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はてなキーワード: 判事とは

2020-05-29

https://anond.hatelabo.jp/20200529015547

 日本人数学先生がもういないというのは、要するに、日本人としての自覚がありながら(罪人で色狂いで幼稚な女性器)数学

自然と始めた結果、他の日本人にも数学を教えることができるような人が今はいないということで、もちろん、日本人として数理科学をやって

なければ日本人若い学生にも教えることができないからそんなもの先生と呼ぶに値しない。そして現在の数理科学科では、作り物で

見世物ゴミが授業してるふりをしてるだけで、学生数学を教える能力はない。

   東大法学部に関して言えば、こないだ卒業生として参観に行ったが、刑法の橋爪が、独りで刑法理論独り言をいうのにはまっていて何も教えていないし

学生も聞いてないし数年前まで東大法で行政法担当し、現在最高裁判事に抜擢された宇賀克也も教壇でブツブツ言っていただけだし学生に買わせている

行政法判例集も背景が枯れていたりガラクタ判事が書いたものばかりを採用していて学生も授業で読むふりをしているだけで誰も読んでいない。

2020-05-25

はてなかいうクソ会社 マジで派手な打ち上げ花火だった

   2003年設立ときは知られていなかったが、2004年にはてなブログスタートし、日本に今までなかったブログというシステム

開始して多くの東大生(feuilles herrenmoral prantan finalvent barl-karthなどの弁護士 東京高裁ブリーフ判事によるボツネタ、日想館など

)などが関与していた数年は一世を風靡したが、2006年に増田を開始してすぐ犯罪会社になり、2008年には東大生による脅迫事件舞台になった

  今では東大文学部のfeuillesとかいう女はブログを閉じていて行方が分からないし、Herrenmoralも同様、1995年から2005年の間は

とにかく色んな素晴らしいコンテンツがあったがほとんど消えた。その頃は、若者のみんなが、日本に生まれてよかったと思っていたが、

 実に気持ち悪い時代になった。頭が良かった人が活躍していた時代が懐かしい。

2020-05-22

明治法は偉かった奴で3000万人に流行った奴で

   戦後20年法もほぼ同じ。   戦後30年東京法においては、警察官だろうと悪事絶対にできなかったから人気があって流行った

   昭和50年代法は、芸術があったか流行った。東京帝大の武藤春光は、昭和57年に東京高裁判事としてその時代音頭を取ったことも忘れたか

  配下にはたくさんの司法修習生弁護士がいて、素晴らしい時代があったことは知っているはずだ

    昭和悪化したのは、昭和40年以降の一般的な法で、男が悪いことばかりしていた。あの時代の法がとにかく嫌い。今の最高裁判事大谷

 前の最高裁判事の逸郎も嫌い。あいつは偽物だ。

    今のクソ以下の最高裁でも昭和時代は超絶だったが、今はいいところは何も残っていない。ただの罪人。

2020-05-20

俺の人生

  平成10年    初代大審院長に就任

  平成11年    朝日新聞記者

  平成12年    東京地裁判事

  平成15年~17年  警視庁教養課長

  平成25年1月    東京高裁判事

  平成25年4月    東京矯正区長

  平成25年       最高裁判事

                数学オリンピックに出場

真実を言ったら最悪だからみんな黙ってんだろ

  安倍晋三になってから既に最悪なことが連続しているし、昭和がよかったないしは、日本人はいい人だという神話が崩れた

   真犯人東京のメスガキや悪人女性、ないしはどこかに隠れている男なのに、そういう真犯人処罰されず

  なぜか平成時代東京活躍したヤクザ子供が悪いと勝手に決めつけられて殺人刑務所処刑されるなど間違ったことばかり

    裁判所裁判官に偉い人は残っていなく、ゴミガラクタ判事ばかり、検事場合はなにをかいわんや、裁判所職員検察事務官も腐れ果てている

     あいつの計画は、明治昭和平成と連綿続いてきた素晴らしいものを全て犠牲にし、悪質な超絶激臭膣や悪人を勝たせ、社会を悪かれ悪かれという方向に持っていくこと

  人間のクズ以外のなにものでもない

2020-05-19

 本当に偉かった裁判官は次の人だよ

  https://www.cesa.or.jp/efforts/interview/researcher/muto01.html

   昭和57年に東京高裁判事をしていたときは、世間ヒーローみたいな人で、多くの司法修習生から人気があり、本物だった

     安倍晋三政権の下で裁判官をやっている奴は、平成時代に任官した人間のクズゴミカス最高裁長官大谷

  上の武藤春光が凄かった昭和50年代に、ずっと判事補だったただのクソガキ裁判官 人間のクズ

     お前は戦後最高裁のことが何もわかっていないし、昔がどれだけよかったか何もわかっていない

   安倍になってから最高裁は最低最悪で何もいいところは残っていない。裁判所にしても、裁判官にしても、昔がチョウゼツだっただけで、今は腐れゴミ

2020-05-18

  昭和50年代に、地裁判事以上の階級採用されず、ずっと判事補にとどまっていた奴はいじめられていたし世間からも人気がなかった

   他方、50年代に、最高裁の考えによって、地裁判事以上に抜擢されていた裁判官は、社会スーパースターで当時の子から尊敬される

ポエマーがいた

    昔は素晴らしかった。今の最高裁長官は50年代判事補のガラクタだし、最悪

       こないだ、東京地裁から東京高裁に移りさいたま地裁に異動になった任介、宮崎地裁延岡支部から東京地裁に異動になった宮島その他

   ゴミだらけ。

     

