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はてなキーワード: 皇太子とは

2018-01-04

iPhoneってすげえよなあ

アラブ石油王

イギリス皇太子

アメリカ大統領

おれの持ってるものと同じものを使ってる

かにそんなものってないだろ

2017-12-25

anond:20171225171057

かに

今上天皇の人柄からするとあり得ない話だが

退位後に現皇太子対立が起きたら

ゴシップ的には連日かなり盛り上がるだろうな

2017-12-03

中国日本のどちらが良いか

データも何も見ずに適当なことを書くけど。

日本の一番悪いところと、中国の一番悪いところを比べると中国の方が悪い。地方農民給料は超低いし、政治的な主張の内容によっては投獄されたり毒殺されたりする。日本にも悪いところはあるけど、安部首相揶揄しても、天皇陛下体位が決まって、皇太子が側位とか言っても別に逮捕もされない。

一方で、日本の一番良いところと、中国の一番良いところを比べると中国の方が良い。経済は毎年6%以上成長し続けているのに対して日本はもうずっと低成長、深センは何か勢いあるし、億万長者もたくさん。スマホメーカーPCメーカー日本ダメになってきているのに中国は延び続けていて、ニコニコは死んでビリビリNY上場

結局意見割れるのは一番悪いところを比較するのか、一番いいところを比較するのかが人によって違うから別に科学的にどちらが正しいということもなく、単なる好みでしかない。戦略の違い。ミニマックス戦略とか、マクシミン戦略とかで調べるといいよ。単に戦略の違い、判断ポイントの違い。それだけ。

2017-12-02

anond:20171202101739

そりゃ結婚くらい大事なら取り上げてたけど、やれ愛子さまがご学友と〇〇を楽しんだ、とかそんな日常レベルのことまで取り上げられるようなことは無かったでしょ。

皇太子小和田雅子さんの結婚からこっち、もっと言えば「なんでお前子供産めねーんだよ」的なバッシング以降、皇室に対する関心とイジり方がかなり変わった印象がある。

2017-12-01

天皇体位が決まって

皇太子が側位するってマジ?

2017-11-25

私は皇太子さまに似ている

女で厚ぼったい一重なんだけど現皇太子激似。ついに母親から整形するならお金出してあげるよとまで言われた……

母親も弟も蒙古ひだなしの大きな目の二重。母も弟もすごく美形。私とは全く似ても似つかない。父は少年隊東山紀之みたいな一重。私と雰囲気は似ているが目頭切れてて蒙古ひだなしでまあまあかっこいい。私は蒙古ひだまであって本当に附子。いやブス。今までborn ths wayだし芸能人についてなるわけでもないから!とポジティブに考えてきたけど母親に整形勧められるのはさすがにちょっとまいってしまっている

2017-11-10

anond:20171110182155

鑑真聖徳太子思想家として評価だけるだけの史料が残ってないだろ。伝説ばっかりで。

鎌倉仏教あたりは書いたものもたくさん残ってるのでOKかな。

あとは室町あたり。思想家と言っていいかどうかわからんけど、観阿弥世阿弥あたりは影響力でかいか。

江戸ぐらいになると、各学派から代表出すだけで席が埋まるだろ。本居宣長安藤昌益は外せないと思うけど。

どう?


やっぱり単著ないといくら皇太子でもダメだな。

2017-10-01

古代[ソース編集]

日本における相撲の記録の最古は、『古事記』の葦原中国平定の件で、建御雷神(タケミカヅチ)の派遣に対して、出雲建御名方神タケミナカタ)が、「然欲爲力競」と言った後タケミカヅチの腕を摑んで投げようとした描写がある。その際タケミカヅチが手を氷柱へ、また氷柱から剣(つるぎ)に変えたため掴めなかった。逆にタケミカヅチタケミナカタの手を葦のように握り潰してしまい、勝負にならなかったとあり、これが相撲起源とされている。

