はてなキーワード: えぐいとは
今日一年の頃に仲の良かった女子4人組と女子会という名の共感認識すり合わせ会∧愚痴と文春砲炸裂会をするはずだった。
とりあえず遅刻した理由を聞いてみると髪の毛を黒染めにしてたらしい。
え、はたまたなんで黒染めにしたの?
『自衛隊幹部候補生研修の説明会に行くから印象良くしようと思って』
え、ミリオタだっけ?
え、先週弾丸で横須賀基地行ってきた?行ったけどマイナンバー持ってなくて追い返された?
え?なんかバックの中に自衛隊員の生き方〜みたいな新書本入ってね?お?
え、幹部候補生になるために英語もっかい勉強会し始めた?えらい!!!
思わぬ出だしの一言から女子会はお互いの進路について語り合う進路講演会になった。めちゃ楽しかった。
でもまさかの自衛隊しかも研究職∧幹部候補生目指すはおったげたわ。。。。やっぱ潜水艦とか造船とかは民間より自衛隊とか行った方が学べるんですかね…
自分航空機産業興味あるけど、民間のスバルに行くより軍事関係研究職行った方が思いっきりやれるんですかの?
アルコールに浸かった頭じゃなーんにも思いつかないや
AAカップの増田が若い頃はAAカップのブラなんてどこで売ってんのかわかんなかったのでとりあえず適当なAカップのブラをブカブカさせながらつけていたよ!
今なら通販とかで買えるところも結構あるみたいだけど店頭ではまだまだ全然見かけないよ。
自分のサイズにぴったりあうブラが欲しくなった若かりし頃の増田はセミオーダー下着のお店やフィッティングにめっちゃ時間かけてくれるちょっと高級なお店に行ってみたりもしたよ。
そういうところでの計測、プロの下着屋さんが脇腹〜背中の肉を「えいや!!」って寄せて寄せて寄せて詰めて「はいCカップですね!」みたいな手品をかましてくるよ!詐欺かな?意味わかんないよ!
そこでCカップのブラ買ったところでプロの手品を再現できる気がさらさらしないのですごすごと逃げ帰ったよ。
ちなみにそういうとこのブラは1枚8000円とかいちまんえんとかするよ。えぐいよ。
大人になった増田は結婚出産授乳を経てノーブラ生活に慣れきってしまい、
ユニクロのブラトップか「Sサイズ」とだけ書かれたスポブラでよかったんや。
何が言いたいかというと、
下着屋の出してるバストサイズ調査とかってたぶん下着の売り上げがベースになってると思うんですよね、
寄せて寄せて寄せて詰めてCカップ買わされたり
そもそもブラトップやスポブラしか買わなかったりする人も多いから
そういう統計に反映されなくて、その結果統計は実情より大きめに出たりするんじゃないかなって
増田の場合は平らなままガッチガチの皿みたいなのが突き出た感じのすごい変な乳になったよ。思ってたんと違う。
ちなみにちなみにアラフォーになって周囲の巨乳どもが垂れ乳に悩む日々を送る中、
最近背中を丸めると胸の下に谷間みたいなんできるようになったよ…
貧乳でも多少は垂れるみたいだよ……
まだ超初期妊婦
◾️
人より酷いのか酷くないのかはわからない。
今までは作り置きしてでも3食は全て自炊。汁物、メイン、副菜×2は用意していた。
マメというのもあるが、とにかく外食の味が苦手だった。夫と健康的な家庭飯を嫌がらずに食べてくれたのでほぼ自炊生活。
松屋、インドカレー、モス、マック、冷食、盛岡冷麺、こんな感じ。エンゲル係数何倍になった?
