はてなキーワード: トロッコ問題とは
「暴走する路面電車の前方に5人の弱者男性がいる。このままいくと電車は5人をひき殺してしまう。一方、電車の進路を変えて退避線に入れば、その先にいる1人のフェミニストをひき殺すだけで済む。どうすべきか?」
本来のトロッコ問題に正解が無いとは言い切れないとは思うけど、
それは置いといて明らかに答えやすいように問題文を変えたトロッコ問題を幾つか考えてみる
トロッコ問題とか言われる奴
トロッコが線路を暴走していて、このままでは線路上の先にいる5人を轢き殺すようになっている。
トロッコ問題の変形パターンA(切り替えた方が圧倒的に正しい)
トロッコが線路を暴走していて、このままでは線路上の先にいる5人を轢き殺すようになっている。
一方でトロッコの進路を変える事のレバーがあり、レバーを操作するとトロッコは別の線路上を進み人を一人も轢かずやがて停止する。
トロッコ問題の変形パターンB(切り替えない方が圧倒的に正しい)
トロッコが線路を暴走していて、線路上を物凄い速さで進み人を一人も轢かずやがて止まるようになっている。
トロッコが線路を暴走していて、線路上を物凄い速さで進み人を一人も轢かずやがて止まるようになっている。
一方でトロッコの進路を変える事のレバーがあり、レバーを操作するとトロッコは別の線路上を進み人を一人も轢かずやがて停止する。
トロッコ問題の変形パターンD(トロッコ問題のようで実際は単純な答えを出しやすい問題である)
トロッコが線路を暴走していて、このままでは線路上の先にいる5人を轢き殺すようになっている。
GPT3.5はCにはどっちでも問題ないと言ってDには6人と言ってきたけどA,Bは本来のトロッコ問題であるかのように答えてきた
Bing AIはA,B,C,Dどれも答えに辿り着けず一般的なトロッコ問題に解答するかのように答えてきたコイツぽんこつだな…
GPT4はA~D全部に正しく答えられるんだろうか?
今は原始時代じゃない。
21世紀を迎えた現代でも、人間は戦争を行い、殺人・強盗・レイプが起こっている。
人間はなぜ賢くなれないのだろうか?
今のところは無理そうだね。
悲しい。
でも未来の人類へ贈るプレゼントとして、教育改革の種まきだけはしておこう。
https://anond.hatelabo.jp/20230822071720
中一の春休み、初心者なりに1年続けた剣道の部活で少し距離のある高校に稽古に行く事になった。
高校生に向けて作られた練習メニューは、いつもこなしている内容とはあまりにも違って、1年生の私はまともについていけなかった。
女子は男子より多少易しいトレーニングをさせられたけれど、息が続かず呼吸も苦しかった。
高校側の顧問の先生はゲストのこちらに優しい印象で、休むことも許可してくれていたように思う。
1人体調を崩し途中で見学者が出たけれど、私は精一杯頑張らなければ、と思って全力で掛け声を叫びながら道場の端から端までを一息でかけた。無理をしたのか過呼吸の状態になり、私は先輩達の稽古の後ろで呼吸が収まらないのと、厳しい指導の言葉に涙が止まらなくなって嗚咽のまじった声で醜く泣いていた。
高校の先生と生徒の前で私が子供のように泣いているのが不名誉だったのか、恥ずかしかったのか、何かそういうプライドみたいなものを気にしながら「泣いても誰も助けてくれると思うなよ(だったか、助けてくれへんぞ、だったか、とにかくその時の景色だけは鮮明に思い出せる)」
と、皆の前で私に言った。
床に座り込んでいた私の視界に見える道場の仏教的な絵と、冷たい床と見下ろしていた顧問の風景が、今もそこにいるかのように蘇ってくる。
泣いてもなんにも解決しないよ。
その時とはニュアンスがまるで違っていて、
醜くて、上手く呼吸が出来ない弱い私を恥じるかのように。
帰りたい。
自分だけがあの冷たい道場に取り残されたまま。今もまだ、あの時の13歳の私は帰れないでいる。
退部を決めた私は、先輩に挨拶を、と思って一人一人にお礼を言って終わった帰り道、「何か俺に言うことないんか」と、ひとこと。
ありがとうございました。
顧問が戒告処分を受けたことをきっかけに、ネットニュースに載り、誹謗中傷も受けた。
メンタルが弱すぎる、この先の人生生きていけない。親が甘やかしたから。など
何度も死のうと思ったけれど、低い天井と、首に絡まった電気コードが自分の血の流れを止めていく感覚と、息苦しさでいつもやめてしまった。本当に死ぬ勇気なんかなかったのだろうけど。
リストカットで傷が残るのは何かのアピールのように思われる気がして、耐えられない時は自分の髪の毛を酷い時は坊主みたいになるまで切った時もあった。
昔は見ていた学校の先生から追いかけられ、決まって窓から飛び降りる悪夢や、つらいフラッシュバック体験の頻度も減ったけれど、些細なきっかけで思い出すことがある。
私は価値がない人間だ、この先頑張っても、きっとネットのコメントが言っていたみたいに、弱いメンタルのせいで挫けるのかもしれない。
前と比べて前には勧めているけど、きっとそうに違いない。
むしろ弱い子供は不登校で学校来ない方が周りの子や先生は助かるかも。
という書き込みがあった。
さっき、Twitterで話題になっていたトロッコ問題のことが頭によぎった。