人間同士の相撲で最古のものとして、垂仁天皇7年(紀元前23年)7月7日 (旧暦)にある野見宿禰と「當麻蹶速」(当麻蹴速)の「捔力」(「すまいとらしむ・スマヰ」または「すまい・スマヰ」と訓す)での戦いがある(これは柔道起源ともされている)。この中で「朕聞 當麻蹶速者天下之力士也」「各擧足相蹶則蹶折當麻蹶速之脇骨亦蹈折其腰而殺之」とあり、試合展開は主に蹴り技の応酬であり、最後宿禰が蹴速の脇骨を蹴り折り、更に倒れた蹴速に踏み付けで加撃して腰骨を踏み折り、絶命させたとされる。これらの記述から、当時の相撲は打撃を主とする格闘技であり、既に勝敗が決した相手トドメの一撃を加えて命までをも奪った上、しかもそれが賞賛される出来事であった事から見ても、少なくとも現代相撲とはルール意識も異なるもので、武芸武術であったことは明確である[2]。宿禰・蹶速は相撲の始祖として祭られている[3]。

さらに『古事記』の垂仁記には、

ここをもちて軍士の中の力士の軽く捷きを選り聚めて、宣りたまひしく、その御子を取らむ時、すなわちその母王をも掠取れ。髪にもあれ手にもあれ、取り穫む隨に、掬みて控き出すべし。とのりたまひき。ここにその后、かねてかその情を知らしめして、悉にその髪を剃り、髪もちてその頭を覆ひ、また玉の緒を腐して、三重に手に纏かし、また酒もちてその御衣を腐し、全き衣の如服しき。かく設け備へて、その御子を抱きて、城の外にさし出したまひき。ここにもの力士等、その御子を取りて、すなはちその御祖を握りき。ここにその御髪を握れば、御髪自ら落ち、その御手を握れば、玉の緒また絶え、その御衣を握れば、御衣すなはち破れつ。

とあり、初めて「力士」(ちからひと・すまひひと と訓す)の文字が現れる。以降の記紀六国史においても、相撲に関する記述散見される。

相撲節会」を参照

奈良時代から平安時代にかけて、宮中行事の一つとして相撲節会が毎年7月頃に行われるようになる。毎年40人ほどの強者近衛府により選抜され、宮中で天覧相撲をとった。最初の記録は天平6年(734年)のものであるが[4]、節会を統括する相撲司の初見養老3年(719年)であることから8世紀初頭に定着したものと思われる。相撲節会は当初は七夕宮中行事の余興としての位置づけであったが、後に健児の制が始まると宮中警護人の選抜意味を持つようになる[5]。時代が下るにしたがって相撲節会重要宮中行事となり、先例が積み重なるとともに華やかさを増した。然し同時に、健児選抜という本来趣旨は次第に忘れられていった。12世紀に入ると律令制の衰退、都の政情不安定とともに相撲節会は滞るようになり、承安4年(1174年)を最後に廃絶となる[6][7]。

神事相撲」を参照

一方、神社における祭事として相撲をとる風習が生まれた。これを神事相撲という。農作物の豊凶を占い、五穀豊穣を祈り、神々の加護感謝するための農耕儀礼であり、これは一貫して現代にまで続いている[8]。

中世[ソース編集]

武家相撲」を参照

相撲節会に求められていた実践的な意味での相撲は、組み打ちの鍛錬として、封建制を成立させた武士の下で広まった。これを武家相撲という。武士棟梁となった源頼朝特に相撲を好み、鎌倉を中心に相撲が盛んに行われた[9]。

日本礼儀と習慣のスケッチ』より、1867年

土地相撲」を参照

続く足利幕府は、相撲奨励には消極的であったが、戦国大名は熱心に相撲人の養成に力を注いだ。また、応仁の乱以降都落ちをした貴族とともに京都相撲文化地方に伝わり、民衆の間に相撲が定着、相撲生業とするものが現れる。これを土地相撲、または「草相撲」という。[10]。

