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はてなキーワード: 皇太子とは

2019-04-24

知人がゴールデンウィーク絡みの話題即位だのなんだのという話になり

皇太子様もけっこう年なんだよね、と言った

え、でもお前と5歳そこらしか違わなくない?と微妙な気分になった

自分の一回り上のいとこが皇太子と同じ年齢で、その知人は自分よりいくつか上だ

年齢でいうならお年だというより、自分と近いと感じるくらいの年齢だと自分は思っていた

いや、そんな上でもなくない?だって即位でしょ とか言いながらちょっと怒ってるような気分に気づいた

なんに対してのイライラだったのか

知人が自身の年齢に自覚のないことにイラッとしたのか

anond:20190424161551

皇太子殿下「彼は時代に惑わされただけの被害者なのです。赦してやれないでしょうか?」

2019-04-21

anond:20190421193549

阿呆イランなんかいちばん世俗主義から遠い国じゃないかwww

そして世俗化経済が豊かになると避けられないって言ってるわけ

数年前サウジアラビア皇太子女性自動車運転を認めたのもその例

男尊女卑と家父長権威を守る最良の方法貧乏でい続けることだけど

今の資本主義世界ではそれをやってたら負け組貧乏国にとどまるから

経済成長を目指したたら副産物個人主義も生まれしまうという話

俺は一切フェミ擁護したいのではなくむしろ逆にフェミの成果なんて

経済発展の成果に比べれば毛ほどしかないと言いたいわけ

2019-04-19

令徳を踏まえて令和を解釈すると

孝明天皇が、令徳を徳川に令すという趣旨で令徳を元号としようとしたのなら、令和は天皇が和国に対し令すという読み方をすることになると思う。もちろん、和国とは日本ことなので、天皇が他の権力を除去して和国を統治するようにも読めます。他の権力とはなにかといえば、GHQなんじゃないかな。

令旨皇太子命令から天皇改元大権に使うのは適切じゃないという意見もあるけど、令旨りょうじという読み方をするので、れいと読む令和への批判にならない気がする。

左派から批判には漢籍古典に通ずるとなだめられるし、右派から批判には、上記の指摘で減殺できる。

つくづくよくできた元号だと思った。

anond:20190419055726

引退するのはいいけど皇太子摂政に立てれば済んだ話だろ

こんなん当時散々言われてたはずだけどな

お気持ち表明とか言ってたけど結局は詔勅のつもりでやってんだよ

その割にさっさと元号決めさせずに国民負担を強いるのを黙認したってとこも無責任まりなしだしね

2019-04-13

anond:20190413010951

ワイは今の皇太子さまにご自体にゃ割と好感を持っているが、女体化武烈天皇、超絶ギャル天皇キラキラあゆ天皇みたいな陛下には数代先に即位して欲しいと感じる

2019-04-08

いままでに見た最もビッグ有名人

意外と見てる。ちなみに初めて見た有名人はたぶんラサール石井

2019-04-06

5/1の改元までに皇太子が死んだら令和を捨ててもっかい決め直すの?

それとも令和を使うの?

anond:20190406131516


 

緊急寄稿

「令和」から浮かび上がる大伴旅人メッセージ

品田悦一

 

 新しい年号が「令和」と定まりました。典拠文脈を精読すると、〈権力者の横暴を許せないし、忘れることもできない〉という、おそらく政府関係者には思いも寄らなかったメッセージが読み解けてきます。この点について私見を述べたいと思います。なお、この文章は「朝日新聞」の「私の視点」欄に投稿したものですが、まだ採否が決定しない時点で本誌編集長国兼秀二氏にもお目にかけたところ、緊急掲載のご提案をいただいて寄稿するものです。

 

 「令和」の典拠として安倍総理が挙げていたのは、『万葉集』巻五「梅花歌三十二首」の序でありました。天平二年(七三〇)正月十三日、大宰府長官大宰帥)だった大伴旅人が大がかりな園遊会主催し、集まった役人たちがそのとき詠んだ短歌をまとめるとともに、漢文の序を付したのです。その序に「于時初春令月、気淑風和」の句が確かにあります。〈折しも正月の佳い月であり、気候も快く風は穏やかだ〉というのです。これはこれでよいのですが、およそテキストというものは、全体の理解と部分の理解とが相互依存し合う性質を持ちます一句だけ切り出してもまともな解釈はできないということです。この場合テキストは、最低限、序文の全体と上記三二首の短歌(八一五~八四六)を含むでしょう。八四六の直後には「員外思故郷歌両首」があり(八四七・八四八)、さらに「後追和梅花歌四首」も追加されていますから(八四九~八五二)、序と三八(三二+二+四)首の短歌の全体の理解が「于時初春令月、気淑風和」の理解相互に支え合わなくてはなりません。

