりは出せますが、5分か1時間か、ぐらいの粒度しか出せないし

大半の場合はハズレるし下手すると大ハズレするので意味がありません

「あの部署ちゃん見積もり出してくるけど?」

とか言ってくる人いますが、見積もりを出してくるソフトウェア開発会社部署

「かなり多めに見積もって遊んでる」

中途半端実装してテストだけ通してリリースしてる」

のどちらかです

テストが不十分だったりセキュリティ脆弱性を抱えていたり拡張性がなくて結果的にはゴミになるか追加費用が発生するかのどちらかです

動くことが大事で綺麗さは趣味

コードの綺麗さは趣味ではありません

そもそもクソコードと呼ばれるコードは本当にちゃんと動いているのかどうかが分かりません

綺麗なテストが書けるならテストを通過するコードは動いていると言えます

そもそも綺麗なテストが書けるような仕様ならクソコードになりません

大半のクソコードそもそも仕様曖昧状態で、その曖昧状態コードに落とし込むのでクソコードになります

なのでバグがあるかどうか判別できず、本当に動いているかどうかを保証できません

型があるような言語を使っていればインタフェースキッチリ設計してある程度保証できます

型が無い言語地獄コードを1行ずつ読んでメモしていかないとバグがあるかどうか分かりません

最近だとChatGPTなんかのLLMを使うことでその辺はかなり楽になりましたが

綺麗に書かなくて良いわけではありません

ソフトウェア開発者は育成できる

できません

その辺の企業一般社員プロ野球選手に育成しようとしているのと同じレベルで出来ません

最初からプロ志望で社会人野球枠で入社してきて仕事はそこそこに毎日トレーニング試合をしてるような人で

その中でもほんの一部の人プロになれます

そのぐらいのレベル投資しないと育成できません

また、そのレベルであっても、せめて「野球甲子園行きました」レベル人材必要

大学に入ってから野球を始めました」

趣味野球やってます

みたいな人がプロレベルになれるわけがない、というのが現実です

ソフトウェア開発者100人育成!」

教育プログラムを充実!」

とか言ってる会社が多いですが、育成するぐらいなら他から選手集めてきてチーム作る方が早いし安上がりです

ちなみに日本ソフトウェア企業の大半はこのプロレベルに到達しておらずほとんどが草野球レベルなので

そういった企業を使って大リーグ試合しようとしている大企業現実を見つめ直した方が良いです

2024-08-07

anond:20240807110751

マニュアルというのは普通に広範な意味があるので

経営理念戦略レベルの話から始めて

それらを意識して行動しろよって粒度のものもある

anond:20240807110413

マニュアルってそうじゃないのか?

とりあえずまともな人間が1から順番に脳死で指示に従うととりあえずの結果が出力できるように作るものだと思ってた。

もちろん現場で共有されてる知識粒度に合わせて多少の省略がされててマジの新人だとできないこともあるけど。

それぞれの工程意味について考えるのは次のステップでそれも大事だけどそれマニュアルでは無くね?

2024-07-19

anond:20240719110913

あ、ありがとう

データ数が少ないのがちょっと気になる(GDPは年4回計算されるので、それぐらいの粒度データが40年分ぐらいは欲しい)が、

円安になるほど景気がよくなる、という関係GDPデータに限って言えばありそうだね...。

もちろん、「相関は弱いため、他の要因も大きく影響していると考えられます。」と書いているように鵜呑みはできないが元増田の主張の真実性は少なからずあるかもしれないね

2024-07-16

anond:20240716210240

商売とかスポーツとか人間関係は指すものが広いしその中でいろんな物語が作れるじゃん

セックスってどこまで指すの

ナンパとか風俗とか不倫を通じて成長でも良いの?