近世[ソース編集]

「勧進相撲」を参照

江戸時代に入ると武家相撲はその存在意義を失い、土地相撲興行化して民衆一般に広がる。興行主はこれを神事相撲の「勧進」にことよせて勧進相撲と称し、また武家相撲力士大名の抱えとすることでその名残をとどめた[11]。

近代[ソース編集]

相撲を取る皇太子時代昭和天皇

大相撲」を参照

明治文明開化相撲をはじめとする伝統芸能は軒並み危機に陥るが、明治天皇の天覧相撲が繰り返されるなどによりその命脈を保つ。大正14年1925年)には幕内最高優勝者に授与される天皇賜杯が下賜され、また東京相撲大阪相撲合併することにより日本相撲協会誕生、勧進相撲大相撲に一本化された。

平成に入って、日本ビーチ相撲連盟というアマチュア組織が結成された。また、義務教育武道必修化の必修科目として、相撲剣道柔道の三種を基本として加味された。

https://ja.wikipedia.org/wiki/相撲

兎に角臭そうなので相撲は撲滅するべき

殺人競技ルーツにする相撲人権違反で即刻廃止するべき

そう言う事を言いだしたらオリンピック競技殺人競技ルーツにする種目がたくさんあるのでオリンピックを即刻廃止するべき

2017-09-10

女性天皇反対論

譲位を機に皇位継承資格者男系男子から直系男子皇室典範改正するべきである

家は男が継ぐものであり、日本古来の伝統を守るためにも女性天皇断じて認めるべきではない。女は男や家族に尽くすものである男子が家を継ぐという神武天皇以来の祖法を決して犯してはならない。

現在皇室はかつてない危機に直面している。このままでは、近い将来、皇位継承者がいなくなってしまうだろう。また、こうした状況を利用した反日勢力が、君臣の別を弁えない旧皇族皇籍復帰論や女性天皇容認論を声高に叫んでいる。