そもそも美味しくて外食してるわけでもない。基本全てうっすら気持ち悪い。一口食べてイケるか?って判断するしかない。
食べる前もMAX気持ち悪いし、食べてる間もムカムカして、食べ終わるとまた気持ち悪いのが始まる。
胃をモミモミされているような時もあれば、パンッパンに空気が詰まって破裂しそうな気持ち悪さもある。私は嘔吐まではできない派のようだ。
これまでに気持ち悪くて1日中寝転ぶ、食べる、トイレ行くしか出来ない日が3日。
それ以外は食べたいものの調達のために何とか外に出て、揺れる胃が気持ち悪いながら早足で家に帰り食べて寝転ぶ。この繰り返し。
想像してたキラキラ妊婦どこ?胎教と思ってクラシック聴かせるみたいなのやる気0。
辛すぎて自分が妊婦であることを忘れるレベル。1日1日が長い。キレートレモン神。
気持ち悪いのにお金だけが飛んでいく。家事も匂いの全てが辛い。目の前の景色が全て灰色に濁ってる。
◾️
私は元々体が弱く、持病悪化、病気療養のため会社を辞め、元気になってきた矢先の妊娠だった。
だから通勤もないし、仕事もないから1日中寝ていられるラッキー妊婦なのだけど。
これで通勤電車に揺られて、昼休み会社の近くにあるご飯やでしかご飯を選べず、気持ち悪くても仕事をしなければならないとしたら...?と考えるとこれまた吐きそう。
世の中の妊婦なめてた。気持ち悪さとかも、吐けばなおるのかとおもってた。席譲ったりしてきたけど、それはこう言う感じの状態を想像してたんじゃなくて、ずっと立ってたりすると赤ちゃんによくないのかな?とか、お腹張るとよくない?とか言うよね、みたいにぼやーっと考えてた。違った。
これは会社休むレベルの人間がなんとか立ってるから譲ってあげた方がいいやつだ(中期から後期は未体験ゾーン)うんちもれそうな人に席譲るくらい切羽詰まったやつ。
これ立って耐えてたらそりゃ切迫流産(流れてなくても危ない状況をこう呼ぶらしい)なるわと思った。
◾️
みんな生きているだけで大変だから。
うーん、でも妊婦キラキラしてないしけっこう本気でつらーーーーーい、下痢、鼻炎までコンボで毎晩37度超えるんやけど?妊婦じゃなかったら病気疑って毎日医者かかるレベル。
Xだとしがらみを感じるので自分の考えの整理のためにここに書こうかなと。
専業主婦が税優遇される必要はないです。それよりも子ども1名あたりの税控除などが必要だと考えます。は国の労働人口不足が大きいと考えており、理由はこの後トピックス毎に記載します。
各考えの論拠については曖昧な点も多いので、詳しい方、違う意見の方はコメントいただけると嬉しいです。
所得税その他控除が1,000万円1馬力世帯の方が多いことが気に入らないという話。
これって累進課税がずるいって言ってるの?だとすれば当たり前だけど、ずるくないです。確かに私自身にも累進課税がえぐいなーという体感はあるが累進課税なくして幸せになる世帯なんかほとんどないだろと思っている。(貧富の差が開いて幸せになる人間ってほとんどいない)
それとも1,000万円1馬力世帯は500万円*2馬力世帯に比べて多くの税金を支払っているので偉いという話なのか。
偉いわけないだろというのが私の意見。
現在の労働人口不足ってまじで半端なくて、1名のフルタイム労働者(時短でも)を支出している世帯に対して数百万税金を多く支出したくらいで補填できるわけがない。
前提として一般的な年収1,000万円の労働者から年収500万円の労働者2名分の労働力は発生していないと考えています。当たり前だろ。現在の深刻な労働人口不足に対してそれらの通貨価値と市場の重要にはかなり乖離があって、労働人口不足な職種の平均賃金で予算を用意しても必要な人数の労働者を雇用する事はできない場合が多い。だから、労働人数の差は累進課税程度の通貨では補填できない程に社会的価値の差があると考える。
第3号被保険者、まあ国が豊かで多くの人が現在の保険料の支出額に疑問がなければあってもいいのでは、と思う。ただ現状の日本でそう思っている人間はごく僅かであるためただただ不均衡を生むこのシステムは廃止したら良いと思っている。私は現在の日本には専業主婦世帯を積極的に支援する体力はないと考えているので。
セーフティネットが必要なのは有職者の妻(夫)だけじゃないです。本当にそれで暮らせなくなるのであれば生活保護でも受けたらええ。これに文句を言っている大半の世帯は生活保護を受けるレベルではないと考えています。
うちはほとんど所得制限世帯ではないですが、これは廃止したら良いと思っています。
これで節税される通貨と国民の意識の分断が割に合っていないと感じるので。この仕組みで旨味を感じられる人が少なすぎる。
まじで賃金などを無視したピュアな労働力というのが軽んじられ過ぎている。資本主義が悪いんか?