 

 さらに、現代文芸批評でいう「間テキスト性 intertextuality」の問題がありますしかじかのテキストが他のテキスト相互に参照されて、奥行きのある意味を発生させる関係に注目する概念です。当該「梅花歌」序は種々の漢詩文を引き込んで成り立っていますが、もっと重要かつ明確な先行テキストとして王羲之の「蘭亭集序」の名が早くから挙がっていました。この作品書道の手本として有名ですが、文芸作品としてもたいそう味わい深いもので、「梅花歌」序を書いた旅人知悉していただけでなく、読者にも知られていることを期待したと考えられます。「梅花歌」序の内容は、字面表現された限りでは〈良い季節になったから親しい者どうし一献傾けながら愉快な時を過ごそうではないか。そしてその心境を歌に表現しよう。これこそ風流というものだ〉ということに尽きます。「蘭亭集序」の語句構成を借りてそう述べるのですが、この場合、単に個々の語句を借用したのではなく、原典文脈との相互参照が期待されている、というのが間テキスト性の考え方です。「蘭亭集序」は、前半には会稽郡山陰県なる蘭亭に賢者が集うて歓楽を尽くそうとするむねを述べており、ここまでは「梅花歌」序とよく似ていますが、後半には「梅花歌」序にない内容を述べます。人の感情は時とともに移ろい、歓楽はたちまち過去のものとなってしまう。だからこそ面白いともいえる。人は老いや死を避けがたく、だからこそその時々の感激は切なく、かついとおしい。昔の人が人生の折々の感動を綴った文章を読むと、彼らの思いがひしひしと伝わってくる。私が今書いているものも後世の人にそういう思いを起こさせるのではないか……。

 

 「梅花歌」序には、人生の奥深さへの感慨は述べられていません。続く三二首の短歌も、〈春が来たら毎年こんなふうに梅を愛でて歓を尽くしたいものだ〉(八一五)やら、梅の花は今が満開だ。気の合うものどうし髪に飾ろうではないか〉(八二〇)やらと、呑気な歌ばかりが並んでいるのですが、そしてそれは、旅人大宰府役人たちの教養の程度を考慮して、「蘭亭集序」を理解したうえで作歌することまでは要求しなかったからでしょうが旅人自身は「蘭亭集序」全体の文脈をふまえて歌群を取りまとめました。その証拠に、上記「員外思故郷歌」は

  わが盛りいたくくたちぬ雲に飛ぶ薬食むともまたをちめやも(八四七)

   ……わたしの身の盛りはとうに過ぎてしまった。空飛ぶ仙薬を服用しても若返ることなどありえない。

  雲に飛ぶ薬食むよは都見ば賤しきあが身またをちぬべし(八四八)

   ……空飛ぶ仙薬を服用するより、都を見ればまた若返るに違いない。

というのです。人は老いを避けがたいという内容を引き込んでみせている。

 しかも、ここには強烈なアイロニーが発せられてもいる。旅人にとって平城京はもう都でないのも同然で、「都見ば」という仮定自体が成り立たなかったからです。

 

 都はどうなっていたか皇親勢力の重鎮として旅人が深い信頼を寄せていた左大臣長屋王――平城京内の邸宅跡から大量の木簡発見されたことでも有名な人物――が、天平元年つまり梅花宴の前年に、藤原四子(武智麻呂・房前・宇合・麻呂)の画策で濡れ衣を着せられ、聖武天皇皇太子呪い殺した廉で処刑されるという、いともショッキング事件が持ち上がったのでした。この事件は後に冤罪と判明するのですが、当時から陰謀が囁かれていたでしょう。旅人もそう強く疑ったに違いありませんが、遠い大宰府にあって切歯扼腕するよりほかなすすべがなかった。『万葉集』の巻五は作歌年月日順に歌が配列されているのですが、梅花歌群の少し前、天平元年のところには、旅人藤原房前に「梧桐日本琴」を贈ったときのやりとりが載っています事件は二月、贈答は十月から十一月ですから、明らかに事件を知ってから接触を図ったのです。〈君たちの仕業だろうと,察しはついているが、あえてその件には触れないよ〉〈黙っていてくれるつもりらしいね。贈り物。はありがたく頂戴しましょう〉と、きわどい腹の探り合いを試みている――あるいは、とても太刀打ちできないと見て膝を屈したとの見方もありえるかと思いますが、とにかく、巻五には長屋王事件痕跡が書き込まれている。

