はてなキーワード: 殊にとは
生成AIの対策をしてる・してない云々でどこに移住するかどうか主に絵描きのオタクたちは議論を重ねているけれど(そしてそれにどれほどの意味があるか分からないけれど)、移住すると叫ぶ前にまず頭に置いてほしいことがある。
そもそも、各種SNSは絵描きたちだけのためにある訳じゃないってことだ。
そして今、X以外のあらゆるSNSに絵描きオタクやその周辺の人間が大挙として押し寄せているけど、それはただただ移住先候補に負担を掛けているだけである。
結局移住しないのであれば、そこに住民にならないのならば、そこを支えるための方策を考え実施しないのであれば、負荷をかけてるだけのうんこと変わりない。
私は今はサーバー管理者じゃないただの利用者でしかないし、あらゆる苦労を重ねて運営している方の意見を代弁することはできない。
でも、一利用者としてはバッタかイナゴの大群が押し寄せて、とことん食い散らかして飛び去って行ってるようにしか見えていないんだよね。
それはこれまでもあることだったけれど、今回は規模が段違い。
それに加えて、なんだか移住先を値踏みしているような目線も感じて、正直言って気持ち悪い。客観ではなく、一個人の感情の話になってしまって申し訳ないんだが、前々から(自分の場合は7年ほど前から)分散型SNSに腰を落ち着けていて、運営思想などに大いに共感して、楽しくやってた人間にとっては、外から来た人間があれこれ言って自分の居場所を貶したりされるのすごく嫌なんだ。自分にとって、分散型SNSは新しいSNSや避難先などではなく、もはや自分の家といえるほどの居場所で、そこの維持や運営の助力になるようにお金を払っていたりもする。
X(旧Twitter)に辟易したからやって来るのは分かるし、歓迎したくはあるんだけど、その一方で分散型SNSがX(旧Twitter)の機能を完全互換したものではないし、Xと全く同じことはできない。だから「ここがTwitterと違うふじこふじこ!」って騒がれても、そりゃTwitterじゃねえから違うの当然だろとしか言えない。
ここまでくそみそ書いたけど、もしも移住を考えている人で、自分の考えにあった移住先が見つかった人は、次にそのSNSが安定して運営できるように支援することを考えてほしい。
殊に分散型SNSはマネタイズが苦手で、経済的な基盤が脆弱となりやすい。
これは少し調べれば分かることだ。
ごく一部のサーバー(インスタンス)以外は黒字になってないだろう、これは類推だけど運営者の善意・楽しく使っている人たちを見てて楽しいからやってるってこと(だけじゃないけど、特に小さめのインスタンスの管理人さんはそんな感じだと思う)。
運営上全く問題がないのはthreadsとか、現在mstdn.jpやpawooを運営してるSujitech傘下のインスタンスだけではないだろうか。
mastodonとmisskeyを例に挙げよう。
この2つに関しては、正確にはソフトウェア・システムの名前である。このシステムを使ってSNSを構築しているサーバーに名前が付いている(若干違うと思うけど大体そんな感じ、このサーバーはインスタンスと呼ばれたりもする)。
mastodonならばmstdn.jpが、misskeyならioが代表的なサーバー(インスタンス)だと思う。
まずmastodon。先ほども上げたmstdn.jpだが、ここは何度も閉鎖の危機に遭い、運営者が変わっている。4年ほど前よりSujitech傘下になってからはそういう話を聞かなくなった。最初はpixivが立ち上げたpawooも今ではSujitech傘下、ドワンゴが立ち上げたnico.friendsは閉鎖して今は有志が意志を引き継いだBest Friendsが稼働してる。mstdn.jp,pawoo,nico.friendsの3つはかつて日本の三大インスタンスとも呼ばれていたんだけど、この通りにどこも閉鎖危機や運営譲渡などがあったため、有名どころでも結構大変(というか運営していての旨味があんまりない)ということはよく覚えておいてほしい。
misskeyで最も有名なioもマネタイズはめちゃくちゃ苦労されていたが、株式会社を立ち上げskebがスポンサーにつくなどもあり、現在はかなり安定した
このように、分散型を知らない人でも一度は名前を聞いたことがあるサーバーでも、安定的な運営は難しい。
なので、個人の支援は大事。それだけではどうにもならないこともあるが、支援をしないでうだうだくだを巻くよりよほどマシ。
Blueskyがユーザー向けにサブスクリプション提供の検討をしているというアナウンスが少し前にあった。
「使い心地いいし応援してるけどお金は出せない……」ていう人間も見たけど、いや出しなよ、応援してるなら少しでも金出せ、そうでなければただサーバーのリソース食ってるだけ。現時点ではどんなプランが提示されるか分からないし、例えば月額100円程度のプランが出たとして、それにもお金を出せないのであれば、Blueskyの仕様に文句を言う筋合いは全くないって個人的には思う。たとえ将来的に改悪されて現Xのようになっても、文句は言えない。
そうはいっても、全員がお金払えるわけじゃないし、払うつもりもない人がいるってことも分かってはいるが。
Blueskyは「広告がないし自分の意図通りにTLが表示される素晴らしいSNS」と評価されることも多いけれど、広告なしに運営できているのはなぜかということを考えてほしい。
割とブルスカに腰を落ち着けようとするオタクが多い印象で、それはTwitterだった頃のTwitterに雰囲気が似てて落ち着くからって感想が多いけど、ということは余程うまいマネタイズの方法がなければ将来的にTwitterがXとなって混乱している現状と同じ将来が待っているし、誰かが買収したらその指先ひとつで規約が変わって、また勝手にぴーちくぱーちく騒ぎ出し同じことを繰り返すだけである。
そうは言っても、今回の騒動でどれだけXではない外部のSNSに人が定着するか分からない。
というか、ぶっちゃけ大半は定着しないでXに戻るでしょ。
かつてのカオスラウンジ騒動でpixivは非難囂々、多くのユーザーが外部の競合サービスにアカウントを作ったが、結局だいたい戻ってきた。
これまでに似た騒動が何回か起きたけど、結局ユーザーの多い方に戻っていった。
今回も同じことになるだろうと思うし、ならなかったら新たな流れということで面白いとは思う。
ただ、「誰も来ないし誰も見てくれないから戻る」つもりがあるならば、正直アカウントも作らずに様子見しててほしい。
インターネットは人が賑わうところがより賑わっていく、良くも悪くも。どんなに立派な大義名分があったって人がいなけりゃみんな来ない。
各種SNSも人の賑わいがあるに越したことはないけれど、その度にサーバー負荷がかかって管理人さんたちが苦労して、
お金掛けてサーバー増強したけど結局およその人間は去って行ったという流れを何度か見てきたので、
本当に移住するつもりなら下調べは十分にしてそこに根を下ろしてほしいし、そうでないならアカウントも作ってくれるな、という思いです。
追記するつもりだけどひとまず言いたいのはこんなところ。
おれはあの曲大好きだぜ。仕事がなければ現地であの曲を浴びたかった。本当に
そもそものradioactivity自体が1970年頃に作られた曲で、それが福島のメルトダウンを期に現代にリファインされたとかカッコよすぎじゃん
発表された当時聞かなかったんだろうけど超絶痺れたぞ。つべの過去のコメ欄みてみろよ。
俺たちの身に起こったことを理解してくれて、寄り添って、芸術に昇華して、彼らの歴史に刻んでくれたんだから。それをちょっと自分の思想に合わないからってゴミカスみたいに批判してんじゃねーよ。嫌なら聴かなきゃいいじゃんか。何様なの?
てかあんたらいつまで原発反原発やってんのよ。うちの地区も元立入禁止区域だったけどみんなもうコロナのほうが大変でどうでもいいって感じだぞ。賠償金目当ての大熊町や双葉町の一部の海沿いの人間以外な(笑)
俺からしたら殊に騒ぎ立てるあんたらの方こそ思想を通したり承認欲求を満たすための道具としてフクシマをいいように使うなよって思うよ。
特に今は亡き「H部」は主に10代を対象にしたアプリで、まさに入れ食いだった
当時とある自治体は淫行条例が無かったので、そこに住んでる子か、はたまた周辺自治体の子を連れてくれば、13歳以上なら法に触れなかった
私は当該自治体に部屋を借りて、毎週末、本当に週替わりに女の子を部屋に呼んだ
来る方も来る方だが、買い物して、ご飯食べさせて、部屋に来れば9割はヤレた
そりゃ一回り以上年上のゴツい男に迫られたら、どうにもならんだろう
法が変わり、量刑も重くなり、毎日のように未成年の淫行がニュースに報じられるようになった理由は、女の子の意識の変化が一番だろう
それは学校でのネットリテラシー教育や、不審者(ネットやアプリのロクでもないやつ)への周知徹底が理由と思ってる
自ら望まない限り、そういう輩に出会わないし、不幸にして出会っても、悪い奴だから親に言える
私はそれが異常者だからだって決めることが1番その本質を見誤る要因になりうるのではと思う。
私たちは誰でもその異常者になりうるのだって思うことが、防犯やそういう追い詰められる状況を作ることをその手前で止めるための心掛けになるのではって思うけどな…
みんな最初はどう見ても普通に見えるからこそ気づかれにくいわけじゃん?
最初からあからさまにおかしかったらもうちょっと違った処置が早めに施されたんじゃないだろうか。
あとまあこれはジェンダーバイアスや母親信仰といった問題も多少はあるのかもだけど、それよりかは事件のわかりやすさみたいなのはあるかも。
母親になって泣き止まない子供を相手にしてると、こういう事件みたいなことまではいかなくても似たような、あるいは過失で子供を死なせてしまう悪夢にうなされる人は、母親は特に少なくはないんじゃないかと思う。
だから実際にそんなこと実行する人はほとんどいないんだけど他人事とは思えないってなるんだと思う。
でも追い詰められて赤の他人に対して大量殺人を行うっていうのはちょっと普通の人には想像しにくいと思うんだけどどうだろうか。
殊に女性や母親ゆえに許されているっていうこととはちょっと違うと思う。
もちろんそういう想像しにくいことにも思いを馳せてみることも大事なことだと思う。
増田氏はあの母親を理解できないから恐れ、共感する母親たちや世間がみんな異常者に見えて恐れ憤りを感じているのではないだろうか。
まあ同情する側も本当に理解しているのか?っていうとそれぞれ自分の体験に照らし合わせて勝手に解釈してるだけで、真相は全く違う可能性もあると思うけど。
いろんな人がいていいと思うし、当然あれを問答無用で許すなって叫ぶ人がいなくなるのはそれはそれで危ない社会なので、そういう人がいるのは正常なことだと思う。
同情してる人たちもただ同情してるだけで、許してるわけでは決してないと思うけど…そういう人もいるのかな?ならそれはちょっと違うと思う。
あるいはもしかしてここから何か全く事態が逆転する情報が出てこないとも限らない。
増田はそういう違和感を今の時点で敏感に嗅ぎ取った人であるのかもしれないとも思う。
私は国家の解体と国境の廃止を訴えている地球市民の1人である。
私のことをアナーキストと批判する国家主義者(右派・左派問わず)が存在するが、私から言わせれば国家主義者ほどアナーキーな存在はいない。
彼らは国家の主権の絶対性を訴えるあまり、国際社会における無秩序・混沌から目を逸らすのである。
国家主義者はその国際社会のアナーキ性を正当化し、その中で秩序を構成するための自国の軍事力、経済力、発言力向上も正当化するのである。
そのようなことが許されるのであろうか。
国家主義者と言うと自分と縁遠い人間を想像する人もいるであろう。
しかし、自分が国家主義者である自覚のない無意識ナショナリストは溢れている。
一例を挙げよう。
我らのゆりかごは既に増えすぎた人間を抱え切ることができなくなっているのにも関わらず、相対的な人口数低下に危機意識を持ち、人口増加を願うのならばそれはナショナリズムによるものである。
他にも例を挙げればキリはない。
私はここ、はてな匿名ダイアリーに国境廃止委員会の本部及び国境廃止委員会日本支部の設立を宣言する。
国境は廃止され、国軍は廃止され、通貨も廃止され、現状の国家はローカルガバメントとなることを目指す。
我ら人類が保持することを認められた暴力装置は警察権力のみであり、軍事力の保有など決して認められないものである。
なぜならば、人の命を奪うことは究極の不可逆的行為であるからである。
国家と国家の争いにより政治権力のない庶民や子供たちが屠られたとしよう。
例えその後に国家と国家が和解しどれほど強い友愛が築かれようと、かつて失われた命が再び息を吹き返すことはもうないのである。
我ら国境廃止委員会を支持する世界市民主義者が過半数を超えた時にも、反世界市民主義者が率いる国家とそれを支持する国民が存在するであろう。
国境廃止委員会を支持する旧国家は国境廃止委員会にフォースプロバイダーとして旧国軍を提供せよ。
国境廃止委員会の下におかれる国家解体軍事委員会が提供された連合軍をフォースユーザーとして組織し国家主義者を破砕するのである。
最後に。
地球市民主義は欧米主導のグローバリズムとは異なるものである。
我らは地球における多様な文化を、それが個人の自然権を侵害しないものである限り否定しない。
しかし、だからと言って醤油仕立ての雑煮や餡子の入った雑煮を否定することはないのである。
我らは皆同じ地球の市民であるとともに多様なことなら文化を持つのである。
純愛ばっかに、というか女性優位ものばっかになったのは、最近、殊に顕著だけど。
ひょっとすると、それは、ツイッターで宣伝するという、大して効果の無い目的のためもあったのかもしれない。
それはTwitterで載せられるわけないイジラレ百万部とか見ても分かるだろうに。
数は多くても、そこにはキッズ、非オタ、表現規制フェミが相当数入った数であって。
そこに配慮しながら無難なエロ漫画描いても、減りこそすれど増えるわけねーよ。
大体、エロ漫画ファンだって、ツイッターでエロ漫画の情報仕入れたいとは思ってないよ。