スポーツで言うなら、「サッカーを通じて人間的に成長」じゃなくて「リフティングを通じて人間的に成長」って言ってるような粒度の違いを感じる

2024-07-11

anond:20240710230744

基準は「やらなければ死ぬ前に後悔しそうなこと(ああ、もう死ぬんだ…あれやっておきたかったなぁ…と思いそうなこと)」。

方法はこんな感じ。

リストにしようと決める。

・思いつくたびにスマホ等にリストアップしていく(デジタルなら項目の入れ替えが簡単なので、これは紙よりデジタルが良い)。

・願望には粒度がある(大それたものもあれば些細なものもある)が、何を一つとカウントするかは主観で良い。

・数時間かけると一気に50個くらい思いつくが、その後はぽつぽつと思い浮かぶ程度。

・2週間くらいでこれ以上思いつかないな、となった。

・だいたい100個ちょっと

リストアップしたものを分類整理する。

・すると、現時点での自分がおおよそ何に価値見出していて、何をしたい人間なのかがわかる。

・したいこと同士の関連性は自分にとってのみ意味を成す。

リストができたら、その中から[インパクトが大きい×賞味期限が近い]ものを選んで、優先的に実行に移していく。

私の場合は、「○○を買う」のような事柄はしたいことには含まれていなかった。

死を前にして、「あれ買っておけばよかった…」などと思うはずもない。少なくとも私はそう。

「○○に行って△△をしたい」、「○○をつくりたい」、「○○を極めたい」などが多い。

「(ごく親しく感じている人間)と~をしたい」も少ないながらあった。

「○○をして△△に貢献したい(喜んでもらいたい)」などと殊勝なものも多少はあり、

犯罪ではないが、実現しても誰にも言わず秘密にして、記憶だけを墓場まで持って行きたいような願望もある。

リストはこなし切れないかもしれないし(例えば、極めたい系の願望は果てしがない)、こなし切れるかもしれない。あるいは、項目を入れ替えたくなるかもしれない。

全て問題ない。ポイントは、少なくとも自分意識にのぼる範囲で、自分がしたいと思っていることを把握していて、

毎日ちょっとずつでもそれを実現するように歩いていくこと。そうしている間に、いつか死ぬ。それで良い。

2024-06-18

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

2024-06-17

犬、猿、キジキジって鳥じゃねえの?と思ってた自分バカだった

哺乳類イヌ目、哺乳類サル目、鳥類キジ目と粒度で見ると正しかった

2024-06-14

学術会議学術の動向』のタイトル傾向を全集計したよ!

id:muchonov が言うから手で集計してみたよ!

ジェンダー」は「災害」と同じくらい、「医療人間」「歴史政治・国際」より下位、「エネルギー」「化学生物」より上位だったよ。重要話題だけど「多すぎ」とは言えない感じがするね!

全体に文系の人文社会寄り、理系医学環境エネルギーとかかなり応用に偏ってるよ!

テーマ個数
学術教育177
環境54
社会51
医療人間50
歴史政治・国際41
ジェンダー34
災害34
エネルギー20
化学生物19
工学18
情報18
こども16
人文16
物理10
総計558

図らずも AI分析させてみた https://anond.hatelabo.jp/20240614184736 とだいたい同じ結論になったね!

やっぱり日本学術会議っていらないんじゃね? https://anond.hatelabo.jp/20240614050020

[B! 日本学術会議] やっぱり日本学術会議っていらないんじゃね? https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240614050020

方法

http://jssf86.org/doukou.html

1996~2024学術の動向』の掲載タイトル個人感覚勝手に1タイトル1ジャンルに分類して集計したよ!

個人感覚 なので粒度バラバラだよ!

たとえばふつう

みたいな階層になると思うけど、集計しやすい数が出そうなトピックチェリー・ピッキングしたよ!

かんたんにわかりにくいやつの分類の基準
学術教育
文字通りアカデミアの話。大学とか会議とか科学教育のあり方とか。
環境
環境問題系と地学海洋学農学
社会
おもに国内問題政治とか経済国内の話ならここに入れた。
歴史政治・国際
おもに国際の話、近現代史の話、主義の話。
災害
「災」と明確に書いてあるもの原子力関連はブレがあるけど。
エネルギー
主に原子力とか新エネとか。「災害」や「社会」とカブる部分がある
ジェンダー
だいたい他の「社会」「学術」「災害」とかとクロスオーバーするんだけど、「ジェンダー」「女性」「男女」があれば優先してこっちに入れた。
こども
教育のうち初等~中等はこっちに入れてる
年代別に見た所感

偏りは、ありまぁす!

