はてなキーワード: 昭和29年とは
これって「顔」の用法としてそれぞれ正解だと思うんだけど、
煽っているわけではなくて(バカにしたりとかしたいわけじゃなくて)、
特に後者の使い方って現代でぱっと見、あるいは話の中で通ずるのかなって思って。
昭和の新聞記事をずっと読んでいかなくてはならない仕事があった時、
昭和29年に花街で殺人事件があり、「犯人の男は〇〇通りでは顔」という表現があった。
「犯人の男は〇〇通りではよく知られた男だ」という意味になるんだろうけど、それを「顔」の語で表現した。
大昔、筒井康隆のエッセイ集(狂気の沙汰も金次第。。。だったような気もするけど手元にないから確認できない)で、戦中に大量の死をみて人の命の軽さを知っている著者たち昭和ヒトケタ世代が日本のリーダー層になりさえすれば、役に立たない高齢者たちなどすぐに見捨ててより良い日本になるはず。みたいなことが書かれていたことだけ強く記憶に残ってる。1970年代前半に書かれているから、当然明治生まれがまだ国のトップにいた頃。その十数年後にお小遣いで買った文庫本でこれを読んだ中学生の自分は、当時から話題になっていた将来の高齢化とか年金の問題に思春期的な青い怒りを感じつつ、素直にそうだそうだと感心していた。
でも結局そんなことにはなりはしなかったし、総理大臣は昭和29年生まれにまでなっちゃった。コロナ対策におけるスウェーデンの方針聞いててちょっと羨ましかったりするのは、このあたりの記憶がくすぐられるんだろうなと。ふと思い出しました。
24年組(にじゅうよねんぐみ)は、昭和24年(1949年)頃の生まれで、1970年代に少女漫画の革新を担った日本の女性漫画家の一群を指す。
「花の24年組」とも呼ばれる。
年齢や作風において彼女らの後輩に当たる女性漫画家たちは「ポスト24年組」と呼ばれている。
青池保子(昭和23年生)、萩尾望都(昭和24年生)、竹宮惠子(昭和25年生)、大島弓子(昭和22年生)、木原敏江(昭和23年生)、山岸凉子(昭和22年生)、樹村みのり(昭和24年生)、ささやななえこ(昭和25年生)、山田ミネコ(昭和24年生)、増山法恵(昭和25年生)
水樹和佳(昭和28年生)、たらさわみち、伊東愛子、坂田靖子(昭和28年生)、佐藤史生(昭和27年生)、花郁悠紀子(昭和29年生)
室内はやや肌寒く、昔の授業環境を実感できました。
屋外に藤岡地区で最後の一機となった水車が展示されているのですが、
こちらは陶器づくりに使う原料を砕く「トロンミル(一部の表記はトロミル)」を
動かす為のものでした。
採掘される花崗岩が風化した土のことを「サバ土」と呼んだとのことで、
とたんに親近感がわきましたわ。あとで確認したところ地質学でいう真砂土と同じもののようです。
平成26年に起きた広島の土砂災害でも「サバ土」の保持力の低さが話題になりましたけど、
火山が温泉と噴火をもたらすように、土地が利益と不利益を同時にもたらす例のひとつですわね。
校内の「棒の手(この地方、土着の武芸ですわ)」の展示を追うと、
藤岡町では1972年に猿投神社への演武の奉納が途絶えるほどの大災害が起きています。
おそらくサバ土のえられる土地質がこの災害に関係していたのでしょう。
ですけど、サバ土には罪はなく、ただそこにあるだけ。
特質をよく知り賢く利用してほしいですわ。
ちきりんの
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20161017
を見て、じゃあ政令指定都市はどうなっているんだと単純に疑問に思い調べてみた。
政令市名 | 市長名 | 生年 | 回数 | 経歴 |
---|---|---|---|---|
網掛け= | 女性市長 | 70歳以上 | 5期以上 | 中央官庁出身 |
札幌市 | 秋元克広 | 昭和31年 | 1期 | 市職員 |
仙台市 | 奥山恵美子 | 昭和26年 | 2期 | 市職員 |
さいたま市 | 清水勇人 | 昭和37年 | 2期 | 県議会議員 |
千葉市 | 熊谷俊人 | 昭和53年 | 2期 | NTT、市議会議員 |
川崎市 | 福田紀彦 | 昭和47年 | 1期 | 県議会議員 |