今回の件で、読者を自称する連中からも叩かれたっていうけど、もしそれが本当だったら、それは、こんな目立つ場所でエロ漫画の話題しないで、気まずい思いしかしないっていう、日頃からのうっ憤の結果だよ。
エロコンテンツの話題は、もうオタクしかいない場所でひっそりやりたいっていうのが本音でしょ。
それと昔フェミが異常なほどコンビニエロ本叩いてゾーニングがーとか喚いてたのとは全く話が違う。
売り場を限定されれば、買われる機会が減って、確実に売り上げはダウンするけど、宣伝効果の薄い場所で話題をなくしても、売り上げに影響なんてゼロだよ。
そこがそのコンテンツに批判的な奴しかいない場所なら、叩かれる機会が減って、むしろ上がるよ。
カリギュラ効果なんてもう発動しないよ、叩かれすぎて。
目新しいものが叩かれてたら、それをきっかけに知って、どうしてそんなに叩かれてるのか知りたいって興味が出るけど、知ってるものが、いつもの通り叩かれてるのを見たって、嫌な気分になって避けたくなる気持ち以外に何も起きない。
連中はあらゆる心理効果を使って、BLを広めようとしてたんだから、腐女子の文化は殆どの場合、そのコンテンツの保護に有効なんだよ。
自分たちのための棲み分け、批判を避けるためのステルス、それでいて、一般書店でもポルノ丸出しの表紙のBLを、一般の棚に並べさせる販売網の確保。
今の漫画の雑誌とかの棚やべーぞ、女キャラは服着てるけど、男キャラは全裸で抱き合って発情顔してる。
でもネットだと、話題にできる場所が、連中の巣窟以外にないから叩かれもしない。
男向けは、完全に逆の道を行ってるわな。
身内での性癖の押し付け(女性優位ものばっかになったのも多分このせいで、モラハラ合戦になれば、男性優位ものは、レイプだ性差別だと簡単に全否定される)、悪目立ち、叩かれる場所でしか話題にできる場所がないレベルの居心地の悪さ、年々減っていく販売網。
やはり音楽の叙情詩というものは重要だ。これは残念ながらアメリカからは出てこれないサウンドだろうな、と決めつけてはいけないが、やはりやむを得ない事実ではないかと。まぁ、偏見とも言うのだが(笑)。いや、でもやっぱりヨーロッパならではの伝統的な側面だというのはあるはず。殊に英国の叙情性というものは他のヨーロッパ諸国のモロに露骨な、例えばイタリアのようなものとは異なり大げさにはならない。それでも深くしっとりと染み渡ってくる叙情性なのだ。そんな叙情詩を音にしているバンドの大代表がフロイドだったりするし、キャメルというバンドもその一角だ。
[Mirage]
[Camel]
1974年リリースの二枚目「Mirage」というアルバム。ファーストアルバム「Camel」と音楽的にそれほど変化があるワケじゃなく、センスが磨かれたっていう感じかな。音的なものだけで言えばピーター・バーデンスの鍵盤が全面に出ているのでどっちかっつうとピコピコ系なイメージもあるんだけど、そこはさすがにキャメルの雄であるアンディ・ラティマーのギターが鋭いところでロックファンの心を刺激してくれるのだ。普通に意識しないで聴いているとこの鍵盤とギターの音色の違いを意識しなくなるもん。うん、違うんだけど、多分ラティマーのギターの音がスペイシーでマイルドでおよそギターの感じがしないからでしょ。コードを掻き鳴らして、っていうシーンも多くはないのでかなり特殊かな。
そうだねぇ、このバンドって凄いのはアルバム全体を通してってのもあるけど一曲ごとに情景が目に浮かぶような音を聴かせてくれるってとこかな。別に解説も知識もなくっても音を聴くとなんとなくこんな情景なのかなぁってのが浮かぶ。目を閉じて聴くとしっかりと自分だけのイメージが沸き上がってくるから面白い。このアルバムのコンセプトって何だろな。多分「指輪物語」だと思うけど、それを露骨に明言しないでもリスナーとしてはそういうのをイメージして聴ける。するとまるで映画音楽のように楽しめる。しかしラティマーのギターは面白い。こういうのを歌うギタリスト=ギターを歌わせることの出来るギタリスト、と呼ぶのだ。しかもバンドアンサンブルが抜群。
この「Mirage」という作品、冒頭から優れた旋律とアンサンブルによって歌が少ないのにもかかわらずアルバムとしての印象が強いものになっているんだけど、一般の例に漏れず、キャメルの世界の最高傑作と呼んでも過言ではないであろう「Lady Fantasy」という稀代の作品を配しているアルバムなのだ。壮大な一大叙情詩が描かれている作品で美しいんだよ、これ。プログレが好きとかキライとかっていうのじゃなくって流れていると心地良くなるサウンドなので聴かない方が損じゃないか?なんて思う。まぁ、こういう雰囲気を望まない時は別に興味ないのだろうけど、ひとつひとつの音が染み渡ってきてねぇ~、良い。ドラマティックな展開ももちろん素晴らしく12分を感じさせない物語♪この延長が後の「The Snow Goose」という素晴らしいコンセプトアルバムに繋がるんだろうな。http://rockcollector.blog31.fc2.com/blog-entry-814.html
同好会の趣旨が教育や社会、コミュニティ自体の方針について考える会みたいなものです
アニメやゲームでも人生を語りますし、スポーツや文学で生死や社会を語りもします
同じものです
教育を一定期間担って集めるものも学校などとしてありますし、収益化を目的に集まる会社などもあります
生活の様式や基礎的な知識、常識といったもの他共有する情報についてとりまとめようというのが共同体単位で浸透する宗教です
その生活様式の主体が基本理念に沿うようになれば何だって宗教です
宗教はその対象を生活や人間の活動についてを主体にしているので殊に取り上げられやすいだけです
またその主体の無さから目的として人とのつながりを利用するためとして利用されがちでもあります
アイドルやゲームや小規模な継承文化、風景や施設なんかも宗教のようなふるまいをすることがあります
人が集団になることについての仕組みがコミュニティの形成、集団形成についての論や定義になるだけです
問題になる集団は宗教や反社会的組織など限られた一部になりますがこれらがほかのコミュニティ形成と大きく異なる点があるところです
基本的に個人が形成するコミュニティは規模的に国家の下になります
国がいちばん大きなコミュニティで、生活を保障し人権を定め生活をよりよくする手立てを施します
宗教だけしか人を救わないと言う前に、国が人権によって宗派も関係なく国民と認定した人間すべてに対してこの世で現時点の救済をする仕組みになっています
宗教と反社の問題点は、この国の下で組織体として「独立した経済域を形成しがち」なところです
どの国でも重い罪に問われるのが偽札の発行
これは国が定義する国としての価値そのもの、それはコミュニティの存在の意義そのものについて反抗するからです
大きな組織が内部で独自の通貨を形成して、それが国の発行している通貨を介さなくなればどうなるでしょうか
独立して「そういう教義の国家をつくればいいんじゃね」って段階に至る時点で国内に存在しているだけで問題の組織になります
組織体として隣人と交渉を等価で平等に行う条件が保たれている限り、コミュニティの問題は各個人の問題に留め置けるものでしょう
宗教もアニメのファンクラブやサブクス、保険やサークル会員のように会費が必要です
それによって維持されています
人が救われるのは宗教だけではありませんし、実質救済措置を実行するのは国です
国が国としての定義を安定化させるために国教を定めているところもあります
方策の一つ、手段の一つでしかないので楽ですし問題もないでしょう
日本が無宗教でコミュニティを維持できている理由のひとつに、常識という名の定義がほぼ一つに共通しているからだとも言えます
宗教で戦争や人種で戦争など体験したことがないので想像するのがむつかしいかと思いますが、様式の違いだけでたいへんな争いになります
それは生活の基本的な様式や常識がちがうから、そこで都度つかわれるコストがことなるから、それは通貨が違っているからということに近いものがあります
もし問題があったり要求があったりして交渉したくなった場合、通貨がちがうので交渉にならないのです
ならば解決の方法はどうなるかと言えばそれは人の歴史が物語っています
独自の経済圏を築こうとした時点で問題がありますし、それは国が問題を解決すべきとなることです
そのため複数利用したい人は個人的に複数の組織に参加することになります
さすがに国はまたげないので、そこで問題になりがちなのが先ほどの規模の組織体ということになります
核家族化して個人がそれぞれ自分の人生の終焉を選択しなくてはいけなくなった現在、宗教による個人の利用価値は大きくなっていると思います
また実質宗教の組織維持の活動として最も強力なものは救済ではなくコミュニティという組織価値の運営にあります
宗教というコミュニティ形成をあまり特別視しすぎてしまわないほうが、より広い人間関係において問題が大きくならずにすむかと思います
日本人が風呂に入るときに、手拭を持つてすぐ風呂の中に入つて、中でごしごしこするというような習慣などは、私どもは自分は風呂の中に手拭を持つて入つて、手拭でごしごしこすつたというようなことはないが、そういうことを一つ矯正して日本人のこういう悪習を直したいと思うことが随分ある。殊に宿屋などにおきまして、一緒に混浴しておりますときには特にそれを感じますが、併し自分は風呂の中で手拭を使わんから、お前も使うなということは、のどまで出ておつてもいえない。こういうことが常に私は多くあつたのでありますが、そういうことも一つ厚生委員の皆さんにおかせられましても、同感であらうと思いますから、なんらかの方法によつて、こういうことも宣傳をして、日本國民はただ風呂の中では身体を暖めるだけで、洗うのはその外で洗う、そうして又中に入るというようなことにでもすると、非常に私は衞生思想の発展だと思つておるのであります。
息子がこの世に誕生して結構経つけど、親の私は産む前と産んだ後ですこーしだけイメージが変わったので赤裸々に書こうと思います。
これはほんとにみんな違う。大学を卒業する人もいれば、芸術的な才能を開花させる人もいる。息子がダウン症じゃなければ知らなかったことだ。
顔も、特徴はあるがみんなやっぱり親に似ている!
でも正直言うと私は息子が誰に似ているのか分からない。
なので「パパによく似てるね」と周りから言われれば黙ってしまうし、一緒にいる家族も変な雰囲気になる。
たぶん理由はいくつかあって、愛想が良くて裏表がなく笑顔がステキな子が多いからだと思う。でも実際はめちゃくちゃ頑固な子とか、知的障害から来るあれこれで怒りっぽい子とか、あと自閉症を合併している子とかも少なくなくて実は思ったより天使じゃない。そこは普通の子と変わらないと思う。誰かがポジティブに捉えるために天使って言い出したんじゃないかとひねくれの私は考えている。
さて本題に入りたいと思います。
これはダウン症に限らず、どんな障害や病気を持つ方にも「可哀想」と思うことはあるかと思う。ただ私は殊にダウン症のことを可哀想だと30年思ってきた。身体的にここまで特徴的な病気はないと私は思う。パッと見てダウン症だと把握されて、偏見の目に晒されたりするのが可哀想だと思っている。現在進行形で。
どう対応したらいいか、息子以外分からない、なんて言葉をその子の親にかけたらいいか分からない。
これは変えようと思っても変えられない。カウンセリングに通おうかな、とかも考えた。
息子は可愛くてしょうがないのに、いざダウン症の親の会や施設に行って他のダウン症の人を見ると「うわっ」となってしまう。
我ながら最低だと思います。本当に。
けど最低ながら日々療育に通えたり、施設に行ったりできるのは慣れと諦めが大きいと思う。
まずダウン症の顔が受け入れられない。この問題をどうにかするために、一日中「#ダウン症」でインスタを検索した。
34万の投稿で目を慣らしていった。今では何も考えずに見て「この子かわいいな、ステキだな」と思えることも多くなったが、実際に見るのは脳みそが受け入れられないのだ。
「息子も、ダウン症なんだ」とどーーーんと衝撃が来るから。それで自分を責めて、自己嫌悪に陥ったりしている。けど誰に言われたのかすっかり忘れたが、「無理しなくていいんじゃない?」という言葉に救われた。
無理して他のダウン症の人と交流しなくていいし、無理して自分を偽って優しくなろうとしなくていい。
なるほど、たしかにそうだと思った。
基本的には親がアカウントを運営しているのだが、悩んでいる人、悲しんでいる人も沢山いる。けどやっぱり圧倒的に多いのは、ダウン症を受け入れて明るく楽しくやっていこー!!みたいなポジティブでキラキラした投稿ばかり。
そういう投稿をすることで、自分の気持ちの整理がついて世界に馴染めるというか、肯定感を高めることができるので他の人と共有する楽しさはすごくわかる。
ダウン症の告知をされた両親の中には、そのキラキラに圧倒されて迷いや葛藤が生じている方もいるのではないでしょうか。そして私と同じようにダウン症を受け入れられない方も沢山いることでしょう。
私みたいなひねくれ者でもダウン症の子を育てていけるので、安心してください。
どこかで諦めがつきます。ま、いっかってなる日が来ます。そのためにはいろーんな人と喋って、無理なことからはそっと離れて、あんまり他の子と比べてはいけません、めちゃくちゃ辛くなるので。
たぶん解決策は無くて、きっと一生このままだと思う。
最後に、この日記?にたどり着いた子どもがダウン症の告知をされた方、出生前診断でダウン症の可能性があると言われた方…
いっぱい悩むと思いますが、辛くなったら抱え込まずにいろんな人と話してください。パパやママが笑顔なのが、子どもにとって1番だなーと思います。そして、私たちが悩んでいることなんか子どもは全く気にしてません。
ではまた。
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/gaiyou/990301m.htm
あー元々そういう趣旨なのね…なら恩着せがましくてもしょうがないか…
って思いっきり誤字してるよ?『反映』じゃなくて『繁栄』でしょ!?
