はてなキーワード: トロッコ問題とは
犯人捜しどころか脚本家の殺害予告まで出てきてる始末。引用リプは殺害に同意する投稿が多数上がってる。
マジで地獄。さすがに今のXヤバすぎだから殺害を煽るツイートする奴は全員逮捕するとかやらないとダメだよこれ
https://anond.hatelabo.jp/20240129201124
過剰な脚本家叩きが良くないのは分かる
でもこれまで原作クラッシャーで叩かれてた相沢友子さえ消えてしまえば次の被害者は出ない
分かるか?
https://x.com/zrjkhwwutbb6ppv/status/1751919319691542544?s=46&t=vtW4UsGgQt1A3yck20Wwdw
1.5万いいね
→別に誰も困らない
次に使い勝手のいい外注先をみつけるまでプロデューサーが不便を感じるくらい
原作者が消える
→大損失
今回は特に、原作者があれほど守ろうとした物語の結末までが喪われてしまった
もはや、犯罪だよ
脚本家に罪がないと言うなら日テレと小学館は第三者委員会を置いて経緯を明らかにすべき
まあ絶対やらないだろうけど
相沢友子を殺すか
あなたならどうする?
https://x.com/athousandwing/status/1752180049565127082?s=46&t=vtW4UsGgQt1A3yck20Wwdw
これ。
何がこれ以上誰かを攻撃するなだよ。
3
憎しみを流し込め。怒りを連鎖させろ。
過激な事を言ってるけどかなりその通りだよなぁ…
そう、その人さえ消せば、だよね〜😇
本気で地獄、中には脚本家の殺害を煽動するような投稿が増えてる。マジで ルワンダの大虐殺と同じ構造。近々虐殺でも起きるんじゃないか?
過剰な脚本家叩きが良くないのは分かる
でもこれまで原作クラッシャーで叩かれてた相沢友子さえ消えてしまえば次の被害者は出ない
分かるか?
https://x.com/zrjkhwwutbb6ppv/status/1751919319691542544?s=46&t=vtW4UsGgQt1A3yck20Wwdw
1.5万いいね
相沢友子を殺すか
あなたならどうする?
https://x.com/athousandwing/status/1752180049565127082?s=46&t=vtW4UsGgQt1A3yck20Wwdw
デリダが『死を与える』で同じようなことについて論じていたな。特定の誰かに対する倫理的責任を果たすと決めたとき、その他の全ての他者への倫理的責任が犠牲にされる、みたいな。
ポメラニアン黒い大型犬増田が出した問題は、「救済の選択は個人がするより国に任せるべきでは?」だよな。
「救済の選択は差別か?」…という問題だと人気コメントの多くは誤読してた、っていうか、俺もしてた。
弱者男性トロッコ問題 とか女性はAEDで救済されずに見殺しにされてる、って話は個人の私有財産である時間をどう使うか? っていう話で、これは元増田の論点とは異なる。
サンデル先生がトロッコ問題の説明をして、倫理学的にはこの状況をどう考えるべきか問うたとする
「酷いことを思いつきますね!一番非倫理的なのはあなたです!きっとドヤ顔で書いたんでしょうね!あなたが女性から避けられる理由がすべて詰まってますね!」
って激昂しちゃって議論にならないのがお前
トロッコ問題って轢いたその後の事が考えられてないことが多いけど脱輪せずに暴走続けた場合の先にさらなる犠牲者がいると思うから弱者男性轢いて脱輪狙ったほうがいいと思う
トロッコ問題には「そもそも切り替えレバーを操作しない」という選択肢もある。
日本人は切り替えレバーを操作しない(介入を避ける)選択をする人が多い傾向がある。
お題で答えるなら、n数に関わらず介入しない。
※MITは国別の傾向を発表している。
なぜこんなトロッコ問題みたいな話を長々と…100円くらいなら両方出せばいいのでは
おもしろい。自分は寄付をする人間で、存分に選り好みして寄付しているのでその観点から書こうと思う。また自分は犬には寄付しない。ほとんどは被災者である。
自分は寄付には差別的要素があると思う。そして、そもそも寄付は究極の善でもないと考えている。
それから自分がやっている寄付は全く善と考えていない。もっと利己的なもので自己満足感を満たすためにやっており、投資や物品購入に近い考え方をしている。
どちらかといえば自分がやっているのは贖宥状購入のような悪徳に基づく行為である。
ただしここで「差別的要素があるならすなわち善ではない」と考えると危険であると思う。それは完璧主義的な意見だろうと思う。
これは自分は、世間の欺瞞に対する挑発だとも考えている。普段は比較的「悪」なくせに、そういうときだけ調子のよいことを言う人間がいる。あたかも「自分は善側の人間ですよ」と振る舞っていること・自分が選んだものを助けたことに満足していてその他には一切憐憫の情を向けない「ほかを悪と断罪するための正義」を感じているのもあるのではないか。「やらない善よりやる偽善!」と言って、やらない者を「悪」側に落とす文句もある。
もし多くの人間に対する不信感がある場合、選ばれなかった方に目を向けたくなる。彼彼女らが助からないのなら、それは善といえるのかという話のようにも見える。
