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はてなキーワード: 国体とは

2024-11-18

anond:20241118123253

日本GHQ占領された時点で消滅しました

国体を引き継いでいると必死に主張はしていますが、当時とのつながりは完全に断たれていると思います

2024-11-09

anond:20241109120550

選ばれるためのことを何もしてないのに悔しがられても

無勉で東大落ちて悔しい、無練習国体行けなくて悔しい、いつの間にか単位落としてて親に大学中退させられて就活もしてなかったか無職なっちゃって悔しい本当は大卒上場企業正社員になりたかったのに…みたいな無茶苦茶な主張と同じ

2024-11-08

anond:20241108123347

日帝さんは負けてない! 国体を死なせなかった!! 戦い抜いた!! 守り抜いた!!

連合国の負けだ!! 日帝さんの勝ちだ!!

2024-11-06

anond:20241106230543

俺はアメリカパスポートもってるけど

アメリカになに期待してんだとは思うけど

日本国体としてはそれに遥かに及ばないだろうとも思う

から負けたんだし

9条があとか核があとかアメリカがあとかお笑いだよな

スタートラインに立ってない

2024-10-08

anond:20241008105705

ユダヤ教徒が悪いというより、イスラエルという国体が悪いと思うが、大昔からユダヤ教徒ヨーロッパ中で嫌われてきたことには、それなりの理由があると考えた方が正しいのでは?

ヨーロッパ人もヨーロッパの中や近くにイスラエルという国を作ろうとは言い出さなかったのだから推して知るべし

2024-10-01

ウヨクにとっての天皇価値ってなんなんだろうね

統一教会擁護し続ける自称保守を見ていて思った

共産主義への抵抗の要として反共主義者勝共連合の都合から連帯する、というのは分かるような分からんような

天皇すなわち国体、というのが保守世界観と考えていたので

反共という概念よりも下位においても良い、という判断に驚きと困惑がある

保守主義ならばそこは譲れない線ではないのか?

では、保守にとって守るべきものとは何なのか?というね

2024-09-15

夫婦別姓だと国が崩壊するって

すげえ思考

もし日本という国を知識で知ってるだけの人なら

天皇人間宣言した方が崩壊しそうなもんだよ

だって国体じゃん?

でもしなかったじゃん

 

そういう人間って夫婦別姓って天皇人間宣言よりパワフルな破壊なの?

ついていけねー

2024-09-14

X結婚失敗してる人多過ぎる

でも結婚って国以外得することないよ

自分自身国家同化しちゃってる人生負けおじだけが熱心だ…

お前は国体じゃねえよ

2024-09-09

郵政民営化郵便局員には派遣も入ってきた

ここに保険会社が絡み制度犯罪利用されるようになった

出した内容証明原本がいつの間にか家から消える

4、5ヶ月遅れ保険社の問合受領書と回答書が、いつの間にか家の書類ゴミ箱に入ってる

民営化を推進したのは小泉進次郎の親、国体工作は誰の指揮?

思えば会津戦争と初代最高裁長官福島原発横浜民営水道小泉進次郎妻、これらはフランス関連

東京五輪汚職捜査は19年皇族竹田フランス起訴のあと進展なし

アメリカ老舗のUSラバーフランス企業が買収(今ドイツ

これみんな某保険社の指揮かなと

マトモな弁護士だったら亡命するだろうなあ

2024-09-03

anond:20240902215013

高齢者医療を削減して早めに死んでもらう(北欧方式

若者海外出稼ぎに出てもらう(フィリピン方式

⑤諦めて斜陽を受け入れ生活レベルを落とす(スペイン方式

⑥場当たり政策問題先送りを延々続ける(日本南米方式

⑦定期的に戦争して人口調整ガラガラポン中世欧州方式

⑧持続的領土拡大と国体強化(中露方式

刹那的享楽的人生啓蒙し短命誘導アメリカ方式

 