義務教育教科書無償給与制度は、憲法第26条に掲げる義務教育無償の精神をより広く実現するものとして、我が国の将来を担う児童・生徒に対し、国民全体の期待をこめて、その負担によって実施されています。
教科書無償は、義務教育無償という理念のもとに広く世界中で行われていますが、殊に我が国においては、教科書の役割の重要性から、その使用義務が法律で定められており、就学義務と密接なかかわりのあるものとして、授業料の不徴収に準じて教科書を無償給与すべきことと考えられます。
また、この制度は、次代を担う児童・生徒の国民的自覚を深め、我が国の反映と福祉に貢献してほしいという国民全体の願いをこめて行われているものであり、同時に教育費の保護者負担を軽減するという効果をもっています。」
サンタクロース……その起源は、遠く古代中国、東晋の時代へと遡る。
その頃、中国大陸一の武術の高手(達人)として名を馳せた肉羅臼(にく・らうす)は、他門派の武術家と決闘する際に、三種類の絶招(必殺技)の何れかを使うと相手に予告することで知られていた。
そうして、肉羅臼は「三つのうち何れの絶招で、お前は止めを刺されたいか?」と質問して選ばせた上で、必ず、その技によって決闘の相手を屠ったという。
その強さに感銘を受けた時の皇帝・中宗元帝から、肉羅臼は"三択老師(さんたく・ろうし)"の名を下賜されるとともに、当時の民衆からは
三招(3つの技)有れば事足りる」
と詠われて、その比類無き強さを讃えられた。
しかし、晩年の肉羅臼は、武術家同士が覚悟の上で行なった決闘とはいえ、多数の人命を奪ったことを大いに悔い、武術家としての技一切を封印すると、シルクロードを遥かに西に向けて辿る旅へと出発した。
長い旅路の果にユーラシア大陸の西・カッパドキアの地に到達した肉羅臼は、その地で入信したキリスト教の修道士となると、弱い民衆たち、殊に幼い孤児たちの救済事業に晩年を捧げたという。死後、その慈悲深い行ないを讃えて、肉羅臼は"聖ニクラウス"と呼ばれるようになり、幼い子供たちの守護聖人と見なされるようになった。
時は流れて二十一世紀、クリスマスの風物詩として、子供たちに贈り物を運んで来る伝説上の人物のことを、我々現代人は"サンタクロース"と呼んで親しんでいるが、その呼び名の起源が"三択老師"であることは言うまでもない。
三郎が、都合のよい折を見計らって、遠藤の部屋を訪問したのは、それから四五日たった時分でした。無論その間には、彼はこの計画について、繰返し繰返し考えた上、大丈夫危険がないと見極めをつけることが出来たのです。のみならず、色々と新しい工風くふうを附加えもしました。例えば、毒薬の瓶の始末についての考案もそれです。
若しうまく遠藤を殺害することが出来たならば、彼はその瓶を、節穴から下へ落して置くことに決めました。そうすることによって、彼は二重の利益が得られます。一方では、若し発見されれば、重大な手掛りになる所のその瓶を、隠匿いんとくする世話がなくなること、他方では、死人の側に毒物の容器が落ちていれば、誰しも遠藤が自殺したのだと考えるに相違ないこと、そして、その瓶が遠藤自身の品であるということは、いつか三郎と一緒に彼に惚気話を聞かされた男が、うまく証明して呉れるに違いないのです。尚お都合のよいのは、遠藤は毎晩、キチンと締りをして寝ることでした。入口は勿論、窓にも、中から金具で止めをしてあって、外部からは絶対に這入れないことでした。
さて其日、三郎は非常な忍耐力を以て、顔を見てさえ虫唾の走る遠藤と、長い間雑談を交えました。話の間に、屡々それとなく、殺意をほのめかして、相手を怖がらせてやりたいという、危険極る慾望が起って来るのを、彼はやっとのことで喰止めました。「近い内に、ちっとも証拠の残らない様な方法で、お前を殺してやるのだぞ、お前がそうして、女の様にベチャクチャ喋れるのも、もう長いことではないのだ。今の内、せいぜい喋り溜めて置くがいいよ」三郎は、相手の止めどもなく動く、大ぶりな脣を眺めながら、心の内でそんなことを繰返していました。この男が、間もなく、青ぶくれの死骸になって了うのかと思うと、彼はもう愉快で耐らないのです。
そうして話し込んでいる内に、案の定、遠藤が便所に立って行きました。それはもう、夜の十時頃でもあったでしょうか、三郎は抜目なくあたりに気を配って、硝子窓の外なども十分検べた上、音のしない様に、しかし手早く押入れを開けて、行李の中から、例の薬瓶を探し出しました。いつか入れ場所をよく見て置いたので、探すのに骨は折れません。でも、流石に、胸がドキドキして、脇の下からは冷汗が流れました。実をいうと、彼の今度の計画の中うち、一番危険なのはこの毒薬を盗み出す仕事でした。どうしたことで遠藤が不意に帰って来るかも知れませんし、又誰かが隙見をして居ないとも限らぬのです。が、それについては、彼はこんな風に考えていました。若し見つかったら、或は見つからなくても、遠藤が薬瓶のなくなったことを発見したら――それはよく注意していればじき分ることです。殊に彼には天井の隙見という武器があるのですから――殺害を思い止まりさえすればいいのです。ただ毒薬を盗んだという丈では、大した罪にもなりませんからね。
それは兎とも角かく、結局彼は、先ず誰にも見つからずに、うまうまと薬瓶を手に入れることが出来たのです。そこで、遠藤が便所から帰って来ると間もなく、それとなく話を切上げて、彼は自分の部屋へ帰りました。そして、窓には隙間なくカーテンを引き、入口の戸には締りをして置いて机の前に坐ると、胸を躍らせながら、懐中から可愛らしい茶色の瓶を取り出して、さてつくづくと眺めるのでした。
MORPHINUM HYDROCHLORICUM(o.g.)
多分遠藤が書いたのでしょう。小さいレッテルにはこんな文字が記してあります。彼は以前に薬物学の書物を読んで、莫児比※(「さんずい+(日/工)」、第4水準2-78-60)のことは多少知っていましたけれど、実物にお目にかかるのは今が始めてでした。多分それは鹽酸えんさん莫児比※(「さんずい+(日/工)」、第4水準2-78-60)というものなのでしょう。瓶を電燈の前に持って行ってすかして見ますと、小匙こさじに半分もあるかなしの、極く僅かの白い粉が、綺麗にキラリキラリと光っています。一体こんなもので人間が死ぬのか知ら、と不思議に思われる程です。
三郎は、無論、それをはかる様な精密な秤はかりを持っていないので、分量の点は遠藤の言葉を信用して置く外はありませんでしたが、あの時の遠藤の態度口調は、酒に酔っていたとは云え決して出鱈目でたらめとは思われません。それにレッテルの数字も、三郎の知っている致死量の、丁度二倍程なのですから、よもや間違いはありますまい。
そこで、彼は瓶を机の上に置いて、側に、用意の砂糖や清水せいすいを並べ、薬剤師の様な綿密さで、熱心に調合を始めるのでした。止宿人達はもう皆寝て了ったと見えて、あたりは森閑しんかんと静まり返っています。その中で、マッチの棒に浸した清水を、用意深く、一滴一滴と、瓶の中へ垂らしていますと、自分自身の呼吸が、悪魔のため息の様に、変に物凄く響くのです。それがまあ、どんなに三郎の変態的な嗜好を満足させたことでしょう。ともすれば、彼の目の前に浮んで来るのは、暗闇の洞窟の中で、沸々ふつふつと泡立ち煮える毒薬の鍋を見つめて、ニタリニタリと笑っている、あの古いにしえの物語の、恐ろしい妖婆の姿でした。
併しながら、一方に於おいては、其頃から、これまで少しも予期しなかった、ある恐怖に似た感情が、彼の心の片隅に湧き出していました。そして時間のたつに随って、少しずつ少しずつ、それが拡がって来るのです。
MURDER CANNOT BE HID LONG, A MAN'S SON MAY, BUT AT THE LENGTH TRUTH WILL OUT.
誰かの引用で覚えていた、あのシェークスピアの不気味な文句が、目もくらめく様な光を放って、彼の脳髄に焼きつくのです。この計画には、絶対に破綻はたんがないと、かくまで信じながらも、刻々に増大して来る不安を、彼はどうすることも出来ないのでした。
何の恨みもない一人の人間を、ただ殺人の面白さに殺して了うとは、それが正気の沙汰か。お前は悪魔に魅入みいられたのか、お前は気が違ったのか。一体お前は、自分自身の心を空恐しくは思わないのか。
長い間、夜の更けるのも知らないで、調合して了った毒薬の瓶を前にして、彼は物思いに耽っていました。一層この計画を思止おもいとどまることにしよう。幾度いくたびそう決心しかけたか知れません。でも、結局は彼はどうしても、あの人殺しの魅力を断念する気にはなれないのでした。
ところが、そうしてとつおいつ考えている内に、ハッと、ある致命的な事実が、彼の頭に閃ひらめきました。
「ウフフフ…………」
突然三郎は、おかしくて堪たまらない様に、併し寝静ったあたりに気を兼ねながら、笑いだしたのです。
「馬鹿野郎。お前は何とよく出来た道化役者だ! 大真面目でこんな計画を目論もくろむなんて。もうお前の麻痺まひした頭には、偶然と必然の区別さえつかなくなったのか。あの遠藤の大きく開いた口が、一度例の節穴の真下にあったからといって、その次にも同じ様にそこにあるということが、どうして分るのだ。いや寧ろ、そんなことは先ずあり得ないではないか」
それは実に滑稽極る錯誤でした。彼のこの計画は、已にその出発点に於て、一大迷妄に陥っていたのです。併し、それにしても、彼はどうしてこんな分り切ったことを今迄いままで気附かずにいたのでしょう。実に不思議と云わねばなりません。恐らくこれは、さも利口りこうぶっている彼の頭脳に、非常な欠陥があった証拠ではありますまいか。それは兎も角、彼はこの発見によって、一方では甚はなはだしく失望しましたけれど、同時に他の一方では、不思議な気安さを感じるのでした。
「お蔭で俺おれはもう、恐しい殺人罪を犯さなくても済むのだ。ヤレヤレ助かった」
そうはいうものの、その翌日からも、「屋根裏の散歩」をするたびに、彼は未練らしく例の節穴を開けて、遠藤の動静を探ることを怠おこたりませんでした。それは一つは、毒薬を盗み出したことを遠藤が勘づきはしないかという心配からでもありましたけれど、併し又、どうかして此間このあいだの様に、彼の口が節穴の真下へ来ないかと、その偶然を待ちこがれていなかったとは云えません。現に彼は、いつの「散歩」の場合にも、シャツのポケットから彼かの毒薬を離したことはないのでした。
六
ある夜のこと――それは三郎が「屋根裏の散歩」を始めてからもう十日程もたっていました。十日の間も、少しも気附かれる事なしに、毎日何回となく、屋根裏を這い廻っていた彼の苦心は、一通ひととおりではありません。綿密なる注意、そんなありふれた言葉では、迚とても云い現せない様なものでした。――三郎は又しても遠藤の部屋の天井裏をうろついていました。そして、何かおみくじでも引く様な心持で、吉か凶か、今日こそは、ひょっとしたら吉ではないかな。どうか吉が出て呉れます様にと、神に念じさえしながら、例の節穴を開けて見るのでした。
すると、ああ、彼の目がどうかしていたのではないでしょうか。いつか見た時と寸分違わない恰好で、そこに鼾をかいている遠藤の口が、丁度節穴の真下へ来ていたではありませんか。三郎は、何度も目を擦って見直し、又猿股さるまたの紐を抜いて、目測さえして見ましたが、もう間違いはありません。紐と穴と口とが、正まさしく一直線上にあるのです。彼は思わず叫声を上げそうになったのをやっと堪こらえました。遂にその時が来た喜びと、一方では云い知れぬ恐怖と、その二つが交錯した、一種異様の興奮の為に、彼は暗闇の中で、真青になって了いました。
彼はポケットから、毒薬の瓶を取り出すと、独ひとりでに震い出す手先を、じっとためながら、その栓を抜き、紐で見当をつけて置いて――おお、その時の何とも形容の出来ぬ心持!――ポトリポトリポトリ、と数滴。それがやっとでした。彼はすぐ様さま目を閉じて了ったのです。
「気がついたか、きっと気がついた。きっと気がついた。そして、今にも、おお、今にも、どんな大声で叫び出すことだろう」
彼は若し両手があいていたら、耳をも塞ふさぎ度い程に思いました。
ところが、彼のそれ程の気遣いにも拘かかわらず、下の遠藤はウンともスーとも云わないのです。毒薬が口の中へ落ちた所は確に見たのですから、それに間違いはありません。でも、この静けさはどうしたというのでしょう。三郎は恐る恐る目を開いて節穴を覗いて見ました。すると、遠藤は、口をムニャムニャさせ、両手で脣を擦る様な恰好をして、丁度それが終った所なのでしょう。又もやグーグーと寝入って了うのでした。案あんずるよりは産うむが易やすいとはよく云ったものです。寝惚ねぼけた遠藤は、恐ろしい毒薬を飲み込んだことを少しも気附かないのでした。
三郎は、可哀相な被害者の顔を、身動きもしないで、食い入る様に見つめていました。それがどれ程長く感じられたか、事実は二十分とたっていないのに、彼には二三時間もそうしていた様に思われたことです。するとその時、遠藤はフッと目を開きました。そして、半身を起して、さも不思議相に部屋の中を見廻しています。目まいでもするのか、首を振って見たり、目を擦って見たり、譫言うわごとの様な意味のないことをブツブツと呟いて見たり、色々狂気めいた仕草をして、それでも、やっと又枕につきましたが、今度は盛んに寝返りを打うつのです。
やがて、寝返りの力が段々弱くなって行き、もう身動きをしなくなったかと思うと、その代りに、雷の様な鼾声かんせいが響き始めました。見ると、顔の色がまるで、酒にでも酔った様に、真赤になって、鼻の頭さきや額には、玉の汗が沸々とふき出しています。熟睡している彼の身内で、今、世にも恐ろしい生死の争闘が行われているのかも知れません。それを思うと身の毛がよだつ様です。
