はてなキーワード: 心理検査とは
久しぶりに実家に帰ったら弟が不登校の中退引きこもりニート目前になっていた。まだ高校生だし今なら引き返せる気がするからアドバイスが欲しい。
弟は半年前くらいから不登校になり始めて、最近は完全に不登校になった。
昼は寝ていて深夜に起きてカップラーメンを食べ、PCゲームとYouTube、ソシャゲ課金をするだけの生活をしている。
弟は高知能ASDというやつらしくて、IQは引くほど高いのに、精神面はかなり幼い。
高3なのに、ひろゆきの真似をして、ネットで見たことを自分で考えたように話す。
他の子が彼女とディズニーに行く中、一人野獣先輩の話をしている。
怠惰で、今やらないと後で何倍も大変になるとわかってても絶対にやらない。
テスト期間や受験期であっても勉強せず、当日はどうするのかと思えば休んで逃げる。
日常生活もだらしなくて、布団の周りにはシコティとゴミが積み上がっている。
友達の志望校をfランと言って馬鹿にし(勉強をしないからその子の志望校にかすりもしない)、母親の仕事を本人の目の前で笑う。
より最悪なのはこの状況を母親が助長してイネイブラーになっていること。
塾を勝手に退塾していても何も言わないし、寝坊して朝起きてこなくても何も言わない。作り置きを食べずにカップラーメンを食べても、勉強を全くしてる様子がなくても何も言わない。興味が無いのではなく、立場が弟の下にあるのだ。
買い物に行くと弟は母の持つカゴに何でもかんでもポンポン入れていくし、母も母で弟がこのメーカーの炭酸しか飲まないからといって毎回遠いスーパーまで買い出しに行っている。
このままだとダメだと母に何回も言ったが、改善されることはなかった。
母はあるトラウマから、厳しくして傷つけるのも、弟からキレられるのも怖いため何も言えない言わない。
母が弟に強く出られない理由はそれだけでは無い。
弟は気に入らないことが起こると首吊のロープや煉炭のセットをこれ見よがしに見えるところに置く。
何も言わない母を見かねて、自分が弟に学校や将来の話をしに行ったが、その後ちゃんと食卓に首吊りロープが置かれていた。
弟は将来を
何もせず一生家でゴロゴロニートになるか、死ぬかの2択だと言っている。それしか幸せが無いと。めんどくさいことをやらされるくらいなら死ぬと。
精神科と心療内科二軒につれて行っても元々の気質だと言われ効かない漢方しか出されなかったし、今もYouTubeをみてゲラゲラ笑っていて楽しそうだから、鬱とかではなくこれが弟の本音なのかもしれない。
スネかじりニートになって欲しくないのは弟の為といいつつ自分たちのエゴかもしれないが、このままだらしないニートになっていくのを見過ごすことも出来ない。そもそも母に齧るすねなんてない。
17歳の弟がこれから先幸せになるにはどうしたらいいのか全く分からない
(追記)
こんなに反応あると思ってなくて驚いてる。みんなありがとう。
まずはASD関連が多かったのは予想外だった。
分かりやすくASDと書いたが診断された訳では無くて、心理検査を沢山した中の1つで傾向ありと出たらしいからそこまで深刻に捉えてなかったんだ。
あとは弟が発達障害だって信じられない気持ちも大きい。弟は昔は友達も多くて、中学のときは彼女を紹介してくれることもあった。だからコミュニケーションが苦手と言われるASDと弟がどうも結びつかなかった。
高校もほぼノー勉で私立だけど(地方だから公立の方が偉い)の偏差値60後半くらいのとこに受かって、母も自分も弟に期待してたしそれもプレッシャーになってたと思う。
ただ、ASDだとしたら何らかの支援が必要だし、自分ももっと特性に合わせなきゃいけないから、詳しい人いれば教えてください。
あと見捨てるかどうかってところ。弟のこと疎ましく思ってるんじゃないかと言われたけど、弟のことはほんとに大切に思ってるつもりだよ。
お兄ちゃん!って小さい弟が走ってついてきた時のこととか、スマブラ買ってあげて一緒にやった時のこととか、思い出すと悲しくなるし、今の状況がやるせない。
ただ自分はもう家を出て遠くにいるし、恋人との将来も考えてるから一生弟を養うことも弟の人生の責任を取ることも出来ない。
嘘しかありませんでした。書き起こす必要性感じなかったのでコピペ
パパもママも親戚も彼氏くんも(夫くん)も友達も『増田ってすごいね』って認めてくれるの!
でもそれじゃあ満足できないんだぁ🥺って
こんなんどうしたら真に受けることが出来んのよ
このどちらかですよ
マジで発達障害のみでお仕事に困るレベルなら、学習障害や学業不信・成績不良の方で、まず引っ掛かるのですわ
あるいは発達障害で周囲とのあれこれで発動してしまった重たい二次障害、鬱病とか統合失調とか境界性人格障害とか社交不安障害(SAD)の方で引っ掛かるのですわ
発達障害自体は詐称ではないが何でもかんでも発達障害の箱にぶち込みたがるやつ
こういうクソどもは知能面でかなりしんどい結果が出ている人と能力かわってやればいいのにって思いました
あるいは犯罪犯して刑務所行きルートしかないようないっさいの支援を受けられなかった人と環境かわってやればいいのにって思いました
発達障害、水泳、平成不況、リーマンショック、30代
https://anond.hatelabo.jp/20240618221543# https://anond.hatelabo.jp/20240618222241#
心理検査受けたら想像よりIQ低くてワロタ
それが悪いことだとは誰も思ってないけど(後進国でもようやくサポートが始まっている)
嘘つきは多いよね
発達障害自体は詐称ではないが何でもかんでも発達障害の箱にぶち込みたがるやつ
こういうクソどもは知能面でかなりしんどい結果が出ている人と能力かわってやればいいのにって思いました
あるいは犯罪犯して刑務所行きルートしかないようないっさいの支援を受けられなかった人と環境かわってやればいいのにって思いました
https://anond.hatelabo.jp/20240618221543# https://anond.hatelabo.jp/20240618222241#
かつ
生き残ってて残酷やな…
支援を受けるどころか、まさかの故意の妨害を受けることがある事実、悪気はないにしろ何かしらの妨害を受けることがある事実、
たださぁ、あんまりにも嘘つく人多すぎるのよ、これらのブクマ狙いしてもそうだけどね
https://anond.hatelabo.jp/20240618221543 https://anond.hatelabo.jp/20240618222241
https://anond.hatelabo.jp/20240619165951
https://anond.hatelabo.jp/20240626154759
SNS芸人やエッセイスト風芸人やるなら下記やりたくなる気持ちもわかるし、そうじゃなくても下記がまったく頭によぎらなかったか?って言ったら嘘になるけど、
- メンサ入れる数値でした~⤴️😺(映え良)
- 聞いてくださいあたちは境界知能ってやつだったんです⬇️🥺(映え良)
ここから『だから仕事に困るんでちゅ~』とか『いっぱい頑張ったから仕事できてるの~』とかマジで続けることができるの、
お仕事(SNS芸人やエッセイスト風芸人)でやってるんじゃなきゃ、フツーにどうかしちゃってるでしょうよ
上記のどちらでもないのなら、『発達障害だからお仕事困るんでちゅ~』は端的に言えば嘘ですよね?
