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2024-06-18

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

2024-06-09

60の既婚イケメンおじさんを若返らせれば少子化問題は一気に解決する

12歳くらいに若返れば金も持っててリスキリングも選び放題

インターハイも目指せる

2024-05-10

anond:20240510103842

女子県内から掻き集めればインターハイは狙えるから、そういう先生は割といる(全国では通用してないが)。

男子根性論だけでは、やや厳しい時代になってきている。行けて都道府県上位。

2024-05-01

anond:20240501132933

HEY!社は決まった学校に秋ごろ訪問して

就職担当先生から推薦してもらって(ここで入社は100%決まる)

会社見学

面談

内定式

やな

インターハイ行く運動部キャプテンで成績トップとか

割と有能

適任者がいない学年もある

EZ

2024-04-25

そろそろはてなー夏の甲子園で騒ぎだす頃なのでサッカーインターハイの日程貼っておきます

7月26日(金) 開会式   

7月27日(土) 1回戦

7月28日(日) 2回戦

7月29日(月) 休養日

7月30日(火) 3回戦

7月31日(水) 準々決勝

8月1日(木) 休養日

8月2日(金) 準決勝

8月3日(土) 決勝

8日間で6戦するみたいです

開催地福島県広野町の去年の最高気温も貼っておきます

7/26 31.6

7/27 32.3

7/28 31.7

7/29 30.7

7/30 31.7

7/31 32.9

8/1 28.0

8/2 31.8

8/3 32.4

去年は連日30℃超えでおととしの8/2には35.6℃を記録したみたいです

いかがでしたか

2023-12-06

Chu!破壊部でゴメン❤️

今年もインターハイ目指っゾー!オーッ!

破壊ィィィーッファイッオーッファイッオーッファイッオーッ

破壊ィィィーッファイッオーッファイッオーッファイッオーッ

2023-11-15

東大合格者を出した高校限定税金体操愛好会の設立許可しなさい

税金体操を作りインターハイの種目にしなさい

会計資格において一つの受験資格にしなさい

2023-10-17

anond:20231017223554

選挙の前にどこが勝つか決まっているんだよ

インターハイもふさわしいところが勝っている

2023-09-24

anond:20230923233813

ネットインフルエンサーしてて300万稼ぐ16歳。インターハイ出場経験があって、東大も余裕の学力の持ち主。モテモテデートキスは色んな女としたことあるけど、付き合ったりセックス経験は今のところない。

みたいな強者弱者男性スコア10になるけど、良いのか?

2023-09-15

お金持ちすごいなと思った

子ども学校関係で仲良くなったお母さん。

すごく教育熱心。

幼稚園中学生まで子ども3人いるんだけど、全員週5で習い事してる。

お金かかるし送り迎えすごいなと感心していた。

旦那さんは親の病院を継いだ開業医

1番上の中学生は、幼稚園から小学校までクラブチームで週2でサッカーを習っていたものの、

中学校では部活テニスを選んだそうだ。

そしたらそのお母さん、応援したいということで息子に個人コーチはもちろん、

少しでも練習相手になりたいと自分コーチをつけて習い始めた。

1時間8000円とか。

私はたまたまテニスインターハイに出ているので練習相手になることにした。

そしたらこともなく

「今テニスコート作ってて」

子どもだけでも通える良さそうな土地があったから買って、11月にはできそうなんだー」

と教えてくれた。

私は感動した。

達成するためにはお金なんて気にしないし気にしなくてもお金はあるんだなと。

そして自らも上手くなろうとする向上心の強さ。

田舎県庁所在地に住んでるんだけど、なんか圧倒された

2023-08-23

anond:20230822100404

甲子園ベスト8まで進める高校で主力やってる推薦枠ならFランではないだろ本当はよ

仮に東京でないなら全部Fランみたいなレイシスト思考なら、そういう所と繋がり強いとこ調べて進学しろって話だわ

まあ一つ言えるとしたら、仮に本当にFランだったとしても甲子園ベスト8レギュラーってだけでスポーツ関連企業なら東大卒より重宝されるし、仕事をする上で最も重要な年上のオッサンとのコミュニケーションを取るに当たり、話題としての価値サッカーインターハイ比較しても100倍はあるぞ誇張大袈裟抜きでな

2023-08-20

anond:20230820144529

まあ本気でやるならインターハイに行くコースしか考えられない学生スポーツって多いからな

からゼロベースインターハイ制度策定するとしたら「この炎天下学生大会プレッシャーを与えながら長時間競技をさせるのは危険ではないか」って話になるはずで、やりたいスポーツガチでやろうとすると現実的にはそこに参加するしかないという状況は少し気の毒ではある