このまま何もしなければ5人死ぬ。
1人の命と引き換えに自分が生きていると知ったら、亡くなった1人の家族と、恋人と、友人の気持ちは。毎日苦しくて、その瞬間がいつも鮮明に思い浮かんでくるんだろうか。
耐え難い悲しみが押し寄せてきても、それでも生きないといけない。
親はいつか死ぬ。最後に信じられるのは自分だけ。どんなに苦しくても、辛くても、自分で生きる道を探していかないといけない。
私はどんな立場になっても、たった今トロッコに立たされている誰かにそっと寄り添ってあげられるような、そんな選択ができる大人になりたい。
余談
1年生の女子部員は私だけで、団体戦はレギュラーの人数が足りないので、私に期待がかけられすぎていました。
試合に負けると怒られるので、剣道の楽しさがどんどん分からなくなっていきました。
部活と勉強の両立の部分でも、勉強を優先するとよく怒鳴られました。退部をきめた先輩を部員で囲わせ、辞めないように説得させ、逃れたくて窓から飛び降りようとした先輩もいました。同級生が部活をやめようとしていた時、「剣道部より○○部が楽やから辞めたいんやろ」と怒鳴りつけていました。
みんなおかしいと思っていました。
だから教育委員会も動いてくれたんだと思います。兵庫県は内心がとても受験に響くので、部活を辞めたら行きたい高校に行けなくなるのではという気持ちがあり、やめられませんでした。先輩はみんな、優くていい人たちでした。
私の母がネットニュースに記事を売ったなんてことは絶対にありません。記事の削除に動いてくれたのも、辛い時寄り添ってくれたのも母や家族です。恵まれた環境にいることを感謝しながら、これからたくさんの人との出会いを大切にして、人として成長していきたいです。
もう少しで夏休みが終わる。
2学期になって学校へ行きたくない子は、逃げ場がないと自殺するだろうか?
https://anond.hatelabo.jp/20230822071720
私は
「死にたくない」
「お国のために死んでくれ」と言われても、絶対に断るし、他人の命令には従わない。
私が中1のとき、クラスで「プロレスごっこ」と称したイジメが流行った。
無口で大人しいO君が標的にされ、毎日のようにプロレス技の練習台にされていた。
小1のとき、クラスのイジメっ子にいつも意地悪をされていた自分は、イジメられっ子の苦しい気持ちが良く分かっていた。
クラブ活動で柔道をやっていた私は、ある日「O君をいじめるのはやめろ!」と言って、プロレスごっこに割って入ってやめさせた。
すると、イジメっ子達は技をかけても無反応なO君よりも徹底抗戦する私の方が反応があって楽しいと思ったのか、O君の代わりに私を標的にした。
柔道を習っていたので相手が一人なら対抗できるが、同時に複数人が襲撃してくると勝てなかった。
O君の代わりに私がボコボコにされる日々が続いたが、心は折れなかったので一度もギブアップはしなかった。
担任の先生はデブの中年女性で、クラス内で起こっている暴力・イジメには無干渉だった。(イジメ解決には全然役に立たなかった)
イジメっ子たちも「これは遊びで喧嘩じゃない」と言い訳をしていた。
ある日、別のクラスのT君が話を聞きつけて、私を空手道場に誘ってくれた。
T君は小学生のとき同じクラスだった元同級生で、中学生になってからは別々のクラスになった友人だ。
T君が通っている空手教室に自分も参加して年上の人とも組手をやって特訓した。
相手は4~5人だったか、その日もイジメっ子たちがプロレスごっこを勝手に始めて、私に暴力を振るってきた。
その日はいつも防御に回っている私と違って、全力で殴る蹴る攻撃で応戦し、全員を血祭にした。
空手道場のルールでは顔面パンチは寸止めだったけど、プロレスルール?で鼻を殴ったら鼻血がパーっと出た。
子どもの頃のイジメを暴力で解決する成功体験を得てしまったので、力に頼る考え方が染みついてしまっている。
大人になった今なら分かるけど、力で解決するのは安直すぎる。本来なら、頭を使って暴力を封じ込めるべきだった、と思う。
今なら使える解決手段は何でも使い、法律(社会のルール)を駆使して、相手を社会的に抹殺するだろう。(中学生のときにはそれが分からなかった)
自分でもこれは生存者バイアスだと思うけど、今でも子どものイジメ対策には格闘技を勧めている。
しかしチビや女が格闘技をやっても複数人を相手に勝てるか?というと正直微妙だと思う。
生存者バイアス(せいぞんしゃバイアス、survivorship bias、survival bias)または生存バイアス(せいぞんバイアス)とは、何らかの選択過程を通過した人・物・事のみを基準として判断を行い、その結果には該当しない人・物・事が見えなくなることである。選択バイアスの一種である。
生存者バイアスの例として、ある事故の生存者の話を聞いて、「その事故はそれほど危険ではなかった」と判断するという事例がある。
物理的な喧嘩なら格闘技が一つの正解だけど、他のタイプの陰湿なイジメだと暴力では解決できないだろう。(暴力で返しができない場合)
夏休みの間にパワーアップできなかったイジメられっ子が、解決策がないまま新学期を迎えたらどうなるだろうか?