おもしろいよ。何に危機感を持ってるかわかる。

1996~1997

学術教育話題ばっかり。おもに業界報告。たまにホットめな話題はさみ込む。なお初年度からジェンダー」「環境」はトピックとしてずっとある

1998~1999

突如やる気を出す。業界の話は半分くらいに、クローン羊ドリーとか社会的にホット話題をまんべんなく取り入れ始める。

2000~2006

なぜか2年でやる気を失う。「21世紀の〇〇」みたいなデカタイトルつけてアカデミアの話ばっかり。ITの話とか入ってくる。

2007~2010

とは言え徐々に社会的にホット話題が増え始め、このあたりになるとゲノム系の話とかグローバリゼーションの話も多くなる。

2008年辺りから年間24テーマに。

20112014

東日本大震災以降、大きく流れは変わる。

「この災害に対し知はどうすんねん」というモードに。

災害エネルギー

災害農学

災害医療

災害地域社会

災害ジェンダー・こども

という感じで、これまでは各学問個別に話をしていたのが一気に学際的になる。

2014~2016

災害は引き続き大きな柱でありつつ、より2024へ地続きな社会課題が出てくる。こども、アジア環境福祉ジェンダーなど。

20172019

小保方さん騒動に影響を受けたのか、学術教育系の話が多くなる。あとはスガからの締付けがきつくなってたのか。

20202024

コロナ禍以降。医療、化け学系の話は確かに増えるが、震災ときと同様、疫病からくる社会不安への対応とか学際的な話の仕方のほうが多い。あとSDGs系に絡めた話も。

行ラベル個数 / テーマ
1996年  (第1巻)10
ジェンダー1
医療人間2
学術教育5
環境1
工学1
1997年  (第2巻)13
学術教育10
環境1
歴史政治・国際2
1998年  (第3巻)13
ジェンダー1
化学生物2
学術教育4
環境3
社会3
1999年  (第4巻)14
医療人間1
学術教育5
環境2
社会2
情報1
人文1
歴史政治・国際2
2000年  (第5巻)15
ジェンダー1
学術教育12
災害1
社会1
2001年  (第6巻)17
エネルギー1
こども1
医療人間1
学術教育10
環境2
情報2
2002年  (第7巻)17
ジェンダー1
医療人間1
化学生物2
学術教育9
社会3
歴史政治・国際1
2003年  (第8巻)14
ジェンダー1
学術教育9
環境1
社会2
情報1
2004年  (第9巻)20
エネルギー1
ジェンダー1
医療人間1
学術教育13
環境2
社会1
歴史政治・国際1
2005年  (第10巻)19
ジェンダー1
医療人間1
学術教育9
環境1
災害1
社会1
情報2
物理1
歴史政治・国際2
2006年  (第11巻)20
ジェンダー2
医療人間4
学術教育10
環境2
社会2
2007年  (第12巻)21
こども1
医療人間4
化学生物1
学術教育5
環境1
災害1
社会3
人文1
物理1
歴史政治・国際3
2008年  (第13巻)24
ジェンダー1
医療人間4
化学生物1
学術教育4
環境3
工学2
社会4
人文3
歴史政治・国際2
2009年  (第14巻)23
ジェンダー1
医療人間2
学術教育9
環境3
工学1
社会2
情報1
歴史政治・国際4
2010  (第15巻)22
エネルギー1
こども2
ジェンダー2
医療人間2
化学生物1
学術教育3
環境4
工学2
社会3
情報1
物理1
2011  (第16巻)22
ジェンダー2
医療人間2
化学生物1
学術教育3
環境1
工学1
災害2
社会1
人文3
物理1
歴史政治・国際5
2012  (第17巻)25
エネルギー1
こども1
医療人間4
化学生物1
学術教育5
環境3
災害6
社会1
情報1
歴史政治・国際2
2013年  (第18巻)24
エネルギー2
ジェンダー2
医療人間2
化学生物1
学術教育3
環境2
工学1
災害9
社会1
物理1
2014年  (第19巻)26
エネルギー2
こども1
ジェンダー2
医療人間3
学術教育5
工学1
災害5
社会2
物理3
歴史政治・国際2
2015年  (第20巻)25
エネルギー3
こども2
ジェンダー1
医療人間2
化学生物2
学術教育4
環境3
工学1
災害1
社会1
情報1
人文1
物理1
歴史政治・国際2
2016年  (第21巻)27
エネルギー3
ジェンダー2
医療人間2
化学生物1
学術教育4
環境2
工学1
災害3
社会3
情報2
人文1
歴史政治・国際3
2017  (第22巻)28
こども5
ジェンダー3
医療人間3
学術教育6
工学1
災害2
社会3
情報1
人文1
物理1
歴史政治・国際2
2018年 (第23巻)24
こども1
ジェンダー2
医療人間1
学術教育7
環境6
災害1
社会4
人文1
歴史政治・国際1
2019年 (第24巻)24
エネルギー1
ジェンダー2
医療人間2
化学生物2
学術教育8
環境4
工学1
災害1
情報2
歴史政治・国際1
2020 (第25巻)21
エネルギー4
ジェンダー1
医療人間1
化学生物3
学術教育4
環境1
工学2
社会2
情報1
人文1
歴史政治・国際1
2021年 (第26巻)16
ジェンダー1
医療人間2
化学生物1
学術教育3
環境2
災害1
社会2
人文3
歴史政治・国際1
2022年 (第27巻)22
エネルギー1
こども1
ジェンダー2
医療人間3
学術教育4
環境3
工学2
社会2
情報1
歴史政治・国際3
2023 (第28巻)10
こども1
ジェンダー1
学術教育4
工学1
社会2
歴史政治・国際1
2024 (第29巻)2
環境1
情報1
総計558