横浜市 | 林文子 | 昭和21年 | 2期 | 日産、ダイエー |
相模原市 | 加山俊夫 | 昭和20年 | 3期 | 市職員 |
新潟市 | 篠田昭 | 昭和23年 | 4期 | 新聞記者 |
静岡市 | 田辺信宏 | 昭和36年 | 2期 | 市議会議員、県議会議員 |
浜松市 | 鈴木康友 | 昭和32年 | 3期 | 衆議院議員 |
名古屋市 | 河村たかし | 昭和23年 | 2期 | 衆議院議員 |
京都市 | 門川大作 | 昭和25年 | 3期 | 市職員 |
大阪市 | 吉村洋文 | 昭和50年 | 1期 | 弁護士、市議会議員 |
堺市 | 竹山修身 | 昭和25年 | 2期 | 府庁職員 |
神戸市 | 久元喜造 | 昭和29年 | 1期 | 自治(総務)官僚 |
岡山市 | 大森雅夫 | 昭和29年 | 1期 | 建設(国土交通)官僚 |
広島市 | 松井一實 | 昭和28年 | 2期 | 労働(厚生労働)官僚 |
北九州市 | 北橋健治 | 昭和28年 | 3期 | 衆議院議員 |
福岡市 | 髙島宗一郎 | 昭和49年 | 2期 | キャスター |
熊本市 | 大西一史 | 昭和42年 | 1期 | 商社、県議会議員 |
こうして見ると、中央官庁出身者は20人中3人で多くはない。全員中国地方近辺というのは偶然か。
多いのは地方議員(6人)と自治体職員(5人)で合計すると過半数だ。
やはり地方の行政組織や選挙(政治)に密着しているのは強みなのだろう。
民間企業経験者は5人(うち2人はその後、地方議員経験あり)、女性は2人と、
ちきりんの言う「改革派」市長ばかりではないだろうが、都道府県知事と比較してみると概ね、
・若い
・期数が短い
・中央官僚は少ないが、政治・行政出身が多いことは変わらない。
というのは確かだ。
この結果として、非都市部と比べて、住民が利益を受けているのか、不利益を受けているのか、
あるいは、中央と対峙しているのか、そうではないのか、といったことは、よく考えてみると、
とても面白いのではないだろうか。それに、各都市の構造も一様ではない(大阪市と浜松市では中枢性が違いすぎるように)。
また、都市の中の都市である、東京23区の首長の経歴がどうなっているのかも、調べてみると興味深いだろう。
ぜひ誰か調べてみてほしい。
北海道江別市西野幌にある「道立増田投稿者養成センター」の歴史は古く、明治2年に開拓判官島義勇が建白した「匿名筆録掛創設ニ関スル建白」にその淵源が求められる。
その後、初代北海道庁長官岩村通俊の時代にその必要性が認められ、明治20年に「庁立増田所」が札幌の創成川沿いに設置された。
当時は札幌農学校の講師が教授役を務めた。吏務員としての素養を高めるとともに人の気をひく匿名の文章を如何に作るかについて、北海道開拓というプレッシャーの中、日々を研鑽を積んでいた。当時はインターネットは無く、増田専用の文書を回覧し、開拓使に勤める吏員が印鑑を押下することによってブックマークとしていた。有名な職員の押印はやはり注目を集めた。岩村も自らが創設した部局とあって積極的なブックマークを行ない、出身の薩摩ネタ(「何言うちょっかわかりもはん」かが決まり文句)が職員の笑いを誘った。
ブックマークを多く集めた文書は翌日以降の函館新聞(のちの函館毎日新聞)や小樽新聞に掲載された。現在と同じく、文書にはウケ狙いのもの、政治や社会に関するものがあり、それに対する道吏員のコメントは新聞読者の注目を集めた。時に道政の指針となるような匿名文章やブックマークがあり、北海道における増田は、開拓を進める上で次第に重要性を増していった。
明治44年の後の大正天皇の行幸に合わせて「庁立増田所」は発展的に解消。「庁立匿名記事錬成所」と改められ、その機能が増強された。すなわち、道庁以外の要人にも押印の権利が与えられたのである。現在の雨竜町に大農場を経営した蜂須賀茂韶(しげあき)や、清水町に広大な土地を所有した渋沢栄一ら、北海道に土地を所有したり工場を経営する政府要人のブックマークが認められるようになった。このように北海道開拓の傾向性と同じく、北海道における増田についても官の強力な資本投下により推し進められた側面が強い。