極端に苦手で<やりたくなかったからやらなかっただけ>で、別にやった人は発達障害でもできますよ
発達障害でも主婦もシェフも大工もスポーツ大好きもおしゃれ命もいる
だから、発達障害だからまったく料理できませんとか、発達障害だからまったくDIYできませんとか、
発達障害だからスポーツ出来ませんとか、発達障害だから人会わない時は顔も歯も洗いませ~んとか、
そういうこと言ったらフツーにブチ切れなのに、
なんだって、お仕事だけ、『できまちぇ~ん』が、『わかるぅ~~~』になるんですかね?
だから、発達障害だからまったく料理できませんとか、発達障害だからまったくDIYできませんとか、
発達障害だからスポーツ出来ませんとか、発達障害だから人会わない時は顔も歯も洗いませ~んとか、
そういうこと言ったら普通にブチ切れだと思うんですよね
極端に知能面でしんどい結果が出ている場合や重たい二次障害があるケースは除くけど、
それ以外の人は、極端に不得意でやりたくないからやらなかった(訓練しなかった)だけじゃん?
なんでお仕事に関してだけは出来なくて当然みたいになってるんでしょうかね
やりたくないからやらかった(訓練しなかった)だけでしょうよ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240618221543
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240619165951
一度「ADHDの傾向がある」と医者に言われたのが大きかったかもしれない。
何が得意で何が苦手かがわかればもう少し生きやすくなるのではと思い、心理検査を受けた。
正直なところ、頭は良くないが何だかんだ日常生活を送れているのでIQは平均値になるだろうと思った。全然そんなことなかった。
結果は83。平均より下で境界知能の領域。グレーゾーンってやつだ。
それ以外の項目も見たが平均の域に達しているのは言語理解・処理速度で、残り2つ(知覚推理・ワーキングメモリー)は平均以下。言語理解と知覚推理の差は23くらいあった。
まあここはいい。言語理解が高いのは何となくわかっていたし、知覚推理がやたら低いのも覚えがあった。一旦の目的として自分の得意不得意がわかった収穫はある。
でも、全体的な数字が平均を越えられないとは思わなかった。そんなにできない方だったんだって。
思えばできないことが昔から多かったし、その度に周りに合わせて頑張ったとは思う。でもそれは私だけじゃなくてみんな同じように苦労をしているものだと思っていた。
違ったのかもしれない。足りない分私は頑張っただけで他のみんなは頑張らなくても上手くやっていけていたのかもしれない。
技術職で、決して年収は多い方じゃないけど、トンカツ食べたいなって思った時に食べられるくらいの余裕はある。地頭は悪いし女らしい気配りもできない、見目も良くないからピエロになることで自分の居場所を見つけてきた。
みんな同じだと思っていたのに違うのかと思うと悲しくなる。普通になろうと頑張った意識はあったけど、まさか本当に普通以下だったなんて思わなかったよ。
頑張った自分!えらい!とかじゃない。頑張ってここなんだ。じゃあもっと良くなることはもうない。その事実を数字で見てショックを受けた。
たかが数字だし、検査を受けた時の状況とかにもよるし、そうは言っても今困りごとを感じずに生活をできてるのも本当。
気にしすぎなのはわかってる。だけど人に話しても「でも他の人は〜」とか別の軸を持ち出されて、自分の今、悲しいと思っている気持ちに蓋をされてしまう気分になる。なった。わかってくれそうな人に話して失敗した。だから余計に悲しくなった。これは自分が悪い。
これからどうやって人と付き合えばいいのかな。
私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である。
なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。
私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである。
精神科に通いつつ、投薬とカウンセリングの治療をおこなっている。
そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳の記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。
(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなたの言葉はあなたの感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)
正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。
早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。
当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法が流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。
楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合は母親もほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。
行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日の練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。
でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまうタイプの人間だった。
父親も叔母もスポーツで学生時代に成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。
それが母親の成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。
長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。
ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。
こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。
極め付けはようやく出来始めた友人関係を破壊されたことだった。
中学に上がると、小学生の選手育成クラスから中学生クラスに上がって、ここがジュニアの女子の選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子のさらにその上澄みだけが入る、一番練習がハードなクラスがあった。
いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイトと連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。
(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲームの一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)
けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。
私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスでちゃんと私の記録は伸びていた。
だけど母はその伸びでは満足できなかった。
母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。
私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。
そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。
私はかなり嫌がった。もともとジュニアの女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。
母は私に、「あんな肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたはダメになってしまう」と言った。
嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスのコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。
中学1年の女子が高校生の男子のクラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。
私が苦しんだので、母の不安は解消された。
実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。
注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたことである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナスの感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。
「あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから。
この頃から、試合や合宿で遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。
体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。
しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息を悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。
だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻き、ブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。
ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分の学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてからは予備校漬けになった。
受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業は自分の特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。
大学には簡単に合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。
とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。
ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分の偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。
ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。
1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。
とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。
学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリのラインだった。
振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。
このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショックや東日本大震災の影響があった時期で、特に女子の就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。
でも、留年したのに就活が全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親がマイナビリクナビでエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。
面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。
このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからたしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトはしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論は英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。
結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶はぼんやりしている。
ひとり暮らしの家を引き払い、実家にカンヅメになって母親の監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。
ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存で病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。
この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。
働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的に闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。
本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。
この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分の価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分の価値がボロボロと溢れ落ち、人生がダメになっていくことについて、母親への不健全な復讐の欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。
この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場を経験した。就職先は人売りのSESだった。
これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場が自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。
リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤の生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。
自社開発の案件にアサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事も客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手が全然わからず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴とスポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミットが全然出ないの?