https://anond.hatelabo.jp/20200518025342

 お前鈴木だろ。書いてる判決文も、ババアパンツ、すえた臭い、内容なし、判決体裁センスも最低最悪で、量刑判断なども無内容。

   お前は昭和50年に地裁判事になれなかった、ずっと判事補でバカにされてた、昭和60年に検事になれたが、その後ずっと不遇だった

     昭和53年ごろに東京高裁判事などをしていた武藤春光レベルの大物にはなれなかった。

   お前の頭はゴミだ。

昭和時代の法は素晴らしかったんだよ

   全国のみんなが裁判所の書いた判例を読んでいた、依拠して生活していた時期もあった

   新聞社裁判所が共同し、散々知恵をひねって文章を書いていた

     社会形成するのに、法を使った  お祭り状態で、みんなが怪しまずについてきた

    少しでも組織に変なところがあるのは嫌だから絶対にやる人がいて、みんながその人(1級刑務官警察署長など)を信頼し、その人しか見ていなかった

    昭和50年代裁判所では、上級判事になることに意味があり、判事補はバカにされていた 当時の判例はあまりにも内容がありすぎて現在では背景散逸

    理解できないとか

      もちろん、昭和のすべての判例肯定するわけでもないし、中には臭いもの、すえた臭いのするもの、怪しいものも大量にあるが、概ねよい時代だった

  そのように、昭和天皇の真心のこもった、偽物ではない昭和法に対して

     平成の法は癌だ

        お前のような中途半端言動の怪しい偽物には、一億人生活に用いていた昭和法は分かるまい

     昔は、流行った、人気があった、仕事に使っていた、芸術があった、など、素晴らしかったんだよ

   お前のような偽物世代は何も思い出すことができまい、昔の素晴らしさを

2020-05-13

高位公職犯罪捜査

大統領議長判事検事などの高位公職者およびその家族犯罪捜査を専門とする独立機関
高捜処の処長は大統領指名検事大統領が任命
警察検察などが高位公職者の犯罪捜査する場合高捜処に通知する義務がある
捜査権は高捜処が優先して持ち、警察検察移管に応じなければならない

2020-05-12

やっぱりサヨクは信用できない

2019年3月、名古屋家裁判事反天皇制集会に参加して、政治的発言をしていた。

その時、今抗議しているクリエイター人達はきちんと抗議していたのかな?

していなければ、サヨクエイターが何も言っても何の説得力も無いよね。

てか、検事の定年延長それ自体には問題ないというのを当然の前提として語られてるのがよくわからん

公務員全員が定年同じじゃないといけない決まりでも有るのか?