さて暫くすると、さしも赤かった顔色が、徐々にさめて、紙の様に白くなったかと思うと、見る見る青藍色せいらんしょくに変って行きます。そして、いつの間にか鼾がやんで、どうやら、吸う息、吐く息の度数が減って来ました。……ふと胸の所が動かなくなったので、愈々最期かと思っていますと、暫くして、思い出した様に、又脣がビクビクして、鈍い呼吸が帰って来たりします。そんなことが二三度繰り返されて、それでおしまいでした。……もう彼は動かないのです。グッタリと枕をはずした顔に、我々の世界のとはまるで別な、一種のほほえみが浮んでいます。彼は遂に、所請いわゆる「仏」になって了ったのでしょう。
息をつめ、手に汗を握って、その様子を見つめていた三郎は、始めてホッとため息をつきました。とうとう彼は殺人者になって了ったのです。それにしても、何という楽々とした死に方だったでしょう。彼の犠牲者は、叫声一つ立てるでなく、苦悶の表情さえ浮べないで、鼾をかきながら死んで行ったのです。
三郎は何だかガッカリして了いました。想像の世界では、もうこの上もない魅力であった殺人という事が、やって見れば、外ほかの日常茶飯事と、何の変りもないのでした。この鹽梅なら、まだ何人だって殺せるぞ。そんなことを考える一方では、併し、気抜けのした彼の心を、何ともえたいの知れぬ恐ろしさが、ジワジワと襲い始めていました。
暗闇の屋根裏、縦横に交錯した怪物の様な棟木や梁、その下で、守宮やもりか何ぞの様に、天井裏に吸いついて、人間の死骸を見つめている自分の姿が、三郎は俄に気味悪くなって来ました。妙に首筋の所がゾクゾクして、ふと耳をすますと、どこかで、ゆっくりゆっくり、自分の名を呼び続けている様な気さえします。思わず節穴から目を離して、暗闇の中を見廻しても、久しく明い所を覗いていたせいでしょう。目の前には、大きいのや小さいのや、黄色い環の様なものが、次々に現れては消えて行きます。じっと見ていますと、その環の背後から、遠藤の異様に大きな脣が、ヒョイと出て来そうにも思われるのです。
でも彼は、最初計画した事丈けは、先ず間違いなく実行しました。節穴から薬瓶――その中にはまだ数滴の毒液が残っていたのです――を抛り落すこと、その跡の穴を塞ぐこと、万一天井裏に何かの痕跡が残っていないか、懐中電燈を点じて調べること、そして、もうこれで手落ちがないと分ると、彼は大急ぎで棟木を伝い、自分の部屋へ引返しました。
「愈々これで済んだ」
頭も身体からだも、妙に痺しびれて、何かしら物忘れでもしている様な、不安な気持を、強しいて引立てる様にして、彼は押入れの中で着物を着始めました。が、その時ふと気がついたのは、例の目測に使用した猿股の紐を、どうしたかという事です。ひょっとしたら、あすこへ忘れて来たのではあるまいか。そう思うと、彼は惶あわただしく腰の辺を探って見ました。どうも無いようです。彼は益々慌てて、身体中を調べました。すると、どうしてこんなことを忘れていたのでしょう。それはちゃんとシャツのポケットに入れてあったではありませんか。ヤレヤレよかったと、一安心して、ポケットの中から、その紐と、懐中電燈とを取出そうとしますと、ハッと驚いたことには、その中にまだ外の品物が這入っていたのです。……毒薬の瓶の小さなコルクの栓が這入っていたのです。
彼は、さっき毒薬を垂らす時、あとで見失っては大変だと思って、その栓を態々わざわざポケットへしまって置いたのですが、それを胴忘どうわすれして了って瓶丈け下へ落して来たものと見えます。小さなものですけれど、このままにして置いては、犯罪発覚のもとです。彼は恐れる心を励して、再び現場げんじょうへ取って返し、それを節穴から落して来ねばなりませんでした。
その夜三郎が床についたのは――もうその頃は、用心の為に押入れで寝ることはやめていましたが――午前三時頃でした。それでも、興奮し切った彼は、なかなか寝つかれないのです。あんな、栓を落すのを忘れて来る程では、外にも何か手抜てぬかりがあったかも知れない。そう思うと、彼はもう気が気ではないのです。そこで、乱れた頭を強いて落ちつける様にして、其晩の行動を、順序を追って一つ一つ思出して行き、どっかに手抜りがなかったかと調べて見ました。が、少くとも彼の頭では、何事をも発見出来ないのです。彼の犯罪には、どう考えて見ても、寸分の手落ちもないのです。
彼はそうして、とうとう夜の明けるまで考え続けていましたが、やがて、早起きの止宿人達が、洗面所へ通う為に廊下を歩く跫音が聞え出すと、つと立上って、いきなり外出の用意を始めるのでした。彼は遠藤の死骸が発見される時を恐れていたのです。その時、どんな態度をとったらいいのでしょう。ひょっとしたら、後になって疑われる様な、妙な挙動があっては大変です。そこで彼は、その間あいだ外出しているのが一番安全だと考えたのですが、併し、朝飯もたべないで外出するのは、一層変ではないでしょうか。「アア、そうだっけ、何をうっかりしているのだ」そこへ気がつくと、彼は又もや寝床の中へもぐり込むのでした。
それから朝飯までの二時間ばかりを、三郎はどんなにビクビクして過したことでしょうか、幸にも、彼が大急ぎで食事をすませて、下宿屋を逃げ出すまでは、何事も起らないで済みました。そうして下宿を出ると、彼はどこという当てもなく、ただ時間を過す為に、町から町へとさ迷い歩くのでした。
さて、殺人事件から十日程たったある日、私は明智小五郎の宿を訪ねた。その十日の間に、明智と私とが、この事件に関して、何を為し、何を考えそして何を結論したか。読者は、それらを、この日、彼と私との間に取交された会話によって、十分察することが出来るであろう。
それまで、明智とはカフェで顔を合していたばかりで、宿を訪ねるのは、その時が始めてだったけれど、予かねて所を聞いていたので、探すのに骨は折れなかった。私は、それらしい煙草屋の店先に立って、お上さんに、明智がいるかどうかを尋ねた。
「エエ、いらっしゃいます。一寸御待ち下さい、今お呼びしますから」
彼女はそういって、店先から見えている階段の上り口まで行って、大声に明智を呼んだ。彼はこの家の二階を間借りしているのだ。すると、
「オー」
と変な返事をして、明智はミシミシと階段を下りて来たが、私を発見すると、驚いた顔をして「ヤー、御上りなさい」といった。私は彼の後に従って二階へ上った。ところが、何気なく、彼の部屋へ一歩足を踏み込んだ時、私はアッと魂消たまげてしまった。部屋の様子が余りにも異様だったからだ。明智が変り者だということを知らぬではなかったけれど、これは又変り過ぎていた。
何のことはない、四畳半の座敷が書物で埋まっているのだ。真中の所に少し畳が見える丈けで、あとは本の山だ、四方の壁や襖に沿って、下の方は殆ほとんど部屋一杯に、上の方程幅が狭くなって、天井の近くまで、四方から書物の土手が迫っているのだ。外の道具などは何もない。一体彼はこの部屋でどうして寝るのだろうと疑われる程だ。第一、主客二人の坐る所もない、うっかり身動きし様ものなら、忽たちまち本の土手くずれで、圧おしつぶされて了うかも知れない。
「どうも狭くっていけませんが、それに、座蒲団ざぶとんがないのです。済みませんが、柔か相な本の上へでも坐って下さい」
私は書物の山に分け入って、やっと坐る場所を見つけたが、あまりのことに、暫く、ぼんやりとその辺あたりを見廻していた。
私は、かくも風変りな部屋の主である明智小五郎の為人ひととなりについて、ここで一応説明して置かねばなるまい。併し彼とは昨今のつき合いだから、彼がどういう経歴の男で、何によって衣食し、何を目的にこの人世を送っているのか、という様なことは一切分らぬけれど、彼が、これという職業を持たぬ一種の遊民であることは確かだ。強しいて云えば書生であろうか、だが、書生にしては余程風変りな書生だ。いつか彼が「僕は人間を研究しているんですよ」といったことがあるが、其時私には、それが何を意味するのかよく分らなかった。唯、分っているのは、彼が犯罪や探偵について、並々ならぬ興味と、恐るべく豊富な知識を持っていることだ。
年は私と同じ位で、二十五歳を越してはいまい。どちらかと云えば痩やせた方で、先にも云った通り、歩く時に変に肩を振る癖がある、といっても、決して豪傑流のそれではなく、妙な男を引合いに出すが、あの片腕の不自由な、講釈師の神田伯龍を思出させる様な歩き方なのだ。伯龍といえば、明智は顔つきから声音まで、彼にそっくりだ、――伯龍を見たことのない読者は、諸君の知っている内で、所謂いわゆる好男子ではないが、どことなく愛嬌のある、そして最も天才的な顔を想像するがよい――ただ明智の方は、髪の毛がもっと長く延びていて、モジャモジャともつれ合っている。そして、彼は人と話している間にもよく、指で、そのモジャモジャになっている髪の毛を、更らにモジャモジャにする為の様に引掻廻ひっかきまわすのが癖だ。服装などは一向構わぬ方らしく、いつも木綿の着物に、よれよれの兵児帯へこおびを締めている。
「よく訪ねて呉れましたね。その後暫く逢いませんが、例のD坂の事件はどうです。警察の方では一向犯人の見込がつかぬようではありませんか」
明智は例の、頭を掻廻しながら、ジロジロ私の顔を眺めて云う。
「実は僕、今日はそのことで少し話があって来たんですがね」そこで私はどういう風に切り出したものかと迷いながら始めた。
「僕はあれから、種々考えて見たんですよ。考えたばかりでなく、探偵の様に実地の取調べもやったのですよ。そして、実は一つの結論に達したのです。それを君に御報告しようと思って……」
私は、そういう彼の目付に、何が分るものかという様な、軽蔑と安心の色が浮んでいるのを見逃さなかった。そして、それが私の逡巡している心を激励した。私は勢込いきおいこんで話し始めた。
「僕の友達に一人の新聞記者がありましてね、それが、例の事件の係りの小林刑事というのと懇意なのです。で、僕はその新聞記者を通じて、警察の模様を詳しく知ることが出来ましたが、警察ではどうも捜査方針が立たないらしいのです。無論種々いろいろ活動はしているのですが、これという見込がつかぬのです。あの、例の電燈のスイッチですね。あれも駄目なんです。あすこには、君の指紋丈けっきゃついていないことが分ったのです。警察の考えでは、多分君の指紋が犯人の指紋を隠して了ったのだというのですよ。そういう訳で、警察が困っていることを知ったものですから、僕は一層熱心に調べて見る気になりました。そこで、僕が到達した結論というのは、どんなものだと思います、そして、それを警察へ訴える前に、君の所へ話しに来たのは何の為だと思います。
それは兎も角、僕はあの事件のあった日から、あることを気づいていたのですよ。君は覚えているでしょう。二人の学生が犯人らしい男の着物の色について、まるで違った申立てをしたことをね。一人は黒だといい、一人は白だと云うのです。いくら人間の目が不確だといって、正反対の黒と白とを間違えるのは変じゃないですか。警察ではあれをどんな風に解釈したか知りませんが、僕は二人の陳述は両方とも間違でないと思うのですよ。君、分りますか。あれはね、犯人が白と黒とのだんだらの着物を着ていたんですよ。……つまり、太い黒の棒縞の浴衣なんかですね。よく宿屋の貸浴衣にある様な……では何故それが一人に真白に見え、もう一人には真黒に見えたかといいますと、彼等は障子の格子のすき間から見たのですから、丁度その瞬間、一人の目が格子のすき間と着物の白地の部分と一致して見える位置にあり、もう一人の目が黒地の部分と一致して見える位置にあったんです。これは珍らしい偶然かも知れませんが、決して不可能ではないのです。そして、この場合こう考えるより外に方法がないのです。
さて、犯人の着物の縞柄は分りましたが、これでは単に捜査範囲が縮小されたという迄で、まだ確定的のものではありません。第二の論拠は、あの電燈のスイッチの指紋なんです。僕は、さっき話した新聞記者の友達の伝手つてで、小林刑事に頼んでその指紋を――君の指紋ですよ――よく検べさせて貰ったのです。その結果愈々いよいよ僕の考えてることが間違っていないのを確めました。ところで、君、硯すずりがあったら、一寸貸して呉れませんか」
そこで、私は一つの実験をやって見せた。先ず硯を借りる、私は右の拇指に薄く墨をつけて、懐から半紙の上に一つの指紋を捺おした。それから、その指紋の乾くのを待って、もう一度同じ指に墨をつけ前の指紋の上から、今度は指の方向を換えて念入りに押えつけた。すると、そこには互に交錯した二重の指紋がハッキリ現れた。
「警察では、君の指紋が犯人の指紋の上に重って、それを消して了ったのだと解釈しているのですが、併しそれは今の実験でも分る通り不可能なんですよ。いくら強く押した所で、指紋というものが線で出来ている以上、線と線との間に、前の指紋の跡が残る筈です。もし前後の指紋が全く同じもので、捺し方も寸分違わなかったとすれば、指紋の各線が一致しますから、或は後の指紋が先の指紋を隠して了うことも出来るでしょうが、そういうことは先ずあり得ませんし、仮令そうだとしても、この場合結論は変らないのです。
併し、あの電燈を消したのが犯人だとすれば、スイッチにその指紋が残っていなければなりません。僕は若しや警察では君の指紋の線と線との間に残っている先の指紋を見落しているのではないかと思って、自分で検べて見たのですが、少しもそんな痕跡がないのです。つまり、あのスイッチには、後にも先にも、君の指紋が捺されているだけなのです。――どうして古本屋の人達の指紋が残っていなかったのか、それはよく分りませんが、多分、あの部屋の電燈はつけっぱなしで、一度も消したことがないのでしょう。