男子継承を守りつつ千代八千代皇位継承させていくためには、女系を認め、直系継承へと変えていかなければならない。

そのためにも女性宮家を創設し、女性皇族男子を産んでいただかなければならない。

男子皇位を継ぎ女子皇位を守る。

これが本来日本のあるべき姿であり、真の男女平等である

愛子内親王殿下には、結婚後も皇室に残っていただき男子をお生みになっていただきたい。

皇太子殿下の次の天皇には愛子内親王殿下長男が御即位されることを強く願うものである

2017-09-03

結局天皇ってこのまま保守派によって滅ぼされるんだろうなって話

眞子さま婚約が非常にめでたいが故にふと思ったが、今上天皇が退位した後には皇太子即位して新たな天皇となる

年齢は既に60歳に近く、在位期間は父親とそう変わらず30~40年程となるだろう。そこまではい

現状唯一の現実的な将来の皇位継承である悠仁さまが男の子供を儲けなかった場合はその時点で悠仁さまが最後天皇となり、皇統断絶は確定となる

それを回避する為の手段は主に2つ

1、「旧皇族皇籍復帰」

2、「女系による女性天皇容認

ということになるが、2を用いるのは「男系男子によって万世一系として受け継がれてきた皇統の歴史を葬り去る事となる」という理由保守派は反対しているらしい

まりそんなカビの生えた様なふざけた理由しか反論できない程ロジックとしては弱い訳だが、どういう訳か皇統断絶対策に関する議論は思惑通り全く進んでいない

ちなみに1は「既に一世紀近く一般人となってた連中を今更皇族に戻すなど国民違和感があるだろうし、皇室に掛かる国費=税金負担増加も考えれば非現実的」という

極めてシステマチック理由でまた消極的である。至極もっともで当たり前の話だ

問題解決する為に残された期間があまり無い以上、どう考えても皇室女系移行は既定路線の筈なのにそれを許さないというのであれば

結局は保守派こそが皇室のものを滅亡させようとしているに他ならないと思うのだが

2017-06-21

https://anond.hatelabo.jp/20170620224519

キャリア志向にしては君もそう言ってるように考えてること簡単に顔に出すしIQ低すぎる気がするんだが…

能力に関しても中退試験通過できないとかでキャリア…?みたいな

顔は美人だと思うけど中身がひどすぎてなんでわざわざ選んだのかなあ

逆に皇太子を選んでくれる人いなかったとかかな、皇太子の人柄はあんまりよくわかんねえ

2017-06-20

https://anond.hatelabo.jp/20170620211847

勝気でキャリア志向の、皇太子からしたらある意味番手の届かなそうなタイプの女だったから好きになっちゃったんでしょ。

結婚が決まって、日本に返ってきたとき空港でのあの心底嫌そうな顔は忘れられない。

https://anond.hatelabo.jp/20170620210812

別の話になるけど

なんで皇太子は今の奥さんを選んだんだろうなあ

言葉悪いけど標準よりも…みたいなスペックじゃん

一般人ですら選ぶのごめんレベル

親が聖人すぎると子は反発してそういう選択してしまうみたいなものなのだろうか

不思議だな

2017-06-17

https://anond.hatelabo.jp/20170616171312

お前が書けばいいじゃん

天皇皇太子レイプする同人を描こうが官憲は捕まえに来ないぜ

ガチ右翼は来るかもしれねーけどw

「私はシャルリー!!」とでも叫びながら頑張って右翼に応戦して

2017-06-11

退位か。

平成が31年まで?

なるちゃんが同じく85までやるとして、即位59歳だからナル歴は31年か32年。

んー。ワンちゃん元号跨ぎ行けるか。

いや、その時皇弟ナマズ殿下即位して6年やる?

5つ跨ぎか。

しっかし即位の歳、今上帝より上なのか皇太子愛子ちゃん小さいうえに御髪があれだからもっと若いイメージあったわ。

2017-06-02

女性天皇反対論

譲位を機に男系男子から直系男子皇室典範改正すべし!

家は男が継ぐものであり伝統を守るためにも女性天皇断じて認めるべきではない!女は男や家族に尽くすものであり神武天皇以来の祖法を決して犯してはいけない!

皇室はかつてない危機に直面している。このままでは、近い将来皇位継承者がいなくなってしまうだろう。

また、この状況を利用した反日勢力が、君臣の別を弁えない旧皇族皇籍復帰論や女性天皇容認論を声高に叫んでいる。

男子継承を守りつつ千代八千代皇位継承させていくためにも女系を認め直系へと変えていかなければならない。

そのためにも女性宮家を創設し、女性皇族男子を産んでいただかなければならない。

男子皇位を継ぎ女子皇位を守る。これこそ日本のあるべき姿であり、真の男女平等である

愛子内親王殿下には、結婚後も皇室に残っていただき男子をお生みになっていただきたい。

皇太子殿下の次の天皇には愛子内親王殿下長男が御即位されることを強く願う。

2017-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20170531183510

>皇室典範男系男子から男系長子へと改正すべし!

には賛成だけど愛子様皇太子にというなら、本人がやりたいと望んでいるのか確認するのが先では?

勝手忖度して行動起こすのは今国会で大騒ぎしてる人達と何ら変わらない。

226事件を再び起こすつもりなら好きにすればいいと思うが。

敬宮愛子内親王殿下立太子を求める民間人有志の会

譲位を機に皇室典範男系男子から男系長子へと改正すべし!

女性宮家議論の前にかつて存在した女性天皇をまず認めるべきである

みんなで声をあげよう!