平日道歩いてて分からんの?電線直してるのも水道管整備しているのも40代後半~50代のおじさんばっかじゃん(後最近私が見たのは高校卒業する齢になっていなさそうな男の子)。コンビニもファミレスも日本人のアルバイトだけじゃ回ってない。
こんな状況で国が専業主婦を増やしたいなんて考えるはずないじゃろ。子どもが産まれていないのと同じくらい今後20年で働く人が足りてないんだよ。自分の社保険料分くらいは労働してほしいて当たり前なんだよね。
そりゃ子どもには何でも与えてあげたいっていうのは分かるのだけれど、労働人口が足りないあらゆる結果は子どもの為になりません。子どもは大切ですが国も個人も与えられるリソースは有限です。
労働人口不足による移民の大量受け入れ、地方のインフラ崩壊、これらが私は一番こわいです。
たかだか年収数千万円世帯の独力ではこれらの問題から子どもを守ることは不可能であるといった点で、ワーママだろうと専業主婦であろうと運命共同体であるという意識が必要かなと考えます。
午前中に書いた記事に夜にはいくつかの反応がついてる。はてな匿名ダイアリーって凄いですね。
" 年収1000万の人が1人で行う仕事を行うのに 年収500万の人を2人どころか何人揃えても不可能、ってケースは普通にいくらでもあるかと "
これは資本主義社会における時間あたりの労働生産性の話ですよね。これ適切に言語化できないのですが、今足りていない労働人口ってそれとはちょっと違うと思うんですよね。
ごめんなさい、私の勉強不足です。
すごく丁寧にありがとうございます。私の視点が欠けている点も含めて納得する事が多いです。
この反応への返信も含めて、このエントリーを書いてよかったです。
これが欠けた視点の最もたるところかなと思いました。そのとおりです。
" ずるい・ずるくないって話には意味がない。 "
良い人だなと思いました。
やっぱり3号廃止ってすごくセンシティブな話なんだなと思いました。
まずこのコメントくださった方と私の感覚に大きな開きがあり、私は専業主婦は別に負け組だとは思っていないです。私が2馬力世帯なのは生活の為なのでどう考えても自分が勝っているなどとは思っていないです。(勝ち負けの議論に意味がないことはわかった上で)
3号制度への一番の疑問はなぜ有職者の配偶者だけ助ける?という点です。別に私の人生にもあなたの人生にも様々な不幸は起こり得ますが、有職の配偶者がいるのだとしたらそれだけでそうではない人より恵まれている気がします。仮に有職の配偶者を失う話であればここの議論にも乗れません。
てめーも不幸になるかもしれないだろの論調で行くと不幸の底へ向かう早い段階で3号制度じゃ救われなくなると思っており、違う形の方が良いと思っています。また、出生を盾にするのであれば出生に対してボーナスがついた方が良くないですか?
TRPGプレイヤー、と書いてるけど実際はほぼ1個のゲーム宛て
数名に今から書く内容をされてTRPGプレイヤーへ偏見の塊になりました
遊びたくないポイント
①スケジュールが合わない
ただ何故かあいつら軒並み「⚪︎月に遊べる日はあるか?」の問いにスケジュールこんな感じ!とびっちりセッション()でスケジュール埋まったカレンダーのスクショ見せてくる
何がしたいんだ?遊べないならそう言え、
確認中ならそう言え。
みんな予定あるから前月くらいまでに先に日付抑えてくれたら休み取るね、って言ってるのにセッションで忙しいで断られるの、
プレイヤーからするとあるあるっぽいけど、どっかの月の1回も遊べない、予定も出せないは普通に誘う気が失せるので
遊びたくないから口実に言ってるのでないなら候補日くらい出した方がいいと思う
②セッション()やりたくない
オタク同士がなんかうだうだ喋って遊ぶゲームがそもそも楽しくない、時間拘束えぐい
私の想像力は乏しいのでなんかオタク同士が自分含め乳繰り合ってるようにしか見えない、ロールって何?