年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。
社長から「新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。
これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始の休みを挟んだ後、ボツボツと休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。
心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解とワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。
この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。
概観してみると、今の私を状態を説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。
特性を持って生まれた子どもが、いわゆる体育会系の世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援が Permalink | 記事への反応(21) | 22:15
私には妹がいる。妹とは話が通じないなと思うことが幾度となくあり、毎回ではないが苛立ちが募ることもある。話の通じなさとはレスポンスの遅さや文脈から少しはずれた返答のことだ。
そして、自分自身が友達と話しているときにふと我に返り今の返答は正しいそれではないような違和感を覚えることがある。
その違和感は主観の域を出ないが、自分がそういった返答をしてしまうことによって私が妹に感じる不快感を友達にも感じさせていないのか不安で仕方がないのである。
なにかをきっかけにしてすごい勢いで話すよね、と、ある友達は良い面だと捉えている旨を伝えてくれたが、今になって思えば躁状態になっているとも云えるだろう。
別の友達からは病気になってから脳の回転が悪くなったと思うか聞かれて、今のレスポンスの遅さは昔からそうなのかと言われているように感じた。
その人と話すときは常に緊張しているため懸念事項がより顕著に表れているのだろうか。
こうして少しずつ違和感や、以前からある"他人と関わった後に己の行動を見直す癖"が合わさり確信に近づき、
口数を増やすことによって失言が生まれるなら失言しないように何も話さなければいい、そして話すときは頭の中でつながりを意識して文章を組み立ててから話すように、
といったことばかり考えているとレスポンスは遅くなり、砕けた場面でも文語調でしか話せないようになった。
誰と話すときでも自分から話すことはほぼなく、人の話に相槌を打つ以上のことができないようになった。
恐らく慎重に言葉を引き出すようになったことでアウトプットまでの時差が広がっているんだろう。
発話までの時間が長くなり相手がいい気分にはなるわけはないが、すぐに返答を返すことで話の粗が増え批判や注意される点は増える。ここでデッドロックに陥っている。
注意されることを恐れすぎている。
この増田を書いている時ですら昔ならアウトラインをざっと書いてあとから添削していただろうが、今は、というかここまで書くのに一発で納得できる一文を探し続けて足踏みしていた。
増田なんだから言葉遣いなんてそこまで気にしなくていいのに堅苦しい言い回しをわざと選んだり重文にずっと手間取ったりしていた。
そんなこと気にしなくていいのにな。
途中めちゃくちゃしんどくなって気まぐれに他の記事を読んでみて少し救われたと思う。
とにかく、こんなことを友人知人に話したとして何を言われるのかはわからないが気を使わせてしまうのではないかと思ってならない。
友達もかなり繊細なタイプが多くて、まあ少し不健全な悩みを持たせてしまうのではないかと不安になる。
カウンセリングも考えたが、おそらく予約が取れて実際に話を聞いてもらえるまでに私は干からびてしまうだろう。
だって「私と話していて不快に感じてる?」って自分の精神の弱さで返答に耐えられる自信がない。他責をさせてほしかった。
依然受けた心理検査の結果を見返してみたら「人懐っこく振る舞う一方で、人と関わることが不安だったり怖かったりすることがある」と書かれていて、後半の部分でこの先が更に不安になった。
心理検査は「こいつやべえから落とすわ」といった性質のものではありません。以下の様なことを目的に行われます。
これらの仕組みは、採用に対する倫理・コンプライアンス基準に準拠していますから、「こいつキチガイだから入れない方がいい」みたいな結果を出力するような仕組みはそもそもありません。
そして、重たいテストは実施する側も結構なお金がかかるので、特に後者の場合は確定した人しかやりません。
前者の場合でも基本的な選別をした後でしかやらないものです。ですから、これを課されている時点で何が何でも落とせと言う雑な段階はクリアしているはずです。
ですから、このような試験をたくさんうけている、ということは、きっと多くの内定を得られる優秀な人なのだと感じました。
がんばってくださいね。
最近は採用支援AIシステムを名乗る、お前絶対AIじゃねえだろ見たいなクソシステムがかなり出回っている。
これらの中には、昔から慎重に行動している採用支援・人事支援の業者だけでは無く、ぽっと出てきた怪しい奴がたくさんある。つうか出過ぎ。
ベンチャーが作ったから怪しい、でもなく、大手でも怪しいゴミがたくさんあるのでブランドに騙されるな!
こいつらはインチキ心理テストに毛が生えたようなもので、全然科学的裏付けが無い。無いのだが、なぜかAIだと言う看板をはっつけることで、全部ブラックボックスにされており、これを採用しているところがそれなりにある。
また、昔から能力テストを開発してきた業界はそれなりの倫理観を持っているが、こう言う新興のやつはそんなものは無くて、バイアスバリバリ、偏見丸出しの結果を出したりする。クソオブクソ
数年以内に辞める可能性とか、企業の分析をせずに出してる奴、お前だよお前。ばかじゃねーのか恥を知れクソ共!人間の差異より企業による差異の方がでけえじゃねえかくたばれ。
すまん、取り乱した。
何でこんな物が流行るか。それは人事のアリバイに便利だからだ。
今更だが、就職活動は大量応募、大量落選の時代である。そのために足切りをするのだが、正直、足切りをする理由が足りない。
実務家からすれば、適性を判断する方法などいくらでもあるだろうと突っ込みたいところだが、人事がその判定をできる事など、ない。そこで、このような実行が怪しい心理テストをやるのである。
就活は情報戦だ。しょせんはこういったもんだ、中の人そこまで考えてねえ、言う事を認識しよう。
真っ正面から素朴に望むのでは無く、そう言うもんだと思ってやるべき。
定番の対策がある場合は一冊本を読んどくぐらいで、就職活動時は他の事に注力した方がいい。
少なくとも、それを気にして増田の方が消耗する意味は無いし、することもないよ。増田を否定しているわけじゃ無い。
気にするだけ損。ドライに行こう。
今就活中なんだけど、
企業が適性検査、とりわけ心理検査を重視してるのがよくわかる。
ましてや、4月の今の段階で辞めるような人間をとりたくないよな。
わかる。
てかさ、
その時点で心理検査の結果が適合しないのに働いてるのか?そいつ、企業風土に合わないんじゃないの?
