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2024-10-12

anond:20241011224221

称賛の声以外聞きたくないなら家族にだけ漫画を見せとけばいいのに。

2024-10-07

毎朝バス停を通り過ぎる際に思うこと


お昼休み愚痴投稿する。

都内で働いてる。OLをしていて、会社通勤の際、毎朝いくつものバス停の前を通り過ぎる。

通勤時の時間帯に、よく歩いている女子学生を見かける。半径数キロ以内に学校が密集してる関係で、中学高校生がいっぱいいるのだ。

その中に、バスを待ってる子達がいるんだけど、バス停には歩道スペースの関係からかベンチがない。

幸い、その傍にある商店?の好意で、軒下に女子高生が十人以上は並んでる風景を見かける。

ここから愚痴なんだけど、彼女らが朝方に通学バスを待っていて、私が傍を歩いているとする。すると、通勤と思しきおじさんが、徒歩や自転車で其処を通る際、制服でしゃがんでいる子(いい学校でも、たまにそういう子がいる…)の下着をガン見していることがある。

会社員の男性もそうだし、私服男性もそうだ。作業服男性もそうだし、このバス停を通る男は大体そうだ。「こいつ覗こうとしてる……!」というムーブをする男性連中である

正直、私が働いている総合商社男性社員がそんなことしてるのも見たことがある。あれは本当に軽蔑した。あと1回見たら、噂で共有しようと思ってる。

……ところで、これって生物の性なんだろうか?

女性視点から見ると、普通に気持ち悪い。もし、毎朝のその光景をXか何かにツイートすると炎上するかもしれない。さすがに炎上はしなくても、こんなリツイートや返信があると思われる。いずれも、過去SNSで読んだことのある、痴漢などをした男性非難するコメントである

「まったく男って生き物は…」

特に中年は恥も外聞もない。JKスカートの中など覗けた朝は、一日得した気分なんやろね」

「キショ、スケベ、アホ、ボケカス🥴」

「いい年して、女子高生下着を覗いて何が面白いの??」

といったコメントがたくさん付くと思われる。

おじさんだけを攻めるのは酷なのかもしれない。中学生も高校生も、普通にかわいいよね。

だって、あのバス停女子がしゃがんでいて、下着が見えてたり見えそうだったりしたら、それとなく覗いてしまうことがある。

実際に、外国人っぽい雰囲気の子の真っ白いショーツを見たことがあるけど、少し複雑な思いがあった。ムラムラたかもしれない。そういう気持ちになってしまうことはある。

まり女性でも、観てしまうことはあると思う。おじさんじゃなくても……しょうがないのかもしれない。

それにしても、あのおじさん達はちょっと、どうかしないといけないと思う。

でも、警察通報するようなレベルじゃないし。

ここに書いたからってどうにかなるものじゃないけど、愚痴ってみたかった。

読んでくれた人いるなら、ありがとう

2024-09-28

anond:20240928022926

どう考えたって、奥手で恋愛経験ない奴の方が、恥の感情は強くて、恥も外聞もないサイコパスみたいなクズDQNは、相手迷惑考えず、半ば脅迫的に女を手に入れて恋愛経験豊富レイプ魔DV男になりやすいわけだが。

異性に対して消極的になるのは、相手にどう思われるか心配で、何をしようとしても「嫌われたらどうしよう・・・」っておもうからでしょ。

逆に積極的になれるDQNっていうのは、そんなの全く考えてない、どう思われようがどうでもいい、相手気持ちなんてなんも気遣ってないって事なんだよな。

2024-09-24

anond:20240924192332

どっちか甲乙つけられんけど


1. 尿路カテーテルを抜いた時

全身麻酔で手術を受けた後、意識が戻ってからバサナースにぶっこぬかれた

めっちゃ痛かったうえに、気絶したらしく1時間ほどそのあとの記憶がない

翌日初トイレに若干血混ざってたし、多分どっか擦ったんだろうなと…


2. 高校運動会組体操から落ちた後

背中から落ちてしまい、退場した後あたりで足が一歩も動かせなくなった

股間から下の感覚がなく、猛烈に腰に違和感が来た

動けない、と周囲に話したところで担架で保健室に運ばれ、ベッドに置かれたところで激痛が走り始めて外聞なく呻いた

しかも動けないからただ我慢するしかできないので苦痛しかなかった

結局夕方閉会式前になってようやくよちよち歩けるようになったものの、しばらく持病の腰痛腰椎分離症起因)が悪化した

2024-09-18

anond:20240918111123

まあ出会いの少ない社会人になる前の学生時代に何の恋愛経験も無かったら、

同じように恋愛経験の少ない人とアプリ出会うくらいしか経験を積む方法はないだろうな

アプリでフラれ続けながら経験値を積んで何とかお付き合いする人を見つけるくらいしかないんじゃないの?