選択肢はまだまだあるで

2024-08-06

anond:20240805223215

言いたいことはわかるが、やっぱちょっとネトウヨとか書いちゃうあたりに、本質的にこの人が右翼側嫌いなのかなって気はしちゃう

が、まぁそういうのは置いといて

右翼憲法破壊改革しようと思ってるんじゃなく、日本のもの国体を護るために変更したいということだと思う。

右翼本質慣性だと思っていて「動物は変更したがらない」ってことと結び付いていると思ってます

なので、強引に変更させられた場合、元に戻そうと必死になる。それが、憲法を変更しようとする動力になってるんじゃないかなと。

あともうひとつは、よく言えば現実主義で、環境に合わせた変化は受け入れる。資本主義が定着したのもこのあたり。

ただ、現実主義で、そこにそぐわない一定数の弱者が切り捨てられるのは仕方ないって考えているところはあるでしょう。

そういうところは、自然主義って表現した部分とある程度合うところかな。

左翼はこれらの逆で、理想主義なんだと思っています

左翼の方が賢いってピキる人がうんぬん書いていたけど、もちろん、どちらにも賢い人はいて、そういうところに差はないでしょう。

けれど、それとは別に、全人類が揃って、頭脳的にも精神的にも1ランク賢くなれば、いわゆる左翼社会考える人が増えるのかもしれない。とは思っています

左翼理想主義であり、人間はすべてよりよい方向にアップデートしていくべきであり、よりよい方向とは、弱者が淘汰されることは無く、誰もが平穏に生きていける世を実現すべしという考えである

その思想極致共産主義であるって感じかなー。

共産主義って、主義自体理想詰め込んだようなもので、トップの統制のもと利益はみんなで共有して、みーんな揃っておんなじ。そういう社会が一番平和でみんな幸せ

そういう考えだと思う。

でも、こういう理想は、今の人類には自身の未熟さのせいで、現実ではまだまだ完全に機能は出来ずいびつになってしまう事を右翼の人は感じている。理想はわかるけど無理じゃね?ってなる感じ。なので左翼はお花畑って見えるわけですね。

逆に左翼からは、これが理想的で一番いいに決まってるじゃないか。なんで馬鹿はすぐに無理だとか諦めてうだうだ言いやがるんだ!ってなるわけで、このあたりが左翼過激化する理由だと思っている。(学生運動やら日本赤軍やら)

右翼左翼に関してはこんな感じかなー

最後ひとつ付け加えると

いまの日本の形って、ある意味理想的な共産主義に近いんだけどなぁ……

資本主義ではあるけれど、国民皆保険生活保護等でできるだけ最低限のことは受け取れるよう調整してあって(もちろん完全に機能しきっているとは言わない)

こういうのは他の国にはあんま無いんよなぁ

このあたりは、資本主義共産主義の融合の形かなと思いますが、どうでしょ?

2024-08-05

東京オリンピックについて聞いた話

知り合いのおっさんは、地方高校とある運動部顧問を務めていた。

そのスポーツマイナー競技人口も少ないため

おっさんは成績を追い求めず、入部者にスポーツを楽しんでもらい、卒業後も続けてもらえることを目標にしていた。

 

東京オリンピックの時、おっさんはすでに一線を退いていたが

以前国体運営に関わった実績を買われ、競技会場のボランティアに参加することになった。

競技会場で、全国から集まったボランティアと一緒に予行演習を行っていると

スーツ姿の男たちが突然ドカドカと入ってきて

「これから〇〇先生がいらっしゃるのに、椅子の1つも用意していないのはどういうことだぁ!!!