人事は神か?
わけわからん。
説明会とかで
「私たちに合うような人はこんな人です」
「こんな後輩と働きたい」
って言われるの、ほんとは癪なんだけど、
これを百歩譲って許容するとしても。
就活の適性検査で、心理学に関する知識もないのに、MMPI心理検査を使ったり、
それで選考通過の可否を決定するの、
勝手に「こいつ辞めそうだよな」「こいつヤバそうだよな」とか言われてるんだろうね。
だから、皆嘘つくんだよな。
でもそうしないと入れないんだもんね。
ちなみにキャリアセンターの人は、心理検査で落とされることはないと言い張っていたが、
新卒がたっぷり辞めやがるから、心理検査の結果を重視するようになってきたんじゃないの?
(増田に書き込んでる時点で、企業さんが大大好きな体育会系じゃないんですよね、
(企業に内面を見られて、優劣つけられてるのが本当に嫌だ。「採用はマッチングです」とか、キャリアセンターは言うけど、それ詭弁じゃない?パーソナリティに関する情報、ちゃんと管理されてるのか?)
就活生が圧倒的に不利。
一つ目の論文は、統合失調症スペクトラム障害(精神病性障害 Psychotic Disorder という言葉のほうが日本では一般的)の患者 n=121(少ない)を対象とした研究で、陰性症状とフェリチンに相関関係がありましたと書いてある。
アブストラクトは「示唆された」「更なる研究を」と締められてるよね。
つまりこの研究単独で「因果関係がある」とは言えないってこと。根拠としては非常に弱い。
統合失調症の陰性症状と自律神経失調症はまったく別の概念なので、なぜこの論文を引用したのか理解に苦しむ。
すでに血液検査で鉄欠乏性貧血と診断された患者を対象とした研究。これを何故引用してきたのか理解できない。研究の限界にというものについてあなたは理解できていないのではないか。
三つ目は論文ですらない。ただのシンポジウムの講演。査読すら受けてない。もちろん論外。
これを引用してきたってことは、あなたは自分が確証バイアスに陥ってチェリーピッキングを行っていることに気付けてないってこと。
それからKクリニックの治療内容を読んだが目を覆いたくなるような内容だ。
薬物療法、精神療法、心理カウンセリング・心理検査、鍼灸、マッサージ、プラセンタ注射、にんにく注射、にんにく総合ビタミン点滴、グルタチオン点滴、デトックス水素カプセル(暫定名称)、水素吸入
あなたは騙されてる。判断能力を失っているか、元から判断能力がない。
論文を読みこなす力もない。というか、どう考えても読んでない。掲載誌すらチェックしてない。
前から自分は発達障害じゃないかと思っていて、はっきりさせたいと思って勇気をだして今日、心療内科に行ってきた。
自分が行ったクリニックは、事前にLINEで予約、Web問診、心理検査を行う方式で、ITの導入が進んでいるんだなという印象をもった。
ただ、この心理検査というのがやたら長い。中には、よく分からない質問もあったり、日によるだろと思う質問もあって、なかなか難しかった。
そして今日、受付をすまして分かったのだけど、どうやらその心理検査が送信できてなかったという。
面倒くさいけど、またそのやたら長い心理検査を行うことに。
なぜか心理検査を全て答え終わらないうちに名前を呼ばれて診断室に入り、来た理由について聞かれたので、「前から発達障害じゃないかと思っていて」と答えたのだけど、その後に医者から「検査結果からしてADHDの傾向が強いので、ADHDでしょうね。ASDの特性は低いです。お薬だしておきますね」と一言。
いや確かに発達障害じゃないかと思ってきたけど、そんな心理検査だけで診断しないでくれよと思った。
そんなんで診断できるんだったら、AIでも、というよりAIすら使わなくてもできるだろと。
後、自分は今の生活に特に困ってるわけではない。たまに発達障害の特性のしで、仕事でうまくいかないことはあるものの、現時点では問題ない。
それなのに、そういう話を聞かずに「薬だしておきますね」って何だよと思った。こういうクリニックにくる人は、現時点で何か生活に支障があるという人が多いのだとは思うのだけど…。
そういうわけで、薬は断った。そもそも、発達障害って病気なわけでもないのに、何で薬が必要なのかもよく分からなかった。
薬の効能をきいても、「ADHDの特性を抑えられる」っていわれて、全然イメージがつかなかった(今思えば、もう少しツッコんで聞けばよかったと思うのだけど)。
その後、受付をすまして診察料を支払ったのだけど、これがやけに高い。具体的には4700円。あんな、短時間の、ただパソコン上に表示されていた診断結果を読み上げただけであろう診察のいったい何にこんなにお金がかかってるんだと。歯科の初診料でもこんなにかからないだろと。もちろん、自費ではなくて、3割負担。
高いのは、日曜日の診察だったからなんだろうか。都心の一等地ということもあるかもしれないけど、診察料は点数制だから都会でも田舎でも料金は変わらないって聞いたことあるのだけど…。
後、ADHDなのが意外だった。てっきり、ASD(というより、アスペルガー症候群)だと思っていたのだけど。
今思えば、もう少し、なぜADHDだといえるのか聞いておけばよかった。損した気分だ。
コンサータ服用5年以上の俺も書いていこう。
40代男性、既婚小無。ADHD発覚は結婚後。しごとはデスクワーク。総合職でPgM、PdMとかビジネス開発とかやってるよ。
言語理解、知覚統合がかなり得意で、ワーキングメモリーが足りてない。注意欠陥が強くでるタイプのADHD。ASDも併発(後述)。毎日54mgのコンサータを服用中。
勉強は出来たのでかなり良い大学に入ったけど、リアルで人間関係作るのが苦手でMMOにはまって留年したよ。
就職後はロジカルシンキングが重視される職場だったので、対人スキルは低いけどそこそこ仕事が出来る人として評価されてるはず。ちなみに上司と部下みたいな役割が決まってればロールプレイは出来るよ。一から関係性を作るのがすごく苦手。
部下の中に障害枠採用でADHDとうつ病の人が居て、その人と数年に渡って毎週1on1してるうちに自分もADHDじゃね?と検査したらADHD発覚したよ。
自分も会社・同僚にはADHDのことは打ち明けておらず、妻だけが知ってるよ。
服用前は注意散漫か過集中の両極端だったのが、多少マシになったよ。
7割注意散漫、3割過集中だったのが、6割注意散漫、3割普通、1割過集中になった感じ。
ただし、以前は3割の過集中で仕事をこなしていたのが3割の普通と1割の過集中でこなすようになったから、時間効率は落ちたかも?