君、以上の事柄は一体何を語っているでしょう。僕はこういう風に考えるのですよ。一人の荒い棒縞の着物を着た男が、――その男は多分死んだ女の幼馴染で、失恋という理由なんかも考えられますね――古本屋の主人が夜店を出すことを知っていてその留守の間に女を襲うたのです。声を立てたり抵抗したりした形跡がないのですから、女はその男をよく知っていたに相違ありません。で、まんまと目的を果した男は、死骸の発見を後らす為に、電燈を消して立去ったのです。併し、この男の一期いちごの不覚は、障子の格子のあいているのを知らなかったこと、そして、驚いてそれを閉めた時に、偶然店先にいた二人の学生に姿を見られたことでした。それから、男は一旦外へ出ましたが、ふと気がついたのは、電燈を消した時、スイッチに指紋が残ったに相違ないということです。これはどうしても消して了わねばなりません。然しもう一度同じ方法で部屋の中へ忍込むのは危険です。そこで、男は一つの妙案を思いつきました。それは、自から殺人事件の発見者になることです。そうすれば、少しも不自然もなく、自分の手で電燈をつけて、以前の指紋に対する疑をなくして了うことが出来るばかりでなく、まさか、発見者が犯人だろうとは誰しも考えませんからね、二重の利益があるのです。こうして、彼は何食わぬ顔で警察のやり方を見ていたのです。大胆にも証言さえしました。しかも、その結果は彼の思う壺だったのですよ。五日たっても十日たっても、誰も彼を捕えに来るものはなかったのですからね」
この私の話を、明智小五郎はどんな表情で聴いていたか。私は、恐らく話の中途で、何か変った表情をするか、言葉を挟むだろうと予期していた。ところが、驚いたことには、彼の顔には何の表情も現れぬのだ。一体平素から心を色に現さぬ質たちではあったけれど、余り平気すぎる。彼は始終例の髪の毛をモジャモジャやりながら、黙り込んでいるのだ。私は、どこまでずうずうしい男だろうと思いながら最後の点に話を進めた。
「君はきっと、それじゃ、その犯人はどこから入って、どこから逃げたかと反問するでしょう。確に、その点が明かにならなければ、他の凡てのことが分っても何の甲斐もないのですからね。だが、遺憾いかんながら、それも僕が探り出したのですよ。あの晩の捜査の結果では、全然犯人の出て行った形跡がない様に見えました。併し、殺人があった以上、犯人が出入しなかった筈はないのですから、刑事の捜索にどこか抜目があったと考える外はありません。警察でもそれには随分苦心した様子ですが、不幸にして、彼等は、僕という一介の書生に及ばなかったのですよ。
ナアニ、実は下らぬ事なんですがね、僕はこう思ったのです。これ程警察が取調べているのだから、近所の人達に疑うべき点は先ずあるまい。もしそうだとすれば、犯人は、何か、人の目にふれても、それが犯人だとは気づかれぬ様な方法で通ったのじゃないだろうか、そして、それを目撃した人はあっても、まるで問題にしなかったのではなかろうか、とね。つまり、人間の注意力の盲点――我々の目に盲点があると同じ様に、注意力にもそれがありますよ――を利用して、手品使が見物の目の前で、大きな品物を訳もなく隠す様に、自分自身を隠したのかも知れませんからね。そこで、僕が目をつけたのは、あの古本屋の一軒置いて隣の旭屋という蕎麦屋です」
古本屋の右へ時計屋、菓子屋と並び、左へ足袋屋、蕎麦屋と並んでいるのだ。
「僕はあすこへ行って、事件の当夜八時頃に、便所を借りて行った男はないかと聞いて見たのです。あの旭屋は君も知っているでしょうが、店から土間続きで、裏木戸まで行ける様になっていて、その裏木戸のすぐ側に便所があるのですから、便所を借りる様に見せかけて、裏口から出て行って、又入って来るのは訳はありませんからね。――例のアイスクリーム屋は路地を出た角に店を出していたのですから、見つかる筈はありません――それに、相手が蕎麦屋ですから、便所を借りるということが極めて自然なんです。聞けば、あの晩はお上さんは不在で、主人丈が店の間にいた相ですから、おあつらえ向きなんです。君、なんとすてきな、思附おもいつきではありませんか。
そして、案の定、丁度その時分に便所を借りた客があったのです。ただ、残念なことには、旭屋の主人は、その男の顔形とか着物の縞柄なぞを少しも覚えていないのですがね。――僕は早速この事を例の友達を通じて、小林刑事に知らせてやりましたよ。刑事は自分でも蕎麦屋を調べた様でしたが、それ以上何も分らなかったのです――」
私は少し言葉を切って、明智に発言の余裕を与えた。彼の立場は、この際何とか一言云わないでいられぬ筈だ。ところが、彼は相変らず頭を掻廻しながら、すまし込んでいるのだ。私はこれまで、敬意を表する意味で間接法を用いていたのを直接法に改めねばならなかった。
「君、明智君、僕のいう意味が分るでしょう。動かぬ証拠が君を指さしているのですよ。白状すると、僕はまだ心の底では、どうしても君を疑う気になれないのですが、こういう風に証拠が揃っていては、どうも仕方がありません。……僕は、もしやあの長屋の内に、太い棒縞の浴衣を持っている人がないかと思って、随分骨を折って調べて見ましたが、一人もありません。それも尤もっともですよ。同じ棒縞の浴衣でも、あの格子に一致する様な派手なのを着る人は珍らしいのですからね。それに、指紋のトリックにしても、便所を借りるというトリックにしても、実に巧妙で、君の様な犯罪学者でなければ、一寸真似の出来ない芸当ですよ。それから、第一おかしいのは、君はあの死人の細君と幼馴染だといっていながら、あの晩、細君の身許調べなんかあった時に、側で聞いていて、少しもそれを申立てなかったではありませんか。
さて、そうなると唯一の頼みは Alibi の有無です。ところが、それも駄目なんです。君は覚えていますか、あの晩帰り途で、白梅軒へ来るまで君が何処どこにいたかということを、僕は聞きましたね。君は一時間程、その辺を散歩していたと答えたでしょう。仮令、君の散歩姿を見た人があったとしても、散歩の途中で、蕎麦屋の便所を借りるなどはあり勝ちのことですからね。明智君、僕のいうことが間違っていますか。どうです。もし出来るなら君の弁明を聞こうじゃありませんか」
読者諸君、私がこういって詰めよった時、奇人明智小五郎は何をしたと思います。面目なさに俯伏して了ったとでも思うのですか。どうしてどうして、彼はまるで意表外のやり方で、私の荒胆あらぎもをひしいだのです。というのは、彼はいきなりゲラゲラと笑い出したのです。
「いや失敬失敬、決して笑うつもりではなかったのですけれど、君は余り真面目だもんだから」明智は弁解する様に云った。「君の考えは却々なかなか面白いですよ。僕は君の様な友達を見つけたことを嬉しく思いますよ。併し、惜しいことには、君の推理は余りに外面的で、そして物質的ですよ。例えばですね。僕とあの女との関係についても、君は、僕達がどんな風な幼馴染だったかということを、内面的に心理的に調べて見ましたか。僕が以前あの女と恋愛関係があったかどうか。又現に彼女を恨うらんでいるかどうか。君にはそれ位のことが推察出来なかったのですか。あの晩、なぜ彼女を知っていることを云わなかったか、その訳は簡単ですよ。僕は何も参考になる様な事柄を知らなかったのです。僕は、まだ小学校へも入らぬ時分に彼女と分れた切りなのですからね。尤も、最近偶然そのことが分って、二三度話し合ったことはありますけれど」
「では、例えば指紋のことはどういう風に考えたらいいのですか?」
「君は、僕があれから何もしないでいたと思うのですか。僕もこれで却々やったのですよ。D坂は毎日の様にうろついていましたよ。殊に古本屋へはよく行きました。そして主人をつかまえて色々探ったのです。――細君を知っていたことはその時打明けたのですが、それが却かえって便宜になりましたよ――君が新聞記者を通じて警察の模様を知った様に、僕はあの古本屋の主人から、それを聞出していたんです。今の指紋のことも、じきに分りましたから、僕も妙に思って検しらべて見たのですが、ハハ……、笑い話ですよ。電球の線が切れていたのです。誰も消しやしなかったのですよ。僕がスイッチをひねった為に燈ひがついたと思ったのは間違で、あの時、慌てて電燈を動かしたので、一度切れたタングステンが、つながったのですよ。スイッチに僕の指紋丈けしかなかったのは、当りまえなのです。あの晩、君は障子のすき間から電燈のついているのを見たと云いましたね。とすれば、電球の切れたのは、その後ですよ。古い電球は、どうもしないでも、独りでに切れることがありますからね。それから、犯人の着物の色のことですが、これは僕が説明するよりも……」
彼はそういって、彼の身辺の書物の山を、あちらこちら発掘していたが、やがて、一冊の古ぼけた洋書を掘りだして来た。
「君、これを読んだことがありますか、ミュンスターベルヒの『心理学と犯罪』という本ですが、この『錯覚』という章の冒頭を十行許ばかり読んで御覧なさい」
私は、彼の自信ありげな議論を聞いている内に、段々私自身の失敗を意識し始めていた。で、云われるままにその書物を受取って、読んで見た。そこには大体次の様なことが書いてあった。
嘗かつて一つの自動車犯罪事件があった。法廷に於て、真実を申立てる旨むね宣誓した証人の一人は、問題の道路は全然乾燥してほこり立っていたと主張し、今一人の証人は、雨降りの挙句で、道路はぬかるんでいたと誓言した。一人は、問題の自動車は徐行していたともいい、他の一人は、あの様に早く走っている自動車を見たことがないと述べた。又前者は、その村道には二三人しか居なかったといい、後者は、男や女や子供の通行人が沢山あったと陳述した。この両人の証人は、共に尊敬すべき紳士で、事実を曲弁したとて、何の利益がある筈もない人々だった。
私がそれを読み終るのを待って明智は更らに本の頁を繰りながら云った。
「これは実際あったことですが、今度は、この『証人の記憶』という章があるでしょう。その中程の所に、予あらかじめ計画して実験した話があるのですよ。丁度着物の色のことが出てますから、面倒でしょうが、まあ一寸読んで御覧なさい」
それは左の様な記事であった。
(前略)一例を上げるならば、一昨年(この書物の出版は一九一一年)ゲッティンゲンに於て、法律家、心理学者及び物理学者よりなる、ある学術上の集会が催されたことがある。随したがって、そこに集ったのは、皆、綿密な観察に熟練した人達ばかりであった。その町には、恰あたかもカーニバルの御祭騒ぎが演じられていたが、突然、この学究的な会合の最中に、戸が開かれてけばけばしい衣裳をつけた一人の道化が、狂気の様に飛び込んで来た。見ると、その後から一人の黒人が手にピストルを持って追駆けて来るのだ。ホールの真中で、彼等はかたみがわりに、恐ろしい言葉をどなり合ったが、やがて道化の方がバッタリ床に倒れると、黒人はその上に躍りかかった。そして、ポンとピストルの音がした。と、忽ち彼等は二人共、かき消す様に室を出て行って了った。全体の出来事が二十秒とはかからなかった。人々は無論非常に驚かされた。座長の外には、誰一人、それらの言葉や動作が、予め予習されていたこと、その光景が写真に撮られたことなどを悟ったものはなかった。で、座長が、これはいずれ法廷に持出される問題だからというので、会員各自に正確な記録を書くことを頼んだのは、極く自然に見えた。(中略、この間に、彼等の記録が如何に間違に充みちていたかを、パーセンテージを示して記してある)黒人が頭に何も冠っていなかったことを云い当てたのは、四十人の内でたった四人切りで、外の人達は山高帽子を冠っていたと書いたものもあれば、シルクハットだったと書くものもあるという有様だった。着物についても、ある者は赤だといい、あるものは茶色だといい、ある者は縞だといい、あるものはコーヒ色だといい、其他種々様々の色合が彼の為に説明せられた。ところが、黒人は実際は、白ズボンに黒の上衣を着て、大きな赤のネクタイを結んでいたのだ。(後略)
「ミュンスターベルヒが賢くも説破した通り」と明智は始めた。「人間の観察や人間の記憶なんて、実にたよりないものですよ。この例にある様な学者達でさえ、服の色の見分がつかなかったのです。私が、あの晩の学生達は着物の色を見違えたと考えるのが無理でしょうか。彼等は何者かを見たかも知れません。併しその者は棒縞の着物なんか着ていなかった筈です。無論僕ではなかったのです。格子のすき間から、棒縞の浴衣を思付いた君の着眼は、却々面白いには面白いですが、あまりお誂向あつらえむきすぎるじゃありませんか。少くとも、そんな偶然の符合を信ずるよりは、君は、僕の潔白を信じて呉れる訳には行かぬでしょうか。さて最後に、蕎麦屋の便所を借りた男のことですがね。この点は僕も君と同じ考だったのです。どうも、あの旭屋の外に犯人の通路はないと思ったのですよ。で僕もあすこへ行って調べて見ましたが、その結果は、残念ながら、君と正反対の結論に達したのです。実際は便所を借りた男なんてなかったのですよ」
読者も已すでに気づかれたであろうが、明智はこうして、証人の申立てを否定し、犯人の指紋を否定し、犯人の通路をさえ否定して、自分の無罪を証拠立てようとしているが、併しそれは同時に、犯罪そのものを否定することになりはしないか。私は彼が何を考えているのか少しも分らなかった。
「で、君は犯人の見当がついているのですか」
「ついていますよ」彼は頭をモジャモジャやりながら答えた。「僕のやり方は、君とは少し違うのです。物質的な証拠なんてものは、解釈の仕方でどうでもなるものですよ。一番いい探偵法は、心理的に人の心の奥底を見抜
それは九月初旬のある蒸し暑い晩のことであった。私は、D坂の大通りの中程にある、白梅軒はくばいけんという、行きつけのカフェで、冷しコーヒーを啜すすっていた。当時私は、学校を出たばかりで、まだこれという職業もなく、下宿屋にゴロゴロして本でも読んでいるか、それに飽ると、当てどもなく散歩に出て、あまり費用のかからぬカフェ廻りをやる位が、毎日の日課だった。この白梅軒というのは、下宿屋から近くもあり、どこへ散歩するにも、必ずその前を通る様な位置にあったので、随したがって一番よく出入した訳であったが、私という男は悪い癖で、カフェに入るとどうも長尻ながっちりになる。それも、元来食慾の少い方なので、一つは嚢中のうちゅうの乏しいせいもあってだが、洋食一皿注文するでなく、安いコーヒーを二杯も三杯もお代りして、一時間も二時間もじっとしているのだ。そうかといって、別段、ウエトレスに思召おぼしめしがあったり、からかったりする訳ではない。まあ、下宿より何となく派手で、居心地がいいのだろう。私はその晩も、例によって、一杯の冷しコーヒーを十分もかかって飲みながら、いつもの往来に面したテーブルに陣取って、ボンヤリ窓の外を眺めていた。