ゆたぼんのように、不登校も1つの正解だと思うけど、理解がある親じゃないと無理矢理登校させるかもしれないね。
通学と休学の中間ぐらいの選択肢があればいいのではないか?と思った。
ぶっちゃけ知識を得るだけなら今のK12教育は時代遅れで、はなはだ効率が悪い。
数学とか、YouTubeの無料講座で独学できるので、オンライン教材を活用した反転学習とか導入すれば、義務教育の数学なら1年程度で習得できるだろう。
日本の学校は、人間を命令に従順な指示待ちロボットに改造する工場なので、校則や教育内容は社畜量産以外の用途には向いてない。
自殺防止のための切り札をもっとたくさん持たないと、的確なアドバイスができないと思った。
そもそも学校自体が犯罪の温床なので、解体しなければならない。
中一の春休み、初心者なりに1年続けた剣道の部活で少し距離のある高校に稽古に行く事になった。
高校生に向けて作られた練習メニューは、いつもこなしている内容とはあまりにも違って、1年生の私はまともについていけなかった。
女子は男子より多少易しいトレーニングをさせられたけれど、息が続かず呼吸も苦しかった。
高校側の顧問の先生はゲストのこちらに優しい印象で、休むことも許可してくれていたように思う。
1人体調を崩し途中で見学者が出たけれど、私は精一杯頑張らなければ、と思って全力で掛け声を叫びながら道場の端から端までを一息でかけた。無理をしたのか過呼吸の状態になり、私は先輩達の稽古の後ろで呼吸が収まらないのと、厳しい指導の言葉に涙が止まらなくなって嗚咽のまじった声で醜く泣いていた。
高校の先生と生徒の前で私が子供のように泣いているのが不名誉だったのか、恥ずかしかったのか、何かそういうプライドみたいなものを気にしながら「泣いても誰も助けてくれると思うなよ(だったか、助けてくれへんぞ、だったか、とにかくその時の景色だけは鮮明に思い出せる)」
と、皆の前で私に言った。
床に座り込んでいた私の視界に見える道場の仏教的な絵と、冷たい床と見下ろしていた顧問の風景が、今もそこにいるかのように蘇ってくる。
泣いてもなんにも解決しないよ。
その時とはニュアンスがまるで違っていて、
醜くて、上手く呼吸が出来ない弱い私を恥じるかのように。
帰りたい。
自分だけがあの冷たい道場に取り残されたまま。今もまだ、あの時の13歳の私は帰れないでいる。
退部を決めた私は、先輩に挨拶を、と思って一人一人にお礼を言って終わった帰り道、「何か俺に言うことないんか」と、ひとこと。
ありがとうございました。
顧問が戒告処分を受けたことをきっかけに、ネットニュースに載り、誹謗中傷も受けた。
メンタルが弱すぎる、この先の人生生きていけない。親が甘やかしたから。など
何度も死のうと思ったけれど、低い天井と、首に絡まった電気コードが自分の血の流れを止めていく感覚と、息苦しさでいつもやめてしまった。本当に死ぬ勇気なんかなかったのだろうけど。
リストカットで傷が残るのは何かのアピールのように思われる気がして、耐えられない時は自分の髪の毛を酷い時は坊主みたいになるまで切った時もあった。
昔は見ていた学校の先生から追いかけられ、決まって窓から飛び降りる悪夢や、つらいフラッシュバック体験の頻度も減ったけれど、些細なきっかけで思い出すことがある。
私は価値がない人間だ、この先頑張っても、きっとネットのコメントが言っていたみたいに、弱いメンタルのせいで挫けるのかもしれない。
前と比べて前には勧めているけど、きっとそうに違いない。
むしろ弱い子供は不登校で学校来ない方が周りの子や先生は助かるかも。
という書き込みがあった。
さっき、Twitterで話題になっていたトロッコ問題のことが頭によぎった。
このまま何もしなければ5人死ぬ。
1人の命と引き換えに自分が生きていると知ったら、亡くなった1人の家族と、恋人と、友人の気持ちは。毎日苦しくて、その瞬間がいつも鮮明に思い浮かんでくるんだろうか。