まあ簡裁判事とかとちがって一応特別職ではないとか色々有るのかもしれんけど・・・

2020-04-27

anond:20200427020111

  昭和58年生まれで、幼少時は勉強しなかったが、幼少時から東大や団藤重光を尊敬するなど、無類の善良であり、

高校で正体を現し、凄まじい勉強量で、当時、延岡西高校英語主任をしていた井上(当時33)は、俺がどんだけやばかったかを知っている

  平成10年当時、延岡のガキは勉強全然しない中、一人で孤軍奮闘していたが、延岡みたいなクソ風俗では東大に受から福岡北予備に行った

 予備校でも、色んな先生の授業を積極的に受けて、慶応レベルの難単語テストで一位をとって英語先生から辞書をもらったり、東大模試名前が出たりで当時の

 東大受験生界隈では名が知られていた、凄まじい勉強やりまんびっちで全国に名をとどろかせていた結果、平成15年に東大文Ⅰ合格した、当時の合格者はそういう

やばいやつらばっかりで、今のゴミカス東大生の比ではない

 在学中も、凄まじいやり手の女で、そこそこの成績をとって卒業したがその後に不幸があった

    いずれにしても、九州から勝手修行を積んで当時厳選採用していた東大文Ⅰに受かった凄まじい日本人だったが、誰も評価する者がいなくなった   

 平成10年頃の九州で誰も勉強しない時代に、自分から勝手勉強し、凶悪犯罪レベル勉強して延岡高校で凄い成績だった

  当時の担任井上修二(英語科、現在宮崎北高校勤務)が、33歳だったとき担当したが当然どんなものだったかは知っている

  井上が勧めたZ会の教材も凄まじく解いていて、無類の勉強ビッチで、色々な教材を勝手勉強していたが、田舎では勉強が続かず精神破綻して

  福岡予備校に担ぎ込まれた。2か月は廃人だったが、その後に福岡書店勝手に本をあさって猛勉強し、東大模試でA、B判定をとり、平成15年に

 当時、真夏勉強やりまんびっちしか受け入れないで有名な東大文Ⅰ合格したとして凄まじい絶賛を受けた。在学中も凄まじい勉強ヤリマンで、

   レックにも通っていた、100年の一度の勉強家だったが、悪人裏切りを受けて発狂して死んだ

 平成10年以降は、ママが決めていたわけではなく、大人はクソで何もなくて最悪だから日本人の子供で犯罪能力が高い勉強のやりまんびっちの女の子

   インターネット東大掲示板やなんかで、当時、若くて脂ぎっていた若者が、飛ぶ鳥を落とす勢いで勉強し、全国的にも競争が凄まじくて凄いものがあった

  徹夜勉強昼夜逆転、なんでもあり、もうめちゃくちょのぐっちょぐちょの満天下のやりまんびっちどもによる勉強乱交状態真夏で、そこへもってきて

 インターネットカフェや吉野家などそれまでになかったもの全国的に初開店し、多くの肝オタ勉強家どもが吉野家突撃牛丼をかっこむのは当たり前のあの

欲望真夏2ちゃんねるもクソ面白い書き込みばかりでそりゃもうこの島の勉強のやり手どもはやる気満々だった

   そのような若いびっちどもによる性乱交パーティの結果に、昭和が終わって何もなかった今の東京関西にこれだけの新しい文化ができた

 平成11年までは延岡西高校にもまだ偉い校長がいたから1年生の時はかなり真面目に勉強してたが、2000年になり、21世紀開始の大ブーム

  高校方針も激変し、校長が3琉大卒になって学校崩壊起きて、2000年~2002年には、静岡県増進会Z会添削活躍し当時の多くの東大受験生

必須アイテムとして購読し当時、くそやばかった能力者の添削指導を受けてた、凄まじいものがあった、東大受験生のやりまんびっちのほとんどはZ会を購読

Z会の成績でやれいい成績をとったのどうのでインターネット東大掲示板ですぐに話題になり、なにもかにもが原始時代のような普通の日本人若い凶悪犯罪者シンガキ

勉強やりまんびっちの女の子の間でいろんなもの話題騒然となり凄まじかった、勉強をする子供には親もゴキブリの湧いている家で焼肉トンカツなどを食わせる飲ませる

などの3せる作戦子供勉強させようと必死だった、平成15年の東大受験生は少なくとも雑誌大学への数学」以外、現在東京書店にもある青チャートレベル問題

その他、Z会の難関数学問題など、凄まじい量の勉強をしている。

   もちろんなぜあの真夏にそれが流行たか、それだけ偉い先生指導者がいたうえに、原始時代のような、やりまんびっちの若いやり女に性乱交許可するほどの自然

面白さがあったからだ。今はダメだ。もうやっていることが終わっている。バカしか言いようがない。平成8年以降に爆発したあの素晴らしいやりまんびっちによる性乱交

受験競争クソガチ真夏はもう戻らない

   今はもう平成23年10月に2ちゃん関東ゴミ警察中傷したとかで突然警部補が部屋に入ってきて越谷群馬留置埼玉拘置所みたいな最悪なところを

ひきまわした上に、模様みたいな実刑判決さいたま地裁越谷支部のクソ判事鈴木秀行から書かれ、平成25年に栃木の黒羽でやりたくもない受刑作業

男子受刑者にされ、平成時代にやりまんびっちとして自然な性乱交真夏に参加して活躍し、女として東大採用されたのに、男にされているか

  黒羽刑務所刑務官に対する怒りしかなく、最悪すぎて何もする気はない。あくまで俺が平成時代受験競争に参加したのは、あの素晴らしい真夏原始時代

やりまんびっちの性乱交があったからだ。そこで散々活躍したのに、その俺を刑務所に入れるとか論外にもほどがある。

  どれだけ警察ゴミ男で平成時代何もなかったクソが悪いことをしているのかお前は知らない

2020-02-18

anond:20200217193820

俺が子供の頃、1969年だったと思うが、友達の家に遊びに行ったら、やはり近所の人たちと電話の貸し借りだか回線の共有だかをしていたよ。判事の家だったし、近所も裁判所法務局官舎だったと思うのだが、それでもまだそんな状況だった。

当時、我が家でも近所でも各家に電話があったのは、ニュータウンだったからかも知れない。それでも、そのニュータウン引っ越して来る前の家に電話が引けたのは1960年代の後半になってからだった。大学助教授の家でもそんなものだった。

2020-02-15

弁護士判事の中にも一定数のロリ痴漢が混ざってると思うが、法律に詳しいかギリギリのところを攻めれるので、セーフになってるのかな

2020-02-10

Coinhive 事件高裁判決についての所感の一部

Coinhive 事件に対する判決の、高裁有罪になったことについて。

いちソフトウェア開発者として、あの判決によって(主に) Web 開発に二の足踏むことになるんじゃないかとかそういう心配は確かにある。

あの判決有罪になるのは困る、というのも分かる。

しかし同時にあの判決に対して「IT知識がない人が判断するのは良くない」みたいな反応について首を傾げている。

高裁執行を行う裁判官というのは、事件について法解釈をもって判断する専門家というか一種技術者なわけだよね?