服装話題もその子が脈ありかも恥も外聞も捨てて友人に相談してアドバイスもらうしかないじゃん、恋愛経験なしなんだから

2024-09-11

40歳を目前にして学んだこと

子ども高校PTAをしている。

任期は3年。

想像の通り不本意ながらやらざるを得なかった。

1年目は業務に都合が付けられたので

参加できる活動積極的に参加した。

夏休みボランティア全日参加した。

関係ない役員の手伝いもやった。

2年目の今年、社内異動があり

どうしても業務に都合が付けられない部署に配属となった。

人手不足希望日に休めない。

当然PTAの参加はほぼできなくなった。

何回目かのPTA役員会、

もちろん休日申請したが人時都合で休めない。

役員会を欠席したところある役員からLINEが来た。

直訳すると

あなた立候補してPTAになって欠席したせいで

ほかの役員迷惑かけている」

だそうだ。

昔のわたしなら

会社迷惑をかけてでも休むか

いつまでもグチグチ言っていただろう。

しかしたら

PTA辞めてやる!!」

なんて大騒ぎしたかもしれない。

話は変わってわたしは今年で40歳になる。

体脂肪率40パーセント超え、

正社員だが手取り15万で大した取り柄もない。

そんなタイミングでの社内異動、

万年人手不足のしがない部署へ飛ばされた。

しかしここが転機。

朝8時勤務が朝10スタートに変わったのだ。

この体脂肪率のまま、

手取り15万のまま、

なにも楽しくない人生のまま生きるのか?

ゆったりした朝時間で考えるようになった。

「そうだ、ジムへ行こう」

本当に何となく思った。

いままでダイエット挫折キング自分

なぜそう思ったかは分からない。

以前いた部署の先輩のアドバイスに従い

から1番近いジムに申し込んだ。

器具の使い方もわからない、

運動方法も分からない。

適当に入会して気づいたが

ここのジムは本格的な人ばかりで明らかに浮いている。

でもわたしは今年で40歳になる。

恥も外聞もない。

ジム代を払っている以上前に進むしかないのだ。

きんに君の動画を見ながら、

周りの方々をチラチラ見ながら真似して毎日通った。

これを書いている今日がちょうど3ヶ月になるが

素人なりに10kg減量できた。

話を戻して。

PTA怒りのLINEが来た時、

ジムで結果を出しているわたし

「どうでもいい」と思ってしまったのだ。

どうでもよくはない、周りに迷惑をかけている。

だがどうだろう、PTAボランティアだ。

報酬なんてないし会社を休んでも肩代わりして貰えない。

PTAになったら仕事を、

プライベート犠牲にするのが然りなのか?