自分には、増田は「嫌われている方を助けたい」という考え方があるようにも見えている。ちょうど増田が考えていることはロールズの「無知のヴェール」の話にも通じるのではないか。これは個々の立場を忘れるヴェールを被ってから正義を考えようという概念である。この概念はそこそこ有名だが、それほど一般的ではない。ほとんどの人々は伝統的な倫理観にしたがって寄付などを行っているはずだ(※ べつに揶揄しているわけではない)
ただし差別うんぬんよりも、もし「すべてを救えないのなら救うべきでない」とすればこの世のほとんどは何も救えないことになる。われわれは有限の資源の中で生きているので、絶えず不足にさらされている。不足している中では選別が必要となる。
このあたりはトリアージ等の動画を見ると非常によくわかる。属性のせいで助けてもらえないというのは悲しいものである。何もないまま助からなかったよりも、助けられそうな資源が目の前にあるのに助けてもらえなかったという絶望はたしかなものだ。それが現実である。現実は理不尽であり不公平である。しかしポメラニアンを助けている人も、何も黒い大型犬に思いを全く馳せていないわけではないかもしれない。助けたいが、資源が足りていないために助けられないのだ。
どのように「公平に選別するか」も重要な問題である。こうした点がトロッコ問題などで考慮されていた。選別しなければならないのだ。ポメラニアンと黒い大型犬はその「愛らしさ」に焦点をおいているので、その独善的な部分に嫌悪感を感じるのではないか。善という正義の皮をかぶって差別を正当化しているように見えるのかもしれない。通常、笑って朗らかな態度で選別してはいない。血涙を流しながら、選べないという自分の無力さ無能さ愚鈍さとどこかで折り合いをつけて、否応なく選別している。
そして誰も救わない場合、「どうにも俺と同意見の人間が増えたとして世界が良くなるとは思えない」と言っているとおりのようになるだろう。もしそれが現実となったとき、考え方はどうであれ実際に起こるのは「誰も寄付しない世の中」である。つまりどれだけ困窮しようが誰も何も手を差し伸べはしない。それはポメラニアンや黒い大型犬のみならずすべての生き物が平等に絶望しなければいけない事態であると思う。
人々から金銭を徴収して再分配することはODAなどで一応おこなわれている。
一方で寄付は、自発的に自分の所有財産から抜いておこなっているものだ。これは財産権という強固な概念で守られている。
われわれは「自分の持っているものを自分の使いたいように使っていい権利」を持っている。これらをとりあげて自由に使用することは、自由権や民主主義を否定するものである。
またこれは単純に「世界中で増税する」ということに他ならない。国はそれほど信頼できるだろうか。国同士は同意できるだろうか。現在の世の中ではかなり厳しいものとなる。
また、マクロな問題を持ち出して、ミクロの問題のやらないことの根拠に含めてしまうのはズルであろう。個人的な寄付をすることと、国家群が寄付を集めて再分配することとは次元が違う問題である。
結局増田が言っているのは理想論なのではないか。「あるべき理想の姿」があまりに現実と違いすぎる。今この瞬間にはどうしようもないことを前提としすぎている。遠い将来にそれが普通になることはあるかもしれない。しかし周りから見ればそれは「ただやっていない」「ただ誰も助けていない」のである。
そして実際にその浮いた100円は何に使っているかといえば、個人的な実益に対してなのではないか。これはどう言い繕っても「誰かを助けるよりかは、自らの幸福を高めたい」という行動である。この言はずいぶん切れ味の鋭いものだが、それが事実である。われわれは見ず知らずの黒い大型犬の命よりも、見ず知らずのポメラニアンの命よりも、コンビニのお菓子の方を選ぶことがある。そちらの方が自分にとって幸福だからだ。
増田はもしかすると「誰からも助けてもらえなかった」と感じているかもしれない。だから自分も手を差し伸べはしないのだと。しかし本当は助けられたかったのではないだろうか。助けてもらえない者たちから見れば、この世は邪悪な方が都合がいい。この世が邪悪だから助けてもらえないのだと考えられる。それほど邪悪でないのに助けてもらえないなんて諦めがつかない。
寄付だろうがなんだろうが人の行動は利己的なものであり、己のためにするものだと思う。どちらかといえば、寄付することによって自分が救われているのだ。
べつにこれは自分個人の意見だが、「全員を助けられないのなら寄付しない」と考えるのならば、あまりにもったいないと思う。
誰かを救いたいのなら救えばいいのではないか。
「世界が良くなるとは思えない」というのが間違ってる。
同意見の人間だけの世界になれば、世界はかなり住みやすくなるだろう。
あなたの価値観は、全知全能の存在のみが成し遂げられる完璧な平等主義のようなもので、
トロッコ問題なら、5人か1人のどちらかを助けるか?ではなく、
6人を助けろ。さもなくば、6人が死ね。
という答えを選ぶタイプの人。
2歳児にトロッコ問題を出した結果w
完全なる平等を求めると、現実社会では、全員が助からなくなるので、
こころの弱い人達は、少しだけでも助かればその方が良いと考えがちなんだけど、
それがあなたの指摘するところの差別を引き起こしているのも事実なんだ。
だから、どちらが間違ってると決められるモノではないし、