2023-08-09

anond:20230808133534

実際、世論を動かしたいならインターハイについて言及した方が効果なのは間違いない。

インターハイ地元の協力がないと開催できないので、猛反対の声があったら設備が借りれない。実際、コロナの時は設備を貸してくなくて、高体連の中止はかなり早かった。

そもそも審判役員を集めるのも大変。社会人は平日に審判いかないといけないので、会社を休んで出てる。その上で、批判までされたら絶対行かんわ。

空調のない室内競技は実際に今年のインターハイにもある。北海道は例年涼しいから、仕方ないと言えば仕方ないけど。

全国回ってたら、空調のない体育館は勿論、専門設備のない体育館での試合もあったし、照明が暗くて球が見えないところもあった。某県の山でやった時は気圧で見たことない競技になってた。全国回るのもしんどいし、いっそ東京体育館とかを聖地にしてくれた方がみんな喜ぶだろうな。最近だと、四国北海道鹿児島か。

日程はいつも言われているけどやばいトップ選手と比べると1日あたりの試合数は5倍ぐらいある競技もある。試合中の怪我はあまり聞かないけど、これに対応する練習では怪我しても仕方ない。

金もない。一部の競技クラウドファンディング資金を集める状況。

から、夏のインターハイ危険性が全国的に盛り上がって、地元が猛反対したら多分開催はかなり危うい。

高体連に関わっていたら、本当に高野連が羨ましいと思う。良くも悪くも高野連世間の声より選手の声を大事にしている感じがする。高体連構造的に世間の声を聞かざるを得ない。

高体連が堕ちたら、「なんで野球だけ特別扱いなんだ」という人がなぜかたくさん出てくるから高野連ちょっと困るかもしれない。

でも、コロナで中止になった時は高校生に何て声をかけていいか本当にわからんかったな。本当に生活の全部をかけている選手に慰めも言いづらかった。

ちなみに空調のない体育館練習しているけど、熱中症気味になる選手は数年に1回みるぐらいで、救急車を呼ばないといけなくなったのは15年で1回ぐらいしかたことないな。

色々対策しているし、今は気分が悪いと即刻休憩しているし。

2023-08-08

anond:20230808171226

からやり投げに対して真夏インターハイするなとか言わないでしょ?

やり突き刺さって死ぬかもしれない環境でやってるのに熱中症がどうこうとか的外れ過ぎ(やり投げだけに)

anond:20230808133534

2時間ちょいで試合が終わって攻守入れ替えで都度休める野球より過酷インターハイはいくらでもあるぞ。

2023-08-07

高校野球夏の甲子園)と他の部活について

毎年恒例、夏の甲子園選手権大会)がネット上で話題になっている。悪い意味で。

自分が言いたいことはどこかの誰かが既にネットで書いているので、思いついたテーマで少し書きたい。


夏の甲子園は毎年8月に開催されており、他の部活でいうインターハイとは全くの別物。

高野連高校野球連盟)と新聞社朝日)が主催となって、夏の甲子園が開催される。

一方インターハイ高体連高校体育連盟)が主催となって開催されるようだ。(詳細は知らん)

インターハイの時期としては7月後半から8月にかけて実施されるようだ。(球技毎に日程違う)

「なんでほぼ同じ時期に開催されるのに、いつも甲子園だけ批判されるんだ!」というお気持ちは、いつもの流れなのでここでは書かない。

野球甲子園固定に対して、インターハイは毎年場所変わるので全然別物。


自分が着目したのは、他の部活夏の甲子園(もしくは春のセンバツ)みたいなインターハイとは別にピークが存在する部活はあるのか?という点。

すぐに思いついたのは、サッカー選手権大会バスケウィンターカップ春高バレー、冬のラグビー花園のやつ)。全て冬休み全国大会12月1月)に開催される。

高校野球比較していってみたい。

夏の甲子園擁護したい訳では無いのであしからず



大会ピークについて

まず高校野球については、夏の甲子園ピークだと言って問題ないと思う。そうでない高校も多少あるが、ほとんどの高校野球部がそこに向けて日々練習に励んでいる。6月~7月に地方大会が開催され、そこで敗れると3年生の最後大会となることが多い。つまり引退時期は6月~8月と明確。