なら、その技術者が行った判断尊重されるべきものなのではないのだろうか。

地裁高裁判断が違うとなったら、この事件はその微妙ライン上にあるものなのではと考えないのだろうか。

自分たちソフトウェア開発者IT について(ある程度の)専門家となる技術者だ。しか法律専門家ではない。

今回の裁判において、判事側も弁護側も IT専門家が関わってないということは無いだろう。(実際弁護側はガッツリその道の専門家が関わってるのは知っての通り)

その専門家が関わった判事側・弁護側のお互いの主張を読み、過去判決を調べ、法の解釈をして判決を下してるわけだ。

専門ではない分野の事となったら、多少は調べるかもしれないし、専門家が書いたことを尊重して読み判断してるのかもしれない。そうじゃないかもしれないけど。

その専門家判断に対して「その判断は間違っている」と断ずるとする。

ソフトウェア開発者話題でよく聞くフレーズに「技術者の軽視はよくない」がある。

今回の事件判決に対する反応と「技術者の軽視」の距離はどれ程の物なのだろうか。

果たして自分たちはそれを言うに相応しい行動規範を取れているのだろうか?

2019-12-19

山口敬之強姦事件刑事民事で逆の結果が出たワケ

山口敬之民事敗訴の件で刑事と違う結果になったがO.J.シンプソン事件そっくりだ。

この事に混乱している人が見られるが、これは法の「仕様」上正常な動作なので少し説明したい。

 

刑事民事では証明責任のあり方が違うのが原因だ。

それに伴い「黙秘」「自白」の扱いも違ってくる。

 

まず、刑事事件で訴えられた者を「被告人」といい、民事事件では「被告」という。両者の混同も多い。

この刑事裁判では、被告人有罪である証明するのは全て検事(国)の責任だ。

更に「相当程度明らかに」まで証明しなきゃいけない。「どっちかというと有罪かな」という程度じゃ駄目なのだ。「こりゃほぼ間違いなく有罪だろ」ってぐらいじゃないと有罪にならないというのがルールなのである

から被告人としては検事の主張や事実摘示に「疑いがある」程度まで崩せればいい。その場合無罪判決となるというのがルールなのだ

 

一方民事事件では請求(金払えとか広告掲載しろとか事実だと認定しろとか)にしろ、それへの被告反駁しろ自分利益、主張には自分方に証明責任がある。

相手方の主張に証拠を出して上手く説明できない場合相手方の主張が通るのだ。

更に証明の程度は半分を超えていればいい。つまり「どっちかというと原/被告の方が正しいな」という程度で勝ち負けが決まるのである。つまり民事裁判は天秤掛けなのだ

 

その為、自白の扱いも違う。

刑事では罪を認めた、警察検察が適示した犯行事実を認めた事が自白となる。

一方民事は「~~という主張がなされていますが認めますか?」と問われて「認めます(認諾という)」と答える事と、「主張を否認しなかった事」が自白となる。

認諾すると答える事も否認しない事も証明責任放棄で同じ事だからだ。

刑事での黙秘被告人不利益にならないが、民事での黙秘相手方の主張の全面的な認諾となるのである

 

予断だが刑事での黙秘でも万能だと誤解されている向きがある。

黙秘するって事は言いたくない可能性が高い。→「だからそれってやったって事だろ?」という推定をしてはいけないというのが黙秘権の権能の一つだ。

この黙秘により出来た「被告人自白が無い」という穴を埋めるのも検事責任だ。

またやっていないアリバイがある、止むを得なかったので情状酌量して欲しい、という主張まで放棄する事になる。

からこの点まで黙秘してしまうのは被告人不利益となるのは論を俟たない。

 

有名フットボールプレイヤー俳優のO.J.シンプソンが恋人とその浮気相手を殺した事件でもOJは刑事無罪になったが民事では殺人認定され天文学的賠償金支払を命じられる事になった。

これは刑事証拠が全て否定されたからで、

事件担当刑事が強いレイシストだった(OJは黒人)

・この刑事証拠捏造していた

法廷犯行現場に落ちていた手袋をOJの手にはめようとしたらきつくて入らなかった

などで、証拠採用出来なくなってしまった。

すると「どうみてもOJが犯人だろ」という状況証拠しかなくなってしまう。この疑いが残る状態有罪としてはいけないというのが法の精神なので無罪となったのである

だが民事では「こいつヤッただろ」を覆すのも被告責任であり、合理的疑いを生じさせただけじゃ駄目なのだ

刑事民事証明責任の違いで、民事では天秤が傾いている方の勝ち、刑事では重い方が地面にぺったり付いてなくて少し浮いてゆらゆらさせれば被告人の勝ちなのである

100kgの錘に対して101kgを用意して自分の手で天秤に持上げないといかんのが民事、0.5kgでちょっと浮かせりゃいいのが刑事だ。

この中間にある事例ではOJや山口敬之強姦事件の様な逆転が起こり得、それは法の仕様だ。

 

こうなっているのは無論刑事事件国家vs.個人という特殊状態であり身柄の拘束もあり得、捜査能力も段違いだからである

尚、国家vs.人でも行政訴訟民事ルールに則っているので注意が必要だ。

また、刑事事件ニュースドラマになりやすいが民事はそうではない。

だが社会生活上では一般には民事のほうが身近だ。

その為司法に疎遠な人の間では刑事事件モデルが想起されやすアジェンダ化しやすいという特徴があり、はてなでもそれが顕著だ。

 