耐え難い悲しみが押し寄せてきても、それでも生きないといけない。
親はいつか死ぬ。最後に信じられるのは自分だけ。どんなに苦しくても、辛くても、自分で生きる道を探していかないといけない。
私はどんな立場になっても、たった今トロッコに立たされている誰かにそっと寄り添ってあげられるような、そんな選択ができる大人になりたい。
余談
1年生の女子部員は私だけで、団体戦はレギュラーの人数が足りないので、私に期待がかけられすぎていました。
試合に負けると怒られるので、剣道の楽しさがどんどん分からなくなっていきました。
部活と勉強の両立の部分でも、勉強を優先するとよく怒鳴られました。退部をきめた先輩を部員で囲わせ、辞めないように説得させ、逃れたくて窓から飛び降りようとした先輩もいました。同級生が部活をやめようとしていた時、「剣道部より○○部が楽やから辞めたいんやろ」と怒鳴りつけていました。
みんなおかしいと思っていました。
だから教育委員会も動いてくれたんだと思います。兵庫県は内心がとても受験に響くので、部活を辞めたら行きたい高校に行けなくなるのではという気持ちがあり、やめられませんでした。先輩はみんな、優くていい人たちでした。
私の母がネットニュースに記事を売ったなんてことは絶対にありません。記事の削除に動いてくれたのも、辛い時寄り添ってくれたのも母や家族です。恵まれた環境にいることを感謝しながら、これからたくさんの人との出会いを大切にして、人として成長していきたいです。
アスリートに限らんけども
「AのプロとBのプロを交配したらどういう特性の人間ができるのか?」みたいな、実験結果知りたい的な気持ちならわかるけど
そういうのはトロッコ問題みたいなもんで倫理感や現実での実行とは切り離して考えるものだから、生身の人間に言うのはよく分からない
(まあモラルが足りないだけかもだけど)
そしてそれより意味不明なのは「子どもが素晴らしい人生を歩めるに違いない!(から産むべき)」「未来の宝!(になるから産むべき)」系のやつ
同じ道を辿ってほしい、応援したい!ってことなのかもだけど、親と同じ能力があるとは限らないのに…。
単純に優生思想なのかもしれないけど、優生思想の目指すところというか対象ってマクロで見た結果論だから、運要素が強い一個人(しかもまだ産んでもないし作る意思も確認してない)に求めるのはズレてる気がするし
(「環境が整っていない奴は産むな」系は悪い結果を危惧しないといけないから優生思想を持ち出して慎重になる気持ちはわかるけど、「あなたは絶対良い結果になるから!子作りGOGO!」ってのはそもそも保証できないし違うくない?って話
ジョジョの物語って「トロッコで誰かが犠牲になる!?それなら俺達が犠牲になる!」と考えて我先に身を投げ出せる男達が「だが、俺達が助かる道もあるかも知れねえ!諦めるな!」と立ち向かうという大筋じゃないですか。
覚悟を決めた先に諦観を見出して終わるのではなく、覚悟を決める決めないを終わらせた先にある「覚悟を決めたことで広がった視野に映る可能性」を追いかけていく。
「自分の手を汚せますか?保身のために見殺しにする?」で終わり。
ジョジョは違う。
でも最高の仲間達は「もう終わりだね。最後にいいことしたなー」で諦めない。
トロッコ問題も「いい感じにトロッコを脱線させます」とか言えない雰囲気がある。
とにかく誰か殺したがってばかり。
うん、それならそれでいいの
一見同じものの比較をしているようで、状況やらなんやらで判断が変わるよね、それはどこから来るものなのか、という話なら分かる
人
(A)
豚
(B)
(C)
「ここから上は殺してはいけない」の線をABCのどこに引くかっていう話で、Cだ(或いはAかCのどちらかしか認めない!)という主張に反論したいんだよね?
トロッコ問題はそういう話ではない定期