と怒鳴り、会場がシーンとなったそうだ。

 

後に、他のボランティアにあれは何だったのか聞いたところ、こんなことを聞いたそうだ。

「彼らは日〇〇〇〇会のお偉いさんだ。

彼らはスポーツ推薦などで関東大学に入り

そのまま日〇〇〇〇会やそのスポーツの関連団体関連企業就職

学閥大学間のヒエラルキー、先輩後輩関係もそのまま社会人になる。」

「いつもなら、誰かがサッと椅子を用意してたんだろうけど

俺たちみたいな各地から集まったボランティアにそれを要求してもね。

いつも狭い身内としか仕事してないんだろうね。」

ニュース日大アメフト部の反則タックルの件報道してるけど

大学アメフト関係者も部を守ろうと必死でしょ?今回の件の先にああい事件があるんですよ。」

 

おっさんはこの件を受けてすっかり嫌になってしま

オリンピック本番での参加を辞退しようと思っていたが

幸か不幸かコロナ緊急事態宣言東京に行くのが難しくなり

オリンピック自体ボランティアは最小限にする方針となったため

結局参加せずに済んだそうだ。

2024-07-21

anond:20240721130416

人が居なければ復興できない

いや移民を入れればいいから。

地域紛争へと導き単一民族破壊移民を入れさせ、

その頂点にユダヤ傀儡を立たせ支配するのさ、アメリカのようにな。

それがグローバルユダヤ金融資本のやり口さ。

お隣の韓国通貨危機からの毒素条項シマFTA経済的に縛られ国体も壊され

ユダ金に支配されたメディアにより男女も分断されて強烈な少子化へと導かれて

単一民族破壊されて移民国家へと突き進んでるだろ?

そういうことだよ。

ちなみに日本可処分所得の減少による婚姻の難化政策に加え、弱者男性だのこどおじだのなんだので男女分断工作が着々と行われてるから

自由民主主義の先は暗いよ

2024-06-29

政体関係者暴力的手段に晒された時に出る「民主主義の敵」について

腐敗した構造に対して幾度となく文や声で批判してきたが、その実行的影響、実害のなさをもって舐められ続けた結果が国体衰退ではないのか。

凶器を持った暴漢に今まさに家族が刺されんとする中、相手を殴ってはいけない、正義のためならその家族死ぬことも覚悟すべきだと、安全から曰っているだけないのか。

それが自分の子供や配偶者であっても同じことが言えるのか。

そこまで民主主義を重んじるなら、あなたが何かして欲しい。

国が弱体化して家族が苦しむ様子を看過してまで守らねばならない形式とはなんだ。

お前らはゴミ汚物にまみれた部屋で朝日が昇る恐怖に苛まれたことなんかないだろう。

君たちのその聖人然とした振る舞いこそが、災禍の元凶であることを早く気づいて欲しい。

2024-06-23

[]

然るに近時に至りては、時弊に流されその神国なる所以(ゆえん)を忘るゝ者多きが如し。

これ吾国体に於て大害の兆(きざし)なり。

如何となれば、時流者偶々吾神典を一読するも、その意の解すべからざるを以て忽卒(そうそつ)一言の下に論じて曰く、

「吾神典に所謂(いわゆる)神国の伝は全く上古男女両人初めて吾日本国土発見し、その荒蕪(こうぶ)の地を開拓したる経営事業国生みと云ひ伝へたるに過ぎず」と論じ、

或は「両神国生みの伝は国民を生むを云へるものなり」と説き、

又或は「神典なるものは上古の小説にして比喩を以て作為したるものにて、彼(か)の俵藤太秀郷(たわらのとうわひでさと、藤原秀郷)の蜈蚣山(むかでやま)の昔話に類するものなりものなり」と評し、

甚だしきに至りては「神典なるものは上古の英雄が奇事を説きて神に託し、野蛮の民を治むるの具に用ひたる策略の書なり」と云ふに至る。


三者の如きは太古の伝説を見るの具眼無き者として暫くこれを怒するも、

英雄愚民を治むるの具に用ひたる作為なりと云ふに至りては、

歴世天皇の御徳に関するものにして不倶戴天(ふぐたいてん)赦すべからざる放言なり。

かくの如き妄説行はるゝ今日なるが故に、自ずから神国臣民たることを忘れ、

終にその心意を問へば外国人と異なること無きに至る。

今にしてこの弊を矯正ずんば、吾一系正統の皇位日本の習慣なりとして君臣の大儀も只に習慣と法律の上に存して精神の上に存せざるに至らん。

2024-06-20

原爆投下正当性という話になると、当時の日本軍事国家であり、国体というワケワカランもの国民の命よりも重要視していたわけで、原爆投下が無ければ、米軍上陸に備えて本土決戦子どもも竹槍を持って突撃しろ、非戦闘員身体爆弾を巻いて敵に飛びつけくらいのことをやっていただろうと思われ、原爆投下が無かったら戦死者はさらに増えていただろうと言われたら、返す言葉がない