ついでなので山口敬之強姦事件の不起訴についても触れよう。

そもそも何故逮捕取りやめという介入があったかといえば、「証拠収集放棄」の為だ。

日本警察自白偏重であり逮捕して自白調書をとろうとした。これを停止させれば決定的な証拠がなくなるから裁判所では有罪としにくいのである

起訴便宜主義検察には起訴するかどうかの裁量権がある。

この為、無罪判決が出る可能性がある事件では起訴猶予とする事が一般的だ。

逮捕取止めはこれを狙ったものだ。本人自白調書が無い事件公判維持は困難だ。こうする事で警察から検察の行動を制御できる訳だ。

 

戦前警察検察のいいなりとなる義務があった。

だがこれが昭和検察ファッショを招いたと問題視したGHQ警察に一次捜査権を与えた。検察管制からある程度独立捜査する権能を警察に与え、検察の権能を限定化したのである

それは汚職検察ファッショを防御する為にそうしたのであり、こういう事をする為ではない。

起訴便宜主義警察の一次捜査権の脆弱性を利用した悪質な制度ハックだ。

そしてこの事件逮捕中止を命じた中村格氏は順調に出世して現在警察庁長官官房長であり年齢からしてまだ10年はキャリアの残りがある。

この事件は全世界でも報道されており、各国のメディアが注目しているのはこの政治的スキャンダル性だ。

こういう有名事件キーパーソンとして周知のトップの下で全国の警察官はこの先働くのだがどうすんのこれ?

 

 

 

更についでに、ブクマ見ると散見される誤解だが、

 

最高裁まで争うと安倍総理が任命した判事が居るから伊藤氏不利云々

 

最高裁法廷を開く事件限定されます基本的憲法判断が無いと審理しないと思ったほうがいい。

事実審は高裁までで、最高裁事実の審理はしないです。

から高裁判決がそのまま決め手になるでしょう。

あと、人事権に注目した方がいい。

裁判所内閣から人事権独立させている。これは大変重要なことで、人事権を掌握されると無言の圧力で利害が誘導されるのです。

そして内閣人事局を設立しなきゃこの事件しろ内閣府の職員公選法違反有権者への飲食提供などに従事するなんて常識外れな行動も起こりえなかった。

から裁判所判断で「総理への忖度が~」とか言ってる人は人事権問題理解してないと思うよ。

 

因みに事件事実が明らかでも不起訴となるケースは結構多い。特に強制わいせつ強姦では。

それはこれらでは謝罪示談の成立があれば罪を課さない為に起訴猶予とする事が多いからで、このように被害者が争っているのに不起訴というのは異例というか相当に異常な事例と言って良い。

 

最後マスコミへの不満なんだが、警察空港で張っていた(そこへ逮捕中止の掛電)という事は、警察TBSに聞き込みで社に発覚→TBSが降格人事で帰国命令警察帰国の日時を聞き出して逮捕請求という流れがあったと見るのが自然だ。

なのにTBSはその事情を知っていたかコメントしてないしマスコミ突っ込みいれて訊いていない。

更に山口敬之TBS退社の理由を「韓国軍慰安所取材のせい」と述べているのだが、実はこの退職理由を言う様になったのは夕刊フジがそのストーリー韓国叩き記事掲載した後なのだ

「なんでそれ以前の説明と変ったのですか?」は意地悪な質問であろうがマスコミは訊いていない。

突っ込み力が足りないですよ。

2019-11-26

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/okaguchik.hatenablog.com/entry/2019/11/18/170406

岡口氏は東京高裁判事だった17年12月、同高裁裁判所サイトに載せた、内規に反する内容を含む事件判決文のリンク先をツイッターに添付。遺族への配慮を欠いた投稿をしたとして、昨年3月に同高裁から厳重注意処分を受けた。

https://www.asahi.com/articles/ASMCT441NMCTUTIL00K.html

朝日記事は分かりにくい

岡口氏は・・・殺害された事件を巡り、東京高裁が内規に反し誤って判決文を掲載した裁判所ホームページのURLとともに不適切投稿をしたなどとして処分された。高裁は遺族に謝罪し、掲載関係した職員も注意した。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201911/CK2019111502000266.html

2019-11-04

お前らは全員フェミニズム理解していない

献血ポスターの件でまたあちこち燃えているけれど、フェミニズムについて両陣営がよく理解していないまま戦争しているなあ、と考えていたらふと学生時代に書いたレポートを思い出したので供養しようかと思う。

これは「ポルノグラフィ法規制」に対してのフェミニズム観点テーマであって今回の件とは必ずしも直接は関与しないが色々なところが補助線として使えるのではないかと思うのでもし議論の整理に何らか役立てば。