努力はしている、休日申請もしている。

だができない。

しかたがないのだ。

ジムに通うことによって

知らない間に周りの自己犠牲同調圧力ものともしない

精神力を少し手に入れていたようだ。

今ならわかる、

なぜ真面目にルールを守って生きてきた人より

ヤンキー達の方が豪華な生活をしているように見えるのか。

自分正義に従い

自尊心を守り

人間関係を築く訓練ができているからだ。

校則違反をしてでもオシャレを守り、

たまに学校をサボってでも友達円満関係が築けている。

対して偏差値低低馬鹿真面目高校に通ったわたし

ちょっと後ろ向きな事を言われるとお豆腐メンタル

明らかにおかしルールでもなんの疑問も抱かず従う、

極めつけは人見知りが祟って

大した人間関係も築けて居ないのだ。

なんとつまらない人間なのだろう。

そんなこんなでわたしジムに通っている間に

少し精神力、忍耐力が鍛えられていたようだ。

PTAがなんだ努力はしたんだ、

文句があるならそもそもPTAにもならず

逃げ回っているその他に言え。

言いやすい人をサンドバックにするな。

既にPTAで浮いているわたし

恐れるものなど何も無かったのだ。

PTAはあと一年半、

仕事はあと20年続く。

どっちを優先するかなんて明白だ。

自分自己犠牲押し付けるな。

わたしは今年で40歳になるのだ。

からでも遅くない、

自尊心を養うのだ。

今なら深夜の車すら通っていない赤信号でも

渡れる勇気が出そうだ。

そもそも夜は外出しないが。

余談だがLINEを送ってきた役員

後日直接謝罪にこられ、

LINEでも謝罪が届いた。

昔のわたしなら当然許しただろうが

今は違う。

直接謝罪はアーハイ、とスルーした、

LINEも未読で非表示にしたので読んでいない。

読んで自分の貴重な1日に影を落としたくない、

孤独になっても付き合いたくない人とは関わらない、

自分に正直に生きるんだ。

今はそう決断できる勇気を持てた自分が誇らしい。

わたしはあと2ヶ月で40歳になる。

手取りは15万のまま、

心は少し豊かになり体脂肪は少し減った。

41歳までの目標はあと20kg減量すること。

あと歌が好きなのに下手なので

あえてインターネット歌ってみた動画をあげること。

ふつう軽音部」のように受けるところにはウケるんじゃあないか

と思っていたりする。

40歳、既に色々失ってこれ以上すり減るものもない。

あわよくばそんなわたし

どうか友達になってくれると嬉しい。

人間力を、自尊心を養うのだ。

今度こそ人と関わっていくのだ。

どうぞ宜しくお願い致します。

2024-09-07

anond:20240907071833

ぶっちゃけ一般大衆は、進次郎に聞いてみたいと思ってたと思うんだよね。

それを恥も外聞もすてて、ちゃんと聞いてくれた田中龍作は偉いなぁと思った。

2024-09-06

anond:20240906105714

当時ママ友と話してた体感として当たり前に知っている感じで爆発したのは鬼滅無限列車かなぁと

あの辺りからはたらく細胞とか天地創造デザイン部とかママ受けしそうなタイトル普通に面白いよーと会話に出すオタクではないお母さんが増えた印象がある

それ以前は家の子進撃の巨人好きでーってお母さんが言ったらあの何かグロアニメ子どもに見せてるの…?ってザワッと外聞が悪い感じがあった

頂上戦争編辺りでワンピースブレイクしてファッション雑誌付録かにワンピグッズがつきまくった辺りも一般に浸透した感じはあったけど。

2024-08-22

川口ゆり必死擁護してた「リベラル」今どんな気持ち

って、どんなもこんなもないか

こんなこともう何百回もあったもんな。

恥も外聞も無い「自分無罪しかもうリベラルなんてやってない。

2024-08-21

結婚同棲してる時点で夫や彼氏ちんこをしゃぶり精子を飲んでる女がやたらと外聞を気にする意味がわからない……なんで……?

2024-08-04

自分クズなことを自覚した

初めに付き合った彼氏は私を振った。キッパリと振って、その後何の接触もしてこなかった。私もプライドなのか自制心なのか、ここで連絡してはいけないと思って連絡はしなかった。結果、綺麗に別れることができた。いや、未練はめちゃくちゃある。あるけど、事実として別れることはできた。

で、今。二人目の彼氏と別れた。今度は私が振った。振ったら、振られた方は連絡してこないだろうというのが私の見立てだった。ところが相手は一週間くらいで連絡をよこしてきた。恥とか外聞とかプライドとか、あるいは冷たくされたらどうしようって恐れはなかったのか。ない奴だった。

連絡が来て、ハッキリと、私は嬉しかった。行き場をなくしていた愛情が胸の奥から溢れてくるのを感じた。そしてまんまと返信してしまった。そこからズルズルと連絡を取り合う日々が続いている。

これはいけない。これはクズのやることだ。分かっていて、でもスッパリ切れない自分がいる。タイミングを逃したというか、初めからそんなタイミングなんてなかったみたいに思える。逃れられない問題に直面して、初めて私は自分クズと呼ばれる性質人間だということを知った。それから、昔私をスッパリと振ってくれた人の高潔さと誠実さも。

決着をつけないままで連絡を取り合っている。会おうと約束している。見ている未来はきっと違うのに、たまたま重なり合った今を手放せないでいる。不幸になることが見えていて、どうして離れられないのか。蜘蛛の糸があったら縋りたいくらい、私はクズだ。

2024-07-10

anond:20240706134049

>(最近メタ路線転換して恥も外聞もなくVision Proをパクっているのは良いことだと思う)

これどういう理論で?ソフトウェア方針の話?どちらも同じくらいの時期に発表されてたと思うんだけど

VR(meta)とAR(Vision pro)は違う

・「VRは見限ろうと思っていた」

この2点でそもそも好みの問題だろ?ARグラスが欲しくて、meta QuestはVRグラスなので合わないってだけの話じゃねえの?

あと割とVision pro絶賛してるけど全く値段に触れないのは何なの?