大正年間の北海道庁長官宮尾舜治もまた名物ブクマ家であった。ほとんどの記事にブックマークしたため、彼の部下が空気を読んで同じくブクマ。その結果糞増田が多くエントリされ、増田の質が多いに低下した。これは第一次大戦の好景気を経験した道民のデモクラティックな感性を大いに刺激し、増田改善運動が各地で起こった(釧路での原勝治の運動が著名)。これに対する宮尾の名言「糞増田もまた増田」は、今でも道民の記憶に遺されるものであった。
戦時中は統制政策のもと増田の文章は時の第一次東條内閣により圧力をかけられた。しかし増田家やブクマ家は当局に面従腹背、うまいことごまかした文章やブクマを行ない、ネタや時局批評を織り込んだ。こうした官製でありながら反体制的な場としても機能したことについては、言論の自由を考える上でも高い評価を得ている。
戦後の民主化により、昭和23年に「庁立匿名記事錬成所」は解体。野幌の現在地に民間資本による「北海道匿名記事養成所」が設置。講師以下執筆者、多くの職員に至るまでを公選とすることで、増田のさらなる民主化が図られた。残念ながら諸般の事情や資金面での苦慮により昭和29年に増田執筆者公選制度は頓挫。北海道は重要性を再認識し、再び道立への移管がなされた。戦後北海道では漁業や鉱業が盛んであり、そうした労働者に関する増田文が多くを占め、時代の潮流になった。時の社会党党首佐々木更三をして「北海道に労働者あり増田あり」の評言は、現在でも北海道増田左派を中心に語り草になっている。近年では現北海道長官の高橋はるみ萌えネタが多くを占め、歴史の長い北海道増田界隈にも、萌えの波が押し寄せていることは今更贅言する必要性もないだろう。また北海道十一区中川侑子代議士のスキャンダラスなネタや増田小説(えっちな)も定番になっている。「増田所」設置の明治20年から130年の歴史が経過しようとしている。北海道匿名世界をリードした増田。これからさらなる飛躍を祈ってやまない。
今年もそろそろ終わる。
俺は来年40歳になる。10年前に何してたっけ?どんなことがあったけ?20年前は?
思い出そうとしてみたが、覚えていることはあまりなかった。
そこで大好きなウィキペディアを開いてみたら、おもしろかった。
西暦をたたけばその年に起こった出来事や流行ったものごと、世相がまとめられている。
すげえな。
「おっ」とか「へー」とか「なにそれ」と思った出来事で100年を振り返ってみる。
2014年の10年前と2015年の10年前。
1614年と1615年までさかのぼれば、それぞれ大阪冬の陣と夏の陣までいけるのだが、400年はけっこうしんどい。
とりあえず100年。
------------------------------------------------
・自衛隊イラク派遣の陸上自衛隊本隊第一陣がイラクのサマワに入る
・関西電力美浜原子力発電所(福井県)で蒸気漏れ事故が発生、作業員5人が死亡
・アテネ五輪(柔道の野村忠宏選手が五輪3大会連続で金メダル獲得)
・「新潟県中越地震」死者68名
2005年(平成17年)
・中部国際空港が開港
・アンゲラ・メルケルがドイツ首相に就任
・1年を通じて1899年以来初めて死亡数が出生数を上回る
------------------------------------------------
1994年(平成6年)
・関西国際空港が開港
・オリックスのイチローが史上初の1シーズン200本安打を記録
1995年(平成7年)
・警視庁の国松孝治長官狙撃事件(重傷)
・オウム真理教総本部前で村井秀夫幹部が刺殺される
・『新世紀エヴァンゲリオン』放送開始
・俺ハタチになる/この年はテレビばかり見ていた気がする。
------------------------------------------------
・中曽根首相が首相として戦後初の靖国神社参拝
1985年(昭和60年)
・東京都に新両国国技館が完成、横綱・北の湖が引退
・NTT(電電公社)とJTT(日本たばこ産業)が民営企業として発足
・豊田商事の詐欺事件についてマスコミが取材中、報道陣の前で永野一男会長が暴漢2人に刺殺される
・フジテレビで夕方のバラエティ番組『夕やけニャンニャン』が放送開始
・たこ八郎が水死