さて、この白梅軒のあるD坂というのは、以前菊人形きくにんぎょうの名所だった所で、狭かった通りが、市区改正で取拡げられ、何間なんげん道路とかいう大通になって間もなくだから、まだ大通の両側に所々空地などもあって、今よりずっと淋しかった時分の話だ。大通を越して白梅軒の丁度真向うに、一軒の古本屋がある。実は私は、先程から、そこの店先を眺めていたのだ。みすぼらしい場末ばすえの古本屋で、別段眺める程の景色でもないのだが、私には一寸ちょっと特別の興味があった。というのは、私が近頃この白梅軒で知合になった一人の妙な男があって、名前は明智小五郎あけちこごろうというのだが、話をして見ると如何いかにも変り者で、それで頭がよさ相で、私の惚れ込んだことには、探偵小説好なのだが、その男の幼馴染の女が今ではこの古本屋の女房になっているという事を、この前、彼から聞いていたからだった。二三度本を買って覚えている所によれば、この古本屋の細君というのが、却々なかなかの美人で、どこがどういうではないが、何となく官能的に男を引きつける様な所があるのだ。彼女は夜はいつでも店番をしているのだから、今晩もいるに違いないと、店中を、といっても二間半間口の手狭てぜまな店だけれど、探して見たが、誰れもいない。いずれそのうちに出て来るのだろうと、私はじっと目で待っていたものだ。
だが、女房は却々出て来ない。で、いい加減面倒臭くなって、隣の時計屋へ目を移そうとしている時であった。私はふと店と奥の間との境に閉めてある障子の格子戸がピッシャリ閉るのを見つけた。――その障子は、専門家の方では無窓むそうと称するもので、普通、紙をはるべき中央の部分が、こまかい縦の二重の格子になっていて、それが開閉出来るのだ――ハテ変なこともあるものだ。古本屋などというものは、万引され易い商売だから、仮令たとい店に番をしていなくても、奥に人がいて、障子のすきまなどから、じっと見張っているものなのに、そのすき見の箇所を塞ふさいで了しまうとはおかしい、寒い時分なら兎とも角かく、九月になったばかりのこんな蒸し暑い晩だのに、第一あの障子が閉切ってあるのから変だ。そんな風に色々考えて見ると、古本屋の奥の間に何事かあり相で、私は目を移す気にはなれなかった。
古本屋の細君といえば、ある時、このカフェのウエトレス達が、妙な噂をしているのを聞いたことがある。何でも、銭湯で出逢うお神かみさんや娘達の棚卸たなおろしの続きらしかったが、「古本屋のお神さんは、あんな綺麗きれいな人だけれど、裸体はだかになると、身体中傷だらけだ、叩かれたり抓つねられたりした痕あとに違いないわ。別に夫婦仲が悪くもない様だのに、おかしいわねえ」すると別の女がそれを受けて喋るのだ。「あの並びの蕎麦屋そばやの旭屋あさひやのお神さんだって、よく傷をしているわ。あれもどうも叩かれた傷に違いないわ」……で、この、噂話が何を意味するか、私は深くも気に止めないで、ただ亭主が邪険なのだろう位に考えたことだが、読者諸君、それが却々そうではなかったのだ。一寸した事柄だが、この物語全体に大きな関係を持っていることが、後になって分った。
それは兎も角、そうして、私は三十分程も同じ所を見詰めていた。虫が知らすとでも云うのか、何だかこう、傍見わきみをしているすきに何事か起り相で、どうも外へ目を向けられなかったのだ。其時、先程一寸名前の出た明智小五郎が、いつもの荒い棒縞ぼうじまの浴衣ゆかたを着て、変に肩を振る歩き方で、窓の外を通りかかった。彼は私に気づくと会釈えしゃくして中へ入って来たが、冷しコーヒーを命じて置いて、私と同じ様に窓の方を向いて、私の隣に腰をかけた。そして、私が一つの所を見詰めているのに気づくと、彼はその私の視線をたどって、同じく向うの古本屋を眺めた。しかも、不思議なことには、彼も亦また如何にも興味ありげに、少しも目をそらさないで、その方を凝視し出したのである。
私達は、そうして、申合せた様に同じ場所を眺めながら、色々の無駄話を取交した。その時私達の間にどんな話題が話されたか、今ではもう忘れてもいるし、それに、この物語には余り関係のないことだから、略するけれど、それが、犯罪や探偵に関したものであったことは確かだ。試みに見本を一つ取出して見ると、
「絶対に発見されない犯罪というのは不可能でしょうか。僕は随分可能性があると思うのですがね。例えば、谷崎潤一郎の『途上』ですね。ああした犯罪は先ず発見されることはありませんよ。尤もっとも、あの小説では、探偵が発見したことになってますけれど、あれは作者のすばらしい想像力が作り出したことですからね」と明智。
「イヤ、僕はそうは思いませんよ。実際問題としてなら兎も角、理論的に云いって、探偵の出来ない犯罪なんてありませんよ。唯、現在の警察に『途上』に出て来る様な偉い探偵がいない丈ですよ」と私。
ざっとこう云った風なのだ。だが、ある瞬間、二人は云い合せた様に、黙り込んで了った。さっきから話しながらも目をそらさないでいた向うの古本屋に、ある面白い事件が発生していたのだ。
「君も気づいている様ですね」
と私が囁くと、彼は即座に答えた。
「本泥坊でしょう。どうも変ですね。僕も此処ここへ入って来た時から、見ていたんですよ。これで四人目ですね」
「君が来てからまだ三十分にもなりませんが、三十分に四人も、少しおかしいですね。僕は君の来る前からあすこを見ていたんですよ。一時間程前にね、あの障子があるでしょう。あれの格子の様になった所が、閉るのを見たんですが、それからずっと注意していたのです」
「家の人が出て行ったのじゃないのですか」
「それが、あの障子は一度も開かなかったのですよ。出て行ったとすれば裏口からでしょうが、……三十分も人がいないなんて確かに変ですよ。どうです。行って見ようじゃありませんか」
「そうですね。家の中に別状ないとしても、外で何かあったのかも知れませんからね」
私はこれが犯罪事件ででもあって呉れれば面白いと思いながらカフェを出た。明智とても同じ思いに違いなかった。彼も少からず興奮しているのだ。
古本屋はよくある型で、店全体土間になっていて、正面と左右に天井まで届く様な本棚を取付け、その腰の所が本を並べる為の台になっている。土間の中央には、島の様に、これも本を並べたり積上げたりする為の、長方形の台が置いてある。そして、正面の本棚の右の方が三尺許ばかりあいていて奥の部屋との通路になり、先に云った一枚の障子が立ててある。いつもは、この障子の前の半畳程の畳敷の所に、主人か、細君がチョコンと坐って番をしているのだ。
明智と私とは、その畳敷の所まで行って、大声に呼んで見たけれど、何の返事もない。果して誰もいないらしい。私は障子を少し開けて、奥の間を覗いて見ると、中は電燈が消えて真暗だが、どうやら、人間らしいものが、部屋の隅に倒れている様子だ。不審に思ってもう一度声をかけたが、返事をしない。
「構わない、上って見ようじゃありませんか」
そこで、二人はドカドカ奥の間へ上り込んで行った。明智の手で電燈のスイッチがひねられた。そのとたん、私達は同時に「アッ」と声を立てた。明るくなった部屋の片隅には、女の死骸が横わっているのだ。
「ここの細君ですね」やっと私が云った。「首を絞められている様ではありませんか」
明智は側へ寄って死体を検しらべていたが、「とても蘇生そせいの見込はありませんよ。早く警察へ知らせなきゃ。僕、自動電話まで行って来ましょう。君、番をしてて下さい。近所へはまだ知らせない方がいいでしょう。手掛りを消して了ってはいけないから」
彼はこう命令的に云い残して、半町許りの所にある自動電話へ飛んで行った。
平常ふだんから、犯罪だ探偵だと、議論丈は却々なかなか一人前にやってのける私だが、さて実際に打ぶっつかったのは初めてだ。手のつけ様がない。私は、ただ、まじまじと部屋の様子を眺めている外はなかった。
部屋は一間切りの六畳で、奥の方は、右一間は幅の狭い縁側をへだてて、二坪許りの庭と便所があり、庭の向うは板塀になっている。――夏のことで、開けぱなしだから、すっかり、見通しなのだ、――左半間は開き戸で、その奥に二畳敷程の板の間があり裏口に接して狭い流し場が見え、そこの腰高障子は閉っている。向って右側は、四枚の襖が閉っていて、中は二階への階段と物入場になっているらしい。ごくありふれた安長屋の間取だ。
死骸は、左側の壁寄りに、店の間の方を頭にして倒れている。私は、なるべく兇行当時の模様を乱すまいとして、一つは気味も悪かったので、死骸の側へ近寄らない様にしていた。でも、狭い部屋のことであり、見まいとしても、自然その方に目が行くのだ。女は荒い中形模様の湯衣ゆかたを着て、殆ど仰向きに倒れている。併し、着物が膝の上の方までまくれて、股ももがむき出しになっている位で、別に抵抗した様子はない。首の所は、よくは分らぬが、どうやら、絞しめられた痕きずが紫色になっているらしい。
表の大通りには往来が絶えない。声高に話し合って、カラカラと日和下駄ひよりげたを引きずって行くのや、酒に酔って流行唄はやりうたをどなって行くのや、至極天下泰平なことだ。そして、障子一重の家の中には、一人の女が惨殺されて横わっている。何という皮肉だ。私は妙にセンティメンタルになって、呆然と佇たたずんでいた。
「すぐ来る相ですよ」
明智が息を切って帰って来た。
「あ、そう」
私は何だか口を利くのも大儀たいぎになっていた。二人は長い間、一言も云わないで顔を見合せていた。
間もなく、一人の正服せいふくの警官が背広の男と連立ってやって来た。正服の方は、後で知ったのだが、K警察署の司法主任で、もう一人は、その顔つきや持物でも分る様に、同じ署に属する警察医だった。私達は司法主任に、最初からの事情を大略説明した。そして、私はこう附加えた。
「この明智君がカフェへ入って来た時、偶然時計を見たのですが、丁度八時半頃でしたから、この障子の格子が閉ったのは、恐らく八時頃だったと思います。その時は確か中には電燈がついてました。ですから、少くとも八時頃には、誰れか生きた人間がこの部屋にいたことは明かです」
司法主任が私達の陳述を聞取って、手帳に書留めている間に、警察医は一応死体の検診を済ませていた。彼は私達の言葉のとぎれるのを待って云った。
「絞殺ですね。手でやられたのです。これ御覧なさい。この紫色になっているのが指の痕あとです。それから、この出血しているのは爪が当った箇所ですよ。拇指おやゆびの痕が頸くびの右側についているのを見ると、右手でやったものですね。そうですね。恐らく死後一時間以上はたっていないでしょう。併し、無論もう蘇生そせいの見込はありません」
「上から押えつけたのですね」司法主任が考え考え云った。「併し、それにしては、抵抗した様子がないが……恐らく非常に急激にやったのでしょうね。ひどい力で」
それから、彼は私達の方を向いて、この家の主人はどうしたのだと尋ねた。だが、無論私達が知っている筈はない。そこで、明智は気を利かして、隣家の時計屋の主人を呼んで来た。
「主人はどこへ行ったのかね」
「ここの主人は、毎晩古本の夜店を出しに参りますんで、いつも十二時頃でなきゃ帰って参りません。ヘイ」
「どこへ夜店を出すんだね」
「よく上野うえのの広小路ひろこうじへ参ります様ですが。今晩はどこへ出ましたか、どうも手前には分り兼ねますんで。ヘイ」
「物音と申しますと」
「極っているじゃないか。この女が殺される時の叫び声とか、格闘の音とか……」
「別段これという物音を聞きません様でございましたが」
そうこうする内に、近所の人達が聞伝えて集って来たのと、通りがかりの弥次馬で、古本屋の表は一杯の人だかりになった。その中に、もう一方の、隣家の足袋屋たびやのお神さんがいて、時計屋に応援した。そして、彼女も何も物音を聞かなかった旨むね陳述した。
この間、近所の人達は、協議の上、古本屋の主人の所へ使つかいを走らせた様子だった。
そこへ、表に自動車の止る音がして、数人の人がドヤドヤと入って来た。それは警察からの急報で駈けつけた裁判所の連中と、偶然同時に到着したK警察署長、及び当時の名探偵という噂の高かった小林こばやし刑事などの一行だった。――無論これは後になって分ったことだ、というのは、私の友達に一人の司法記者があって、それがこの事件の係りの小林刑事とごく懇意こんいだったので、私は後日彼から色々と聞くことが出来たのだ。――先着の司法主任は、この人達の前で今までの模様を説明した。私達も先の陳述をもう一度繰返さねばならなかった。
「表の戸を閉めましょう」
突然、黒いアルパカの上衣に、白ズボンという、下廻りの会社員見たいな男が、大声でどなって、さっさと戸を閉め出した。これが小林刑事だった。彼はこうして弥次馬を撃退して置いて、さて探偵にとりかかった。彼のやり方は如何にも傍若無人で、検事や署長などはまるで眼中にない様子だった。彼は始めから終りまで一人で活動した。他の人達は唯、彼の敏捷びんしょうな行動を傍観する為にやって来た見物人に過ぎない様に見えた。彼は第一に死体を検べた。頸の廻りは殊に念入りにいじり廻していたが、
「この指の痕には別に特徴がありません。つまり普通の人間が、右手で押えつけたという以外に何の手掛りもありません」
と検事の方を見て云った。次に彼は一度死体を裸体にして見るといい出した。そこで、議会の秘密会見たいに、傍聴者の私達は、店の間へ追出されねばならなかった。だから、その間にどういう発見があったか、よく分らないが、察する所、彼等は死人の身体に沢山の生傷のあることに注意したに相違ない。カフェのウエトレスの噂していたあれだ。