8万程度のガジェットと60万のガジェット比較してること自体変じゃない?開発意図から全く違うだろ。

現状の技術ではARグラスの開発は難しくて、60万の製品でならやっとそこそこのクオリティが出せたって話なのでは?

2024-07-09

anond:20240709122130

バラエティに金払ってヨイショしてもらってる会社から外聞は凄く気にするんだろうなとは

2024-07-06

増田Apple Vision Proファーストインプレッション

何者にもなれないことを心に刻みつつ感想を述べる。

過去自分はOculus GoとMeta Quest2を持っていた。

より具体的に言えば、まずOculus Goを買って失望した。

そして「次でダメだったらVRは見限ろう」と思って買ったQuest2にも失望した。

なのでQuest3は買っていないし、メタの目指す方向性にも賛同しない。

メタバースなんて流行らないよね。

最近メタ路線転換して恥も外聞もなくVision Proをパクっているのは良いことだと思う)

まず前提を確認しておく。

Vision Proは「VR」ではなく「AR」がメインである

現実光景ビデオパススルーVision Pro内のディスプレイに表示し、そこにデジタルオブジェクトを重ねる。

ブラウザウィンドウをいくつも空中に浮かべたり、巨大なウィンドウを広げて動画を観たりできる。

机の上でマスコットキャラクターを動かしたり、遠く離れた友人の3D映像を傍らに表示して会話したりできる。

また、Vision Proは、iPhoneと同じカテゴリ製品ではない。

PCMac)と同じカテゴリ製品である

Vision Proを付けたまま外出するどころか、家の中で動き回ることすら想定されていない。

じっと椅子に座ってPCを使うのと同じ感覚で使うべきものだ。

ではVision Proの使用感について語る。

さんざん言われている重さについては、そこまで重くは感じなかった。

というか良くも悪くもQuest2なんかと同じ装着感だ。

思うに、そもそもヘッドセットバンドで頭に巻き付けるという方式が間違っている気がする。

帽子のつばにぶら下げるとか、ネックバンドで下から支えるとか、何か別の方式模索して欲しい。

ライトシールも無くしたほうがいいんだろうな。

Vision Proで表示されるものは非常に美しい。

iPhoneの画面にドット感が無くなったのをAppleは「Retinaディスプレイ」と呼んでいたが、そのレベルに達していると思う。

Vision Proの中だけでウィンドウをたくさん浮かべ、動画を視聴し、Macミラーリングして作業をするぶんには、まったく何の問題もない。

一方で、パススルーが思ったよりも悪い。

もちろん最低限の実用性は備えている、というか業界最高レベルではあるのだろう。

Apple Watchの通知の細かい文字でも読めるくらいだ。

ただパススルーで見ると「解像度が1段階落ちた」感じがする。

たとえばVision Proを被ったままパススルーテレビを観るとちょっと美しくない。

となると「テレビ映像Vision Proにミラーリングしたい」と思ってしまうのだが、そういうアプリがまだないのがストレスである

パススルー完璧だったなら、アプリVision Proに対応していなくても、現実にあるものをそのままパススルーで見ればいい、ということになる。

しかし現状はそうではないので、とにかくVision Proの中ですべてやりたい、現実のさまざまなものVision Proの中に入れていってほしい、という気持ちになる。