2024-06-18

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

anond:20240618122648

そういう薄汚い発想しかできないから国が衰退するんですよ

お前みたいな堕落した男が増えたことで日本国体を成せなくなったんです

チンコマンコだ猿のような思考を繰り返してる日本男児の姿を100年前の日本人が見たら絶望するでしょう

お前のようなカス責任をとって今すぐ首吊っていただきたい

2024-06-05

副業解禁が広まらない理由


30代増田である世間では一応、公務職場市町村役場)で働いている。

最近ふと、副業解禁について思ったことがある。幣役所では残念ながら、副業に関する人事当局方針説明はなかった(国の機関では文書で通知があった)。

当然、今までと同じルールだ。労働系の副業は、農業を除いて厳禁である

それはさておき、世の中の流れとして副業OKになりつつあるけど、世間一般会社では浸透していないように思える。

その理由で感じたことがある。「職場の外で自己実現されると困るから」ではないだろうか。

私はイベント広報企画最前線で働いているのだが、周りから評価が低い男性職員がいる。私と同じ30代である

その人は、ほうれんそうができない。人が傷つく言葉遣いに気が付かなかったり、上司から休日の緊急電話にも出なかったり、仕事中に「私は能力が低い職員ですが、そのことに向き合って認めています」などと開き直りをしてる。

私もそこまでの社会人ではないが、それにしても彼はひどい。仕事中にも「信頼がなくても別にいいです」とかほざいてる。マジで意味がわからない。

でも、その彼は、どれだけ上司に怒られても、同僚から聞こえるように影口を言われても、平気なのだ

気にかけてないように見える。

実は彼は、学生の頃に剣道国民体育大会に出場したことがある。会社内の運動イベントの時に、私たちが住んでいる県の国体ジャージを着ているのを見た。今でも剣道をしていて、市内の有名な道場指導してる。

追記だけど、彼とは中学校高校が一緒である。ある程度のことはわかる。

まり彼には、自己実現をするための環境があるのだ。そこでの自信が凄まじいので、別に経済社会通用しなくても別にいいのだ。いや、彼の心理はわからないが、多分そんなところだろう。

正直、この職場はただの腰かけで、アルバイトのようなものなんだと思う。

いや、アルバイト公務員の正規職してるって、なんかもう笑いを通り越してしまう。

世の中で副業を推進していくと、彼のように会社仕事を離れて、自己実現ができる分野で活躍する人が増えるのではないか

すると、その会社にとってはダメージになる。本業から心が離れてしまっては困る。

そんな可能性があるから、どの会社副業推進に足踏みしているのではないかな~と最近思った。

皆さまはどう思われるだろうか。

2024-05-30

試合中に音楽かけるのなんなの

高校野球ブラバン応援音楽演奏するのは一体なんなの

どのタイミングで「音楽演奏しよう!」ってなったわけ?

少なくとも小学校中学試合演奏しないよね

高校になったらブラバン出てきて応援するのはなんなのよ いらんよ

そういや運動会ではテープ音楽流してるけど

国体100m走で流したりしないよね

逆に何故流さなくなったの?

国体ブラバン行って天国と地獄演奏すればいいじゃん

400mリレーかめっちゃ面白いと思うわ

なぜ野球音楽演奏するの?