 

 巻五だけではありません。巻三所収の大宰少弐(次席次官小野老の作

  あをによし寧楽の都は咲く花のにほふが如く今盛りなり(三二八)

は、何かの用事でしばらく平城京滞在し、大宰府に帰還したときの歌でしょうが、『続日本紀』によれば老は天平元年三月、つまり長屋王事件の翌月に従五位上に昇叙されていますから、たぶんこのときは都にいて、聖武天皇から直接位を授かったのでしょう。すると、大宰府に帰った老は事件後の都の動向を旅人らに語ったと考えられる――そういうことが行間に読み取れるのです。また巻四には、長屋王の娘である賀茂女王大宰府官人だった大伴三依との交情が語られていて、三依は事件に憤慨しながら大宰府に向かったようです(五五六)。さらに巻六。歌を年月日順に配列する中で天平元年に空白を設け、直前に、長屋王嫡子事件ののさい自経した、膳王の作を配しています(九五四)。

 これらはみな、読者に長屋王事件喚起する仕掛けに相違ありません。偶然の符合にしては出来すぎている。

 

 「梅花歌」序とそれに続く一群の短歌に戻りましょう。「都見ば賤しきあが身またをちぬべし」のアイロニーは、長屋王事件を機に全権力を掌握した藤原四子に向けられていると見て間違いないでしょう。あいつらは都をさんざん蹂躙したあげく、帰りたくもない場所に変えてしまった。王羲之にとって私が後世の人であるように、今の私にとっても後世の人に当たる人々があるだろう。その人々に訴えたい。どうか私の無念をこの歌群の行間から読み取って欲しい。長屋王を亡き者にした彼らの所業が私にはどうしても許せない。権力を笠に着た者どものあの横暴は、許せないどころか、片時も忘れることができない。だが、もはやどうしようもない。私は年を取り過ぎてしまった……。

 

 これが、令和の代の人々に向けて発せられた大伴旅人メッセージなのです。テキスト全体の底に権力者への嫌悪と敵床心が潜められている。断わっておきますが、一部の字句を切り出しても全体がついて回ります。つまり「令和」の文字面は、テキスト全体を背負うことで安倍総理たちを痛烈に皮肉っている格好なのです。もう一つ断わっておきますが、「命名者にそんな意図はない」という言い分は通りません。テキストというものはその性質上、作成者意図しなかった情報を発生させることがままあるからです。

 安倍総理政府関係者は次の三点を認識すべきでしょう。一つは、新年号「令和」が〈権力者の横暴を許さないし、忘れない〉というメッセージ自分たちに突き付けてくること。二つめは、この運動は『万葉集』がこの世に存在する限り決して収まらないこと。もう一つは、よりによってこんなテキスト新年号の典拠に選んでしまった自分たちはいとも迂闊(うかつ)であって、人の上に立つ資格などないということです(「迂闊」が読めないと困るのでルビを振りました)。

 

 もう一点、総理談話に、『万葉集』には「天皇皇族貴族だけでなく、防人農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌」が収められているとの一節がありました。この見方はなるほど三十年前までは日本社会の通念でしたが、今こんなことを本気で信じている人は、少なくとも専門家あいだには一人もおりません。高校国語教科書もこうした記述を避けている。かく言う私が二十年かかって批判してきたからです。安倍総理――むしろ側近の人々――は、『万葉集』を語るにはあまり不勉強だと思います。私の書いたものをすべて読めとは言いませんが、左記の文章はたった一二ページですから、ぜひお目通しいただきたいものです。東京大学教養学部主催の「高校生のための金曜特別講座」で語った内容ですから高校生なみの学力さえあればたぶん理解できるだろうと思います

 

【記】

品田悦一「万葉集はこれまでどう読まれてきたか、これからどう読まれていくだろうか。」(東京大学教養学部編『知のフィールドガイド分断された時代を生きる』二〇一七年八月、白水社