まり、何と言うべきだろう、Vision Proから覗いた現実空間劣化していて、現実空間Vision空間が繋がりきれていないのだ。

もちろん、さらに将来的にはテレビやらの「目で見て使うような家電」は現実に置く必要はなく、Vision Proの中に置けばいい、という話にはなっていくだろうが…。

ともあれ今後、パススルーの性能は「本当に現実とまったく同じ」になるくらいまでめちゃくちゃ上がってほしい。

と同時に、Vision Pro対応アプリもどんどん増やしていかねばならないだろう。

Appleによれば、iOSアプリVision Pro対応は追加作業ほとんど必要ないらしい。

開発者が「このアプリVision Pro向けに配信する」というチェックを入れるだけでいいという。

それが本当かどうかは知らないが、アプリ開発者の皆さんには是非ともお願いしたいところである

文章入力には難があり、一つのボトルネックになっている。

現状、Vision Proを仕事に使うならMac接続することになり、そうすればキーボードを使えるので実用的には問題ない。

逆に言うと、Mac接続しないといけないのはキーボードを使うためだ、ということではある。

iPhoneを外付けキーボードのように使えたら、と思う。

ただ、仮想キーボードに触れて文字入力する感覚は、思ったよりも良い。

まり、ぜんぜんお話にならない、というほどではない。

無理やり喩えるなら、トラックパッドゲームをしたり、マウスでお絵描きをしたりするような感じか。

視線入力は、最初の頃はだいぶ暴れていたが、リアルタイム最適化が働くのか、それともこちらが慣れたのか、しばらくすれば落ち着いた。

とはいえ、一つ下のリンク選択してしまうとか、指でのタップが誤反応するとか、そういうことがちょいちょいある。

Webページリンクがいちいちハイライトされるのも鬱陶しい。

逆にボタン選択時のハイライトが見えづらいこともある。

このあたりのUIは今後どんどん改善されていくだろうし、改善されていって欲しい。

イマーシブビデオという180度VR動画がある。

Apple公式に用意しているもので、Quest2で観たものよりはさすがに綺麗だが、しかしそれでもまだ映像が粗い。

今後、たとえばVRアダルトビデオが観れるようになったとしても、Vision Proの解像度を満たすのは難しいのではないか

というか、180度360である必要がないと思うので、空間ビデオみたいな感じでやって欲しい。

ざっとこんなところだろうか。

Vision Proのハードウェア的なスペックはかなり要求を満たしていると思う。

あとはOSアップデートだとか、アプリ対応だとか、ビデオ解像度だとか、そういうソフトウェア問題になるだろう。

いや、ヘッドバンド構造はまだまだ改良の余地ありだが…なんか革新的アイディアはないんかね?

Appleには頑張ってもらいたい。

2024-06-18

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

anond:20240617181302

有能な方はいいですね、有能に生まれたかったな

しか相手に夜の店をすすめる人を見つけるのがはたして有能なのか

店通いって早世しそうだし外聞が悪いし金は出てくし病気はえげつない

人によるとしか

2024-05-31

人生が続く限り、同じ性格、同じ対応

「俺はずっとこれだ。知ってんだろ。お前が俺の扱いを考えろ」

なんて傲慢な考えだ。阿呆か。

自分だけは変わらず、今まで許されて来たから、変わる必要がないとでも言うのか。

ふざけているだろう。いまだに昭和の気分か。

「間違えたら叩くしかない」「俺はこう育った」「怒鳴れば従って来た」「ヤクザにも怒鳴り返した」「犬の躾も同じだ」「そこに座れ」

武勇伝のつもりか?

「俺はこの家の大黒柱だ」「誰が食わせてると思ってる」「口答えするな」「いいから聞け」「黙ってろ」

親か

「この家は俺の物だ」「お前を住まわせてやってる」「同じ家に住んでるならそれ相応の態度があるだろ」

死ね」「殺すぞ」「殺したくなる」「殴るぞ」

親が?

物に当たらない、理不尽に殴らないだけが正しいとでも言ってるのか。

そんな普通のことを、誇ることでもないし、当たり前のことだ。今は令和だぞ。暴力が横行していたような昭和価値観か、

変わる時代の中で生きている人間なのだから、新しい環境感情普通だとなることも、その時代の流れによって変わる物なのに

自分だけは、そのままでいいとでも思っているのか。

口答えしないからと、黙って従ってるから相手我慢していることが、助長させていると思うだろうか?