・阪神タイガースが日本シリーズで、西武ライオンズを破り4勝2敗で日本一
------------------------------------------------
1974年(昭和49年)
・永谷園が「あさげ」を発売
・日本赤軍がオランダ・ハーグにあるフランス大使館を占拠(ハーグ事件)
・ウォーターゲート事件でニクソン米大統領辞任
1975年(昭和50年)
・まるか食品が「ペヤングソースやきそば」を発売
・山陽新幹線博多まで開通
・広島東洋カープが初優勝
・イギリス保守党の党首にマーガレット・サッチャー選出
・沖縄国際海洋博覧会開幕
・俺が生まれた
……俺と同い年の人たち
・アンジェリーナ・ジョリー(女優)
・上原浩治(野球選手)
・高橋由伸(野球選手)
・俺(商店街で鮮魚店を経営)
------------------------------------------------
・本田技研工業が「S600」を発売
・日本人の海外観光渡航自由化。ただし年1度、所持金500USドルまでの制限付き
・東海道新幹線開業
・坂本九『明日があるさ』がヒット
1965年(昭和40年)
・淀橋浄水場廃止
・中国で文化大革命が始まる
------------------------------------------------
1954年(昭和29年)
・日本の高度経済成長期が始まったとされる年
・NHKが大阪と名古屋でテレビジョン放送開始
・ニッポン放送開局
・琉球放送(RBC)開局
・遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が米国の水爆実験によって発生した多量の放射性降下物を浴びる
・洞爺丸事故
・加藤芳郎の4コマ漫画『まっぴら君』が毎日新聞夕刊で連載開始→2001年終了
1955年(昭和30年)
・武田薬品工業が総合感冒薬「ベンザ」を発売。
・ワルシャワ条約機構結成、冷戦激化
・広辞苑初版発行(岩波書店)
・後楽園遊園地が完成
・自由民主党と日本社会党の二大政党制(55年体制)が始まる→1993年崩壊
------------------------------------------------
1944年(昭和19年)
・全国の新聞で夕刊が廃止
・日本軍がインパール作戦を開始
・連合軍によるパリの解放
・東海道沖で東南海地震発生/マグニチュード7.9、死者・行方不明者1,223人、建物全壊36520件
1945年(昭和20年)
・ 2月 4日 ヤルタ会談(ルーズベルト、チャーチル、スターリン)
・ 2月14日 近衛文麿が昭和天皇に早期和平を提案(近衛上奏文)
・ 6月13日 大田実司令官が「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と打電した後自決
・ 6月23日 沖縄守備軍司令官牛島満が摩文仁司令部で自決/実質的な戦闘終結
・ 8月 6日 広島市へ原子爆弾投下
・ 8月 9日 ソ連軍が満州へ侵攻して対日参戦開始
・ 8月 9日 長崎市へ原子爆弾投下
・ 8月10日 御前会議(ポツダム宣言の受諾の可否について)
・ 8月27日 占領軍向け特殊慰安施設の第1号開業(小町園、東京大森)
・ 9月 2日 東京湾上の戦艦ミズーリ艦上で、重光葵・梅津美治郎らが降伏文書調印(第二次世界大戦終結)
・ 9月25日 外国人記者2名が昭和天皇にインタビューを行う
・10月19日 駅名の表記が左書きに統一される
------------------------------------------------
1934年(昭和9年)
・日比谷映画劇場開場
・忠犬ハチ公銅像除幕式
・満鉄が大連―新京間で「特急あじあ号」の運転を開始
・東北地方で冷害が発生、凶作被害甚大
1935年(昭和10年)
・築地市場開場
・フランス人民戦線結成
・天理教本部が脱税で捜索
------------------------------------------------
1924年(大正13年)
・皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)と良子女王(後の香淳皇后)ご成婚
・日本でメートル法が採用