聴覚過敏があり、品川駅みたいな人が多くて反響音含めて人声に包まれる場所が超苦手だったんだけど、苦手ぐらいになったよ。
注意欠陥が多少マシになったよ。子供の頃は毎日教科書や体操着や笛など、必ず何か忘れ物がある状態だったけど、今は病院の診察券や社員証みたいなものを忘れることがたまにある、ぐらいだよ。必要なものを出かける前に必ず目につくところに置くとか、おでかけせっとを作るとか工夫もしてるよ。まあ、置き場所に戻し忘れる事も多いけどね。
まず言っておくけどEDは無いよ!
コンサータを飲み忘れると何もする気が起きず、一日ベッドかソファでスマホをみてることがあるよ。飲めば1時間以内に普通になるのが凄いけど、依存じゃねって怖くもあるよ。
これほ本当にコンサータの影響かは断言できないけど、ADHD的特性が弱まった分、ASD的特性が前面に出てきた結果、妻が疲れ果てて離婚の危機を迎えたよ!
人の気持ちがわからない、空気を読まない、思ったことを口にして傷つける、細かい言葉の定義や使い方にこだわって話が進まない、など。
今はカウンセリングに通いながらASD確定診断のために心理検査の順番待ちだよ。
今は結婚生活を維持するため、注意欠陥なりに努力してる姿勢を見せることで危機はなんとか回避できたよ。具体的には、洗濯物たたむとか、ものを片付けるみたいなちょっとした特にやりたくも無いタスクを気がつき次第・指摘され次第動くようにしたり。前は今やってることが終わったら順番に片付けるつもりでいても、高確率でやり忘れて妻がフォローしてたよ。今やってることを中断してでも先にタスクを処理してしまうことで、やりたいことを中断するという傷みがあっても妻に負荷がかからないようにする姿勢が大事だったみたいだよ。
総じて薬を服用して良かったと思ってるけど、ASD的特性による離婚危機にはかなり参ったよ。ただ、ASD的特性が本当に強くなったのか、コロナ禍で二人とも在宅になって接触時間が増えたからなのかは先生も迷ってるので関係ないかもしれないよ!
・趣味を否定してくる人 → 何で話しかけてきたの?他者否定っていうつまんない趣味に巻き込まないでもらえますか
・プライベートで説教してくる人 → 何で話しかけてきたの?(以下略)
・見捨てるのか → 10も下の異性頼るって何事。誘拐目的で子供に道聞く異常者と思考回路一緒じゃん
・別れるなら死ぬ → 「太陽熱でいずれ地球は消滅するから、お前の考えてることは無駄」って言ってたの自分じゃん。そっくりそのまま返す
・別れるってことは、死ねってことだろ → 論理破綻してるって気付いてる?できないのであれば、統合失調症か境界性人格障害か自己愛性人格障害か、知能指数が低いかのいずれかの傾向が見られるので、心理検査をすすめます
・一生かけて俺を幸せにする義務がある → 心理学的に人は自らを幸せにする方法しか存在しないんですよ。それだと一生かけたって幸せにならないよ
・俺を利用するために近づいてきた → 利用してないし、近づいてないし。自分がどうしても付き合いたいって3ヶ月も迫ってきたの忘れたんか。というか俺のローン払ってくれとか、ヒモになりたいとか、利用してるのはどっちだよ
・俺のことが恥ずかしいんだ → 被害妄想面倒臭い。自己嫌悪を他者投影して絡んでこないでください
https://anond.hatelabo.jp/20200410224728
前職の年収が340万円、障害者雇用になるにあたり、呈示額を320万円として、
だいたい残業時間が月20時間だと聞いていたから残業代でカバーできるかと思っていたら、
実際は配慮されまくりの業務量で残業がほぼなく、また、一般雇用のように役職がついて年収が上がる見込みも少ないっぽいので、障害厚生年金を申請した。
社労士なしの申し込みでうつなどの二次障害なしのADHDは、申請が受理されにくいというのが定説だが、
増田は無事支給につながったので、ここに増田なりに気をつけたポイントを記しておく。
障害厚生年金の申請時には診断書が必要となるが、そこで、障害認定日ごろの状況を医師に詳しく書いてもらう必要がある。
丁寧な医師であれば、診断書の記入にあたり別途ヒアリングをしてくれるかもしれないが、そこまで時間を取ってくれる人は稀かと思うので、
普段の診察で困りごとを言語化して伝え、カルテにそれを記載しておいてもらうことが重要だと思われる。
A3の用紙に手書きする形で提出したが、ADHDの場合は急になるものではなく、生まれつきの脳機能の問題であるため、幼少期からの履歴が必要である。
めちゃくちゃ面倒くさかったが、受給につながるために手を抜いてはいけないとおもい、
・幼少期
・小学校
・中学校
・高校
・大学
・就職後
の7つのパートにわけて、ADHDによって起きた様々なエピソードを列挙した。
パートを分けるにあたって用紙が足りなかったため、申立書(続紙)を使用した。
もし親との関係が良好な人は、自身の幼少期に何か定型発達児と比べて変わったところがなかったか尋ねたり、当時の成績表などを見せてもらうとよいかもしれない。
・大学下宿時にダンボールのゴミを出せずベランダに退去するまで放置していたこと
・仕事によるストレスによりポスティングされたチラシを捨てられずためていたこと
などがある。
また、上記の申立書に加えてA4の別紙をWordで作成・印刷し添付した。
ここには、日常生活で困っていることを列挙した。
・初めて行くお店や場所で勝手がわからず、会計の順番を抜かしてしまうことがあること
・買ったばかりの数万円する靴を電車の座席の下に忘れてきてしまったこと
・口頭で言われたことを覚えていることが難しいため、事務職に必須とされる電話対応が苦手なこと