誰もが戦っていけるとでも思っているのか。

関わらないようにして、言われたことだけをして、極力顔を合わせるという接触自体を拒んでいるのが、

助長しているとでも断じるか。

従ってるように見せて、それが、好意に似た良い感情からとでも、思っているのか。

殺すか自殺かの二択をずっと心の中で考え続けていることを知っているか

でも私は私が大切だから殺人なんてしない。周りの人がそれなりに好きだから迷惑かけたくないからと、私は死ぬことを選べることを忘れるな。

避妊の失敗だろ。育てたくないと言ったことがあると初めて知ったけれど、もうダメだろ、なんだそれ、それを今まで二十八年とか続けていたことは

我慢ずよいと賞賛できたとしても、元を正せばお前が悪いんだろ。出した物の責任を取れ、いや私の年齢から言うとそれもそれでまだおかしいのだけど、

カッとなって言った言葉は常に頭にあることだろ。酔っ払った時に出る言葉と一緒だ。勢いに任せてでたなど、どの口がいう。

常日頃考えていなければ、そんな言葉は出るはずがない。怒鳴ってれば、手を出せば、済むと思っているのか。

なんて憎い、親というか、親が、子供に対して、たとえ、何歳だとしても、言っていいことと悪いこと、他人に言っていいと悪いとわからいか

幾つになっても、親は親であるし、子供子供だろ。

親が、子供に、面と向かって言っていいことと悪いことがあるだろ。

親の神話も、子供神話も、ああ、検索かけたけど、あれか、母性神話、それもあるだろうが

作った責任を取れ、変われ、責任を持て、考えろ、子供の親とはそう言う物だろ、自分を大切にしてその子供も大切にしろよ、できないなら元から作るべきではないし

パターンも考えられるだろ、だってだって子供だっただろ。考えなかったのか。

まぁ私の場合避妊の失敗だろうが、そんな話をしてるんじゃないけど、いや、母親はとても良く頑張って、かなり理想的母親像だろうとは思う。

子供の心を思って泣くのは、本当のところの考えはわからなくとも、考えさせない言動をするだけで、それだけでとても良いとおもうが、

それは親だろ。

子供が長年自称行為してそれを知って怒って大泣きして、腕を強くにぎっった行為は、それは親として正しいことだろう、

だけど全部が全部と言うわけではないだろうけど、外聞が悪いとかもあったかもしれないけど、そう言うことがあっただろうとしても、その場限りは嘘ではないだろうと思わせるその態度が、素晴らしいと思う

家族に対してそれほど期待はできないけど、比較的それなりに良い、親、いや、母親が、良かったからそれくらいには思えるだろうなって

妹に対してお前のこと見てるとイライラして殺しそうとか殴りそうとか、言ってる父親

もしその言葉を私の前で言ってみろ、目の前で首掻っ切って死んでやるって思ってるけど、私はいい子で聞き分けがいい長女なので、そんなセリフはあまり聞かないのだけどね

親として失格の父親、血が繋がってると、思いたくない、親と言いたくないお前、おいお前

お前のどこが親なんだ、親の責任は、子供が成人したら、大人になったら、なくなるとでも思ってるのか、

なあ、ねえ、どうなのさ

ある程度大きくなって、口が上手くなって、いろんな人間と接して、知って、それで、それはおかしいと言い返せる強さを持った、子供に対して、

親の責任は、親ではなくなると、そう思って、お前は妹と怒鳴り合いの喧嘩をするのか。

怒鳴り合いの末、暴れるからと、殴りかかって来たからと、妹をベッドに押さえつけている場面を見た私のことを考えたことがあるのか、妹の気持ちを、何を思ったか、考えたことがあるか

虐待と言えない躾の範囲で、引っ叩くと言っているお前、暴力が、手足で振るわれるものだけだと思うか、

心というものがわからないのか、何を言って、何をして、それが、心という見えない物に傷を負わせる行為を、知らないというのか、

漫画映画や、見るに堪えない聞くに耐えない、でも自分の知らないところで怒ってる数々の暴力虐待も、知識として知っているけど、それがなかったということだけが、恵まれているというか

そんなことをしないことが当たり前だというか、

暴力など振るう物ではないし、振るっていい物でもないだろ、そんなことがわからいか、肉体に傷をつけていないからと、だからいいと言えるのか

親だと思ってない、自分の家だと思っていた場所が、お前に貸してるだけだ、お前を住まわせてやってるだけなんだから、それなりの態度をしろよと言ったお前、なあ

それじゃあ子供の家は、どこだ、自分で探して暮らせば、そこが自分の家か、帰る場所は、ないと。そういう砦となるであろう場所が、ないと言うか、そうかそうか。

そっかぁ、ここは私の家ではなかったか、二十数年住んでいたこの家は、私の家ではなかったか、と思った時が、お前を親だと思わなくなった日だよ。

素晴らしいね、死んでくれ

そしてとうとう言うこと書いて、やっぱり、この家は俺の家だ、俺の名義だ。お前が出ていけ。なんで俺が出て行くんだよ。もういい、部屋戻れよ。って妹に言ったお前はやっぱり、親じゃないんだろ。

親じゃなかった、一緒の家にいる、一緒の家に住んでる、ただのおっさんだった。

やっぱり思った通り、三十年も持たない父親の皮だったな。

子供が成人したら親じゃなくなるとでも思ったのか、すごいな、見通しが甘いね

自分の選んだ結果が、現在につながるものを知らなかったか

甘い甘い甘い、考えが甘いぞ

死んでくれ、やっぱりお前は親じゃない、親っていう理想押し付けるな?じゃあなんなんだよ。親みたいに振る舞ってるくせに

2024-05-28

共同親権ムリ過ぎる

増田の両親は増田が中1のとき離婚

父親はクソ人間自営業で儲かってくるくせにろくに家に金を入れずいわゆる経済DVをしていた。母親婚姻前の貯金や金目のものを取り上げ、親や友人との連絡手段を奪い、家に閉じ込めていた。