2019-04-04

anond:20190404234524

以前、皇太子殿下もいらしたという、インド料理屋さんが市内にあったんだけど

めっちゃ美味しかったんだよ。

もう、苦しいんだけどおなかパンパンになるんだけど、食べたいの。

聖徳太子皇太子なんだから「日出處天子」とか名乗るはずがないわけだが

2019-04-03

外務省ファクスを訳してみた

https://pbs.twimg.com/media/D3DEctGU0AAS249.jpg

サーキュラ

外務省は、日本駐在する外交使節団と国際組織に対し、以下の事項をお知らせする栄を得るものであります

1.天皇の退位等に関する皇室典範特例法の施行期日を定める政令施行により、天皇陛下が御退位され、翌5月1日に皇太子殿下が御即位されることになります

2.2019年4月1日閣議で、皇太子殿下天皇陛下として即位される2019年5月1日から日本新時代を「れいわ」と呼ぶことが決まりました。

外務省はこれを機会として、今後とも外交使節団国際機関に深厚の敬意を表すものであります

CIRCULAR

The Ministry of Foreign Affairs presents its compliments to the Diplomatic Missions and International Organizations in Japan and has the honour to inform them of the following:

1.Following the enforcement of the Special Measures Law on the Imperial House Law Concerning the Abdication of the Emperor and Other Matters on April 30, 2019, His Majesty the Emperor will abdicate on the same day and His Imperial Highness the Crown Prince will accede to the Throne on May 1, 2019.

2.It was decided at the Cabinet Meeting on April 1, 2019, that with the accession to the Throne of His Majesty the Emperor Naruhito, the new Japanese era be called "Reiwa" as from May 1, 2019.

The Ministry of Foreign Affairs avails itself of this opportunity to renew to the Diplomatic Missions and International Organizations the assurances of its highest consideration.

令和の制定が不透明

じゃあ皇太子即位して令和になった時その意見ぶつけてみろや糞マスコミ

どうせ平伏して黙るくせに

十干十二支元号西暦

これは仮説ではある。けども結構正しいのではないかと考えている。

江戸時代以前は元号はすぐに変わるから、例えば数年前、10年20年ぐらい前のことを示すには不便だ。だから十干十二支が併用されていた。

しかし、一天皇元号となり、元号があまり変わらなくなった。なので、元号を重んじて十干十二支重要性が減っていった。と共に、文明開化により西暦日本に入ってきた。

それでも元号を使うと数十年に一度はやはり元号が変わる。昭和は60年続いたからともかく平成は30年。

次の令和も今皇太子殿下は今59歳だ。80歳で次に譲るとすると令和は20年で終わる。

その次が継承順位通りだとと弟の秋篠宮殿下だ。ただ、秋篠宮殿下天皇になった時の元号はおそらく数年で終わりだ。

ましてや、IT化が進展して、歴を変える手間がどんどん大きくなってくる。

暦にとって永続性はやはり必要だったか元号十干十二支の使い分けがあった、そして、変わらない西暦が重んじられてくるのではないかと。

なお、十干十二支というのは、十二支に加えて、十干も組み合わせて年を表す記法

甲子園甲子とか、辛亥革命の辛亥とかだ。60年で一サイクル。

江戸時代以前は元号ポコポコ変わった。天皇が変わったからとか、飢饉が起きたからとか、古い時代だと珍しい亀が見つかったか元号を変えたという話もある。

から元号より変わらない十干十二支一定地位を持っていた。

ITの世界でも暦のトラブル元号以外に多くある。西暦の下2桁で取り扱っていたがゆえに起きた2000年問題はわかりやすく有名だ。

秒が16ビット取り扱う系では2038年にも問題を起こす。しかも、これ現皇太子殿下譲位に近い時期じゃないの。

ITは所詮道具に過ぎず、そのITでなす商売やらサービスやらがある。元号関係枝葉末節

どんどん西暦化は進むのだろうなぁと。

2019-04-02

anond:20190402162125

皇太子を偲ぶ年として1年間は令和にしておこう。

anond:20190401142656

不謹慎な話だが、皇太子急逝したらどうなるんだろう?

anond:20190402161415

竹田みたいな人」は政治的タイムライン作ってどっぷりtwitterやってりゃ誰でもああなる

逆に言うと天皇皇太子たる人はそんなことしないので「竹田みたいな人」にはならない

竹田恒泰みたいなのが天皇になったらどうなるのっと

今の天皇皇太子たまたま大丈夫だっただけで、竹田恒泰みたいなのが天皇になったりしてもおかしくないわけでさ。どうなっちゃうんだろうか

2019-04-01

縁起でもないことは承知しているんだが、この一ヶ月で天皇皇太子がどっちも亡くなったらどうなるの?

なんで皇太子感想聞きに行かないんだ?

マスコミって無能だな。

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