2024-05-25

質問最適化AIが欲しいか

chatGPT等の文章生成AIが凄く便利になってきた。

とはいえ、まだ間違ってたり雑な回答がでることも多い。

質問のしかたに上手い下手があり、ここで作業効率が大きく変わってしまう。

欲しい回答の粒度なんかを別途設定することで、質問文を最適化するAIみたいなのがあるといいな

2024-05-06

anond:20240506102746

コーヒー豆ってこだわり出すとパラメータが多過ぎて

正直なところ豆の産地だけ取り出しても参考にならんなと思ったりする

アマチュア愛好家ワイの感覚で言うと

①豆を焙煎したタイミングと挽いたタイミング

②豆の焙煎具合と挽き粒度バランス

③豆と湯の量のバランス

抽出時の湯の温度

⑤豆自体香りや酸味の好み

あたりがコーヒーの味に関わるパラメータ

若い番号ほど味に影響する度合いが大きい(異論は認める)と思うんだが

豆の産地の話って⑤の一部なので

から④までについて自分好みの店やメソッドを見つけるのが先なんじゃないかなあ

ワイに言わせれば②や③が全然なってない喫茶店も多い

好みの問題もあるとはいえ流石におかしいだろって店もあるんだよね

まあ家で淹れる人なら①の解決のためにいいミルを買うところからかな…

2024-04-28

4月末で、クソみたいな先輩が辞めた!

興奮してこんな時間になっても眠れない。

最終出社日に、本当にお世話になりました。まだ教えていただきたいことが沢山あったのに残念です、と心にもないことを言えた私偉い。

本当は、イェーイ!転職してくれてサンキュー!と思っていたよ。

印象に残っている先輩の姿

挨拶はもちろん返してくれない

・5分前に届いた急ぎでもないメール対応アンケート回答)をしていないことを大声で責められる

・にもかかわらず、普段チャット返信は半日

ダメ出しは鼻で笑いながら、「考えればわかるでしょ」のみ

会社独自書類に、どの程度の粒度で書くのかを聞いてもこれ以上の回答はもらえない

・同じ作業でも「少しは自分で考えて動いて!」「必ず私に確認をとって!」が日によって変わる

・仕方がないので、作業内容をチャットで報告して対応するようにしたら「なぜ報告するのか。平社員の私に報告は必要ない」

・先輩が仕切る会議当日に休む。資料の状況をチャットで聞いても無視会議はなんとか回した。

・翌日何食わぬ顔で出社。ありがとうとか、ごめんねとかそういう類の言葉は一切ない。それどころか、会議の結果をなぜ報告しないのかと催促された

など、人間性に難がありすぎて、平常心で仕事を教わるのが非常に大変だった。

中途入社だったので「やべえ人だな、上司に適宜状況伝えとこ」で乗り切れたけど、新卒だったら潰されてただろうな、と思う。

そんなひどい人を採用してくれた会社には感謝しかない。アルムナイ制度で戻ってこないことを祈ってる。そちらで定着してください。外に出さないでください。

先輩、新しい会社でも、不機嫌で、腫れ物扱いされる女王として君臨してくださいませ!!お元気で!

2024-04-03

anond:20240403164252

同感だけど、ハロワ区分がそれしかないのでどうしょうもないわ。

「IT技術関連」とは・・・ 電子計算機製造技術者、半導体製品製造技術者、電気通信技術者、システムエンジニアプログラマー

だそう。これが最も粒度の細かい分け方。

せめてハードソフトは別けてほしいし、その方が実態を現してて職業訓練とかの参考になると思うんだけどなあ。

2024-03-18

anond:20240318010559

具合の悪い人に対して病名を洗い出して実現可能治療方法があれば提供するのが医療(笑)じゃないのか

くらい的外れだな

お、粒度細かく嫌味を言うようになったな。

的外れとした意味説明してごらん。

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