父親毎日飲んで帰ってくるのに、母親と俺と弟は半合の米をお粥にして3人で分け合ってた。まじで惨めだった。平成生まれ平成育ちなのに酷い生活だった。

そんなんだから母親は働きに出ようとするのだが、「外聞が悪い」「お前が働きに出ると儲かってないと思われる」「俺を陥れる気か」と怒鳴って殴って阻止していた。母親は内職でなんとか日銭を稼いでた。俺も弟もなるべく手伝った。

そんなこんなのうち、父親愛人にのめり込み、運良く離婚できた。俺達は捨てられた形だが、嬉しかった。

3人の生活貧乏だが前よりは楽しかった。だが、父親愛人と別れてから大変だった。

突然「戻ってきてくれ」「子供だけは返してくれ」「子供は俺の生きがいなんだ」と親戚やら取引先に言い始め、中学校にも突撃してきたりした。

社会的地位もあるし口も上手いので、母親が悪いような印象操作も上手かった。

俺も弟も周囲に「父親おかしい。家にいるときには全然金も入れないし母親生活制限もして最悪だった」と言うのだが、「家に入れていた金を元妻が使い込んでいた」「息子たちを洗脳していた」「気づかなかったことを息子たちに謝罪したい」と父親が言うので、俺達兄弟は「母親に騙されている可哀想子どもたち」認定されていた。

共同親権が導入されていたら、絶対にクソ父親行使したと思う。

養育費を払わなくても共同親権には影響はない。しか収入は合算されるので低所得層向けの政策対象外になる。 

クソ父親は俺の進学先に口を出しただろうし、居住地にも文句をつけたと思う。

ある種の人間は、子供配偶者支配したがる。愛情なんてない。そんなに子供が好きなら単独親権を主張しろよ。

離婚前に「ふつう」に家事育児、出来ないならせめて経済面では貢献しろよ。

今回の共同親権施行されると、施行前に離婚している子どもたちにも適用されるという。

俺と弟はなんとか成人できた。

もし「あの時」に共同親権があったら、俺はこの世を去ったかもしれない。

2024-04-23

インターネットってこんなのだったっけ

常に誰もがサンドバッグ探してるし

汚い罵倒と病名を発声するだけの、何でもいいから叩くbotみたいなのもいる

陰気なオタクが慎ましく若干陰湿に使ってたフィールドから、陽気な異常者がメガホン使って積極的叫び倒して、恥も外聞もなく糞尿垂れ流しで暴れるフィールドになってる

2ちゃんも昔の方が好きだったな

専ブラ消してかなり時間経ったけど、もう戻らないだろうな

おかしい人は昔からいたけど、情報提供や助言くれるまともな人から消えてて、今はキチガイバーゲンセール会場になってんだよ…

インターネットって他人通信することがメインディッシュみたいなものだけど、もはや他人と関わらないことが一番快適なインターネットだよ…

2024-04-13

anond:20231002130823

これは結果が類似しているけれど、全く違うモノなんですねぇ。

ゲリラ戦というのは、あくま戦争の一形態でありまして、正規戦同士の会戦では手が届かない敵の後方を攻撃する一手法なわけであります。そのために非正規戦力(すなわち交戦者資格たる制服章票、武器公然携帯を行わない)を浸透させて、戦線の後方を攻撃する。これによって治安戦という形によって兵力の拘引を行ったり、補給線を攻撃することで、前線部隊の弱体化を狙う訳であります

ただし、普通はそれだけでは勝ちきれない。ために敵が十分弱体化した暁には、きちんと正規軍がしゃしゃり出て敵の正規軍を撃破することが想定されています

この一連の動作毛沢東理論としてまとめていて、あの虐殺ハゲを唯一認めることが出来るとすればこの業績です。もっとも夢見たバカがいっぱいこれに飛びついたお陰で無駄戦争がかさんで人が余計に死んでますがネ。

一方で、テロは別段戦争に限ったことではありません。一定の(普通政治的な)我意を強要するために単に敵勢力の弱体な部分を攻撃する、通らなければそれを継続する、ただそれだけ。


で、なんで日本左派過激派が好んでゲリラ呼称を用いたかというと、毛沢東理論的影響が強かったのと、あくまでそれが帝国主義との戦争であるという自意識が強かったからなんですねぇ。彼らの言い分からすると、彼らはあくまで悪の植民地主義者共をぶっ殺す正義共産国樹立尖兵であったわけ。そのうちどこからともなく(例えばそれら尖兵義士に触発された人民放棄によって形成された/人民救助のためにソヴィエト派遣した義勇の兵士たちの)正規軍がやってきて土人ジャップ群を撃ち滅ぼしてくれると夢想していたわけです。