字数が切れていたので分割。

anond:20191104142158

以下本文

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1. 問題設定

レポートでは、ポルノグラフィとその法規制について、いくつかの観点から検討する。ポルノグラフィは、フェミニズム運動の中でリプロダクティヴ・ライツやセクシュアル・ハラスメントなどと並んで一定地位を占めてきた。一方で、その規制は、日本国憲法21条や米国憲法修正1条にいう表現の自由と正面から激突するものでもある。本レポートにおいては、日本国憲法の射程に限定しつつ、これらがいかに衝突するものであり、どう分析されるべきかを簡単に整理することを目標とする。

2. ポルノグラフィ定義

最初検討されるべきは、規制対象たりうるポルノグラフィいかなるもの定義されるかということである。もちろん、いかなる性的描写ポルノグラフィであって規制対象たりうる、という立場自体不可能ではない。しかし、表現の自由が強く保障されることを前提としたときに、容易には首肯しがたい立場であるということは言うまでもない。表現の自由への制約は可能な限り小さくなくてはならないというのが前提であるとすれば、規制対象となるべきポルノグラフィもそれ自体また狭く定義される必要があるであろう。

まず、一般的ポルノグラフィ定義について俯瞰する。いわゆる四畳半襖の下張事件において、「わいせつ性の判断に当たっては、文書全体としてみたとき、読者の好色的興味に訴えるものであるかどうか否かなどの諸点を検討することが必要で、これらの事情総合し、その時代健全社会通念に照らして、チャタレー事件で示したわいせつ要件に該当するといえるかどうか判断すべきである」という判断がなされており、わいせつ要件(通常人羞恥心を害すること、性欲の興奮、刺激を来すこと、善良な性的道義観念に反すること)をベースとしたうえで、社会通念に照らして文書等のわいせつ性が判断されるという判例を構築している。

判例立場は、わいせつ性が前面に出ているのか否かという観点を取り入れることによって性的対象を扱った作品であっても、芸術的価値の高さなどに応じてわいせつ物該当性を認めないという形で一定の制約を設定しているといえる。ここには、表現の自由との緊張が見て取れる。つまり本来性的表現であっても、直接他者危害を与えるものでない限り、国家によって自由を制約されるべきではない。しかし、わいせつ該当性があるならば、例外的規制することが許されるとしていわゆる定義づけ衡量を行ってわいせつ図画を規制しているものであるといえる。

一方で、Andrea DworkinやCatherine McKinnonはポルノグラフィいか定義たか。それは、実際に彼女たちが起草した反ポルノグラフィ条例に見て取れると考えられる。ミネアポリス市の反ポルノ条例第三条 は、「ポルノグラフィとは、図画または文書を問わず写実的描写され、性的にあからさまな形で女性従属させるものであり、かつ次の各事項の一つまたはそれ以上を含むものを言う。(1) 女性人間性を奪われた形で、性的な客体、もの、または商品として提示されている、(2) 女性苦痛や辱めを快楽とする政敵対象物として提示されている、(3) 女性レイプされることに性的快感を覚える性的対象物として提示されている、(4) 女性性が縛られ、切りつけられ、損傷を加えられ、殴られ、または身体を傷つけられた性的対象物として提示されている、(5) 女性性的服従姿勢提示されている、(6) 女性が、その身体の部位……に還元されるような形で示されている、(7) 女性が生まれつきの娼婦として提示されている、(8) 女性がモノや動物によって挿入された状態提示されている、(9) 女性が、貶められたり、傷つけられた李、拷問されたりする筋書きにおいて、汚らわしいものないし劣等なものとして、または出血したり、殴られたたり、傷つけられたりして描かれ、かつそれらの状態性的ものとする文脈の中で提示されている」と詳細に定義している。最高裁判例の打ち立てた上記基準と比べるとこれは、はるかに明快である

ところでこの二つの定義には、その明確性を超えて、根底的な部分でのポルノ観の相違が明々白々と見て取れる。これは、ポルノ規制日本において考える際にも重大な差異であると考える。

最高裁におけるわいせつ概念定義は、三要件を用いたその定義から明らかに社会的性道徳、善良な性風俗といったもの保護対象としている。つまり、過度に扇情的ポルノ作品市場に氾濫することで、社会を成り立たせている道徳基盤が破壊されることを防ごうという目的である。いわゆるチャタレイ事件控訴審における判決理由中の「かゝる文書猥褻文書として排除せられるのは、これによつて人の性慾を刺戟し、興奮せしめ、理性による性衝動制御否定又は動揺せしめて、社会的共同生活を混乱に陥れ、延いては人類の滅亡を招来するに至る危険があるからである」という文章は、まさにこの懸念わいせつ文書規制するべき理由であるということが念頭に置かれているものであると考えられる。

ミネアポリス市かいくつかの都市で起草された条例は、こうした目的のもとにポルノグラフィ規制しているのではない。それは、McKinnonらの論文や、また、条文そのものから明白である。ここで、ポルノグラフィはまさしく「女性差別」そのものとして認識されている。

ポルノグラフィは、女性を隷属させ、性的対象化objectificationするものである、とラディカルフミニストたちは考える。つまり、「ドウォーキンはいう。『女性従属においては、不平等のものがセクシュアルなものにされる』。マッキノンも次のように述べている。『ポルノグラフィーは女性の不平等をセクシュアルなものにする。それは女性の不平等セクシーものに仕立て上げる。それは、言葉の最も広い意味で、支配服従をセクシュアルなものにする』」 。