診断される際にWAISなどの心理検査を受ける人も多いと思うが、増田の場合は簡単なチェックシートに加え、日常の困りごとを訴えた結果診断に至ったため、心理検査を受けたことがなかった。
ただ、障害厚生年金の診断書を書くに当たって医師より心理検査が必要とのことだったので、違う医療機関にてWAIS-Ⅳを受けることになった。
検査は数時間で有給休暇を取って臨む必要があったが、いざ出てきた検査結果や臨床心理士のコメントを読むと、
より自分の発達特性が俯瞰的に見られるようになったため、これは障害厚生年金の申請の有無関係なしに受けてよかったなと感じた。
上記のような準備を行い、申請から2ヶ月後に無事支給決定の連絡が来た。
社労士に頼むお金は勿体無いけれど、ADHDだけでは通らないときいているし……と不安な方も、増田のような例があると知って勇気を出してみてほしい。
俺、既婚子持ちの40歳。
30過ぎて技術職から営業に異動したのがきっかけでADHDが発覚。全検査IQはMENSAには全然入れる程ではないものの比較的高めだったし、1番低いWMでも102だったので、2Eかそれに近いタイプなんだと思う。
一応オープン就労ではあるけれど、特に個別に配慮を受けてる訳ではなく。というか障害関係なく、困り事があって業務遂行に問題がある場合は、障害の有無関係なく話を聞いてくれて、何かしらのサポートをしてくれる、超ホワイト企業。
後出しジャンケン式オープンってのもあって、この前の源泉徴収票では600万円超えてた。それだけの働きが出来ていたのか、正直貰いすぎなのかは何とも言えんけど。ちなみに社内の40歳男子平均で見ると、これでもぶっちぎりで平均以下。なので、社内ではやっぱり期待値ほどはまだまだ成果足りてないよね、という扱いなはず。
妻が結婚直前に、何かしらの発達の疑いを自覚していたことをカミングアウト。とは言えもう惚れ込んでたし、今更それだけを理由に婚約破棄ってのも考えられず、予定通り結婚。
翌年末、めでたく長男が生まれました。1歳半検診で指摘があり、その後知的ボーダーのASDが発覚。
根はクソ真面目なパパ。発覚と同時にうーんこれは、子供の各成長段階で最適な療育なり福祉支援をしてやらなきゃいかんねと。そのためには親がちゃんと福祉を理解してないとってことで、通信制の某マンモス福祉大学に入学。これはADHD特有の衝動性もあったかもしれん。今思うと、何で社福を選ばなかったんだろうなんだけど、仕事と並行して、大学の単位戻り、実習も経験してから精神保健福祉士も無事取って、大学も卒業。
よーしパパ、これから日々家庭内でソーシャルアクションをやるぞー、って張り切ってたのですが、ここら辺で燃え尽きました……。
適応障害って診断されたけど、もう半年以上経って回復してないから、反復性うつ病性障害にシフトしてる感覚はある。あと、神経過敏とADHD特有の衝動性が相まって、攻撃的な性格になったり、多弁傾向が強くなったりと、躁転の症状も出てる。現に、こんなクソ長いまとまりのない文章を垂れ流してる段階でお察し。
理由は全く想定外していなかったADHD父とASD男児の相性の悪さ。毎日、家庭内で息子からストレスを浴びせられる毎日。
そして妻はメシは作れるし美味いんだけど、家事能力無しの汚部屋製造機でした。厳密には、他人から指示されると作業は出来る。でも、自分で段取りを決めて、主体的に動くってのが出来ないみたい。
それでコロナ禍の影響で、汚部屋環境下で耐えながら日々続ける在宅勤務。もともとストレス耐性はそんな強い方ではないので、半年くらいでパンクしました。で9月から休職中。手帳は元々持ってましたが、加えて障害支援区分2を取って、身体介護と家事援助の居宅介護を取りました。妻が家事出来ない分、私の枠を使ってなんとかしのいでる状況。
だから主治医からは家庭環境起因の発症だから、家族と別居して環境を変えない限りは治らないと言われています。実際、3週間入院した時はすっかり寛解したんだけど、自宅に戻ったら2週間で再燃しました。
今、妻にも心理検査を受けさせてます。でもウェクスラーは終わったっぽいけど、MSPAがまだみたいで、順番待ちでざっと半年待ちだとか。最近の発達障害ブームに加え、コロナ禍で今まで見えてこなかったグレーゾーンの人が一斉に顕在化したんだろうから、そりゃそうだろうなとは思います。で、妻の判定は相当先になりそうなので、先に障害支援区分を取らせて、妻にも居宅介護がつけられるように、現在画策中です。
これが済んだら、私はショートステイかグループホームに移って、擬似的単身赴任みたいな感じで家族と別居生活をする予定。家族と同居してると、一向に治らんので。
月々の生活費は、元々の基本給が35万円くらいあったので、それベースの傷病手当金が健保組合から出てるので、意外と困ってない。ずっと働けてなかったので、まだ有給休暇のうちに障害年金を申請して3級は通ったんだけど、就労不能で3級はねえだろと、審査請求を視野に入れて原因分析中です。
ここまでなんやかんやでギリギリやれてるのも、自分がMHSWの資格所持者で、計画相談支援とか、その手のサービスが世の中にある事を知ってたからだろうなあと思う。
一方で、会社の人事がここら辺の知識が無能過ぎるのが問題。復職支援ではなく、復職の邪魔をしている。完全に治るまでは会社の敷地を一歩も通させん、という姿勢なので、これじゃ治るもんも治らない。
ここまで書いて気付いたんだけど、これ愚痴じゃなくてただの自己紹介だよね。ADHDだと、主部と述部が全く異なるはよくある話。
私は精神疾患と発達障害があり、今までの人生で何人かの臨床心理士さんにお世話になってきた。
臨床心理士のここがすごい
○話の聞き方が神さま
優しい
相槌がうまい
急かさない
穏やか
発達障害の特性ゆえになかなか言葉がまとまらない時も、こちらが言いたいことを整理して復唱してくれる