例えば連合赤軍逮捕されたときに「ヘーグ条約に基づく捕虜扱いをせよ」と世迷い事を言うわけですよ。彼らの中では、彼らは正義の国から来た聖戦士交戦者資格を持っているんですな。なので、当節のオキモチテロ(迫撃弾などという寝ぼけた代物がまさにそれだ)

むろんテロ外聞が悪いという側面があったにせよ、そういう事なのです。モノには一応理屈がある。理屈と膏薬はどこにでも付く。

2024-04-01

暇空茜、日本保守党喧嘩して町山に救いを求める

暇空茜

@himasoraakane

町山さん日本保守党嫌いそうじゃない?(れいわとか支持者だから極北どうしで)

町山さん!日本保守党悪口進撃の巨人映画にたとえて話しませんか!?!?!?

https://twitter.com/himasoraakane/status/1774706496129126751

寿司屋ラウンジ嬢を殴ろうとして炎上、店に数回行ったことのある暇空茜が常連気取りで寿司屋側につく

井川意高大王製紙御曹司東大法学部卒でギャンブル会社の金100億溶かして懲役刑食らったが現在資産400億ある)、寿司屋を映え特化の趣味の悪い店だと批判

井川批判動画が暇空の寿司屋擁護動画よりバズる

暇空が井川批判井川日本保守党関係者から有村香に井川を叱れとクレームをつけて深夜1時半から4時過ぎまで有村をスペースに連れ込んで激おこ

有本のママみにほだされて一旦落ち着く

百田尚樹有村連れ込みに怒り暇空をブロック保守党信者は暇アノンと層がかぶっているが保守党側につき暇空を批判する右翼が急増

井川「いままで暇空は立場があって醜い争いを避けたい人間ばかりを 理屈ではなく個人攻撃して知名度稼いでたんだろうが 今回ばかりは相手を見誤ったな 恥も外聞も気にせず泥仕合上等だからなオレは」

https://twitter.com/IkawaMototaka/status/1774646284928045460

井川ニコ生番組に出演するよう要求される

暇空にとってアウェイ戦は禁忌

暇空、先日優しく対談してくれた町山おじいちゃんに助けを求める

2024-03-18

anond:20240318091937

キモくないと思われるようになったのではなく、時にはキモムーブをすることが市民権を得たんだと思うぞ。 

 

まり共感の力が重視されているのだ。

そういうキモいこと考えるよね~わかるわかる~私もそう。

気持ちがわかるからイイネ押すね。→自己肯定

 

 

これは、共感が強くなったというより、伝統とか外聞とか道徳とか恥の概念が弱くなったんだろうな。

個人主義の高まりの一環であろう。

2024-02-26

「女の方が得だよな」でも実態は逆ですよね…男の自覚なき特権とは

https://www.tokyo-np.co.jp/article/90239?dicbo=v2-52br3Wy


男性である清田さんがそれに気付くことができたのはなぜですか。


自身もおおむね「標準」の男性として生きてきて、特権無自覚享受してきた側だと思います

なのでまったく人ごとではないのですが、たまたま大学時代に始めた、恋愛の話を聞くユニット活動を続けてきたことが、ジェンダー問題を考えるきっかけになったのは事実です。われわれのところに恋バナ(恋愛話)をしに来る人の95%が女性かつ異性愛者の人なので、必然的に「彼氏が」「夫が」という悩みをたくさん聞くことになります

そこに登場する男性言動にあまり共通点が多かった。

たとえば謝らない、話を聞かない、すぐ不機嫌になる…。

そこで、ハッとさせられました。

自分自身恋人女友達、妻に似たようなことをやらかししまたことがあるぞ、と…。

ハッとさせられる構文だけども

ここで出てくる「謝らない、話を聞かない、すぐ不機嫌になる」ってのはさ

女の側も普通にあるわけよ

男だけが特別なんてこたないのね

ここで

私は不利益を被っている

私は人一倍我慢している

私は不当に扱われている

って外に零せて

実際そのように思って暮らせるのが「女の方が得だよな」なんだよね

昨今はこのような事を吐露する男も増えたし

実際、結婚なんてやってられねぇよって普通に考えるわけで

そうして、個になった時は、男の方が外聞の面でも生きやすいとは思うんだけど

「女の方が得だよな」って言われる背景は

家族を養う甲斐性を期待されたからでしょ

つらたん結婚して仕事かえようって出来ないのよね

寿退社って男は出来ないじゃん

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