・阪神甲子園球場完成
・トーマス・マン『魔の山』
1925年(大正14年)
・イタリアのベニート・ムッソリーニが独裁宣言
・日ソ基本条約締結(日本はソ連を承認)
・治安維持法公布
・朝鮮総督府庁舎完成
・上海で五・三〇事件
・広東に国民政府が成立
・鈴木商店(後の味の素)設立
・芦ノ湖にブラックバスが放流
・娯楽雑誌『キング』創刊
……これ読んだ若い頃、スーパーのおさかなコーナーで働いてた。
まな板の上にレモン置いて帰ろうかと思ったな。
なつかしい。
------------------------------------------------
1914年(大正3年)
・孫文らが東京で中華革命党を結成
・サラエヴォ事件→オーストリア=ハンガリー帝国がセルビアに最後通牒
・『少年倶楽部』創刊
1915年(大正4年)
・第一次世界大戦:ドイツ海軍がイギリス周辺を交戦海域に指定して、Uボートによる無制限潜水艦戦が開始される
・サマセット・モーム『人間の絆』
・芥川龍之介『羅生門』
------------------------------------------------
数字と固有名詞と記憶と今がごっちゃになって、ちょっと気持ちいい。
自分がさかなクンと同い年なのは知っていたが、ぺヤングとも同い年とは知らなかった。
それと昭和、長いな。
明日も朝早いし、そろそろ寝る。
なるほどですねー
http://1106.suac.net/news2/tiger23/noroi.html
警察が「呪」に対して動いた事件があった。当時の新聞に拠ると。
昭和29年A市にて、Tさん(女性)は、突然胸の痛みを訴えて倒れた。病院に運び込まれたが原因がまったく判らなかった。数日後、交際相手のYさんが「彼女は藁人形の呪いをかけられている」と警察に訴え出た。YさんはかつてHさんと交際していたが、Tさんと出会い、Hさんに別れ話を持ち出した。しかしHさんは別れようとせず、恋人を奪ったTさんを恨み、近所の神社で丑の刻参りをしたのだという。警察はHさんを脅迫容疑で逮捕した。Hさんの逮捕後、Tさんの身体は一瞬で回復したという。
神社を訪れた人が、五寸釘を打たれた藁人形を発見。これにTさんの名前が書かれていたという噂が本人の耳にはいる。ちょっとしたことでも呪いのせいではないかと考えるようになり、神経質になる。Tさんの場合、やがてその不安が強迫観念となり、胸の痛みとなって発病したと考えられる。
人に見られてはいけない丑の刻参りであるが、もしかしたら、人に見られた方が効果があるのではないだろうか。
昭和29年。とはいえ。人に知られてはいけないのにも合理的な理由がある、というわけか。
あるいは「呪い殺す」と言われたところで、呪いは信じないが、他のどの手を使って殺されるかわからない、つって通報することも可能なんだろうか。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~DD2/Rumor/murasakikagami.htm
丑の刻参りを行っても、被害者に対して実際的なダメージを与えることは出来ません。少なくとも科学的にはありえない話なので、例え呪いをかけた相手が何かの拍子に死んだりしても、”不可能犯”となり、傷害罪や殺人罪は適用できません。しかし、この時の逮捕容疑は恐喝でした。
http://1106.suac.net/news2/tiger23/noroi.html
警察が「呪」に対して動いた事件があった。当時の新聞に拠ると。
昭和29年A市にて、Tさん(女性)は、突然胸の痛みを訴えて倒れた。病院に運び込まれたが原因がまったく判らなかった。数日後、交際相手のYさんが「彼女は藁人形の呪いをかけられている」と警察に訴え出た。YさんはかつてHさんと交際していたが、Tさんと出会い、Hさんに別れ話を持ち出した。しかしHさんは別れようとせず、恋人を奪ったTさんを恨み、近所の神社で丑の刻参りをしたのだという。警察はHさんを脅迫容疑で逮捕した。
容疑は恐喝なので、呪いをかけているというふうに知られると捕まる可能性はでるみたい。
80年代にも捕まったという報道を一度TVで見た記憶があったのだが…
詳細なソースは見つからなかった。