○顔つきが優しい
今まで会った臨床心理士で怖そうな顔の人は見たことない。穏やか〜な顔つき。人の心理を覗く仕事だからか、物静かそうな思慮深い雰囲気の人が多い。
心理検査の時は、面接官のように真面目なお顔をされて厳格に検査を進めるのに、その結果を伝える際はフランクで話しやすい雰囲気になる。使い分け方が上手だなぁと思う。
たとえそれがお仕事とはいえ、私のような障害がある人間をも優しく導いてくださる臨床心理士という支援者がいてとても救われています。
いつも助けてくれてありがとう。
しんどい時はむりせず、患者さんを大切にするようにご自身も大切にされてください。
通院先が変わったり、転勤で会えなかったりで、直接伝えられないので、ここに記しました。
ちなみに、第二志望は国公立の大学職員×2、第三志望は私立の大学職員だった。
私は地元の名門といわれる公立高校出身だが、高校の教員の大多数に嫌われたことが運の尽きで、学内の成績上位にも関わらず指定校推薦をもらえず、Fラン大学へと転がり込んだ。そのため、学歴コンプレックスは人一倍強いし、学歴フィルターが根強く残っていることも強く意識していたため、公務員試験に専念することにした。ちなみに、独学であった。
私は部屋の一番後ろの席に座っていて、前の人から適性検査の用紙が回ってきた。そして、私の分を含めて、3枚渡されたことに気がついた。すなわち、2枚多いのである。私は、「2枚余っています」と言って手を挙げ、試験官(自治体職員)に知らせた。すると、試験官は走ってきて、「どうして2枚持っているの!!!」と、私を怒鳴りつけ、二枚余った試験用紙を乱暴に抜き取った。私の席の周辺の人は、「?」という顔で私を見るし、私も「すみません・・・」と言うしかなかった。いかにも私が何か悪いことをしたかのような口調で言われてしまって、ただただ萎縮した。
ちなみに、他の学生のところでも紙が余ったことがあったが、怒鳴りつけられている様子はなかった。なぜ、私だけ・・・と思った。
「集団で行動した経験はありますか。エピソードを教えてください。」と言われた。
「はい。小中高、大学と色々と経験があるのですが、とりわけ印象的だったのは、中学での・・・・・・という経験です。」
「大学では無いのですか。」
「・・・無いです。でも、ゼミで数人で活動した経験ならお話しできます。」
「結構です。」
そう言って、試験官は私の面接評価シートに、私から見ても分かるくらいめちゃくちゃ大きく横線を引いた(評価「/」ということなのだろう)。
バッサリ切られてしまった。実は、私は、高校時代になかなか酷いレベルの嫌がらせを受けていたために人と関わるのが怖くなってしまい、大学時代にはサークルにも入らず、友達も作れずに、ずっと孤独でいた。そのため、「大学時代の集団行動経験」という質問への対策を入念に練った(就職支援課の方にもアドバイスを受けていた)。その結果としての、「たくさんあるけど~とりわけ~論法」であった。しかし、そんな論法は通用しなかった。とにかく焦った。焦りながらも、嘘をついたらその後を取り繕うのは無理だと思い、結局「無いです」と言ってしまった。「結構です」と言われたときには、体の芯から体温が奪われていくような感じがした。
話すら聴いてくれないし、なにより、大学での集団行動経験が無いがゆえに「評価マイナス」とは、なかなかの人格否定だなあと思った。
その女性の試験官に、「○○さんは、“大学では1人を好んで、というか、少人数で固まって”、コツコツ勉強するタイプなんですね」と言われたときには、私が言ってもない言葉を付け加えて、私の発言を悪いように変換してまとめたようだった。
私はただ、なんだかなぁと思うだけだったが、このことを親(公務員のきょうだいをもつため、公務員の実情を比較的よく知っている)に話したら、それは圧迫面接だし、公務員試験の面接なのに、民間の面接並に面接官が、面接官の主観で、学生が言ってもない言葉を付け加えてまで勝手に学生を悪く評価しているのか、と言った。
2回目の面接で、男性の面接官との冒頭のやりとりで怖くなった。
「このような面接は初めてですか。」
「はい。」
「先ほど1回目の面接がありましたので、これは2回目の面接になると思いますが、まだ緊張していますか。」
「あのね、緊張してるって言われるとこっちもやりにくいんだよね。」
「申し訳ございません、精一杯頑張りますので、どうかよろしくお願いします。」
就職試験の面接で、「緊張している」と言うと、相手から嫌みを言われるなんて想像もしていなかった。「緊張している」はNGワードなんだ、と不思議に思った。
そして、ガクチカ(学業)に関して、周りに指導者がいなかったこと、モチベーションを上げてくれる存在が居なかったから、自分で自分を鼓舞しながら頑張ったことを話した。
「つまり、もう一人の自分が自分を応援していたというか(失笑)、自分で自分をコーチングしていたということなんですね。」
と言われた。それはそうなんだけど、なんか二重人格者みたいな言われようだなぁ・・・とか、ここ笑うところなのか?とか色々思いながら、「仰るとおりです」と言った。
誘導尋問もなかなか多かった。
他者と接するときに気をつけていることを聞かれ、「相手の価値観を否定しない」とか、そんな感じで答えたら、
「では、○○さんがそう思うようになったきっかけというのは、あなたがそのようなことをされたことがあるからなんですか。」
と聞かれた。よく経験談とかエピソードとかを交えて答えるべきであると言われる。確かに、この場面でもエピソードを語る必要があるのだろう・・・たとえそれが"人に嫌なことをされた経験"であろうとも。