オタクが考えたオリキャラをそれぞれ8時間ぶつぶつしゃべらせるイベントが本当に辛い
終わってから「あーやっと終わった」しか思ってないのにシナリオの感想()無理やり前向きなこと言わされて
なんでAの地点でCしなかったの?とか知らんがなな反省会開かれて本当に苦痛
最初から頭の中でストーリーが決まってるならその台本でも見せてくれた方が変に時間使わずに済んで楽
③セッションを優先される
遊びの当日、眠そうにしていた友人に具合が悪いのか聞いたら「昨日遅くまでセッションで……」と言われた
結局友人は眠くて映画館で眠り、カラオケで眠り途中で帰っていった、それを数回やられてる
逆パターンで今日は早めに解散したいと言われて理由を聞いたら夕方からセッションあるからだった
①の感じで一生懸命前々月から予定組んでなんで別の予定バッティングさせて早抜けするんだ
てか言うなよ、まだ買い物あるからとか言われた方が気持ち楽だよ
それを早抜けの真っ当な理由と思ってるセッションメインの価値観がいやだよ
多分同じような葛藤(遊びたいけどTRPGしたくない……)抱いてる人はいると思うからこれだけは書いておく、
一挙公開していたので一挙に読んだ。
まずはその目と睫毛のギラギラ(白目)に面を食らうも途中で読みやすい漫画だなと気づく。
誰が何をしているのか、舞台上で複雑なことをするのに全部わかる。
背景が薄いわけではない。むしろ最近の流行りのスッキリして読みやすい漫画とは真逆。でもそれより読みやすい。思えば昨今の漫画は効果音が少ない気がする。
一気に読んでしまう。勢いがある。
登場人物たちのパワハライジメ嫌がらせ描写が犯罪の域。昭和はみんなこうだったんだろうか。いや流石に昭和への風評被害も多そう。でも影響された舞台人多そう。
漫画描写と演技の説得力がえぐい。マヤも亜弓も演技の天才だけど、作者は漫画の天才だよ。
マヤがなりきってるとか亜弓の集中力とか描かれる割に舞台上で雑念が多くて人間を感じた。安心。
真澄はロリコンなんだけど成人まで一線は引き続けたし生活をずっと見ていたわけでもなく億単位で推しに貢いだので名誉ロリコンでいいと思う。なんだろうなこの面白いキャラは…。
でもやっぱ酷いよ母親の件は。最近の漫画では序盤に現代レベルでちょっと意地悪いことして終盤までアンチに叩かれるキャラよりも酷い。ただあの母親も酷かったからマヤの感情もちょっと特有の執着あるよな。あの母親もやべぇ。月影先生もやべぇ。モブも含めてやべぇやつばっか。
かの有名な紫のバラの人、バラ口に咥えて立ってるんだろうなと思ってたけどそういうんじゃなかったんだな。あと聖唐人を紫のバラの人と勘違いしてたけどあの人ただの秘書でインタビュアーなんだなぁ。聖、真澄のなんなんだろう。
水城冴子が一番好きだ。多分この人は令和でもやっていける。全登場人物含めて令和でやっていけるのはこの人だけ。中盤から謎に見守るモブみたいな無意味登場あって、書きたいだけか人気出たものだと想像。
桜小路くん普通に平成的な良い子なのでこの漫画にいるの可哀想。あの彼女と幸せに過ごしていたらあんなことにはならなかったのに。読者が彼を邪魔に思うのも当て馬の定めか。甥っ子にしたい。
桜小路くんといい里見といい、本命以外の複数の男に淡く恋をするヒロインが新鮮。毎回ちゃんと嫉妬してグラス割っちゃったりしてる真澄くん草。
亜弓は勝手に孤独な女だと思ってたら家族にしっかり愛されてて赤井秀一みたいだなと思った。亜弓はイカれてる女なのだがマヤはもっとイカれてるので、二人こそ魂の片割れにしか思えないし真澄よりお似合いだとは思う。
でも真澄みたいな人脈と経済力がないとマヤは多分社会不適合者であるのでマヤには真澄しかいないんだろう。桜小路くんにマヤは扱えない。
そう思うとずっと同居してる麗やばくね?あれこそ愛だろ。
でさぁ終盤の展開なんだけど紫織はもう…そういう役回りだよな!!と…
本来は様々なエンタメを見る前にガラスの仮面を初期で見ておくべきだったんだろうな。あらゆるテンプレ展開がオリジナル描写としてなされているので先が読めてしまう部分があったのだが、先はない…続きはまだ描かれていないということで。
亜弓の展開にはびっくりした。飛躍して牡丹と薔薇展開か?と予想したがマヤと真澄はよくっつけや感もあるので、そうはならないだろう。
どうやら物語自体も終盤らしいので数巻で終わりたい気持ちはあるんだろうが、ストーリー的にはまだ20巻くらい続けられるんだろうなと思ってしまう。
一切の脈絡が皆無。ネタバレも全部する。思い出した順に書く。たまに自分語りも遠慮なくしてる。全部乱文。
一応高校〜大学でずっとラヴェルを弾いていた身なので、伝記的要素を含む部分についてはほとんどが「史実により既知」であり、8割がたネタバレを喰らっている状態。その中で「例えシナリオが外れても、余程地雷を踏まない限り彼作曲の音楽がずっと流れてるっぽいからそっちで楽しめるしな」という期待半分、保険半分。
結果としては大当たりだったけど。
初っ端から病気(史実)。開始10分程度でサラッと彼のバックグラウンドとルーツのおさらい。ローマ大賞の落選。「お母様はスペイン?いえ、バスク人です」。15分で作曲依頼を受けるスピーディー加減。ラヴェルがちゃんと包み隠さないマザコン(史実)。時代設定的に正しい、遠慮のないタバコ演出。モクモクしてない時がないのでは?