#愛子さま皇太子

2017-05-26

女性宮家の何がやばいか、大河ドラマ『直虎』をベースに考えてみる

民進党女性宮家の創設を進めようとしている。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS17H4O_X10C17A5PP8000/

ぶっちゃけ、何が問題いまいちピンと来ない人が多いと思うので、自分なりに考えをまとめてみたい。

日本における天皇とは憲法にも明記されているとおり、国の象徴である

そして、その天皇家血筋を絶やさないために連綿と受け継いできた、不敬な言い方をすればバックアップにあたるのが皇室である

ここで本質的重要なのが「血筋」を絶やさないことである以上に「家」を絶やさない、ということ。

なぜ「家」を絶やしてはいけないか、について皆さんにしってもらいたくて、この文章を書いているので、最後まで読んでもらいたい。

皇室日本において、約2000年続いてきた伝統である

そして、その基本的ルールが「万世一系」、つまり男系宮家を維持し続ける、ということだ。

これはざっと分かりやすく言えば、皇室以外の完全な民間出身男性宮家に迎え入れない、ということ。

我々日本人は、このルールを千年以上守り抜いてきた。

そして、その歴史の上にはじめて、現在民主的国民国家象徴として祀り上げられて然るべき「天皇」という存在国民誰もが(程度の差こそあれ)尊重することができている。

日本の歴史上、天皇家に娘を嫁がせて「外戚」として権勢を奮った人物は多数いるが、「息子」を天皇家の婿に入れた人間はいない。

蘇我藤原・平・徳川といった、時の最高権力者でさえ、息子を天皇家に婿入りさせようなどとはしなかった。

これは、現代日本法規範である皇室典範まで受け継がれており、典範には、女性皇族皇族以外と結婚した場合皇室から離脱すると規定している(女性皇族結婚後も皇室にとどまる女性宮家の創設には皇室典範改正必要になる)。