ここで、ポルノグラフィに対する定義が、二方向のアプローチを有しうることが示されている。つまりポルノが消費されたときに、社会倫理的道徳的にどのような影響を受けるかという観点と、道徳観点を一切取ることなく、ポルノの中で女性がどのように扱われているか、またポルノを消費する男性女性に対してそれを再演することでどのような危害が生じるか、という観点である

Millの提示した危害原理を素直に適用する限り、後者観点の方が規制根拠としては明らかに優れている。前者において、明白な危害存在していない。先に引用した人類滅亡論などは、まさしく論理の飛躍であろう。一方で、後者アプローチをとるならば、それが証明される限り、実際の危害が生じていると言える。これは、いか表現の自由価値絶対視し保護するとしても、しかしそれを規制する十分に強力な根拠たりえる。次章では、ここで主張される危害について検討する。

3. ポルノグラフィ危害

ポルノグラフィが「危害」を有するものであるならば、それは表現の自由を主張してもなお規制に当たることは言うまでもない。表現の自由に対して強く保護を与えることを主張したアメリカのOliver Wendell Holmes Jr.判事であっても、満員の劇場で「火事だ!」という嘘を叫ぶことをいかなる表現の自由保護しないと明言している 。また、実際にポルノグラフィ一般的危害を生ぜしめないとしても、上記の条文を見るに、発生しうる危害から逆算的にポルノグラフィ定義されており、これは限定列挙であると考えるべきであろう。

もっとも、注意しなくてはならないのは、ここで挙げられたものは、危害を「創作」したものまで範疇に含まれることである。つまり女性傷害を受けるという「現実」の存否にかかわらず、そうした創作は、ポルノグラフィとして定義される。そうした映像が、現実における傷害と必ずしも一致しないことは、あらゆる劇作の前提である 。そして、実際に生じた傷害については、こうした条例法律にかかわらず民事上、刑事上の責任を負わしめることが可能である

危害がどの広さで認識されるべきかということについては、確定的な見解はいまだ存在しないものと考える。元来はMillのいう危害原理、すなわち身体的な危害を指していたものであるが、現代的にはこれを精神的(に深刻)な不快の限度にまで拡大した不快原理offense principleと言われるものまで提唱されている 。もっとも、身体的な危害については明確で客観的基準の定立が可能である一方で、主観的不快およびその深刻性については、客観的判断が困難であり、現行の法システムに馴染むのかという点で深い疑義がある。

ラディカル・フェミニズムの主張する「危害」がそうしたグラデーションの中でどこに位置するものであるかは、詳細な分析必要とする。McKinnonの言明する危害は、ポルノグラフィはそれ自体性差別であり、それによって女性従属化されるということである。そして、そのポルノグラフィ撮影において、また、ポルノグラフィが再演されることによって、女性は「縛られ、殴られ、拷問され、貶められ、時には殺される場合さえある。あるいは、単に犯され、使用されている。視角ポルノに映し出されているあらゆる行為のために、女たちは実際に、縛られ、切りつけられ、焼かれ、猿ぐつわをはめられ、鞭うたれ、鎖でつながれ、肉吊り棒や木からロープで吊り下げられ、あるいは、……放尿させられ、排泄物を食べさせられ、ウナギネズミナイフピストルで貫かれ、喉の奥までペニスで侵され、血や泥や糞便や精液で汚される。……ちなみに、膣にペニスが挿入されるという意味での性交は、そこでは副次的テーマに過ぎない」 。すなわち、ポルノグラフィは、男性女性に対する性欲そのものが充足されるためのものではなく(それは副次的テーマに過ぎない)、もっぱら女性に対して暴行を加え、二級市民化することによって従属せしめることが目的とされ、そのためのプロパガンダとして成立しているものであるとされる。「ポルノグラフィ女性憎悪純粋蒸留物であり、女性経験の中でレイプ女性殴打、近親姦強制売春と結びついている。そのことを考えるなら、ポルノグラフィ擁護して発言する自称フェミニストがいったいいかなる道徳的・政治的原則にもとづいているのか、とうてい理解することができない」 と彼女は断言する。

実際にこれらが物理危害として発生しているのならば、それは全く看過することのできない危害のものであり、規制はされてしかるべきものであるしかし、これらは実際の刑法典、民法典の規定によって補足可能ではないか? という疑問が生じてくる。McKinnonはこれに対して、現実にそうした摘発がなされていないことをもって実質的に法は存在せず、それゆえ国家及び社会ポルノグラフィ公認していると見做される旨主張する。