実際、先述の通り、高校では教員からも生徒からも完全なる人格否定を受けていて、普段から「キチガイ」「馬鹿」「アホ」呼ばわりされていたものだから、そのような意識(相手を否定しない)を持つようになった。結局、オブラートに包みながら、それとなく、そういうことがあったと述べた。
すると、その後の、"他者との関わり系質問"においては、「あなたがそういうことをされたから、逆にそうしないようにしようとしたということなんですよね?」と、まるで私がかつていじめに遭っていたことを見透かしていて、それを引き出そうとするかのような質問が続いた。さすがに面接官もやばいと思ったみたいで、
さらに別の男性の面接官から、「過去の辛い経験を深掘りして聞いてしまい、ごめんなさい。」と"謝られた"。"いじめられ経験を聞いている"という意識を持ったうえで、このような質問をしていたのだと悟った。確信犯だったのか。
細かく書くと長くなるので、トラウマになったポイントを簡単に挙げていく。
・ガクチカが学業で、特待生をとったという話を面接カードに書いたところ、「どれくらいの額をもらったんですか。学費の半分とか、全額とかありますよね。」と、野暮な質問をしてきた。
・マスクを外した上で本人確認をするのだが、顔写真と私の顔を"人差し指一本で指しながら"、目やら鼻やらを確認していたこと。
・面接で大学名を言ってはいけないと言われているところ、面接官は弊学に関して調べて知っているようだった(試験申込時には、大学名を入力している)。
・学業をガクチカにしたせいで、"優秀な学生であること"を鼻に掛けていると面接官に思われたようだった(女性の面接官「勉強がお得意なんですね~~」男性の面接官「特待生になることを狙ってたんでしょう?」と言われて、嫌みったらしいなと思ってしまった・・・)。
どこもESで落ちてしまい、第一志望の自治体での面接が人生初・本番面接だったからこそ、私は面接というものを甘く見ていたのだろう。自分が嫌だと思うことを聞かれたり、いわゆる「圧迫面接」が"常に"行われていたりするなんて、想像もしていなかった自分が馬鹿だった。それとも、自分が敏感すぎるのだろうか。これが「公務員試験の面接」なのかと、酷く落ち込んだ。
最初から話を聞いてくれなかったのは、論文で足きりされていたからなのだろうか。それとも、精神疾患か否かを検査する心理検査(試験官は、"あくまで参考にするだけです"と言いつつ、"嘘をつくと、皆さんに不利になります!"と脅してきた)で悪い結果が出て、不利に働いたからなのか。クレペリン検査で、少しがたつくくらいの、ほぼ直線を描いたからなのか。
身なりやマナーは、きちんと事前に学習したし、きちんと守った。これだけは、胸をはって言いたい。
このほかに、面接会場で、高校のときに私のことをいじめた首謀者グループの2人や、「キチガイ」呼ばわりしてくれた嫌なやつ1人(いずれも指定校推薦で名門大学入学)を見かけたことで、過去のトラウマがよみがえって、ますます嫌な気持ちになり、受験した「公務員試験」自体がトラウマとなった、ということも付け加えておきたい。ちなみに、いじめ首謀者グループのやつの目の前で、面接官にフルネームで名前を呼ばれたときには、四年間身を隠して生きてきた努力が水の泡になったと思い、辛くなった。どうか私の事なんて忘れていて欲しい。まぁ私のことをなめ回すように見てきたから、間違いなく覚えていたと覚えていたと思われる(他の受験生はジロジロ見てこないから)。
これから民間企業を探して就活しようかな、と思うけれど、日本で最も公平・公正に行われる、学歴フィルターもない公務員試験にすら落ちてしまうのだから、見込みなんてないだろうと思う。ESを出せば非通知のイタ電が増えて、それも嫌だから、躊躇する(実際に、選考期間だけ極端に非通知が多い)。内部進学での院進も躊躇する。どの先生も私のことを否定ばかりしてくる。
どこにいっても、私のことを少しでも肯定しようとしてくれる人は居ない。私に関して何も知らない人にも叩かれる。
そういえば、受験した自治体が、試験前に○庁イベントとして「座談会」を開いたので、それに参加した。
私は何もしていないのに、人事課のある方は、私のお礼の言葉を無視したり、私の質問を否定的に受け答えしたりした。ちなみに、私の質問はおかしなものではなかったと、大学の就職支援課の方は言っていた。後から同じ趣旨の質問をした、別の人には、丁寧にニコニコと受け答えをしていた。
この「座談会」のときから、第一志望の自治体の人から、嫌な思いをさせられていたくらいなのだから、よっぽどその自治体に縁が無いのだろう。
というか、その自治体の人になにか恨まれてるのかというくらい、トコトンヤられたな。
どうせ落ちるくらいなら、そしてトラウマになるくらいだったら、受けなきゃ良かった。
論文か適性検査(1日目)で足きりになっているのだったら、2日目の面接をする前から「落とす」と決まっているわけだから、2日目には呼ばないで欲しかった。
換気のない、カーテンの閉まった待合室に20人近く詰め込まれて、色んな人が少し長めにマスクを外したり(お茶を飲んですぐマスクをつけるのではない。マスクを外して、お茶を飲んで、お茶を鞄にしまって、一息ついて、しばらく外して休んで、ようやくマスクを着けて、という感じである。)鼻をすすったりする人がたくさんいるなかで、30分以上待たされて、コロナ感染が怖かった。
緊急事態宣言がでている中で、就活だから、と言って外出する罪悪感があった。
交通費、スーツのクリーニング代、その他もろもろの費用が、もったいなかった。
どうせなら、論文と適性検査を、筆記試験のときにまとめてやってくれた方が経済的だ。
被害者面をしたいわけじゃないが、さすがに今回の第一志望の自治体の公務員試験は、トラウマになった。この経験を通じて得たものといえば、絶望感、疲労感、過去の負の記憶の再燃による心的外傷くらいか。