プロ野球でも全然いらんし大リーグでもやってないでしょ

サッカー野球ほどでもないけどチャントとかも全然いらない

かに見たいわけじゃないけど音楽は気が散るからやめてくれ

2024-04-27

他人生活して自分が体力おばけであることを知った

タイトルの通りである

なぜなら増田祖父母、両親、兄弟友達、付き合う人間みんなが体力おばけだからだ。

増田子供の頃からとあるコンタクトスポーツを嗜んでおり、一時は結構良い線までいった。

70代の祖父は今も人にスポーツを教えているし、

母親祖父とは違うスポーツだが元国体選手父親元日本代表兄弟や親戚もそんな感じ。

自ずと付き合う友達もそんな感じ。

競技をしている時は早寝早起きだったが、引退してからは毎朝5時に起きて10キロ走って家事してちょっと資格勉強して出社、ジムに寄って帰宅して料理して食べてから深夜営業映画館で新作映画観てバーに寄って帰る。みたいな生活をしていた。

30代後半になって、普段とは違うコミュニティ出会った人と同居することになって驚かれた。

増田は同居する前から上記のような生活をしていることは伝えていたのだが、せいぜい週1〜2日なのかと思われていた。

増田同居人生活して驚いた。

夜は23時には寝て、朝も7時過ぎに起きてくる。

休みの日は10時過ぎまで寝ている。

だけど木曜日あたりからだるいめんどいと言っている。学生がカッコつけて言っている感じではなく、マジのトーンで言っている。

これが30代社会人普通、と言われた。

気になって職場の人に聞いてみたが普通だと言う。そして少しぼかしながら自分生活の話をしたら「たまにだよね?」「そんなこと毎日している人は体力おばけだよ」と言われた。

やっぱり異常らしい。

まり他人生活に興味がなく、自分プライベートについてもコミュニティ外の人に話す機会があまりなかったので分かってなかった。

まじで驚いたので、兄にこの話をしたらやっぱり驚いていた。兄は結婚相手もあるスポーツ実業団選手だった人なので、一緒に聞いていた彼女も驚いていた。

こういう違いって同じような人と一緒にいると全然気付けないんだなと知った。知ることができて良かった。電車の席はガンガン人に譲ろうと思う。

他人生活して自分が体力おばけであることを知った

タイトルの通りである

なぜなら増田祖父母、両親、兄弟友達、付き合う人間みんなが体力おばけだからだ。

増田子供の頃からとあるコンタクトスポーツを嗜んでおり、一時は結構良い線までいった。

70代の祖父は今も人にスポーツを教えているし、

母親祖父とは違うスポーツだが元国体選手父親元日本代表兄弟や親戚もそんな感じ。

自ずと付き合う友達もそんな感じ。

競技をしている時は早寝早起きだったが、引退してからは毎朝5時に起きて10キロ走って家事してちょっと資格勉強して出社、ジムに寄って帰宅して料理して食べてから深夜営業映画館で新作映画観てバーに寄って帰る。みたいな生活をしていた。

30代後半になって、普段とは違うコミュニティ出会った人と同居することになって驚かれた。

増田は同居する前から上記のような生活をしていることは伝えていたのだが、せいぜい週1〜2日なのかと思われていた。

増田同居人生活して驚いた。

夜は23時には寝て、朝も7時過ぎに起きてくる。

休みの日は10時過ぎまで寝ている。

だけど木曜日あたりからだるいめんどいと言っている。学生がカッコつけて言っている感じではなく、マジのトーンで言っている。

これが30代社会人普通、と言われた。

気になって職場の人に聞いてみたが普通だと言う。そして少しぼかしながら自分生活の話をしたら「たまにだよね?」「そんなこと毎日している人は体力おばけだよ」と言われた。

やっぱり異常らしい。

まり他人生活に興味がなく、自分プライベートについてもコミュニティ外の人に話す機会があまりなかったので分かってなかった。

まじで驚いたので、兄にこの話をしたらやっぱり驚いていた。兄は結婚相手もあるスポーツ実業団選手だった人なので、一緒に聞いていた彼女も驚いていた。

こういう違いって同じような人と一緒にいると全然気付けないんだなと知った。知ることができて良かった。電車の席はガンガン人に譲ろうと思う。

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