音の演出。「全てがリズムから始まる(トントトトン)」がキーワードで、机を叩く指、時計の秒針(規則正しく、まるで体に染み込ませるかのような1秒刻みを60回)、教会の鐘の音、ザーザーという雨音エトセトラ、エトセトラ。猫が布を引っ掻く音、床の軋み、風、そういったありとあらゆる身の回りの生活音からすら、「音」とインスピレーションを拾おうとする彼が印象的。
何より工場の機械音、壮大で、規則正しく、統一感があって、それで彼のルーツにも関わるもの。彼のお父様は確か工場の技師ではなかったか...。
音楽の使い方、そのメリハリ。基本的に何かしらの形で音(音楽、ラヴェルが自分で弾くピアノも含)が流れているところ、母親の葬式の間に「マ・メール・ロア 妖精の国」が流れて、納棺したらしばし「完全な」無音。遺品を眺めている間とか。彼は、母親が亡くなってから意気消沈して数年間音符を譜面に置くことができなかったと聞いているので、あの「完全な無音」がそれを表しているのかも。
ちなみにこの曲は私も大好きな曲。音響の関係なのかそれとも本当に演奏がそうだったのかわからないけど、薄いシルクを何層にも重ねた向こう側から星を拾おうとする感じの繊細な音の「揺らぎ」があって、タイトルに場面にも相応しく儚くて、もしかしたら今まで聞いた中で一番好きな演奏かもしれないと思った。
あらすじの面。基本的に史実を派手に脚色したりすることのない、極めて「元ネタに忠実」で誠実なパターン。
メインキャラのミシアはラヴェルにとってのミューズ的な存在として描かれていて、まあ実際そうとしか言いようのない感じ。双方ラインを引いていて、その中でミシアは彼女にできる精一杯でラヴェルに近づいて彼の芸術を後押ししていた印象。ボレロを「良い曲だから、ぜひ外に出して」というあたりなど顕著。
ラヴェル→ミシアは、ある意味「敬虔」に近い崇拝の仕方をしていたと思う。キスじゃなくて曲を書いて捧げたいという思考回路。それが彼にできる精一杯の愛情表現?
物語の終盤で彼がミシアに「少しは愛していた?」と聞いたら「もっとずっと」って返ってきたのはあまりにも切なすぎないか。それに対して無言で呆然とするラヴェル。病気のせいもあってすでに一人老け込んでしまって、記憶障害も失語症もある中で、なんとか断片を拾い集めて、「少しは愛していた?」と問うのはミシアにとっても少し残酷だし、まあ割と「今更気がついたの?」みたいな面もある。そして「その拾い集めた断片であなたがようやく認識したものよりも、もっと、ずっと」ということなのだから。
命の終盤で知るには手遅れ感が、もう取り戻せないもののような感じが強い。
少なくとも二人は恋人になって一般的な恋人たちが踏む手順を全て踏みに行く「愛」じゃなくて、もっとこう、違うんだよね。詩的な感じがある。
あと、作中でミシア、マルグリット、イダ、マダム・ルヴロが4方向から、それぞれがそれぞれにできる「母親」的役割をしていたもの中々面白かった。
多分、一人でも欠けてたら色々もっと難しかったねと思う。作曲も、人生も。
だって、誰が「エナメルの靴がなかったら指揮できないです」ってなると思うねん。ルヴロ婦人めっちゃ爆走して靴だけ届けにきてたよ。
【ちょっと残念だったところ】
寂しかったともいう。従軍(といっても病弱により医療班・運転手)したところはしっかり描かれてたけど、それがきっかけで書かれた「クープラン」への言及が皆無。
【結局ボレロって】
作中でも「初っ端から病気」ラヴェル、病気になって体が上手く効かなくなり始めた頃に作曲した(ほぼ晩年の遺作扱い)のが「ボレロ」なのであんな真っ直ぐ空に突き抜けるような物を、あんな堂々として力強い物を、一体何を考えながら書いたんだろうってずっと思ってたら10年くらい経った気がする。
そしたら今回の映画ですわ。...って話。