McKinnonの熱烈なポルノ批判に対し、Drucilla Cornellはポストモダンフェミズムの立場のもと、一定距離を置く。「私たちは、ポルノグラフィ生産に対してとられるべき法的行為措置を、ポルノグラフィの配給に特化してとられるべき行為措置から区別すべきである。私は、この区別が、ポルノワーカーを含めた女性たちが、人格となるプロジェクトを引き受けるのに十分なだけ自己を固体化していく、というフェミニスト目的根本的に寄与すると主張する。この産業女性たちを連帯に値しない不幸な犠牲者として扱うことは、彼女たちの基本的尊重を拒絶することである」 という言葉は、ポルノワーカー女性について、「ポルノグラフィに出演している女性の多くは、子どもとき性的虐待の被害者であった。……自宅から性的虐待を逃れて都会に出てきた子どもたちは、そこでヒモに拾われ、レイプされ、殴られ、麻薬づけにされ、売春ポルノグラフィ従事させられるのであるポルノグラフィに出演している女性の多くは貧しく、たいてい教育を満足に受けていない。ポルノグラフィ存在している社会は、女性経済的に不利な立場に置かれている社会である」 と記述するMcKinnonらを批判対象としている。Cornellはさらに、「私は二つの特殊フェミニスト的な理由からポルノグラフィ規制法律に過度に頼りすぎることに対して懐疑的である第一に、反差別法の基礎としてステレオタイプ女性性を強化すべきではない。言い換えると、キャサリン・マッキノン仕事のように、女性を「ファックされる者 fuckee」か犠牲者に切り詰めたうえで、そのような存在としての女性に対する保護要求するような、文化的コード化された女性性を促進するような法はいらない。そういうわけで私は、マッキノンやアンドレア・ドゥウォーキンのそれのような、ポルノ規制の適切な法的手段としての市民権条例案を拒否する」 と言う。

2019-07-30

マスメディア最高裁判決時には見出し判事名前を書くべき

選挙時の罷免を受けずに済む、今年で退官のゴミが好き勝手やりたいほうだいしすぎ

名前晒しておくくらいしとかないとシステムが腐る

2019-07-27

死刑廃止論への疑問

「【京アニ放火殺人凶悪事件が起こると死刑廃止論者は困る?」

http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/07/26/191304

自分は必ずしも死刑存置派ではない。現行の死刑制度を必ずしも支持する立場ではない。だがそれでも、この人の議論にはさまざまな穴があるように見える。

犯罪社会が生み出すもので、凶悪犯を処刑して社会から排除しても、そのような犯罪を生み出した社会の歪みを正さないかぎり、また同じような犯罪が繰り返される。死刑は、犯罪の原因を除去できたかのような幻想を与えるものしかない。

凶悪犯を処刑して社会から排除すること」と「そのような犯罪を生み出した社会の歪みを正すこと」は両立する。死刑執行を見て「ああ、これで犯罪の原因を除去できたぞ」と喜ぶ人もいるのかもしれないが、自分個人は見たことがない。

死刑といえども人を殺すことに違いはなく、凶悪犯も含めいかなる人間生来持っている基本的人権生存権)への侵害である

他者権利を侵した者が同じことをされるのは仕方がない。懲役刑禁錮刑も基本的人権自由権)の侵害だが、まさかこの人は懲役刑禁錮刑にも反対するわけではないだろう。

死刑は、生涯をかけて自らの罪を悔い、謝罪し続けるべきその時間を、加害者から永遠に奪ってしまう。

絶対謝罪しない死刑囚もいる。宅間守植松聖など。仮に謝罪してもらっても殺人の罪とは全く釣り合わないから、謝罪させることには根本的に意味がない。

神ならぬ人間裁判を行う限り、誤審の発生は避けられない。冤罪被告人死刑にしてしまったら、その過ちは取り返しがつかない。

絶対冤罪ではないと断言できる事件も多い。むしろ、その方が多い。また、誤審で取り返しのつかない結果が生じるのは終身刑でも同じこと。取り返しがつくのは罰金刑ぐらいである。誤審に対して判事検事警官などに個人責任をとらせる方法については制度改革必要であり、また別途考えなければならない。

死刑は、それを執行する人間必要とする。刑務官は、凶悪犯といっても個人的には何の恨みもない無抵抗相手を殺すという辛い行為を、職務として行わなければならなくなる。

ロボットやらせればよい。ロボット作動ボタンを押す役目は被害者の遺族に任せることにすればよい。遺族が望むなら執行の無期延期もありだろう。

凶悪犯ほど死を恐れないので死刑には抑止効果がないという問題もある。それどころか、死刑になりたくて人を殺した者さえいたではないか土浦連続殺傷事件など)。

殺し方の残虐さに応じた方法処刑すればよい。薬殺犯には薬殺刑。斬首犯には斬首刑。焼殺犯には焼殺刑。その他もろもろ。

犯人一人の命で、どうやって34人もの尊い命を償えるというのか。

34回に分けて執行するという方法がある。寸止め33回繰り返し、34回目で絶命させる。永山基準では3人殺害死刑相当だから、34を3で割り、寸止め11回でもいいかも。

そもそも

日本国憲法第三十六条

公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。

この規定にも疑問がある。拷問はともかく、残虐な犯罪に対して残虐な刑罰はあって当然ではないか死刑囚の中には筧千佐子のような薬殺犯もいれば池田容之のような斬首犯もいる。本当に同じ絞首刑でいいのか。

2019-06-18

anond:20190618194454

不幸の程度って何や?最高裁判事なんて超上級国民なんだから不幸なわけないだろ

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