※全員が本気で目指している訳では無いとかは、本題とズレるから虫。

一方上記で上げた部活高校サッカーバスケバレーラグビー)は、学校によって方針が大きく異なると思っている。

冬の大会ピークと書いたが、正確にはピークの一つでしかない。学校/部活によってインターハイピークにしているところもあれば、冬の大会ピークとしているところもある。

インターハイピーク(3年生の引退時期)としている学校は、冬の大会は2年生中心で戦うしかない。冬の大会ピークとしている学校は、それまで3年生が残っており、冬の大会では圧倒的に有利に戦える。インターハイはもしかしたら逆かもしれないが。

注目度の高い冬の大会に絞って考えれば、勉強もある進学校は不利で、スポーツ強豪校は有利だと考えられる。進学したい高校生にとって、3年の冬、センター直前まで部活なんて無理。

なのでピーク2部制を整理すると

メリット

 ・学校/部活によって、ピークを自分たちでコントロールできる(俺は冬まで残るなど、個人レベルでも選択できそう)

デメリット

 ・注目される冬の大会では、学校/部活によって有利不利がどうしても生まれしま

高校野球比較をすると

メリット

 ・どの大会ピークという観点では学校/部活によって戦力差は生まれない(公平性がある)

デメリット

 ・インターハイピークの他の部活よりも、引退時期が1~2ヶ月遅い(これは体感

別にどれが正しいとかではない。



ピークの時期やスポーツ特性に関して

上記でも書いた通り、サッカー等の部活の大きな全国大会ピーク)は年2回あり、その特徴は高校夏休み冬休みに開催されるという点。

それはスポーツ特性として、季節・天候に強い競技だということも関連している。時期に関わらず試合ができ、多少天候が悪くても中止になることは野球より少ない。

野球はとにかくそういう面でデリケート/脆いスポーツだ。冬にはまともな練習もできない、プロでも冬は休みか、温かい気候場所にわざわざキャンプ自主練として行くほど。

天候にも弱く、雨の日は基本中止になるケースが多い。グランド状態判断するケースも多いので、前日の天気にも左右される。(頑張ってやる時もあるけど)

四季があり、梅雨もある日本野球に向いていないと思う。大会の時期をズラすのも結構難しいのではとも思う。

冬に試合ができないスポーツのため、春(センバツ)と夏(甲子園)という、偏った時期に大きな大会が2つもある。


話を大きく戻すと、高校野球に限らず他の部活全国大会夏休み/冬休みに開催される。これは高校生への色々な配慮の結果だと思うが、真夏に開催するのは仕方ないのかもしれない。

また高校に限らず、中学生も、もしかしたら小学生全国大会夏休みに開催されると思う。甲子園が目立つため矢面に立ちやすいが、ネットで書かれていることは根本的なことではない。

とはいえ、じゃあ全部廃止だ!となってしまっては、大人存在する意味がない。子供を守るという一面もあれば、チャンスを奪う一面も大きい。

こと甲子園においては朝日NHK批判されることも多いが、そういう小さい問題ではないので難しい。どうすればいいんやろね。

2023-08-03

インターハイは才能のある選手はいないので死んでもいい」

Arturo_Ui そもそもサッカー界でインターハイはあまり重視されていない点に留意すべき。才能のある選手プロユースでプレーしてるし、それに次ぐ強豪校はプリンスリーグがメインで、知名度が高いのは冬の高校サッカー選手



クソワロタ

anond:20230730122947

甲子園はベンチに冷房付いているし、今後も銀傘も拡張したり、給水タイムを作ったり、高校スポーツだと一番頑張っているのは間違いないと思う。今年のインターハイ北海道だけど、結構暑いから大変らしいとの噂

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230718150441

らしいので球児は死なないんじゃないか審判はそこそこ倒れているけど、まあ未来ある子供が守られれば、うだつの上がらない大人が4ぬ分には何も言われなさそう。むしろ年金をよく守った!になるかも

anond:20230730122947

野球ってまだマシな部類なんだよな

攻守で交代するし

他の屋外インターハイ競技のが大概よな

サッカーもだけど陸上距離とかやばそう

2023-07-18

またはてなー甲子園をやめろって騒ぎ出す頃なのでサッカーインターハイの日程貼っておきます

1回戦 2023年7月29日

2回戦 2023年7月30日

3回戦 2023年7月31日

準々決勝 2023年8月2日

準決勝 2023年8月3日

決勝戦 2023年8月4日

試合開始時刻は9:30 12:30 14:30の3つです。

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