やがて、この秘密会が解かれたけれど、私達は奥の間へ入って行くのを遠慮して、例の店の間と奥との境の畳敷の所から奥の方を覗き込んでいた。幸なことには、私達は事件の発見者だったし、それに、後から明智の指紋をとらねばならなかった為に、最後まで追出されずに済んだ。というよりは抑留よくりゅうされていたという方が正しいかも知れぬ。併し小林刑事の活動は奥の間丈に限られていた訳でなく、屋内屋外の広い範囲に亙わたっていたのだから、一つ所にじっとしていた私達に、その捜査の模様が分ろう筈がないのだが、うまい工合に、検事が奥の間に陣取っていて、始終殆ど動かなかったので、刑事が出たり入ったりする毎に、一々捜査の結果を報告するのを、洩れなく聞きとることが出来た。検事はその報告に基いて、調書の材料を書記に書きとめさしていた。
先ず、死体のあった奥の間の捜索が行われたが、遺留品も、足跡も、その他探偵の目に触れる何物もなかった様子だ。ただ一つのものを除いては。
「電燈のスイッチに指紋があります」黒いエボナイトのスイッチに何か白い粉をふりかけていた刑事が云った。「前後の事情から考えて、電燈を消したのは犯人に相違ありません。併しこれをつけたのはあなた方のうちどちらですか」
「そうですか。あとであなたの指紋をとらせて下さい。この電燈は触らない様にして、このまま取はずして持って行きましょう」
それから、刑事は二階へ上って行って暫く下りて来なかったが、下りて来るとすぐに路地を検べるのだといって出て行った。それが十分もかかったろうか、やがて、彼はまだついたままの懐中電燈を片手に、一人の男を連れて帰って来た。それは汚れたクレップシャツにカーキ色のズボンという扮装いでたちで、四十許ばかりの汚い男だ。
「足跡はまるで駄目です」刑事が報告した。「この裏口の辺は、日当りが悪いせいかひどいぬかるみで、下駄の跡が滅多無性についているんだから、迚とても分りっこありません。ところで、この男ですが」と今連れて来た男を指し「これは、この裏の路地を出た所の角に店を出していたアイスクリーム屋ですが、若し犯人が裏口から逃げたとすれば、路地は一方口なんですから、必ずこの男の目についた筈です。君、もう一度私の尋ねることに答えて御覧」
「一人もありませんので、日が暮れてからこっち、猫の子一匹通りませんので」アイスクリーム屋は却々要領よく答える。
「私は長らくここへ店を出させて貰ってますが、あすこは、この長屋のお上さん達も、夜分は滅多に通りませんので、何分あの足場の悪い所へ持って来て、真暗なんですから」
「それも御座いません。皆さん私の目の前でアイスクリームを食べて、すぐ元の方へ御帰りになりました。それはもう間違いはありません」
さて、若しこのアイスクリーム屋の証言が信用すべきものだとすると、犯人は仮令この家の裏口から逃げたとしても、その裏口からの唯一の通路である路地は出なかったことになる。さればといって、表の方から出なかったことも、私達が白梅軒から見ていたのだから間違いはない。では彼は一体どうしたのであろう。小林刑事の考えによれば、これは、犯人がこの路地を取りまいている裏表二側の長屋の、どこかの家に潜伏しているか、それとも借家人の内に犯人があるのかどちらかであろう。尤も二階から屋根伝いに逃げる路はあるけれど、二階を検べた所によると、表の方の窓は取りつけの格子が嵌はまっていて少しも動かした様子はないのだし、裏の方の窓だって、この暑さでは、どこの家も二階は明けっぱなしで、中には物干で涼んでいる人もある位だから、ここから逃げるのは一寸難しい様に思われる。とこういうのだ。
そこで臨検者達の間に、一寸捜査方針についての協議が開かれたが、結局、手分けをして近所を軒並に検べて見ることになった。といっても、裏表の長屋を合せて十一軒しかないのだから、大して面倒ではない。それと同時に家の中も再度、縁の下から天井裏まで残る隈くまなく検べられた。ところがその結果は、何の得うる処もなかったばかりでなく、却って事情を困難にして了った様に見えた。というのは、古本屋の一軒置いて隣の菓子屋の主人が、日暮れ時分からつい今し方まで屋上の物干へ出て尺八を吹いていたことが分ったが、彼は始めから終いまで、丁度古本屋の二階の窓の出来事を見逃す筈のない様な位置に坐っていたのだ。
読者諸君、事件は却々面白くなって来た。犯人はどこから入って、どこから逃げたのか、裏口からでもない、二階の窓からでもない、そして表からでは勿論ない。彼は最初から存在しなかったのか、それとも煙の様に消えて了ったのか。不思議はそればかりでない。小林刑事が、検事の前に連れて来た二人の学生が、実に妙なことを申立てたのだ。それは裏側の長屋に間借りしている、ある工業学校の生徒達で、二人共出鱈目でたらめを云う様な男とも見えぬが、それにも拘かかわらず、彼等の陳述は、この事件を益々不可解にする様な性質のものだったのである。
「僕は丁度八時頃に、この古本屋の前に立って、そこの台にある雑誌を開いて見ていたのです。すると、奥の方で何だか物音がしたもんですから、ふと目を上げてこの障子の方を見ますと、障子は閉まっていましたけれど、この格子の様になった所が開いてましたので、そのすき間に一人の男の立っているのが見えました。しかし、私が目を上げるのと、その男が、この格子を閉めるのと殆ど同時でしたから、詳しいことは無論分りませんが、でも、帯の工合ぐあいで男だったことは確かです」
「で、男だったという外に何か気附いた点はありませんか、背恰好とか、着物の柄とか」
「見えたのは腰から下ですから、背恰好は一寸分りませんが、着物は黒いものでした。ひょっとしたら、細い縞か絣かすりであったかも知れませんけれど。私の目には黒無地に見えました」
「僕もこの友達と一緒に本を見ていたんです」ともう一方の学生、「そして、同じ様に物音に気づいて同じ様に格子の閉るのを見ました。ですが、その男は確かに白い着物を着ていました。縞も模様もない、真白な着物です」
「それは変ではありませんか。君達の内どちらかが間違いでなけりゃ」
「決して間違いではありません」
「僕も嘘は云いません」
この二人の学生の不思議な陳述は何を意味するか、鋭敏な読者は恐らくあることに気づかれたであろう。実は、私もそれに気附いたのだ。併し、裁判所や警察の人達は、この点について、余りに深く考えない様子だった。
間もなく、死人の夫の古本屋が、知らせを聞いて帰って来た。彼は古本屋らしくない、きゃしゃな、若い男だったが、細君の死骸を見ると、気の弱い性質たちと見えて、声こそ出さないけれど、涙をぼろぼろ零こぼしていた。小林刑事は、彼が落着くのを待って、質問を始めた。検事も口を添えた。だが、彼等の失望したことは、主人は全然犯人の心当りがないというのだ。彼は「これに限って、人様に怨みを受ける様なものではございません」といって泣くのだ。それに、彼が色々調べた結果、物とりの仕業でないことも確められた。そこで、主人の経歴、細君の身許みもと其他様々の取調べがあったけれど、それらは別段疑うべき点もなく、この話の筋に大した関係もないので略することにする。最後に死人の身体にある多くの生傷について Permalink | 記事への反応(0) | 22:40
フィクションに登場するドジっ娘キャラに萌える奴の為に、そういう人間と結婚したらどうなるかを少しだけ書く。
(1)言い間違いが多い。
例えば、SUVをUSBに、アルファードをアルフォートに、と云う具合いである。殊に、本来言いたい事の対照的なものや並立されるものにすり替わって言い間違えるケースが多い。「野球」の話をしていると思って聞いていたら「サッカー」の話だった(選手や監督の名前で気づく)とか、俺が車を運転していて次の交差点を「左折」しろと助手席のお前が言ったかと思ったら、左折し終えた後になって「ゴメン『右折』だった」と言い出すとか、二人の日常生活はブービートラップだらけである。
俺は何年も「言葉を口に出す前に一呼吸置け」と言って聞かせたのだが、まるで改まる気配が無い。一度など「今日テレビを観ていたらサカシタがさあ」と言うので『坂下千里子』が何かしたのかと思えば『橋下徹』の発言にムカついたと言いたかったと判明。本人の中では「ハシモト」⇒「サカモト」⇒「サカシタ」で『近い言い間違い』らしい。分かってたまるか!
(2)行動がせっかち、おっちょこちょい
ドジっ娘だから当然、言い間違いだけではなく物理的な行動もそそっかしい。グラタンやドリアが好きなのは構わないが、何故いつもいつも食べる度に口を火傷するのか。毎度毎度、食べる前に俺が「熱いから火傷しないように気をつけてね」と言い聞かせ、同じ物が食卓に並んで二人で一緒に食べ始めると云うタイミングで俺が目の前でフーフー冷まして食べるお手本を見せているというのに、なぜ毎回毎回それを無視して一目散にガブー!と口に運んで「アチー!火傷した!」と泣き言を言うのか。昭和のギャグ漫画か。それと、食事の時に楽しくお喋りするのは構わないのだが、周りの物に注意しないまま激しい身振り手振りを交えようとするものだから、しょっちゅうガシャーン!とコップを倒したり皿をひっくり返したり、てんやわんやになる。てんやわんや、て。昭和のベテラン漫才師か。
夜のプロレスごっこが終わった後も、背後をよく見もしないで勢いよく布団の上にゴローンと寝転んで、ティッシュペーパーボックスの角が肋骨に当たって、痛みのあまり全裸で悶絶する。尻を隠せ。周りをよく見ろ。
(3)謎の自信
出川哲朗や滝沢カレンなど芸能人たちの面白い言い間違い、ドジなエピソード等をテレビ等で見ると「信じられないwww」と自分を棚に上げて爆笑している。
信じられないのはこっちの方だ。お前だ!俺から見たお前が、まさにその状態なんだよ!何故、他人事みたいな感じになる?おまけに、夫婦間で情報伝達のミスがあって喧嘩になった時には、いつも謎の自信に満ち溢れて「アタシは絶対に○○って言った!」と主張してくるよな。よく上の(1)を読め!と言いたいところだが、残念ながら俺が増田を書いている事は妻に内緒だ。
そういえば何時だったか、自分を棚に上げて他人の面白ドジ話で爆笑していたら、食べていた抹茶ロールの欠片の粉が気管に入ってむせてしまい、お前は口から緑色のゲロを吐いたよな。あの時、俺は心の中で「映画『エクソシスト』の悪魔払いみたいだな」と思ったよ。
(4)怖がり
漫画、小説、ドラマ、映画は、少しでも怪奇やホラーの気配があると駄目。俺が持っているDVDの粗筋を軽く話しただけで、怖くなってトイレや風呂に行けなくなって怒る。でも、訊いてきたのはお前だろ。しかし、俺が大の苦手とするアシダカグモは平気のようだ。平気で始末する。フォークト=カンプフ・テストで「机の引き出しを開けたら大きな蜘蛛が出てきた」と言われたら「殺すわ」と即答しそうな気がする。
煮物に痺れ切らしてブチギレてやりがちな行為だけど実は全部間違ってる
レシピ通りになのに想像通りの出来にならない可能性は大きく分けて二つ
作る側が間違えてるか、レシピが間違えてるか
まず作る側が間違えてる場合
味が必要以上に濃くなるのを恐れてやりがちだけど炒め物、特に塩分でしか起こり得ないのでニンニク生姜などの風味系は全く躊躇する必要無し。トータルバランスさえなんとかなれば砂糖は思ってるより多くても美味かったりする。
火が通るまでの所要時間や火加減などは具材によって違うので、全てを合体させて味付けを行う前にそれぞれ別々の処理を適切に完了させておく必要がある。例えば大きいカットの大根などは予め強火で茹でるなどして繊維質をある程度解しておかないと、味が染みにくく出来上がりにアクや硬さが残ってしまう。
殊に煮込み料理において時間は無限に必要とされる。20分煮込んでハイどーぞの煮込み料理が味なんてするわけない。煮込む汁を何度となく味見と微調整を繰り返して、完璧な仕上がりになっているのなら足りない物は他ならぬ時間だけである。煮物の味が染みるのは冷める時、それも具などの中心温度がいわゆる常温まで下がり切った時。豚の角煮など大きな具の中心まで味を染み込ませるのには、優に丸2日を要する。
・塩少々を省略している
これは塩気が足りないとき以外には入れなくていいと思われがちだが、味の輪郭をハッキリさせる為のものなので人差し指と親指でほんの少しつまむ程度でも入れるのと入れないのではかなり大きな差がでる。調味料のみならず野菜や肉の味までがグンと前にでて来るのでなんだかよくわからないけど何か足りないときはこれが欠けている場合がある。
クックパッドには時間も調理方法も下手すると衛生管理的にもあり得ないレシピが平然と投棄されているので、全く当てにしないくらいで丁度いい。プロのレシピが探しづらかった黎明期こそ役に立ったかも知れないが、今となっては良くてゴミ生成、下手すると食中毒や寄生虫に罹患する為のサイトに成り下がった。
一部都市伝説的なモノだがプロのシェフがレシピを公開する際、自分の味を守るため隠し味のみを記載しないというのを聞いたことがある。家で同じものが作れてしまったら商売にならないから当然と言えば当然だし、料理においては開発者の権利であるようにすら思える。つまりプロのレシピにも不備がある時にはあるものなので、最終的には自分の経験則が最大の調味料になる。
個人的に煮物は超弱火の煮立たないギリギリで加熱すれば蒸発も最低限に抑えられるし、具の中心まであったまったら火止めて冷ますし、水分のコントロールも難しくないから気長に、気に入らないなら何度となく試行錯誤してみれば良いんじゃないかな。俺は使ったことないけど圧力鍋とかあると捗るって言うよね。
舐めすぎている。野戦築城術といういうものは、単一機材によってのみ効果を発揮する物ではなく、地形を含めた総体を以て防御を行うにある。もちろん欧州大戦の塹壕戦を有刺鉄線が支えた側面は否定できない。しかし塹壕戦が戦車によって蹂躙されるまで誰にも突破できなかったのは、そのシステム全体が強固なものであったからだ。
有刺鉄線、というか鉄条網に期待されているのは敵歩兵の突撃妨害に過ぎぬ。あれで殺すのではない、あれで足が止まった連中を火力で薙ぎ払って殺すのだ。実際くぐってみるがいい。なるほど致命傷にはならないだろう。だが現実に痛みを前にすればそれが人間は死との二択であったとしてもなお怯む。肉体を痛めるという原始的な恐怖からは逃れられない。そして人間に覚悟があっても、人間に付随する衣服だベルトだ銃だ雑嚢だには覚悟がない、トゲに引っ掛かって主人の行動を制限する。ソンムで、パッシェンデールで、フランダースでヴェルダンでイーペルで、もたもたしていればタダの的。いや的ならばまだ狙ってくれるだけ人間的というもので、大体は広がった暴露面積に応じてなんだかよくわからぬ飛んできたものが確率で当たって、死ぬ。