大学生の時にモダンダンスの授業があって、そのレポートで私がテーマにしたのもラヴェルの「ボレロ」と作中でも踊られていたバレエだった。(もっとも私が題材にしたのはシルヴィ・ギエムのバレエなので、今回の映画内のものとは相違あるが...)(しかも「踊りだけ」に集中してレポートを書けばいいものを、余計に音楽に割いた文量が多かったために若干の減点を喰らっている。)
舞台は酒場の円卓、官能的な踊りを披露する踊り子と、周りを囲んで踊る男性たち。実際(これも映画内で言及あったが)絶妙なエロティックさがあるのだけれど、どちらかというと「存在の主張」をするかのように体を余すことなく使う振り付け(それ以前のバレエ作品というと「この世のものではないかのような舞」が多いので、その対照的位置づけとして)。
曲の音程が徐々に下がっていく箇所でも「むしろあえて」手を高くあげ、足を振り上げ、天井を見つめるような独特の「極めて原初的な生命力」のアピールを感じる踊り。スネアドラムの規則正しい音が、私たちの中にある何かを鼓舞しているように聞こえるまである。
去年、あの家を出る半月前くらい。引っ越す引っ越さないみたいな話で親と大揉めに揉めたら、仕事から帰ったあと19時くらいに追い出されて12時半くらいに入れてもらえるまで3センチヒールの靴で12キロとか歩いたことがある。(昨今話題になった狂歩に近い感覚。この場合、時間帯が時間帯なので、落ち着いて座る場所がなかったのも原因の一つだけど...)
その時、夜露が降った時間帯に濡れながら聞いたのも「ボレロ」だったな...という遠い思い出。何もかもがしんどくて仕方がなかった時に「規則正しく徐々にクレッシェンドに向かって、やがて崩壊する」音楽に救われたのは、私の人生の中で無視できないと言っても過言ではないと思う。
...夜露に濡れて、住宅地は灯りもまばらで暗くて、あんな時間帯に歩いている人なんかいなくて、ボレロがイヤホンから流れたときはすごい泣いてたけど、それでも、
規則正しいスネアドラムに引きづられるように、ヒールの靴できちんと歩いた。あの曲が最後「噴火するかのように」崩壊するのと同じように、私も「あの家の暮らしを終わらせてやる」と誓ったのを覚えている。
あれを思い出すたび、私はいつも冒頭の問いに戻る。
「病気になって体が上手く効かなくなり始めた頃に、なんで真っ直ぐ空に突き抜けるような物を、あんな堂々として力強い物を書けたんだろう、一体何を考えながら書いたんだろう。
そしてそれが100年以上経って私のような人間をある意味で救ったなら、あの曲の持つ力ってなんなんだろう」
まあ、考えながらというか...今日見た映画だと割と「メロディをふり絞ってた」けど...笑
ちなみに「同じリズムの繰り返し、催眠のよう」と映画内で言及があった。「確かに!」である。
少なくとも今日、私は「一つの解釈」を見ることができて非常に満足。
史実ラヴェル、脳の手術時に脳みそに生理食塩水をぶち込まれて四日後くらいに亡くなるわけで...。ナレ死とかやだなーって思ってたら。
手術する病院に行く車に乗り込むあたりからかかっていたのが、ボレロだった。
なんと、作中通して詩的なエロティックさ、生命力の象徴として描かれ扱われ、私たちに散々見せつけてきたあの「ボレロ」が
(本人や友人たちは知りようもないが、ラヴェルの最期を知ってる観客にはわかってしまう)死にに行く道中の、「葬 送 曲」になったのである。
「ラヴェルさん、靴をお忘れです!」「今はいいよ、後で届けてくれるかい」の会話すら、もはや「処刑場へ向かう馬車に乗る直前の風景」に見えるまである。
まさかラヴェル手術後の死に顔に登場人物たちのリフレインと一緒にボレロを聴くハメになるなんて、思ってもいないです。
最後は彼の亡霊のように、若く蘇ったラヴェルが指揮をふります。