ここで素朴な疑問として「でも、皇室男子が少ない現状、バックアップを増やすはいいことじゃん」と思う人も多かろう。

一見すれば、昨今の男女同権思想立場からも、賛同の声が聞かれると思う。

だが、これは現代日本という国の歴史における今この一点の判断で、安易に変えてしまってもいいルールなのだろうか。

これを分かりやすくするために、大河ドラマ『直虎』を例に出し、女性宮家を認めることのリスク説明したい。

ことの重大さが伝わりやすくなるよう、ある程度設定を改変するがご了承いただきたい。

・・・

ここに、1000年以上、自分たちを「井伊の民」と自覚してきた民と、そしてその領主である井伊家がある。

井伊家は相次ぐ争乱により、直系の跡取り男児は、先代当主直親(三浦春馬の子、虎松(寺田心)しかいなくなってしまう。

そこで、井伊家では虎松が成人し、当主を名乗れるようになるまで井伊家の血を次ぐ先々代当主の娘・直虎(柴崎コウ)に任せることにした。

ドラマではこの時点で直虎は既に出家し「生涯結婚することはない」という状態であったが、今回は直虎が出家をしていなかった場合を考えよう。

直虎は当主の重責を果たす中で、いつもそばにいてくれた幼馴染で小野家の現当主・政次(高橋一生)との愛を育んでしまった。

しかし、小野家は元々井伊家と敵対していた今川家の家臣。そのまま結婚し、子が生まれれば小野家の第一子となり、井伊家の名字は無くなってしまう。

そこで政次を井伊家に婿入れさせることになり、井伊政次と井伊直虎の子・政虎(仮)が生まれてきた。

さて、ここで、考えてみよう。井伊家の跡取りは虎松か政虎か。

から言えば、前領主の子であり本家本流の虎松が跡取りとして正当であるはずだ。

しかし、もう一方の政虎は現当主嫡子である。井伊の民にとっては「自分たち象徴」「井伊のアイデンティティである直虎の一人息子が政虎なのだ

これは、井伊という国を真っ二つに割りかねない、致命的な問題なのだ

井伊の民は、政虎を当主として認めることができるだろうか。

自分たちを「井伊の民」と名乗らしめるのは「井伊家」という一つのストーリーであり、1000年に渡る自分たちアイデンティティの中心にあるのは井伊の「家」である

政次は井伊の血筋とは全く関係のない小野家の人間であり、その子・政虎には井伊家の血が入っていたとしても、小野物語を受け継いだ人間である

もちろん、婿入りはしていたとしても、人が生き、人が伝え、人が託した物語とは、制度上の言い訳で誤魔化しきれるものではない。

もっと、肌で感じる「何か」のはずだ。

虎松ではなく政虎が当主になるとは、その瞬間1000年の歴史ある「井伊のストーリー」が、「井伊と小野ストーリー」あるいは「井伊のストーリー小野編)」に変わってしまう、ということだ。

日本では馴染みがないが、イギリスフランス王家では、女系宮家が婿に迎えた男子やその子王統を継いだ際に「●●朝」の名前が変わる。1000年続いた井伊谷の「井伊朝」が「井伊・小野朝」あるいは「小野朝」に変わる。間違いなく日本の「大和朝」は一つのターニングポイントを迎える。

しかも、小野家にはなんと先代当主を死に至らしめた事件黒幕という噂もある。

であれば、今回の一連の騒動は、小野による井伊家乗っ取りだと誰もが思うだろう。

さて、今回の例では、井伊の人々の思いも虚しく、最終的に息子への情愛に流された直虎が、自らの子である政虎に井伊家を継がせ、小野家臣団と井伊家臣団は統合されてしまう。

その後、反発した井伊家譜代の家臣団は弾圧を受け、排斥。井伊の民にとって「井伊」という言葉はその土地意味するだけのものとなってしまった……。

つまるところ、史実通り井伊家が井伊家として徳川末代まで残ったのは、この時の直虎が出家をしており、子を為さず、直系の後継者・虎松を育てたかなのだ

・・・

皇室女性宮家を認める、というのは近い将来この事態を受け入れる、受け入れてもよいと認めるということである

認めるか、認めないか判断を下すのはもちろん、主権者である我々日本国民一人ひとりだ。

女性宮家民間男性からまれ子供が、将来天皇になる、というのは、約2000年の間、我々日本人が連綿と受け継ぎ、守り抜いてきた1つの大きなストーリーを終わらせるということに他ならない。

あまつさえ女性宮家が迎え入れた民間男性外国人だとすればどうなる。イギリス皇太子や、韓国大統領中国共産党書記長の息子とも結婚することさえ可能なのだ

その可能性は、日本人として、認めていいのか。受け入れていいのか。

いざその瞬間、女性宮家婚約者を発表したときに、過去現在未来全ての日本人絶句するような相手でないと、誰が言い切れよう。

少なくとも、その時点から先にある「日本国象徴としての天皇」は、遡ること2000年間の全日本人が知り、崇敬し、仰いだ「天皇」ではない。別の何らかの意味合いを持った「天皇である

その物語を「日本の象徴」と認めることは可能なのか?

私は、女性宮家の創設には断固反対である

天皇家が今のかたちで現存しているのは、過去全ての日本人が「天皇家に取って代わる」という最後の一線を踏み越えることのなかった歴史の上に成り立っている。

自分たちにとって、神聖ものを、神聖なままに、尊び、敬う」という我々日本人の心の歴史が「万世一系なのだ

女性宮家の創設とは、過去あらゆる時点における日本人尊崇の念が無に帰す、不可逆の一手であることを知ってほしい。

2017-05-23

周囲に、自身皇太子として育てられていないことを理由に、皇太子称号に難色を示したという。

とあるが、何だとして育てられてきたのだ?皇位継承第二位ではあるのだが。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170523-00000013-mai-soci

2017-05-17

http://anond.hatelabo.jp/20170517214943

皇太子夫妻の叩きっぷり見たらネトウヨ皇室への敬意などないのは明らかだよね

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