しかるに鉄条網を単に突破するだけならば容易いことだ。毛布の一枚、戸板の一枚、それもなければ代わりに踏まれる犠牲的兵士の一人がおれば、か細いながらも突撃路の啓開は十分に可能である。で、そのか細い突撃路から侵入した兵士がどこまでたどり着けるのか。砲弾降り注ぐ無人地帯を踏破して、鉄条網を潜り抜けてようやくたどり着いて塹壕を一本確保したところで、その奥には予備陣地が控えている。そこをなお突撃する体力は、連合も同盟も有してはいなかった。いや無論、一部の突撃兵には出来た。しかし全体としては少数で、後続の連中には無理だった。人が人である以上、その貧弱な限度を超えることはできないのだ。
そして最大の特徴は、あれは針金で体積から見ればスッカスカである点だ。即ち、事前砲撃や射撃によってほとんど破壊されぬ。通常、陣地攻撃を行うならば事前に「耕す」と形容される程度には突撃路を砲撃によって確保する必要がある。塹壕は強固に作られても線だ。特火点は点に等しいが面積と破壊できる実態がある。砲弾は爆弾は確率の女神の気まぐれでいつかは当たって、それらは破壊される日が来る。しかし有刺鉄線は敷設された空間の中で実態が占めている体積はほとんどない。砲弾が降り注いでも柳に風、都合よく弾片がワイヤーを切ってくれることを祈るしかないがその確率は限りなく低い。つまり単なる鉄線であるがゆえに、これを確実に断ち切ることは火砲ではほとんど不可能だ。となれば突撃を開始してから銃弾ふきっ晒しの敵前において悠長に切るか、肉迫して特殊機材で吹っ飛ばすか、攻撃路を変更するか穴でも掘るか、犠牲を許容して尚踏破するかを迫られる。おまけに普通の阻塞とは異なり、攻撃側の身を隠してはくれず、銃弾砲弾は素通しで危険が増す。なお、変更した先は大体火力が集中しやすい死地になるので選ばれがちなのが犠牲的精神という訳だ。
ちなみに本邦で一番有名な戦訓は「爆弾三勇士」だ。かれらが爆弾で吹き飛ばしたかったものこそが有刺鉄線なのだ。ああいう特殊資材が要求される程度には、あれは厄介な代物なのだ。あの「爆弾」、バンガロール爆薬筒という。ほぼ専用の爆破機材だ。覚えて帰れ。
望外の高評謝するに余りあり。
ただし投稿子は無論本職でもなく、オタクとしての領分はむしろ航空、就中1000~2000馬力までのwarbirdsである。加えて早朝寝る前の勢いで綴った代物で、意図するとせざるとを問わず多数の陥穽があるはずだ。現にこの追記時に助詞程度ではあるが、第一段落から若干の修正を加えている始末である。ゆえに読者、殊にこの領域をご専門であろう諸賢の御鞭撻と補足、並びに御寛恕を賜れば幸いである。
またに未見の作品のご紹介は大変にありがたかった。投稿子はそれを覚えて巣に帰ろう。また何らかの巡り合わせがあれば、何処かで。
私が小学生時代を過ごした土地は、所謂ニュータウン。街がつくられる時にそのまま居着いたブルーカラーの家と、ベッドタウンとしていついたホワイトカラーの家が、住んでいる地域でわかるような土地柄だった。
とてもではないが治安がいいとは言えない街。小学生が放火をし、中学生が喫煙し、高校生がバイクで走り抜ける街だ。某児童売春斡旋組織事件発覚の発端となった小学生もうちの地元出身だった。
私の家は紛うことなきホワイトカラー一家だ。元ボンボン・サラリーマンの父と江戸っ子の母の間で、歳をとってから出来た一人娘として、それなりに大切に育てられた。世帯収入は高くも低くもなく、他に兄弟姉妹がいれば私立に行くのは許されなかっただろうレベルだ。しかし女子校に入れたいという父親たっての希望で、私の中学受験は私が園児の時に既に決められていたことだった。
そうは言っても、その受験計画は実にのんびりしたものだった。目的はあくまで「公立中学校に行かないこと」。小学校一年生から塾に行くような子もいる中で、私の中学受験は小学校四年生から始まった。それもSAPIXや日能研といった進学塾ではなく、まったりとした中堅の塾。10人に満たない同級生たちと、地元の中堅私立を目指す予定だった。
しかし、それでも学校の教員からの敵意からは逃れられなかった。
彼らは常にブルーカラーの子供たちの味方だった。ブルーカラーの子供たちはまさにギャングエイジといった風体で、私の学年は4年生になる頃にはすっかり学級崩壊に陥っていた。
そんな状況の中で、私のような「恵まれた家庭」の子供は、彼らを「根性論で更生させる」ための必要悪にするのに適していた。ホロコーストと一緒。共通の敵をつくることで、教員たちは彼らと連携をとろうとしていた。
まずは保護者会で、担任の教師が「私は中学受験と塾が嫌いです」と言い放つところからスタート。この言葉はあっという間に子供たちにも伝わった。小学生にとって、それがどんな不良小学生だったとしても、「先生の言葉は絶対」だ。「先生が悪いと言った」子は、いじめたっていいのだ。
休み時間に円周率の計算暗記表を見ていたら、担任にそれを取り上げられ、クラスメイトの前で激昂された。帰りの会で黒板の前に立たされ、「私は学校で塾の勉強をしました。本当にごめんなさい」と謝らせられた。それを皮切りに、ブルーカラーの子供たちからのいじめが始まった。
帰り道で待ち伏せされる。容姿についての罵倒や、時には両親への悪口もあった。ある時はマフラーで首を絞めあげられた。子供の力なので大事には至らなかったが、笑い声のなか、酸欠で頭がぼうっとしてきたことは覚えている。
「先生の言うことは絶対」。これは私にも有効だった。だから私は、自分は悪い小学生なのだと思い込んだ。
おうちが貧乏で、ちょっと不良みたいで、勉強は嫌いで、でも、中休みになったら一番最初に校庭に出てドッジボールを始める。そんな生徒が、「良い小学生」なのだ。クラスメイトたちが音楽室に立てこもって授業をボイコットしていた時、私は大人しく教室で待っていた。でも先生が好きなのは「仲間意識の強い」彼らなのだ。
悪い小学生なのだから、虐められて当然なのだ。そう思った私は、繰り返されるいじめを誰にも相談出来なかった。
また、これは本当は幸運と言えるのだが、殊にこの場合にのみ不運と言える、両親の誤算があった。私の成績だ。
私はどうやら「出来る子」に分類される子供だったらしい。入った中堅塾ではあっという間にトップに立ち、テストも満点以外とれなくなった。ここまで来ると両親にも欲が出てきたようで、私はバスで通える範囲に出来たS某超進学塾に通うようになった。そこでも女子ではトップの成績で、あれよあれよという間に御三家を目指すことになっていた。小学生にとっての成功体験は、その子の人格形成において重要だ。私は勉強するのが楽しかった。そもそも運動は嫌いで、中休みも図書館にいるような子供だった。かけっこしか見てくれない小学校の教員たちとは違って、塾の先生は私の「勉強の」成績を褒めてくれた。後は好循環だ。持って生まれたメンタルの弱さで、模試の前に嘔吐するようなこともあったが、私の中学受験は大方順調だった。
一方小学校生活は、ぼろぼろのメタメタだった。私の通塾先が変わったことがどこからか漏れ出て、「エリート意識を持った嫌な奴」の烙印を押された。低学年までは仲良くしていた子達も、私のことを大腸菌呼ばわりするようになった。
担任が、わかりやすく私に嫌がらせをするようになったせいだった。授業中に指されて答えても、「どうせ塾でやったんでしょうね」。覚えもないいじめ事件の首謀者にも仕立て上げられた。
だんだんと体調にも影響が出るようになっていた。学校に行く前に必ず吐いた。食道は焼けただれ、小学校5年生の冬には胃薬が手放せない体になっていた。
真面目な気質のせいで、私はそれでも学校に行くのをやめられなかった。親も流石に勘付き、担任に嘆願書を出した。しかしそれも虚しく、担任は私にその嘆願書を叩きつけ、「どうしてあたしがいじめなんて言われなきゃいけないんだよ!!」と私を怒鳴りつけた。
別の小学校に越境入学しようと思ったこともあった。別の中学受験をする同級生が、そそくさと学校を変えてしまったからだ。実際両親はその準備もしていた。しかし、自分の学校に問題があることが外部に晒されることを恐れてか、校長はそれに難色を示し、「○○ちゃんだって仲良しと離れたくないでしょ」と、結局その小学校から離れることは叶わなかった。
私の小学校時代は闇だ。小学生5年生の学芸会の劇で、悪役の親分のオーディションに受かったら、自分の母親と隣のクラスの教員が寝ていると噂されたこともある。最高学年になる頃には、私は両親と塾の教師以外の大人を信じられなくなっていた。
話は飛んで、中学受験の結果から言うと、私は第一志望には落ち、第二志望の女子校に通うことになった。そこは天国だった。私が休み時間に勉強していても、誰も怒らないし、誰も馬鹿にしなかった。正直それだけで救われたし、良き友人にも多く恵まれた。そして高校生活を経て、今私は東京大学に通っている。
もし父親に先見の明がなかったか、私が過度のストレスで受験全滅していたことを考えると、今でも寒気がする。
数年前の東大の入学式の祝辞は、ノブレス・オブリージュについての話だった。私も上野先生の意見に大方は同意する。しかし私は、もし「恵まれた人間」として支えなければいけないのが「あいつら」なのだとしたら、それは吐き気を催す話だと思う。
エリートが冷たいなんていうのは嘘だ。いや、もしかしたら真実な場合もあるかもしれない。でも、そんな言説よりずっと、「学のない連中は残酷で野卑だ」という言説が本当だと言うことを、私は知っている。
増田だが、文字数制限で追記できなかったことを吐いて終わらせる。
ちなみにいろいろ勘違いされている人も多いようなので、言っておくと、別に恋につじつまってなくてもいいんだと増田は思っている。キャラをしっかり描けば、つじつまが合わないのに何故か説得されてしまい、恋愛が成立する。そしてキャラクターがきちんと描けているかどうかというのは、やっぱりシナリオ全体にシナリオライターの存在をいかに悟らせないかに尽きると思っていて、その点で前述のお三方はたしかに作風が現れてはいるが、シナリオ全体に無理筋がない。描くべきものをきちんと描いた結果の必然としてキャラクターがいくつくべきところに行き着いた結果を描いている。シナリオのためにキャラクターを駒のように使うことをしないというのはとても重要なことで、虚淵氏もそのせいで「自分にはバッドエンディングしか書けない」と自棄にすらならせるほど飼いならすのが難しいスキルだが、安定感のあるシナリオライターのほとんどはキャラクターにシナリオを語らせるという手法を取っていることが多いと思う。正解ありき、シナリオありきでキャラクターを作ることが悪いわけではないが、やっぱりそれだとご都合主義的なシナリオを回避できない。殊に恋愛に関しては人間模様だけがすべてで、その中でどれだけパターン化されたシナリオの中にキャラクター性を見いだせるかが肝なのだから、お決まりのシーンやお決まりのパターンをどれだけ裏切れるかがむしろ味噌なのだと言い切ってしまってもいいと思う。
そういう意味では、とにかくデートイベントを入れたり、主人公に照れるヒロイン像、お料理イベントといったお決まりをパターンのように踏襲する手法こそ、裏切って然るべきものなんじゃないだろうか。そしていちいち主人公を好きになる主体性なんてものに、わざわざエピソードを入れなくてもいいではないか。奈須きのこ氏の悪いところは、もしかしたらつじつまを合わせることばかりに終始しすぎて、振り切れてないところにあるような気もする。Fate/ExtraやExtellaを見ていてもそうだったけど、感動シーンなはずなのに「このシーンいらねえわ」とか「別に感動させなくてもいいわ」と思ってしまうシーンがたくさんあった気がした。没個性型の主人公なのに妙にシナリオの中でノリツッコミするところなんかもモヤモヤした。パターン化され、お決まりで、踏襲的なシナリオに終始している感じがあって、言葉や台詞ばかりが妙に浮いているのだ。
いちいち主人公に格好つけてヒーローさせなくてもいいような気もする。変に人格障害こじらせたりとかも不要だと思う。衛宮士郎も、いちいちアルトリアに張り合って過去に闇を持つ壊れた人格を持つ必要なんてなかったように思う。衛宮士郎くんはちょっと無力すぎたし、そのくせ無謀に過ぎて人間的になんというか情けなくて鬱陶しさが目立つのもマイナスだ。それこそセイバーが言うように「能力が無いなら下がっているべき」なのだ。無理に前に出てセイバーを守ろうとする、そんなところに人格障害&人格破綻者みたいなエピソードを入れる必要はないし、別にそれがあったところでシナリオに深みが出たとも筆者は思わなかった。単に衛宮士郎という人間像に理解不能感が増すだけなのである。そんなことさせるくらいなら、普通の少年なのに突如ギフトとして特別な力を持ってしまった少年というプロフィールにして、普通にアルトリアの元英国騎士王というセイバーにびびったりちょっと劣等感を感じたりして、そして本当にそのまま特にヒーローっぽいことも出来ずヒーローになれず、ただ突如として与えられた聖杯戦争の参加者という立場で何らかの与えられた力との向き合い方を懊悩し、悩みながら、同じ悩みを抱えてそれでも聖騎士王という立場を全うしたアルトリアに学びながら、彼女に惹かれながら、自分の使命を全うしようとする、そんなエピソードで良かったのではないだろうか。そんなシナリオであれば、もっと素朴で純朴な恋愛が描けたのではないだろうか、どうだろうか。
そして奈須きのこ氏もそれに気づいているからこそ、Fate/Extra、Extella、Fate/GrandOrderではそういうシナリオを書こうとしたのではないだろうか。